空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

幼なじみ⑮・超ご都合主義で清々しいほどおバカに徹したゲーム

 さて、チラっと名前を出した『ホワイト・プリンセス・ザ・セカンド』だけど、ネットのゲームレビューではこれも低評価で散々に叩かれているんだよね。その代表的なものを要約すれば、「声優陣だけムダに豪華で、中身はボロボロ」って感じかな。
 
 ……ワカるよ。同じ低評価でも『インタールード』とはまるで違って、『ホワイト・プリンセス・ザ・セカンド』の方は黒沢も弁護出来ないほどのダメっぷり、って感じだもの。
 このゲーム、まずサブタイトルから常識ハズレで、「やっぱり一途にいってもそうじゃなくてもOKなご都合主義学園恋愛アドベンチャー!!」だよ?
 このゲームの何がご都合主義かって、まず何と言っても「フタマタOK!」ってトコ。サブタイトルにある「一途にいってもそうじゃなくても」ってのは、ズバリそーゆーコトなんだよね。
 と言うより、正確には「一人だけを攻略するのも可だけれど、基本はやっぱりフタマタ」ってくらいなんだな、コレが。

 例えば出てきた九人のヒロインの中では、「ボーイッシュでさばさばとした性格で姐御肌」という華岡・アレクサンド・柚那さんが、黒沢的にど真ん中のストライク・ゾーンだったんだ。だから真っ先にその柚那さんを攻めまくったんだけど、コレが良いムードになってもなかなか落ちないんだよ。
 って言うか、『ホワイト・プリンセス・ザ・セカンド』は基本的に一緒にお昼を食べたり一緒に帰ったりして目当ての子の友好度&好感度を上げて行くシステムで、けど柚那さんに限らず一人の子だけを一途に追い続けていると、その子がナゼか途中から姿を見せなくなっちゃって、その子に関する選択肢まで無くなっちゃうんだよね。
 だから柚那さん攻略を目指した初回、柚那さんだけを追い続けた結果“柚那さん”という選択肢が無くなっちゃって、黒沢は仕方なく二番目に「良いな」と思ってた子(←成長後のカナコちゃんに似た、幼なじみの望月真心さん)と一緒に帰ったんだよ。

 あ、ちなみにこのゲーム、目当てのヒロインが出て来なくなっちゃった時に「一人で帰る」という選択肢はナイから。
 そしたらさー、何か知らないけどあれよあれよと言う間に、その次点という感じの望月真心さんとのハッピー・エンディングになっちゃって。
 つまりそこが「基本はフタマタ」って部分なんだよね。『ホワイト・プリンセス・ザ・セカンド』のサブタイトルの「やっぱり一途にいってもそうじゃなくても……」で言う“一途”っていうのはさ、「ただひたすら意中のAさんを追いかける」のではなくて、「AさんとBさんのフタマタで行って、最後の最後にどちらか一人を選ぶ」って意味なのさ。

 って言うかこのゲーム、「Aさんを攻略するには、Bさんともそれなりに仲良くなっておかなきゃ絶対ダメ」ってケースが幾つもあり過ぎるんだよね。だからフタマタはかけなきゃフラグも立たなくて、しかもその「フタマタの相手は誰でもOK」ってワケでもないから話がややこしいんだよね。。
 そのかけるべきフタマタの相手は、冒頭から始まる長い回想シーンを参考にすれば、何となくわかるんだけど。でもそれだけでは完全クリアは不可能で、ノーヒントの意外な組み合わせも幾つもあったりしてね。さらに例のフタマタ進行でなくても、一人だけを一途に追いかけてもオトせる子も少数ながら居たりするから、話はますます厄介になっちゃう。

 黒沢が初回のプレイで躓いちゃったのは、柚那さんとセットになってる女の子が、黒沢の一番苦手なタイプだったんだよ。で、その子を選択肢で避けまくっちゃった結果、いつの間にか柚那さんまで出て来なくなっちゃってさ。
 そしてその後に仕方なく一緒に行動した子が、問題の「フタマタ進行でなくてもOK」って子だったんで、あれよあれよと言う間に……というワケ。

 こうやって話してて、自分でも「何が何だかよくわかんねーよ!」って喚きたくなっちゃったよ。けどそこを何とか整理して言えば、まあこういうコト。
 まずエンディングには、最後にどちらか一人を選ぶものと、結局誰も選べないままのものがありマス。
 そして九人のヒロインは、次の四つのタイプがありマス。

 ①一途にその子だけを追いかけるしかない子。
 ②一途に追いかけても、フタマタで進めてもOKな子。
 ③途中までフタマタで進めなければ、絶対に攻略不可の子。
 ④フタマタのエンディングしか無い子。 

 そんなこんなで、いろんなフタマタをかけたりかけなかったりで、エンディングは何と十五通りもあるのだよ。攻略ガイドかネットの攻略サイトでも頼らなければ、完全クリアはまず無理なんじゃないかな。
 黒沢も十五のエンディングのうち、十四までは何とか自力でたどりついたけれど。残る一つだけはギブアップして、ネット上の攻略サイトに頼っちゃったよ。

 ……ハッキリ言って、この『ホワイト・プリンセス・ザ・セカンド』が低評価でクソゲーと言われても仕方ないと思う。プレイしていて、黒沢も「ありえねー、ワケわからん!」って頭を何度抱えたかわからないよ。
 ギャルゲーにはさ、大雑把に言って二通りあって。まず不思議な力や奇跡とかも出てくる、ファンタジー色のあるものと。そしてそうした非現実的なものを排除して、あえてフタマタや三角関係などドロドロした人間関係もあるリアルな恋愛を描いたものと。
 その前者の代表的なのがKeyの名作『kanon』など、後者がKIDの『メモリーズ・オフ』シリーズと言ったところかな。

 また余談になっちゃうけど、鍵っ子ことKey作品の信者とKID系の支持者の間で、端から見ていて不毛な罵倒のし合いがネット上でされてたりしたんだよね。
 ま、「鍵っ子とメモオフのファンって、全然気が合わねーだろーなー」ってのは、そのどちらのゲームもプレイ済みの黒沢にもよくわかるけど。
 何て言うのかな、Key作品の信者とメモオフなどのKIDの“修羅場ゲーム”が好きの人は、性格から人生観や恋愛観まで全然違うような気がする。ただ個人の好みの違い……というだけではなくてね。
 ぶっちゃけ言ってしまうと、黒沢はKeyの『Air』はそれなりに楽しめたし、メインヒロインの“観鈴ちん”も可愛いと思ったけど、結論としてはメモオフの方が好きなKID系寄りの人間だよ。

 で、開発・発売共にKIDの『ホワイト・プリンセス・ザ・セカンド』だけど、もちろん不思議な力も奇跡も出て来ない上に、主人公は平気でフタマタ恋愛もしちゃうし。けど他のメモオフ・シリーズなどと違って、ナゼか修羅場にはならず丸く収まっちゃうんだよね。
 フタマタかけようがミマタだろうが、エンディングはそれこそもう「みんなシアワセに暮らしましたとさ」って感じで。
 この『ホワイト・プリンセス・ザ・セカンド』、制作はリアルで容赦ない展開と修羅場でおなじみのKIDだけど、どう見てもまともな恋愛モノじゃ無くて異質なんだよね。
「主人公はイタいくらいおバカなのにモテモテ」な上に、「恋愛をフタマタで進めながら、ナゼか相手の女の子達に恨まれない」というあたり、もはやKey作品とは別の意味で「奇跡と不思議な力に溢れた、男子限定のファンタジー」って感じだよ。

 にもかかわらずこの『ホワイト・プリンセス・ザ・セカンド』、黒沢は不思議なくらい楽しめちゃったよ。リアルな展開を求めてて、「修羅場もドーンと来い!」ってヤツの筈なのにね。
 だってのゲーム、あまりにもバカ過ぎなんだもの。設定からイタ過ぎる主人公の色々な発言まで、本当にもう何から何までおバカでさ。

 いくらファンタジー色がウリのゲームでもさ、そのフィクションの部分には、それなりのリアリティーを持たせようとするよね。例えば不思議な力にしても、「何故そのような力を持つことになったのか?」みたいな説明も付け加えて。
 その説明が実際にユーザーを納得させられるかどうかは別として、少なくとも説明する努力、嘘を嘘に見せない努力はしているよね。
 でもこの『ホワイト・プリンセス・ザ・セカンド』は、そーゆー嘘にリアリティーを持たせる努力を一切放棄している感じがするんだよ。もう「ただモテてハーレム気分を味わえれば、それでいーじゃん」みたいな感じのノリで。

 このゲームの制作者たち、もう完全に開き直っちゃってるから。「リアリティーって何ソレ、おいしいの?」って感じで。それでサブタイトルにも、「一途にいってもそうじゃなくてもOKなご都合主義学園恋愛アドベンチャー」なんて掲げちゃってね。
 で、「この主人公は何故こんなにモテるワケ?」とか「フタマタをかけられた女の子達が、何故みな許して受け入れちゃうの?」みたいな、現実には絶対あり得ない部分についての説明も完全スルーでさ。
「いーんだもん、だってご都合主義なゲームなんだからさ」ってね。
 ここまで居直られて中身もバカに徹されちゃうと、もう腹も立たないし笑うしかねーな……って感じになっちゃて。

 だから決して真面目にやっちゃダメなんだよね、このゲームは。ただ何か辛い事があったり気持ちが疲れている時に、とにかく頭の中を空っぽにするにはとても向いていると思う。
 何しろメモオフのような鬱になりそうな重い要素は全然無いし、Key作品のように暗に涙と感動を求められる事もないからね。

 ゲームに興味の無い人達は、ただギャルゲーって言うだけでバカにするけれど。でも生きる意味とか家族の絆や友情の大切さとか、恋愛以外のことについても大いに語っちゃってるギャルゲー、意外に少なくないんだよね。
 けどこの『ホワイト・プリンセス・ザ・セカンド』は、ホントにただお気楽で能天気な恋愛しか描いてないんだよ。「ストーリーや設定にリアリティーを少しでも持たせよう」なんて努力は、スッパリ一切放棄してね。
 ハイ、コレは本当に極めて軽いノリの、清々しいまでにおバカに徹したゲームなのでアリマス。

 そうそう、ネットのレビューで「ムダに豪華」と叩かれているキャストについて、参考までに紹介しておくね。
 新谷良子、能登麻美子、清水香里、佐藤利奈、田村ゆかり、小清水亜美、斎藤千和、植田佳奈、清水愛
 どうかな、声優さんやアニメに詳しくない人でも、一人や二人くらい名前に聞き覚えがあるだろうし、詳しい人なら「スゴい!」って目を見張っちゃうのではないかな。
 何しろ上記のようにツッコミどころ満載の、クソゲーと紙一重のギャルゲーだから、決して積極的におススメは出来ないけれど。ただ中古ゲームショップの店頭で見る価格も、せいぜい夏目漱石一枚前後だし、この豪華な声優さん達の声の競演を聞くだけでも、買ってみる価値はあると思うな。

 さて、生徒会のお仕事で再び距離が縮まったかのように見えた、黒沢とカナコちゃんのその後についてだけど。
 マンガやドラマにあるような進展等は、ハッキリ言って何もありませんデシタ。
 押しつけられた生徒会の仕事が終わると、それ以前と全く同じ、言葉を交わすことすら無い関係に戻っちゃったよ。

 前にも話したように黒沢の中学は一学年九クラスで、全校の生徒数も千二百人を越えるマンモス校だったから。そして黒沢は一年の時は八組で、二年と三年の時には九組でさ。
 一つの階に九クラスも入れられる校舎なんて、実際まず無いじゃん? それで黒沢のクラスはいつも、同じ学年の他のクラスとは違う階か、ヒドい時には別の校舎に入れられちゃってたんだよね。
 だから同じ学年でも他のクラスのヤツらとは殆ど没交渉で、部活や委員会が一緒でもない限り、顔も合わせる機会も無いんだよ。
 それにカナコちゃんとは通学路も真反対だったから、「登下校中に、偶然一緒になって」なんてイベントも起こり得なかったし。

 ……いや、実はそんなのは、全部言い訳でしかないんだよね。
 だって本当に「また前みたいに仲良くなりたい!」と思ってたなら、自分から会いに行けば良かっただけの話だもの。クラスが離れていようが通学路が反対だろうが、同じ中学の同じ学年なんだよ?
 幼なじみでよく一緒に遊んだ昔のことを、いろいろ喋った中でカナコちゃんがまるで触れなかったのは事実だよ。けどそれを言うなら黒沢だって、昔の事なんか覚えてない……って顔をしていたし。

 言葉にも素振りにも出さずに、ただ心の中で「幼なじみだった事、カナコちゃんは覚えてくれているかな?」って思ってて。そして「そう言えば昔、よく一緒に遊んだよね?」って、カナコちゃんの方から切り出してくれるのをずっと待ってた。
 ま、ズバリ言ってしまえば、黒沢がヘタレでチキンなだけだったんだけどね。
 ただムスカ大佐かチビヒトラーって感じの悪役キャラだった当時の黒沢にとって、カナコちゃんの屈託ない態度と明るい笑顔は太陽より眩しかったんだよ。
 太陽って明るくて暖かいけれど、近寄り過ぎると焼け死んじゃうでしょ? ちょうどそんな感じだったんだよ、カナコちゃんって。

 中学生になった後も、学年が上がる毎に黒沢の心は荒む一方でさ。中二病でナマイキで、同じ学年のDQN系のヤツらには、「いつかボコってやる」みたいに憎まれてたし。
 そのくせナゼか一部のDQNには一目置かれてて、一緒にツルんで遊んだりもしていて、真面目な優等生とはかけ離れた存在だったんだよね。
 とは言っても、もちろん他人サマに害を及ぼすような犯罪行為はしてないよ。けど校則なんか頭から無視してたし、「DQN系のヤツらとは険悪なのに、どこか繋がりもある」みたいな、まあそんな感じ。

 そんな黒沢にとって、外見も心もよりキレイになっていたカナコちゃんは、何か本当にもう遠くから眺めるだけの別世界の人……って感覚で、恋愛感情とかとても持てなかったんだよ。
 それに黒沢はその頃、恋人も友情も何もかも失って人間不信になってしまうような、鬱ゲー顔負けの泥沼の恋愛をしていたから。実際その恋愛のせいで、黒沢のその後の人生まで変わってしまったと思う。
 だから再会したカナコちゃんとのことは、本当にもう一時の清涼剤でしか無かったんだよね。

 大袈裟ではなく地獄を見たその泥沼の恋愛のコトも、またいつか語りたいと思ってる。この駄文を読んでくれている若いキミたちが、同じようなイタい目に遭わないように……って。
 ただその時の事は、思い出すだけで今でも痛くて苦しくて、冷静に振り返って語る自信が無いんだよ。だから次回の予告は、今の気分としてまだ出来ないでいるんだ。
 で、次回の記事がもしイタい(読み手にとってはメシウマな?)中学時代の失恋話ではなく、能天気なバカ話に終始していたら、「逃げたな、このチキンめ!」と笑ってやってくれタマエよ。

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幼なじみ⑭・カナコちゃんとの微妙な距離

 ところが三年生になって、あるコトをきっかけに黒沢と元幼なじみのカナコちゃんの距離が、いきなり近くなっちゃってさ。
 勉強も出来て音楽のセンスもあって、しかも人望もあるカナコちゃんは、当時生徒会の役員をしていたんだよ。で、その生徒会の先生に臨時の仕事を押しつけられて、黒沢もお手伝いみたいな形で、柄にもなく生徒会の端っこに加わることになっちゃってさ。

 生徒会室って、どこの学校でも狭いよね。その狭い部屋で、七年ぶりにカナコちゃんと間近に顔を合わせた時には、本当にもうドキドキしたよ。
 と言うより、正確に言えば怖かった。

 黒沢ってさ、良い所もダメな部分も全部開けっ広げだったから。黒沢が「謙譲の美徳」なんてモノを身につけるのは、二十歳をかなり過ぎてからのことで、当時は空気もまるで読まずに言いたいことは平気で言って、自分の意見は譲らないようなヤツだったから、周りの皆には「自信家で威張った、イヤなヤツ」って思われていたよ。
 だって何しろ“厨二病のムスカ大佐”だし。
 けど同時に、ダメな部分も隠さないでバカもやってたから、少なくとも同じクラスの人間は「アイツ、案外アホだし笑えるヤツだよ」みたいなコトも知ってたし、だから黒沢の厨二病的なイタい部分も大目に見られてたワケ。

 でもそれはクラスの中だけの話で、よそのクラスの連中に見えるのはムスカ大佐みたいな黒い部分だけだからさ。だから他のクラスのヤツらには、黒沢はかなりキラわれてたと思う。
 何しろ黒沢は、中学生の分際でかの総統閣下の『我が闘争』を読み耽って、「人を支配し政治を動かす方法」を真剣に考えていたような、とってもイタい子だったからね。
 ナチスから世の中を動かす術を学ばなきゃ……って、当時の黒沢ってあのアソーさんレベルのイタさだよね。

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 だから「人なんて、どうせ皆バカばかり」って思ってたし、その“バカたち”に何て思われようが、別に気にもしてなかったよ。
 ただ昔よく一緒に遊んで大好きだったカナコちゃんにイヤな目で見られるのだけは、ホントに心から怖かったんだ。

