空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

初島に行ってはならない!(熱海市沖の鬼の棲む島)

 宮城県の田代島など、猫が目玉となって観光客を呼び寄せている“猫島”が、近年では幾つもある。
 そして島民と猫が共存する姿が、よくテレビなどで紹介されているが。
 それとは真逆の、島民が猫を虐待して死に追い込んでいる“鬼ヶ島”が、この日本に存在している事実を、貴方はご存知だろうか。
 その島は東京から楽に日帰りで行ける所に存在し、しかも観光を島の売り物にもしている。

 その島は、熱海市の南東約10kmの海上に浮かぶ初島という。

 その初島では島民が「猫に絶対餌をやるな!」という掟を作り、さらに島民同士が互いに監視をし合い、子供にも「猫に餌をやるな!」というポスターを書かせて、観光客や釣り客が通る桟橋近くの掲示板に掲示させているのだ。
 そして島民が観光客や釣り客にも猫に餌を与えないよう注意している為、猫達は哀れなほどに痩せ細っているそうだ。
 しかも周囲が海という島に住んでいる為、島民に邪魔にされても逃げる事も出来ず、食べていた蛇や蛙や虫なども食べ尽くしてしまい、一時は200匹近いたのが50匹前後にまで激減しているという。

 と言うと、「猫に餌をやるなと言う気持ちもよくわかる」と、島民を擁護する人達も必ず出て来るだろう。
 野良猫の糞などの害を減らす為、「野良猫に餌をやるな!」と住人たちが約束し合うような事は、まあよくある話だ。
 しかしこの初島のケースは、他の町での野良猫問題とは事情が違う。
 この島民に邪魔にされている猫達というのは、元はと言えば当の初島の島民が持ち込んだものだからだ。

 熱海市の初島は、数ある日本の島々の中でもかなり異色な、閉鎖的な島である。
 島民は農業や漁業をする傍ら、近年では観光にも力を入れている。
 しかし「東京から近いから」とうっかり観光に行った貴方が初島の外面だけ見て惚れ込んでしまい、「島に移住したい!」と思っても、それは絶対に無理である。
 乏しい島の耕地を確保する為、初島では江戸時代から「島の戸数は42戸」と決めて増やす事を決して認めていないからである。そして耕地はその42戸に平等に分割され、漁業も共同で行っている。
 だから観光化を進めながらも島民の団結は異様に固く、「猫に餌をやるな!」と決めたら全戸でそれを守り、子供にまで餌やり禁止のポスターを書かせる徹底ぶりである。

 そこまで初島の島民が嫌う猫達であるが、初島の島民達はかつて例の均等分割した狭い耕地で落花生やジャガイモの生産に努めていた。
 が、その落花生やジャガイモを食い荒らす鼠も増えた。
 それで「島民が鼠退治の救世主として猫を島に連れ込んだ」のである。
 その猫達のおかげで、ネズミは減少した。
 さらにその後、島民が耕地で作るものを大根に切替えたこともあり、鼠は姿を見せなくなった。
 そして不要になった猫達が、初島の島民に見捨てられ、邪魔にされたというわけである。

 で、団結力の固い初島の島民らは「猫に絶対餌をやるな!」という掟を作り、互いに監視し合い、子供にも「猫に餌をやるな!」というポスターを書かせて観光客や釣り客が通る桟橋近くの掲示板に掲示させ、猫達を餓死に追い込んでいる。
 島民の都合で勝手に島に猫を連れ込んで鼠退治に使い、要らなくなったら邪魔者扱いして餓死に追い込む
 これが江戸時代からずっと42戸で暮らしている、異様に結束の固い初島の島民の実態である。

 猫を飼えば繁殖するのは、誰だってわかっている事ではないか。
 だから島で増えて困るならば、まず島に猫を持ち込む前に避妊手術を受けさせるべきなのだ。
 実際、筆者も猫が好きで猫と共に暮らしているが、家族に迎えた猫すべてに自費で避妊手術を受けさせている。
 それもせずに猫が増えた、そして鼠退治に要らなくなった、だから邪魔だから餌やり厳禁にして餓死させるとは、初島の島民の所行は身勝手を通り越してまさに「鬼のやること」だ。

 自分達が連れて来て鼠退治に役立てた猫ならば
 たとえ鼠退治の役目が終わっても、飼い猫あるいは地域猫として生涯面倒を見るのが“人の道”ではないか。
 増えて困るなら、自費で避妊手術を受けさせれば良いだけの話だ。
 元々は島民が鼠退治に役立てていた猫達なのだ。島が地域猫として養うのが当たり前だろう。
 しかし熱海の“鬼ヶ島”である初島の島民達は、全くそうは思っていないのである。

 で、静岡県の動物愛護団体が初島に行き様子を見に行ったところ、食べ物を欲しがって近寄って来た猫を抱き上げると体は骨と皮でゴツゴツしていて、体重も紙のように軽かったという。
 子猫も体の丸さは全く無く、目は吊り上り可愛らしさが失せていた。
 そして島民も、子猫は育っていないと言っていた。

 それで動物保護団体が熱海市役所の環境企画室と熱海保健所に対し、初島の猫達に餌をやり、不妊手術、地域猫として生きられるよう島民と話合いが出来るよう申し入れた
 すると市と保健所は、当初は「とても無理、島民が聞き入れるわけが無い」と言っていた。
 それでもやがて島民との話合いの方向に動いてはくれたが、初島の区長は「8月~9月の中頃までは観光客が多いので商売の邪魔になる!」と行政との話合いを拒否したのである。

 初島の猫達のことが気になる動物愛護団体が「せめて餌だけでも与えさせて欲しい」と懇願したのだが、行政が「島民の意志を無視するような事をすれば、トラブルとなり元も子も無くなってしまうので絶対に駄目」と言ってそれを止めた。

 それで動物愛護団体が、動物愛護法、地域猫、静岡県動物愛護推進計画、餌やり等について、理解と協力を求めるチラシを島内全ての所帯・ホテル住民に撒いた。
 そして痩せた猫達への餌やりをしたところ、島民から非難と罵声を浴びせられたという。

 初島の猫達の問題で、さらに熱海市の環境課長と環境企画室長と保健所課長と係員の4名と、初島区長とで話し合いが行われたのだが。
 区長の言い分によると、「不妊手術をすることは、島民に対して金銭的、労力的に一切負担を掛けなければ認めるが、地域猫として餌をやることは認めない。猫は野生動物だから餌をやる必要はない」そうだ
 また初島の区長によれば、「動物愛護団体は宗教団体と同じだから会いたくない!」そうだ。

 そんな初島の区長に、熱海市側が「猫を観光の目玉としたらどうか?」と提案し、さらにこう問いかけた。
「過去に自分達の都合で利用した猫に餌を与えない事がテレビや新聞で報じられたら、観光で生きている島民が困ることになるのではないか?」
 すると初島の区長は、こう答えた。
「別に困ることは無い」

 初島の島民は猫を観光の目玉にするつもりは無いし、自己都合で利用した猫を餓死に追いやっている現状を知られても、全く困らないそうである
 しかも自分達が連れ込んだ猫の不妊手術の金銭や労力の負担は島民には一切かけるな、そして動物保護団体や公的機関のお金で避妊した猫に餌をやることも認めないと言い張るのだから、初島島民の面の皮の厚さは尋常ではない。

 実は初島の島民は、島の猫達をただ餓死に追い込んでいるだけではなかった。
 平成の初め頃には京都の三味線業者を入れ、猫を捕獲させていたのだ。
 ただ初島の猫達が避妊もされず餌も与えられずに放置されていたゆえ、餌の取合いや繁殖期の喧嘩の傷が皮に残っていて、三味線の業者も買い取らなくなった。
 それで三味線の皮にされる為に命を落とすことは無くなったが、狭い島にある餌、蛇や蛙や虫を食べ尽くして、次々に餓死してゆくことになった。
 また島民の中には、「よく生きた雀を紐に吊るしてそれに飛びついた猫を捕らえて、動物園の餌にしたものだ」と言う者もいる

 筆者は何も、「野良猫に餌をやって保護しろ!」と言っているわけではない
 何度も繰り返すが、初島の猫は、島民が自分達の畑を荒らす鼠を退治する為に連れて来たのである。
 初島の区長は「猫は野生動物」と言うが、本土から10kmも離れた小島に猫が昔から自然に存在していたわけが無かろう。
 今、猫を敵視して餓死に追い込んでいる島民自身が初島に持ち込まなければ、猫は絶対に初島には存在しない筈なのだ。
 だから初島の島民には、猫が増えて困るなら自費で避妊手術を受けさせ、地域猫として餌をやり一生を全うさせる責任がある
 法律云々ではなく、人としての道の問題だ。

 にもかかわらず初島の島民は、自分達が持ち込み、鼠退治に役立てた猫達を、用が無くなったら「餌は絶対やるな、三味線の皮に売れ、それが無理なら餓死させろ!」と虐待する始末だ。
 この鬼のような初島の島民には「恥を知れ!」と言いたいし、少なくとも動物を愛する心がある人には、こんな島に観光になど絶対に行ってほしくない
 今は猫ブームで、初島にも「首都圏に近いし、猫を観光の目玉に出来るかも」と考える人が出始めているかも知れないが。
 自分達島民が連れて来て鼠退治に役立てた猫達を、用が無くなったら虐待して死に追い込んだ酷い鬼ヶ島であることを、少なくとも筆者は絶対に忘れない。

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アメリカ人に問いたい!(韓国人従軍慰安婦問題を考える)

 この6月2日の毎日新聞に、僅か二段のこんな小さな記事が載っていた。

 アメリカ南部ジョージア州のブルックヘブン市議会は、韓国系の市議の提案で、市内に日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像を設置することを全会一致で決定した。
 アーンスト市長は「現在も世界で続いている性や人身売買問題に対する意識を高める」と述べ、他の都市にもこうした取り組みを促す意向を示している
という。

 前提として断っておくが、筆者はあの日本が起こした戦争を「アジアを白人支配から解放する正義の戦いだった」などと美化したり、「日本を守る為のやむを得ない戦いだった」などと自己正当化したりするつもりはないし、「あれは日本の侵略戦争であった」と断言する。
 よく右翼が「デッチ上げだ!」とイチャモンをつける南京大虐殺についても、「中国が主張する犠牲者の数には疑問はあるが、虐殺そのものはあった」という立場だ。
 だから日本の右翼に言わせれば、筆者は「日本を貶める媚中で反日の自虐史観の持ち主」なのだろう。

 しかしその筆者でも、日本軍が韓国人の少女を含む女性を強制的に慰安婦にしたことは「ほぼ無かった」と思っている。
 事実、太平洋戦争で日本軍の兵士として戦いアメリカ軍の捕虜となった韓国人も、アメリカ兵に「日本軍が韓国の女性を無理矢理に従軍慰安婦にするような事は無かった。もしそんな事をしたら、韓国人は暴動を起こしただろう」と証言している
 その事実は、毎日新聞でも大きな記事としてきちんと報じられている。

 確かにオランダ領のインドネシアでは、日本軍は捕らえたオランダ人の少女を含む女性たちを将校らにあてがい、無理矢理に慰安婦にした。
 その事実は誰にも否定できないし、だから天皇陛下もかつてオランダを訪問した時に、その事について謝罪もなされた。

