空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

女性に「男を立てろ」と求める男は、バカでクズである。

 初めに断っておくが、筆者は体だけでなく心も紛れもなく男である。
 それゆえか、「男はこうあらねばならぬ」という意識も強い方だ。
 だが同時に、女性に「男を立てろ!」と求める男も大嫌いである。

 理由は簡単だ。
 もし貴方が「男として」というより「人として」立派で尊敬に値する存在であれば、周囲の女性は貴方が求めずとも自然に貴方を「立てて」くれるものである。
 貴方が彼女や奥様など身近に親しい女性に「立てて」もらえていないとすれば、それは貴方の人格等の中身にまだ未熟で至らない部分があるということである。

 広辞苑によると、「立てる」という言葉の中には「一段高いものとして尊ぶ、用例:兄を立てる」という意味がある。
 例の「男を立てる」というのも、その意味で使われているのだろう。
 しかし男女同権が常識のこの時代に、ただ男だというだけで、チ○コが付いているだけで女性に「一段高いものとして尊べ」と求める奴など、筆者に言わせれば人として何の取り柄もないクズ男でしかない。

 筆者は同性でも、人格や見識の点でが「自分より上だな、立派だな」と思う相手は素直に尊敬するし、自然に一歩下がって相手を立てている。
 筆者にとって大切なのは相手の人格と見識で、社会的な地位や財力には敬意は払わない。
 だから筆者は「A係長は心から尊敬して立てるが、B部長には全くゴマをすらず、社会常識の範囲内の型通りの接し方しかしない」ということを、平気でやる。
 ゆえに筆者は上司からの評判はあまりよろしくないが、本人自身が「人の価値は中身であって、社会的な地位ではない」と思っているので、出世できなくても全く気にしていない。

 それは、営業職であれば取り引き相手には常に笑顔で接してお世辞も使うが。
 しかしその取り引き相手を真実好きで尊敬しているわけではなく、心の中ではあざ笑い、悪態をついていたりするものだ。
 地位や権力で人を従わせても、現実にはただ空しいだけである。

 筆者の勤務先の先輩に、CさんとDさんがいた。
 Cさんは人柄と評判の悪い立身出世主義で、上役にはゴマをすり、同僚や部下達には嫌われながら部長にまで出世した。
 一方、そのCさんと同期のDさんは我欲が無い人で人柄がものすごく良く、常に他の人達の為に働いて、結局ヒラのままで退職した。
 そのC部長とDさんが退職した時の事だ。
 C部長の退職パーティーに来たのは三十人で、しかも義理で嫌々来た人ばかりで、二次会に行こうという人は誰もいなかった。
 しかしヒラのまま退職したDさんの退職パーティーには百二十人を越える人が集まり、その多くが二次会や三次会にも進んで行った。
 そのDさんの退職パーティーの盛況ぶりを伝えられたC部長は、「部長とDさんと、結局どちらが勝ったと思います?」と問われ、俯いて何も答えられなかった。

 まあ、「人に憎まれ嫌われようが、出世して退職金も多く貰った方が勝ちさ」という見方もあろうが。
 しかし少なくとも人間力、皆から尊敬されるという点では間違いなくDさんの方が上だ。
 そしてDさんのように人柄の良さが自然ににじみ出てくるような人物であれば、周囲から好かれ、自ら求めなくても立てられるものだ。

 人は、ただ地位や性別だけで尊敬され、立ててもらえるわけではない。
 上役だから、取引先だから、お客だから、男だからと威張っていられても、相手は腹の中では憎んだり軽蔑していたりするものだ。
 心底敬って立ててもらうには、それ相応の人格と見識が必要だ。
 それ無しにただカネや地位を笠に着て威張っても、心の中で軽蔑されるだけである。

 前にも書いたが、筆者は「男はこうあらねば」という意識が強い。
 何しろチビで童顔(しかも病気がち)なので、人一倍強くしっかり生きなければ、男として認められなかった。
 人並み以上の身長と健康な体に恵まれた男性と違って、筆者はただチ○コが付いているだけでは男扱いされなかったのだ。
 身長と体力が足りない分だけ、気持ちを強く持ち、男らしくあろうと行動してきた。
 だから筆者は、女性と付き合う時にはとても頑張った。
 いろいろな意味で頼れるしっかりした存在であろうと努力した。
 そして付き合った女性たちも、みな女らしく可愛く筆者に接してくれた。

 男尊女卑でなく、良い意味で「自分は男だ」という自覚を持って、しっかりしていさえすれば。
 自分から「男を立てろ」などと求めなくても、女性の方から自然に「立てて」くれるものだ。
 もし貴方が付き合う女性に「立ててもらえていない」と不満をお持ちだとすれば。
 それは貴方に男として立てるだけの人間力、人格や見識が足りないということだ。
 繰り返すが、ただチ○コがあるというだけで「女性は男を立てるべき」などと、時代錯誤なことを思ってはいけない。

 例え相手が同性であれ異性であれ、人は自分より人格や見識が優れた存在には尊敬の念を持ち、一歩引いて接するものだ。
 だから彼女や妻に「男を立てろ!」と求める前に、まず貴方自身が男として、そして人として自分を磨いて高めるべきだ。
 ちなみに筆者は、女性に「男を立てろ」と言ったり求めたりしたことは、ただの一度も無い。
 人としてしっかりしていて頼りになる存在であれば、男女に関係なく敬意を持って接してもらえるものだからだ。
 男女平等が常識のこの時代に、ただチ○コが付いて生まれたというだけで女性に自分を立てることを求める男は、本当に愚か者である。

 但し世の中には、残念な事だが馬鹿やクズも間違いなく存在する。
 類は友を呼ぶという言葉の通り、DQNは非常識で傍迷惑な言動をとる同じDQNが好きだし、犯罪者もよりたちの悪い凶悪犯罪者を尊敬する。
 人格見識共に優れている人が全ての人に尊敬されるかと言えば、そうとも限らないのが現実だ。
 貴方が人格見識共に優れた頼れる立派な男性でも、付き合った相手の女性に敬意をもって接してもらえない場合もある。
 女性に限らず人の中には、為を思って良くして尽くせば尽くすほど相手を見くびってつけあがり、より図々しい態度に出る者がいる。
 もしも付き合った相手がそのような人だった場合には、「相手を選び間違った、自分には人(女)を見る目がまだ欠けていたのだ」と思い、その人の事はすっぱり諦めて別のもっとマシな相手と付き合い直してほしい。

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TOKIOの山口達也さんの件で、年の差のある男女の恋愛について考えてみた。

 今はTOKIOの元メンバーになってしまった山口達也さんの件が、世間をかなり騒がせたが。
 で、今日は筆者の乏しい恋愛経験も絡めて、年の差のある相手との恋愛について考えてみる。

 初めに正直に言うが、筆者も若い女性は好きである。
 恋愛と言うと、学生時代には同じクラスとかの、同い年の人を好きになる事が多い。
 しかし同い年の相手との恋愛と言うやつは、意外に難易度が高いのだ。
 何故なら現代の日本の女性は、「男女同権」という教育を受けている。
 ゆえに女子も、「女も男と対等で平等」と思っている。
 しかしフランスの諺に「船長が2人いると船は転覆する」という言葉がある通り、同権で対等で平等である二人が付き合うとなると、どちらがリーダーシップを取るかで揉めることになりがちだ。
 男が「自分は男だから」と何でも自分で決めて物事を進めてしまうと、女性は「勝手だ、男だからって威張るな!」と不満に思う。
 だが男が気を使い過ぎて、いちいち何でも女性の意向をお伺いしていると、今度は「男のくせに何も決められないで、だらしない」と馬鹿にされる。

 男としては、「女は身勝手だ!」と怒りたくなるところだが。
 しかし女性たち自身も、男を対等で平等な相手と思う現代の常識と、男には男らしくしっかり毅然としていて、いざという時には自分を守ってくれる頼れる相手であってほしい気持ちの間で揺れているのではないだろうか。
 そして特に付き合う男女が同い年だと、女性は「男だからって、威張るな!」という気持ちと、「男なんだから、しっかりしてよ!」という気持ちと、相反する思いを相手の男性に抱くようになる。

 つまり男は「いつもは女性を対等に扱い、しかしいざという時には女性を守ってリードできる、強くてかつ優しい頼れる存在でならなければいけない」というのだから、なかなか大変だ。
 特にそれが、同級生とかの同い年の男女の場合には。

 だから筆者も、学生時代の恋愛では本当に苦戦した。
 これがイケメンだったら、女性も「男女平等! けど男はしっかりしろ!」とか難しいことは言わずに恋におちてくれるのだろうが。
 しかしチビで童顔でもある筆者は、学生時代の同級生との恋愛は本当に全敗だった。
 小学生の頃から大学を卒業するまで、好きになった同じ学年の女子たちには見事にフラれ続けた。

 だが高校時代に入部した部活の先輩は、男の先輩は横暴だったが女の先輩はとても優しくしてくれた。
 だから高校一年生だった筆者は、いつも三年生の女の先輩たちにくっついていた。
 年上の女の人たちは、本当に優しかったのだ。
 同い年の女の子のように「男女平等だから威張るな、でも男らしくしっかりしろ!」などと要求したりせず、ただただ優しく甘やかしてくれた。
 はっきり言うが、女性は年下の男には実に甘い。
 同級生の男子にはいろいろ求めるのに、年下の男子には「年下なんだから……」と寛容になる。
 で、筆者は大学でも、上級生とか同じ学年でも浪人した人とか、年上の女性たちとすぐに仲良くなった。
 しかし筆者は、繰り返すがチビでしかも童顔である。
 年上の女性たちは弟のように親しく接してくれはしても、筆者を異性として、恋愛の対象として見てくれることは無かった。

 そんな頃である。
 筆者は自分が年下の女の子たちとは、妙にうまく行くことに気付いた。
 女の子たちは、年上の男は初めから目上として見ている。
 だから「男女平等!」とか「男だからと威張るな!」とか、うるさい事は言わないし。
 そして男がそれなりの社会的な経験を積んでいて知識もそれなりにあれば、頼って甘えてくれる。
 何より年下の女の子たちは、チビで童顔の筆者でも異性として、男として見てくれた。
 で、筆者はお付き合いは、年下の女の子とばかりしてきた。
 筆者は童顔で他人にはいつも実年齢より若く見られる上、気持ちも若いつもりでいた。
 だから三十を過ぎても、まだ年下の若い子とばかり付き合っていた。

 それが三十を幾つか過ぎてから、それまで普通に付き合えてきた若い女の子たちと、今ひとつ話が噛み合わなくなってきたことに気付いた。
 ただ話を合わせるのに気を使うだけでなく、いわゆるノリというものが合わなくなっているのにも気付いた。
 オジサンになったのだな。
 しみじみと、そう実感した。
 それで筆者は恋愛から、少なくとも若い女性との恋愛から“引退”しようと決めた。

 若い女性は好きだし、ただ眺めているだけでも楽しい。
 だがその女性たちから見れば、筆者は“オッサン”であり、恋愛の対象外なのだ。
 だから恋愛と言うか、男女のお付き合いの一線から身を引くことにした。
 傍から見ればもうオッサンなのに、いつまでも若いつもりで若い女性に執着しているのは、ただ見苦しいだけだから。

