空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

「本当に悪い人などいない」という綺麗ごとを正気で言う馬鹿たちの罪

 この世の中では、悲惨な事件が次々に起きている。
 つい最近では、新幹線内で見知らぬ人に理由もなく切りつけて三人も殺傷した男がいた。
 そしてその前には、東京都目黒区で継父と実母が五歳の女の子を虐待死させた。
 目黒区での虐待事件では、犠牲になった僅か五歳の女の子が残した書き取り帳の、「もうおねがいゆるしてゆるしてくださいおねがいします」というひらがなの文章が多くの人の心を揺さぶっている。

 どちらの事件でも、犯人が許せない極悪人であることは間違いない。
 ただその次に筆者が憎んで嫌っているのは、こうした悲惨な事件が起きる度に、「こんな酷い事する人がいるなんて、信じられない!」と安易に言う人達である。

 信じろよ!
 認めろよ!
 ただムシャクシャしたからと見ず知らずの人達を殺傷する人間や、連れ子を虐待死させる継父やそれに手を貸す実母のような人間が、私達と同じ人間の中に、間違いなく存在しているのだ。
 鬼畜は私達と“同じ人間”の中に、間違いなくいる。
 その事はニュースで報道される事件を見ていれば、誰にだって容易にわかる筈だ。

 筆者はそう思うのだが、こうした事件を何度見聞きしても、残酷で悪い人が同じ人間の中に存在する現実を頑として認めようとしない人達がいる。
 そして彼らはお人好しな性善説は少しも変えずに、目黒区の五歳の少女の虐待死のような事件を見聞きする度、決まってこう繰り返す。
「こんな酷い事をする人がいるなんて、信じられない」

 話は少し横道にそれる。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。
 なぜ歴史に学ぶのが賢くて、経験に学ぶのは愚かなのか。
 それは歴史に比べ一個人の経験は、極めて限定的なものだからだ。

 例えば実際に戦場に行った元日本兵の殆どは、「戦争はこりごりだ、戦争は何があってももう二度としてはならない」と言う。
 そういう戦争体験者が多かったからこそ、あの憲法第九条も支持されたのだ。

 しかしそこで立ち止まり、立場を考えてみてもらいたい。
 日本に侵略されて戦った元中国兵や、パールハーバーを奇襲されて立ち上がった元アメリカ兵、そしてナチスに祖国を侵略されて戦った元ソ連兵らもまた、元日本兵と同じように「戦争はこりごりだ、戦争は何があってももう二度としてはならない」と思うだろうか。
 そう思うのは侵略した側の国の兵士であって、侵略されて戦った側の兵士は祖国の為に命をかけて戦ったことを誇りに思っている。

 同じ戦争でも、国や立場や状況が違えば感じ方も考え方も違う。
 だから同じ元アメリカ兵ですら、第二次世界大戦で大日本帝国やナチスドイツと戦った元アメリカ兵と、他国に軍事介入しベトナムやアフガンやイラクで戦った元アメリカ兵とでは、戦争に対する考え方や自分の行動に対する誇りの持ち方も違う。
 だがその現実が、物事を己の経験からしか判断しない愚者にはわからない。

 経験に学ぶのは愚かで、賢者は歴史に学ぶというのは、そういう意味なのだ。
 個人が経験できる事は少なく、その己のみの経験で物事を見ようとすると、視野がとても狭くなるし、判断に偏りも生じる。
 広い視野で物事を正しく捉えるには、他者の経験も知識として取り入れ、世の中で現実に起きた出来事を事実としてまず受け入れた上で総合的に判断することが必要だ。
 しかし世の中の多くの人は自己の経験にこだわり、自分の思いをまず優先して考える。

 筆者の好きな漫画家に、新井理恵さんという方がいる。
 その新井理恵さんが、『うまんが』という作品でこのような事を書いていた。
 辛い経験もして、いろいろありながら結果的に良い人になった人は、良い環境に生まれ良い人達に囲まれて育ち、そのまま真っ直ぐに良い人になった人に、生理的な嫌悪感を抱く……と。
 わかる。
 恵まれない環境で育ち、悪い奴にもたくさん出会い、他者から悪意も度々向けられてきた筆者には、その感覚、とてもよくわかる。
 良い環境で良い人に囲まれて真っ直ぐ育った良い人の何が嫌かと言うと、「世の中の汚い不都合な部分を見ようとせず、人間にも本当に悪い奴がいる現実を認めようとしない」ことだ。

 そんな彼ら“良い人たち”の口癖はこうだ。
「世の中に、本当に悪い人なんていないよ」
 そして彼らは目黒区の五歳の女児虐待死のような残虐な事件を見聞きする度にこう言う、「そんな酷い事をする人がいるなんて、信じられない」と。
 つまり彼ら“良い人たち”は、「信じられない」と言うことで残虐な鬼畜が同じ人間として存在する現実を受け入れるのを拒み、「世の中に悪い人はいない」という己の幼稚で甘々な人間観を必死に守っているわけだ。

 例の目黒区の五歳の女児虐待死事件だが、筆者は継父や実母に怒りを覚えたし、許せないと思った。
 だが「こんな酷い事をする人がいるなんて、信じられない」とは、全く思わなかった。
 筆者には、少なくとも信じられる。
 世の中の大半の親は我が子を愛しているし、継父や継母も多くは継子を可愛がっている。筆者の友人の継父も、継子である友人を大切にしていた。
 だが継子をイジメる継父や継母も間違いなくいるし、実の子ですら愛せない親が少数ながら確かに存在する現実もまた、筆者は知っている。
 ところが両親に可愛がられて幸せに育った人達の多くが、「我が子を可愛がらない親などいない」と固く信じてしまう。
 そしてまた児童相談所も同じ見地に立っていて、「虐待児も親元で育てるのが一番の幸せ」と考えている。
 だから酷い虐待をした親でも、その親が「反省しました、もう虐待しません」と言えば、親子関係が回復したとして子供をその親に返してしまう。

 現実を見ろよ、と筆者は声を大にして言いたい。
 しつけと称して連れ子を虐待する継父や継母、さらに我が子さえ虐待する実の親が、少数ながら間違いなく存在しているではないか。
「本当に悪い人などいない」だの、「子供を可愛く思わない親などいない」だのといった戯言は、まず現実を見てから言って欲しい。
 なのに“良い人”達は、まず「本当に悪い人や、子供を愛せない親はいないと思いたい」という自分の思いを最優先させ、その自分の思いとは反する現実から目を背けようとする
 だから現実が、世の中が良い方に変わらないのだ。

 児童相談所は、子供の虐待に関してまず親子関係の回復を目指そうとするが。
 そうではなく、連れ子が邪魔な継父や継母、我が子を愛せない実の親も間違いなく存在するのだという前提に立って行動すべきと、筆者は考える。
 虐待を受けている子供は、警察を介入させてでもすぐに親と切り離して施設で保護すべきだ。

 そもそも愛情とは、当人の心の中から自然に湧いてくるものだ。
 他人に「持て」と言われて持てるものではない。
 児相の職員や警官や親戚や周囲の人達に「貴方は親なんだから、自覚を持って可愛がって」と説教されたところで、それまで可愛いと思えなかった子供に愛情が湧いてくるものではないし、虐待やネグレクトが止むわけではない。
 だから「この親は、子供に愛情が持てない種類の親だ」と判断できたら積極的に施設で保護し、子供が欲しいが子供に恵まれなかった夫婦の許に養子に出すなどすべきではないか。

 確かに子供を保護する施設も万全ではなく、施設によっては収容された子供の間でのイジメもあると聞く。
 しかしそれでも、命にかかわるような酷い虐待をする親の許にいるよりは、まだましではないか。

 この目黒区の五歳の女児虐待死事件について、つるの剛士さんは「守ってあげることができなかった我々の方が本当にごめんなさい。そんな想いに駆られて胸が潰れそう」とツイートしているが。
 亡くなってしまった結愛ちゃんに「ごめんなさい」と言い、胸が潰れそうな思いを抱いても、それだけでは事態は何も変わらない。
 一方、エッセイストの犬山紙子さんは「♯児童虐待問題に取り組まない議員を私は支持しません」というハッシュタグを作り、このツイートは五万件以上拡散されたというが、こちらの方がはるかに現実的な対応だ。
 筆者も、次の選挙の時にはその候補者が児童虐待問題にどうかかわるつもりかも、注視したいと思う。

 これだけ悲惨で理不尽な事件や、児童虐待事件が起きている中でもまだ、「本当に悪い人などいない」だの「子供が可愛くない親などいない」などと綺麗事を言うのは、もう本当に止めて貰いたい。
 他人に同情心を持てない生まれながらに冷酷な人間は、少数ながら間違いなく存在する。
 その事実は、精神医学でも認められている。
 そして子供を可愛く思えない親が存在することもまた事実だ。
 善人ぶった綺麗事を言うのは止め、親子関係の回復などと眠たいことを言うよりまず虐待する親から子供を切り離して守ることを、児童相談所や警察、それに政治家や国に求めたい。

スポンサーサイト

PageTop

日大アメフト部の前監督らよりタチの悪い安倍総理とそのお仲間

 今、世間の話題は日大アメフト部の危険タックル問題に集中していて、危険行為を選手に強いた前監督と前コーチはさながら“国民の敵”といった存在になっている。
 何故みなが、日大の前監督と前コーチにこれだけ怒りをかき立てられているのか。
 ただパワハラで選手を追い詰め、危険な反則行為をさせたからだけではない。
 その事実が明白になっても白々しい嘘をつき続け、責任を選手に押しつけて言い逃れをしようとしている見苦しく不貞不貞しい態度のせいで、国民からより憎まれている。
 事件がマスコミで報じられたらすぐ、少なくとも日大の選手が記者会見をする前に自らの非を正直かつ率直に認め、「済みません、勝ちたい一心でやらせてしまいました。悪いのは全て自分で、選手に罪はありません」と詫びて、監督だけでなく常務理事等の日大に関する全ての職を辞していたら、これだけ皆から憎まれなかった筈と思うが、違うだろうか。

 この日大のアメフト部の監督やコーチと同様に、悪い事をしていながらバレても知らぬ存ぜぬで責任回避に終始し、事実が明らかになっても白々しい嘘をつき続けている輩が、この国の政界にいる
 もちろん、安倍首相と彼を忖度する政治家と官僚どものことである。
 日大アメフト部の前監督らの卑怯でずるい言動は、森友・加計問題に対する安倍首相とその一味の対応に似ている。
 多くの人がそう感じつつ、しかし現実には日大の前監督たちばかりが憎まれて叩かれ、安倍首相らに対する国民の怒りは大して盛り上がっていない。
 森友・加計問題に関する安倍首相とお仲間の嘘を証明する証拠が、次々に明らかにされているにもかかわらず。
 それどころか、「いつまでモリ・カケなどやってるんだ!」とウンザリ顔で言い、それどころか安倍首相とその周辺に批判を続けるマスコミや野党を責める輩まで出てきている。

 いつまでモリ・カケなどやっているのか。
 一年も続くこの疑惑に飽きてしまい、ウンザリ顔でそう言う人達は、はっきり言って馬鹿な愚民どもである。

 あのヒトラーは世紀の大悪党だったが、ヒトラーとナチ党を政権の座に押し上げたのは、当時のドイツ国民たちである。
 だからヒトラーとナチスの起こした戦争と残虐行為には、ドイツ国民にも責任の一端がある。
 それと同様に、今の政治が腐りきり、それでもその腐った政権が続いて特定秘密保護法や安保関連法など日本を戦前に戻すような悪法を数の力で次々に成立させた果てに、お友達の加計氏の学園の獣医学部も新設させてしまった事に対する責任は、ただ安倍首相とそのお仲間だけでなく、安倍政権を支持してその存続を許してきた日本国民にもある

