空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

一人のクリスマス・イブも悪くない

 もしこのブログを、アップした今日12月24日の夜に見て下さっている方がいるとしたら。
 貴方はクリスマス・イブの夜を、恋人もなく一人寂しく過ごしているのだね?
 安心してほしい、筆者も今年は彼女なしで一人で過ごすつもりだ。
 クリスマスを彼女なしで過ごすのは、決して貴方だけではない

 筆者も以前には、彼女がいる時もあった。
 そしてクリスマスを彼女と共に過ごした事もあった。
 その経験から言うが、彼女という存在は、恋人がいた事のない人達が想像するほど素晴らしいものではないぞ。

 それは確かに、大好きな可愛い彼女と共に過ごす時間は楽しい。
 しかし楽しいのと同時に、異性と交際するのはかなり面倒でもある。

 まず女性は、男性とは思考も発想も感情も違う。
 自分と同じ人間だと思って交際すると、まず間違いなく痛い目に遭う。
 女性と交際するなら、「自分たち男とは違う生き物なのだ」と、初めから肝に銘じておいた方が良い

 例えば何か問題が起きた時、男は当然のように対処の方法を考える。
 しかし女性は違う。
 女性はとにかく、自分の話をただ聞いてほしいのである。

 その“女性の話”というのは、一方的な愚痴である事が少なくないのだが、いくら非生産的なくだらない話だと思っても、すべて肯定的に受け入れなければならない。
「こうしたら良いのでは?」とか、「違う見方をすれば、こうだったのでは?」などと言った問題解決の為の前向きなアドバイスは厳禁だ。「あたしの気持ちをわかってくれない!」と、ただ女性をキレさせるだけである。

 何かトラブルが起きた時、男はまず問題の解決を最優先する。
 しかし女性が最優先するのは、“あたしの気持ち”なのだ。
 その“あたしの気持ち”を受け入れ肯定してもらう事が第一で、「こうすれば良い」などという理性的なアドバイスなど、女性は欲しくないのだ。

 女性が「白」と言ったら、どう見ても真っ黒なものでも「ハイ、ソウデスネ、真っ白ダネ」と受け入れる。
 それが女性と上手く付き合う秘訣だ。

 そうすれば女性は、「気持ちをわかってくれる、良い人!」と喜んでくれる。
 そのコツさえ覚えれば、女性とうまく付き合うのはとても簡単だ。
 簡単だが、心を殺し女性に合わせて黒も白と言うストレスは、男性、少なくとも理知的な男性にとってはかなりのものになる。
 そして「真実や現実より、とにかく気持ち最優先」という女性達と付き合えば付き合うほど、「女は馬鹿だなあ」という思いも心の中に澱のように溜まってくる。

 これは筆者が物事を理詰めで考えたがる、かなりの男性脳の持ち主だからかも知れないが。
 女性と付き合えば付き合うほど、「男と女は共感し合えない、違う生き物だなあ」という思いが深まってくる。
 感情最優先で、女が白と言えば黒も白というポイントさえ理解してしまえば、女性と付き合うのはそう難しい事ではないが。
 しかし自分を殺して本音を隠し、相手に合わせて女性と付き合えば付き合うほど、ストレスが溜まり女性と付き合うのが面倒になってくる。

 気持ちの問題だけではなく、男性が女性と付き合うには金銭的な負担も大きい。
 筆者は「デート代は男が出すのが当たり前」という時代に育ったから、何日もの旅行も含めて、デート代はほぼ全額筆者が負担してきた。
 今はデート代は割り勘というカップルも増えてきたとはいえ、それでも女性側の本音は「奢られると嬉しい」という。

 例えば、今日この日のクリスマス・イブのデートを考えてみよう。
 素敵なレストランやホテルを探して事前に予約しておくのは、まず男の義務のように思われているのではないだろうか。むろん、それなりのプレゼントも用意した上でだ。
 今日この日に、男が「レストランとホテルの費用は割り勘ね」と言ったら、「ムード台無し、サイテー!」と、女性にまずドン引きされるだろう。

 バレンタイン・デーにチョコレートを配らなければならないのは、女性にとって負担だと言うが。
 しかしホワイト・デーには、男性側は三倍返しをすべきだとも言われている。
 このように、女性と付き合うには気を使う上にお金もかかるものなのである。

 女性と付き合うのは、本当に難しい。
 例えば食事ひとつにしても、安いお店に連れて行けば機嫌を損ねられてしまうし。
 かと言って、立派なレストランに連れて行けば喜ばれるというわけでもない。
 それなりのテーブル・マナーを求められるような店に連れて行くと、それはそれで女性は機嫌を損ねるのだ。「恥をかかせた、窮屈だ」と。

 女性とのデートって、プランを立てるのもお金を出すのもほぼ男性側だからね。
 で、女性がするのは、その男性が無い知恵を絞りお金を出してセッティングしたデートを採点して、ただダメ出しするだけだから。
 今の男性が女性と付き合うのが面倒だと思う気持ち、筆者にも本当によくわかる。

 一握りのイケメンを除いて、筆者も含めた大半の男性は女性に気も金も使ってご機嫌を取って、ようやくお付き合いしていただけているようなものだから。
 で、ふと正気に戻ると、つい考えてしまうわけデスよ。
女性って、そこまでして付き合っていただくほど価値のある生き物なの?」と。

 コレを言ってはおしまいだが、今日のこの日も、可愛いキャラの出てくる萌え系のアニメでも見ながら一人でケーキとチキンを食っていた方が、余程も気楽で楽しい上に安上がりなのではないかと、ふと思ってしまったりするのでありマス。

 萌え系アニメはどうあれ、女性と付き合うには金も気も消費され過ぎる、女性にそれだけの金と気を使う価値はないと考える男性が増えている事もまた、厳然たる事実である。

 面白いデータがある。
 国立社会保障・人口問題研究所が2015年に実施した『第15回出生動向基本調査』によると、恋人がいる男性は19.7%で、それに対し恋人がいる女性は27.3%なのだそうである。
 この7.6%にもなる男女差は、一体どういう事であろうか。
 日本の未婚の男女の人口差に、それほどもの差があると聞いた事もない。
 つまりコレは、「少なからぬ男が“フタマタ”をかけ、一人で複数の女性と交際している」という事であろう。

 不倫はもちろんいけないが、結婚前のフタマタ交際も当然けしからぬ事である。
 とは言うものの、女性という気も金も使うメンドクサイ生き物と、よく複数相手に交際できるものだと感心もしてしまう。

 女性が相手を恋人と認識しているという事は、女性も公認で複数の相手と交際しているわけではなく、その男性はそれぞれの女性にはバレないよう内緒でフタマタ交際をしているのであろう。
 例えばこのクリスマス・イブやバレンタイン・デーなどには、その複数の相手にどう言い繕っているのだろうか。
 本命の女性とは逢い、浮気相手には「ごめん、急な仕事が入っちゃって……」とか嘘をついて誤魔化しているのだろうか。
 浮気など一度もした事がなく、たった一人の恋人と付き合うのでさえ時には「女性と付き合うのって、面倒だな」と思ってしまうような筆者には、複数の女性と付き合うような苦労をあえて背負い込もうとする一部の男性の気持ちが、どうにも理解できない。

 現状を見るに、女性の交際を「気とお金を使って大変」と感じる適齢期の未婚男性の草食化が進み、その一方で「一部の肉食男性が、複数の女性を食い荒らしている」というのが、日本の恋愛事情の実態ではあるまいか。

 筆者は、桂明日香さんという漫画家が好きで、桂明日香さんの作品はほぼ新刊で買っている。
 その最新作の『レディ・ハニカム』に、祖父から譲られたビルや土地などの不労所得で遊び暮らしている、ロクデナシのオッサン(顔だけはイケメン)が出て来るのだが。
 そのエロいオッサンが言うのだ、「俺おっぱいの重さと脳(オツム)の重さが反比例してる子が好きだからさ~」と。
 その巨乳好きで、しかも飽きたら捨てるというオッサンは、こうも言う。
他人より自分の下半身に誠実に生きたいから

 ……ふうむ。
 女をマタがけして、浮気や不倫をする男性の感覚とは、そういうものらしいデス。
 だが凡人でちゃんと他人にも誠実に生きたい上に、たった一人の彼女も持て余してきた筆者としては、あちこちに嘘をつき、それがバレないように冷や冷やしながら複数の女性と付き合う気になど、とてもなれない。

 そのたった一人の彼女を喜ばせる為に、プレゼントやレストランなど事前にいろいろ考えて苦労した事もある筆者に言わせて貰えば。
 一人で気楽に過ごすクリスマス・イブも、そう悪いものでもないよ。

 この日のプレゼントとデートの為に、何ヶ月も一生懸命バイトしたり節約したお金をつぎ込んだ彼氏。
 複数の女性をマタがけして、演技力を駆使して片方の女性には「仕事が忙しくて……」と嘘をついたり、時間を遣り繰りして一夜で二人の女性と逢ったりしている、桂明日香さんの言うところの“下半身に誠実な方”。
 どちらもホントにご苦労様デス。

スポンサーサイト

PageTop

「恋愛すれば輝く」という、まやかし或いは戯言

 先月、毎日新聞で若い世代の癌について記事を連載していた。
 乳癌や子宮癌など女性特有の癌があるゆえに、特に若い女性は癌になると恋愛や結婚を躊躇う方が少なくないという。

 実は筆者も二十代の頃に下腹部に大きな腫瘍が出来てしまい、大学病院で七時間以上もの手術を受けて摘出した。
 残念ながらそれで完治したわけではなく、日常生活には大きな支障は無いものの、体に後遺症を残してしまった。
 だから若くして癌になってしまった方の辛さは、筆者にもわからないでもない。

 ただその癌にかかってしまった若い世代の、特に女性が恋愛や結婚を躊躇ってしまう事についての毎日新聞の記事に、いささか気になるものを感じてしまった。
 この9月13日の記事には、こう書いてある。

 闘病中でも「輝いていたい」と、恋愛に前向きな女性もいる。


 記事に取り上げられた癌患者に限らず、女性には「恋愛をすると輝く」と信じている方々が少なからずいる。
 だがもし男性が「恋愛をして輝きたい」と言ったとしたら、何かキモチ悪くないだろうか。
 いや、性別に限らず「恋愛をして輝く」という言い方や発想を、筆者は違和感以上の不快感をもって受け取る

 断っておくが、筆者は独身だが決して恋愛と無縁の人生を送ってきたわけではない。
 その筆者の実感からすると、「恋愛をすると輝く」という発想はあべこべなのだ。
 恋愛をするから輝くのではない、まず人として輝いているから異性も寄って来て恋愛が出来るのだ。
 間違えてはならない、これが現実だ。

 恋愛とは、まず相手があっての事だ。
 いくら本人が「したい」と思ったところで、当人に何らかの魅力がなければ出来るものではない。
 断言するが、男性であろうが女性であろうが、いくら恋をしても当人に魅力がなければ何も輝かない

 パナールというフランスの名車を造ったある技術者が、こう言った。
「仕事に打ち込み、詩の一つでも作っていれば、女などいくらでも寄って来るさ」
 筆者もそれに同意する。

 考えてみてほしい。
 異性のことばかり考え、異性の尻ばかり追っている者が輝いているように見えるだろうか?
 輝くというより、ただサカリがついてギラついているだけではないか。

 さらに聞こう。
 恋せずに自分の仕事に打ち込んでいる女性は、輝いていないとでも言うのだろうか。
 恋せずに趣味を持ち生き生きと活動している女性は、輝いていないとでも言うのだろうか。
「恋をしていない=輝いていない」という発想は、何とくだらないものだろうと筆者は呆れる

 断言するが、「恋をすれば、女は綺麗になる」などと言うのは、全くの戯言だ。
 元々お洒落でセンスの良い女性は、恋をしていなくても綺麗だ。
 恋でも趣味でも何かに打ち込んでいる女性もまた、恋とは無関係に輝いている。
 内から人間的な魅力がにじみ出ている女性もまた、恋愛していなくても人を引きつける魅力を発している。
「輝きたいから恋をする」などという発想は、そうした人としての魅力を無視した、愚かな恋愛至上主義に過ぎない。

 まず人としての魅力があるからこそ、人は輝き、異性にも好意を持たれるのだ。
 だから恋をしたければ、「まず自分の人としての魅力を磨け」と筆者は言いたい。
 仕事に頑張り、趣味に打ち込む。
 そうして人としての魅力を磨いていれば、恋など向こうの方から転がって来る。
 その人に魅力があり輝いているから異性とも親しくなれ恋も出来るのであって、恋をするから輝いて綺麗になるというのは、まるで話があべこべなのである。

 いくら恋をしたところで、仕事もダメで打ち込む趣味も無いような人としての魅力のない者は、少しも輝くわけがない。
 恋をしたければ、まず仕事を頑張るなり趣味に打ち込むなりして自分を輝かせろ。話はそれからだ。

 それにしても、世間の人達はなぜ恋をして、そして結婚しないと一人前とみなしてくれないのだろう。
 恋をしても別れる事もまたあるし、結婚しても離婚に至る事だって少なくない。
 恋せずに仕事に打ち込むのも良いし、趣味もまた恋と同じくらいに楽しい。
 恋愛も何度かしてきたが、「恋して結婚するのが一番の幸せ」とは決して思わない。

 そんな筆者のような人間が増えてしまうと少子化がますます進み、国としては困るのかも知れないが。
 それでも「人生、恋がすべてではない」と筆者は思う。
 独身者を「なぜ結婚しないの?」と問い詰めたり「早く結婚しなさいよ」と責めたりする風潮や、「女は恋をして綺麗になり磨かれる」と信じる恋愛至上主義者の存在は、恋愛以外の分野でも人生を充分に楽しめる人間には、少しばかり鬱陶しい。

PageTop

結婚は若さと勢いで!

