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空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

筆者は“変”で良かったと心から思う

 筆者はよく、周囲の人から「変だ」とか「変わっている」とか言われる。
 だが筆者は別に気にしていないし、そう言われても「変な人だと思われないように、皆に合わせて普通にしなきゃ!」などと全く思わない。
 個人主義者である筆者の基準は「人にどう思われるか」よりまず「自分の意志と考え」で、筋が通っていて間違ってさえいなければ「変で上等!」と思って生きている。
 自分がまず第一で、世間の皆様が見る目などクソクラエなのである。

 ある時、上司と二人で車で外出した時、上司がポツリとこう言った。
「クラウン、良いなぁ」
 そしてさらにこう続けた。
「でも俺がクラウンなんかに乗ったら、あの人、何をしてるんだろうと思われちゃう。人にはさ、分ってものがあるんだよ。俺はクラウンに乗れるような人間じゃないんだよ」

 相手は上司だから反論はしなかったが、筆者は内心「何を言ってるんだ、この人」と思った。
 筆者の価値観や人生観や人間観は、上司のそれとはまるで違う。
 人の分なんてものは、筆者の考えでは「その人が自分の頑張りで上げて行くもの」である。
 他人が勝手に、あるいは自分自身が勝手に「このランクの人間である」と決めるようなものではないと思っている。

 だからクラウンも、その人が好きで乗りたければ自由に乗れば良いと思っている。
 自分で真っ当に稼いだカネをどう使おうが勝手で、他人にそれをどうこう言う権利など無い。
 周囲の人間がどう思うと、「そんなの関係ねえ!」のである。

 筆者はそもそも、自分や他人についての“分”を勝手に決めることが嫌なのだ。
 もしクラウンに乗りたくて、けれど人の目が気になるならば、頑張って自分がクラウンにふさわしい人間になれば良いのだ。
 それを最初から「自分はクラウンに乗れるような人間ではない」と決めつけてしまう方がおかしいし、そもそも卑屈だ。

 筆者の家の近所に長屋がある。
 アパートでもただの借家でもなく、本物の棟割り長屋である。
 トイレも汲み取りで、見るからに家賃も安そうである。
 その長屋に高級外車に乗っている人がいて、長屋の狭い庭いっぱいに、大きな外車を停めている。
 世間的に言えばその人の金銭感覚は“変”なのだろうが、筆者は「そんな生き方もアリ」だと思っている。
 車が好きで好きで、他の支出を切り詰めて、長屋に住んででも好きな高級外車に乗る。
 法に反しているわけでもないし、道徳的に良くないわけでもないし、当人の好きにすれば良いと筆者は思う。

 ……という話を、以前、ブログに書いた。
 すると酒だけでなく生き方の師とも敬愛するogotchさんから、優しくお諭しいただいた。
 人の妬みは恐ろしいもので、上司より良い車に乗っていたり高価な時計をつけていたばかりに苛められて酷い目に遭った人は大勢いる、と。
 確かにその通りである。
 自分で稼いだカネで上司より良い車を買って乗るのは、筆者が考えるように理屈では何も悪くない。
 しかし現実の人間は、理屈では動かない。
 むしろ感情で動く人間が殆どである。
「アイツ、気に食わないから苛めてやろう」
 そう思い、そしてイジメを実行する人間(それも大人)は、現実世界では多々存在する。
 その現実を無視して“理屈の正しさ”を押し通そうとしたがる筆者は青臭いガキであったと、ogotchさんの優しい諭しでようやく気付いた。

 筆者は良い歳になる今まで、例の「自分のカネで何を買おうが勝手」という生き方を貫いてきた。
 それでも上司や同僚から「アイツ、生意気だ!」と妬まれて苛められたりしなかったのは、ズバリ筆者が“変”だったからに他ならない。

 何しろ筆者は、ブランドものの服や財布やバッグのような持ち物、それに車や時計といった「皆が欲しがり羨ましがるもの」に、殆どカネを使っていない。
 まず筆者の趣味は、写真であるが。
 良いカメラを持っていても、「凄い、良いなあ」と羨ましがるのは、一部の写真愛好家だけである。
 しかも筆者が好きなのは、半世紀以上も前にドイツで生産された、機械式のフィルム・カメラだ。
 見て驚くのは本当にごく一部のマニアだけで、普通の人にとっては「お祖父ちゃんが使ってたような、古くさい、時代に超遅れた変なカメラ」でしかない。

 あと、筆者は戦争映画でよく悪役で出てくる欧州某国軍のスタイルや戦術が大好きで、その某国軍に関する戦記モノの本や、兵器や制服等に関するガイド本を、まだ小学生の頃から買い集めてきた。
 それだけでは飽き足らず、近年ではネットオークションまで駆使して、その欧州某国軍の制服や装備品を買い集めている。
 日常に着る服については、数千円程度の服を買うのでさえどうするか考えるのに、何万円もする某国軍のヘルメットやコートなどなら迷わずに「よし買った!」と即決してしまうのだ。
 しかもその制服や装備品は、決して実用できるものではない。
 そんな服や装備品を身につけて外に出ようものなら、良くて痛いコスプレイヤー扱い、下手をしなくとも危険思想の持ち主としてヤバい人扱いである。
 だから高い金を出して買った制服や装備品は、コレクション品として家でただ眺めて楽しむだけだ。

 また筆者は小学生の頃から本の虫で、お固い専門書からコミックスまであらゆる本を読み、そして買って読んだ本が部屋から溢れ、今では階段にまで山積みになっている有り様である。
 筆者は書店や図書館が大好きだし、そしてネットも駆使して古い廃刊になった本も買い集めている。

 実は筆者は、車や時計や服などに興味が無いわけではない。
 ただ今もまだ独身でいるような甲斐性無しなので、稼げるお金は少ない。
 となると、使うお金については、優先順位を付けなければならない。
 で、使えるお金は写真や本や趣味の某国軍の装備品に優先的に割り振り、車や時計や服などについては「使えればOK」と。
 そのあたりの割り振りが、筆者は極端なのだ。
「カメラには最大限のお金を使うが、車は軽自動車で充分。本は金を惜しまずに買うが、服はユニクロで済ます」というように。
 人からどう見られるか、「そのくらいの年代なら、それ相応の服や持ち物があって当然」という観念が、筆者には無いのだ。
 人からどう見られるかより、自分の満足の方がずっと大切なのだ。

 で、筆者は良い歳をして「車は軽自動車で、時計はカシオ、普段着はユニクロ」で、その代わりに家には古いカメラと某国軍のコレクション品が山積みになっている。
 何しろ独身なので、「またこんな要らないモノを買って来て!」と怒る人もいないから、趣味のモノの収集に歯止めがかからない。
 そして車や時計や服やブランド物と違って、筆者が愛好する収集品は人に羨ましがられない。
 数え切れないほどある、古いドイツ製のカメラや交換レンズについても、たいていの人にとっては超不便な無駄なモノでしかないし。
 特にスマホのカメラで充分キレイな写真が簡単に撮れる今は、なおのこと。
 我が家に山積みになっている大量の本を見ても、「邪魔だからブックオフにでも売ったら?」という程度である。
 某国軍関係のコレクション品に至っては、ヤバい趣味に加えて危険思想の持ち主と警戒されるだけだ。

 筆者自身は他人にどう思われようと気にせず、本当に好き勝手に生きているのだが。
 しかしそれで人に妬まれ、苛められたことは無い。
 ズバリそれは筆者が変わり者だから趣味も変で、好きで買い集めているモノに、人に羨まれるようなものが無いからだ。
 傍から見れば筆者は変わり者のコレクターで、車は軽自動車で時計はカシオで普段着はユニクロである。
 変なヤツと見下されることはあっても、人に妬まれることはまず無い。
 そして筆者は人から「変わってる」とか「変だ」などと言われても、「それが個性で、自分は自分」と全く気にしないできた。
 だから周囲を気にせず、好きな事をして生きて来られた。

 知り合いが良い車に乗っていても、「いいなあ」とは思うが、別に羨ましくはない。
 知り合いが良い服を着ていたり高価なブランド品を持っていても、同じくあまり興味を持たない。
 筆者にとっては、古いカメラや書籍や某国軍のコレクション品などに囲まれている方が、良い車に乗り良い服を着てブランド品を持つよりずっと幸せだからだ。
 そして周囲の人達にとっても、筆者はただの変わり者だから羨んだり妬んだりしないし、生意気だから苛めてやろうとも思わない。
 何しろお金を不便な古いカメラにつぎ込んで、それで軽自動車にしか乗れないような奴デスからね。

 価値観を皆と合わせない。
 皆が欲しがるものを、欲しがらない。

 お陰様で周囲の人は筆者を(内心では小馬鹿にはしても)妬んで苛めたりせず、そして筆者は好きなように生きられている。
 筆者は“変”である。
 おかげで周囲の人も筆者も激しくはぶつかり合うことなく共存して行けて、お互いに幸せだ。

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猫は死に目を隠さない

 よく、「猫は死ぬ姿を隠す」、あるいは「死期が近くなると死に場所を探す為に家を去る」と信じている人がいるが、それは大間違いである。
 筆者と仲良くしていた野良猫も含め、筆者と心の距離が近かった猫はみな筆者のごく近くで、筆者に看取られながら逝った。
 何十年も猫と共に暮らしてきた筆者の実感から言うと、人と心の距離が近い猫は、死期が近くなると逆により人を頼り、人の側から離れない
 人が側から離れると、むしろ不安がって鳴く。

 筆者が初めて共に暮らした猫は女の子で、そのせいもあってか性格はいわゆる“ツンデレ”だった。
 雑種だったが、猫嫌いの人を除く全ての人に「可愛い!」と褒められる美人さんだったが、人に媚びず、家族の膝に乗ることも嫌がった。
 構うとウザがる。
 しかし放っておくと、すり寄って来る。
 ベタベタ甘えないくせに、気がつくといつの間にか側にいる。
 そんな実に猫らしい猫だった。

 筆者に彼女ができて、電話で話していると、違う部屋に居ても必ず筆者の足元に来て、筆者の顔を見上げて可愛い声で「にゃーおう」と鳴く。
 だから筆者は猫を撫でながら彼女との話を続けるのだが、おかげで彼女にキレられた。
「声が変わった!」と。
 猫の相手をしながら話す筆者は、いつも彼女と話す時より随分と優しい声になっていたらしい。
 それで猫は、その時の彼女にかなり恨まれていた。