 けど狭い生徒会室で久しぶりに会った時、カナコちゃんは曇り一つない笑顔を黒沢に向けてくれてさ。その後はもう一気に打ち解けて仲良くなって、何年も会わずにいたブランクをまるで感じさせないくらい、本当にいろいろ喋ったよ。

 先生から押しつけられて、断り切れずに嫌々始めた生徒会の仕事だったけど。カナコちゃんの笑顔を見たら、授業の後に生徒会室に行くのが、もう何よりの楽しみになっちゃってさ。
 ……中学生の男子って、どうしようもなくバカだからね。可愛い女の子に笑顔で頼まれでもしたら、マジで火の中、水の中にだって飛び込んでしまうんじゃないかと思うよ。

 厨二病でアイタタなオレ様男の黒沢だったけど、そこは可愛い女の子の為なら、例え火の中、水の中でも飛び込みかねないアホな男子の一人でありまして。
 生徒会室では、黒沢とカナコちゃんは会議用の机を挟んでいつも向かい合わせに座って、ずっと喋ってばかりだったよ。もちろん仕事の話もあったけれど、大半は他愛もない雑談ばかり……って感じで。
 ただカナコちゃんは笑顔で喋りながらも手は休めないで、いろいろ書き物をしたり表を作ったりしていてさ。この時代にはPCなんてモノはまだ一般には出回って無くて、学校でも記録や資料は全部手書きだったんだよ。

 でさ、黒沢の中学の女子の制服って、今や少数派になりつつあるセーラー服で。
 わかる人にはわかると思うけど、セーラー服って少し屈んだだけでも胸元がかなり覗けちゃうんだよ。
 小さい頃は背が高かったカナコちゃんだけれど、再会した彼女の身長は、それほど高い方ではなくなってたよ。女子の平均よりちょっと高いかナ、といった感じで。
 ただ背が伸びる代わりに、何と言ったら良いか、女の子らしい方面で局部的に成長していてさ。
 だから向かい合わせに座る黒沢の目は、少し屈んで書き物をする胸元にもう釘付けになっちゃって。

 カナコちゃんって、何しろ生まれつき色素が薄い人だから。チラリと見える胸元なんか、それはもう抜けるような白さなんだよ。そしてその大きな白桃のような豊かな胸を包むブラも、レース付きの大人用って感じで。
 今の黒沢ならさ、小娘の胸元ごときに何とも思ったりしないけど。でも当時はいくら偉そうにしていても、ただの田舎のチェリーな中学生だったからね。もう頭はクラクラで夢心地で、魂が体から抜け出て天国まで飛んでっちゃってさ。

 ただね、笑顔を絶やさずどんなに仲良く喋ってくれても、カナコちゃんは昔のことには一切触れなくてさ。
 話すことと言えば「クラスでこんなコトがあって」みたいな、いつも“今”の事ばかりなんだよね。
「そう言えば、よく一緒に遊んだよねー」とか「前に住んでた家の辺りとか、今どうなってる?」とか、マキちゃんは昔を懐かしむようなことを手紙にしばしば書いて来てさ。けどそういった昔の思い出を辿るような話は、カナコちゃんはホントに全くしなかった。

 生徒会室で何年ぶりかで言葉を交わした時、カナコちゃんは黒沢の顔も名前もちゃんと知ってたし、すぐに前みたいに打ち解けて喋ってくれてさ。
 だから「昔すごく仲良くしてた、幼なじみのあの子だ」って、カナコちゃんだって絶対わかっていた筈なんだ。
 そしてカナコちゃんが何故“今”の話しかしないのか、黒沢にも何となくわかるような気がしたよ。
 ズバリ「昔は昔で、今は今」ってコトだよ。

 今のカナコちゃんにとって、再会した黒沢は「一緒に仕事を進める仲間A」でしか無いんだな……って、言外の空気で何か微妙に感じちゃってさ。
 だから黒沢もあえて自分から幼なじみだった昔のことまで持ち出して、カナコちゃんとの距離を縮めようとはしなかった。
 少なくともカナコちゃんは、タカギさんのように露骨にイヤな顔して「あたし、昔こんなヤツと仲良かったんだよね」とか言ったりしなかった。そして学校ではムスカ大佐みたいな存在だった黒沢にも、仲間として何のこだわり無くいつも笑顔で接してくれた。
 黒沢としては、ただそれだけで十分……って感じでさ。
 生徒会で再会後の二人の空気をギャルゲーで例えてみれば、まあ「友好度は高めで、けど恋愛フラグはまるで立っていない状況」って感じかな。

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幼なじみ⑬・日本人ってマジで怖いデス

 えーと、今回は幼なじみについて話していた筈だよね。それが脱線を重ねまくってこんな長話になってしまって、自分でも呆れておりマス。
 この際、呆れついでに付け加えてしまうけれど、黒沢の幼なじみって、実はもう一人いたんだ。
 黒沢の保育所の頃の幼なじみがタカギさんとチカちゃんで、そしてマキちゃんと仲良くなったのは、正確には小学三年生の時のクラス替えで一緒になってからで。
 そのタカギさんとマキちゃんの間に、カナコちゃんって子がいたんだよ。幼なじみについて書き終わりかけた今頃になって、その子のことをようやく思い出してさ。
 と言うワケで、幼なじみについて語り始めたこの章、まだ終わらなくなってしまいまシタ。

 小学校に入って、保育所の頃に仲が良かったナカハシさんやチカちゃんとは、どちらとも違うクラスになってしまってさ。でも黒沢はすぐに、カナコちゃんって子と仲良くなって、遊ぶ時はいつも一緒だった気がする。
 それも学校の休み時間だけじゃなくて、一緒に下校してその後も一緒に遊んだりしたよ。

 そのカナコちゃんは身長は高い方なのだけれど大人しい子で、男子と一緒になって遊ぶというより、いつも黒沢や他の友達の後について来る……という感じでさ。
 あと、カナコちゃんは生まれつき色素の薄い子で、髪は天然の栗色だし、肌はもうすっごく白いんだよ。何しろ小学一年生だし、当時の黒沢は男だの女だのなんて殆ど何も意識して無かったけど、「可愛い子だな」ってのは、すごく感じていたよ。

 カナコちゃんみたいな天然の栗色の髪の子を、黒沢は身近で見てたから。そして一時期はプロの写真家を目指して、何人もの女の子を撮ったりもしていたからさ。だから染めた茶髪や金髪って、黒沢はどうしてもキレイと思えないし好きになれないんだ。
 髪を染める人達って、よく「白人の真似をしているんじゃない、これはファッションだ」って言うよね。だったらナゼ、その時にしたいファッションに応じて、ピンクとかブルーとかにも染めたりしないの……って思っちゃうよ。
 染めるのは茶系か金だけって、どう言い繕ったって白人の真似でしかないじゃん?
 それが多くの人達のフツーの感覚で常識なんだろうけどさ。でも「髪をピンクやブルーに染めるのはオタクのコスプレで恥ずかしくて、茶色や金に染めるのはファッションでカッコいい」っての、黒沢はどうにも納得が出来ないのだよ。
 それにさ、カナコちゃんがそうだったように、生まれついて茶髪の人って、肌の色もすごく白いんだよ。と言うか、「髪の色は肌の色より濃い」っての、人種を問わず人間のキホンなんだよね。肌の色より髪の色の方が明るいのは、まずお年を召した白髪の方だけだから。

 断っておくけれど、黒沢は「髪を染めちゃダメ」って言ってるワケじゃないよ。ただ黄色人種で特に色白でもない人が髪を茶や金に染めると、肌の色をくすませて、肌をより汚く見せる……って事は、頭に置いておいてほしいよ。
 黄色の肌に茶や金の髪って、どう見たってキレイと思えないデス、黒沢には。特に「肌も髪も茶色」ってヘンな感じだし、日焼けした肌に金髪とかホントに不自然だと思うよ。

 ま、今は黒髪も復活しつつあるようだけれど、少し前までは髪を染めずにいると「何で染めないんだよ、ダッセーな、黒い髪は重いダロ」みたいな空気があったじゃん? その時代のこと、黒沢は忘れてないからね。
 日本人ってさ、「多数派=正しい=イバる権利がある」みたいな感覚の人、すごく多いよね。髪だって、茶髪が流行るとすぐ「染めるのが常識で、黒髪のままなのはダサい」って空気になっちゃう
 そういう時、日本って国では決して「茶髪にするもしないも、個人の考え次第」って風にはならないんだよね。そして茶髪が多数派になると、茶髪の人達は染めない人を見下し始めて、世の中全体が「アナタは何で染めないの? オクレてるねー」って空気になってさ。
 で、それに対して染めない人が茶髪にする人に反論するのは許されなくて、「染めてるヒト=みんなに対するヒドい侮辱」ってコトになっちゃう
 日本のそういう個の無い(あるいは個の存在が許されない)全体主義的な部分、黒沢は大嫌いなんだよ。例の「空気を読め」とかいう風潮も、ハッキリ言って大嫌いだから。

 日本人って、ホントに“個”が存在しない民族だからね。大日本帝国の時代には「日本人サイコー、鬼畜米英!」なんて言ってたくせに、戦争に負けてアメリカさんが来てチョコレートを投げ与えられると、コロっとアメリカ大好きになっちゃう
 でさ、負けるまでは神がかりの超右翼だったくせに、一度負けたら皆で左翼になっちゃう
 黒沢が小さな頃にどんな教育を受けて来たか、ゆとり世代や今の“若いの”達には想像もできないだろうね。
 その一番笑える話、黒沢の小さい頃の『世界大百科辞典』には、当たり前のように「北朝鮮は社会主義体制のもとで工業化された進んだ国で、南の韓国は独裁体制の遅れた農業国です」って載ってたんだよ。いやギャグでも北朝鮮の辞典にそう書いてあったのでもなく、日本のエラい学者先生たちはマジでそう信じてたんだよ。

 今の若い衆には、とても信じられないだろうけど。ちょっと前の時代には、日本の学者や教師の九割までがサヨクだったんだよ。それに文化人(←特に良識派とかリベラルとか言われるヤツら)もほぼサヨクで、マスコミもそうした綺麗事と嘘で厚化粧した左翼思想をタレ流していたんだよ。

 センソーはアメリカと資本主義が起こすもので、共産主義の国は絶対にセンソーを仕掛けません。
 憲法九条があるからこそ、平和が守れるのです。どんな国の指導者にも理性は必ずあって、話せば必ずわかり合えますし戦争も避けられます。
 だからまず「戦争はイヤだ!」と叫ぶことが一番大事で、自衛隊は憲法違反だから廃止すべきです。
 汚職や不正が起きるのは資本主義体制だからで、社会主義や共産主義の国には腐敗はありません。
 資本主義体制はいずれ崩壊して社会主義が勝利し、全世界が共産主義になるのが歴史の必然でありマス。

 ……これが黒沢が子供の頃の日本の、少なくとも学者先生や文化人たちの“常識”だったんだよ。
 繰り返すけどギャグでも小説の中の話でもなくて、コレがちょっと前までの日本の姿だったのだよ。
 だから「アホか、戦争ハンタイって叫べば戦争が無くなるんだったら、病気になったら病気ハンタイって叫べば病気も治るわ。何のアヤしい宗教だよ? 悪いヤツは世の中に間違いなくいるし、国を守りたければ憲法九条も改正してちゃんと軍隊持つのが当然だろうが」なんて毒を吐いてた黒沢なんか、そりゃあもう大変だったデスよ。
「コチコチの右翼」って言われて、周囲の“頭が良くて良識的な人たち”からはもうヒトラー並みの扱いで叩かれまくってたからね。

 でも同じ「コチコチの右翼」でも、黒沢は何でヒトラー扱いで、日本の右翼と一緒にはされなかったか……って?
 それは黒沢が宗教も精神主義も大嫌いで、神の存在も奇跡も認めてないからだよ。天皇を現人神さまと本気で信じてる人の気持ちなどとても理解できないし、「根性と愛国心さえあれば、竹槍で戦車に勝てチャウし神風も吹くのだ!」とか信じてるヤツらは、反戦平和の妄想サヨク以上にキラいでさ。

 ヒトラーとナチは間違いなく“キチ”だったけど、それでも前線の兵士達には竹槍と精神論でなく、世界最強のティーガー重戦車とか世界初のジェット戦闘機とか、とてつもない新兵器を届けたからね。
 確かに前線に送ったその超強力な戦車の数は足りなかったけど、少なくともパンツァーファウストっていうスグレモノの対戦車ロケットも量産したしね。「爆弾抱えて敵戦車に体当たりせい!」とか、アルカイダやタリバンの自爆テロ顔負けの命令を平気で下す我が帝国の大本営とはワケが違うのだよ。

 特攻とかバンザイ突撃とかさ、「戦後の日本を支える筈だった貴重な若者たちを、ただ死に追いやるようなアホな作戦指揮をした」という一点だけでも、黒沢は旧日本軍の大本営の将軍どもはA級戦犯として死刑にして当然と思うゾ。
 こう言うと必ず、「命をかけてお国を守った英霊をブジョクするのか!」って怒り出す人達が居るんだよね。その種の理性よりも感情で動く人達の為に、面倒だけどあらかじめ言っておくね。
 黒沢が「アホだし死ぬべき」って言ってるのは、前線で死んだ兵士ではなく、ずっと後方の本土の安全な大本営で命令を出した将官どものことだから。そこを混同して、くれぐれも誤解しないで下サイませよ。

 話が何だか脱線しまくりだけれど、大切な事だと思うから、もう少し話させてほしい。
 かのゼロ戦だけでなく、彗星とか天山とか紫電改とか五式戦とか、旧日本軍の飛行機には名機がいろいろあるんだけれど、アメリカ兵にはその日本語の呼び名は解りにくいじゃん? だからアメリカ軍は日本軍の飛行機に、ジークだのフランクだのとアメリカ的な別名をつけて識別していたのだ。
 で、大戦末期に造られた日本軍の桜花って飛行機に、アメリカ軍はこんな別名をつけたワケよ。
 BAKA
 ビー・エー・ケー・エー、意味は文字通り“バカ”だよ。

 その桜花ってのは、特攻専用に開発された飛行機でさ、ゼロ戦やその他の旧型機を「都合により特攻に転用する」のとはわけが違うんだ。だからアメリカ軍は、その桜花にあえて日本語でバカという名を付けたワケ。
 でさ、戦後それを知った旧日本軍の航空機の設計製造に関わった人が、そのネーミングに激怒したんだよ。「祖国の為に命を散らした特攻隊員をブジョクするとは何事ダ!」ってさ。
 ……ホント心底BAKAだよね、その日本軍の飛行機の元設計製造関係者。

 だってアメリカ軍がバカと名付けたのは「乗るパイロットを死なせることを前提として造られた飛行機」の事であって、どう解釈しても「それに乗せられた特攻隊員」のことじゃないじゃん? 日本語すらまともに解らないなんて、「何てBAKAなの?」って呆れちゃうよ。
 って言うかさ、パイロットに死を強要する飛行機をBAKAと名付けるなんて、黒沢は「そのものズバリで言い得て妙じゃん」と思わず頷いちゃったくらいだよ。むしろ「軍用機の設計に関係した技術者なら、特攻専用機など開発した当時の日本と自分らをこそ恥じろよ」って言いたいね、黒沢は。

 いいかい、国の為に命を賭けること」と「国の為に死ねと強要すること」は、似ているようで全然別なんだよ。たとえ僅かでも生還する可能性があるのと、絶対に生きて還って来られないとわかっているのでは、その意味が全く違うから。
 ナチスドイツ軍は確かに邪悪だった、けど決して弱くも臆病でも無かったよね。多くの戦争映画などでも見る通り、ドイツ軍と言えば悪役の定番で、お約束で最後は結局負けるのだけど、その負ける時まで憎たらしいほど強いよね。
 その鬼のようなナチスドイツ軍の将軍たちでさえ、戦争中に「カミカゼのように死を強要するような真似をしたら、兵らの志気が一気に落ちる」と言っていたんだよ。骨になるまで戦え!」がモットーの、命知らずな戦いぶりで味方にまで恐れられた武装親衛隊でさえ、特攻やバンザイ突撃のような真似は一切しなかったんだ。

 大戦末期の絶望的な状況の東部戦線で、自国の避難民を守るために、多くのドイツ兵が最前線に踏みとどまって戦ったよ。けど彼らはそこで死ぬつもりだったのではなく、同胞を守って逃がしつつ、自らも生きて還る僅かな可能性に賭けていたのだよ。
 一九四五年の四月末に、ベルリンを包囲したロシア軍は二百万で、包囲されたドイツ軍は僅か五万。それでもドイツ軍は戦って、ヒトラーが死んだ後も多くの兵たちが、避難民の先頭に立って包囲を突破しようとしたんだよ。
 ただ死ぬ為に戦うことはそんなに美しくて、自国民の為だけでなく自分も「生きる」為に命を賭けて戦うことは、それよりずっと劣ることなのかな? 黒沢には、どうしてもそうは思えないんだ。
 極限状態の中ではね、実は“死ぬこと”より“生き抜くこと”の方が難しいんだよ。
 だから「かの特攻専用機の名前はBAKAでOK」って、黒沢はやっぱりそう思うよ。