 しかしそのインドネシアで捕らえられたオランダ人女性の問題と、韓国人の従軍慰安婦の問題は事情が違う。
 オランダ人女性は占領地で捕らえられ、収容所に監禁された中から強制的に性奴隷にされたのだが。
 しかし当時の韓国人は、実態はどうあれ“日本国民”だったのだ。
 二等国民扱いされたという実態はあるが、建前としては韓国人も“日本人”だったのだ。
 だからこそ、戦前の日本の高等学校や大学には韓国出身の学生が居たし、より良い暮らしを求めて朝鮮半島から日本に移り住んできた韓国出身の労働者も大勢いた。
 日本軍が大陸から捕らえてきて日本で強制労働させた中国人の労働者と、自らの意志で半島から日本に仕事を求めてやって来た韓国人の労働者を一緒くたに見てはいけない。
 日本軍が韓国人の少女をかり集めて慰安婦として性奴隷にしたという確かな証拠はどこにも無いし、建前としては“日本人”であった韓国人の女性に、そんな事ができる筈も無かったのだ。
 それに米軍の捕虜になった韓国人の“日本兵”がアメリカ軍に証言しているように、日本軍がそんな真似をしたら韓国人は暴動を起こしただろう。

 筆者の母の知人に、大戦中に民間人として中国や韓国で暮らしていた人がいる。
 その方によると、中国人は少しも怖くなく、夜も平気で中国人街を歩けたそうだ。しかし韓国人はとても恐ろしく、韓国人街は一人ではとても歩けなかったと話してくれた。
 確かに今でも中国人は腹の内はどうあれ少なくとも表面的には愛想が良く、それに比べて韓国人には気性が激しく物言いもきつい人が多い。
 その韓国人が、同胞の少女達を外国軍(日本軍)に性奴隷として連行されて黙っているなど、とても考えられない話ではないか。

 こんな話がある。
 かつての日本軍は度々野外演習を行い、そして時には演習に出た先で、民家に分かれて泊まる事もあった。
 すると必ず、数ヶ月後に泊まった民家のお父さんのうちの誰かが、娘を連れて連隊に怒鳴り込みに来るのだそうだ。
「お宅の兵隊がウチの娘に夜這いをかけて、娘が妊娠してしまった、どうしてくれる!」
 その対応にあたる古参の下士官は、部下の兵にこうぼやいたそうだ。
「兵隊は、助平と決まっているからな」

 英国のBBCに右翼のナショナリストと断言される安倍政権のもと、時代が右傾化する中で、日本の右翼たちは「皇軍の軍紀は世界一だった」と自慢する。
 しかし実態は、野外演習に出て好意で泊めてくれた民家の、同胞の日本人の娘さんにまで夜這いをかけて孕ませ、古参の下士官に「兵隊は、助平と決まっている」とぼやかせるような有り様だったのだ。
 このような兵隊が国外に出たら、どうなるだろうか。
 それがわっていたから、軍は韓国や中国に慰安所を設けたのだ。
 ただそこで働く女性を集めるよう業者(女衒というやつ)に依頼はしたものの、日本軍が直接に韓国人の少女や女性を武力でかり集めたという確かな証拠は何も無い。

 日本の公娼制度は、GHQにより1946年に廃止されたが。
 しかし現実には売春防止法が施行される1957年まで、遊郭で買売春が公然と行われていた。
 問題とされる韓国人の従軍慰安婦がいた時代には、日本の国内でも、日本の貧しい家の少女がその意に反して借金のカタとして売られていた。
 二・二六事件そのものは暴挙だが、決起した青年将校たちには、そうした国内情勢に対する怒りもあった。

 当時の日本国内では、貧しい農村の娘たちがそれくらい当たり前に売られていた。
 それと同様に、韓国人の従軍慰安婦も、その親により業者に売られ、そして売られて行った先が日本軍の慰安所だったに過ぎない。
 その少女としては不本意であったろうし辛かったであろうとも思うが、「恨むならまず貴女を売った親にしてほしい」と思ってしまう筆者は、冷酷なのだろうか。

 無論、兵士が慰安婦、平たく言えば売春婦を買うことは誉められた事ではない。
 しかし慰安所を設けて買売春を行ったのは、決して日本軍だけではない。
 例えば今では「韓国人従軍慰安婦=日本軍の性奴隷」というイメージだが。
 しかしそのイメージと違って、韓国人の女性は韓国に駐屯した米軍にも、同国民である韓国軍に対しても従軍慰安婦として働いていた。
 韓国人の従軍慰安婦は、米軍もそして韓国軍も利用していたのだ。
 その事実を日本人も韓国人もそしてアメリカ人も、もっとよく知っておくべきである。
 にもかかわらず日本だけが悪者にされて責められ、謝らせられているのである。

 筆者も「韓国人女性を従軍慰安婦に使って何が悪い、米軍も韓国軍も使ってたじゃないか!」と、ただ居直るつもりは無い。
 しかし従軍慰安婦の問題は、韓国政府と既に解決済みである。
 非は詫び、お金も出している。
 にもかかわらず韓国人は従軍慰安婦の、ことさら幼い少女の像を各地に設置して日本を「ロリの性犯罪者」と貶めようとしている。
 それが実に腹立たしい。
 同じように慰安婦を使っていた韓国とそしてアメリカに、「その問題で日本を責める資格があるのか!」と問いたい。

 アメリカと言えば、米兵は戦後に日本に進駐した後、日本の女性をよく買っていたではないか。
 いや、買うどころではなく、権力をかさに着てその意に反した性的暴行もした。
 アメリカに占領された沖縄で、「アメリカ兵は昼には民主主義を説き、夜には女を求めて民家に押し入ってきた」と、当時を知る沖縄の人が証言している。
 また、沖縄で捕らえた民間人のうち若い女性だけを選んでトラックで連れて行き、性的暴行を加えたという話もある。
 占領地で日本人女性に性的暴行を加えた話については、まずソ連(ロシア)兵が問題にされるが。実はアメリカ兵も、決して誉められた行動をとっていたわけではないのだ。

 韓国の従軍慰安婦の問題について、日本が謝罪しお金も出して政府間で最終合意に至った筈だ。
 にもかかわらず、その後も各地に慰安婦像を設置しようとする韓国人の姿勢にも腹が立つが。
 筆者はそれ以上に、「自分達は正義の味方で清廉潔白」のような顔をしているアメリカ人の方が、より憎らしい。
 日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像の設置を決定し、「現在も世界で続いている性や人身売買問題に対する意識を高める」と言った、ジョージア州ブルックヘブン市のアーンスト市長に問いたい。
米軍も韓国では、韓国人女性の慰安婦を利用していた事実を知っていますか? 米兵は日本でもさかんに女性を金で買い、時には性的暴行もしているのに、アメリカ人に他国を責める資格があると思ってるのですか?

 世界各国に今も駐留する米兵たちは、性犯罪も犯さず、女性も買わずに清廉潔白に過ごしているのだろうか?
 いや、在日米軍の兵士は今日もどこかで日本女性を買っているのではないかと思うが、それは筆者の勘違いだろうか。
 薄っぺらい正義感と「アメリカ・ファースト」の意識に駆られてか、正しい事をしていると信じてアメリカ国内に日本を責める韓国人従軍慰安婦の像を設置するアメリカ人の無神経さが、心の底から腹立たしくてならない。

 どこの国にも「自分の国は絶対悪くない!」と他国ばかり責めるナショナリストは存在する。
 靖国神社の遊就館の歴史観を見ればわかるように、事実を認めず「自分の信じたいものしか見ない」偏狭な国粋主義者は、この日本にも存在する。
 だから韓国国内に慰安婦の少女像を設置する人達の存在は、百歩譲ればまあわからないでもない。
 だが自国の兵士が日本を含めた占領地で女を買い、あるいは性的暴行もしているのに、己は性や人身売買問題に対する意識が高いつもりで、日本を貶める韓国人従軍慰安婦の少女像を設置するアーンスト市長とジョージア州ブルックヘブン市民とアメリカ人の「盗人猛々しい」としか言いようのない神経の図太さは、百万歩譲っても筆者には理解できない。

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読売新聞と一部テレビ局にもはや“報道”は存在しない


 安倍政権下で特定秘密保護法と戦争法案が押し通され、共謀罪もまた可決目前となって。
 戦後レジームを敵視する安倍首相の政策により、日本は今や戦前の大日本帝国に姿を戻そうとしている。
 それと同時に、安倍首相のお友達ばかりが“えこひいき”される森友学園や加計学園などの実状が明らかになりつつある。
 そんな中、今もなお安倍政権を支持している貴方に聞きたい。

 貴方は“良い人”ですか?
 それとも“悪い人”ですか?

 その問いに、スパリと躊躇うこと無く答えられる人は、おそらく殆どいないだろうと筆者は思う。

 筆者は作家の池波正太郎氏を、今も大好きである。そしてその池波氏が、作品の中でこんな事を書いていた。
 人は良い事をしながら悪い事もし、悪い事もしながら良い事もするものだ……と。

 悪い事しかしない完全な悪人も、良い事しかしない完全な善人も、おそらくこの世には殆ど存在しないのではないか。
 善が1で悪が9だったり、またはその逆だったりしても、悪人だってたまには良い事もするし、良い人だって後ろ暗い事の一つや二つくらい抱えているものである。
 それが人間というものだ。

 だから権力者は、自分に刃向かう者や、政権に都合の悪い事を言う者がいれば、警察の力を使ってその敵対する者の後ろ暗い部分を洗い出し、名誉を失墜させて「こいつの言うことなど信用ならない」と“印象操作”しようとするものである。
 安倍首相とそのお仲間たちが、文科省前事務次官の前川喜平氏にしている事は、まさにその悪い権力者が刃向かう者にする典型的な行為である。

 天下り問題で引責辞任した事については、「地位に恋々としがみついた」と言って。
 さらには出会い系バーに出入りした事を取り上げ、「そういう店に出入りして(女性に)小遣いを渡すようなことは到底考えられない」と言って。
 前川氏の告発に対し、安倍首相のお仲間は前川氏に対する人格攻撃に徹し、前川氏を貶める事でその証言の信用を無くそうと躍起になっている

 そうした権力者の汚いやり方も情けないし腹が立つが、もっと情けない上に怒りを禁じ得ない危険な行為が、政権の情報操作に大マスコミが手を貸している事である。
 以前にもこのブログで書いたが、出会い系バーに行くことは決して違法な行為ではないし、前川氏が出会い系バーに行ったのも勤務時間外の私的な時間だ。
 それに対し、首相がお友達に便宜を図る事は、誰がどう見ても不正な行為である。
 この「首相がお友達に便宜を図る為に圧力をかけた事」と「前川氏が勤務時間外に私費で出会い系バーに行った事」を同一に論じては、絶対にいけない
 にもかかわらず安倍首相に媚びへつらうテレビや新聞は、前川氏と出会い系バーの問題を興味本位に取り上げ、加計学園問題の本質から国民の目を逸らすよう誘導している

