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空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

唐突ですが“最後っ屁”をお許しください

 まず冒頭に。
 アメリカ大統領選挙が迫っていますが、かつての大統領選挙で民主党候補のゴア氏が、論理的にも知的な面でも共和党のブッシュ氏を圧倒しました
 だからゴア氏は大衆に嫌われ、選挙では討論で完敗したブッシュ氏が勝ったのです。

 人間、と言うか大衆は所詮「論理より感情」なんですよね。
 データや事実をもとに理論で詰めて行く正論は、多くの人に「上から目線で偉そうだ」と嫌われます。
 ゆえに明らかに知的でなく、討論で何度も言葉に詰まり論破されたブッシュ氏が、逆に大衆の同情と支持を集めたのです。

 さて、日本のみならず世界を覆うこのコロナ禍の影響を受け、私の仕事もここ数ヶ月間、多忙を極め続けています。
 で、今のようにブログの記事を書き続けるのが、時間的にも体力的にも困難となってきました。

 思えば、私は二十世紀には何の疑問もなく自民党の候補者に一票を入れ、ほぼ幸せに生きていました。
 現実を見ずに建て前の綺麗事ばかり言うサヨクの知識人については不快に思っていましたが、彼らは権力を持たない“外野”であり、日本を動かす力は持っていませんでしたから、ただ存在が不快なだけで別に問題はありませんでした。

 しかし小泉政権の誕生で、私は「論理できちんと説明せず、ワンフレーズ・ポリティカルで大衆の感情を揺さぶって世の中を己の思うように動かそうとする」小泉純一郎を指導者として良からぬ煽動政治家と判断しただけでなく、その政治家を85%もの日本国民が支持した現実に強い危機感を抱きました。
 さらに戦前の軍国日本と侵略戦争を正当化したい歴史修正主義者を岩盤支持層とする安倍政権の誕生と、その実績に比べて変に高い支持率に、危機感にさらに強い怒りも加わりました。
 それで何とか出来ないものかと、お叱りやご批判から罵詈雑言までを受けつつ、政治と今のこの国について、何度もこのブログで記事に書いてきましたが。

 それでわかったことは、「大衆はやはり感情で生きていて、事実やデータを挙げた論理では全く動かせない」という現実でした。
 私が何を書いても、この国も時代の流れも何も変わりませんでした。
 私が書いてきた事実やデータを挙げた論理は、道理がわかる知的な人には「言われなくても既にわかっていること」であり、私が動かしたかった安倍政権や菅政権の支持者については「ただ感情を刺激して怒らせただけ」だったのです。
 元々理屈の通じない人達に、いくら事実やデータで理論を語っても意味など何もないのでした。
 そう、小泉や安倍や菅といった、かつての自民党の人間味ある政治家たちとはまるで異質な独裁的指導者を「実行力のある強いリーダー」と勘違いして支持する国民を文章で何とか動かし、少しでもこの国を変えたいと思った私の行為は、本当に「徒労と自分の貴重な時間の無駄」でしかなかったのです。
 多くの人は感情で動くもので、理屈で心は動かないのですから。
 そして私は、小泉やヒトラーのような「理屈抜きで感情」の煽動家には到底なれませんし、その種の指導者は私が最も嫌悪するものです。

 安倍政権は「現実に何をして、どんな法案を通してきたか?」という具体的な行為と現実ではなく、とにかく何か仕事を「やっている感」で大衆に評価されました。
 このコロナ禍でも、現実にスピードある対策でなく、「スピード感」が盛んに求められました。
 これが日本人、これがこの国の有権者たちなんですよね。
 論理や冷静な分析と事実ではなく、イメージと印象が全てなんです。
 全く無駄ですよね、この国の国民の大半を占めるその種の人達に、理屈で何を言っても

 と言うわけで、私がプロとして文章を書いて生業を立てているならともかく、他に仕事がありしかもそれが多忙であるのだから、理屈の通じない「感情と感覚」の人達に、自分の睡眠時間と体力を限界まで削って文章を書き続けることは「意味の無い徒労」であったと判断し、仕事でも追われ疲労困憊している私の健康の回復の為にも、暫く休息の時間をいただこうと考えております。
 このブログに続けて目を通して下さっている、ごく少数の方には誠に申し訳ありませんが、記事の更新が当面出来かねることをお詫び申し上げます。
 寄せて下さるコメントにもお返事出来ませんが、お許し下さい。
 では、機会があれば、またいつかお会いしましょう。

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今の私の最愛の存在です!

