空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

感情と理性と、貴方は恋でどちらをより大切にしますか?

 小説やコミックスだけでなく、ドラマや映画でも恋愛をテーマにした作品は多い。
 テーマが恋愛でなくても、恋愛の要素が全く無い作品の方が少ないくらいだ。

 で、その作品を読んだり見たりする主な対象が男性なら、主人公は男で複数の魅力的な女性が絡む、そして対象が女性なら、女の主人公に複数のイケメンが絡む話が少なくない。
 ただ、そうした作品を見たり読んだりしていて、途中からそれ以上ストーリーを追って行く気力がフッと失せてしまう事がよくある。
 その理由はズバリ、「主人公は、何でこんな相手を選ぶかなー。他のキャラの方がずっと良いのに」という不満である。

 小説でもコミックスでもドラマでも映画でも、読者あるいは観客はただ制作者が作ったストーリーに沿って、背後霊のように主人公の言動をただ見守るだけしかできない。
 だから心の中で「こっちじゃない、あっちの相手を選べよ!」といくら思っても、ストーリーは(読者や観客である貴方にとって)不本意な相手とのハッピーエンドに向かい、一直線に進んで行ってしまう。

 そもそも小説もコミックスもドラマも映画も、ストーリーは制作者がしいた一本のレールの上をただ進んで行くだけなのだ。
 ラストに行き着くまでの過程がいくら波瀾万丈でも、ストーリーが既に作られた一本道である事に違いはない。
 だからその物語に魅力的な異性がどれだけ出て来ても、主人公が誰と恋に落ちるか貴方には決められないのだ。
 貴方に出来るのは、制作者が決めた相手と主人公が恋に落ちるのを、ただ眺めている事だけなのだ。

 もちろん小説やコミックスやドラマや映画の制作者も、お客の最大公約数的な好みを理解した上で「この組み合わせが最も人にウケる筈」と考えてストーリーを作り上げているに違いない。
 ドラマや映画と違って、小説やコミックスの作者は基本的に一人だ。しかし小説やマンガも商業作品である以上、作者の後ろには編集部の人たちが付いていて、充分に話し合った上でストーリーを決めている筈だ。

 しかしそれでも、現実には「この主人公、何であんな良い相手をフッて、こんな虫の好かない相手を選ぶかなー」と途中で腹が立って来るようなストーリーが少なくない。
 恋愛が絡むストーリーでは、「主人公(同性)が、嫌いなタイプの異性を選んだ」というのが、興醒めの最大の原因になりやすいが。
 そしてそれと似ているが、「好ましい異性の主人公が、同性として嫌いなタイプの相手とくっついた」というパターンもまた、ストーリーに興醒めする大きな原因になりやすい。

 特に筆者は変わり者で、好みが皆と少し違っているらしく、その「主人公が好みの異性をフッて嫌いな異性を選んだ」あるいは「好きな異性の主人公がイヤな同性とくっついた」というパターンで、その作品に大いに興醒めする場合が少なくなかった。
 そんな筆者のニーズにぴったり合ったのが、ずばりゲームだった。
 小説やコミックスやドラマや映画では、読者や観客はあくまでもストーリーの傍観者だが、ゲームではプレーヤー自身が主人公だ。どう行動して何を言い誰を選ぶか、プレーヤーが主人公として決めて行動しなければ、ストーリーは進んで行かない。
 そして結末も主人公であるプレーヤーの選択にかかっていて、よく考えて頑張れば好みの相手とハッピーエンドを迎えられる反面、下手をすれば悲しい別れに終わるバッド・エンドもあり得るから、プレーヤーは主人公としてよりその世界に入り込んでストーリーに熱中する事になる。

 相手役のヒロインに自分の好みの相手を選べるし、ストーリーの主人公になり切ってプレイする自分が下手な行動を取れば、バッド・エンドに一直線だ。
 実に楽しいし、面白い。
 筆者はそう思うのだが、世の中の人々の反応は違う。
 恋愛小説や恋愛マンガを読んだり、恋愛ドラマや恋愛映画を見たりしても、人から馬鹿にされ世の中から冷たい目で見られる事は無い。
 しかし恋愛ゲームをするとなると、オタクと馬鹿にされ二次元萌えの変態扱いされかねない。
 何でだ! と筆者は声を大にして怒りたい。恋愛ゲームだって、恋愛小説や恋愛コミックスや恋愛ドラマや恋愛映画と同じ、立派な“作品”だ
 小説やコミックスやドラマや映画なら良くて、ゲームだと恥ずかしいオタクのものと決めつけるのは、間違いなく差別で偏見だろう。

 それにゲームには、他の小説やコミックスやドラマや映画には無い良さがあるのだ。
 前にも言ったように、小説やコミックスやドラマや映画では読者や観客は主人公の傍観者で、制作者が決めた一本道のストーリーをただ追うしかできない。
 しかしゲームではプレーヤーが主人公としてそのストーリーの世界の中で行動し、物語のエンディングを決めるのもプレーヤーである貴方自身だ。
 物語の中で“行動”し、ストーリーを動かして行くことが出来る。それが他の小説やコミックスやドラマや映画と違う、ゲームの大きな魅力だ。

 そしていろいろゲームをプレイして、いろいろ行動しているうちに、自分というものが次第に見えてくるようになる。
 ただ「自分はどんなタイプの相手が好きか?」という事だけでなく。
「人の気持ちと自分の感情と、どちらを大切にするか?」とか。
「誤解から相手と険悪な仲になってしまった時、どうするか?」とか。
「皆に良い顔をしようと思うか、それとも誰かを傷つけても、選んだ一人だけを大切にするか?」とか。
 ゲームの世界の中でいろいろ行動して行くうちに、自分の性格や行動パターンまで自然に見えてくるものだ。

ふぁいなる・あぷろーちP1090402

 例えばプリンセスソフトというメーカーの、『ふぁいなる・あぷろーち』というゲームがあって。
 これには5人のヒロインが出てくるのだが、筆者はそのうちたった一人しか選べなかった。
 と言うのは、このゲームは絵こそ西又葵さんの可愛らしいキャラを採用しているものの、誰と恋するかにプレーヤーの倫理観がそれとなく、しかし厳しく問われているからだ。

 5人のヒロインのうち、まず益田西守歌(しずか)は「純情可憐で清楚なお嬢様……を演じている、凶悪な女傑」で、妹と二人暮らしをしている主人公の家に、いきなり“婚約者”として強引に入り込むのでありマス。
 続いて水原明鐘(あかね)は主人公の妹で、大人しくて引っ込み思案デス。
 陸奥笑穂(えみほ)は主人公の同級生で、本物のお嬢様なのだが、それらしいのは外見だけで、サッパリした男のような性格で、主人公とも友達付き合いをしている。けれど同じ名家の、昔からの許婚がいる。
 守屋美紀は主人公と幼なじみで、小学校の頃までは仲良くしていたのだが中学は別になり、高校でまた再会したのだ。
 最後の芽生百合佳は、両親がいない主人公と妹の親代わりになってくれている従兄の恋人で、主人公の先輩でもある。

 ……どうでしょうか。
 原画が人気絵師の西又葵さんによるだけに、どのキャラも外見的にはとても可愛いのだけれど、実際には選びにくい相手ばかりでしょうが。
 許婚がいたり、恩人の恋人だったり。明鐘に至っては、何と自分の妹だよ?
 いくら相手が好きで恋する気持ちは抑えられないにしても、許婚がいる相手や恩人の彼女や、ましてや妹に手を出す……ってのは、人として倫理的にどうかと思うのだ。倫理観は人それぞれと言え、少なくとも筆者はね。

 実は最初は、筆者は笑穂さんが良いかな……と思っていたのだ。外見というより、お嬢様ぶらないサッパリした性格が好きだったんだよね。
 ただ笑穂さんには、昔からの許婚がいて。
 それでももし笑穂さんがその事に疑問や不満を持っていたのなら、「昔からの家と家の関係に縛られるなんておかしい!」と頑張るけれど。
 でも当の笑穂さんはその許婚と仲も良いし、許婚という関係にも疑問を持っていないし。
 なのに自分の恋愛感情だけで、「許婚だなんておかしい!」と割って入って仲を裂くのは、筆者は間違っていると思うのだ。

 続いて百合佳さんも、「恋人である主人公の従兄が、仕事が忙しいとかで最近冷たくて、寂しい思いをしている」という前提がある。
 だとしても、相手が恩人の恋人ならば、世話になっている従兄と百合佳さんがうまく行くよう仲を取り持つのが“人の道”ってものでしょ?
 従兄と百合佳さんの仲が最近微妙だからって、その百合佳さんの心の隙に付け入るような真似をするのは、泥棒猫以下の卑しい行為だと筆者は考える。

 増してや、自分の妹に恋愛感情を抱くとは、それこそ犬畜生にも劣る行為でしょうが。
 ま、こうした物語の常として、ストーリーを進めて行くうちに「兄妹として育てられたものの、実は血は繋がっていなかった」とわかるのだろうけれどね。
 でも事前にそうした予備知識なく、ただ「兄妹だ」という前提しかない状態で明鐘さんに接近しようとするのには、筆者はものすごく抵抗がある。

 で、残るは押し掛け婚約者の西守歌さんと、幼なじみの美紀さんだけれど。
 西守歌さんは「純情可憐で清楚なお嬢様……を演じている、凶悪な女傑」とは言うものの、実際に家に居座られてみると意外に良い子なんデスよ。
 そして美紀さんを選ぶには、西守歌さんを家から追い出さなければならないのだけれど、肝心の美紀さんは別に主人公に気があるような素振りも見せず、態度もアッサリしたもので……。
 なのにわざわざ西守歌さんを追い出してまで、美紀さんにセマる必要も感じなくて……。

 それで筆者は、『ふぁいなる・あぷろーち』は西守歌さんのルートしかやらなかったのだ。
 許婚のいる相手や、恩人の彼女や、ましてや妹にセマるとか、筆者の倫理観がどうしても許さなかったのだ。
 ま、美紀さんのルートはやっても良かったのだけれどね、ただ、そうするとかなり好きな西守歌さんをフッて、家から追い出さなければならなくなる。それが嫌で、美紀さんのルートも出来なかったよ。
 この『ふぁいなる・あぷろーち』でも改めて自覚させられたけれど、筆者は好きなんデスよ、清楚なお嬢様に見えて実は芯の強い女傑タイプの女性が。

 あと、筆者は間違いなく自分の恋愛感情より、人としての倫理観の方を大事にする人間なのだ。
 と言うと、「それはオマエが本当の恋をした事が無いからで、誰かを心から愛すれば許婚がいるとか恩人の彼女だとか兄妹だとか、倫理や善悪など頭で考える理屈など関係なくなる」と非難されそうだけれど。
 現実の自分の恋愛でも、筆者は彼氏がいるとわかっている女の子に横恋慕して手を出した事は全く無いデス。他にも交際相手がいるのを内緒にされて、相手にフタマタをかけられた事はあるけれどね。

 出逢った相手が、たとえどんなに魅力的でも。
 その人に彼氏がいるとわかった瞬間に、「手を出そう」という気持ちが全く無くなってしまうのだ。
 相手に対する好感は変わらないのだけれど、「付き合いたい」という気持ちがスーッと失せてしまうんだよね。
 だから他に好きな人がいる女の子に対して「何とかして振り向かせて、その彼氏から奪ってやろう」なんて、思った事はまるで無いよ。