「まだモリ・カケ問題なんかやってるのかよ」とウンザリ顔で言う国民は、記憶力と理解力の無い本物の馬鹿である。
 日大アメフト部の前監督や前コーチが、何故これだけ叩かれているのか。
 それは責任逃れの言い訳をしたすぐ後に、それは嘘だと証明する映像や証言が次々に出てきたからだ。
 だが森友・加計問題では、安倍首相やその取り巻きの政治家や官僚どもが白々しく不貞不貞しい嘘をつき通し、時には追求する野党に対し逆ギレして国会の審議時間を無駄に使わせ、一年もの月日を浪費させた。
 そして国民のうち記憶力に乏しく飽きっぽい層、平たく言えば“バカたち”がこの問題にウンザリした頃になりようやく首相とそのお仲間の嘘を証明する証拠が出てきた為に、多くの国民は怒るのを忘れ、「まだモリ・カケかよ」という反応になってしまっている

 想像してみてほしい。
 もし今の日大アメフト部の事件のように、森友・加計問題が国会で審議され始めてすぐ、去年の早いうちに首相らの嘘を裏付ける証拠が次々に出ていたら。
 何があっても安倍首相を支持する一部の経済人とウヨクを除く多くの国民が激怒し、おそらく政権は倒れていただろう。
 ところが事実が明らかになるまでに一年もの月日が経ってしまい、それでウヨクと性根の悪い経済人に加えて国民のうち忘れっぽくて飽きやすいIQの低めな層が、「いつまでモリ・カケなんかやってんだよ」と、批判をむしろ野党とマスコミに向ける有り様になっている

「いつまでモリ・カケなんかやってんだよ、国会の審議時間を無駄にして」
 そうウンザリ顔で言う人達は、よく考えてほしい。
 いつまでも森友・加計問題をやらせているのは、誰であるか。
 この一年、国会の審議時間を無駄に使わせてきたのは、誰であるか。

 それは間違いなく、白々しく不貞不貞しい嘘を言い続け、証拠を突きつけられても認めようとしない、安倍首相とそのお仲間ではないか。
 責任を下の者に転嫁し、証拠を突きつけられても図太く嘘を突き続け、黒を白と言い張り続ける安倍首相とその一味の森友・加計問題に対する態度は、日大アメフト部の前監督の態度とそっくり同じである。

 にもかかわらずウヨク達は、相変わらず安倍首相とそのお仲間を庇い続けている。
 初めのうちは、「安倍首相は悪くない、悪いのは一部の役人だ」と言い張って。
 そして後になって首相とその秘書官らが関与していた証拠が出て言い逃れしにくくなると、今度は「国家存亡がかかる国際情勢の中で、愚昧な安倍潰しをするのはヤメロ!」と逆ギレをする有り様だ。

 かつて、田中角栄という希代の政治家がいた。
 しかし彼は、ロッキード社から献金を受けたという疑惑の中、国民とマスコミの非難を浴びて首相を辞めざるを得なくなった。
 彼は何も、企業からカネを貰って悪代官のようにただ私腹を肥やしていたわけではない。
 彼は受け取ったカネは政治資金として使い、善悪はどうあれそれで政治を動かしていた。
 そして田中角栄氏がカネを受け取ったというロッキード社の関係者の証言に関しては、「反米というのではないが、アメリカに対しある程度距離をとり、自主独立で政治を動かそうとした為に、アメリカ政府に潰された」という疑いもある。
 それでも彼は首相を辞するだけでなく、逮捕され刑事被告人としても起訴された。
 それはカネの使い道やアメリカ政府の思惑はどうあれ、カネを受け取ったと証拠を突きつけられてしまったからだ。

 田中角栄のような大政治家でさえ、昔の国民は疑惑があれば辞任に追い込んだ。
 それに対し、今の日本国民はどうか。
 戦前の日本が大好きで、A級戦犯を「今の日本の繁栄の礎となった昭和殉難者」と褒め称え、日本を戦前に戻すような悪法を次々に強行採決して。
 都合が悪くなると妙に早口になり、すぐにキレて首相でありながら国会では盛んに野次を飛ばし、自分に批判的な国民まで「こんな人たち」と罵る有り様で、大人の風格はまるでなく、その言動は見るからに小者で。
 そして森友・加計問題ではあれだけ白々しく嘘をつき通しているのにもかかわらず、今の国民はこの安倍氏を首相の座から引き下ろそうとせずにいる。

 少なからぬ人が「他に適当な人が居ない、他よりマシだから」と消極的に現政権を支持しているが。
 筆者はむしろ、安倍氏より首相にふさわしくない政治家を、同じ自民党の有力議員たちの中からですら、探す方が難しいくらいだと思っている。
 自民党には岸田氏も石破氏も野田聖子氏もいるし、そしてまだ若い小泉氏でも、少なくとも安倍首相とその一味どもよりはマシだ。
 なのにこれだけボロが出ていて醜態を曝している安倍政権を、多くの国民が「他に適当な人がいないから」と倒そうとせずにいる国民の心情が、筆者にはまるで理解できない。

 繰り返すが、日大アメフト部の問題には皆が怒り、前監督に対しては「日大の常任理事も辞めろ!」と求めているのに、首相とその関係者の白々しい嘘を証明する新証拠が次々に出てきても、安倍首相に対してはあまり怒らず退陣も求めず、それどころか「まだモリ・カケかよ!」とマスコミや野党を責めたりもする国民の気持ちが、同じ日本国民である筆者にはまるで理解できない。

PageTop

LINEで国政を動かす、この国の与党政治家と官僚の危機意識の低さ!

 前回のアメリカ大統領選では、大方の予想を覆してほぼ泡沫候補に近かったトランプ氏が、民主党のヒラリー・クリントン氏を破って当選した。
 その選挙戦で、クリントン氏が叩かれた大きな理由の一つに、「公務に私用アドレスのメールを使った」という、セキュリティに対する考え方の甘さがあった。
 国家機密にかかわる政治家や官僚は、パソコンであれスマホであれ、公務に私用アドレスを使用しては絶対にいけない。
 そしてそれが原因で、有力候補が大統領選で落選する事さえある。
 それくらいアメリカでは、情報漏れに対する警戒感が強い。

 それに比べて、我が日本ではどうか。
 驚くなかれ、副大臣を含めた多くの与党議員や官僚らが、私用アドレスを使うどころか、LINEで頻繁に公務に関する意見のやり取りをしているのだ。

 日本のLINEの親会社は韓国の企業で、そのサーバーも韓国にある
 LINEの信者達は「LINEは日本の会社だ!」と言い張るが、それは「日本マクドナルドは、アメリカでなく日本の企業だ!」と言い張るくらい愚かな、LINEびいきによる“贔屓の引き倒し”である。
 繰り返すが、LINEのサーバーは韓国にある。
 だから韓国政府や情報機関がその気になれば、データをチェックすることも可能なのだ。

 韓国では、反日感情が今なお強い。
 その韓国で、韓国政府に「日本の政治家や官僚の対韓政策など、日本の国家機密に関する情報を提供して欲しい」と求められたら、韓国企業であるLINEの親会社はそれを断固拒否し、日本の国家機密と国益を守ってくれるだろうか。
 韓国政府に「日本企業の機密に関する情報を提供して欲しい」と求められたら、LINEの親会社はそれを断固拒否し、日本企業の機密情報と利益を守ってくれるだろうか。
 少なくとも筆者はLINEという会社をそこまで信用できないし、「韓国政府が、自国の通信会社にそんな要求をするわけがない」とも思えない。
 韓国政府と韓国企業と韓国人が、韓国の国益より日本の国家や企業の利益を優先してくれるとは、少なくとも筆者にはとても信じられない。

 筆者は別に韓国嫌いでもないし、韓国だけを敵視するつもりもない。
 しかしLINEが外国の企業であり、LINEをする者は自らの通信内容の秘密の管理を外国企業にそっくり委ねているという事もまた、誰にも否定できない事実である。

 だから情報管理に対する意識の高い人は、LINEでのやり取りは飲み会の打ち合わせとか、「今、何してるー?」などの下らなく大して意味の無いものに限っている。
 国家や企業の機密であれ、私的な秘密であれ、「他人に知られたら困ることは、LINEではやり取りしない」というのは半ば常識だ。
 少なくとも筆者は、そう思っていた。

 ところが我が国の政治家や官僚たちはその危機意識が皆無に近く、LINEを盲信し、LINEを愛用し公務にも使用しているのだ。
 昨年、安倍政権で副内閣相を務めた福田峰之氏によると、副内閣相だった頃、「約30人の官僚、他省庁の副大臣、与党議員らとLINE上に複数のグループを作って」いて、「官僚や政治家らとの連絡には私有スマートフォンを使い、LINEでやり取りすることが多かった」そうである。
 福田元副内閣相は、LINEで他の副大臣や議員と「この案件、どう思う?」と意見交換し、官僚には外出先から指示を出して報告も受け、必要な資料も添付して送らせ、多い日には数十件のメッセージをやり取りしていたと、この5月12日の毎日新聞の『論点』に寄稿している。

 福田元副内閣相はその中で「今やスマホで政治が動く時代」だと言い、LINEについても「セキュリティーのレベルも公用メールと大差ない」と言い切っている。
 本当にそうだろうか。
 日本の通信会社の公用メールと、韓国企業でサーバーも韓国にあるLINEと、本当に「セキュリティーのレベルも大差ない」のだろうか。
 少なくとも筆者にはそうは思えないが、日本の政治家や官僚の情報管理に対する危機意識は筆者とは違うようだ。

 少なくともアメリカの政治家や官僚は、自国の通信会社の機密保持すら信用していない。
 だから公務には特別にセキュリティー対策を施されたパソコン等で専用の公用メールアドレスを使い、公務に私用メールを使ったクリントン氏は大統領選で手酷く叩かれた。
 公務の連絡は、特に国益にかかわる事は、必ずセキュリティーを厳重に施された公用メールアドレスを使って行う。
 それが国益を最優先に考え機密保持を大切にする政治家や官僚の常識ではないかと、筆者は考える。

 しかし日本の副大臣らや議員らや官僚たちは、どうやらそうは思っていないようだ。
 私用のアドレスやLINEを平気で使い、それで国政を動かしているのだから、呆れるというより恐ろしい。

 北朝鮮の問題から慰安婦の問題まで、我が国が韓国政府とどう交渉するべきかを、日本の政治家や官僚たちは韓国企業のLINEで韓国のサーバーを通して相談し合っている。
 これはブラックジョークでも何でもなく、まさに今の日本の政治家と官僚の現実なのだ。
 日本人のLINE中毒は、ここまできている。

 前出の福田元副内閣相は、他の政治家(他省庁の副大臣も含む)や官僚との連絡に一度も公用アドレスのメールを使わず、LINEを多用していた理由について、「現場視察や党との協議などの仕事で外を飛び回っているのに、公用メールは副大臣室備え付けの官用パソコンを開かないと送受信できないから」と述べていた。
 そして「公用携帯電話の貸与もなかった」から私有のスマホでLINEでやり取りした、とも。

 しかしもしそれを不便に思うなら、福田氏は副内閣相という地位にあったのだから、自ら先頭に立ち、セキュリティーを施したスマホと公用アドレスを、機密情報を扱う閣僚と高級官僚に配布してほしいと訴えるべきではなかったか。
 だが福田元副内閣相はそうはせず、私有のスマホを使い、LINEで国家機密を他の政治家や官僚とやり取りし合った。
 繰り返すが、これが日本の政治を動かしている政治家と官僚と、機密保持に対する意識レベルなのである。

 安倍首相ら改憲論者たちは、改憲に反対する人たちやいわゆる“戦後レジーム”を変えたくない者を「押しつけられた憲法による平和ボケ」と罵るが。
 その“平和ボケ”していない筈の、少なからぬ与党議員が平気でLINEで政策を語り、国政を動かしている現状を、どう考えたら良いのだろうか。
 少なくともアメリカでは、政府の要人が私用メールを公務で使っただけで「情報漏れに対する危機意識が無い」と叩かれる。
 安倍政権は自衛隊を憲法に書き込むことに躍起になる前に、まず自国の政府の政治家や官僚たちの、情報管理に対する意識の低さを何とかすべきではないか。
 閣僚が政治家や官僚とLINEで「この案件、どうする?」とやり取りし合い、LINEで国政を動かしている有り様で、どう国家機密を守り、どう国益を守れるのか。
 自衛隊を憲法に書き込む前に。
 まず国政に関与する政治家と官僚に、厳重なセキュリティーを施したパソコンとスマホと公用アドレスを貸与し、公務での私用アドレスやLINEの使用は厳禁した方が余程も国を守る事になるし国益にもかなう
と、筆者は信じる。
 閣僚や政治家や官僚がLINEで国政を動かしている現状で、「まず改憲し自衛隊を憲法に書き込むのが国防につながる」とは、本当に笑わせる。

PageTop

愛する猫や犬の命を、貴方は加計学園を出た獣医に託せますか?

