空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

人は生まれたままの自然が一番!(大阪府立懐風館高校の問題を考える)

 まず始めに、筆者は童顔である上に、身長も150センチ台である。
 この見かけのせいで、いろいろ不利益を被ってきた。

 まず子供の頃から、同性に虐められやすかった。
 大人になれば、さすがにあからさまなイジメは激減する。
 しかしそれでも「チビのくせに」と見下される傾向は、大人になっても変わらないままだ。

 何年か前のこと、前をよく見ず不注意に歩いて来た男性にぶつかられた。
 相手は見るからに育ちの悪そうなDQNではなく、ごく普通の真面目な人にしか見えないサラリーマンだった。
 その男性は筆者にぶつかると、ハッとした顔で振り返った。
 そして自分がぶつかった相手が「童顔のチビ」と見た途端に表情を緩めて安心したような顔を見せ、謝罪の言葉ひとつ無くそのまま歩き去った。
 その時の「相手はナメても構わないチビ」と見て取った途端に薄笑いすら見せたその男性の顔を、筆者は決して忘れない。

 まあ、それ以外にも男で低身長だと「女性に相手にされにくい」というデメリットもある。
 筆者は幸いにして幾人かの女性と交際できたが、それも自分から積極的に行動して、「低身長だが、見かけ以外に取り柄はあるよ!」と相手に理解していただく努力を惜しまなかったからだ。
 断言するが、自分から努力してアプローチせずに女性に相手にして貰えたことは、筆者はただの一度も無い。

 この「低身長で童顔」という点だけでも、しなくても良い苦労をしてきた筆者だが。
 その筆者を、三十代になってからさらにもう一つの“異変”が襲った。

 筆者の父はいわゆる若ハゲで、筆者が幼い頃から髪がかなり薄かった。
 しかし筆者自身は、髪はフッサフサだった。
 だから髪についての心配など、全くしていなかった。
 ハゲは遺伝するという話も、鼻で笑い飛ばしていた。
 ところが、だ。
 三十代になったある日、鏡をよく見ると髪が以前より何となく薄くなって来ているのに気付いた。
 普段はわからないのだが、髪を洗ったすぐ後に鏡をよく見ると、地肌が何となく透けて見えるようになっていた。
 これは、前には無かったことだ。
 それで慌てて頭皮のケアを欠かさないようにして、父のように見事な若ハゲになるのだけは必死に食い止めている。
 とは言うものの、「いつか本当のハゲになるのでは?」という不安に、常にかられている。
 実際、「そのまんま東さんのような頭になってしまい、女子高生たちに指さして笑われる」というコワい夢までみたくらいだ。

 世の中には低身長を補う“シークレット・ブーツ”なるものもあるし、薄い髪は鬘でごまかせることもわかっている。
 しかし筆者は底の厚い靴など一足も持っていないし、薄毛がさらに進行してハゲになってしまったとしても、鬘でごまかすつもりも全く無い。
 何故なら、そういうごまかしは、後で本当の姿がバレた方がもっと恥ずかしいからだ。

 例えば厚底の靴で低身長を隠したとしても、いつも靴を履いているわけにはいかないではないか。
 職場の飲み会でも和式の座敷を使う事もあるし、旅行で和室に泊まる事もある。
 そんな時、靴を脱いだら急に身長が低くなることの方が、筆者にはずっと恥ずかしく思える。
 後でチビだとバレるより、初めからチビだとわかってもらっておいた方が余程もマシだと、本物のチビの筆者は思う。

 薄毛についての考えも、それと同じだ。
 鬘や植毛で偽りの姿を見せておいて、交際が深くなってから「実はハゲでした」とバレるよりも、最初から本当の姿を見せてお付き合いしてもらう方がずっと良いと、少なくとも筆者は思う。

 低身長と童顔に加えて薄毛の危機と、筆者には外見についてのコンプレックスは幾つもある。
 しかし筆者は、それらを隠してごまかしたりしようとは思わない。
 後で本当の姿がバレた時の方が余程も恥ずかしいし、相手にもより軽蔑され馬鹿にされるからだ。

 だから筆者には、それ以外にも整形とか豊胸手術とかで、生まれたままの自分に手を加えて実体を偽ろうとする人の気持ちがわからない。
 例えば豊胸手術をすれば、年を取っても胸だけ昔の若い時のままの形になってしまうという。
 お婆さんになっても胸だけ豊かで形も良いとか、その方がむしろ恥ずかしいではないか。
 整形しても、昔の整形前の写真は残るわけだし、子供も整形前の自分に似た顔で生まれるわけだ。
 その方が、余程も不都合ではないか。

 確かに口蓋裂などの先天的な障害や、事故などの後遺症を治療する為には、整形手術も必要だ。
 人は見かけが九割だとも言うし、低身長で非イケメンの筆者もそれを実感している。
 それでも筆者は、基本的にはありのままの自分で生きるのが一番だと思っている。
 だから低身長をごまかす厚底の靴など一足も持っていないし、将来ハゲてしまっても、鬘や植毛でごまかすつもりもない。

 筆者自身は、黒過ぎるくらいの黒髪なのだが。
 しかし日本人には、茶色味を帯びた黒髪の人が少なからずいる。
 筆者の幼なじみのYさんは、生まれつきの茶髪と言うか、それはもう綺麗な栗色の髪だった。
 彼女は、生まれつき色素の薄い体質だったのだろう。
 だからYさんは肌も抜けるように白く、その白い肌と日を浴びると金にも見える栗色の髪が、それはもう美しかった。
 そのYさんは、混じりけの無い純粋な日本人だ。
 日本人の中には、そういう人もいるのだ。

 そんなYさんを知っているから、筆者は染めた茶髪を見るとつい「汚いな」と思ってしまう。
 髪の色は、肌の色より濃い。
 これが自然の摂理なのだ。
 肌の色より髪の色が明るいのは、年老いて白髪になった人だけだ。
 だから生まれつき金髪や明るい茶色の髪の白人は、肌の色もとても白い。
 それに対して元々色白でない黄色人種が茶髪にすると、髪も肌も茶色系に見えてくすんだ色の取り合わせになり薄汚れて見える。
 特に屋外スポーツをしている、よく日に焼けた茶色の肌の日本人の選手が明るい金髪にしているのを見ると、少なくとも筆者は「ありえねぇ~、不自然すぎるだろ」と思ってしまう。

 だからどうしても黒い髪を茶色に染めたい方は、まず美白から始めていただきたい。
 肌と髪の色の明るさが近いのは不自然だし、肌の色は髪よりずっと白く明るくないと綺麗ではない。
 まあ、「色白でなくたって、自分は髪を茶に(金に)染めたいのだ!」と思ってそうするのは、個人の自由なのだが。

 筆者がお付き合いした女性のOさんは、色白だが黒髪で天然パーマだった。
 彼女は髪を染めることは全くしなかったが、自分の天然パーマは好きでなかったらしく、ストレート・パーマをよくかけていた。
 そのせいか、短くカットしている時には良いのだが、髪を伸ばしてかつストレートにしている時には、よく見ると髪の先が荒れているのがわかった。
 筆者は彼女の髪型にあれこれ言うような野暮なことは、一切しなかったが。
 天然パーマはOさんに決して似合っていなかったわけではなく、天然パーマのままでも可愛かったのにと、少し残念に思った。

 茶髪だろうが黒髪だろうが、直毛だろうが天然パーマだろうが、生まれたそのままが一番。
 150センチ台の低身長でも、厚底靴も履かずに胸を張って生きている筆者は心からそう思う。
 逆に「染めたな」とありありとわかる、不自然な茶髪や金髪の方がみっともないと思っている。
 もちろんそれは心の中で思うだけにして、染めている当人にどうこう言ったりはしないけれども。

 大阪の、しかも府立懐風館高校で。
 生まれつき茶色い髪の女生徒に、「校則だから」と黒く染めることを頭皮が荒れるほど頻繁に強要し、文化祭や修学旅行にも参加させずに不登校に追い込んだという。
 校則で、「髪を染めたりパーマをかけたりするのは禁止」というのは、まあある程度理解できる。
 だが「髪を染めるのは禁止」ならば、茶色い髪を黒に染めさせる学校の“指導”とやらも、当然校則違反の筈だ。

 その事が発覚して、懐風館高校は「生まれつき金髪の外国人留学生でも黒髪に染めさせる」と強弁しているが。
 懐風館高校の『生徒心得』で禁止されているのは、髪を染めることやパーマの筈だ。
「黒髪以外は禁止で、黒でない髪は黒く染めさせる」などと、どこにも書いていない。
 にもかかわらず生まれつき茶色い髪の生徒に毛染めを強要するなど、「懐風館高校の教師は、校長以下みな頭がおかしい」としか思えない。

 懐風館高校の教師は、「日本人の髪は、みな黒だ」と信じているようだが。
 問題の生徒のように明らかに茶色に近い髪の者は少ないにしろ、生まれつき色素が薄く茶色い髪の日本人は間違いなくいる。
 筆者の幼なじみの、Yさんがそうだったように。
 また一見黒に見えても、茶色味を帯びた黒髪の日本人は数多くいる。
 筆者の髪は墨で染めたような真っ黒だが、むしろそのような日本人の方が少ないくらいだ。
 懐風館高校の教師達は、その“茶色味を帯びた黒髪”のどこまでをセーフで、どこからをアウトと判断しているのだろうか。

 また、テレビのインタビューに応じた懐風館高校の教頭自身が白髪混じりで、しかもパーマ状の髪をしていた。
 別に不良でもない、元々茶色の髪だった生徒を不登校に追い込むまで「黒く染めろ!」と“指導”する学校の責任ある立場の者が、白髪で(天然かどうかは知らないが)パーマで良いのだろうか。
 生徒をそこまで追い込むなら、自分から率先して黒髪に染め、ストレート・パーマをかけろよ、高橋雅彦教頭先生。

 筆者は髪を染める者を差別するつもりはないが、自分の髪を「染めたい」などと思った事は全く無い。
 髪の色が黒だろうが茶色だろうが、直毛だろうが天然パーマだろうが、生まれついたままの自然が一番だと思っている。
 それだけに、格好をつけて不自然な茶色や金に染めるのを規制するならともかく、生まれついて茶色い髪の者を不登校に追い込むまで、頭皮が荒れるまで頻繁に黒く染めるよう強要するなど、校則の精神を取り違えた狂気の沙汰としか思えない。

 この“指導”の被害に遭った懐風館高校の女生徒は、ただ裁判に訴えるだけでなく、学校の教師を傷害罪で警察に刑事告訴すべきだと、筆者は考える。
 髪を無理に染めさせるのも、その結果頭皮を荒れさせるのも、精神的に追い込むのも、すべて傷害の罪に該当する。
 また「黒く染めるまで帰さない」と責めるのも監禁脅迫だし、「母子家庭だから」と家庭環境を責めるのも名誉毀損だ。

 それにしても、こんな学校が私立ではなく、税金で運営され教師の給料も支払われている公立の学校であることに、筆者はとても驚いた。
 大阪府民は、こんな高校に自分達の税金が投入され、こんな教師達に自分達の税金が給料として支払われていることに、憤りを感じないのだろうか。
 筆者であれば、筆者の県にもし懐風館高校のような県立の学校があれば、県の恥と感じて高校と教育委員会に断固抗議する。

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文化の日を“明治の日”に変えようと企む右翼の屑ども

 戦前戦中に、四大節という祝祭日があった。
 四方拝紀元節天長節明治節の四つである。

 四方拝とは、元日のことで。
 紀元節は、神話により「神武天皇が即位した」とされる日で。
 天長節は、天皇誕生日で。
 そして明治節は、1927年に制定された、明治天皇の誕生記念日である。

 この四大節の日は、祝祭日とは言え戦前戦中にはただ休んで家で遊んでいられたわけではない。
 子供達は登校させられ、天皇や皇族の写真を拝まされ、皇室を称える歌を歌わされ、校長の“ありがたい”説話を聞かされたのだ。