 最近、ゆとり世代が何だかやたらに叩かれてるような気がするよ。うん、ゆとり教育のあの中身の薄さは、黒沢も確かに問題だとは思う。
 けどさー、ゆとり世代なんて可愛いもんだよ? だってただ「モノを知らない」ってだけで、別に社会に害は与えてないじゃん。 全くとは言わないけれど、そんなには……ね。
 日本の学者がサヨクで、マスコミも文化人も殆どサヨクかその親派だった時代に、黒沢は子供時代を過ごしたからさ。だからサヨクに対する不信感みたいなモノが、黒沢の骨の髄まで染み込んでるんだよね。
 そんな黒沢が心から憎んで嫌ってるのが、全共闘世代ってヤツらデス。

 実は旧ソ連など共産圏の反米工作の一端だったのにさ、それにノセられて学生運動なんておバカで傍迷惑なコトをしでかしちゃってさ。主張は反戦平和、でもやる事はゲバ棒振り回して投石して暴れて……って、矛盾し過ぎてて笑っちゃうよ。
 国家や警察やキドータイはみんな悪で、でも自分たちの暴力は正義だとか、「オマイら、大学生にもなってまだ厨二病かよ?」って感じでさ。
 でも全共闘の時代には、その厨二病的な学生運動に加わらないまともな学生の方が、「意識の低いヤツ」とバカにされていたんだよね。

 若気の至りだか昔の厨二病だか知らないけれど、世の中を動かすなんて妄想抱いてゲバ棒振り回して暴れて、でもその結果ロクな就職も出来ずに、社会から半ばドロップアウトしてるなら、まだ許せるんだよ。
 いくらサヨクと学生に甘い時代でもさ、学生運動の幹部とかになって逮捕とかもされちゃうと、やはり就職にはかなり支障が出てきちゃうワケ。で、仕方なく映画の世界に入ったり物書きになったり、サヨクと反戦平和の看板を、自然保護に書き換えて市民運動家になったりしてる人、けっこう多いよ。
 さる有名なアニメの監督なんかも、実はその学生運動でまともな就職が出来ずに……という一人らしいよ。その某監督のアニメって、意識して見れば学生運動していた全共闘世代っぽい臭いが何となくわかると思う。北海道在住の、某有名脚本家などもそのクチだしね。
 でもいいんだよ、そういう人達は曲がりなりにも、「自分の生き方を貫いた」とも言えるから。黒沢が許せないと思うのは、運動に加わりながら筋を曲げた、その他大勢の学生だよ。

 全共闘の全盛時代にサヨクにかぶれて暴れた大学生たちの殆どは、その後どうしたと思う?
 自分の卒業が目の前にチラつくと、ヒッピー風のロン毛を切ってヒゲも剃り、リクルート・スーツに着替えて就職したんだよ。少し前まで自分たちがあれだけ罵倒してた、「資本主義のテサキで、労働者を搾取している」大企業にね?
 かつての学生運動の闘士たちは、卒業後はそのまま「二十四時間、戦えますか?」のモーレツ企業戦士になりましたとさ、というコトだよ。
 わかるかい? どんな立派な主義主張やスローガンも、現実に“生きる”ってことの前ではゴミクズ同然なんだよ。
サバイバルは常にイデオロギーに優先する」ってのは、元英国特殊部隊の隊員で作家のアンディ・マグナブ氏の言葉だけれど、現実ってホントそういうモノだから。
 だったらさあ、ヘンな思想にかぶれてエラそうな事なんか言わなきゃいいのに。
 サヨクの学生運動の闘士が、「オレももう若くないからナ」とか言って、昨日の敵(国家や企業)に土下座してその家来になるなんてカッコ悪すぎだろ。って言うか、まず人として醜すぎだって。

 黒沢自身は、全共闘よりずっと後の世代だよ。けど進学した先が史学科だったこともあって、大学の学科の中にはサヨク的な空気もまだかなり残っててさ、情緒的な反戦平和を叫ぶような連中がハバを利かせてたよ。
 歴史は戦争で動いてきた一面もあるし、歴史を語るには、当然戦争についても触れねばならなくなるワケ。だから科の学生たちの演習でも、日本の軍部とか太平洋戦争とか天皇の戦争責任とか、政治的にヒジョーにデリケートな面についても突っ込んで討論し合うことになるし、右と左の思想のぶつかり合いがどうしても避けられないんだよね。
 だから憲法九条改正派で、「道理の通じない狂犬みたいなヤツは間違いなく居るし、噛みつく狂犬にはまず棍棒が要るだろーが」って考える黒沢は、学内でもやっぱりコチコチの右翼扱いでさ。

 うん、大学には黒沢以外にも右翼の学生はいたよ。でも大学の右翼の学生って、黒沢のキライな精神主義むき出しで脳筋そのものの体育会系のヤツら(←テニサーとかのチャラいのじゃなくて、主に武道系の……)ばっかりでさ。
 だから黒沢は、大学ではいつも一人で周りのサヨクのヤツらと激論を交わしてたよ。
 陰で「オレも黒沢の言う通りだと思う」って言ってくれる人は、実は何人か居たよ。けど声の大きいサヨクたちの前では、みな黙っちゃうんだよね。

 黒沢といつも激論になったサヨクの学生の一人に、あの龍馬の県から来たサカモト君(仮名)ってヤツがいて。そのサカモト君は親が高校教師で、しかもバリバリの共産党員でしかも組合の活動家なんだよ。で、サカモト君は共産主義の思想に、幼い頃から洗脳されていた……ってワケ。
 サカモト君との論争では、いつも黒沢が現実の例を挙げて、サカモト君の共産党のスローガンの受け売りを論破していたけれど。でもサカモト君は、自分が間違っていたとは絶対に言わなかったよ。
 反論できなくなる度に、サカモト君はいつもこう言うんだよね。「黒沢はクチが巧いから言い負かされただけで、本当はオレの方が正しいんだ」って。

 やがて黒沢たちも大学四年生になって、就職先が決まらずに焦るヤツは当時も少なくなかったけれど、そのサカモト君は最初から余裕シャクシャクだったんだよね。
オヤジが組合の上の方に居るからさぁ、オレは県の教員にコネでもう内定してんだよ
 今の社会の悪と矛盾はすべて資本主義のせいで、共産主義になれば汚職も不正も無くなる。大学の四年間、ずっとそう言い続けてたサカモト君の“現実”がコレだよ。

 黒沢の学科には、原爆を落とされた県から来たヤマシタ君(仮名)って人もいてね。彼は親戚に被爆者の方がいて、そのせいか彼もまたサヨクで熱心な反戦平和思想の持ち主だったよ。
 サカモト君と違って、ヤマシタ君は黒沢と論争しようとはまるでしなかった。けど黒沢が「侵略戦争はいけないが、国を守る為の軍事力は絶対に必要だ」みたいな意見を言う度に、周囲にもハッキリ聞こえる大きな溜息をついて、さも「呆れたヤツだ」と言いたげに首を振りながら、あからさまな軽蔑の眼差しを黒沢に向けてきたよ。
 まともな論争は一度もしない、でも軽蔑の気持ちを態度で見せる……って、このヤマシタ君、どれだけ論破されても決して負けを認めないサカモト君よりむしろタチが悪いかも。
 そのサヨクで反戦平和のヤマシタ君がさ、どこに就職したと思う?
 サラ金だよ、サラ金。それも誰でも名前を知ってるような大手の、後に創業者の会長がタイーホされちゃうようなタチの悪いトコ。
 だから黒沢は「サヨクのリベラル系の人たち」は全く信じないし、耳障りの良いキレイ事ばかり言って世間から「いい人」と思われてる人には、何かこう腹の底から沸き上がって来るような生理的な嫌悪感があるんだ。

 全共闘世代のオヤジたちってさ、結局はサカモト君やヤマシタ君と同類なんだよね。親の仕送りに頼れる学生時代には、夢みたいな理想論を振りかざして「世の中を変える!」みたいなコトを抜かして暴れて、でも目の前に餌をぶら下げられるとコロっと変わる
 それでもさ、生きる為にそれまで悪口言いまくってた資本主義のテサキの企業に就職したとしても、「いやー、あの頃のオレはガキでバカだったよ。現実が全然わかってないくせにエラソーなことばかり言って、今となっては恥ずかしい」って反省していれば、まだ許せるんだけれど。
 でも全共闘世代のオヤジって、若い頃の自分のバカさをまず反省してないから。学生運動で暴れた過去を、「熱く燃えて頑張ってた俺カッケー!」って自慢話にするんだよね。そしてトドメに、お決まりのあの台詞を付け加えるワケ、「オレらの若い頃に比べて、今の若いヤツらは……」って。
 ほら、元ヤンキーのオヤジとかに、よく居るじゃん? 昔の悪行の数々を「世の中や周りの皆さんに迷惑かけてスミマセンでした」って恥じるんじゃなく武勇伝みたいに語っちゃう上に、「今の若いヤツらは」とか説教までしたがるクズが。
 学生運動で暴れた全共闘世代のオヤジどもって、ホントそのレベルの恥ずかしい人間が多いんだよ。
 いや、反戦平和だの何だのとご立派な理想を掲げて正義の味方ぶってただけ、元DQNのオヤジどもより元全共闘のオヤジの方が余計にタチ悪いかも。

 でも人間って、醜いくらいに平気で変われるんだよね。現実に仕事とカネを目の前にぶら下げられれば、「だって仕方ねーじゃん」ってコロっと変わる
 原発だってそう、仕事とカネを差し出されれば、ナゼか“安全”って意見に賛成しちゃう。で、一旦事故が起きると、「知らなかった、ダマされた」と怒り出す。
 映画でもドラマでも小説でも、「人は変われるんだ、生き方は変えられるんだ」みたいなことを訴えてる作品、けっこうあるよね。その「変われるんだ、変わらなきゃ」がテーマの物語って、ギャルゲーにさえ幾つもあるくらいだよ。
 いや、黒沢も「変わる」こと自体は悪いとは言わないよ。でも「変わる」前に、それまでの自分に対する総括と言うか、後悔と反省がまず必要でしょ?

 だってさー、例えばそれまで散々悪い事をしてきたDQNに、「好きなオンナもできたしオレももう若くねーから、そろそろ結婚してマジメになるワ」とか言って、謝罪も反省も無いままフツーの人に戻って幸せになられたら、どう思うよ? それまでいろいろ迷惑かけられてた被害者達としては、ただムカつくだけだよね。

 でも世間の人達って、元ヤンとかがホントに大好きなんだよね。テレビのドラマもそのテの話ばかりだし、何たって元ヤンが学校の先生になった……ってだけで、マジで国会議員のセンセイに選ばれチャウくらいだし。
 最初から真面目に頑張ってる人達より、元ワル(ヤンチャだった若い頃の武勇伝アリ)の方がエラくてカッケー。それがこの国の国民性なんだよ、情けないことだけれど。
 だからこそ黒沢は、反省なく変われちゃう日本人が怖いんだよ。

 一九四五年の八月十五日までは、天皇は神で日本は世界一の神の国、そして米英は鬼畜だった。けど戦争に負ければその鬼畜を卑屈な笑顔で迎えて平気でギブ・ミー・チョコレートだよ。
「ススメ、ススメ、ヘイタイ、ススメ」の空気は一転して反戦平和に変わり、自衛隊は税金ドロボウ呼ばわりされてさ。「天皇陛下バンザイ!」にとって変わった民主主義は、たちまち行き過ぎてサヨク大好きにまで突っ走っちゃう。
 今は北朝鮮が最悪な国なのは常識だけどさ、黒沢は「共産主義だから北朝鮮や中国は良い国で、韓国は独裁者が支配する悪い国」って言われてた時代を知ってるから。

 共産主義や北朝鮮の現実はどうなのかは、今はもう誰もが知っているけれど。でも少し前までサヨクを誉め讃えていた日本のおエラい知識人達って、殆ど「誰も」と言っていいほど謝ってねーんだな
 その元サヨクで当時の政府を叩きまくっていた過去については口を拭って忘れた顔をして、追求されると「仕方なかったんだ、知らなかったんだ」、あるいは「あの時代は、みんなそうだったんだ」と逃げる
 結局さ、学者センセイもマスコミ文化人も全共闘世代のオヤジも元ヤンキーも、日本人はみな同じなんだよね。昔の過ちは脳内のメモリーから全消去して、自分の都合で意見も態度もコロコロ変える
 その現実をイヤと言うほど見せられているから、ゲームでもドラマでも小説でも「変わらなきゃダメだ、変われるんだ!」って繰り返し訴えるようなものに当たってしまうと、黒沢は胸の中が何かモヤモヤして気持ちが醒めてくるよ。

 あの東日本大震災でさ、自衛隊がすごく頑張って世間の評価もウナギ登りだよね。あの活躍ぶりを全国の人が知った今、自衛隊を叩こうなんて人は殆どいないよね。
 って言うか、今「憲法違反の自衛隊なんてイラネ」とか言い出したらさ、まず周りの皆からフルボッコされそうだよ。
 黒沢自身は自衛隊が税金ドロボウって叩かれてた時代から、「憲法第九条はさっさと変えて、自衛隊はキチンと日本国防軍にしろや」って言い続けて来た人間だから。
 黒沢としては当たり前の事を言っただけのつもりだったけど、おかげで当時は、危険思想に近いコチコチの右翼扱いでありマシタ。
 でもそれだけに、他の人達が今さら「居てくれて良かった、自衛隊さんアリガトウ」みたいに言い出してるのが、何か胸クソ悪いし怖いんだよ。「ホントお前ら、無反省によく“変われる”よな?」って
「だけど黒沢よ、オマエ元々自衛隊が好きだったんだから、むしろ時代がオマエに追いついて来て嬉しい筈だろ?」って言われそうだよね。
 違う。今、皆が自衛隊に感謝して好意的になっているのを見ると、当然の事だと思うのと同時に、黒沢はやっぱり「怖い」んだよ。

 こんな言葉を知っているかな。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
 例えばもし黒沢が自分の経験だけでものを考えていたら、皆が自衛隊に好意的になってる今を素直に喜んで、「ザマーミロ、自衛隊を憲法違反だの税金の無駄遣いだのとけなしてたサヨクどもめ、何とか言ってみやがれ!」とか思って図に乗ってただろうね。
 でも戦前から戦後にかけての自分が生まれる前の日本のことも、黒沢はいろんな歴史の本を読んで勉強していたから。
 黒沢が子供の頃は、知識人は殆どサヨクで警察と自衛隊はテキで、「反権力=カッコいい」ってのが当たり前だった。
 でもそのちょっと前までは天皇陛下は神で、臣民たる国民は陛下と御国の為に死ぬのが当たり前、そして男子の夢はヘイタイさんになる事だった
んだよね。

 日本人って、ホントに平気でよく変わる。少しでも戦争に疑問を持つ人を「非国民!」と罵った同じ口で「反戦平和、自衛隊は要ラナイ!」とか言うのも平気だし、学生時代はゲバ棒振り回して反権力で暴れても、卒業すれば敵だった権力側の企業に就職するのも当たり前、昔は北朝鮮や共産主義の国を褒め讃えていたのも、今はナゼか都合良く忘れチャウ
 就職が目の前に迫った時、同級生のサカモト君やヤマシタ君が、それまでの主義主張をサラリと捨てて態度をガラリと変えたけど。でもそれはサカモト君やヤマシタ君個人が腐ってたのではなくて、その節操の無いまでの変わり身の早さが、我が日本民族そのものの特性だったんだよね。
 だから黒沢は、言うことや考えを百八十度変えて恥じない日本人が怖いんだよ。
 神憑りの軍国主義からサヨクの反戦平和主義者にも平気で変われるし、だからまた平気で神憑りの軍国日本にだって戻れるに違いないんだよ。

 実際、東京も大阪も間違いなく天皇賛歌の君が代が大好きな政治家を当選させてきたし、旧帝国軍人の思考と精神をそっくりそのままお持ちのような自衛隊の元幹部T氏が、まだ一部でだけれど神のようにもてはやされてもいるよね?
 元々迷走気味だった民主党が、震災のせいでますます頼りなく見えている。だからって、原発の利権ベッタリで東電とも仲良しで、
福島原発の賠償は国民の税金負担にさせたそうな自民党にも期待できない。
 国の経済が苦境に陥っていて、既成の政党には期待できない一方、逆に自衛隊の好感度と信頼度は上がってる。この状況ってさ、二・二六事件の少し前の日本の空気とすごく似てるんだよ。
 バカバカしい……って、本当にそう思うかい? ならばこんな事態を、ちょっと想像してみてごらん。
①まず東京と大阪のカリスマ政治家が手を組んで、「この非常時に国を救うには、日本を一つにするしかない!」とか言い立てる。
②思想的にT氏に近い自衛隊員を決起させ、民主党も自民党も実力(武力)でブッ壊す。
③非常事態宣言をして、選挙によらずに「石原総理・橋下副総理兼官房長官・田母神防衛兼震災担当大臣の救国内閣」を立ち上げる。
 もしも黒沢の書いたこの最悪のシナリオ通りに未来が動いたとしたら、バンザイと叫んで「石原総理の救国内閣」を熱烈に歓迎する国民、少なからずいるのではないかな。