 このブログで何度か触れたが、先日、18年近く共に暮らしてきた猫を亡くした。
 その悲しさと虚しさは、言葉では言い表せない。

 猫や犬にかかわらず、愛して長年一緒に過ごしたペットを亡くしてしまうと、その悲しみに押し潰され、「こんな辛い思いは二度としなくないから、もうペットは飼わない」と言う人達がいる。
 だが筆者は違う。
 世の中には、人の助けを必要としている、飼い主がいない猫や犬たちがたくさんいる。
 だから筆者は愛して可愛がってきた猫を亡くしては悲嘆にくれてひどく落ち込み、しかしその悲しみを乗り越えてまた新しい猫を家に迎えてきた。

 共に暮らした前の猫の事は、決して忘れない。
 ただ「前の猫に悪いし、もうこんな思いをしたくないから」と猫と暮らすのを止めてしまうより、また別の助けが必要な猫を迎えることの方が、もっと大切だと思う。
 そんなわけで、筆者は猫は決して品種や血統にこだわらず、絶対にショップ等でお金で買わず、縁があって助けを求めてきた猫だけを家に迎え入れてきた。
 品種や血統で猫を選んで金で買って来るのは、人柄でなく容姿と家柄で相手を選び持参金を積んで結婚するようなものだと、筆者は思っている。
 我が家で筆者と共に暮らした猫たちは全て元は野良猫で、先日亡くなった猫は我が家に迎えたその三代目だった。

 それだけに、獣医さんとの付き合いも長くなる。
 初めて我が家に迎えた猫が10歳になる手前まで生き、次の子が白血病で4歳で逝き、そして先日虹の橋を渡った猫が18歳になる直前まで生きた。
 その、猫を亡くしてから次の猫を迎えるまでに空いた期間を考えると、筆者とかかりつけの獣医さんとの付き合いは、既に三十年を越える。

 人間を診る医者もヤブから名医までいろいろだが、患者である動物は口がきけないだけに、獣医の善し悪しはもっといろいろだ。
 その点、筆者は幸運だった。
 筆者がその小さな動物病院に通うようになったのは、ただ「我が家から一番近かった」という理由だった。
 だがその先生は腕が良い上に、人柄もとても温かかった。
 後で知ったのだが、その先生は動物園で獣医として働いた後で、小さな動物病院を開いたのだった。
 その先生は、広告や宣伝は一切しなかったのだが、評判が口コミで広がり、動物病院は診察の順番を待つ人と犬と猫でいつもいっぱいだった。
 それで動物病院を大きく建て直し、スタッフも増やし、獣医さんももう一人加わった。

 病院は大きくなったが、院長先生は決して儲け主義ではなかった。
 何しろ動物の医療費は全額自己負担だから、人間の医療より高額の治療費を請求されるのが当たり前になっている。
 そして(民間のペット用の医療保険はあっても)国による保険制度は無いから、治療費を幾ら請求するかは「その獣医さん次第」という面もある。

 で、先日虹の橋を渡った我が家の猫は18年近く生きたわけだから、その間にはいろいろあった。
 病気や怪我で何度も動物病院のお世話になったし、5年前には皮膚癌の大きな手術もした。
 まず心配なのは「無事に治ってくれるか」だが、ペットの医療費が高いことも知っているから、病気の原因や治療法や予後についてだけでなく、治療費についてもネットで調べた。
 だがネットにある他の獣医さんのブログに掲載されていた治療費より、筆者が通っている動物病院で請求される料金はいつも安かった。
 日帰りの検査や治療なら数千円単位で、入院が必要な手術なら何万円単位で安かった。
 しかも治療の腕は確かで、我が家の猫は13歳という高齢で皮膚癌の大きな手術を受けたのだが、その数日後には元気に普段通りの暮らしが出来るくらいに回復していたし、手術の縫い目も驚くほど綺麗だった。

 また、院長先生はその動物病院に通っていて亡くなった動物の供養祭を、近くのお寺で毎年一回、飼い主たちを招いて必ず行っている。
 供養の費用はすべて院長先生が負担して、その動物病院に通っていた飼い主たちからの香典は固辞して一円も出させない。
 その動物病院の供養祭には、毎年百人を優に越す人達が参加している。

 腕は確かで動物への思いも篤く、しかも治療費も相場より安い。
 こんな素晴らしい獣医さんと出合えて、筆者はとても幸運だった。
 だが筆者がその動物病院に通い始めてもう三十数年の付き合いになるだけに、先生もそれなりのお年になった。
 激務が体に堪えるようになったのか、昨年、診療時間も一時間短く変更された。

 猫を亡くした悲しみが癒え、そして虹の橋を渡った猫が「充分悲しんでくれたから、もう良いよ」と言ってくれたら、筆者は救いの手が必要な猫をいずれまた我が家に迎えてしまうような気がする。
 ただ、新しい猫を迎えるとなると、気懸かりなのは「今の獣医さんが、いつまで動物病院を続けてくれるか」である。
 猫は15年くらいは普通に生きるし、中には20年以上生きてくれる猫もいる。
 そしてそのあと20年間、筆者がお世話になっている今の獣医さんが現役で働き続けてくれるか、実に不安である。
 もし筆者がまた次の猫を我が家に迎えることになったら、その猫の生涯の半ばで今の獣医さんが引退してしまい、新しい獣医さんを探さねばならなくなる可能性が高そうだ。

 今の獣医さんにはいつまでも現役でいて欲しいし、動物病院も変えたくない。
 しかし獣医さんも鉄人ではないのだから、あまり無理も言えまい。
 広島カープの“鉄人”衣笠さんでさえ、寿命には勝てなかった。
 だからもしまた新しい猫を迎えるとしたら、途中で別の獣医さんを探さねばならなくなるだろう。

 そこで心配なのが、加計学園(岡山理科大)のことだ。
 いろいろ問題はありながら、加計学園の獣医学部はとうとう開学してしまった。
 だから数年後には、加計学園で学んだ獣医が世間に出て来るわけだ。
 そして筆者は、加計学園を卒業した獣医には、愛する猫の治療を絶対に任せたくない。

 獣医学部の新設について、獣医師会は「獣医の数は足りている」と言っている。
 筆者の家の近くにも動物病院は幾つもあるし、獣医師会の見解は事実だと思う。
 そんな中で“首相案件”として疑惑だらけの中で強引に新設された、安倍首相のオトモダチが経営する学園の獣医学部に進んで入りたいなどという人が、どんな人間であるか。
 嘘つきの首相に、マスコミから逃げ隠れして疑惑に全く答えない理事長。
 そんな人達がかかわる学園に「行きたい!」と志願する人を、少なくとも筆者は獣医師としてだけでなく、まず人としても尊敬できない。


 何しろ疑惑だらけの加計学園の獣医学部だから、他の大学の獣医学部より偏差値も間違いなく低い。
 で、学力が足りないくせに獣医になりたい人が、「このアタマでも獣医になれるかも」と受験しているのだろうが。
 それとも疑惑を何とも思わない、アベ政治と戦前の日本が大好きな右翼の国家主義者か。
 バカか右翼かどちらにしろ、加計学園で学んだような獣医師に、ものを言えない愛する動物の命を信頼して託すことなど、少なくとも筆者はとてもできない。

 筆者は運良く、本当に動物が好きで獣医になった先生と巡り会えたが。
 しかし悲しいことだが、獣医師の中にはビジネスと考えて動物病院を経営している人が間違いなく存在する。
 人間並みの高度な医療機器を備えるのは結構だが、そうした高額な医療機器の代金を支払うには、それを積極的に使って検査や治療をバンバンやらざるを得ない。
 そして動物病院の治療費は「その病院次第」という面が強くて、同じ検査や治療や手術でも、病院によってかなり違うことは、前に書いた通りである。

 筆者が通っている動物病院は、宣伝は一切せずに口コミだけで病気の犬猫を連れた人がたくさん集まっているが。
 しかし動物病院には、宣伝を積極的にしている病院がある。
 ただ宣伝の看板だけならともかく、テレビCMを流している動物病院もある
 テレビCMを流すのに、いったいどれだけの金がかかるか。
 そしてその高額な宣伝費は、治療費に上乗せされるのだ。
 だから筆者は宣伝に熱心な動物病院には、特にテレビCMを流すような所には絶対に行くまいと決めている。
 そしてこれからはただそれだけでなく、その獣医の出身校も調べ、加計学園(岡山理科大)の卒業者は避けねばなるまいと、心から思った。

 これからは、愛する猫や犬の病気を治療するにはまず獣医師の出身校から調べなければならない。
 面倒だが、加計学園の獣医師には絶対に愛する猫を任せたくないから、必ずそれもチェックするつもりでいる筆者である。

PageTop

日本を侵食するLINE中毒の害悪

 これはあくまでも、筆者の個人的な好みの問題なのだが。
 筆者は多くの日本人が夢中になっているLINEというやつが、心底嫌いだ。
 誰に勧められても、断固としてやっていない。

 世の皆がやっているLINEを、筆者はなぜ嫌いなのか。
 それはズバリ、筆者は「一人でいる事に耐えられない、常に誰かと繋がっていたい寂しん坊」ではないからだ。
 というより逆に、仕事でも趣味でも物事は何でも集中して没頭したい人間で、むしろ「一人の時間を充分に持てないと耐えられない」のだ。

 いや、別に「家族も友人も要らない」というわけではない。
 家族との団欒や友人との交流は、それはそれでちゃんと楽しんでいる。
 ただ読書や映画鑑賞や音楽鑑賞など、趣味に一人で取り組める時間がどうしても欲しいのだ。
 そうした大切な自分の時間を、LINEの頻繁な着信に妨げられるのは大迷惑だ。

 それはもちろん、「家族に起きた困り事や友人の悩み事より、自分の時間の方が大事」とは言わない。
 家族や友人の重大事には、趣味はもちろん、場合によっては仕事も放り出して対応する。
 ただLINEで伝えられる事の大半は、「どうでもいい、下らない事」だ。
「今、何してるー?」とか。
「夕食は××でステーキ食った、めちゃウマ!」のような。
 そんなどうでもイイ事で、着信音を鳴らして貴重な一人の時間を邪魔して欲しくないのだ。
 増してや仕事中の大して意味のないLINEは、心の底から鬱陶しい。

 と言うと、「設定を変えて着信音を鳴らないようにすればいい」と説明されるが。
 しかし着信音を消して趣味や仕事に没頭していると、溜まった大量の着信の処理に後で悩まされる事になる。
 大して意味の無いメッセージへの返事に少なからぬ手間と時間を取らされてしまう現実については、いずれにしろ同じなのだ。

