空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

小池都知事と都民ファーストの会を信用できない理由

 今、政界では小池百合子都知事が大人気で、それにあやかろうと日本各地で“○○ファーストの会”なる政治団体が結成されている。
 しかし筆者は都民ファーストの会も含めて“○○ファーストの会”という組織も、そして小池百合子氏自身も信用ならない、胡散臭い存在と見ている。

 ○○ファーストという言い方は、アメリカのトランプ大統領がまだ候補者だった頃から盛んに口にしていた、アメリカ・ファーストという言葉から来ているのだろうが。
 しかし誤解してはならない。
 トランプ氏はあくまでも共和党の大統領であって、“アメリカ・ファーストの会”なる新政党を立ち上げてその党首になったわけではない
 トランプ氏の言う「アメリカ・ファースト」というスローガンは、「外交や経済では自国のアメリカを第一にしますよ」という政治的な公約の一つであって、彼の政策すべてではないのだ。
 一見似ているようだが、トランプ大統領がアメリカ・ファーストを政治的なスローガンの一つにするのと、小池都知事らが○○ファーストという政治組織を立ち上げるのは、中身も意味もまるで違う。

 超大国であるアメリカが「アメリカ・ファースト」と唱えて自国第一主義の行動を取ることについては、筆者は疑問を抱いている。
 世界に大きな影響を与える超大国が、諸外国への影響も考えずに自国第一主義に陥って良いものだろうか。
 超大国には、超大国らしい振る舞いが要求されるものだ。
 そしてそれが充分に出来ていない中国は、諸外国から専横的だと非難も浴びている。
 ただアメリカが“世界の警察”として各地に軍隊を派遣し戦死者も出したり、経済摩擦で赤字を出し国内産業が空洞化して失業者を多く出していることなどに、少なからぬアメリカ人が苛立ちを感じている気持ちもわかる。
 そしてそれが、アメリカ・ファーストをスローガンにしたトランプ氏を大統領に押し上げたのだ。
 ただ繰り返して言うが、アメリカ・ファーストと言うのはトランプ氏の政治スローガンの一つであって、彼の政策のすべてではない。
 トランプ大統領は共和党の大統領であって、“アメリカ・ファーストの会”を結成しそのリーダーとして大統領になったのではない。
 小池氏や○○ファーストの会を標榜する日本の政治家たちとは、そこが違う。
 その点を、よくわきまえなければならない。

 小池氏は「とにかく都民を第一に考えます」という都民ファーストの会を結成し、そして多くの都民の支持を得て選挙でも大勝したが。
 筆者は小池氏と、都民ファーストの会に一票を入れた支持者たちに問いたい。
あなた方の言う“都民”とは、いったいどの人達のことなのですか?

 ただ都民と言ってもいろいろだ。
 都区内の高級住宅街に住む大金持ちも、山谷などのいわゆるドヤ街に住む身よりの無い貧しい人々も“都民”だ。
 靖国神社に熱心に行きA級戦犯も神として拝む右翼も、バリバリの左翼の共産党員も“都民”だ。
 儲け第一で社員は限界まで働かせて使い捨てで良しと考えているブラック企業の経営者も、その下で働き過労死寸前に追い込まれている従業員もまた“都民”だ。
 都民と言っても、本当にいろいろなのだ。
 例えば築地市場の移転問題を考えても、早く豊洲に移りたい業者も、築地のままで良いと考えている業者も、どちらも“都民”だ。
 小池都知事とそのお仲間は、何かと言えば都民ファーストと口にするが。
 いろいろいる都民すべてにとって良い政策など、ありはしないのだ。

 都民ですらいろいろなのに、“国民ファースト”とか“日本ファースト”とか、すべての国民に良いようにしてくれる政党が存在し得る筈が無い。
 そんな最初から無理とわかる政党を立ち上げようとする政治家は狡猾か頭がおかしいかのどちらかだし、そんな政党の登場を期待する国民は頭が悪い。

 政治家にとって大事なのは、己の軸足をどこに置いているかを、選挙民に対してはっきりさせる事だ。
 例えば労働問題なら、経営者と労働者のどちらの味方であるか。
 そもそも右翼と左翼と中道と、どの道を行くか。
 特定の宗教勢力と親しくするか、政教分離の精神を大事にするか。
 高齢者の福祉と少子化対策や子育ての援助と、どちらに重点を置くか。
 アメリカ軍との協力をより密にして海外にも自衛隊を積極的に派遣するのか、憲法第九条の精神を守るのか。
 国の財政が破綻に近づいているが、国民の反発も覚悟で増税に踏み切るか、それともまだ赤字国債等を発行して借金を続けるか。
 それら数限りない諸問題をはっきりさせないで、ただ都民だの、国民だの、○○県民だのと対象を広くボカして、多くの人にウケそうな甘い言葉で票を集めようとする政治的な行為は詐欺に近い。
 さらに言えば、その点に気付かずに“○○ファースト”という政治勢力に、よく考えもせず迂闊に一票を入れてしまう有権者も、大人として愚かだ。

 何度でも繰り返すが、トランプ大統領は数ある政策の一つとしてアメリカ・ファーストというスローガンを掲げたのであって、それのみが彼の政策のすべてではないのだ。
 にもかかわらずこの国では、○○ファーストという言葉に多くの政治家だけでなく、多くの国民までが踊らされている。

 さて、今の安倍政権や自民党都議団には反発を覚えるがサヨクではない、金持ちから貧乏人に至る多くの都民が支持している小池都知事とそのお仲間だが。
 多くの都民が、それぞれの立場で「自分に良いような政治をとってくれる筈」と期待しているようではあるが、そろそろ少しずつメッキと化けの皮が剥がれてきている。
 その一例が、関東大震災の朝鮮人虐殺事件の追悼式典への対応である。

 1910年の日韓併合で、朝鮮は日本国の一部になった。
 それに対して朝鮮では反発も大いにあったが、同時に「同じ国になった」ということを利用して、多くの朝鮮人が仕事を求めて日本にやって来た。
 これは日本政府や軍が強制的に連れて来たのではなく、彼らが自ら来たのである。
 それで1923年に関東大震災が起きた時、東京にも多くの朝鮮人が暮らしていた。

 筆者はその時国内にいた朝鮮人について「強制連行ではなかった」とは言ったが、だからといって「差別がなかった」というわけではない。
 日本は朝鮮を日本に併合し、当時の朝鮮人は名目的には“日本人”になったが。
 当時の元からの日本人は、朝鮮から来た人達を「同じ日本人」として温かく迎えたわけではなかった。
「日本人は一等国民で、朝鮮人は二等国民で、満州人は三等国民だった」と、戦前に満州にいた人も証言している。
 で、全員とは言わないが多くの日本人は、朝鮮人を二等国民と見下げて差別していたのだろう。
 だからこそ、「朝鮮人には恨まれている」と思い当たる部分があったからこそ、関東大震災の直後に「朝鮮人が放火や略奪をした、井戸に毒を入れた」などのデマが一気に広がり、皆がそれを信じたのだ。
 そして当時の都民は、何の証拠も無いのに自警団を作り、朝鮮人を追い回して片端から殺した。

 その時の状況を、当時のフランスの駐日大使であったポール・クローデルが本国にこう報告している。
人々は不幸な朝鮮人たちを追跡しはじめ、見つけしだい、犬のように殺しています
 そして一説には、約六千人の朝鮮人が虐殺された。

 江戸時代から鳶職の人達は町内の自警団的な働きもしていて、だからこの関東大震災の時にも、都心で震災に遭ったある作家は、「朝鮮人が鳶口で頭を割られて殺されたのを見た」と書き残している。
 鳶口とは、鳶職などの人が建物を壊したりする時に使う、棒の先にトビの嘴のような鉄の鉤が付いたものである。
 何もしていないのにデマで、その鳶口で頭を割られて殺される人の姿を想像してもらいたい。
 虐殺された朝鮮人がどれだけの“恨”を残したか、考えるだけでも辛くなる。

 だから歴代の都知事は、関東大震災の朝鮮人虐殺事件の追悼式典に追悼文を送ってきた。
 あのタカ派で知られた右寄りの石原慎太郎元都知事でさえ、送っていた。
 しかし小池都知事は、今年それをとり止めた。
 小池都知事によれば、虐殺で殺された朝鮮人も“災害で亡くなられた方”として関東大震災の大法要で追悼しているから、別に追悼文を送らなくても構わないのだそうだ。
 記者会見でその事について問われて、小池都知事はこう言った。
「すべての方々への哀悼の意を述べさせていただくという気持ちに変わりはない」
 つまり小池都知事によれば、「震災で亡くなった人も、震災後にデマによりリンチで虐殺された人も、同じ震災の犠牲者」ということらしい。
 同じ犠牲者であるものか!
 天災による避けようもない不幸な不慮の死と、震災を生き延びたのにリンチという人災で殺された人の死を一緒にできる人がいたとすれば、その人は頭がおかしい。
 そして小池都知事もまた、その“頭がおかしい一人”であるようだ。

 小池都知事が関東大震災の朝鮮人虐殺事件の犠牲者の追悼式典に追悼文を送るのをとりやめたそもそもの発端は、さる自民党の都議が、都知事が追悼文を送ることに反対する質問を議会でしたことにある。
 その自民党の都議の反対理由は、虐殺に遭った六千人と言われている朝鮮人の犠牲者数について不満と異論があったからだ。
 本当に、「馬鹿か!」と言いたい。

 六千人と言われる犠牲者数に異論はあっても、だからと言って「関東大震災後に、日本人による朝鮮人の虐殺は無かった」という事にはならない。
 数に異論はあっても、数千人の朝鮮人がデマにより、日本人の自警団や警察官の手で殺された事実に間違いは無いのだ。

 ところが近年、数の問題で日本人による虐殺事件を「無かったこと」にしようとする、自称“愛国者”がこの国の中で増えつつある。
 例えば南京大虐殺については、中国側の主張する犠牲者数には大いに疑問があるが。
 しかし数の問題はどうあれ、南京で日本軍による虐殺そのものがあった事実は、南京に在住していたドイツ人など反日的でない公平な第三者や、日本軍の兵士自身の証言でもはっきりしている。
 しかし自国の非は絶対に認めたくない、日本の黒は白と言い張るのが愛国だと信じる愚か者たちは、「数が違うから南京大虐殺も無かった」と強弁する。
 そして関東大震災の朝鮮人虐殺事件についても数にイチャモンを付け、日本の“黒歴史”の一つである虐殺事件を「無かったこと」にしたい輩が自民党の都議団にいて、小池都知事もその都議の質問に乗っかった、というわけだ。

 小池百合子氏と言えば、日本新党を振り出しに新進党、自由党、保守党、自民党と渡り歩いた“政界渡り鳥”として有名で、細川護煕元首相や小沢一郎氏などの有力者に気に入られ、小泉純一郎元首相には劇場型政治を学んだ大衆煽動の巧い政治家である。
 で、今は自民党を見切り、「利権にしがみつく旧弊で頑迷な自民党東京都議団と戦う」という姿勢をアピールして、都知事選に都議選と選挙で二連勝してきているわけだが。
 その対決してきた筈の自民党の都議の質問に応じて、小池都知事は歴代の都知事が続けてきた、朝鮮人虐殺事件の追悼式に追悼文を送るのを取り止めた。
 そして虐殺事件の犠牲者については「災害で亡くなられた方として慰霊する」と言い、虐殺の事実から目をそむけて歴史から消し去りたいかのような態度を見せた。

 そう言えば、小池都知事は憲法改正にも賛成であるそうだ。
 関東大震災の朝鮮人虐殺事件の追悼式に追悼文を送るのを取り止めたり、憲法改正に賛成だったりと。
 小池都知事は自民党と対決して見せながら、実は自民党と同じか自民党より右という姿勢が透けて見え始めている。
 平清盛では無いが、小池都知事は着物の下に鎧を身につけている。

 時流を巧みに読み、小泉元首相直伝の劇場型政治で民衆を煽動している小池都知事に騙されてはいけない。
 今までは“都民ファースト”などと言って、己の立ち位置をうまく隠し、「女一人で、利権を握る男社会で老人支配の自民党都議団と対決する」という清新なイメージを先行させて、多くの“都民”から支持を集めてきた。
 いや、都民以外にも、小池氏に期待を寄せる国民は少なくない。
 だがそろそろ、皆も小池都知事と都民ファーストの会の欺瞞に気付かなくてはならない。
 小池都知事や都民ファーストの会など、所詮は自民党右派の代替勢力に過ぎない

 都民や国民と言っても、人はそれぞれなのだ。
 金持ちもいれば貧乏人もいて、経営者もいれば派遣社員もいる。
 老人もいれば、子持ちの家族もある。
 右翼もいれば左翼もいて、天皇や一個人を神と信じる信者もいれば無神論者もいる。
 様々な立場のいろいろな人がいるのに、「都民」とか「国民」とかで一括りにできる筈もないのだ。
 だから筆者は都民ファーストの会など最初から不信の目で見ていたし、その別働隊のような○○ファーストの会が全国で雨後の筍のように増えている現状を、苦々しい思いで見ている。

 騙されてはいけない。
 小池都知事は、本質は自民党右派と同じだ。

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安倍首相が推し進める改憲は“憲法違反”?