 この四大節のうち、元日を祝うことについては、今も誰も異論は無かろう。
 年の始めに天地四方を拝して年災を払い、豊作を祈ることに、かつての軍国主義や天皇崇拝と何の関係も無いからだ。
 天長節についても、新憲法のもとでも天皇は日本国の象徴であるから、天皇誕生日として祝っても悪くはないだろう。
 しかし残る紀元節と明治節については、素直に以前と同じように祝うわけにはいかない。

 例えば「神武天皇が即位した」という神話から紀元節に定められた、紀元節だが。
 その神武天皇とは、天照大神の孫で高天原から高千穂に降りて来たという瓊瓊杵尊の曾孫で、日本の初代天皇ということになっている。
 これは戦中戦前には史実として大真面目に信じられていたが、今では科学的根拠の全く無い大嘘であると、一部の神懸かりの狂信的な右翼を除く皆がわかっている。
 天照大神の孫が天から降りて来たなどという天孫降臨の話も全く馬鹿げた虚構であるし、神武天皇も実在しないという事は、歴史を真っ当に学んでいる者なら誰でも承知している常識である。
 だから2月11日の紀元節は、戦後に廃止された。
 しかし天照大神とその係累を神として祀る神社本庁や右翼勢力が時の政府と結びついて、1966年に建国記念の日として復活させてしまった
 それで今でも全く正当な根拠の無いデタラメの日を、多くの国民はこの国の“建国の日”と信じさせられている

 明治節は、戦後に吉田茂が新憲法の公布日にこの日を選んだことで、文化の日となった。
 明治節は明治天皇の誕生日を祝う日だが、文化の日は「自由と平和を愛し、文化をすすめる為に国民がこぞって祝い、感謝し、記念する日」であって、かつての明治節とは意味が大きく違う。
 文化勲章がこの日に授与されるのも、その為である。

 だが天皇崇拝の神話による紀元節が右翼勢力により建国記念の日として復活させられたように、この文化の日も“明治の日”に戻されようとしている
 2011年に結成された『明治の日推進協議会』には、あの日本会議や安倍首相に近い政治家たちが名を連ねている。
 例えばあの稲田朋美元防衛相や古屋圭司衆院議運委員長も、その有力メンバーだ。

 その明治の日推進協議会は、自由や平和や文化を「特定の一日とあえて結びつける必要があるのか」と疑問を投げかけているという。
 つまり彼らは自由や平和や文化を祝う気が無い、ということなのだろう。
 自由や平和や文化より、とにかく明治節を復活させて明治を祝うことの方が大事なのだろう。

 当選者は一人の小選挙区制度のもとで、首相の権力がとても強くなった。
 そして「ブレるから」と議論を嫌い、異を唱える者には刺客を送る小泉政権のもとで、首相にものを言える与党政治家が殆ど居なくなった。
 さらに民主党政権下で、民主党との違いを明瞭にする為に自民党が右傾化し、その自民党の総裁に党内で最右翼の安倍晋三氏が就任した。

 で、安倍氏が首相になった後、日本は急速に右傾化し、安倍首相が大好きな戦前戦中の大日本帝国に、この国はどんどん近付きつつある。
 道徳の教科化を押し進めるだけでなく、結局は「天皇とお国の為に死ね」と教える教育勅語の再評価をして。
 秘密を国家で独占する特定秘密保護法、自衛隊の海外派兵を可能にした安保法制、平成の治安維持法とも言える共謀罪と、国家主義的で危険な法律を数の力でどんどん成立させて。
 今、この国は時代がどんどん戦前戦中に戻りつつある。
 戦前戦中と違うのは、「宗主国であるアメリカ様のおっしゃる事は、何でも聞きます、言われた通りに致します」という事だけだ。
 そしてその「大日本帝国が大好き、明治維新は素晴らしい!」という時代の流れの中で、「自由や平和や文化を祝う文化の日をブッ潰して、戦前の明治節に戻したい」という運動が起きている
 その「自由や平和や文化を祝うなんてクソくらえ、明治と大日本帝国バンザイだ!」という運動の旗を、安倍首相のお仲間の稲田朋美元防衛相や、日本会議の皆さんが振っている

 前回の選挙でも、稲田朋美氏は圧勝して当確のニュースがすぐに流れたが。
 稲田氏を選挙で圧勝させる福井県民とは、天皇を神と信じる大日本帝国や教育勅語が大好きな右翼思想の信奉者ばかりの県なのであろうか。
 福井県は、今もなお戦前戦中の空気と歴史観に支配されている県なのだろうか。

 と言うと、「いや、政治思想や歴史観はどうあれ、稲田氏は個人的には良い人なんだよ」と言う地元の方が、必ず出てくるだろう。
 しかしいくら稲田氏個人が良い人だとしても、稲田氏の言動を冷静に見てもなお政治家として支持できる感性が、筆者にはまるで理解できない

 例えばナチの武装親衛隊にクルト・マイヤーSS少将という軍人がいるのだが。
 この“パンツァー・マイヤー”とも呼ばれるナチの将軍の著書を読んでみると、このナチの将軍が人間味に溢れた実に魅力的な人物であることが、よくわかる。
 ご存知ない方は、是非クルト・マイヤー氏の『擲弾兵』を御一読願いたい。
 ナチの、特に武装SSの軍人に対する「冷血で極悪非道」というイメージがガラリと変わる筈だ。
 しかしいくら部下思いで人間味に溢れる人物でも、クルト・マイヤー氏が政治的には間違っていて、政治的な指導者としては全くふさわしくないという事実には変わりはない。

 政治家に大切なのは、まずその人の政治的な信条と、そしてその人が政治的にどう行動しているかだ。
「戦前戦中の大日本帝国が大好きな歴史修正主義の右翼でも、人柄が良いから支持して一票を入れる」というのは、「人柄が良いからと、ナチの人を政治家として支持する」というのと全く同じだ。
 その事がおわかりか、稲田氏に一票を入れた福井県の有権者の皆さん。

 第二次世界大戦に敗れたおかげで、日本人は自由と平和と人権を手に入れた。
 今の日本の右翼が大好きな明治維新後の大日本帝国の時代は、自由と民権が国権に圧迫されていた
 しかし敗戦の代償として、国民はその国権の軛から解放された。
 天皇は現人神から“同じ人間”になり、戦前の皇国史観は否定され、実質的にはアメリカの従属国ではあるものの、国民は大日本帝国では無かった人権を保障され、自由に平和に生きていられるようになった。
 だが戦後社会の自由と平和と人権を享受しながらその有り難さを忘れ、国権が民権を圧迫し国民は臣民であった戦前戦中の“強い”神国日本に憧れる者達が急速に増えている
 その右翼が一旦は無くなった嘘だらけの紀元節を建国記念の日として復活させたのに続き、文化の日まで明治の日に変えて大日本帝国の四大節を全て復活させようとしている。
 その戦前復古の動きを、個人の自由や人権より国権を重んじる日本の右傾化の一つと危惧するのは、筆者の杞憂であろうか。

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若者が安倍自民を「まだマシ」と支持する不幸

 このブログをご覧になって下さっている方なら推察されていると思うが、10月22日の衆院選の結果(自民の圧勝)に、筆者は落胆している。
 断っておくが、筆者は決して左翼ではない。
 と言うより、旧社会党や共産党などの左翼は嫌いだ。
 筆者の思想は、基本的に保守だ。
 だが筆者は今世紀に入ってからの清和会支配の自民党は、左翼と同じくらい大嫌いだ。

 筆者は選挙権を持つ前からずっと、自民党を一貫して支持してきた。
 だがある人が自民党の総裁選に勝ってこの国の首相になってから、筆者は自民党を支持するのを止めた。
 その人の名を、小泉純一郎と言う。

「自民党をブッ壊す」というキャッチフレーズでこの国の政治と自民党を変えていった小泉元首相を、一時期は八割を越える国民が支持した。
 反共のサヨク嫌いでありながら小泉氏の政治も嫌った筆者は、日本では数少ない存在であったろう。

 そして期待倒れに終わった民主党政権を挟んで成立した安倍政権下で、筆者ははっきりと反自民の野党支持に変わった。
 基地に反対する沖縄の人を“土人”と罵倒するのを「差別とは言い切れない」と言ったり。
 結局は「天皇とお国の為に死ね」と教える教育勅語を幼い子に暗唱させるのを「素晴らしい」と評価したり。
 特定秘密保護法や安保法制、さらに“平成の治安維持法”とも言える共謀罪を強硬可決して、自衛隊を海外派兵でき、国民には国家の秘密は知らせず、政府に反対する者はテロ容疑で取り締まれるように、この国を作り替えて。
 こんな歴史修正主義で復古的な戦前の日本を目指すような今の安倍自民党を、筆者は支持しないというのではなく憎悪している
 しかし十代や二十代の若者は、こんなアベ政治と自民党を支持しているという。
 今回はその理由について、少し考えてみた。

 今の十代や二十代の人達は、筆者にはクソにしか見えない安倍自民党を、他の世代より高く支持するのか。
 で、彼らが生まれ育った時代を振り返って気付いたのが、「今の十代や二十代の若者は、小泉政権や安倍政権など右翼の清和会支配の自民党と、ポンコツの民主党政権しか知らない」という事だ。

 筆者の若い頃の日本の政界も一強多弱で、自民党政権が当たり前のように長く続いていた。
 野党第一党の社会党は空想的な平和主義を唱える、とても政権を担えるとは思えない左翼で。
 あとあるのは宗教政党の公明党と、赤旗を振りかざす共産党で。
 唯一まともな野党は、中道やや左派の民社党くらいのものだったが、この政党は力が弱すぎた。
 だから現実的に政権を任せられるのは、自民党しか存在しなかった。

 と言うと、「それなら今と状況はほぼ同じではないか」と思われそうだが。
 しかし当時の自民党と今の自民党は、中身がかなり違った。
 野党の政策が非現実的で存在も頼りない代わりに、かつての自民党には派閥が幾つもあり、その力はかなり大きかった。
 そしてその派閥同士で争って、政権が代わっていった。

 自民党の派閥というと“金権”で“悪”というイメージでとらえられがちだ。
 実際、政治資金が派閥の長から下の方に流れる、という金銭面での不透明さはあった。
 しかし派閥はただカネで繋がっているのではなく、政策や考え方の違いも間違いなくあった。
 憲法改正やA級戦犯も合祀された靖国参拝を積極的にしたい右翼の清和会から、軽武装で経済優先の穏健な宏池会まで、右から中道までのいろんな考え方の派閥があった。
 で、どの派閥も党内で単独過半数を占めることはまず無く、だから自民党としての政策はその派閥同士の話し合いですり合わせて決められた。
 たとえ首相でも、党内各派閥の意向を無視して自分一人では政治を動かせなかった。
 だからたとえ右翼の清和会出身の政治家が首相になっても、独走すること無く穏健派の意向も汲み、結局は保守中道の政策を推し進めた。

 ガチな右派から穏健な保守中道まで、様々な考えの派閥が党内にあり、政策を決めるまでは盛んに議論をして意見をすり合わせる。
 そして政策を決めたら、皆で一致してそれを推進して行く。
 これがかつての自民党だった。
 だから極端に走ることは無く、常に穏当な保守中道路線を進んだ。
 この自民党を文字通り「ブッ壊した」のは、あの小泉純一郎元首相で。
 そして党内でよく議論をし、譲れるところは譲り合って意見をすり合わせて政治を進めていた頃の自民党を、今の十代や二十代の若者はリアルで知らない。

 これは、亡くなった加藤紘一氏が生前に語ったことだが。
 昔、YKKと呼ばれる、将来の首相候補と目される前途有望な若手政治家がいた。
 山崎拓氏に加藤紘一氏、それに小泉純一郎氏だ。
 三人は仲も良く、しばしば会ってもいた。
 その際に山崎氏と加藤氏は政策についてよく議論したが、小泉氏だけはその議論に加わろうとはしなかった。
 で、山崎氏と加藤氏が「なぜ議論しないのか?」と問うたところ、小泉氏はこう答えたという。
「議論するとブレるから」