 また、LINEは既読のサインがつくから厄介だ。
 趣味や仕事に没頭している時の、無駄話レベルの意味の無い内容の着信への返信を後回しにしていると、「既読スルー」と非難される。
 その既読スルーが嫌だからと、読まずに放っておいてもまた、LINE中毒患者には責められるのだから手の打ちようがない。

 そして近頃では多くの企業や商店がLINEを利用し始めていて、広告メッセージをやたらに送りつけてくる。
 それで仕事や趣味の時間を妨げる、LINEの無意味なメッセージの着信は増えて行く一方だ。

 人には、大きく分けて二通りがあって。
 意味の無い無駄話の類のお喋りが好きで、一人で静かにしている事が耐えられない寂しがりと。
 人と喋る時は何か意味や中身のある事が多く、仕事も皆とワイワイやるより一人で集中してやる方が得意で、オフでも一人で過ごす時間を大切にしている人と。
 前者の「一人で過ごすのが苦手で、常に誰かと繋がっていたい人」には、LINEはこの上なくステキなアプリなのだが。
 後者の、筆者のような何かを集中してやる一人の時間を大切にしている者にとっては、LINEは「この上なくウザくて鬱陶しいもの」でしかない。

 いや、筆者は個人的にLINEは大嫌いだが、「LINE大好き、これが無いと寂しくて生きて行けない!」という人が少なからずいる現実も、ちゃんと理解している。
 だからLINEは、「好きな人がやり、LINEに向かない性格の人達は放っておいてほしい」と思っている。
 LINEをやるかどうかは、あくまでもその人の自由だ。
「皆がやっているのだから、オマエもやれ!」と押しつけて良いものではないと、筆者は考える。
 だがLINE好きのLINE信者達は、その「LINEをやらない自由」を決して認めてくれない。
「皆がやっているのだから、オマエもやれ! でないと連絡に不便だ!!」と言い立てて責める。
 それでもLINEをやる事を拒むと、友達の輪から外され、疎遠にされてしまったりする。

 LINEをやる事を拒んだくらいで疎遠になってしまうような人など、そもそも親しくなる価値も無い下らない輩なのだが。
 それでも「LINEをやる、やらない」で人間関係まで損なわれてしまう現実が、筆者には非常に残念でかつ嘆かわしく思える。

 LINE信者達は、「LINEは日本の会社だ!」とあくまでも言い張る。
 しかし親会社は韓国の企業で、LINEのサーバーも韓国に存在する現実は、誰にも否定できない。
 韓国政府や情報機関がその気になれば、データをチェックすることもできるのではないか。
 仮に国家の機密を知り得る立場にある官僚や、先端企業の情報を知り得る立場にある者が、もしLINEでプライベートなやり取りをしていたら。
 そしてそれが不倫などの、人に知られては困る内容だったとしたら。
「その事をバラされたくなかったら、言うことを聞け」
 そう脅迫する者が、絶対に現れないとは言い切れない。
 そこまで言わないまでも、LINEをする者は自らの通信内容の管理を外国企業にそっくり委ねているわけだ。

 だから情報をきちんと管理している人は、LINEでのやり取りは飲み会の打ち合わせとか、「今、何してるー?」などの下らなく大して意味の無いものに限っている。
 国家や会社の機密であれ、私的な秘密であれ、「他人に知られたら困ることは、LINEではやり取りしない」というのは半ば常識だ。
 少なくとも筆者は、そう思っていた。
 しかしそんなLINEを、ビジネスに利用している企業が増えている。
 筆者が利用しているショップの少なからずが、顧客とのやり取りにLINEを利用し始めている。

 筆者は長年、フレンドリーというガソリンスタンドのカード会員になり、ガソリンの給油をするだけでなく、冬場には灯油もそこで買っていた。
 しかしそのフレンドリーはただLINEを利用するようになっただけでなく、カード会員との連絡はLINEのみにして、LINEをやらない顧客はカード会員から排除した。
 LINEをする者のみ会員として認めるが、LINEをやらない客は高い値段でガソリンや灯油を買って貰いますよ、ということだ。
 筆者は長年、そのガソリンスタンドを使い続けてきたのだが。
 しかしそのフレンドリーというガソリンスタンドは、LINEをやらない筆者をお得意様から外してカード会員の資格を一方的に剥奪した。
 だから筆者は今後一切、そのフレンドリーを利用するまいと固く決意した。

 繰り返すが、LINEについて筆者は「やりたい人はやり、やりたくない人はしなければ良い」と思っている。
 しかし現実には、一人ではいられない寂しい人が多く、しかも同調圧力が強くて「数の多い方が正義」というこの国では、LINEをしない者は変人として排除されつつある

 現在の日本で、LINEをやらない自由は「ない」とまでは言わないが。
 あえてLINEをやらないで通している筆者には「LINEをやれ!」という圧力があちこちからかかり、それを拒んでいる為に仲間外れにされたり、「連絡が取りにくくて不便だ」と嫌味を言われたりしているのが現実だ。
 まあ、メールや電話での連絡すら「不便だ」と言うような人間とのお付き合いは、「こちらからお断りだ!」と言いたいところだが。
 それが上司や取引先などの上の立場の人だと、あからさまにそうも言えないのが辛い。

 筆者が大学生の頃、筆者には同じ学科に十人くらいの遊び仲間がいた。
 しかしその遊び仲間は、大学二年の終わり頃に分裂した。
 その原因は、仲間達のリーダー格の、二浪していた為に年長で、しかもいろいろ遊び慣れてもいたイトーという男が、仲間達に麻雀をさせようとした事だった。

 はっきり言うが、筆者は麻雀は嫌いだ。
 理由は簡単だ。
 何故なら「四人揃わないと出来ない」からだ。

 麻雀は、ゲームとしては面白いと思う。
 しかし例の「四人揃わないと……」という宿命ゆえ、一旦その仲間に加わるとメンバーが固定しがちになり、「やろうぜ!」と声をかけられた時に断りにくくなる。
 四人揃わないと出来ないから、メンバーに加わってしまうと抜けにくくなるし、誘う方の誘い方もしつこくなりがちだ。
 その麻雀のベタベタ、ズルズルの人間関係が、筆者はとても嫌なのだ。

 筆者は大学では歴史を学んだが、歴史は実は筆者が二番目に学びたかった事だ。
 実は筆者は、写真の道を究めたかった。
 だから本当は、大学もその方面に進みたかった。
 しかしその芸術学部写真学科は、学費がとても高かった。
 そして我が家には、その学費を出せるような金はとても無かった。
 で、筆者はまず学費で大学を選び、そして大学では写真の次に好きだった歴史を学んだ。
 その傍ら、いろいろなアルバイトをしてお金を稼ぎ、そして写真を撮った。
 大学の講義が済んだらダラダラ麻雀を打っている暇など、とても無かったのだ。
 筆者には、やりたい事があったから。
 講義の後で麻雀をして飲み会をして……という時間とお金の使い方など、本当に無駄としか思えなかった。
 だから筆者は、その遊び仲間から外された。
 同時に、麻雀と酒で繋がるような腐れ縁的なベタベタした付き合いをしたがらなかった他の二人も、遊び仲間から外された。
 そして残った“麻雀組”の結束はより固くなり、学内でも外でも常に一緒に過ごしていた。

 筆者はただリーダーに勧められた麻雀をしなかっただけで、仲間が悩んでいた時には相談にも乗ったし、決して仲間から距離を置いたつもりはなかった。
 自分のやりたい事(バイトをして写真を撮る)をしつつ、大学で会えば話もしてコミュニケーションもとったし、仲間に助けが必要な時にはちゃんと手も貸した。
 それでも「皆が始めた麻雀をやらなかった」というだけで、仲間から外されてしまった。

 今の日本の、LINEをしない者は排除される風潮を肌で感じつつ。
 筆者は大学時代に、麻雀をやるのを断ったが為に仲間外れにされた時のことを、鮮やかに思い出した。

 この国では、数こそ正義なのだ。
 良い悪いでなく、個人の都合や事情も関係なく、とにかく皆がやるものをやらない者は排除され、仲間外れにされる
「オマエもLINEをヤレ!」
 筆者も幾度となくそう求められ、拒むと距離を置かれた。
 今やガソリンスタンドのような店でさえ長年の顧客にもLINEをやる事を求め、それを拒んだ筆者はカード会員から除名される始末だ。
 そのガソリンスタンドの名前が“フレンドリー”だというのが、実に皮肉だ。
 LINEをやる人とやらない人が共存するのではなく、LINEをやらない人が排除され、商品もより高い値段で買わされる時代に、本当になっている。

 今は、一日ずっと暇さえあればスマホをいじっている人が少なくない。
 ゲームをしている人もいるが、そのスマホ中毒のような人達の大半がやっているのはLINEだ。
 自分の時間の大半をLINEでの「今、何してるー?」程度の、無駄話レベルのやりとりに費やして何が楽しいのだろうと、時間を忘れて没頭したい趣味を複数持つ筆者は思ってしまう。

 LINEをグループでやり、一日中ずっと誰かとやりとりしていれば、一人で居ても「誰かと繋がっているんだ!」という感覚を持てて寂しくならずに済むのだろうが。
 だが人は、皆がいつも誰かと繋がっていたいわけではない。
 熱中できる仕事や趣味を持っている者は一人でも決して寂しくなく、そんな者にとってはLINEに費やされる時間は無駄としか思えないのだということを、日本に多くいるライン中毒の方々に、どうかご理解いただきたいものだ。

 熱中できるものが無くて寂しい人には、LINEは有り難いものだろうが。
 若い人にはいつもスマホを片手に持ち、それこそ朝から寝る前まで、食事中も、人と会っている時にも誰かとLINEを続けている失礼で非常識な人がいる。
 本当に世の中の皆が一日中LINEばかりするようになったら、日本人はバカになるのではないかと、筆者は危惧している。

 人とコミュニケーションを取るのに、何で直に会うのでも、電話で話すのでも、メールでさえもなく、LINEでないと駄目なのか。
 それが筆者にはさっぱりわからないし、大して意味の無い無駄に近いやり取りを暇さえあれば続けていることを「時間の無駄」と感じない理由が、正直に言って筆者には理解できないでいる。

PageTop

安倍晋三以外にも、首相を務められる人材はこの国に幾らでもいる!