 安倍政権下で改憲が盛んに語られるようになり、改憲が現実のものとなろうとしている。

 実は筆者も、「知識人≒左翼」だった幼い頃から、現憲法に違和感を抱いていた。
 例えば前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。
 そしてそれが戦争と武力の放棄および(自衛の戦争を含む)交戦権の否定をうたった第九条に繋がって行くのだが。
 しかし北朝鮮や旧ソ連や中国などの国々を見てみれば、平和を愛さず不公正で信義も無い国家が世界に幾つもある現実がわかる。
 自由と民主主義の理想を高く掲げるアメリカですら、今は「アメリカ・ファースト」と叫んでいる。
 世界のどの国も、自国の国益が最優先なのだ。
 そして国益の為には不公正なことや信義に反することもするし、時には戦争もする。
 そんな中で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」て武力を放棄し自衛の戦争も認めないなど、危険極まりないし、正気の沙汰とは思えない。

 だが筆者は、安倍首相を中心とする「とにかく“押し付け憲法”だから改憲すべき!」という情念と怨念に凝り固まった一派にも与しないし、戦前の旧帝国憲法に回帰したいかのような安倍自民党の改憲案には大反対である。
現憲法にも問題があるが、安倍首相の望む改憲はもっと危険で悪質だ」というのが、筆者のこの国の憲法に対する姿勢だ。

 安倍首相ら改憲をしたい人々は、よくこう言う。
「欧米などの自由で民主的な国々ですら、何度も改憲している。日本のようにたった一度も改憲していない国の方が珍しい」
 それは数字の上では事実だ。
 しかしその主張には、日本の現憲法と他国の憲法の違いを無視した悪質な欺瞞がある。

 安倍自民党が国会で絶対多数を占め、与党だけで憲法改正を国会に提案して可決することができるようになった。
 そんな情勢の中、去年、小学館の漫画雑誌であるビッグコミック・スピリッツが付録に日本国憲法の小冊子を付けて、話題となった。
 そしてその号のビッグコミック・スピリッツは完売となった。
 実は筆者も、そのビッグコミック・スピリッツを買い、日本国憲法の小冊子を手に入れた一人である。

 漫画雑誌が付録として付けられるくらいだから、日本国憲法は意外なほどに短い
 その付録の日本国憲法はイラスト込みで43ページ、文章だけでは前文も含めて僅か14ページしかない。
 文章を読むのを苦にしない人なら、短時間であっという間に読み切れてしまう。
 つまり日本の現憲法とは、細かい規定は書かずに原則だけをまとめたものなのだ。
 他国の憲法と比べて、量も内容もかなり少ない。
 細かいことは書いてないから、解釈の変更だけで足り、改憲を必要としてこなかったというのが現実なのだ。
 にもかかわらずその日本国憲法の特徴を無視し、細かい規定も盛り込んだもっと長い他国の憲法と改憲の回数だけを比較して「我が国が改憲しないのは、世界的に見ても異常だ」と言うのは、アンフェアである上に欺瞞であり、実に狡猾だ。
 安倍首相ら改憲したい人達の、このような狡い主張に騙されてはいけない。

 その短い戦後の平和で民主的な日本の骨組みとなる精神の部分だけを規定した日本国憲法を改めて読んでみて、気付いたことがある。
 厳密に言えば、改憲を声高に主張する安倍首相は、現憲法から見れば違憲とも言えるのだ。
 日本国憲法第十章最高法規の、第九十九条にはこう書かれている。

 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


 その規定から考えれば、国務大臣の長である首相が自ら現憲法を押し付け憲法と非難し、改憲の先頭に立つのは明らかに違憲であろう。
 首相は広義には国務大臣であるが、狭義には国務大臣ではないという。
 だが現憲法により、首相は国会議員でなければならないことになっている。
 そして国会議員にも、前出の憲法第九十九条により現憲法を尊重し擁護する義務がある
 だから国務大臣の定義を狭義で解釈しようと、安倍首相も憲法第九十九条を守らねばならない。
 そして今の安倍首相のどこに、現憲法を「尊重し擁護する」姿勢があるか。
 現憲法を非難し、改憲に躍起になっている首相の姿勢は、現憲法を読む限り違憲としか思えない。

 確かに現憲法の第九十六条により、憲法改正は「各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」とある。
 だから国会議員には、憲法改正を主張する権利もあると見なければならない。
 しかし先に紹介した憲法第九十九条には、国会議員も現憲法を尊重するだけでなく擁護する(かばって守る)義務を負うとある。
 さて、国会議員は憲法を変えようと発議できるという第九十六条の規定と、憲法を尊重し擁護する義務があるという第九十九条の、どちらを優先して考えるべきであろうか。

 国会議員が憲法改正を発議できると記した第九十六条は、憲法第九章の改正に書かれている。
 それに対し、前にも述べたように憲法を尊重し擁護する義務を負うと記した憲法第九十九条は、憲法第十章の最高法規の中に書かれている。
 常識で考えたら、最高法規を憲法の中でも最優先して考えるべきではないだろうか。
 だから憲法改正を発議はできるものの、国会議員は憲法を尊重し擁護する義務の方を、より優先すべきではないだろうか。

 国会議員が自国の現憲法を敵視して非難し、自ら先頭に立って憲法改正の旗を振るのではなく。
 国民(選挙民)の間から「今の憲法のままではいけない、ここをこう変えてくれ!」という声が高まって初めて、国会議員は憲法改正に動くべきではないだろうか。
 支持者の大半が改憲を強く望んでいるならともかく、そうではないのに自分の信念や歴史観から現憲法を敵視し、国会議員自身が改憲の先頭に立つのは違憲だと筆者は考える。

 ましてや一国会議員どころではない首相が、自ら現憲法を否定し、何年にはと時期まで明言して憲法改正を主張するのは、現憲法を読む限り間違いなく憲法違反ではないだろうか。
 憲法改正は政治家が、特に首相が旗を振り先頭に立って押し進めるものではなく、国民の中からそうした機運が高まってからすべきものと、筆者は考える。

 それにしても、改憲にかける安倍自民党のやり口は汚い。
 選挙ではあえて改憲を争点にせず、経済を前面に出して。
 そして選挙に勝てば「改憲は自民党の党是だから」と、改憲も民意を得たと言い張り、改憲をゴリ押ししようとする。

 そんなに改憲がしたければ、きちんと選挙の大きな争点にしろと、筆者は強く言いたい。
 とにかく改憲に執着する安倍首相は、どんな手を使っても改憲しようと策動している。
 筆者は現憲法に疑問も感じているが、こんな姑息で汚い首相のもとでの改憲は真っ平ごめんだ。

 戦後、日本は改憲をせずに条文の解釈の変更で乗り切ってきた。
 武力は持たないが自衛隊があり、戦争は放棄したが自衛権はあるなど、憲法の条文から見れば変な解釈は幾つもあるが。
 本質は「いざ事があれば皇室と御国の為に戦え」という教育勅語を肯定的に解釈するような安倍自民党のもくろむ改憲を進めるより、今の妙な解釈もある現憲法のままでいる方がよほどもマシだと、筆者は信じる。

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特攻隊を美談にしてはならない

 誤解を恐れずにはっきり言い切ってしまうが、知覧特攻平和会館などで公開されている、特攻隊員の遺書をそのまま額面通りに受け取り、「国や家族を思う強い気持ちと純粋さ」に素直に感動してしまう人は馬鹿である。
 馬鹿と言っては言い過ぎかも知れないが、知恵と知識と想像力が足りないことは事実だ。

 特攻隊に対する日本人の見方は、時代によって大きく変化している。
 戦時中には、お国の為に名誉の戦死を遂げた英雄と見られ、家の誇りとなる憧れの存在だった。
 が、戦争が終わると今度は一転して軍国主義の象徴とされ、遺族は周囲の人達から「馬鹿なことをした」と批判もされた。
 そして特攻隊員も、理解できない犬死にをした人と後の世代の者に思われるようになった。
 ところが近年ではまた時代と世の中の空気が変わり、特攻をした人を美化した小説や映画がヒットするようになった。

 しかし筆者は断言する。
 時代や世間の空気がどう変わろうと、特攻隊員は犬死にした軍国主義者でもなければ、祖国の為に自ら命を捧げた英雄でもない
 一部の指導的な者たちを除き、大半は「国と軍の非人道的な指示により命を捨てさせられた犠牲者」である。

 筆者はまだ高校生の頃に戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』も読んだし、特攻隊員の遺書もいろいろ読んだ。
 それらに素直に感動してしまう人の気持ちもわからないではないが、そういう人達はあの時代についての知識と想像力が足りない。
 何故ならば、あの時代には“検閲”という制度があったからだ。

 軍事上の機密を守るという名目で、軍人が家族に出した手紙や、家族から軍人に届いた手紙は全て、軍の当局者に隅々まで読まれていた
 そして軍の機密にかかわる事だけでなく、兵の志気にかかわるような事を書くのも禁じられていた
 だから家族が「貴方が居なくて寂しいです、是非生きて帰って来て下さい」などと書き送れば塗り潰された。そして兵士が「戦場は辛い」だの「早く帰りたい」などと弱気な事を書けば、検閲係の上官にひどく叱られた。

 当時の軍人は、手紙に本音など書けなかった
 これは当時を少しでも知るものの常識だ。
 それは特攻隊員も同じで、「家族を残して死ぬのは心残りだ」だの、「本当は死ぬのは怖い」などと書ける筈も無かった
 だから当時の検閲という制度を考えれば、遺書にも「お国と愛する家族の為に立派に死んで来ます」と書くしかなかったのだ。
 この検閲という当時の制度を知らずに特攻隊員の遺書について語る人は無知だし、そして検閲を通過する為にどういう遺書を書かざるを得なかったかという事を考えられないのも想像力の欠如だ。
 だから特攻隊員の「立派な遺書」を額面通りに受け取って感動する人は、馬鹿だと筆者は申し上げる。

 日本人には「自己主張は悪だ」という意識があり、そして「空気を読み、周囲に合わせる」という悪癖がある。
 特攻隊にも、その日本人の習性が悪い方に作用した。
 皆さんは、特攻隊員がどのように“志願”したかをご存知だろうか。

 よその国の軍隊は、戦況がどう見ても不利になれば降伏した。
 敵の捕虜になれば、敵はその捕虜を監視する兵を前線から割かなければならなくなるし、捕虜に食事等も与えなければならない。
 だから捕虜になるのは、決して不名誉な事ではなかったのだ。
 あのナチスドイツの武装親衛隊ですら、戦況が極めて不利になれば降伏したし、特攻やバンザイ突撃などはしなかった
 しかし日本軍は違う。
 戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けるな」と教え込み、どんなに絶望的な状況でも死ぬまで戦う事を強い、そしてバンザイ突撃や特攻などを強いた。
 立派に戦って生きて還るのではなく、戦って死ねと教え込んだのが日本の国と軍隊だった。

 何しろ小学生たちに、敵陣に爆弾を抱えて突撃して自爆した『爆弾三勇士』の話を美談として教え込むような“お国”なのである。
 戦って死ねと、戦前の日本は徹底して教え込んできた。
 だから日本軍は、敵の戦車が攻めてくると兵士に爆弾を抱えてキャタピラに飛び込んで自爆するよう、平気で命じた
 そして「戦って死ぬのが当然」で「上官の命令は天皇陛下の命令」だったこの国では、兵らもそれを拒めなかった
 特攻もまた、その延長である。
 特攻が命じられた時、兵らの間には拒めるような空気は無かった

 特攻は、建前は志願であった。
 しかし特攻隊への志願が募られた時、それに応じないのは「命を惜しむ卑怯者」と見る空気があった
 だから多くの者は特攻の“志願”に応じたし、本当は死にたくなかった者も、他の多くの者が志願するのを見て慌ててそれに続いた。
 それで結局、「全員が特攻に志願した」という事になったのである。

 小学生の頃からお国の為に死ぬのが立派だと洗脳され、軍隊でも戦って死ねと叩き込まれ、周りの皆が上官の求める特攻隊への志願に応じていて。
 それでも自分一人だけ特攻に志願せずに「命を惜しむ帝国軍人の面汚しの臆病者の非国民」と皆から非難されるのは、特攻隊に志願するより勇気の要ることではないかと、筆者は考える。

 おわかりだろうか。
 ごく一部の狂信的な軍人を除いて、多くの特攻隊員は進んで死にたくなどないごく普通の人間だった。
 そして幼い頃からの洗脳と時代の空気と集団の同調圧力の中で、特攻隊に“志願”せざるを得ない状況に追い込まれて飛び立って行ったのだ。
 知覧特攻平和会館などに残る遺書も、厳しい検閲の中で書かれた“綺麗事”に過ぎない
 あの時代の空気の中で、軍の検閲を通るように遺書を書くとすれば、国と家族に対する思いを熱く語り、「お国と家族を守る為に行ってまいります」と書かざるを得ない。
 それ以外に、どう書けると言うのだ?