 その猫は気は強かったが生まれつき心臓が強くなかったらしく、若い頃からあまり活発ではなかった。
 だからシニア期にさしかかると、階段を登る時にも途中で一休みするようになった。
 そしてある晩、夕食(夜ごはんという言葉を筆者は嫌い)の寿司のうち、大好きな海老をあげると喜んで食べ、食べ終わると猫はリビング兼用の食堂を去り、暗く静かな座敷に向かった。
 一人で静かに寝るのが好きな猫だったから、別に特に気にもしなかった。
 その一時間くらい後、猫は静かにまたリビングに戻って来て、筆者の足元にやって来た。
 そしてすぐに文字通り倒れ、痙攣を始め、慌てて抱き上げ「しっかり、頑張れ、頑張れ!」と励ましたのだが、そのまま筆者の腕の中で逝ってしまった。
 おそらくそのしばらく前から体調が思わしくなく、人の居ない静かな暗い場所で体を休めていたのだろう。
 なのに逝く直前に、苦しい体で筆者の足元まで戻って来たのだ。

 次に家族になった猫は、よく我が家の庭に来ていた野良猫から生まれた、生粋の野良猫だった。
 それだけに人から逃げてばかりで、なつくということは、なかなか懐かなかった。
 だが母猫も居なくなり、そしてその子も酷い猫風邪を引いて弱って、そこを見かねて保護した。
 実はその猫、猫風邪だけでなく猫伝染性白血病も患っていた。
 それで生死の境をさまよっているところを看病し、動物病院にも通って何とか助けた。
 だから筆者にベタベタの、かなりの甘え猫になってしまった。
 定位置は筆者の横か膝の上、という状態である。

 その猫、可愛がって可愛がって育てたのだが。
 白血病が悪化して、四歳を目前にして逝ってしまった。
 その時には常に人の側にいたがり、筆者の姿が見えないとずっと鳴いた。
 だからずっと膝に乗せ、最後は一緒にベッドに寝ながら看取った。

 去年まで一緒に暮らしていた猫も、野良猫の母から生まれた生粋の野良だった。
 最初は人から逃げてばかりだったが、母猫が居なくなり、そして「ここの家の人は猫を虐めない」と納得すると、我が家の軒先でいつも暮らすようになった。
 さらにやがて家の中にも入って来るようになり、外はかなり寒くなってきた晩秋のある日から、我が家に住み着いてしまった。
 この猫も「定位置は筆者の膝の上で、寝る時も同じベッド」というベタベタの甘え猫だった。
 この子は18年近く生きてくれたが、伝染性腹膜炎という致死率99%以上の難病で、四ヶ月以上の闘病の末に逝ってしまった。
 この子も常に筆者の側に居たがって、そして筆者の膝の上で看取ってあげることができた。

 この我が家の代々の猫たちは、死に目を隠すのではなく、筆者に看取られて逝くことを望んだ。
「それは室内飼いの猫だからで、自由に外に出られる猫は違うだろう」と言われるかも知れない。
 では、筆者と仲良しだった、ある野良猫の話をしよう。

 筆者は別に野良猫を餌付けしているわけではないが、野良猫の多い地区に住んでいて、そして猫好きだから、庭に猫が来ても決して追い払わないし、危害も加えない。
 そして我が家の庭には猫が隠れやすい茂みや、上から周囲を見渡せる大きな石もあるので、自然に野良猫がやって来る。
 軒下も、そんな野良猫の雨宿りの場所兼寝場所として好きに使わせている。

 それら我が家の庭に来る野良猫のうち、大きな男の子の虎猫が妙に人懐っこく、その子と特に仲良くなった。
 その子は毎日のように我が家に来て、そして筆者も撫でさすって可愛がった。
 その頃、筆者は初めて共に暮らした猫を亡くした後で、その子は筆者の心の隙間を埋めて癒してくれた。
 だが家族に迎え入れる決心が出来ずにいる前に、異変が起きた。
 数日姿を見ないな……と思っていたある日の夕方、玄関近くでその子が激しく鳴いていた。
 のたうち回って、怪我はどこにも無いが、立つことも出来ずにいた。
 慌てて家に入れたが、骨には異常も無いのに、立たせようとするとグニャグニャと横に倒れてしまう。
 そして倒れたまま、鳴いてもがく。
 食べ物をあげるとよく食べるし、どこがどう悪いのか全くわからない。
 一晩中、殆ど寝ずに看病した。
 立てないから、その場でオシッコを漏らしてしまい、その始末をする際、申し訳なさそうに、とても哀れっぽく鳴かれた時、筆者は「いいんだよ、いいんだよ」と言いながらとても辛かった。
 翌朝、すぐに動物病院に連れて行ったが、「猫エイズが脳に来てしまったせいで、治る見込みはない」ということだった。
 そしてその子は、そのまま動物病院に入院した。

 筆者はその子の見舞いに、仕事もあるから毎日夕方の五時過ぎに猫が好きなものを持って行っていた。
 その子の具合は、日に日に悪くなっていった。
 そして一週間ほど経ったある日、筆者はその子のことが妙に気になって仕方がなかった。
 それでいつもより一時間早く、四時過ぎに病院に行った。
 動物病院の小さな“個室”にいるその子は、ぐったり横になっていたが意識はあった。
 そして筆者と目が合って一分も経たないうちに呼吸が荒くなり、そのままあまり苦しむこともなく逝った。
 筆者には、その子が死に目に会う為に筆者を待っていたように思えてならない。

 おわかりだろうか。
 その子は完全に外で暮らしていた野良なのに、そして立てない状態だったのに這って我が家に助けを求めに来たのだ。
 そして逝く時も、筆者が来るまでちゃんと頑張って待っていた。
 筆者の顔を見て、安心したように逝った。
 ゆえに「猫は死ぬ姿を隠す」とか「死期が近くなると死に場所を探す為に家を去る」という俗説を、筆者は「嘘だ」と否定する。

 説明しよう。
 猫は、怪我や病気に対して非常に我慢強い生き物だ。
 人のように泣いたり喚いたりせず、じっと黙って暗く静かで落ち着ける場所で体を休めて回復を待つ。
 構いたがる人間、特に子供など、そんな時には邪魔で煩わしいに決まっている。
 だから具合が悪い時に猫は人の側を離れ、静かで落ち着ける場所に行くのだ。
 そして怪我や病気が重いとその隠れ場所でそのまま逝ってしまい、それがあたかも人には「死に目を見せないように姿を隠す」ように見えているのだ
 だから家族であるその家の人間と猫の心の絆が強く、猫が人を親のように思い慕っていて、そして人もむやみに構ったりして猫にとって煩わしいことをしなければ、猫は姿を隠さず人に頼り切って最期を看取ってもらおうとする
 これが、猫と長年共に暮らしてきた筆者の体験による実感だ。

 筆者の母の友人の猫の話をしよう。
 筆者の母の友人の家では、母の友人がその猫を最も可愛がっていた。
 ただ母の友人の家は田舎の旧家で、孫も含めた家族も多かった。
 そして田舎ゆえ、猫も飼い猫ながら室内飼いではなく、家の内外に行き来が自由の放し飼いにされていた。
 その猫の姿が、三日ほど見えなくなり、母の友人は猫をあちこち探した。
 そして家の外の庭で、猫が死んでいるのを見つけた。
 母の友人が家事をしている台所がよく見える、高い場所で。

 母の友人は、気付いてもやれず看取ってもやれなかったことを、ひどく嘆き悲しんだが。
 具合の悪くなったその猫は、子供も含めた家族の多くいる室内を避け、静かになれる場所を探して家を出た。
 だが遠くに行くのではなく、大切にしてくれていた大好きな人の姿を目で確認しながら、その存在を感じながら逝ったのだ。
 猫とは、そういう生き物だ。

 共に暮らしていてつくづく感じるが、猫はとても愛情深い生き物だ。
 人は浮気や不倫もするが、猫は猫の生態や習性や気性を理解してきちんと愛情を注げば、愛情をきちんと返してくれる。
 幾人もの女性と交際してきて、そして今も独身でいる筆者の実感を言おう。
 女は裏切るが、猫は裏切らない。
 猫より人の方が、ずっと邪悪である。
 貴方も猫をきちんと愛してみてほしい。
 猫は貴方を裏切らないし、死ぬまで側を離れない。

 だから筆者は、猫を虐待する人間を深く憎む。
 猫を虐待する人間は最低でも懲役刑、場合によっては死刑に処してしかるべきと考えている。
 筆者はこのレベルの猫バカである。

 明後日の26日は、逝くのを筆者が行くまで待ってくれた仲の良かった野良猫の命日である。
 筆者は共に暮らした猫たちの墓参りには欠かさず行っているが、明後日の野良クンの墓参りにも、当然行くつもりでいる。
 逝ってしまって何十年経とうが、縁のあった猫たちの墓参りを、筆者は決して欠かさずにいる。

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ドイツから届いた大好きなカメラ

ヴィトーB・P1150179

 ついに日本刀まで買ってしまったことは、昨日書きましたが。
 私、本当に多趣味なコレクターなんです。
 ただ機械式の古いカメラを買い集めているだけでなく、書籍も山ほど買い集め、ドイツ軍マニアでその装備品も買い、そして古銭にまで手を出し……。
 本と歴史的なアンティーク品には、本当に目がないんです。

 そんなものにお金をかけているから、「乗るのは古い軽自動車で、普段着はユニクロやワークマン」になってしまうのです。
 周りから見れば「非常識な、変なヤツ」ですが、本人は他人にどう見られようが幸せに生きています。

 常に自分と他人を比較し、他人の目を気にして生きている人は、なかなか幸せになれないと思いますよ?