 テレビ報道記者の金平茂紀氏によると、5月25日に弁護士会館で前川氏の記者会見が急遽行われたが、その部屋は空調が切られていて、記者もカメラマンも前川氏も汗が噴き出る中で会見が続いたという。
 が、あるワイドショーは、その会見についてこう報じたという。
前次官は会見で出会い系バー通いの質問が出ると、汗を拭き拭き答えていた
 前川氏だけでなく金平氏も含め、その部屋に居た全員が汗だらけだったにもかかわらず、である。
 金平氏はそのテレビ放送を後で見て驚いたと言うが、これが今の日本のテレビの実態である。
 加計学園の問題に迫るより前川氏の出会い系バー通いの問題を取り上げ、その内容をねじ曲げて情報操作までする
 安倍首相の意を忖度しているのか、自ら首相に尻尾を振って見せているのかは知らないが、今の日本の一部のテレビは戦時中の大本営発表と何ら変わらない

 テレビと言えば、加計学園の問題に対するニュースでの報道の仕方がかなり違う。
 TBSやテレビ朝日系列では、加計学園に関する報道が連日トップに近い順で出て来るが。
 少なくともNHKでは、忘れた頃に終わりの方で短くしか報道されない
 しかも必ず、「野党や前川氏の発言に対し、安倍首相とそのお仲間が反論して否定する」という形で報道されている。
 NHKしか見ていない事情を知らない者には、まるで安倍首相側が野党や前川氏を言い負かしたように思えてしまうだろう。
 テレビ朝日系やTBS系のニュース番組に比べ、NHKがニュースで加計学園の問題を取り上げる時間は明らかに短いし、政権に真相解明を求める姿勢も甘い。
 実際、TBSの『ニュース23』では前川氏の長時間インタビューを放送するだけでなく、その中身も検証していたのに、NHKでは事前に撮っていた前川氏のインタビューの放送を見送ったりもした。

 加計学園の問題の本質から国民の目を逸らすかのように、政権の走狗となって前川氏の出会い系バー通いについて事実をねじ曲げて放送する民放のワイドショーも許し難いが。
 よく、「イジメをする者も悪いが、イジメを見て見ぬふりをする者もイジメに加担しているのと同じだ」と言うではないか。
 イジメに例えれば、読売新聞や例のワイドショーはイジメの主犯(安倍首相とそのお仲間)に媚びて従うイジメグループの一員で、NHKはイジメを見て見ぬふりする者と言えよう

 だいたい、NHKは政府から金を貰っているのではなく、国民から受信料を半ば強制的に徴収して経営を成り立たせているのではないか。
 NHKの受信料の取り立てに対する執念は凄い。レオパレスのような、元からテレビなどの家電が備え付けられた短期滞在型のアパートに入居した者からも、「テレビを受信できる人には支払う義務がある」という理由で受信料を取り立てている。
 そこまでして取り立てた“皆様の受信料”で、その経営を成り立たせているのだ。ならばあくまでも国民の為の放送局であるべきで、政権の意向など忖度する必要など無い筈ではないか。
 と言うより、国民の皆様の受信料で経営しているNHKの経営陣に、首相がそのお仲間を送り込んでくること自体が間違っているのだ。
 その事に、NHKの記者や職員らは何故抗議の声を上げないのか。
 抗議の声を上げるどころか、政治部の岩田明子記者など、首相と仲良しで有名で、ニュース番組に“解説者”として出ては、御用記者らしい政権に媚びた発言を繰り返している始末だ。

 経営陣や上層部に政権に近い者達を送り込まれている為、ただの記者や一職員が抗議できないのは無理も無いことかも知れない。
 しかし筆者は、「受信料を払っている(むしり取られている)国民は、もっと怒るべきだ」と思っている。
 国民の受信料で経営しているのだから、NHKは時の政権とは距離を置き、常に公正な立場で批判すべき時には政権をも遠慮なく批判すべきではないか。
 それでこそ真の報道機関で“皆様のNHK”と言える。
 ところが今はどうだ。
 国民の皆様の受信料で経営している筈のNHKは経営陣に首相のお仲間を送り込まれて“アベ様のNHK”と化している。
 国民の受信料で成り立っているNHKをタダで私物化し、自らの広報放送局としているのだから、酷い話ではないか。
 政権の闇を追求する姿勢が見られないだけでなく、この安倍政権下で、首相の長時間の記者会見の放送がNHKで妙に増えているのも間違いのない事だ。政権に近いと言われる民放ですら通常の番組が放送されているのに、NHKでは番組を中断して首相の一方的な談話がリアルタイムで長々と放送される事が、近年妙に目立つ。
 しかし国民の約半数はこれにまるで怒らず、こんな政権を相変わらず支持し続けている

 安倍政権の前の民主党政権は、確かに無能で酷かった。
 しかし民主党政権は“無能”で済んだが、安倍政権は放送法でマスコミを恫喝する一方で、マスコミの経営者や親しい記者達と盛んに会食などをして、まさに“飴と鞭”で政権批判を抑え込もうと務めている
 安倍首相の狙いはマスコミを戦時中の大本営発表のようにすることであろうし、事実、読売新聞と一部の民放とNHKは“報道”とは名ばかりで、現実には“政権の広報”に成り下がっている
 そしてマスコミが“親安倍政権”とそうでないものに見事に分断される中で、数の力で特定秘密保護法や戦争法案や共謀罪が制定され、時代は日本会議や神社本庁の念願通りに戦前戦中に戻ろうとしている。

 毎日新聞の記事によると、例の文科省の前川喜平前事務次官は、貧しい子供たちの為にボランティア活動をしている東京都中央区のNPO法人キッズドアに、一般の人と同じようにホームページから説明会に申し込み、子供に勉強を教えているという。
 その今年度の学習会20回すべてに参加予定で、キッズドアの理事長渡辺由美子さんも、「生半可な思いでは出来ない」と言っている。
 そして前川氏は会の運営にも建設的な提言をし、スタッフにも「信頼できる」と評価されていたという。
 その貧しい子供たちの為のボランティア活動に加わるに際し、前川氏は前職や経歴をひけらかすような事は全くしなかった。
 で、一連の報道と記者会見を見てNPOのスタッフ達は「あのおっちゃん、偉い人だったんだ」と驚き、心配しているそうだ。
 出会い系バーの事ばかりが注目され、菅官房長官にも「地位に恋々としがみついた」と中傷される前川氏にそんな一面もある事を、毎日新聞はしっかり報道した。

 それに対し、加計学園の問題で前川氏が証言すると、誰の意を受け、誰から情報をもたらされたのかは知らないが、間もなく前川氏と出会い系バーの問題を八段抜きの記事で大々的に報じた読売新聞は本当に腐っている。
 ただ出会い系バーの問題を報じただけでなく、前川氏の記者会見で、読売新聞の記者がこう質問したという。
こういった在職中に知り得たものを明かすのは(国家公務員法の)守秘義務違反に当たらないかという指摘もされると思うんですけれど
 ……呆れたものだ。
 新聞記者だけでなくジャーナリストというものは、その公務員が在職中に関して知り得た国事や犯罪に関する情報を何とか取ろうと、夜討ち朝駆けなどして張り付き、公益の為にその守秘義務の壁にぶつかってきたのではないか。
 その首相とそのお友達である加計学園の癒着の問題で、せっかく勇気をもって証言してくれた前川氏に感謝するどころか、出会い系バーの問題を報じて貶め、さらには「守秘義務違反ではないか」と糺すのが、読売新聞という“マスコミ”の正体である。
 読売新聞は役所や役人が隠している秘密を暴くつもりはまるで無く、ただ政治家や役所の公式発表を垂れ流せば良いと思っているようだ。
 これで“新聞”とか“ジャーナリスト”とか名乗っているのだから、笑わせてくれる。
 読売新聞は今後“読売アベ広報”と改称すべきだし、国民もそうした認識をもってその記事を読むべきだ。
 筆者は読売グループについて、「政治色の強い社長兼主筆の命で心にも無い記事を書かされる、気の毒な記者たち」と思っていた。
 だが実は、社長兼主筆だけでなく末端の記者まで腐っていて、ジャーナリストの精神など全く無くしているようだ。

 安倍政権下で、マスコミが政権に取り込まれたものとまだそうでない抵抗勢力に分断されている今。
 筆者は思うのだが、「読売新聞を読んで、ニュースは主にNHKを見ている人」と、「毎日や朝日や東京新聞を読んで、TBSやテレビ朝日のニュースを見ている人」とでは、同じ日本に住んでいながら見えている世界がまるで違うのではないだろうか。
 そして政権と仲良しの読売グループやフジ産経グループ、および政権に屈服したNHKの報道に対する姿勢が、特定秘密保護法や戦争法案や共謀罪を無理押ししようが、森友学園や加計学園のスキャンダルがあろうが何のそのの、安倍政権の高支持率を支えているのだろう。

 安倍政権の飴と鞭に屈せず頑張っている新聞社や放送局が一部残っている今は、まだ良いが。
 もしマスコミすべてが政権に取り込まれるか屈服した後の事を考えると、筆者は恐ろしくてならない。
 少なくとも安倍首相が敵視する戦後レジームの時代の日本人は、国民だけでなく自民党の首相ですら「記者は政権を批判するのが仕事だ」と、ちゃんとわかっていた
 だから筆者は戦後レジームの時代には、少なくとも小泉政権が誕生するまではずっと自民党を支持してきた。
 しかし今はどうだ。
 首相は批判するマスコミを敵視し、マスコミの中にも政権に媚びる腐ったゴミ虫が増殖しつつある。
 首相の姿勢もクソだが、今の日本のマスコミの半分近くから腐臭が漂いつつある
 そしてすべてのマスコミが政権に膝を屈して権力を批判するのを止めた時に、日本はまた戦争と独裁の暗い時代へと戻るのだろう。

 国民の皆さんに問いたい。
 民主党の時代はもう懲り懲りというのはわかるが、我が国の首相は本当に安倍氏でなければならないのだろうか?
 戦後の平和な個人の自由と人権が保障された日本が嫌いで英国のBBCにも「右翼のナショナリスト」と言われ、いろいろな危険な法案をゴリ押しする上に疑惑が深まるばかりの安倍氏の他に、自民党に首相にふさわしい人材は本当にいないのだろうか?
 日本の言論の自由が、一部なりともまだ何とか守られている今のうちに。
 保守だが無神論者で自由と戦後の平和な時代を愛する元自民党支持者として、その事を今も与党を支持する保守の方々に問いたい。

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政権の飼い犬と化した大新聞

 筆者が好きな漫画に、鳴海けいさんの『ピース*2』という作品がある。
 そしてその中に、こんなシーンがある。

 主人公は潔癖で成績優秀な模範生の高校生なのだが、外見は童顔で文学少女風の同級生、間宮さんが気になっている。
 そしてその間宮さんの兄は生徒会長なのに遊び人で、公私混同して生徒会長の地位も悪用してばかりのいい加減な人間なのだが。
 で、その間宮兄が、妹に気があるらしい主人公を脅すのだ。
「俺は全校生徒の情報を握ってる。お前の秘密を、校内放送で流してやろうか」
 しかし主人公は動ぜず、真顔でこう返す。
「別に構いませんよ、俺は知られて困るようなことは何もありません。清く正しく生きてますから」
 で、間宮兄はドン引きして、妹にこう囁くのだ。
「おい……あいつ怖いぞ。あいつはやめとけ」

 その主人公のように真顔で「清く正しく生きている」と言い切れる人間が、果たしてどれだけ実在するだろうか。
 堅い仕事に就いている真面目と思われている人だって、知られて困ることの一つや二つ、抱えているのが普通ではないか。
 女性にぶたれたり踏まれたりするのが快感だったりとか。
 小さい女の子(幼女)が大好きだったりとか。
 三十過ぎていてしかも妻子持ちなのに、まだアイドルオタクだったりとか。