 で、好みのタイプの見目麗しい若い女性は、画面や写真などの二次元でただ見て楽しむだけにして。
 恋愛沙汰からは半ば身を引いて、年齢の近い“オバサン”たちと雑談などしていると、これがまた楽しいのだ。
 若い女の子はノリこそ良いものの、人生経験は浅いし知識も浅い。
 だから話をしても、あまり面白くない。
 それに比べ、アラフォーやそれ以上の女性との会話の面白いこと!
 そして受け答えにも、人としての深みも感じる。

 先日、筆者は愛猫を失ってしまったが。
 その愛猫の病気がわかった一月から命が尽きてしまった四月の半ばまで、週に何度も動物病院に通った。
 その度々動物病院に通っていたある日、待合室の隣の席に、猫の入ったキャリーケースを二つ持った女性が座った。
 アラフォーだったが、美人さんだった。
 そして筆者の猫が鳴くと、その美人さんが筆者に笑顔で話しかけてくれた。
 その方も老猫の世話をしていて、猫の可愛さについてと、「一日でも長く生きてほしい!」ということで話がとても弾んだ。
 と言っても若い子のようにキャッキャとノリ良く盛り上がるのではなく、ゆったり落ち着いて気も利いた大人の会話が出来て、本当に楽しかった。

 繰り返すが、筆者は若い女の子は好きだし、恋愛の対象も年下ばかりだった。
 だが今は若い子と話すより、ある程度の年齢の大人の女性と話す方がずっと楽しいと思う。

 もし筆者が愛猫の病気のことで頭がいっぱいでなかったら、その女性の左手の薬指をそれとなく見て、そこに指輪が無かったら連絡先を交換しようとしたかも知れない。
 しかし筆者は、恋愛は絶対しないと決めたわけではないものの、色恋沙汰からは半ば引退したつもりでいる。
 ちょうど大リーグのイチローが、「ユニフォームは脱がないものの、今シーズンは試合に出ない」と決めたような心境である。
 だから例の女性とは、筆者の方が先に会計に呼ばれた際に、互いの愛猫の長寿を祈り合ってあっさりとお別れした。
 そういう出逢いと別れも良いものだと、今は思っている。

 例の山口達也さんは若い頃からモテ続け、面と向かってオジサン扱いされた事など無かっただろうし。
 そして芸能界という若い女性が大勢いる世界にいて、しかも『Rの法則』という女子中高生が対象の司会をして、大勢の女子高生アイドルたち囲まれていて。
 だから恋愛対象も自然と若い女性になり、「その若い女の子たちから見れば、自分はもう恋愛の対象外のオジサンなのだ」という意識も無かったのだろう。

 確かに世の中には、「年の離れた人が好き!」という人もいる。
 フランスのマクロン大統領も、確か24歳くらい年上の女性と結婚してる。
 だからまだ十代の『Rの法則』のメンバーが、山口さんを恋愛の対象として見る可能性が「ない」とは言えない。
 しかし常識的に言えば、既に四十代の山口さんは、被害者の16歳の少女から見れば「お父さんと同じくらいの世代」だ。
 充分に“オッサン”である。
 その自覚が山口さんには無かったのが、今回の事件の原因だが、とても残念だ。
 筆者は気持ちが若い上に童顔だったが、三十代のうちに「若い子たちから見れば、自分はもうオッサンなのだ」と自覚した。

 もう三十代や四十代になってしまっていて、それでもまだ「若い子と恋愛できたら」という未練があるならば。
 そんな場合は常に“良い人”と言うか“若い人の良き理解者”というスタンスを保ち、そして自分からは決して動かず、「年上の落ち着いた人が好き!」という若い子が現れるのを待つべきだ。
 年の差カップルでの恋愛をしたければ、若い子の方から接近して来るのを待て。
 良い年をしたオッサン(オバサン)が、若いつもりで若作りして若い子にまとわりつくのは傍から見て見苦しいし、場合によっては犯罪にもなりかねない。

 だから筆者は、若い娘さんは好きだが自分からは決して動かない。
 そのついでに動物病院で話が盛り上がった、妙齢の素敵な女性との出逢いも、そのままスルーしてしまった。

 例の山口さんの件で、被害に遭った少女を責める馬鹿がいる。
 デヴィ夫人とか中条きよしとか、「部屋に行く方が悪い」と被害者を責める人は、繰り返すが本当に馬鹿である。

 筆者の女友達に、車の雑誌の編集部に勤めていた人がいた。
 そしてその車の雑誌には、中古車の広告がたくさん載せられていた。
 その広告を取るのも、そこの編集部員の仕事だ。
 で、その雑誌に広告を載せていたある中古車屋の社長が、筆者の女友達、それも入社一年目の新人だけを飲みに誘った。
 一対一で、である。
 下心がアリアリだったので、女友達はそれを断った。
 するとその中古車屋の社長は、女友達の雑誌に広告を出すのをスパリとやめてしまった。
「付き合わないなら、仕事を切るぞ」
 業界によっては、若い女性に対し、そんな事が現実に行われているのである。

 そして山口さんは『Rの法則』の司会者で、誘われた16歳の女子高生はその番組の出演者である。
 その『Rの法則』をご覧になった方ならわかると思うが、出演しているのは芸能人とは言え“卵”程度の、一般的には無名に近い子たちばかりだ。
 司会者で、ジャニーズのTOKIOのメンバーでもある山口さんとは、芸能界でのヒエラルキーは“天と地”ほどの差がある。
 しかも『Rの法則』に呼ばれる子はいつも同じでなく、その時によって違う。
 無名に近い芸能人の卵にとって、テレビに出られるかどうかは重大事だ。
 そして「山口さんの機嫌を損ねたら、番組に出してもらえないかも」と不安になって当然だ。

 デヴィ夫人も中条きよしも一部のネット民も、被害者を「イヤなら、行かなければいいのだ。行く方が悪い」と責めるが。
 それは関係が対等である時に言える事であって、山口さんの件はそうではない。
 番組の司会者で誰もが知ってるTOKIOの山口さんと無名に近い芸能人の卵では、力関係が違い過ぎる。
 わかりやすく例えて言えば、無力な町娘が弱みを握った権力者の悪代官に「よいではないか、よいではないか~」と迫られて、キッパリ拒否できますか、という話だ。

 アメリカのハリウッドですら、大物プロデューサーによるセクハラが大問題になっている。
 それも軽いセクハラどころではなく、「寝ないと役を与えない」という事を普通にしていた。
 そんな芸能界で、無名の新人に司会者で大物芸能人の誘いを「イヤならキッパリ断れ!」などというのは、無理で無茶な話だ。

 実際、その被害者は断り切れず、しかし身の危険を感じたから一対一にはならぬよう、友達も誘って山口さんの自宅を訪れていた。
 被害者は断って角が立たぬよう、しかし妙なことにならぬよう、充分に考えて行動していたと筆者は考える。
 ただ泥酔していた山口さんは、その友達がいたにもかかわらず強制猥褻に及び、事件になってしまったわけだ。
 この経緯を無視して「誘われて部屋に行く方が悪い、山口さんはハメられた」と被害者を責める人達は、本当に頭だけでなく人柄も悪い。

 一艘の船に船頭が二人いては困るように、この男女同権の世の中、同い年のカップルを長続きさせるのはなかなかに難しい。
 男でも女でも、カップルにもリードする役割の人はやはり必要だ。
 だから同い年よりも、ある程度年の差があるカップルの方がうまく行きやすい。
 しかし世代が違うほど年の差があると、それはそれでまた大変だ。
 男には若い女性が好きな者が少なくないし、女性にだって若い男が好きな人もいる。
 だが若い人達から見れば、年がかなり上の人はオッサン(オバサン)でしかなく、恋愛の対象にはなりにくいという現実も直視すべきだ。

 教訓として。
 若い恋人が欲しければ、年上好きの若い人の方から近付いて来るのを待て。
 それを待たずに、なまじ金や権力のある者が、自分の子供くらいの年齢の若い相手にグイグイ迫ると、TOKIOの山口元メンバーのように“事件”になりかねない。

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名作『君の名は。』の唯一の瑕疵(貴方は好きな女性をどう呼ぶか?)

 この一月五日に、普段はアニメなど見ない世代まで巻き込んだ大ヒット作品、『君の名は』を見た。
 実は本だけでなく漫画も読むし、アニメもかなり好きな筆者だが、この『君の名は』はスルーし続けてきた。

 新海誠監督とその作品は大好きだ。
 新海監督がアニメを本格的に制作する前、ゲーム会社に属してゲームのオープニング・ムービーを制作していた頃から、筆者は新海監督に注目していた。だから『はるのあしおと』や『Wind』などのゲームも、ただ「新海監督のムービーが挿入されているから」という理由だけで購入していたくらいだ。
 それだけに、『言の葉の庭』などの新海監督の本格アニメ映画は、熱狂的に支持している。
 ゆえに『君の名は』はスルーした。

『君の名は』は、劇場公開される前からかなり話題になり、テレビでも盛んにCMが流されていたが。
 その映像が、どうも気に入らなかったのだ。
 それまでの新海作品と違って、一般ウケを意識した絵柄に筆者には感じられた。
 そして登場人物の表情や所作も悪い意味でアニメっぽいと言うか、どことなくジブリの映画に似ているように感じられた。
 筆者はその『君の名は』の予告映像を見て、深い溜め息を漏らしつつこう呟いた。
「日本で一般人にウケる為には、やはりジブリっぽい絵柄と所作にしなければならないのか」

 断っておくが、筆者は別にジブリのアニメは嫌いではない。
 かと言って、特に好きでもない。
 テレビで放送されれば録画しCMをカットしてじっくり見るが、お金を出して劇場にまで見に行ったり、DVDやブルーレイ化された作品を買ったりする気にはなれない。
 そのレベルの気持ちしか、ジブリの作品には持てない。
 そして『君の名は』のテレビCMの予告映像では新海監督らしさはあまり感じられず、むしろジブリ作品に絵柄や登場人物の所作が似ているように感じられた。

 だから『君の名は』の大人気にも背を向け、劇場にも行かずDVDやブルーレイも買わず、筆者がこれまでのジブリ作品にしていたように、「テレビで放送されたら、録画しCMをカットして見ればいいや」と思っていた。
 で、世界でもヒットした超話題作の『君の名は』を、テレビで放送されたこの一月五日に初めて見てみたのだが。
 筆者が馬鹿デシタ。
『君の名は』は、新海監督の作品の中でも屈指の名作デシタ。
 テレビCMだけで「新海監督らしくなく、ジブリっぽい。一般ウケを狙って新海作品らしくないものにしてしまったのだろう」などと決めつけて、劇場に見に行かなかったことを、今更ながら後悔している。

 とは言うものの、予告編でも感じた作品に対するもう一つの違和感と言うか不快感は、『君の名は』をしっかりじっくり見終わった今も、一つだけ変わらずに残った。
 それは主人公とヒロインが、互いをどう呼び合うかについてだ。