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 でも写真と本の他に私の人生を豊かにしてくれたものが、もう一つあります。
 それは猫です。

 私は何故か猫が幼い頃から好きでした。
 小学校低学年の頃から、猫と暮らしたくて暮らしたくてなりませんでした。
 ただ残念ながら父が猫好きではないので、その希望は叶いませんでした。
 ですからね、大学四年の春に父が急死した後、夏にはもう野良の子猫を躊躇無く引き入れ、家の子にしてしまいました。
 以来、四匹の猫を家族にしてきました。

 猫は本当に良いです。
 本質的に個人主義で、甘えたい時以外は「放っておいて!」という感じて好きにしているし。
 それでいて甘える時は、愛情表現がとても激しいし。
 いつもベタベタするのではなく、でも気が付くと傍に居てくれて。
 そして夜は、寄り添って寝てくれて。
 猫が家族になってくれた幸せを、本当に感じて生きています。

 ちなみに私、最も好きな猫の種類はズバリ“雑種”ですね。
 あの「いろんな猫の遺伝子がブレンドされた、世界でオンリー・ワンの存在」という感じがたまらなく良いのです。
 純血種には全く興味ないですし、人間が造り出した遺伝病や障害も持つ新しい種の猫を見ると、むしろ痛々しさと人間のエゴの醜さを心から強く感じます。
 特に「耳が折れ、手足も短い人気のあの種の猫」を選んでお金で買って飼う人は嫌いです。

 ご存知ですか。
 無知な人が「可愛い!」と喜ぶあの折れ耳は、軟骨形成不全という遺伝的な障害を、人間がエゴで意図的に固定したものなんですよ。
 だからそもそも軟骨に問題があるので、耳の他に手足の関節に異常を持つ場合もあります。
 それでいわゆる“香箱座り”が苦手で、人間のオッサンのように座っているのも、あの猫が好きな人は「可愛い!」と喜ぶ。
 当の猫は人間により作り出された障害のせいで苦しんでいるというのに、どれだけ無知の上に残酷なのだろうかと呆れます。
 それにそもそも猫にとって聴力は、とても大事なものなんです。
 なのに耳が折れていたら不自由ではないかと、どうして想像も出来ないのでしょうか。

 もし人間より知能と文明が優れた地球外生物がUFOで地球にやって来て、貴方を含む人間を捕らえてペットにしたとしましょう。
 そして「可愛いから」と、貴方を耳が折れて関節にも障害のある人種に作り変え、貴方の苦痛も無視して飼って楽しんでいるとしたら、貴方はどんな気持ちになるでしょうか。
 どうせそんな想像力も無いんでしょうね、人間がエゴで突然変異の奇形を固定化させて作り出した猫を、高いお金を出して買うような自称“猫好き”は。
 と言うか私は、外見や種で共に暮らす猫を選ぶ人を好きになれません。
 それは自分の家族となる結婚相手を、容姿と血筋(家柄)で選んでお金で買ってくるようなものですから。
「猫本来の姿と性質を愛せないなら、猫が好きだなどと言うな!、お前らに猫を家族に迎える資格など無い!!」と、心から思います。

 ちなみに私の場合、家族に迎えた猫はみな、私が選んだのではなく、猫の方が私を選んでくれたのです。
「私が猫を選ぶ」のではなく、「猫に私を選んでもらう」のが、私の主義です。
 ですから私の大切な家族になってくれた猫は、どの子も「猫の方が家に入って来たがった」とか「病気でひどい状態だったのを助けた」という野良の子や保護猫ばかりです。

 それだけに。
 私と猫の心の絆は、ものすごく強いです。
 ペットでなく家族だから、「飼う」とか言いたくないです。
 迎えたんですよ、家族に。

 こんな私ですから、彼女ができると必ずモメます。
 その理由はいつも、「あたしと猫と、どっちが大事なの!?」です。
 そして私は「もちろん君さ」と言えず、「君は君だし、猫は猫だし、どちらとか言われても……」とモゴモゴ言ってはキレられるという繰り返しです。
 そうした彼女の一人には、「もう、あんたは猫と結婚しな!」とまで言われましたね。

 でもね。
 家族になってくれた猫たちは、死ぬまで寄り添って変わらぬ愛を私に返してくれたけれど。
 猫にまで嫉妬して「あたしと猫と、どっちが大事!?」と迫った彼女たちは、皆フタマタをかけて他の男に乗り換えて去って行きましたよ。

 猫の方が女性よりずっと誠実で愛情深いです、本当に。
 悲しいことですが、これが私にとっての「猫と女性の真実」なのです。

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季節外れですが菜の花です

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 私、小学校の低学年の頃から本当に読書が好きです。
 脳内の空想の世界で遊ぶのが、本当に好きです。