 だって他人のものを横取りするのは泥棒じゃん。
 恋愛だって、それと同じ。
 筆者は自分の彼女にフタマタをかけられて、知らぬ間に他の男に寝取られていた痛い経験が何度かあって。
 それだけにフタマタも他人の恋人に手を出して寝取るのも、どちらも道に外れた汚らしい行為だと思ってしまうんだよね。

 でも「恋する気持ちは、理性や理屈では抑えられない」って?
 では少し、筆者自身の体験を語ろう。

 筆者には小学6年生の頃に、好きだった女の子がいて。
 相手は近くの席で同じ班だった、おとなしくて可愛い子でね。筆者が主に話しかけたりちょっかいを出したりするうちに、自然に仲良くなってさ。
 ただその頃の筆者は、すごくガキだったから。幼稚な男子にありがちな、「好きな子に逆に意地悪する」みたいな馬鹿な真似、よくやったなぁ……。
 で、その子の親友の女子から「あの子、黒沢が好きなんだって」と聞いても、ただ「ふーん」という程度で。
 好かれていると聞いても、何をしたら良いのかまるでわからなかったんだよ、あまりにガキ過ぎて。
 それでまあ仲の良い友達のような関係のまま、何の進展も無いまま中学生になってクラスも別になって、さらに高校は違う所に進学したから、顔を合わせる事も全く無くなってさ。

 ところが二十代の半ば頃に、その子と再会してしまったのだ、よく浮気や不倫のモトになるという、あの同窓会というやつで。
 問題の小学6年生の時のクラスの同窓会の幹事役が、たまたま筆者に回って来ていてさ。で、女子の方の幹事が、例の子の親友だった女の子で。
 そしてその女の子が、「二人で準備するのは大変だから、他の子にも手伝って貰おうよ」と言って引っ張り出したのが、問題の小6の時に仲の良かった例の子だったのだ。

 昔は可愛いけどおとなしくてあまり目立たなかったその子は、再会してみるとフワッとした感じの、女らしい素敵な女性になっていてさ。
 すごくイケてるし良いなって、心から思ったね。
 ただその時、子供こそまだだったけれど、その子は既に他の男性と結婚していたのだ。
「あの子、黒沢が好きなんだって」と聞いていながら、ただ「ふーん」で済ませてしまった小6の頃の自分を、本当にタコ殴りにしてやりたい気分だったね。

 同窓会の準備の打ち合わせ……って事で、その子と合って話す事が何度もあってさ。
 そして会って話す毎に、「いいなあ、好きだなあ」って思う気持ちは強くなっていったよ。
 で、その子の筆者に対する感情も、けっこう悪くない感じでさ。そしてその子は嫁姑問題ってやつを抱えて悩んでいた事もあって、「押せば落ちるかな」って感じもあったのだ。

 でも筆者は、結局その子に手は出さなかった。
 いくら好きでも、他人の妻に手を出す……って気には、本当にどうしてもなれなかったんだよ。
 だから浮気どころか、キスの一つもしていない。
 ただ同窓会の二次会で一度だけ一緒に踊って、「もっと早く出逢っていれば良かったね」と囁き合って、それだけで本当に終わりだよ。
 その子が住んでいる場所も知っているけれど、例の同窓会の後は二度と会ってないよ。

 好きになった人に、他に交際相手や結婚相手がいたら、筆者はチャンスがあっても本当に手を出さないでいる。
 それは勇気が無いからではなく、自制心と理性の問題だと自負してる。
 好きな気持ちはどうにもならなくても、その感情を行動に移すのを抑える理性と自制心の無い人間を、筆者は軽蔑する。

「理性で情を抑える」と言うと、とかく心で感じるものよりも頭で考えたことに従って動く、冷たい人のように思われがちだが。
 ただ感情のまま突っ走り、恋人のいる人や既婚者にも手を出してしまう人と。
 好きだと思う情を、人の道を考え心の中で必死に抑えて自分一人で辛い思いに耐える人と。
 さて、貴方はどちらの人の方を、より“人間らしい”と思うだろうか。

 でも、恋愛ゲームは良いよ。
 たとえ許婚のいる相手や恩人の彼女や妹に手を出しても、現実に痛い目に遭うわけではないからね。
 で、プレイしているうちに「どんなタイプの子が好きなのか」だけでなく、「理性より感情優先で、ヤバい恋にも突っ込んで行ってしまう傾向があるか?」とか、自分の恋愛の傾向もいろいろわかってくるし。

 筆者自身も、ゲームをして自分のいろいろな面がわかったよ。
「いかにも女らしい守ってあげたくなる女の子より、芯の強いキリッとした子を好きになる」とか。
「結論は急がず、すぐには動かずよく見てよく考えてから答えを出す性格だ」とか。
 あと、「変に意地っ張りで、喧嘩をすると仲直りがとても下手」という欠点も、ゲームを通して初めて自覚させられたよ。

 ゲームのプレイの仕方には、その人の性格や人間性が自然に出て来るものだから。
 別に恋愛ゲームでなくても、例えば『ゴーストリコン』や『メダル・オブ・オナー』のような、一兵士として戦場で戦うアクション系のシューティング・ゲームでは、筆者は最前線に出て敵と派手に撃ち合うより、物陰に隠れ狙撃銃で遠くから敵を一人ずつ倒して行くのを選ぶことが多いデス。
 ……ほら、にじみ出て来るでしょう、筆者のイヤーな性格がwww。

 小説やコミックスやドラマや映画と違って、ゲームでは自分が主人公になり切って、恋愛や戦場を疑似体験できるから。
 小説やコミックスやドラマや映画とは違った良さが間違いなくあるし、プレイを通して“自分”というものが見えてきたりもするのだ。
 だからただ「ゲームだから」というだけで、「オタクのもの」と馬鹿にして小説やコミックスやドラマや映画などより下の存在として見るのは、ぜひやめて貰いたいものだと思うのでありマス。

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古いオフラインのゲームを愛する者のボヤキ

 筆者は以前、このブログに自分の実体験(主に恋愛に関する痛い失恋の話)を織り交ぜながら、ゲームの話を頻繁に書いてきた。
 だがここのところ、その種の話は殆ど書けなくなっている。
 その理由はズバリ、筆者がゲームに関して完全に時代遅れになっている現実を痛感しているからだ。

 例えば今ゲームと言うと、多くの人はスマホやパソコンでやるオンラインでのものを思い浮かべるのではないだろうか。
 だが筆者は違う。
 筆者がプレイしたいのは、プレイステーションやセガサターンなどの、かつての固定機によるオフラインでのゲームなのだ。

 ゲームは読書やDVDの映画鑑賞などをするように、自分の都合のつく時間に一人でじっくりやり込みたいのである。
 ネット上の“仲間”に誘われ、他人に合わせてプレイするのがどうにも性に合わないのだ。

 また、そのゲームに自分がとれだけの対価を支払っているのかわかりにくい、課金という制度にも嫌悪感しか持てない。
 何かものを買う場合、内容を吟味しその価格が妥当であるか考えてから、購入するかどうか判断するのが普通ではないか。
 最初はタダでも総額でいくら支払う事になるのかもわからないゲームに手を出す気になど、少なくとも筆者はなれない。

 筆者は自分でもゲームにはかなり時間を費やして来た自覚はあるが、落ちゲーや格闘ゲームの類は殆どやらない。
 自分が小説やアニメやドラマの主人公になりきってプレイできるような、とにかくストーリー重視のゲームがしたいのだ。
 だから楽しさのメインは敵を倒すことにあって、ストーリーの面白さに重点を置いていないゲームは、どうにも性に合わない。

 RPGにも、ストーリーに深みがありドラマ性があるものも少なくないが。
 ただ時間の大半を主人公のレベル上げに費やされることを強いられると、時間の浪費を強いられるようで厭になってしまう。
 ストーリーを進めるうちに、プレーヤーである主人公のレベルが自然に上がって行くのならば良い。
 そうではなくて、無駄な戦いを繰り返して主人公のレベルを上げなければストーリーを進められないような、いわゆる“作業”を強いられるようなゲームは筆者は個人的に好きになれない。

 とにかくストーリー性重視で、作業的なものはキライ。
 そしてそのゲームをするなら、クリアするまでに総額いくらかかるのかも、前もってきちんと知っておきたい。
 さらに自分の都合の良い時間に、好きなだけその世界に深く入り込んでプレイしたい。
 だからスマホやパソコンでのオンラインゲームと相性の良い種類のゲームとは、筆者とは相性がひどく悪いのだ。

 少し話はそれるが、筆者がまだ大学生だった頃の話を聞いてほしい。
 当時はソシャゲをやろうにもケータイすら普及しておらず、ゲームもまだファミコンのような子供向けの単純なものしか無かった。パソコンはあったがひどく高価な一部のマニア向けのものでしか無く、ネトゲも存在していなかった。
 何しろ当時は、あの秋葉原が今のような“萌え”の街でなく、まだ電気街だったのだ。
 だからオタクの大学生も、オンラインゲームに熱中する若者もいなかった。

 では当時の大学生たちは、何を楽しんでいたか。
 それはひたすら、リアルな人間付き合いデスよ。サークル活動とかコンパとか、あるいはナンパとかwww。
 何しろスマホどころかケータイすら無いのだから、lineなどある筈も無いわけで。
 自宅通学の生徒は家の固定電話を使えたけれど、筆者が通っていた東京の某大学には地方から出て来て、トイレは共同で風呂すら無いような安アパートで下宿暮らしをしている者が多く、そんな貧乏学生に部屋に電話など引けるわけも無く……。
 だからとにかく人とは直接に会い、面と向かい合って話すしかコミュニケーションの取りようが無かったのだ。

 そんな環境だから引き籠もりになれる筈もなく、当時の若者たちは今よりずっと密な人間関係を築き合っていたよ。
 ただそれは良いだけでなく、人によっては息苦しく生きにくい面も間違いなくあった。
 部屋に籠もりネットを介して外界と繋がる余地が無いだけに、今よりずっと濃い人間関係が求められたのだ。
 今ではアルハラという言葉があるが、当時はそんな概念すら無く、「一緒に酒を飲みに行かない者は仲間外れ」という空気は、大人の職場だけでなく大学生たちの間にも間違いなくあった。

 また、当時はネトゲの代わりに麻雀という厭な遊びがあった。
 いや、麻雀そのものが悪いわけではない。
 麻雀自体は充分に面白い。
 ただ麻雀には、「四人揃わないと出来ない」という問題点がある。
 だから学内や職場などで一度“麻雀仲間”が出来てしまうと、自分に都合があっても仲間から「なあ、来てくれよ、お前が来ないと困るんだよ」と迫られて断り切れずに、自分の予定を変えて仲間と付き合う事になる。

 筆者が通った学科は、その大学の中では人気があって、受験の競争率も合格に必要とされる偏差値も高い方だった。それでか、同じ学科の者には浪人して入学して来た者が少なくなかった。
 で、入学して間もなく出来た仲良しグループで、自然にリーダー格になったのは二浪の男だった。
 彼は出身地では県下でナンバーワンの名門高校の出身だったが、受験より酒や遊びの勉強をし過ぎて二浪してしまったような遊び人だった。
 それだけに、筆者のように現役で入学して東京に出て来たばかりの者には、既に二年も東京で浪人しながら一人暮らしをしてきていた彼は、二歳という年齢差以上に大人びて世慣れているように見えた。
 それで彼は、仲間の皆に“オトウチャン”と呼ばれていた。

