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空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

唐突ですが“最後っ屁”をお許しください

 まず冒頭に。
 アメリカ大統領選挙が迫っていますが、かつての大統領選挙で民主党候補のゴア氏が、論理的にも知的な面でも共和党のブッシュ氏を圧倒しました
 だからゴア氏は大衆に嫌われ、選挙では討論で完敗したブッシュ氏が勝ったのです。

 人間、と言うか大衆は所詮「論理より感情」なんですよね。
 データや事実をもとに理論で詰めて行く正論は、多くの人に「上から目線で偉そうだ」と嫌われます。
 ゆえに明らかに知的でなく、討論で何度も言葉に詰まり論破されたブッシュ氏が、逆に大衆の同情と支持を集めたのです。

 さて、日本のみならず世界を覆うこのコロナ禍の影響を受け、私の仕事もここ数ヶ月間、多忙を極め続けています。
 で、今のようにブログの記事を書き続けるのが、時間的にも体力的にも困難となってきました。

 思えば、私は二十世紀には何の疑問もなく自民党の候補者に一票を入れ、ほぼ幸せに生きていました。
 現実を見ずに建て前の綺麗事ばかり言うサヨクの知識人については不快に思っていましたが、彼らは権力を持たない“外野”であり、日本を動かす力は持っていませんでしたから、ただ存在が不快なだけで別に問題はありませんでした。

 しかし小泉政権の誕生で、私は「論理できちんと説明せず、ワンフレーズ・ポリティカルで大衆の感情を揺さぶって世の中を己の思うように動かそうとする」小泉純一郎を指導者として良からぬ煽動政治家と判断しただけでなく、その政治家を85%もの日本国民が支持した現実に強い危機感を抱きました。
 さらに戦前の軍国日本と侵略戦争を正当化したい歴史修正主義者を岩盤支持層とする安倍政権の誕生と、その実績に比べて変に高い支持率に、危機感にさらに強い怒りも加わりました。
 それで何とか出来ないものかと、お叱りやご批判から罵詈雑言までを受けつつ、政治と今のこの国について、何度もこのブログで記事に書いてきましたが。

 それでわかったことは、「大衆はやはり感情で生きていて、事実やデータを挙げた論理では全く動かせない」という現実でした。
 私が何を書いても、この国も時代の流れも何も変わりませんでした。
 私が書いてきた事実やデータを挙げた論理は、道理がわかる知的な人には「言われなくても既にわかっていること」であり、私が動かしたかった安倍政権や菅政権の支持者については「ただ感情を刺激して怒らせただけ」だったのです。
 元々理屈の通じない人達に、いくら事実やデータで理論を語っても意味など何もないのでした。
 そう、小泉や安倍や菅といった、かつての自民党の人間味ある政治家たちとはまるで異質な独裁的指導者を「実行力のある強いリーダー」と勘違いして支持する国民を文章で何とか動かし、少しでもこの国を変えたいと思った私の行為は、本当に「徒労と自分の貴重な時間の無駄」でしかなかったのです。
 多くの人は感情で動くもので、理屈で心は動かないのですから。
 そして私は、小泉やヒトラーのような「理屈抜きで感情」の煽動家には到底なれませんし、その種の指導者は私が最も嫌悪するものです。

 安倍政権は「現実に何をして、どんな法案を通してきたか?」という具体的な行為と現実ではなく、とにかく何か仕事を「やっている感」で大衆に評価されました。
 このコロナ禍でも、現実にスピードある対策でなく、「スピード感」が盛んに求められました。
 これが日本人、これがこの国の有権者たちなんですよね。
 論理や冷静な分析と事実ではなく、イメージと印象が全てなんです。
 全く無駄ですよね、この国の国民の大半を占めるその種の人達に、理屈で何を言っても

 と言うわけで、私がプロとして文章を書いて生業を立てているならともかく、他に仕事がありしかもそれが多忙であるのだから、理屈の通じない「感情と感覚」の人達に、自分の睡眠時間と体力を限界まで削って文章を書き続けることは「意味の無い徒労」であったと判断し、仕事でも追われ疲労困憊している私の健康の回復の為にも、暫く休息の時間をいただこうと考えております。
 このブログに続けて目を通して下さっている、ごく少数の方には誠に申し訳ありませんが、記事の更新が当面出来かねることをお詫び申し上げます。
 寄せて下さるコメントにもお返事出来ませんが、お許し下さい。
 では、機会があれば、またいつかお会いしましょう。

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大坂なおみ選手に違和感(彼女はナオミ・オオサカというアメリカ人で良い)

 最初に断っておくが、筆者は人種差別をするつもりは全く無いし、人種差別は「間違っている」と断言する。
 しかし日本で「チャーミング」とか「可愛い」と人気のテニスの大坂なおみ選手については、どうしても好感を持てず、その言動の多くに強い違和感すら抱いてしまうのだ。

 両親や祖父母等に違う人種をルーツに持つ、かつてはハーフとかクオーターとか呼んだ人達のことを、今はマルチレイシャルと呼ぶそうだ。
 そして大坂なおみ選手は、ハイチ人と日本人のマルチレイシャルだ。
 で、大坂選手の国籍は日本である。
 以前はアメリカと日本の二重国籍で、年齢によりどちらかを選ばなければならなくなった時に、大坂選手が自ら日本国籍を選択したのだ。
 だが筆者は、大坂選手をどうしても“日本人”と思えない
 筆者にとっては、「日本人の血も引くアメリカ人」なのだ。

 断言するが、筆者は「黒人の血を引いているから日本人ではない」などという失礼で非常識なことを言うつもりは全く無い。
 人種的には純粋な黒人や白人で、日本人の血などまるで流れていなくても、日本が好きで自分の意志で日本国籍を取得したのであれば、その人は間違いも紛れもなく日本人だ。

 少し話はそれるが、この世には体の性と心の性が違う人達がいる。
 で、心の性に沿った服装や生活をしたり、中には大変な苦労と苦痛を乗り越えて性別適合手術を受けた人もいる。
 その種の体と心の性が違う人達は、「たまたまその性別に生まれてしまったが、その性に強い違和感も無いので、そのまま女あるいは男をやっている」という人達より、言動が間違いなく女(男)らしい。
 それは「ただその性に生まれたから、漫然とその性別で生きている」のではなく、自らの意志でその性別を選択し、自分はその性別の人間だと強く意識して生きているからだ。

 それと同様に、元は外国人なのに日本が好きで日本国籍を取得した人達は、「ただ日本で生まれたから日本人になった人達」よりも、言動や好みが日本的であることが多い。
 性別の問題と同様に、日本国籍を「自らの意志で選択した」彼らは、自分が選んだ国(日本)に対する愛着が日本人以上に強いのだ。
 しかしほぼ英語しか喋らずにいること、偉大な先輩である錦織選手に対する遠慮の無い言動、試合中にラケットを投げるなどの激しい感情表現を見ていると、「大坂選手は完全にアメリカ人だな」と痛感させられる
 これは筆者が鈍感だからかも知れないが。
 大坂選手の言動を見ていると、日本人的な感覚や日本文化に対する愛を筆者には感じられない。

 筆者の大坂選手に対する違和感を決定的にしたのは、現在アメリカで問題になっている黒人に対する警察官の差別的な行為について、大坂選手が自分を「黒人女性」と断言したことだ。
 もちろん黒人差別は悪いことだ。
 しかし「大坂選手、貴女に日本人、黄色人種の血は流れていないのか」と言いたくなってしまう。

 いや、大坂選手が自分の人種を黒人と自認して、国籍もアメリカを取得したのなら、何も問題は無い
 また、純粋な黒人でも日本が好きで、日本語も一生懸命に習い、日本文化に親しんで言動も日本的な人が「自分は日本人だ!」と言うのも、大歓迎である。
 しかし日本語を殆ど喋らず、試合中の振る舞いや先輩に対する態度など言動はどう見てもアメリカ人で、「日本が好きで、日本文化に馴染もうとしている」とはとても思えない大坂選手が日本国籍を取得したことに、どうしても強い違和感を抱いてしまう。
 寿司や鰻が好きだから大坂選手は「日本人」か?
 そのような外国籍の人は大勢いるのだが。

 少し細かいことを言おう。
 筆者は大坂選手が「選手である前に一人の黒人女性だから」加わった、警官の黒人に対する差別的で乱暴な振る舞いに抗議する“Black lives matter”、「黒人の命は大事だ」という運動とスローガンにも違和感を抱いている。
“Black lives matter”ではなく“Black lives matter too”、つまり「黒人の命は大事だ」ではなく「黒人の命も大事だ」であるべきだ。
 人種に関係なく、黒人の命も白人と同じように大切にしろと言うべきなのに、「黒人の命は大事だ」では、「黒人の命だけ大切にしろ」と言っているように聞こえかねない。

 アメリカで差別されている人種は、何も黒人だけではない。
 我々日本人も含む東洋人も差別されてきたし、ヒスパニックも同様な扱いを受けている。

 だが同じように差別されていながら、なぜ黒人だけ警察官に厳しく扱われるのか
 その理由についても、黒人は少し考えてみるといい。
 同じように差別されていて、なぜ黒人にはスラム街に住み犯罪に手を染める者が珍しくなくいるのか。
 同じように差別されていて、なぜ黄色人種やヒスパニックは警察官に犯罪者という先入観を持たれず、黒人だけ危険視されるのか。

 もちろんライス氏のように政府高官に出世した黒人もいれば、オバマ前大統領や民主党の副大統領候補も黒人だ。
 黒人にも立派な人は数え切れないほど多くいる。
 にもかかわらず、同様に差別されている黄色人種やヒスパニックはなぜ警官に酷い扱いを受けないのかを、「また差別だ!」と騒ぐ前にアメリカの黒人にも考えてみてほしい。
 繰り返すが、黒人の命も大事であるし、黒人だからと簡単に撃ったり暴力的な扱いをする警官の行為は厳しく罰せられるべきだと断言する。

 大坂選手については、警官に殺された黒人の名前が書かれた黒いマスクをつけて試合に出てきたことが、日本で議論になっている。
「試合に政治を持ち込むな!」という批判に対し、マスコミや知識人を含む日本の多くの人が「アメリカではスポーツ選手も政治的な意識を持つのが当たり前なのだ」と大坂選手の行為を擁護している。
 だが、例えばプロ野球の選手が「排除された6人の学者を救え!」とか「学問の自由を奪う菅首相を許すな!」などと書いたマスク等をつけて試合に出てきたら、皆さんはどう思うだろうか

 排除した理由もあかさずに、これまでに安倍政権に反対したことのある学者6人のみ日本学術会議に新会員に任命するのを、菅首相が日本学術会議法と「首相による任命は形式的なもの」という長年の決まりを無視して拒否したことは、学問にまで忖度を求めるアベ政治流の、間違いなく歴史に残る暴挙である。
 そして映画監督などの文化人だけでなく、今回の独裁者菅義偉による抗議にスポーツ選手も加わるとしたら、それは良いことだ。
 しかしそうした政治的な意志の表明は、記者会見なりツイッターなりで発言すべきで、試合に持ち込むのはおかしいというのが、多くの日本人の常識ではないだろうか。

 だから大坂選手も試合後の記者会見やツイッターで抗議は大いにすれば良いのであって、試合の場に政治を持ち込むのは「良くない」と筆者は考える。
 しかしマスコミ関係者を含む大坂選手を擁護する人達は、試合に政治を持ち込んだ大坂選手を「アメリカでは当たり前のことだ、非難する人達は間違っている」と言う
 それどころか「大坂選手こそ意識が高く立派で、日本は遅れている」と言いたげだ。
 では日本のスポーツ選手も、「独裁者の菅義偉を倒せ!」とか「左翼の反日勢力を許すな!」などというような、それぞれの政治的なスローガンを掲げて試合に出て来ても良いことになるではないか
 少なくとも日本人にとってそれは非常識な行為だと思うのだが、大坂選手の行為についてだけはなぜか「アメリカでは当たり前で立派」と誉められ、擁護されている
 しかしここは日本で、大坂選手の国籍も日本だ。

 大坂選手が勝てば「日本人選手として凄い!」と持ち上げ、日本人らしからぬ言動については「アメリカでは当たり前のことだから」と擁護する。
 大坂選手には自分が日本人という意識があるのか、それともまだアメリカの黒人なのか、筆者にはさっぱりわからない。
 そしてそんな大坂選手を誉め称える日本の人達の心理や思考もまた、筆者にはどうも理解できない。

 大坂選手は東洋人の血を無視するかのように自分を「黒人女性」と断言し、スポーツ選手として試合にも政治を持ち込んでいる。
 アメリカではそれは当たり前のことなのだろう。
 だったら大坂選手はわざわざ日本国籍など取らず、「母を日本人に持つアメリカ人の黒人女性」で良いではないか。
 日本語も喋らず意識は黒人で言動もアメリカ人そのものなのに、強い有名なスポーツ選手だから「わざわざ日本国籍を選んで下さって有り難うございます」と感謝しなければならないのだろうか。
 少なくとも筆者は大坂選手を“日本人”とは、どうしても思えない。
 大坂選手は“ナオミ・オオサカ”という「母を日本人に持つアメリカ人の黒人女性」で良いではないかと、筆者は心から思う。

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菅首相の支持者は悪意ある嘘を息をするように平気でつく

 初めに問う。
 英語で論文を書いて海外で発表しなければ「学者と言えない」のか?
 日本史や日本文学や日本の法律を研究する者も、英語で論文を書いて海外で発表していなければ「学者ではない」のか?