 他人に知られたくない恥ずかしい事なら、筆者だって幾つも抱えている。
 実はツインテール&オーバーニーソックスの女の子には弱いし。
 大の猫好きのせいか、猫耳の似合う女の子も「可愛い!」と思ってしまうし。
 それに何より、若い頃の中二病的な痛すぎる言動については、今でも思い出すだけで赤面するだけでなく、「皆に知られたら」と想像するだけで死にたくなる。

 今、政界では加計学園と安倍首相に関するスキャンダルが問題になっている。
 そしてさらに、「総理のご意向」として加計学園獣医学部の新設を促す文書が「確実に存在した」と証言した文科省の前川喜平前事務次官が、「出会い系フーゾクに通っていた」という情報も読売新聞にリークされて話題になっている。

 この二つのスキャンダルを混同してはならない。
 フーゾク通いは、別に高級官僚でなくても決して誉められた事ではない。しかし違法では決してないし、迷惑は誰にもかけていない。
 だが総理が自分の権力を笠に着て、お友達の為に便宜を図るよう文科省に圧力をかける事は、明らかな公私混同の総理にあるまじき行為である。
 この二つの問題は決して「どっちもどっち」ではないし、もし「そんなフーゾク通いをする前事務次官の言うことなんて信用できないね」と思った人がいるならば、その人は馬鹿である。
 前事務次官のフーゾク通いは、あくまでも個人の性癖の問題であり、違法では決してない
 しかし総理がお友達の加計学園の為に権力を使って便宜を図るのは、明らかに「してはならない、悪いこと」である。

 それにしても、最近の総理とその周辺の、スキャンダルに対する対応は酷い。
 あの森友学園の籠池理事長については「しつこい」と言い、加計学園に関する文書の存在を証言した前川前事務次官については「地位に恋々として」とけなし、さらにはフーゾク通いを仲良しのマスコミにリークして。
 とにかく相手の人格を貶めることによって、相手の証言の信用性を薄れさせ、スキャンダルそのものを無かったことにしようとしている。

 それにしても情けないのは、一部マスコミがその安倍総理の意に従い、前川氏を貶める報道をして安倍総理のスキャンダル隠しに手を貸していることだ。
 繰り返すが、違法ではないフーゾク通いと、総理の公私混同のお友達に便宜を図る為の政治的圧力は同列に語れない。
 しかし恥ずかしいことに、日本で一番発行部数の多い大新聞、読売新聞が総理の意を汲んだかのように動き、加計学園と総理のスキャンダル隠しに手を貸しているのだ。
 で、少なからぬ国民が「総理も問題ありかも知れないけれど、証言しているのがフーゾク通いのお役人だからどっちもどっち」と思いかけている。

 そんな現状だからこそ、筆者はあえて繰り返し言いたい。
 一個人の違法でない性癖の問題と、国家権力を総理がお友達の為に公私混同して使う事は、全く別の次元の話である。
 だからそれは、決して「どっちもどっち」ではないのだ。
 前川前事務次官のフーゾク通いを非難できる人は、例の『ピース*2』の主人公のような、「俺は知られて困るようなことは何もありません。清く正しく生きてます」と言い切れる人だけだ。
 しかし総理が文科省に圧力をかけてお友達の学園の為に力を貸す事は、誰がどう考えても公私混同の悪い事だ。

 にもかかわらず日本のマスコミには、しかも大新聞には、総理と仲良くして総理の意を汲んで働く、報道の名に値しない恥ずかしい組織が存在する
 読売新聞の社長で主筆を務めるお方が総理と会食し、間もなく総理の憲法改正についての独占記事を紙面に載せて。
 そして総理は国会で野党議員の質問に、「読売新聞を熟読して」と答える。
 さらに加計学園と総理の関係の問題になり、前川前事務次官が総理に都合の悪いことを言えば、読売新聞が前川氏のフーゾク通いについて八段抜きの記事で大々的に報じる。
 この総理と大新聞が癒着したズブズブの醜い関係には、一国民として反吐が出る思いがするほど気分が悪い。

 かつて田中角栄元総理は、記者たちにこう言った。
君たちは年がら年中わしらを批判する。どんどん批判しろ。それが君たちの仕事だ
 そう、それこそ与党の政治家とマスコミの正しい関係だ。マスコミは権力を批判し、権力を持つ政治家もそれを当然のことと受け止める。
 ところが今はどうだ。
 与党の政治家はマスコミを統制しようとし、そして日本で一番売れている大新聞も政治に対する批判を忘れ、それどころか権力にすり寄り、その意を忖度して記事を書いているのだから呆れる。と言うより、恐ろしい。

 戦時中には政府により報道が厳しく管理され、マスコミも国民の戦意高揚に手を貸した。
 その反省に基づいて、戦後のマスコミは権力の監視に努めてきた筈だが。
 今の安倍政権下で、幾つものマスコミが「政府や軍部の圧力に屈して」ではなく、「自ら進んで」総理の意を汲みそのお先棒を担ぐような真似をし、“報道”ではなく“政権の広報”としか言えぬ情報を臆面もなく発信し続けている。
 特に読売新聞の記者には、報道にかかわる者としての矜持など既に無いのであろう。
 そして安倍政権下で、世界の中で見る日本の報道の自由度のランクはガタ落ちしている
 あの愚かで悲惨な戦争に至る歴史を知る者にとっては、実に怖いことである。

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日本の新聞やテレビは政府の広報と化しつつある

 アメリカのトランプ政権の誕生で再び注目を浴びている小説『1984年』の著者であるイギリスの作家ジョージ・オーウェルが、こんな言葉を言っている。
ジャーナリズムとは、報じられたくない事を報じることだ。それ以外は広報にすぎない

 さて、このジョージ・オーウェルの言葉に当てはめると、日本の新聞に“ジャーナリズム”の名に値するものが、どれだけあるだろうか。

 ここのところ、安倍首相の周辺の人物にスキャンダルが相次いでいる。
 そしてそれらを暴いているのはほぼ週刊誌で、新聞やテレビはそれを引用して後追い報道しているだけである。

 そもそも報道とは権力を監視し、その行動を見張って不正があれば知らせるものである。
 それが出来ている新聞やテレビが、今の日本にどれだけあるだろうか。

 報道の王道とは、隠されていた真実を探り出し、裏付けを行って記事にする「調査報道」である。
 それこそがジョージ・オーウェルが“ジャーナリズム”と認める、「報じられたくない事を報じること」であろう。
 メディア論を教える羽衣国際大の浮田哲教授によれば、その調査報道の対極にあるのが、政府や官庁が発表する情報をそのまま流す「発表モノ」と呼ばれるものなのだという。
 そしてこの「発表モノ」が、欧米に比べ日本の新聞記事には多いとよく言われているそうである。

 政府や官公庁など権力の側が言うことを、疑いもせず裏も取らずにそのまま垂れ流す。
 これが報道の名に値するだろうか。
 ジョージ・オーウェルの言葉を、もう一度繰り返そう。
「ジャーナリズムとは、報じられたくない事を報じることだ。それ以外は広報にすぎない」
 そして日本の新聞やテレビは、政府や官庁の“広報”に成り下がりつつある

 日本の新聞には、かつて大本営発表を垂れ流し、それどころか軍部のお先棒を担いで戦意高揚の為に働いた過去がある。
 その反省を胸に刻んで権力と対峙して良い記事を書くどころか、一部の大新聞やテレビは進んで権力にすり寄り、記者のみならず社長まで首相と会食し、政権に都合の良い独占会見記事を紙面に載せたり、首相の談話を長々と放送したりしている
 まさに「歴史は繰り返す」で、無反省な一部のマスコミは平気で「いつか来た道」を再び辿ろうとしている。

 先日、国会で民進党の長妻議員が安倍首相に自民党の改憲草案についての考えを問うたところ、首相はこう答えた。
自民党総裁としての考え方は読売新聞に相当詳しく書いてあるから、ぜひ熟読していただきたい

 実はこの数日前、読売新聞グループの代表取締役社長で主筆の渡辺恒雄氏は安倍首相と会食し、そしてその後、問題の安倍首相が改憲について語った独占記事が読売新聞の紙面に大きく出されたという過程がある。
 渡辺恒雄氏は以前から政治に強い関心を持ち、政界フィクサーとも呼ばれながら主筆として紙面の編集にも深く関与している。そして政治的に、安倍首相ととても近い。
 それで読売新聞の論調も、常に安倍政権に寄り添い、安倍首相に好意的だ。

 実際、今村雅弘氏が「まだ東北だったからよかった」と発言して復興相を辞任に追い込まれた件についても、他の新聞は社説で「内閣の緩みはすさまじい」、「おごる政権、見過ごせぬ」、「待っているのは懲罰投票だ」、「寄り添う姿勢を損なった」などと、普段は政権寄りの日本経済新聞や産経新聞まで厳しく批判している。
 しかし読売新聞だけは、「『緩み』排して態勢を立て直せ」と、まるで安倍政権を応援しているようである。
 さらに「今回の発言を放置すれば、安倍内閣の復興に対する姿勢が問われかねなかった」と、まるで安倍首相の迅速な処置と指導力を誉めるかのごとくの論調に持って行き、首相の任命責任等については一切触れなかった。
 そして社長が安倍首相と会食し、改憲についての独占記事を「相当詳しく」紙面に載せ、首相も国会で議員の質問に答えず「読売新聞を熟読して」と言い放つ始末だ。
 つまり読売新聞とはジャーナリズムとしての“新聞”ではなく、安倍官邸の広報紙だということだ。
 あの戦争の時代の、大本営発表をそのまま伝えて民衆を政府の言いなりに洗脳しようとした“新聞”と何も変わらない。
 ついでに言えば、その読売系列の日本テレビもまた、安倍政権寄りの姿勢がひどく目立つ。マスコミのくせに政権に何を忖度しているのやら、例の森友学園の問題でも、報道や疑惑の追及に最も腰が引けていて消極的だから笑える。

 しかし残念ながら、その読売新聞が、この日本では最もよく売れているのだ。
 日本の民度はその程度、という事だろう。
 そしてこの先の日本に待ち構えているのは、あの戦争の時代のような、ジョージ・オーウェルが『1984年』に書いたような、思想信条や言論の自由の無い暗い時代ではあるまいか。
 オーウェルの言うように「ジャーナリズムとは報じられたくない事を報じることで、それ以外は広報にすぎない」のだとしたら、既に日本の新聞やテレビは報道から広報に大きく変わりつつある。

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『サザエさん』と磯野家を理想とする日本のヘンな保守の人達

 唐突だが、長谷川町子さんの人気マンガで、今では国民的アニメ番組となっている『サザエさん』の主人公、サザエさんのフルネームを、貴方は正確に言えるだろうか

 あの一家は磯野家だから、当然「磯野サザエだろ」って?
 いやいや、実は正解は“フグタサザエ”なのである。
 家にかかってきた電話を、サザエさんは「ハイ、磯野でございます」と取る。
 しかしサザエさんの姓は、あくまでも“フグタ”なのだ。