 劇場公開される前のテレビCMで、主人公はヒロインに「オマエは誰だ?」と問い、対してヒロインは「アナタは、誰?」と言う。
 そして主人公はヒロインを「三葉」と呼び捨てにし、ヒロインは「瀧くん」と呼ぶ
 筆者はそれに、強い不快感と違和感を抱いた。

 テレビで放送され全て見た作品でもそれは変わらず、主人公はヒロインを最初から「オマエ」と呼び「三葉」と呼び捨てにし、しかしヒロインは「アナタ」と呼び「瀧くん」と呼ぶ。
 平成生まれの同い年の男女なのに、「これは無いだろう」と筆者は強く思う。
 女性に対しては「オマエ」あるいは呼び捨てが当たり前で、しかし女は「アナタ」あるいは「~くん」と呼ぶべきだなど、「貴様は戦前生まれか!」と怒りたくなるくらいの時代錯誤である。

 男の中には、とんでもない勘違いをしている時代錯誤のバカがいて。
「オマエと呼び、呼び捨てにするのは“親しみ”の感情からだ」とほざく輩がいる
 それも、少なからず。
 いや、それでも良いのだ、その男が自分も女性から「アンタ」と呼ばれ、そして名前を呼び捨てにされても「それも親しみを込めての呼び方だ」と好意的に受け止められるならば
 しかし女性をオマエと呼び、あるいは呼び捨てにするのを当たり前と思い、それを「親しみの感情だ」と強弁する男どもの大半は、いざ自分が女性からアンタと呼ばれたり名前を呼び捨てにされたりすると、カチンと来るらしい。

「男が女をオマエと呼んだり、名前を呼び捨てにするのは親しみの感情の表れで当たり前だが、女は女らしく可愛く控え目でいて、男に対してはアナタ、あるいは~くん(~さん)と呼ぶべき」
 正気でこう思っているアホ男が、この平成の世も終わろうとしている今になってもまだ少なからずいるのだから、ほとほと呆れ果てる。

 例の『君の名は』でも、主人公がヒロインに「オマエは、誰だ?」と問うのならば、ヒロインも「アンタ、誰?」と問い返すべきなのだ。
 主人公が当たり前のようにヒロインを「三葉」と呼び捨てにするのなら、ヒロインも主人公を「瀧」と呼び捨てにすべきだ。
 同い年の男女なのだから、それが当然ではないか。
「それは嫌だ! 男が女をオマエと呼び呼び捨てにするのは当たり前で、けど女が男をアンタと呼んだり名前を呼び捨てにするのは駄目だ!!」と言う男は、断言するがバカの上にアホである。
 その種の男は、タイムマシンにでも乗って戦前の、男尊女卑の日本に戻るべきだ。
 
 ちなみに『君の名は』で主人公はヒロインをオマエあるいは三葉と呼び続けで、タイトルのように“君”と呼ぶのは最後のシーンたった一度だけである。
 互いに記憶を殆ど失い、相手の名前すら忘れてしまって、しかし巡り会いたい大切な人がいることだけは、わかっていて。
 その二人がすれ違い、振り向いて、同時に互いにこう言う。
「君の名は?」
 そしてそれがタイトルになったのだが。
 その同時に発する言葉が、
 主人公の瀧:オマエの名は?
 ヒロイン三葉:アナタの名は?
 では、具合が悪いだろう。
 だから主人公の瀧は同い年のヒロインを女だからと「オマエ」と呼び続けたくせに、ラストシーンでだけ「君」と呼ぶ。

 まあ、主人公の瀧は良いヤツだし、ヒロインに対しても一途で一生懸命だ。
 だから「オマエと呼ぼうが、呼び捨てにしようが、愛情さえあれば呼び方などどうでも良いのだ!」と言う人も大勢いるだろうことは、筆者もわかっている。
 それでも筆者は、あえて言いたい。
 たかが呼び方だが、その呼び方一つに「女性を対等な人間と見ているか、あるいは女性を“男を立てるべき一つ下の存在”と見ているか」の感情が自然に現れるのだという現実も、しっかり理解していただきたく思う。
 繰り返すが、「男が女性をオマエと呼び、呼び捨てにもするのは親しみの感情で、しかし女は男をアンタと呼んだり、呼び捨てにしたりするべきではない」と思う輩は、時代錯誤のバカでアホである。

 筆者自身について言えば、年下も含めて女性に対し「オマエ」と呼びかけた事は一度も無いし、呼び捨ても基本的にしない。
 筆者が女性を呼び捨てにしたのは、その相手の女性当人から「あたしのことは、呼び捨てにして!」と頼まれた時のみである。
 そして同時に、その女性も筆者のことを呼び捨てにした。
 そのように、お互い同士が合意し合ってそうするのでなければ、相手をオマエと呼んだり、呼び捨てにするのはNG。
 それが人としての礼儀だと、筆者は思っている。

 その二人の年齢や立場に大きな差があるならば、話は別だが。
 ほぼ対等ならば、呼び方も対等であるべきと筆者は考える。
 親しい男同士でオマエと呼び合い、あるいは呼び捨てで呼び合うのはまるで問題ない。
 しかし時代錯誤のアホ男は、自分は相手をオマエと呼び、あるいは呼び捨てにするくせに、女性からアンタと呼ばれたり、呼び捨てにされたりすると「可愛くない!」と気を悪くするのだから、始末に負えない。

 残念なことに、多くの男性は「親しみのつもり」と称して女性をオマエと呼ぶし、呼び捨てにもする。
 ちなみに、ある統計によると、女性の約七割は男にオマエと呼ばれるのを不快に思っているという。
 ただある女性の著書によると、「女性の中には、男にオマエと呼ばれ、呼び捨てにされたい人が一定数存在する」という。
 そしてその本を書いた女性によると、その種の男にオマエと呼ばれ、呼び捨てにされたい女性というのは、「相手の男性に“モノ”として“所有”されたい、Mの気質のある人」なのだそうである。
 だから女性を「オマエ」と呼んだり、呼び捨てにしたいなら、マゾっ気のある人を選ぶべきであろう。
 少なくとも男と対等と思っている自立した女性は、オマエと呼ばれたり、呼び捨てにされたりするのを好まない。
 戦前世界でなく21世紀を生きる男性は、この点をよく心得ておくべきである。

 相手の女性にも「アンタ」と呼ばれ、呼び捨てにもされているのなら構わないが。
 自分は女性を「オマエ」と呼び、そして呼び捨てにもしているくせに、女性からは「アナタ」と呼ばれ、~くん(さん)と呼ばれたいなど、どれだけ阿呆で図々しいのかと呆れる。

 例の『君の名は』でも、主人公が同い年のヒロインを「オマエ」と呼び「三葉」と呼び捨てにし続け、だが自分はヒロインに「アナタ」あるいは「瀧くん」と可愛く呼ばれ続けて。
 後に再び巡り会って同時に振り返り、同時に声を掛け合う時にだけ「君」と言うのが、どうにもわざとらしく、白々しく感じられた。

 映像はジブリなど問題にならないほど美麗で、ストーリーもとても面白く、そして主人公は良いヤツでヒロインも可愛いのだが。
 映画の監督だけでなく原作等も新海誠さんだけに、もしかしたら新海監督も、「男が女をオマエと呼び、呼び捨てにするのは当たり前で、けれど女は可愛く男をアナタ、~くんと呼ぶべき」と思っているアホ男の一人なのかも知れないと思うと、実に複雑な気持ちだった。

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昔の『水戸黄門』の再放送で女性に対する見方を学ぶ

 筆者には、ちょっとした楽しみがある。
 それは平日の午後に再放送される昔の『水戸黄門』を録画しておいて、夜にゆっくり観ることだ。

 筆者は子供の頃から歴史に興味があって、大学でも日本史を学んだせいか、歴史小説や時代劇も好きだ。
 しかし近年はテレビの時代劇が激減しているだけでなく、その質も低下していることを痛感する。
『鬼平犯科帳』など一部のものだけは別だが、NHKの大河ドラマを含め、近年の時代劇の多くはただ時代設定が過去で登場人物が着物をまといヅラを付けているというだけで、中身や演出はほぼ現代劇だ。
 所作や台詞回しが、時代劇としてまるでなっていない。

 例えば『おんな城主直虎』など、中身が酷すぎて筆者は最初の数回で見るのを止めた。
 有名な小説や映画の名前をパクった毎回のタイトルも、「ナメてんのか!」と怒りたくなるほど酷い。
 この12月3日放送分の『直虎』のサブタイトルなど、「信長、浜松来たいってよ」だ。
 もちろん映画にもなったベストセラー小説『桐島、部活やめるってよ』のパクリだが、『直虎』の制作サイドはこれが気が利いているつもりなのだから笑止千万だし、片腹痛くなる。
 現代の青春小説の題名を恥ずかしげも無くタイトルにパクるあたりにも、『直虎』制作者の感性と時代劇に対するスタンスがよく現れている。
 ノリと軽さが、連続テレビ小説レベルだ。
 同じNHKでも、時代劇ではなくジャンルで言えばファンタジーの『精霊の守り人』の方がずっと中身にも演出にも重みがあり、ずっと時代劇らしい雰囲気があるのが皮肉だ。

 民放は視聴料を取らないから、どんなクズな時代劇を作ろうと文句は言わない。
 しかしNHKの大河ドラマには、一話制作するのに六千万円かかるという。
 有無を言わせず強制的に徴収した高額な視聴料を投じて、役者がただ着物姿でヅラをつけているだけの『直虎』のようなエセ時代劇を制作しているNHKには、本当に腹が立つ。

 だから再放送されている『水戸黄門』のような昔の時代劇を観ると、本当にホッとする。
『水戸黄門』でも、里見浩太朗や石坂浩二が黄門さまを演じている近年のものは、時代劇としては質が落ちているが。
 東野英治郎から佐野浅夫までの『水戸黄門』は、ストーリーこそパターンでマンネリだが、所作や台詞回しを見ているだけで「これぞ本物の時代劇だ!」という安心感がある。

 中には「時代劇も、時代に合わせて変わって行くものなのだ」とおっしゃる方もいるだろうが。
 しかし筆者は、ただ衣装と髪型だけ昔のもので、所作も台詞回しも演出も現代劇のままのドラマを“時代劇”とは呼びたくない。

 再放送されている昔の『水戸黄門』には、正統派の時代劇を観ているという満足感の他にも、意外な楽しみがある。
 それは毎回出て来るゲストの俳優だ。
 特に東野英治郎や西村晃の頃の『水戸黄門』には、著名な名優さんや元アイドルが若々しい姿で出ていて、「あの人に、こんな時代があったのか!」と驚かされる。

 例えば惜しくも先年亡くなってしまった、名演出家の蜷川幸雄だが。
 彼は実は元は俳優で、昔の『水戸黄門』にも何度か出ている。
 あの、出演者を怒鳴りつけたり、時には物を投げたりもする厳しい指導で知られた蜷川幸雄がどんな名演技をするのかと、筆者はワクワクしながら『水戸黄門』を見た。
 ……ごく普通、デシタ。
 大根ではないけれど、演技に特に光るものも感じなかった。
 その蜷川幸雄が出演した回の『水戸黄門』を、かつて蜷川幸雄に怒鳴られて厳しい指導をされた俳優さん達に見せてやりたいと、意地の悪い筆者はひそかに思ってしまった。