 当時の軍人の本音は、検閲を通さず上官にも見つからないようにこっそり書いた秘密の手記しかない
 繰り返すが、軍の検閲済みの“立派な遺書”を額面通りに受け取り、それを特攻隊員の本音と思う者は無知で想像力の無い馬鹿だ。

 だから本当に心ならずも“志願”してしまった、本音では死にたくなかった特攻隊員が幾人もいた。
 特攻機を整備していた元兵士によると、怖くて膝がガクガクしてまともに歩けず、両脇を他の兵に抱えられて飛行機に乗せられた特攻隊員もいたという。
 特攻隊の実態とはそんなもので、決して美談で語れるものではないのだ。

 にもかかわらず今それが、美談として語られ、しかもビジネスにも利用されている。
 原爆の被爆地の広島市のある人材育成会社が、一泊二日三万七千八百円で、知覧の研修を企画しているという。
 かつて軍用食堂を経営し特攻隊員の世話もした鳥浜トメという既に亡くなった方が始めた富屋旅館に泊まり、その富浜トメの孫の妻である現おかみから特攻隊員の話を聞くのだそうだ。
 その現おかみは特攻隊員の遺書を読み上げ、研修の参加者に次々に問いを重ねる。
「72年前の若者たちは、後世の私たちに何を託して飛び立っていらっしゃったのだろうか」
「己にはどんな任務があると思いますか」
「この命がなすべきことは何なのでしょうか」

 そして参加者は特攻隊員たちを「すてきだ」と感じ、「特攻隊員がライバル会社にいたら勝てる気がしない」と言い、「スイッチ、入りました」と言って帰って行くらしい。
 この研修を中小企業の経営者や新入社員らが受け、参加者は五千人を越えるという。

 ある戦死した特攻隊員の母親は、「生き残って人並みの生活をさせたかった。嫁をもらってやりたかった」と繰り返し語ったという。
 それが遺族の本音であろう。

 間違えてはならないが、特攻はこの国がさせた大きな過ちである。
 筆者はかなり戦史や各国の軍装に詳しいミリオタであるが、祖国の日本軍だけはどうしても好きになれない。
 戦って死ぬことを強要し、爆弾を抱えて敵に突っ込ませて自死させるなど、傍目にはイスラム原理主義のテロリストと何も変わらぬようにしか見えない

 特攻隊員は、この日本の国の指導者たちにより死に追いやられた犠牲者だ。
 犬死にした馬鹿者でもなければ、お国の為に命を捧げた英雄でもない。
 その「日本という国が死なせた」という事実を置き去りにして、検閲を通るように書かせた建前の作文である彼らの遺書を額面通りに受け取って「彼らはすごい!」と美化する今の日本人の愚かさを、筆者は歯ぎしりする思いで眺めている。
 また、その特攻隊員の死を社員研修に利用してカネにしている輩が存在する事が、腹立たしくてならない。
 作家や映画やドラマの制作者も、特攻隊を美談に仕立ててカネにする事は、是非やめて貰いたい。
 あの戦争で特攻を命じた者たちは、いくら靖国で祀ろうがとうに地獄に堕ちていると思うが。
 特攻を美談にしてカネにしている者たちもまた、死後は地獄に堕ちるだろう。

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日本は好きだが、この国の指導者たちは大嫌いだ!

 まず初めに言っておくが、筆者はこの日本という国が好きだ
 海外で暮らしたいなど、一度も思った事がない。
 それどころか、海外旅行すらたった一度もした事がないのだ。

 それほど日本という国を愛している筆者であるが、この国の指導者たちには大いに不満がある。
 まず筆者は、明治維新を起こし天皇制で富国強兵の軍国主義の国を造った薩長の政治家連中を、立派な“志士”などとは全く思っていない。
 そして昭和八年から二十年に至るまでのこの国の指導者と、今世紀に政権を担っている政治家たちには、ただ嫌いと言うだけでなく憎しみに近い感情を抱いている。

 日本人には、政府を批判すると「非国民!」と決め付ける人達が少なからず存在する。
 特に安倍政権下で急増しつつある“右”の人々に、その種の人が多く見られる。
 しかし誤解しないで貰いたい。
「政府=国」ではないのである。
「今の政権には反対だが、この日本という国は大好きだ」という愛国者は、間違いなく大勢いる
 安倍政権を支持する“右”の人は、そのことを肝に銘じて貰いたい。
 自分と政治思想が同じ右寄りのナショナリストだけが“愛国者”ではないのだ。

 さて、今年も8月15日の敗戦の日(終戦の日ではなく)を迎えたが。
 筆者が「今世紀に政権を担っている政治家たちには、ただ嫌いと言うだけでなく憎しみに近い感情を抱いている」と述べたのは、今の政府の指導者たちの先の大戦に対する考え方と無責任さに対する怒りが強いせいでもある。

 まず安倍首相は、今年の戦没者追悼式でも「先の大戦での戦没者が、今の日本の繁栄と平和が築いた」という趣旨の発言をした。
 筆者はこの種の、「先の大戦の戦死者が、今の日本の繁栄の礎となった」というような発言に、強い違和感を抱く。
 違和感と言うより、それは欺瞞だと筆者は考える。

 想像して貰いたい。
 あの戦争で、どれだけ有益な日本人の命が失われたか。
 もし日本があの無謀な戦争を起こさず、三百万以上の人が死なずに済んだら、日本は今以上に発展し繁栄していた筈ではないか。
 あの戦争で二百六十万もの兵が戦死あるいは戦病死し、五十万もの民間人も空襲で亡くなったからこそ今の日本の繁栄があるなどと言うのは、あの戦争を美化し正当化する為の詭弁に過ぎない

 まず「あの戦争は国を守る為の戦争で、日本と自分は悪くなかった」と言い張りたい、為政者とその関係者たちの思惑があり。
 そして身内の死は無駄ではなかった、阿呆な指導者どもの為に犠牲になったのではない、国の為になったのだと信じたい遺族の思いがそれに重なって、「先の大戦の戦没者達の犠牲が、今の日本を繁栄させた」という言い方がされるようになったのであろう。
 しかしその戦没者の遺族の気持ちは理解しつつ、筆者はあえて断言する。
 あの戦争の戦没者は、今の日本の繁栄の為に自ら命を捧げて犠牲になったのではない。当時の日本の指導者の無能と無茶の為に、死ななくても良かったのに死に追いやられたのだ。

 ただあまりに多くの犠牲が出たがゆえに、大多数の国民が「戦争はもうこりごりだ!」と思い、押し付け憲法とも呼ばれる現憲法の、理想は高くとも非現実的な第九条も、さほど抵抗なく多くの国民に受け入れられた。
 国民に「何があっても、戦争は絶対ダメだ!」と骨身に沁みて思わせた。
 だからこそ、戦後の平和が七十余年の長きにわたって続いた。
 そういう意味で、安倍首相らの言う今の日本の繁栄の方はともかくとして、あの戦争の犠牲者のおかげで平和な時代が長く続いたというのは事実であろう。
 しかし戦争を直に知る人が年毎に減り、戦争を知らない世代が大多数を占め、首相ら政府の要人も戦後生まれになった。
 そして刑死したA級戦犯を“昭和殉難者”と称え「彼らの犠牲が今の日本の繁栄の礎になった」と公言する安倍首相のもと、日本は着々に戦争の出来る“普通の国”になりつつある。

 今年も多くの国会議員が、8月15日に靖国神社を参拝した。
 筆者にも戦没者を弔いたい気持ちはあるし、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れるなら納得もする。
 だが筆者は靖国神社を参拝する人の気持ちが理解できないし、靖国神社を参拝する政治家は国を導く者として全く信頼することができない
 靖国神社の遊就館に展示されている資料等を見れば、靖国神社が「日本は悪くない、あれは国を守る為のやむを得ざる戦争だった」という史観に立っていることがよくわかる。
 だからこそ靖国神社は、A級戦犯の合祀を平然と行った。
「戦争になったのは連合国がABCD包囲陣を作って日本を孤立させたからで、日本は悪くないんだモン」という史観なのだから、“悪くない日本”の戦争指導者であるA級戦犯達を合祀するのも、靖国神社としては当然の事なのだろう。

 確かに日本軍は、とても勇敢だった。
 勇敢過ぎるほど勇敢に戦った。
 機銃や砲で守られた敵陣にも銃剣突撃をかけるなどして、多くの戦場で米英軍より多くの死傷者を出した。
 圧倒的な兵力と兵器を持ち物量戦で挑む敵に追い詰められても降伏せず、バンザイ突撃をして各地で玉砕もした。
 しかし勘違いしてはならない。
 二百六十万もの日本軍の犠牲者のうち、六割は餓死あるいは戦病死したのである。

 知っているだろうか。
 かつての日本軍では「輜重輸卒(補給や輸送を担当する兵)が兵隊ならば 蝶々トンボものうち 焼いた魚が泳ぎだし 絵に描くダルマにゃ手足出て 電信柱が咲く」と揶揄されるほど、食料や弾薬の補給が軽視された。
 食料や弾薬が無くても、大和魂さえあれば戦えると思っていたのが、日本の軍の指導者達なのである。
 だからインパール作戦など、多くの作戦がろくな補給も無しに実行された。
 インパール作戦でもガダルカナル島でもニューギニアでも、戦って死んだ者より餓えて死んだ者の方が多かった。

 よく覚えておいてほしい。
 日本軍の死者には、敵の銃弾や砲弾に倒れた者より餓えて死んだ者の方が多いのである。
 そしてそんな戦争を指導し、そんな粗雑な作戦を東京の大本営や後方の安全な所で何不自由なく暮らしたらふく食いながら立案指揮したA級戦犯どもが、最前線でバンザイ突撃をさせられ、あるいは餓えて死に至った兵たちと合祀されているのである。
 あの無謀な戦争の指導者たちが合祀され、最前線で苦しんで死んだ兵の御霊はさぞ嫌な思いをしているだろうと思うのは、筆者だけだろうか。

 想像して貰いたい。
 貴方がブラック企業の社員で、寝食もろくにとれない状況で牛馬以下の扱いを受けて酷使され、ついに過労死してしまったとする。
 で、その過労死した貴方と、貴方を過労死させたブラック企業の経営者が同じ神社で会社を守った神として祀られたとしたら、「ふざけるな!」と怒りたくなるのではないか。
 靖国神社にA級戦犯を合祀してあるというのは、それ以上に非道いことだ。
 そしてそれに気づかない靖国神社の神職wwwはもちろんのこと、その靖国神社に参拝したがる政治家も不見識極まりない。

 安倍政権のもとで、戦前の日本を賛美するような言動をとる政治家が増えてきた。
 結局は「何かあれば国と天皇陛下の為に戦え」と言いたい教育勅語や、日本がアジア侵略の口実として使った八紘一宇という言葉を賞賛する国会議員が、しかも政権与党に出てくる始末だ。
 そして先に述べたように、安倍首相自身もあの悲惨な戦争を引き起こした責任者であるA級戦犯を、「今の日本の繁栄の礎になった、昭和殉難者」と讃えている
 そんな政権与党により特定秘密保護法、戦争法案、共謀罪と、丁寧な説明なしに数の力で可決され、首相は次には憲法まで変えようとしている。
 戦前の大日本帝国に郷愁を持ち、あの悲惨で愚かな戦争の指導者も賛美して靖国神社で神として祈りを捧げたがるような政治家たちの手によってなされようとする憲法改正を、筆者はひどく恐れる。