 今も昔も、黒沢は思想的には殆ど変わってないつもりだよ。憲法九条は改正して自衛隊は正式に軍にすべきだと思うし、警察も増強して治安も改善させるべきだと思う。「死刑もあって良し」と思うし、日本の法律と裁判は犯罪者に甘過ぎるとも思う。
 ただ精神論や宗教は真っ平御免で、理念や大義などよりまず事実を見て、問題は現実論で解決に導きたいと思ってる。
 だからまず精神論の旧日本帝国軍も、現人神サマを頂点としたある種の宗教国家じみた大日本帝国も、どちらもどうにも肌に合わないのだよ。
 宗教心が無いからか、誰かを神サマみたいに信じてついて行きたいとは思わないし、カリスマ指導者など「百害あって一利なし」と思う。って言うか、生きている同じ人間の誰かを神サマと崇めて盲信しチャウ人って、黒沢には理解不能だし、何かキモチ悪いって思うよ。

 国旗はもっと尊重されて良いと思うし、アメリカのように教室に飾っても良いと思う。けれど黒沢は字が読めるし、言葉の意味だって解るから、君が代は絶対に歌う気になれないんだ。
 と言うより、元々意味も成り立ちもまるで違う日の丸と君が代を、なぜ皆が一緒に考えてセットで扱うのかも理解できないし。
 日の丸の旗は大いに振るけど、君が代は絶対に歌わない
 こんな黒沢は、昔はコチコチの右翼と言われ、今はサヨクと見なされてマス
 ブレてるのは黒沢じゃなく、日本の社会の方なんだよね。日本人が右から左へ、そしてまた右へと大きく振り子のようにブレているのが、ずっと変わらないでいる黒沢にはとてもよく見えるんだよ。
 ……世の中の動きを、これからもよく見ていてごらん。人々が民主党にも自民党にも絶望したら、橋下徹や石原慎太郎に近いカリスマ指導者が「救国内閣」を組織して、日本を戦前に近い独裁政治に戻すから。

 話は戻って、大人しくて可愛かった幼なじみのカナコちゃんだけど、残念ながら小学校の二年に進級する時に転校して居なくなっちゃったんだよね。
 学校帰りにそのまま遊びに行った時、カナコちゃんの家は小さめの借家だったし、後から考えるとマイホームを建てて引っ越したんだろうと思う。「成長する子供の為に頑張って家を建てる」みたいな親、今もけっこう多いよね。
 小学三年生になる時のクラス替えで一緒になって仲良くなったマキちゃんも、それで中学に上がる時に引っ越しちゃうんだけど。
 ただマキちゃんが引っ越した時は、お互いもう小さな子供じゃ無かったからね。相手の住所もちゃんとわかっていたし、その後も手紙で絶えず連絡を取り合ったよ。
 でもカナコちゃんが引っ越したのは、小学二年生になる直前だったもの、手紙なんか書けないし、そもそも住所も電話番号も知らなったし。

 考えてみると、低学年の小学生のセカイってすごく狭いよね。友達と言えば、同じクラスの家も近くて通学路が一緒……ってヤツらばかりでさ。学校の後で遊ぶ時も、いつもの広場に行くか、相手の家まで直に誘いに行くかで。
 だから小学校低学年のガキんちょにとっては、転校なんかされちゃったら、「外国に行っちゃいました」ってのと同じようなものだったんだよね。
 カナコちゃんが居なくなって、もちろん悲しかったし寂しかったけど。ただコドモの自分にはどうしようもない事だし、ただその現実を受け入れるしか無かったよ。
 それに次の年には、黒沢はマキちゃんと仲良くなっちゃったしね。時が経ち新しい友達が出来れば、寂しさも次第に薄れるものだし、カナコちゃんの記憶もいつしか殆ど消えていたよ。
 その新しい幼なじみのマキちゃんも、やがて違う町に引っ越して行っちゃうんだけど。日本がどんどん豊かになって、町も広がり、郊外の空き地や田圃に次々にマイホームを建てて……って、そういう時代だったんだよ。

 ところがそのカナコちゃんと、何と中学で一緒になってさ。
 と言っても別に、私立の中学とかをお受験したワケじゃないよ。
 東京や大阪などと違って、黒沢が居たような中途半端な田舎では、中学は地元の公立に行くのが当たり前だったから。中学受験なんてするのは、本当にごく一部のお坊っちゃまとお嬢さまくらいでさ。
 黒沢が上がった市立U中には、黒沢が通っていたA小と隣のE小の、二つの小学校の生徒が行くことになっていて。
 小二になる時に居なくなってしまったカナコちゃんの転校先って、実は隣のそのE小だったんだよね。
 だから中学でまた一緒になるのは、必然と言えば必然だったんだけど。ただその時になるまで、カナコちゃんがどこに引っ越したのかさえ知らなくて。
 転校って言うと、ついすごく遠くに言っちゃうようにイメージしちゃうじゃん。それが同じ市内の、それもそう遠くない町に居たなんて、まるで思ってなかったよ。

 何しろ天然の茶髪だし、カナコちゃんのことは遠くからもすぐにわかったよ。
 でも黒沢は、そのカナコちゃんに気付かないフリをして、声すらかけなかった。
 と言うより、正確には「声もかけられなかった」んだよ。
 相変わらずと言うより、カナコちゃんは以前の記憶よりずっと可愛くなってたよ。肌は抜けるように白いし、例の栗色の髪は、陽に照らされると実った麦の穂のように金色に輝いて……って感じでさ。
 そしてそれだけじゃなくて、雰囲気も別人みたいに変わってた。

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 プレステ2のギャルゲーに『ホワイト・プリンセス・ザ・セカンド』ってのがあって、コレにはヒロインに幼なじみが二人も出てくるんだよ。それにさらに、かつて一緒に遊んで仲良くしていた従妹まで加わるのだから、ある意味「幼なじみ祭りかよ?」って感じもあったりして。
 で、その幼なじみのうち、新川透子は「背は高いけれど内気で、知らない男の子に話しかけられる涙目になるほど」って感じで、もう一方の望月真心は正反対で「人なつっこくて天真爛漫で、クラスのムードメーカー」ってタイプなんだ。

 でさ、黒沢のイメージに残っていた転校する前のカナコちゃんを新川透子とすれば、中学で再会したカナコちゃんは望月真心そのもの……って感じだったよ。別人と言ったら大袈裟だけれど、ホントにそのくらい雰囲気が変わってた。
 中学生になったカナコちゃんはメチャ可愛くて、そしていつも皆に囲まれて笑っていてさ。その新しいクラスの中でも、まるで太陽みたいに輝いていたよ。
 それに対して黒沢は、人間不信になるような事がいろいろあってヒネくれて、周囲の評判も落ちて行く一方でさ。
 何しろその頃の黒沢と言えば、『天空の城ラピュタ』のムスカ大佐を、そのままガキにしたようなヤツだったから。
 だから人の輪の中で太陽みたいに輝いてるカナコちゃんが、とても眩し過ぎてさ。ムスカ大佐みたいにねじけきった黒沢なんかが、闇のセカイの中からのこのこ這い出して近寄る気になど、とてもなれなかったんだよ。
 庭の大きな石をひっくり返すと、暗がりに棲んでいた虫が日の光から一散に逃げて行くような……まあ、ちょうどそんな感じデス。

 それに黒沢たちが通ったU中学って、いわゆるマンモス校だったから。
 まず黒沢が居たA小が一学年六学級で、そこにカナコちゃんの転校先のE小の生徒らが加わって、一学年に九クラスもあったんだよ。
 そしてカナコちゃんは三組で黒沢は八組で、教室のある校舎の階だって違ったからね。わざと避けようとなんかしなくても、顔を合わせる機会なんて殆ど無くてさ。
 その後の二年生になる時のクラス替えでも、カナコちゃんは一組で黒沢は九組と、更に遠くに離れちゃったよ。そしてそれを残念に思う気持ちすら無かったくらい、その頃にはまるで“他人”になってたよ。

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幼なじみ⑫・まだしつこく『インタールード』を薦めマス

 新品でも中古でも、ゲームソフトは店頭ではたいていジャンル別に並べられているけれど。RPGだのアドベンチャーだの、格ゲーだのって具合にね。
 でさ、広い意味でギャルゲーと思われているゲームって、そのどこに分類されてるか、意外に様々なんだよね。
 
 例えば『ときめきメモリアル』や『センチメンタル・グラフティ』なんかは、ジャンルで言えば正確には『信長の野望』や『大戦略』なんかと同じシミュレーション・ゲームなワケで。
 でもプレステの“やるドラ”で一気に広まった、テキストを読みながら行動を選択肢で選んで進めて行くゲームは、アドベンチャーに分類されるんだよね。
 そのアドベンチャー系のノベルゲームと、『信長の野望』や『大戦略』で戦力や収入を上げるのと同じように、学力だの容姿だのの数値を上げながら好感度アップを狙うシミュレーション系のゲームは、同じギャルゲーでもテイストはかなり違うし、とても一緒にはできないよ。

 それに作中に占める恋愛要素の割合も、ゲームによってかなり差があってさ。
 映画だって「恋愛要素もある冒険活劇」とほぼ恋愛だけの「ラブロマンス映画」を、恋愛モノとして一括りには出来ないよね。
 それと同じように可愛いヒロインが出て来るゲームにも、彼女とただ両想いになるのだけが目的のものから、いろいろ事件が起きて、その過程で結果的に両想いになるものまで、いろいろあるわけデス。
 だからその辺りのコトを解っているゲームショップは、恋愛シミュレーションと恋愛アドベンチャーをキッチリ分けているんだよね。さらにホラーやミステリーの要素が高めなものは、一般のアドベンチャーのコーナーに並べていることも少なくないよ。

 でも作品の中の恋愛要素の割合など、数値で表せるものではないからね。だから同じゲームが、ショップによって“恋愛アドベンチャー”のコーナーに置かれていたり、普通の“アドベンチャー”のコーナーに置かれていたりするのも、よくある話でさ。
 で、その辺りの分類を面倒に思うショップは、恋愛要素が少しでもあってジャケ絵も可愛い女の子のゲームは、ファンタジー系のロープレからホラーまで全部一緒くたにして“美少女ゲーム”なんて小っ恥ずかしいコーナーにひとまとめにしてあったりするし。
 で、『インタールード』も恋愛アドベンチャー、一般のアドベンチャー、そして例の“美少女ゲーム”と、ショップによって置かれているコーナーが笑っちゃうくらい違うんだよ。

 黒沢の私見では、『インタールード』は恋愛メインの美少女ゲームではなく、一般のアドベンチャーゲームとして売られるべきだったと思うんだ。立ち位置としては『白中探検部』や『アカイイト』などと同じところで、「結果として恋愛要素もあるけれど、メインテーマはもっと別のところにある」って感じだし。
 繰り返し話してきたように、『インタールード』に出て来るヒロイン達はみなそれぞれ“難アリ”だし、萌えを期待してプレイすると絶対ガッカリするよ。でも恋愛要素は話の彩りくらいのつもりでストーリーを追いかけていれば、夢と現実の境界がわからなくなってくる感覚に、グイグイ引き込まれて行くと思うのだけどな。それにこのゲーム、グラフィックと音楽のレベルもかなり高いし。
 シナリオも絵もBGMも、同時代の他の多くのギャルゲーと比べてもかなりハイレベルなのだけど。ただ萌え要素の低さとストーリーの難解さゆえに、ネットのレビューでは不当に叩かれてるんだよね、この『インタールード』って。

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 でもそのおかげで、中古ゲーム店ではかなり安く手に入るから。この『インタールード』、黒沢はキズを再研磨したものを某店で380円で見つけたよ。無キズのものでも、せいぜい600円というところかな。
 コミックスの単行本一冊買うのと、ほぼ同じ感覚で手に入れられるんだよ? 間違いなくお買い得と思うから、もし見かけたら是非お試しを……。
 萌え萌えのギャルゲーが好きで、「とにかく可愛いキャラとイチャイチャできればイイんだよ」って人には物足りな過ぎるだろうと思う。けど「異世界を冒険してみたくて、さらに恋愛要素もあればなお良し」って人には絶対おススメだよ。

 黒沢は『インタールード』の評価は低過ぎるし、ネットのゲームレビューでも不当に叩かれ過ぎだと思ってる。けど黒沢は、それも仕方のないことかも知れないとも思ってるんだ。
 例えば井筒監督の『パッチギ!』って映画があるよね。あれは、とりあえず日本人の高校生男子(少しヘタレだけどいいヤツ)と在日の美少女の恋愛モノ……ってコトになってるんだけど。
 でも恋愛映画を見たい女の子に見せたら、多分いい顔されないと思う。だって出てくるのは昔のDQNばかりで、話も大部分は日本人と在日の不良高校生同士の流血の抗争だもの。
 ま、「恋愛を通して成長して行く少年の、男の友情物語」ってところで、同じDQNの恋愛モノでも『恋空』などとはまるで別物なんだよね。
「恋愛映画」と「恋愛要素もある××映画」って、似ているようでやっぱりかなり違うものだと思う。だからネットで『インタールード』を罵倒するギャルゲーマー達のレビューを読んでも、「筋違いだな」とは思うけれど、その気持ちもある程度わかるんだ。
 もし発売元がこれをギャルゲーとしてでなく、当初から「これは恋愛要素もあるアドベンチャーです」とハッキリさせて売り出していたら。そうすればそんなゲームを求めていた層にちゃんと買われて、もっと高い評価を得られていたと思うのだけれど、どうだろうね?

 あと、『インタールード』のシナリオライターや制作者たちって、恋愛経験もちゃんとあるし、現実の女の子のこともよく知っているような気がするな。
 現実に恋愛を何度かした者がギャルゲーをやるとさ、シナリオライターや制作者サイドに「オマエは脳内恋愛しかしたコトないんだろ?」ってツッコミを入れたくなる事、よくあるんだよね。

 ツッコミその①……主人公はややバカでだらしのないネボスケで、さらに無趣味で特技もろくに無く、モテる要素など皆無に近いのに、幼なじみや妹(←血縁ナシ)から学園のアイドルまで、いろんな可愛い子に何故かモテてしまう。
 ツッコミその②……主人公は欠点だらけでダメ人間に近いのに、それを慕うヒロインは「美人で優しく家事も上手で世話好き」とあり得ないほどの完璧さ。
 ツッコミその③……二人きりになってムードが盛り上がった時の、男の台詞がまるでなってない。ヒロインは気の利いた可愛い台詞で、言葉を変えて好きスキと伝えてきているのに、主人公は「お、おう」とか「そ、それってどういう……?」とかの鈍クサい反応ばっかりだったりするんだよねぇ。しかも告白も、たいてい女の子の方からだし。 

「主人公は照れ屋なんだよ」って言うのかも知れないけどさ、せっかく女の子と良いムードになれた時に、その会話はねーよ、ヒド過ぎだってば。シナリオライター自身にデートの経験もロクになく、女の子を口説いた事もナイのが丸わかりなんだよね。
 だからかも知れないけど、プレイしていて「このゲームを作ってるヤツ、生身の女の子を知らな過ぎ」ってイライラして来るギャルゲー、ホントに幾つもあるよ。
 いや、「女のコの扱いを知らない」って言うより、「その会話や態度、人としてどうかと思うゾ?」ってレベルなんだよね。「コミュ障にしてもさ、もっと相手に気持ちをちゃんと伝える努力くらいしろや」って感じ。
 まーね、そういうゲームの例をいちいち挙げていたらまた話が長くなりそうなんで、それについても別の機会に語ろうと思っているけれど。
 でも『インタールード』のシナリオライターや制作者たちは、少なくとも「恋愛は脳内と二次オンリーのオタ君」じゃないってことは、プレイしていてよくわかるよ。

 男女にかかわらず十代ぐらいの若いうちって、後になってみると恥ずかしくなるくらい、相手に完璧を求めちゃうんだよね。自分がヘタレでダメダメなのは棚に上げて、でも相手には理想の女の子像を勝手に押しつけて、そしてちょっとした欠点に気付いただけでキライになっちゃったりして。
 ハイ、黒沢自身も身に覚えがあるし、今では深~く反省しておりマスよ。
 でもある程度長く生きて何度も躓いて、自分のダメな部分も目を背けずにちゃんと見られるようになると、周りの他の人にも優しくなれるんだよね。
 人間、誰だって欠点の一つや二つあるものだし、「悪い所があったって、良い所の方が大きければそれでOKだろ」って気付くようになるから。

 だから黒沢は、美人で優しくてモテモテなのに、あまり冴えない平凡な主人公を一途に好きでいて、見返りも求めずに尽くしてくれる」みたいなヒロインには、惚れるよりまず嘘くささを感じちゃうよ。と言うより、むしろ「このアマ、腹の中でナニ企んでるんだろ?」なんて疑っちゃうくらい。
 こーゆーコト言うと、女の子にまだ幻想を持ってる若い衆に「夢を壊すな!」って怒られちゃいそうだけど。ただ黒沢は、女の子の裏や実態を嫌と言うほど見てしまったんでね、男の願望をそのまま描いた現実離れしたヒロインを攻略しても、ただ虚しさしか感じられなくて。

 こんな黒沢だから『インタールード』のタマのポンコツぶりも、元気で悪意が無くて可愛い部分と差し引きすれば全然気にならないし、隙だらけでいろいろユルそうなダメOLの丸藤サンだって、「ま、悪い人じゃないんだけどね」と苦笑いしながら見ていられるんだ。
 現実の女の子なんて、ま、こんなモノでさ。と言うより、もしタマや丸藤サンを現実の世界に放り込んだとしたら、女の子の中では間違いなく上等な部類に入ると思うよ。
 特に丸藤サンってホントに「こーゆー女、何か実際にいそうだよな」っ感じでさ、シナリオライターやキャラを考えた人はホントにちゃんと恋もしてるし女の子もよく見てる……って部分が伝わって来るよ。
 で、逆にいかにもギャルゲー的な、タマの親友でホワンとして優しい、ゲームレビューでも人気の高い木村千佳を、あえて攻略不可のサブキャラに留めているあたりを見ても、「萌えキャラを並べただけの、ただのギャルゲーを作る気はない」っていう制作者達の志みたいなものを感じたよ。