 筆者は別に独身主義者というわけではないが。
 出逢いと別れを幾たびも繰り返し、どうやら独身のまま生涯を終えそうな予感がしている。

 恥ずかしい話だが、若い頃の筆者は本当に女性を見る目がなかった。
 事実、親しかった女友達にも、「キミって、ホントに顔が綺麗で性格の悪い女の人が好きだねぇ」と呆れられた程である。

 いや、別に好き好んで性格の悪い女性ばかり選んだつもりはないし、「顔さえ良ければ、性格などどうでもイイ」などと思ったつもりもない。
 ただ若い頃の筆者が惹かれてしまう女性は、同性から見れば「あの子、顔は可愛いけど性格悪いよね」という種類の子ばかりだったようだ。
 若いうちはどうしても容姿に目を眩まされてしまい、顔が綺麗だと性格まで良いように思えてしまうから困ったものである。

 今の筆者はそんな事はない。
 容姿は劣化するものだという現実を、自分や自分と同年代の人たちを見て、身に染みて理解できるようになったから。

 断言するが、容姿は間違いなく劣化する
 しかも元が綺麗であればあったほど、その劣化の具合が目立つケースが多いようだ。
 それに対し、性格はまず劣化しない
「前は優しく女らしかったのに、結婚したら我が儘でだらしなくなった」という場合は、性格が劣化したのではなく、ただ結婚前に猫をかぶっていたというだけの話だ。
 そして家事能力に至っては、向上する事はあっても劣化する事は無い。

 とは言え、結婚すれば毎日顔をつき合わせていなければならないわけだから、容姿が「生理的にダメ」という相手と無理に結婚する事も無い。
 まず大切なのは相手の人間性で、そして家事が苦手でなければラッキーで、容姿は「どうしてもムリ」というタイプでさえなければ充分だ。

 綺麗な女性は、実は今でも好きだ。
 しかし「見ていて楽しい観賞用の女性と、実際にお付き合いすべき女性は違う」という現実も、今の筆者はよくわきまえている。
 そしてその種の目に優しい綺麗な女性は、テレビ等で眺めて「いいなあ、可愛いなあ」と思っていれば充分である。

 しかし悲しい事に、容姿に惑わされず本当に好ましい異性が誰であるか見分けられるようになった頃には、当人は既に適齢期を過ぎ、異性からは恋愛や結婚の対象と見られなくなっているのが現実である。
 で、筆者は適齢期には間違った好ましくない異性とばかりお付き合いしていて、その恋愛は幸か不幸か結婚には至らず、相手の人柄をしっかり見抜けるようになった今もまだ独身でいる次第だ。

 その筆者は、「結婚とは賭けではないか」と思っている。
 適齢期の若いうちは、男女ともどうしても相手の容姿に目を奪われがちだ。
 中には「いや、自分はちゃんと性格で選んでいる」と言う方もいるだろうが。
 若いうちの人を見る目など、なかなかあてにならないのが現実だ。
 何しろ人には外での顔と内での顔があって、特に好かれたい相手の前では無理をしてでも良い人を演じるものだ。

 実は筆者の姉も、容姿は良くないが姉を好いてくれて、優しくよく尽くしてくれる人を「良い人」と信じて結婚した。
 しかしその相手は、結婚すると本性を出すようになり、卑屈で嫌味っぽく女々しい性格である事がわかった今、姉は度々「結婚するんじゃなかった」と言い、離婚を考える事も少なくないらしい。

 よく「美人は性格が悪い」と言う人がいるが、それは違う。
 美人でしかも性格の良い人もいれば、ブスでさらに性格も悪い人もいる。
 それが現実だ。
 もちろん性格の悪い美人も人柄の良いブスもいるし、容姿と性格は全く関係が無いのだ。
 だから見た目で惚れて勢いで結婚してしまっても、相手がたまたま容姿に加えて性格も良ければ、そのまま幸せな結婚生活を送る事が出来る。
 そして筆者の姉のように、容姿に目をつぶって人柄で選んで結婚したつもりでいながら、「こんな人とは思わなかった」と後悔し続けている人もいる。
 だから本当に人を見る目がまだ育って無い若いうちの結婚とは、運任せの博打のようなものだと思っている。
 そして若さに任せて勢いでしてしまわなければ、結婚などなかなか出来ないものだと筆者は思う。

ひとりで生きるモン・EPSON002
 引用したのは、西炯子さんの『ひとりで生きるモン!』の5巻だが。
 本当にその通りだと、筆者は心から共感してしまった。

 冷静に考えてみると、結婚はなかなか面倒だ。
 結婚式そのものも男にとっては面倒なものでしかないが、結婚したら配偶者の親兄弟とも親戚付き合いをしなければならないし、家事を分担したり子供を育てたりと、大変な事ばかりである。

 筆者は大学生時代に一人暮らしを経験していて、家事なら一通り出来る。
 実は筆者の母は家事があまり得意ではなく、だから実家に戻っても料理等の家事はかなり自分でやっていた。
 そのせいか、これまでお付き合いしてきた女性たちより、筆者の方が家事が出来る事が多かった。
 だから結婚するとなると、「男女平等」、そして「家事は出来る人がやれば良い」という名目で、多くの家事が筆者に押しつけられるであろう事が目に見えていた。
 それを思うと、結婚生活に夢と希望を持つ事が出来なかった。

ひとりで生きるモン・EPSON001
 これも西炯子さんの『ひとりで生きるモン!』だが、この気持ちは筆者にもよくわかってしまう。

 そして筆者には、やりたい趣味があった。
 筆者は賭事はしないし、風俗遊びなど一度もした事も無いし、大酒も飲まない。ブランドものにも興味が無いし、車も古いやつに長く乗り続けている。
 しかし他の事には構わない代わりに、写真と書籍にはかなりのお金を遣う。
 写真を撮ることと、一人でゆっくり本を読むことを筆者は無上の楽しみとしている。そしてその一人でいる時間を邪魔されたり、写真や本にかけるお金を無駄と言われるのは耐えられないほど嫌だ。
 稼いだ金のごく一部を“お小遣い”として与えられ、その使い道すら無駄だの何だのと文句を言われ、一人になる時間も与えてもらえない生活など、筆者にとっては苦行でしかない。

 以前、ある二人組のアイドル(女性)に、雑誌の記者がこんな質問をした。
「もし誰もいない無人島に、嫌いな男と二人で島流しになってしまったらどうする?」
 すると一人はこう答えた。
「寂しいから一緒にいる」
 それを聞いたもう一人が、呆れたようにこう言った。
「えーっ、嫌いな男なんだよ!? あたしなら島の反対側に逃げるわ」

 その二人組のアイドルではないが、人には二通りあると思う。
 一人でいると、寂しくてたまらない人と。
 そして逆に、一人になる時間を持てないと息が詰まってしまう人と。
 無論、筆者は後者の方である。

ひとりで生きるモン・EPSON003
 これもまた西炯子さんの『ひとりで生きるモン!』からの引用だが、筆者にはこの「わかり合えない他者を無条件に受け入れる」覚悟が、まだ出来ないでいる。

 若い頃の筆者にも、好きで好きでたまらない人がいた。
 しかし結婚について冷静に考えると、どうしても二の足を踏んでしまいがちになるのが常だった。
 彼女の親兄弟と、親戚付き合いをうまくやっていけるのか?
 子供を生み育てるだけの充分な金があるか?
 仕事と家事と子育てに追われ、趣味にかける金と時間も無く一人にもなれない暮らしに、果たして自分が耐えられるのか?
 それらを考えると、「付き合うのは楽しいけれど、まあ結婚は急ぐこともないか」と思ってしまいがちだった。
 そして筆者がもたもたしているうちに、筆者と付き合っていた女性達は筆者に見切りをつけ、さっさと他の男と結婚してゆくのが常だった。

 だから断言するが、結婚については冷静に考え過ぎると駄目だ。
 華やかな結婚式とその直後の甘い生活でなく、生活費の問題や家事の分担、それに子供が産まれた後の事などを考えると、結婚に夢や希望をあまり持てなくなってしまう。
 特に筆者のようにある程度家事が出来て一人でいるのを苦にせず(むしろ一人になる時間が持てないと苦痛)、自分の趣味もあるという人間は、結婚生活にメリットを感じにくいのだ。
 だから好きで好きでたまらない相手が出来たら、その勢いに任せてしてしまわないと、結婚などなかなか出来るものではない。
 よく考えないで結婚すると、確かに痛い目に遭う事もあるが。
 しかし「いろいろ考え過ぎると出来なくなる」というのもまた、筆者が身をもって体験した結婚の現実だ。

 しかも出逢いなど、その気になれば幾らでもあるものだ。
 好きだった女性にいつの間にか二股をかけられて、その相手とさっさと結婚されてしまうという痛い目に遭い、「女なんか信じられない、もう二度と恋などするもんか!」とか思ったりもした筆者だが。
 ……痛い失恋をしても、また数ヶ月後には別の誰かを好きになっているものなのだ、現実の人間とは。
 で、出逢っては別れてを繰り返すうちに、次第にこう思うようになってくるのだ。
「たった一人の運命の相手などいるものか、恋人など探せばまた見つかるさ」

 そしてそうなると、お付き合いしている相手に対するこだわりもより減ってくる。
 好きな相手にふられれば、それはもちろん辛いけれど執着はしない。
 スッパリ諦めて、「仕方ない、また別の相手を探そうか」と思う。
 そして新しい恋人も、若いうちならやがて見つかってしまうものなのだ。人並みの顔をしていて、マメにアプローチさえしていれば。

 ただ一人の運命の人など存在しないし、恋人は努力すればすぐ見つかる。
 そんな姿勢で恋愛していると、相手に対する執着が薄くなる一方だから、「いろいろな困難を乗り越えてでも、是非この人と結婚したい!」って意志がますます薄れてしまうのだ。
 で、結婚には至ることなく、付き合った(そしてフラれた)相手の数だけだけ増えて行ったというのが、筆者の人生だ。
 そして適齢期をとうに過ぎてしまった今もまだ、独身のままでいる。

 その筆者から、結婚しようかどうか迷っている人たちに是非言いたい事がある。
 いろいろ考えるな!
 結婚したければ、若さと勢いに任せてしてしまうのが一番だ。

 結婚は、その先に待っている面倒(子育ての手間とか、家計の問題とか、家事の分担とか、相手の親兄弟が苦手だとか、自分の自由になるお金や時間が無くなるとか)を考えれば考えるほど、したくない気持ちが強くなるものなのだ。
 そして「今の恋人と別れても、次の出逢いはきっとある」という現実に気付いてしまうと、今の恋人に対する執着が無くなって、恋ばかり多くて結婚に至らない残念な人になりかねない。

 と言っても、二十歳前後での早婚や出来婚を勧めるつもりは全く無いのだけれど。
 ただ、「本当に結婚したければ、まだ若いうちに、勢いに任せて」というのは、まだ結婚出来ずにいる筆者が自分の体験から言える現実なのだ。
 結婚できないうちに年を取れば取るほど、変に目が肥えてしまい、自分はオッサン(オバサン)なのに相手に対する要求レベルばかり上がり過ぎてしまうものだから、本当に怖いよ。

PageTop

デートの費用は男が持つべきなのか?

 男女が親しくなりデートをすると、一つの難しい問題に直面する事になる。
 それはズバリ、「デートにかかる費用を、どちらがどう持つか?」である。

 以前は、デートの費用は男が負担するのが当たり前だった。
 しかし男女平等が当たり前の世の中になり、そして男が明らかに経済的に優位な立場にあるとは限らない今、割り勘というケースも少なくなくなった。
 だが女性の本音を聞いてみると、女性はやはり「男性には奢ってほしい」と思っている女性が多いようだ。
 そして割り勘を求める男に対して、「セコい」とか「器が小さい」などという感情を抱くらしい。

 これを読んでくださっている男性の方々からは、「口では男女平等とか言いながら、カネの事となると女は都合良く男をあてにするからズルい」という怒りの声が聞こえてきそうだ。
 だが女性というものは、妊娠し出産したら何年間かは働けなくなる生き物である。
 いくら男女平等を叫ぼうと、妊娠中と出産後のある程度の期間はパートナーである男性の収入に頼って生きなければならない現実は変わらない。
 だから女性は本能的に、自分に気前の良い、デートの費用くらい持ってくれる男性に好感を抱き、頼りがいを感じるのだろう。

 筆者の場合、交通費や食費や現地での遊興費や宿泊費など、デートの費用は基本的に筆者がすべて出してきた。
 育った時代のせいか、それとも持って生まれた性格なのか、支払いの場では男が黙ってサッと全額出した方がスマートだと思うからだ。

 割り勘派の男性にお尋ねしたいが、会計の時に相手の女性からどうお金を受け取っているのだろうか。
 今は8%の消費税が加算されるし、何千円ちょうどとか何万円ちょうどとか、綺麗に割り切れる金額を請求される事は少ない。むしろお食事2人分で3380円とか、細かい金額を請求される場合の方が多い。
 それを「3380円を2で割って……」とか、「君が頼んだのは1180円のパスタと380円のミルクティーだから……」とか、いちいち端数まで暗算して小銭まで出して貰うのだろうか。デートとして、それは興醒め極まりないと思うのは、筆者が古いタイプの男だからだろうか。

 まあ、「ボクが3千円出すから、キミは端数だけ出して」と女性に求めるやり方もある。
 だがそれでも、「オレの方が多く出している」という気持ちが男性側に残る事には変わりない。
 だったらスッパリ全部男が出した方がスマートだし、気分的にもスッキリするのではないだろうか。

 サイテーなのは、女性にも割り勘や応分の負担を求めるくせに、そのお金はそっと出させ、会計の時にはいかにも自分が出したかのように払おうとする男である。
 男の顔を立てろ、という事なのだろうが。
 そんなに“男の顔”とやらを立てたければ、最初から全部自分が払えば良いではないか。
「男女平等だから」と女性にも応分の負担をさせておいて、会計となると“男の顔”とやらを立てたがる奴は、ハッキリ言うが男としてゲスである。
 割り勘を当然と思うなら、人前でも堂々と女性にもカネを出させるべきだ。それを「恥ずかしい、男としての顔が……」とか思うなら、割り勘などせずに自分で奢れよ。

 断っておくが、筆者は別に金持ちというわけではない。むしろカネは無い方だし、しかも写真というお金のかかる趣味を持っている上に、欲しい書籍類は躊躇わずに買う悪癖もある為、カネの工面にはいつも苦労している。
 だから筆者は、かけるべき所にはお金はかけるが、それ以外の方面に対する支出は徹底的に切り詰めている。
 例えば筆者の車は古い軽自動車だし、服やバック等の持ち物もブランド物は一切持たないでいる。