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見かけや持ち物で人を見下す愚かさ

 JAFが会員向けに発行している月刊誌、ジャフメイトの6月号に、著名な音楽プロデューサーであるM氏の『パンツなクルマ』というコラムが載った。
 ジャフメイトにコラムを書くだけに、M氏は大の車好きである。
 ちなみにM氏の夫人は、高名な歌手で作詞作曲もする。

 そのM氏は、かつて大きなベンツを並行輸入業者から買って乗っていたという。
 なぜ並行輸入業者から買ったかというと、当時は最も排気量の大きなその車種が正規ディーラーでは売られていなかったからだそうだ。
 その、国内では売られていない大きなベンツを買って乗り回していた心理について、M氏はジャフメイトの6月号にこう書いている。

 僕はとにかく偉そうなクルマが好きで、大きくて安楽で、しかも速く、できれば誰も乗っていないようなクルマに乗っていたかったのだ。信号待ちで、街中で、卑屈にならないで済むということがどれだけ重要なことだったのか……。

 しかしM氏はその大きなベンツに乗り始めて一週間も経たないうちに、もっと格上のベンツと遭遇してしまうのである。
 M氏は「えも言われぬ敗北感」に打ちのめされ、思わず下を向いてしまう。
 そして「クルマの種類で人間の価値を計り計られることの愚かしさ」を思い、ついには外出するのも億劫になってしまうのである。

 くっだらない。
 筆者は心からそう思った。
 大きな車や高価な車に乗ればなぜ偉くなった気持ちになれるのか、何の引け目も持たず、少しも恥ずかしいと思わずに、本気で「道路上ではベンツと対等」と思って堂々と軽自動車に乗っている筆者には、心からわからない。

 乗っている車のせいだけでなく、筆者は外見や持ち物のいろいろな点から周囲の人に見下されることが多い。
 まず筆者は、身長が低い上に童顔である。
 言動が間違っていて非難されるのなら理解出来るが、ただ身長が低いというだけで「チビのくせに!」と罵られたことが、これまでの人生で数え切れないほどある。
 それも立派な大人に、である。
 その度に筆者は、「人間も、所詮体の大きさで優劣を判断する動物でしかない」と心から思う。

 さらに筆者はブランドものの衣服にさっぱり興味が無く、ユニクロの服を平気で着ている。
 それどころか近年では、ワークマンで買った服も着ている。
 実用にはそれで充分と思っているのだが、見かけや身なりで人を判断する輩には、それだけで筆者は見下して良い存在であるように思えるらしい。

 筆者の趣味は写真で、デジタルでなくフィルムで撮る時代から長く写真を撮り続けてきた。
 その筆者が、高校時代に初めて買った一眼レフのカメラはオリンパスの製品だった。
 カメラの有名メーカーはニコンかキヤノンと知ってはいたが、個人的にそのどちらにも魅力を感じず、とにかくオリンパスの製品に惹かれたからだ。
 当時筆者はバイトをしていたし、ニコンを買う金が無かったわけではなかった。
 ニコンも買えたが、筆者自身の判断であえてオリンパスを買ったのだ。
 しかしこれについても、周囲の“カメラ好き”から本当にいろいろと言われた。
「カメラだったら、ニコンだろ。キヤノンならまだ良いが、オリンパスなんて駄目だね」
 同じ写真部の連中(特に先輩連中)だけでなく、大人たちにもよく言われ続けた。

 カメラは持って見せびらかす為のものではない。
 写真を撮る為の道具である。
 それで良い写真を撮れなければ、どけだけ良いカメラを持っていても何の意味もない。
 そんな単純なことが、子供ならいざ知らずいい大人が理解できずにいる理由が、筆者にはまるで理解できない。

 筆者はこのブログに写真をアップしているが、その大部分は十年以上前の古いコンデジで撮ったものである。
 その機種(ニコンにあらず)は、今ではカメラ店のジャンク・コーナーに数百円で転がっていることもある。
 だがそのレンズのシャープさと発色の良さに惚れて、今も大切に使い続けている。
 カメラは、良い写真が撮れてこそ価値があるのだ。
 高価なプロ用のカメラを持って優越感に浸っているカメラマニアを、本当に「くだらない人」と思う。

 これは街や人間を撮るプロの写真家から聞いた話だが、本当のプロは写真家と気付かれないように、街ではあまり目立たない格好をしているのだそうだ。
 目立ってしまって周囲の人に意識されると、良い写真が撮れないのだという。
 その写真家によると、大きなカメラバッグや複数の高級カメラを持ち、見るからに「写真家でござい!」という格好の人は、たいていハイアマチュアのカメラマンであることが多いそうだ。
 それでわかる通り、本当に実力のある本物のプロは人目を気にしない、と言うよりむしろ人目を避けるものなのだ。
 外見を飾り目立とうとする人にこそ、むしろニセモノが多い。

 筆者は随分と写真に打ち込んできたが、「見かけで人に凄いと思われたい」とは全く思わない。
 だからカメラも、ただ自分が好きで使いたいものを使っている。
 ライカも複数持っているが、それよりフォクトレンダーという、普通の人には全くと言ってもよいほど知られていないメーカーの中級機が好きだ。
 有名メーカーのプロ用の高級カメラを買って、ロクな写真も撮れないくせにそれだけで威張っている人を見ると、本当にくだらないと思う。

 それにしても、車や身なりや持ち物や体格や、見かけで人の優劣を勝手に決め付け、その浅薄な判断で人を見下す馬鹿が本当に多すぎる。
 実名を出せば「ああ、あの人か」と多くの人が思う例のM氏ですら、乗っている車で人の価値を判断している。
 古い軽自動車に乗っている筆者など、M氏から見ればインドの不可触賤民も同然だろう。

 そのM氏だが、わざわざ並行輸入業者から買った最も排気量の大きなベンツより高級な車と出合って落ち込んだ後、たまたま夫人が作曲大賞の副賞として貰った日産スタンザという車に、「こんなものに乗れるだろうか」と思いつつ、試しに乗ってみたそうだ。
 スタンザと言えば確か1800ccで、筆者から見れば決して小さい車ではないし、見かけもスタイリッシュで悪くない車だ。
 しかしM氏に言わせれば、スタンザに乗るのは「パンツ一丁で街に出る気分」だったそうだ。
 心なしか周りの車がM氏に冷たくなり、割り込まれるし、合流でも入れてもらえない……と。
「部長がある日突然、平社員になったような、そんな気分」とM氏は書いていたが、筆者としてはM氏はそれまでどれだけ威張った運転をしていたのだろうと思わされた。
 1800ccのごく普通の車のスタンザですら“平社員”と言うなら、筆者の軽自動車(しかも古い)など西成あたりの日雇い労働者も同然であろう。

 結局、例のスタンザはM氏と夫人の会社の社用車にすることになったのだが、「偉そうなクルマ」を買っては「信号待ちでちょっとでも偉そうにしていた自分」を恥じたM氏は、スタンザの代わりに「小さいクルマ、そして目立たないクルマ」を買おうと思い立つ。
 そして「できれば安い方がいい」と。
 M氏はそれについて、「等身大のクルマを買って等身大の自分を取り戻すのだ」とまで意気込んでいた。
 そして買ったのが、アルファロメオである。
 それがM氏にとっては等身大の、「パンツなクルマでも、おしゃれなパンツ」なのだそうである。
 ……まあM氏は有名プロデューサーだから、アルファロメオですらパンツも同然の車なのだろうが。

 それにしても、男同士だと特に車や持ち物や身長、女同士だと衣服やバッグや装飾品や美醜など、外見や持ち物で優劣を競い合うことが、馬鹿馬鹿しいほど多い。
「いい大人なら人としての中身を見ろよ!」と人に求めるのは、人間に期待し過ぎなのだろうか。
 人は所詮、外見や持ち物でしか相手を判断できない、動物レベルの生き物なのだと諦めるべきなのだろうか。

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酒はその人の本性を現す

 筆者は毎週酒に関する記事を書いているので、このブログを読んでくださった方には、「かなりの酒好きの飲兵衛」と思われているだろう。
 しかし実は違う。
 かなりの下戸である。
 お猪口に酒をたった一杯飲んだだけでも、顔や手のひらが赤くなり、酒を一合も飲めば足元も怪しくなってくる始末である。
 医学的には、酒の適量は「日本酒なら一合、本格焼酎なら110ml、ビールなら500ml、そしてウイスキーなら60ml」と言うが、筆者にはそれでちょうど良く気持ち良く酔える。
 その限度を守って飲んでいることが多く、泥酔して二日酔いになるまで飲もうなどとは、まず思わない。
 だから筆者のブログの「○○というウイスキーをまずストレートで飲み、次はトワイスアップで飲み、違うウイスキーとも飲み比べ、さらにハイボールでも飲んでみて……」というような記事も、実は何晩かに分けて飲んで覚え書きにしておき、それをまとめて書いている。

 酒に強くないだけに、泥酔するまで飲み、挙げ句の果てに二日酔いに苦しむ人の気持ちが全くわからないのだ。
 なぜ酷い頭痛と不快感に苦しむとわかりつつ大量に飲むのか、本当に理解出来ない。
 大量飲酒と二日酔いに苦しむ繰り返しをしている人を見ると、「オマエはマゾか?」と本気で思いたくなってしまう。

 実は筆者の父は、アルコール依存症で酷い酒乱だった。
 その父の酒の為、筆者は大学に進学して家を出るまで、暗い幼少期と少年時代を過ごした。
 泥酔しては暴言を吐くだけでなく、家族に暴力すら振るう酒飲みを見て育ったから、今でも酒癖の悪い者を憎悪している。
 だから筆者は、以前は酒が嫌いだった。

 酒癖の悪い者に対してトラウマを持って育った筆者だったが、就職して社会に出ると、当然たちの悪い酒を飲む上司に出合った。
 酒にとても弱いのでと断っても、「酒は飲んで吐いて強くなるものだ」と言い張り、大量飲酒を無理強いする上司は少なからず居た。
 今と違い、筆者が社会に出た当時はアルハラなどという言葉もなかった。
 ちなみに大学時代も、あの“イッキ飲み”という悪習が盛んに行われていた頃だった。
 だから筆者は、酒がますます嫌いになった。

 だが酒が嫌いなだけに、逆に不思議になり興味を持つようにもなったのだ。
 あんなものを、なぜ皆は美味いと言って飲みたがるのか……と。
 それで試しに、少しだけ酒を飲んでみた。

 大メーカーの有名な日本酒(醸造用アルコールと糖類と酸味料入り)を飲んでみたが、思った通りひどく不味かった。
 国産の大メーカーのビール(米・コーン・スターチ入り)を飲んでみたが、やはりこれも変に苦いだけで不味い。
 あの有名なウイスキー角瓶を飲んでみたが、ただアルコールの刺激がキツいだけで恐ろしく不味い。
 筆者が飲んだ少し昔の大メーカーの有名な酒はとにかく酷く不味く、「酒とはただ酔う為だけの不味いもの」という思いをさらに強めてくれた。

 が、たまたま青森県に旅行に行った際に、青森市のデパートでねぶたという地酒(当時はまだ少なかった純米酒)を見かけ、その箱絵(勇壮なねぶたの絵)に惹かれて思い切って買ってみた。
 帰って飲んでみたところ、とても美味かった!
 それまで義理で嫌々出席していた職場の宴会で飲まされていた大メーカーの酒とは、まるで別物だった。
 本格焼酎も、テレビCMを流していないあまり有名でないものは、やはり美味い。
 ウイスキーもスコッチは美味いし、国産品でも「盛んに宣伝されている有名なもの」以外を選べば、案外イケる。
 そして今ではアルハラという言葉もそれなりに社会に浸透しつつあり、酒を無理強いする屑野郎は以前より少なくなった。
 それで「悪いのは酒ではなく、飲む人である」と納得できるようになり、今は適量を楽しんで飲むようになっている。

 こんな筆者がよく思うことは、「酒はその人の本性を現す」という事だ。
 よく「酒さえ飲まなければ良い人」などと言うが、それは違う。
 酒には、日頃の抑制を緩める効果がある。
 だから飲んで酔った時の言動こそ、その人の本性なのだ。