 話し合い、そして考え方の違う他者の意見も聞いて「なるほど、そうか」と思って自分の考えを修正する。
 これは悪いことなのだろうか?
 少なくとも筆者は、それを成長ととらえる。
 しかし小泉氏は、それを「ブレる」と否定的にとらえた。
 そしてその小泉氏が首相となり、他者の考えも聞かず、議論もせずに自分の考えをブレないで押し通す政治をした。
 小選挙区に変わっていた選挙制度も利用し、自分に異を唱える者は自民党の候補として公認しないだけでなく、刺客まで送って落選させた。
 で、小泉チルドレンという小泉首相の派閥(清和会)の議員が多く当選し、党内でも清和会が強い力を持つようになった。

 中選挙区だった昔は、一つの選挙区で約3~5人の当選者が出た。
 だから一つの選挙区で複数の自民党系の候補が当選し、首相と意見を異にする者でも当選できた。
 しかし当選するのは一人だけの今の小選挙区では、首相に睨まれたら非常に当選しにくくなった
 だから今の自民党は、首相である総裁の力が以前より非常に強くなった。
 そして自民党でも最右翼の清和会出身の小泉元首相により、新自由主義経済が日本に強力に導入され、日本は非正規で働く者の多い格差社会となった。
 さらに同じ清和会の現安倍首相のもとで、歴史修正主義的な色合いの濃い右翼的な政治が強力に押し進められている。

 少し前、日本の政治の悪い点として「決められない政治」という事が、さかんに挙げられた。
 丁寧な議論抜きで物事を強引に押し進めて行く小泉純一郎元首相のような政治を、多くの日本人は「わかりやすい」と言って好む
 しかし「決められない政治」は、そんなに悪い事だろうか。
「決められない民主政治」は、「悪い事をどんどん決めて行く独裁的な政治」よりまだずっとマシだと筆者は考えるのだが。
 そして今の日本では特定秘密保護法案に安保法制に共謀罪と、安倍政権下で数の力でどんどん強行可決されていっている。
 そして次は、憲法改正(改悪)だろう。

 こんな小泉政権や安倍政権の自民党を、かつての自民党を知っている筆者は「酷い党になったものだ」と苦々しく眺めているが。
 しかし党内の右派から中道穏健派までの間で徹底的な議論と意見のすり合わせがあり、極論に走らず穏健な保守中道路線を行っていたかつての自民党を知らず、ダメダメだった民主党政権のイメージが強い今の十代や二十代には、今の安倍自民党ですら「まだマシ」に見えるのだろう。
 首相に逆らうと党の公認を貰えない上に刺客まで送られる小泉政権以来の自民党の独裁化と、それに対抗できない野党のふがいなさを見るにつけ、今の日本の政治の劣化ぶりをつくづく情けなく思う。

 議論や話し合いや妥協のできる、真っ当な穏健保守だった昔の自民党を思うにつけ、それとは真逆の小泉政権や今の安倍政権の独裁ぶりに強い嫌悪と危機感を抱いてしまう筆者と。
 小泉政権や民主党政権の政治しかリアルに知らず、今の安倍政権が「まだマシ」に見えてしまう今の十代や二十代の若者と。
 さて、どちらがより不幸なのだろうか。

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安倍首相に権力者の資格は無い(森友・加計疑惑だけでない忖度とお友達優遇)

 昔なら王や将軍や大名、今ならば大統領や首相などの“偉い人”と言うか権力者に、貴方はなりたいだろうか?
 断言するが、筆者はなりたくでもない。
「権力は腐敗する」と言われる通り、よほど自制心がある出来た人間でなければ、清潔で立派な良い政治を行うことは難しいからである。
 権力者の生活は庶民の想像以上に窮屈だ。
 言いたい事をそのまま言えば問題発言になり、やりたい事を思うままにやれば“悪代官”になってしまう。

 例えば江戸時代の歴代の将軍のうちでも名君と言われる徳川吉宗は、食事をとる事にすら気を使ったという。
 何しろ江戸城は広い。
 そして台所は、城郭の隅の将軍の居る場所から離れた場所にある。
 だから料理が出来て、御膳奉行がチェックし毒味もして長い廊下を運んで将軍の前に出されるまでには、四十分くらいかかってしまうそうだ。
 その四十分の間には、予期せぬことも起きる。
 料理に小虫が入っているような事は、時折あったという。

 だが将軍は、それを叱ることが出来ない。
 料理に虫が入っていたと将軍が指摘すれば、それは当然責任問題になり、御膳奉行は切腹せねばならないからである。
 と言うと、「食べないで黙って残せばいい」と思う方もいるだろうが。
 しかしそれも出来ないのである。
 将軍の食欲や好みをチェックする為、下げられた膳の残り物は、他の家来たちに調べられる。
 だから残り物に虫などの異物があれば、当然わかってしまう。
 異物を食べずに残しても、御膳奉行は切腹だ。
 それで吉宗を含め、たいていの将軍は料理に入っていた虫などの異物も我慢して食べた。

 その吉宗がとても困ったのが、料理に鼠の糞が入っていた時だった。
 小虫ならば我慢して食べてきた吉宗だが、鼠の糞となるとさすがに食えない。
 しかし残せば、御膳奉行は間違いなく切腹である。
 で、吉宗はその料理の中の鼠の糞を黙って一旦口に入れ、そして口を拭くふりをして懐紙に出して捨てたという。
 権力者の言動の影響力は非常に大きい。
 だから権力を持つ者は言動にそこまで気を使い、己を律しなければならないのである。

 江戸時代、どの大名も財政難に苦しんでいたが、財政を特に圧迫したのが参勤交代の費用であった。
 だがその金が足りなくても、参勤交代は義務だから必ずせねばならぬ。
 で、金にとても困っていたある藩は、箱根の峠を越す時、荷物を運ぶ為に雇った箱根の人足に払うべき金も払えずに、そのまま踏み倒して逃げてしまった。
 参勤交代は毎年の事だから、翌年その藩はまた箱根を通ることになる。
 金を踏み倒された箱根の人足たちは、仕返しをしてやろうと、それを待ちかまえていた。
 人足たちは何食わぬ顔でその藩を迎え、その藩の注文も受けて荷を運んで箱根の坂を上った。
 そして坂を上りきった箱根の頂上で、荷を投げ出して一斉に逃げてしまったのである。

 それでその藩の侍たちは、数々の重い荷を自分たちで箱根を担ぎ下ろさねばならないはめになった。
 当然、現場は大混乱になり、荷を長い箱根の坂を運び下ろすのに時間もかかる。
 そこでその藩の主君である大名が、つい苛立った声を上げてしまった。
「いったい何をしておるのだ!」
 その一声で責任問題になり、道中奉行は切腹して果てた。

 藩の財政難や道中奉行の苦労もわかっているできた主君なら、「良い鍛錬になる、励めよ」と荷を運ぶはめになった家来らに声をかけたであろう。
 そこまで気が回らずとも、せめて知らぬ顔をして悠然として黙って待っているべきであった。
 それくらい、人の上に立つ者は自制心と皆を思いやる広い心が必要なのである。

 中世のイギリスに、己の言葉が周囲の者に及ぼす力を熟知した上で悪用した、ヘンリー2世という奸智に長けた王がいた。
 中世の欧州ではキリスト教の力が強く、王と教会はしばしば対立していた。
 で、ヘンリー2世は教会を抑える為に、友人のベケットを教会の大司教にした。

 だがそのベケットは、とても信仰心の篤い人間だった。
 ベケットにとっては、ヘンリー2世との友情より神と信仰の方が疑いもなく大切だった。
 だからヘンリー2世の期待に反し、ベケットは大司教に就任するとヘンリー2世の王権に真っ向から対立するようになった。

 それでヘンリー2世は、どうしたか。
「ベケット大司教にも困ったものだ、誰か何とかしてくれないものだろうか」
 盛んにそう、側近の者たちに愚痴をこぼした。
 効果はてきめんだった。
 間もなくベケット大司教は、王の側近の血気に逸る騎士たち四人に襲われて、殺された。
 例の“忖度”というやつの、権力者による悪用の見本であろう。

 当然、王が大司教を殺させたのだと疑われた。
 しかも犯人は、王の側近たちである。
 だが裁判で、ヘンリー2世はきっぱりとこう証言した。
「余は大司教を殺せなどと、神に誓って言ったことはない」

 言葉を文字通りにとらえれば確かにその通りで、王は嘘を言っていない。
 ヘンリー2世は「誰か何とかしてくれないものだろうか」と愚痴っただけで、「お前、大司教を殺してこい」と命じたわけではない。
 だが王の意志を忖度する側近の家来としては、「大司教を殺さねば」という気持ちになるのが当然であろう。
 そしてもちろんヘンリー2世もそれを期待して、例の愚痴をこぼしたのであろう。

 邪魔になった政敵の大司教(昔の友人)は、側近の家来が“勝手に”殺してくれて。
 しかも唆した自分は「神に誓って殺せなどと言っていない」と言い逃れられるのだから、ヘンリー2世としては、思い通りになり過ぎて笑いが止まらなかっただろう。
 森友・加計問題を考える度に、筆者はこのヘンリー2世と忖度の事を思い出す。

 2015年4月3日に、こんな事件が起きた。
 ジャーナリスト志望の伊藤詩織さんは、TBSのワシントン支局長であった山口敬之氏に、以前から就職の相談をしていた。
 すると山口氏から、現地支局での雇用に前向きな返事が来た。
 で、伊藤さんは一時帰国した山口氏と、その2015年4月3日に会って話すことになった。

 そして伊藤さんは山口氏と食事をし、酒を飲んだ。
 その途中から伊藤さんの意識が無くなり、気がつくとホテルのベッドで山口氏に性行為をされていた。


 伊藤さんは必死に抵抗してホテルを飛び出し、産婦人科に行った。
 しかし混乱していて、しかも知識も無く、レイプ事件に必要な検査、DNA採取や血液検査は受けられなかった。
 だから数日後に警察に行ったものの、証拠が揃っていないので刑事事件として扱うのは難しいと言われた。
 しかし伊藤さんは諦めずに手を尽くし、被害届と告訴状を提出した。
 そして山口氏に逮捕状が出された

 捜査担当者は、帰国する山口氏を逮捕する為に成田空港に向かった。
 ところがその寸前に、上層部からの介入でストップがかかった
 逮捕差し止めの判断を行ったのは、当時の警視庁刑事部長、中村格氏である。
 そしてその中村氏は、菅官房長官の秘書官としても活躍し、官邸に重用されていた
 さらに問題の山口氏は個人的に安倍首相と親しく、『総理』という本まで出版している

 安倍首相と親しい記者が、レイプ疑惑で逮捕状を出されて。
 しかし官邸に重用され、菅官房長官の秘書官もしていた警視庁の刑事部長によって、逮捕が差し止められる。
 ここに森友・加計問題でお馴染みの“忖度”や“お友達優遇”の図式を感じない人がいるとしたら、是非顔を見てみたいものだ。

 安倍政権を理屈抜きで擁護する人達は、「これは就職したい女によるハニー・トラップだ」と言うかも知れない。
 しかしもしこれがハニー・トラップならば、何故山口氏は伊藤さんを偽証や名誉毀損等で告訴しないのだ?
 TBSのワシントン支局長ともあろう人が、就職の相談をしてきた若い女性と初めて会ったその日に食事をして酒も飲み、しかもホテルで性行為に及ぶ。
 これが地位のある、まともな大人の男のする事だろうか。
 そして一旦は決まったその山口氏の逮捕を差し止めたのは、警視庁でナンバー3の、捜査員のトップである刑事部長だ。
 警視庁の刑事部長と言ってその地位がピンと来ない方は、刑事部長がどれだけの地位か、一度ネットか何かで調べてみてほしい。
 何故そんな地位の高い人が、殺人でも強盗でもない、レイプ事件での逮捕を差し止めるのだろうか。
 そして繰り返すが、逮捕状を一旦出された山口氏は安倍首相のお友達で、逮捕状を差し止めたのは菅官房長官の秘書官も務めた官邸に重用された人物である。
 これで「官邸の圧力や安倍首相への忖度など全く無い、山口氏は濡れ衣だ」と言い張るのは、例のヘンリー2世について「全く無実で唆しも忖度も無い」と言うようなものであろう。