 もしそんな事を言う者がいたら、その者の知性どころか正気すら疑いたくなる。
 しかしその知性も正気も無い者が、この国には呆れるほど多くいるのだ。
 それも菅政権の支持者に偏って。

 ツイッターで拡散され、ネット番組でも紹介されて広く拡散されている、匿名アカウントから投稿されたツイートがある。
 それを紹介しよう。

 日本学術会議に任命拒否された6人の学者について標準学術調査ツール;スコーパスで調べてみた驚愕の事実。計測可能だったのはKYさんだけしかも、index2、あとの人みんなゼロ。国際的にとても学者とは言えない数値。総理はこれを調べてこれらの人はじいたのでは? 彼らは科学者ではないしもともと国際学者と言えない。


 さて、このツイートの投稿者が標準学術調査ツールとしている“スコーパス”とは何か。
 これを知らずに、「ああ、それで計測されなければ学者と言えないのか」とそのまま信じる人がいたとしたら、その人は紛れもないバカである。
 スコーパスとは、オランダの出版社エルゼビアが提供する世界最大級の抄録・引用文献データベースで、もともとは文献検索用のツールであり、標準学術調査ツールなどでは断じてない。
 ただ世界の五千社以上の出版社の二万誌以上のジャーナル、五千万件以上の文献を収録してあるので、その人の論文数と引用された回数がわかるというだけの話である。

 なのに話題を集め問題となっているツイートをした匿名の投稿者は、国際的には何の資格も無いオランダの一出版社の文献検索用ツールでしかないスコーパスを「標準学術評価ツール」と言い切っているのだ。
 しかもエルゼビア社は英語の雑誌や書籍を出版している会社で、このスコーパスでは日本語で書かれた論文は殆ど計測できないのである。

 自国の歴史や文学や法律などを研究する人文社会科学の論文は、英語でなく自国の言語で書かれるのが国際的に当たり前である。
 日本史や日本文学や日本の法律に関する論文を、なぜ英語で書かねばならないのだ?
日本の人文社会科学(日本史や日本文学や日本の法律など)の論文は日本語で書かれて当たり前で、スコーパスで検索されないのは当然」なのである。
 その英語の雑誌や書籍を出しているオランダの一出版社の文献検索ツールでしかないスコーパスを「標準学術評価ツール」とデタラメを言い、その数値を「驚愕の事実」と煽るように書いて「任命拒否された6人は科学者でもないし国際学者とも言えず、総理はこれを調べてこれらの人はじいたのでは?」と投稿したツイートは明らかに間違っているだけでなく「嘘を言い事実をねじ曲げ、任命拒否された6人の学者を貶めてでも、菅総理を応援しよう!」という悪意に満ちた魂胆が透けて見える。

 呆れるのはその悪意に満ちた嘘を、上念司なる経済評論家がネット番組『虎ノ門ニュース』でほぼ同様の発言をしただけでなく、その動画が何と六十万回も再生され、それを引用したツイートも1800件以上リツイートされているのだ。
 こうして単なる誤りではなく「任命拒否された6人の学者を貶める悪意ある嘘」が、菅政権の支持者によって世に広められているのだ。

 この日本学術会議の新会員のうち6人の学者が首相により任命拒否された問題の件では、菅首相の支持者により拡散された、見逃せない悪意ある嘘がもう一つある。
 それを仕掛けたのは、何とフジテレビである。
 安倍政権を常に応援し、黒を白と言ってでも政権を擁護して、論説委員が右翼誌で極右的な発言を続け政権に反対する人達には罵詈雑言を書きまくってきたあの産経新聞のお仲間のテレビだ。

 前提として、まずこのことを書いておこう。
 日本学術会議と日本学士院は、全く別の組織である。
 日本学術会議は首相が所轄する特別の機関で、日本学士院は文部科学省の所轄の機関である。
 だから日本学術会議の会員が、自動的に日本学士院の会員になるなどということは、あり得ない
 日本学術会議の会員でなかった日本学士院の会員もいれば、その逆もいる。
 日本学術会議は「行政・産業・国民生活に科学を反映浸透させることを目的として政府に答申・勧告を行う機関」で、日本学士院は「功績顕著な科学者を優遇する為の機関」である。
 だから日本学士院の任期は終身制で、存命中は二百五十万円の年金を貰えるのだ。

「首相による任命は形式的なもので、日本学術会議から推薦された新会員の任命は拒否しない」である筈の人事に介入する理由として、菅首相らは「日本学術会議の会員も公務員で、毎年十億円もの税金が投入されている」と繰り返し言う。
 と言われると、日本学術会議の学者達はさも良い給料を貰っているような印象を受けるが、実は違う。

 日本学術会議に投入された税金の用途は、以下の通りである。

 事務局人件費(一般職員50人) 4億4546万円
 庁費             1億5516万円
 会員への手当           7192万円
 連携会員への手当       1億0326万円
 旅費・交通費         1億4214万円
 国際学術連合会議の分担金   1億0762万円
 その他              2336万円


 ちなみに会員に“給料”は無く、支払われるのは上記の「会員への手当」と「連携会員への手当」にあたる、委員会に出席すると一回1万9600円の手当だけである。
 そして年度の下半期になると予算が逼迫するので、手当なしで活動することも頻繁にある
 だから熱心に活動すればするほど「ただ働き」という事になり、決して美味しい話ではない。
 そしてそれを理由に会員は怠けているのではなく、日本学術会議は様々な提言を政府にしてきた
 にもかかわらず下村元文科相のような政治家は「日本学術会議は2007年以後、一度も答申をしていない」と、まるで日本学術会議が無駄に税金を食っている役立たずの機関のような印象を国民に与えている
 あのですね、まず政府が諮問しなければ、日本学術会議は答申も出来ないわけデスよ。
 声をかけられなければ、返事は出来ない。
 これは常識だと思うが。
 にもかかわらず下村元文科相のような輩は、声もかけずに「返事をしない!」と相手を非難している。
 愚かで常識知らずと言うのではない。
 今回の異例な人事に対する口出しに抗議した日本学術会議を世間に「税金だけ食っている怠け者」と印象づけて、ただ貶めたいのだろう。

 恐ろしいことに、この国では。
 英語の雑誌や書籍の出版社の文献検索用ツールでしかないスコーパスを“標準学術調査ツール”と偽り菅首相に排除された6人の学者を「学者とは言えない」と貶めた例の匿名ツイートや、この下村元文科相のように、政権にもの申す人達を嘘やフェイクで貶める“菅首相の応援団”が、大マスコミにも存在するのだ。

 この5日に、フジテレビの昼の情報番組『バイキング』で、フジテレビの上席解説委員平井文夫は日本学術会議の会員について、「この人たち6年ここで働いたら、その後、学士院というところに行って、年間250万円貰えるんですよ、死ぬまで」と言った。
 全くの嘘である。
 日本学士院は文科省の所轄で、日本学術会議は首相の所轄で全くの別組織であることは、先に述べた。
 日本学士院の定員は150人で終身制、そして新会員は年一回官報で候補者の推薦が募られ、総会で承認を受けて選出する。
 また、推薦できるのは大学や研究機関の長、日本学士院の会員、日本学術会議の会員だけである。
 ちなみに日本学士院会員で現役の日本学術会議の会員は、梶田隆章会長ただ一人だ。
 そして「日本学術会議のOBは日本学士院会員になって、死ぬまで250万円の年金を貰える」などということはなく、日本学術会議の会員でなかった日本学士院の会員も大勢いれば、その逆もまたいることも、前に書いた通りである。
 この平井文夫という男、フジテレビ上席解説委員という大マスコミの要職にありながら、視聴者に「日本学術会議の会員は既得権を得て得をしている」という印象を与える為に、こんな酷い嘘を平気でついたのである。

 繰り返し言う。
 このデマ発言に及んだのは『Will』や『Hanada』などの極右誌でおなじみの、櫻井よしこや阿比留瑠比産経新聞政治部編集委員や百田尚樹などの人達ではなく、フジテレビ上席解説委員である。
 ならばその発言は「新聞なら社説に相当する、フジテレビとしての見解」と受け取るべきだろう。

 で、この平井文夫フジテレビ上席解説委員が「この人たち6年ここで働いたら、その後、学士院というところに行って、年間250万円貰えるんですよ、死ぬまで」と発言すると、スタジオから「えーっ!」と驚きの声が上がった
 驚いたのは、もちろんスタジオの人達だけではない。
 何しろ大マスコミの上席解説委員様のおっしゃることだから、大半の国民は信じる。
 早速視聴者、とりわけ安倍前首相や菅首相の支持者が、平井文夫フジテレビ上席解説委員のフェイクだらけの発言を次々にツイートして非難した。
 裏も取らずに、自分の耳に心地良く響く都合の良い情報だけまるっと信じる国民も国民だが。
 このように悪意ある嘘で、真面目に国や社会の為に学問に励んでいる罪もない人達を貶め国民を煽動する人物が大マスコミ、フジテレビ上席解説委員であるという今の日本の現実に、ただ怒りだけでなく背筋の寒さを覚える。

 戦時中の大本営発表、政府の為の嘘の報道は、当時のマスコミが軍の圧力に抗しきれずに従った面も大きいが。
 それと違い、権力の監視というマスコミの責務を自ら捨て、それどころか進んで権力に媚びてすり寄るフジテレビの“報道”については、筆者は今後一切信じない
 そして筆者の周囲の皆にも、「フジテレビは政府の意志に反する者を悪意ある嘘で貶める悪い放送局だから信じてはいけないし、できるだけ見ないように」と勧める

 フジテレビは翌日に、番組の終わりに「昨日の放送について補足と訂正がある」と言いはしたものの、「誤った印象を与えるものになりました」と渋々言うにとどめてきちんと誤らず、平井文夫上席解説委員もお詫びしなかった。
 だから平井文夫上席解説委員の問題の発言の動画は繰り返し再生され、その内容はリツイートもされている。
 また、一出版社の文献検索用ツールでしかないスコーパスを“標準学術評価ツール”と言い切り、それに基づき「驚愕の事実、日本学術会議に任命拒否された6人の学者は国際学者と言えない」と菅首相を擁護した最初の無名のツイートは削除されたが、リツイートは拡散されている。
「学者と呼ぶ資格もない駄目な人だから、菅総理が任命を拒否したのは当然。日本学術会議はタチの悪い利権団体で、会員そのまま日本学士院に横滑りして、死ぬまで250万円も貰い続けている」という印象を与える悪意あるデマが、今もまだこの国の多くの者に信じられているのだ

「政権に楯突く者は許さない、嘘やデマで汚名を着せてでも潰してやる」
 日本国民よ、よく認識してほしい。
 こんな暴虐が横行し、それに大マスコミまで荷担しているのが、今の菅政権下の日本という国の現状なのである。

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学者にまで忖度を迫る秋田の大悪人菅義偉とそれを支持する愚民ども(日本学術会議を守れ)

 アベ政治の継承を掲げて誕生した“秋田の土人”菅義偉新首相が、就任早々悪い方の期待に応える非常識な行為をしでかしてくれた。
 筆者が菅首相を“秋田の土人”とあえて呼ぶ理由については、先週の土曜日(3日)にこのブログの記事に書いたので、腹を立てた方はまずそれを熟読してから抗議していただきたい。

 所管は総務省であるが、政府から独立した立場で政策提言する科学者の代表機関である日本学術会議が、新会員として105人を推薦した。
 日本学術会議法では、「日本学術会議は優れた研究・業績のある科学者を選考して会員として首相に推薦し、首相はその推薦に基づいて会員に任命する」ことになっている。
 ちなみにこれまで、日本学術会議が推薦した新会員の任命を、首相が拒んだことは無い
 1949年に設置されてから安倍政権まで、首相は学問の自由を重んじ、日本学術会議の新会員の人選に口を出さないことになっている。

 新会員を任命するのは、法的には確かに首相だ。
 だがそれは「日本学術会議の推薦に基づいて」であり、1983年の国会答弁でも自民党の国務大臣が、日本学術会議の自主性についてこう答弁している
「政府が運営に口を入れることはない。学会から推薦された者は拒否しない、形だけの任命をしていく」
 さらに惜しくも故人となってしまった中曽根康弘氏もまた、首相在任時に、日本学術会議の新会員の首相による任命について、「形式的なもの」と明言している
 つまり首相と政府は新会員の人選は日本学術会議に任せ、首相による任命は形だけのものと、首相と政府自ら認めてきたということだ。
 第二次安倍政権では、会員の欠員が出た時の新会員の補充に、官邸からクレームが来たことがあった。
 しかしそれでも、特定秘密保護法や戦争法案など数々の悪法を数の力で押し通し、辺野古の海を米軍に差し出す為に埋め立て、森友・加計に桜を見る会でオトモダチ優遇と好き勝手にやってきたあの安倍前首相ですら、日本学術会議の総会で正式に組織決定されてオープンになった推薦者の任命を拒否したことは無かった。

 ところが“秋田の土人”である菅首相は、その前例と学問の政治からの自由を破り、推薦された105人の新会員候補のうち6人の任命を拒否した
 首相の代弁者とも言える加藤勝信官房長官によれば、「日本学術会議は首相の所管で、人事を通して一定の監督権を行使することは法律上可能で、その範囲の中で行われている」そうである。
 首相に人事権や監督権があるなどと、日本学術会議法のどこにも書いてないのだが。
 任命するのは首相でも、法的には会員を選ぶ権利は日本学術会議のみにあり、菅義偉と加藤勝信がしている行為は明らかに違法だ。
 繰り返すが国会答弁で自民党の国務大臣が、日本学術会議の運営について「政府が口を入れることはない」、人事については「学会から推薦された者は拒否しない、形だけの任命をしていく」と明言しているし、当時首相だった中曽根氏も首相による任命を「形式的なもの」と認めている。

 例えば日本学術会議の新会員を首相が任命するのと同様に、今は菅義偉が務める首相もまた、国会の指名に基づいて天皇陛下が任命することになっている
 もし菅首相や加藤官房長官が言うように、「任命するのは首相だから、首相は任命する会員を選んで拒否もできる」のであれば
「天皇陛下もまた、気に食わない者の首相任命を拒否できる」という理屈になるぞ。
 それに気付かない愚か者が、菅義偉や加藤勝信という奴らなのである。

 しかし加藤官房長官は、推薦されたうちの6人をあえて外して他の者を任命した理由について、「専門領域の業績にとらわれない、広い視野に立って活動していただきたいという観点から任命した」とも言っている
 つまり「政府と首相が“広い視野がある”と認めれば、大した業績が無くともOK」、もっと詰めてはっきり言えば「政府や首相と反対の意見を持つ学者は、どれだけ業績があっても“視野が狭い”から駄目」ということだ。

 菅首相は、人事についてテレビでこう公言している。
「私どもは選挙で選ばれている。『何をやる』という方向を決定したのに反対するのであれば、異動してもらう」

 つまり選挙で選ばれている政治家が一番偉くて万能だということだ。
 あの大金をバラ撒いて当選した河井案里議員も、その選挙で選ばれた国会議員様なのだが。
 アドルフ・ヒトラーも、民主的な選挙で選ばれて首相となった政治家だ。
 選挙で選ばれた政治家が全て正しく、最も偉いわけではないことは、現実の歴史を見れば明白だ。
 なのに「選挙で当選すれば何でもやれるし、何でも許される」と公言する菅首相は、断言するが頭がおかしい
 沖縄で知事と会って「私は戦後生まれだから、歴史を語られても」と平然と言ってのけた、いかにも歴史に無知で無関心な菅義偉らしい言動である。

 運営に政府は口を入れず、新会員は学会から推薦された者は拒否せず首相が形だけの任命をしていく筈の日本学術会議だが。
 その新会員に学会から推薦されたうちの6人の任命を、菅首相は任命権と日本学術会議法にありもしない監督権を盾に拒否した
 菅首相も加藤官房長官も、その6人のみ任命を拒否した具体的な理由については全く述べずに、ただ「専門領域の業績にとらわれない、広い視野に立って活動していただきたいという観点から任命した」と言った。
 つまり「その6人が菅様に“広い視野”を持っていないと思われて排除された理由を、学者たちはその6人の言動から考えてみろ」ということ