 マスオさんは確かに磯野家で暮らしているが、磯野の家に婿入りして磯野マスオになったわけではなく、今も“フグタマスオ”である。
 だからその妻のサザエさんも、フグタサザエなのである。
 今も磯野家で暮らしているからと言って、そこを誤解してはならない。

 今の日本国憲法を「アメリカに押しつけられた憲法」と見なして改憲を目指している自民党とそのお仲間は、戦後に制定された日本国憲法が家族制度を壊していると考えている。
 で、自民党の改憲草案では、第24条として「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という条項が加えられている

 今の憲法では、憲法を尊重し擁護する義務を負うのは「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」とされている。
 その意味がわかるだろうか。
 憲法を守る義務があるのは、国民ではなく、国(権力)の側であるということだ。
 憲法とは、国民から権力に向けられた命令で、国家権力を縛るものなのだ。
 これは「今の日本の憲法が押しつけ憲法だから」ではなく、全ての国の憲法に共通した、立憲主義の原則なのである。

 だから今の日本国憲法では、国民が守らなければならない義務は三つだけだ。
 勤労の義務。
 納税の義務。
 教育を受けさせる義務。
 ひらたく言えば「働き、納税し、子供に義務教育を受けさせる」、たったそれだけである。
 しかし自民党や改憲勢力は、それが不満でならない。
 彼らは「アメリカが押しつけた今の憲法で、国民は自分勝手になり、国が弱くなった。国はもっと強い権力を持ち、国民は国や社会に尽くす義務を負うべきだ」と考えている。

 だから自民党の改憲草案では、国民が負うべき新たな義務がどっさり増やされている
 国と郷土を誇りと気概を持って自ら守る義務。
 国旗及び国歌を尊重する義務。
 領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保する義務。
 常に公益及び公の秩序に反しない義務。
 緊急事態の際には国に従う義務。

 つまり「思想信条にかかわらず日の丸と君が代を尊重し、外国勢力の侵略があれば国に従い、自ら国を守る為に働き戦わねばならない。一部のアジアの国と国民に対するヘイトスピーチは言論の自由だが、反政府デモのような秩序を乱すことはしてはならない。国や自治体の政策に反して、個人の権利など持ち出すのは非国民だ」という事だ。
 そして自民党と改憲勢力は、そこにさらに「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という条項も付け加えた。

 その自民党の改憲草案の第24条の意味を、皆さんは正しくおわかりだろうか。
 社会の自然かつ基礎的な単位は個人でなく家族であって、自民党と改憲勢力の見解では「家族を持たずに1人で生きる者は不自然だ」ということのようだ。

 現代には、悪い意味も含めていろいろな親や子がいる。
 皆さんは、毒親という言葉をご存知だろうか。
「子供が可愛くない、子供を大事に思ってない親などいない」などというのは、現実を知らぬ夢想家の言う空疎な理想論に過ぎない。
 現実には子供を虐待する親、育児放棄する親、一方だけを可愛がってもう片方には冷たく当たる親など、居ても子にとっては“毒”にしかならない親が少なからず存在する。
 また、いつまで経っても自立せず、親元に居続けて親の脛をかじり続け、思う通りにならないと親に暴力を振るう成人した子供もいる。

 こんな例が、実際にあるのだが。
 ある父親が浮気をして、さらに会社の金を何百万円も横領して浮気相手の女と共に失踪した。
 で、残された母が、女手一つで子育てしつつ、夫が横領した金も必死に返した。
 残された母と子はとても苦労して生活し、父親(夫)については失踪者として届け出、やがて家庭裁判所から失踪宣告も出された。
 ところがようやく生活が落ち着いた頃、父親が住んでいるという自治体から、子供に連絡があった。
「貴方のお父さんが病気で働けないでいるのだが、家族として援助してほしい。どれだけお金を出せるか、まずは貴方の収入と資産を教えてほしい」
 父親は横領した金をさらに女に持ち逃げされ、そして病気にもなり生活保護を申請したので、その自治体が子供を捜し出して「親を養え」と言って来たのである。
 失踪宣告が出されている為、母(妻)にはその義務は無いが。しかしどんな親であろうと親子の縁は切れないゆえ、こんなロクデナシな親でも法的には子は援助をしなければならないらしい。
 これ、本当の話である。

 貴方なら、どうだろうか。
 愛人を作り、金を持ち逃げして貴方に酷い苦労をさせた親。
 暴力を振るい、貴方を虐待した親。
 ネグレクト状態で、貴方の世話などしてくれなかった親。
 そんな酷い親でも、子として親の面倒を見るのが当然と思うだろうか。

 例の父親が会社の金を横領して女と逃げた人は、父親の住む自治体の援助の要求を頑として拒んだというが。
 しかし自民党の考える改憲が実現して「家族は、互いに助け合わなければならない」という条項が憲法に加えられたら、どんなクズな親でも貴方は決して見捨てずに死ぬまで助けなければならなくなるのだ。

 なぜ自民党と改憲勢力が、憲法に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という条文も付け加えたいか。
 それは彼らが、戦前戦中のような三世代同居の、言わば『サザエさん』の磯野家のような家を理想にしているからだ。
 三世代同居で幼い子は祖父母が面倒を見て、老いた親の介護は子供(主に嫁)がする
 そうすればこども園の待機児童の問題も、高齢者の介護や孤独死の問題も一挙に解決……というわけだ。
 核家族が多い今は、こども園などの整備も、高齢者の福祉も国や自治体が頑張っている。
 しかし「家族は互いに助け合わなければならない」と憲法に明記してしまえば、国は待機児童の問題も高齢者の介護の問題も家族の問題とし、すべて国民に「憲法に書かれた義務」として押しつけることができるのだ。

 話は再び、『サザエさん』に戻る。
 日本の保守勢力に「理想の家族」と賛美されているこの『サザエさん』は確かに三世代同居だ。
 しかし繰り返すが、サザエさんは磯野家の嫁ではなく、世帯主の磯野波平の実の娘なのである。
 そしてマスオさんも磯野家に婿入りしたわけでなく、フグタマスオのままただ同居しているだけだ。
 ついでに言うと、マスオさんの母親はまだ健在であるが、マスオさんは盆暮れも磯野家で過ごしていて、マスオさんが妻のサザエと一人息子のタラちゃんを連れて実家のフグタ家に帰省する場面はまず見られない。
 つまり戦争が終わった直後の1946年から新聞連載が始まったこの『サザエさん』は、三世代同居と見せながら「夫の姓を名乗りはしているが、夫の家に嫁に入るのではなく、自分の家で自分の両親や弟妹と共に、夫や我が子と暮らし続けている」という、新しい家族像を見せていたのだ。
 その『サザエさん』が21世紀の現在に安倍政権のもとで、右派の改憲勢力に理想の家族像として利用されていると知ったら、1992年に亡くなった長谷川町子さんはどう思うだろうか。

 サザエさんは嫁に出ずに結婚後も親元で暮らし、磯野家の人々も自分達の親戚や知人との付き合いは大切にするものの、それに比べてマスオさんのお母さんの存在感はひどく薄い。
 作中では「おじいちゃん」扱いされている波平さんだが。
 しかし実は波平は、まだ五十代の現役サラリーマンなのだ。
 その妻の舟もまた同年代であろうし、年金や介護の問題はまだ先の話だ。
 タラちゃんも磯野家には専業主婦が二人も(サザエさんと舟)いる為、待機児童の問題とは無縁の存在である。
 こんな現代社会にはレアな、戦後すぐの時代に描かれた女性の理想の家族像(嫁に行かずに実家で夫や子と暮らす)の都合の良いところだけを見て、「これが理想の家族だ!」と持ち上げる日本の保守勢力の脳天気さには呆れかえる。
 もしマスオさんの故郷のフグタ家の母が病気で倒れて要介護になったりしたら、マスオさんとサザエさんは果たしてどうするのだろうか。
 それだけで、この磯野家は崩壊しかねない。
 また、この磯野家の跡は、「サザエさん夫婦→タラちゃん」と継いで行くのか、それともカツオとその未来の妻が継ぐのか、その点でも相続問題で揉めそうでもある。

 無論『サザエさん』はフィクションの漫画で、「もしマスオさんのお母さんが要介護になったら?」とか、「跡継ぎは誰?」とか考える方が大人げないのかも知れない。
 しかしただの漫画だからこそ、「待機児童の問題や介護の問題とも全く無縁で、嫁姑の問題も無く夫の親戚とはろくに付き合わないでいられる」フィクションだからこそ、大の大人の、しかも政治家までが磯野家を正気で理想の家族像のように持ち上げるのが愚かしく見えて仕方がない今日この頃である。

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権力者や有名人になどなりたくない

 何年も前、職場の忘年会の出し物で、筆者が所属していた課で『水戸黄門』をやることになった。
 主役の黄門さまは、もちろん課長である。
 それに異議はない。

 実は筆者は、芝居で『水戸黄門』をやるなら是非やりたい役があった。
 助さんか格さん?
 いやいや、筆者はそんな正義の味方のヒーローをやれるようなキャラクターではない事は、自分でもよくわかっている。
 風車の弥七?
 残念だが、そんな格好の良い役柄は、筆者には似合わない。

 やりたかったのは、実は悪代官である。
 小判がギッシリの菓子折りを貰い、可愛い女子がいたら「よいではないか、よいではないかー」と権力を笠に着て迫る。
 ある意味、「男のロマン」と言っても良いのではないかと、筆者は密かに思っている。

 悪代官は、過去のしかもフィクションの話だが。
 しかし我が日本の北隣には、1人の絶対権力者が他の者すべての生殺与奪の権を握り、カネも女性も思いのままにしている独裁国家が現に存在している。

 例えばもし貴方が、その北の独裁国家の指導者になったとしたら。
「私利私欲なく24時間国民の為に尽くす、清廉潔白な政治をします」
 本音でそう言い切れる人が、果たしてどれだけいるだろうか。
 筆者も含めて、人間は我欲のある弱い人間だ。
 一庶民でいる時には綺麗事を言っていても、いざ絶対的な権力を握り、何でも思いのままにできる立場を得たら、贅沢な暮らしをし、嫌いな者は虐めてお気に入りの者を引き立て、美女を集めて自分専用の“歓び組”を作りかねない人が少なくないのではないだろうか。

 まあ、それでも筆者にも良心はありマスから。
 悪代官は最後には正義のヒーローにやっつけられるべき存在であって、現実に存在して善玉に勝ってはならない事はわかっている。
 で、「最後にはやっつけられる」という前提の上で、賄賂で私腹を肥やし美女に無体な振る舞いに及ぶ悪代官、是非やってみたいなあと思っていた。

 ところが例の職場の忘年会での出し物の『水戸黄門』で、筆者に割り当てられたのは、とんでもなくショボい役だった。
 悪代官どころか、悪徳商人でも、その手下のヤクザどもでもない。
 ついでに言っておくが、うっかり八兵衛でもない。
 ズバリ、“病気のおとっつぁん”だった。

 いや、それでも本番では、与えられた役を精一杯演じさせていただきマシタよ。
 布団に横たわり、ゴホッ、ゴホッと咳込んで。
 そして娘役の女性に背中をさすられながら、「お美津、いつもすまねぇなぁ……」と。
 で、娘の“お美津”が「おとっつぁん、それは言わない約束よ」と言っている時に、ヤクザ達がなだれ込んで来て、借金のカタに娘を悪代官のもとに連れて行こうとする。
 布団から這い出し、ヤクザの膝に縋って「お美津ぅ~!」と悲痛な声を絞り出すものの、ヤクザに蹴られてガクリと崩れ落ちてあえなく死ぬ。
 端役とは言え、病気のおとっつぁんをちゃんと演じられたとは思う。
 それでも最後にはやられる悪役でも、やはりやりたかったデス、悪代官。