 今は故人となってしまった名優のかつての姿を、『水戸黄門』などの再放送で見るのは、懐かしく楽しく、そして少し寂しい。
 それに対して怖いのは、かつてのアイドルや美人女優の姿を見てしまった時だ。
 結婚したり離婚したり、いろいろスキャンダルも起こして、今ではすっかりうるさく品のないオバサンになってしまった女優さんの若かりし頃の姿を、先日の『水戸黄門』の再放送(黄門さまは東野英治郎)で見た。
 悪代官に目を付けられて手込めにされかける、村の名主の娘の役で出演していたのだが、魂を鷲掴みにされるくらい可憐で可愛かった。
 その可憐な美少女が、年を経ればただの下品なオバサンになってしまうのだという現実の恐ろしさを肌で感じさせられて、筆者は男として身が凍るほど恐ろしかった。
「今は誰も目もくれないようなオバサンも、昔は思わず惚れてしまうほど綺麗だったのだ」
 その厳しい現実を、『水戸黄門』の再放送で幾度も実感させられた。

 女性は、変わる。
 もちろん男性も年を取れば老けるが、女性、それも綺麗で可愛い女性が老けた後の変わりようといったら、それはもう想像を超える恐ろしさだ。

 元プロ野球の有名監督だった方の奥さんが、一時期よくテレビに出ていた。
 ブクブク太って頬の肉も垂れブルドッグのような顔をして、厚化粧して派手な服を着て、それはもう目をそむけたくなるほど醜かった。
 そして心は外見より醜く、毒舌を吐き傲慢な振る舞いをして、やがてその言動から世間から非難を浴びるようになった。
 夫である監督は知性派で知られていて、「あの賢いな監督が、何でこんなゲスな女性を連れ合いに選んだのだ」と、筆者は心底呆れたものだ。
 しかしその監督夫人の若い頃の写真を見て、筆者は衝撃を受けた。
 ……可愛かった、もの凄く。
 ほっそりして可憐で、まさに筆者の好みのタイプだった。
 その監督夫人の若い頃の姿を見て、筆者だって惚れて結婚したくなってしまうだろうと思った。

 昔の『水戸黄門』の再放送で見た女優さん達にしろ、某有名監督の夫人にしろ。
 あの可憐でほっそりした美人が、どうしてブクブク太った下品で醜いオバサンになってしまうのか。
 その変貌ぶりは、男から見れば殆どホラーだ。

 若いうちは、女性は美人だブスだといろいろ気にして、そしてそれが学校や職場の内での“カースト”にも影響したりするが。
 断言しよう。
 美人もブスも、ある程度の年齢になれば皆「ただのオバサン」になる。
 だからこそ、見た目の劣化具合はかつての美人の方が目立つし酷い。
 ブスの場合は、年を取ってもただのオバサンになるだけだが。
 元は可憐な美少女だった程、「今は“こんな”かよ!」という変化と衝撃が大きい

 男性諸子に言っておく。
 女性の若さと美貌は、必ずいつか消えて無くなる。
 そしてある程度の年になった後に残るのは、性格と人としての品だ。


 自戒を込めて白状する。
 筆者はかつて、親しい女友達に「キミって、顔が綺麗で性格が悪い女の人が好きだよね」と言われた。
 筆者自身としては、顔だけで女性に惚れた自覚は無かったのだが。
 しかし気が強くて自己主張できる女性に引かれやすい傾向がある事と、好みの顔がある事は否定できない。
 不幸にしてと言うべきか、幸いにしてと言うべきか、筆者は付き合った女性にはやがて愛想を尽かされ、ことごとくフラれてきた。
 もし筆者が過去に付き合ってきた女性のうちの誰かと結婚などしていたら、おそらく美しくも可憐でも無くなった、気の強い怖いオバサンに支配されるカカア天下の悲惨な日々を過ごしていただろう。

 ちなみに筆者が若い頃に好きになった女性(美人だが気が強くて男勝り)は、たいてい料理などの家事が苦手だった。
 一人暮らしをしても、料理などろくに作らない。筆者の元彼女には、そんな女性が少なくなかった。
 だから筆者が彼女が一人暮らしをしているアパートに泊まりに行った時には、料理はいつも筆者が作っていた。
 そんな彼女と結婚していたら今頃どうなっていたか、想像するだけでも恐ろしくなる。

 男としてズルい本音を言ってしまえば。
 女性の若さと美しさは必ず経年劣化し消失するが、性格と品性の他にあと一つ、家事能力も変わらないし劣化することは無い。

 自分がいかに女性を見る目が無かったかについての反省を込めて、まだ未婚の男性諸子に言っておく。
 女性の若さと可愛さは必ず消えて無くなり、年を取れば皆“ただのオバサン”になる現実を心に深く刻み込んでおけ。
 かつては可憐で綺麗だった女性ほど、オバサンになった時の落差が酷い。

 中には“美魔女”を自称する、いつまでも若くて綺麗なつもりの女性もいるが。
 しかし目尻や首の皺、それに肌の張りなどを見れば実年齢などすぐわかるし、中年を過ぎて若い女性と張り合おうとする美魔女wwwなど、端から見ればただイタいだけだ。

 その一方で、性格と品性、そして家事能力は年を取っても劣化することは無い
 だからもし筆者がもし今の知識と経験を持ったまま過去に戻れたとしたら、とにかく性格と感じの良い家庭的な女性を選ぶだろう。
 ただの遊びのつもりなら、見かけで相手を選んでも良いかも知れないが。
 しかしもし長く真剣に付き合う相手を探したいなら、人柄と雰囲気の良い女性、これは本当に狙い目デスよ。

 家事能力は、確かにあるに越した事はない。
 だが今は家電製品もいろいろあるし、家事は練習して努力すればある程度は何とかなるものだ。
 だからとにかく「若さと美は必ず消え失せ、その後に残るのは性格と品性だ」ということを、未婚の男性諸子に肝に銘じておいてほしい。
 古い『水戸黄門』の再放送で、今はすっかり可愛げの片鱗すら無いオバサンになった女優さんの若く可憐だった頃の姿を見て、心からそう思った。

『水戸黄門』に限らず、有名女優や元アイドルが過去に出演した古いドラマの再放送は、録画してでも見ておくことをお勧めする。
 女性の若さと美がいかに儚く消えてしまうものか、よくわかるはずだから。
 それに気付かず、若気の至りでうっかり性格の悪い美人などと結婚などしてしまうと、貴方の人生が本当に台無しになってしまう

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女性は男以上に見かけで選んで恋をする

 女性はよく、「男は女を顔で選ぶ」と言う。
 しかし筆者は、女性だって面食いと言うか、「女は男より見かけで相手を選んでいる」と思っている。

 先日、機会があって原作者の山田典枝さんが脚本も担当した『魔法遣いに大切なこと』という映画をDVDで見た。
 魔法が存在する現代世界での若い魔法遣い同士の恋愛を描いた、まあハートウォーミングな映画なのだが。
 それを見て、「女性はやはり男の見かけが何より大事なのだな」と、改めて痛感させられた。

 その映画のヒロイン(研修中の魔法遣い)は、相手役の男に初対面の時から「お前」と呼ばれる。
 ちなみにその男も同い年の研修中の魔法遣いなのだが、礼儀も常識も知らず、言葉遣いも態度も悪い。そしてやる気も無い上に、女癖もよろしくない。
 うまく行かないとふて腐れ、女と遊んで研修所の宿舎の門限を破る。
 そしてヒロインの鈴木ソラに対しても、すぐに「ソラ」と呼び捨てにする。
 正真正銘のDQNだ。

 しかしヒロインは、そのDQNの出来損ない魔法使いが好きなのである。
 ヒロインはそのDQNのせいで持病の発作を起こし、失神して病院に運ばれたりもする。
 それでもヒロインは、DQNのアホ魔法使いが好きなのである。
 そして魔法がうまく使えずにいじけるDQNを励まし、力を貸してあげて助けるのだ。

 この「良い所など何一つ無し」のDQNに、ヒロインが何でここまで好意的なのか。
 それはすべて、そのDQNがイケメンだからである。
 ちなみにそのDQNで出来損ないの魔法使い見習い緑川豪太の役を演じているのは、人気俳優の岡田将生さんだ。
 もしこの「礼儀知らずで非常識で、言葉遣いも態度も悪くやる気も無い上に女癖も悪いDQN」が、岡田将生さんでなくブサメンだったら、女性にはボロクソに言われて叩かれるに違いないと、筆者は確信している。

 確かに男も、可愛い女の子には弱い。
 しかし「顔とスタイルは良いが後は全部ダメで、礼儀知らずで非常識で、言葉遣いも態度も悪くやる気も無い上に男癖も悪い」という女に惚れる男は、まず居ない。
 見かけが良くて中身が悪い女性が男を捕まえるには、少なくとも男の前では態度を変え、振る舞いや性格も可愛く見せかけて騙す演技が必要だ。
 だがイケメンが女性をモノにするには、その異性の前での偽装の演技すら必要ないようだ。
 ただイケメンでありさえすれば、非常識で態度も女癖も悪くてもモテるのだから、容姿に恵まれた男性は可愛く生まれた女性よりもかなりお得だ。

 筆者は大学は都心のマンモス校に通い、様々な男女を見てきた。
 それで不思議に思ったのが、「なぜ性格に難のある、癖の強い嫌なヤツばかりモテるのだろう」ということだ。

 いや、別に「女性は男の見かけにこだわらず、性格だけで選ぶべきだ」と言いたいわけではない。
 筆者だって可愛い女性は好きだし、女性も容姿の良い男性に惹かれるのもわかる。
 ただ筆者の目には、女性は「顔も性格も良い好青年」は、あまりお好きでないように見えた。
 彼女がいる男と言うと、たいてい押しの強い癖のある、同性から見て素直に「良いヤツ」とは言えないような男ばかりだった。
 そして「人柄は申し分ない上に、容姿も悪くない(5段階評価で4くらいの)好青年」というと、意外にモテることなくたいてい彼女ナシだった。

 女性から見れば、その種の好青年は異性としてどこか物足りなくて、押しと癖の強い男にオスとしての魅力を感じるのかも知れないが。
 性格が良い上に見てくれも悪くない好青年が意外にモテず、むしろ性格に難のあるイヤなヤツほどモテていた現実に、筆者は何とも言えないやり切れなさを感じた。

 ついでに言うと、その「性格が良い上に見てくれも悪くない好青年」達は、大学時代こそあまりモテなかったものの、適齢期には皆しっかり結婚していた。
 それを見て筆者は、「女性という生き物は、やはり男より一枚上手で人生を巧みに、美味しいところを選んで吸って生きて行けるものなのだなあ」と、慨嘆したものだ。
 結婚をまだ意識しないうちは、ワルっぽくオスとしての魅力のあるイケメンの男とアブない恋を楽しんで。
 そして適齢期になったら、性格の良く見てくれも悪くない好青年にさっさと乗り換える
……と。
 その「恋愛と結婚は別」というギアの切り替えは、男より間の違いなく女性の方がシビアでキッチリしている。
 そういう実態を見ているだけに、ますます結婚に積極的になれずにいる筆者だ。