 安倍政権下で、道徳が学校の正式な教科となった。
 人がどうあるべきかや善悪の判断を、国の検閲を合格した教科書で教え、そして成績を学校や教師が評価するらしい。

 価値観やものの考え方は人それぞれであり、多様性が重視されている現在、国が決めた道徳を皆に一律に押しつけ、そして成績を評価するなど、時代に逆行するナンセンスな行為だと筆者は思うが、皆さんはどう思われるか。

 今は治安は悪い。
 昔は良かった。
 多くの人がそう思い、そしてその中の少なからぬ人達はこう信じている。
「今は個人の自由ばかり重んじて、昔のように修身を学校で教育しないから日本が駄目になったのだ」

 現実に数字で見れば、犯罪は、特に凶悪犯罪は修身を皆に教え込んでいた戦前や、道徳が教科で無かった時代よりも明らかに減っているのだが。
 しかし政権の座にある人達も「修身や教育勅語や道徳がしっかり教えられないせいで、戦後の個人主義で自由主義的な教育で社会が悪くなった」と考えている。そして時代に逆行して修身や教育勅語を評価する日本会議のお仲間の政治家たちは、愛国心を含む道徳を正式な教科として学校で子供達に教えさせることを決めた。

 官僚の人事権を内閣人事局で一手に握り、官僚に忖度を強要し森友や加計の問題など尽きない深い疑惑を抱えているあの安倍政権が、国民には道徳を学ぶことを強要し、そして成績をつけて評価もしようというのである。
 これはギャグか。
 ブラック・ジョークにしても、とても笑えぬ。

 孔子とその弟子の問答を収録した書で、大名や武士など日本のかつての指導者らも学んできた論語に、道徳についてこう書いてある

 君子はこれを己に求む。
 小人はこれを人に求む。


 その道徳を学校の正式な教科にさせた安倍総理が“君子”であるか“小人”であるか、安倍氏を「アベちゃん」と慕って褒め上げる一部の人達以外の、理性と知性のある人にはすぐにわかる筈だ。

 新年度が始まり、全国の公官庁や企業で多くの新人を迎え、新任式や入社式が行われたが。
 この四月四日、国家公務員合同初任研修の開講式に出席した安倍総理は、新たに採用された公務員らにこう訓示した。

「高い倫理観の下、細心の心持ちで仕事に臨んでほしい」

 オマエが言うな!
 即座にそうツッコミを入れたくなったのは、おそらく筆者だけではなかろう。

 まだ充分な思考力や判断力も無い幼い子供に教育勅語を暗唱させ、軍歌を歌わせ、「安倍首相がんばれ、エイエイオー!」と叫ばせる学園の教育方針に賛同し、妻をその学園の名誉校長にさせたくせに。
 そしてその学園に、異様に安い値で国有地を払い下げたくせに。
 その事が問題になるとすべての罪を学園の理事長と役人達に押しつけ、自分と妻だけは知らぬ顔をして逃げ切ろうとする。
 その森友の籠池理事長について、かつては教育方針等を誉めていたくせに、問題が明らかになると一転して「しつこい人」と貶める。
 この安倍総理の、どこに「高い倫理観」があるか。
 どこに道徳教育を語る資格があるか。


 道徳心も倫理観も無い破廉恥な右翼政治家のくせに、他人にはそれを強く求める。
 厚顔無恥としか言いようのない、本当に戦後最低最悪の政治家が今の日本を統治している。


 にもかかわらず、森友や加計の疑惑がこれだけ明らかになっても安倍総理の支持率がまだ三割以上もある最大の理由は、世論調査によると「他にふさわしい人がいないから」だそうだ。
 本当にそうなのか?
 日本という国には、そんなに人材がいないのか?

 かつての民主党政権と比べて、「鳩山氏よりマシ」と言いたくなるのも、わからないでもない。
 筆者個人は「安倍などより、鳩山の方がまだマシ」と思うが、そこは人それぞれであろう。
 しかしただかつての民主党と比較するでなく、自民党の中もよく見ていただきたい。
 自民党の中にも、本当に安倍総理よりマシな人はいないと言うのか?
 小泉進次郎氏でも石破氏でも岸田氏でも、安倍氏よりマシな人はいくらでもいる。
 むしろ“安倍氏とそのお仲間”よりマシでない人を探す方が難しいくらいだ。

 困った時には北朝鮮、という言葉をご存知か。
 北朝鮮がミサイルを撃ち、その脅威が強まれば強まるほど、右翼政治家で国家主義者で北朝鮮や中国には強硬姿勢の安倍氏の支持率が上がる

 ここでナチス政権のナンバー2のヘルマン・ゲーリングが、戦後にニュルンベルグでインタビューに答えて語った言葉を紹介しよう。
 ゲーリングは民主主義の国でも国民を戦争に向かわせる事は可能だと言い切り、その方法をこう説明した。

 国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。この方法はどの国でも同じように通用するものだ。


 だから安倍総理は北朝鮮や中国の脅威を、ことさらに言い立て、強硬姿勢で自らをアピールする。
 そして安倍氏を熱烈に支持する人達は、平和と対話を求める人達を反日で売国の非国民と貶め、「北朝鮮の脅威に対抗できるのは、安倍さんしかいない」と言い切る。

 だが現実を見てみよう。
 安倍総理とそのお仲間と支持者達が北朝鮮の脅威を言い立て、「もっと強硬姿勢を!」と騒いでいる間に、北朝鮮は中国、韓国、そしてアメリカとも水面下で交渉していた。
 そして気付いた時にはキム・ジョンウンは中国の首脳と会談し、さらにトランプ大統領や韓国のムン大統領と会う約束も取り付けていた。
 安倍総理と日本が強硬策一辺倒で騒いでいる間に、日本だけが取り残されて中・韓・北朝鮮・アメリカで話し合いが進んでいた。

 それでも日本は態度を変えず、河野外相が「北朝鮮には核ミサイルを発射しようという動きがある!」と言い立てた。
 ところが即座に、中国や北朝鮮ではなく、最も頼りにしているアメリカからそれを否定する声明が発表される始末である。
 これでも「北朝鮮や中国に対抗できる指導者は、日本には安倍サンしかいない!」のか?

 森友・加計問題や強引で不遜な国会運営などで、安倍総理がどれだけ失態や醜態を曝しても。
 それでも安倍氏の戦前大好きな右翼的な政治思想と北朝鮮に対する強硬姿勢を支持して、総理は「安倍サンしかいない、他にふさわしい人がいない!」と盲信している人達が、今もまだこの国に三割以上もいる。
 支持率と人口を考えれば三千万を越える日本人が、こんな道徳や倫理観を人に語る資格の無い“小人”しか、総理にふさわしい人が他にいないと信じているらしい

 彼らが思うように、あんな安倍氏以外に、この日本に総理を務められる人が居ないのだとしたら。
 今の日本とは、なんと嘆かわしい情けない国であろうか。

PageTop

日本人はバカになりつつある

 テレビや新聞の報道によると、近年、日本の学生の読解力が低下しつつあるという。
 学力テストをすると、総合的な点数は他国とも比べて決して悪くないのだが。
 ただ国語はもちろんそれ以外の教科でも、長い文章を読んで答えを出す問題の正解率が、日本人は良くないそうだ。
 学力テストだけでなく、家電製品等の取扱説明書すら読めない人が、今の日本には少なくない。
 どうやら日本人は、バカになりつつあるらしい。

 その現実を、ネットの某巨大掲示板を閲覧していても強く感じる。
 筆者は例えばある日、こんな投稿を読んだ。

 彼氏の運転が嫌だ。
 彼氏は車の流れがどうあろうと、制限速度を超えて走らない。
 そして道路沿いに店とか自分の気になるものがあると、躊躇わずにブレーキを踏んでそれを見る。
 そのくせ目の前の信号が黄色になると、「急げー!」と言ってアクセルを踏んでスピードを上げて通過する。
 当然、後続車は赤信号で取り残される。
 こんな彼氏の運転が、本当に嫌だ。


 このコメントが投稿されると、少なくとも筆者にはとても意外な反応が多く返ってきた。
「制限速度を守って走って何が悪い!」

 そんなコメントが一件だけなら、「彼氏乙!」とでも言うところだが。
 彼氏の運転が嫌だと言う投稿者の気持ちがわかると言うコメントと、その「制限速度を守って走って何が悪い!」というコメントは、ほぼ半々だった。

「制限速度を守って走って何が悪い!」って、問題の“彼氏”の運転は、決して安全運転ではないよね?
 まず運転中も脇見をしていて、気になるものがあれば後続車の迷惑も構わずブレーキをかけているし。
 そしてそれまで車の流れを無視してノロノロ走っていたくせに、信号が変わりそうになると急にスピードを上げて信号を通過している。
 その時には後続車が必ず赤信号で取り残されているのだから、彼氏は黄色かもしくは赤に変わった直後の信号を通過しているであろうし、その時には制限速度も超えていたであろう。
 普通の頭と読解力があれば、それくらいの事は容易に推察できる筈だ。
 しかし今の日本人にはそれすら出来ずに、「制限速度を守って走って何が悪い!」と言い張る知的に残念な人が、少なからずいる。

 また、こんな話もある。
 ある人が、チェーン店ではない小さな店だが、知る人ぞ知るラーメン屋で食事をしていた。
 するとそこに、大学生くらいの美男美女のカップルが入って来た。
 そのカップルの青年の方は、「ここのラーメンは、すごく美味しいんだよ!」と言い、女性も「私、ラーメン大好き!」とニコニコしていて。
 そして青年は、「奢るから、何でも好きなものを頼んでね」と言い、自分はチャーシュー麺を頼んだ。
 女性は嬉しげにメニューを見たあげく、「これ!」と選んだ。
 その店で一番高い(二千円)、大きなボウル一杯くらいの量のある、全部乗せスペシャル麺だった。
 だから当然、青年は止めた。
「すごく量があるから、止めた方がいいよ?」
 そして店員さんも出て来て、両手で輪を作って見せて「このくらいの量になりますから、女の方が食べるのは無理ではないかと……」と止めた。
 だが女性は、「大丈夫、絶対食べられるもん!」と聞かない。
 青年は「まずは一回、普通の量のラーメンを食べてみて。それを全部食べ切れたら、次は必ず全部乗せスペシャル麺を奢るから」とまで言った。
 すると女性は、「私が一番高いものを頼んだから、奢りたくないからそういうこと言うんだ!」とまで言った。
 そこまで言われてしまって、青年は女性の為に全部乗せスペシャル麺を頼んだ。
 運ばれてきた“それ”は、本当に巨大な丼で量も凄かった。
 それを見た女性は、「わー、すごーい!」と嬉しげに、まずスマホで写真を何枚も撮って。
 それから少しだけ箸をつけ、殆どを残して丼を押し戻し、「おなかいっぱいー、ごちそうさまー」と言った。
 すると青年は五千円札を出し、「こんなに残してしまってすみません、ご迷惑をかけました、お釣りはいいですから」と店の人に一礼し、女性を残して店を出て行った。
 その青年の後を、女性とお釣りを持った店員さんが慌てて追いかけていった。
 で、居合わせて一部始終を見た人が、翌日、職場で仲の良い同僚4人に話して、「彼女さん、やらかしちゃったね。これは振られるよね」と言ったのだが。
 その同僚4人のうち、2人はそれに同意した。
 しかし残る2人はこう反論した。
「彼女は悪くない、店で食べきれないものを残して何が悪い、彼氏は心が狭い!」

 例の一件を見届けた人は、カップルの女性の行動以上にその同僚2人の反論に驚いて、某巨大掲示板にもその事を投稿したのだが。
 ええ、某巨大掲示板のコメントも割れマシタ。
 半々とまでは言わないものの、「女性が非常識」という意見が六割で、「残して何が悪い!」と女性を擁護して青年を責める意見が四割だった。

 確かに食事を出す店では、大盛りはあっても小盛りがある所は少ない。
 で、元から少食な人が、店で出された普通の一人前を食べきれずに残してしまうのは仕方がないと、筆者も思う。
 だがこのカップルの場合は、そのケースとはいろいろ違うだろう。
 まず青年だけでなくお店の人までが、量が多くて普通の女性にはまず食べきれないであろうことを、事前に説明した。
 そして青年はまず普通の一人前を食べてみて、それが食べきれたら全部乗せスペシャル麺を奢るからとも言った。
 しかし女性はそれでも「食べきれる!」と言い切り、さらに「一番高いものを頼んだから、奢りたくないんだ」と、青年をケチと揶揄して侮辱するようなことまで言った。
 そこまで言って奢らせたラーメンを、「精一杯食べたけれど無理でした、ごめんなさい」と申し訳なさそうに残すのではなく、形だけ食べて殆どを残して「ごちそうさまー」は、青年に対してもお店に対しても、あまりにも失礼で非常識過ぎないか。
 さらに食べる前にスマホで何枚も写真を撮っていたあたりでも、その女性がいわゆる“インスタ蠅”と呼ばれる人であろうことが推察できる。
 そのインスタの為にその店で一番高い特盛りのラーメンを頼んで大部分残すにしても、自分で金を出すならまだ良い。
 他人にそこで一番高いものを奢らせ、しかも殆ど残して平気な顔して「ごちそうさまー」は、普通の感覚では「あり得ない」と思うのだが。
 しかし今の日本人は、少なからずの人がその過程をすっ飛ばして、「店で残して、何が悪い!」と言い出す。
 匿名で、人のエゴやら汚い本音やらが渦を巻いているゴミ溜めのようなネットの某巨大掲示板だが。
 しかしそんな某巨大掲示板だからこそ、今の日本人の本性がよくわかる。