 話は変わって、中川俊直代議士が重婚やストーカーなどの女性問題を起こして、経産省の政務官を辞任し自民党も離党した。
 中川代議士だけではない、カネや女性の問題でスキャンダルを起こして世間から叩かれる有名人は数多い。
 筆者は思うのだが。
 政治家にしろ、芸能人にしろ。地位や権力を手に入れると“悪代官化”して、カネや女性など何でも思いのままにしようとしてしまう人が少なくないのだろう。
 そしてまた、権力者や有名人には腹に一物ある商人や女性が寄って来るのもまた事実だ。

 あるミュージシャンがこう言っていた。
「音楽を始める動機なんて、オンナにモテたいからに決まってる」
 それは極論にしても、芸能人に異性に注目されたい気持ちがあるのも事実だろう。
 ホリエモンも「愛もカネで買える」と言っていたように、芸能人でなくともお金持ちになれば女性にモテるのも事実だ。
 実際、結婚を意識する年齢になると、お医者さまや青年実業家や一流企業の社員など収入の高い男性は、婚活でモテモテだそうだ。
 そして政治家には、女性だけでなく利権のおこぼれにあずかろうとする業者も寄って来るようだ。

 権力を握って、世の中を思いのままにしたい。
 有名になって、異性にモテたい。
 そんな動機で政治家や官僚や財界人や芸能人になること自体を、筆者は否定しない。それが法律で許す範囲内であれば、カネやモテを目標の地位を得る為に頑張る活力にしても悪くはないだろう。

 ただ、世の中はそんなに甘くない。
 江戸時代にはある程度の賄賂は悪とみなされず、今のお中元やお歳暮のような感覚で贈答されていた。非難されるのは、田沼意次のように限度を超えて貰い過ぎた場合のみだった。
 明治や大正の頃だけでなく昭和の中頃までは、政治家が妾を囲っていても、騒がれる事は殆ど無かった。「政治家の仕事は、政治をきちんとやる事」という暗黙の理解があって、有力者の女性問題を含めた私生活については、マスコミも見て見ぬ振りをして殆ど報じなかった。
 しかし今は違う。賄賂は犯罪として摘発されるし、女性問題もワイドショーや週刊誌等で厳しく叩かれる。
 この今の日本では、北の国の独裁者と違ってたとえ権力を握っても、カネや女性を思いのままにできるわけではないのだ。
 まあ、首相などの権力者の意向を忖度して、首相や首相夫人に近い人に有利になるよう動くお役人も、今現在もいるようではあるが。

 筆者は本当に無名で無力な上にカネも無い一市民であるが。
 それでも痩せ我慢でなく、政治家や有名人については別に羨ましいと思わない。
 むしろ「いろいろ注目され、好き勝手に出来なくて大変だろうなあ」と気の毒にすら思う。

 良い事ではないし、筆者自身も大嫌いなのだが、不倫をする人はこの世の中に大勢いる。
 ただ無名の一般人の場合、不倫をしても責める人は周囲の人間だけで、離婚して慰謝料を払えばそれで済んでしまう場合が多い。
 しかし政治家や有名人は違う。大勢の記者に追い回されて叩かれ、謝罪の会見をさせられ、地位を失う場合も少なくない。
 確か不倫をした自民党の議員は、議員辞職した筈だ。
 そして芸能人も、ゲスとまで呼ばれて叩かれたりしている。

 不倫でないただの恋愛でも、有名人はマスコミに追い回される。
 アイドルなど、異性にモテて騒がれたいからその仕事を目指したのだろうに。
 なのにAKBなどでは恋愛禁止で、それを破って恋愛した事が暴露されると問題にされる。
 芸能界という美男美女が大勢いる世界にいて恋愛も自由に出来ないとは、空腹でご馳走を目の前にしているのに食べることを禁じられているくらい辛いことだろう。

 筆者の友人に、中学校の教師をしていた男がいる。
 彼はある時、書店に行った。そして雑誌を立ち読みしていたのだが、そのコーナーには少しエッチな雑誌も置いてあった。
 そしてたまたまそこに、教え子の生徒の1人がいた。
 翌日には学校の生徒の間で、もうかなりの噂になっていた。
「S先生が本屋で、エロ本を立ち読みしていた」
 そしてその噂には尾鰭がついて、こう変わった。
「S先生が本屋で、18禁のエロ本を読んでた」
 その噂は、最終的にこうなった。
「S先生が本屋で、18禁のエロ本の封をビリビリ破って中を見ていた」
 中学校のたかが一教師でさえ、地元ではこれくらい人の目に監視され、ただ書店で立ち読みをしただけでもあらぬ噂を立てられるのである。
 政治家や芸能人などの全国の人に顔を知られ、大勢の記者にも日頃から追いかけられている有名人ともなれば、どれだけ人の目を気にして生きなければならないか、想像しただけでも気の毒である。

 政治家など、業者の差し出すお金を貰い、綺麗な女性には「よいではないか、よいではないかー」とやりたいだろうに。
 芸能人や財界人だって、女は股がけし放題でハーレム状態でいたいだろうに。
 しかし権力を握ったら悪代官の真似をするどころか、逆に普通の人よりも清廉潔白に生きているフリをし続けなければならないのだから、さぞ大変だろう。
 モテたくてアイドルになったのに事務所から恋愛禁止を命じられているアイドルには、本当にお気の毒さまと言うしかない。

 有名人が大変なのは、清廉潔白でいなければならないのは“今”だけではないからだ。
 問題を起こす政治家が多すぎるので殆ど忘れられかけているが、例えば少し前には、若い時代の下着ドロの過去を暴かれ、『パンツ大臣』と呼ばれた自民党の政治家がいた。
 政治家だけでなく芸能人でも、無名時代に付き合った相手から週刊誌に告白手記を出されたり、デビュー以前の“ヤンチャ”行為を暴露されてしまったりもする。
 若気の至りによる過ちや恥ずかしい過去の一つや二つ、人には誰しもあるだろうに。
 しかし有名人は、それすらいつ暴かれてしまうかも知れないのだ。
 世間に顔や名を知られている有名人は、本当に大変である。

 筆者は無名で無力で、しかしだからこそ好きな人と付き合い、法律の許す範囲内で好きな事を自由にして暮らしてゆける。
 自分のやりたい事を、誰の目も気にせず、誰にも遠慮せずにすることができる。
 政治家や芸能人がスキャンダルで叩かれているのを見るにつけ、無名で顔を知られていないからこその自由と気楽さを、しみじみと味わっている。

 つい先日も、復興担当大臣が暴言で辞職したが。
 筆者など、このブログで暴言を幾度も繰り返している。
 しかし無名の私人だから、言い過ぎたらその過ちを認めれば許されている。
 本当に気楽だ。
 もし筆者が有名人なら舌禍事件を何度も起こしたであろうし、そしてひどく叩かれ、地位を失う事になっただろう。
 そしてそれを恐れるあまりに、言いたい事も自由に言えない暮らしをするのも、さぞ腹が膨れる思いでストレスが溜まる事だろうと思う。
 少なくとも筆者は、皆に顔を知られ、どこに行っても人に注目されるような有名人になど、本当になりたくない。

 で、その無名でいたい筆者が考える、一番の幸せだが。
 有名にはなりたくない。
 しかしある程度のカネが無いと、老後や病気をした時に困る事はわかっている。
 カネは本当に、「ある程度」で良いのだ。
 何故ならカネがある事を他人に知られると、良くない人達が集まって来る事がわかっているから。
 そしてカネを得る為に、他人に恨まれるような悪い事や、過労死しかねないような長時間労働もしたくない。
 とすると、宝くじが当たるのを待つくらいしか無いですかな。
 まあ、国の年金制度が信用できさえすれば、宝くじなどあてにしなくても済むのだけれど。

 悪代官でもOK、とまでは言わない。
 多少の金銭や女性の問題には目をつぶるから、国民が安心して暮らしていける社会にしてくれる政治家が増えるよう望みたい。
 政権が変わる度に議席数が大きく変動する小選挙区制のせいで、今の国会議員の多くが当選回数3回以下の、政策通でない未熟な議員なのだという。
 小選挙区制と劇場型選挙により、国会議員の質がかなり落ちたと言われるが、筆者も同感だ。以前のような政策通で国民を第一に考え、時には首相や政府にもNOと言う与党議員は、本当に減ってしまった。
 このままでは、国民として政治家より宝くじをあてにするしか、本当になくなってしまう。

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煙草の害に知らぬ顔の、喫煙大好き自民党

 望まない飲酒を相手に強要する行為は、アルハラと言われる。
 ならば喫煙者が自分の煙草の煙を、周囲の煙草を吸わぬ者に受動喫煙させる行為もまた、ニコチン・ハラスメントと呼んでしかるべきであろう。

 煙草は法律で禁じられている物ではないし、喫煙の自由は誰にもある。
 しかし「自分の煙草の煙を周囲の者にも吸わせる権利」は、どこの誰にも無い筈だ。
 だから煙草を吸わぬ者が受動喫煙させられぬよう政府が責任をもって対策を講じるのが、世界の潮流なのだ。

 2020年に、日本で東京オリンピックが開催される。
 そして2004年以降のオリンピック開催都市では、すべて罰則付きの受動喫煙防止策を導入している
 それで厚生労働省は、当初は他のオリンピック開催都市と同様に、飲食店をすべて原則禁煙とする方針だった。
 だが飲食業界などの反発で、小規模なバーやスナックは例外として喫煙を認めることにした。
 この例外付きの受動喫煙対策は、世界保健機関(WHO)ランクでも、4段階のうち上から3番目の水準である。
 ちなみにWHOの調査では、世界の188カ国のうち49カ国が、飲食店やバーも含めて屋内全面禁煙としている。
 だから日本の厚労省の受動喫煙防止策は、オリンピック開催国としては「ユルユル」の最低ランクなのだ。

 しかしそれでも自民党は、この厚労省のユルユルで最低ランクの受動喫煙防止策を「厳しすぎる」と言い、認めない方針を固めた
 自民党は「飲食店が廃業に追い込まれかねない」と言い、飲食業者も禁煙にしたら「店が潰れる」と言っている。

 果たしてそれは、本当だろうか。
 ある飲食業者は、「店に来るお客の半分は煙草を吸う」と言い、だから禁煙にしたら店が潰れると言う。
 しかし日本の2016年の喫煙率は、煙草を販売している側のJTの調査でも19.3%に過ぎない
 と言うことは、もし「店に来るお客の半分は煙草を吸う」というのが真実だとしたら、飲食店に行くのは全体の約4割で、過半数の日本人は日常的に飲食店を利用していないという事になる

 日本の飲食業者は、「お酒を飲む人≒喫煙者」と思い込んでいるのではないか。そして「煙草を吸わない人は、お酒も飲まない」とも。
 だから受動喫煙させられるお客の迷惑など、どうでも良いと思っているのだろうが。
 しかしもし「お酒を飲む人≒喫煙者」だとすると、お酒を飲む日本人は2割しかいない事になる。
 お酒を飲む人がそれほど少数派になっているなら、飲み会など無くなってしかるべきではないか。
 しかし現実には、職場や仲間内での飲み会は今も頻繁に行われている。