 安倍政権のもとで、日本は戦争の出来る“普通の国”になった。
 それを良いことと思う人もいるだろう。
 ただその前に、この国の政府と与党の政治家は戦争に巻き込まれた民間人の犠牲者にひどく冷たいのだという現実も、よく知っておくべきだ。
 日本は自国が引き起こしたあの戦争で、二百六十万の軍人と、五十万の民間人を死なせた。
 で、その軍人の方には「国と雇用関係があった」という理由で、これまでに約60兆円の援護がされている。
 しかし五十万人の民間人の犠牲者に対する補償や援護は、全く無しだ。
 それは「戦争という非常事態に伴う犠牲は、国民が等しく受忍しなければならない」という、“戦争受忍論”という理屈によるものだ。

 よく覚えておいてほしい。
 戦争を始めるのは国民ではなく、国(時の政府)だ
 しかしその国が国民の同意もなく始めた戦争の被害と犠牲は、国民が等しく受忍しなければならないというのだ
 これでは、国民は戦争で死んだら死に損でしかない。
「戦争を始めるのは政府の自由だが、民間人が死のうが傷つこうが政府は知らぬ、補償もしない」というわけだ。

 もし戦争で民間人の貴方が死のうが、例の戦争受忍論で国は何もしてくれないのである。
 だからこそ、国民は政治家を、一票を入れる相手を慎重に選ばねばならない
 戦前の日本に郷愁を持つような、八紘一宇のスローガンや教育勅語を良いと思うような政治家をこの国の代議士にしてはならない。

 ちなみに同じ敗戦国のドイツでは、軍人とその遺族だけでなく、民間人の犠牲者にも国がしっかり補償をしている
 と言うより、日本が軍人と民間人の戦争被害者を区別していると聞くと、ドイツ人は「何と冷たい国!」と驚くそうだ。
 日本の指導者たちとは、そんな人達なのである。

 繰り返し言う、筆者はこの日本という国が大好きだが、この国の政府と指導者たちはどうにも好きになれないし、尊敬もできないでいる。

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政党ポスターに見る各政党の本質

 先日、静岡市に住む親戚の家を訪ねた。
 するとその親戚の家の近辺には、各政党のポスターが街角の至る所に貼られていた。
 面白かったので、目に付いたものをとりあえず写真に撮ってみた。

 まずは、政権与党の自民党のものから。
 自民党は、『責任をはたす』という安倍首相の顔写真入りのポスターと、『国に届け』という、人気漫画のパクリとしか思えないポスターを出している筈だが。
 しかし筆者が訪れた静岡市のその地域ではどちらのポスターも見かけず、ただ地元選出の国会議員のポスターだけが各所に貼られていた。

政党ポスター①P1110543

 地元選出の代議士の顔写真の背景にロボット戦士の絵を重ね、
よっちゃんにおまかせ!
 と大書してある。
 最悪である

 政治とは、少なくとも民主主義の政治とは、選んだ代議に白紙委任してすべてを任せて良しとしていいものではない
 政治家はまず公約を掲げ、政策を国民に説明し、そして国民も政治家がそれをきちんと実行しているか監視する。
 それが民主主義社会の政治というものである。

 公約や政策の説明も無く、「みな俺に任せろ!」というのは、もはや独裁政治である。

 そう言えば安倍首相は、キャッチフレーズのようにこう繰り返していた。
この道しかない!
 馬鹿を言ってはいけない、物事を解決する道は幾つもある
 そして幾つもある道それぞれのプラスとマイナスを考え、よく比較して、その上でどの道が最も良いか民意を問うのが民主政治というものである。
 政治家が上から目線で「この道しかない!」と初めから決め付け、それを国民に押しつけるのは独裁政治の手法だ。

 政策を語らず「よっちゃんにおまかせ!」と政治の白紙委任を迫る地元選出の代議士に、「この道しかない!」と言い切る首相。
 自民党も堕ちたものだな、とつくづく思う。
 そのどこに、自由と民主があるか。
 自分に批判的な国民を指さし、「あんな人たち」と切り捨てる首相を見れば、自民党の体質の変化(右傾化と劣化)が実によくわかる。
 今の自民党は、どこからどう見ても一党独裁を目指す“不自由非民主党”にしか見えない

 政治は自分に「おまかせ!」しろと言う地元選出の代議士や、「この道しかない!」と言い切る首相には、筆者は独裁政治の危険な臭いしか感じないが。
 しかし国民の中には、いろいろな道を考え、その善し悪しを一つ一つよく考えて比較するのを「面倒」と考える人達が少なからずいるのもまた事実だ。
 そしてその種の人達は自分の頭で物事をじっくり考えるのが苦手なあまり、「この道しかない!」と自信たっぷりに言い切る声の大きな人に引きずられ、その政治家に政治を「おまかせ!」してしまう
 独裁政治とは、そのようにして生まれるものなのだ。
 安倍一強の政治の中で、今、この国は独裁政治に陥る危機に瀕している。
 日本が再び戦前戦中のような自由も民主主義も無い暗い社会に戻るかどうかは、ひとえに国民一人一人がたとえ面倒でも自分の頭でじっくりものを考える事を放棄しないでいられるかどうかにかかっていると、筆者は思う。
 世の中の空気にひきずられ声の大きな人に従っては、決していけない。

 また、『責任をはたす』というポスターと『国に届け』というポスターは、筆者はその町で見かけなかったが。
 森友学園や加計学園などの問題で、安倍首相はきちんと説明責任を果たしているだろうか。
 ここ数年、強行採決してきた秘密保護法や戦争法案や共謀罪なども、丁寧な説明をして国民の理解を得られているだろうか。
 現状で『責任をはたす』という安倍首相の顔写真入りのポスターは、現状ではたちの悪いギャグでしかない
 もう一つの若い男女を漫画チックに描いた『国に届け』という、若い有権者向けらしいポスターも、自民党は人気漫画『君に届け』の作者である椎名軽穂さんにきちんと許可を取っているのだろうか。
 椎名軽穂さんが認めているのなら良いが、そうでないとしたら政権与党らしからぬセコく恥ずかしい行為と言わねばならない。

 さて、次は自民党のコバンザメとして与党の一角に入り込んでいる、公明党のポスターを見てみよう。

政党ポスター④P1110549

政党ポスター⑥P1110600

 党首の顔写真の横に、ただこう書いてある。
『人が生きる、地方創生。』
『希望が、ゆきわたる国へ。』
 あの……この国をどうしてくれるのか、もっと具体的に語って欲しいのだけれど。
 上記のような抽象的で漠然とした言葉は、決して人の心を打たない。

 思うに、宗教政党である公明党のポスターは、党を支える某学会の会員の結束を固め、「選挙の時は公明党を忘れないで下さいよ!」とアピールする為のものであろう。
 学会員に対しての宣伝にしか、少なくとも筆者には思えない。
 それと、その家の塀や壁に公明党のポスターが貼ってあれば、「ここは学会員の家なのだな」という事もわかる。
 筆者が行って散策した静岡市のその町は、公明党のポスターを貼る、学会の信者らしき人の家が意外に多かった。

 さて、公明党のポスター以上に目立ったのが、共産党のポスターだった。
 その町で見た自民党のポスターは例の『よっちゃんにおまかせ!』だけで、公明党も『人が生きる、地方創生。』と『希望が、ゆきわたる国へ。』の二種だった。
 それに比べ、共産党のポスターはただ数が多いだけでなく、種類も豊富だった。
 志井委員長の『力あわせ、未来ひらく。』というポスターに並べて、日本をどうしたいか具体的な政策を訴えるポスターも貼られている。

政党ポスター②P1110544

政党ポスター③P1110547

『安定した雇用 暮らせる賃金を』
 これに共感しない人は、派遣社員を安くこき使いたいブラック企業の経営者と、よほどの大金持ち以外に殆どいないだろう。

政党ポスター⑧P1120098

『障害があっても安心して暮らせる社会に』
 これに反対する人も津久井やまゆり園で障害者を殺害した凶悪犯、植松聖のような人達くらいだろう。

『民意無視の強行採決を連発』
 今の安倍政権の政治姿勢は、確かにその通りだ。

政党ポスター⑦P1120029

『医療と介護の負担を軽く』
 ではその財源はどこから捻出するのか、という問題はあるが。
 医療と介護の負担が軽くなれば、多くの人が助かる筈だ。

政党ポスター⑤P1110569

政党ポスター⑨P1120100

政党ポスター⑩P1120101

『TPP断固反対』
『オスプレイ訓練再開「理解(安倍政権)」 これで独立国?』
『原発事故 国の責任を認める初判決 「原発ゼロ」各地で』
 これらの問題については、賛否が分かれるところだろう。
 しかし「TPPにもオスプレイの訓練にも原発にも反対」という、共産党の姿勢は明確だ。

 ちなみに、自民党と公明党と共産党のポスターはその町のあちこちで見たが、民進党その他のポスターは全く見なかった
 そのあたりにも、今の民進党の党勢が現れているのだろう。

 さて、そのよく見かけた、三つの政党のポスターを見比べて。
 政治は首相の信じる道しかなく、地元の代議士に「おまかせ!」しろという自民党の姿勢は、少なくとも筆者には最低に思える。
 自民党は、今や一党独裁を目指す自由も民主も無い政党になり果てた
 こんな党に筆者の一票を入れようとは、絶対に思えない。

 党代表の顔写真と空疎で抽象的なスローガンを掲げた、学会の信者向けのPRとしか思えない公明党のポスターも、全く心に響かない。
 ただポスターを見れば、「ここに学会員が住んでいるのだな」ということは、よくわかる。
 筆者は複数の学会員に酷い目に遭わされたこともあり、あの学会は心底嫌いだ。
 だから公明党のポスターがあれば「学会員の家だ」とすぐわかり、避けて通れるので便利である。

 その点、共産党のポスターはなかなか読ませてくれたし、心に響く言葉もあった。
 筆者は日米安保は必要だと思うし、TPPや原発も賛成はしないが「絶対ダメ!」と思っているわけではないので、共産党の主張すべてに同意はしない。
 しかし『安定した雇用 暮らせる賃金を』という言葉には、本当に共感した。
 また、安倍政権が『民意無視の強行採決を連発』しているというのにも、全く同意する。
 さらに財源さえあれば『医療と介護の負担を軽く』して、『障害があっても安心して暮らせる社会に』なれば、本当に良いと思う。

 では「次の選挙で、オマエは共産党に票を入れるのか?」と問われると、イエスとは言えない。
 何故ならば、共産党は一党独裁を目指す、本質的に危険な党だからだ。

 と言うと共産党の関係者に「勉強不足だ」と叱られてしまいそうだが、理論や理想よりまず現実を語ろう。
 共産党が支配して国民が幸せになった国が、これまでにあっただろうか?
 ソビエトや東欧諸国が崩壊したように、共産主義がうまく行かない、そして国民を幸せにしない事は、歴史が証明している。
 確かに中国などは、経済的には発展している。
 しかし言論や思想信条の自由もない。
 いくら経済が発展していても、中国のような自由の無い独裁政治の国に住みたいとは、少なくとも筆者は全く思わない

 筆者は、「日本共産党は、ワサビと同じだ」と思っている。
 国会で共産党が与党を追求している姿勢を見ると、「鋭いし、凄いな」と思う。
 独自の調査力も持っていて、国の腐敗を防ぐ為には絶対に必要だと考える。
 しかし主食(政権与党)にしては、絶対にいけない政党だと思う。
 ワサビは少量だからこそピリリと利いて良いのであって、無いと物足りないが、たくさん食べ過ぎたら腹痛を起こして酷い目に遭ってしまう
 だから筆者は、与党の自民党系の候補者が圧倒的に優勢とわかっている時に、批判票としてあえて共産党の候補者に票を入れることはあっても、「与党になって欲しい」と心から思って票を入れることは絶対にない。

 かつては筆者も支持していた自民党が、今や自由と民主を捨てて独裁的な右翼政党と化してしまい。
 その反面、一党独裁を目指しているであろう共産党が最も民主的で国民に近い立場でものを言っているという現実が、とても皮肉でならない。

 今の自民党は、右翼の独裁政党と同じだ。
 一方の共産党も、言うことは良いが腹の内がわからず信用できない。
 そして民進党は、町に主張を訴えるポスターすらろくに貼れていない有り様である。
 ついでに言えば、維新の会は自民党より右寄りなくらいだから、話にならない。
 票を入れたくなるような政党が、本当にない。

 ただ棄権は絶対にしたくないので、いつも消去法で渋々選んだ候補に票を入れに行ってはいるが。
 共産党ほど危険でなく、民進党よりマシな自民党の受け皿が現れてくれるのを、筆者は心から待ち望んでいる。

 と言うと、「小池さんがいるじゃないか、いつか国民(日本)ファーストの会を作ってくれるよ」と言う人もいるが。
 筆者は小池氏とその政治姿勢と言動を、全く信用していない。
 その理由について述べると長くなるので、その件についてはまたいつか書こう。

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少年法などクソくらえ!