 実際、その6人のうち2人は、菅氏が官房長官を務めていた安倍政権が押し進めた戦争法案や組織犯罪処罰法改正に反対している。
 さらに1人は、辺野古の海の埋め立てに対する政府の対応を批判している。
 また、任命を拒否された加藤陽子東大教授は決して左翼などではなく、ただ日本が悪かった点は悪かったと認める極めて真っ当な歴史観の持ち主であったが為に、安倍政権の岩盤支持層である右翼の歴史修正主義者に敵視されていた。
 その加藤陽子教授も含め、任命を菅義偉首相に拒否された6人は全て、菅義偉が官房長官を務めて取り仕切った安倍政権の政策に、何らかの形で反対の意志を表明している

 平たく言おう。
 菅首相と加藤官房長官の認識では、安倍政権に批判的な発言をした者、安倍政権に憎まれている者はすべて「視野が狭い」のだ。
 で、任命を拒否した具体的な理由は述べずに、ただ「専門領域の業績にとらわれない、広い視野に立って活動していただきたいという観点から任命した」と言い、暗に「菅様に気に入られない言動は無かったか、自分で考えてみろ」と突き放す。
 つまりは「学者も政治家に忖度をしろ」ということだ。

 政治家は、確かに選挙で選ばれている。
 だが選挙で選ばれた者は皆、学者の専門的な業績や広い視野まで理解できるほどの知識と見識を持っているとでも言うのだろうか
 学者の国会とも言われている日本学術会議の新会員について、総会で深い見識を持つ優秀な学者たちが選んだ候補者について、煽動に乗せられたり顔やイメージで決めたりして一票を入れるような大衆に選ばれたに過ぎない政治家が「あいつは良いが、こいつは駄目」と選別できると思っているとしたら、酷い驕りである。
 学者の専門的な業績を判断できるだけの知識は、首相も含め殆どの政治家には無い。
 だから「専門領域の業績にとらわれない」とかわして、「広い視野に立って活動していただきたいという観点から」と逃げた。
 専門の業績は二の次の、首相や政府が思う広い視野の持ち主wwwwと言ったら、菅義偉が官房長官として取り仕切った安倍政権でお馴染みの、特技は忖度のゴマ摺り野郎の他に居ないではないか。

 国を動かす高級官僚だけでなく、「科学の向上発達を図り、行政・産業・国民生活に科学を反映浸透させることを目的として政府に答申・勧告を行う」筈の日本学術会議の学者まで、少しでも政府の意向に異を唱える人を排除して、首相と政府の意向を忖度する者だけを選ぶ
 現在、「叩き上げの苦労人」で「パンケーキ好きな令和おじさん」だからと、国民の六割以上が深い考えも無しに感覚で支持している菅首相とは、そのような政治家なのである。
 こんな菅首相とその取り巻きは、安倍前首相とそのお仲間以上にクソの、国難そのものの存在であると筆者は言い切る。
 小泉純一郎に安倍晋三と、ろくでもない独裁者もどきを感情と感覚で支持してきた理性も知性も無い日本国民よ、いい加減に目を覚ませ!

 秋田県民は、秋田県出身者初の首相の誕生に沸いているが。
 理性と思考力のあるまともな秋田県民よ、県民初の首相の誕生に浮かれている場合ではないだろう。
 少なくとも恥を知る秋田県民なら、この菅義偉の行為を「秋田県民の恥」と情けなく思う筈だ。
 筆者はこの菅義偉について「史上最悪の秋田県出身者」と断言する。
 
もしこの日本国に菅義偉よりも悪影響を与えた秋田県出身者が存在するなら、是非とも筆者にご教示よろしくお願いしたい。

 最後に、最も重要かつ今のこの国を現実に覆っている危険について述べたい。
 この菅義偉による学問の世界への政治介入、もっと正確には「学問の世界への忖度の強要」について、殆ど報じないマスコミが少なからず存在している。
 筆者が購読している毎日新聞では、この件について一面の上段と特集記事で大きく取り上げている。
 しかしそうではない新聞が、複数存在する。
 この問題が報じられて間もない頃、筆者は買い物に立ち寄ったコンビニで、売られている新聞各紙の一面を見た。
 朝日新聞も毎日新聞と同様に、菅義偉が日本学術会議の新会員に6人の任命を拒否したことを、一面のトップで大きく取り上げていた。
 筆者が住む県の地方紙では、一面の下段にだがそれなりの字数を割いて報じていた。
 しかし讀賣新聞のトップ記事はトランプ大統領のコロナ罹患で、菅義偉の学問の自由に対する侵害の件については全く触れていなかった。
 実際、安倍政権の時代から政権支持の姿勢を明確に示してきた讀賣新聞と日本経済新聞と産経新聞は、この菅義偉と日本学術会議の大問題について、内政面か社会面で解説無しにただ2~3段の小さな記事として載せただけだった。
 日本経済新聞と産経新聞は経済誌だから、まあ許せるが。
 讀賣新聞は「暴走する権力の監視」というマスコミの使命を自ら放棄し「権力の飼い犬」になり下がっているのだという事実を、この件でも暴露している。
 こんな“新聞”が、「日本で一番売れている新聞」なのだから、日本で新聞を読む層の知的レベルと政治意識が推察できるというものだ。

 新聞だけではない。
 TBSとテレビ朝日にNHKのニュースや報道番組は、この件についてかなり時間を割いて詳しく解説しているが、讀賣新聞や産経新聞の系列の日本テレビやフジテレビは殆ど「知らん顔」で「無かったこと」のように扱っている。
「毎週、注目を集めている事件・出来事について、硬軟取り混ぜて幅広く報じる」という売り文句で真相報道を謳いつつ、現実には安倍政権の問題点についてはスルーと見ないフリを続けていた日本テレビの自称“報道番組”も、この件についてもまたスルーを決め込んだ。
 こんな「硬は無く軟ばかりで政権に都合の悪い点はあえて報じない」似非“報道番組”が、視聴率ではトップに近いのである。

 かつての首相だった自民党の田中角栄氏は、自分を鋭く追及する記者らに「おお良し、どんどん批判しろ。それが君らの仕事だ」と言い、広い度量を見せたものだ。
 権力の問題点を批判するのが記者の仕事だと首相自ら認め、自分に対する批判も許して認めるのが、かつての自民党政権だった。
 しかし同じ自民党の、菅義偉が官房長官として取り仕切った安倍政権は自分に批判的なマスコミを露骨に敵視し、政権に媚びるマスコミの上層部の人間と会食するなどして、報道機関をあからさまに差別して分断した
 だから今のマスコミはまともな報道をする者と戦前戦中の大本営発表と大差ない政府の広報の代行者、はっきり言えば「権力を監視する従来通りのマスコミ」と「権力に媚びる卑しい犬」の二つに分断されている
 注意していただきたい。
 讀賣新聞を読み、日本テレビやフジテレビのニュースや報道番組を見ている者と。
 毎日新聞や朝日新聞や東京新聞を読み、TBSやテレビ朝日のニュースや報道番組を見ている者とでは。
 同じ時代を生きている同じ日本国民でありながら、見えているこの国の姿がまるで違っている
のである。

 今の報道関係者には、ゴミと言うより政権(権力)にたかるノミやシラミのような、国民に権力の問題点を意図的に知らせず、ひたすら政権に都合の良い“広報”に務めている輩が少なからずいる。
 だがこの国では、権力の問題点を追及するまともなマスコミは“マスゴミ”と罵られ、政権に媚びて権力の問題点にはあえて触れない“広報”が“報道”としてもてはやされ、その種のテレビは視聴率も高く政権ベッタリの新聞が売り上げ一位なのだ。
 民主主義の国では「有権者のレベルに合った政治家しか出て来ない」と言うが、全くその通りだと痛感する。

 この菅義偉の暴挙、「政権に異を唱えた者は日本学術会議から首相が思いのままに排除する」という行為について、世論調査によると「間違っている」と思う者は僅か五割強で、何と24%、約四人に一人もの国民が「問題ない」と答えていた
 それはそうだろう。
 讀賣新聞を読み、ニュースや報道番組は見ても日本テレビやフジテレビという者。
 あるいは新聞すら読まず、テレビと言えばバラエティー番組ばかりでニュースも見ない、そして時事はネットのヘッドラインで知る者。
 このような人間に、日本学術会員の新会員にあえて6人を任命しなかった事の何が問題かを、そもそも理解できる筈が無い
のだ。
 何しろネトウヨが跋扈するネットでは、日本学術会議で検索しただけで、続けて左翼という言葉が出て来る
 つまり情報をネットで得ている者の思考(と言うより感覚)では、「日本学術会議は左翼だから、政府に逆らうけしからん学者を排除して“まとも”にしようとしている首相の行為は正しい」ということになるのだろう。
 正しい情報、権力の横暴と「政府の何が問題なのか」をちゃんと伝えない大新聞や、政権に従わぬ者に「左翼」などとレッテル張りし意図的に狙い撃ちして貶めるネットの罪は重い。

 戦争中、少しでも厳しい現実を伝えようとするニュースや記事は嫌われ、「勝った、勝った!」という政府の調子の良い嘘をそのまま報じるラジオや新聞を、国民自ら喜んだ。

 多くの日本人が都合の悪い真実を知りたくなく、耳障りの良い都合と景気の良い報道が好きなことは、戦時中も今もまるで変わっていない。

 かつての日本国民(天皇陛下の臣民)が、聞いて気分の良くなる大本営発表を信じた後に待っていたのは、何であったか。
 政権に媚び政府の代弁者であるかのような“広報”に終始する新聞や報道番組が好まれ、政権の問題点に鋭く切り込む新聞やテレビ局は国民にマスゴミと嫌われる。
 さて、こんな今の日本国民に待ち受けている未来は、どんなものであろうか?

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菅義偉という秋田から出て来た土人に新首相に期待し支持をする愚か者たち

 今回の記事のタイトルを見て、秋田県民と菅内閣の支持者は驚き、かつお怒りになられたであろう。
 だがあえてもう一度言う。

 菅義偉新首相は、秋田から出て来た土人だ!

 秋田県民と菅首相の支持者の抗議の炎上も上等で、筆者がそう言い切れる理由を述べよう。

 少し古い話だが、2016年に沖縄の東村高江で、米軍ヘリパッド工事に抗議する市民に、大阪府警の機動隊員が「この土人が!」と罵声を浴びせた
 この沖縄県民を「土人」と罵ったことについて、当時は大阪府の知事であった維新の会の松井氏は当の機動隊員を叱ってその発言を詫びるどころか、逆に激励した。
 そして政府も「差別と断定できないというのは政府の一致した見解だ」と言い、国が派遣した機動隊員が土人と罵ったことを、沖縄県民に全く謝罪しなかった
 その「土人と罵るのは差別ではない」と言い切ったのが、当時の菅義偉官房長官、今の総理大臣閣下なのである。

 菅新首相が苦手らしい「歴史的経緯」を、少し述べよう。
 この国には、かつて「北海道旧土人保護法」という法律が存在した。
 その法律の「土人」との文言について、1991年に内閣内政審議室長が「非常に不適切な言葉と考える」と国会で答弁している
 そして法務省人権擁護局長も「響きとして、蔑称という印象を与え、適切でない」と答弁している
 さらに1993年には、当時の丹羽雄哉厚生相が「差別的な響きを与えかねないと考えており、現在の社会通念に照らして適当でないと考えている」と答弁してもいる
 つまり相手を「土人」と呼ぶのは、「非常に不適切で差別的な蔑称である」というのが、国会で答弁された政府見解の筈だ。

 それを平然と覆し、公務に就いている者が相手を土人と罵った行為を「差別ではない」と言い切ったのが、菅義偉という新首相その人なのである。
 菅首相(当時は官房長官)自身が相手を土人と呼ぶのは「差別ではない」と言い切って、政府として何も詫びなかったのだ。
 であれば、筆者が菅首相を「秋田から出て来た土人」と呼んでも「差別ではない」し何ら問題もなく、詫びる必要など無い筈だ。
 筆者に「菅新首相は秋田の土人だ」と言われて腹を立てた人達に、筋の通った論理的な反論ができる方はいるか?

 菅首相は秋田から出て来た土人である。
 こう言われて「侮辱だ、失礼すぎるだろ!」と怒れるのは、国が動員した機動隊員が沖縄県民を「この土人が!」と罵ったことを、菅義偉氏が「差別ではない」と述べた公式見解についても「非常識だ、間違っている!」と腹を立てた秋田県民だけである。


 辺野古の美しい海を米軍に差し出す為に、反対を押し切って強引に埋め立てるなど、安倍政権は沖縄県に非常に冷淡だった
 そしてその沖縄に冷淡な安倍政権の姿勢を支えたのが、官房長官であった菅義偉氏である。

 何故、この国では沖縄に米軍基地が異常に集中しているのか。

 それにはまず沖縄が太平洋戦争中に国内で唯一戦場となり、占領した米軍により住民が銃剣とブルドーザーで追い出され、基地を作られてしまったのが第一だ。
 さらに日本が占領状態から回復して独立を取り戻すと、日本国内の各地で、反米軍基地の運動が盛り上がった
 それで米軍は、1972年までアメリカの占領下にあった沖縄に、多くの基地と訓練場を移したのだ。
 おわかりか。
 沖縄は戦争中には本土を守る為の捨て石にされ、戦後には日本国内の米軍基地を移す場所にされと、二度も犠牲にされたのだ。
 安倍政権で官房長官であった菅義偉氏と対面した沖縄県知事は、沖縄の苦しい状況を理解してもらおうと、その歴史的経緯を菅氏に語ろうとした。
 その沖縄県知事に、菅氏はこう答えた
「戦後生まれだから、歴史の事を言われても」
 まさに「聞く耳持たず、相手の立場を理解しようとする思いやり皆無」である。
 これが「苦労人」だの「庶民宰相」だのと持ち上げられ、菅義偉という人の正体なのである。
 そしてこの冷酷で歴史に無知かつ無関心な新首相を、六割を越える国民が支持している
 この数字と菅首相の持ち上げられ方を見ると、「日本の大衆がいかに愚かか」がよくわかる。
 大衆はイメージのみで判断し、過去の歴史やデータをもとに脳味噌を使って思考するということが、とことん苦手なのだ。

 先週も記事に書いたが、菅新首相が叩き上げの苦労人で、よく努力してきた人であることは事実だ。
 だから「苦労人なら庶民に優しいだろう」と期待する人は、断言するが愚かである。