 少女漫画を試しに読んでみてほしい。
 顔も性格も良い優しい好青年の彼氏に物足りなさを感じて、ワルっぽい強引な男に乗り換える話とか。
 最初は「ヤなヤツ!」と嫌ってたイケメンに、次第に惹かれてゆく話とか。
 その種の物語がいやと言うほど描かれている。

 例の『魔法遣いに大切なこと』という映画でも。
 落ちこぼれでDQNの魔法遣い研修生の緑川豪太(岡田将生)はヒロインと両思いになるだけでなく、最後は他の研修生たちと同様に魔法も使えるようになり、常識や礼儀も少しは身につけ「よく頑張ったね」と誉められるのだけれど。
 本当にDQNって、漫画家の秋本治先生が作品の中で主人公に言わせたように「マイナスをゼロにしただけ」で誉められちゃうんだよねぇ……。
 世の中って、特に女性たちってイケメンのDQNが大好きなのだなと改めて思わされ、溜息をつきながら『魔法遣いに必要なこと』を見終えた次第でありました。

 ただ女性にモテるワルはイケメン限定で、ブサメンで性格や態度の悪い男はゴミ以下の扱いを受けるので、その点はご注意を。
 女性はブサメンには冷たいデスよ、本当に
 男も女性を容姿で差別したりもするけれど、女性のイケメンとブサメンに対する態度の差はそれ以上ではないかと、最近では「香川照之に似ている」と言われる筆者は思う今日この頃でありマシタ。

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一人のクリスマス・イブも悪くない

 もしこのブログを、アップした今日12月24日の夜に見て下さっている方がいるとしたら。
 貴方はクリスマス・イブの夜を、恋人もなく一人寂しく過ごしているのだね?
 安心してほしい、筆者も今年は彼女なしで一人で過ごすつもりだ。
 クリスマスを彼女なしで過ごすのは、決して貴方だけではない

 筆者も以前には、彼女がいる時もあった。
 そしてクリスマスを彼女と共に過ごした事もあった。
 その経験から言うが、彼女という存在は、恋人がいた事のない人達が想像するほど素晴らしいものではないぞ。

 それは確かに、大好きな可愛い彼女と共に過ごす時間は楽しい。
 しかし楽しいのと同時に、異性と交際するのはかなり面倒でもある。

 まず女性は、男性とは思考も発想も感情も違う。
 自分と同じ人間だと思って交際すると、まず間違いなく痛い目に遭う。
 女性と交際するなら、「自分たち男とは違う生き物なのだ」と、初めから肝に銘じておいた方が良い

 例えば何か問題が起きた時、男は当然のように対処の方法を考える。
 しかし女性は違う。
 女性はとにかく、自分の話をただ聞いてほしいのである。

 その“女性の話”というのは、一方的な愚痴である事が少なくないのだが、いくら非生産的なくだらない話だと思っても、すべて肯定的に受け入れなければならない。
「こうしたら良いのでは?」とか、「違う見方をすれば、こうだったのでは?」などと言った問題解決の為の前向きなアドバイスは厳禁だ。「あたしの気持ちをわかってくれない!」と、ただ女性をキレさせるだけである。

 何かトラブルが起きた時、男はまず問題の解決を最優先する。
 しかし女性が最優先するのは、“あたしの気持ち”なのだ。
 その“あたしの気持ち”を受け入れ肯定してもらう事が第一で、「こうすれば良い」などという理性的なアドバイスなど、女性は欲しくないのだ。

 女性が「白」と言ったら、どう見ても真っ黒なものでも「ハイ、ソウデスネ、真っ白ダネ」と受け入れる。
 それが女性と上手く付き合う秘訣だ。

 そうすれば女性は、「気持ちをわかってくれる、良い人!」と喜んでくれる。
 そのコツさえ覚えれば、女性とうまく付き合うのはとても簡単だ。
 簡単だが、心を殺し女性に合わせて黒も白と言うストレスは、男性、少なくとも理知的な男性にとってはかなりのものになる。
 そして「真実や現実より、とにかく気持ち最優先」という女性達と付き合えば付き合うほど、「女は馬鹿だなあ」という思いも心の中に澱のように溜まってくる。

 これは筆者が物事を理詰めで考えたがる、かなりの男性脳の持ち主だからかも知れないが。
 女性と付き合えば付き合うほど、「男と女は共感し合えない、違う生き物だなあ」という思いが深まってくる。
 感情最優先で、女が白と言えば黒も白というポイントさえ理解してしまえば、女性と付き合うのはそう難しい事ではないが。
 しかし自分を殺して本音を隠し、相手に合わせて女性と付き合えば付き合うほど、ストレスが溜まり女性と付き合うのが面倒になってくる。

 気持ちの問題だけではなく、男性が女性と付き合うには金銭的な負担も大きい。
 筆者は「デート代は男が出すのが当たり前」という時代に育ったから、何日もの旅行も含めて、デート代はほぼ全額筆者が負担してきた。
 今はデート代は割り勘というカップルも増えてきたとはいえ、それでも女性側の本音は「奢られると嬉しい」という。

 例えば、今日この日のクリスマス・イブのデートを考えてみよう。
 素敵なレストランやホテルを探して事前に予約しておくのは、まず男の義務のように思われているのではないだろうか。むろん、それなりのプレゼントも用意した上でだ。
 今日この日に、男が「レストランとホテルの費用は割り勘ね」と言ったら、「ムード台無し、サイテー!」と、女性にまずドン引きされるだろう。

 バレンタイン・デーにチョコレートを配らなければならないのは、女性にとって負担だと言うが。
 しかしホワイト・デーには、男性側は三倍返しをすべきだとも言われている。
 このように、女性と付き合うには気を使う上にお金もかかるものなのである。

 女性と付き合うのは、本当に難しい。
 例えば食事ひとつにしても、安いお店に連れて行けば機嫌を損ねられてしまうし。
 かと言って、立派なレストランに連れて行けば喜ばれるというわけでもない。
 それなりのテーブル・マナーを求められるような店に連れて行くと、それはそれで女性は機嫌を損ねるのだ。「恥をかかせた、窮屈だ」と。

 女性とのデートって、プランを立てるのもお金を出すのもほぼ男性側だからね。
 で、女性がするのは、その男性が無い知恵を絞りお金を出してセッティングしたデートを採点して、ただダメ出しするだけだから。
 今の男性が女性と付き合うのが面倒だと思う気持ち、筆者にも本当によくわかる。

 一握りのイケメンを除いて、筆者も含めた大半の男性は女性に気も金も使ってご機嫌を取って、ようやくお付き合いしていただけているようなものだから。
 で、ふと正気に戻ると、つい考えてしまうわけデスよ。
女性って、そこまでして付き合っていただくほど価値のある生き物なの?」と。

 コレを言ってはおしまいだが、今日のこの日も、可愛いキャラの出てくる萌え系のアニメでも見ながら一人でケーキとチキンを食っていた方が、余程も気楽で楽しい上に安上がりなのではないかと、ふと思ってしまったりするのでありマス。

 萌え系アニメはどうあれ、女性と付き合うには金も気も消費され過ぎる、女性にそれだけの金と気を使う価値はないと考える男性が増えている事もまた、厳然たる事実である。

 面白いデータがある。
 国立社会保障・人口問題研究所が2015年に実施した『第15回出生動向基本調査』によると、恋人がいる男性は19.7%で、それに対し恋人がいる女性は27.3%なのだそうである。
 この7.6%にもなる男女差は、一体どういう事であろうか。
 日本の未婚の男女の人口差に、それほどもの差があると聞いた事もない。
 つまりコレは、「少なからぬ男が“フタマタ”をかけ、一人で複数の女性と交際している」という事であろう。

 不倫はもちろんいけないが、結婚前のフタマタ交際も当然けしからぬ事である。
 とは言うものの、女性という気も金も使うメンドクサイ生き物と、よく複数相手に交際できるものだと感心もしてしまう。

 女性が相手を恋人と認識しているという事は、女性も公認で複数の相手と交際しているわけではなく、その男性はそれぞれの女性にはバレないよう内緒でフタマタ交際をしているのであろう。
 例えばこのクリスマス・イブやバレンタイン・デーなどには、その複数の相手にどう言い繕っているのだろうか。
 本命の女性とは逢い、浮気相手には「ごめん、急な仕事が入っちゃって……」とか嘘をついて誤魔化しているのだろうか。
 浮気など一度もした事がなく、たった一人の恋人と付き合うのでさえ時には「女性と付き合うのって、面倒だな」と思ってしまうような筆者には、複数の女性と付き合うような苦労をあえて背負い込もうとする一部の男性の気持ちが、どうにも理解できない。

 現状を見るに、女性の交際を「気とお金を使って大変」と感じる適齢期の未婚男性の草食化が進み、その一方で「一部の肉食男性が、複数の女性を食い荒らしている」というのが、日本の恋愛事情の実態ではあるまいか。

 筆者は、桂明日香さんという漫画家が好きで、桂明日香さんの作品はほぼ新刊で買っている。
 その最新作の『レディ・ハニカム』に、祖父から譲られたビルや土地などの不労所得で遊び暮らしている、ロクデナシのオッサン(顔だけはイケメン)が出て来るのだが。
 そのエロいオッサンが言うのだ、「俺おっぱいの重さと脳(オツム)の重さが反比例してる子が好きだからさ~」と。
 その巨乳好きで、しかも飽きたら捨てるというオッサンは、こうも言う。
他人より自分の下半身に誠実に生きたいから

 ……ふうむ。
 女をマタがけして、浮気や不倫をする男性の感覚とは、そういうものらしいデス。
 だが凡人でちゃんと他人にも誠実に生きたい上に、たった一人の彼女も持て余してきた筆者としては、あちこちに嘘をつき、それがバレないように冷や冷やしながら複数の女性と付き合う気になど、とてもなれない。

 そのたった一人の彼女を喜ばせる為に、プレゼントやレストランなど事前にいろいろ考えて苦労した事もある筆者に言わせて貰えば。
 一人で気楽に過ごすクリスマス・イブも、そう悪いものでもないよ。

 この日のプレゼントとデートの為に、何ヶ月も一生懸命バイトしたり節約したお金をつぎ込んだ彼氏。
 複数の女性をマタがけして、演技力を駆使して片方の女性には「仕事が忙しくて……」と嘘をついたり、時間を遣り繰りして一夜で二人の女性と逢ったりしている、桂明日香さんの言うところの“下半身に誠実な方”。
 どちらもホントにご苦労様デス。

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「恋愛すれば輝く」という、まやかし或いは戯言

 先月、毎日新聞で若い世代の癌について記事を連載していた。
 乳癌や子宮癌など女性特有の癌があるゆえに、特に若い女性は癌になると恋愛や結婚を躊躇う方が少なくないという。

 実は筆者も二十代の頃に下腹部に大きな腫瘍が出来てしまい、大学病院で七時間以上もの手術を受けて摘出した。
 残念ながらそれで完治したわけではなく、日常生活には大きな支障は無いものの、体に後遺症を残してしまった。
 だから若くして癌になってしまった方の辛さは、筆者にもわからないでもない。