 筆者の親しい友人は、中学時代の同級生達と度々同窓会を開いている。
 その友人の中学時代のクラスは非常に仲が良く、卒業してかなりの年月が経った今でも、正月やお盆で皆が帰省する度に、20人前後の同級生達が集まっては酒を飲んでいる。
 しかし喫煙者は、そのうちの2人だけだ。
 で、その2人が古い仲間で良い奴だから、他の18人が受動喫煙を我慢しているのだ。
 飲食業者は「禁煙にしたら、店が潰れる」と言うが、実態はこんなものだ。見ず知らずの他人の煙草の煙には嫌な顔をできるが、友人や上司の煙草には遠慮があって、なかなか嫌と言えずに仕方なく受動喫煙を我慢しているのだ。

 厚労省が最初に示した原則禁煙の案に対して、飲食業者は「店が潰れる、弱いものいじめだ」と猛反発した。
 その飲食業者に聞きたい。
 本当にいじめられている弱いものとは、誰か。
 断言するが、飲食店で煙草の煙にさらされ、受動喫煙させられている非喫煙者達だ。

 と言うと、煙草を吸う者らは「嫌なら、喫煙可の店に来なければいい」と言う。
 しかし世の中には、付き合いというものがある。仕事関係の飲み会で、喫煙者の上司や取引相手に「煙草は吸わないで下さい」などと言えるわけもなく、泣く泣く受動喫煙を我慢している者こそが、いじめられている弱いものなのだ。
 喫煙者の率が2割を切っているこの日本で、何故8割もの煙草を吸わない者たちが受動喫煙の被害を受忍しなければならないのか、筆者には全く理解できない。
 受動喫煙の害が明らかになっている現在、飲食店を含む公共の場所がすべて禁煙であれば、喫煙者の上司や取引相手に受動喫煙で苦しめられる事も無くなるのにと、心から思う。

 それでも飲食業者は、「店に来るお客の半分は煙草を吸う」と言う。
 それを逆に言えば、「店に来るお客の残り半分は煙草を吸わず、受動喫煙を我慢している」ということになる。
 そしてその背後には、受動喫煙が嫌で飲食店に行かない人が大勢いるのだ。
 筆者自身も、禁煙でなく分煙すらされていない、受動喫煙を強いられる飲食店には、仕事の関係でやむを得ない場合以外は極力行かないようにしている。

「自分は煙草を吸わないが、他人の煙草の煙は嫌ではないし、受動喫煙も気にならない」と言う人を、筆者はただの1人も知らない。
 筆者も含めて、煙草を吸わない者は他人の煙草の煙が大嫌いだ。自分が吸わない煙草の、ただ不快なだけでなく有害な煙をなぜ吸わされなければならないのか、全く理解できない。
 受動喫煙を強いられるのは、一種の暴力である。
 そう思うのだが、義理や上下関係などの問題で、煙草を吸わない者は受動喫煙を我慢して同席しているだけなのである。
 それが飲食店にいる、煙草を吸わない約半数の者たちなのだ。

 喫煙者が日本人の約2割で、飲食業者の言う「店に来るお客の半分は煙草を吸う」というのが事実だとすると、煙草は吸わないが飲食店に行く者があと2割で併せて4割になる。
 つまり飲食店に行かない、言い換えれば新たなお客になる可能性のある日本人が6割もいるという事である。
 店を禁煙にすれば、ヘビースモーカーの客は去るかも知れない。
 しかし店の料理や酒に魅力があれば、煙草を吸わない者が新たな客として来る可能性もある筈だ。

 何しろ喫煙者は日本人の2割に満たないのだから、残る8割の非喫煙者をお客にした方が、ずっと利口ではないか。
 その現実を飲食業者はなぜ理解出来ないのか、筆者は不思議である。
 全面禁煙にした海外の例でも、店を禁煙にしてもお客が減るどころか、新たなお客が来て収益が減っていないという調査結果もある。

 今、日本の飲食店では喫煙者が好き放題に煙草を吸っていて、煙草を吸わない者が受動喫煙を我慢させられているのが現状である。
 これは世界の潮流や、2020年のオリンピック開催を考えれば全く異常な事である。
 煙草を吸わない者に受動喫煙を我慢させる日本でなく、煙草を吸う者が周囲の皆に受動喫煙をさせぬよう配慮する日本であるべきだ。
 煙草を吸わぬ者も同席するほんの2~3時間程度の飲食の間でさえ、煙草を吸わずにいられない。受動喫煙の害が知られ、周囲の者に迷惑をかけ健康被害を及ぼしても煙草を吸わずにいられない。ニコチン中毒とは、本当に恐ろしいものである。
 しかし自民党は煙草を吸わぬ者を受動喫煙から守る気などさらさら無く、ただでさえユルい厚労省の受動喫煙対策をさらに骨抜きにしようとしている
 世間での支持率は高いが、こんな政党に一票を入れられないと、心から思う。

 受動喫煙と言えば、癌の大きな原因の一つに喫煙があり、煙草から流れ出て受動喫煙させられる副流煙には、喫煙者が吸う煙より強い毒性がある事が、医学的にも証明されている。
 で、厚労省は「がん対策推進協議会」に、今年度から6年間の次期がん対策推進基本計画の素案を示した。
 その中の煙草対策で、受動喫煙の機会について「家庭では3%、飲食店では15%」にすることを目標としており、がん対策推進協議会の委員から「受動喫煙の割合はゼロにすべきだ」と不満が噴出しているという。
 当然のことである。
 受動喫煙の“目標”が「家庭で3%、飲食店で15%」という事は、「家では3%、飲食店では15%の非喫煙者が受動喫煙にさらされても構わないし、健康に問題もない」という話になるではないか。
 受動喫煙させられる機会は、目標はあくまでも0%にすべきだ。

 こんなユルユルで大甘な厚労省の受動喫煙の規制ですら「厳しい」と言う自民党政権のもとでは、日本は今後も煙草吸い放題の喫煙天国であり続け、筆者を含む非喫煙者はずっと受動喫煙にさらされ続けることになるだろう。

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同性カップルは里親にふさわしいか?

 先日、大阪で男性同士のカップルが里親として認められた。
「LGBTに対する偏見はイケナイ!」という声が大きく、「同性愛なんてキライだ」などと言えなくなりつつある今日この頃の日本である。
 同性のカップルが里親になる事に関しても、「愛さえあれば良いんじゃない?」というのが、大方の論調ではないだろうか。

 しかし筆者は、同性のカップルが親になることについて、どうにも抵抗がある。
 何故なら生物学的に、同性同士のカップルに子が生まれる事はあり得ないからだ。
 単性生殖や雌雄同体の生き物を除き、ほぼすべての動物は雄と雌、父と母の間から生まれてくる。
「両親とも男」とか「両親とも女」という子供は、自然の状態ではまずあり得ない
 だから「同性のカップルが子を持つ」というのは、自然の摂理に反する事なのだ。

 昆虫から類人猿に至るまで、雌雄の区別ある動物は雄と雌とが求め合い交尾して子孫を残し、繁殖してきた。
 その中で、ただ人類の一部だけが同性に愛情を抱き、生殖行動までしている。
 無論、同性同士の性交で子が生まれる事は、生物学的に絶対にあり得ない。
 だから「人類の一部に、同性に性的な愛情を抱く者が存在する」という現実は嫌でも認めざるを得ないが、しかし同時に同性愛者も「自分達は子を持つ事ができない」という現実も受け入れるべきなのだ。
 子を持てない同士だと百も承知の上でカップルになったにもかかわらず、「自分達も子を育てて家族ごっこをしてみたい」など、欲が深いのにも程があると筆者は思う。

 と言うと、LGBTを擁護する人達は、必ずこう反論する。
「愛情の無い男女のカップルと、愛情のある同性のカップルと、どっちが親にふさわしいと思うの! 親の性はどうでも、愛情さえあれば子供は幸せなのよ!!」と。
 また、男女のカップルでも不妊の夫婦は珍しくない為、「子を持てない夫婦が里親になるのとどう違うのよ! 不妊の夫婦が里親になれるなら、同性のカップルだって構わないでしょ!!」とも。

 ちょっと待ってもらいたい。欧州の一部の国とは違い、日本ではまだ同性婚は認められていないのだ。
 一部の地方自治体では近い形で認めているが、日本国としてはまだ認めていない。
 世間では、家族というものはまだ「お父さんとお母さんと子供がいる」という形なのだ。

 それは確かに、今はシングルマザーやシングルファーザーの家庭も増えてはいる。
 しかし「同性の親が二人いる」という家庭は、ごく稀であろう。
 そして同性のカップルのもとに里子に出すという事は、その子供にそうした特殊な家庭環境を受け入れ、かつLGBTに対しての深い知識と寛容さを持つ事を強いる結果になる。
 思春期前の子供に両親が同性であることの意味を正しく理解させ、かつ受け入れさせるのは、非常に難しい事ではないだろうか。
 その送り出される里子が思春期にさしかかる頃の子であれば、里子の気持ちはさらに複雑になる。

 理想主義者は「愛さえあれば良い」、そして「LGBTのカップルのもとで育てれば、むしろ性の多様性に対して理解が深まって、本人にとっても良い」と言うのであろうが。
 ただ心身共に未熟な子供が同性のカップルのもとに里子として送り出された後、思春期を迎えて「両親は同性同士」という自分の環境を素直に受け入れられるか、そしてどのような恋愛観を持つようになるのか、筆者は非常に心配である。

 例えば不妊の夫婦が養子を迎えたとしよう。その子がまだ乳幼児であった場合には、親が告白するまで養父母を実の親だと思って育つだろう。
 また、ある程度の年齢で自分が養子だと知っていたとしても、愛情を持って大切に育てられれば、その子は養父母を自然に「お父さん、お母さん」と呼べるだろう。
 だがその養い親が同性カップルだった場合、その事に子供は躊躇いを感じないだろうか。自分の親が二人とも「お父さん」あるいは「お母さん」であるとか、どちらか一方を男なのに「お母さん」、女なのに「お父さん」と呼ばなければいけないような事態は、子供を混乱させないだろうか。

 死別や離別によるシングルマザーやシングルファーザーは、世間にもよくある事だし、子供も受け入れられるだろう。
 しかし「親がどちらも同性」という生物学的にあり得ないカップルは、子供をひどく混乱させる。
 とりわけ思春期になれば、親の性的嗜好や自分の性のあり方についても、深く悩む事になるのではないか。
「愛さえあればOK」という安易な考えで、同性のカップルのもとに里子に出す事は、出された子供に大きな精神的な負担をかける結果になるのではないかと筆者は危惧する。

「同性のカップルに偏見を持ってはいけない!」
「愛情の薄い夫婦より、愛情ある同性カップルの方が良い!」
 そんな建前じみた理想論を言う前に、まず自分の事として考えてみてほしい。
 普通の家には、お父さんとお母さんがいる。
 けれどボクの家に居るのは、どっちもお父さん(お母さん)だ。
 そのような家庭に、貴方は耐えられるだろうか。
 自分の親が同性で愛し合ってるという現実を、貴方は受け入れられるだろうか。