 例えば良い家に生まれて恵まれた暮らしをして育った人は、大ざっぱに言って二通りに分かれる。
 あの太宰治は津軽で有数の富豪で国会議員などの政治家も出してきた津島家に生まれ、恵まれた暮らしをしてきた。
 そしてその自分が恵まれて育ったことに常に罪悪感を持ち、貧しい庶民の味方であろうと思い、一時期は共産主義に走ったりもした。
 このように「恵まれた育ちをした」ということに罪悪感を持ち、だから恵まれない者に深い同情心を持つ者がいる一方で、己の家柄と財産に選民意識を持ち、家柄も良くなければお金も無い庶民を見下す者も、間違いなくいる。
 家柄で跡を継いだ二代目や三代目の社長や、親や祖父の代からの政治家などに、その種の嫌な奴が事実よく存在するではないか。

 人並み以上に努力して出世した叩き上げの苦労人もまた、大きく分けて二通りいる。
 世間の大衆が期待するように、自分が苦労してきたからこそ弱い者に優しいという人もいる。
 しかし同時に、その真逆の“苦労ゆえに冷酷になる人”も間違いなく存在するということを、世の皆に知ってほしい。

 筆者自身のことについて、少し書こう。
 以前にも書いたことだが、筆者は小柄で、しかも病弱だった。
 さらに「東京から地方に引っ越してきた余所者でもある」というデメリットも加わった。
 当然、子供の頃は学校でイジメに遭った。
 助けてくれる正義の味方など、現実には誰もいない。
 だがイジメられ続けて生きるのは悔しい。
 だから筆者は、頭と体をフルに使い、文字通り死にものぐるいで戦った。
 一方では状況や戦力を醒めた頭で計算しつつ、しかし命懸けるくらい必死に、それこそ狂ったように喧嘩するわけだ。
 で、何度も「黒沢が発狂した」と周囲の者に言われるくらいの暴れた結果、「アイツにちょっかい出すとヤバいから、手は出さないでおこう」ということになった。
 殺されても構わないくらいの気概で喧嘩も辞さなかったから、筆者は「ヤバいヤツ」扱いされるのと引き替えに、イジメの対象から逃れられたのだ。

 で、その結果、筆者がどんな人間になったか。
 イジメをするヤツは、もちろん嫌いだ。
 けれど抵抗もせずにイジメられている者を見ても、実は苛つくのだ。
 可哀想と同情するより先に、「気合いを入れて死ぬ気で戦えば、何とかなるのに」と歯がゆく思ってしまうのだ。
 筆者は誰にも助けられず、チビで病弱な余所者なのにたった一人で戦い独力でイジメを跳ねのけてきた。
 その自負があるから、「何故戦おうとしない!?」と思ってしまう。
 筆者には出来たのに、「そんな事、出来ないよ」とグズグズ言っている者を見ると良い気持ちになれない。

 例えば菅新首相は家出同然で秋田の家を出て、働いて自分で学費を稼いで大学を卒業した。
 そんな菅首相が、「お金が無くて困っています。どうか国で補助してくれませんか?」と願う学生にどんな気持ちを持つか、容易に想像できる
「金が無い? だったら国など頼らず、自分で働いて稼げばいいじゃないか。俺はそうしたぞ」

 その心理と思考は、菅首相のスローガン、「自助・共助・公助」にもよく表れている。
「まずは自分でとことんやってみて、次に家族や地域で助け合い、それでも駄目なら最後に政府がセーフティーネットで支える」という意味だ。
 それを「もっともではないか」と思う人もいるだろう。
 だが例えばこのコロナ禍で倒産寸前の人に「まず自助、自分で頑張ってみて」と言えるか?
 生活保護を受けなければ餓死や凍死してしまうホームレスの人に「まず自助だよ、自分で頑張れ」と言えるか?
 自助をトップに掲げて最後に公助を置く菅首相に、筆者は自力で成り上がってきた「俺は出来たんだ、何故お前は出来ない」という新自由主義者の冷酷さを強く感じる。

 何しろ菅首相は、この国を小泉元首相と共に格差社会の作り替えた新自由主義者の竹中平蔵と親しい人だから。
 自力で首相まで登り詰めてきた人だけに、出世できない人、儲けられない人は、ただ努力が足りないように見えるのだろう。
 その菅首相の思考は、彼が手がけたふるさと納税制度によく表れている。
 ふるさと納税制度とは、何か。
 
端的に言えば、お金持ちが節税出来て返礼品も貰える制度である。
 だから日々の生活に追われている者はこの恩恵に全く浴せず、得をしたのは小金持ち以上である。
 そしてこのふるさと納税が欲しいが為に、各自治体で返礼品競争を産み、高額な返礼品が問題となった
 この問題ばかりのふるさと納税制度に、それを推進した菅氏はこう言っている
「私は努力したところがもっと報われるような仕組みでないといけないと思う」
 だからふるさと納税制度は正しくて、財政難の地方を国が援助する「地方交付税制度はおかしい」と言い切る
 筆者には菅氏の言う「努力したところが報われる」というのは、「強い者が報われる」という意味に思えてならない。
 だがこの「金のある者が節税でき、自治体の返礼品競争を産む」という問題点を指摘した官僚は、内閣で人事を握っていた菅氏(当時は官房長官)によって問答無用で左遷された

 菅氏は地方交付税制度に対する不満に絡め、出身地の秋田の田舎の学校についてこう言った。
 全校生徒50人程度の義務教育の学校に「立派な体育館もある。こういうことをやっていける仕組みはおかしい」と。

 義務教育は、たとえ過疎の僻地であろうと、大都会であろうと、平等に同じ教育を受けられるのが筋ではないか。
 だが菅氏の論理では、「田舎の少人数の学校は、設備もショボくて構わない」という話になる。
 だから菅氏の故郷である旧雄勝町秋ノ宮では小学校が廃校になり、周辺の四校と統合され雄勝小学校となった
 菅氏が首相となって秋田県、特に地元の湯沢市は大喜びだが。
 菅新首相が地方、特に故郷に優しくしてくれると期待している人は甘い。
 呆れるほど甘すぎる。
 菅新首相は強い者の味方の新自由主義者で、弱い者や弱い地方は容赦なく切り捨てる人だ。

 この菅新首相という人は、ただ弱肉強食を是とする新自由主義者であるだけでなく、厚顔無恥の嘘つきでもある。
 例えば自民党の総裁選の討論会で、岸田氏はアベノミクスが生んだ格差を問題とし、「成長の果実を中間層、中小企業、地方に広げ、ベースアップに取り組んだ企業に税制優遇を行い、最低賃金を引き上げる」よう提案した。
 それに対し菅氏は「安倍政権で雇用が四百万人増え、総雇用者所得は8%増えている。正規雇用も百五十万人増え、最低賃金も20%引き上げ、低所得者の生活も改善している」と述べた
 しかし事実はこうだ。
 安倍氏とそのお仲間が「悪夢のような」と言う民主党時代には35.2%だった非正規雇用の割合が、安倍政権が長く続いた2019年には38.3%に増えている。
 例の「四百万人の雇用を作り出した」と言うのも、実は安倍政権下で増えた465万人の雇用のうちの350万人までが非正規である。
 安倍氏の口癖の「悪夢のような」民主党政権の2012年の実質賃金指数を100とすると、実は安倍政権下の2018年にはそれが96.44に低下している。

 さらにアベノミクスと異次元の金融緩和で、物価は0.5%上がっている
 菅氏は「総雇用者所得は8%増えている。低所得者の生活も改善している」と言うが、8%も所得が増えた、生活が良くなったと実感している低所得者がどこにいる?
 儲かったのは、金持ちと不動産業者と大企業の従業員限定だろうが。


 菅氏は「正規雇用が増えた」と言うが、これも安倍政権とアベノミクスのおかげではない。
 例えば15~34歳の男性の失業者は、2012年には64万人だったのが、2019年には34万人へと減った
 だがそれはその時期に、15~34歳の男性の人口が98万人減ったからだ。
 単に日本の高齢化が進み15~34歳の人口が減ったから、アベノミクスと無関係に若年労働力が不足となり、雇用改善が起きたに過ぎない。
「民主党の時代に若者は就職難だったのに、安倍政権で働けるようになった」と威張っている安倍政権の支持者は、はっきり言って数字やデータを読めない阿呆だ。
 このように菅氏は、自分に都合の良い数字だけ持ち出して、自分が支えてきたアベ政治を称えている。

 菅義偉という人は、忖度政治を産んだ内閣人事局による人事の掌握にも、森友・加計問題にも、桜を見る会の問題にもかかわっている。
 河合元法相の妻を議員にする為に一億五千万円も援助したのも、黒幕は菅氏
だ。
 安倍政権で行われた後ろ暗い悪いことのほぼ全てに、この菅義偉という人が絡んでいるのは明白ではないか。
 つまり菅義偉とは、アベ政治の暗部そのものなのだ。
 こんな人が庶民に優しい首相になる筈が無い。

 新自由主義者で、弱肉強食が当たり前と思っており弱者や地方に対する思いやりなど欠片も無い。
 歴史を知ろうともせず、意に添わない官僚は左遷し、沖縄どころか地元の秋田も含めて地方は冷遇し、何でもオレ様の思う通りにしたい。

 安倍政権の悪事に全てかかわり、それに対する追求は「全く問題ない」と「そのような指摘は当たらない」で済ます。
 菅義偉という新首相、「秋田から出て来た土人」はこんな人である。

 呆れるのは、こんな見え見えの悪党を6割を越える国民が支持しているという現実だ。
 不支持を表明している国民は、筆者を含めて1割強しかいない。
 あのヒトラーとナチスだって、国民が支持して民主的な普通選挙で己の一票を投じなければ政権の座に就けなかったし、恐ろしいホロコーストも第二次世界大戦も起きなかったのだ。
 筆者は小泉純一郎政権誕生以後の日本の政治に、民主政治の限界と衆愚政治化を痛感している。

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菅新首相と女性政治家の資質(アファーマティブ・アクションという暴挙)

 少し古い話だが、新しい自民党の総裁と首相に菅義偉氏が就任した。
 で、その首相の座を賭けた総裁選に「女性の候補者がいない」という事が一部で問題にされた。
 と言うより、そもそもこの国では「女性の政治家が少ない」という事が問題にされている。
 同時に、「企業の経営陣や管理職に女性が少ない」ということも。

 話は少しずれるが、アファーマティブ・アクション(affirmative action)というアメリカ英語をご存知だろうか。
 肯定的措置または積極的是正措置という意味で、歴史的や社会的に不利な立場に置かれている弱者集団を、進学や就職や職場での昇進で優遇しようという措置のことだ。
 イギリスや欧州諸国でも同様の措置が実施され、一般的に肯定的差別と呼ばれている。
 このアファーマティブ・アクションによりアメリカでは、黒人とヒスパニック、そして女性が優先的に大学に合格させてもらい、就職でも昇進でも優遇されていることが少なくない

 歴史的、あるいは社会的に差別されてきた弱者を、対等な立場に引き上げる為に優遇する。
 この理念自体は良いことである。
 だがこれを現実に、しかも一気に実行するとなると、大変な弊害が社会にもたらされるのだ。

 アファーマティブ・アクションを実際に行ったアメリカでは、現実にどうなったか。
 例えばある警察では、まず女性の成績優秀者を昇進させ、次に黒人の成績優秀者を昇進させた。
 その結果、白人の男性警官は、どれだけ優秀であっても決して昇進出来なくなった。
 だから馬鹿らしくなった優秀な白人警官が大量に退職し、その警察全体のレベルが下がった。
 近年、アメリカで白人警官による黒人に対する暴行が問題になっているが。
 その根底には、私見だがアファーマティブ・アクションによる特に白人男性警官の質の低下と、白人男性警官の黒人に対する反感の高まりもあるのではないか。

 また、アメリカでは大学でも黒人やヒスパニックは低い点数でも合格させている例が少なくないが。
 その結果は、どうなったか。
 低い点数で合格させて貰った黒人やヒスパニックの少なからぬ学生が落ちこぼれ、中途退学する結果になった。
 さらにアファーマティブ・アクションによる救済など必要なかった元々優秀な黒人やヒスパニックの学生は、周囲や世間から「どうせアファーマティブ・アクションで“下駄”を履かせて貰って入学した馬鹿学生なのだろう」と見られるようになり、特に黒人やヒスパニックの医学生など、最初から「藪医者」と思われるようになってしまった。

 で、幾つものアメリカの大学が、アファーマティブ・アクションによる黒人やヒスパニックの学生の優遇を止め、人種や性別に関係なく成績のみで公平に合格させるよう制度を戻した。
 その結果、落ちこぼれて退学する黒人やヒスパニックの学生が減り、「ちゃんと卒業する黒人やヒスパニックの学生の数は、アファーマティブ・アクションをしてもしなくても変わらない」ということが実証された。
 アファーマティブ・アクションを推進させたい人達は、「黒人やヒスパニックの学力が低いのは歴史的あるいは社会的な差別のせいで、アファーマティブ・アクションで高等教育を受けさせれば追いつく」と主張しているが。
 アメリカの大学の実態を見れば、それが大間違いであるということがわかる。

 日本でも、フェミニズムで著名な上野千鶴子氏がこう豪語している。
「就職口の可能性があるとき、私自身は、できるだけ意図的に女性を推すようにしている。候補者が2人以上いて能力が等しければ、もちろん女性の方を、それどころかもし女性の方に若干問題があっても、やはり女性の方を推すことにしている。つまり、あからさまに男性に逆差別を行使しているのである。女性はずっと差別されつづけてきたから、少々の逆ハンディをつけなければ、男とはとうてい対等にはなれないからである」
 平たく言えば「私はあからさまに男性を逆差別し、能力が劣っても女性を優遇する。でなければ男と対等になれないから」ということだ。

 アファーマティブ・アクションは、ただ「長年差別されてきた、女性や黒人やヒスパニックも公平に採用しよう」というような、単純な話ではないのだ。
 正確には「女性や黒人やヒスパニックを、不公平に優遇して採用しよう」ということなのだ。
 定員は同じなのだから、つまりは「能力の劣る女性や黒人やヒスパニックを採用する分だけ、優秀な白人男性を落とす」ということである。
 これもまた「性別や人種による差別」である上、結果的にその職場や学校のレベルを引き下げている

 女性や黒人やヒスパニックに対する差別を解消する為に、白人男性を不公平に扱い、特に若い世代の白人男性に泣いてもらおう。
 ズバリこれが、アファーマティブ・アクションや肯定的差別というものの正体である。

 このアファーマティブ・アクション、日本では「肯定的差別」と呼ぶと憲法14条に違反するおそれがあるので、「差別」を用いた単語の使用を避け、アファーマティブ・アクションは「積極的格差是正措置」と訳される。
 そして特に女性に対する積極的改善措置のことを、「ポジティブ・アクション(positive action)」と呼び、厚生労働省が中心となって女性の活躍や男女格差解消を推進している
 ポジティブ・アクションとは、英語のaffirmative action(肯定的措置)とpositive discrimination(肯定的差別)を組み合わせて造語した、和製英語である。