 ただその癌にかかってしまった若い世代の、特に女性が恋愛や結婚を躊躇ってしまう事についての毎日新聞の記事に、いささか気になるものを感じてしまった。
 この9月13日の記事には、こう書いてある。

 闘病中でも「輝いていたい」と、恋愛に前向きな女性もいる。


 記事に取り上げられた癌患者に限らず、女性には「恋愛をすると輝く」と信じている方々が少なからずいる。
 だがもし男性が「恋愛をして輝きたい」と言ったとしたら、何かキモチ悪くないだろうか。
 いや、性別に限らず「恋愛をして輝く」という言い方や発想を、筆者は違和感以上の不快感をもって受け取る

 断っておくが、筆者は独身だが決して恋愛と無縁の人生を送ってきたわけではない。
 その筆者の実感からすると、「恋愛をすると輝く」という発想はあべこべなのだ。
 恋愛をするから輝くのではない、まず人として輝いているから異性も寄って来て恋愛が出来るのだ。
 間違えてはならない、これが現実だ。

 恋愛とは、まず相手があっての事だ。
 いくら本人が「したい」と思ったところで、当人に何らかの魅力がなければ出来るものではない。
 断言するが、男性であろうが女性であろうが、いくら恋をしても当人に魅力がなければ何も輝かない

 パナールというフランスの名車を造ったある技術者が、こう言った。
「仕事に打ち込み、詩の一つでも作っていれば、女などいくらでも寄って来るさ」
 筆者もそれに同意する。

 考えてみてほしい。
 異性のことばかり考え、異性の尻ばかり追っている者が輝いているように見えるだろうか?
 輝くというより、ただサカリがついてギラついているだけではないか。

 さらに聞こう。
 恋せずに自分の仕事に打ち込んでいる女性は、輝いていないとでも言うのだろうか。
 恋せずに趣味を持ち生き生きと活動している女性は、輝いていないとでも言うのだろうか。
「恋をしていない=輝いていない」という発想は、何とくだらないものだろうと筆者は呆れる

 断言するが、「恋をすれば、女は綺麗になる」などと言うのは、全くの戯言だ。
 元々お洒落でセンスの良い女性は、恋をしていなくても綺麗だ。
 恋でも趣味でも何かに打ち込んでいる女性もまた、恋とは無関係に輝いている。
 内から人間的な魅力がにじみ出ている女性もまた、恋愛していなくても人を引きつける魅力を発している。
「輝きたいから恋をする」などという発想は、そうした人としての魅力を無視した、愚かな恋愛至上主義に過ぎない。

 まず人としての魅力があるからこそ、人は輝き、異性にも好意を持たれるのだ。
 だから恋をしたければ、「まず自分の人としての魅力を磨け」と筆者は言いたい。
 仕事に頑張り、趣味に打ち込む。
 そうして人としての魅力を磨いていれば、恋など向こうの方から転がって来る。
 その人に魅力があり輝いているから異性とも親しくなれ恋も出来るのであって、恋をするから輝いて綺麗になるというのは、まるで話があべこべなのである。

 いくら恋をしたところで、仕事もダメで打ち込む趣味も無いような人としての魅力のない者は、少しも輝くわけがない。
 恋をしたければ、まず仕事を頑張るなり趣味に打ち込むなりして自分を輝かせろ。話はそれからだ。

 それにしても、世間の人達はなぜ恋をして、そして結婚しないと一人前とみなしてくれないのだろう。
 恋をしても別れる事もまたあるし、結婚しても離婚に至る事だって少なくない。
 恋せずに仕事に打ち込むのも良いし、趣味もまた恋と同じくらいに楽しい。
 恋愛も何度かしてきたが、「恋して結婚するのが一番の幸せ」とは決して思わない。

 そんな筆者のような人間が増えてしまうと少子化がますます進み、国としては困るのかも知れないが。
 それでも「人生、恋がすべてではない」と筆者は思う。
 独身者を「なぜ結婚しないの?」と問い詰めたり「早く結婚しなさいよ」と責めたりする風潮や、「女は恋をして綺麗になり磨かれる」と信じる恋愛至上主義者の存在は、恋愛以外の分野でも人生を充分に楽しめる人間には、少しばかり鬱陶しい。

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結婚は若さと勢いで!

 筆者は別に独身主義者というわけではないが。
 出逢いと別れを幾たびも繰り返し、どうやら独身のまま生涯を終えそうな予感がしている。

 恥ずかしい話だが、若い頃の筆者は本当に女性を見る目がなかった。
 事実、親しかった女友達にも、「キミって、ホントに顔が綺麗で性格の悪い女の人が好きだねぇ」と呆れられた程である。

 いや、別に好き好んで性格の悪い女性ばかり選んだつもりはないし、「顔さえ良ければ、性格などどうでもイイ」などと思ったつもりもない。
 ただ若い頃の筆者が惹かれてしまう女性は、同性から見れば「あの子、顔は可愛いけど性格悪いよね」という種類の子ばかりだったようだ。
 若いうちはどうしても容姿に目を眩まされてしまい、顔が綺麗だと性格まで良いように思えてしまうから困ったものである。

 今の筆者はそんな事はない。
 容姿は劣化するものだという現実を、自分や自分と同年代の人たちを見て、身に染みて理解できるようになったから。

 断言するが、容姿は間違いなく劣化する
 しかも元が綺麗であればあったほど、その劣化の具合が目立つケースが多いようだ。
 それに対し、性格はまず劣化しない
「前は優しく女らしかったのに、結婚したら我が儘でだらしなくなった」という場合は、性格が劣化したのではなく、ただ結婚前に猫をかぶっていたというだけの話だ。
 そして家事能力に至っては、向上する事はあっても劣化する事は無い。

 とは言え、結婚すれば毎日顔をつき合わせていなければならないわけだから、容姿が「生理的にダメ」という相手と無理に結婚する事も無い。
 まず大切なのは相手の人間性で、そして家事が苦手でなければラッキーで、容姿は「どうしてもムリ」というタイプでさえなければ充分だ。

 綺麗な女性は、実は今でも好きだ。
 しかし「見ていて楽しい観賞用の女性と、実際にお付き合いすべき女性は違う」という現実も、今の筆者はよくわきまえている。
 そしてその種の目に優しい綺麗な女性は、テレビ等で眺めて「いいなあ、可愛いなあ」と思っていれば充分である。

 しかし悲しい事に、容姿に惑わされず本当に好ましい異性が誰であるか見分けられるようになった頃には、当人は既に適齢期を過ぎ、異性からは恋愛や結婚の対象と見られなくなっているのが現実である。
 で、筆者は適齢期には間違った好ましくない異性とばかりお付き合いしていて、その恋愛は幸か不幸か結婚には至らず、相手の人柄をしっかり見抜けるようになった今もまだ独身でいる次第だ。

 その筆者は、「結婚とは賭けではないか」と思っている。
 適齢期の若いうちは、男女ともどうしても相手の容姿に目を奪われがちだ。
 中には「いや、自分はちゃんと性格で選んでいる」と言う方もいるだろうが。
 若いうちの人を見る目など、なかなかあてにならないのが現実だ。
 何しろ人には外での顔と内での顔があって、特に好かれたい相手の前では無理をしてでも良い人を演じるものだ。

 実は筆者の姉も、容姿は良くないが姉を好いてくれて、優しくよく尽くしてくれる人を「良い人」と信じて結婚した。
 しかしその相手は、結婚すると本性を出すようになり、卑屈で嫌味っぽく女々しい性格である事がわかった今、姉は度々「結婚するんじゃなかった」と言い、離婚を考える事も少なくないらしい。

 よく「美人は性格が悪い」と言う人がいるが、それは違う。
 美人でしかも性格の良い人もいれば、ブスでさらに性格も悪い人もいる。
 それが現実だ。
 もちろん性格の悪い美人も人柄の良いブスもいるし、容姿と性格は全く関係が無いのだ。
 だから見た目で惚れて勢いで結婚してしまっても、相手がたまたま容姿に加えて性格も良ければ、そのまま幸せな結婚生活を送る事が出来る。
 そして筆者の姉のように、容姿に目をつぶって人柄で選んで結婚したつもりでいながら、「こんな人とは思わなかった」と後悔し続けている人もいる。
 だから本当に人を見る目がまだ育って無い若いうちの結婚とは、運任せの博打のようなものだと思っている。
 そして若さに任せて勢いでしてしまわなければ、結婚などなかなか出来ないものだと筆者は思う。

ひとりで生きるモン・EPSON002
 引用したのは、西炯子さんの『ひとりで生きるモン!』の5巻だが。
 本当にその通りだと、筆者は心から共感してしまった。

 冷静に考えてみると、結婚はなかなか面倒だ。
 結婚式そのものも男にとっては面倒なものでしかないが、結婚したら配偶者の親兄弟とも親戚付き合いをしなければならないし、家事を分担したり子供を育てたりと、大変な事ばかりである。

 筆者は大学生時代に一人暮らしを経験していて、家事なら一通り出来る。
 実は筆者の母は家事があまり得意ではなく、だから実家に戻っても料理等の家事はかなり自分でやっていた。
 そのせいか、これまでお付き合いしてきた女性たちより、筆者の方が家事が出来る事が多かった。
 だから結婚するとなると、「男女平等」、そして「家事は出来る人がやれば良い」という名目で、多くの家事が筆者に押しつけられるであろう事が目に見えていた。
 それを思うと、結婚生活に夢と希望を持つ事が出来なかった。

ひとりで生きるモン・EPSON001
 これも西炯子さんの『ひとりで生きるモン!』だが、この気持ちは筆者にもよくわかってしまう。

 そして筆者には、やりたい趣味があった。
 筆者は賭事はしないし、風俗遊びなど一度もした事も無いし、大酒も飲まない。ブランドものにも興味が無いし、車も古いやつに長く乗り続けている。
 しかし他の事には構わない代わりに、写真と書籍にはかなりのお金を遣う。
 写真を撮ることと、一人でゆっくり本を読むことを筆者は無上の楽しみとしている。そしてその一人でいる時間を邪魔されたり、写真や本にかけるお金を無駄と言われるのは耐えられないほど嫌だ。
 稼いだ金のごく一部を“お小遣い”として与えられ、その使い道すら無駄だの何だのと文句を言われ、一人になる時間も与えてもらえない生活など、筆者にとっては苦行でしかない。

 以前、ある二人組のアイドル(女性)に、雑誌の記者がこんな質問をした。
「もし誰もいない無人島に、嫌いな男と二人で島流しになってしまったらどうする?」
 すると一人はこう答えた。
「寂しいから一緒にいる」
 それを聞いたもう一人が、呆れたようにこう言った。
「えーっ、嫌いな男なんだよ!? あたしなら島の反対側に逃げるわ」

 その二人組のアイドルではないが、人には二通りあると思う。
 一人でいると、寂しくてたまらない人と。
 そして逆に、一人になる時間を持てないと息が詰まってしまう人と。
 無論、筆者は後者の方である。

ひとりで生きるモン・EPSON003
 これもまた西炯子さんの『ひとりで生きるモン!』からの引用だが、筆者にはこの「わかり合えない他者を無条件に受け入れる」覚悟が、まだ出来ないでいる。