 そうそう、例の丸藤サンを演じている声優さんだけど、かの『ときメモ』の藤崎詩織の中のヒトなんだよね。
 声優さんって、大雑把に言って「役柄によって声質までガラリと変えて、まるで違うキャラが演じられる人」と「違うキャラをやっても、ああ○○さんだなと何となくわかってしまう人」がいるような気がする。で、丸藤サンの声優さんは、どちらかと言えば後者の方みたいで……。
 意識しないでただ聞いていると、「ガードの甘いダメOL」って役柄を巧くこなしているし、何の違和感も無いんだよ。でも「藤崎詩織の中の人だ」って一度意識しちゃうともうダメで、丸藤サンに藤崎詩織の姿まで重なって見えてきちゃうんだよね。
 だから黒沢など、丸藤サンのルートは「藤崎サン、きらめき高校を出てからナニがあってこんなヒトになっちゃったの?」なんて、心の中で呟きながらプレイしてマシタ。
 昔『ときメモ』をやったことのある人、安い中古品があったら『インタールード』の丸藤泉美ルート、ぜひ試してみて下サイ。「藤崎詩織の劣化バージョン」みたいな感じで、きっと笑えると思うから。

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幼なじみ⑪・『インタールード』は誰が何と言おうと良作デス

 で、黒沢が強力にプッシュしたい作品が、これまで繰り返し名前を挙げてきた『インタールード』なんだ。

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 邯鄲の夢、って言葉があるよね。ある青年が、茶店で飯が炊けるのを居眠りしながら待つ間に、自分が官吏の試験に合格して出世して死ぬまでの一生分の夢を見てしまう……という、人生の儚さについての故事なのだけれど。
 そこまで極端ではないにしても、夢の中で過ぎた時間って、実際に寝ていた時間とは同じではないよね。「寝ていたのはほんの数時間、でも夢の中では何日も過ぎていた」なんて事、キミらも経験あるのではないかな?
『インタールード』はまさにその“邯鄲の夢”のゲーム版のようなもので、「今の自分の人生は、もしかしたら別の世界の、違う誰かが見ている夢なんじゃないか?」みたいに思わせてくれる秀作だよ。
 なのにこの『インタールード』の評価が高くないのは、キャラ萌えしにくい事に尽きると思う。

 確かに『インタールード』はまず世界観がわかりにくい上に、いろいろ説明不足だよ。主人公たちの世界を蝕む影の世界のことも、パンドラ計画とやらのことも、最後までよくわからないまま話が終わってしまうしね。だからゲームレビューでも、実際そのコトでよく叩かれてマス。
 けど説明不足で解りにくいのに人気の高いアニメやゲームって、幾つもあると思うけど。例えば『エヴァンゲリオン』とか、『水月』とか。
 実際『エヴァ』の人類補完計画だの使徒だのネルフだのゼーレだのについて、「よくわかるし、キチンと説明できる人」ってどれだけいるかな? 少なくともただテレビのアニメ見ただけでは、ホントいろいろチンプンカンプンだゾ。
 黒沢がプレイした『水月』はプレステ2版の方だけど、掛け値なしにすごく面白かった。ゲームの冒頭からその世界に引き込まれてしまって、完全クリアするまで毎晩やり続けちゃったよ。
 ただ『インタールード』と同様に、「回収されないままの伏線」とか「よく解らないまま終わった謎」って、『水月』にも幾つもあるんだよね。
 重要なキーポイントとして取り上げられている筈の隠れ里やサンカの問題は、消化不良のまま中途半端に終わってしまっているし。重要な秘密が書き残された日記があるらしい、事故で入院中の父親の机の引き出しも、最後まで鍵がかかって開かないままだし。

『水月』は個人的にもかなり好きなゲームだし、詳しくはまた別の機会に語りたいと思うけど。それでも突々きたければ突々ける重箱の隅が、『水月』には幾つもあるんだよ。
 その『水月』と較べてみて、『インタールード』の出来が劣っているとは、黒沢にはどうしても思えないんだよ。黒沢としてはむしろ、『水月』より『インタールード』の方が好きなくらいだし、より大人向きの良い作品だと思ってるんだ。
 でも二次好きの人達って、「謎を謎のまま放置してわかりにくいから」と『インタールード』は叩く一方、『水月』や『エヴァ』の謎はすんなり受け入れて絶賛するんだよね。
 その扱いの差はズバリ、ヒロインにキャラ萌えしやすい子が居るかどうかの違いなんだよ。

 例えば『エヴァンゲリオン』ならアスカやレイを見ているだけでも(少なくとも男子は)楽しいし、『水月』なら雪さんを見て「メイドさんハァハァ」とかやってられるしね。
 キャラの点では『水月』はマジでスゴいって。まずメインヒロインは黒髪色白病弱のミステリアスな美少女で、それに美人で優しいメイドさんドジな眼鏡っ子元気な幼なじみ、かてて加えておそらくJCであろう双子の美少女(ツンデレ&天然系)、さらにJSと推察されるロリっ娘まで居るんだもの。
 全方位スキ無しって言うか、ゲイと熟女好きとデ○専を除く、殆どの男子が萌えられるキャラがズラリと配置されてるんだよね。特に二次好きでなくたって、「オレ、この子好き!」って娘が必ず一人は見つかると思う。
 あ、そう言えば『エヴァ』のアスカとレイも、最初から14歳のJC……って設定だったよな。あと、地味に人気のあった委員長もね。
 まっ、ミサトさんに関しては、彼女らの倍くらい生きてるアラサー女性だけど。

 でもって『インタールード』は、そーゆーキャラ萌えできる部分が殆どねーんだなコレが。
 まず攻略できるヒロインが、たった三人しか居ないし。
 二次のセカイに縁のない人にはピンと来ないだろうけど、ギャルゲーでは主人公であるプレイヤーと恋愛関係になれるヒロイン(←いわゆる攻略対象)が、少なくとも五人はいるものでさ。ヒロインが八人だの十二人だのと、恋愛関係になれる相手がもっと居るギャルゲーも決して珍しくないしね。
 幼なじみ、姉系、妹系、天然系、ドジっ子、ツンデレ娘と、属性ごとにヒロインの数を増やして行けば、プレイヤーのストライク・ゾーンにど真ん中のコが見つかる可能性が高くなるし。そして二次好きのファン達って、萌えられるキャラさえいれば、ストーリーその他の多少の難には目をつぶって買ってくれちゃうから。
 裏を返して言えば、「攻略できる相手が少ない」ってことは、「プレイヤーの好みのキャラが見つからない危険性も高くなる」ってコトでもあるんだよね。

 で、たった三人しかいないその『インタールード』の貴重なヒロインのうち、まず一人目は例のダメダメな幼なじみのタマだし。
 そして二人目の丸藤泉美サンも美人で巨乳なお姉さんなんだけど、コレがまたタマとは違う面でいろいろ残念なお方でさ。
 端的に言えば23歳の公務員なんだけど、まず仕事はいい加減、さらに頭も弱めで、ガードもユルいときてる。と言っても悪い人じゃないし、むしろお人好しなくらいで、ビッチというほどでもないんだけど、隙があり過ぎで危なっかしいんだよね。
 もしうっかりこのヒトを嫁になどしようものなら、「グータラな専業主婦になって、いろいろワガママも言われた上に、放っておいたら浮気もされそう」って感じだよ。いろんな女の子と付き合って、痛い目にもイヤと言うほど遭ってきた黒沢の経験と直感が、そう警告してるのでアリマス。

 だからかこのダメOLの丸藤泉美サン、ゲームの中ではタマに毛嫌いされていて、「何か薄ぎたな、って感じ」と罵られてたりするし。
 タマさんは何しろ一部では“ケモノ系”とも呼ばれてるだけに、そーゆー危機に対する動物的な直感だけは鋭いんだよね。
 そして最後のメインのヒロイン和辻綾はかなりの美形(黒髪ストレート)で、タマや丸藤サンとは違って名門の女子高に通う真面目でしっかりした子なんだけど、ただ「しっかりし過ぎ」なんだよね。
 化け物が徘徊する異世界の無人の街で、女の子なのにただ一人で化け物と戦い続けているんだよ? それだけに眼光鋭く人も寄せ付けない雰囲気で、とても萌えるどころではアリマセン。
 ゲーム後半になればね、この綾サンにも可愛い部分がいろいろ見えてくるよ。でもそれまでは、本当にもうストイック過ぎて取り付くシマもない……って感じなんだ。

 で、この『インタールード』でキミが選べる恋のお相手は、結局この三人しか居ないワケで。
 ①ダメダメな幼なじみ(貧乳)。
 ②巨乳だけれどいろいろユルいお姉さん。
 ③とっても無愛想で近寄り難い女子高生。
 さあキミ、この中の誰に萌えるかね?
 だから攻略できないサブキャラの三枝睦月(素直で可愛いJC)や木村千佳(ホワンとしていて優しいタマの友達)の方が、どのヒロインよりずっと人気がある始末だよ。

 コレについてはまた別の機会を設けて語るつもりだけれど、一部のギャルゲーには“攻略順”っていう厄介な制約があったりするんだよね。
「A子も攻略可能なヒロインの一人なのだけど、まずB美を攻略して一度クリアした後でないと、どうプレイしても攻略できない」みたいな感じの……。
 その種の攻略順のあるゲームって、黒沢は基本的にどうも好きじゃないんだ。事実その攻略順のせいで、ギャルゲーマーに大人気のさるゲームを、途中で嫌になって一人も攻略しないまま放り出してしまったこともアリマス。

『インタールード』には、その攻略順っていう面倒で鬱陶しい制約はないよ。ポンコツな幼なじみでもダメダメOLでも、あるいは戦う孤高の女子高生でも、お好きな順に攻略して行けるよ。
 でもその攻略順が決められて無いことが、『インタールード』に関してだけは裏目に出ているような気がする。
 と言うのは、『インタールード』の三人のヒロインには、それぞれ分担しているセカイがあってね。で、どの順に攻略して行くかで、プレイした後の印象がガラリと変わってしまうんだ。

 ざっくり言うと、幼なじみのタマがごくフツーの日常の世界で、戦う女子高生が日常を侵食されている別世界、そしてダメダメOLの丸藤さんがその中間の世界という構成になっていて。
 ネタバレ気味の別な言い方をすれば、和辻綾の世界こそ真の世界で、タマの世界はその崩壊の危機が迫る世界で主人公が見ている夢、そしてその中間が丸藤さんの世界とも言えるかな。

 でさ、それぞれのヒロインのルートで、同じゲームとは思えないほど雰囲気が違うワケ。
 和辻綾のルートでは、謎の異世界で不気味な化け物に追われるホラーとバトルの混ざった話で。それがタマのルートだと、異世界も化け物も一切顔を出さず、ごく普通の日常を描いた学園恋愛モノのままエンディングを迎えるんだよ。
 で、その中間の丸藤さんのルートは、異世界や化け物が時々顔を出すし、杉浦という怪しげな男も出て来るし、丸藤さんの勤務先の役所でパンドラ計画という謎のプロジェクトが推進されている事も知るワケ。でもこの丸藤さんとのグッドエンドを迎えても、謎は謎のまままるで解明されないで残っちゃうんだよね。

 結局この『インタールード』の世界の魅力を完全に味わい尽くすには、キャラの好き嫌いに拘わらず、「タマ→丸藤さん→和辻綾」の順で攻略して行かなきゃダメなんだ。
 そうすれば「まずタマのルートで日常の他愛もないけれど楽しい学園生活を味わい、丸藤サンのルートでその平凡で当たり前な日々の暮らしを脅かすものがあることに気づき、そして和辻綾のルートでパンドラ計画の意味と、目の前の現実がいかに危うくて脆いものかを知る」って感じに話が進んで行くんだよね。

 百歩譲って「丸藤サン→タマ」という順で進めて行っても、まあそれほど支障はないと思う。けど和辻綾ルートの攻略は、絶対に最後まで残しておかなきゃダメだから。
 なぜなら和辻綾のルートで、不気味な異世界を見てパンドラ計画の全貌(と言うより半貌?)も知ってしまった後で、タマと他愛なくかつ楽しい学園生活を送っても、ただ虚しいだけになっちゃうから。そして丸藤サンのルートで中途半端な謎をチラつかされても、「答えをもう知ってる謎を、今さら出されたってね……」って感じでさ。
 とにかくこの『インタールード』は、どのヒロインのルートからでも話を進められるシステムになっているに拘わらず、和辻綾ルートの攻略をラストに持って行かないと、後がすごくガッカリになってしまうんだよ。で、「何だよこのクソゲー、金返せコラ!」って感じになっちゃう。

 でも逆に言えば、「タマ→丸藤さん→和辻綾」って攻略順で行きさえすれば、現実が異世界に侵食されて行く恐怖、夢と現実の境界がわからなくなる恐さをたっぷり味わえて、「すっごい良作じゃん!」って思えるんだけどなー。 ストーリーに多少の無理や謎のままの部分があろうが構わないと言うか、むしろその未消化でよくわからない部分が、『エヴァンゲリオン』と同じで「雰囲気を盛り上げている」みたいなくらいでね。
 個人的には、黒沢は『エヴァ』や『水月』よりこの『インタールード』の方が好きだし、より熱中できたくらいだよ。
 今でも評価の高い『水月』は、黒沢も間違いなく熱中できる良作ゲームだと思う。ただ完全クリアした後は、また改めてやってみようという気にはあまりならなかった。
 でも『インタールード』の方は、完全クリアした後も繰り返しプレイしているよ。お気に入りの大好きな本を、何度も読み返すようにね。

 黒沢がそう思うのは、多分黒沢が二次キャラしか愛せない人ではなく、現実の恋愛を何度かしてきているからだと思う。
 って言うか、この『インタールード』そのものが、二次元のキャラに萌えたいオタには向いてないんだよね。
 まずヒロインの数が普通のギャルゲーの約半分で、その貴重な三人のうち“幼なじみ”担当のタマはかなりのポンコツでダメダメでさ。
 そして“お姉さん”担当の丸藤サンは、タマの言葉を借りれば「薄ぎたな……って感じ」だし。この丸藤サンの人物造形そのものは、他のギャルゲーのキャラよりずっとリアルなんだけどね。

 ジャケ絵から見てもストーリー的にも、メインヒロインは残る和辻綾だと思うけど。
 無口で無愛想な美少女の和辻綾に、ギャルゲーや萌え系のマンガやラノベに慣れた人の多くは、多分ツンデレを期待しちゃうんじゃないかと思う。
 けどね、和辻綾はいわゆるツンデレとはちょっと違うんだよ。
 まず“ツン”の部分も、テンプレ的な「好きの裏返し」でも「お嬢サマ育ちゆえの高慢」でもなく、ただ「異世界の中で、ただ一人戦っている」って置かれた状況のせいだし。本来の性格としては、むしろ良家のしっかりした女の子だよ。
 そしてラスト近くになっての“デレ”の部分も、ずっと一人で頑張ってきた子がやっと理解して受け入れてくれたパートナーにめぐり逢えた時の、心の底から自然にこみ上げてきた嬉しさで、萌えのデレとはやはり違うんだ。

 けどゲームでもマンガでもラノベでも、キャラで売ってる作品って、人物造形がマンガ的に誇張されてパターン化されてるじゃん。非オタが醒めた目で見れば「こんな女の子いるワケねーだろ、馬鹿みてぇ」みたいなね。
 だからそのテンプレ的にカリカチュアされたツンデレを求める二次好きのオタ達は、和辻綾にすら萌えられないと思う。
 で、ストーリー的にも謎のままで終わる未消化な部分もあるものだから、「何コレ、ワケのわからんクソゲーじゃん」と。
 それにキャラの絵自体がリアル系で、キレイなんだけど萌え系の絵とはちょっと違うしね。

 って言うか、この『インタールード』はまずストーリーに重きを置いた作品なんだよね。だから作品の世界に浸るよりただ萌えを極めたい人には全然向かないし、そういう人達にボコボコに叩かれているんだと思う。
 誤解して欲しくないけれど、黒沢は『エヴァンゲリオン』や『水月』を「オタ向けの萌えキャラ作品」とディスるつもりは全然ないよ。
 だって『水月』は完全クリアするまで毎晩やり続けたし、『エヴァ』もテレビ放送分は全話見て録画もバッチリしたしね。さらにアスカはただ好きという以上に個人的にかなり感情移入しちゃったし、『水月』の雪さんや双子の姉の方などもすごく好きだよ。
 ただ黒沢個人の価値観として、『インタールード』の方がそれ以上に好きだし出来も良いと思う、ってだけの話デス。

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幼なじみ⑩・女の子に呼び捨てはダメ!

 幾人もの女性とお付き合いはしたものの、黒沢は結局イイ年になった今も独身でいて、現実の女性には少なからぬ失望と幻滅を抱いていてさ。その点では黒沢も、二次のセカイを愛するオタク達と同じようなものだと思う。
 ただそれに至るまでの過程が、「彼女いない歴=実年齢」の魔法使いwや魔法使い予備軍のヒト達とはかなり違うんだよ。
 例えば「戦争はイヤだ!」って言うにしても、本で知識をかじっただけの若造がそう言うのと、過酷な戦場で実際に戦ってきた元兵士が言うのでは、その意味がまるで違うでしょ?