 筆者は自分の感性や教養を高める為のお金は惜しまないが、持ち物や衣服で自分を飾る事に一切の興味が無いのだ。
 大切なのは、人としての中身と思っているから。
 だから見栄を張る必要も感じないし、外面を飾って「スゴい!」と思われたくもない。
 だからデートも古い軽自動車で平気で迎えに行くし、それを恥ずかしいとか貧乏くさいと思うような女性など、こちらの方からお付き合いはお断りだ。

 デートでの食事も同じで、その時に筆者にお金のゆとりがあればホテルの最上階のレストランとかお洒落なレストランとかに(全額こちら持ちで)ご招待するが、お金が無ければファミレスに平気で連れて行く。
 デートにかかる費用は全額こちらで持つから、その代わり車が古い軽だろうが、どこで何を食べようが文句は言うな、というわけである。
 いや、もちろん相手の好みも考えもするし、「どこに遊びに行きたい?」とか尋ねもするよ。そうして相手の意向も考慮した上で「デートは(費用も含めて)こちらに任せて」というわけ。

 で、デートの費用はこちらが全部持つけれど、無理はしない。
 好きな女の子に「ここに連れてって!」と言われても、無理な時は無理ときちんと言うよ。
 以前の夏に、ある女の子と数日間旅をして。ハイ、交通費も宿泊費も食事代もすべて筆者持ちデス。
 で、その間もなく後に同じ相手に「今度は東京に連れてって!」とねだられた時には、「駄目、お金がナイ」ってきっぱり言った。

 デートの費用は全額持つ代わり、カネが無ければ見栄を張らず、駄目な時は駄目と言う。これが筆者のやり方なのだ。
 無理はしてないから、女の子に奢ってもそれほど負担に感じないのだ。
 むしろ可愛い女の子と楽しい時間を過ごせたのなら、そのくらいのコストは負担しても充分OK、と言うか。

 筆者の経験で言うと、割り勘を自分の方から言い出してくる女性は、素直に奢られる女の子より意識過剰で付き合いにくい女性が多かった。
「貴方とアタシは対等な友達で、恋愛感情も無いし借りを作りたくないの」みたいな感情が見え隠れしていてね。
 むしろ素直に奢られて「ありがとー、ごちそうさま」とニコッとしてくれる女の子の方が、ずっと可愛げがあったね。

 ただ本当に性格の良い子は、何度か奢られた後で多過ぎない程度のお金をそっと渡して来たね。
 筆者が「別にいいよ」と言っても、「いいから、受け取って」と。

 デートして、相手の女性がお金を出さない事に不満を感じるのは、その男性が無理をしているからではないかと思う。
 相手の希望ばかり聞き、そして見栄も張り、行きたくもない所に高いお金を払ってデートに行くから不満が溜まるのだと思う。
 見栄を張らずにありのままの自分を出し、「それで振られるなら仕方ない」くらいの気持ちで、無理の無い予算で自分も行って楽しい所に行けば良いのだ。

 割り勘にするのも、男が多めに費用を持つのも、お金は男が全部払うのも、それはそのカップル次第だけれど。
 ただ言えるのは、女性すべてが「オトコが奢って当然」と思ってるわけではないけれど、「奢られると嬉しい」という女性が多いのも事実なのだ。
 だからデートでは男が黙ってさっさと会計を済ませた方が、好感度が高まる場合が多いね。
 で、「ワタシもお金出すよ」とか「今度はワタシに払わせて」とか言ってくれるかどうかは、その相手の気持ち次第という事で……。

 良いか悪いかは別問題として、「男が奢るもの」と覚悟した上でデートした方がうまく行くのは事実だ。そして奢るなら、かかる費用を負担に感じないよう、無理せず見栄を張らない事が大事だね。
 筆者はデートで女の子に奢りはしてきたけれど、決して貢ぎはしなかったから。
 だからデートがいつも全額自分の奢りでも、「可愛い子と楽しい時間を過ごせたのだから、ま、いいや」と割り切れているよ。
 と言うか、一緒に過ごして楽しくない、御飯を奢るくらいのお金も惜しいような女性とは、そもそもデートなどしない方が利口なのだ。

PageTop

恋人に手酷く裏切られて、傷ついた心を抱えている方に

 唐突だが、己の人生をつらつら振り返ってみるに、筆者は女性に振られてばかりである。

 筆者は別に、女性と縁が無いわけではない。
 と言うよりむしろ親しい女性が居なかった時期の方が少ないくらいで、お付き合いしてきた女性の数も二桁に近い。

 いや、決してリア充を自慢しているのではない。
 何故なら筆者は、そのお付き合いした女性に、ことごとく振られているからだ。
 泣くのを通り越して力なく笑ってしまうくらい、筆者は女性に振られてばかりいる。

 振られる原因はこちらにもある事は、筆者自身もわかっている。
 完全な男脳で、女性の「理屈より感情」という部分を「面倒くせえ」と思ってしまう所とか。
 趣味が多く自分の世界を強く持っていて、普通の家庭の良いパパにはなりそうも無い所だとか。
 家で共に暮らしている猫を大事にし過ぎて、付き合ってきたどの彼女にも「猫とあたしと、どっちが大事なの!」とキレられている事とか。

 ただそれにしても、筆者が付き合ってきた彼女たちが、別れる時に筆者にした仕打ちはちょっと酷かったと思う。
 はっきり理由を言い、きちんと話し合って綺麗に別れた相手は一人も居なかった。
女という生き物は、みな隙があれば二股かけて浮気する」とまでは言わないけれど。
 ただ少なくとも筆者が付き合ってきた彼女たちは、みな内緒で二股をかけ他の男とも既成事実を作った上で、もう引き返せない状況になってから「実は別に好きな人が……」と切り出してきた。
 筆者がお付き合いしてきた女性たちと別れる時は、一人残らずそのパターンだった。

 両手の指で数えるくらいの女性たちと付き合ってきてはっきり言えるが、女性はズルい
「筆者の欠点に愛想を尽かされ、別れを告げられる→その後に、元彼女が新しい恋に落ち新しい彼氏を作る」というパターンなら問題は無いし、筆者も別に文句は言わない。
 しかし少なくとも筆者の元彼女たちは皆、別れ話を切り出す前に別の男と二股交際をし、ヤる事もヤってどちらの男が良いか値踏みをした上で「他に好きな人が出来たから別れたい」と言ってきた

 遠距離と言うほどでもないがそう気軽に会うわけには行かないという、言ってみれば中距離恋愛をしていたある彼女など、「仕事がものすごく忙しくなるから、これから一年はなかなか会えない」と言ってきて。だから筆者はそれを信じて、会う回数も減らしメールも時々にして待っていた。
 そしたらその彼女は、その間に他の男とただ付き合うだけでなく、同棲までしていましたとさwww。
 実はその彼女は筆者に内緒で参加していた合コンで他の男と出逢ってて、それで「仕事がものすごく忙しくなるから」と言って筆者と会う機会を減らし、そして新しい男とは楽しくお付き合いして同棲までしていたのだ。
 で、別れる時にその彼女が言うには、「一年も放っておけば、貴方(筆者)もあたしに見切りをつけて別の彼女を作ってると思ってた」そうデス。
 ちなみにその彼女は、出逢った新しい男には「彼氏は居ない」と語っていたと、その同棲中の新しい彼氏も交えての別れ話の際に聞きマシタ。

 筆者は付き合ってきた彼女たちによく二股をかけられたけれど、筆者は本気で好きで付き合っているつもりだったのに、実は相手にしてみればつまみ食いの遊び相手のつもりだった……って事も、複数回あったなあ。
 だから筆者は、複数の女性にこう忠告されたよ。
「女はいい加減だからね、そんなに女を信じちゃ駄目よ」
 ……本当に筆者は、女性から見ると騙しやすいらしいデス。

 筆者は男脳だし多趣味だし猫が好き過ぎるし、彼氏としては問題アリだっただろうと思うけれど。
 それにしても、振り返ってみると恋愛では痛い目にばかり遭ってきたとつくづく思う。
 それはまあ、付き合っている時には楽しい事もいろいろあったさ。けどどの恋も必ず、彼女に二股をかけられて筆者が裏切られる形で終わっているからね。
 ……痛いデスよ、信じていた好きな彼女に、二股をかけられた上で切り捨てられるのって。
 しかもそれを、両手の指で数えるくらい繰り返されてごらんなさい。性格も曲がるし、女性不信にもなりマスって。

 裏切られて振られた時には、本当に辛かったし苦しかった。
 生きているのさえ厭になって、何日もウイスキーばかり飲んで過ごした事もあった。
 でも人はなかなか死なないものだし、心に傷を抱えつつもいつの間にか普段通りの暮らしに戻っているものなんだよね。
 で、また新たな出逢いがあって、懲りずに別の誰かを好きになったりして。

 もちろん、裏切られた心の痛みは治まっても傷痕は残る。
 その裏切られた時の事を思うと、今でもまだ心が疼くよ。
 でもそうして何度も傷ついて来たからこそ、言える事がある。
少なくとも自分が恋人を裏切って傷つける立場にならなくて良かった」って、今では心から思ってる。

 別に綺麗事を言っているわけではないよ。
 実際、筆者は元彼女たちがした仕打ちを忘れてないし、許してもいないから。
 だからこそ筆者は、少なくとも自分が恋愛で相手を裏切って、恨まれたり憎まれたりする立場に無い事を幸いに思ってる。

 まあ、筆者の場合は「大金をとられた」とか、「身体的な危害を加えられた」とかいう事は無く、ただ精神的に苦しい思いをさせられただけだったからね。
 警官や弁護士のお世話にならざるを得ないような被害は受けず、心から好きだった人に裏切られた痛みをただ耐えれば良いだけだったのは、ある意味では幸いだったのかも知れない。

 付き合った彼女たちにはことごとく二股をかけられた上で振られ、それでもDV男にもストーカーにもならずに堪えて生きてきた筆者がはっきり言おう。
 自分を信じて愛してくれた人を裏切ってずっと恨まれるより、誰かを信じて裏切られてその辛さに耐える方がまだマシだよ。

 信じて愛してくれた人を傷つける“加害者”になるのと、傷つけられる“被害者”になるのと、さあ貴方はどちらの方がまだマシだと思いますか……って話だよ。
 傷つけられるのも痛いし辛いけれど、「裏切って傷つけた」って負い目を己の黒歴史として抱き続けて生きるのも、なかなか辛いものだと思う。
 でも、ま、世の中には「だって、仕方なかったんだもん」と、自分を守る為にはどんな事でも正当化してしまえる人も、中にはいるようではあるけれどね。

「彼女に二股をかけられた上に切り捨てられる」という失恋を繰り返してきた筆者として、はっきり言える事がある。
 大丈夫、酷い振られ方をして今はとても苦しくて「もう女(男)なんか信じられないし、二度と恋なんか出来ない」とか思って絶望の淵に沈んでいても、時が経てば必ず立ち直れるし、また恋も出来るように自然になっているから。

 はっきり言って、筆者も死にたいくらい辛かった事もあったさ。でも仕事以外の事は全くせずに、家に籠もってじっと心の痛みに耐えているうちに、やがていつの間にか立ち直れる日が来たよ。
 だから人を裏切るようなサイテーな相手の為に自らの命を縮めたり、ストーカーになったり復讐を企てたりして警察のお世話になるような事をしたら、結局は貴方が損をするだけなのだ。
 自分を裏切る形で振ってくれた相手には、心からの軽蔑を。それだけで充分だ。
 世の中には、異性は何十億人といるのだから。綺麗事のように聞こえるかも知れないけれど、サイテーな相手を恨んでこだわり続けるより、もっと良い相手を見つけた方がずっと得だし利口だよ。

 あ、でもただ二股をかけられて乗り換えられただけではなくて、「お金を取られた」とか「身体的な危害を加えられた」というような被害もあったなら、そこは警察なり弁護士なりに頼って、しっかりカタをつけてやるべきだけれどね。
 被害に対する仕返しは個人的にするのではなく、法律に則ってやるのを忘れずに。

 女性はよく「どうして男は浮気するの?」とか言うけれど、少なくとも筆者自身の体験では女性の方が浮気性だよ。
 と言うより、女性の場合は“本気”でその相手に乗り換えてしまう場合が多いような気がする。

 以前、アイドルの北岡夢子さんという人が、雑誌に連載していた男の子が対象の恋愛相談で、「女の子は渡り鳥だからねー」と言っていたけれど。
 筆者の恋愛経験でも「まさにその通り!」という感じで、ちゃんと彼氏がいても、もっと条件(顔とか地位とか財力とか)の良い相手が見つかれば、それまでの彼氏は容赦なく切り捨てて新しい男に移って行くのが、女の子という生き物だよ。
 だって女の子は、より良い男を捜して飛んで行く“渡り鳥”だからさー。今の貴方の可愛い彼女も、貴方の所にはただ羽根を休める為に留まっているだけなのかもwww。

 だとしても、好きになって付き合った相手には、いつも二股をかけられ乗り換えられてばかり……って、筆者は本当に女性を見る目が無かったのだろうね。
 ハイ、今の筆者は痛い失敗を繰り返した結果、普通の男性以上に女性を見る目はあるつもりデス。「あ、この子は可愛いけどブリで性格に裏があるな」とかすぐわかるし、熱くならずに作り笑顔でそつなく応対しながら相手を冷静に分析してしまうし。
 でもそれだけに、なかなか恋にのめり込めなくなってしまっているのが実状デス。

 イギリスのロバート・ゴダードという作家が、『一瞬の光のなかで』という作品の中で、こんな事を書いていて。

 恋をするのは正気を失うのとたいして変わらんよ。まあ、それよりちょっと楽しいだけだ。


 確かに恋というものは、正しい判断力を失い相手の悪い所すら目に入らないくらい熱くなれないと出来ないものなのかも知れないね。
 そして多くの人間は、その熱く燃えられる部分が心の片隅にでも残っている限り、痛い失恋をしてもまた立ち直って再び恋をするものなのだ。