 まず全体をしっかり読み通して状況や人の気持ちを察する力が無く、そして「制限速度を守ってなぜ悪い?」とか「店で食べ物を残したらいけないという決まりでもあるのか?」などの極論に飛びついて人に噛みつく。
 常識の通じない、その種の残念な頭と心の日本人が、近年急激に増えているように思えてならない。

 話が噛み合わないのが、「彼氏の運転マナー」や「彼女の食事マナー」レベルの話なら、まだ良い。
 これが歴史認識や政治の問題になると、日本のという国の存亡にまでかかわってくるから困るし、怖い。

 例えば先の大戦について、「自衛の戦争で、アジアを白人支配から解放して感謝されている」と声高に主張する人達が安倍政権下で急激に増えているが、彼らも全体をあえて見ずに自分の心に引っかかった片言隻句にのみ飛びつく、紛うかたなき愚か者だ。
 その典型的な例だが、彼らはよく中国が言う犠牲者の数が多すぎることを理由に、「だから南京大虐殺は無かったのだ」と騒ぎ立てている。
 だが、第二次世界大戦中に陸軍の参謀将校として実際に中国に行かれた、昭和天皇の弟の三笠宮さまが、南京大虐殺についてこうおっしゃられている。
「犠牲者数が議論されているが、数が問題なのではない。虐殺が行われたこと自体が問題なんだ」
 まさに至言である。

 しかし現実には、ただ「数が食い違うから」と、日本が過去に犯した虐殺まで無かったことにしようと強弁する厚顔無恥な日本人が増えている。
 ドイツは過去の過ちはきちんと認めた上で、愛国心を持ち、立派な国を作っている。
 日本人には、何故それが出来ないのか。

 日本では、少なくとも安倍政権下の今の日本では、日本の過去の過ちを認める者は自虐史観で反日の非国民という扱いになるのだから情けない。

 学力テストでも「日本人は文章を読んで解く力が劣る」という結果が出ている通り、今の日本人は全体を把握することが苦手で、自分の心に引っかかった一部の言葉にのみこだわる人が増えている。
 近頃、戦前と日本の侵略戦争を美化する右翼が増えているのも、その日本人がバカになりつつある現れの一つではないかと、筆者は非常に危惧している。

PageTop

日本の右翼は国家に巣食うモンスターペアレンツである

 世の親達の中には、モンスターペアレンツ、略してモンペと呼ばれる人達がいる。
 たいていの親達は、我が子が可愛い。
 だがこのモンスターペアレンツと呼ばれる親達の愛は行き過ぎていて、かつ盲目的で、周囲の人達に多大な迷惑を与えている。

 例えば我が子が万引きをしたとして。
 まともな親ならば子供を厳しく叱り、かつ被害を与えた店には誠心誠意謝る。
 しかし近年では、違う反応をする親達が出て来ている。
 とにかく“可愛い我が子”を護り、黒を白と言い立て逆ギレして責任転嫁し他を責めるのだ。
「うちの子が万引きなんかするわけがない、濡れ衣だ!」
「うちの子はそんな事する子じゃない、誰か他の悪い子に脅されたんだ!」
「万引きしたのは、店の構造や商品の置き方が悪いからだ!」
「カネは払ってやる、だからいいだろ!」
「こんな安物を取ったくらいで、うちの子の一生を台無しにする気か!」
「名誉毀損だ、訴えてやる!」
「こんな店、潰してやるぞ!」
 そしてこんな態度を取ることが“わが子への愛”と信じているのだから、質が悪い。

 この種の親は、我が子が学校でイジメや暴力などの悪いことをしても、絶対に非を認めない。
 そして責任を学校や教師や他の級友に押しつけ、大騒ぎして他を責める。
 こうしたモンスターペアレンツは、周囲の常識あるまともな親たち皆から白い目で見られ、軽蔑されている。
 そしてたいてい孤立しているのだが、この種のバカ親は周囲からどう見られても気にしないでやりたい放題なのだから、始末が悪い。
 この種の困った親は、警察のお世話になるか裁判沙汰になって皆から制裁されるまでノンストップで暴走する。

 このモンスターペアレンツと全く似た行動と思考をしているのが、日本の右翼の自称“愛国者”たちである。
 近年、書店でよく平積みにして売られている『歴史通』や『WiLL』や『月刊Hanada』などの右翼系の雑誌を見れば、彼らの思考はよくわかる。
「悪いのは中韓と連合国で、日本は全く悪くナイ!」
「第二次世界大戦も自衛の戦争だ、日本はあの戦争でアジアを白人支配から解放して皆から感謝されている!」
「南京大虐殺も沖縄で住民を酷い目に遭わせ集団自決を強いたのも、全部でっち上げ!」
 彼らは日本が過去に犯した悪い事は何もかもすべて「サヨクと中韓のでっち上げ!」と言い張り、日本に都合の悪い史実と正面から向き合う日本人を敵視し、「反日で自虐史観の持ち主の非国民」と貶める。
 そのあたりの日本の自称“愛国者”の反応と思考が、幼稚で愚かで傍迷惑なモンスターペアレンツと驚くほど似通っているから呆れる。

 考えてもらいたい。
 我が子が何か悪い事をしたら、きちんと叱って正しい道に導くのが本当の愛ではないか。
 例のモンスターペアレンツのように我が子の犯した罪は決して認めず、黒を白と言い張り都合の悪い事実から目を背けて無かったことにして、責任を他に押しつけて我が子を甘やかしたら、大事な我が子が“駄目な子”になるのは明白であろう。

 だから同じ第二次世界大戦の敗戦国でも、ドイツは二度と同じ過ちを犯さぬよう、自国が過去に犯した罪ときちんと向き合っている
 例えばベルリンのシェーネベルク地区のバイエルン広場近くの道には、ナチスの時代にドイツ人がユダヤ人にどれだけ酷い事をしたかを示す看板が、電灯に数多く掲げられている。
 そしてそこに住むベルリン市民はそれを「反ドイツでドイツを貶める自虐史観」だなどと、殆ど誰も思っていない

 その自国の過去の過ちを記録する看板を掲げている事について、付近に住むある住民は日本のテレビの取材に対してこう言った。
「とても伝統を意識した地区に住んでいて、ナチズムが荒れ狂っていた時代を毎日思い出します。その時代を記憶に留めて忘れません」
 テレビが意図的に“サヨクで自虐史観のドイツ人”にインタビューしたわけではない。
 そのドイツの過去の過ちを示した看板のガイドツアーが多く行われていて、ガイドは地域の住民がつとめている。
 そして自国の負の歴史を未来に示し続ける看板は、これまで一度も壊されたことは無いという。

 また、ベルリンの中心部のブランデンブルク門近くの多くの市民が目にする場所に、ホロコースト記念碑が建てられている。
 その事について、市の学芸員アダム・フロニウス氏はこう語っている。
ドイツ人が責任を持って歴史と向き合う意識の現れです」
 そしてフロニウス氏は、こうも付け加えた。
当時起こった事に対し責任を負うということが、国民のアイデンティティーなのです」

 ちなみにそのホロコースト記念碑の建設は議会で決議され、ドイツの国費で建てられた。
 そのホロコースト記念碑について、フロニウス氏はこう語った。
ドイツ人の自己理解の象徴なのです」

 過去に犯した自国の過ちから目を背けず、きちんと向かい合う。
 これがドイツとドイツ人だ。
 過去に犯した自国の過ちは認めずに歴史を美化し、事実にきちんと向かい合おうとする人を「自虐史観で日本を貶める反日のサヨク」と叩いて罵る。
 これが日本と日本人だ。

 南京大虐殺や植民地支配など、過去に日本が犯した悪行を認めない“愛国者”たちは、よくこう言う。
日本がそんな酷い国だと認めたら、愛国心を持てなくなる
 正気でそう言い張る、日本の“愛国者”たちに問おう。
 ドイツではナチスの犯した罪が徹底的に教育されていて、ドイツが犯した悪行について誰もが知って認めている。
 ではその自国の負の歴史も教えられた今のドイツ人達は、愛国心は持てずにいるのだろうか?

「自国の過去の罪を教えられたから、今のドイツ人達は愛国心を持てずにいる」
 そんな阿呆なことをほざく輩は、どこにもいない。

 日本の右翼の重鎮で一水会顧問である鈴木邦夫氏が、毎日新聞の取材にこう語っている。

 日本は常に正しい道を歩いてきたのだろうか。過去を振り返ればアジアの国に弁解できないことをしたのではなかったか。そうした過ちも直視し、それでもこの国がいとおしいと思う気持ちが愛国心だと思う。威勢のいいことを言ってその声の大きさを競うことが愛国心ではないはずだ。


 これこそが、真の愛国心だ。
 筆者も全く同感する。
 かつての日本には、こんな知的で現実を直視できるまともな右翼がいた。
 しかし安倍政権下の今の日本にいる右翼は、「過去の過ちから目を背け、威勢のいいことを言い、ただその声の大きさを競うことだけが愛国心と信じる」愚か者ばかりになっている。

 実はドイツも、戦後すぐから過去と向き合うことが出来ていたわけではなかった。
 例のホロコースト記念碑が建てられたのも2005年で、戦後数十年は過去の負の歴史についてあまり語られなかった。
 ドイツ人にとっても、過去の歴史と正面から向き合うのは非常に困難だったのだ。
 だがドイツとドイツ人は、過去と向き合い自国の負の歴史を記憶に留めて忘れないことを選んだ
 そして日本会議や神社本庁とそのお仲間が権力を握り、ナショナリストと呼ばれる安倍氏が首相としてこの国を治めている日本は真逆の道を進み、過去の歴史をねじ曲げて美化し、過去の日本の過ちを直視しようとする者を「自虐史観で日本を貶める反日サヨク」と罵倒するのが当たり前になりつつある

 過去の過ちをしっかり記録と記憶に留め、ナチズムが荒れ狂った時代を忘れず毎日思い出しているドイツ人と。
「日本が酷い事をしたと認めたら、愛国心を持てなくなる」と言って過去の過ちを歴史から消し去ろうとする日本人と。
 
どちらがより立派な本物の愛国者か、筆者には議論の余地がないように思える。

 日本が原爆や東京大空襲の悲惨さを海外で訴えても今一つ共感を得られないのは、日本は自国の戦争被害を言い立てるだけで、先の大戦で日本がアジア諸国に与えた被害に対する反省の表明が足りないからではないか。
 議論の余地なく戦争を仕掛けた加害者である日本が、その事を忘れたような顔をして自国の戦争被害ばかり言い立てても、やはり国際的には共感を得られまい。

 例えば日本軍はあの戦争で中国軍を破り、中国の奥深くまで攻め込んだが。
 その勝ち戦で、どれだけの中国兵の捕虜を取ったか。
 何万どころか何十万もの捕虜がいてしかるべきなのに、現実には日本軍に捕らえられて戦後まで生き残った中国人の捕虜は殆どいない。
 中国に攻めて行った日本軍の多くは、捕虜は取らずにほぼ殺していた
 中国からガタルカナルやインパールに転戦した体験を『地獄の戦場に奇跡はなかった』という著書にまとめた高崎伝氏も、「自分の連隊ではただの一人も捕虜は取らず、敵や怪しいと思った者はみな殺してきた」と明言している

 また、中国の大陸内部まで攻め込んだ日本軍の補給は、きちんとなされていただろうか。
 もちろん否である。
 だから前線の部隊の兵士は、現地調達という略奪を日常的にしていた。
 そしてその際には、婦女暴行や殺人もしていた。
 中国では今もなお反日感情が強いが、恨まれても仕方のないことを、日本軍は中国でしている。
 中国だけでなく、フィリピンなどの東南アジアでも日本軍は酷い事をしている。

