空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

昭和の写真少年⑬・今の写真は感性のみ?

 でも、写真が「誰にでも撮れるもの」になった代わりに、撮ることに関する基礎的な知識や技術が、黒沢には以前よりかなり劣化しているように思えるよ。

 例えば今は、ホントに誰でも写真を撮る時代になってるよね。ちょっと珍しいモノや人を見たりすれば、皆がごく当たり前にケータイやスマホのカメラを向けるし、メカオンチの代名詞みたいなオバサンがデジイチで花だの風景だの撮っていたりするのも、そう珍しい事ではないし。
 結局それは、今は一眼レフでさえ昔のバカ○ョンカメラと同じように、ただシャッターを押すだけでキレイに撮れるようになったからなんだ。進化したのはカメラで、人間の方ではないんだよね。

 大型書店の写真関係のコーナーに行く度に、黒沢は「変わったなー」って思うことがあるんだ。
 撮影技術に関する本の数が、昔に比べてかなり減った。昔だったら本屋に当たり前に並んでいたような、露出やライティングや交換レンズの効果やなどについての専門書が、今は殆ど無いんだよねえ。あるとしても『デジタルカメラの基礎知識』とか『女の子の撮り方』とか、あるいは『キヤノンEOS kiss X5の撮り方』みたいな、写真が多くて分かり易いのばかり……って感じで。

 コンパクトカメラと一眼レフの間には、昔は今よりずっと写りの差があって。ちょっとプロっぽいキレイな写真が撮りたかったら、どうしたって一眼レフを使うしかなくてさ。そしてその一眼レフのカメラを渡されたら、それなりの知識なしには、まともな写真はまず撮れなかったんだよ。
 だって昔の一眼レフで撮るには、まず絞りとシャッタースピードを自分で組み合わせて露出を決めて、ピントも自分の目と指先でキメなきゃならなかったんだもの。
 だからそもそも、「絞りって何だ? シャッタースピードの違いによる効果って?」というトコロから学ぶ必要があったワケ。

 それに今のデジイチの「256分割測光で、逆光だけでなくシャドウとハイライトも自動で補正して」なんてすんごい露出計と違って、昔のカメラの露出計は「中央重点平均測光」なんていうアバウトで原始的なヤツだったんだ。だからちょっと逆光になったり、順光でも空が画面にある程度以上入ったりするだけで露出が狂っちゃうんだよね。
 それだけに、黒沢の時代の人達は一枚の写真の露出を合わせるのにさえ、すごく神経を使ったんだ。撮りたい絵柄のイメージから絞りとシャッタースピードの組み合わせを決めて、そしてその場の光も読んで露出のレベルも調整してさ。
 背景はボカしたいけど周辺まで均一な画質で撮りたいから開放から2段ほど絞り、逆光だからメインの被写体が暗くならないように露出を補正して、けどハイライトも飛ばさないように1と2/3EVほどオーバーに振って……とかね。

 コレを撮り直しのできないフィルムで、一発勝負でやるんだよ? だからキレイな写真を本気で撮りたいと思ってるなら、嫌でも字がいっぱい書かれた小難しい専門書を読んで、頑張って勉強しなきゃならなかったんだ。
 何しろフォーカスもマニュアルのみだから、被写界深度が超浅い望遠レンズだって、自分でピントを合わせなきゃならないし。
 フィルムは感度もカラーバランスも固定(色は太陽光で、感度はISO100がデフォ)だから、曇りの日や人工的な照明の下ではフィルターによる色の補正が必要だったし、ちょっと暗い所では手ブレにも要注意だったしね。ホント、今なら何も考えないでシャッターを押すだけでイケる写真一枚撮るのに、職人的な知識と技術が必要だったんだよ。
 けど、その昔の苦労が無駄だったとは、黒沢は全然思ってないんだ。と言うよりむしろ、「おかげで良い勉強させて貰った」くらいのものでね。

 今のカメラは超便利だし、露出やピントもかなり正確だよ。けどあくまでも“かなり”であって、間違いなく正確ってワケじゃあないんだよね。
 小難しいことは全部カメラに任せてフルオートで撮っても、今のデジイチならまあそれなりにキレイに撮れる。それでも時々、イメージとは違う色や露出で撮れてしまうことがあるよ。
 そんな時、フィルムで長く撮ってきた経験から失敗の原因もわかるし、どこをどう修正すればイメージ通りの写真が撮れるかも見当がつく。
 と言うより、撮る前の段階で「こーゆー場合はココをチョイ補正しておかなきゃ」ってすぐ気付いちゃうんだよね。