 大丈夫、大好きだった人に手酷い裏切られ方をして絶望している貴方も、時が経てば必ずまた新しい恋が出来るようになっているから。
「女なんて信じない、恋なんてもう絶対しない!」なんて言葉はね、筆者のように両手の指で数えるほど裏切られて振られてから言ってほしいね。
 たった二度や三度、女の子に“渡り鳥”されたくらいで恋に絶望してちゃ駄目デスよwww。

PageTop

くたばれ、DVヒロイン!(意外に多い女性から男性へのDV)

 近年、マンガを読んだりアニメを見たりしている途中で、イヤ~な気分になる事がある。
 それはズバリ、対象が男性のマンガやアニメには、暴力ヒロインが少なからず出て来る事である。

 例えば数年前の恋緒みなと氏の『イオ』というマンガでは、主人公は幼なじみの三姉妹のうち、同い年の次女に好意を持つのだが。
 この次女というのが、なかなかにヒドい。顔とスタイルだけは良いものの、素直でなくてやたらにツンケンするだけでなく、主人公に暴言と暴力を浴びせるのである。
 それに比べて長女はいかにも“お姉さん”という感じの優しくおっとりした人で、三女は無口だが家事が良く出来て気も付く良い子である。
 で、主人公はその三女に一途に慕われて告白もされるのだが、何とその子をフッて“素直になれない暴力女”の次女を選ぶのである。
 筆者は思ったよ、「この主人公は罵られたりぶったり蹴ったりされたいマゾ男、ってことか!」とね。
 で、筆者の気持ちは一気に醒めて、主人公が三女をフッた時点で『イオ』を読むのを止めたよ。

 しかし“素直になれない暴力女”のヒロインが、最近の男性が対象のマンガやアニメには本当に少なくないのである。
「本当は好きなんだけど、素直になれないの」って女の子なら、少女マンガにもよく出て来るけれど。
 しかし少女マンガの主人公は、少なくとも好きな男に暴言を浴びせたり暴力を振るったりはしない。
 だが男が読むマンガのヒロインは、しばしば主人公に暴言を浴びせたり暴力を振るったりするのである。しかもそれでもなお、主人公はその暴力女が好きなのである。
 罵られ、ぶったり蹴ったりされてもまだ好き……って、「今の男って、そんなにマゾばかりなのかよ!」と呆れてしまうね。

 まあ少女マンガにも、「好きな彼氏は強引なオレ様オトコ」ってパターンもよくあるけれど。
 しかしそれは適度に尊大で、迷ったり戸惑ったりしている主人公をグイグイ引っ張って行くという感じであって、少なくとも主人公にモラハラ的な暴言を浴びせたり、ましてや暴力を振るったりなどしない。
 と言うより、女性向けのマンガや恋愛小説で、もし主人公の女性に相手の男性が暴言を吐いたり暴力を振るったりしたら、一発で読者にドン引きされてしまうだろう。
 しかし男性向けのマンガやラノベやアニメには、例の暴力ヒロインが当たり前に出て来るのである。
 そして困った事に、暴力ヒロインは「マゾ男子を喜ばせる想像上の存在」ではなく、現実にも存在するのだ。

 この2月8日の毎日新聞の記事によると、大阪府の高校生グループが府内の約1000人の中高生にデートDVについて調査したところ、男子の3割以上が「彼女から暴言や暴力を受けて傷ついた」経験があるそうなのである。
 で、それに対して彼氏から暴力を受けた女子は12%で、彼女から暴力を受けた男子の半分以下なのだそうだ。
 DVと言うと「女子が男から被害を受ける」というイメージだが、現実にはその逆なのである。

デートDV(大阪の中高生)P1090530

 毎日新聞に載っていた、その大阪府の高校生の調査結果を転載するが、「暴言」や「暴力」だけでなく、「LINEチェック」や「お金の要求」でも、女子が男子にしている割合の方が高い現実を見ていただきたい。
 さすがに「性的強要」のみは、女子より男子の方が多い。
 しかし彼氏に性行為を強要された女子が16%いるのに対して、彼女に性行為を強要された男子も12%ほど存在するのもまた現実である。
 ……男子の草食化がここまで進んでいる、という事ですかな。

 そしてその調査によると、男子たちは「死ね、デブと暴言を吐かれるが、好きなので別れられない」とか、「叩かれて嫌だが、男として我慢せざるを得ない」などと言って、女子からの暴言や暴力に耐えているのである。
 マンガやラノベやアニメの話ではなく、リアルの世界で現実に。

 それも「まあ中には、彼氏に暴言を吐いたり暴力を振るったりする女子も稀にいるだろうよ」というレベルの話ではないのだ。
 調査対象は大阪の中高生1000人だが、付き合っている相手からDVを受けている割合は、女子よりも男子の方が多いのである。
 DVと言うと、世間的には「女性が男からされるもの」というイメージが強い。しかし現実には(少なくとも若い世代では)その逆なのである。

 だが男性向けのマンガやラノベやアニメでは、主人公に暴言を吐き暴力を振るうヒロインが相変わらず登場している。そして美少女の暴言や暴力は、まるで“ご褒美”か、せいぜいギャグ程度にしか扱われていない
 その種のマンガでは、ヒロインにどんな暴言を吐かれても主人公は傷つかないし、どれほど酷く殴られ蹴られしてもすぐに怪我ひとつ無い状態に復活しているのが常である。
 しかし現実にはどうだろうか。
 相手が女の子なら、どんな暴言を吐かれても男ならまるで傷つかないのだろうか。
 相手が女の子なら、殴られ蹴られしても男なら少しも痛くないのだろうか。

「そんな事は絶対に無い!」と筆者は断言する。

 男だって、女と同じ人間なのだ。酷いことを言われれば傷つくし、暴力を受ければただ痛いだけでなく強い屈辱感も味わう。
 しかも男は、女性からDVを受けてもなかなか反撃出来ないのだ。ただ「自分が男で、相手が女だから」という理由で。

 何しろ女性からの暴言や暴力は、「素直になれないツンデレ女性の裏返しの愛情表現」とされ、笑い話かご褒美のようにしか扱われていないのが現状だ。
 だから男がその女性の暴言や暴力に同じようにやり返せば、モラハラのひどいDV野郎のレッテルを貼られて皆から非難されてしまう。
 で、「男だから」というだけで、彼女から暴言を浴びせられようが暴力を振るわれようが、男は誰にも相談できずに、一人でじっと耐えているのである。

 もし女性が同じように彼氏から暴言や暴力を受けていたら、女性ならすぐに友達に“相談”するだろう。すると友達は「何よ、その酷いモラハラDV男!」と皆で憤慨してくれるだろう。
 しかしもし男が同じように彼女のDVを友達に相談したら、「だらしねぇ~」と笑われるのがオチだろう。
 男が女性からDVを受けても同情されるどころか、真剣に取り合っても貰えずに笑い話のネタにされるのが実態だ。
 だから(一部の)女性たちがますますつけ上がって、「相手が男なら、どんな暴言を吐き、暴力を振るっても構わない」と信じ込むようになる。

 例の『デートDVを受けた経験』のグラフの「性的強要」の所を、もう一度見ていただきたい。
 彼氏に性行為を強要された女子が16%いるのに対して、彼女に性行為を強要された男子も12%ほど存在する現実を見て、「男が女子に性行為を強要するのは犯罪だけど、女子が男に性行為を強要するのはご褒美じゃん」と思った方がいるとしたら、貴方は感覚が狂っているよ。
 暴言や暴力と同じで、相手が望まぬ性行為を強要するのも立派なDVで、そこに男女は関係ないのだ!

 筆者自身はこれまでに両手の指の数を超えるくらい恋愛をして、そうして付き合った彼女の殆どにフラれた挙げ句に、今もまだ独身でいるのだが。
 筆者をよく知る女友達に言わせると、筆者は「顔が綺麗で性格の悪い女の人が好き」なのだそうだ。
 自分としてはあえて性格の悪い子を選んで付き合ったつもりは無いのだが、少なくともみな気が強い女性であった事は間違いない。
 ただ「気が強い」と言っても「勝ち気で負けず嫌い」とか「気性が激しい」とかではなくて、外見はいかにも女性らしくて落ち着いているのだけれど、芯に強いものがしっかり通っている感じの人が多かったデスね。

 で、その種の気の強い、同性から見れば性格の悪い女性と付き合ってきた筆者だけれど、DV女と付き合った事だけは、本当に一度も無いよ。
 された事と言えば、他にもっと良い男を見つけられて「アナタはもういい」とバッサリ切り捨てられたくらいでwww。
 別れる時にはいつもその繰り返しだったけれど、付き合っている間に相手の女性から「暴言」とか「暴力」とか「LINE(ケータイ)チェック」とか「性的強要」とか「お金要求」などのDV的な行為を受けた事は、本当に無かったよ。
 と言うか、筆者は彼氏に暴言を吐いたり暴力を振るったりするような女は大嫌いだし、そういう気配のある女性には近付かないようにしていたからな。

 例の女友達の言った「キミは顔が綺麗で性格の悪い女の人が好きよね」という言葉は、付き合った何人もの女性にフラれフラれ続けて今もまだ独身でいる現状から見れば、確かにその通りかも知れない。
 本当にいつも、見事なくらいに他の男に乗り換えてくれたものね、筆者の元彼女さん達は。
 でもその元彼女さん達は、別れる時はどうあれ、少なくとも付き合っている時はいつも筆者に優しく可愛く女らしく接してくれていたよ。暴言や暴力など、全く無かったし。
 もちろん筆者も、付き合った女性に手を上げた事も、それどころか声を荒らげた事だって一度も無いよ。
 そういう付き合いをしてきた筆者としては、DVモラハラ男も最低だと思うけど、彼氏に暴言を吐いたり暴力を振るったりする女など嫌悪の対象でしか無いね。
 だからマンガやラノベやアニメで暴力ヒロインが出て来るのを見るだけでも、本当に嫌な気持ちになってしまう。

 で、その筆者からのお願いなのだけれど。
 素直になれなくて好意の裏返しだかツンデレだか何だか知らないけれど、男に暴言を吐いたり暴力を振るったりするDV女をヒロインにして、可愛い存在として肯定的にマンガやラノベやアニメに登場させるの、もういい加減でやめてくれませんかね
 少なくとも女性向けのマンガや恋愛小説では、DV男は肯定的に描かれていない筈。
 暴言や暴力などをギャグやご褒美として肯定的に描くのは、もうSM専門誌だけにしてほしいものだと心から思う。
 世間が未だに「女の暴言や暴力は可愛いもので、女からの性的強要はご褒美」みたいな認識だからさ、彼女や妻のDVに苦しんでいる男性達が、「辛い、もうやめてほしい」って声を上げにくい雰囲気になっているんだよね、今の日本って。

 暴言や暴力やLINEチェックや性的強要や金銭要求がDVでサイテーなのは、男女に関係なく人類共通の事だから。
 例の大阪府の1000人の中高生を対象にした調査だけれど、今の若い世代ではむしろ女性から男に対するDVの方が多い現実を見て、「女子からの暴言や暴力くらいで男は傷つかないという誤った認識は、もういい加減に改めてほしい!」と、この電脳世界の片隅から小さな声を上げてみた。

PageTop

感情と理性と、貴方は恋でどちらをより大切にしますか?

 小説やコミックスだけでなく、ドラマや映画でも恋愛をテーマにした作品は多い。
 テーマが恋愛でなくても、恋愛の要素が全く無い作品の方が少ないくらいだ。

 で、その作品を読んだり見たりする主な対象が男性なら、主人公は男で複数の魅力的な女性が絡む、そして対象が女性なら、女の主人公に複数のイケメンが絡む話が少なくない。
 ただ、そうした作品を見たり読んだりしていて、途中からそれ以上ストーリーを追って行く気力がフッと失せてしまう事がよくある。
 その理由はズバリ、「主人公は、何でこんな相手を選ぶかなー。他のキャラの方がずっと良いのに」という不満である。

 小説でもコミックスでもドラマでも映画でも、読者あるいは観客はただ制作者が作ったストーリーに沿って、背後霊のように主人公の言動をただ見守るだけしかできない。
 だから心の中で「こっちじゃない、あっちの相手を選べよ!」といくら思っても、ストーリーは(読者や観客である貴方にとって)不本意な相手とのハッピーエンドに向かい、一直線に進んで行ってしまう。

 そもそも小説もコミックスもドラマも映画も、ストーリーは制作者がしいた一本のレールの上をただ進んで行くだけなのだ。
 ラストに行き着くまでの過程がいくら波瀾万丈でも、ストーリーが既に作られた一本道である事に違いはない。
 だからその物語に魅力的な異性がどれだけ出て来ても、主人公が誰と恋に落ちるか貴方には決められないのだ。
 貴方に出来るのは、制作者が決めた相手と主人公が恋に落ちるのを、ただ眺めている事だけなのだ。

 もちろん小説やコミックスやドラマや映画の制作者も、お客の最大公約数的な好みを理解した上で「この組み合わせが最も人にウケる筈」と考えてストーリーを作り上げているに違いない。
 ドラマや映画と違って、小説やコミックスの作者は基本的に一人だ。しかし小説やマンガも商業作品である以上、作者の後ろには編集部の人たちが付いていて、充分に話し合った上でストーリーを決めている筈だ。

 しかしそれでも、現実には「この主人公、何であんな良い相手をフッて、こんな虫の好かない相手を選ぶかなー」と途中で腹が立って来るようなストーリーが少なくない。
 恋愛が絡むストーリーでは、「主人公(同性)が、嫌いなタイプの異性を選んだ」というのが、興醒めの最大の原因になりやすいが。
 そしてそれと似ているが、「好ましい異性の主人公が、同性として嫌いなタイプの相手とくっついた」というパターンもまた、ストーリーに興醒めする大きな原因になりやすい。