 こんな殺人事件があった。
 加害者はオートバイに乗り、被害者を自転車に乗せて押しながら併走し、被害者を電車の迫る踏切に突っ込ませた。
 被害者は「怖い、怖い!」と叫びながら50km近い速度で踏切に突っ込まされ、そこで電車と衝突して命を落とした。

 そして被害者とその遺族に対して、加害者からの謝罪は今も無い。

 さて、皆さんはこの事件の加害者が、どれだけの刑罰を受けたと思うだろうか?
 事件の悪質性、それに被害者の恐怖を考えれば、筆者など死刑にしてやりたいくらいに思う。
 まあ、現実の判例を考えれば死刑は無理だろうが、少なくとも懲役十数年、場合によっては無期懲役の判決が出てもおかしくないだろう。

 では、正解を言おう。
 懲役4~6年の不定期刑だ。
 何故か。
 それはただ、加害者が少年で未成年だったからだ。
 そしてこの加害者は実名を報道される事も無く、程なくひょっこり社会へと、皆さんの側へと現れることになるのだ。

 残酷な殺し方で人を殺して。
 しかも謝罪も無く。
 それでたった懲役4~6年の不定期刑である。
 こんな少年法に「納得できる」という人がいるとしたら、是非顔を見てみたいものである。

 元々日本の少年法というものは、戦後の混乱期に、切羽詰まって生きる為に盗みなどをする戦災孤児などを想定して作られたものだ。
 悪いのは少年本人でなく、社会と家庭などの環境という考えに立っている。
 だから少年法は「立ち直り」を最優先していて、加害者にひどく甘い。
 今は、戦災孤児が多くいた戦後の焼け跡闇市の時代ではないのだ。
 加害者の少年の「立ち直り」だけ考え、被害者の痛みや気持ちなど省みない今の少年法など要らない、と筆者は思う。
 加害者にのみ手厚い配慮をして優しい現状の少年法は、むしろ被害者の敵だ。

 と言うと、非行少年に“理解”ある学者や弁護士などは、決まってこう言う。
「非行に走る少年は家庭に恵まれず、とても可哀想なんだ。オマエは良い家庭に育ったから、それがわからないんだ」

 自分の身内の事を悪く言うのは辛いが、ここで筆者自身の育って来た環境についても語っておこう。
 筆者の父は大酒飲みのギャンブラーだった。
 それもただだらしなく酔っぱらうのではなく、酔うと怒鳴り散らし、暴力も振るう種類の酒乱だった。
 事実、筆者も保育所に通っていた幼児の頃に、酔って虫の居所が悪かった父にブン殴られ、数メートルも吹っ飛んだ事がある。
 家計は主に公務員だった母の収入で成り立っていたが、父はその給料さえ取り上げては、競輪等に通ったりもしていた。
 どこからどう見ても、父はDV親父だった。

 また、筆者の一つ年上の姉は我が儘でヒステリー性格なのだが、とにかく外面の良い、学校の勉強がよく出来る優等生だった。
 家ではヒスを起こして我が儘も言っても、外では徹底的に良い子に振る舞っていた。
 だが筆者は違った。筆者は家でも外でも裏表無く行動し、勉強も授業やテストや受験に関係なく、図鑑や専門書を読みふけって自分の知りたい事を深く勉強していた。
 例えば、姉は明治維新と言えば人名と年号を暗記するが、筆者は「なぜ明治維新が起きたのか?」を歴史書を読んで考えた。
 筆者はテストで良い点を取る為の暗記ではない、物事を理解する為の勉強がしたかったのだ。
 そんな姉と筆者を比べて、学校の教師達も親戚の伯父伯母や祖父母達も皆「お姉ちゃんは本当に良い子だが、弟は出来損ないだ」と言った。
 年子だけに、小学校でも中学でも常に比べられ、「あのお姉ちゃんに比べて、弟は……」と馬鹿にされ続けた。
 中学の時の担任の教師になど、クラスの皆の前で「オマエはお姉ちゃんの爪の垢でも煎じて飲め」とまで言われた。
 出来損ない扱いは親戚も同じで、実の祖母にさえ「お姉ちゃんは良いけれど、この子は嫌いだ」と、面と向かって言われた。

 さらに筆者は生まれは東京だが、父が仕事で失敗をして東京に居られなくなり、幼い頃に他県に引っ越す事になった。
 そして筆者は、小柄でしかも病気がちで体も弱かった。
 男の子のセカイで、小柄で体の弱い異邦人がどういう扱いを受けるか、容易に想像がつくだろう。
 ハイ、もちろんイジメの対象になりましたとも。

 父親が酒乱のDV家庭に育ち、しかも年子の姉と比べられて常に貶められ、小柄で病弱なせいでいじめられもして。
 生育環境を振り返れば、グレて非行に走る理由は充分過ぎるほどあった。
 だが筆者は、性格はかなり曲がりはしたけれど非行には走らなかった。
 ネズミ捕りなどの軽微な交通違反以外で警察のお世話になった事は、本当に一度も無い。
 誰か良い理解者が居て支えてくれたのではないか、って?
 残念ながら、そんな恩人は筆者には誰一人いない。
 酒乱でDVの父親にも、姉と比べられて貶められ続ける事にも、子供時代の理不尽なイジメにも筆者は一人で耐えて生きてきたのだ。
 非行に走ったりグレたりしなかったのは、あくまでも筆者本人の判断と辛抱の結果であって、社会や環境や誰か恩人のおかげでは無い。
 だから断言するが、家庭環境は少年の凶悪犯罪の言い訳にはならない

 ネグレクトされ食事もろくに与えられない子供が、空腹に耐えかねて食べ物を万引きする。
 このような非行なら「悪いのは家庭や環境」と言えるし、同情できるしその罪を責めたくもない。
 しかし強盗や強姦や暴行や殺人などの凶悪犯罪には同情の余地は無いし、家庭や環境のせいには出来ないと筆者は考える。
 筆者の父は酔うと暴れたし、学校の同級生にも暴力を振るう悪ガキのイジメっ子は当たり前にいた。
 しかし筆者は、「喧嘩上等、気に入らなければ暴力を振るっても良い」とは全く思わないで育った。

 静岡県は、伊豆と駿河と遠江の三つの国から成り立っているが。
 それだけに、それぞれの地方で県民性もかなり違い、県内ではこうも言われている。
「もし本当にお金に困った時、どうするか。遠江の人は追い剥ぎ、伊豆の人は詐欺、そして駿河の人は乞食をする」
 今も強盗や詐欺をして逮捕された人が、よく「お金に困ったから」と言い訳をするが。
 例えばその場合、強盗犯はお金を奪うだけでなく相手に危害も加えるが、詐欺師はお金は騙し取っても少なくとも危害は加えない。
 そしてホームレスになる人は、自分の身を落としても誰の金も奪わず、誰にも危害を加えない。
 だから筆者は、「追い詰められた時に犯罪に走るかどうかは、環境ではなく本人の性格や人間性による」と考える。

 よく非行少年と接する警察官や少年院の教官や弁護士などは、「彼らは家庭などの環境が悪くて可哀想なんだ」と言う。
 確かに非行少年の家庭環境は劣悪な場合が多いのだろう。
 しかし少年犯罪の専門家達は、罪を犯した少年とばかり接しているが為に、「家庭環境が悪くても、自分の意志で頑張って非行に走らず真っ直ぐ生きている数多くの善良な人達が見えていない」ように、筆者には思える。

 本当に金に困って追い詰められても、強盗や詐欺などの犯罪に走る人ばかりではないのだ。他人を害するより、ホームレスになる事を選ぶ人だって間違いなくいるのだ。
 同様に、いくら家庭環境で追い詰められても、凶悪犯罪に走る人ばかりでは無いのだ。
 他人に暴力を振るったり、ましてや殺したりして良い筈が無い事くらい、子供でも充分にわかっている筈だ。
 今の「立ち直り」を最優先する少年法は、立ち直りに役立っているどころか、むしろ非行少年を調子に乗らせているのではないか。
「俺たちは“少年”だから罪が軽いし、実名もバレないしすぐ出て来れるもんね!」と。

 今年、東京の練馬区でこんな事件があった。
 高校一年生の少年が同級生に暴行し、バッタやミミズやヤモリ、さらには飼い犬の糞まで繰り返し食わせていた
 で、強要容疑で警視庁少年事件課に逮捕されたのだが。
 実はこのクソ少年は、これまでにも暴行と強要の容疑で二回も逮捕されているのだという。
 想像して貰いたい、暴行され、さらに虫や犬の糞まで食わされるのだぞ。
 それで二度も“逮捕”されても、すぐにまた世の中に出て来て高校生に戻り、またも同級生に暴行等を繰り返しているのだ。
 今の少年法がいかにザルで、立ち直りwwwにも役に立っていないか、この例だけでもよくわかろうというものだ。

 その練馬の事件で、同級生たちは「仕返しが怖かった」と話しているそうだが、気持ちは本当によくわかる。
 何しろ暴行と強要で逮捕されてもまたすぐに釈放され、学校や地元に戻って来て同じ暴力を繰り返すのだから。
警察は役に立たないし、少年法はクソだ」と、少年の周囲の被害者らは皆そう思ったのではないだろうか。
 何しろもしその加害者の少年がキレて、警察に被害を届け出た少年を殺したとしても、懲役4~6年程度で済んでしまうのだから。
 そして加害者の少年は匿名のままで、出所後は何食わぬ顔で再出発できるのだ。

 こんな実例もある。
 高校生の少年が、同級生を殺した。
 そして被害者の少年は母一人子一人の家庭で、事件後その母親は一人になった。
 一方、加害者の少年は少年院で通信制の高校を卒業し、大学(法学部)にも受かり、さらに司法官試験にも合格して弁護士になり、家庭も持ち豊かで幸せな暮らしを送っている。
 この加害者の少年は、少年法の理想のように見事に「立ち直った」。
 だがその少年は人を殺したという過去を無かったもののように振る舞い、被害者の母親に対する謝罪や補償もろくに無いままだ。
 と言うより、法律の知識を駆使し、謝罪と補償を求める被害者の母親に圧力をかける有り様なのだ。
 被害者は殺され遺族は不幸の底に沈んだままの一方で、加害者のみ「立ち直って」幸せになっている。
 こんな少年法に、筆者はどうしても良い感情を持てない。

 今年放送されたNHKスペシャルで、少年は何故キレやすいかを取り上げていた。
 それによると、若いうちは脳の衝動を抑える部分が未発達で、アクセルはあってもブレーキが効きにくい状態なのでキレやすいのだそうだ。
 それを考えると、少年の「カッとして暴力を振るってしまった」とか、「盗みたい衝動を抑えきれなくて、つい」というような犯罪には、成人より多少の情状酌量の余地はあるかも知れないが。
 しかし少年の大多数は「つい」万引きなどの盗みもしていないし、「カッとした」からといって傷害罪になるような暴力も振るったりしないし、ましてや人を殺したりしない

 少年の脳が衝動を抑えにくいように出来ていようが、家庭環境に問題があろうが、「凶悪犯罪を犯して許されて良い理由は何もない」と、少なくとも筆者は考える。
 大切なのは「加害者の立ち直り」ではなく、まず「被害者や遺族の支援」ではないか。
 少年法では、加害少年の立ち直りばかりが大事にされて。
 非行少年の「立ち直り」に手を貸す、善意の人達も組織もあって。
 その一方で、被害者とその遺族については「どうぞ自力で何とかして下さい」と放置されているのが現状だ。
 こんな少年法と「非行少年の立ち直り」など、クソクラエと言いたい。

 筆者にも少年であった時代もあるし、少年の知人もいるが。
 暴力や殺人が悪い事だと知らない少年など、筆者の知る限りでは全くいない
 非行を犯す少年達は、ほぼ皆、悪い事だとわかってやっているのだ。
 そして少年達は、自分らが少年法で守られ、大人より罪が軽く、罪を犯しても実名を知られる事も無いと知っている
 筆者の見る限り、今の少年法は非行を抑制するどころか、むしろ甘やかして犯罪を助長している

 少年の非行問題の“専門家”は、口を揃えて「厳罰化は、問題の解決にはならない」と言うが。
 専門家でない筆者は、決してそうは思わない。
 何故なら非行少年達は、少年法が自分達に甘い事を皆よく知っているからだ。

 例の練馬の、同級生に暴力を振るい虫や犬のクソを食わせていた少年だが。
 その少年が過去の二回の逮捕ですぐ自由にされることなく、初回で厳罰に処されていたら、同じ犯罪を同級生に繰り返すような事は無かったのではないか。
 暴力を振るわれ、虫や犬の糞を食わされ、耐えかねて警察に訴えても。
 少年法とやらでまたすぐ舞い戻って来て、同じ暴力と強要が繰り返される。
 その時の被害者らの無力感、「警察も法律もアテにならないし、自分達の味方ではない」と知った時の絶望感は想像するに余りある。