 露出とかカラーバランスとか、いろいろシビアなリバーサル(スライド)のフィルムで長く撮って来た経験って、デジタルで撮る時にもかなり生かせて、「おかげで、イメージ通りの写真を撮るのがラクだなぁ」ってすごく感じるよ。
 だから「どうしてこう撮れたか?」って原理の部分を知らずに、ただシャッターを押す以外何もせずに「とにかくキレイに撮れてりゃいーじゃん」というのは、ちょっと違うんじゃないかな、って思う
 だってイメージ通りに狙って撮ったのと、たまたまキレイに撮れたのでは、結果は同じでも意味は全然違うでしょ?

 プロとアマチュアの上手い人の違いについて、ある人がこう喩えて。
「アマチュアの上手い人は代打で出てたまにホームランを打つ人で、プロはレギュラーで毎試合に出て三割打つ人」
 これ、物事の本質を的確に捉えていると思う。
 何かを撮りに出かけた時、確実に狙った通りに写真を撮れるのと。その場の条件や偶然やらで、たまたますごく良い写真が撮れたりするのと。「キレイな写真が撮れた」と言っても、この二つの意味は全然違うよね。
 まあね、「写真が好きならプロを目指すべき」って言いたいワケじゃあないけれど。ただ女の子であれ花であれ鉄道であれ、大好きで大切なものを撮るなら「確実にキレイに撮って残しておきたい」って思わないかな? カメラの性能や偶然の結果によって、その時次第で良く撮れたりダメだったりするんじゃなくってさ。

 黒沢は露出もピントもマニュアルのカメラ(OM-1とかOM-3とかペンタックスSPとかベッサRとかライカⅢc改とか)で、スライドのフィルムだけでも何百本と撮ってきたからさ。仕上がりを予測してその被写体をイメージ通りに撮ることが、まあそれなりに出来るよ。
 だって昔のカメラって、ただカメラの露出計に頼って撮ってたら、モデルの子の顔が暗かったり変な色になってしまったりと、思ったようには全然撮れないんだもの。だからイヤになるほど失敗して悔しい思いも散々して、光の読み方とか、色による反射率の違いとか、色温度とかストロボ使用時の影の消し方(バウンズやディフューズ)とか、レンズの焦点距離と被写界深度のこととか、それはもういろいろ必死に勉強したからね。
 カメラに付いてくる取説に目を通したレベルじゃ、まず絶対まともな写真は撮れないし、イメージするような写真が撮りたければ、専門書で勉強する必要が絶対あったんだよ、昔は。あるいは専門の学校に通うなり、写真家のセンセイに弟子入りして徒弟制度の世界でシゴかれるなりするか。

 けど今は、ただシャッターを押すだけでそれなりにキレイに撮れちゃうからね。昔はプロと一部のマニア様しか使わなかった(使えなかった)、ゴツくて重い一眼レフでさえ。
 実際、今は「良い写真を撮るのに必要なのは、ただ感性のみ」って感じだと思う。で、ただキレイなものやカワイーものが好きなだけの女の人の方が、ミラーレスやデジイチで写真を撮ってて、しかもなまじメカ好きで理屈にこだわる男より良い写真が撮れてたりするのが現実なんだよね。
 だからさ、昭和の頃に書店の写真のコーナーを占拠していた撮影技術に関する小難しい本などイラネ、ってことになっちゃったんだろうね。「感性のまま、とにかくシャッターを押しまくればOK!」みたいな感じでさ。
 実際、黒沢が今の写真関係の本を見ると、「ゆとり教育か?」って言いたくなるほど中身が薄くなってるように思えてしまうよ。

 昔はね、まず原理がわかってなきゃ、まともな写真が撮れなかったんだよ。だから昔は「写真に撮られるの、大好き!」って女の子は多くいても、撮ることを趣味にしてる女子はすごーく少なかった。
 今、「写真を撮るのも好き」って言うような、いわゆる“カメラ女子”がうようよしてるのは、原理や基礎的な知識などまるで関係なく、一眼レフでさえただシャッターを押すだけでキレイに撮れるようになったからなんだよね。
 ただその場合、良く撮れたとしてもそれは感性+カメラの性能の結果だから。なぜこう撮れたのか?」って部分がわかってないから、イメージと違ってガッカリな写りだった時には、その理由も対処の方法もわかんないんだよね。