 特に筆者は変わり者で、好みが皆と少し違っているらしく、その「主人公が好みの異性をフッて嫌いな異性を選んだ」あるいは「好きな異性の主人公がイヤな同性とくっついた」というパターンで、その作品に大いに興醒めする場合が少なくなかった。
 そんな筆者のニーズにぴったり合ったのが、ずばりゲームだった。
 小説やコミックスやドラマや映画では、読者や観客はあくまでもストーリーの傍観者だが、ゲームではプレーヤー自身が主人公だ。どう行動して何を言い誰を選ぶか、プレーヤーが主人公として決めて行動しなければ、ストーリーは進んで行かない。
 そして結末も主人公であるプレーヤーの選択にかかっていて、よく考えて頑張れば好みの相手とハッピーエンドを迎えられる反面、下手をすれば悲しい別れに終わるバッド・エンドもあり得るから、プレーヤーは主人公としてよりその世界に入り込んでストーリーに熱中する事になる。

 相手役のヒロインに自分の好みの相手を選べるし、ストーリーの主人公になり切ってプレイする自分が下手な行動を取れば、バッド・エンドに一直線だ。
 実に楽しいし、面白い。
 筆者はそう思うのだが、世の中の人々の反応は違う。
 恋愛小説や恋愛マンガを読んだり、恋愛ドラマや恋愛映画を見たりしても、人から馬鹿にされ世の中から冷たい目で見られる事は無い。
 しかし恋愛ゲームをするとなると、オタクと馬鹿にされ二次元萌えの変態扱いされかねない。
 何でだ! と筆者は声を大にして怒りたい。恋愛ゲームだって、恋愛小説や恋愛コミックスや恋愛ドラマや恋愛映画と同じ、立派な“作品”だ
 小説やコミックスやドラマや映画なら良くて、ゲームだと恥ずかしいオタクのものと決めつけるのは、間違いなく差別で偏見だろう。

 それにゲームには、他の小説やコミックスやドラマや映画には無い良さがあるのだ。
 前にも言ったように、小説やコミックスやドラマや映画では読者や観客は主人公の傍観者で、制作者が決めた一本道のストーリーをただ追うしかできない。
 しかしゲームではプレーヤーが主人公としてそのストーリーの世界の中で行動し、物語のエンディングを決めるのもプレーヤーである貴方自身だ。
 物語の中で“行動”し、ストーリーを動かして行くことが出来る。それが他の小説やコミックスやドラマや映画と違う、ゲームの大きな魅力だ。

 そしていろいろゲームをプレイして、いろいろ行動しているうちに、自分というものが次第に見えてくるようになる。
 ただ「自分はどんなタイプの相手が好きか?」という事だけでなく。
「人の気持ちと自分の感情と、どちらを大切にするか?」とか。
「誤解から相手と険悪な仲になってしまった時、どうするか?」とか。
「皆に良い顔をしようと思うか、それとも誰かを傷つけても、選んだ一人だけを大切にするか?」とか。
 ゲームの世界の中でいろいろ行動して行くうちに、自分の性格や行動パターンまで自然に見えてくるものだ。

ふぁいなる・あぷろーちP1090402

 例えばプリンセスソフトというメーカーの、『ふぁいなる・あぷろーち』というゲームがあって。
 これには5人のヒロインが出てくるのだが、筆者はそのうちたった一人しか選べなかった。
 と言うのは、このゲームは絵こそ西又葵さんの可愛らしいキャラを採用しているものの、誰と恋するかにプレーヤーの倫理観がそれとなく、しかし厳しく問われているからだ。

 5人のヒロインのうち、まず益田西守歌(しずか)は「純情可憐で清楚なお嬢様……を演じている、凶悪な女傑」で、妹と二人暮らしをしている主人公の家に、いきなり“婚約者”として強引に入り込むのでありマス。
 続いて水原明鐘(あかね)は主人公の妹で、大人しくて引っ込み思案デス。
 陸奥笑穂(えみほ)は主人公の同級生で、本物のお嬢様なのだが、それらしいのは外見だけで、サッパリした男のような性格で、主人公とも友達付き合いをしている。けれど同じ名家の、昔からの許婚がいる。
 守屋美紀は主人公と幼なじみで、小学校の頃までは仲良くしていたのだが中学は別になり、高校でまた再会したのだ。
 最後の芽生百合佳は、両親がいない主人公と妹の親代わりになってくれている従兄の恋人で、主人公の先輩でもある。

 ……どうでしょうか。
 原画が人気絵師の西又葵さんによるだけに、どのキャラも外見的にはとても可愛いのだけれど、実際には選びにくい相手ばかりでしょうが。
 許婚がいたり、恩人の恋人だったり。明鐘に至っては、何と自分の妹だよ?
 いくら相手が好きで恋する気持ちは抑えられないにしても、許婚がいる相手や恩人の彼女や、ましてや妹に手を出す……ってのは、人として倫理的にどうかと思うのだ。倫理観は人それぞれと言え、少なくとも筆者はね。

 実は最初は、筆者は笑穂さんが良いかな……と思っていたのだ。外見というより、お嬢様ぶらないサッパリした性格が好きだったんだよね。
 ただ笑穂さんには、昔からの許婚がいて。
 それでももし笑穂さんがその事に疑問や不満を持っていたのなら、「昔からの家と家の関係に縛られるなんておかしい!」と頑張るけれど。
 でも当の笑穂さんはその許婚と仲も良いし、許婚という関係にも疑問を持っていないし。
 なのに自分の恋愛感情だけで、「許婚だなんておかしい!」と割って入って仲を裂くのは、筆者は間違っていると思うのだ。

 続いて百合佳さんも、「恋人である主人公の従兄が、仕事が忙しいとかで最近冷たくて、寂しい思いをしている」という前提がある。
 だとしても、相手が恩人の恋人ならば、世話になっている従兄と百合佳さんがうまく行くよう仲を取り持つのが“人の道”ってものでしょ?
 従兄と百合佳さんの仲が最近微妙だからって、その百合佳さんの心の隙に付け入るような真似をするのは、泥棒猫以下の卑しい行為だと筆者は考える。

 増してや、自分の妹に恋愛感情を抱くとは、それこそ犬畜生にも劣る行為でしょうが。
 ま、こうした物語の常として、ストーリーを進めて行くうちに「兄妹として育てられたものの、実は血は繋がっていなかった」とわかるのだろうけれどね。
 でも事前にそうした予備知識なく、ただ「兄妹だ」という前提しかない状態で明鐘さんに接近しようとするのには、筆者はものすごく抵抗がある。

 で、残るは押し掛け婚約者の西守歌さんと、幼なじみの美紀さんだけれど。
 西守歌さんは「純情可憐で清楚なお嬢様……を演じている、凶悪な女傑」とは言うものの、実際に家に居座られてみると意外に良い子なんデスよ。
 そして美紀さんを選ぶには、西守歌さんを家から追い出さなければならないのだけれど、肝心の美紀さんは別に主人公に気があるような素振りも見せず、態度もアッサリしたもので……。
 なのにわざわざ西守歌さんを追い出してまで、美紀さんにセマる必要も感じなくて……。

 それで筆者は、『ふぁいなる・あぷろーち』は西守歌さんのルートしかやらなかったのだ。
 許婚のいる相手や、恩人の彼女や、ましてや妹にセマるとか、筆者の倫理観がどうしても許さなかったのだ。
 ま、美紀さんのルートはやっても良かったのだけれどね、ただ、そうするとかなり好きな西守歌さんをフッて、家から追い出さなければならなくなる。それが嫌で、美紀さんのルートも出来なかったよ。
 この『ふぁいなる・あぷろーち』でも改めて自覚させられたけれど、筆者は好きなんデスよ、清楚なお嬢様に見えて実は芯の強い女傑タイプの女性が。

 あと、筆者は間違いなく自分の恋愛感情より、人としての倫理観の方を大事にする人間なのだ。
 と言うと、「それはオマエが本当の恋をした事が無いからで、誰かを心から愛すれば許婚がいるとか恩人の彼女だとか兄妹だとか、倫理や善悪など頭で考える理屈など関係なくなる」と非難されそうだけれど。
 現実の自分の恋愛でも、筆者は彼氏がいるとわかっている女の子に横恋慕して手を出した事は全く無いデス。他にも交際相手がいるのを内緒にされて、相手にフタマタをかけられた事はあるけれどね。

 出逢った相手が、たとえどんなに魅力的でも。
 その人に彼氏がいるとわかった瞬間に、「手を出そう」という気持ちが全く無くなってしまうのだ。
 相手に対する好感は変わらないのだけれど、「付き合いたい」という気持ちがスーッと失せてしまうんだよね。
 だから他に好きな人がいる女の子に対して「何とかして振り向かせて、その彼氏から奪ってやろう」なんて、思った事はまるで無いよ。

 だって他人のものを横取りするのは泥棒じゃん。
 恋愛だって、それと同じ。
 筆者は自分の彼女にフタマタをかけられて、知らぬ間に他の男に寝取られていた痛い経験が何度かあって。
 それだけにフタマタも他人の恋人に手を出して寝取るのも、どちらも道に外れた汚らしい行為だと思ってしまうんだよね。

 でも「恋する気持ちは、理性や理屈では抑えられない」って?
 では少し、筆者自身の体験を語ろう。

 筆者には小学6年生の頃に、好きだった女の子がいて。
 相手は近くの席で同じ班だった、おとなしくて可愛い子でね。筆者が主に話しかけたりちょっかいを出したりするうちに、自然に仲良くなってさ。
 ただその頃の筆者は、すごくガキだったから。幼稚な男子にありがちな、「好きな子に逆に意地悪する」みたいな馬鹿な真似、よくやったなぁ……。
 で、その子の親友の女子から「あの子、黒沢が好きなんだって」と聞いても、ただ「ふーん」という程度で。
 好かれていると聞いても、何をしたら良いのかまるでわからなかったんだよ、あまりにガキ過ぎて。
 それでまあ仲の良い友達のような関係のまま、何の進展も無いまま中学生になってクラスも別になって、さらに高校は違う所に進学したから、顔を合わせる事も全く無くなってさ。

 ところが二十代の半ば頃に、その子と再会してしまったのだ、よく浮気や不倫のモトになるという、あの同窓会というやつで。
 問題の小学6年生の時のクラスの同窓会の幹事役が、たまたま筆者に回って来ていてさ。で、女子の方の幹事が、例の子の親友だった女の子で。
 そしてその女の子が、「二人で準備するのは大変だから、他の子にも手伝って貰おうよ」と言って引っ張り出したのが、問題の小6の時に仲の良かった例の子だったのだ。

 昔は可愛いけどおとなしくてあまり目立たなかったその子は、再会してみるとフワッとした感じの、女らしい素敵な女性になっていてさ。
 すごくイケてるし良いなって、心から思ったね。
 ただその時、子供こそまだだったけれど、その子は既に他の男性と結婚していたのだ。
「あの子、黒沢が好きなんだって」と聞いていながら、ただ「ふーん」で済ませてしまった小6の頃の自分を、本当にタコ殴りにしてやりたい気分だったね。

 同窓会の準備の打ち合わせ……って事で、その子と合って話す事が何度もあってさ。
 そして会って話す毎に、「いいなあ、好きだなあ」って思う気持ちは強くなっていったよ。
 で、その子の筆者に対する感情も、けっこう悪くない感じでさ。そしてその子は嫁姑問題ってやつを抱えて悩んでいた事もあって、「押せば落ちるかな」って感じもあったのだ。

 でも筆者は、結局その子に手は出さなかった。
 いくら好きでも、他人の妻に手を出す……って気には、本当にどうしてもなれなかったんだよ。
 だから浮気どころか、キスの一つもしていない。
 ただ同窓会の二次会で一度だけ一緒に踊って、「もっと早く出逢っていれば良かったね」と囁き合って、それだけで本当に終わりだよ。
 その子が住んでいる場所も知っているけれど、例の同窓会の後は二度と会ってないよ。

 好きになった人に、他に交際相手や結婚相手がいたら、筆者はチャンスがあっても本当に手を出さないでいる。
 それは勇気が無いからではなく、自制心と理性の問題だと自負してる。
 好きな気持ちはどうにもならなくても、その感情を行動に移すのを抑える理性と自制心の無い人間を、筆者は軽蔑する。

「理性で情を抑える」と言うと、とかく心で感じるものよりも頭で考えたことに従って動く、冷たい人のように思われがちだが。
 ただ感情のまま突っ走り、恋人のいる人や既婚者にも手を出してしまう人と。
 好きだと思う情を、人の道を考え心の中で必死に抑えて自分一人で辛い思いに耐える人と。
 さて、貴方はどちらの人の方を、より“人間らしい”と思うだろうか。

 でも、恋愛ゲームは良いよ。
 たとえ許婚のいる相手や恩人の彼女や妹に手を出しても、現実に痛い目に遭うわけではないからね。
 で、プレイしているうちに「どんなタイプの子が好きなのか」だけでなく、「理性より感情優先で、ヤバい恋にも突っ込んで行ってしまう傾向があるか?」とか、自分の恋愛の傾向もいろいろわかってくるし。

 筆者自身も、ゲームをして自分のいろいろな面がわかったよ。
「いかにも女らしい守ってあげたくなる女の子より、芯の強いキリッとした子を好きになる」とか。
「結論は急がず、すぐには動かずよく見てよく考えてから答えを出す性格だ」とか。
 あと、「変に意地っ張りで、喧嘩をすると仲直りがとても下手」という欠点も、ゲームを通して初めて自覚させられたよ。

 ゲームのプレイの仕方には、その人の性格や人間性が自然に出て来るものだから。
 別に恋愛ゲームでなくても、例えば『ゴーストリコン』や『メダル・オブ・オナー』のような、一兵士として戦場で戦うアクション系のシューティング・ゲームでは、筆者は最前線に出て敵と派手に撃ち合うより、物陰に隠れ狙撃銃で遠くから敵を一人ずつ倒して行くのを選ぶことが多いデス。
 ……ほら、にじみ出て来るでしょう、筆者のイヤーな性格がwww。

 小説やコミックスやドラマや映画と違って、ゲームでは自分が主人公になり切って、恋愛や戦場を疑似体験できるから。
 小説やコミックスやドラマや映画とは違った良さが間違いなくあるし、プレイを通して“自分”というものが見えてきたりもするのだ。
 だからただ「ゲームだから」というだけで、「オタクのもの」と馬鹿にして小説やコミックスやドラマや映画などより下の存在として見るのは、ぜひやめて貰いたいものだと思うのでありマス。