 安倍首相とその周辺の“忖度”やら“お友達優遇”には、森友・加計疑惑だけでなく、こんな汚らわしい事件のもみ消しもあるのだ。
 そしてこの忖度とお友達優遇だらけの安倍政権を、この10月22日の衆院選で国民は支持した。

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本当の“国難”は北朝鮮のミサイルでなく安倍晋三氏がこの国の首相であること

 この10月22日の衆院選の争点を、安倍首相は「北朝鮮とそのミサイルへの対処だ」と言い、それを多くの有権者が受け入れている。
 筆者は断言するが、北朝鮮とそのミサイルへの対処は決して選挙の争点ではない
 安倍首相は森友・加計問題隠しの口実に北朝鮮とそのミサイルを使う狡い嘘吐きで、その嘘とまやかしに騙される有権者は馬鹿である。
 馬鹿と言うのが失礼だとしたら、「物事の本質を見抜く思考力がない」と言うべきか。

 なぜ「北朝鮮とそのミサイルが選挙の争点だ」というのが、嘘でまやかしなのか。
 答えは実に簡単明瞭だ。
 北朝鮮の姿勢とミサイルを肯定し賛同している政党が、日本に一つでもあるか?
 答えはノーである。
 自民党から共産党まで、すべての政党が北朝鮮の体制や政治姿勢やミサイルを批判し、反対している。
 なのにどうして、北朝鮮への対処が選挙の争点になるのだ?

 安倍自民党は支持率の低下の原因となっている森友・加計問題を国会で追求されこれ以上疑惑が深まるのを恐れて、冒頭解散に打って出て、その口実に安っぽい愛国心を煽り、頭の軽い人を騙しやすい北朝鮮問題を争点に持ち出したに過ぎない。
 敵を作って支持率を高めるのは、ヒトラーや小泉元首相ら煽動政治家が好んで使う常套手段である。
 で、今の日本でも多くの国民が森友・加計問題のことはすっかり忘れ、あるいは二階氏の言うように「小さな問題」と思うようになり、「北朝鮮に最も強硬な対応をしてくれそうな安倍サンを支持しよう!」と考えている。

 その森友・加計問題を小さな問題あるいはフェイク・ニュースとみなし、「北朝鮮に最も強硬な対応をしてくれそうだから」と安倍首相を支持する人達に聞きたい。
 もし北朝鮮が日本でなく韓国やアメリカにミサイルを撃った時にも、あるいはトランプ大統領が開戦に踏み切った時にも、貴方は米軍と共に戦場に出て北朝鮮と戦う覚悟があるか?
 安倍自民党は特定秘密保護法に続いて、安保法制も強行可決したが。
 それによれば、有事の際には自衛隊は米軍と共に海外でも戦うことになっている。
 日本にミサイルが撃たれたら自衛隊も米軍と共に朝鮮半島に出兵するだけでなく、日本でなくアメリカがミサイルで攻撃された際にも米軍を支援して朝鮮半島に出兵せざるを得ないのだ。
 北朝鮮に最もしっかり(強硬に)対応してくれそうだから安倍自民党に一票を入れようという有権者は、その事をわかっているのだろうか。
 日本が攻撃された際に日本を守る為だけでなく、アメリカや韓国の為にも自衛隊の血を流すつもりもあって、「北朝鮮に最も強硬に対応してくれそうな」安倍自民党を良いと思っているのだろうか。

 日本は専守防衛で、自衛隊は日本を守る為だけにある筈だ。
 それが小泉政権のイラク派遣の頃からおかしくなり始め、安倍政権が強行採決した安保法制で有事の際には米軍と共に海外でも行動する事が正式に決められた。
 だから北朝鮮問題で米軍が動けば、日本が攻撃されていなくても自衛隊は米軍と共に、朝鮮半島やその付近に行く事になる。
 野党に戦争法案と非難された安保法制とは、そういう法律なのだ。

 安倍自民党は、北朝鮮問題をこの選挙の争点に仕立てているが。
 北朝鮮の体制や政策やミサイルに批判的でない政党が一つも無い中で。
「北朝鮮に強硬に対応しそうだから」と、安保法制を支持する政党に貴方の一票を投じるということは、専守防衛の枠を越え「日本にミサイルが落ちなくても、アメリカ様と共に戦いマス」という事
なのである。
 そんなアメリカ従属の“強硬”を良しとするならば、どうぞ安倍自民党や希望の党など、安保法制に賛成しない者は排除する党に貴方の票を入れるがよかろう。

 筆者は安倍自民党だけでなく、安保法制に賛成しているすべての党に票を入れるつもりはない。
 ただ「侵略者と戦って戦争するより、戦わずに敵に占領された方がマシ」などと公言していた、空想的絶対平和主義者の旧社会党の末裔である社民党だけは、仮に日本がミサイルで攻撃されても、ただ言葉で非難するだけで自衛隊は動かさず、正気で「話し合いで解決すべきだ」と言いそうだ。
 だから筆者は、この党にも絶対に票は入れない。

 安倍首相は選挙の応援に出た先で盛んに北朝鮮の脅威を言い立て、そして少なからぬ国民がそれを信じて森友・加計問題など忘れ「北朝鮮問題こそ争点だ!」と信じかけているが。
 国民よ、目を覚ませ!
 もし北朝鮮の問題がそれほど重大な危機、安倍首相の言うところの“国難”であるならば、首相は官邸に籠もってその対応に専心している筈だ。

 そして国会でも、北朝鮮問題を積極的に討議すべきであろう。
 しかし現実には自ら言うところの“国難”の最中に衆院を解散し、首相も各地を飛び回って候補者の応援演説をしている。
 これで本当に“国難”か?
 少なくとも筆者には、安倍首相は森友・加計疑惑を国民に忘れさせる為に、北朝鮮のミサイルを“国難”として利用しているようにしか見えない。

 北朝鮮がいつまたミサイルを撃つかわからない時期に衆院を解散して選挙をするのは無責任ではないか、選挙中にもしまた北がミサイルを撃ったらどうするという問いに、「安倍首相か菅官房長官のどちらかが、必ず官邸に居るようにする」との答えがあった。
 しかしそれもまた嘘であった。
 事実は、安倍首相と菅官房長官が二人とも選挙の応援に出ている時もあった。
 安倍首相やそのお仲間の言う北朝鮮の危機など、実際にはこの程度のものなのである。
 繰り返し言うが、北朝鮮の危機が選挙の争点だという与党の首脳はみな嘘つきのまやかし野郎だし、それに騙される有権者は馬鹿である。
 そしてその嘘つきでまやかし野郎の政治家の口車に乗せられて騙される馬鹿な有権者がどれだけ多いか、この国がどれだけ衆愚政治に近付いているか、22日の深夜から23日の朝までに明らかになることだろう。

 安倍首相は、前々から森友・加計問題について「丁寧な説明をする」と国民に約束していた。
 しかしその約束を果たさぬまま、北朝鮮による“国難”を口実に衆院を解散して。
 そして選挙中にも、森友・加計問題については何も説明しないまま、「説明をすべて聞いてくれた方は、疑惑は無いとわかってくれた」と強弁した。

 これで安倍自民党が10月22日の衆院選に勝利したら、安倍首相は「国民の審判を受け、森友・加計問題について疑惑は無いと国民に認められた!」と胸を張って言うだろう。
 こんな嘘つきで面の皮の厚い安倍首相とそのお仲間に、選挙で勝たせて良いものだろうか。
 筆者は安倍晋三氏がこの国の首相であり続けている事こそが、本当の“国難”であると断言する。

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票を入れたい候補者がいなくても棄権は絶対にしてはならない理由

 まず最初に前提として言っておくが、筆者は徹底した自由主義者だ。
 右の国家主義者(ナショナリスト)であろうが左の社会主義者であろうが、とにかく全体主義は大嫌いである。

 だから「知識人はほぼ左翼」だった学生時代には、大多数を占める左翼の学生や教授らと口論に近い論戦をした。

 筆者の学生時代の“リベラルな知識人たち”は、本当に頭がおかしかった。
 とにかく「資本主義社会は腐敗していて戦争が好きで、共産主義国には腐敗が無く戦争をしない」と信じていて、その思想信条を最優先して現実を見ようとしなかった。
 そんな筆者の学生時代には、北朝鮮は進んだ工業国で、韓国は独裁政治の遅れた国と百科事典に書かれていた。
 そして朝鮮戦争も、多くの“知識人たち”が「韓国が仕掛けたもの」と考ていた。
 中国の文化大革命も、まるで良い事のように考えられていた。
 憲法第九条さえあれば、自衛隊が無くても平和は守れる、いやむしろ自衛隊は戦争のもとだとリベラルな知識人たちは考えていた。
 だから筆者は大学のゼミで、事実をもとにそうした狂信的な左翼思想に一つ一つ反駁し、左翼の同級生や教授たちと常に論争した。
 そしてその挙げ句に、「コチコチの右翼」と言われるに至った。
 だから筆者は、今も左翼が大嫌いだ。

 だが筆者は、左翼と同じくらい右翼の国家主義者たちも大嫌いだ。
 天皇が神だとか神の末裔だとか、天皇陛下の為に死ねだとか、頭がおかしいとしか筆者には思えない。
 繰り返すが、筆者は個人の個性や自由を重んじる自由主義者で、右であろうが左であろうが全体主義的な思想や体制には嫌悪しか感じない。
 だから「天皇陛下とお国の為に死ね」と洗脳し強要して侵略戦争に走った戦前戦中の日本の政治体制や社会の空気も、嫌悪というより憎悪している
 戦前戦中の軍国日本も、スターリンのソ連や毛沢東の中共と同じくらい嫌いなのだ、筆者は。
 ただ筆者の学生時代には日本全体の空気が左寄りで、戦前戦中の日本を賛美する右翼など殆どいなかった。
 いたとしても、軍国日本を肯定するような発言に及ぼうものなら、左翼の皆から袋叩きに遭った。
 だから自由主義者で個人主義である筆者の戦う相手は、必然的に左の全体主義(社会主義)者たちになった。
 筆者は思想的には中道だと思っているが、時代が筆者を「右翼」に押しやったのだ。

 ところがどうだ、安倍政権下で日本は急速に右傾化、国家主義化している
 戦前戦中の軍国日本を美化し、あの侵略戦争も「アジアを白人支配から解放する戦いだった」と肯定する空気が世に満ち溢れている。
 オピニオン誌と言えば、日本に都合の悪い歴史の事実はすべて否定し、大日本帝国とその戦争を称え、中国や韓国を叩くものばかりが書店に並ぶようになっただけでなく。
 与党や内閣の要人までが、結局は「天皇と国家の為に死ね」と教える、戦前の教育勅語を肯定している始末だ。
 そして首相自ら、あの無謀な侵略戦争を引き起こして刑死したA級戦犯を「今の日本の繁栄の礎になった昭和殉難者」と称える有り様だ。

 民主主義国では、政府の情報は国民のものでもあるというのが常識だが。
 特定秘密保護法で、政府に都合の悪い情報は国民から覆い隠せるようにして
 そして戦争法案で、海外でのアメリカの戦争に日本も参加できるようにして
 さらに戦前の治安維持法の平成版とも言える、共謀罪も強行採決して
 これで我々国民は、政府に反対するデモを計画しただけで「テロを計画した」と言われ、警察に逮捕されかねないようになった。
 共謀罪の危険なところは、「計画しただけで罪になる」という点で、だから今の政府の政策に批判的な市民運動家は公安警察にマークされ、常に内偵されることになるだろう。
 この第二次安倍政権のたった数年間で、日本は驚くくらい戦前の大日本帝国に逆戻りしている
 そうした時代と世の中の空気が、本質は中道のまま変わっていない筆者を、今度は「左翼」に押しやっているのが現実だ。