 例えば筆者の知人にも、酔うと女性に抱きつく男がいる。
 そして普段は真面目な男(しかもそこそこイケメン)なので、女性も含めて周囲の者は「お酒のせいなのだから」と半ば許してしまっている。
 しかし筆者は気付いているが、その男は必ず若くて綺麗な女性に抱きついている。
 どんなに泥酔していても、器量の良くない女性やオバサンには抱き付かない。
 これがどういう意味か、賢明な方にはおわかりだろう。

 また、酔って同僚や上司に暴言を吐く者がいるが。
 日頃、心から尊敬している好きな相手に暴言を吐く酔っぱらいを、筆者はただの一人も見たことが無い。
 酔った際の暴言は、間違いなく普段は言えずに心の底に溜めていた本音だ。

 筆者の尊敬する人の一人に、Mさんというかつての上司がいたが。
 Mさんも酒好きで、酒を飲む機会があれば泥酔するまで飲んだ。
 しかし筆者の飲めない事情も理解して、決して酒を無理強いするようなことはしなかった。
「酒は飲んで吐いて強くなるものだ」などというようなイカれたことは、全く言わなかった。
 そして周囲の者に暴言を吐いたり暴れたりもせず、セクハラもせず、どれだけ飲んでもとにかくただ陽気になるだけで、そして最後に眠ってしまう。
 このMさんは、決して順調で幸せいっぱいな人生を送ってきた人ではなかった。
 若い時には経済的に苦労もしてきて、その為に夢だった芸術の道を諦めて就職をした。
 その職場では変人と言われ、部下には優しいが上司に媚びないのでなかなか昇進せず、昇進しても支所などの閑職を転々とさせられていた。
 しかし飲んで愚痴を言ったり、誰かの悪口を言ったりするような事は全くしなかった。
 ただ陽気になるだけの、泥酔するとだらしなくはなるが気持ちの良い酒を飲む人だった。

 酒はその人の本性を現すのだと、筆者は心から思う。
 酒のせいで悪いことをするのではなく、酒が抑えていたその人の正体をさらけ出すのだ。
 断言するが「酒さえ飲まなければ良い人」など存在せず、いわゆる“酒癖の悪い人”は、人としての本質そのものが悪いのだ。

 酔ったからと言って、日頃から本当に尊敬している人に「馬鹿、アホ」だの「シネ!」だのと暴言を吐くだろうか。
 酔ったからと言って、根っから真面目な男が女性に抱き付くだろうか。
 ちなみに酒には媚薬の効果も、人を凶暴にさせる効果も無い。
 酒の効果は「抑制を無くす」であって、だから酔った時の姿こそが、その人の真実の姿である。
 ゆえに人は、酔った後の言動にも責任を取らねばならない。
 そう考えている筆者は「酒さえ飲まなければ良い人」の存在は認めないし、アルハラを働く人、酔って暴言を吐いたり暴れたりセクハラをしたりする者を、心から軽蔑する。

「北方領土を戦争で取り返す」と繰り返し、「女を買いに行く!」と騒ぎ、さらに「オッパイ、ちんちん!」と連呼したという、例の日本維新の会を除名された丸山穂高衆院議員だが。
 筆者は丸山氏のその戦争発言はすべて本音で、女を買いたいというのも氏の本性からの言葉と理解している。
 それでも国会議員の座にしがみついている、丸山氏も丸山氏だが。
 そんな丸山氏に「早く議員を辞めろ!」ともっと圧力をかけないでいる、氏に一票を投じた地元選挙区の有権者の行動が不審である。

 筆者は酒は気の合う人と程良い量だけ飲みたいので、職場の宴会は嫌いだ。
 ただ酔っ払う為に作られたような大メーカーの大量生産品の酒を、好きでもない他人に気を使い、嫌な上司などに絡まれながら時を過ごす宴会は、本当に面白くない。
 しかし「その人の本性がわかる」という意味で、職場の飲み会も役に立つかも知れないとも思う。

 酒癖が良くないと周囲の人に言われた事のある酒好きの方は、お酒を人と飲む時には気を付けた方がいい。
 筆者のように、酒を飲んでの乱行を非常に冷たい目で見ていて、以後「こいつの本性はクズだ」と軽蔑する者もいるので。

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本当の男女平等について山内マリコ氏に問いたい

 この10月3日の毎日新聞の夕刊に、作家の山内マリコ氏が書いた、『取り分けるのは誰の役目?』というタイトルの、ジェンダー問題についてのコラムが載っていた。

 そのコラムは、こんな事例の紹介で始まる。

 ある受賞パーティーのテーブルに、男性ホストが一人ずつ配されていた。しかし料理の大皿が運ばれると、それを小皿に取り分けたのは、唯一の女性である「来賓」だったという。その場にいる男性はみな、「来賓」が取り分けるのを、当たり前のように眺めていたそうだ。


 山内氏によれば、女性に料理を取り分けさせることは「ジェンダー的な問題点」だと言う。
 そして山内氏は、女性が料理を取り分ける行為は「古臭い社会規範を広めることに加担」する行為で、かつ「自分らしさを殺し」、そして「女性らしさを演じ」ることだと言う。
 さらに山内氏は、合コンなどの席で料理を率先して取り分ける女性は、「女性らしさを男性にアピールする常套手段」を使っていると「蔑まれているのだ」とまで語っている。

 筆者が過去に勤務していた職場(某公官庁)は、そうしたジェンダーについての問題に非常に敏感だった。
 だからかなり以前から、お茶汲みという役割が無かった。
 職場の隅にお湯とお茶が出る給湯器があり、お茶が飲みたければ、役付きの男性も自分でそこに行って注いでくるのである。
 お茶汲みに限らず万事がそうで、その職場では「女性だから、しなければならない」ということが全く無かった。
 ちなみに給料も、男女全く同一だった。

「男女差別の無い、良い職場じゃないか」って?
 さにあらず。
「女性だから、しなければならない」という役割は無くなった一方で、「男性だから、しなければならない」という役割の方は全く無くならなかったからである。
 重い物を持ったり運んだりとか、車の運転とか、暴言や暴力を振るう来客への対応は、以前と同様に男性職員に任されたままであった。

 その職場で大きな重い棚の位置を変えることになった時、課長が「男の人達、集まれ!」と声を掛け、当然筆者も棚の移動に加わった。
 ちなみに筆者は小柄でしかも病弱で、通院と薬は欠かせない。
 しかし筆者は「男だから」その棚の移動に率先して加わり、精一杯の力を出した。
 そこでもしも筆者が「自分は病弱ですから、力仕事は若くて力のある女性に代わってもらいたいです」などと言ったら、男女双方から袋叩きに遭っただろう。
「男のくせに!」と。

 そうして指示を出した五十代の課長も含めて、筆者ら男性陣が汗を流して力仕事をしている間、女性の職員は当然のように椅子に座ったまま自分の仕事を続けていた。
 筆者より体格も良く健康な若い女性も含めて、手を貸そうという女性職員は誰一人としていなかった。
 お茶汲みや料理の取り分けを女性にさせるのは差別、しかし力仕事や車の運転や危険な仕事を男性がするのは当然、というのである。
 これが日本のジェンダーフリーの現実である。

 山内マリコ氏は、例のコラムで「女性が料理を取り分けて当然というような小さな“当たり前”を潰していかない限り、女性が社会から課せられている問題の根っこはなくならない」と書いていたが。
 女性の山内氏は気付かないのか、あるいは気付いていながらあえて知らぬ顔をしているのかも知れないが、世の中には、現実の社会には「男性がやって当たり前」とされている事柄もたくさんあるのだ。
 力仕事、車の運転、電化製品の取り扱いや設定や修理、デート代や生活費の支払い、等々……。
 山内氏もそうだが、今の日本のジェンダーフリーへの対策は、男性に対する性差別は見て見ぬふりをして、「女性の仕事は男性もやるべき、しかし男性の仕事はそのまま男性がやって当然」という方向で進んでいる

 コラムを書いた山内マリコ氏は、女性が料理を取り分けることにすら噛みつき、合コンで率先して料理を取り分ける女性を「女らしさを男にアピっている」と蔑むが。
 ならば山内氏は、力仕事や車の運転やデート代や生活費の負担など、昔から男がやるべきとされている事や義務も、きちんと男性と平等に分担しているのだろうな?
 それをせずに、料理を女性が取り分けることをジェンダーの問題のように騒いでいるのだとしたら、山内氏は男女逆差別に気付かぬ身勝手な女性である。

 筆者は小柄で病弱だが、だからと言って世間は何も労ってはくれなかったし、筆者もそれを当然と思い、世間から「男のすべきこと」とされている事はすべて頑張ってやってきた。
 力仕事もすれば、電気製品の取り扱いや簡単な修理もしているし、車の運転もすべて男性である自分がやってきた。
 デート代の負担も、もちろんしてきた。
 だが山内マリコ氏のコラムを読むと、そういう「男だからという頑張りは、すべて止めようではないか」と思いたくなってしまう。
 力仕事も電気製品の扱いも車の運転もデート代の支払いも、「これからは、すべて男女平等にしようじゃいか」と言いたくなる。

 ちなみに筆者は料理はそれなりに出来るし、掃除機や洗濯機があるから、独身だが家事にも困っていない。
 こんな筆者のような者からすると、昔から男の仕事や義務とされてきた事を半分引き受ける覚悟も無いくせに、「性差別だ! 女の仕事を男もやれ!!」と叫ぶ女性の存在は本当に腹立たしい。

 山内マリコ氏によれば、たかが料理を取り分ける行為ですら、「自分らしさを殺して女性らしさを演じる行為で、それは男性に女性らしさをアピールする常套手段として蔑まれている」のだそうだ。
 ならば男性が女性の為に重い物を持ったり車の運転をしたり家電製品の扱いや修理をしたりデート代を負担したりするのも「自分らしさを殺して男性らしさを演じる行為」で、「女性に男性らしさをアピールする常套手段」として蔑まねばなるまい
 もし本気で男性が真の男女平等に取り組み、昔から男がやるべきとされていた事もみな「女性も平等に負担してよ」と言い出したら、困るのは女性の方ではないだろうか。

 以前、男女平等に関して、作家の佐藤愛子氏がエッセイに面白いことを書いていた。
 要約すると、それはこんな内容だ。

 暗い夜道を歩いていた女性二人が、暴漢に襲われた。
 一人は逃げ、一人は捕まってレイプされた。
 だとしても逃げた方は責められず、捕まった方は運が悪かったという事になる。
 だが襲われた二人が男と女で、男が逃げて女がレイプされたら、男は恨まれ、世間からも袋叩きに遭うだろう。