 このポジティブ・アクション(アファーマティブ・アクション)は、日本では主に男女格差の是正について問題にされている。
 確かに今の日本の中高年の男性は、女性より優遇されて良い目を見てきたかも知れない。
 だが今になって「ポジティブ・アクション(アファーマティブ・アクション)だ、能力が劣っていても女性を採用あるいは昇進させよう!」という話になったら、差別され馬鹿を見るのは優秀な男性、それも主に男女の格差とあまり縁の無い、別に「男だから」と得をしてもいない時代に育った若い男性である。
 そんな男女差別に関係無く育った、主に若手の優秀な男性のやる気を削ぎ、学校や職場など全体のレベルを落として男女格差を一気に是正して何の意味があるかと、筆者は上野千鶴子氏に怒りたい。

 もちろん筆者も、「男女差別はいけない」と思っている。
 近年、さる医大で男性と現役学生を優先して採用していた事実が発覚し、大学は世間から厳しい避難を浴びたが、入試も就職も昇進も、筆者は「性別に関係なく、能力と適正のみで合否や採用や登用を決めるのが当然」と考えている
 だが上野千鶴子氏が主張しているような「能力が劣っていても女性を優先すべき!」という逆差別は、心底から愚かだと考える。
 ただ学校や職場のレベルが下がるだけでなく、世の中の人口の半分を占める男性のやる気を削ぎ、この国を駄目にしてしまう。
 現に厚生労働省も、日本で行おうとしているポジティブ・アクション(アファーマティブ・アクション)について、こう述べている。
「単に女性だからという理由だけで女性を“優遇”するためのものではなく、これまでの慣行や固定的な性別の役割分担意識などが原因で、女性が男性より能力を発揮しにくい環境に置かれている状況を“是正”するための取組なのです」

 男女格差は、確かに現実のものだ。
 だが徐々にではあるが、是正に向かっている。
 そして長い歴史のある男女格差(差別)を完全に無くすには、それなりの時間も必要なのだ。
 それを一気に是正しようとして焦る余りに、「有能な男をけ落とし、代わりに能力の無い女を登用して、格差の是正を今すぐ実現しろ!」と主張する上野千鶴子氏とそのお仲間は、社会を壊そうとする過激なテロリストである。

 話をここで、自民党の総裁選に女性の候補者が立たなかったことに戻そう。
 例えば新総裁(新首相)に選出された菅義偉氏は、家出同然に秋田の家を出て、働いて自分で学費を稼いで法政大学に通った。
 そして卒業後、就職するも「世の中を動かしているのは政治だ」と考え、小此木彦三郎元通産相の7人いた秘書の最も下で政治を学んだ。
 そして十年以上の下積みの後に横浜市議となるのだが、選挙戦では靴を五足履き潰すほど選挙区を歩き回ったという。
 その努力の甲斐あって市議となると、菅氏は頭角を現し“影の市長”と呼ばれるまでになった。
 さらに地盤でない地で、知名度も資金も無いまま衆議院議員に立候補し、誰にも見向きもされなくとも毎日朝6時から駅前に立ち深夜まで頭を下げ続けた。
 今度の新首相は、こんなに凄い努力の人なのだ。
 それだけでなく、菅氏と親しい竹中平蔵氏は、菅氏を「地頭が良い」と褒めたという。

 ただ男であるというだけでなく、「ものすごく努力する上に、頭も切れる」という人が、この国の男の政治家にはいるのだ。
 また、党首や派閥の長になる政治家は、多くの仲間の政治家の面倒も見ている
 フェミニストや“リベラル”な人達は、ただ顔ぶれだけ見て「総裁(首相)の候補者に女性がいないのが残念」とか「そもそもこの国には女性の政治家が少ない、日本は遅れている」などと不平を言うが。
 では問うが、今の日本の女性の政治家に、菅氏ほどよく努力して頭も良く、かつ気概もあり仲間の面倒も見てきた人がいるだろうか?
 今の日本に女性の自民党総裁(首相)の候補者が居ないのは、ズバリそれだけの能力と器を備えた人材が現実に女性の政治家に居ないからだ。
 よく言われる「ガラスの天井」のせいなどでは決してなく、今の日本の女性の政治家の質そのものが劣っているのだ。
 稲田朋美氏が将来の首相候補だなど、氏が閣僚だった頃の情けない言動、また議員としての非常識な言動を見ても笑止千万である。
 菅内閣の副大臣に登用された、高校を二日で中退したから基礎的な教養が無いのか軍国日本が侵略戦争に使ったスローガン八紘一宇を礼賛し、かつ暴行で逮捕歴もある三原じゅん子氏については、こんな女性に一票を投じて国政を託した有権者を批判するのすら馬鹿らしい
 リベラルやフェミニズムに染まった高学歴の女性に多い、「総裁(首相)の候補者に女性がいない」とか「この国には女性の議員が少ない」とかの不満を言う輩には、「女も政治家として皆が認めるほど努力し、かつ能力を見せてから言え!」と叱りたい。

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安倍政権の支持率に大衆の愚かさを痛感する

 筆者は歴史が好きで大学でも日本史を専攻してきたが、歴史を学べば学ぶほど「大衆と言うか民衆は愚かだ」と思わざるを得なくなる

 例えば卑怯者でずる賢い上に、政治的にはまるで無知で後白河法皇にうまうまと利用された源義経が、「判官びいき」という言葉を生んだように大衆の人気と同情を強く集めている。

 また、愚鈍な暴君が失態の挙げ句に「殿中で刃傷」という暴挙に及んで処罰されたのを逆恨みして、何の非も無い吉良上野介を襲ってその家来共々殺害したテロリストでしかない赤穂の遺臣を“赤穂義士”と持ち上げ、吉良を徹底的に貶めたフィクションの芝居『忠臣蔵』が、今もなお人気で上演され続けている。

 さらに“維新”というだけで、その中身もろくに知らずにイメージだけで良いことのように思い込み、これまた自分が政権を握る為に世を乱したテロリストを“勤王の志士”と持ち上げ、苦境の中で頑張った幕府の人間を時代遅れで何も出来なかった間抜けの集団のように貶めて。
 それだけでなく、ただその一方的な良いイメージで維新という名を党の名にも付け、そしてその維新を名乗る党が一定の得票を得ている有り様だ。

 つい近年も、熱心な新自由主義者で国と国民の財産を民間と外資に売り渡し、この国を“派遣さん”ばかりの酷い格差社会にした小泉純一郎氏が、ただワンフレーズのキャッチコピーが上手いというだけで、八割もの国民から支持を得ていた。

 そして大衆の知性と理性に対する筆者の絶望に、止めを刺してくれたのが、つい最近の安倍政権に対する支持率だ。
 安倍氏が辞任を発表すると、その記者会見を見た国民が大いに同情し、下がりつつあった支持率が一気に20%も跳ね上がったのだ。
 そして安倍政権への評価も、「良くやった」と「まあ良くやった」と合わせると、何と70%を越える始末だ。
「あなた方は正気か!?」と、国民に心から問いたい。

 街頭インタビューでは、無名の一国民が「いろいろあるけど、昔から見ればよくやってくれた」と言っていたが。
 本当にそうだろうか?
 安倍政権と言えば、支持される理由の第一は常に「他の人より良さそうだから」で、その“他の人”とはおそらく民主党政権を指すのだろうが。
 それほど今の国民には、民主党政権がトラウマになっている。
 だがここで、イメージではなく事実で冷静に「安倍政権は、本当に民主党政権よりマシか?」を考えてみたい。

 まず、異様な長期政権となった安倍政権の“業績”を、ざっと振り返ってみよう。
 憲法9条の解釈変更による集団的自衛権の行使を容認した安保関連法案(日本を戦争の出来る国にした、いわゆる戦争法案)の、数の力による強行可決。
 平成の治安維持法とも呼ばれる共謀罪も、これまた数の力で強行可決。
 特定秘密保護法案を成立させるのと平行して、国民の財産でもある公文書の改竄と廃棄を進め、情報は極力国民から遠ざけ、都合の悪いことは国民に知られないように全力を尽くす
 沖縄イジメにも力を尽くし、辺野古の美しい海も、反対する現地の人に土人と罵声を浴びせ、機動隊を動員して埋め立てる
 森友・加計問題桜を見る会と、自分のお友達は国民の財産を使ってでも優遇する。
 配下の河合夫妻には選挙資金に一億五千万円も与えて、強引に当選させる
 内閣人事局を作って官僚の人事を一手に握り、出世できるのは佐川氏のような“忖度マン”ばかりにして、真っ当な官僚のやる気を削いでしまった。
 マスコミを依怙贔屓して、批判的なマスコミは徹底的に叩く反面、尻尾を振るお気に入りのマスコミを使って大手のメディアを政府公報の道具とした
 国会答弁で「讀賣新聞に詳しく書いてあるから、それを読んでいただきたい」と堂々と、恥ずかしげも無く答弁できるあたりに、安倍氏のマスコミに対する姿勢がよく現れている。
 だから「悪夢のような」民主党政権下では11位だった国際的な報道の自由度が、安倍政権下で60位よりも下にまで急落した。
 これはただ韓国だけでなく少なからぬ発展途上国よりも下で、先進国中では最低である。
 国会では、首相の身でありながら議長に制止されるまで野党議員に野次を飛ばす。
 それどころか国をまとめるリーダーの筈なのに、自分に批判的な国民を指さして「こんな人達には負けるわけにはいかない!」と叫び、国民の融和でなく対立を煽る
 異常な低金利を長く続け、おかげで国民は預貯金に頼れなくなり、リスクのある投資に手を出さざるを得なくなった。
 それで財産を失った人もいる他、利息の運用からも利益を得ていた保険等の料金も上がった
 これが安倍政権である。

 民主党政権は確かに無能で何も出来なかった。
 しかし何も出来なかった代わり、安倍政権のような悪いこともしなかった
 つい最近の朝日新聞の世論調査で、安倍政権の成果について「良くやった」あるいは「まあ良くやった」と答えた七割の国民に問う。
 安倍政権は「良くやった」どころか、「悪いことばかりした」のではないか?
 民主党政権は、こんなに悪いことをしたか?
 安倍氏とそのお仲間は、民主党政権時代を繰り返し「悪夢のような」と例えるが。
 筆者から見れば安倍政権下の八年弱は、まさに暗黒時代そのものだ。

 と言うと、支持者たちは安倍政権の成果に「アベノミクスがあるじゃないか、経済が持ち直したぞ」と言うだろうが。
 政権に洗脳されてイメージ先行でそう思い込む前に、論理と数字でアベノミクスを冷静に考え直してみよう

 アベノミクスは、デフレからの脱却を目指した安倍首相の経済政策だが。
 果たしてアベノミクスでデフレは脱却したか?
 金融の異次元緩和の結果、円が安くなって株価が上がったが、起きたことはただそれだけだ。
 そしてアベノミクスで2%のインフレを目指したが、結果の物価上昇率は0.5%に過ぎない
 何故か。
 儲かったのは大企業や、あと不動産業などの特定の業種だけで、中小や零細企業や非正規労働者までお金が回らなかったからだ。
 アベノミクスによる賃上げと株高で潤ったのは、ズバリ富裕層だけである。
 安倍氏が幾度も口にしたトリクルダウンという言葉通り、安倍氏は「下々の者はおこぼれを貰えば良い」と思っていたのだ。
 あくまでも大企業と富裕層優先なのだ。
 何故庶民たちがそれを理解できず、庶民たち自身が与党に一票を要れ安倍政権を選挙で勝たせ続けてきたのか、筆者にはその自虐的な行動と心理が理解できない。

 それだけではない。
 例えば安倍氏の支持者は、「アベノミクスで雇用が良くなった」と言う。
 だが安倍氏とそのお仲間が「悪夢のような」と言う民主党時代には35.2%だった非正規雇用の割合が、安倍政権が長く続いた2019年には38.3%に増えているのだ。
 辞任を表明した8月28日の会見で、安倍氏は「四百万人の雇用を作り出した」と自画自賛した。
 しかし安倍政権下で増えた465万人の雇用のうちの350万人までが非正規なのである。
 平たく言えば安倍政権とアベノミクスは、この少子化の国で経済的に結婚できない、あるいは結婚しても子供を産めない非正規雇用を増やしたに過ぎない

 もう一つ数字を挙げよう。
 確かに安倍政権下のアベノミクスで景気拡大は71ヶ月も続き、株価も二万円台を回復し、企業収益も過去最高を記録した。
 しかし例の安倍氏とそのお仲間が言う「悪夢のような」民主党政権の2012年の実質賃金指数を100とすると、安倍政権下の2018年にはそれが96.44に低下しているのだ。
 おわかりか?
 安倍政権下で、実は賃金は「悪夢のような」民主党政権時代より下がっているわけだ。
 しかもアベノミクスと異次元の金融緩和で、物価は0.5%上がっている
 国民の皆さんよ、民主党政権を「悪夢のような」と呼ぶなら、それよりも非正規雇用が増えて低賃金になっている安倍政権時代を何と呼ぶ?