 そしてその事を学校で教えるどころか、事実として認めるだけでも「自虐史観で反日だ!」と、今の日本の右翼は騒ぐ。

 過ちを認めずに黒を白と言い張る人と。
 過ちは認めてきちんと謝罪できる人と。
 どちらが人として尊敬されるか、それが今の日本の右翼にはわからないのだから恥ずかしい。

 ドイツ人は過去の罪としっかり向き合った上で、ドイツという自分の国を愛している。
 そして日本の右翼の鈴木邦夫氏も、「日本がアジアの国々にした過ちも直視し、それでもこの国がいとおしいと思う気持ちが愛国心だ」と語っている
 今の日本の右翼はなぜそのような気持ちになれず、黒も白と言い立ててただひたすらに我が子を庇うモンスターペアレンツのような恥ずかしい言動を取り、心ある周囲の人達から顰蹙と軽蔑を買うような真似を続けているのか、それが不思議である。
 そして同じ日本人として、そのような自称“愛国者”が少なからず存在する現状を情けなく、恥ずかしく思う。

 よく考えてもらいたい。
 我が子を駄目にする早道は、子供が悪い事をした時に叱らず、庇って甘やかすことだ。
 国もそれと同じで、自国の過ちを認められずに黒も白と言い張る国家は駄目になる
 例えば正しい情報を認めず、自国を過大評価して、己に都合の良いようにだけ考えて突っ走った結果が、先の大戦の惨めな敗戦ではないか。
 人も国も、己の過ちをきちんと反省できないものは駄目だ。
 今の日本にはびこる右翼は、我が子可愛さに我が子の非は一切認めないで我が子を駄目な子にする、傍迷惑なモンスターペアレンツそっくりである。

PageTop

成田緑夢選手の名前に思う

 先日終わった平昌パラリンピックで、成田緑夢選手がスノーボードで金メダルと銅メダルを取った。
 筆者は「良かったね」という気持ちと、「気の毒に」という気持ちを、同時に抱いた。
「差別だ、障がいを持つ者への蔑視なんてサイテーだ!」って?
 違う。
 筆者が上記のような感情を抱いたのは、成田選手の名前に対してだ。

緑夢”で「グリム」だなど、フリガナや解説なしに誰が正しく読めようか。
“緑夢”という名前を初めて見て「ぐりむ」と読めた人は、親以外には誰一人いないだろうと思われる。
 人の名前は、頓知のクイズではないのだ。
 名付けた親は「緑=グリーンで、それに夢の“む”を足して縮めてグリムだ!」と、気が利いた良い名前を付けたつもりでいるのかも知れないが。
 しかし『緑』という漢字にグリーンなどという読みは絶対に無いし、それに“夢”を合わせて縮めて、半端な英語と漢字の音読を組み合わせて「グリム」だなど、絶対にあり得ない間違った読ませ方である。

 断言するが。
 我が子に“緑夢”で「グリム」と名付けるなど、自分の娘に“青馬”という漢字を当てて「ブルマ」と名付けるレベルのセンスである。

 誤解しないで貰いたいが、筆者は成田選手自身を揶揄中傷するつもりは全くない。
 冒頭で述べたように、「気の毒に」と同情している。
 そして我が子に“緑夢”で「グリム」などという、フリガナや説明なしには誰にも絶対に読めない変テコな、と言うよりどう考えてもあり得ない読み方の名前を付けた成田選手の親に怒りを感じている。
 筆者の感覚では成田選手が被害者で、親は彼に一生の“重荷”を負わせた加害者である。

 成田選手の名前について、筆者が何故そんなことを思うのか。
 それは筆者自身が、親に付けられた自分の本名が大嫌いだからである。
 このブログで名乗っている黒沢一樹という名はネット上での名前であって、実は本名はもっと違う、俗に言う“シワシワネーム”だ。
 時代劇に出てくるレベルの名前で、ただダサいだけでなく本当に古くさい。

 大学時代の友人にも、時代劇に出て来そうな古風な自分の名前を嫌っている者がいた。
 ただその友人の名は、「輝宗」とか「正盛」といった種類の、大名や武将のような立派な名前だった。
 少し仰々しくはあるが、少なくとも恥ずかしい名前ではないから、彼はまだ良い。
 しかし筆者の本名は、商家の手代や貧乏なお百姓などにありがちな、下っ端の小者のイメージしか湧かない類の名前である。
 事実『水戸黄門』にも、何度か筆者と同じ名のキャストが出て来た。
 悪代官に虐められる哀れな水呑み百姓や、主人を陥れようとする小ずるい手代などの、本当にろくでもない役柄ばかりだった。

 筆者にその貧乏くさくて古くさい嫌な名前を付けたのは、筆者の父である。
 父が「この名前にしよう」と言い出した時、母はぎょっとして反対したそうである。
 だが父は、「絶対、この名前が良い!」と言い張った。
 そして筆者の父はただ亭主関白で人の意見に耳を傾けないだけでなく、酒乱に加え、飲むとDVも働く種類の人間だった。
 だから母も反対できずに、筆者は父の意のまま、時代劇ですぐやっつけられてしまう貧乏百姓や狡い手代のようなシワシワネームになってしまった。

 筆者は父に付けられた本名を、今もまだ嫌いでたまらないでいる。
 だからこそ多感な思春期には、ダサ過ぎる自分の名前が本当に苦痛で苦痛でならなかった。
 ただ名前を変えたいが為に、「本名を捨てて芸名を名乗れる職業につきたい!」と、本気で思っていた時期もある。
 残念ながら筆者は顔も良くない上に小柄なので、俳優やタレントなどになれる筈もなく、実生活では今も仕方なく大嫌いな本名を名乗り続けて生きている。
 このことが、今もまだ苦しい。

 徳川家康は、「人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し」という言葉を残したが、名前とはまさにその「一生背負って行かねばならぬ重き荷」だ。
 生まれてからずっと、色気づいた思春期にも、社会に出ても、そしてジジババになっても、死んで戒名に代わるまでそう名乗り、周囲からもそう呼ばれ続けなければならないのだ。
 その親から付けられた名前がごく普通で嫌いでないなら、その人は幸せだ。
 そして付けられた名前が変で嫌いだと、その人の人生はずっと苦痛だ。
 同僚にも、友達にも、親戚にも、病院の診察の順番待ちでも、死ぬまでその大嫌いな名前で呼ばれ続ける。
 本当に辛い。
 だから「子供の名前はよく考えずに気分で無責任に付けるな!」と、世の親たちに声を大にして言いたい。

 だいたい多くの親たちは、「もし自分が老いて死ぬまで一生、その名前を名乗り続けなければならないとしたらどんな気持ちになるか?」という想像力が欠けている。
 自分でない違う人間が名乗るものと思って、無責任に変テコな名を付けるバカ親が、近年急増中である。

 そのバカ親たちの決まり文句を、一つ紹介しよう。
「他の子とかぶらない、世界で一つだけの名前を付けてあげたい」
 そしてその揚げ句に、フリガナ無しでは誰にも読めない、妙ちきりんな名前を付けて、我が子に名前で一生苦労させるのだ。

 同じ名前の他人がいて、何が悪い?
 日本の人口は約一億二千万だが、その誰ともかぶらないたった一人だけの名前など、相当に妙で変わった名前に決まっている。

 なのにそれに気付かず、誰にも読めない、日本語としても間違っていて漢字の読み方としてもあり得ないDQNネームやキラキラネームの類を我が子に付けるバカ親が多すぎる。
 こうした「世界に一つしかない」DQNネームやキラキラネームを子供に付けることもまた虐待の一種ではないかと、時代劇に出てくる小者のような自分の名前を苦にし続けて生きている筆者は、大袈裟でなく思っている。

 筆者は『ちびまる子ちゃん』のお父さん役の“父ヒロシ”を、とても羨ましく思っている。
 ヒロシという名はとても平凡ではあるが、自分で名乗って、人に呼ばれて恥ずかしい事は全くない。
 そして「他の子とかぶらない、世界で一つだけの名前を付けよう」と張り切る親は、ヒロシに限らず平凡な名前の人に少なくない。
 普通の名前を付けられた人は知らないのだ、「変な名前を名乗り、そして人から呼ばれ続けなければならない苦痛」を。
 普通でいられる当たり前の幸せに気付かず、奇怪であり得ない珍名を得意げに付けて我が子を一生苦しめるのだから、迷惑な話である。

 繰り返すが、名前とは「生まれてから死ぬまで、自らそう名乗り、周囲の人からもそう呼ばれ続けるもの」なのだ。
 もし自分自身が、一生その名で呼ばれ続けたら。
 そう想像してみることすら無く、フリガナ無しにはまともに読めない名を子に付ける親の存在は、本当に迷惑
だ。
 たとえ読めたとしても、名乗るのが恥ずかしいようなDQNネームやキラキラネームやシワシワネームを子に付ける親も同類だ。

 DQNネームやキラキラネームとは、少し違うのかも知れないが。
 雛子や蕾や若葉など、若いうち限定でしか似合わないような名を子に付ける親もバカだし迷惑だ。
 確かに生まれて間もない頃の我が子は、雛や若葉のように可愛いだろう。
 しかしその幼い我が子も、いずれはオバサンになり、オバアサンになるのだ。
 平均寿命が当たり前に八十歳を越えている、この世の中である。
 例えば病院の受付で、「森野若葉さまー」と大きな声で呼ばれて。
 八十を過ぎた枯れ木のような老女が、それに応えて立って出て行かねばならないのは、当人としても辛いことではないか。

 筆者は、アマゾンなどの通販を時々利用しているが。
 そして配送業者さんは、その荷物を手渡す時に「○○△△さんですね?」とフルネームで確認する事が多い。
 筆者の本名は、シワシワネームだがまず間違いなく読める字だから、まだいい。
 しかし成田緑夢さんのような名前の場合は、「あの、なりた……えーと……」と業者さんが言葉に詰まる場合が多々あったろう。

 荷物の受け渡しだけではない。
 フリガナ無しには読めないDQNネームを親から付けられた子は、死ぬまで一生、何千何万回と、自分の名前の呼び方を接する人達に説明し続けなければならないのだ。
「他の子とかぶらない、世界で一つだけの名前を付けよう!」と張り切るバカ親は、我が子に一生負わせたその名前という“重荷”に気付かないのだから呆れるし、本当に困る。

 フリガナなしには読めない珍名が激増している昨今だ。
 ただ配送の荷物だけでなくありとあらゆるものに、名前だけでなくフリガナの記入も必ず求められる時代が数年のうちに来るのではないかと、筆者は予想している。
 人に普通に読めてこそ名前で、フリガナ無しではまともに読めぬ名など、名前の意味をなさないと筆者は考える。

 ただ成田選手の“緑夢”で「グリム」という名は、どう考えても読めないし、漢字の使い方として間違っているが、少なくとも人の失笑を買うような恥ずかしい名前ではない。
 だが世の中には“騎士”で「ナイト」どころか、“愛保”で「ラブホ」や“泡姫”で「アリエル」のような、当人の尊厳にかかわるような酷い名前を正気で子供に付けるクズ親もいる。
“七音”で「ドレミ」だの、“黄熊”で「ぷう」だのという名前も、人から失笑を買う類の虐待に近い名付けだろう。

 バカな親に付けられた名前で苦労する、気の毒な子供が一人でも減るように。
 我が子に名前を付けるなら、まず「名前は年老いて死ぬまで使う一生もの」ということを念頭に置き、そして「フリガナや説明が不要で、オッサンやオバサンになった自分がそう名乗り、人からもそう呼ばれて恥ずかしくない名前を付けるべき」ということを、是非とも肝に銘じていただきたい。