 若い頃の筆者にも、好きで好きでたまらない人がいた。
 しかし結婚について冷静に考えると、どうしても二の足を踏んでしまいがちになるのが常だった。
 彼女の親兄弟と、親戚付き合いをうまくやっていけるのか?
 子供を生み育てるだけの充分な金があるか?
 仕事と家事と子育てに追われ、趣味にかける金と時間も無く一人にもなれない暮らしに、果たして自分が耐えられるのか?
 それらを考えると、「付き合うのは楽しいけれど、まあ結婚は急ぐこともないか」と思ってしまいがちだった。
 そして筆者がもたもたしているうちに、筆者と付き合っていた女性達は筆者に見切りをつけ、さっさと他の男と結婚してゆくのが常だった。

 だから断言するが、結婚については冷静に考え過ぎると駄目だ。
 華やかな結婚式とその直後の甘い生活でなく、生活費の問題や家事の分担、それに子供が産まれた後の事などを考えると、結婚に夢や希望をあまり持てなくなってしまう。
 特に筆者のようにある程度家事が出来て一人でいるのを苦にせず(むしろ一人になる時間が持てないと苦痛)、自分の趣味もあるという人間は、結婚生活にメリットを感じにくいのだ。
 だから好きで好きでたまらない相手が出来たら、その勢いに任せてしてしまわないと、結婚などなかなか出来るものではない。
 よく考えないで結婚すると、確かに痛い目に遭う事もあるが。
 しかし「いろいろ考え過ぎると出来なくなる」というのもまた、筆者が身をもって体験した結婚の現実だ。

 しかも出逢いなど、その気になれば幾らでもあるものだ。
 好きだった女性にいつの間にか二股をかけられて、その相手とさっさと結婚されてしまうという痛い目に遭い、「女なんか信じられない、もう二度と恋などするもんか!」とか思ったりもした筆者だが。
 ……痛い失恋をしても、また数ヶ月後には別の誰かを好きになっているものなのだ、現実の人間とは。
 で、出逢っては別れてを繰り返すうちに、次第にこう思うようになってくるのだ。
「たった一人の運命の相手などいるものか、恋人など探せばまた見つかるさ」

 そしてそうなると、お付き合いしている相手に対するこだわりもより減ってくる。
 好きな相手にふられれば、それはもちろん辛いけれど執着はしない。
 スッパリ諦めて、「仕方ない、また別の相手を探そうか」と思う。
 そして新しい恋人も、若いうちならやがて見つかってしまうものなのだ。人並みの顔をしていて、マメにアプローチさえしていれば。

 ただ一人の運命の人など存在しないし、恋人は努力すればすぐ見つかる。
 そんな姿勢で恋愛していると、相手に対する執着が薄くなる一方だから、「いろいろな困難を乗り越えてでも、是非この人と結婚したい!」って意志がますます薄れてしまうのだ。
 で、結婚には至ることなく、付き合った(そしてフラれた)相手の数だけだけ増えて行ったというのが、筆者の人生だ。
 そして適齢期をとうに過ぎてしまった今もまだ、独身のままでいる。

 その筆者から、結婚しようかどうか迷っている人たちに是非言いたい事がある。
 いろいろ考えるな!
 結婚したければ、若さと勢いに任せてしてしまうのが一番だ。

 結婚は、その先に待っている面倒(子育ての手間とか、家計の問題とか、家事の分担とか、相手の親兄弟が苦手だとか、自分の自由になるお金や時間が無くなるとか)を考えれば考えるほど、したくない気持ちが強くなるものなのだ。
 そして「今の恋人と別れても、次の出逢いはきっとある」という現実に気付いてしまうと、今の恋人に対する執着が無くなって、恋ばかり多くて結婚に至らない残念な人になりかねない。

 と言っても、二十歳前後での早婚や出来婚を勧めるつもりは全く無いのだけれど。
 ただ、「本当に結婚したければ、まだ若いうちに、勢いに任せて」というのは、まだ結婚出来ずにいる筆者が自分の体験から言える現実なのだ。
 結婚できないうちに年を取れば取るほど、変に目が肥えてしまい、自分はオッサン(オバサン)なのに相手に対する要求レベルばかり上がり過ぎてしまうものだから、本当に怖いよ。

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デートの費用は男が持つべきなのか?

 男女が親しくなりデートをすると、一つの難しい問題に直面する事になる。
 それはズバリ、「デートにかかる費用を、どちらがどう持つか?」である。

 以前は、デートの費用は男が負担するのが当たり前だった。
 しかし男女平等が当たり前の世の中になり、そして男が明らかに経済的に優位な立場にあるとは限らない今、割り勘というケースも少なくなくなった。
 だが女性の本音を聞いてみると、女性はやはり「男性には奢ってほしい」と思っている女性が多いようだ。
 そして割り勘を求める男に対して、「セコい」とか「器が小さい」などという感情を抱くらしい。

 これを読んでくださっている男性の方々からは、「口では男女平等とか言いながら、カネの事となると女は都合良く男をあてにするからズルい」という怒りの声が聞こえてきそうだ。
 だが女性というものは、妊娠し出産したら何年間かは働けなくなる生き物である。
 いくら男女平等を叫ぼうと、妊娠中と出産後のある程度の期間はパートナーである男性の収入に頼って生きなければならない現実は変わらない。
 だから女性は本能的に、自分に気前の良い、デートの費用くらい持ってくれる男性に好感を抱き、頼りがいを感じるのだろう。

 筆者の場合、交通費や食費や現地での遊興費や宿泊費など、デートの費用は基本的に筆者がすべて出してきた。
 育った時代のせいか、それとも持って生まれた性格なのか、支払いの場では男が黙ってサッと全額出した方がスマートだと思うからだ。

 割り勘派の男性にお尋ねしたいが、会計の時に相手の女性からどうお金を受け取っているのだろうか。
 今は8%の消費税が加算されるし、何千円ちょうどとか何万円ちょうどとか、綺麗に割り切れる金額を請求される事は少ない。むしろお食事2人分で3380円とか、細かい金額を請求される場合の方が多い。
 それを「3380円を2で割って……」とか、「君が頼んだのは1180円のパスタと380円のミルクティーだから……」とか、いちいち端数まで暗算して小銭まで出して貰うのだろうか。デートとして、それは興醒め極まりないと思うのは、筆者が古いタイプの男だからだろうか。

 まあ、「ボクが3千円出すから、キミは端数だけ出して」と女性に求めるやり方もある。
 だがそれでも、「オレの方が多く出している」という気持ちが男性側に残る事には変わりない。
 だったらスッパリ全部男が出した方がスマートだし、気分的にもスッキリするのではないだろうか。

 サイテーなのは、女性にも割り勘や応分の負担を求めるくせに、そのお金はそっと出させ、会計の時にはいかにも自分が出したかのように払おうとする男である。
 男の顔を立てろ、という事なのだろうが。
 そんなに“男の顔”とやらを立てたければ、最初から全部自分が払えば良いではないか。
「男女平等だから」と女性にも応分の負担をさせておいて、会計となると“男の顔”とやらを立てたがる奴は、ハッキリ言うが男としてゲスである。
 割り勘を当然と思うなら、人前でも堂々と女性にもカネを出させるべきだ。それを「恥ずかしい、男としての顔が……」とか思うなら、割り勘などせずに自分で奢れよ。

 断っておくが、筆者は別に金持ちというわけではない。むしろカネは無い方だし、しかも写真というお金のかかる趣味を持っている上に、欲しい書籍類は躊躇わずに買う悪癖もある為、カネの工面にはいつも苦労している。
 だから筆者は、かけるべき所にはお金はかけるが、それ以外の方面に対する支出は徹底的に切り詰めている。
 例えば筆者の車は古い軽自動車だし、服やバック等の持ち物もブランド物は一切持たないでいる。

 筆者は自分の感性や教養を高める為のお金は惜しまないが、持ち物や衣服で自分を飾る事に一切の興味が無いのだ。
 大切なのは、人としての中身と思っているから。
 だから見栄を張る必要も感じないし、外面を飾って「スゴい!」と思われたくもない。
 だからデートも古い軽自動車で平気で迎えに行くし、それを恥ずかしいとか貧乏くさいと思うような女性など、こちらの方からお付き合いはお断りだ。

 デートでの食事も同じで、その時に筆者にお金のゆとりがあればホテルの最上階のレストランとかお洒落なレストランとかに(全額こちら持ちで)ご招待するが、お金が無ければファミレスに平気で連れて行く。
 デートにかかる費用は全額こちらで持つから、その代わり車が古い軽だろうが、どこで何を食べようが文句は言うな、というわけである。
 いや、もちろん相手の好みも考えもするし、「どこに遊びに行きたい?」とか尋ねもするよ。そうして相手の意向も考慮した上で「デートは(費用も含めて)こちらに任せて」というわけ。

 で、デートの費用はこちらが全部持つけれど、無理はしない。
 好きな女の子に「ここに連れてって!」と言われても、無理な時は無理ときちんと言うよ。
 以前の夏に、ある女の子と数日間旅をして。ハイ、交通費も宿泊費も食事代もすべて筆者持ちデス。
 で、その間もなく後に同じ相手に「今度は東京に連れてって!」とねだられた時には、「駄目、お金がナイ」ってきっぱり言った。

 デートの費用は全額持つ代わり、カネが無ければ見栄を張らず、駄目な時は駄目と言う。これが筆者のやり方なのだ。
 無理はしてないから、女の子に奢ってもそれほど負担に感じないのだ。
 むしろ可愛い女の子と楽しい時間を過ごせたのなら、そのくらいのコストは負担しても充分OK、と言うか。

 筆者の経験で言うと、割り勘を自分の方から言い出してくる女性は、素直に奢られる女の子より意識過剰で付き合いにくい女性が多かった。
「貴方とアタシは対等な友達で、恋愛感情も無いし借りを作りたくないの」みたいな感情が見え隠れしていてね。
 むしろ素直に奢られて「ありがとー、ごちそうさま」とニコッとしてくれる女の子の方が、ずっと可愛げがあったね。

 ただ本当に性格の良い子は、何度か奢られた後で多過ぎない程度のお金をそっと渡して来たね。
 筆者が「別にいいよ」と言っても、「いいから、受け取って」と。

 デートして、相手の女性がお金を出さない事に不満を感じるのは、その男性が無理をしているからではないかと思う。
 相手の希望ばかり聞き、そして見栄も張り、行きたくもない所に高いお金を払ってデートに行くから不満が溜まるのだと思う。
 見栄を張らずにありのままの自分を出し、「それで振られるなら仕方ない」くらいの気持ちで、無理の無い予算で自分も行って楽しい所に行けば良いのだ。

 割り勘にするのも、男が多めに費用を持つのも、お金は男が全部払うのも、それはそのカップル次第だけれど。
 ただ言えるのは、女性すべてが「オトコが奢って当然」と思ってるわけではないけれど、「奢られると嬉しい」という女性が多いのも事実なのだ。
 だからデートでは男が黙ってさっさと会計を済ませた方が、好感度が高まる場合が多いね。
 で、「ワタシもお金出すよ」とか「今度はワタシに払わせて」とか言ってくれるかどうかは、その相手の気持ち次第という事で……。