 そのオトウチャンには、酒の飲み方やら遊び方やら宴会でウケる猥歌やら、勉強以外のいろいろな事を教わった。
 ただ筆者には、大学在学中に果たしたい夢があった。
 家の経済的な事情でその方面の学科への進学は諦めたものの、当時の筆者には「写真家になりたい!」という夢を捨ててはいなかった。
 普通の学科に通いつつ、写真の勉強を独学で続けていつかプロの写真家としてデビューしたいと思っていた。
 家族のもとを離れて東京に進学したのも、ただその為だった。

 だが写真を撮り続けるには、とてもお金がかかった。
 まず良い機材は絶対に必要だし、それに当時の写真は銀塩フィルムだったから、フィルム代や現像料にもかなりのお金がかかった。
 今はデジタルだから、良いカメラと必要なレンズさえ揃えてしまえば後はただ撮るだけだが、銀塩フィルムの時代には写真を撮るにもその前にフィルム代の、そして撮ったら撮ったで現像料の工面をしなければならなかった。
 だから筆者は、大学時代にとても忙しかった。
 何とか留年する事にはならぬよう大学の勉強もこなしつつ、時間を作ってはアルバイトして資金を稼いでは写真を撮りに行く。そんな生活をずっと続けていた。

 いや、その暮らし自体には何の不満も無かったし、自分の夢の実現に向けて毎日充実した日々を過ごしていた。
 ただその代わり、筆者には暇も金の余裕も無かった。
 大学の他の仲間は普通に講義に出て、コンパなどで酒を飲んで青春を謳歌していたが、筆者にはその酒を飲むのに遣う金すら惜しかった。

 白状するが、筆者は写真家でも篠山紀信さんとか荒木経惟さんのような、女性を撮る専門家になりたかったのだ。
 だから高校生の頃から、可愛い女の子がいれば「モデルになって写真を撮らせて!」と頼み込んでいたし、そのおかげで初対面の女の子と話す事にも自然に慣れていた。
 少なくとも筆者は、合コンという場で酒の力を借りたりせずとも、素面で一対一で気になる女の子に話しかける事が出来た。まあ、これも後々仲間から嫉まれて悪く言われる理由の一つになるのだが……。

 でもそんな筆者だからこそ、どうしても「飲み会に遣うカネがあれば、何本フィルムを買えるだろう」という気持ちになってしまうわけだ。
 同性の友達同士とも、筆者はお酒が無くとも楽しく喋る事ができるし、そもそも「一緒に飲んでハメを外して騒がなきゃ面白くないし、仲間になれない」という感覚が基本的に理解できないのだ。
 相手が女であれ男であれ、筆者は本音で腹を割って話したり口説いたりするのに酒の力を借りる必要を全く感じない人間なのだ
 で、筆者はつい飲み会は敬遠して、より写真に打ち込むようになってしまった。

 そして筆者の大学の仲間がはっきり割れたのは、例の“オトウチャン”が仲間たちに麻雀を教え始めた事だった。
 最初、仲間たちに麻雀のやり方を知っている者はオトウチャン以外に誰もおらず、だからオトウチャンも遠慮していたようだ。
 だが月日が経って仲間たちがより仲良くなってから、オトウチャンは仲間たちを麻雀に誘うようになった。「絶対楽しいし、わからないなら教えるから」と。
 で、仲間たちは一人、そしてまた一人と麻雀を始めるようになった。
 当然、麻雀を始めたやつらは、オトウチャンなどの下宿の部屋に入り浸って、連日遅くまで麻雀をするようになる。
 そして最後まで麻雀をやろうとしなかったのは、夜にはきちんと帰らなければならない自宅通学の者たちと、そして時間が自由になる下宿生の中では筆者一人だけだった。

 筆者がなぜ麻雀に手を出さなかったか。
 それは四人いないと出来ないから、始めたら最後、「なあ、これから麻雀やろうぜ。お前が来ないと面子が揃わねーんだよ。だから、な、いいだろ?」と始終誘われる事になるのが分かり切っていたからだ。
 他にやりたい事、東京で果たしたい夢があった筆者は、麻雀などで毎日ずるずるダラダラ時間を使わされるなど、真っ平だった。

 で、結局どうなったかと言うと、麻雀もやらず、飲みに行くのも積極的で無かった自宅通学生たちと筆者が、いつの間にか自然に仲間から外されていた。
 麻雀をやらず、飲み会にもあまり顔を出さないから。
 本当に、ただそれだけの理由で。

 正直に言って、筆者はいつもつるんで酒を飲んでは愚痴やくだらない話をして時間を潰すようなウェットな人間関係は苦手だ。
 だがその代わり、相手が真剣に悩んでいる時には自分の事は後回しにしてでも相談に乗って助けた。
 飲んで馬鹿騒ぎをするのには良い顔をしなかったが、素面の時の真面目な人生相談には真剣に乗ってきたつもりだ。
 普段の付き合いはあっさりして群れずに個人の自由重視でも、助ける時はちゃんと助ける。そんな人間関係が筆者の理想だったのだ。
 だが“仲間たち”は違った。
 一緒に飲まず、麻雀も覚えようとさえしない。
 それで友達付き合いを切られたのだ。

 それまで筆者のような者にも優しく接してくれていた、宇津さん(仮名)という女性の先輩にすら、こう言われたよ。
「みんな純粋な、ほんとに良い人達なのよ。でも君は、彼らを否定したよね? だから切られても当然だと思うわ」

 彼らを否定した?
 とんでもない、筆者は彼らを悪く言って否定した事など、本当にただの一度も無かったよ。
 ただ麻雀の仲間に加わらず、飲み会にも積極的でなく、そして皆とは違った生き方をしていて、それを隠さなかっただけだ。
 でもそれが、周りと合わせず違った生き方をするという事が、日本の社会では「皆を否定した」という事になるんだよね。

 バッカみてぇ
 その宇津先輩の「皆を否定した」という理論を聞いて、心からそう思ったよ。
 それでますます、筆者は飲み会と麻雀が嫌いになったわけデス。
 飲み会と麻雀と言うより、日本の風土の中に間違いなく存在する、個の存在を否定して周りに合わせる事を強要するムードには、ただ嫌悪感しか抱けない

 で、モンハンなど最近のオンラインゲームに、筆者はそれに似た厭な空気を感じるのだ。
 筆者はゲームは好きだが、ゲームに人生を費やすつもりは無いし、やりたい事や果たしたい夢は他にもある。
 要するに、筆者にとってゲームは自分の人生の最優先事項では無いのだ。
 だから空いている時間に、自分の都合にのみ合わせて、誰にも気兼ねせずに自由にやりたい
 ネット上でも昔の麻雀友達みたいな仲間を作って、「お前がいないとミッションがクリア出来ねーんだよ」とゲームに駆り出されるのは真っ平御免だ。

 さらにボタン操作や反射神経でのプレイを楽しむのではなく、主に深みのあるストーリーと登場人物の魅力を堪能したい筆者としては、スマホで暇潰しにやるような落ちゲーやカードゲームにも没頭できないのだ。
 筆者にとってゲームは単なる暇潰しではなく、自分を想像の別世界に誘ってくれる、映画や小説と同等の大切な存在なのだ。
 だから筆者は、気に入ったゲームは完全クリアした後でも、好きな映画のDVDを繰り返し見るように、何度も繰り返しプレイしている。
 ストーリー重視で主にアドベンチャー・ゲームをしている筆者にとっては、好きなゲームはお気に入りの映画のDVDと全く同じなのだ。

 そんな筆者を悩ませているのは、ゲーム機のハードの問題だ。
 正直に言うと、ブログにゲームの事もあれこれ書いてきながら、ハードの方はセガサターンプレステ2までしか持っていないのだ。
 プレステ3については、買おうかどうしようか本当にかなり迷った。しかしプレステ3でしかプレイ出来ない魅力的なソフトが充分にでそろわないうちに、プレステ3が改悪されてしまった。

 初期のプレステ3はソフトに互換性があって、プレステのゲームもプレステ2のゲームもプレイ出来た。それがいつの間にか、プレステ2のゲームはプレイ出来ないようにされてしまったのだ。
 おかげでその初期のプレステ3を買おうにも、今では中古市場でも数が少なく値段も高くなってしまっている有り様だ。
 そしてプレステ4に至っては、最初からオンラインで使うことを前提にしたような仕様だ。

 PCゲームでもそうだが、より高性能なハードを必要とするのはRPGやアクション系のゲームだろう。そして筆者が主にやり込んで来たアドベンチャー系のゲームは、プレステ2程度の性能があれば充分に思える。
 PCで言えば、少し前に流行ったネットブックでも充分プレイ可能なレベルだ。
 実際、プレステ3用で定評あるアドベンチャー・ゲームは、「プレステ3を買おう!」と思わせるほど多くは出ていないように思える。
 そしてプレステ4が充分に世間に普及する前に、ゲームの世界そのものが激変してしまった。
 ネットでの“出逢い”を求めてか、それとも暇潰し用の(スマホ画面のサイズでは)綺麗なグラフィックの落ちゲーやカードバトルを求めてか、ソフトがオンライン向けにシフトしてしまって、オフライン用のコンシューマー用のゲームソフトはあっと言う間に少数派になってしまった。
 そしてそれは、同時に「コンシューマー用のゲーム機そのものも、もう見捨てられた過去の遺物になりつつある」という事でもある。

 それは時代の流れで、仕方の無い事なのかも知れない。
 今やカメラは完全にデジタルに切り替わり、過去の銀塩カメラは金属製の文鎮も同然の存在になってしまったように。
 だが筆者の手元には、プレステ2やプレステやセガサターンのゲームソフトが数百枚ある
 そしてそれらは、プレステ2やセガサターン本体の寿命が尽きると共に、もう二度とプレイ出来なくなってしまうのだ。

 前にも書いた通り、筆者にとってストーリーや登場人物の魅力が深く心に残った良作ゲームは、名作映画のDVDと同じである。
 そして買った映画のDVDがハードの問題で再生出来なくなる事は(今のところ)まず考えられないが、ゲームは違う。セガサターンはもちろん、プレステ2もメーカーですら修理してくれる期限が迫っているのではないだろうか。
 実は筆者も、セガサターンとプレステ2を一台ずつ使い潰していて、今は予備に買っておいたハードでプレイしている。

 まあ、エミュレーターを導入して、PCで昔のゲームをプレイする方法も無いではないが。
 しかしセガやプレステのゲームソフトが数多く出荷され、今もあちこちの家庭に残っている現状を考えれば、ハードのメーカー(特にソニー!)にも昔のゲームをプレイ出来る、プレステ2程度のゲーム機を供給し続ける義務があるのではないかと、一昔前のゲームの熱心なファンとして考える。

「ゲーム=オンライン」が常識という、近年の急激な状況の変化に気落ちして、ここのところゲームの話題は避けて通ってきた筆者だが。
 まだプレステ2やセガサターンのゲームを楽しんでいるという方がいらっしゃるなら、またそのうちゲームの話もさせていただきたいと思っておりマス。