 冒頭で取り上げた、自転車の被害者をバイクで押して踏切に突っ込ませて死なせた加害少年にしても。
 こうして死なせれば大人と同じ刑が科され、間違いなく懲役十数年で下手をすれば無期懲役とわかっていれば、少なくとも犯行を躊躇ったのではないか。

 良い人や性善説の人は、絶対に認めたがらないが。
 世の中にはサイコパス、「他人の痛みを感じない、犯罪傾向の高い人」が科学的に間違いなく数%存在しているのだ。
 たやすく暴力的になり、衝動性が強くて罪悪感を持てない反社会性人格障害の人は、大人でも確実に、間違いなくいる。

 確かに少年の脳はキレやすいように、衝動を抑えにくいように出来ているのだろう。
 そして家庭環境の劣悪な、可哀想な少年も確かに存在する。
 しかし大多数の少年はキレやすい衝動に耐え、家庭に問題があっても凶悪犯罪は起こさずに真っ当に生きている
 少年で凶悪な犯罪を犯す者は、筆者は他人の痛みを感じず罪を犯しても良心が痛まない、生まれながらのサイコパスなのだろうと思う。
 そしてその反社会的なサイコパスに「少年だから」と甘い処分を下すのは、絶対に間違いだと考える。

 被害も少ない軽微な犯罪まで含めて、「少年法など無くしてしまい、大人と同じように罰しろ!」と言うつもりはないが。
 少なくとも被害者の痛みが大きい凶悪犯罪については、少年法を適用して刑を軽くするのはやめていただきたいと思う。

 例えば少年に暴行されて、人が殺されたとする。
 その恐怖と痛みは、加害者が少年か大人かで違うだろうか?

 凶悪犯罪の被害者の立場から言えば、加害者が少年だろうが大人だろうが、殴られ、いたぶられる痛みと恐怖と屈辱に何も関係ないのだ。
 そして加害者の立ち直りより、被害者の心身のケアがまず優先と考えるのは、常識ではないだろうか。
 しかし日本では、少年犯罪は「まず加害少年の立ち直りを」と言われる。
 それがどうにも、筆者には納得が行かない。
 示談で済まされるような犯罪はともかく、凶悪犯罪に関しては少年も大人と同じように裁くべきだと筆者は考えている。

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「誤解を招く発言」という欺瞞と傲慢

 近頃、与党の閣僚や要人の失言が相次いでいるが。
 そして発言が問題になると、近年の閣僚はよくこう言う。
「誤解を招く発言をしてしまい……」

 誤解を招く発言、って一体何なのだ?
 少なくとも筆者には「発言そのものは間違っておらず、国民が誤解してしまったのだ」と言っているようにしか受け取れない
 自らの非や誤りを認めず、国民の受け取り方の問題に責任転嫁している以外に見えないのは、筆者だけだろうか。

 例えば最近の、稲田防衛相の発言について考えてみよう。
 都議選の応援に行った稲田防衛相は、皆の前で間違いなくこう言い切った。
防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたいと思っている
 防衛省という役所とその長として、自衛隊という組織として自民党の候補の応援をしているとしか理解できないし、稲田防衛相は間違いなく禁じられている自衛隊の政治利用をしたいと考えているとしか思えない
 しかし発言が問題にされると、稲田防衛相はまたしても例の言葉を言った。
「誤解を招く発言をしてしまい──」

 同じ発言を撤回して謝罪するにしても。
「私は間違いを犯しました、申し訳ありませんでした」
 非を認めてそう素直に謝るのと。
「誤解を招く発言をしてしまい……」
 そう言い逃れて言葉を濁しつつ暗に非を認めず、責任を“国民の理解力不足”に転嫁するのでは、意味も印象も全く違う。

 閣僚とは責任の規模がまるで違うが。
 筆者も仕事や私事でミスを犯した事が、幾度となくある。
 その際、筆者は自分の非は認めて全面的に謝る事にしている。
 言い逃れをしたり誤魔化したりせずに率直に謝り頭を下げるのが、相手の心証も最も良くなり結果的に許していただける可能性が一番高くなると経験的にわかっているからだ。
 相手が893関係者や既知外など、よほどタチの悪い人である場合は別として。
 間違った事をしてしまったら、非を認めて謝るのが最善の道だし、その前に人として当然の事ではないか。
 なのに与党の偉い人達の中には、「謝ったら負け」とでも思っているかのように振る舞う人が多いのに呆れる。
 まずはとぼけてシラを切り、証拠を突きつけられて言い逃れが出来なくなると「誤解を招く発言をしてしまい──」と、問題を国民の理解力にすり替える。
 そして「誤解」の言い逃れすら出来ない状況に追い込まれると、入院という手段を使って逃亡する始末だ。
 例の豊田真由子代議士にもし本当に入院の必要があるとすれば、それは精神科の他にあり得ないと思うが、違うだろうか。

 それにしても。
 稲田防衛相や豊田真由子議員も酷いが、安倍首相はもっと酷い。
 安倍首相の面の皮の厚さと嘘の多さは、本当に呆れるほどである。

 この7月1日に、東京都議選の応援の為に秋葉原駅前に出た安倍首相は、『安倍やめろ』の横断幕やプラカードを掲げた人々に迎えられ、「辞めろ!」という大合唱を浴びせられた。
 それに激昂した安倍首相は、その群衆を指さし、声を荒らげてこう言ったた。
「あのように、主張を訴える場所に来て演説を邪魔するような行為を、私たち自民党は絶対にしません。憎悪からは何も生まれない。相手を誹謗中傷したって何も生まれないんです。こんな人達に私たちは負けるわけにいかない」

安倍・秋葉原②P1110750安倍・秋葉原①P1110747

 2013年3月29日の参院予算委員会で、安倍首相はこう言った
あまり人を指さすのはやめた方がいい、人としてのまず初歩です
 その“人としての初歩”が出来ておらず、反安倍の人達とは言え有権者である国民を指さし、「こんな人達」と声を荒らげたのは、どこの誰か

 秋葉原の街頭演説では「主張を訴える場所に来て演説を邪魔するような行為を、私たち自民党は絶対にしません」と言いつつ、国会で度々野党の質問に野次を飛ばし、挑発的な答弁をしてきたのはどこの誰か
「日教組はどうするんだ!」
「早く質問しろよ!」
 安倍首相自身がそうした野次を国会で飛ばしてきた事を、筆者は決して忘れない。
 日教組云々(でんでん、ではない)の野次は、西川農相の政治献金問題を追求され、「野党だって日教組から貰っているだろうが」という意の野次であったが。しかし後に野党は日教組からの献金を受けていない事実がわかり、首相が陳謝する事になる。
 また今年の6月5日の衆院決算行政監視委員会では、加計学園の問題を巡り安倍首相から「野次を飛ばすのは止めていただきたい」と野党に注文をつけておきながら。
 その僅か10分後の野党の質問中に、首相自ら「いい加減な事ばかり言うんじゃないよ!」と野次を飛ばし、委員長から注意を受ける始末
だ。
 ちなみにこの安倍首相は、衆院予算委でこうも言っている。
「品の悪い言葉はやめた方がいい。それが民進党の支持率に現れている」
 安倍首相の言動のどこに品があるかと、筆者は逆に問いたい。

 戦争法案も共謀罪も反対を押し切り、数の力で強行可決して。
 森友や加計の問題も、数の力で追求をかわして。
 そしてその度に、決まり文句のように「丁寧な説明をする」と約束してきた安倍首相だが。
 それらの法律や疑惑について、一度でも国民が納得するだけの「丁寧な説明」をした事があったか
 いつも時を稼ぎ、国民が問題を忘れるのを待つばかりではなかったか。
 筆者は断言するが、安倍首相とそのお仲間は鉄面皮の大嘘つきである。

 他人(野党や反対勢力)は責めるが、自分の非は決して認めない。
 失言はすべて国民の誤解。
 野党の野次は許さないが、自分は野次を言い放題。
「人を指ささないのは人としての初歩」と説きつつ、「安倍辞めろ!」と言われると指さして怒り出す。
 何度も約束した「丁寧な説明」も、一度たりとも果たさない。
 こんな人が、今この日本の国を率いている。


 さすがに国民もこんな政権のおかしさに気付いてか、安倍政権の支持率は下がりつつある。
 そして「こんな人達に負けるわけにいかない」と安倍首相が言った都議選で、自民党は歴史的な大敗をした。
 かつて「品の悪い言葉はやめた方がいい。それが民進党の支持率に現れている」と言った安倍首相だが、その言葉がそっくりそのまま安倍自民党に返っているようだ。

 しかしこの安倍政権下で、特定秘密保護法も戦争法案も共謀罪も既に成立してしまっている。
 戦前の日本が大好きの安倍政権の独善と危険性に国民が気付くのが、少し遅すぎたのではないかと筆者は恐れている。

 筆者はインテリ層はほぼサヨクだった学生時代から、ずっと自民党を支持してきた。
 そして小泉政権の誕生と同時に、自民党を支持するのを止めた。
 さらに安倍政権下で、はっきり反自民にスタンスを変えた。

 だが筆者は、本質的にはサヨク嫌いの保守なのだ。
 いくら安倍首相ら日本会議に近い清和会中心の自民党が嫌いでも、民進党が支持するに足る政党ではない事もよくわかっている。
 ついでに言えば、無神論者の筆者は宗教政党はもちろん、政治に口出しする宗教勢力も大嫌いだ。それが某学会だろうが神社勢力だろうが、政教分離はきちんと守っていただきたいと思っている。
 筆者は個人主義者ゆえ、自由をとても重んじる。だから共産党はもちろん、自民党より右の極右政党などの、左右両方の全体主義的な政党も嫌悪している
 となれば、どうしても自民党が“まとも”になってくれる事を期待するしか無いではないか。
 国民に天皇を人としてではなく再び神として崇拝させたい戦前大好きの神社勢力と手を切り、安倍首相や小泉元首相らの清和会でなく保守本流と言われた人達が自民党で勢力を伸ばしてくれる事を、保守でかつては自民党を支持していた者として心から願ってやまない。
 かつての自民党はこんな戦前の日本が好きで全体主義的な党ではなく、もっと国民に優しい民主的な党だったのだが。

 自民党は、英語ではこう書かれている。
 the Liberal Democratic Party.
 そうなのだ。
 自民党とは、リベラルでデモクラティックな党の筈なのだ。
 しかし今の安倍自民党のどこに、リベラルとデモクラティックがあるか

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恥知らずな本土の“ウヨク”たち

 この6月23日に、沖縄県糸満市摩文仁の平和記念公園で、今年もまた沖縄全戦没者追悼式が営まれた。

 初めに断っておくが筆者は本土の人間で、親戚にも沖縄県民はただの一人もいない。
 そして戦争映画や戦争のドラマで登場人物の軍服を見ただけで、どこの国の軍隊かだけでなく、階級まで一発で言えてしまうレベルのミリオタでもある。
 戦車や装甲車をチラッと見ても、「九七式中戦車チハ改だね」とか「転輪から見て、これはティーガー重戦車の前期型だ」とか、すぐにわかってしまう。
 ただそれだけでなく、それぞれの軍がどう戦ったか、戦史についても一般人以上に詳しく知っているつもりだ。

 で、その筆者が断言するが、あの戦争で沖縄に配備されていた日本軍は、沖縄島民を守る為にそこにいたわけではなかった
 日本の大本営は、沖縄を米軍の本土侵攻を一日でも遅らせる為の捨て石として使ったのだ。
 だから大本営は沖縄の日本軍に持久戦を命じ、そして沖縄の日本軍はそれに従い、島民まで戦闘に利用した。
 日本軍が現地の少年を鉄血勤皇隊として最前線に駆り出しただけでなく、少女まで従軍看護婦として利用した事は、誰にも否定できない史実である。

 沖縄は本土を守る為の捨て石なのだから、日本軍には「島民を守る」という意識などまるで無かった
 それで若い島民を戦場に追い立てただけでなく、沖縄の方言を使っただけでスパイとして虐殺したり、島民の食料を強奪したり、島民を壕から追い出したりもした。
 日本兵が壕の中で泣く幼子を殺すような事も、沖縄の各地で起こった。
 その結果、兵士でも何でもない沖縄県民の四分の一が亡くなった。