 そうなのだ。
 ただ「男だから」というだけで、男は女性を守り、相手がヤクザだろうが大勢だろうが、立ち向かって戦わなければならないのだ。
 それくらい、男はただ「男だから」というだけで、女性には想像も出来ないくらいの重荷を負わされているのだ。

 男女平等の問題になると、女性はすぐ「男は体力があるから」と言い出す。
 しかし筆者のように小柄な上に、病弱で病院通いが欠かせない男だっている。
 筆者より体格も優れ力もある女性は、現実には少なからずいる。
 それでも普通の男並みに力仕事も出来ないと「男のくせに」と責められ、そして筆者自身も「男なのだから」と頑張ってきた。
 山内マリコ氏のような、男の生き辛さには無関心で、女性が損な部分にだけ敏感で何かと「ジェンダーによる差別反対!」と叫びたがる女性を見ると、男として頑張って生きるのが本当に馬鹿らしくなってくる

 少なくとも筆者は、家事は得意とまでは言わないが、とりあえず一通り出来る。
 そんな筆者は、「家事はもちろん平等に分担してよね、でも力仕事や車の運転や家電の修理は男の貴方かやって。それから財布も貴方が出して」と言いたげな現代の女性、特にジェンダーの問題に敏感な女性達を見ていると、本当に結婚したり交際したりする意欲が無くなってくる。
 そのような女性など存在しても負担でしかないし、そんな女性は筆者は本当に要らない。

 山内マリコ氏は、合コンなどで率先して料理の取り分けをする女性を「女性らしさを男性にアピールする常套手段」と蔑んでいるが。
 昔の人間である筆者は、力仕事や危険な事も家事も何もかも男女平等にするのがジェンダーフリーの良い社会とは思わない。
 男が力仕事や危険な事で頑張り、それに対し女性が料理の取り分けやお茶汲みなどの小さな気配りで労う。
 世の中は少なくともこれまで、それで上手く回ってきたのではないだろうか。

 男性には男性の、女性には女性の特性や得意分野がある。
 それを無視して「何でも男女平等に!」と騒ぐのは愚かだし、増してや「家事は平等に、でも力仕事と稼ぐのは男が頑張るべき!」と求める女性など相手にしたくでもない。
 昔からの男の義務は平然とそのまま男性に押しつけておき、だが女性らしさを求められると「性差別!」と喚き出す女性が増えているから、結婚や交際に意欲が持てなくなり未婚の男性が増えているのだ。

 女性は、特に山内マリコ氏のように中途半端に意識の高い女性は、女性であるメリットや男性の生き辛さには目を向けず、女性のデメリットだけに目を向けて騒ぎたがるから、本当に始末に負えない。
 世の男性達よ。
 山内マリコ氏ら意識の高い女性達が、合コンや食事の際にただ料理を取り分けてくれる女性をも「自分らしさを殺して女性らしさを演じていて、男性に女性らしさをアピールする常套手段をつかっていると蔑む」のならば。
 ならば我々男性達も、女性の為に重い物を持ったり車の運転をしたり家電製品の扱いや修理をしたりデート代を負担したりする男を、「自分らしさを殺して男性らしさを演じていて、女性に男性らしさをアピールする常套手段を使っている」と蔑んでやろうではないか。
 そして男女の関係は今よりもっとギスギスとした、味気のないものになるだろう。

 ジェンダーや女性問題に敏感で意識の高いつもりの女性達は、このように自分で自分達の首を絞めている事に全く気付いていないのだから、実に愚かだ。
 山内マリコ氏のように、料理の取り分けひとつにジェンダーの問題を持ち出してあれこれ文句を言う種類の“意識の高い女性”より、進んで料理の取り分けをする代わりに重い物を持ったり運転したりするなどの仕事は男に任せる女性の方が、余程も賢くしたたかに、かつ男女共に気持ち良く生きさせていると思うが、どうだろうか。

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ラーメンの

 ここのところよく放送されている、三戸なつめさんがラーメンを食べる幸楽苑のCMが、筆者は不快で仕方がない。
 三戸なつめさんを見て「可愛い!」と感じている方も、あのラーメンの食べ方に何の違和感も感じない方も少なからずいるだろうが、筆者はあのCMが大嫌いだ。

 ラーメンに限らず、日本人はよく麺類を食べる。
 そして日本のラーメンは外国人にも好評だが、ただ外国人に嫌がられるのが、日本人の麺類の食べ方である。
 日本人は、音を立てて麺をすする。
 それが外国人に不評なのだ。

 実を言えば、筆者は日本人でありながら大きな音を立てて麺をすするのが嫌いなので、あの麺をすする音に外国人が馴染めないのはよく理解できる。
 麺をすする音に限らず、食事をする時に大きな音を立てないのは、世界的なマナーでもある。

 ただ、麺を音を立ててすするのは、日本の食文化だ。
 実際、蕎麦をすすると「蕎麦の香りが口から鼻に抜けて、より美味しく食べられる」とも言うし、うどんについても「噛まずに喉越しで食べるのが通だ」とも聞いた。
 だから筆者は、蕎麦やうどんを音を立ててすする事については、文句は全く無い。
 筆者個人が「好きではなくて、音を立ててすすりたくない」というだけの話で、「音を立てて麺をすするのはヤメロ、下品だ!」などと野暮を言うつもりは全く無い。

 話は幸楽苑のCMで、ラーメンを食べる三戸なつめさんに戻る。
 三戸なつめさんが、まず勢い良く音を立ててラーメンの麺をすする。
 これはまあ良い。
 問題は、その後だ。
 続けて三戸なつめさんは、ラーメンのスープもズズーッと音を立ててすする。
 これがたまらなく不快で嫌なのだ。
 ズッズッと大きな音を立てて麺をすするのは、確かに“日本の食文化”だ。
 しかし「汁(スープ)も音を立ててすするべき」などという習慣は、少なくとも今の日本の食文化にも無いと思うが、どうだろうか。

 いちゃもんじみた事を言えば、ラーメンを発展させて世界的な食べ物にしたのは日本だが、ラーメンの発祥地は中国である。
 先日、NHKの『歴史秘話ヒストリア』で、日本にラーメンを伝えたのは中国人の料理人だと放送していたが。
 中国人も日本人が蕎麦やうどんを食べるように、ラーメンの麺を音を立ててすすっていたのだろうか。
 そしてラーメンのスープも、幸楽苑のCMの三戸なつめさんのように、ズズーッと音を立ててすすっていたのだろうか。

 ちなみに、横浜中華街の本格中華料理店『皇朝』のブログには、ラーメンの食べ方についてこう書いてある。


 日本でラーメンを食べるときはズズっと音を立てながら食べるのが一般的ですが、この食べ方はNGです。
 ラーメンをはじめとした汁物料理を食べるときは、レンゲに一度とって食べるのがマナー。右手に箸、左手にレンゲを持ち、麺を一度レンゲに入れることで汁の跳ね返りを防ぎ、綺麗に食べることができます。麺をすすって食べることに慣れた人でも、レンゲにとることで音を立てずに食べやすくなるでしょう。
 日本では器を両手で持って直接口をつけてスープを飲む方も少なくありませんが、これも中国の常識からは外れているようです。中華料理ではほとんどの食器が手で持つことをタブーとされているため、汁を飲むときにはレンゲが欠かせません。
 ただし、左手に持ったレンゲでそのままスープを飲むのは控えてください。スープを飲むときは箸を一度置いて、レンゲを右手に持ちかえましょう。レンゲは持ち方だけでなく、食べ方にもマナーがあります。ラーメンの汁であっても、スープ料理であっても、大口を開けてレンゲを迎えてはいけません。
 レンゲでスープを飲むときは、そのまま口元まで平行に動かして、レンゲを傾けるようにして飲みます。これで大口を開けることなく品良く飲むことができます。このとき、レンゲの角度も重要です。いくら上品に飲むためだからといって、レンゲの先を口に垂直に向けて飲むのもマナー違反となるのでご注意を。
 スープの量が残り少なくなったら、左手で器を傾けると上手にすくうことができます。レンゲに厚みがあってすくいにくい場合は残してもよいそうです。


 確かに縮れ麺のラーメンは、麺にスープが絡むから、勢い良くすすって食べた方が美味しいのかも知れない。
 しかし「スープ(つゆ)も音を立ててすすって飲むのが作法」などと言う話は、うどんや蕎麦でも聞いたことも無い。

 スープをズズーッとすするのは、もちろん欧米では不作法なことだか。
 この日本でも、例えば味噌汁など汁物を音を立ててズズーッと飲めば、「下品だ」と言われるのではないか。
 確かに日本は飲食時の音に寛容だから、温かいお茶などをズズーッと音を立てて飲んでもあまり叱られない。
 しかし正式な懐石料理などの席で音を立てて汁物をすする人など、少なくとも筆者は見たことが無い。
 きちんとした服装が必要な食事の場で、和食の汁物を音を立ててすする人を、少なくとも筆者は見たことが無い。
 音を立てて麺をすする事についての是非はどうあれ、汁(スープ)を音を立ててすするのは下品というのは、日本でも言えることではないだろうか。
 だから幸楽苑のCMでラーメンを食べる三戸なつめさんが勢い良く麺をズッズッとすするのは「日本では別に問題なし」だが、続けてスープを音を立ててズズーッとすするのは「欧米だけでなく日本でも、やはり下品」だと、筆者は思う。

 三戸なつめさんは現在28歳だというが、アラサーになってもまだ当たり前にスープや汁物を音を立ててすすっているのだろうか。
 それとも「美味しそうに食べているように見せる」為の演出で、CMの制作者が三戸なつめさんに音を立てて勢い良く麺をすすり上げ、ズズーッとこれまた音を立ててスープを飲むように求めたのだろうか。
 おそらく後者であろう、いやそうであってほしいと筆者は思っている。

 何年も前に、永谷園のCMのお茶漬けの食べ方が世間で論争になり、賛否両論に分かれた。
 そのCMでは若い男性がお茶漬けを勢い良く流し込むように、ガツガツ、ズズーッと音を立てて食べていた。
 そして視聴者の間で、「下品だ」、「いや、いかにも美味しそうで気持ちが良い」と、ちょっとした論争になった。
 筆者は無論、「下品だ」と感じた方である。

 筆者はお酒も食べ物も、ゆっくりじっくり味わいたいと思う。
 それが美味しいものならば、なおのこと。
 誰かが手をかけて作ってくれた美味しいものを、ガツガツ、ガブガブ、流し込むように飲んだり食べたりしたらむしろ申し訳ないと、筆者は思う。
 ものを飲み食いする音に比較的寛容な日本にも、牛飲馬食という言葉があるが、それは決して褒め言葉ではない。