PageTop

女子の可愛さはまず“偽装”である

 ここのところ、政治や時事に関する固い(かつ偏った見解の)話を多く書いている筆者だが。
 しかしこのブログは、元は筆者自身のおバカでイタい失恋話などを多く話していた。
 というわけで原点(?)に戻り、今回は柔らかで下らない雑談をしよう。

コミックス・猫戸さんは…P1090386

 筆者は本もよく読むだけでなく、コミックスも同じくらいよく読んでいる。
 で、先月に読んだ真昼てくさんの『猫戸さんは猫をかぶっている』の一巻に、こんなシーンがあった。
 主人公は高校生の男子ながら、女子が猫をかぶっているのがありありと見えてしまって、そのせいでなかなか恋ができない。
 その主人公は、クラスの女子二人がこんな話しているのを、たまたま耳にしてしまう。

「でねっ、休日は何してる? って聞かれてぇ。お菓子作りしてるよぉ(ハァト)、って答えたらマジ喜んでてぇ」
「ぎゃはは、どんだけ猫かぶってんだっつの!」

 目一杯ブリブリして彼氏を騙している実態をあからさまに喋っている女子トークに、主人公は思わず苦笑いしてしまう。
 で、それに目ざとく気付いた例の女子二人に、主人公は凄まれてしまうわけだ。
「ちょっと! あんた何笑ってんの?」
「なんか文句あんの? ぶりっ子ウゼーとか思ってんじゃねぇの?」

 そう詰め寄られた主人公は、人間(特に女性)不信気味ながら世渡り上手なので、咄嗟に上手くかわしマス。
「ちょっと猫かぶってるくらいが可愛いじゃん。今の感じもギャップあって可愛いけど」

 笑顔でそう言われて例の女子二人組は気を良くして、「ぎゃーっ、なにあいつ、うちらに気ィあんの!?」とか騒ぎつつ、こう言うのでアリマス。
でもさっ、女子は大体偽装だし

 また、筆者が何度も思い切り笑わせていただいた大島永遠さんの『女子高生 Grls High』の七巻でも、男にモテるギャルグループの女子が、男の心理を逆手にとってモテる方法を主人公にいろいろ伝授した上でこう言いマス。
カワイイフリならまかせろ! つーか、まかせとけ☆

 ……おわかりでしょうか、世の中の男性諸氏。
 男から見て「可愛い!」と思いドキリとしてしまう女子の言動は、ほぼ99パーセント偽装で「可愛いフリ」なのデスよ。

「いや、あの子は違う! あの子だけは天然で本当に可愛いんだ!!」
 そうおっしゃりたい男性も、きっと多くいらっしゃる事でしょうな。
 でも貴方、甘いよ。
 それは天然なのではなく、天然を装っているだけのブリに違いないのだ。99%、ほぼ間違いなくね。
 可愛さと女らしさを偽装するのが巧みな女子ほど、天然のフリをするのも上手いのだ。

 筆者は断言する。
 可愛い女子の“可愛さ”はまず偽装で、猫をかぶり可愛いフリをしているだけなのだ。

 とは言え、筆者は女子が可愛さを偽装して猫をかぶるのを「悪いことだ」とは、決して思っていない。
 何故なら、女子が「可愛く見せよう」という努力をしないという事は、女を捨てるという事に他ならないからだ。
 想像してみてほしい、もし女子が「可愛く見せよう」という努力を放棄したら、どんな姿になるかを。
 筆者は考えるのすら恐ろしいね。
 食欲のままガツガツ食べてブクブクに太り、肌は脂じみて吹き出物も多く、着るものはヨレヨレのジャージかスウェットで、太い声でギャーギャー喋り、ジコチューで我が儘放題に振る舞う、かわいげの欠片も無い醜い生き物になるだろう。
 そんな生き物を、貴方は女と見て愛する事ができるだろうか。

 それに偽装や“フリ”という点では、男だって同じではないだろうか。
 福山雅治やジャニーズなどのモテ男は、何の努力せず素のままでイケメンなのだろうか。
 いや、それは無いだろう。イケメンはフツメン以上に髪型やファッションやスタイルにこだわり、態度も気を付けコミュ力も磨いているからモテるのだ。
 最初からモテることを諦めて、見かけに全く気を配らず体型はピザで、見かけだけでなく言動もスマートでなく、コミュ障も治さず女子とまともに喋れないようなブサメンとは、そもそもモテに対する努力が違うのだ。

 いくら地の顔が良く生まれついても、ピザになればその顔すら台無しだし、「顔さえ良ければ、ジャージ姿で髪ボサボサのコミュ障でもモテる」とは、少なくとも筆者には思えない。
 さらに逆に、自意識過剰になり過ぎてもイタい人になってしまってアウトだ。
 廣瀬ゆいさんの『ワンダーラビットガール』というコミックスの二巻にも、顔は良いのにカッコつけ過ぎで、「中身がイタい」と陰で言われて女子たちのイジられキャラになってしまっている残念なイケメン君が登場する。

 いろいろ努力は怠らず、けれどその部分は悟られぬよう自然にカッコ良く爽やかに振る舞って。
 ……モテるイケメンでいるのって、なかなか難しいもののようである。
 ちょうど女子が、天然の可愛い子を演じるのにかなりの努力を必要とするように。

 だから筆者は、女子が男の前では猫をかぶって可愛いフリを偽装するのを、決して悪い事だとは思わない。
 むしろ可愛く振る舞う事を諦めた女子は、女を捨てたも同然の醜い女子だと思う。

 アヒル口で上目遣いと萌え袖とフワフワ髪と高めの甘い声を装備した、作っているけれど見た目や仕草は間違いなく可愛い子と。
 そしていつもふくれっ面で、スウェットの上下でボサボサ髪で下品でガサツに振る舞う、飾らず素のままの天然モノのブスな子と。
 そのどちらかを選べと言われたら、筆者は間違いなく、そして迷わず前者の偽装でフリをしている可愛い子を選びマス。

 ある年齢以上のお方は、よく覚えておられるだろう。大手のハムのメーカーが、こんなCMをかつて盛んに放送していた。
「ワンパクでも良い、逞しく育ってほしい」
 それは男児に対する父親の目線だったが、筆者なら世の女性たちに声を大にしてこう言いたい。
ブリでも良い、可愛く振る舞ってほしい

 何しろ筆者には、一つ年上の姉がいたからね。
 だから女の実態とか、かなり知り尽くしているのだ。
 家では普段は見苦しい格好でだらしなくしているくせに、外出時には半ばヒスりながら必死こいて身支度を整えて可愛く化けて出掛けたりとか。
 いつもは太く低い声でぶっきらぼうに喋るくせに、男から電話があると一オクターブは高く可愛い声になったりとか。
 ある人と会っている時には笑顔で優しく愛想良く応対しつつ、その人が帰った途端に般若の顔になって悪口がマシンガンのように繰り出されたりとか。
 だからわかってる。
 女の子の可愛いのは“フリ”で“偽装”なんだと、痛いほどよくわかってるさ。
 それでも地のブスで性格悪くてだらしないのを素で丸出しにされるよりは、偽装でも可愛いフリをしていてくれた方が何倍も嬉しい。
 って言うか、女の子が可愛く振る舞ってくれなきゃ、男は女子に夢とか持てないし、愛する気持ちも持てないでしょ。

 だから筆者はあえて、偽装でも可愛いフリをする女の子の肩を持ちマス。
 で、年頃なのに可愛く振る舞おうとしない女子は、自分から女を捨てた存在として相手にシマセン。

 けど筆者のような「ブリや偽装を見抜いた上で、あえて許容している男」って、当の偽装の女子たちにはウケが悪いデスね。
 女子たちから見れば、自分たちのブリや偽装に相手が気付かずコロリと騙されるところが騙されるのであって、それと見抜いた上で「あー、よしよし、可愛い、可愛い」みたいのって、一番ムカつくかも。

 そしてまた、筆者も相手の可愛さを偽装と見抜いているから、相手に今一つ夢中になれないんだよね。
「俺には君しかいない、君をどうしても失いたくないんだ!」
 本当に正気でそう言い切れてしまうほど相手の女の子に惚れ込むには、相手が演じている可愛さを天然のものと信じて疑わないだけの純朴さが必要なようデス。
「あ、この子も可愛いフリをしてるな」
 そう見抜けてしまうと、いざ別れ話になった時にあまり未練が持てなくて。この子がダメでも、また次の子に行けば良いか……みたいな、妙にアッサリした感じになってしまって。

 だからか、筆者は恋愛は何度も(両手の指でも足りないほど)しているのだけれど、不思議なくらいどの恋も結婚には至らなくて、今もまだ独身なのでアリマス。
 バツの方もまだゼロで、本当に結婚すらまだした事が無いのでアリマスよ。

PageTop

古いオフラインのゲームを愛する者のボヤキ

 筆者は以前、このブログに自分の実体験(主に恋愛に関する痛い失恋の話)を織り交ぜながら、ゲームの話を頻繁に書いてきた。
 だがここのところ、その種の話は殆ど書けなくなっている。
 その理由はズバリ、筆者がゲームに関して完全に時代遅れになっている現実を痛感しているからだ。

 例えば今ゲームと言うと、多くの人はスマホやパソコンでやるオンラインでのものを思い浮かべるのではないだろうか。
 だが筆者は違う。
 筆者がプレイしたいのは、プレイステーションやセガサターンなどの、かつての固定機によるオフラインでのゲームなのだ。

 ゲームは読書やDVDの映画鑑賞などをするように、自分の都合のつく時間に一人でじっくりやり込みたいのである。
 ネット上の“仲間”に誘われ、他人に合わせてプレイするのがどうにも性に合わないのだ。

 また、そのゲームに自分がとれだけの対価を支払っているのかわかりにくい、課金という制度にも嫌悪感しか持てない。
 何かものを買う場合、内容を吟味しその価格が妥当であるか考えてから、購入するかどうか判断するのが普通ではないか。
 最初はタダでも総額でいくら支払う事になるのかもわからないゲームに手を出す気になど、少なくとも筆者はなれない。

 筆者は自分でもゲームにはかなり時間を費やして来た自覚はあるが、落ちゲーや格闘ゲームの類は殆どやらない。
 自分が小説やアニメやドラマの主人公になりきってプレイできるような、とにかくストーリー重視のゲームがしたいのだ。
 だから楽しさのメインは敵を倒すことにあって、ストーリーの面白さに重点を置いていないゲームは、どうにも性に合わない。

 RPGにも、ストーリーに深みがありドラマ性があるものも少なくないが。
 ただ時間の大半を主人公のレベル上げに費やされることを強いられると、時間の浪費を強いられるようで厭になってしまう。
 ストーリーを進めるうちに、プレーヤーである主人公のレベルが自然に上がって行くのならば良い。
 そうではなくて、無駄な戦いを繰り返して主人公のレベルを上げなければストーリーを進められないような、いわゆる“作業”を強いられるようなゲームは筆者は個人的に好きになれない。

 とにかくストーリー性重視で、作業的なものはキライ。
 そしてそのゲームをするなら、クリアするまでに総額いくらかかるのかも、前もってきちんと知っておきたい。
 さらに自分の都合の良い時間に、好きなだけその世界に深く入り込んでプレイしたい。
 だからスマホやパソコンでのオンラインゲームと相性の良い種類のゲームとは、筆者とは相性がひどく悪いのだ。

 少し話はそれるが、筆者がまだ大学生だった頃の話を聞いてほしい。
 当時はソシャゲをやろうにもケータイすら普及しておらず、ゲームもまだファミコンのような子供向けの単純なものしか無かった。パソコンはあったがひどく高価な一部のマニア向けのものでしか無く、ネトゲも存在していなかった。
 何しろ当時は、あの秋葉原が今のような“萌え”の街でなく、まだ電気街だったのだ。
 だからオタクの大学生も、オンラインゲームに熱中する若者もいなかった。

 では当時の大学生たちは、何を楽しんでいたか。
 それはひたすら、リアルな人間付き合いデスよ。サークル活動とかコンパとか、あるいはナンパとかwww。
 何しろスマホどころかケータイすら無いのだから、lineなどある筈も無いわけで。
 自宅通学の生徒は家の固定電話を使えたけれど、筆者が通っていた東京の某大学には地方から出て来て、トイレは共同で風呂すら無いような安アパートで下宿暮らしをしている者が多く、そんな貧乏学生に部屋に電話など引けるわけも無く……。
 だからとにかく人とは直接に会い、面と向かい合って話すしかコミュニケーションの取りようが無かったのだ。

 そんな環境だから引き籠もりになれる筈もなく、当時の若者たちは今よりずっと密な人間関係を築き合っていたよ。
 ただそれは良いだけでなく、人によっては息苦しく生きにくい面も間違いなくあった。
 部屋に籠もりネットを介して外界と繋がる余地が無いだけに、今よりずっと濃い人間関係が求められたのだ。
 今ではアルハラという言葉があるが、当時はそんな概念すら無く、「一緒に酒を飲みに行かない者は仲間外れ」という空気は、大人の職場だけでなく大学生たちの間にも間違いなくあった。

 また、当時はネトゲの代わりに麻雀という厭な遊びがあった。
 いや、麻雀そのものが悪いわけではない。
 麻雀自体は充分に面白い。
 ただ麻雀には、「四人揃わないと出来ない」という問題点がある。
 だから学内や職場などで一度“麻雀仲間”が出来てしまうと、自分に都合があっても仲間から「なあ、来てくれよ、お前が来ないと困るんだよ」と迫られて断り切れずに、自分の予定を変えて仲間と付き合う事になる。

 筆者が通った学科は、その大学の中では人気があって、受験の競争率も合格に必要とされる偏差値も高い方だった。それでか、同じ学科の者には浪人して入学して来た者が少なくなかった。
 で、入学して間もなく出来た仲良しグループで、自然にリーダー格になったのは二浪の男だった。
 彼は出身地では県下でナンバーワンの名門高校の出身だったが、受験より酒や遊びの勉強をし過ぎて二浪してしまったような遊び人だった。
 それだけに、筆者のように現役で入学して東京に出て来たばかりの者には、既に二年も東京で浪人しながら一人暮らしをしてきていた彼は、二歳という年齢差以上に大人びて世慣れているように見えた。
 それで彼は、仲間の皆に“オトウチャン”と呼ばれていた。