 それにしても、プレステはどうあれセガサターンのハードは丈夫デス。
 あのナチスドイツの戦車軍団の将軍になって、世界征服を試みるというという『千年帝国の興亡』のやり込み過ぎで、確かに一台は使い潰してしまったけれど。
 それでも予備用に某ハードオフで千円程度で買った、1995年製造のセガサターンが、パワーメモリー共々何の問題も無く今も元気に働いているよ。

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ギャルゲー脳の“萌え豚”はやはりキモくて死ぬべき? サイテー過ぎるぞ『よつのは』

 ギャルゲーが好きな男子が世間から白い目で見られがちなのは、黒沢もよくわかってるよ。
 だからこそ、「ギャルゲーも他の恋愛小説やマンガや映画やアニメと同じで、良いものだって間違いなくある!」って事をわかってほしくて、このブログを書き始めたのだけれど。
 でもね。
「何だよ、このクソみてーなゲーム!」
 ってムカついちゃうような、世間の悪いイメージそのままのギャルゲーも確かに存在する
んだよね。
 ただ「つまらない」ってだけなら、まだ許せるんだけれど。一部のゲームはプレイしてて、「ギャルゲー好きはやっぱり変態で頭がオカシイ、キモいから側に寄るな!」って言いたくなっちゃうくらい不快になっちゃうんだよ。

 例えば『よつのは』ってやつ。
 プレーヤーが自分の分身としてゲームの中でなりきらなければならない主人公は、ズバリ痴漢で変態デス。
 何しろまず幼なじみの女の子に「お尻に触っていい?」とかのセクハラ発言連発で、さらにスカートめくりも実行した揚げ句に「下着ぐらい見てもいいじゃねえか」と居直る始末だよ。さらに「俺のも見せてやるよ、ほれ。ほれ」とズボンを脱ぎ出すとか、今度は露出狂デスか、っての。
 現実にこんなコトやってみな? 間違いなく女の子たち皆に嫌われて爪弾きに遭うに違いないよ。

 でもこの『よつのは』ってギャルゲーの中では、女の子たちはこの主人公(誠)を怒るどころか、優しーく甘い声で窘めるだけなんだよね。
まぁくん、めー!
 ……怒る時に「めー!」って、主人公の“まぁくん”はいったい何歳だっての。
 うん、設定では間違いなく高校生の筈だけど。
 それで「めー!」って甘く優しく怒られたいって、3~4歳の幼児もしくは精神年齢がそのくらいの低脳か、でなければ幼児プレイが好きな変態サンだけだってば。
 少なくとも高校生にもなる男子が「めー!」とか怒られるって、普通の感性なら気持ちワルい筈だと思うけど。
 けどこの『よつのは』のセカイでは、主人公は「めー!」と幼稚園児みたいに叱られても平気で、それどころか更に調子に乗って、ヒロインにセクハラ発言やスカートめくりを繰り返す始末だよ。

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 よくさ、「但しイケメンに限る」って言うじゃん。
 うん、確かにそういう現実も間違いなくある。
 でもね、その言い方の中にはブサメンのヒガミもかなり込められていると思うよ。
 だってセクハラ発言とか変態行為とか、実際には「イケメンがやれば許されてる」ってワケじゃないし。

 考えてみて。キミの周りにも居るイケメン君がさ、女子に「尻にさわらせろ!」とか言い出したり、いきなりスカートめくったり、自分のズボン下ろして「ほれ、ほれ」とか見せたりしてるかい?
 確かにイケメン君たちは、女の子たちにいろいろエッチなコトをして、ブサメンたちには想像もできないくらいイイ思いもしてるけどさ。ただ彼らのエッチに至るまでの誘い方は、キミらより間違いなくもっとずっとスマートだから。

 例の「但しイケメンに限る」ってのを、キミらはすぐ言い訳にするけどさ。でも実際には、ただ顔の良し悪しだけじゃないんだってば。そもそも誘い方やムードの作り方から、イケメン君たちは違うんだよ。
 ってゆーか、少なくともリア充のイケメン君達は、いきなり「触らせろ!」と迫ったりとかスカートをめくったりとか、さらには自分から露出行為に及ぶみたいなみっともない真似、まずしていないから。

 イケメン君って、確かに何人もの女の子達とHなコトして楽しくやってるよ。でもそれって、エロトークやオサワリみたいな直接的で品のない事などせず、上手に口説いてムードを盛り上げ“恋愛”としてエッチに持ち込んでるんだよね。
 女の子とHなコトをするにしても、イケメン君とブサメンはまずそれに至るまでのムード作りから全然違うんだよ。違うのはもって生まれた顔の造作の差だけじゃないんだよ、マジで。

 でもブサメンの男子って、その恋愛→エッチに至る雰囲気作りの問題をまるで無視して、ギャグのつもりでエロトークをかまして一人悦に入ってたり、積極的なアプローチのつもりでセクハラまがいの行為に出たりしちゃうから始末が悪いよ。
 ハッキリ言うよ。空気も読まずに女子に下ネタのギャグをかましたり、いきなり触ったり脱いで見せたりする男って、まず間違いなくブサメンだね。そしてその揚げ句にドン引きされて、「フン、どーせ“イケメンに限る”なんだろ」とか逆ギレしてさ。
 そーゆーのを、傍迷惑でとんだ勘違い野郎の“勘助”とも言いマス。

 黒沢が見るに、ブサメンの女の子に対する態度って両極端なんだよね。
 まず大半のブサメンはシャイで遠慮がちで、女の子にろくに声もかけられずにほぼ「実年齢=彼女いない歴」のままでいて。そして一部の恥知らずで鈍感なブサメン(勘助)が、スマートさの欠片もないまま下ネタ全開で破廉恥な行為に及んで、女の子に毛嫌いされてさ。
 で、例の『よつのは』の主人公の“まぁくん”の言動って、その恥知らずで鈍感なブサメンそのまんまなんだよね。

 ゲームの制作者としては、「主人公はイケメンで、だから何をしても女子に許される」って設定のつもりなのだろうけど。現実にはいくらイケメンでも、例の“まぁくん”みたいに「触らせろ」と迫り、スカートめくりも実行して、さらにはそのお返しにwwwと自分もズボンを脱いで「ほれ、ほれ」とか見せるような恥ずかしい真似をしでかしたら、まず間違いなく白い目で見られるよ。
 あの「但しイケメンに限る」ってのも、間違いなく時と場合によるんだよ。ただイケメンでさえあれば『よつのは』の主人公“まぁくん”みたいにセクハラ&痴漢&変態行為に及んでも嫌われないで、女の子に「めー!」と優しく叱られるだけとか、「制作者は頭がおかしいんじゃねーの?」って感じだね。

 だからこの『よつのは』、黒沢はゲームを始めて二十分も耐えられなかったよ。このセクハラ全開の上に痴漢で露出狂の主人公としてプレイするのが、余りにも気持ち悪すぎてね。
 でもネットで調べてみると、このズボンを下ろして「ほれ、ほれ」の“まぁくん”は「仲間思いで、いざとなれば体も張る」のだそうで。
 序盤のセクハラ発言や痴漢&変態行為に目を瞑ってプレイし続ければ、主人公の良いところもわかってくるのかも知れないけど。でも黒沢は序盤の非常識ぶり(←コレを破天荒とはとても言いたくナイ)に、もう怒りすら覚えて、やり続けるコトに耐えられずに放り出してしまったのだ。
 例のセクハラ発言や痴漢&変態行為の他にも、「学校の備品を壊す」とか、「皆が揃ったら開ける約束のタイムカプセルを、ヒロインの制止を押し切って勝手に開けちゃう」とか、ホント身勝手で非常識極まりないんだよ、この『よつのは』の主人公って。

 と言っても、黒沢だってエッチなゲームやマンガを全否定してるワケじゃないんだよ。
 例えばぢたま某氏の、『キスシス』ってマンガがあってね。コレは「ちょっとH」どころか、ハッキリ言って「かなりH」で18禁スレスレみたいな際どいシーンもあったりするよ。
「どっちがHか?」と言えば、間違いなくこの『キスシス』の方が、問題の『よつのは』よりずっとエロいデス。
 でもこの『キスシス』、読んでみた印象は意外なくらい悪くなかったよ。

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 と言うのはね、主人公の圭太が同性から見ても好感の持てる良い奴だったから。ただイケメンって言うだけじゃなくてスポーツも出来て、勉強もそこそこで決してできないワケではなく、人柄も誰からも好かれそうな好青年……って感じでね。
 その圭太は、親同士の再婚で一つ上の双子の姉と同居するコトになるのだけれど、イケメンでしかも好青年(好少年?)だから、当然のようにその姉たちから溺愛されてさ。
 姉と弟とは言え、血の繋がりは無いから恋愛関係になっても問題は全くナイわけで。しかも姉は一人ではなく双子でしょ? だから互いに相手に負けまい、取られまいと、主人公に対するアプローチが自然にエスカレートするワケで。
 しかも主人公は好青年だから、同級生の女の子やら下級生のコやらにも好かれて、それで双子の姉たちはさらに主人公を取られまいと張り合って……と。

 それに対して主人公は、「姉弟だから」ってかなり自制してるんだよね。「チャ~ンス!」とばかりにエロいコトをするんじゃなくて、むしろ暴走しがちな姉たちにストップをかける感じで。
 自分から「触らせろ!」なんてセマったりしないし、スカートめくりもしないし(相手から強要された場合は除いて)、ましてや露出狂じみた真似をして「ほれ、ほれ」なんて見せたりもしない。

 ま、ソコは高校生の健全な男子だから、女の子達にセマられた揚げ句に、ムードに流されそうになっちゃうコトもあるんだけどね。
 でもいろいろエロい場面はあるけれど、それは女の子達が自分の意志でセマって来た結果や、偶然のアクシデント(いわゆるラッキースケベ)のせいであって、主人公自身が手を出してセクハラ行為をしてるワケじゃないんだよ。
 って言うか、主人公も心の中ではその年代の男子にふさわしい煩悩を抱えているのだけれど、周囲の女の子達に対してはあくまでも“良い奴”なんだよね。
 だから「こんな奴なら、モテて当然」って納得も行くし、客観的に見ればかなり際どくてエロいシーンがあっても、セクハラ行為が無いから不快感なく見られちゃうんだ。

 でもギャルゲーには、主人公がセクハラしまくりと言うか、言動がエロ親父そのものの作品が少なくないんだよね。
 主人公はたいてい無気力でネボスケでだらしないダメ男のくせに、ただ「自分は男だから」って女の子に対しては偉そうに振る舞う俺様男でさ。そしてエロトークは連発するわ、セクハラ行為も平気でして、にもかかわらずヒロイン達女の子はナゼかそれを受け入れて、恥ずかしげに窘めるだけで。

 そうそう、オタクのブサメンの間には、ナゼか「エロトークは女子にウケる」みたいな勘違いがあるけれど。でもソレ、絶対に勘違いだから。
 いや、いくら黒沢だって「女の子は真面目で、エロ話なんかしません」なんて言うつもりはないよ? 女の子にだって性欲はあるし、女の子同士ではエッチな話だってしているさ。
 ただエロトークの質と中身が、男と女ではかなり違うんだよ。それを女子の実態を知らない男は、すんごく勘違いしてるんだよね。