 筆者は時々、「日本人は頭がおかしい」と本気で思うことがある。
 戦前戦中は天皇を神と信じて「鬼畜米英!」と叫んで戦争に突っ走り、竹槍と大和魂wwwで米軍の戦車にも勝つつもりでいて。
 それが戦争に負けると、「ギブ・ミー・チョコレート」と米兵に媚び、「天皇陛下バンザイ!」と叫んだ同じ口で「民主主義バンザイ」と平気で叫ぶ。
 そして民主主義どころか、一気に左翼に走って。
 日本が起こした侵略戦争もただ反省するのではなく、「日本が自衛の戦力も持たなければ戦争は無くなる」という極論に突き進み、自衛隊を税金泥棒と非難する有り様だ。
 それが今ではまた戦前の日本を賛美し、「あの戦争は侵略ではなく、白人支配からアジアを開放する戦いで、日本はアジアから感謝されている」との嘘を公言する歴史修正主義者が幅を利かせ、侵略の事実を言うと「反日の自虐史観」と非難される時代に戻りつつある。

 日本人は、どうしてこう右から左へ、そしてまた右へと大きく振れ、日本に都合の良い事も悪い事も、どちらも冷静に事実は事実と認める中庸中道の道を進めないのか。
 筆者には、それが不思議でならない。
 明治維新後の日本はいつも右か左かのどちらかで、中道であった時が無い
 国を愛する者として、それが残念でならない。

 例えば筆者は、近年の中国の帝国主義的な振る舞いには腹を立てている。
 尖閣諸島は間違いなく日本の領土だし、中国もそれを認めていた。
 しかし尖閣諸島近くの海底に資源があるとわかってから急に「中国の領土だ!」と言い出し、反日教育をして横暴な振る舞いに出ている。
 だが過去に日本は間違いなく中国を侵略し、中国に多大な被害と苦痛を与えている。
 そして中国は、「日中友好の為に」とその戦争被害の賠償請求を放棄してくれている。
 その点で日本は中国に負い目と借りがあることは、日本人は忘れるべきでないと筆者は思う。

 同様に、筆者は竹島は間違いなく日本の領土だと確信しているし、日本がまだ占領下で自衛力を持てなかった時期に竹島を奪った韓国に怒りを感じている。
 また、慰安婦問題も難癖や因縁に近いものと思っている。
 しかし大日本帝国が韓国を植民地支配し、韓国人のプライドを傷つけた事実も間違いなくあると理解している。
 そして小池百合子都知事らある種の思想を持つ人達が否定している、関東大震災の際にデマを信じた日本人により朝鮮人が大勢虐殺されたのも事実と考えている。

 尖閣諸島や竹島や慰安婦の問題では理は日本にあり、非は中国や韓国にあると考える。
 しかし過去の侵略戦争や植民地支配は、間違いなく日本が悪い。
 すべてどちらかが良くて、何もかもどちらかが悪いなどという事はないのだ。
 日中戦争における戦争責任や南京大虐殺などの問題と、尖閣諸島の問題は「話が別」なのだ。
 竹島や慰安婦の問題や韓国の植民地支配の問題も、一緒くたにせずそれぞれ別個に是非を考えるべきなのだ。

 しかし多くの日本人は、それが出来ない。
 戦前は「大和民族は世界一優れた民族だ」と威張って、中国人や韓国人を軽蔑し差別して。
 戦後の左翼の時代には、掌を返し「すべて日本が悪かったデス」と自虐に走って。
 そして今は、「日本は何も悪くないし中国では虐殺も無かった、植民地支配でなく韓国には日本の税金を投入して恩恵を与えた」と歴史修正主義に突っ走っている。
 人とは複雑なものであり、社会や国家も善と悪が入り交じったものなのだ。
 なのに多くの日本人は、何でも白と黒、善と悪とに単純に色分けしようとする
 何と愚かな、知性の貧しい人達なのだろうと呆れる。

 日本人の多くがそんな有り様だから、今の日本ではイデオロギーや主義主張や個人的な情念を抜きに、冷静に事実と現実をよく見て判断し行動しようとする中道の勢力が、すっぽりと抜け落ちている
 例えば間もなく行われる衆院選挙で、筆者の選挙区の立候補者は、安倍自民の前職と希望の党と共産党の新人の3人だ。

 安倍首相は英国やフランスの報道機関ではナショナリストとはっきり言われている、疑いのない国家主義者で日本を戦前に戻したい政治家だ。
 そして小池百合子氏は改憲論者で、安保法制に賛成でない者を希望の党から排除した、これまた疑いようのない右翼だ。
 さらに小池氏は、関東大震災の際に日本人が韓国人を虐殺した事を認めたくない歴史修正主義者でもある。
 だから右であろうが左であろうが全体主義が嫌いな筆者にとって、安倍自民や希望の党の候補者に投票するなど、あり得ないし考えられないことだ。
 しかし残る共産党の候補者にも、票は入れたくない。
 右翼か左翼か、選択はその両極しかないのだから、右も左も嫌いな筆者としてはとても辛い。

 安倍政権下で右傾化する自民党や、その補完勢力でしかない希望の党や維新、それに共産党しか選挙区に候補者がおらず、筆者と同じように「投票する先がない」とお嘆きの方が、少なからずいるのではないだろうか。
 しかし筆者は、それでも投票に行くつもりだ。
 それぞれの候補者の公約を熟読して、ほんの少しでもマシな候補者を消去法で選んで、何とか一票を投じるつもりだ。

 筆者の選挙区の候補者は右翼と左翼しかおらず、そして筆者は右翼も左翼も嫌いだ。
 しかし棄権は、絶対にしない
 何故なら棄権は、消極的な現政権の支持になるからだ。
 森友・加計の問題があっても、右傾化しつつある今の日本では安倍首相には少なからぬ熱狂的な支持者がついている。
 そしてそのネトウヨを中心とした安倍首相の支持者たちは、まず投票に行く。
 だから候補者が安倍自民と希望の党(または維新)と共産党しか居なくて、筆者のように「右も左も嫌い」という人達が「投票したい候補者が居ないから」と棄権をすれば、結局は自民党が勝つ
 同じ理由で白票を投じても、結局は安倍自民の勝ちにつながる
 そして安倍首相は「森友・加計問題も疑惑は無いと国民が認めた」と胸を張り、改憲に向けて突き進むだろう。

 特定秘密保護法、戦争法案、共謀罪と、公約にも無いこの国を戦前に戻すような法律を次々に強行可決し、教育勅語も肯定し、さらには森友・加計問題のような疑惑もあるアベ政治のままで良しと思うなら、自民の候補者に一票を入れるなり、棄権をするなりすればいい
 筆者はそうは思わないから、右翼と左翼しか候補者が居ない選挙区だが、今のこのアベ政治を止める為に、それでも今月の衆院選には必ず投票に行く。

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票が欲しい政治家が主張する「高等教育の無償化」の愚

 安倍首相の党利党略でいきなり衆院が解散され、世の中は選挙モードに染まっている。
 で、自民党も維新の党も、教育の無償化を公約の一つに掲げている。
 安倍首相は「意欲のある者すべてが高等教育を受けられるように」と言い、維新も「機会平等社会を実現する為の教育完全無償化」を公約にしている。
 改憲派の政党である維新は、変えるべき憲法として第九条を挙げ、そして教育の無償化も憲法に盛り込むべきと主張している。

 今の日本では、少子化が社会問題の一つになっている。
 そして親達が子供を多く持ちたがらない大きな理由として、高額な教育費が第一に挙げられる。
 だから高等教育も含む教育の無償化について、「良いことだ、大賛成!」と思う親世代の人達も多くいることだろう。

 だがちょっと待って貰いたい。
 その高等教育にかかる高額な教育費を無償化する為には、我々国民が高額な教育費を税金で負担しなければならないのだ。
 日本人には悪い癖があって、国や地方自治体が支出する金は「元は我々国民が出しているのだ」ということを忘れがちだ。
 で、その無償化する為の教育費も、結局は我々国民が税金という形で出さなければならなくなるのに、「国が払ってくれて、タダになるのだ。こりゃあお得で良い制度だ」と誤解してしまう

 自民党も維新も、進学したい“意欲”のある者すべての教育費を無償化すると公約に謳っているが。
 筆者はそれに大反対である。
 皆さんの周囲の大学生や高校生たちを、よく見ていただきたい。
 高等教育を受けている彼らはみな向学心に燃え、日々熱心に勉強に励んでいるだろうか?

 少子化ゆえ、今、少なからぬ大学が入学希望者の減少に悩んでいる。
 そして大学が思いついた解決策の一つが、キャンパスを都区内や大都会に移すことだ。
 これまでは、大学のキャンパスと言えば郊外の自然豊かな広々とした場所にあった。
 しかし今では、都区内等の狭い敷地に高層ビルの学舎を建てる大学が増えていて、そしてそれが大学生や受験生に好評なのだという。
 当の大学生たちは、「都心で買い物をしたりカフェでお茶を飲んだりできて、大学生活をエンジョイできる」と大喜びだ。
 勉強に便利だから、キャンパスを都心や大都会に移したいのではない。
 彼らは遊びたいから、キャンパスが大都会にある大学に行きたいのだ。
 皆が皆そうだとは言わないが、大学にまず勉強に行っている者はそう多くない。
 都会で遊びたい
 それが少なからぬ大学生達の本音なのだ。
 そんな“まず遊びたい大学生”の学費まで、我々国民の税金でタダにしてやる必要があるのだろうか?

 無論、真面目に勉強に励んでいる大学生や高校生もいる。
 しかしその一方で、「青春を謳歌する」と称して遊びほうけている学生も、数多くいる。
 勉学より遊びやバイトや飲み会などに時間を費やしている“高等教育を受けている学生”が、貴方の周囲にもいるのではないだろうか。
 義務教育だけでなく、高等教育も含むすべての高等教育を無償化しようと言うのは、その種の「遊び暮らしている学生の教育費まで無償化して、皆の税金で面倒をみよう」ということに他ならないのだ。
 高等教育も含む教育の無償化を主張する政党と、その公約に喜ぶ有権者達は、その事をおわかりだろうか。

 今の高等教育、特に大学の学費が非常に高額であることは、筆者も知っている。
 そしてその為に、意欲も学力もあるのに経済的な事情で進学を断念せねばならない若者が多くいることも、筆者はわかっている。
 だから筆者も、意欲と学力があるのに経済的な事情で学費を出せない者の教育費を無償にすることには大賛成したい。

 安倍首相は「意欲のある者すべてが高等教育を受けられるように」と言って、高等教育の無償化を公約の一つに掲げたが。
 安倍首相の言う“意欲”とは何か?
「勉強は嫌いだが、大卒や高卒の資格だけは欲しい」という者に、高等教育を受ける“意欲”などある筈がない。
 ただ「学歴が欲しい」というだけで、勉強する気も無く大学ではまず遊びたいくせに、「学費をタダにして税金で面倒みてほしい」など、甘ったれるにも程があると言いたい。
 だから筆者は、安倍首相や維新が公約に掲げる高等教育の無償化には大反対だ。
 あるのは「学歴が欲しい」という意欲だけで、本当に勉強する気も能力も無く大学や高校で遊びたい者の高等教育には、我々の税金から一円も支出して欲しくないと、筆者は心から思う。