 黒沢が写真を撮り始めた頃のフィルムのカメラは、「カメラの操作そのものが難しい+撮り直しが出来ない」だけでなく、一枚の写真を撮るにもお金がかかったからさ。だって撮るにはまずフィルムを買わなきゃならなかったし、撮った写真を現像やプリントするにもまたお金を取られたからね。
 だから目の前に撮りたいものがあっても、「先立つモノがない」って理由で撮ることさえ出来ずに泣きを見た事も数え切れないほどあるよ。
 そう、目の前に獲物がうようよいて、手元には銃もあるのに弾丸が無い……みたいな状態ね。

 何か撮りたいものがあったら、まずバイトなり何なりしてカネを作ることから始める。これがフィルムのカメラの時代の現実で、黒沢も当時は「何週間も働く→一日の撮影でその資金を使い果たす→また働いて稼ぐ」の無限ループだったよ。
 だからさ、SDカードさえあればフィルム代も現像料も必要なく、殆どタダで好きなだけ撮りまくれるなんて、ホント夢みたいな話だよ。「あの時代にデジイチがあれば、どれだけ良かったか」って、正直言って思うよ。
 ただそれはあくまでも、「撮り直しの出来ないフィルムでキチンと撮れるだけの知識と腕があって」って前提の上でさ。「ムズカシーことはどーでもいーんだよ、シャッターを押せばカメラが何とかしてくれるから」って状態で良い写真がたくさん撮れるとは、どうしても思えないんだよね。

 これは黒沢の個人的な感覚だけど、「撮影技術に関する専門書が激減して、その中身も“ゆとり教育”レベルになった」って話したよね。ただ唯一例外として、逆にすごく増えて詳しくなったジャンルがあるんだ。
 ズバリ、写真のレタッチの本。
 昔で言えば、『現像と引き伸ばしのすべて』とか『暗室技術をマスターする』みたいな本ね。

 今はズーム付きのデジイチで撮れば、シャッターを押すだけでまあ大体キレイに撮れちゃうからさ。だから小難しい知識なんてイラネ、現場ではカメラ任せでフルオートでただ撮って、後はPCでレタッチすればOK……ってコトなんだろうね。
 それは確かにその通りだろうと思う。「肌をツルツルに!」とか「頬をほんのりと桜色にして」とか、レタッチすれば写真がかなり良くなることは、黒沢も認めるよ。露出アンダーで使えなかった昔の写真が、PCの画像処理でかなり見られるようになったのも、黒沢自身体験しているし。
 ただ、画像処理って何かをイジれば別の部分にも影響が出てくるのも事実だから。例えば明るさをイジると、今度は色のバランスも違ってきて、今度はそっちも直さなきゃならなくなってくる……みたいにね。
 露出も色調もシャープさもバックのボケ具合も、全部後で何とか出来るのは事実だよ。けど例えば「露出を修正した写真」と「元々露出露出の合ってる写真」は同じではないし、修正の必要のない写真の方が仕上がりもキレイなのは間違いないでしょ?
 シャープネスやバックのボケだって、画像処理で何とかするより元々キレイに写るレンズで撮った方が、後処理も含めていろいろラクだし良いに決まってる、ってば。

 写真と画像処理の関係は、女の人とお化粧の関係を考えてみればよくわかると思う。元からの美人は素顔のままでも十分OKだし、薄化粧させればさらに引き立つけれど、残念な容姿の人に厚化粧させてもただケバくなって見苦しいだけ……みたいなね。
 だから画像処理も、できるだけちょこっと、やったとわからない程度の少ない範囲でやる方がいい。ま、絵を描くような気分で、「コレが写真!?」って目を疑ってしまうような現代アートっぽい作品作るなら、話はまた別だけれどね。
 フィルムで写真を撮る時代に必要とされていたいろんな小難しい知識って、撮った後の画像処理を少なくするのに今もかなり生きていると思うんだ。

 画像処理のことは、まあ別問題としても。フィルムで撮り慣れてきた者がカメラをデジカメに替えると、「キレイな写真撮るのって、超ラク!」って思ってしまうのは事実だよ。
 ただ写真はフィルムで撮るものだった時代の知識があれば、デジカメで狙い通りの写真を撮るのもすごくラクになるのも事実なんだ。
 と言うワケで、「今はあまり省みられないでいる、けれど知っておいた方が何かと便利な知識」みたいなことを、いずれ写真はフィルムだった時代の黒沢の想い出と併せて話してゆきたいと思っておりマス。
 写真と言えば、今では空だの花だの猫だのばかり撮っている黒沢だけど。それでも写真を始めたきっかけって言うのが、何しろ「好きな女の子の写真を撮りたかったから」ってヤツだから。
 それでフィルムのカメラの全盛期だった昭和の終わり頃から平成の始め頃に、十人を越える女の子のヌード&セミヌードも撮ってきたし。
 こんなヤツなんで、そっち方面の思い出話も含めて写真に関する四方山話を、またいずれ語らせて下され。