 エロいようでも、男は自分自身に関するエロ話をするのに何となく照れがあってさ。だからエロ話をする時、ついギャグにして語っちゃうよね。
 で、笑いを取るギャグのつもりで、下ネタ満載のエロトークを大声でかまして、女子達から「下品なセクハラ野郎」と白い目で見られたりして。
 それに対して女の子同士のナイショのエロ話って、男がするそれよりずっと濃くてリアルなんだよ。自分と彼氏がHした時に、彼氏がどうしたかを、微に入り細に入り事細かに語るんだよ。それはもう、男がまともに聞いたら赤面するくらいリアルにね。
 男同士ではさ、自分のモノの大きさや形とか、勃起時の持続時間とか、あるいは自分のプレイの仕方やら相手の反応やら、そーゆーコトをギャグ抜きで真剣に語り合ったりしないじゃん。
 でも女子達は、そうしたリアルなエロ話を濃密に語り合うんだよ。

 かつて黒沢が、ある処女の子とホテルにお泊まりした時のこと。相手の子は何しろ処女だし、男とどこかにお泊まりするのも初めてだから、もう緊張しまくりでさ。
 だから愛撫も済ませて「いざ!」となっても、相手の子はガッチガチになってて。やられる覚悟は出来てるんだけど、雰囲気としては昔の武士が一騎打ちをして組み伏せられて、「目を閉じて止めを刺されるのを待つ」みたいな感じで……。
 それで黒沢としても、何か自分がか弱い子を傷つける加害者みたいな気持ちになっちゃって、急に萎えてしまったのデスよ。
 で、その晩は最後までせずに、ただ一緒に寝るだけで終わったのだけど。自分としても残念ではあったけど、無理にしようとは思ってなかったし、「最後までやるのはまあ次の機会でいいや」と。

 ところがデスね、最後まで行かなかったコトに、その緊張して固くなりまくりだった相手の子の方が、逆に不安になってしまったようで。
 それでその子は、自分の親友にその晩のコトを事細かに“報告”した上に、いろいろ“相談”なさってくれたんだよね。「彼氏にセマられてホテルに行ったんだけど、彼氏がデキなくなっちゃって、それってワタシに魅力が無かったのかなー、それとも彼氏の機能に何か問題があるんだと思う?」みたいに。
 で、次の機会にホテルに行ってようやく最後までするまで、黒沢は彼女の友達にイ○ポ疑惑を持たれていましたとさ。

 うん、女の子の友達同士って、互いのカラダやエッチの体験のこととか、マジでそこまでリアルかつ具体的に語り合うものなんだよ。そーゆー女同士のエロトークって、男同士の話よりずっとあけすけで露骨だから。
 で、幸運にも(?)魔法使いになる権利を失ってしまった、三次の彼女がいるキミにハッキリ言っておくよ。キミがどんなプレイが好きで、エッチが巧いか下手かとか、どんな頻度でヤリたがるとか、彼女の友達も皆知っていると思ってまず間違いナイね。
 だから特に別れた元カノなんかには、「あの短小速撃ちオトコがさー」とか陰で言い触らされていても、何も不思議ではないのだ。

 そんな感じで、女の子にとってエロ話ってのは、気心の知れたごく仲の良い同性の友達と、小声でヒソヒソ語り合うものなんだよ。男がよくしているように、ジョークとして大声で語って、笑いのネタにするようなものでは決してないワケ。
 でもそこのトコをわかってないバカ男がさ、「下ネタはウケる」と勘違いしてるんだよね。特に実年齢=彼女いない歴の喪男に、「男がエロ話をすると相手の女の子はポッと頬を赤らめ、でも内心喜んでる」みたいに思い込んでいるヤツが多いけど。
 その種の男にハッキリ言うよ、アンタ馬鹿だね
 下ネタをジョークのつもりで女子にしつこく振る男って、女子からは間違いなく「下品なセクハラ男」と認定されてるから。

 ギャルゲーのシナリオライターに、田中ロミオって人がいてさ。このヒトの書くシナリオが、ギャルゲーマーには「面白い」って評判で、もう一部には信者って言って良いくらいの熱心なファンもいるくらいでね。
 けど黒沢はこの田中ロミオ氏のシナリオって、大っ嫌いなんだよ。もうね、「生理的に受け付けない」って言うくらいダメなんだ。
 田中ロミオ氏の代表作と言えば、まずは『CROSS CHANNEL』だけど。黒沢はコレ、プレイしていて苦痛で苦痛で、一人もクリアせずに途中で放り出してしまったよ。

 何が苦痛だったかって、とにかく主人公のキャラというか言動がヒド過ぎて。だって高校生男子の筈なのに、中年セクハラ親父そのものの下ネタ、エロトークを連発するんだもの。そしてヒロイン達には、まるでガキみたいな悪ふざけもするしね。
 さらにその後ろに、ソレ(エロ親父ギャグ)をユーモアのつもりで「どうだ面白かろ、笑えや」って悦に入っているシナリオライター氏の姿が垣間見えてすごく不快だった。

 でもただ一つの作品だけで、このシナリオライターは駄目って決めつけてしまうのも良くないと思ってさ。それで「豪華スタッフ陣・メインシナリオ田中ロミオ」を売りにしてた、『Chanter』ってゲームもやってみたよ。
 ……うん、コレもやはり生理的にダメで、一人もクリアせず序盤で放棄してしまいマシタ。
 何かイヤかって、主人公のキャラがとにかく不快なんだよ。『CROSS CHANNEL』と同じで、下ネタギャグ連発の、絵に描いたような中年エロ親父みたいなヤツでさ。

 でもこの田中ロミオ氏に限らず、ギャルゲーにはそのテの、社内の若手女子社員たちに「セクハラ親父」と認定されて嫌われてそうなオッサンみたいな言動をとる主人公が少なくないんだよねぇ……。
 って言うか、女の子にエッチなことを言って、相手が可愛く恥じらうところを見てみたい」みたいな願望が、ゲーム内の台詞のやりとりに満ち溢れてるんだよね。
 だいたいその「エッチなことを言って、女の子を恥ずかしがらせてみたい」って発想そのものが、女子社員に厭がられる中年エロ親父のソレでしょ?
 なのにその主人公がモテモテ……って、リアルなセカイでは絶対あり得ないから。って言うかモテるイケメンほど女子にはスマートに振る舞って、セクハラまがいのエロトークなんか間違ってもかましたりしまセンから。

 ネットの某巨大掲示板に、要約するとこんな感じの相談事がアップされていてね。
 相談者は女の人で、まあオタで男の人とはあまり縁が無かったのだけれど、同じオタの男のヒトと知り合って、結局結婚することになったワケ。そしたらそのヒトが、相談者である奥さんが厭がるのにもかかわらず、主に奥さんをネタにしたエロトークをしたがって困ってる……っての。
「喪男だけど真面目な良い人だと思っていたのに、厭がってもエッチなギャグを止めてくれないのは、どうしてだろう」って。
 でさ、いろいろ意見が寄せられた末におおよそまとまった結論ってのが、「それまでモテなくて彼女もいなかったものだから、エッチな話が出来る女の人が初めて出来て嬉しくて仕方ないんだろう」っての。

 うん、その奥さん相手にエロいギャグを言いたがる男(オタで喪男)の心理って、黒沢もそんなところだろうと思う。だとしても、「相手が厭がってるのにエロトークを続けて悦に入ってる喪男」って、傍から見ていてかなりイタいものがあるけどね。
 それと、黒沢が思うにそのオタで喪男の旦那、独身の頃にまず間違いなくギャルゲー、それもエロゲと言われる18禁のをかなりやり込んでるよ。

 で、ゲーム脳って言うのかな、リアルなセカイで生身の女子とお付き合いした経験の無いまま、田中ロミオ氏のゲームや『よつのは』の主人公みたいな感覚で、女の子にエロいギャグを言えば「○○くんのエッチ!」と可愛く恥じらいつつ、厭がらずに受け入れてくれると思いこんじゃってるんだよね。
 実際、その「主人公はエロいギャグを言ったりエッチな悪ふざけをして、そしてヒロインたちも恥じらったり可愛く怒ったりしつつ、本心では喜んで受け入れてる」ってパターンが、エロゲ系のギャルゲーにはかなり多いからね。
 だからこの「エロトークを連発する男はキモいし女の子に嫌われる」って現実が、三次の女子とは無縁で付き合えた“彼女”はギャルゲー(エロゲ)のヒロインのみ……ってオタにわかんないんだろうな……って、ギャルゲーをいろいろプレイしていてつくづく思うよ。

 けど黒沢がどう思おうが、主人公は痴漢で変態なエロ男の『よつのは』が、ただゲームとして商品化されているだけでなく、コミックス化もされていてさ。
 そしてまた田中ロミオ氏などによる、中年エロ親父そのものの下ネタギャグが、かなりのギャルゲーマーに「面白い」とウケてるのも確かな事実なんだ。

 というコトは、痴漢&変態的な行為やエロ親父的な言動が、ギャルゲーや萌え系マンガ好きの間では「良し」として支持されてる……ってコトだよね?
 そーゆー現実を見てしまうと、やはり「ギャルゲーマーって、モテないだろうな」と心から思ってしまうよ。少なくとも主人公が痴漢&変態的な行動を取ったり、女の子にエッチなことを言ってその反応を楽しんでるようなゲームを「楽しい」と思えるようなキミはまず彼女など作れないし、「一生素人童貞で魔法使いケテーイ!」だね。

 初めにも書いた通り、黒沢は「ギャルゲーにも小説やマンガや映画やアニメと同じように、良い作品が間違いなくある!」という事をわかってほしい……って、ずっと思っていたのだけれど。
 でも例の『よつのは』のようなギャルゲーや田中ロミオ氏のシナリオを心から楽しめてしまうオタはホントにキモいし、世間から白い目で見られても当たり前だって、心から思うよ。

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隠れた名作ゲーム『おかえりっ!』

 黒沢は自他ともに認めるゲーム好きだけど。
 ギャルゲー以外にも、普段はできないことを疑似体験できるシミュレーター系のゲームも、好きでかなりやってるよ。
 有名どころでは『電車でGO!』とか『エースコンバット』とか、一時期はかなりハマってやりこんじゃったなー。
 あと、黒沢はミリオタの傾向もありマスから。FPSの名作『ゴーストリコン』のシリーズはすべて揃えたし、知る人ぞ知る『パンツァー・フロント』にも深くハマって、第二次世界大戦中の有名な戦車に乗って、戦史に残る戦場に“出て”みたりしてね。

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 でもね。そんな黒沢でも自動車系のゲームにだけは、どうしてもハマれなかったな。ほら、実在する車に乗って、首都高とか有名な峠道やサーキットでタイムアタックする……みたいな。
 例えば『グランツーリスモ』のシリーズなんか、ゲームとしては確かにすごく良く出来てるとは思ったよ。
 けど実際に免許を持っていて、首都高もいろんな峠道も走ったコトのある黒沢としては、どうしても「違うな」って感じてしまう面があってさ。

 白状シマス、黒沢はただ免許があるだけでなく車を運転するのも大好きでさ。で、飛ばせる道があるとつい血が騒いでしまって、特に峠道では「いかに減速せずにキレイにカーブを曲がるか」ってコトに熱中してしまうのデス。
 ハイ、おかげさまでスピード違反で切符を切られたコト、一発免停も含めて複数回あったりシマス。
 こんなバカ野郎だけに、車関係のゲームはどれだけ上手に作ってあっても、車の動きやら操作やらいろいろな点で、「実際と違う」って違和感を拭えなくて楽しめないんだよね。
 だから黒沢は、「車関係のゲームは、まだ免許のない運転未経験者が楽しむもの」って思ってる。
 同じようにプロの電車運転士は『電車でGO!』の電車の動きに違和感を抱くだろうし、実戦経験のある兵士でFPSゲームを楽しめる人はまず居ないだろうと思う。