 無償にすべきなのは、意欲もあり実際に頑張っている者の高等教育にかける費用だ。
 返す必要の無い奨学金の枠をもっと拡充し、意欲と能力が共にある者の高等教育はもっと積極的に無償化すべきだと筆者は考える。
 それが我が国の未来の発展にも繋がる筈だ。
 それに対し、勉強したい意欲も学力も無く、ただ学歴だけ欲しくて遊びたい者の教育費まで「税金で無償にしよう」などというのは、ふざけているか納税者を愚弄しているとしか思えない

 筆者自身について言えば、筆者は塾などに通ったことが殆ど無く、少なくとも高校までの教育費はかなり安上がりだったと思う。
 筆者は小学校の低学年の頃から、本や図鑑などを読むのが大好きだった。
 学校で教えられる暗記中心の、テストで点を取るための勉強は嫌いだったが、世の中の出来事や生き物や気候や天体や自然に関する事などにはとても興味があり、自分から積極的に本や図鑑を読んで勉強した。
 また、古典を含めて小説を読むのも好きで、文学全集なども読みあさった。
 小学校高学年のうちから大人が読む新聞を政治や外交面からすべて熟読し、テレビもニュースやNHKスペシャルなどをよく見た。
 だから筆者は、学校の勉強は殆どしなかったが成績はそれなりに良かった。
 教科書の予習復習やテスト勉強はしないが、筆者は筆者なりに好きで楽しんで教養としての勉強をかなり熱心にしていた。
 おかげで高校は公立の進学校に行け、大学も本命と滑り止めには落ちたが、ナダレ止めに受けた第三志望の偏差値60程度の学校には受かった。

 その大学に受かる為に、筆者は特に何もしなかった。
 塾にも予備校にも行かず、ただ過去5年間の受験問題をまとめたいわゆる赤本にざっと目を通しただけだ。
 だから「受験にはとてもお金がかかる」と言うのは嘘だと、筆者は断言する。
 当人に意欲があって自分で頑張れば、新聞を熟読し、テレビのニュースや報道番組や教養番組を欠かさず見て、図書館にもよく通えば、学費などかけなくてもそれなりの学力と知識は身につく
 少なくとも筆者には、進学に塾も予備校も全く必要なかった。

 で、残る問題は大学の入学金と授業料ということになるが。
 だから筆者は進学したい者すべての教育費を無償化するのではなく、意欲と一定以上の学力のある者に手厚い支援をすべきだと考える。
 繰り返すが、勉強する気も学問に対する興味も無くただ学歴だけ欲しい遊びたい者の教育費まで税金で支払うなど、筆者は絶対に反対だ。

 筆者の従妹の夫は、高卒で公務員になった人だ。
 従妹自身もその姉も両親も一流の大学を出ていて、だからその結婚に従妹の両親は当初かなり反対をした。
 しかし従妹が「この人でなければダメ!」と頑張ったので、従妹の両親もついに折れて結婚を認めた。
 従妹が頑固に頑張っただけあって、その夫はとても良い人だった。腰が低く率先して働き、そしてよく気がつく。従妹の両親にも良くして、従姉妹の両親もやがて姉娘の夫(一流大学を卒業し名のある大企業に勤務しているエリート)より良い人だと認めた。
 その従妹の夫がなぜ大学に進学しなかったのかは、筆者は知らない。しかし親戚の集まりでテキパキ立ち働く様子を見れば、進学する能力が無かったというようにはとても思えなかった。

 で、安倍首相や維新の公約のように高等教育を含むすべての教育を無償化するとなると。
 筆者の従妹の夫のように、高卒で真面目にコツコツ働いてきた納税者の税金が、学ぶ意欲も学力も無いのにただ学歴だけ欲しい遊んでいる大学生の“教育費”にも費やされることになる
 それで良いのか、納税者の皆さん!

 今では進学率が上がり、義務教育は中学校までだが殆どの者が高校に行き、そして半数以上の者が大学にも行くようになった。
 だから高等教育、高校や大学のレベルが下がった。
 中学の勉強の復習どころかアルファベットから勉強し直す高校もあれば、中学や高校の復習を勉強し直す大学も珍しくない始末だ。
 アルファベットや算数からやり直す高校に、中学や高校の勉強をやり直す大学。
 これが“高等教育”か?
 安倍首相の言う“意欲”のある人の学校か?

 こんな大学や高校をタダにして学費を全額我々の税金で面倒を見るなど、少なくとも筆者はとんでもない話だと考える

 先日、iPadを使っての授業で、授業に関係の無いサイトを閲覧していた生徒のiPadを取り上げた教師が、その生徒に何度も蹴られる場面が動画サイトで話題になり、ニュースでも取り上げられていた。
 その教師を蹴った生徒や、それを笑ったり拍手したりして見ていた生徒らのような輩も、無償で我々の税金で面倒を見るべきなのだろうか?

 今でも義務教育は、中学校までである。
 その意欲も学力も無いくせに、ただ学歴欲しさで高校や大学に皆の税金で無償で進学して遊ぼうというのは図々しいにも程があると筆者は考える。
 勉強したいのに家庭の経済状況で進学が困難な生徒には国が全面的な支援をすべきだ、しかしやる気も無く自ら勉強もせずに遊んでいて学力の無い者は、義務教育だけの中卒で充分だ。

 それは一流の高校や大学に進学するには、家庭にそれなりの経済力が必要なのだろう。
 しかしただ欠かさず新聞を読みニュースを見て、そして図書館に通って本をよく読むだけで、単なる暗記のテスト勉強を越えた学力と言うか、それなりの教養が身につくものだ。
 だから筆者は税金は優秀な生徒や研究者を育てる学校と、やる気と学力はあるが経済的な困難に直面している学生に、重点的に手厚く投入すべきだと考える。
 繰り返すが、ただ学歴だけ欲しい進学して遊びたい学生には一円の税金もかけて欲しくない
 例のiPadで勝手な検索をしたのを咎められて教師を何度も蹴った学生にも税金が使われているのかと思うと、納税者の一人として情けなくなる。

 今は子供の学費にお金がかかるから、政党や政治家から「高等教育費をタダにする」と言われると、「それは良い!」と飛びつきたくなる有権者も少なくないだろう。
「ウチの子がタダで大学に行ける!」というのは、確かに良い話に思えるかも知れない。
 しかし「タダより高いものは無い」と言うように、それは同時に「よその家の遊んでばかりのバカ息子たちも皆、貴方の税金で大学まで行かせてやらねばならない」ということでもあるのだ。

 安倍首相や維新などの言う、高等教育の無償化に賛成するならば、そこまで承知の上で賛成していただきたい

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小池都知事と都民ファーストの会を信用できない理由

 今、政界では小池百合子都知事が大人気で、それにあやかろうと日本各地で“○○ファーストの会”なる政治団体が結成されている。
 しかし筆者は都民ファーストの会も含めて“○○ファーストの会”という組織も、そして小池百合子氏自身も信用ならない、胡散臭い存在と見ている。

 ○○ファーストという言い方は、アメリカのトランプ大統領がまだ候補者だった頃から盛んに口にしていた、アメリカ・ファーストという言葉から来ているのだろうが。
 しかし誤解してはならない。
 トランプ氏はあくまでも共和党の大統領であって、“アメリカ・ファーストの会”なる新政党を立ち上げてその党首になったわけではない
 トランプ氏の言う「アメリカ・ファースト」というスローガンは、「外交や経済では自国のアメリカを第一にしますよ」という政治的な公約の一つであって、彼の政策すべてではないのだ。
 一見似ているようだが、トランプ大統領がアメリカ・ファーストを政治的なスローガンの一つにするのと、小池都知事らが○○ファーストという政治組織を立ち上げるのは、中身も意味もまるで違う。

 超大国であるアメリカが「アメリカ・ファースト」と唱えて自国第一主義の行動を取ることについては、筆者は疑問を抱いている。
 世界に大きな影響を与える超大国が、諸外国への影響も考えずに自国第一主義に陥って良いものだろうか。
 超大国には、超大国らしい振る舞いが要求されるものだ。
 そしてそれが充分に出来ていない中国は、諸外国から専横的だと非難も浴びている。
 ただアメリカが“世界の警察”として各地に軍隊を派遣し戦死者も出したり、経済摩擦で赤字を出し国内産業が空洞化して失業者を多く出していることなどに、少なからぬアメリカ人が苛立ちを感じている気持ちもわかる。
 そしてそれが、アメリカ・ファーストをスローガンにしたトランプ氏を大統領に押し上げたのだ。
 ただ繰り返して言うが、アメリカ・ファーストと言うのはトランプ氏の政治スローガンの一つであって、彼の政策のすべてではない。
 トランプ大統領は共和党の大統領であって、“アメリカ・ファーストの会”を結成しそのリーダーとして大統領になったのではない。
 小池氏や○○ファーストの会を標榜する日本の政治家たちとは、そこが違う。
 その点を、よくわきまえなければならない。

 小池氏は「とにかく都民を第一に考えます」という都民ファーストの会を結成し、そして多くの都民の支持を得て選挙でも大勝したが。
 筆者は小池氏と、都民ファーストの会に一票を入れた支持者たちに問いたい。
あなた方の言う“都民”とは、いったいどの人達のことなのですか?

 ただ都民と言ってもいろいろだ。
 都区内の高級住宅街に住む大金持ちも、山谷などのいわゆるドヤ街に住む身よりの無い貧しい人々も“都民”だ。
 靖国神社に熱心に行きA級戦犯も神として拝む右翼も、バリバリの左翼の共産党員も“都民”だ。
 儲け第一で社員は限界まで働かせて使い捨てで良しと考えているブラック企業の経営者も、その下で働き過労死寸前に追い込まれている従業員もまた“都民”だ。
 都民と言っても、本当にいろいろなのだ。
 例えば築地市場の移転問題を考えても、早く豊洲に移りたい業者も、築地のままで良いと考えている業者も、どちらも“都民”だ。
 小池都知事とそのお仲間は、何かと言えば都民ファーストと口にするが。
 いろいろいる都民すべてにとって良い政策など、ありはしないのだ。

 都民ですらいろいろなのに、“国民ファースト”とか“日本ファースト”とか、すべての国民に良いようにしてくれる政党が存在し得る筈が無い。
 そんな最初から無理とわかる政党を立ち上げようとする政治家は狡猾か頭がおかしいかのどちらかだし、そんな政党の登場を期待する国民は頭が悪い。

 政治家にとって大事なのは、己の軸足をどこに置いているかを、選挙民に対してはっきりさせる事だ。
 例えば労働問題なら、経営者と労働者のどちらの味方であるか。
 そもそも右翼と左翼と中道と、どの道を行くか。
 特定の宗教勢力と親しくするか、政教分離の精神を大事にするか。
 高齢者の福祉と少子化対策や子育ての援助と、どちらに重点を置くか。
 アメリカ軍との協力をより密にして海外にも自衛隊を積極的に派遣するのか、憲法第九条の精神を守るのか。
 国の財政が破綻に近づいているが、国民の反発も覚悟で増税に踏み切るか、それともまだ赤字国債等を発行して借金を続けるか。
 それら数限りない諸問題をはっきりさせないで、ただ都民だの、国民だの、○○県民だのと対象を広くボカして、多くの人にウケそうな甘い言葉で票を集めようとする政治的な行為は詐欺に近い。
 さらに言えば、その点に気付かずに“○○ファースト”という政治勢力に、よく考えもせず迂闊に一票を入れてしまう有権者も、大人として愚かだ。

 何度でも繰り返すが、トランプ大統領は数ある政策の一つとしてアメリカ・ファーストというスローガンを掲げたのであって、それのみが彼の政策のすべてではないのだ。
 にもかかわらずこの国では、○○ファーストという言葉に多くの政治家だけでなく、多くの国民までが踊らされている。

 さて、今の安倍政権や自民党都議団には反発を覚えるがサヨクではない、金持ちから貧乏人に至る多くの都民が支持している小池都知事とそのお仲間だが。
 多くの都民が、それぞれの立場で「自分に良いような政治をとってくれる筈」と期待しているようではあるが、そろそろ少しずつメッキと化けの皮が剥がれてきている。
 その一例が、関東大震災の朝鮮人虐殺事件の追悼式典への対応である。