 だって仕方ないじゃないですか、チビだし、顔も良くないし、生まれつき病弱で体力も無いし(今も障害者手帳を持っています)。
 現実の世界で良い目を見られないから、せめていろいろ想像して心を癒すしかないのですよ。

 私は「脳内の空想の世界で遊ぶ」ということを知っているので、ずっと一人でも、本さえあれば全く退屈しません。
 だから「寂しいから一人でいられない」とか「外に出て誰かと何かしていないと退屈でならない」という人が存在することが、頭では理解できても心ではわからないんです。
 私、何日も一人で誰とも会わずに家でじーっとしていても、本さえあれば全く平気です。
 本を読むだけでなく、マンガを読むのも映画を見るのもゲームをするのも好きです。
 好きなんですよ、一人遊びが。
 どうぞ「寂しいヤツwwww」と笑って下さい、私は本当に一人でも平気なんで。

 これでも若い頃は写真に打ち込み、それも女の子ばかり撮っては「いーよ、いーよ、綺麗だね! 今度は顔を少し傾けてー、うん、オーケーオーケー、可愛い!」とか調子の良いことを、恥ずかしげもなくペラペラ喋っていたりもしたんですよ。
 女の子を前にしてカメラを持つと、こんな軽い言葉が本当に自然に次々と出て来るんです。
 それでいて「丸一日誰とも会わずに一人で読書に没頭しているのも好き」という面もあるのだから、私は変なヤツです。
 と言うか、私は女好きなのに、本質的には女性にマメでは無いんです。
 デートはデートで楽しめるし、女性との会話も全く苦にしないのだけれど、「何日もずっと一緒にいる」とか「こまめに連絡を絶やさずにいなければならない」となると、いつも面倒くなってしまうんです。
 だから彼女が出来ても、いつも結局はフラれるのですよねwwww。

 でも物語の世界で空想に浸るのは、本当に楽しいです。
 チビで顔が良いわけでない上に病弱で。
 そして年子の姉と比べられては「出来損ないの弟」と言い続けられて育って。
 それで世を拗ねて、『ヱヴァンゲリヲン』のアスカや『機動戦艦ナデシコ』の星野ルリのように人は皆バカと見下して生きてきた私を救ってくれたのが、脳内にどこまでも広がる空想の世界だったのです。

 私はかつて「地元の病院では無理だから」と、県外の大学病院で大手術を受けたことがあります。
 手術には七時間半かかり、入院も二ヶ月半しました。
 その時も私、スーツケースに文庫本をギッシリ詰め込んで持って行きました。
 本さえあれば寂しくないし、不安も無いんです。
 むしろ「遠くだし、大変だからいいよ」と、家族にも見舞いを無理しないよう言ったくらいです。
 私は自分の想像力に随分救われたと思うし、本があれば今後も一人で生きて行けると思います。


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雲の迫力

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 と言うわけで、今も独身の私は、恋愛は避けるわけではありませんが「どーでもいいかな」と思っています。
 女性も好きではありますが(特にただ眺めているのは)、今は自分から積極的にはかかわらず、愛は他のものに向けて生きています。

 私の生き甲斐と言えば、まず写真ですかね。
 もっともこの写真も、女の子がらみで始めたのですけれど……。
 私はチビだし、顔も良くないし、女性にモテるタイプでないことは、よく自覚しています。
 だからせめて、「写真で好きな子の姿を手元に残しておこう」と。
 本当にそんな不純な動機で写真を始めたんです、私は。
 ただそう思う以前に、家族で旅行に行った際に記念写真や風景を撮ると、私が撮ったものは一番に良く撮れていて、それで「写真を撮るのって、面白いかも」とも思ってはいました。

 そして高校に入ってから一眼レフのカメラを手に入れて、本格的に写真を撮り始めました。
 部活はもちろん写真部で、用が無くてもカメラを学校に持って行き、文化祭や体育祭や遠足などの学校行事にはそれこそ撮りまくりでした。
 学校の長い休みにはバイトをして、撮影目的に合った交換レンズを少しずつ増やし、スペアのボディも買い足して。

 何しろ学校行事の際にはクラスの写真係を買って出て、可愛い子だけでなくブスだろうが野郎だろうが、誰の写真も撮ってあげていましたからね。
 だから私は「みんなの写真係」というポジションにいて、殆どの人が気持ちよく写真を撮らせてくれました。
 ええ、クラスで一番の可愛い子とかも、良い笑顔で写真に写ってくれましたよ。

 で、高校時代の後には目当ての女の子にモデルをお願いして、一対一の撮影をさせていただくのが常になっていました。
 ハイ、楽しかったです。
 フィルム代や現像料、それにモデルになってくれた女の子のご機嫌を取り接待する為のお金を工面するのが大変ではありましたが、それ以上に楽しかったです。