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昭和の写真少年⑫・不自由だったけど自由だった、あの時代のこと

 女の子が撮られた裸の写真を他の人達に見られてしまうのを心配するのは、昔も今も変わらないけれど。
 ただ脱いだ写真の“流出”って問題については、昔と今とでは状況がかなり違うんだ。
 その昔と今の違いをまとめると、まあこんな感じかな。

 ①写真がフィルムだった時代は、撮った写真の処理(現像やプリント)は写真屋のオヤジさんに任せなきゃならないものだったから、露骨にエロい写真を撮ることそのものが難しかった。
 ②昭和の時代にはヘアヌードですら違法だったから、たとえ撮られた全裸の写真が雑誌や写真展に出されても、写っているのは胸までで、見えている部分は上半身裸と変わらなかった。
 ③撮ったカメラマンが自慢したくて、友達とかに写真を勝手に見せてしまう可能性も否定できないけど、そもそもヘアの写った写真は写真屋でプリントすらしてもらえないから、その場合にも見られてしまうのは胸まで。
 ④パソコンも存在せずネット環境も無かったから、撮られた裸の写真が無制限に広められることもあり得ない。
 ⑤撮られた写真の“流出”があるとすれば、写真が焼き増しされた場合だけで、だからその写真が配られてしまう数にも範囲も自ずと限界がある。撮られた写真を他の誰かに見られるとしても、ほぼ撮ったカメラマンの周辺の人だけ

 写真=フィルムだった昭和の頃って、ヌードをかなり自由に撮れた反面、撮り方や公開の仕方に対する規制や制約が意外に厳しかったんだよね。今みたいにデジカメで女のコの何もかもを撮って、お家のプリンターで密かに印刷とか、さらにネットで公開とか、その頃にはまず考えられなかったし。
 だからもし昭和のフツーの高校生の女の子が、『ぼくたちは気持ちのいい写真が撮りたい』や篠山センセイの激写シリーズに影響されたカメラ好きなボーイフレンドに拝み倒されて、「芸術のためだ」と脱がされてしまったとしても。撮られる写真はエロじゃなくあくまでも“作品”としてのキレイな写真で、写ってるのも(実質的には)胸までなワケで。

 だからと言って「胸まで写真に撮られるのだって、女の子にとってはすっごく恥ずかしいことなんだよ」って、黒沢もよくわかってはいるよ。ただ同じ撮られるのでも、昭和の頃の「非エロで見せるのは胸まで」ってヌードと、エロい写真がネット上に無限に溢れる今とでは、女のコの側の気持ちや抵抗感がかなり違うのは事実だよね。
 で、その作品が高校の写真展に出されたり、あるいは雑誌に載せられたりしても。そして「あの子、ヌードのモデルやったんだって」と噂になったとしても、それはせいぜい同じ高校の中だけでのことだから。
 まあ高校は別でも、中学が同じだった子とかは気付くかも知れないね。けどそれ以外の殆どの人達は、その子が脱いだことにまず気付きもしないから。
 同じ高校では脱いだ話は残っちゃうにしても、卒業して進学なり就職なりして町を離れちゃえば、噂もそこで途切れちゃうし。
 何しろネットが無いから、撮られた写真がupされて世界中に無制限に広がっちゃう事も、脱いだ子として地元を離れた先まで噂がついて回るみたいな事も無いワケさ。

 仲間と言うか同志と言うかライバルと言うか、東京の大学に進んでから黒沢は、同じようにプロの写真家を目指していたシマノって奴と知り合ってさ。で、そのシマノには、地元(埼玉県の田舎の方と言うか○○郡□□町みたいなトコ)に高校生の彼女がいて。
 何しろ篠山センセイの“激写”がブームで、「芸術のためだ、キミの彼女に脱いでもらおう」って時代だったから。
 そしてまだ児童ポルノの規制も無く、世間の認識も今とは真逆で「大人の女のヌードはエロだけど、少女のヌードはピュアでキレイ」って感じだったから。
 で、シマノもその彼女のイズミさん(現役JK)に脱いで貰って、ヌードまで撮ってたんだ。それも黒沢が撮ったチハルさんのような半端なセミヌードとかではなくて、下まで全部脱いだ本当のヌードをね。