 そのオトウチャンには、酒の飲み方やら遊び方やら宴会でウケる猥歌やら、勉強以外のいろいろな事を教わった。
 ただ筆者には、大学在学中に果たしたい夢があった。
 家の経済的な事情でその方面の学科への進学は諦めたものの、当時の筆者には「写真家になりたい!」という夢を捨ててはいなかった。
 普通の学科に通いつつ、写真の勉強を独学で続けていつかプロの写真家としてデビューしたいと思っていた。
 家族のもとを離れて東京に進学したのも、ただその為だった。

 だが写真を撮り続けるには、とてもお金がかかった。
 まず良い機材は絶対に必要だし、それに当時の写真は銀塩フィルムだったから、フィルム代や現像料にもかなりのお金がかかった。
 今はデジタルだから、良いカメラと必要なレンズさえ揃えてしまえば後はただ撮るだけだが、銀塩フィルムの時代には写真を撮るにもその前にフィルム代の、そして撮ったら撮ったで現像料の工面をしなければならなかった。
 だから筆者は、大学時代にとても忙しかった。
 何とか留年する事にはならぬよう大学の勉強もこなしつつ、時間を作ってはアルバイトして資金を稼いでは写真を撮りに行く。そんな生活をずっと続けていた。

 いや、その暮らし自体には何の不満も無かったし、自分の夢の実現に向けて毎日充実した日々を過ごしていた。
 ただその代わり、筆者には暇も金の余裕も無かった。
 大学の他の仲間は普通に講義に出て、コンパなどで酒を飲んで青春を謳歌していたが、筆者にはその酒を飲むのに遣う金すら惜しかった。

 白状するが、筆者は写真家でも篠山紀信さんとか荒木経惟さんのような、女性を撮る専門家になりたかったのだ。
 だから高校生の頃から、可愛い女の子がいれば「モデルになって写真を撮らせて!」と頼み込んでいたし、そのおかげで初対面の女の子と話す事にも自然に慣れていた。
 少なくとも筆者は、合コンという場で酒の力を借りたりせずとも、素面で一対一で気になる女の子に話しかける事が出来た。まあ、これも後々仲間から嫉まれて悪く言われる理由の一つになるのだが……。

 でもそんな筆者だからこそ、どうしても「飲み会に遣うカネがあれば、何本フィルムを買えるだろう」という気持ちになってしまうわけだ。
 同性の友達同士とも、筆者はお酒が無くとも楽しく喋る事ができるし、そもそも「一緒に飲んでハメを外して騒がなきゃ面白くないし、仲間になれない」という感覚が基本的に理解できないのだ。
 相手が女であれ男であれ、筆者は本音で腹を割って話したり口説いたりするのに酒の力を借りる必要を全く感じない人間なのだ
 で、筆者はつい飲み会は敬遠して、より写真に打ち込むようになってしまった。

 そして筆者の大学の仲間がはっきり割れたのは、例の“オトウチャン”が仲間たちに麻雀を教え始めた事だった。
 最初、仲間たちに麻雀のやり方を知っている者はオトウチャン以外に誰もおらず、だからオトウチャンも遠慮していたようだ。
 だが月日が経って仲間たちがより仲良くなってから、オトウチャンは仲間たちを麻雀に誘うようになった。「絶対楽しいし、わからないなら教えるから」と。
 で、仲間たちは一人、そしてまた一人と麻雀を始めるようになった。
 当然、麻雀を始めたやつらは、オトウチャンなどの下宿の部屋に入り浸って、連日遅くまで麻雀をするようになる。
 そして最後まで麻雀をやろうとしなかったのは、夜にはきちんと帰らなければならない自宅通学の者たちと、そして時間が自由になる下宿生の中では筆者一人だけだった。

 筆者がなぜ麻雀に手を出さなかったか。
 それは四人いないと出来ないから、始めたら最後、「なあ、これから麻雀やろうぜ。お前が来ないと面子が揃わねーんだよ。だから、な、いいだろ?」と始終誘われる事になるのが分かり切っていたからだ。
 他にやりたい事、東京で果たしたい夢があった筆者は、麻雀などで毎日ずるずるダラダラ時間を使わされるなど、真っ平だった。

 で、結局どうなったかと言うと、麻雀もやらず、飲みに行くのも積極的で無かった自宅通学生たちと筆者が、いつの間にか自然に仲間から外されていた。
 麻雀をやらず、飲み会にもあまり顔を出さないから。
 本当に、ただそれだけの理由で。

 正直に言って、筆者はいつもつるんで酒を飲んでは愚痴やくだらない話をして時間を潰すようなウェットな人間関係は苦手だ。
 だがその代わり、相手が真剣に悩んでいる時には自分の事は後回しにしてでも相談に乗って助けた。
 飲んで馬鹿騒ぎをするのには良い顔をしなかったが、素面の時の真面目な人生相談には真剣に乗ってきたつもりだ。
 普段の付き合いはあっさりして群れずに個人の自由重視でも、助ける時はちゃんと助ける。そんな人間関係が筆者の理想だったのだ。
 だが“仲間たち”は違った。
 一緒に飲まず、麻雀も覚えようとさえしない。
 それで友達付き合いを切られたのだ。

 それまで筆者のような者にも優しく接してくれていた、宇津さん(仮名)という女性の先輩にすら、こう言われたよ。
「みんな純粋な、ほんとに良い人達なのよ。でも君は、彼らを否定したよね? だから切られても当然だと思うわ」

 彼らを否定した?
 とんでもない、筆者は彼らを悪く言って否定した事など、本当にただの一度も無かったよ。
 ただ麻雀の仲間に加わらず、飲み会にも積極的でなく、そして皆とは違った生き方をしていて、それを隠さなかっただけだ。
 でもそれが、周りと合わせず違った生き方をするという事が、日本の社会では「皆を否定した」という事になるんだよね。

 バッカみてぇ
 その宇津先輩の「皆を否定した」という理論を聞いて、心からそう思ったよ。
 それでますます、筆者は飲み会と麻雀が嫌いになったわけデス。
 飲み会と麻雀と言うより、日本の風土の中に間違いなく存在する、個の存在を否定して周りに合わせる事を強要するムードには、ただ嫌悪感しか抱けない

 で、モンハンなど最近のオンラインゲームに、筆者はそれに似た厭な空気を感じるのだ。
 筆者はゲームは好きだが、ゲームに人生を費やすつもりは無いし、やりたい事や果たしたい夢は他にもある。
 要するに、筆者にとってゲームは自分の人生の最優先事項では無いのだ。
 だから空いている時間に、自分の都合にのみ合わせて、誰にも気兼ねせずに自由にやりたい
 ネット上でも昔の麻雀友達みたいな仲間を作って、「お前がいないとミッションがクリア出来ねーんだよ」とゲームに駆り出されるのは真っ平御免だ。

 さらにボタン操作や反射神経でのプレイを楽しむのではなく、主に深みのあるストーリーと登場人物の魅力を堪能したい筆者としては、スマホで暇潰しにやるような落ちゲーやカードゲームにも没頭できないのだ。
 筆者にとってゲームは単なる暇潰しではなく、自分を想像の別世界に誘ってくれる、映画や小説と同等の大切な存在なのだ。
 だから筆者は、気に入ったゲームは完全クリアした後でも、好きな映画のDVDを繰り返し見るように、何度も繰り返しプレイしている。
 ストーリー重視で主にアドベンチャー・ゲームをしている筆者にとっては、好きなゲームはお気に入りの映画のDVDと全く同じなのだ。

 そんな筆者を悩ませているのは、ゲーム機のハードの問題だ。
 正直に言うと、ブログにゲームの事もあれこれ書いてきながら、ハードの方はセガサターンプレステ2までしか持っていないのだ。
 プレステ3については、買おうかどうしようか本当にかなり迷った。しかしプレステ3でしかプレイ出来ない魅力的なソフトが充分にでそろわないうちに、プレステ3が改悪されてしまった。

 初期のプレステ3はソフトに互換性があって、プレステのゲームもプレステ2のゲームもプレイ出来た。それがいつの間にか、プレステ2のゲームはプレイ出来ないようにされてしまったのだ。
 おかげでその初期のプレステ3を買おうにも、今では中古市場でも数が少なく値段も高くなってしまっている有り様だ。
 そしてプレステ4に至っては、最初からオンラインで使うことを前提にしたような仕様だ。

 PCゲームでもそうだが、より高性能なハードを必要とするのはRPGやアクション系のゲームだろう。そして筆者が主にやり込んで来たアドベンチャー系のゲームは、プレステ2程度の性能があれば充分に思える。
 PCで言えば、少し前に流行ったネットブックでも充分プレイ可能なレベルだ。
 実際、プレステ3用で定評あるアドベンチャー・ゲームは、「プレステ3を買おう!」と思わせるほど多くは出ていないように思える。
 そしてプレステ4が充分に世間に普及する前に、ゲームの世界そのものが激変してしまった。
 ネットでの“出逢い”を求めてか、それとも暇潰し用の(スマホ画面のサイズでは)綺麗なグラフィックの落ちゲーやカードバトルを求めてか、ソフトがオンライン向けにシフトしてしまって、オフライン用のコンシューマー用のゲームソフトはあっと言う間に少数派になってしまった。
 そしてそれは、同時に「コンシューマー用のゲーム機そのものも、もう見捨てられた過去の遺物になりつつある」という事でもある。

 それは時代の流れで、仕方の無い事なのかも知れない。
 今やカメラは完全にデジタルに切り替わり、過去の銀塩カメラは金属製の文鎮も同然の存在になってしまったように。
 だが筆者の手元には、プレステ2やプレステやセガサターンのゲームソフトが数百枚ある
 そしてそれらは、プレステ2やセガサターン本体の寿命が尽きると共に、もう二度とプレイ出来なくなってしまうのだ。

 前にも書いた通り、筆者にとってストーリーや登場人物の魅力が深く心に残った良作ゲームは、名作映画のDVDと同じである。
 そして買った映画のDVDがハードの問題で再生出来なくなる事は(今のところ)まず考えられないが、ゲームは違う。セガサターンはもちろん、プレステ2もメーカーですら修理してくれる期限が迫っているのではないだろうか。
 実は筆者も、セガサターンとプレステ2を一台ずつ使い潰していて、今は予備に買っておいたハードでプレイしている。

 まあ、エミュレーターを導入して、PCで昔のゲームをプレイする方法も無いではないが。
 しかしセガやプレステのゲームソフトが数多く出荷され、今もあちこちの家庭に残っている現状を考えれば、ハードのメーカー(特にソニー!)にも昔のゲームをプレイ出来る、プレステ2程度のゲーム機を供給し続ける義務があるのではないかと、一昔前のゲームの熱心なファンとして考える。

「ゲーム=オンライン」が常識という、近年の急激な状況の変化に気落ちして、ここのところゲームの話題は避けて通ってきた筆者だが。
 まだプレステ2やセガサターンのゲームを楽しんでいるという方がいらっしゃるなら、またそのうちゲームの話もさせていただきたいと思っておりマス。

 それにしても、プレステはどうあれセガサターンのハードは丈夫デス。
 あのナチスドイツの戦車軍団の将軍になって、世界征服を試みるというという『千年帝国の興亡』のやり込み過ぎで、確かに一台は使い潰してしまったけれど。
 それでも予備用に某ハードオフで千円程度で買った、1995年製造のセガサターンが、パワーメモリー共々何の問題も無く今も元気に働いているよ。

PageTop

毎日新聞に寄せられた二つの人生相談から、恋愛と結婚について考える

 筆者は幾度かの恋愛(と失恋)を経験した挙げ句、かなり長いこと独身のまま過ごしているが。
 そうした適齢期を過ぎても独身でいる者たちに対し、マスコミはよく「結婚しない女、結婚できない男」という言い方をする。
 そういう発言を耳にする度に、筆者はカチンと来る。

 独身でいるアラフォーなどの女性は「結婚できるのに対し、自らの意志で独り身でいる」と肯定的に見られ、それが男性だと何故「結婚したいのに、人格や容姿や収入などに何らかの欠陥があってできないでいる」というように、否定的に見られるのだろうか。
 筆者自身について言えば、別に生涯独身で通す決意をしているわけではないけれど、女性との出逢いはあっても不運にもそれが結婚にまで至ることなく、今に至ってしまっている。

 親戚などからもよく「早く結婚しなさいよ」と言われているのだが、現実問題として独り身でいて困る事が殆ど無いから、今日に至ってもまだ婚活もせずにいる。
 筆者は得意というわけではないが、とりあえず料理くらいは一通り作れる。実際、筆者が交際してきた女性の殆どは、筆者よりも料理が下手だった。
 交際してきた中で筆者よりも料理が上手かった唯一の女性は、調理師の専門学校を卒業した半ばプロの料理人だった。
 そして掃除も洗濯も、今では機械がこなしてくれるから、上手いも下手も関係が無い。
 だから独り身でも別に困らないし、と言うよりむしろ下手な相手と結婚しようものなら、楽になるどころか家事の負担が増えるだけの話になってしまう。

 何しろ今は男女平等で、家事も分担するのが当たり前の世の中になっているからね。そして筆者は、男である筆者より家事が不得手な女性を数多く見てきた。
 で、彼女らはこう言うのだ。
「家事は出来る方がやればいいでしょ」
 と言うわけで、筆者が誰か女性と親しくなると、料理や洗い物などの家事を筆者がやらねばならなくなる事が少なくなかった。

 ならば女性が同等かそれ以上にお金を稼いでくれるかと言うと、そうでもなくて、日本の女性の殆どは「稼ぐのは男の義務」と考えている。
 実際、筆者が女性と交際した時には、食事や交通費や宿泊費や入場料などのデートにかかる費用の全部を筆者が負担してきた。
 そして相手の女性もそれを当然と思っていて、「割り勘で」とか、「次には私がお金を出すね」などと言ってきた女性はまずいなかった。