 黒沢が『パンツァー・フロント』で憧れのドイツ軍の戦車に乗って、仇敵ロシア軍と戦うのにハマれたのも、実際に戦車に乗ったことも本当の戦場に出たことも無いからだと思う。
 戦闘機での空戦や、特殊部隊の兵士として最前線で戦うゲームをリアルに感じて楽しめたのも、それは黒沢がそのセカイを現実には未体験だったからでさ。
 ……うん、だからね、知らないからこそ楽しめて、詳しく知っているほど醒めてしまう」ってコト、残念ながらけっこうあるんだよね。

 それはゲームだけじゃなくて、小説やドラマなどでも同じだよ。
 例えば「日本中を旅しながら事件を解決して回る刑事」のミステリーとか、実際の警察官から見たら噴飯モノだろうしね。
 って言うか、刑事モノのドラマって、ホント現実とは違うものばかりだし。
 あと、教師を描いたモノもヒドいのが多いね。あの『金八先生』でさえ、現場の教師達は「あれだけ特定の問題児にだけ関わり合っていて、いつフツーの仕事をしているんだろう?」と呆れていたし。ぶっちゃけ「教師の仕事はこんなヒマじゃねーよ」と
 時代劇も似たようなもので、歴史に詳しくなればなるほど、ツッコミたい部分が増えてしまうのが現実でさ。「こんなのあり得ない、コレは絶対違うから!」って。

 結局さ、ゲームも小説もドラマもマンガも、創作モノってのは想像による産物なワケじゃん。で、現実を知らないからこそ、その想像力が自由に働くんだよね。
「現実をよく知ってる」って、創作者にはある意味すごく辛いことでね。刑事や教師の仕事の中身や、史実を詳しく正確に知れば知るほど、創作する上で「そんなコトあり得ない」って事実が頭の中に増えて行っちゃうんだよね。
 知らないからこそ好きに書けて、逆に詳しいから自由に書けなくなっちゃう……ってのが、ゲームや小説やドラマやマンガも含めたお話作りの現実なんだ。

 だからさ、ギャルゲーでも同級生たちはともかくとして、教師には特にリアル感の無いキャラが多いように思う。何かいかにもステレオタイプな、パターン化された漫画的なキャラが多くてさ。
 それでもゲームに出てくる教師が、脇役レベルならまだ良いんだけどさ。攻略対象のヒロインの一人だったりすると、頼りなさ過ぎる上に女度が妙に高い、教師として絶対あり得ないヒトばっかりで。
 またさー、「主人公(♂)が教師」ってギャルゲーもあるけれど、まー制作者が教師の仕事や実態を知らな過ぎと言うか、明らかに「あり得ねー!」ってわかるメチャクチャな“先生”ばかりなんだよね。
 って言うか、ギャルゲーで主人公が教師の場合、攻略対象は当然教え子の女生徒、ってコトになっちゃうからね。そもそも設定自体がモラルに反しているわけ(犯罪?)だから、破天荒で無茶な教師でなきゃゲームにならないんだろうけどさ。

 実は黒沢の親戚には教師が複数おりまして、まず母方の祖父が教師で、伯父伯母や従姉妹にも教師がいてさ。
 って言うかそもそも黒沢の家系には、教師や公務員がかなり多くてさ。それだけに写真家志望で堅気の仕事に背を向けてきた黒沢は、一族の中では昔から鬼っ子みたいな存在だったよ。
 でもだからこそ、教師の仕事や実態については、黒沢は一般のヒトよりかなり詳しいと思う。
 それだけにねー、ドラマでも小説でもゲームでも、その中に描かれる教師について「ありえねー!」って呆れたりシラケてしまう場合が少なくないんだ。例の「自分が車の運転が好きで、実際に峠道を攻めて走ったコトがあるだけに、アラが目について車(レース)関係のゲームが楽しめない」ってのと、全く同じ理屈でね。

 そんな黒沢を夢中にさせてしまった、とっても素晴らしい出来の「主人公が教師」ってゲームが二つほどありまして。
 ズバリ『おかえりっ!』と『はるのあしおと』デス。
 このうち『はるのあしおと』については、新海誠氏が手掛けた素晴らしいオープニングのアニメについても含めて、章を改めて詳しく語りたいと思ってマス。で、今回はまず『おかえりっ! ~夕凪色の恋物語~』について紹介するね。

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 この『おかえりっ!』は、もういろんな意味で不遇なゲームでね。
 まずゲーム機は既にプレステ2の時代になっていた2001年に、旧規格のプレステのゲームとして出された事。
 それも“SIMPLE1500シリーズ”っていう、とにかく低価格がウリみたいなお手軽企画のゲームでね。
 どれだけ安かったかって、ハイ、シリーズのどの商品もズバリ1500円だよ。
 で、ジャケ絵もショボくて安っぽい上に、タイトルもすごく投げやりだったんだよね。シリーズを通して、『THE シミュレーション』とか『THE シューティング』みたいな感じでさ。
 だからこの『おかえりっ!』も実は下に小さくわかりにくく書いてある副題で、ホントのタイトルは『THE 恋愛アドベンチャー』なんだ。

 ……購入意欲がそそられると思いマスか? こんなんで。
 例のニトリのキャッチフレーズは「お値段以上!」だけどさ、この“SIMPLE1500シリーズ”はどう見ても「お値段通りかそれ以下」という印象しか持てなかったよ。
 だからこの『おかえりっ!』も話題にされることすら無く、存在すら殆ど知られてなかったのではないかな。
 実際、黒沢もこのゲームはかなり長いことスルーし続けていてさ。で、発売されてから数年が経ち、未開封の新品が在庫処分のような形で、僅か五百円で叩き売られてるのを見て、「コミックスを一冊買うのと同じと思えば安いものだ」と思って、つい衝動買いしてしまったのでアリマス。

 とぉころが!
 冷やかし半分の試しのつもりでプレイしてみたら、ホント止められないの。話の続きが気になって、面白すぎて。
 何しろまず、ヒロインの“中の人達”がスゴくてさ。主な人たちだけでも、坂本真綾さんに川澄綾子さん、そして池澤春菜さんといった具合でさ。
 さらにキャラデザと原画は只野和子さんだし。
 でさ、プレステ2に慣れた者からすると、旧プレステの画質って明らかに荒かったりするじゃん。けどこの『おかえりっ!』は、絵もかなりキレイだよ。

 まっ、ウルサイ事を言えば多少紙芝居っぽい部分もあると言うか、本物のプレステ2のゲームに較べれば僅かに劣る部分もあるんだけどさ、他の旧プレステ規格のギャルゲーより段違いに良いよ。
 ジャケットの裏面に「高画質モードでの表示を実現!」と書いてあるけれど、確かにその看板に偽りナシだったね。
「プレステ2と全く同じ!」とは言わないけれど、殆ど同じような感覚でプレイできると思う。
 そうそう、旧プレステのギャルゲーには操作性に難があるモノも少なくないけれど、コレはものすごく快適だよ。オートプレイはもちろんあるし、早送りやバックログ等も使い易くて、その点でも「プレステ2レベル」って言えるかな。

 モチロンね、いくら中のヒトが良くて絵がキレイで操作性も快適でも、肝心のストーリーがつまらなかったら“クソゲー”と言わざるを得ないよ。
 でもこの『おかえりっ!』は、そのストーリーもかなりよく練り込まれていて面白いし、各ヒロインも魅力的でさ。
 もうね、こんな良いゲームが安売り用のショボいシリーズにあったなんて、大勢に見向きもされずに踏みつけられている道端の砂利の中に宝石を見つけたような感じだったよ。

 で、ストーリーの概要をざっくり言えば、「主人公は教員志望の大学生で、教育実習の為に故郷に帰り、いろんな女のコたちと出逢って……」って感じなんだけど。
 と言うと、きっと「母校の高校に帰って、教え子の可愛いJK達や、憧れていた美人女教師とイチャイチャ、ウハウハ」みたいな感じを想像しちゃうんじゃないかな。
 でも違うんだ、主人公が教育実習に行くのは、小さな離島の小さな小学校でさ。
「えっ、じゃあヒロインはJSかよ!」って?
 いや、イヤイヤイヤ、そんなロリペド方面の犯罪な展開はもっとナイから! 主人公はその小さな島の小さな小学校で、ホントに真面目に教育実習を頑張るんだってば。

 まず主人公は、教育実習の為に故郷の島へ帰る船のデッキで、ナゼか不機嫌&ワケあり風のJKと出逢って。コレがヒロイン①の藤崎晶サン。
 で、島に着いた主人公を出迎えて、赴任先の小学校に連れて行ってくれるのが、ヒロイン②で養護の先生の高倉波美サン。
 主人公の生まれ故郷はその島なんだけれど、実は中学に上がる前に引っ越してしまっているんだ。それで実習の間は、かつて家族同然に親しくしていた近所の一家(民宿経営)にお世話になることに決めていて。で、そこの娘さんで主人公とも幼なじみなのが、ヒロイン③の篠原渚さん。

 ところでその島は本土と離れた小島だけに、昔ながらの風習や因習もかなり残っていて。そしてその島をずっと支配している一族の一人娘なのが、ヒロイン④の姫神澪サン。
 ちなみに島には姫神家の支配に不満を持って、「古い因習はヨクナイ! 島を改革すべきだ!!」と叫んでる“抵抗勢力”がいて、そのリーダーが主人公の幼なじみの篠原渚嬢のお父上だったりシマス。
 当然、その篠原家に世話になっている主人公は、本人の意思に全く関係なく改革派の仲間のように思われて、姫神家とその配下からは「シノハラの手先」と敵視されるコトに……。

 で、島は姫神家と改革派(抵抗勢力?)の間でモメているのだけれど、そんな情勢に全く関係なく遺跡の発掘に熱中している浮き世離れした変人の考古学者がいて、その娘さんがヒロイン⑤の板東光サンでアリマス。
 ……というコトで、主人公はホントに生徒には手を出したりしてナイから。まっ、結果的にJKとも恋愛したりするけれど、教え子ってワケじゃないから(未成年者に対する淫行に当たるかどうかは知らないけれど)道義的には一応セーフだよね?