 ガツガツ、音を立てて飲み食いしているのを「美味しそう」と見るか。
 音はあまり立てずに常識的な食事マナーも守って、ゆっくり、じっくり味わって食べているのを「美味しそう」と見るか。
 日本人は、はっきりこの二種類に分かれる。
 だから音を立ててガツガツ流し込むように食べる永谷園のお茶漬けのCMは、かつて日本でちょっとした論争になった。
 そして少なくとも三戸なつめさんのCMを見る限り、幸楽苑はお行儀良くじっくり味わって食べたい人達ではなく、「音を立ててガツガツ食べる種類の人達に、お店に来てほしい」と思っているのだろうとわかる。

 かつての永谷園のお茶漬けのCMは、賛否両論に分かれる論争になった。
 しかし幸楽苑のラーメンのCMに関しては、「可愛い」という声ばかりで、ズズーッと音を立ててスープをすすっている事についての批判の声は全くと言っていいほど聞かれない。
 だからあえて、「スープを音を立ててすするのは下品だろう」と言ってみた。

 筆者自身はラーメンの麺を大きな音を立ててすすり上げることもしないし、スープはもちろん静かに飲む。
 そして筆者と交際した女性たちも皆、ラーメンに限らず麺類は静かに食べる人ばかりだった。
 だから三戸なつめさんのように、大きな音を立てて麺をすすり、スープもズズーッとすするような女性とは付き合った事が無い。

 もし交際した女性が、ラーメンの麺を音を立ててすすったら。
 筆者は「可愛い」とは思わないが、別に「食事マナーが悪い」とも思わない。
 しかしもし、続けてラーメンのスープをズズーッとすすられたら、たとえ三戸なつめさんレベルの容姿に恵まれた女性でも、「育ちが良くないのだな」と思ってドン引く。

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「居場所が無い」は甘ったれだ

 よく、「居場所がない」と言う人がいるが。
 筆者には、そのような人達の気持ちが理解できない。

 筆者の父は酒を飲まずにいられず、そして飲めば必ず深酒して人に絡み、怒鳴って暴れる人だった。
 酒乱である。
 それに加えてギャンブル依存症でもあった。
 もちろん家庭は暗く、家計も苦しかった。

 年子の姉は、居場所を外に求めた。
 家では我が儘だったし、すぐにヒステリーを起こした。
 しかし一歩家の外に出ると、「多重人格か?」と疑いたくなるくらい“良い子”になった。
 そして勉強も、ただ褒められ他人に認められる為にテスト勉強のみをよくやり、学校の成績もとても良かった。
 学校の教師も親戚達も、みなその猫かぶりにすっかり騙され、姉を「とても良い子だ」と褒めた。
 姉は褒められる為に外では何でもし、そこで溜めたストレスを家で、母と弟(筆者)に当たることで発散していた。
 筆者にとって子供時代の姉のイメージと言えば、とにかくヒスっている姿しか思い描けない。

 筆者にとって酒乱で賭け事好きの父は恐怖の対象で、猫かぶりのヒス姉は憎い敵だった。
 だから筆者は「父や姉のような人にはなるまい」と常に思って育った。
 自分を偽るまいと思い、家でも外でも同じように振る舞い、家族にも他人にも同じように接した。
 勉強も人から褒められる為にでなく、自分が興味を持った事をとことん突き詰めて学んだ。
 だから筆者は小学校の高学年の頃から、得意分野なら教師が知らない専門的な事まで知っていた。
 外で良い顔をしては溜め込んだストレスを、怖い父を除く家族(母と筆者)にヒスって当たることで晴らしていた醜い姉の姿を見ていたから、筆者は外でどんな辛い事があっても胸の底に溜めて堪えた。

 そんな筆者が、周囲の人達から何と言われたか。
 可愛げの無い変わり者の、出来損ないの弟。
 姉の猫かぶりを見抜ける大人は誰一人おらず、教師達も親戚達もみな、いわゆる「姉age、弟sage」だった。
 中学時代の筆者の担任教師など、クラスの生徒全員の前で筆者に「お前は、お姉ちゃんの爪の垢を煎じて飲め」と言い放った。
 筆者の祖母も、「お姉ちゃんと違って、この子(筆者)は可愛くない」と面と向かって言ってくれた。
 大学に進学し家族と離れて別の地で一人暮らしを始める以前の筆者に、味方や理解者など誰一人としていなかった。

 家庭環境はよろしくない。
 そして猫かぶりで二重人格のヒス姉と比べられては、教師達にも親戚達にも同級生達にも「出来損ないの、駄目な弟」と言われ続けて。
 よくグレて非行に走らなかったものだと、今でも自分に感心しているくらいだ。
 だから筆者は、「家庭環境も悪く、居場所がなくて」と非行に走る少年達に同情しない。

 父は酒乱のギャンブラーだったし。
 家計を支えていたのは母だけだったから、金銭面の苦労は絶えなかった。
 そして姉は、外の人達に良く思われて褒められる為には何でもする多重人格者だったから、おかげで筆者は周囲の皆、教師・親戚・同級生たちすべてに「出来損ないのダメ弟」のレッテルを張られていた。
 ついでに言えば、姉は標準体型で健康体だったのに、筆者は小柄で病弱だった。
 さらに「小さい頃に東京から地方に引っ越して、学校では異質な存在だった」ということもあって、イジメの格好の対象にもなった。
 それでも「居場所が無い」とは、思ったことすら無かった。

 居場所が無い?
 甘ったれたこと言ってるんじゃないよ。
 この日本に一億二千万人分、一人に一個ずつ一億二千万もの“居場所”が用意されているなんてこと、あるワケがないのだ。
 自分の居場所とは、自分で見つけ、自分で作るものなのだ。
 家庭環境もよろしくなく、外には理解者もいなかった筆者は、居場所は自分の頭と胸の中に作った。

 姉にとって最も重要なことは「他人にどう思われるか?」で、他人に良く思われる為には何でもした。その為には家族も平気で犠牲にして傷つけた。
 同じ家庭環境で育った姉は、自分の居場所を“外”に求めた。
 しかし筆者にとって「他人にどう思われるか?」など、本当にどうでもよい事だった。
 筆者は姉とは真逆で、他人にどう思われようとまず自分に正直に生きたい。
 そして筆者は好奇心が強い人間で、周囲を見回せば「何故なんだろう、どうしてだろう?」とすぐに疑問と興味を持った。
 関心を引かれること、興味を引かれることは、周囲にいくらでも見つかった。
 だから小学校の低学年の頃から図鑑をよく見たし、本も大好きで、書籍に囲まれて生きていた。
 そして本や図鑑を読めば読むほど、心の中の世界が無限に広がっていった。
 その広がって行く心の中の世界で思索と想像に耽っていれば、現実の嫌な事など忘れられる。そうして筆者は、辛かった時を生き抜いてきた。

 見回してみてほしい。
 世の中は、面白い事や物で溢れている。
 子供の頃はお金が無かったから、本を読んでいろいろ空想するのが一番の楽しみだったが。
 高校生になったらすぐにアルバイトをして、稼いだお金でカメラを買って写真を撮った。
 写真を撮るにはお金がかかるから、学生時代には本当に「バイトする→写真を撮る→バイトする→写真を撮る」の繰り返しだった。
 社会人になり車に乗れるようになって、世界はもっと広がり、あちらこちらに写真を撮りに行けるようになった。
 もちろんただ写真を撮るだけでなく、本もたくさん読み続けた。

 子供の頃にドイツ軍の戦車のプラモデルを作ったのがきっかけになり、見事にミリオタになってしまい、戦記モノ(主にドイツ軍関係)の書籍が今も筆者の書棚の一角を占領している。
 大人になった今ではタミヤの1/35のプラモデルでは飽きたらず、本物の某国軍の装備品(水筒、雑嚢、スコップ、弾倉ケース、制帽、制服など)を少しずつ買い足している有り様だ。
 何しろ独身でストップをかける家族がいない為、部屋は趣味の物で溢れかえっている。

 筆者は写真が大好きだが、「クラシック・カメラ好き」という悪い病気にもかかってしまっている。
 実際に写真を撮る時にはデジカメを使う事が多いのだが、1940~60年代の光り輝くクローム・メッキが美しい金属製のカメラが大好きで、自分が生まれるより前に作られたカメラを磨いては、「こいつは、どんな光景を撮ってきたのだろう」と想像して楽しんでいる。

 クラシック・カメラだけでなく、筆者は古い物に妙にロマンを感じてしまう性質のようで、最近では江戸時代や明治・大正ごろの銀貨も買い集めるようになってしまっている。
 本当は小判とかの金貨も欲しいのだが、小判や金貨となるとさすがに高価なので、そこまで手を広げるのは必死で我慢している。

 筆者は“新しもの好き”の真逆の“古いもの好き”である。
 で、「ナチス時代のドイツで作られた1937年製のライツ社のレンズ」とか「まだ日露戦争が起きる前の、十九世紀の明治時代の銀貨」とかを眺めて撫でて、それが経てきた年月に思いを馳せて、一人悦に入っている(傍から見るとその姿はとても気持ちワルい)。

 あと、以前から日本刀が好きで、模造刀を三振りほど持っている。
 本当は、江戸時代やそれ以前に造られた本物の日本刀が欲しいのだが。
 しかし筆者がもし真剣を手に入れてしまったら、それこそ「キ○○イに刃物」だと自覚しているので、それは自重している。

 考えてみれば、筆者は小学校の低学年の頃からミニカーの収集に凝っていた。
 こんなコレクター気質のマニアが趣味三昧の暮らしをしているので、書籍と趣味以外の事に回せるお金は殆ど無く、乗っている車は軽自動車だし、普段着はユニクロで平気で、今も独身である。
 だが断言するが、生きていて、とても楽しい。

 家庭環境も良くなく、小柄ゆえに学校ではイジメにも遭い、周りの皆に「出来損ない」と言われながら育った筆者は、こう思う。
 自分の居場所は、自分で作れ。
 カネが無くても想像力さえあれば、居場所など心の中に無限に広がって行く。
 そして心の中の居場所は自分だけの世界で、誰にも侵されたりしない。

 高校生になればアルバイトも出来るし、社会人になれば自由にできるお金はもっと増える。
 そして趣味に打ち込めば、居場所など自然に出来てくる

 と言っても、オンライン・ゲームの世界に居場所を求めるのだけは、お勧めできない。
 アレはお金と時間をとてつもなく必要とするので、アレにハマったら正常な生活が出来ない廃人になってしまう。
 趣味は仲間とやるのも楽しいが、一人でも楽しめない趣味は一人になった時に辛い