 ざっくり言えばさ、ギャルゲーマーの多くは、実際の戦場に出たこともなく、戦記モノの本を読んだり戦争映画を見ただけで、戦争をわかったつもりになっちゃってるマニアみたいなもので。
 そして黒沢は、実際に恋愛の戦場に志願兵として自ら出て、時には良い目も見たけれど、結果としてはボッコボコにされて戻って来た敗軍の老兵なんだよ。
 で、その敗残の老兵からすればさ、「それは実際とは全然違うゾ!」とか「美化し過ぎで笑っちまうね」とかツッコミたい部分がテンコ盛りなんだよね、多くのギャルゲーって。

 いや、まだ恋愛や女の子に夢を抱いてる、人として男として発展途上の若い層を狙って、意図的に甘口なテイストに作るのは理解できるんだよ。現実に恋愛経験もあって女性という生き物についてもそれなりにわかってて、その上で対象を考えてあえて“若向き”にライトに作る……ってのはね。
 でもさ、「制作者ドモ、オマエら恋愛経験マジで無いし、オンナも知らないダロ?」って思えちゃうようなシナリオやキャラ設定には、何かすごくハラが立っちゃうんだよねー。
 詳しくはまた別の機会に話すけど、例えば「女の子って、男に呼び捨てにされたがるものだ」みたいな主人公の台詞が、ごく当たり前のコトとしてスラッと出て来るようなクソゲーとか。
 学校でもモテモテの美少女が、特に取り柄もない平凡な(と言うより、ネボスケでヘタレでだらしないダメ人間の)主人公にメイドさんのように尽くしまくって、挙げ句に「呼び捨てにされたい」とか、リアル感がなさ過ぎて「アホとちゃうかー!」と叫びたくなっちゃうよ。

 男女同権の名を借りた昨今の“女尊男卑”には、実はかなりアタマに来てる黒沢だけどさ。
 それでも「女は男に尽くしたい生き物で、呼び捨てにされると嬉しい」とか、どう考えても人として対等に見て無いじゃん。
 ソレがギャルゲーマーの、理想の恋愛&女性像なのかも知れないけど。でも本当にそうなのだとしたら、「夢は寝ている時にだけ見ろ!」って言いたいね。
 アキバのメイドさんだって、お店という場で少なからぬおカネを払ってるからこそ、愛想良くお仕えしてくれるんであってさ。

 ギャルゲーの中にも下手な小説以上に感動できる良い作品があることも知っているし、ただ「ギャルゲーだから」って馬鹿にして欲しくないと思ってる黒沢だけど。
 実際、「恋愛経験のある大人でも充分に楽しめる、良いギャルゲーだっていっぱいあるコトを知ってほしい」って思ったのも、このブログを書き始めた大きな理由の一つだし。
 けどね。「こんなのやって喜んでるなんて、ギャルゲーする奴ってホント馬鹿じゃね?」と笑われても仕方のないような、クソみたいなギャルゲーが数多くあることも、確かに事実なんだよね。

 両手の指の数以上の女の子と付き合ってきた者としてハッキリ言うけれど、「あたしを呼び捨てにして」って望んだコ、マジでたった一人しかいなかったゾ。しかもその子は、同時に黒沢のことも呼び捨てにし始めたし。
 ちなみにその子は、黒沢より幾つも年下だったんだけどな。うん、それでも黒沢を「いつきぃ~」って呼び捨てにしてたよ。

 相手を呼び捨てにするのは、親しみの証拠。そう思う人達が一定数存在するのは事実だよ。
 けどもし本当にそう思うなら、相手にも自分を呼び捨てにさせなきゃおかしいよね? 黒沢に呼び捨てにされたがった例の年下の子には、黒沢も呼び捨てにされても許したように。
 けどおかしなコトに、多くのギャルゲーではそうではないんだな。
 主人公は彼女を当たり前のように呼び捨てにして、彼女の方もそれを喜んでる。けど彼女は相変わらず、主人公を「××クン」とか「○○さん」って呼び続けてる……ってのが、ギャルゲーの世界では何か当たり前になっちゃってるんだよ。
 これって、絶対おかしいよね?
 呼び捨ては親しさの現れで、女の子は男に呼び捨てにされたい。でも女が男を呼び捨てにするのは、女のくせに失礼でナマイキ……みたいなの。
「俺はオマエを呼び捨てにするけど、女のオマエは○○さんと呼べ」とか、いったい何様だっての
 ……まあ、一部のオトコにとってはそれが、「男を立てる」ってコトらしいけどさ。そう考えてみるとホント下らないよね、「男を立てる」って。

「彼女いない歴=実年齢」のギャルゲーマーのロマンwは脇に置いておいて、現実の話をしようか。
 例の主人公がしたり顔で「女の子って、男に呼び捨てにされたがるよね」とほざいたクソゲーの話と違って、彼氏に呼び捨てにされたい女の人、実際にはかなり少ないから。
 彼氏に呼び捨てにされて喜ぶのは、「ワタシは貴男のモノよ」って感覚に浸りたい、マゾ的な傾向のある女の子だけなんだ。
 自分ってものがちゃんとあって、彼氏ができても自分らしく生きたい女の人は、呼び捨てにされるのを嫌うよ。
 って言うか、基本的に女の人には、呼び捨てって不評だよ。特にプライドの高い女の人は、気安く「オイ、○○!」とか呼び捨てにされると、気を悪くすると言うか傷ついちゃうよ。
「アナタ何様? ワタシを所有物(モノ)扱いするつもり?」って。

 そりゃあ昔の女の人は、「ワタシは貴男のモノ」で呼び捨てにされて当たり前と思ってただろうけど。
 でも今は、家夫長制度の大日本帝国憲法の時代じゃないんだよ? 男女同権の民主主義の世の中で、モノ扱いされたくない自分のある女の人も大勢いるんだから。
 彼氏にも呼び捨てにされるのに抵抗がある女子が意外に多いのは、実際に黒沢が体験してきた事実だから。男を立ててくれる無料奉仕のメイドさんみたいな女の子を求める、ギャルゲーマー達の願望はどうあれ……ね。

 だって今は、親でさえ子供を呼び捨てにしてない家が少なくないでしょ? 自分の子供も「○○ちゃん」みたいに呼んでさ。
 だからそんな家で育った子からしたら、男に彼氏面されていきなり呼び捨てにされたら、「親にも呼び捨てにされたコト無いのに!」って傷ついちゃうワケで。
 実は黒沢も子供を呼び捨てにしない家で育って、だから人を呼び捨てにかることにも、「呼び捨ては親しさの証拠」って感覚にも、今もかなり抵抗あるんだ。何しろ「呼び捨てと親しさに、関係はまるでない」って、育つ過程で実際に体験してるんでね。
 だから彼女を呼び捨てにして良いかどうかは、実は意外にデリケートな問題を抱えてるんだ。
 ちゃんと自分があってプライドも高そうな子もそうだけど、その子の親が呼び捨てにして育ててない場合も、「オレの彼女なんだから」と気安く呼び捨てにしない方が利口だね。

 でも多くのギャルゲーでは、主人公に当たり前のようにヒロイン達を呼び捨てにさせてるんだよね。まるで「女は呼び捨てで当然」と、頭から信じ込んでるみたいに。
 で、ヒロイン達は相変わらず、男である主人公を呼び捨てにはせず「○○クン」か「××さん」と呼んでさ。
 そうしたゲームに出くわす度に、黒沢はシナリオライターに「オメーは恋愛を脳内でしかしたコトのないキモオタだろ、恋愛モノを書くなら、まずは生身の女とリアルな恋愛の二度や三度はしてみろや」って毒づいちゃうよ。
 まあね、それがギャルゲー好きのオタ君たちの願望なのかも知れないけれど。でもキミら、好きな可愛い彼女を何でそんなに呼び捨てにしたいかね?
 少なくとも黒沢は、大切な相手だからこそ呼び捨てでなく愛称等で呼びたいと思うよ。たとえ相手の女の子が年下でもね。
 そんな黒沢としては、「自分は呼び捨てだけど、相手の女の子に呼び捨てにされるのはイヤだとか、マジでバカなの? その程度の器で“男を立てろ”とかカッコ悪いよ」って感じだよ。

 それ以外にも、ギャルゲーやっててキャラ設定やシナリオに「……バカ?」って思ってしまうこと、イロイロあってね。
 商業的にウケを狙って「美人でボイン(←死語www)で優しくて家事も万能」みたいな理想のキャラを作っチャウのはね、好感は持てないけど理解もできるしまだ許せるんだ。
 でも『この青空に約束を』の羽山海巳とかの、「こんな女がもし現実にいたら、間違いなく地雷女だな」ってキャラを見ちゃうとね、たまらなく腹立たしくやり切れない気持ちになっちゃうよ。
 例えて言うならば、お花畑系の大河ドラマ(←某公共放送の『A姫』とか『G』とか)を見せられた歴史ファンみたいな……。
 しかもね、そのテの「リアルでの恋愛経験はゼロに近いだろ?」って感じのスタッフが作ったようなギャルゲーが、ネットのレビューではかなり評判良くて殆ど批判されていなかったりするものだから、黒沢の気分は暗く落ち込んで行く一方なのでありマスよ。
 もちろんギャルゲーの殆どがそーゆーダメダメなヤツばかり……ってわけじゃなくて、「小説や映画以上に感動できる、良いゲームもいっぱいある」ってわかってるさ。
 けど、いかにも「現実の恋愛は一度も経験してないオタが、願望と思い込みのみで作りました」って感じ丸出しの、リアルな恋を一度でもした人には鼻で笑われちゃうようなクソゲーのせいで、他に幾つもある良作ゲームまで一般の人達に偏見の目で見られてしまうのが、ものすごーく悔しいんだよ。

 例えばキミら、「時代劇や戦争映画にリアリティなど必要ない」って思うかい? ウソ臭い甘々の戦争の時代を描いてくれたあの連続テレビ小説『おひさま』でさえ、擁護する人達は「そもそもドラマはフィクションなんだから、時代考証なんか必要ナイ」って主張してたけど。
 そーゆー人達には、作家の浅田次郎さんが作品を書くにあたっての信念を語った、この言葉を聞いてほしいよ。

もちろん小説だから嘘なんだが、その嘘に最大限の責任を持たなければならない

 ギャルゲーの制作者ってさ、自分らが作った“ウソの恋愛”についての責任って、ゲームの売り上げ以外に何か感じてるのかなー、って時々思うよ。そのゲームが業界に与えたイメージ、とかさ。

 ゲーム、中でもギャルゲーっていうと、世間的には低く見られて馬鹿にされがちだよね。お店のレジに持って行くのに、ギャルゲーとAVとで「どっちが恥ずかしいかわからない」みたいな面もあるし。
 だってホラ、決して誉められはしないけど、AVは正常な成人男子なら買っても仕方ないこと……って面があるじゃん。けどギャルゲーは「こんなの買うなんてキモいんだよ、萌えブタめが!」みたいな見方をされたりするし。
 だから同好の士が集うゲーム専門店ならともかく、一般人も多くいるショップでは買うのもちょっと恥ずかしいくらいでさ。

 でもただ「萌えキャラを並べて、オタをカモにしよう!」ってのが見え見えの駄作だけじゃなく、ユーザーの心に訴えかける何かのある良作ゲームだって、ギャルゲーの中にも間違いなくあるんだよ。
 例えば『夢見師』とか『水月』とか『メモリーズ・オフ』シリーズとか、名作と言われるギャルゲーは凡百な小説や映画よりずっと感動できるし、作品としても上等だと思う。
 なのに世間的には、ギャルゲーって言うだけで「そんなのキモオタのもんだろーが」みたいに思われてるよね。そしてただ小説だからって、『失楽園』や『愛の流刑地』どころか、『恋空』や『DEEP LOVE』や『KAGEROU』とかの方が上等なもののように扱われてさ。そのあたりが、黒沢としてはとても悔しいんだよ。

 小説にも映画にもドラマにもアニメにもマンガにもそしてゲームにも、傑作もあれば駄作もある。それは当たり前の事で、「映画>テレビドラマ」とか「字で書いてある小説は、絵で描いてるマンガより知的で上等」とか、ジャンルに優劣の差はないと思う。
 文字を使うか絵を使うか音声付きの動画を使うか、ただ表現する手法が違うだけの話でさ。
 断っておくけれど黒沢は小学校低学年の頃から“本の虫”かつ活字中毒で、読書量はフツーの人より遙かに多いと思う。けど小説と同じくらい、マンガもゲームも大好きだよ。
 黒沢はギャルゲーも恋愛小説や恋愛映画などと同じ立派な作品と認めているからこそ、ギャルゲー全体の評価を下げるようなゲームを見ると、すごく腹が立ってしまうんだ。「こんなクソみたいなゲームがあるから、ギャルゲーが世間さまに認められねーんだよ」みたいな感じで。

 でもただ気に入らないモノを叩くだけでは、結果的にゲームそのもののイメージをより悪くしちゃうだけだよね。
 で、いわゆるオタクのギャルゲーマーだけでなく、恋愛の経験も実際にある普通の人にもきっと感動できる良作ゲームの紹介にも力を入れたいとも考えておりマス。
 繰り返すけれどギャルゲーも中身は恋愛小説や恋愛映画と全然変わらなくて、良い作品は「ただ萌えブタの願望を満たすためのもの」なんかでは決してナイからね!
 特に非オタの一般人にそのコトを是非わかってほしくて、黒沢は世の中の片隅でこんな駄文を書き続けているのでアリマス。

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幼なじみ⑨・ギャルゲーのレビューがアテにならない理由

 黒沢の私見では、『インタールード』はかなりの良作だと思うんだけどな。実際、プレイしたゲームが三桁を軽く越えてしまったダメ人間黒沢が、すべてのエンディングを見るまで睡眠時間を削って毎晩やり続けたくらい、このゲームに没頭しちゃったし。
 でもこのゲーム、ゲームレビューではホントに叩かれまくりなんだよね。ただタマが不評ってだけでなく、「文章が下手、シナリオライターは文章を勉強し直して出直せ」という声まであるくらいでさ。
 違うって、小さい頃から本が友達だった黒沢に言わせれば、インタールード』のシナリオライターは決して文が下手ではないよ。ただ世界観が難解なのと、そのわかりにくい設定を全部説明し切れていないだけの話でさ。
 確かに完全クリア後にも、「え、アレって結局どーゆーコトだったの?」というスッキリしないものは残るよ。けど巷に溢れてるダメなラノベを読んだりクソゲーをやった後のような、「何だよこの文章、中学生の作文レベルじゃねーか」って感じのイライラ感は無かったな。

 平凡ながらそれなりに楽しい日常を過ごしているのだけれど、それは卵の殻みたいに脆く危ういもので、実はすぐ隣に、もう一つの別の世界(パラレルワールド)があるのではないか。
 または今のこの瞬間の日常も、もしかしたらキミの知らない別の誰かが見ている“夢”なんじゃないか。そんな深く考え過ぎるとちょっと怖くなるようなコトを題材にしたゲームなんだよね、この『インタールード』って。
 ただ夢と現実が混ざり合った混沌とした世界を描いているだけに、どれが現実で何が夢なのかわかりにくくて、プレイヤーも混乱させられがちなんだよね。しかもその世界を動かしている“パンドラ計画”とやらがどんなものかも、最後までキチッと説明されないままだし。
 繰り返し言うけれど、『インタールード』の文章は決して下手ではないし、むしろ他のゲームの方がずっとヒドい文をタレ流しているくらいだよ。ただテーマが難解で、謎を謎のまま残して説明し切れてない……ってだけのことでさ。

 例えば童話に、幼児にはとても理解できない難しい話を書いちゃったら、「誰が読むのかよく考えて、文章の書き方を勉強し直せ」って言われても仕方ないと思うけどさ。でも「中身が難解」ってのと「文章が下手」ってのは、まるで違うことだと思うけどなー。
 何かさ、ゲームに限らず小説やマンガなどの素人のレビューを見ていると、自分の頭で理解できないことを書かれると、「文章がヘタ!」って怒る人が少なくないような気がするよ。「自分の頭がワルいのかも」って疑うんじゃなくてさ。
 そーゆー連中の思考法で言うと、深遠な思想を説いた哲学書や相対性原理などの科学書とかが理解できないのも、「オレの頭がワルい」んじゃなくて「書いた学者の文章がヘタ!」なんだろうね、きっと。

『インタールード』に限らず、一般ユーザーが書き込んだネットのゲームレビューには「シナリオの文章が下手!」って叩かれてるものが幾つもあるけどさ。でもそのゲームを実際にプレイしてみると、「え? 文章は別に下手でもないし、間違ってもないけれど」って事が案外多いよ。
 そのくせ中学生の作文レベル(あるいは二流のラノベかケータイ小説レベル)の拙い文章で、クドい説明とわざとらしい台詞をたどたどしく書き連ねた、本当に下手な文章のゲームに限って、「文章が下手」って批判がナゼか寄せられて無いんだよね。
 黒沢は思うんだけど、文章を読み慣れている人とそうでない人とでは、「良い文章」って判断基準がまるで違うような気がするよ。
 例えばかなりの長文にもかかわらず、この黒沢の駄文に付き合って下さっているような人達の多くは、きっと「ケータイ小説なんか、読むに耐えない」って思っている層ではないかと推察シマス。
 でも「マンガの台詞以外、活字なんて読みたくでもナイ」って層には、ケータイ小説のような文章こそ良い文章で、キチンと書かれた長文は読むのも苦痛なんだろうと思う。