 1910年の日韓併合で、朝鮮は日本国の一部になった。
 それに対して朝鮮では反発も大いにあったが、同時に「同じ国になった」ということを利用して、多くの朝鮮人が仕事を求めて日本にやって来た。
 これは日本政府や軍が強制的に連れて来たのではなく、彼らが自ら来たのである。
 それで1923年に関東大震災が起きた時、東京にも多くの朝鮮人が暮らしていた。

 筆者はその時国内にいた朝鮮人について「強制連行ではなかった」とは言ったが、だからといって「差別がなかった」というわけではない。
 日本は朝鮮を日本に併合し、当時の朝鮮人は名目的には“日本人”になったが。
 当時の元からの日本人は、朝鮮から来た人達を「同じ日本人」として温かく迎えたわけではなかった。
「日本人は一等国民で、朝鮮人は二等国民で、満州人は三等国民だった」と、戦前に満州にいた人も証言している。
 で、全員とは言わないが多くの日本人は、朝鮮人を二等国民と見下げて差別していたのだろう。
 だからこそ、「朝鮮人には恨まれている」と思い当たる部分があったからこそ、関東大震災の直後に「朝鮮人が放火や略奪をした、井戸に毒を入れた」などのデマが一気に広がり、皆がそれを信じたのだ。
 そして当時の都民は、何の証拠も無いのに自警団を作り、朝鮮人を追い回して片端から殺した。

 その時の状況を、当時のフランスの駐日大使であったポール・クローデルが本国にこう報告している。
人々は不幸な朝鮮人たちを追跡しはじめ、見つけしだい、犬のように殺しています
 そして一説には、約六千人の朝鮮人が虐殺された。

 江戸時代から鳶職の人達は町内の自警団的な働きもしていて、だからこの関東大震災の時にも、都心で震災に遭ったある作家は、「朝鮮人が鳶口で頭を割られて殺されたのを見た」と書き残している。
 鳶口とは、鳶職などの人が建物を壊したりする時に使う、棒の先にトビの嘴のような鉄の鉤が付いたものである。
 何もしていないのにデマで、その鳶口で頭を割られて殺される人の姿を想像してもらいたい。
 虐殺された朝鮮人がどれだけの“恨”を残したか、考えるだけでも辛くなる。

 だから歴代の都知事は、関東大震災の朝鮮人虐殺事件の追悼式典に追悼文を送ってきた。
 あのタカ派で知られた右寄りの石原慎太郎元都知事でさえ、送っていた。
 しかし小池都知事は、今年それをとり止めた。
 小池都知事によれば、虐殺で殺された朝鮮人も“災害で亡くなられた方”として関東大震災の大法要で追悼しているから、別に追悼文を送らなくても構わないのだそうだ。
 記者会見でその事について問われて、小池都知事はこう言った。
「すべての方々への哀悼の意を述べさせていただくという気持ちに変わりはない」
 つまり小池都知事によれば、「震災で亡くなった人も、震災後にデマによりリンチで虐殺された人も、同じ震災の犠牲者」ということらしい。
 同じ犠牲者であるものか!
 天災による避けようもない不幸な不慮の死と、震災を生き延びたのにリンチという人災で殺された人の死を一緒にできる人がいたとすれば、その人は頭がおかしい。
 そして小池都知事もまた、その“頭がおかしい一人”であるようだ。

 小池都知事が関東大震災の朝鮮人虐殺事件の犠牲者の追悼式典に追悼文を送るのをとりやめたそもそもの発端は、さる自民党の都議が、都知事が追悼文を送ることに反対する質問を議会でしたことにある。
 その自民党の都議の反対理由は、虐殺に遭った六千人と言われている朝鮮人の犠牲者数について不満と異論があったからだ。
 本当に、「馬鹿か!」と言いたい。

 六千人と言われる犠牲者数に異論はあっても、だからと言って「関東大震災後に、日本人による朝鮮人の虐殺は無かった」という事にはならない。
 数に異論はあっても、数千人の朝鮮人がデマにより、日本人の自警団や警察官の手で殺された事実に間違いは無いのだ。

 ところが近年、数の問題で日本人による虐殺事件を「無かったこと」にしようとする、自称“愛国者”がこの国の中で増えつつある。
 例えば南京大虐殺については、中国側の主張する犠牲者数には大いに疑問があるが。
 しかし数の問題はどうあれ、南京で日本軍による虐殺そのものがあった事実は、南京に在住していたドイツ人など反日的でない公平な第三者や、日本軍の兵士自身の証言でもはっきりしている。
 しかし自国の非は絶対に認めたくない、日本の黒は白と言い張るのが愛国だと信じる愚か者たちは、「数が違うから南京大虐殺も無かった」と強弁する。
 そして関東大震災の朝鮮人虐殺事件についても数にイチャモンを付け、日本の“黒歴史”の一つである虐殺事件を「無かったこと」にしたい輩が自民党の都議団にいて、小池都知事もその都議の質問に乗っかった、というわけだ。

 小池百合子氏と言えば、日本新党を振り出しに新進党、自由党、保守党、自民党と渡り歩いた“政界渡り鳥”として有名で、細川護煕元首相や小沢一郎氏などの有力者に気に入られ、小泉純一郎元首相には劇場型政治を学んだ大衆煽動の巧い政治家である。
 で、今は自民党を見切り、「利権にしがみつく旧弊で頑迷な自民党東京都議団と戦う」という姿勢をアピールして、都知事選に都議選と選挙で二連勝してきているわけだが。
 その対決してきた筈の自民党の都議の質問に応じて、小池都知事は歴代の都知事が続けてきた、朝鮮人虐殺事件の追悼式に追悼文を送るのを取り止めた。
 そして虐殺事件の犠牲者については「災害で亡くなられた方として慰霊する」と言い、虐殺の事実から目をそむけて歴史から消し去りたいかのような態度を見せた。

 そう言えば、小池都知事は憲法改正にも賛成であるそうだ。
 関東大震災の朝鮮人虐殺事件の追悼式に追悼文を送るのを取り止めたり、憲法改正に賛成だったりと。
 小池都知事は自民党と対決して見せながら、実は自民党と同じか自民党より右という姿勢が透けて見え始めている。
 平清盛では無いが、小池都知事は着物の下に鎧を身につけている。

 時流を巧みに読み、小泉元首相直伝の劇場型政治で民衆を煽動している小池都知事に騙されてはいけない。
 今までは“都民ファースト”などと言って、己の立ち位置をうまく隠し、「女一人で、利権を握る男社会で老人支配の自民党都議団と対決する」という清新なイメージを先行させて、多くの“都民”から支持を集めてきた。
 いや、都民以外にも、小池氏に期待を寄せる国民は少なくない。
 だがそろそろ、皆も小池都知事と都民ファーストの会の欺瞞に気付かなくてはならない。
 小池都知事や都民ファーストの会など、所詮は自民党右派の代替勢力に過ぎない

 都民や国民と言っても、人はそれぞれなのだ。
 金持ちもいれば貧乏人もいて、経営者もいれば派遣社員もいる。
 老人もいれば、子持ちの家族もある。
 右翼もいれば左翼もいて、天皇や一個人を神と信じる信者もいれば無神論者もいる。
 様々な立場のいろいろな人がいるのに、「都民」とか「国民」とかで一括りにできる筈もないのだ。
 だから筆者は都民ファーストの会など最初から不信の目で見ていたし、その別働隊のような○○ファーストの会が全国で雨後の筍のように増えている現状を、苦々しい思いで見ている。

 騙されてはいけない。
 小池都知事は、本質は自民党右派と同じだ。

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安倍首相が推し進める改憲は“憲法違反”?

 安倍政権下で改憲が盛んに語られるようになり、改憲が現実のものとなろうとしている。

 実は筆者も、「知識人≒左翼」だった幼い頃から、現憲法に違和感を抱いていた。
 例えば前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。
 そしてそれが戦争と武力の放棄および(自衛の戦争を含む)交戦権の否定をうたった第九条に繋がって行くのだが。
 しかし北朝鮮や旧ソ連や中国などの国々を見てみれば、平和を愛さず不公正で信義も無い国家が世界に幾つもある現実がわかる。
 自由と民主主義の理想を高く掲げるアメリカですら、今は「アメリカ・ファースト」と叫んでいる。
 世界のどの国も、自国の国益が最優先なのだ。
 そして国益の為には不公正なことや信義に反することもするし、時には戦争もする。
 そんな中で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」て武力を放棄し自衛の戦争も認めないなど、危険極まりないし、正気の沙汰とは思えない。

 だが筆者は、安倍首相を中心とする「とにかく“押し付け憲法”だから改憲すべき!」という情念と怨念に凝り固まった一派にも与しないし、戦前の旧帝国憲法に回帰したいかのような安倍自民党の改憲案には大反対である。
現憲法にも問題があるが、安倍首相の望む改憲はもっと危険で悪質だ」というのが、筆者のこの国の憲法に対する姿勢だ。

 安倍首相ら改憲をしたい人々は、よくこう言う。
「欧米などの自由で民主的な国々ですら、何度も改憲している。日本のようにたった一度も改憲していない国の方が珍しい」
 それは数字の上では事実だ。
 しかしその主張には、日本の現憲法と他国の憲法の違いを無視した悪質な欺瞞がある。

 安倍自民党が国会で絶対多数を占め、与党だけで憲法改正を国会に提案して可決することができるようになった。
 そんな情勢の中、去年、小学館の漫画雑誌であるビッグコミック・スピリッツが付録に日本国憲法の小冊子を付けて、話題となった。
 そしてその号のビッグコミック・スピリッツは完売となった。
 実は筆者も、そのビッグコミック・スピリッツを買い、日本国憲法の小冊子を手に入れた一人である。

 漫画雑誌が付録として付けられるくらいだから、日本国憲法は意外なほどに短い
 その付録の日本国憲法はイラスト込みで43ページ、文章だけでは前文も含めて僅か14ページしかない。
 文章を読むのを苦にしない人なら、短時間であっという間に読み切れてしまう。
 つまり日本の現憲法とは、細かい規定は書かずに原則だけをまとめたものなのだ。
 他国の憲法と比べて、量も内容もかなり少ない。
 細かいことは書いてないから、解釈の変更だけで足り、改憲を必要としてこなかったというのが現実なのだ。
 にもかかわらずその日本国憲法の特徴を無視し、細かい規定も盛り込んだもっと長い他国の憲法と改憲の回数だけを比較して「我が国が改憲しないのは、世界的に見ても異常だ」と言うのは、アンフェアである上に欺瞞であり、実に狡猾だ。
 安倍首相ら改憲したい人達の、このような狡い主張に騙されてはいけない。

 その短い戦後の平和で民主的な日本の骨組みとなる精神の部分だけを規定した日本国憲法を改めて読んでみて、気付いたことがある。
 厳密に言えば、改憲を声高に主張する安倍首相は、現憲法から見れば違憲とも言えるのだ。
 日本国憲法第十章最高法規の、第九十九条にはこう書かれている。

 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


 その規定から考えれば、国務大臣の長である首相が自ら現憲法を押し付け憲法と非難し、改憲の先頭に立つのは明らかに違憲であろう。
 首相は広義には国務大臣であるが、狭義には国務大臣ではないという。
 だが現憲法により、首相は国会議員でなければならないことになっている。
 そして国会議員にも、前出の憲法第九十九条により現憲法を尊重し擁護する義務がある
 だから国務大臣の定義を狭義で解釈しようと、安倍首相も憲法第九十九条を守らねばならない。
 そして今の安倍首相のどこに、現憲法を「尊重し擁護する」姿勢があるか。
 現憲法を非難し、改憲に躍起になっている首相の姿勢は、現憲法を読む限り違憲としか思えない。