 現実には安倍政権下で非正規雇用が増えて賃金は減り、儲けているのは大企業と不動産業者や株関係者など一部の者だけである。
 この数字と実態を見ずして、「民主党政権は悪夢」とか「また民主党政権に戻るくらいなら、安倍サンの方が良い」という人は、コチコチの右翼を除けば「自分は儲けているお金持ち」か「頭の悪いマゾの人」のどちらかに違いないと断言できる。

 儲けている一部のお金持ちならともかく、安倍政権に実は損をさせられている大衆まで安倍氏に洗脳されるかのように何故「民主党は悪夢、それよりはマシ」と思い込むのか、筆者にはまるで理解できない。
 要するに大衆や民衆は脳味噌をしっかり使わず、何事もイメージで直感的に判断していて、「数字や現実をもとに、じっくり考えてから結論を出す」ということが嫌いなのだろう。
 で、そうした「イメージと直感」の人達に選ばれるのが議員で、内閣の支持率もそれによって出されているのだ。
 だから民主政治はしばしば衆愚政治に陥り、ヒトラーやその同類を当選させるのだ。

 大日本帝国の昔が恋しい歴史修正主義者やネトウヨではないのに安倍政権を支持する人が少なからずいるのは、「アベノミクスの成果で経済が良いから」と考えているからだろう。
 しかし「アベノミクスの成果」と考えられているものの大半は、世界経済の回復の追い風によるものだ。
 だから安倍政権下で株高・円安が急ピッチで進んだのである。
 だが今は、世界中がコロナ禍の最中である。
 世界経済が順風でなくなるこれから、日本の経済も苦しくなるだろうしアベノミクスも行き詰まるだろう。
 その意味で「安倍氏は良い時期に逃げ、後任の首相は貧乏くじを引く羽目になるだろう」とも言える。

 先の数字で示したように、安倍政権は格差是正にまともに取り組む気が無かった
 日本経済の最大の問題は、一見豊かに見えて、実はその中にかなりの貧困が存在することである。
 日本は富の蓄積が大きいが、相対貧困率が約15%も存在し、そしてその弱者を切り捨ててアベノミクスを進めて来た。
 そしてコロナ禍で、弱者がより痛む構図をもたらしている。

 それにしても、我が日本国民は「安倍政権と民主党政権の、それぞれがした事としなかった事」を冷静に見比べる事すら出来ず、数字やデータを確かめてみることも面倒がり、ただイメージで「民主党はこりごり、まだ安倍内閣の方がマシ」と決め付けているのだから、その知性と論理性と冷静さの無さに呆れる。
 さらに安倍首相が辞任を発表すれば、「これで平成から令和にかけての長い暗黒時代が終わった」と喜ぶのではなくて、それどころか「安倍内閣の支持率が20%も急上昇し」、「70%の人が安倍政権は良くやったと思う」のだから、今の日本の大衆の民度の低さには心から絶望させられる。

 繰り返すが、安倍政権に踏みつけにされ痛めつけられている大衆自身が、その安倍政権を支持しているのだ。
 日本国民よ、あなた方は苦しめられることに快感を得ているドMか!

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石垣のりこ議員の発言は正しい!(これを謝らせるだらしない立民指導部だから選挙に負ける)

 貴方は野球のチームの投手だ。
 だが肘に持病を抱えており、いつ試合中に投げられなくなるかわからない。
 もしそうなったら自分は試合を放り出すことになり、チームも苦境に陥る。
 それでもどうしても、自分がエースとして試合に出て投げたい。
 そんな場合、貴方ならどうする?
 あるいは、貴方がチームの監督なら、そんな“ガラスのエース”にどう指示する?

 立憲民主党石垣のりこ議員が、8月28日に辞任を表明した安倍首相について「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」とツイッターに投稿し、それに「持病がある人を揶揄している」と非難が殺到して、同日夜に謝罪と釈明を迫られることになった
 さらに立憲民主党の枝野幸男代表まで「申し訳ありません」と謝罪し、「執行部として不適切であるとの認識を伝え然るべき対応を求めました」とツイッターで表明した

 さて、問題となった石垣議員のツイッター全文を見てみよう。

総理といえども「働く人」。健康を理由とした辞職は当然の権利。回復をお祈り致します。
が、「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」を総理総裁に担ぎ続けてきた自民党の「選任責任」は厳しく問われるべきです。その責任を問い政治空白を生じさせないためにも早期の国会開会を求めます。


 このどこに、石垣議員だけでなく党の枝野代表まで謝らなければならない不適当な部分があるのか、少なくとも筆者にはまるでわからない。
 非難する人は「難病の人を揶揄した!」と怒るが、このどこに首相が患った潰瘍性大腸炎の患者を揶揄する部分があるというのだろうか
 筆者には、至極当然のことを言ったに過ぎないようにしか見えない。

 まず潰瘍性大腸炎について簡単に述べよう。
 石垣議員を叩いている人達が言うように、潰瘍性大腸炎は難病である。
 まず原因もわかっていない。
 そして症状が治まる寛解期はあっても現状では完治が望めず、一度かかったら一生この病気と付き合っていかなければならないものなのだ。

 そして安倍首相は、この病気に17歳の時にかかっている
 つまり安倍首相は、問題の潰瘍性大腸炎と四十年以上も付き合ってきているわけだ。
 当然、この病気については熟知している。
 その怖さは、第一次安倍政権をこの病気で放り出した当人が最も良く知っている筈だ。
 再び首相の座に就くにあたり、再発の可能性を考慮していなかったとしたら、安倍氏はかなり馬鹿だ。
 アサコールという新薬が、安倍氏も驚くほど劇的に効いたと言うが、このアサコール、あくまでも症状を抑える薬であって、潰瘍性大腸炎を治す薬ではない
 これも安倍氏自身もご存知の筈だ。
 潰瘍性大腸炎は現状では今もなお完治しない難病であり、ストレス等で再発の恐れがある。
 もちろん首相という仕事は、ストレスが非常にかかる
 だからその持病のある身で「余人に代え難い」重職である首相の座に自らの意志で就くのなら、「いつ病気が再発して首相を続けられなくなるかも知れない」という可能性を考慮し、自分がいつ辞任しても混乱せぬよう後のことをきっちり決めておくのが常識、そして国政を自ら背負おうという者の責任感ではないか。
 石垣議員は、その当然のことを言っているだけだ。
 何故ツイッターが炎上して責められるのか、筆者にはまるで理解できない。

 いや、筆者には炎上の理由が“理解”できる。
 何しろ安倍政権下で急速に右傾化し、石を投げればネトウヨや歴史修正主義者に当たるようなこの国には、安倍首相を強く支持する岩盤支持層が大勢いるからだ。
 そして彼らは「民主党=急進左翼」とレッテル張りをしているトランプ大統領も顔負けに日本の旧民主党系の人を毛嫌いし、旧民主党系の人の言動についてどんな揚げ足でも取ろうと待ちかまえている
 そんなネトウヨや歴史修正主義者の性質なら、旧民主党系の人々が最も良くご存知の筈だ。

 さらに先月の世論調査では、23%もの人が安倍氏について「出来る限り長く首相を続けていてほしい」と回答していた
 23%だ。
 わかるだろうか、人数で言えば約2760万人だ。
 それだけの右翼系の国民が、安倍氏の辞任にガッカリしているのだ。
 だから誰かが、特に旧民主党系の人が少しでも安倍氏を責めるようなことを言えば、飛びついて揚げ足を取り炎上させるに決まっているのだ。
 ある意味、「予想できたこと」と言える。
 石垣議員だけでなく旧民主党系の人も「発言の内容は正当で、炎上も想定内」とドッシリ構えておれば良いだけのことなのだ。
 なのに枝野代表は庇うどころか、「申し訳ありません。執行部として不適切であるとの認識を伝え然るべき対応を求めました」と謝罪し、石垣議員を責める始末だ。

 安倍氏を見ろ。
 選挙中に、自分に批判の声を上げた国民を指さし「こんな人達に負けるわけにはいかない!」と大声を張り上げた。
 一国をまとめるべきリーダーでありながら、自分に反対する国民は公然と敵視して見せているのだ。

 枝野代表には、この安倍氏の面の皮の厚さと図太さが全く足りない。
 だから旧民主党系は、選挙で安倍自民に負け続けたのだ。

 枝野代表がこのように一部のネット世論、それも安倍氏の岩盤支持層のネトウヨの非難にビビって、正当な発言をした身内を叱る有り様なのだから、筆者は「立憲民主党は次の国政選挙でもきっと負ける」と痛感した。

 実は筆者もまた持病を抱えている身である。
 二十代の頃に、「日本で二十人目」という奇病にかかった。
 それで腹部に出来た胎児ほどの大きな腫瘍(約2.5kg)を切除する、七時間半もの手術を受けたのだが予後が良くなく、後遺症を抱え無理の出来ない体になってしまっている。
 だから出来ぬ仕事もあるし、人並みの仕事をこなすのにも人より多くの努力をしている
 そして体の不調で仕事に穴を開けて迷惑をかけないよう、慎重に行動している
 それだけに!
 このコロナ渦の最中に、コロナ対策だけでなくアベノミクスのつけやら、安倍政権での数々の疑惑やらを全て放り出して辞任する安倍氏には「無責任!」としか思えない。
 この時期に政権を放り出すのは、全く石垣議員の言う通り「危機管理能力のない人物」であるし、そんな安倍氏に「総理といえども“働く人”。健康を理由とした辞職は当然の権利。回復をお祈り致します」と労りの言葉もかけた石垣議員は優しいとすら、筆者は思う。

 筆者は大病をして、後遺症も持病に抱えているが。
 世間の職場はそんな病気の者に優しくないぞ。
 筆者が「病気で、スンマセン」と複数回も仕事を途中で放り出したら、「無責任だ!」と怒られるぞ。
 と言うか、大病の後遺症で仕事に支障があるようでは、まず職場に雇ってももらえない
 職場は福祉施設では無いのだからね。
 そして内閣、特に首相は仕事に支障のある難病の人を雇う為の福祉の仕事ではない

 だが安倍氏を責めると、例の安倍氏の岩盤支持層の右翼勢力が「持病がある人を揶揄している、酷い!」と騒ぐ
 そしてその種の、安倍氏には党規で決めた任期を越えていつまでも首相をやっていて貰いたいという国民が23%、約2760万人もいるのだ。
 その辞任を悲しむ安倍支持者が、石垣議員の正当な批判にも逆ギレして炎上させるのは、本当に想定内のことである。
 何しろこの世には、「理性や理屈より感情!」という人の方が多いのだから。

 冒頭の例え話に戻ろう。
 肘に持病のある“ガラスのエース”が、大事な試合で「どうしても自分が投げたい」と言う。
 気持ちを汲んで投げさせてやるのが優しさか?
 案の定、試合の大事なピンチの場面で「肘が痛くてもう投げられません、交代して」と言い出す。
 こんなエースを「無責任!」と責めてはいけないのか?
 試合はピンチで次を誰が投げるのかで揉めているという状況で、「苦しいのに、よく頑張ったね」と労わなければならないのか?

 もしどうしても、試合で肘に故障のある“ガラスのエース”に投げさせるなら。
 いつエースが降板しても良いように、早いうちから控えのピッチャーを準備しておくのが常識
だろう。
 そして安倍氏は、自分の持病をちゃんと自覚して、後を託せるそのリリーフのピッチャーをしっかり準備していただろうか?
 今の政界の混乱ぶりを見ると、とてもそんなようには見えない。
 安倍氏に「病気だから」と試合のピンチの場面でいきなり政権を放り出され、このコロナ渦の最中に、困っている国民をそっちのけで「次は菅だ、岸田だ、石破だ」と大騒ぎだ。
 そして呆れたことに、多くの国民が「うんうん、病気だから仕方ないよね、安倍サンはよくやった、安倍サンを責めるのは酷いよね」と、この現状に“理解”と同情を示している

 そもそも安倍氏は、急に激しい腹痛に襲われて救急搬送されたわけではない
 今年の6月頃から、徐々にその兆候は出ていたのだ。
 だからその頃から「またか」と覚悟し、これ以上続けられなくなったら政権をスムーズに移行できるよう根回しと準備をしておくのが、国政を担う者の責任感であろうに。
 しかし安倍氏はその責任感のかけらすら見せず、自らが首相連続就任記録最長を記録するのを待つように辞任した。
 そしてその無責任さを批判した石垣議員はネトウヨに叩かれ、さらには自党の代表にも叱られた。

 枝野代表にまで批判され、石垣議員は味方に背中を撃たれたような気分ではなかったか。

 立憲民主党の福山幹事長は、石垣議員を「“大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物”という表現は、不可抗力である疾病に対して使う言葉として不適切」と叱ったそうだが。
 果たしてこの潰瘍性大腸炎は“不可抗力である疾病”なのか。
 安倍氏はこの自分の持病が「完治しない」とわかっていたし、この病気で第一次安倍政権を投げ出した経験もある。
 この病気については熟知している筈
だ。
 そして再発の可能性も、再発したらどうすれば良いかも

 だいたい、一国の首相という要職と、一般国民の仕事を意図的に同一に捉えて「持病の再発を責めるのは酷い」と責めるのは筋違いだろう。
 首相という仕事には、普通の仕事よりも遙かに高い責任感が求められる筈だ。
 そして潰瘍性大腸炎という現段階では完治しない難病にかかっているならば、ストレス等で再発するならば、当然の準備が必要だ。
 それをしていないとすれば「無責任!」と批判されて当然だし、石垣議員はそれを批判しているのだ。
 安倍氏のその二度にわたる同じ持病での政権の投げ出しを批判したのを、「病気の人を揶揄した!」というように問題をすり替えて曲解するのだから、ネットを炎上させるネトウヨと安倍氏の岩盤支持層は恐ろしい。
 さらにそれをまともにとらえ、党代表自ら「ゴメンナサイ」と謝り、石垣議員にも謝らせてしまうのだから、立憲民主党のだらしなさとふがいなさには呆れかえる。


 石垣議員のツイートには、「難病は『癖』ではない」とか「病気と闘っている人を揶揄する表現」との非難がが相次いでいるそうだが。
 筆者も大病をし、後遺症を持病として抱えて生きている身だが、「後遺症と闘っているからと、周囲の人に甘えて迷惑をかけてはいけない」と考えているし、その為に人一倍頑張っている。
 だから石垣議員のツイッターにおける“問題発言”には全く同意するし、冷静に見れば非難しているのはどうせ23%の安倍支持者だからまともに相手にすべきではないにもかかわらず、代表自ら謝り、そして石垣議員にも謝らせた立憲民主党を情けなく思う

 そもそも、副総理とは何か。
 広辞苑によれば「内閣総理大臣に事故あるとき、またはその欠けたときに、臨時に総理大臣の職務を行うようあらかじめ指定された国務大臣の通称」、百科事典によれば「内閣総理大臣に事故があったとき、またはそれが欠けた場合に、臨時に総理大臣の職務を行うべきことを、内閣総理大臣によってあらかじめ指定された国務大臣」だそうである。
 副総理はどの内閣でも必ず任命されているわけではなく、副総理がいない内閣も少なくない。
 そして副総理は、飾りの名誉職ではないのだ。
 だから「安倍氏が辞任したら、残りの任期はそのまま副総理が総理大臣の職務を代行する」、それで良いではないか。
 それならば、ただ副総理が総理に代わるだけで、閣僚も基本的な政策も替わらず、一日の空白もなく政務が滞りなく進む。
 安倍氏のように難病の持病を抱える者こそ、総理になるのであれば自分の「もしも」の時のことも考えて副総理を選ばなければ無責任だ。
 もし「この国のトップが麻生副総理では駄目だ!」と言うのなら、そんな者に自分の後を任せられない人物を副総理に任命した安倍氏がひたすら悪い。

 麻生氏がこの国のトップとして適任かどうかは、別問題として。
 せっかく副総理がいるというのに。
 このコロナ渦でアベノミクスも行き詰まっている今、トップ不在で「次の総理は誰か!?」で大騒ぎしているこの国の政界と、それを許している国民(有権者)の現状が情けない。


 安倍氏に責任感があり、自分の病気も希望的観測で楽観せずに冷静に見ていたら。
 総裁選で自分を支持してくれた政治的な返礼ではなく、何かあった時(特に潰瘍性大腸炎の再発)に自分に代わりうる者を副総理に指名し、「次の任期まで頼む」と託していれば、この国の政治的な混乱もトップの不在も無かっただろうに。

 考えれば考えるほど、「安倍氏は無責任」で「それを支持してきて、石垣議員の当然の発言を責める有権者は愚か」という思いが深まってゆく。

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敵基地攻撃能力を認めさせようとする政府と、その危険に気付きもしない国民達。

 暴力はいけないが、正当防衛としての暴力は法律で認められている。
 同様に、我が国には憲法第九条があるが、それを文字通りに受け取って「武力は一切持たず、侵略されても戦わずに言葉で抗議するだけ」というのでは余りに非現実的なので、「自衛隊という軍隊ではないが戦力を持ち、侵略は許されないが自衛の為の戦いは認められている」というのが、一般的な憲法解釈としてほぼ定着している。

 ところが第九条を含む憲法を変えることに前のめりな安倍政権は、「日本を戦争の出来る国にしよう!」と必死である。
 例えば「日本が侵略されていなくても、アメリカが戦争する時には日本も一緒に戦いマス!」という、いわゆる戦争法案などが、良い例である。
 そして安倍政権はさらに、単なる自衛の枠を越えて敵国の基地を攻撃することまで検討している

 個人同士の喧嘩でも、売られた喧嘩から身を守る自衛の喧嘩のつもりでも、やり過ぎれば過剰防衛として罰せられることがあるように、国対国の戦争でもどこまでが正当な自衛か、その線引きはとても難しい
 例えば鎌倉時代の元冦だが。
 日本に攻めて来た元軍を、我が国の領内で迎撃して打ち払う。
 これは間違いなく、紛れもなく自衛の戦争だ。
 だがそこで鎌倉幕府の指導者が調子に乗って、もし大陸にまで反撃に出たら、それは「自衛の戦い」と言えるだろうか?