 何しろ「島民の命より、本土を守ることが大事」なのである。
 沖縄での戦いの特徴は、島民(非戦闘員)に対する配慮が全くなされず、正規軍より沖縄の住民の犠牲の方が多かったということだ。
 断言するが、日本軍は沖縄で住民を守らなかった
 日本軍が戦ったのは、本土を守る為にである。
 だからつい先日亡くなった沖縄県元知事の太田昌秀氏も、自ら鉄血勤皇隊として沖縄戦を戦った経験から、「軍は決して住民を守らない」という思いを強く抱くようになってしまった。

 全ての軍が、自国の民間人を守らないわけではないのだが。
 例えば大戦末期の東部戦線のドイツ軍は、残虐行為を働くロシア兵からドイツの民間人を守る為に、負け戦とわかりつつ圧倒的に優勢なロシア軍と戦った。
 そして撤退する時にも、避難民の先頭に立ち退路を切り開いた。
 だからドイツ人はナチスと戦争を起こす事に対しては今も強いアレルギーを持ちつつ、「軍隊=悪」という考えは持たなかった。
 そして日本の“軍隊”が今でも名目は自衛隊のままであるのと違い、ドイツは戦後早くに再び軍隊を持つようになった。

 ドイツ軍には「ヒトラーとナチスに従い、侵略戦争を起こした」という非もあるが、少なくとも大戦末期には国民を守ろうともした。
 そういう軍隊もあるのに、沖縄の日本軍は住民を守るどころか、住民を戦場に追い立て、その食料や命を奪い、本土を守る為の犠牲にした
 その沖縄戦の歴史と現実を、本土の日本人は決して忘れてはならない。
 軍は、少なくとも建前は国と国民を守る為のものであるが。
 しかし日本軍は沖縄で住民を守るどころか、むしろ死に追いやった。
 だから沖縄の人が「軍は住民を守らない」と思ってしまうのも、無理からぬ事なのである。
 軍に対する抵抗感が本土と沖縄で違うのは、歴史的に見て当然の事なのだ。
 そして今でも、「県のあちこちを米軍基地として接収され、米兵が治外法権的な存在として君臨し、頭上を米軍機が飛び交っている」という現実が、沖縄にはある。

 にもかかわらず沖縄の人が米軍基地に批判的な発言をすると、本土の日本人から「反日」だの「売国奴」だの、さらには「死ね!」と罵声を浴びせられるそうだ。
 そのような愚かで心ない日本人が少なからずいる事を、筆者は同じ日本人として恥ずかしく思う。

 基地に反対する沖縄の人を、「反日の売国奴」呼ばわりする日本人に聞きたい。
 貴方の都道府県に、沖縄に匹敵するくらい多くの米軍基地があるか。
 貴方の頭上に、いつも米軍機が轟音を立てて飛んでいるか。
 貴方の周囲に、当たり前に米兵とその家族が存在しているか。

 米軍基地の大半を沖縄に押しつけておいて。
 自分の家の近くには米軍基地も無く、頭上を米軍機が昼夜を問わずに飛ぶことも無く、各種の特権で保護された米兵とその家族が近所を闊歩しているわけでも無いくせに。
 なのに基地に反対する沖縄の人を「反日の売国奴」呼ばわりする本土の日本人こそ「死ねばいい」と言いたい。


 本土を守る捨て石にされた沖縄戦の現実を知り、さらに異常に米軍基地が集中している沖縄の現状を知っていれば、基地に反対する沖縄の人に「反日の売国奴め、死ね!」などと心ない言葉は言えない筈だ。
 筆者は「沖縄の米軍基地は無くすべきだ」とまでは思っていない。
 しかし日本を守るのに日米同盟と在日米軍が必要なのであれば、在日米軍とその基地の負担は各地域で公平であるべきだと考えている。
 自分の近所に米軍基地を置かれるのは嫌なくせに、過重な基地負担に苦しみ基地に反対する沖縄の人を「反日の売国奴」呼ばわりするなど、全くもって笑止千万である。
 もし米軍基地に反対する沖縄の人を、「反日の売国奴」と罵るならば。
 それと同時に米軍基地を貴方の住む地方自治体で受け入れたいと宣言して、貴方の愛国の志を見せてみたらどうかね、日本のウヨクの諸君!
 まさか「自分の街に米軍基地が出来るのは嫌だが、基地に反対する沖縄の人間は反日の売国奴」というわけではあるまい?

 ウヨクの人間達は、よく「基地が無くなり米軍が居なくなったら、沖縄はすぐ中国に取られる」と言うが。
 そう言う人間は、軍事の知識が無さすぎるし勉強不足だ。
 詳しく説明すると長くなってしまうからかい摘んで言うが、沖縄にいる米軍は、沖縄を守る為に居るのではない事くらい、その編成を見ればわかる。
 沖縄に駐留する米軍に、なぜ海兵隊が多い? そもそも海兵隊とは「攻めて来た敵を迎え撃つ為の軍」でなく、「上陸作戦の専用部隊」なのだ。
 アメリカ様が、無人の小島のたかが尖閣諸島ごときを取られたら奪い返す為に、沖縄に駐留して下さっていると思うか?
 それとも、沖縄を中国の脅威から守る為に駐留して下さっていると?
 違う。
 あの沖縄の海兵隊は、東アジアに有事が起きた際に、東アジア(台湾や韓国など)に在住するアメリカ人を救出する為に存在しているのだ。
 そもそも沖縄の米軍とはその為に存在するのであって、ウヨクのよく言う「沖縄に攻めて来るかも知れない中国軍を迎え撃つ為」に存在してくれているのではない
 軍事を知る者ならわかる筈だが、沖縄の米軍は、沖縄に攻めて来た侵略軍を迎え撃つ為の編成と装備ではない。

 本土を守る捨て石にされた沖縄戦の現実も知らず、基地の加重負担の現実にも目もくれず、米軍が沖縄に何の為に居るのかも理解せずに、基地に反対する沖縄の人に「反日の売国奴、死ね!」と罵声を浴びせる。
 そんな本土の日本人が少なからず存在する事を、同じ本土の日本人として心から恥ずかしく思うし、沖縄の人々に申し訳なく思う。

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初島に行ってはならない!(熱海市沖の鬼の棲む島)

 宮城県の田代島など、猫が目玉となって観光客を呼び寄せている“猫島”が、近年では幾つもある。
 そして島民と猫が共存する姿が、よくテレビなどで紹介されているが。
 それとは真逆の、島民が猫を虐待して死に追い込んでいる“鬼ヶ島”が、この日本に存在している事実を、貴方はご存知だろうか。
 その島は東京から楽に日帰りで行ける所に存在し、しかも観光を島の売り物にもしている。

 その島は、熱海市の南東約10kmの海上に浮かぶ初島という。

 その初島では島民が「猫に絶対餌をやるな!」という掟を作り、さらに島民同士が互いに監視をし合い、子供にも「猫に餌をやるな!」というポスターを書かせて、観光客や釣り客が通る桟橋近くの掲示板に掲示させているのだ。
 そして島民が観光客や釣り客にも猫に餌を与えないよう注意している為、猫達は哀れなほどに痩せ細っているそうだ。
 しかも周囲が海という島に住んでいる為、島民に邪魔にされても逃げる事も出来ず、食べていた蛇や蛙や虫なども食べ尽くしてしまい、一時は200匹近いたのが50匹前後にまで激減しているという。

 と言うと、「猫に餌をやるなと言う気持ちもよくわかる」と、島民を擁護する人達も必ず出て来るだろう。
 野良猫の糞などの害を減らす為、「野良猫に餌をやるな!」と住人たちが約束し合うような事は、まあよくある話だ。
 しかしこの初島のケースは、他の町での野良猫問題とは事情が違う。
 この島民に邪魔にされている猫達というのは、元はと言えば当の初島の島民が持ち込んだものだからだ。

 熱海市の初島は、数ある日本の島々の中でもかなり異色な、閉鎖的な島である。
 島民は農業や漁業をする傍ら、近年では観光にも力を入れている。
 しかし「東京から近いから」とうっかり観光に行った貴方が初島の外面だけ見て惚れ込んでしまい、「島に移住したい!」と思っても、それは絶対に無理である。
 乏しい島の耕地を確保する為、初島では江戸時代から「島の戸数は42戸」と決めて増やす事を決して認めていないからである。そして耕地はその42戸に平等に分割され、漁業も共同で行っている。
 だから観光化を進めながらも島民の団結は異様に固く、「猫に餌をやるな!」と決めたら全戸でそれを守り、子供にまで餌やり禁止のポスターを書かせる徹底ぶりである。

 そこまで初島の島民が嫌う猫達であるが、初島の島民達はかつて例の均等分割した狭い耕地で落花生やジャガイモの生産に努めていた。
 が、その落花生やジャガイモを食い荒らす鼠も増えた。
 それで「島民が鼠退治の救世主として猫を島に連れ込んだ」のである。
 その猫達のおかげで、ネズミは減少した。
 さらにその後、島民が耕地で作るものを大根に切替えたこともあり、鼠は姿を見せなくなった。
 そして不要になった猫達が、初島の島民に見捨てられ、邪魔にされたというわけである。

 で、団結力の固い初島の島民らは「猫に絶対餌をやるな!」という掟を作り、互いに監視し合い、子供にも「猫に餌をやるな!」というポスターを書かせて観光客や釣り客が通る桟橋近くの掲示板に掲示させ、猫達を餓死に追い込んでいる。
 島民の都合で勝手に島に猫を連れ込んで鼠退治に使い、要らなくなったら邪魔者扱いして餓死に追い込む
 これが江戸時代からずっと42戸で暮らしている、異様に結束の固い初島の島民の実態である。

 猫を飼えば繁殖するのは、誰だってわかっている事ではないか。
 だから島で増えて困るならば、まず島に猫を持ち込む前に避妊手術を受けさせるべきなのだ。
 実際、筆者も猫が好きで猫と共に暮らしているが、家族に迎えた猫すべてに自費で避妊手術を受けさせている。
 それもせずに猫が増えた、そして鼠退治に要らなくなった、だから邪魔だから餌やり厳禁にして餓死させるとは、初島の島民の所行は身勝手を通り越してまさに「鬼のやること」だ。

 自分達が連れて来て鼠退治に役立てた猫ならば
 たとえ鼠退治の役目が終わっても、飼い猫あるいは地域猫として生涯面倒を見るのが“人の道”ではないか。
 増えて困るなら、自費で避妊手術を受けさせれば良いだけの話だ。
 元々は島民が鼠退治に役立てていた猫達なのだ。島が地域猫として養うのが当たり前だろう。
 しかし熱海の“鬼ヶ島”である初島の島民達は、全くそうは思っていないのである。

 で、静岡県の動物愛護団体が初島に行き様子を見に行ったところ、食べ物を欲しがって近寄って来た猫を抱き上げると体は骨と皮でゴツゴツしていて、体重も紙のように軽かったという。
 子猫も体の丸さは全く無く、目は吊り上り可愛らしさが失せていた。
 そして島民も、子猫は育っていないと言っていた。

 それで動物保護団体が熱海市役所の環境企画室と熱海保健所に対し、初島の猫達に餌をやり、不妊手術、地域猫として生きられるよう島民と話合いが出来るよう申し入れた
 すると市と保健所は、当初は「とても無理、島民が聞き入れるわけが無い」と言っていた。
 それでもやがて島民との話合いの方向に動いてはくれたが、初島の区長は「8月~9月の中頃までは観光客が多いので商売の邪魔になる!」と行政との話合いを拒否したのである。

 初島の猫達のことが気になる動物愛護団体が「せめて餌だけでも与えさせて欲しい」と懇願したのだが、行政が「島民の意志を無視するような事をすれば、トラブルとなり元も子も無くなってしまうので絶対に駄目」と言ってそれを止めた。

 それで動物愛護団体が、動物愛護法、地域猫、静岡県動物愛護推進計画、餌やり等について、理解と協力を求めるチラシを島内全ての所帯・ホテル住民に撒いた。
 そして痩せた猫達への餌やりをしたところ、島民から非難と罵声を浴びせられたという。

 初島の猫達の問題で、さらに熱海市の環境課長と環境企画室長と保健所課長と係員の4名と、初島区長とで話し合いが行われたのだが。
 区長の言い分によると、「不妊手術をすることは、島民に対して金銭的、労力的に一切負担を掛けなければ認めるが、地域猫として餌をやることは認めない。猫は野生動物だから餌をやる必要はない」そうだ
 また初島の区長によれば、「動物愛護団体は宗教団体と同じだから会いたくない!」そうだ。

 そんな初島の区長に、熱海市側が「猫を観光の目玉としたらどうか?」と提案し、さらにこう問いかけた。
「過去に自分達の都合で利用した猫に餌を与えない事がテレビや新聞で報じられたら、観光で生きている島民が困ることになるのではないか?」
 すると初島の区長は、こう答えた。
「別に困ることは無い」