 確かに現憲法の第九十六条により、憲法改正は「各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」とある。
 だから国会議員には、憲法改正を主張する権利もあると見なければならない。
 しかし先に紹介した憲法第九十九条には、国会議員も現憲法を尊重するだけでなく擁護する(かばって守る)義務を負うとある。
 さて、国会議員は憲法を変えようと発議できるという第九十六条の規定と、憲法を尊重し擁護する義務があるという第九十九条の、どちらを優先して考えるべきであろうか。

 国会議員が憲法改正を発議できると記した第九十六条は、憲法第九章の改正に書かれている。
 それに対し、前にも述べたように憲法を尊重し擁護する義務を負うと記した憲法第九十九条は、憲法第十章の最高法規の中に書かれている。
 常識で考えたら、最高法規を憲法の中でも最優先して考えるべきではないだろうか。
 だから憲法改正を発議はできるものの、国会議員は憲法を尊重し擁護する義務の方を、より優先すべきではないだろうか。

 国会議員が自国の現憲法を敵視して非難し、自ら先頭に立って憲法改正の旗を振るのではなく。
 国民(選挙民)の間から「今の憲法のままではいけない、ここをこう変えてくれ!」という声が高まって初めて、国会議員は憲法改正に動くべきではないだろうか。
 支持者の大半が改憲を強く望んでいるならともかく、そうではないのに自分の信念や歴史観から現憲法を敵視し、国会議員自身が改憲の先頭に立つのは違憲だと筆者は考える。

 ましてや一国会議員どころではない首相が、自ら現憲法を否定し、何年にはと時期まで明言して憲法改正を主張するのは、現憲法を読む限り間違いなく憲法違反ではないだろうか。
 憲法改正は政治家が、特に首相が旗を振り先頭に立って押し進めるものではなく、国民の中からそうした機運が高まってからすべきものと、筆者は考える。

 それにしても、改憲にかける安倍自民党のやり口は汚い。
 選挙ではあえて改憲を争点にせず、経済を前面に出して。
 そして選挙に勝てば「改憲は自民党の党是だから」と、改憲も民意を得たと言い張り、改憲をゴリ押ししようとする。

 そんなに改憲がしたければ、きちんと選挙の大きな争点にしろと、筆者は強く言いたい。
 とにかく改憲に執着する安倍首相は、どんな手を使っても改憲しようと策動している。
 筆者は現憲法に疑問も感じているが、こんな姑息で汚い首相のもとでの改憲は真っ平ごめんだ。

 戦後、日本は改憲をせずに条文の解釈の変更で乗り切ってきた。
 武力は持たないが自衛隊があり、戦争は放棄したが自衛権はあるなど、憲法の条文から見れば変な解釈は幾つもあるが。
 本質は「いざ事があれば皇室と御国の為に戦え」という教育勅語を肯定的に解釈するような安倍自民党のもくろむ改憲を進めるより、今の妙な解釈もある現憲法のままでいる方がよほどもマシだと、筆者は信じる。

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特攻隊を美談にしてはならない

 誤解を恐れずにはっきり言い切ってしまうが、知覧特攻平和会館などで公開されている、特攻隊員の遺書をそのまま額面通りに受け取り、「国や家族を思う強い気持ちと純粋さ」に素直に感動してしまう人は馬鹿である。
 馬鹿と言っては言い過ぎかも知れないが、知恵と知識と想像力が足りないことは事実だ。

 特攻隊に対する日本人の見方は、時代によって大きく変化している。
 戦時中には、お国の為に名誉の戦死を遂げた英雄と見られ、家の誇りとなる憧れの存在だった。
 が、戦争が終わると今度は一転して軍国主義の象徴とされ、遺族は周囲の人達から「馬鹿なことをした」と批判もされた。
 そして特攻隊員も、理解できない犬死にをした人と後の世代の者に思われるようになった。
 ところが近年ではまた時代と世の中の空気が変わり、特攻をした人を美化した小説や映画がヒットするようになった。

 しかし筆者は断言する。
 時代や世間の空気がどう変わろうと、特攻隊員は犬死にした軍国主義者でもなければ、祖国の為に自ら命を捧げた英雄でもない
 一部の指導的な者たちを除き、大半は「国と軍の非人道的な指示により命を捨てさせられた犠牲者」である。

 筆者はまだ高校生の頃に戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』も読んだし、特攻隊員の遺書もいろいろ読んだ。
 それらに素直に感動してしまう人の気持ちもわからないではないが、そういう人達はあの時代についての知識と想像力が足りない。
 何故ならば、あの時代には“検閲”という制度があったからだ。

 軍事上の機密を守るという名目で、軍人が家族に出した手紙や、家族から軍人に届いた手紙は全て、軍の当局者に隅々まで読まれていた
 そして軍の機密にかかわる事だけでなく、兵の志気にかかわるような事を書くのも禁じられていた
 だから家族が「貴方が居なくて寂しいです、是非生きて帰って来て下さい」などと書き送れば塗り潰された。そして兵士が「戦場は辛い」だの「早く帰りたい」などと弱気な事を書けば、検閲係の上官にひどく叱られた。

 当時の軍人は、手紙に本音など書けなかった
 これは当時を少しでも知るものの常識だ。
 それは特攻隊員も同じで、「家族を残して死ぬのは心残りだ」だの、「本当は死ぬのは怖い」などと書ける筈も無かった
 だから当時の検閲という制度を考えれば、遺書にも「お国と愛する家族の為に立派に死んで来ます」と書くしかなかったのだ。
 この検閲という当時の制度を知らずに特攻隊員の遺書について語る人は無知だし、そして検閲を通過する為にどういう遺書を書かざるを得なかったかという事を考えられないのも想像力の欠如だ。
 だから特攻隊員の「立派な遺書」を額面通りに受け取って感動する人は、馬鹿だと筆者は申し上げる。

 日本人には「自己主張は悪だ」という意識があり、そして「空気を読み、周囲に合わせる」という悪癖がある。
 特攻隊にも、その日本人の習性が悪い方に作用した。
 皆さんは、特攻隊員がどのように“志願”したかをご存知だろうか。

 よその国の軍隊は、戦況がどう見ても不利になれば降伏した。
 敵の捕虜になれば、敵はその捕虜を監視する兵を前線から割かなければならなくなるし、捕虜に食事等も与えなければならない。
 だから捕虜になるのは、決して不名誉な事ではなかったのだ。
 あのナチスドイツの武装親衛隊ですら、戦況が極めて不利になれば降伏したし、特攻やバンザイ突撃などはしなかった
 しかし日本軍は違う。
 戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けるな」と教え込み、どんなに絶望的な状況でも死ぬまで戦う事を強い、そしてバンザイ突撃や特攻などを強いた。
 立派に戦って生きて還るのではなく、戦って死ねと教え込んだのが日本の国と軍隊だった。

 何しろ小学生たちに、敵陣に爆弾を抱えて突撃して自爆した『爆弾三勇士』の話を美談として教え込むような“お国”なのである。
 戦って死ねと、戦前の日本は徹底して教え込んできた。
 だから日本軍は、敵の戦車が攻めてくると兵士に爆弾を抱えてキャタピラに飛び込んで自爆するよう、平気で命じた
 そして「戦って死ぬのが当然」で「上官の命令は天皇陛下の命令」だったこの国では、兵らもそれを拒めなかった
 特攻もまた、その延長である。
 特攻が命じられた時、兵らの間には拒めるような空気は無かった

 特攻は、建前は志願であった。
 しかし特攻隊への志願が募られた時、それに応じないのは「命を惜しむ卑怯者」と見る空気があった
 だから多くの者は特攻の“志願”に応じたし、本当は死にたくなかった者も、他の多くの者が志願するのを見て慌ててそれに続いた。
 それで結局、「全員が特攻に志願した」という事になったのである。

 小学生の頃からお国の為に死ぬのが立派だと洗脳され、軍隊でも戦って死ねと叩き込まれ、周りの皆が上官の求める特攻隊への志願に応じていて。
 それでも自分一人だけ特攻に志願せずに「命を惜しむ帝国軍人の面汚しの臆病者の非国民」と皆から非難されるのは、特攻隊に志願するより勇気の要ることではないかと、筆者は考える。

 おわかりだろうか。
 ごく一部の狂信的な軍人を除いて、多くの特攻隊員は進んで死にたくなどないごく普通の人間だった。
 そして幼い頃からの洗脳と時代の空気と集団の同調圧力の中で、特攻隊に“志願”せざるを得ない状況に追い込まれて飛び立って行ったのだ。
 知覧特攻平和会館などに残る遺書も、厳しい検閲の中で書かれた“綺麗事”に過ぎない
 あの時代の空気の中で、軍の検閲を通るように遺書を書くとすれば、国と家族に対する思いを熱く語り、「お国と家族を守る為に行ってまいります」と書かざるを得ない。
 それ以外に、どう書けると言うのだ?

 当時の軍人の本音は、検閲を通さず上官にも見つからないようにこっそり書いた秘密の手記しかない
 繰り返すが、軍の検閲済みの“立派な遺書”を額面通りに受け取り、それを特攻隊員の本音と思う者は無知で想像力の無い馬鹿だ。

 だから本当に心ならずも“志願”してしまった、本音では死にたくなかった特攻隊員が幾人もいた。
 特攻機を整備していた元兵士によると、怖くて膝がガクガクしてまともに歩けず、両脇を他の兵に抱えられて飛行機に乗せられた特攻隊員もいたという。
 特攻隊の実態とはそんなもので、決して美談で語れるものではないのだ。

 にもかかわらず今それが、美談として語られ、しかもビジネスにも利用されている。
 原爆の被爆地の広島市のある人材育成会社が、一泊二日三万七千八百円で、知覧の研修を企画しているという。
 かつて軍用食堂を経営し特攻隊員の世話もした鳥浜トメという既に亡くなった方が始めた富屋旅館に泊まり、その富浜トメの孫の妻である現おかみから特攻隊員の話を聞くのだそうだ。
 その現おかみは特攻隊員の遺書を読み上げ、研修の参加者に次々に問いを重ねる。
「72年前の若者たちは、後世の私たちに何を託して飛び立っていらっしゃったのだろうか」
「己にはどんな任務があると思いますか」
「この命がなすべきことは何なのでしょうか」

 そして参加者は特攻隊員たちを「すてきだ」と感じ、「特攻隊員がライバル会社にいたら勝てる気がしない」と言い、「スイッチ、入りました」と言って帰って行くらしい。
 この研修を中小企業の経営者や新入社員らが受け、参加者は五千人を越えるという。

 ある戦死した特攻隊員の母親は、「生き残って人並みの生活をさせたかった。嫁をもらってやりたかった」と繰り返し語ったという。
 それが遺族の本音であろう。

 間違えてはならないが、特攻はこの国がさせた大きな過ちである。
 筆者はかなり戦史や各国の軍装に詳しいミリオタであるが、祖国の日本軍だけはどうしても好きになれない。
 戦って死ぬことを強要し、爆弾を抱えて敵に突っ込ませて自死させるなど、傍目にはイスラム原理主義のテロリストと何も変わらぬようにしか見えない

 特攻隊員は、この日本の国の指導者たちにより死に追いやられた犠牲者だ。
 犬死にした馬鹿者でもなければ、お国の為に命を捧げた英雄でもない。
 その「日本という国が死なせた」という事実を置き去りにして、検閲を通るように書かせた建前の作文である彼らの遺書を額面通りに受け取って「彼らはすごい!」と美化する今の日本人の愚かさを、筆者は歯ぎしりする思いで眺めている。
 また、その特攻隊員の死を社員研修に利用してカネにしている輩が存在する事が、腹立たしくてならない。
 作家や映画やドラマの制作者も、特攻隊を美談に仕立ててカネにする事は、是非やめて貰いたい。
 あの戦争で特攻を命じた者たちは、いくら靖国で祀ろうがとうに地獄に堕ちていると思うが。
 特攻を美談にしてカネにしている者たちもまた、死後は地獄に堕ちるだろう。

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