 話を現代の問題として語ろう。
 近隣の某国が、我が国に攻めて来たとする。
 で、自衛隊が奮戦し、敵国軍は日本領内から撤退を図った。
 その敗走する敵国軍を、我が国はどこまで追撃できるだろうか?
 厳密に法律を解釈すれば、「日本の領海・領空の範囲内まで」というのが自衛の戦いであろう。
 だが撤退する敵国軍はまだ戦力を残していて、敵国の基地や軍港では新たな軍が編成されているという情報もある。
 とすると、「領海・領空を越えて追撃して、侵略軍を撃滅せよ!」とか、「敵国の基地や軍港も攻撃せよ!」などと勇ましいことを言う輩も、必ず出て来るだろう。

 自衛の戦いは許されているというのが、多くの国民の共通認識だが。
 だがどこまでが“自衛の戦い”なのか、皆さんはわかっておられるのだろうか?
 ①戦いが許されるのは、あくまでも我が国の領海・領空の範囲内に限られる。
 ②再び侵略しようという意志をくじく為に敵戦力を可能な限り叩くべきで、領海・領空を越えての戦いも許される。
 ③侵略を防ぐ為なら、敵国の領内(敵国軍の基地や軍港や空港)まで攻撃できる。

 そのあたりの意思統一が、この国では全くされていないように思う。

 で、安倍政権が検討している「敵基地攻撃能力」とは、間違いなく③である。
「敵国が攻めて来たら、敵国領内の、敵の基地まで攻撃できる」
 これが我が国の国民が共通して考える“自衛の範囲内”とみなしてよろしいか?

 国民の充分な議論どころか、「自衛の戦いとは具体的にどの範囲までか?」と考えた事すら無い国民が大多数である現状で、「日本が攻められていなくても、アメリカ様の危機の際には馳せ参じて共に戦いマス」と勝手に決め、さらには「仮想敵国が攻めてくる兆候が見られたら、敵領内の敵基地まで攻撃するのが“自衛”だ」と決めようとする安倍政権に、筆者は強い危機感を抱いている。
 しかしこの安倍首相について、世論調査では23%もの国民が「出来る限り長く首相でいて欲しい」と願っているそうだ。
 さすがは、先の大戦(アジアを侵略し、さらに国力の差を無視して米英にも攻めかかった無謀な戦争)で積極的にお国を応援した日本国民である。
 ちなみに筆者は、安倍首相については「ただちに辞めてもらいたい」と思っている26%の国民のうちの一人だ。

 話は戻って、「侵略は許されないが、自衛の為の戦いは認められている」というのが、一般的な憲法解釈である。
 ただその戦いが「自衛の戦争」であるかどうかの判断も、国民には極めて難しいのだ。
 何故なら国家は山賊や海賊、あるいはショッカーなどではないから、「俺たちゃ悪の帝国だ、世界征服目指してさあ侵略するぜ!」などと公言する国はまず無い

 例えばナチスとヒトラーと言えば、悪の権化のように思われているが。
 ナチスドイツがポーランドに攻め込んで第二次世界大戦を始めた時も、彼らは「世界征服の手始めに、まずオマエの国から征服するぞ!」と公言して堂々と侵略したのではない。
 ナチスは自国の強制収容所から囚人を何人も連れだし、彼らにポーランド軍の軍服を着させてポーランド国境に連れて行き、そこで彼らを射殺して「ポーランド軍がドイツに攻め込んで来た!」と騒いだのだ。
 他国の者から見れば、ドイツがポーランドを侵略したのだが。
 当のドイツ人にとっては、「ポーランド軍が攻め込んで来たから反撃した」自衛の戦争であり、その死んでいるポーランド兵の“証拠写真”も新聞で見ているから、自分たちは正しい戦争をしていると信じていたのだ。

 日本の満州事変や日華事変もそうだ。
 満州事変は、奉天郊外の柳条湖の満鉄線路が爆破され、それを現地の軍閥である張学良の仕業として、日本軍(関東軍)は軍を動員して満州を占領するのだが。
 実はその発端である柳条湖事件は、関東軍参謀の板垣征四郎と石原莞爾、そして奉天特務機関の土肥原賢二の仕業であると判明している
 日華事変(日中戦争)は、北京郊外の盧溝橋で夜間演習中の日本軍が発砲を受けたことから、それを「中国軍の仕業」として日本軍が中国に戦争を仕掛けたものだが。
 この盧溝橋事件の犯人は不明だ。
 しかし夜間であり、被害者も殆ど出ていないのに、中国軍の仕業と決めつける方がおかしい。
 もし侵略者である日本軍を恨む中国軍の仕業ならば。
 もっと兵や武器を動員し、一斉射撃をして日本軍に多くの被害を与えたのではないか。
 それにそもそも、臨戦態勢でいつでも移れる日本に、敵対する中国軍が散発的に発砲するというのも不審である。
 さらに当時の現場の日本軍の指揮官は、後にインパール作戦で有名になる牟田口廉也で、彼はインパール作戦を始めるにあたり、「盧溝橋で最初の一発を撃ったのは俺だ、だから俺にはこの戦争を終わらせる責任がある」と語ってもいた
 それを考慮しても盧溝橋事件は日本軍の自作自演と考えるのが自然で、「中国軍が銃撃を仕掛けた」というのは無理がある。
 しかし当時の日本では、どちらの事件と事変も「中国人が日本に酷いことをするから、我が国と皇軍は当然の反撃をしてやった」と報じられた

 おわかりだろうか。
 第二次世界大戦を始めたナチスドイツも、満州や中国を侵略した我が国日本も、共に「相手が仕掛けてきたから、自衛の戦争をしたのだ」という自作自演をして、国民を騙したのだ。
 だからはっきり言うが、戦争については自国の政府も信用ならない
 大多数の国が「敵国が攻めて来た!」という自作自演をして、「侵略から祖国を守るのだ!」と言い立てて国民を戦争に動員するのだ。

 例えば筆者が近隣の仮想敵国と戦争をしたいこの国の指導者なら、こうする。
 今の日本には、親類縁者を亡くしたか、あるいは親類縁者と縁を切った身よりのない人が、少なからずいる。
 そうした人たちを、「良い仕事がありますよ」と誘って高給で集めるのだ。
 それが面倒なら、身よりのない犯罪者を刑務所から連れて来ても良い。
 そしてアクション映画を撮るのだと言って、仮想敵国の軍服を着させ、射殺する。
 その射殺死体を海沿いの要地にばらまき、「敵国が侵略してきた! それを我が国の自衛隊が反撃して倒したぞ!!」と政府の緊急速報で流し、報道陣も出来る限り現場に呼ぶ。
 侵略を受けたという政府の速報と、それを裏付ける仮想敵国軍の兵士の死体をメディアの映像で見て、「これはでっち上げではないか」と疑う国民が、どれだけいるだろうか。
 普段から仲の悪い、日本に軍事的脅威も与えている近隣の仮想敵国の兵士の死体を日本の領内で見たら、多くの国民は「侵略された、仕返しせねば!」と怒るのではないだろうか。
 だが現実は、我が国の領内に散らばる敵国の兵士の死骸を見ても、「侵略を受けたのだな」と信じ切り、「これは国の為に戦わねば!」と奮い立つのは危険なのだ。

 だから都市で爆発が起こり、「某国から飛んできたミサイルがX市に落ちました、被害が出ています!」と政府速報とニュース映像があっても、それもまた信用ならないのだ。
 日本以外の複数の他国の衛星画像から、それが事実だと証明されない限り、「某国からミサイル攻撃を受けた!」と信じてはいけない。
 何しろ今は、戦争はテレビゲームのように画像で放送される。
 だからその画像が悪意ある意図によって加工されたものでないか、慎重に確認する必要がある。
 その戦争がどちらが悪いのかの判断も、国連などによる多くの国の協議と証拠の検討が必要なのだ。

 おわかりだろうか。
「某国からミサイル攻撃を受けました!」という政府の速報を聞き、「即座に敵国の基地にミサイルを撃ち返して反撃しろ!」などと怒り出す人は、政府の悪だくみに簡単に騙されるチョロい奴である。

 繰り返すが、悪の帝国を自称し世界征服を宣言して侵略戦争を始める国など、まず無い
 ナチス政権下のドイツでさえ「ポーランド軍が攻めて来た!」と自作自演をして第二次世界大戦を始め、我が日本国も柳条湖事件と盧溝橋事件を自作自演しそれを中国のせいにして中国を侵略し、「八紘一宇だ、アジアを白人支配から解放するぞ!」と称して米英に戦争を仕掛け、アジアを侵略したのだ。
 侵略戦争をしたい政府も大義名分を口にし、正義の味方のふりをするのが、歴史の常識なのだ。
 だからくれぐれも言っておくが、戦争の際には政府を信じてはならない

 ドイツ人も、今では第二次世界大戦の始まりが自国による侵略だとわかっている。
 ところが我が国では違う。
 当時の大日本帝国政府の嘘、戦争を始める為の嘘の正義と大義名分をそのまま信じ、「日中戦争は中国が始めた、八紘一宇の精神でアジアを白人支配から解放しようとしたのだ! 悪いのはABCD包囲陣で日本を虐めた連合国だ!!」と、今も言い続けている“たわけ者”が、この国には少なからずいる。

 この国は自由の国だから、思想信条の自由はあるが。
 だが自由の国ドイツでは、ナチス思想を信じることも広めることも禁じられている
 あのナチスのハーケンクロイツのマークを掲げるだけで非難の的になるだけでなく、法律で取り締まられる。
 だが我が国日本では、今も「天皇は神の子孫だ!」とか「八紘一宇の精神でアジアを白人支配から解放しようとしたのだ! 悪いのはABCD包囲陣で日本を虐めた連合国だ!!」などとただ信じるだけでなく、その思想を世に広めることさえ公認されている。
 そしてその種の思想信条の自由の枠外の戯言を信じる愚かな日本人が、この憲政史上最長の安倍政権下で呆れるほど増えている。
 だから日本人は戦争法案にも怒らないし、辺野古の美しい海の埋め立てに反対する沖縄の人を平気で土人呼ばわりして謝らないし、さらに安倍政権が検討している「敵基地攻撃能力」についても何も感ずること無くスルーするのだ。

 心から呆れる。
 日本人は、いつからこんなに愚劣になったのか。

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醜い国、日本(我が国の民間人に対する戦争被害の補償に思う)

 唐突だが、貴方に問う。
 もしこの国で戦争が始まり、国に「若い男はもちろん、女子供も老人も、国民は全て戦争の遂行に協力せよ!」と要求されたら、貴方はどうする?
 筆者ならば、召集令状が来たら仕方なく戦争に行く。
 しかし徴兵の対象とされない女子供と老人に対しては、「国家と戦争に対する一切の協力を拒み、山にでも逃げて小屋を建て自給自足の生活をしろ」と言いたい。
 理由はズバリ、この国には一つしかない貴方の大切な命を捧げる価値が無いからだ。
 お国に命を捧げて戦争の犠牲になっても、この国は貴方を裏切り見捨てる。
 日本とは、そういう国だ。

 その事実を、これから証明しよう。

 先の大戦、誇大妄想狂で精神主義者の軍人が始めた無謀な侵略戦争で、日本は三百万人を越す犠牲者を出した。
 そしてそのうち約八十万人が、女子供や年寄りといった民間人だ。
 それだけではない。
 国策で満州などの外地に住んでいた約三百二十万人の民間人も、敗戦で引き揚げを余儀なくされ、酷い苦難を体験しただけでなく、財産全てを失った。

 で、当時の大蔵省の財務局長は、そうした被害についてこう言った。
「戦争というものは、よきにつけ、あしきにつけ、国の公の行為であり、地震とか津波と言った天災とは全く異なる」
 その通りである。
 戦争は人が起こした人災に異ならない。
 しかも先の大戦は、日本は自衛の為に侵略者とやむを得ず戦ったのではなく、我が国の政府が国策で侵略戦争を起こしたのだ。
 先の大戦については、非は全て我が国とその指導者にある。
 だからその“お国”が引き起こした戦争の犠牲者には国に責任があり、その損害に対しては国に補償する義務がある筈ではないか。
 しかし「戦争は国の公の行為で、地震とか津波と言った天災とは全く異なる」と言った大蔵省財務局長は、同じ口でこうも言った。
「全体としての国の財政能力には、そう大きな余力は無い」
「現実には(戦争被害は)国民一人一人が負担するもの」


 だからこの国は、自国が勝手に引き起こした戦争による民間人の犠牲者に、一切の補償をしようとしなかった
 それどころか、民間人に対する戦争被害の補償を堅く拒んだ。
 外地で全財産を失い、命からがら日本に逃げてきた避難民の同胞が、憲法の財産権を根拠に、国に対して補償を求めた。
 それに対し、当時の大蔵省の事務次官はこう言った。
「これは敗戦という異常事態で起こった事であり、憲法や平和条約の個々の規定でもって法律問題にしようとすること自体、無理がある」