 同性同士で愛し合うカップルは、現に存在する。
 しかし生物学的に、同性のカップルに子は生まれない。
 だから筆者は、同性のカップルはいかなる形でも子を持つべきでないと考える。

 LGBTに対して正しい理解を持つには、かなりの知識と人間に対する深い理解を必要とされる。
 不惑の年を越えた立派な大人でさえ、「自分の子供がLGBTである」という事実をなかなか受け入れられず、深く悩んだり傷ついたりする。果てには、カミングアウトした我が子を拒絶してしまう親さえいたりするのが現実だ。
 同性カップルのもとに里子に出すというのは、大の大人でさえ受け入れるのが難しい性の問題を、幼い子供に否応なしに「受け入れろ!」と強要しているのと同じだ。

 社会がもっとLGBTに寛容になり、同性婚も、同性のカップルが養子を持つのも当たり前の世の中に既になっているのならば、ともかくとして。
 現状の日本で同性カップルのもとに里子を送り出すのは、理念優先で先走りすぎであり、その負担は結局は最も弱い立場である里子に出された子供にのしかかるのではないかと恐れている。

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WiLLという「コドモで非常識」なオピニオン誌を嗤う

 日本をあの愚かで悲惨な戦争に引きずり込んだ要因の一つである教育勅語が最近妙に持ち上げられ、社会科のみならず道徳の教材としても利用することを認めると、閣議決定された。
 いざ事が起きれば皇室と国家の為に命を投げ出せと教え込んだ部分は意図的に隠され、「親孝行や友情などの大切さを教えるものだ」とのデタラメがまかり通っているのが、安倍政権下の日本の現状である。

 その日本の右傾化の現状は、書店に行くだけでもわかる。
 史実を無視し現実をねじ曲げて解釈する極右のオピニオン誌が、筆者の住むような地方都市の書店ですら、目立つ場所にズラリと平積みにされている有り様だ。

 例えば「オトナの常識」と謳うWiLLという月刊誌など、毎号のように「日本は何一つ悪くナイ、あの戦争は侵略では無かったし、日本軍は立派だった」と言い立て、中国と韓国と民進党などを口汚く罵るのを売りにしているのだが。
 そんな雑誌が書店の目立つ場所に平積みにされ、そしてよく売れているのが今の安倍政権下の日本なのだ。
 ちなみにそのWiLLには、『アッキーのスマイル対談』という、安倍首相夫人の昭恵氏がホストとして誰かを招いて対談する記事が連載されている
 その点を見るだけでも、大学で歴史を学んだ筆者が「史実を無視して戦前戦中の日本を賛美する愚かな極右の妄言」と呆れ果てているWiLLの論調は、安倍政権の歴史観に近いものがあるのだとわかる。

 そのWiLLによると、森友学園の疑惑を野党が追及するのも「魔女狩りごっこ」で「イジメ」で、リニアは「世界に冠たる日本の技術」で「世界を救う」のだそうだ。
 森友学園の問題を追求するのが魔女狩りでイジメなのが、WiLLの認識では「オトナの常識」であるようだが。それに共感する日本人の大人が、どれだけいるだろうか。

 非常に危険な情勢にあり、現地の自衛隊が戦闘状態にあると認めている南スーダンの問題でも、WiLLの言うオトナの常識では「日報なんてどうでもいい、そこに駐留(とどま)ることが大事なんだ」そうだ。

 また、筆者はリニアが通る地元に住んでいるが。
 皆さんは知っているだろうか。WiLLで東海旅客鉄道株式会社の名誉会長と櫻井よしこ氏が対談して「世界に冠たる日本の技術」称えるリニアは南アルプスを貫いて通り、その為に地下水脈を破壊し、大井川の水量が大幅に減ることになるのだ。
 さらに南アルプスにリニアを建設するにあたり、掘り出した土はちゃんと運び出して環境に問題のないよう配慮して処分するのではなく、南アルプスの山中に投棄する計画になっている
 速度が世界一のリニアを作る為には、環境を大破壊しても構わない。
 そんな姿勢で作られるリニアが「世界に冠たる日本の技術」で「世界を救う」とは、本当に笑わせてくれる。
 リニアが作られる地元に住んでいる筆者としては、「それならリニアなど作るのはやめ、南アルプスの自然を救って欲しい」と心底思うのだが。それはWiLLと櫻井よしこ氏の考えでは「コドモの非常識」なのだろうか。

 そしてまた、WiLLは今月号でも飽きずに中国と韓国(および北朝鮮)を叩き、「日本軍は悪くナイ、軟禁大虐殺はデッチ上げだ!」と騒いでいる。
 北朝鮮を叩くのはまあ良い。北朝鮮の指導者が非常識を越えた狂気に満ちた存在で、北朝鮮が危険で邪悪な国である事は事実だから。
 だが毎号のように、「日本は過去に悪い事をした」と思いたくない頭と心の弱い人を洗脳するかのように、「南京大虐殺は無かった」と言葉を変えてプロパガンダを発信し続けるのは、いい加減にやめて貰いたいものだ。
 もちろん表現や言論の自由はある。
 しかし作為的な嘘や悪意に満ちたデマは、その自由の範疇には入らないと筆者は思うが、違うか?

 本年5月号のWiLLには、南京大虐殺について幾つも記事が載せられている。
「腹立つなァ!! 南京大虐殺四十万人……百田尚樹」
「実録映画が証明する・ありもしない南京大虐殺……立命館大学名誉教授北村稔、日中問題研究家松尾一郎」
「南京事件の死者数がわかった・その数1793人……近現代史研究家水間政憲」

 戦前、特に戦中の日本が軍の統制下にあり、言論の自由など無かったのは誰にも否定できない事実だ。報道や映画にはすべて当局の検閲が入り、当局に都合の悪い部分はすべて処分されていた事実を否定できる人は誰も居まい。
 WiLLの5月号では、その日中戦争の最中に日本が制作した『南京』という映画をもとにして、立命館大学名誉教授と日中問題研究家が「ありもしない南京大虐殺」と主張していた。
 で、その立命館大学名誉教授と日中問題研究家の感覚では、中国やアメリカの映画は嘘だらけのデタラメで、日本の映画は無条件で真実という事のようだ。
 そして日本の戦犯たちは、その中国やアメリカの嘘の為に処刑されたのだと言う。

 政治的な思惑のある映画は、どこの国のものでも自国に都合の良い点だけ取り上げ、都合の悪い部分は隠蔽しているものだ。
 それが常識というものだろう。
 だから中国やアメリカのプロパガンダ映画はそのまま真実ではないし、疑って見なければいけないのは当然の事だ。
 しかし同時に、言論が統制され、軍の厳しい監視の目の下で作られた日本の映画の方も信用できないに決まっているではないか。

 だがWiLLで対談していた立命館大学名誉教授と日中問題研究家は、「中国とアメリカの映画は嘘だらけで、日本の映画はそのまま真実」という立場で「ありもしない南京大虐殺」と主張している。
 自称“日中問題研究家”の方は、まあともかくとして。
 この程度の見識で立命館大学名誉教授が勤まるとは、立命館大学や大学教授の質も下がったものだと呆れ果てる。

 さらに「実録映画が証明する」という映像も、16ミリフィルムのやや不鮮明な画面で、南京の蒋介石の邸宅などの外観だけをロングショットで遠くから見せただけで「ほら、略奪の跡など全然ないじゃないか!」と言っているのだから笑止千万だ。
 これを見て「やはり南京で虐殺も暴行も略奪も無かった」と信じる人は、最初から「日本は悪くない、日本軍は正義の戦争をしたのだ!」と信じたい人しかいないだろう。
 本当に映画で「南京大虐殺は無かった」と証明したいなら、日本でも中国でもない中立の第三国の制作による、建物の内部や路地裏まで詳しく写し、市民の肉声も聞いた映像が必要だ。
 言論人や大学教授ともあろうものが、軍や国の検閲も経て日本に都合の悪い部分はすべて削除した“実録映画”とやらをすべて真実だと決めつけ、それを南京大虐殺がなかった証拠だと鬼の首を取ったかのように誇らしげに言い立てるなど、本当に愚かだ。

 さらに「南京事件(南京大虐殺とあえて言いたくないのだろう)の死者数がわかった、その数1793人」との記事を書いた自称“近現代史研究家”がいるが。
 実は筆者も、中国側が言う犠牲者の数には大いに疑問を持っているが。
 で、その近現代史研究家なる水間政憲氏の言う犠牲者の人数が、仮に正しかったとしても。
 貴方の街に、侵略してきた敵兵に殺された1793人の死者が転がっている様子を想像してみてほしい。
 無惨、としか言いようが無い筈だ。
 そして同胞として、怒りが腹の底からこみ上げてくる筈だ。
 中国が主張する三十万とか四十万とかいう人数に比べるから、問題にならないような些細な数と思ってしまうだけの話であって。
 仮に、真実1793人であったとしても。
 それだけの死体が転がっている様を想像すれば、大虐殺と感じて当然だと筆者は思う。

 WiLLに寄稿するような言論人は、常識では理解しがたい奇妙な思考回路を持っている。
 南京大虐殺について、彼らはいつもこう言うのだ。中国側の言う犠牲者数はおかしい、だから南京大虐殺も無かったのだ……と。
 言論や報道の自由のある今の日本でさえ、デモや集会の参加人数が主催者発表と警察発表でかなり違いがあることは、よくあるではないか。
 主催者発表と警察発表に違いがあるからと言って、「デモや集会も無かった」と言い張る人間は馬鹿だけであろう。
 そんな単純な事が、WiLLに寄稿したり、WiLLを買って愛読したりする「オトナの常識」を標榜する人達には、なぜわからないのだろうか。

 昨年惜しくも亡くなられた、筆者も尊敬するある方が、南京事件についてこうおっしゃった。

 犠牲者数が議論されているが、数が問題ではない。虐殺が行われたこと自体が問題なんだ。


 おっしゃったのは、昭和天皇の実弟で、歴史学者でもあり、戦争中には軍人として中国戦線にも行きその実態を見てきた三笠宮さまである。
 日本の右翼とは、本来皇室を尊ぶものではないか。
 にもかかわらず、歴史学者でもなく、戦争中に中国戦線に行った事も無い自称“保守”の者が、三笠宮さまのお言葉を否定するような主張をして恥じないのは、どういう事であろうか。

 また、一水会顧問の鈴木邦夫氏も、こう言っている。

 日本は常に正しい道を歩いてきたのだろうか。過去を振り返ればアジアの国に弁解できないことをしたのではなかったか。そうした過ちも直視し、それでもこの国がいとおしいと思う気持ちが愛国心だと思う。威勢のいいことを言ってその声の大きさを競うことが愛国心ではないはずだ。


 近年、安倍政権のもとで妙に“売国”だの“非国民”だのといった戦前戦中によく使われた言葉で他者を貶める自称“愛国者”が増えているが。
 鈴木邦夫氏のような姿勢こそ、今の右翼に欠けている正しい愛国心だと、筆者は考える。

 WiLLが何故、自誌を「オトナの常識」と呼びたがるのか。
 それはズバリ、WiLLの論調がコドモで非常識だと自覚しているゆえのコンプレックスによるものと、筆者は考えている。
 本当に大人の常識人が読むオピニオン誌なら、わざわざ「オトナの常識」などと標榜しない筈だ。

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