 いや、筆者自身もデートで割り勘というのは、どうも興醒めだと思っている。
 レジに行ったら自然にスッと男が支払う方が、どう見てもスマートだと思ってはいるよ。
 けどね、「おカネは男が払って当然、でも男女平等で同権だから家事は出来る方(つまり男)がやればいいでしょ」という姿勢を見せられちゃうと、その子との明るく楽しい結婚生活が思い描けなくなっちゃうわけデスよ。
 お金も出して生活を支え、かつ家事の大半もこなさなきゃならなくて……って、殆どATM兼用の下男じゃん。

 で、一人暮らしの経験の無い若い女性などよりずっと家事がこなせてしまう筆者は、イケメンでもお金持ちでも無いくせにあれこれえり好みをした挙げ句に、今もまだ独り身でいるわけデスが。
 そんな筆者の気持ちを、結婚からますます遠ざけてしまう記事が、二日続けて新聞に載ったのでアリマス。
 我が家で読んでいる新聞は、一応全国紙の毎日新聞だけれど。
 その毎日新聞のこの9月25日の人生相談のコーナーに、こんな相談が掲載されたのだ。

 彼との食事がつまらないんです。私が話しかけると、ちゃんと答えてくれるのですが、それ以外は黙って食べます。私は楽しく会話したいのです。先日、あまりにも黙って食べていたので、腹が立って殴ってしまいました。どうすれば彼と楽しく食事ができますか?(20代・女性)

 ……絶句シマセンカ。
 別に無視しているわけでもなく、話しかければちゃんと返事をしているんだよ? それで殴られるって、筆者など「その彼氏、よく耐えてるじゃん」と言いたくなってしまう。
 と言うよりむしろ、「それでも別れないでそんな女と付き合い続けるって、その彼氏はドMなのでは?」って気持ちが本音だね。
 筆者なら、殴られたというだけで、間違いなく別れるけれどね。

 例の人生相談を、男女を逆にして考えてみよう。

 彼女との食事がつまらないんです。僕が話しかけると、ちゃんと答えてくれるのですが、それ以外は黙って食べます。僕は楽しく会話したいのです。先日、あまりにも黙って食べていたので、腹が立って殴ってしまいました。どうすれば彼女と楽しく食事ができますか?(20代・男性)

 もしこんな相談を寄せたとしたら、相談者は非難されて叩かれまくりになるに違いない。
「どんな理由があろうと、女性を殴るなんて酷い!」
「貴方のしている事は間違いなくDVです、一度カウンセリングを受けなさい」
「ちゃんと返事をしている彼女を殴るなど、貴方は余りにも幼稚です」

 DVってのはさ、女性だけの伝家の宝刀ってわけではなくて。
「男に殴られるのは痛いけど、女になら殴られても痛くない」なんて事は、現実にはあり得ないのだ。
 女性が男を殴ったり蹴ったりする行為だって、間違いなくDVだ。
 仮にさほど痛くなかったとしても、「暴力をふるわれた」という事で心に傷は残るよ。男だから殴り返さず我慢したにしろ、「彼女に殴られた」という事で傷つかない男がいるとしたら、それは間違いなくドMという性癖の人間だ。

 しかもその相談者の女性は20代の若さで、「腹が立って殴ってしまいました」と言うのだから、甘えて軽く可愛く叩いたわけではない事は明白だ。
 にもかかわらず日本では、「男が女性に手を上げるのは絶対にしてはいけないDVで、女が男をブン殴るのは愛情表現」みたいな、誤った認識がなされている
 今は男女平等で同権なんだからさ、女性が「思い通りにならないから」と彼氏を殴るのも立派なDVでモラハラだ。

 しかしその人生相談の回答者で劇作家のわかぎゑふ氏のコメントは、いかにも今の日本の風潮通りでお気楽だ。
「あなたは彼を愛してらっしゃるのですね。食事中に会話をしたい。なのにできない。それが高じて殴ってしまうなんて、まるでフランス映画にでも出てくるようなシチュエーションじゃないですか」
 ……殴るのも愛、ってわけデスか、日本の女優で劇作家さんの見解によれば。
 でも「殴るのも愛してるから」というのが通用するのも女性限定で、男性がソレを言うと「フザケンナ、この最低のモラハラDV野郎!」と罵倒されちゃうんだよね。

 筆者自身について言えば、この相談者の女性の彼と同じで、食事中にはあまり喋らないタイプかも知れない。
 と言うのは、まず食べている食事を味わう事に集中したいので。
 一般的に男性は女性より同時に二つの事をこなすのが苦手で、相談者の彼も「食べるか喋るか、どちらかに集中したい」というタイプなのではないかという気がする。

 それと、回答者のわかぎゑふ氏も「人間というのは、食事時の態度にかなり個人差があります。(中略)食べることに関しては育った環境や好みでかなり変わります」と触れているが、筆者は食事中に喋ることそのものは否定しないけれど、口の中にまだ食物を入れたままモゴモゴ喋る人間は大っ嫌いだ。クチャラーと似たような、食べ物を咀嚼する音と一緒に喋られるのが不快でならない。
 だから筆者はそのような人には、「ものを飲み込んでから話して下さい」とお願いする。
 そしてそれでも聞き入れてもらえずに、相変わらず口の中にものを入れたまま話しかけられた場合には、無視して答えないようにしている。

 子供っぽい、と思われるかも知れない。
 だが「口の中にものを入れたまま喋らない」というのは、欧米でも常識のテーブルマナーだ。
 それを知らず、「食事は喋りながら楽しく食べるもの」と信じ込み、口の中にものを入れたままクチャクチャ喋るのは下層階級の人間のみだ。

 だから筆者は、テレビのコメンテーターが口の中にまだものがある状態でモゴモゴと味の感想を言うのが非常に気になっていて不快である。
 アレはテレビの放送時間の関係と、間を空けて視聴者にチャンネルを変えられないように急いでコメントする必要に迫られてしている事であって、「口の中にものを入れたまま喋るのは、下品でマナー違反なのだ」という事実を、ぜひご理解願いたい。

 欧米では楽しく会話しながら食事をしているからと、そしてテレビのコメンテーターもそうしているからと、口の中にものを入れながら喋るのは、本当にやめてほしいと思っている。
 欧米の中上流家庭では、口の中にものを入れたまま喋ると、その家庭の母親に「食べながら喋るなんて、忙しいこと」と窘められるという。

 思うに相談者の彼は、食事は話すよりまず味わいたいのと、それと口の中に食べ物がある状態で喋るのに抵抗があるのではないかと思う。だから話しかけられれば、飲み込んでから答える……と。
 で、相談者の女性は、口の中にまだ食べ物が入っていようが関係なく、喋りたい瞬間に喋らなければ気が済まないタイプの人で、「口の中にものを入れたまま喋らない、喋りたければ飲み込んでから」と教えられた事もないのだろうという気がする。
 そして「腹が立ったから彼を殴ってしまった」とか、決して育ちが良いようにも思えないし、筆者が回答者なら「別れなさい」と答えてしまうかな、その相談者の彼の為に。

 そしてその翌日の9月26日には、続いてこんな人生相談が寄せられていた。

 主人が内緒でアイドルグループのファンクラブに入っていることが分かりました。気持ち悪い存在になってしまい、視界に入ってくるだけで吐き気がします。子供が3人いるので離婚はしたくないですが、生理的に受け付けなくても我慢するしかないのでしょうか?(40代・女性)

 この日の回答者は作家の高橋源一郎氏で、高橋氏の実の母親が森進一の熱狂的なファンで、ファンクラブにも入っていたことを書いた上で、相談者の女性をこう優しく諭していた。
「いいじゃないですか、アイドルのファンになったって。しょせん、幻なんだから。ご主人も寂しいのかもしれません。察してあげてください。現実の人間に夢中になるよりずっとましですよ」

 相談者の女性が40代とすると、夫も同じ40代か、もしかすると50代といったところか。で、AKBとかももクロとかのファンクラブに入っていたら、確かにちょいと呆れられてしまうかも知れない。
 でもさー、「母娘揃ってジャニーズのファン」とか、いい年をしたオバハンで息子くらいの年の韓流スターのファンで韓国まで追っかけをしてる人、女性(特に主婦)にはかなりいるよね。
 もう孫と言っても良いくらいの年齢の氷川きよしの熱烈なファンのオバアチャン達だって、大勢いるよね。

 結局さ、傍から見れば同じなんだよ、AKBやももクロのファンのオジサンも、ジャニーズや韓流スターのファンのオバサンも
 なのにAKBファンのオジサンについては「気持ち悪い、視界に入るだけで吐き気がする、生理的に受け付けない」とまで叩く一方、自分たちが夢中になるジャニーズや韓流スターについては「ステキじゃない!」と居直ってはばからないのだから、女性の神経ってスゴいよね。

 それに比べて男は呆れるほど寛大だ。専業主婦の妻が娘と一緒にジャニーズや韓流スターに夢中になって追っかけまでしても、呆れ顔をしつつも許してしまってる。
「いい年して気持ち悪い、視界に入るだけで吐き気がする、生理的に受け付けない!」なんて暴言を吐いて毛嫌いしたり、まずしないものね。

 なのに「夫がAKBやももクロを好きになるのも、妻がジャニーズや韓流スターに夢中になるのと同じだよね?」という正論を言っても、女性にはまず通じないんだよね。「でも気持ち悪いものは、気持ち悪いの!」みたいな感情論だけで終わりで、冷静な話し合いすら出来ない女性がすごく多いのが現実で。
 女性はまず感情で理屈抜き。そしてその女性の感情の前には、正論は全く通用しない。これ、筆者が幾人もの女性と交際してきた長年の経験で、いやと言うほど味わってきた現実デス。

 繰り返し言うけれど、筆者は別に「結婚なんて絶対したくない!」などと思っているわけではないよ。
 ただ家事能力は一応あるから独身でも暮らしには何も困っていないし、焦って妥協してまでする必要を全く感じていないのだ。
 むしろもし不出来な妻と結婚などしてしまったら、余計な負担が増えてより不幸になるだけ……という感じで。

 そして毎日新聞に二日続けて掲載された人生相談は、そんな独身生活をこじらせかけている筆者の結婚に対する見方を、より冷ややかにさせてくれマシタ。
 食事中に喋らない彼を殴る20代女性に、アイドルのファンになった夫を「気持ち悪い、視界に入るだけで吐き気がする、生理的に受け付けない」と毛嫌いする40代の妻って……女性と共に暮らす事って、本当に息苦しくて耐える事ばかりなんだね。

 でも思うのだけれど、筆者のように家事が人並みに出来る男って、女性にとって結婚相手としてはなかなか厄介だよ。
 だって自分が一応家事が出来て一人暮らしにも困ってない分だけ、女性を選ぶ目もシビアになってくるからね。自分より稼ぎが悪い上に家事能力も劣る女性などと、誰が結婚しますか……っての。

 と言うと、女性達には「愛が無い!」って怒られるだろうけど。
 でも結婚生活ってボランティアじゃないんだからさ、「家事能力も無く低収入の妻の為に一生たくさん稼いで、家事もして尽くしてあげよう」なんて、冷静な頭があればまず思えないよ。
 貴女たち女性だって、稼ぎも無く家事能力も無い男に“愛情”だけで一生尽くしたい、なんて思わないでしょう?
 それと同じだよ、男だって。

 だから女性は、低収入でも家事能力だけは人並みに身につけておいた方が良いデスよ。
 男は家事能力だけでは結婚できないけれど、女性ならそれが可能だから。
 で、一人暮らしの経験が無くて家事が出来ない、そして大手の企業か公務員で平均よりは高収入の男をオトせば、後は安定したそれなりに良い暮らしが出来るのではないかな。

 ネットで“たおぱんぱ”という言葉を知ったけれど。
 呆れたね、世の中には母親や妻に、タオルとパジャマとパンツを出しておいて貰わないとダメな男が本当にいるのだとか。
 筆者は自分の下着や衣類の置き場所はもちろん知っているし、そもそも自分の着る下着や服は自分で選ばないと気が済まないよ。
 いい大人の男が自分の下着を母や妻に買って選んで貰うなんて、はっきり言って気持ちワルイ。

 でもね、こういう“たおぱんぱ”の男の方が、妻としては間違いなく扱いやすいよ。だってこういう男は、妻が居なければ暮らして行けなくなっちゃうからね。
 家事が苦手な男は結婚すると妻に依存して、妻が居ないと何も出来ない男になりがちだから。だから家事が不得手な男の方が、いざとなると妻に弱いね。
 で、逆に筆者のように家事が一通り出来てしまう男は、妻の言う通りにさせにくいんだよ。だって喧嘩して妻に実家に帰られてしまっても、暮らして行くのに別に何も困らないからね。

 筆者は家事は人並みに出来るし、デートでは(彼女の好みも聞くけれど)細かいプランを立てるのも運転も支払いも全部自分でやって、彼女には何もさせなかった。そして彼女の相談事にはとことん付き合って話を聞いたけれど、彼女に相談事をして弱い所を見せたりは全然しなかったなー。
 こんな筆者は、長く付き合ううちによく「あたしの居る価値ある? 全然頼ってくれないし、いなくても良いみたい」と言われたよ。
 それで現在でも独身でいるわけだけれど、本当に難しいデスね、女性と付き合うのって。

 これまでいろいろ恋愛をしてきて思うのだけれど、男は容姿も収入も平均に達しているのだけれど弱い所や少し危なっかしい所があって、女性に「あたしがついていて支えてあげなくちゃ」と思わせるタイプが一番楽に結婚しているような気がする。
 そうわかったからと言って、今さら自分のキャラを変えて、そういう隙のある男を演じるつもりはないけれどね。

 結婚したくないわけではないけれど一応の家事能力はある筆者としては、結婚については今まで通り、焦らず成り行きに任せ、「良い人が居たら考えるけれど、ずっと独身でも構わない」という姿勢で遠そうと思ってイマス。
 周囲の現状を見ていると、結婚にあまり夢を抱けないんデスね、実際。
 安倍首相がいくら出生率を上げようと旗を振ろうと、そして福山雅治が結婚しようと、素直に「お国の為に結婚して子供を作りましょう」とは思えない筆者は、非国民なんでしょうかねえ。

PageTop