 初島の島民は猫を観光の目玉にするつもりは無いし、自己都合で利用した猫を餓死に追いやっている現状を知られても、全く困らないそうである
 しかも自分達が連れ込んだ猫の不妊手術の金銭や労力の負担は島民には一切かけるな、そして動物保護団体や公的機関のお金で避妊した猫に餌をやることも認めないと言い張るのだから、初島島民の面の皮の厚さは尋常ではない。

 実は初島の島民は、島の猫達をただ餓死に追い込んでいるだけではなかった。
 平成の初め頃には京都の三味線業者を入れ、猫を捕獲させていたのだ。
 ただ初島の猫達が避妊もされず餌も与えられずに放置されていたゆえ、餌の取合いや繁殖期の喧嘩の傷が皮に残っていて、三味線の業者も買い取らなくなった。
 それで三味線の皮にされる為に命を落とすことは無くなったが、狭い島にある餌、蛇や蛙や虫を食べ尽くして、次々に餓死してゆくことになった。
 また島民の中には、「よく生きた雀を紐に吊るしてそれに飛びついた猫を捕らえて、動物園の餌にしたものだ」と言う者もいる

 筆者は何も、「野良猫に餌をやって保護しろ!」と言っているわけではない
 何度も繰り返すが、初島の猫は、島民が自分達の畑を荒らす鼠を退治する為に連れて来たのである。
 初島の区長は「猫は野生動物」と言うが、本土から10kmも離れた小島に猫が昔から自然に存在していたわけが無かろう。
 今、猫を敵視して餓死に追い込んでいる島民自身が初島に持ち込まなければ、猫は絶対に初島には存在しない筈なのだ。
 だから初島の島民には、猫が増えて困るなら自費で避妊手術を受けさせ、地域猫として餌をやり一生を全うさせる責任がある
 法律云々ではなく、人としての道の問題だ。

 にもかかわらず初島の島民は、自分達が持ち込み、鼠退治に役立てた猫達を、用が無くなったら「餌は絶対やるな、三味線の皮に売れ、それが無理なら餓死させろ!」と虐待する始末だ。
 この鬼のような初島の島民には「恥を知れ!」と言いたいし、少なくとも動物を愛する心がある人には、こんな島に観光になど絶対に行ってほしくない
 今は猫ブームで、初島にも「首都圏に近いし、猫を観光の目玉に出来るかも」と考える人が出始めているかも知れないが。
 自分達島民が連れて来て鼠退治に役立てた猫達を、用が無くなったら虐待して死に追い込んだ酷い鬼ヶ島であることを、少なくとも筆者は絶対に忘れない。

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アメリカ人に問いたい!(韓国人従軍慰安婦問題を考える)

 この6月2日の毎日新聞に、僅か二段のこんな小さな記事が載っていた。

 アメリカ南部ジョージア州のブルックヘブン市議会は、韓国系の市議の提案で、市内に日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像を設置することを全会一致で決定した。
 アーンスト市長は「現在も世界で続いている性や人身売買問題に対する意識を高める」と述べ、他の都市にもこうした取り組みを促す意向を示している
という。

 前提として断っておくが、筆者はあの日本が起こした戦争を「アジアを白人支配から解放する正義の戦いだった」などと美化したり、「日本を守る為のやむを得ない戦いだった」などと自己正当化したりするつもりはないし、「あれは日本の侵略戦争であった」と断言する。
 よく右翼が「デッチ上げだ!」とイチャモンをつける南京大虐殺についても、「中国が主張する犠牲者の数には疑問はあるが、虐殺そのものはあった」という立場だ。
 だから日本の右翼に言わせれば、筆者は「日本を貶める媚中で反日の自虐史観の持ち主」なのだろう。

 しかしその筆者でも、日本軍が韓国人の少女を含む女性を強制的に慰安婦にしたことは「ほぼ無かった」と思っている。
 事実、太平洋戦争で日本軍の兵士として戦いアメリカ軍の捕虜となった韓国人も、アメリカ兵に「日本軍が韓国の女性を無理矢理に従軍慰安婦にするような事は無かった。もしそんな事をしたら、韓国人は暴動を起こしただろう」と証言している
 その事実は、毎日新聞でも大きな記事としてきちんと報じられている。

 確かにオランダ領のインドネシアでは、日本軍は捕らえたオランダ人の少女を含む女性たちを将校らにあてがい、無理矢理に慰安婦にした。
 その事実は誰にも否定できないし、だから天皇陛下もかつてオランダを訪問した時に、その事について謝罪もなされた。

 しかしそのインドネシアで捕らえられたオランダ人女性の問題と、韓国人の従軍慰安婦の問題は事情が違う。
 オランダ人女性は占領地で捕らえられ、収容所に監禁された中から強制的に性奴隷にされたのだが。
 しかし当時の韓国人は、実態はどうあれ“日本国民”だったのだ。
 二等国民扱いされたという実態はあるが、建前としては韓国人も“日本人”だったのだ。
 だからこそ、戦前の日本の高等学校や大学には韓国出身の学生が居たし、より良い暮らしを求めて朝鮮半島から日本に移り住んできた韓国出身の労働者も大勢いた。
 日本軍が大陸から捕らえてきて日本で強制労働させた中国人の労働者と、自らの意志で半島から日本に仕事を求めてやって来た韓国人の労働者を一緒くたに見てはいけない。
 日本軍が韓国人の少女をかり集めて慰安婦として性奴隷にしたという確かな証拠はどこにも無いし、建前としては“日本人”であった韓国人の女性に、そんな事ができる筈も無かったのだ。
 それに米軍の捕虜になった韓国人の“日本兵”がアメリカ軍に証言しているように、日本軍がそんな真似をしたら韓国人は暴動を起こしただろう。

 筆者の母の知人に、大戦中に民間人として中国や韓国で暮らしていた人がいる。
 その方によると、中国人は少しも怖くなく、夜も平気で中国人街を歩けたそうだ。しかし韓国人はとても恐ろしく、韓国人街は一人ではとても歩けなかったと話してくれた。
 確かに今でも中国人は腹の内はどうあれ少なくとも表面的には愛想が良く、それに比べて韓国人には気性が激しく物言いもきつい人が多い。
 その韓国人が、同胞の少女達を外国軍(日本軍)に性奴隷として連行されて黙っているなど、とても考えられない話ではないか。

 こんな話がある。
 かつての日本軍は度々野外演習を行い、そして時には演習に出た先で、民家に分かれて泊まる事もあった。
 すると必ず、数ヶ月後に泊まった民家のお父さんのうちの誰かが、娘を連れて連隊に怒鳴り込みに来るのだそうだ。
「お宅の兵隊がウチの娘に夜這いをかけて、娘が妊娠してしまった、どうしてくれる!」
 その対応にあたる古参の下士官は、部下の兵にこうぼやいたそうだ。
「兵隊は、助平と決まっているからな」

 英国のBBCに右翼のナショナリストと断言される安倍政権のもと、時代が右傾化する中で、日本の右翼たちは「皇軍の軍紀は世界一だった」と自慢する。
 しかし実態は、野外演習に出て好意で泊めてくれた民家の、同胞の日本人の娘さんにまで夜這いをかけて孕ませ、古参の下士官に「兵隊は、助平と決まっている」とぼやかせるような有り様だったのだ。
 このような兵隊が国外に出たら、どうなるだろうか。
 それがわっていたから、軍は韓国や中国に慰安所を設けたのだ。
 ただそこで働く女性を集めるよう業者(女衒というやつ)に依頼はしたものの、日本軍が直接に韓国人の少女や女性を武力でかり集めたという確かな証拠は何も無い。

 日本の公娼制度は、GHQにより1946年に廃止されたが。
 しかし現実には売春防止法が施行される1957年まで、遊郭で買売春が公然と行われていた。
 問題とされる韓国人の従軍慰安婦がいた時代には、日本の国内でも、日本の貧しい家の少女がその意に反して借金のカタとして売られていた。
 二・二六事件そのものは暴挙だが、決起した青年将校たちには、そうした国内情勢に対する怒りもあった。

 当時の日本国内では、貧しい農村の娘たちがそれくらい当たり前に売られていた。
 それと同様に、韓国人の従軍慰安婦も、その親により業者に売られ、そして売られて行った先が日本軍の慰安所だったに過ぎない。
 その少女としては不本意であったろうし辛かったであろうとも思うが、「恨むならまず貴女を売った親にしてほしい」と思ってしまう筆者は、冷酷なのだろうか。

 無論、兵士が慰安婦、平たく言えば売春婦を買うことは誉められた事ではない。
 しかし慰安所を設けて買売春を行ったのは、決して日本軍だけではない。
 例えば今では「韓国人従軍慰安婦=日本軍の性奴隷」というイメージだが。
 しかしそのイメージと違って、韓国人の女性は韓国に駐屯した米軍にも、同国民である韓国軍に対しても従軍慰安婦として働いていた。
 韓国人の従軍慰安婦は、米軍もそして韓国軍も利用していたのだ。
 その事実を日本人も韓国人もそしてアメリカ人も、もっとよく知っておくべきである。
 にもかかわらず日本だけが悪者にされて責められ、謝らせられているのである。

 筆者も「韓国人女性を従軍慰安婦に使って何が悪い、米軍も韓国軍も使ってたじゃないか!」と、ただ居直るつもりは無い。
 しかし従軍慰安婦の問題は、韓国政府と既に解決済みである。
 非は詫び、お金も出している。
 にもかかわらず韓国人は従軍慰安婦の、ことさら幼い少女の像を各地に設置して日本を「ロリの性犯罪者」と貶めようとしている。
 それが実に腹立たしい。
 同じように慰安婦を使っていた韓国とそしてアメリカに、「その問題で日本を責める資格があるのか!」と問いたい。

 アメリカと言えば、米兵は戦後に日本に進駐した後、日本の女性をよく買っていたではないか。
 いや、買うどころではなく、権力をかさに着てその意に反した性的暴行もした。
 アメリカに占領された沖縄で、「アメリカ兵は昼には民主主義を説き、夜には女を求めて民家に押し入ってきた」と、当時を知る沖縄の人が証言している。
 また、沖縄で捕らえた民間人のうち若い女性だけを選んでトラックで連れて行き、性的暴行を加えたという話もある。
 占領地で日本人女性に性的暴行を加えた話については、まずソ連(ロシア)兵が問題にされるが。実はアメリカ兵も、決して誉められた行動をとっていたわけではないのだ。

 韓国の従軍慰安婦の問題について、日本が謝罪しお金も出して政府間で最終合意に至った筈だ。
 にもかかわらず、その後も各地に慰安婦像を設置しようとする韓国人の姿勢にも腹が立つが。
 筆者はそれ以上に、「自分達は正義の味方で清廉潔白」のような顔をしているアメリカ人の方が、より憎らしい。
 日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像の設置を決定し、「現在も世界で続いている性や人身売買問題に対する意識を高める」と言った、ジョージア州ブルックヘブン市のアーンスト市長に問いたい。
米軍も韓国では、韓国人女性の慰安婦を利用していた事実を知っていますか? 米兵は日本でもさかんに女性を金で買い、時には性的暴行もしているのに、アメリカ人に他国を責める資格があると思ってるのですか?

 世界各国に今も駐留する米兵たちは、性犯罪も犯さず、女性も買わずに清廉潔白に過ごしているのだろうか?
 いや、在日米軍の兵士は今日もどこかで日本女性を買っているのではないかと思うが、それは筆者の勘違いだろうか。
 薄っぺらい正義感と「アメリカ・ファースト」の意識に駆られてか、正しい事をしていると信じてアメリカ国内に日本を責める韓国人従軍慰安婦の像を設置するアメリカ人の無神経さが、心の底から腹立たしくてならない。

 どこの国にも「自分の国は絶対悪くない!」と他国ばかり責めるナショナリストは存在する。
 靖国神社の遊就館の歴史観を見ればわかるように、事実を認めず「自分の信じたいものしか見ない」偏狭な国粋主義者は、この日本にも存在する。
 だから韓国国内に慰安婦の少女像を設置する人達の存在は、百歩譲ればまあわからないでもない。
 だが自国の兵士が日本を含めた占領地で女を買い、あるいは性的暴行もしているのに、己は性や人身売買問題に対する意識が高いつもりで、日本を貶める韓国人従軍慰安婦の少女像を設置するアーンスト市長とジョージア州ブルックヘブン市民とアメリカ人の「盗人猛々しい」としか言いようのない神経の図太さは、百万歩譲っても筆者には理解できない。

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