 このゲーム、最初はド田舎の離島で教育実習に奮闘するみたいな、のどかな雰囲気で始まるのだけれど。ストーリーが進むに従って姫神家と改革派の対立が深まって、けっこうドロドロした部分が出て来てさ。
 姫神家ってのも「江戸時代か!」って感じの因習に満ちた古くさい面もあるんだけど、一方“改革派”の篠原家のお父さんも、本土の黒い勢力と結んで島の利権を狙っていたりして一筋縄では行かないんだよ。
 また、あるヒロインを好きになると、実は異父兄妹だった」なんて衝撃の事実が発覚する……みたいなドロ沼展開も待っていたりするし。
 だからこの『おかえりっ!』って、ある意味キレイ事やハートウォーミング系の話では済まさない、「修羅場もアリの、大人のプレイにも十分耐えるゲーム」と言えると思う。

 ただね、他のヒロイン達はみなフツーの女の子だけれど、姫神澪サンだけはちょっと違っていて。
 孤島を支配する家の一人娘として深窓で大事に育てられたせいで、浮き世離れしていて世事に疎いというだけでなくて。手で触れて念を送るだけで病や怪我を治せるとか、未来に起きる事が読めるとかの、不思議な力の持ち主でもあるのデス。
 まっ、巫女的な存在とでも言いましょーか。
 だからこの澪サンのルートには、他のヒロイン達のルートと違ってファンタジー色がけっこう混ざってマス。それも子供騙しのような甘いファンタジーではなく、けっこう泣ける系の悲しいお話だったりするんだ。

 澪サンは島の奥で純粋培養で育てられた子だけに、ホントに素直な良い子でさ。ただこの澪サンの“不思議な力”ってのは、澪サンの体にすごく負担をかけるんだよね。そして澪サンは元々体が弱いだけに、その力を連続して使うとそれこそ命にかかわる……みたいな。
 けど主人公にかかわったせいで、澪サンはその力を度々使わざるを得なくなって……。
 実際、黒沢もこの澪サンルートを初めてやって、いろいろ頑張ったにもかかわらずバッド・エンドを出してしまった時には、流石に泣きはしなかったけれど、ただ呆然とエンドロールを虚ろな目で眺め続けて、ホントに暫くその場を動けないほどだったよ。
 実際にプレイしてみればわかりマス。澪サンのルートのバッド・エンドは、マジで心にズシッと来るから。

 この澪サンのエンディングは、何と四通りもあるのだ。ハッピー・エンドと、かすかな希望を残したバッド・エンド(ノーマル・エンド?)、そして悲しくて救いのないバッド・エンドが二通り……と。
 でもね、不思議なことに黒沢の心に最も強く残って感動させられたのは、その悲しすぎる最悪のバッド・エンドだったよ。ゲームが終わっても暫く椅子から立ち上がれなかったくらいショックだったんだけど、ホントに心を揺さぶられてさ。
 澪サン自身は戻って来ないのだけど未来に希望も残したバッド・エンドもまた、悲しいけれどキレイなエンディングで心に残ったよ。
 そのバッド・エンドの衝撃を心に受けた後では、本来のハッピー・エンドは何か物足りなく思えてさ。

 実はメインヒロイン篠原渚サンのエンディングも、グッド・エンドよりバッド・エンドの方が「深い!」と思ったし心に強く残ったよ。
 ……なんて言うと、「オマエは修羅場ゲームが好きだから、元々バッド・エンドが好きなんだろ」と思われてしまいそうだけど。
 でもきっとそうではないと思う。だって藤崎晶サンのルートでは、真っ直ぐグッド・エンドに行けて大満足だったから。で、その後に確かめてみるつもりであえてバッド・エンドを出してみたのだけれど、胸が悪くなったと言うか、ホント心を揺さぶられるコト無くただ痛かったよ。

 これは黒沢が感じたことだけれど、シナリオライターの志茂文彦氏は、姫神澪ルートと篠原渚に関しては間違いなくバッド・エンドの方に力を入れて書いたと思う。だって実際、グッド・エンドの方は「あー、メデタシメデタシで良かったね」という程度で、特にどうと言うコトもない平凡なハッピー・エンドだったもの。
「ありがちなエンディング」なんて言ったら、シナリオライターに失礼かも知れないけれど。ただ少なくともバッド・エンドの時のように心にズシッと来る、魂を揺さぶられるようなものは、グッド・エンドでは何も感じなかったね。
 藤崎晶ルートのグッド・エンドは、「いかにも彼女らしいなぁ」って微笑ましい終わり方だったし。板東光ルートのグッド・エンドだって、日頃ワイルドな彼女の変身ぶりが見られて良かったよ。
 それに較べて姫神澪と篠原渚のグッド・エンドは、ホント平凡だったなー。
 と言うワケで姫神澪ルートと篠原渚ルートに関しては、是非バッド・エンドにご期待下されwww。

 でも大丈夫、姫神澪ルートと篠原渚ルートの攻略は案外厄介と言うか、普通にやったらまずバッド・エンドで終わると思うから。
 特に姫神澪ルートに関しては、ギャルゲーに慣れた黒沢でも攻略にかなり苦労したよ。澪サンに関する選択肢をどう変えても、希望は残るけれど澪サン自身は帰って来ないノーマル・エンドが精一杯でさ。
 ネタバレっぽくなっちゃうから、自力でグッド・エンドを見たいキミは次の一文は読まずに飛ばして欲しいけど。因習に満ちた家から澪サンを助け出してグッド・エンドに辿り着くには、見落としがちなある誰かの力を借りなきゃダメなんだ。

 それに較べれば、篠原渚ルートのクリアはずっと楽だけれど。ただある選択肢で「そんな状況だったら、普通こうするだろ」って方を取ると、バッド・エンド一直線なんだ。
「あり得ねーよ、理不尽だ!」って思ったけど。
 でも黒沢は篠原渚ルートでもバッド・エンドの方がずっと好きだったから、「最初にコッチのエンディングを見られて、より感動出来て良かった」なんて思っちゃったよ。

 上記の二人に較べて、藤崎晶ルートはかなり楽勝と言うか、素直に行動していれば普通にグッド・エンドになるハズだから。ただ晶サン(気の強い小生意気なコギャル)とある誰かをケンカさせないコトには、最初の大事なイベントが始まらないんで、最初の一週間に晶サンばかり追いかけ続けずに、他の誰かとも知り合いになっておくことも必要だけどね。

 この『おかえりっ!』は、ヒロインは一応五人というコトになってるけど。でも実際には、ホントのヒロインは篠原渚と姫神澪と藤崎晶の三人のJKで、中でもメインヒロインは渚サンだけど、テキストの量とかエンディングの数の多さから見ても、真のヒロインは澪サン……って気がしたな。
 で、板東光サン(19歳)と高倉波美サン(27歳)のルートについては、どちらかと言うと付け足しと言うか、島の謎と秘密を解明する為に作ったストーリーって感じがしたよ。

 けど元気な野生児(?)の板東光サン、黒沢はけっこう好きだったし、ストーリーも爽やかで好感が持てて充分に楽しめマシタ。
 ただ高倉波美サンに関しては、黒沢に年上趣味が皆無と言うか、お姉さんレーダーの感度が悪すぎるんで、完全クリアの為にただ耐えながらプレイした……って感じデシタ。
 だって五歳も年上の女性との恋愛なんて、黒沢的にはとても考えられないんだもの。世の年上好きの男性の方々、マジでゴメンナサイ。

 でもね、その黒沢には苦痛だった高倉波美ルートでさえ、プレイする意味はちゃんとあったんだ。って言うのは、「波美ルートをクリアすることで初めて明かされる、島の重要な秘密」みたいなものがあったんで。
 この『おかえりっ!』って、そういう意味でも巧いと言うか、全体のストーリー構成が良く練り込まれているんだよね。ヒロイン達のうちの気に入った誰かとグッド・エンドを迎えても、必ず何かしらの謎が残されたままでさ。
 で、別のヒロインをクリアする毎に、ジグソー・パズルのピースが一つずつはまって行くように、島の謎と秘密が明らかになっていって、五人全部クリアして初めてすべてがわかるんだ。だからルートが好みでないヒロインでも、謎の解明に引っ張られて、ついつい最後までやり通しちゃうんだよね。

 この『おかえりっ!』を含む“SIMPLE1500シリーズ”を出したディースリー・パブッシャー社は、プレステ2用に“SIMPLE2000シリーズ”を出していてさ。ハイ、ご想像通りこちらはどれも希望小売り価格2000円、ってやつデス。
 で、その中に『THE 恋と涙と、追憶と…』というギャルゲーがありまして。副題というか、本来のタイトルは『スレッドカラーズ』なんだけどね。
 この『スレッドカラーズ』、ネットでの評判は案外良いようだけれど、黒沢はどうも好きになれなかったなー。ま、大人でリアル指向の強い黒沢(修羅場ゲーもドンと来い!)には、ストーリーや世界観にファンタジー色が強すぎた……ってのもあるけれど。

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 でもそれ以上に気になったのは、この『スレッドカラーズ』、ストーリーが各ヒロインに分岐すると、それぞれ全然別の話になっちゃう……ってとこ。事故に遭って入院中の主人公を、各ヒロイン達が見舞いにやって来る所から話が始まるんだけれど、それぞれのヒロインのルートで、その前提の事故の意味や内容まで全然違って来ちゃうんだよ。
 まず最初に気に入ったコをクリアした時に、「なるほど、そうだったのか」と納得した事が、また別のヒロインのルートに入るとあっさりひっくり返されて、「え? え? 話が違うじゃん」って感じになっちゃうワケ。
 だからヒロインを何人もクリアすればするほど、よくわからない、全体像がボヤけて割り切れない思いになっちゃう。

 この『スレッドカラーズ』ほど極端ではないにしても、ヒロイン毎にどんどん違う話になっていって、クリアした人数が増えると逆に全体として統一した印象を持てなくなってしまうゲーム、案外少なくないんだよね。
 けど『おかえりっ!』は違う! 選ぶヒロインによって、姫神家と改革派の争いの結末も微妙に変わって来るんだけれど、「教育実習生の主人公が、謎と因習の残る離島で、姫神家と改革派の勢力&利権争いに巻き込まれる」という前提や基本的な世界観には揺るぎがないからね。だから別の誰かをクリアしても、「あれ? 前と話が違うんじゃ……」と戸惑ってしまうコトも無いよ。
 この『おかえりっ!』のシナリオを一人で書き上げた志茂文彦氏は、かなり力のある書き手だと黒沢は推察しまシタ。

 ただね、その『おかえりっ!』のストーリーにも、一つだけ難点があって。それも大事なクライマックスのシーンに「これはアリエナイ」って断言できる箇所があるんだ。
 姫神島の隣には神来島という小島があって、そこに保護すべき新種の珍しい花の群生地があるんだよね。で、そんなモノがあっては開発の邪魔と、改革派の黒幕がその群生地にガソリンを撒いて焼き払っちゃうんだよね。
 ところがその神来島に、たまたま主人公とあるヒロインが来ていて、その火に巻かれて命を落としかけるのだけど……。
 コレ、不可能と言うか絶対無理だから。

 1945年4月30日の、ロシア軍に包囲されて陥落寸前のベルリンの、総統防空壕で。
 この日ヒトラーは愛人エヴァ・ブラウンと結婚した後に自決するのだけれど、その際「ロシア軍の手に落ちないよう、死体は完全に焼け」と側近たちに命じるんだ。で、公式には「護衛のギュンシェSS少佐や運転手のケムカSS中佐が、180リットルのガソリンを用意して、中庭の砲弾の穴に遺体を入れて焼いた」というコトになっているのだけれど。
 実はこれは建前で、実際にはヒトラーとエヴァの遺体はロシア軍の手に渡ってるんだよね。ほんのちょっとだけ焦げた程度で、ヒトラーとはっきり解る写真も残ってマス。