「居場所が無い」と言う人は、まず周囲の色々なものに興味を持ってみてほしい。
 世の中には、楽しいもの、面白いものがたくさんある。
 そして興味を持てたものが貴方の趣味になれば、生活は一変する筈だ。
 例えば筆者は、楽で楽しい仕事など一度もした事が無いが。
 しかし好きな事をやるにはカネが要る。
 で、その「好きな事をやるカネを稼ぐ為」と思えば、楽しくない仕事だって耐えられる。

 もし貴方が、まだ学生だとしたら。
 放課後には貴方の好きな事を存分にやれるのだと思って、学校での辛い時間を何とか耐えて欲しい。
 あと、人並みの学歴が無いと就職に不利になり、趣味に費やすカネも得にくくなるのだという事も、頭の隅に置いておこう。
 学歴も無く、手に職も資格も無いでは、趣味どころか生きて行くことすら大変になる。

 繰り返す。
 居場所はどこかに貴方の為に元々あったり、周囲の誰かが用意してくれるものだなどと思わず、自力で自分で作るものと割り切れ。
 そして作った居場所を守って広げろ。
 趣味が仕事になり、職場に居場所が作れ、仕事が生き甲斐になればとても幸せなのだが。
 仕事に生き甲斐を見つけられなくても、打ち込める趣味があればそれだけで貴方の人生は楽しくなる。

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過去に戻って生き直すより、前を向いて歩きたい。

 漫画などで、「後悔ばかりで冴えない暮らしをしているダメ人間が、ふと気付いたら子供(少年や少女)に戻っていて、再び人生をやり直す」というストーリーの話がよく取り上げられている。

 ああ、あの時に戻ってもう一度人生をやり直せたら。
 そんな思いを抱えている人は少なくないだろう。
 だからこそ、「過去に戻って生き直す」というテーマの話が一定の人気を保っているのだ。

 実は筆者も、「あの時に戻って人生をやり直せるなら、どれだけ良いか」と幾度となく思った。
 筆者の人生は後悔だらけだが、その中でも本気で過去に戻って人生をやり直したい後悔は三つある。

 まずは、信じてはいけない人間を信じて、大切な人を傷つけて失うことになってしまった、中学三年生のあの時だ。
 あの頃、筆者は年子で優等生の姉と比べられては「出来損ないの弟」と言われ続け、心がささくれ立っていた。
 さらに小柄で童顔で体も弱かったせいでイジメられることもあり、それに対する反発から、ヤマアラシやハリネズミのように周囲を敵と見なして尖って生きていた。

 しかしそんな当時の筆者にも、多くはないが友と言える人が何人かいた。
 中でもボーイッシュで美少年風な容姿で性格も男前なRさんは、女の子だったが常に筆者の良き理解者でいてくれた。
 見かけも振る舞いも女の子らしくなかったRさんとは、異性とはあまり意識せずに、性別を越えた親友という感じで付き合っていた。
 告白するとか、そういうムードにはなかなかならなかった。
 けれどRさんが筆者にとってとても大切な存在である事は、確かだった。

 同時に、筆者には小学一年生の頃からの悪友だったSがいて、その中学三年生の頃、筆者とRさんとSは同じクラスだった。
 そして筆者とRさん、Sとその女友達の四人でダブルデートのような事もしていた。

 そんなある日、筆者はクラスで人気者の生徒と喧嘩をしてしまい、その結果、クラスの大半を敵に回してしまった。
 筆者にも非はあった、しかし筆者にも言い分があった。
 人に悪く言われるのは慣れていたが、筆者はRさんには味方でいて、気持ちをわかってほしかった。

 だがSがそんな筆者の袖を引き、教室の隅に引っ張って行ってこう囁いた。
「俺はさ、喧嘩は両成敗だからどっちが悪いとか思ってねえよ。けどな、Rがお前のこと責めて、すごく悪く言ってたぞ」
 幼なじみだったSの言うことを、筆者は疑いもせず信じた。
 そしてRさんに悪口を言われていたと聞いて、頭に血が上った。
 他の同級生に悪く言われるのは構わない、それは慣れている。
 しかし一番信じて味方でいて欲しかったRさんが敵に回ったと聞いて、筆者はキレた。
 筆者は真っ直ぐにRさんの居る所に行き、皆の前でRさんを罵り、絶交だと言い渡した。
 Rさんはずっと黙ったまま、一言も反論せずに絶交を受け入れた。
 だから筆者は事実はSの言った通りで、Rさんは非を認めたのだと思った。

 だがそのすぐ後、Rさんの居ない場で、筆者はRさんと親しい女子たちに怒られた。
 実はSが筆者に言ったことは大嘘で、実際にはクラスの皆が筆者の敵になりかかる中、Rさんは一人で筆者を庇ってくれていたのだった。

 思うに、Sを古い友達と思っていたのは筆者だけで、Sは実は筆者が嫌いだったようだ。
 だがSはそれを表に出さずに友達のふりを続け、そして筆者を痛い目に遭わせるチャンスを狙い、筆者が一番大切にしていたRさんとの仲を裂いたのだ。

 そのSのやり口には腹が立った。
 しかしSに怒るより、Rさんに謝るのが先だと思った。
 だから筆者はすぐにまたRさんの所に行き、事情を話して心から詫びた。
 Rさんは話を聞いてくれた。
 しかし許してもくれなかった。
「Sに騙されたんだ」
 そう説明した筆者に、Rさんは感情を押し殺した声でこう言った。
「それは関係ない。だってキミは、私よりSを信じたんでしょ?」
 返す言葉も無かった。
 確かにSのやり口は汚い、しかし確かめもせずに、Sだけを信じて一番大切なRさんを一方的に責めた筆者が一番悪い。
 それに気付いた筆者は、Sを怒りに行く気持ちと気力も無くした。

 誠心誠意謝って、Rさんはとりあえず許してくれ、中学を卒業した後も“友達”でいてくれた。
 進学した高校は別だったが、それでも連絡は取り合って、何度か二人でデートもした。
 だが告白したら、きっぱり断られた。
「あの時キミは、私を信じなかったでしょ?」
 そう言われた。
 もう何年も前の事なのに。
 筆者はそう言いたかったが、それは「傷つけた方は忘れるが、傷つけられた方は忘れない」というやつだ。

 その後、Rさんは別に彼氏を作ってしまい、筆者とは音信不通になった。
 そして筆者も、何人かの女の子と付き合った。
 しかしRさんほど素敵な女性には、二度と出逢えなかった。
 だからこそ「中学三年のあの時に戻ってやり直す事ができるなら、どれほど幸せか」と、今もなお思う。

 次の大きな後悔は、大学生活についてだ。
 筆者は東京の大学に行き、歴史の勉強をしつつ、バイトをして資金を稼いでは写真を撮り続けていた。
 出来れば写真で生活して行きたいという夢もあった。
 当時の自分としては、精一杯、いろいろ頑張っているつもりだった。
 撮った写真を出版社に売り込みに行ったことも、複数回ある。
 しかし後になって考えてみると、時間の使い方がまだ下手だった。
 そして「東京に住んでいた」というメリットを、充分に生かし切れていなかった。
 筆者は大学が休みになると、東京を離れて実家に戻ってしまった。
 実家に戻ってもただ遊んでいたわけでなく、バイトもして、写真も撮ってはいたのだが。
 夢の実現という事を考えると、休み中もずっと東京に居て頑張り続け、もっと稼いでもっと写真を撮り、出版社にももっと通うべきだったと思う。
 もし今また大学一年生に戻れたら、もっと時間と地の利を活用して、夢を実現できるかも知れない。

 最後の大きな後悔は、26歳の時に「容姿や仕草や振る舞いは“ど真ん中のストライク”な天使で、心は悪魔」という女性に出逢い、とことん惚れて、ものすごく痛い目に遭ったことだ。
 あの時ほど、自分の女性を見る目の無さを悔やんだ事はない。

 筆者の人生に後悔は数え切れないほど多くあるが、この三つほど「あの時に戻ってやり直せれば良いのに」と心から思わされた大きな後悔はない。
 そして少なからぬ人達が、同じように「その時に戻ってやり直したい後悔」を抱えているから、少年(少女)時代に戻って生き直すストーリーの需要があるのだろう。
 しかし気をつけてほしいのが、その種の若い頃に戻って生き直す物語では、必ず「記憶と人生経験もそのまま持って、少年(少女)に戻っている」ことだ。

 そりゃあ無敵で無双デスよ、体は少年(少女)でも頭と心は大人で、失敗の原因とその対処方法もよく知っていれば。
 だからタイムスリップした現代人も、過去の時代では大活躍できるわけで。

 では記憶や人生経験を引き継ぐことなく、ただもう一度後悔の残っている若い時代に戻れたとしたら、今度はちゃんとうまくやれるだろうか。
 それは多分無理だろうと、筆者は思う。
 だって仮に筆者がRさんを酷く傷つけてしまった中学三年生のあの頃に、また戻れたとしても。
 その筆者はあの頃のままの、騙されやすく頭に血が上りやすいガキなのだから、きっとまたSに騙されて、Rさんを傷つけてしまうだろうと思う。

 大学時代の時間の使い方についても、あの頃はあれで精一杯だった。
 もっと上手く時間を使うには、今になってあれこれ思う後知恵がなければ無理だ。

 女性を容姿や作った振る舞いで判断してはならない、冷静に本性をよく見なければと真剣に思えるようになったのも、例の26歳の時に容姿がとっても素敵な悪女に出逢ったからで。
 その失敗体験が無ければ、「恋人は容姿より性格と人柄だ!」などと、なかなか本気で思えるものではない。
 若いうちには、特に。

 今は描くのを止めてしまっているが、望月花梨さんという、筆者が大好きな漫画家がいて。
 その望月花梨さんの作品に、『傷あと』という短編があって。
 その冒頭に、こんな一文がある。

 あたしは無口でよく失敗します。
 その失敗はいちいちあたしに傷跡を付けてゆき、治った様に見えても触ると痛いのです。


 そう、原因は何であれ、心の傷はなかなか癒えず、かなり後になってもまだ心が痛みだしたりする。
 そして『傷あと』のラストは、こう締めくくられる。


 だけどあたしはその傷跡達を愛することが出来ます。
 なぜならそれは、疎ましくていとおしいあたし自身なのだから。


 Sの讒言でRさんとの仲が壊れたことで、筆者は「人を簡単に信じてはならない」ということを学んだ。
 そして「本当の事は、双方の言い分を聞いてみなければわからない。だから一方の言う事だけを聞いて怒ってはならない」とも。