 馬鹿か。
 戦争とは、勝つこともあれば、負けることもあるのが常識だ。
「我が国は戦争に決して負けない」
 そう信じている者がいるとすれば、間違いなく誇大妄想狂であるから、精神科の医師の診断と治療を受けることを勧める。
 敗戦は、決して“異常事態”などではない。
 勝つこともあれば、負けることもあるのが戦争で、敗戦を想定もせず勝つもの信じ込み、敗戦を異常事態と言う者がいれば、それは単に馬鹿である上に誇大妄想狂である。
 しかしそんな敗戦を想定すら出来ない者が先の大戦を始めただけでなく、戦後も大蔵省の事務方のトップに居続けたのだ。
 この国の指導者がどんなレベルの人間か、それだけでも想像がつくだろう。
 で、これは敗戦という異常事態で起こった事で、国の財政能力に余力は無いから、戦争被害については国知らない、国民一人一人が負担しろ……と。
 何と「優しく、国民思い」の国であろう。

 日本が連合軍の占領下を離れて再び独立国となる際に、日本は諸外国と平和条約を結んだのだが。
 その中で、日本は外地の日本と日本人の財産を放棄した。
 だから全財産を失って引き上げてきた同胞は、国に対してその補償を求めたのだが、それに対して政府はこう回答した
平和条約そのものが強制的に飲まされた条約なのであるから、このような事態による損害の補償を国に対して要求することはできない」
 平和条約が不満ならば、飲まなければ良いのだ。
 一日も早く独立する為に、デメリットも知りつつ国が自主的に飲んだのだ。
 だから平和条約を結んだことによる損害に対する補償については、国が責任が持つべきである。
 にもかかわらず「強制的に飲まされた平和条約だから国に補償の義務は無い」と言い逃れるのは、卑怯で姑息としか言いようが無い。
 だから国が勝手に始めた戦争による民間人の被害については、避難民に対する補償だけでなく、空襲など戦争で死んだり傷ついた民間人に対する補償も一切拒んでいる
 日本とは、このような国である。

 その一方で、この国は元軍人と軍属にはとても優しい
 軍国主義に繋がるとして、占領下の時代にはGHQは軍人恩給を廃止した。
 ところが我が国では戦後すぐに各地で軍人の遺族会が結成され、そして市町村などの自治体も協力して金も出した
 そして戦場から帰って来た陸海軍の士官たちが官僚になり、軍人に対する同情を煽る世論操作をし、軍人恩給の復活も準備した
 だから日本が独立を果たした1952年4月28日の僅か二日後の4月30日に戦傷病者戦没者遺族等援護法が成立し、翌1953年から再び軍人恩給が支給された

 驚くなかれ、この無謀な侵略戦争を始めて民間人も含む三百万を越す同胞を死なせたA級戦犯にも、この恩給が国民の税金から支払われた
 繰り返す、戦争を正当化し戦前を美化する右翼などの有志による寄付からではない、全ての国民の税金から、東条サン達の遺族にも恩給が支払われたのだ。
 恩給と言うが、戦争指導者であるA級戦犯のどこに国民が税金から年金を支払わねばならない“恩”があるのか、ご存知の方は誰か教えていただきたい
 ちなみにこの軍人恩給は、階級が上がるごとに金額も上がり、陸軍大臣など役職に就くとまた金額が加算される
 で、戦争を始めたまず第一の責任者であるあの東条サンの遺族は、今の金額に換算すると約一千万円のカネを、毎年国民の税金から受け取っていたのである。

 関東軍を指揮し、政府の意向を無視して中国侵略を進め、戦後にA級戦犯として絞首刑になった板垣征四郎という陸軍大将もいるが。
 この家族も勿論、高額な恩給を受け取っている。
 それだけではない。
 長男の板垣正氏は約百二十万人もの遺族会の事務局長になり、その集票力で参議院議員にもなった。
 もちろん自民党である。
 そしてその政治力で、軍人恩給に様々な給付金を加算させた
 で、今までに国民の税金から支払われた軍人恩給は、既に60兆円に達している
 一方で戦争で死んだり傷ついたりした民間人に支払われた補償は、未だに0円である。

 ちなみに朝鮮や台湾など旧植民地の人については、戦前戦中は「同じ日本人だから」と徴兵して日本軍兵士として戦わせ、戦後は一転して「日本人ではない」として恩給を払っていない。
 日本とは、そうした国である。

 この国は、軍人軍属に限って補償をする。
 ただ戦没した者だけでなく、戦争で傷ついたり病気で後遺症が残った者にも補償している。
 しかし空襲で死んだり傷ついたりした民間人については放置である。
 これが日本という国である。

 名古屋の空襲の被害に対して、民間人が訴訟を起こした。
 それに対する判決が、1983年に名古屋高裁で下った。
 この国の司法はこう言う。
「戦争は国の存否にかかわる非常事態であり、その犠牲は国民が等しく受忍しなければならない」
 最高裁もこう言う。
「戦争被害の補償は、憲法が全く予想しない」

 おわかりだろうか。
 先に引用した大蔵省財務局長の言葉のように、「戦争というものは、よきにつけ、あしきにつけ、国の公の行為であり、地震とか津波と言った天災とは全く異なる」ものなのである。
 避けられず予想も出来ない天災ではなく、戦争とは人が、政府が、国が勝手に引き起こした人災なのである。
 なのに国民はその被害を“受忍”せねばならず、憲法も予想しないとは。
 そして司法はその見解を、今も一貫して押し通している。

 そうした戦争被害者を担当する役所は、厚生省援護課だが。
 かつてその課長補佐で、今は早稲田大学の教授である植村尚史氏はこう言う。
「被害を一つ一つ救済してゆくよりも、国全体が豊かになり人々の生活が良くなってゆくことでカバーされる」
 では何故その同じ台詞を、元軍人とその遺族にも言わないか
 何故元軍人だけは一つ一つ救済し、民間の戦争被害者は放置するのか。

 生き残った民間の戦争被害者も悲惨だ。
 親兄弟を亡くして孤児となったり。
 手や足を失い、体に障害を負ったり。
 そんな状況で、どうして「国全体が豊かになれば、彼らの生活もカバーされる」と言えるのか。
 彼ら民間の戦争被害者は、今も苦しい老後を過ごすことを余儀なくされている。
 この国に問いたい。
「国が勝手に始め、さらには総力戦と称して全国民に協力を強いておいて、その民間の犠牲には“受忍”を強いるとは、身勝手過ぎないか?」


 元総理府次長は、民間の戦争被害者についてこう言う。
「やっぱり我慢して堪え忍んで、再建を復興を個人個人で、それを基本に頑張ってもらいたい。気の毒だけれど、自力で頑張って下さいと言うしかない」
 その言葉を、政府のお役人は何故元軍人とその遺族にも言わないのか?
 結局、元陸海軍の士官たちがそのまま官僚になっているから軍人のみ贔屓して手厚く遇し、民間人には平気で「国にはカネがないのだから自力で頑張れ」で済ませられるのだろう。
 これが元帝国軍人あがりの、我が国の官僚というやつだ。

 こんな国の政治家の中にもまともな人たちが居て、民間人の戦争被害者にも補償しようという戦時災害援護法案が、これまでに14回、国会に提案されている
 そして全て廃案にされている。
 議席数を考えれば、民間人に対する補償に頑として反対し続けているのがどの党か、容易に想像がつくだろう。

 で、同じ民間人は、補償を求める民間人の戦争被害者に対してどう思っているか
 これが実に冷たい。
 補償を求める人たちが、街頭で主張を述べてビラを配っているのだが、足を止める人は皆無だし、ビラを受け取る人すら殆どいない有り様だ。
 それどころか、補償を求める空襲被害者には、国民の間から多くの罵声が浴びせられている。
「生きているだけで有り難いと思え!」
「国家の責任にしてカネをせびろうとする、浅ましい乞食根性だ!」
「欲張り婆さんが今更何を言っている、そんなにカネが欲しいのか!」

 ……いや、「国の責任にしてカネをせびる」って、開戦とそれによる戦争被害は、まさに国の責任なのだが。
 避けられない天災とは違う、政府と国による人災の責任を求めるという当然のことが“乞食根性”に見えるとは、日本人の民度の低さがよくわかるというものだ。

 それでも日本がかなり豊かになった1980年代に、民間人の戦争被害も何とかしなければという声も出てきた。
 それで1982~83年に、戦後処理問題懇談会でその件について話し合われた。
 しかしそこでも、問題になったのは「補償する範囲が広がっては困る」ということであった。
 当時の大蔵省の事務次官はこう語った。
「パンドラの箱を開けるような事になっちゃ困る。交付金をやるようなことになりますと、やっぱり民間で、広島の原爆で死んだのが何万人とおるわけですね。そういう人は何も受けてないんですね。やっぱりよこせというような議論が出てくる」
 で、救済措置は出来る限り範囲を絞ってやり、国家保障はしないということになった。

 だから我が国では、国家として補償しているのは今もA級戦犯も含む軍人軍属だけである。
 で、海外からの引き揚げ者と被爆者とシベリア抑留者には国による補償でなく救済措置、お恵みとしてのカネが支給され、空襲被害者など他の民間の犠牲者は放置である。
 今もなお。

 カネが無いから仕方ないと、政府の官僚は言う。
 だが繰り返すが、軍人軍属には度々増額して60兆円も支払って来たではないか!
 しかし民間の被害者には「払えない、受忍せよ」と、国も司法も言い続けている。
 皆さん、こんな国の為に、貴方は戦争に協力する気になれるか?

 ついでに、同じ敗戦国のドイツとイタリアの、民間人に対する戦後補償について述べよう。
 まずドイツは、あの大戦で約百二十万人の民間人が死んだ
 そして千二百万人もの国民が土地を追われ、財産を失って避難民となった
 その数、我が日本より遙かに多い。
 しかしドイツは、民間人の戦争被害者の救済に真っ向から取り組んだ。
 まず戦後五年目の1950年に連邦援護法を成立させ、そこで「国は全ての戦争被害に責任がある」と定めた
 そして軍人であるか民間人であるかに関係なく、国が被害に応じた補償をしてきた
 ドイツ人の歴史学者は言う。
「軍人と民間人の間に、被害に差があるとは考えられなかった」
「国家が引き起こした戦争で被害を受けた個人に補償をすることは、国家と市民の約束である」
「個人の被害に向き合うことは、民主主義の基礎をなすものである」

 ドイツ人から見れば、日本は国家が引き起こした戦争で被害を受けた個人に向き合わず、補償もしようとすらしない、非民主主義国家である。
 ある日本人が日本の民間の戦争被害者に対する国の態度をドイツ人に語ったところ、とても呆れて「酷い国だ」と言ったそうだ。

 イタリアは決して裕福な国家でなく、政府は度々財政危機に瀕してきた。
 それでもイタリアも軍人か民間人かに関係なく、戦争年金を皆に支払い続けてきた。

 何故か。
 イタリア人は語る。
「国が当然持つべき感謝の念と、連帯の意を表すための補償だからだ」

 日独伊の三国同盟の枢軸国で、最も経済的に発展し、最も豊かだったのは日本だ。
 しかし『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などいう本がベストセラーになった時代にも、日本は軍人恩給だけ支払い、国が勝手に始めた戦争における民間人の被害の補償すら避けて通った
 軍人と民間人を差別して、「カネがない、戦争は非常時だから被害は受忍せよ」と民間人の戦争被害者を見捨て続けているのは、我が国だけである。
 こんな国に、どうして愛国心と誇りを持てるというのだろうか。

 皆さんは、封建時代の「御恩と奉公」という言葉を歴史で習ったと思う。
 あれは正しくは、「土地をくれるという恩があるから、主君に仕える」という意味だ。
 つまり裏を返せば、「土地(恩賞)をくれない主君に仕える必要は無い」ということだ。
 だから戦国時代までは、武士は頼りない主君はさっさと見限って他の武将に仕えた。
 忠義とか、武士は二君に仕えずとか、「君、君たらずとも、臣、臣たれ」とか言われるようになるのは、家来はバカ殿にも忠義を尽くせと言われるようになるのは、太平の世になってから、江戸幕府が家臣に寝返られないように儒学(朱子学)を利用してそう洗脳したからだ。
 今ではバカ殿にも忠義を尽くすのが武士道のように思われているが、実はバカ殿は見限るのが武士の常識だったのだ。
 それを国家と個人の関係でも考えてみてほしい。
 何かあったら国がちゃんと補償してくれると信じられるから、国民も国の為に尽くせるのだ。
 勝手に戦争を始め、そのせいで被害を受けたら「国は知らぬ、個人で何とかして受忍せよ」と見捨てるような非情な国を、誰が信じて尽くすものか。

 皆さんは、倹約とケチの違いをご存知だろうか。
 無駄な出費を抑えるのが褒められる倹約家であり、必要な出費を惜しむのがケチである。
 倹約とは無駄遣いや贅沢をしないことであり、見舞いや冠婚葬祭や付き合い等で必要な出費を惜しむのがケチである。
 カネは無くとも、出すべきカネを出さぬ者はケチと非難される。
 だからドイツは戦後復興すらしていない頃から、イタリアは経済危機に遭いながらも、軍人も民間人も区別せずに戦争被害を補償してきた。
 それに対して日本はどうか。
 経済大国となり『ジャパン・アズ・ナンバーワン』というベストセラー本が出された時代になっても軍人恩給にだけ60兆円も出す一方で、民間人の補償に回すカネは惜しんだ。
 ズバリこの日本という国は、ケチである。
 いや、ドケチと言うべきだ。

 安倍首相はかつて『美しい国へ』という本を書いたが。
 筆者に言わせれば、こんなにセコくてさもしい国は無い。
 まさに『醜い国』である。
 だから断言する、こんな国の言うことを聞き、国の為に命をかけるのは馬鹿らしすぎる
 この国の戦争に巻き込まれて死にでもしたら、それこそ無駄死に、犬死にである。

 で、冒頭に戻るが、もしこの国で戦争になり、政府と国に「国家総動員で協力しろ!」と求められたとしたら
 国がどれだけ豊かになっても、国が勝手に始めた戦争による民間人の被害は「個人で頑張れ、受忍せよ」と放置されて。
 その一方、敗戦後すぐに各自治体の支援で軍人の遺族会が各地に結成され、日本が独立を果たした僅か二日後に戦傷病者戦没者遺族等援護法が成立し、翌年から軍人恩給が支給された事実を考えると。
 召集令状が来たら仕方なく軍人になり、しかし徴兵の対象とされない女子供と老人は国家と戦争に対する一切の協力を拒み、山にでも逃げ自給自足の生活をして生き延びるのが賢いだろう。

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