 と言うのは、まず側近達はヒトラーの遺体を砲弾の穴に横たえたんだよね。棺にでも入れてガソリンの中に浸したのではなく、土の上に直に置いたわけ。だからかけたガソリンは、殆ど流れて地面に吸い込まれてしまっていたのだ。
 あと、ガソリンって非常に気化しやすくて、危険極まりないものなんだよね。大量のガソリンを撒いたら、空気中に蒸発したガソリンの成分が充満して、マッチ一本擦るどころか、ちょっとした火花だけでも爆発しちゃうんだよ。
 で、ドイツ側の記録では「ギュンシェSS少佐が火をつけた紙を、ヒトラーの遺体を横たえた砲弾の穴に放った」ってコトになっていてさ。けどもし180リットルものガソリンを撒いたとしたら、火を付けた紙を放るどころか、まず「紙に火を付けた」段階でそのSS少佐ごと爆発しちゃいかねないワケ。

 それにその時はロシア軍の砲撃が激しくて、とても外で作業などしていられる状況じゃなかったんだ。だから実際には、「土の上に大急ぎで遺体を横たえて適当にガソリンを撒き、怖々火をつけすぐ逃げた」ってとこだと思う。
 けど側近達は、ヒトラーには遺体の処置を厳命されているワケだからね。自分たちの立場もあるし、生き残ってる他のナチたちへの言い訳も立たないから「命令通り、ちゃんと焼きました」みたいな風に言ってるんだと思う。
 でも実際には、殆ど焼け残ってるヒトラーの遺体の写真が、ロシア軍のもとに残ってるワケで……。

 おわかりでしょーか。「ガソリンで焼き払う」って、それくらい大変なコトなんだ。
 だってヒトラーとエヴァの遺体どころか、『おかえりっ!』では植物の群生地全部を焼き払うんだよ? そして主人公とヒロインは、その「野を焼き尽くす火」に追われて危うく死にかけるんだよ? それだけの火事を起こすには、いったいどれだけ大量のガソリンが要るか、ちょっと想像もつかないよ。

 撒いたガソリンの大部分は、そのまま地面の中に染み込んでしまうだけでなく。
 当然、辺りの空気中にも気化したガソリンが満ちているだろうし、火を付けた瞬間、大爆発が起きて放火の犯人ごと吹っ飛んでいるハズ
 あと、ガソリンにしても灯油にしても、どちらにしろかなり臭いよ? その野を焼き尽くすだけの大量のガソリンを撒かれた所に居て、火の手が上がるまでその異臭に全く気付かない主人公とヒロイン(痴話喧嘩の最中)も異様過ぎるし。

 それにそもそも、黒幕たちの目的は「開発に邪魔な貴重な植物の群生地を無くすこと」でしょ? 「ガソリンで焼き払う」なんて危険で手の掛かる上に目立つようなバカな事をしなくても、コメリにでも行ってラウンド○ップを買って来て、ただ撒けばいいだけじゃん。
 で、結局その放火犯人たちは、その火を見て駆けつけてきた島の人達に捕まっちゃうし。全く、どんだけお間抜けなんだよwww。

 シナリオライターの頭の中にはさ、野焼きのイメージがあったのかも知れないね。でも、アレは空気の乾いた冬に、枯れ草を焼くものでさ。
 まだ夏に近い9月に、まだ枯れてない元気な野草の群落を焼き払うなんてまず無理デス。

 まっ、「火に巻かれて逃げ惑う主人公とヒロインって、絵になるしドラマチック!」と思って、想像だけでつい書いちゃったんだろうけどね。
 わかるけど、現実には絶対ムリな「ガソリンで野を焼き払う」ってシーンを、それもクライマックスのシーンに持ってきてしまったコトが、この『おかえりっ!』の唯一にして最大のミスだと思いマス。

 そうそう、この『おかえりっ!』で黒沢が感心させられたのが、「教育実習や学校の仕事をよくわかってる」ってこと。
 主人公でもヒロイン役でも、創作モノの作品に出てくる“先生”って、殆ど型破りで破天荒なタイプばっかりだよね。「校則無視でやりたい放題」とか、「だらしなくて頼りないけど色っぽい」とか。
 脇役や敵役として出てくる先生だってみなマンガ的で、ゲームやコミックスどころか、ドラマや映画に描かれる先生たちだって「実際にいるワケねーだろ、こんな教師」って感じでさ。
 けどこの『おかえりっ!』は、学校がいかにも本物の学校らしいの。そして主人公も、一生懸命に教育実習をしようと頑張ってるし。
 黒沢の印象では、シナリオライターは実際に教育実習の経験があるか、あるいはその経験者や教師にちゃんと話を聞いた上で書いてるな……って感じだよ。
 ただシナリオライターが教育実習の事をわかっていて、主人公に教師らしくさせようとしているだけに、「主人公が真面目すぎて物足りない」と感じるヒトもいるかも知れないけどね。
 でも黒沢としては、主人公が「いかにも」なマンガ的なセンセイでなく、教育実習がリアルに描かれている点もすごく評価したいデス。
 身内にも親戚にも本物の教師が居る黒沢はむしろ、現実には絶対いるワケない破天荒なセンセイや、いかにもマンガ的なセンセイが出て来ると、途端に醒めてドン引きしちゃうんだ。

 そうそう、「教師がリアルに描かれている」という点では、私屋カヲルさんの『こどものじかん』もナカナカGOODだよ。
 この“こじか”こと『こどものじかん』は『コミックハイ!』に連載されていたコミックスで、過激な描写で良い意味でも悪い意味でも話題を呼んだ作品デス。

 何しろテーマは「小学生女子と担任教師の恋愛」だからね。それも「ヨコシマな気持ちを抱く教師×純真無垢な幼女」ではなく、「いろいろ不器用な新任教師(童貞)が、コワいくらいマセた女子にセマりまくられる」って話だから、そりゃあロリ好きのお兄さんたちは大歓喜っスよ。
 で、ヒロイン(?)の九重りんがあまりに過激にセマるんで、一部のうるさ型たちに敵視されて「こんな小学生の女の子を描くなんてケシカラン!」って問題にもされて。
 例の東京都の青少年健全育成条例の改悪で、一時はかの非実在青少年関連の不健全図書に指定されるのではと危惧されたりもしてね。

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 けどそうした「サービス、サービスぅ~」のエロい部分をスルーして読むと、この『こじか』って意外なくらい真面目でまともなんだよ。
 まず取材がしっかりしていると言うか、教師の仕事の描写がとてもリアルなんだ。そして現場の実態やら教師の悩みや本音やらも、すごく「わかってる!」って感じ
 マンガに教師はよく出て来るし、教師が主人公のマンガも幾つもあるけれど、教師の仕事や実態についてここまでリアルに描いてるマンガは少ないっスよ。
 そしてまた主人公の青木先生も、新任で不器用だし悩みは多いながらも真面目でさ。ヒロインの九重りんにいろいろエロ攻撃されながら、流されてデレデレしたりするわけでなく、「教師らしくしよう、九重りんを少しでも良い方向に導こう!」と一生懸命で。
 また、職員室での先輩教師の小矢島先生や白井先生などとのやりとりも、教師を知る者としていろいろ頷いてしまう所もあったし。
 さらにやたらにベタベタしてくる九重りんの心の闇や、青木先生にいつも突っかかって来る鏡黒(かがみ・くろ)の寂しさなどについても丁寧に描いていて、ちゃんと読めば「単なるエロじゃない!」ってすぐわかるよ。

 ただ「小学生女子と担任教師の恋愛」という設定が設定だし、九重りんのセマり方が過激なだけに、アブないエッチなマンガみたいに思われているけれど。問題にされているその過激な描写の部分をスルーして読むと、意外にシリアスで深い良作とわかる筈だよ。
 だから黒沢はこの『こどものじかん』、全巻新刊で買い揃えて持ってマス。
 実は黒沢は、私屋カヲルさんには少女マンガ誌で『少年三白眼』を描いていた頃から注目していてさ。その少女マンガらしからぬギャグを描いていた私屋カヲルさんが、こんな女子小学生と教師のラブを描くようになるとは思ってなかったなー。
 でも黒沢はずっと変わらず私屋カヲルさんのファンで、少女誌に連載されていた『少年三白眼』から青年誌に転じた後の『青春ビンタ!』、さらに猫マンガの『ちびとぼく』など、私屋カヲルさんの作品はほぼ読み続けてマス。

 さて、話は戻って『おかえりっ!』だけど、ディースリー・パブリッシャー社の“SIMPLE1500シリーズ”のオリジナルではなく、元は『夕凪色の恋物語』っていうPCゲームだったんだ。
 と言っても、18禁のエロゲからHシーンを削ってコンシューマー用に仕立て直したのではなく、数少ない非エロのPC恋愛アドベンチャー・ゲームだったんだ。だから設定にも無理がなく、安易なエロ路線のとはまるで違う良質な仕上がりだったんだよね。

 もしこれが旧規格のプレステでなく、プレステ2の恋愛ADVとして出されていたら。
 それもまず安さがウリの“SIMPLEシリーズ”などではなく、それなりの価格でジャケ絵も綺麗なのを使って、元の『夕凪色の恋物語』のタイトルで出していたら。
 そしたらもっと話題になって多くのファンを掴んだだろうと思うと、黒沢は残念でならないよ。

 それでもわかる人は少数ながら確かにいるようで、ネットを検索してみると『おかえりっ!』の“聖地”を訪れた人の記録があったりシマス。
 参考までに、ゲームの舞台の姫神島のモデルは、瀬戸内海の真鍋島なのだとか。ゲームの中では、藤崎晶ルートのエンディングで、姫神小学校は都の教育委員会の管轄内みたいな会話が出て来るけどね。
 でも実際には伊豆諸島のどれかではなく、真鍋島の地図を逆にしてみると、姫神島にピタリと一致するそーです。

 あともう一つ、この『おかえりっ!』のヒロインは建前は五人だけれど、実は攻略可なキャラは八人なのだ。と言っても隠しキャラの三人は、殆どおまけのサービスと言うか、お遊びみたいなルートなんだけどね。
 だからメインの五人と違って、攻略してもしなくても大筋には全然関係ないし、「正規のヒロインが攻略できて、島の秘密が全部わかればOK」って人は、残りの三人の隠しヒロインについては無視しても構わないんだけどね。
 でも「えっ、このキャラが攻略できちゃうんだ!」って驚きは、黒沢的にはかなりあったなー。
 それと、この隠し要素のヒロインまで含めて八人全員クリアして初めて、CGが全部埋まりマス。

 そうそう、主要なヒロインでも姫神澪ルートにはエンディングが四通りもありマスんで、この点にも要注意デス。
 エンディングにグッド・エンドと僅かに希望が残るバッド・エンド(ノーマル・エンド?)、それに悲しみしか残らないバッド・エンドの三通りがあることはすぐわかると思う。けど実は悲しいバッド・エンドには二つのパターンあることには、案外気付きにくいと思う。
 で、そこに気付いて澪サンのエンディングを四通り出さないと、CGは全部埋まってくれないんで、完全クリアを目指す方は覚えていて下され。

 殆ど知られていないけれど、やってみた人の大半がハマってしまうこのゲームの存在を、一人でも知って興味を持ってくれたら嬉しいデス。
 この“SIMPLE1500シリーズ”『おかえりっ!』、運が良ければ中古ゲーム店で三百円くらいで手に入ると思う。オリジナルのPC版の方になると、ちょい高くて千数百円程度で、さらに修正パッチもダウンロードする必要があるみたい。
 初代のプレステのゲームは、プレステ2だけでなくプレステ3でもプレイできるんで、「古いハードはみんな処分しちまって、プレステ3しか持ってねーよ」って方も、宜しければ是非お試し下サイ。

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