 パラリンピックで金メダルと銅メダルを取って、成田選手の“緑夢”で「グリム」という名前の読み方が日本中に知られるようになった。
 そのことについて筆者は心から「良かったね」と思うと同時に、これまでまともに名前を呼んでもらえずに苦労しただろうことに「気の毒に」と、つくづくと思った次第である。
 バカな親に変な読めない名前を付けられると、子供は本当に、一生苦労し続ける。
 その子供の苦労を、名付ける親は少しは考えていただきたい。

 ちなみに筆者に『水戸黄門』のやられ役の下っ端にしか出て来ないようなシワシワネームを付けた父は、父の世代にしては現代的で普通な良い名前を付けられていた。
 父の父の名は善治(ぜんじ)で、父の兄も忠治(ちゅうじ)と、読み方から下手をすれば時代劇のやくざのような名前だが、父だけは政明だ。
 そしてその父が、我が子には自分の父親や兄よりもっと古くさい、時代劇のお百姓や商人でしか見ない種類のシワシワネームを付けたというわけだ。
 筆者の父だけでなく、親にまともな名前を付けてもらい、名前にコンプレックスが無く、自分の名前で苦労した事の無い者ほど、己の子に変な名前を付けたがる傾向があるように思える。
 本当に、困ったものである。

PageTop

生活保護費の削減に見る安倍政権の本質

 ネットなどでは、生活保護受給者は“ナマポ”などと呼ばれ、働かずに他人が払った税金で生きている穀潰しの狡い怠け者のように批判され、揶揄中傷や蔑視の対象となっている。
 そして安倍政権は、この10月から生活保護費を5%削減すると決めた。
 この決定に少なからぬネット住民が共感し、「やっぱり総理が安倍さんで良かった、安倍さんのする事は正しい!」と喜んでいるだろう。

 だがちょっと待ってほしい。
 生活保護受給者は本当に狡い怠け者で、ただ楽をして他人の税金で食っているのだろうか。
 そして生活保護費は、まだ切り詰める余裕があるほど充分に支給されているのだろうか。

 毎日新聞の報道によると、東京都に住む五十代のある女性は、過労で体調を崩し、そして離婚もして現在も通院中で働くことが出来ずに生活保護を受給している。
 その女性が受け取っている生活保護費は、月額約7万7千円だそうだ。
 これで憲法が保証している、「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことが出来るだろうか。
 事実、その女性は暖房もろくに使えず、布団に入って寒さをしのいでいるという。
 その女性の他にも、生活保護受給者には「室温が40度になっても冷房をつけない」とか、「風呂は週に一回」という暮らしをしている人達がいるそうだ。
 そして安倍政権は、その生活保護費をさらに切り詰めるという。

 安倍政権が言う生活保護費を削減する根拠は、現在支給されている生活保護費が、生活保護を受けていない国民のうちの、最も低い所得層の人達の収入を上回ったからだという。
 働いていない人が、働いている人より高額の生活保護費を貰えている。だから生活保護費をカットしよう。
 そう考える安倍政権の方針を、もっともだと思う人も少なくなかろう。

 しかしちょっと待って欲しい。
 安倍政権が生活保護費受給者と比較している、「生活保護を受けずに働いて自力で暮らしている、最も低い所得層の人達」とは、どんな人達だろうか。
 最低賃金ぎりぎりの時給でようやく生きている、この格差が拡大した日本の社会の最下層の人達だ。
 彼らは金がなくて病気になっても病院にも行けず、肉の中では一番安い筈の鶏肉すらろくに食えずにモヤシばかり食べているという。

 筆者のようなごく少数のひねくれ者を除く多くの日本国民が支持した、小泉純一郎元首相による小泉改革のせいで、この国は派遣やパートやバイトで働く人で溢れる格差社会になった。
 そして「景気が良くなった」と自画自賛する安倍政権下で、富める人だけさらに金持ちになり、貧しい人はより苦しい生活を強いられるようになった。
 働く者の多くが正社員で国民が総中流だった時代など、今では夢の話だ。
 今の日本は間違いなく格差社会で、その格差は安倍政権下で間違いなく拡大している
 その格差社会の最下層でどん底の暮らしをしている人達の収入と比べて「生活保護費をもっと切り詰めよう」とは、本末転倒ではないか。

 生活保護費が増えたわけではない。
 低賃金で働く非正規の労働者が増え、格差の下の層で暮らす国民の収入が下がったのだ。
 であるのに「生活保護費をより低い方に合わせよう」という安倍政権の政策は、本末転倒であるという以前に冷酷非情である。
 国民を導く政治家に必要な情が、安倍政権には無い
 毀誉褒貶ある田中角栄元首相だが、その田中元首相を含め、かつての自民党の政治家には弱い者に対する情が、間違いなくあった。
 しかし小泉政権以来の21世紀の自民党の政治家には、それが全く感じられない。

 働いても収入が生活保護費を下回る者がいる
 だとすれば生活保護費を切り下げるのではなく、最低賃金を引き上げ、働けばまともな暮らしが出来るようにするのが筋ではないか。
 しかし安倍政権はその真逆の道を突き進み、広がる格差は放置して、生活保護費を切り詰めようとしている
 安倍政権は戦後の日本で最低の政権だと、筆者は確信している。

 嘆かわしいのは、その安倍政権の弱い者イジメの政策を、少なからぬ国民が支持していることだ。
 労働者は低賃金でこき使いたい経営者側が、格差の拡大に目をつぶり高プロや裁量労働制などの“働き方改悪”をごり押ししたい安倍政権を支持するのは、よくわかるが。
 その安倍政権を所得の低い層も支持し、ワーキング・プアの人ほど生活保護受給者を叩き、今回の生活保護費の切り下げにも賛成し、「働かない者が俺たちと同じ暮らしをするなど不届きだ、生活保護費などもっと下げろ!」と溜飲を下げている
 弱い者が自分たちを苦しめている権力に立ち向かうのではなく、より弱い者を叩いて良い気分になっているのだから情けない。

 確かに生活保護を受けている者には、不正受給者も少なからずいる。
 ある実例を紹介しよう。
 子供を連れて離婚した女が、病気や子育てを理由に働かず、生活保護を受給して。
 そしてその女は恋愛をして、ある男(定職あり)と恋愛関係になり、一緒に暮らすようになった。
 しかし夫婦同然の暮らしをしながら、その女は男と結婚せず、内縁関係でい続けた。
 それは生活保護費を受給し続ける為だ。
 定職のある男と結婚してしまえば、生活保護費は打ち切られる。だから女は男の存在を役所に隠して、生活保護費を家計の足し及び小遣いにし続けたというわけだ。

 こんな例だけでなく、「一市民には強いが、声の大きな圧力団体に弱い」と言われる役所は、すぐ役所に押し掛けて「差別だ!」などと騒ぐ組織がバックに付いている人には、生活保護を容易に認めてしまうらしい。
 あと、生活保護を不正に受給しようという人達には、893関係者もいる。

 そうした生活保護費を不正に受給して、税金で楽をして暮らしている人達に対する怒りはもっともだ。
 しかしだからと言って、「生活保護を受ける者はみなクズだ、生活保護など止めてしまえ!」という極論に走ってはならないと、筆者は考える。
 生活保護の不正受給は駄目だということと、生活保護という制度の是非は別問題だ。

 考えて貰いたい。
 今は核家族が多く、少子化で兄弟姉妹の数も少ない。
 もし両親が亡くなったら、その後は天涯孤独になり頼るべき人が無くなってしまう人は少なくない。
 そして皆が皆、退職金や老後の年金が充分な官公庁や大企業に勤めているわけではない。
 勤めていた中小企業が倒産し、非正規で働いていて貯金も殆ど無くて。そして両親も亡くなり、さらに病気になって働けなくなった人のことを想像してみて貰いたい。
「生活保護など要らない、すべて自己責任だ」と言う人達は、無収入になりかつ働けなくなった人は、ホームレスになり餓死すれば良いと思っているのだろうか。
 筆者は生活保護は必要な制度だし、それが必要な人は絶対にいると考える。
 ただ同時に、その生活保護の不正受給は絶対に許すべきでなく、詐欺として厳しく罰するべきだとも考えている。
 その不正受給者の背後に893や圧力団体が存在するなら、警察とも連携し、告訴もして厳しく当たるべきであろう。

 要点をまとめる。
 生活保護の不正受給に対する怒りを、生活保護受給者すべてに向けることは間違っている。
 格差の拡大による生活の苦しさへの鬱憤を、生活保護受給者に向けるのも間違っている。

 ワーキングプアで、もしフルに働いても収入が生活保護費より低い人がいるとしたら。
 間違っているのは生活保護という制度ではなく、労働環境と最低賃金の方
である。
 働いても収入が生活保護費より低い人がいるのなら、生活保護費を低く下げるのでなく、最低賃金を引き上げ正規の労働者を増やすのが正しい政治のあり方だ。
 最底辺で働く者の収入が生活保護費を下回っている現状を見たなら、「アベノミクスで豊かになった!」などと誇らず、己の政策の冷たさを恥じるべきだ
「最底辺で働く者の収入が生活保護費より下がったら、生活保護費をもっと下げるべき」などと考える首相と内閣の構成員は、政治家として最低である。
 よって、安倍首相とその内閣の大臣らは、最低の政治家である。
 無論、生活保護の不正受給には厳しく対処すべきだし、役所は警察等とも連携して圧力団体にも屈せず立ち向かうことも必要である。

 最後に書いておくが、生活保護というのは、受給していない者が思うほど甘い制度ではない。
 例えば生活保護家庭の子供が高校に進学すれば、部活にも興味を持つようになるだろう。
 しかし学校の部活動には、それなりにカネがかかる。
 進学先が公立だろうが、ユニフォームだの、用具だの、遠征費だのが必要になる。
 だが生活保護費では生きて行くのに精一杯で、とてもそんなお金を出す余裕など無い。
 それである生活保護家庭の子供が、バイトをして部活にかかる費用を自分で稼いだ
 するとどうなるか?
 その子供のバイトの稼ぎは、生活保護費の不正受給とされるのだ。
 何故なら制度上子供の稼ぎも「世帯の収入」とされる為、子供がバイトで稼いだ分だけ、その世帯は生活保護費を減額されることになる。
 だからもしその子が部活で使うユニフォームや用具や遠征費を稼ぎたければ、「まず先に生活保護費の分を稼ぎ出し、さらにそれ以上働いで稼げ」という話になる。
 高校生のバイトで、生活保護費を越えるくらい稼ぐなどまず無理だろう。
 だから生活保護家庭で育った子供は、「趣味も持つな、部活にも入るな」という話になる。
 現実問題、お金のかからない趣味など殆ど無く、生活保護を受けている者は「ただ生きていられるだけで満足しろ」ということのようだ。
 老い先短い老人なら、それでも良いだろうが。
 将来のある子供にもそれを求め、「子供がバイトして稼いだ分も不正受給で、生活保護費は減額」というのは、少々厳しすぎると筆者は思う。
 まあ「生活保護家庭の子供が趣味など持つのは、成人し独立して稼ぐようになってから」という事なのだろうが。

 また、生活保護費で生きている人達は、葬式の香典も結婚式のご祝儀もとても出せず、だから冠婚葬祭に出られない為、交際範囲がとても狭くなるという。
 さらに本人が亡くなった後の始末にも、最低限の葬儀でもまず20万円は必要になるが、生活保護を受けている者にそんな貯金などある筈もなく、そのまま焼かれて無縁仏になるという。
 不正受給している者は別だが、本当に事情があって生活保護を受けている者はただその日を生きて行くのが精一杯で、死んでもそのまま無縁仏なのだ。
 そういう人達を“ナマポ”と蔑視し、不正受給している狡い怠け者と同一視して安倍政権と一緒になって叩き、生活保護費の切り下げに「賛成だ、もっと引き下げろ!」と溜飲を下げる人達の心の冷たさに、筆者は何か寒々としたものを心に感じる。

PageTop