 実は黒沢は、ツイッターってやってないんだ。だって自分の思いは、百四十字ではちゃんと伝え切れないと思うから。

 黒沢は何年か前に青森県を旅行した時、八戸の『三笠』って日本料理の店に立ち寄ってさ。そこの定食がメチャ豪華で旨くて、しかもお値段は手頃でと、それはもう感動ものの夕食を満喫したよ。
 御飯に味噌汁と香の物の他、刺身は新鮮な鮪と烏賊、天麩羅は海老にシシトウ、鯖と貝の酢の物に塩辛、茶碗蒸し、煮物、そして心太と、大きなお盆にいっぱい料理が並べられているワケ。
 何たって八戸だよ? 鮪も烏賊も採れたての直送品だから、ただ旨いなんて言葉じゃ表現できるようなものじゃなくて。そしてまた、店主の親父さんが目の前で揚げてくれた天麩羅が絶品なんだ。
 ネタが良いのはもちろんのこと、口の中が切れるんじゃないかと思うほど衣が軽くサクっとしてね。もう、東京の天麩羅の専門店でも味わえなかったほどの仕上がりだったよ。
 ここの料理が旨いのも当たり前でさ、三笠の親父さんって、青森県日本料理協会の副会長さんだったんだよね。その親父さんの調理で、刺身と天麩羅の他に酢の物煮物、茶碗蒸しと塩辛に心太までつく豪華版で、値段は千九百八十円(当時)だったよ。
 ……これをツイッターで言うとしたら、どうなると思う? 「八戸の三笠で夕食、メチャ豪華ですげー旨かった」ってトコだよね。

 例えば戦争に反対かどうかも、「原則反対だけれど、これこれこういう場合にはやむを得ないと思う」という意見を、百四十字や三行で書くなんてとても無理だと、黒沢は思うゾ。
 安倍政権や例の橋下サンと維新の会についても、支持するか反対かは言えるけど、「なぜそう思うか?」は百四十字や三行じゃ言えないじゃん? 言えてもせいぜい、「○○サンなら、きっと日本を変えて良くしてくれる!」か「ヤツは日本のヒトラーだ」みたいな、聞き飽きたスローガンのような、独りよがりな決めつけくらいでしょ?
 論拠を挙げて意見を正しく伝えるには、百四十字や三行では絶対ムリだよ。

 こんな話を聞いた事があって。
 ドイツ人は答えそのものより「その答えに至るまでの論理の過程」を大事にしていて、だから数学の問題でさえ、文章で答えさせるものが出てくるくらい、考える過程を大切にする。けれど日本人は一足飛びに答えだけ知りたがって、だから「何故なのか?」と問われるとシドロモドロになるのだとか。
 黒沢もドイツ人と全く同じで、結論より「なぜそう思うに至ったのか?」っていう過程の方が、ずっと大切だと思う。
 だからただ「八戸の『三笠』の定食、チョー旨かった!」ってツイートするより、どう旨かったのかを説明する方が大切だと思うし。
 安倍政権でも改憲問題でも原発の問題でも、黒沢は賛成か反対かより、まず「そう考える理由と根拠」が知りたいし、自分が意見を言う時にもそこを語りたいワケ。

 でも百四十字や三行で言える事って、結局自分の中の結論や感情だけじゃん。例の「お前ン中では、その通りなんだろうな」ってレベルのね。
 社会の難しい問題はもちろん、どこの店の料理が美味しいみたいな事でさえ、その店を既に知っている人か、キミ自身に共感している仲間にしか伝えられないのが現実でさ。
 まーね、見ず知らずの誰かから「旨かった」って聞いただけで、すぐ「そーなのか、よしオレも行ってみよう」って思っちゃうオッチョコチョイな人も、世の中には少なくないのも事実だけど。
 自分の感覚や感情が人類共通のモノ、って思えちゃうシアワセな人達はさ、「××屋のカツカレー、超ウマかった、超おススメ」とか「今の日本を救えるのは、○○サンしかイナイ!」程度の発信で、充分わかり合えてつながり合えるんだろうけど。
 で、その個人的な感情や、説明抜きの結論に共感する者だけ寄り集まって、共感しない人達とは不毛な罵倒のし合いになっちゃう。
 でも黒沢は、「考え方も感情も、人それぞれ違うモノ」って思ってるからさ。充分な説明のない一方的な主張は、「個人的な意見や感情の押しつけ」としか思えないのだよ。

 まあね、「東日本大震災の時に、ツイッターが大いに役立った」とか、プラスの情報もいろいろ聞いてはいるよ。
 けど黒沢がツイッターを始めたとしても、「たった百四十字だけでは、気持ちや理由をちゃんと説明できずに無用な誤解を招くだけ」ってわかってるから。だからツイッターには、当面手を出すつもりになれないんだ。

 たださー、日本人には「説明なんて要らない、結論だけ言え」って人、案外多いからね。込み入った事情を説明しようとしても、すぐ「三行で」って遮っちゃう人も少なくないし。
 って言うか、文章って書くだけでなくただ読むにも、それ相応の“慣れ”が必要なんだよね。
 だから活字はマンガのセリフかケータイ小説くらいしか読んでない人には、情感も込め細かくいろいろ描写した文章は「ヘタな、ウザい文章」に思えちゃうし。逆に文章を読み慣れた人には、ケータイ小説やラノベを読むのは苦痛だし。
 で、その人の文章を書いたり読んだするスキルによって、「文章がヘタ」って意味がものすごく違ってくるんだなぁ……って、ネットのゲームレビューを見てつくづく思わされたよ。
 ゲームレビューだけでなく小説のレビューを覗いてみても、同じ小説について「息もつかせぬ展開で、とても面白かった」と書かれていたり、「時代がかった文体で、読むのに疲れた」と書かれていたりもするしね。
 有料の媒体に書いているプロのライター達は、ある程度の知識も文章力もあるけれど。でもネットにレビューを書くのに資格は要らないし、編集者のチェックもないから、当然書き手のレベルもいろいろになっちゃうワケで。
 だから同じゲームについて「コレはもはや神ゲーの域に達しています」と書かれていたり、「とんでもないクソゲーです、タダでもプレイするだけ時間のムダ」と書かれていたりしても何の不思議もないし、そしてそのどちらも信用できないんだよね。

 ネットにちょっと詳しい人には、「そんなの当たり前だろアホが」って怒られちゃいそうだけど。
 でもゲームに限らず、家電製品でも何でも詳しくない(知らない)からこそ、ネットのレビューを見て頼っちゃうワケでさ。そういう“元々詳しくない人”にレビュアーの知識のレベルを見抜けなんて、ちょっと無理な注文のような気もするけれどな。
 それにそもそも、書いたレビュアーの知識が深いか浅いかを見抜けるくらいの人なら、ネット上の素人のレビューなんて、わざわざ見て参考にしようとは思わないだろうし。

 黒沢もいろんなゲームをやって、そしてゲームレビューのサイトや個人のブログをいろいろ覗いてみて、「他人のレビューって、アテになんねーなー」と思う事が多いよ。
 って言うか、むしろその方が多すぎるくらい。
 黒沢は写真を撮るのが好きで、だからカメラ関係のレビューやブログもよく覗いてるんだけど。でもこちらのレビューは案外納得できると言うか、参考になったと思えた事も少なくないよ。
 けどゲームのレビューに関しては、「それは違うダロ」って思う事が多すぎるんだよね。
 それは多分、レビューを寄せたりブログを書いたりしちゃう熱心なゲーマーの多くが、主に二次のセカイでのみ恋愛していて、リアルな恋愛の経験も少なく現実の女性もよく知ってないからじゃないかな。
 カメラやレンズについてのレビューはね、撮っている量や経験の差はどうあれ、少なくとも自分で撮ってみた上でモノを言っているワケだけど。
 でも恋愛ゲームのレビューでは、生身の女性にまるで縁の無かった人が、恋愛論や女性論を語っちゃってるワケでさ。
 何て言うんだろう、「彼女いない歴=実年齢」のヒトの恋愛観や女性観って、黒沢のようにリアルの世界での女の子との付き合いも普通よりちょっと多いくらあった者から見ると、「ちょっと違うなー」って部分が多くあり過ぎちゃうんだよね。
 で、ギャルゲーのハードなユーザーって、その恋愛経験ナシに恋愛や理想の女性像を語っちゃうヒトが多いから、ネットに寄せられるゲームレビューも妙なモノばかりになっちゃうんだろうね。

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幼なじみ⑧・好きデス、『インタールード』の玉城麻衣子

 何だか話が滅茶苦茶それまくりでスマン、話を今回のテーマだった筈の“幼なじみ”に戻すね。
 どのギャルゲーにもまず間違いなく出てくる幼なじみだけれど、その中でも『インタールード』のタマこと玉城麻衣子は、ギャルゲーマーのレビューでは叩かれまくりなんだよね。このタマの不評が『インタールード』そのものの評価を引き下げてるんじゃないか……て思えるほど、タマはギャルゲー好きの人達にウケが悪いんだ。
 その理由は黒沢にもわかるよ、だってダメダメ過ぎるんだもの、この幼なじみは。

 前にも触れたけれど、タマはバカだし勉強は全然やる気なしで、主人公に頼り切りで好きなのは楽しいことだけ……という有り様だよ。
 だからゲームレビューでは人間扱いすらされてなくて、「小動物」だの「ケモノ系」だのって言われてるくらいだよ。
 ただ勉強はキライでも、バイトは意外なくらい頑張ってるんだよね。その勤務先のファミレスでは、よそ行きモードで客あしらいもちゃんと出来てるし、店長とベテランチーフとのゴタゴタにも(両方に気に入られながら)巻き込まれないだけの如才なさもある。

 結局さ、タマは幼なじみの主人公には完全に気を許してるから、ダメダメな部分も丸出しにして甘えきってるんだけなんだよね。
 だから学校では落ちこぼれでも、社会に出れば充分ちゃんとやって行ける種類の子だと思う。バイト先での意外なくらい如才ない態度を見れば、「タマはただのバカじゃない」ってわかる筈。
 しかも容姿だってB級アイドル並で、「あの店には可愛いウェイトレスがいる」って噂にもなるくらいなんだよ? こんな幼なじみの彼女が実際にいたらかなり嬉しいし、「やっぱりタマは、俺がいなきゃあダメなんだよなぁ」とか言いながら、思い切り甘やかして可愛がっちゃうと思うんだけどなー。

 ただこのタマは、可愛いんだけど萌え要素が少ないんだよね。
 リアルな女子をよく見ていて、実際何度か付き合ったり別れたりしている者から見れば、タマは間違いなく可愛いよ。
 けど二次の女子としか“付き合った”事のないギャルゲーマー達が望むような、「おとなしくて優しくて女らしくて、男(主人公)を立てて尽くしてくれる幼なじみ」とは真逆だからね、このタマさんは。
 主人公には気持ちを隠さないし、遠慮しないでもたれかかってきて、ワガママも言うし。だから優しくして尽くしてくれるどころか、コッチがいろいろ面倒見て世話を焼いてやらなきゃならないんだよ。
 その上、顔はB級アイドル並みでも気の毒なほどの貧乳で、なのに「可愛いかろ?」と、自信満々で主人公に水着姿を披露したりとか……。
 知る人ぞ知る某キャラのように「貧乳はステータスだ!」って居直るのとは違って、自分の胸の無さを心底気にしてないんだよ、このタマさんは。
 でも黒沢から見るとやはり可愛いんだよね、このタマさんが。
 まあね、黒沢はビジュアル的にも広末涼子や宮崎あおいが好きだったような奴だし、いわゆるオッパイ星人では全然ない……ってせいもあるかも知れないけどさ。

 不思議なもので、好みのタイプってずっと同じじゃなくて、時が経つとけっこう変わるものなんだよ。
 と言っても、外見についての好みはさほど変わらないんだけどね。それより中身と言うか、相手の性格や人間性に関しての好みはかなり変わるから。
 結局さ、長く生きて大勢の人を見ていれば、人を見る目も自然に鋭くなるし、その一方で人の欠点にも案外寛大になれちゃったりするんだよね。 「上辺は良いけど腹は黒い」ってのが見抜けるようになるし、同時に「人間だもの、ある程度の欠点は仕方ないよ」みたいな感じで。

 黒沢も自分の中高校生の頃を思い出してみると、「何でこう、人を見る目が無かったんだろう」って、我ながら呆れてしまうくらいだよ。
 ちょっと外見がキレイだからって、中身まで良いと思い込んで好きになっちゃってさ。
 モノの包み紙と中身は別なんだ……って事、中高校生の頃にはなかなかわかんないんだよね。だからただ顔を見ただけで、平気で一目惚れとかしちゃてさ。
 それで性格なんて全然見ないで、中身まで美化して勝手に好きになっちゃって、その自分のイメージとちょっと違う面を見ただけで、今度はキライになったりしてね。
 だから若い子達は見た目だけで簡単に付き合っちゃっては、些細な事で勝手に幻滅してすぐ別れちゃうんだよね。

 ハイ、黒沢も若い頃にそうデシタ。人を見る目、ホントに無かったと思うもの。容姿のイメージに極めて惑わされやすくて、そのくせ一度気づいた欠点はなかなか許せなくてさ。
 でも人間は余程のバカでもない限り、失敗を重ねながら少しずつ利口になって、成長して行くものだから。包み紙の綺麗さと中身の違いにもいつか気付くようになってくるし、「コイツ、顔は良いけど性格悪いゾ」って事も見抜けるようにもなって来る。
 でね、同時に人間の限界もわかってくるんだよ。「神様でもない限り完璧な人なんて居ないし、ある程度の欠点は誰しも持ってるもんだよ」ってね。

 厨二病の頃は(何の根拠も実績もなく)自分を万能だと思っているからさ。だから「美人で優しくて、オレに一生懸命尽くしてくれる彼女が欲しい」とか、ホントに正気で思っちゃったりしてね。で、その理想像と違う女子を見ると、「あり得ねーだろ、何だよこのオンナ!」とか怒っちゃうんだよねぇ。
 でも厨二病も癒えて人生経験もいろいろ踏んで行けば、ギャルゲーや青少年向けのちょっとエッチなラブコメマンガにありがちな、「美人で女らしくて優しくて、少し天然も入ってホワンとしてて、主人公に尽くしてくれて」みたいなヒロインこそ、「あり得ねー、居るワケねーだろ」ってわかって来るんだよ。
 あのね、もしそんな女の子が現実に居たとしたら、間違いなくソイツは裏のある腹黒オンナだから。だってマザー・テレサとかの聖女じゃないんだから、そんなに立派でなんか居られません……って。
 キミだって、女の子に「常に男らしくして優しく振る舞って、しかもモテてもそれを鼻にもかけず、他の女の子には目もくれずに、好きな女の子にだけ見返りナシに一途に尽くしなさい」みたいな理想を押しつけられたら、ストレス溜まりまくりで、終いにはキレちゃうだろ?