 まあ、今や私もカメラを持って女の子を追い回すような年ではなくなり、花や空や風景、それに猫などを撮っていますが。
 だから主に使うレンズも、女の子を綺麗に撮る用の中望遠レンズから、花を撮る為のマクロレンズや風景を撮る為の広角レンズに変わりました。

 私はカメラやレンズはただ道具として使い潰すのではなく、本当に大切に使います。
 私はカメラの収集マニアではなく、あくまでも写真を撮る人ですから、手に入れたカメラはしっかり使いました。
 カメラはガンガン使う、けれど乱暴には扱わず、撮影の後は必ずきちんと手入れと清掃を欠かしませんでした。
 まあ剣術使いが刀を粗末に扱わず、手入れは欠かさないようなものですね。

 その私の扱いと手入れのせいか、私のカメラとレンズたちは本当に長持ちしてくれます。
 実際、私が高校時代に買ったカメラとレンズ、手に入れてからかなりの年月が経ちましたが、今も現役で全く問題なく使えます。
 撮影の最中に機材が壊れて困った、などということも、本当に一度も無いですね。
 私のカメラとレンズたちは、信頼に応え続けてくれています。

 アニミズムと言って、全てのものには魂が宿っているという考え方があります。
 私、「自分のカメラには魂が宿っている」と言うつもりはありませんが、私のカメラ、本当に元気に頑張ってくれています。
 カメラだけではありません、車とか時計とかオーディオ機器とかパソコンとか、私が使う機械は壊れず長持ちしてくれるものが多いです。

 だから思うのですが、モノは粗末にせず大切にした方が良いですよ。
 モノも大切に使うと、期待にしっかり応えてくれます。
 こう言っては、私がいかに悪い女にばかり惚れてしまっていたかを白状するようなものですが。
 彼女より機械の方がずっと人を裏切らないと、つい思ってしまいます。

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日が落ちたすぐ後

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 周囲の人達から理解されず、姉と比較されては「出来損ないの弟」と言われ続けて育って。
 そして「人は皆バカ」と思う反動で、「自分を理解し受け入れてくれる存在」として彼女という存在に過大な期待を持って恋愛に賭けてしてしまった結果、どうなったか。

 私、残念ながら“選球眼”が悪かったんです。
 自分を「知識と教養なら人に負けない」などと思い上がっていながら、実は女性を見る目が本当に無かったんです。
 平たく言えば綺麗でモテる、いわゆる“女度”の高い女性にばかり惹かれてしまっていました。

 一人称が「ボク」の“ボクっ娘”が3人。
 私のことを「お兄ちゃん」と呼んで甘えてきた子もまた3人。
 それだけで私の元カノ達がいかに百戦錬磨の“やり手”の、しかも“くせ者”だったか、想像ができますよね?
 そして私はそれに気付かず彼女らにドップリはまってしまい、「フタマタをかけられては、乗り換えられて」の繰り返しでした。
 で、「世の中の皆が馬鹿で無理解でも、恋人なら全てを理解して受け入れてくれるのでは」と期待して恋をした私は、恋愛でさらに痛い目に遭ってしまったわけデス。
 まあ、女性を見る目が無くて悪い女に自分からハマってしまったのだから、自業自得ですよねwwww。

 ところで、ニュースなどでよく「失恋して自殺」とか「裏切られた男が、相手の女性を殺して……」などの、痴情がらみの事件を見ますが。
 でも私、恋愛では散々に痛い目に遭いましたけれど、「死んでしまいたい」とも、本気で「あの女、殺してやる!」などとも思いませんでしたね。
 だって相手はビッチなクソ女でしょう?
 何でそんなゲスな女の為に、自分が死んだり、犯罪者になったりしなきゃならないんですか。
 そんなの絶対、割に合わないですよ。

 私、何度もの恋愛で散々傷ついた挙げ句に、こう思ったんです。
「性格はどうあれ容姿は水準以上の女の子と付き合えて、ヤることもヤったんだから、年齢=彼女いない歴で生まれてこの方女の子とは何もない……っていうよりはマシか」と。
 フタマタをかけられ裏切られるなど、酷いフラれ方をして傷つき悩んでいる方、どうぞ上の台詞を繰り返し言ってみて下さい、少しは気が晴れますから。
 ゲスなビッチの為に命を捨てるとか、犯罪者に身を落とすとか、そういう事は本当に本当に勿体ないから絶対に止めて下さいね。
 何度も酷い裏切られ方をしてフラれてきた私が自信を持って言います、たとえずっと独身でも、生きていれば楽しいことは必ずありますから!




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