 大学時代の時間と地の利の使い方についての後悔で、「ただガムシャラに頑張るのは自己満足に過ぎず、先を見通して計画的に行動しなければならない」と学んだ。

 26歳の時にとても可愛らしい悪魔っ娘と出逢って痛い目をみて、「容姿や仕草に惚れてはならない、本性をよく見て人間性に惚れろ!」と心から学んだ。

 例の『傷あと』という作品で、主人公の佐保という少女は、同じクラスの友達にこう言う。
まあ、あたしも伊達に17年生きてないっつーの? 傷ついたり失敗したりしていろいろ学習してる訳よ。そんで人格も洗練され、処世術を身につけて来たって言うか
 その通りなのだ。
 残念ながら、人は失敗して痛い目をみて、傷ついたり誰かを傷つけたりして初めて学習する。
 主人公の佐保もまだ17歳だがいろいろ傷ついて、学習していて。
 そして27歳、37歳となる間にもっと傷ついて失敗して学習して、人格がより形成されて行くだろう。

 筆者も後悔ばかりの痛い人生だからこそ、いろいろ学ぶこともできた。
 思い出すだけで痛い様々な失敗なしに筆者は、成長できなかっただろうと思う。
 だから筆者は、「若い頃の失敗をした時に戻って人生をやり直し、もっと上手く生きたい」とは思わないようにしている。
 数々の失敗と後悔が、今のこの自分を作ったのだから。

 漫画と言えば、筆者は私屋カヲルさんという漫画家もデビュー当時から好きだ。
 その私屋カヲルさんの『女王様の絵師』という作品に、とても良い言葉が書いてある。
 主人公はミヤジという元漫画家で、あまり売れずに引退して今は高校の非常勤講師をしている。
 が、その高校で絵はド下手だが漫画家になりたくてたまらない生徒や、自分の妄想を作品にして欲しい生徒らに出合ってしまい、再び漫画家への未練をかき立てられ、しかし「その世界は厳しい」という現実を知るだけに再び描く勇気を出せずにいる。
 で、絵が下手なくせにやる気だけは満々の生徒に、ミヤジは「あいつは若いから、まだいい」と思う。
 そのミヤジに、女王様気質な生徒の雪森さんがこう言うのだ。

 …あんたはオッサンだけど。
 これからの人生、今が一番若いんじゃない?


 うん、その通りだ。
 誰にも未来はあるし、誰だってこれからの人生の中では今が一番若い。
 過去の失敗を悔やんで「あの頃に戻って、人生をやり直せたら」とグチグチ悩んでいるより、過去の傷は自分を成長させてくれた糧と割り切り、明日に向いて進んで行きたいと思う。

 筆者は自分に、時々こう言い聞かせている。

 自分はオッサンだけど。
 これからの人生、今が一番若い。

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我が家の猫が、猫伝染性腹膜炎と闘った末に虹の橋を渡る。

 このブログで、我が家の17歳の猫が、猫伝染性腹膜炎という不治の病にかかっている事ついて何度か書きましたが。
 その猫伝染性腹膜炎は症状を緩和する薬はあるものの、根本的に治す方法はまだ無く、致死率99%で数日から数ヶ月のうちに死んでしまうという恐ろしい病気です。
 ただ、稀に一年から二年生きる猫もいるということで、それに一縷の望みを託していました。

プロフ用190

 最初は毎日、胸に溜まる水を抜き(これをしないと肺が圧迫され呼吸が出来なくなって死んでしまう)、そして薬を点滴で入れる為に、動物病院に通いました。
 治療の甲斐あってか、しばらく通院するうち、少し元気が戻ってきたように見えました。
 胸と腹に水が溜まるのは相変わらずで、治療の内容は変わらないものの、通院の間隔も毎日から二日おき、そして週に二回に減りました。
 元々高齢の猫でもあり、寝ている時間は長いものの、生活も殆ど前と変わらないように見えました。
 歩く足取りもしっかりしていて、椅子に座る人の膝の上にも問題なく飛び乗れました。

 ただこの病気にかかると食欲が落ち、熱も出て痩せてしまうのです。
 我が家の猫も、四キロあった体重が二キロとちょっとまで減って、ガリガリに痩せてしまいました。
 それまで食べていたものも、なかなか食べてくれないので、食事には本当に苦心しました。
 それでも大好きなササミは一度に一本近く食べるだけの元気もあったので、私は希望を捨てませんでした。
 そして猫も、普段と殆ど変わらぬ生活を続けました。

 ところが四月の半ば頃から急激に容態が悪くなり、とうとう虹の橋を渡って旅立ってしまいました。
 我が家の猫は、五月一日が誕生日でして。
 それだけに、「何とか誕生日を迎えてほしい」と願っていたのですが、駄目でした。

 思えば17年11ヶ月と18日。
 長い、本当に長い付き合いでした。
 人間で言えば、生まれて高校三年生になって……という感じです。

 この猫とは、実は生まれる前からの付き合いでした。
 1999年の夏が過ぎる頃、我が家の庭に黒白の雌の野良猫が現れまして。
 我が家は野良猫の餌付けはしませんが、来て庭でくつろぐ分にはウエルカムなのです。
 そして我が家の庭には隠れ場所になるような木や草の茂みも、軒下には雨を防いだり寝たりできる場所もあるので、野良猫にとって居心地が良いようです。
 庭に糞とかもされますけれど、やがて土に還りますし、されても「仕方ないなあ」くらいのもので。

 で、その雌の黒白の猫ですが、なつきはしないし触らせてもくれないのだけれど、よく玄関先まで来て、ドアを開けると家の中を覗き込んだりするようになりました。
 と言ってもただドアの向こうから覗くだけで、中には決して入っては来ないのですがね。

 そして翌2000年の春、その黒白の野良のお腹が大きくなりまして。
 それでも毎日我が家の庭に居て、大丈夫かと心配していました。
 しかし四月三十日には姿を見せず、翌日も来なくて、五月二日になってペタンコになったお腹でやって来ました。
 で、私は五月一日に子供を産んだものと推測しました。
 来なくなった四月三十日に産んだのかも知れませんが、五月一日の方がキリが良く覚えやすいですし。

 子猫は我が家ではなく、近所の空き地に積まれていた廃材の陰で産みました。
 そして約一ヶ月後、母猫は我が家に四匹の子猫を連れて来ました。
 野良ですから人には相変わらずなつかないままですが、我が家の庭は「危害を加えられない安全地帯」と心得たらしく、毎日のように我が家の庭で子猫たちを遊ばせたり、授乳をしたりしていました。

 手の上に乗るくらいの、フワフワの毛玉のような子猫たちを見れば、やはり「可愛い、撫でたい!」と思うじゃないですか。
 ですがそこは、野良の親から生まれた生粋の野良の子ですから。
 残念ながら、近付くと逃げてしまいまして。

 私が住む町内には、猫が大嫌いな人がいまして。
 その人はわざわざホームセンターから動物の捕獲器を買ってきて自宅の庭に設置し、野良でもどこかの飼い猫でも関係なく、外を自由に出歩く猫たちを餌でおびき寄せては、片端から捕まえて保健所に送って殺処分させていました。
「首輪をつけた猫だって、構わず保健所送りにしてやる」
 近所のその人は、何の罪の意識も無くそう豪語していました。

 その人に捕まってしまったのか、その年の夏頃、例の黒白の母猫は乳離れして間もない四匹の子らを残して、突然姿を消してしまいました。
 その後も四匹の子猫たちは、我が家の庭と軒先で、体を寄せ合って生きていました。
 でも相変わらず、我が家の人間にもなつかないままでしたが。
 私は何とか仲良くなろうとして、近くに寄ることはできるようになったのですが、それでも撫でようとすると逃げてしまうんですね。

 それがです、その夏の八月に私が旅行で数日間家を空け、そして帰ってみると、触らせてもくれなかった子猫たちのうちの二匹が、妙にすり寄って来るようになりまして。
 中でもそのうちの一匹は「足にすり寄る」のではなく、二本足で立ち上がるようにして両手を私の膝にかけるのです。
 以来、その子は私によくなついて甘えるようになりました。
 と言っても、ドアを開ければ家の中にまで入って来るようにはなったものの、そこは外で育った野良の子だけに、数分ですぐ兄弟たちのいる外に出たがりましたけれどね。
 だから私も「野良の子は野良か」と思っていて、うちの子にするつもりはあまり無かったのです。

 ところがその年の十月下旬のある寒い日にドアを開けると中に飛び込んで来て、人の膝に入ってそのまま居座ってしまったのです。
 中に入るとすぐ私の膝に乗って。
 そして夜も、最初の晩から何の躊躇いもなく私のベッドで一緒に寝て。
 それからそのまま、十七年以上ずっと一緒に過ごしてきました。
 本当に人懐っこい子で、毎日よく私の膝に乗り、寝る時もいつも一緒でした。
 その子が、もうこの世にはいなくなってしまいました。

 この病気だとわかった今年の一月の半ばに、動物病院の院長先生から「覚悟はしておいて下さい」と言われていたし、自分でもいろいろ調べて治ることのない、長くて数ヶ月の命だと理解もしていました。
 そして看病する間に、迫る死を充分過ぎるほど悲しみました。
 だから今は悲しいのはもちろんですが、それ以上に「大切な、自分の体の一部を無くしてしまったようなどうしようもない空虚感」がキツいです。

 猫が死んだのは自宅の、私の腕の中でした。
 猫が苦しげに息を吐き痙攣し、やがて力が抜けてぐんにゃりとするのを肌で感じました。
 そして猫を小動物用の棺に入れた後で、長くお世話になった動物病院に報告と挨拶に行った時、院長先生に「よく頑張りました」と言われました。

 我が家の猫は、本当によく頑張ってくれました。
 本当は病院が大嫌いなのに度重なる通院を我慢してくれて、虹の橋を渡るほんの数日前まで、ガリガリに痩せながらも普段と殆ど変わらぬ暮らしをしてくれました。
 死ぬ二日か三日前にはフラついて殆ど歩けなくなってしまいましたが、それでも頑張って自力でトイレに行こうとしました。
 死ぬ前日は全く歩けない状態でしたが、要求がある時には鳴いて人に教え、手で体を支えていればトイレも食事も水を飲むのも自力でやり抜きました。
 人にはとてもなつっこくておとなしかったけれど、本当に芯が強くて頑張り屋でした。

 だから私も、「この悲しみや空虚感に負けてはいけない」とは思うのですが。
 何を食べても美味しくないし、やる気が殆ど無くなって、何をしても楽しくないし、何もしなくないです。今は本当に、しなければならない最低限のことしかやれずにいます。
 ただ、猫の病気を宣告された後も、容態が悪くなっていつ命が尽きるかわからなくなった時も猫を膝に乗せて撫でつつ書き続けてきたこのブログだけは、何とか続けたいと思っております。
 今は気持ちが弱っていて、旅立った猫のことばかり思って溜息ばかりついているような状態なので、元々駄文だらけのブログがさらにつたないものになってしまうとは思いますが、どうかご容赦下さい。

 皆様が家族として迎えて慈しんでいる猫や犬などの健康と長寿を、心からお祈りいたします。

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