 黒沢の一つ上の姉ってのがね、ズバリその「ホワンとして誰にでも優しい、良い子ちゃん」ってタイプだったんだよ。但し“家の外”限定の……ね。
 で、外で理想の女の子を演じる為に溜めまくったストレスを、「家で、家族に対して」晴らすワケ。それはもう、理不尽なヒスの嵐でね。
 黒沢は幼い頃からその姉の姿を間近で見てるから、「ホワンとした優しいお姉さんタイプ」に対するトラウマと不信感は、心に根深く植え付けられていましてね。
 それと同時に、女の人が家の内と外とで態度をどれだけ使い分けてるかも、よぉーく見てきたよ。

 キミが女の子の求める理想の“王子さま”にはなりきれないのと同じように、キレイで一途で優しく尽くしてくれる女の子も実在しないの。居たとしても化けの皮を被っている腹黒女か、もはや人のレベルを超えた天使か聖女のどちらかだから。
 だからギャルゲーマーには人気の、その種の理想化され過ぎたヒロイン達を見ると、黒沢は「嘘くせー、こんなオンナ、ホントに居たら絶対ウラの顔があるに違いねーよ」って思っちゃう。そして「何が目当てでこのネコ被ってて、そのストレスはどこで晴らしてるのかなー」ってね。
 確かにこの世には、ごく僅かだけど聖女みたいに良い人もいるよ。マザー・テレサだって、ちゃんと実在の人物だしね。
 でもそういう聖女たちの愛って、全世界とか、人類全体とか、とても大きなものに注がれる種類のものなんだよね。日本の片隅の、それも「特に取り柄もない、一人の平凡な男の子」に注がれるような、チンケな愛なんかじゃねーんだよ

 だから『インタールード』のタマみたいに、可愛いところもダメダメなところも全部さらけ出して、素のままの自分で主人公にぶつかって来る女の子を見ると、むしろホっとすると言うか、安心できちゃうんだよね。
 このタマさん、ネットのゲームレビューでは評判悪過ぎだけど、現実に居たとしたらけっこう良い子だと思うんだけどなー。
 でさ、タマの親友に木村千佳って「優しくて良い子」が居るんだけどさー、コレがまたいかにも男ウケしそうな、例の女らしくてホワンとしたタイプなんだよね。
 現実の女の子と数多く接して、苦い思いもいっぱい味わってる黒沢から見れば、その千佳のホワンとした「優しくて良い子」ぶりが何もかも嘘くさく、わざとらしく感じたよ。
 でもゲームレビューではタマが酷評される反面、その木村千佳が「可愛い!」って評判なんだよね。「何で千佳が攻略できないんだ!」って怒りの声まで挙がってたし。
 ……ヘヴィなギャルゲーマーってやつは、「オンナって生き物が、心底わかってねーんだな」って、心からそう思わされてしまったよ。

 ま、確かに高校生くらいの男子には、「ダメダメな幼なじみを支えて見守り続ける」ってのはキツいかも知れないね。
 実際、黒沢も昔は年上の先輩や、同級生でも大人っぽい子に惹かれたものだよ。けどそれは、その頃の黒沢に「誰かを支えるだけの余裕と自信」ってものが無かったからだとも思う。
 いろいろ経験積んで大人になれば、「誰かに頼りたい」とか「支えて貰いたい」とか思う気持ちも減ってくるし。そして気に入った年下の女の子を、より良い生き方が出来るよう支えて守ってあげる事ぐらい、別に何でもなくなっちゃうんだよね。

 例えばキミが大学生で彼女が高校生なら、彼女の高校生活や受験についての悩みや迷いにも、余裕を持って答えて、より良い方に導いてあげられるよね。だってキミ自身が、既に一度通ってきた道のことだから。同じように、キミが社会人なら大学生の彼女の支えになってあげるのも、そう難しいことじゃないのさ。
 悩み事ってその時は辛いけど、悩んで迷った分だけ心の中に経験として蓄積されて、いつの間にか人としての余裕に変わって行くんだよね。

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幼なじみ⑦・“ロクデナシ”が“ステキ”に変わる時

 黒沢は「モテたければ、女に目もくれないで自分の為に頑張れ」って言ってさ。
 でもそのくせ、「モテようと女の為に頑張らない男子は敵視される」なんて言って。
 コレをちゃんと読んでくれている人ほど、「黒沢テメー、矛盾したこと言ってんじゃねーよ!」って怒っちゃいそうだけど。
 ハイ、その矛盾についてズバリ解説シマス。

 女の子って生き物は男よりずっと現実的で、今確かに目に見えるモノしか信じないんだよ。だから夢とかロマンとか、そーゆーモノには何の魅力も感じないの。
 例えば「オレ、ぜってーミュージシャンになるんだ!」とか言って、学校を卒業しても定職にも就かずに、ビンボーでバイトとかしながら好きな道に打ち込んでる男、キミの周りにも一人や二人はいるんじゃないかな?
 こーゆー男はね、女の子から見れば“夢追い人”なんかじゃなくてズバリ“ロクデナシ”なのだよ。
 有名大学を出て一流企業に勤め、奥さんは専業主婦としてラクな暮らしが出来そうな男、これが女性が思う“ステキ”なんだ。
 ところがその“ロクデナシ”が敏腕プロデューサーとかの目にとまり、華々しくデビューして売れっ子になった途端に“ステキ”に変わるんだよ。
 いや、そこまで行かなくても、他の周りの女の子達が「アイツって最近何かイイよね、イケてるよね?」って言い出すだけで、「そうか、ステキな人なんだ」って思っちゃう。

 ビンボーでも夢を追って頑張ってる男はクズでロクデナシ、でも一旦成功して有名になればステキだし彼氏にできれば自慢できる。残念だけど、これが女性ってものデス。
 そうそう、女の子ってすごく見栄っ張りな生き物でね、「へええ、貴女があの有名な××さんの彼女なんだ」って言われるの、すごーく快感なんだって。

 自信って、男は自分自身が成し遂げたことに対して持つものだからさ。だから「へえ、キミがあの○○ちゃんの彼氏なんだ」なんて言われて感心されたいとか、男は全然思わないけどさ。
 でも女の人って、有名な男と付き合えると自分まで同じくらい偉くなって、同じくらい価値のある人間になったように思えちゃう生き物なんだよ。
 ……よく居るよね、社長夫人ってだけで自分も社長気分になって、他の人たちに威張るヤな女って。でも女の人って、多かれ少なかれ基本的に皆そうなんだ。
 だから女の子は、周囲から注目を浴びてる人がとっても好きなのでありマス。有名な男をオトせば、それだけで自分のランクアップ、って感じでね。

 と言っても、別に全国レベルくらいに有名になれなきゃダメってわけじゃないんだよ。校内や社内くらいの範囲でも良いから、「あの××くん」って言われるくらい(いい意味で)有名になれば、イケメンでなくても女の子に不自由しなくなるよ。
 だからこそ黒沢は、繰り返し「モテたい欲はひとまず脇に置いておいて、自分自身の為にすごく頑張れ」って言ってるワケさ。
 キミ自身が何かを成し遂げて有名になれば、それだけである程度モテるようになる。そういうモノなんだよ。
 だから黒沢は、「ただモテる為に頑張るより、自分の為に頑張った結果としてモテるようになろうよ」って言いたいんだ。

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幼なじみ⑥・女性がオタクを嫌うホントの理由

 黒沢は「女の顔色をいちいち窺うな」って言ったよね。けど「顔色を窺う」のと「気を使う」のは、似ているようでも全然違うものだから。
 例えばお店や病院のドアとかで女の人と鉢合わせした時、黒沢は基本的にドアを押さえて相手が通るのを待ってるよ? それも可愛いお姉さん限定、ってわけじなくて、相手が喪女だろうがオバチャンだろうが変わんないの。
 黒沢はチビだし体も弱い方で、病気もいっぱいして来たよ。けど「重い物があれば男が持つ」ってのも、当たり前に実践しているよ。
 そのドアを開けるのも重い物を持つのも、モテたい相手のコにそうしてるんじゃなくて、自分のモットーとしてどの女の人にもやってるワケ。
 相手の顔色を窺うのはカッコ悪いよ、けど相手への気配りは、人として当然すべきものだからね。

 そうそう、『花とみつばち』の山田は途中で整形して、もっとモテるようになるんだよね。だから読んだことのある人は、「中身に自信を持てとか言ったって、やっぱり結局は外見じゃん?」って言いたくなるかも知れないね。
 でも山田が整形したのは、実は作者の安野モヨコさんの作画上の(精神衛生上の?)都合なんだ。
 モテを目指して試行錯誤する主人公の友人で、「キモメンなのにナゼかモテる」っていう設定上、山田は頻繁に出てくるわけ。で、当然作者の安野モヨコさんは、そのキモい山田を何度も何度も描かなきゃならなくなるよね。

花とみつばちmemorialモテバイブル (KCデラックス)花とみつばちmemorialモテバイブル (KCデラックス)
(2003/11/06)
安野 モヨコ、ヤングマガジン編集部 他

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 で、「山田を描くと、もうつらくて」と、ファンブックの『花とみつばち Memorial モテバイブル』で、安野モヨコさん自身がそう告白していマス。
 そのあたりの事情を、ファンブックから安野モヨコさんの言葉をもう少し抜粋してみるね。

 やっぱ、かっこいい男の子を描いた方が楽しいじゃないですかぁ、かわいい女の子とか。それがもう「また山田だ~」とか「このページ、山田の顔が三つもあるんだけど」みたいのが、だんだんイヤんなってきちゃって。「思いっきりハンサムにしたら、描くの楽しいかな」と思って、整形したんです!


 自分に自信があってブサでもモテていたハズの山田が唐突に整形した理由は、必然でも何でもなく、ただ作者の作画上の都合なんだよね。
 現実に自分に自信がある人は、整形しようなんて全然思わないんだよ。って言うか、する必要なんて一ミリも感じてないし。
 失礼を承知であえて実名を挙げちゃうけど、元ヤンキースの松井さんも松坂選手も、顔の造作から言えばイケメンとは程遠いよね。けど、整形なんか全然してないでしょ?

 でも『花とみつばち』を読んで、黒沢は「いろいろ鋭いし恋愛経験も豊富なんだろうし、男のことだってよくわかってはいるけれど、この作者はやはり女性だなー」って思ったよ。
 って言うのは、安野モヨコさんは基本的に恋愛至上主義と言うかさ、「女にモテる為に頑張る男の方が、人としても成長してより魅力的になる」みたいな思想が、『花とみつばち』の中にかなりあからさまに見えてるもの。
 でも黒沢は、モテたいとか思う前にまず自分の為に頑張る方が人としても成長しするし、「その結果として」モテるようになる……って思うんだけどな。だから安野モヨコさんの言葉に何度も頷かされはしたけれど、根本的な考え方は真逆なのさ。
 松井さんだってイチローだって石川凌くんだって、別にモテを目指してスポーツやってたワケじゃないよね。って言うかさ、仕事でも趣味でも勉強でも、男が何かに打ち込んで一生懸命頑張ってる時って、オンナの事なんか頭の片隅にもナイもんだと思うけど、違うかな?

 結局さ、男の“モテ”と女の“モテ”では、その意味も中身もかなり違うんだよね。
 女の子の場合、外面さえ飾っておけばいろんなオトコに優しく大事にされて、貢ぎ物も山積みに……って面があるからね。だから「ファッションや化粧品や整形に投資して、見かけを磨いてモテることが、そのまま人生を豊かにすることにつながる」って、素直に思っちゃえるんだろうね。
 だからこそ男が肉食系で「モテたい!」って頑張ってくれなきゃ、女の子としては困るし損をしちゃうんだよ。だって男の目が女の子に釘付けで頭の中もモテることで一杯だからこそ、女子の機嫌もとるし優しくしてプレゼントとかもするワケでさ。

 男が草食化して、モテより自分の趣味に努力や時間とカネを注いでごらん。デートのお誘いやプレゼントも、間違いなく激減するから。
 花と蜜蜂で例えれば、男がみな草食化したら女子は「せっかく咲いたのに蜜蜂の来ない花」状態でさ。
 だから女の人は、男には「いつもモテを意識して、女にカネや気を使うのを惜しまない」でいてほしいワケさ。
 つまり女子にとっては「モテる為に頑張る肉食系の男=女にとって物心両面でメリットがある、魅力的なイイ男」で、その逆の草食男子とオタクはキライなのさ。
 世の女子たちが、何でオタクをゴ○ブリ並みに毛ギライするかわかる? それはね、現実にモテることを最初から放棄して、側に居る自分たちを見ようともしないからだよ。そして本来自分たちに貢ぐべきw金品を、手の届かないアキバ系のアイドルや、実在すらしない二次の美少女などに費やしてるからだよ。

 冷静に考えてみて。世の中の男女は、まあほぼ同数だよね。そこである一定数の男がモテを目指すのを諦めて、二次のオタクのセカイに逃げたとシマス。そしたら当然、女子はその分だけ間違いなくアブれる事になるよね?
 デートのお誘いや女子に流れるプレゼントの数も、そのオタク化した男子の人数分だけ減ることも、言うまでもアリマセン。

 ハーレム状態って言うか、一人の男(しかも平凡であまり冴えない)が何人もの美少女にモテモテ……みたいな話、ギャルゲーや萌え系のマンガなどでは多いよね。
 まっ、実際あり得ない夢物語だし、女子たちに「バカみたい、キモッ」って思われても仕方ないかも知れない。
 でもその女子たちが好んで読む少女マンガや恋愛小説だって、「タイプの違う複数のイケメンの間で揺れ動くアタシ」みたいなストーリーが王道じゃん。しかもそのヒロインも、たいてい「特に美少女ってワケでもない、普通の女の子」でさwww。
 結局さ、複数の異性にモテてチヤホヤされたいのは、男女とも同じなんだよね。

 ところがデスよ、オタクたちは現実の恋愛を最初から降りてしまってるから、恋愛市場は“オンナ余り”になってしまうワケ。
 当然、オタクが増えるだけ女子をチヤホヤする男の数は相対的に減り、モテない女子の数も間違いなく増加するのでアリマスよ。
 その男子が草食系の場合はね、女子としても「元々女にキョーミが無いんだから仕方ないよ」と諦められるよ。けどオタクの場合はむしろ「女のコは大好き」で、その自分が好きなアイドルや二次のキャラには、多大な愛情と金品を注いでいるワケで……。
 平たく言えば、「おめーらオタクのせいで、アタシらに流れてくる筈の金品&オトコが減ってんだよ!」というコト。そう考えてみれば、女子が「オタク=女の敵」と敵視する心情もわかるよね。
 その感情が論理的に正しいかどうかは、また別の問題としてだけど。

 女の子って、エロい肉食男子が意外に好きだよね。だって「好きだ、付き合おうぜ!」とかガッツンガッツン攻めて来るし、彼らのセーヨク(と言うかオスとしての本能)をうまく操れば、いろいろ翻弄して尽くさせたりできるからね。
 それだけに「アタシらに尽くさないしお金も遣わないオタクは敵」って、本能的にわかってるんじゃないかな。
 人間も含めて動物の“繁殖”は、「オスが頑張って求愛して、その中で最も条件の良さそうなのをメスが選ぶ」って感じだよね。だから人間だって、「選択権は女子にある」って感じでさ。
 けど草食化あるいはオタク化した男子は、例の「メスを巡っての争い」から降りることになるよね。すると恋愛市場では、当然のように“オンナ余り”ということになる。
 だからパートナーを選ぶ権利は、実は今や女子から失われつつあるんだよね。容姿に恵まれた一部の女の子は別として、並かそれ以下のスペックの女子は、妥協して自分から相手を探すしかなくなっちゃてるのが現実でさ。
 それが理解できていない女の人は、「分厚い財布を持って白馬に乗った、家事もしてくれる下僕兼用の王子さま」が現れるのを、アラフォーになっても待ち続ける事になるワケで。

 マスコミ、中でもテレビは女性に弱いからね。だってテレビの視聴率を支えてるのも、CMを見てモノを買うのも女性だから、テレビは女性の気に障ることは殆ど報道しないよ。
 だから今の晩婚化も、「結婚できない男たち」みたいな視点で、主に男に責任がある……みたいな視点でばかり報道してるよね。さも「男たちよ、結婚したくば高望みはやめ、もっと女の人に気に入られるように尽くして頑張れ」って言いたげに。
 って言うか、テレビや雑誌などマスコミの報道の仕方って、未婚のアラフォー男子は「結婚できない哀れな存在」で、未婚のアラフォー女子は「仕事に人生にいろいろ頑張っていて、選択してまだ結婚しないでいる」って決めつけてるのが腹が立つんだよ。
 現実には「結婚する気のない男」も「したくても結婚できないでいる女」も、どっちも大勢いると思うんだけど。
 でもソレは「王様はハダカだよ!」と同じで、薄々気付いていても口に出しちゃあイケナイ禁忌の言葉なんだよね。
 そうだよね、男は“強い”から傷ついたりしないし、女子に何か言われたくらいで怒るのは「器がちっちゃくてみっともない」んだよね。けど女性はデリケートで傷つきやすいwから、いくら事実でもキツいことを言ったりしてはイケナイ……と。

 そのタブーを破って、男女関係の現実をズバリ言ってしまえば。
 実際に結婚したくて焦ってるくせに高望みしてるのは、むしろ女の人の方じゃないかと思うんだけど。だって男は五十になっても還暦を過ぎても子作りはできるから、「良い縁があれば」ってじっと待ってられるけど、女性はそうは行かないからね。
 そして巣を確保して子育てをする生き物である女性は、男にはどうしても女を守って自分と子供に尽くして欲しいんだよね。無意識の本能的なものにせよ、計算して考えているにせよ。
 現実の恋愛経験が乏しくて、女というイキモノに過大な夢を抱いてる甘い男は、愚かにも「女の子って、男に尽くしてくれるものだろう」って信じてしまいがちだけど。でも現実の女の子の本質は、「自分が尽くす以上に、尽くされたい」生き物なんだよ。

 だから女性は「モテる為=女の為」に頑張る肉食男子が本能的に好きで、その“モテ”を生きる第一の目的にしない草食男子やオタクを敵視するんだよ。
「自分の趣味とかに遣うお金があるなら、アタシをデートに連れてったりプレゼントとかしろよ! その方がずっと有意義だろー!!」ってのが、オタクを毛ギライする女子たちの本音なのでアリマス。
 って言うか、男の趣味に理解のない女子が多いのは、ズバリそういうワケなんだよ。男が何か趣味を持てば、その分だけ自分たち女に費やすカネも時間も減るからね。
 だから『花とみつばち』の安野モヨコさんのような経験豊富で鋭い視点を持つ女性でさえ、「モテる為に頑張る男=魅力的」と、何の疑問もなく思ってしまうんだよね。

 って言うか『花とみつばち』を読んでいると、安野モヨコさんは人としての“男”ではなく、オスとしての“オトコ”を求めているような気がする。
 でも黒沢は、オスである以前にヒトとして生きたいと思ってるから。「カノジョ欲しいよー、どこかにイイ女はいねーか!?」って、女とつがうコトしか頭に無いような“オス”にはなりたくないよ。
仕事に精出して詩を作ったりしていれば、女なんか空から降るように集まってくる
 そう言ったフランスの車の名設計者のように、モテることよりまず仕事や学問や芸術のことを考えられるヒトでありたい……って、ホントにそう思うよ。

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