 良いか悪いかは別問題として、「男が奢るもの」と覚悟した上でデートした方がうまく行くのは事実だ。そして奢るなら、かかる費用を負担に感じないよう、無理せず見栄を張らない事が大事だね。
 筆者はデートで女の子に奢りはしてきたけれど、決して貢ぎはしなかったから。
 だからデートがいつも全額自分の奢りでも、「可愛い子と楽しい時間を過ごせたのだから、ま、いいや」と割り切れているよ。
 と言うか、一緒に過ごして楽しくない、御飯を奢るくらいのお金も惜しいような女性とは、そもそもデートなどしない方が利口なのだ。

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恋人に手酷く裏切られて、傷ついた心を抱えている方に

 唐突だが、己の人生をつらつら振り返ってみるに、筆者は女性に振られてばかりである。

 筆者は別に、女性と縁が無いわけではない。
 と言うよりむしろ親しい女性が居なかった時期の方が少ないくらいで、お付き合いしてきた女性の数も二桁に近い。

 いや、決してリア充を自慢しているのではない。
 何故なら筆者は、そのお付き合いした女性に、ことごとく振られているからだ。
 泣くのを通り越して力なく笑ってしまうくらい、筆者は女性に振られてばかりいる。

 振られる原因はこちらにもある事は、筆者自身もわかっている。
 完全な男脳で、女性の「理屈より感情」という部分を「面倒くせえ」と思ってしまう所とか。
 趣味が多く自分の世界を強く持っていて、普通の家庭の良いパパにはなりそうも無い所だとか。
 家で共に暮らしている猫を大事にし過ぎて、付き合ってきたどの彼女にも「猫とあたしと、どっちが大事なの!」とキレられている事とか。

 ただそれにしても、筆者が付き合ってきた彼女たちが、別れる時に筆者にした仕打ちはちょっと酷かったと思う。
 はっきり理由を言い、きちんと話し合って綺麗に別れた相手は一人も居なかった。
女という生き物は、みな隙があれば二股かけて浮気する」とまでは言わないけれど。
 ただ少なくとも筆者が付き合ってきた彼女たちは、みな内緒で二股をかけ他の男とも既成事実を作った上で、もう引き返せない状況になってから「実は別に好きな人が……」と切り出してきた。
 筆者がお付き合いしてきた女性たちと別れる時は、一人残らずそのパターンだった。

 両手の指で数えるくらいの女性たちと付き合ってきてはっきり言えるが、女性はズルい
「筆者の欠点に愛想を尽かされ、別れを告げられる→その後に、元彼女が新しい恋に落ち新しい彼氏を作る」というパターンなら問題は無いし、筆者も別に文句は言わない。
 しかし少なくとも筆者の元彼女たちは皆、別れ話を切り出す前に別の男と二股交際をし、ヤる事もヤってどちらの男が良いか値踏みをした上で「他に好きな人が出来たから別れたい」と言ってきた

 遠距離と言うほどでもないがそう気軽に会うわけには行かないという、言ってみれば中距離恋愛をしていたある彼女など、「仕事がものすごく忙しくなるから、これから一年はなかなか会えない」と言ってきて。だから筆者はそれを信じて、会う回数も減らしメールも時々にして待っていた。
 そしたらその彼女は、その間に他の男とただ付き合うだけでなく、同棲までしていましたとさwww。
 実はその彼女は筆者に内緒で参加していた合コンで他の男と出逢ってて、それで「仕事がものすごく忙しくなるから」と言って筆者と会う機会を減らし、そして新しい男とは楽しくお付き合いして同棲までしていたのだ。
 で、別れる時にその彼女が言うには、「一年も放っておけば、貴方(筆者)もあたしに見切りをつけて別の彼女を作ってると思ってた」そうデス。
 ちなみにその彼女は、出逢った新しい男には「彼氏は居ない」と語っていたと、その同棲中の新しい彼氏も交えての別れ話の際に聞きマシタ。

 筆者は付き合ってきた彼女たちによく二股をかけられたけれど、筆者は本気で好きで付き合っているつもりだったのに、実は相手にしてみればつまみ食いの遊び相手のつもりだった……って事も、複数回あったなあ。
 だから筆者は、複数の女性にこう忠告されたよ。
「女はいい加減だからね、そんなに女を信じちゃ駄目よ」
 ……本当に筆者は、女性から見ると騙しやすいらしいデス。

 筆者は男脳だし多趣味だし猫が好き過ぎるし、彼氏としては問題アリだっただろうと思うけれど。
 それにしても、振り返ってみると恋愛では痛い目にばかり遭ってきたとつくづく思う。
 それはまあ、付き合っている時には楽しい事もいろいろあったさ。けどどの恋も必ず、彼女に二股をかけられて筆者が裏切られる形で終わっているからね。
 ……痛いデスよ、信じていた好きな彼女に、二股をかけられた上で切り捨てられるのって。
 しかもそれを、両手の指で数えるくらい繰り返されてごらんなさい。性格も曲がるし、女性不信にもなりマスって。

 裏切られて振られた時には、本当に辛かったし苦しかった。
 生きているのさえ厭になって、何日もウイスキーばかり飲んで過ごした事もあった。
 でも人はなかなか死なないものだし、心に傷を抱えつつもいつの間にか普段通りの暮らしに戻っているものなんだよね。
 で、また新たな出逢いがあって、懲りずに別の誰かを好きになったりして。

 もちろん、裏切られた心の痛みは治まっても傷痕は残る。
 その裏切られた時の事を思うと、今でもまだ心が疼くよ。
 でもそうして何度も傷ついて来たからこそ、言える事がある。
少なくとも自分が恋人を裏切って傷つける立場にならなくて良かった」って、今では心から思ってる。

 別に綺麗事を言っているわけではないよ。
 実際、筆者は元彼女たちがした仕打ちを忘れてないし、許してもいないから。
 だからこそ筆者は、少なくとも自分が恋愛で相手を裏切って、恨まれたり憎まれたりする立場に無い事を幸いに思ってる。

 まあ、筆者の場合は「大金をとられた」とか、「身体的な危害を加えられた」とかいう事は無く、ただ精神的に苦しい思いをさせられただけだったからね。
 警官や弁護士のお世話にならざるを得ないような被害は受けず、心から好きだった人に裏切られた痛みをただ耐えれば良いだけだったのは、ある意味では幸いだったのかも知れない。

 付き合った彼女たちにはことごとく二股をかけられた上で振られ、それでもDV男にもストーカーにもならずに堪えて生きてきた筆者がはっきり言おう。
 自分を信じて愛してくれた人を裏切ってずっと恨まれるより、誰かを信じて裏切られてその辛さに耐える方がまだマシだよ。

 信じて愛してくれた人を傷つける“加害者”になるのと、傷つけられる“被害者”になるのと、さあ貴方はどちらの方がまだマシだと思いますか……って話だよ。
 傷つけられるのも痛いし辛いけれど、「裏切って傷つけた」って負い目を己の黒歴史として抱き続けて生きるのも、なかなか辛いものだと思う。
 でも、ま、世の中には「だって、仕方なかったんだもん」と、自分を守る為にはどんな事でも正当化してしまえる人も、中にはいるようではあるけれどね。

「彼女に二股をかけられた上に切り捨てられる」という失恋を繰り返してきた筆者として、はっきり言える事がある。
 大丈夫、酷い振られ方をして今はとても苦しくて「もう女(男)なんか信じられないし、二度と恋なんか出来ない」とか思って絶望の淵に沈んでいても、時が経てば必ず立ち直れるし、また恋も出来るように自然になっているから。

 はっきり言って、筆者も死にたいくらい辛かった事もあったさ。でも仕事以外の事は全くせずに、家に籠もってじっと心の痛みに耐えているうちに、やがていつの間にか立ち直れる日が来たよ。
 だから人を裏切るようなサイテーな相手の為に自らの命を縮めたり、ストーカーになったり復讐を企てたりして警察のお世話になるような事をしたら、結局は貴方が損をするだけなのだ。
 自分を裏切る形で振ってくれた相手には、心からの軽蔑を。それだけで充分だ。
 世の中には、異性は何十億人といるのだから。綺麗事のように聞こえるかも知れないけれど、サイテーな相手を恨んでこだわり続けるより、もっと良い相手を見つけた方がずっと得だし利口だよ。

 あ、でもただ二股をかけられて乗り換えられただけではなくて、「お金を取られた」とか「身体的な危害を加えられた」というような被害もあったなら、そこは警察なり弁護士なりに頼って、しっかりカタをつけてやるべきだけれどね。
 被害に対する仕返しは個人的にするのではなく、法律に則ってやるのを忘れずに。

 女性はよく「どうして男は浮気するの?」とか言うけれど、少なくとも筆者自身の体験では女性の方が浮気性だよ。
 と言うより、女性の場合は“本気”でその相手に乗り換えてしまう場合が多いような気がする。

 以前、アイドルの北岡夢子さんという人が、雑誌に連載していた男の子が対象の恋愛相談で、「女の子は渡り鳥だからねー」と言っていたけれど。
 筆者の恋愛経験でも「まさにその通り!」という感じで、ちゃんと彼氏がいても、もっと条件(顔とか地位とか財力とか)の良い相手が見つかれば、それまでの彼氏は容赦なく切り捨てて新しい男に移って行くのが、女の子という生き物だよ。
 だって女の子は、より良い男を捜して飛んで行く“渡り鳥”だからさー。今の貴方の可愛い彼女も、貴方の所にはただ羽根を休める為に留まっているだけなのかもwww。

 だとしても、好きになって付き合った相手には、いつも二股をかけられ乗り換えられてばかり……って、筆者は本当に女性を見る目が無かったのだろうね。
 ハイ、今の筆者は痛い失敗を繰り返した結果、普通の男性以上に女性を見る目はあるつもりデス。「あ、この子は可愛いけどブリで性格に裏があるな」とかすぐわかるし、熱くならずに作り笑顔でそつなく応対しながら相手を冷静に分析してしまうし。
 でもそれだけに、なかなか恋にのめり込めなくなってしまっているのが実状デス。

 イギリスのロバート・ゴダードという作家が、『一瞬の光のなかで』という作品の中で、こんな事を書いていて。

 恋をするのは正気を失うのとたいして変わらんよ。まあ、それよりちょっと楽しいだけだ。


 確かに恋というものは、正しい判断力を失い相手の悪い所すら目に入らないくらい熱くなれないと出来ないものなのかも知れないね。
 そして多くの人間は、その熱く燃えられる部分が心の片隅にでも残っている限り、痛い失恋をしてもまた立ち直って再び恋をするものなのだ。

 大丈夫、大好きだった人に手酷い裏切られ方をして絶望している貴方も、時が経てば必ずまた新しい恋が出来るようになっているから。
「女なんて信じない、恋なんてもう絶対しない!」なんて言葉はね、筆者のように両手の指で数えるほど裏切られて振られてから言ってほしいね。
 たった二度や三度、女の子に“渡り鳥”されたくらいで恋に絶望してちゃ駄目デスよwww。

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