 何しろシマノは黒沢が行きたくても行けなかった写真関係の大学の学生で、それだけに女の子を口説く気合いや熱意とかも黒沢とは違ってたんだろうね。
 当時の黒沢は、女の子のヌードを撮ってみたい気持ちはあっても、いざとなると相手の子になかなか言い出せなくてさ。照れや恥ずかしさもあるし、「こんなコト頼んで誤解されて、後でヘンタイ扱いされたらどうしよう」って不安もあるし。
 けどシマノは「女の子の裸はキレイなもの」って信じてるし、ヌードを撮ることに疚しい気持ちや恥ずかしさも欠片も無いから、モデルを頼む時も照れたりとかしないで堂々と口説けちゃうわけ。だからイズミさんも、シマノの気持ちを信じて脱いだのだろうし。

 頭ではそうわかるのだけれど、「コンニャロ、おめーだけ美味しい思いをしやがって呪ってやりてぇ」なんてつい思いたくなってしまう……って話は、とりあえず脇に置いておいて。
 今では禁断のその現役JKのヌードも、シマノとしてはエロい意図で自分のおカズとかにするつもりで撮ったわけじゃなくて、あくまでも作品としてアートのつもりで脱がせたわけだったから。だからキレイに撮れたものは他の皆にも見せて自慢したいし、大きく引き伸ばして写真展に出すなりしたいわけだよ。
 シマノは通ってる大学も写真関係で、だから学校の講義にはモデル撮影の実技もあるし、出された課題に合う作品を次の講義までに仕上げて、皆で批評し合うことも当たり前にあってさ。で、そのテーマによっては、イズミさんの写真も出したいと思うのも当然だよね。
 なのに、せっかく撮ったイズミさんの写真を他の誰にも見せられないとしたら、シマノとしては「だったら、そもそも撮る意味すらないじゃん」って感じでさ。

 で、シマノはモデルになってくれたイズミさんに尋ねてみたんだ、「撮った写真、写真展とかに出して他の人達にも見せたいんだけど、いい?」って。
 上半身裸で胸まで見せた写真を見られることについては、イズミさんは即答だった……って。
別にいいよ
 ただイズミさんは、その後でこうも付け足したそうだけどね。
写真を見られるの、恥ずかしくナイってわけじゃないけれど
 そして全裸の写真を見せてもいいかって聞かれた時には、今度は直ぐには答えが返って来なくて。
 暫く迷って考えた揚げ句に、イズミさんは下まで脱いだ写真も公開するのをOKしてくれたのだけど、その際に一つだけ条件をつけたんだよね。
写真を見るのが、私のことを知らない人ならね

 つまりイズミさんの気持ちとしては、全部脱いだ写真は、同じ高校の子とかの顔見知りにだけは見られたくない……ってワケ。
 当時のシマノが通ってた大学は東京都区内で、そしてイズミさんの高校は、埼玉と言ってもかなり田舎の方でさ。見回せば周りはずっと広い田圃で、近くのあちこちに武蔵野の森もまだかなり残ってて……みたいな。
 うん、イメージとしてはズバリ『隣のトトロ』の世界ね。って言うか当時は昭和の時代だったし、埼玉の田舎ってその面影がマジで残ってたんだ。
 それでシマノは、撮ったイズミさんの写真を出すのは東京限定って感じにしたんだ。大学の実技での課題や写真展にはそのイズミさんのヌードを出したし、写真展にも出したけど東京か横浜とかにしてたよ。
 けど埼玉の写真展には、イズミさんの写真は本当に一度も出さなかった。浦和とか大宮とか、殆ど東京と同じようなトコであってもね。
 特に大宮は県内を走る鉄道が集まるような所だし、イズミさんの高校の子もたまに遊びに出て来てるみたいで、シマノは「わざわざ写真展を見に来るような高校生なんて殆ど居ないと思うけど、たまたま来て見ちゃう……って可能性はゼロじゃあないからね」って言ってさ。

 で、イズミさんはシマノの為に殆ど二年近くヌードのモデルを続けて、シマノも撮ったそのイズミさんのヌードを実技の課題や写真展に使い続けたけど。当然、黒沢もイズミさんのヌードの写真はいっぱい見たし、それ以外にもイズミさんの裸を写真で見た人は、人数で言えば少なくなかったと思う。
 けどイズミさんが脱いでたコトは、同じ高校の子たちや身の回りの人達には全然バレなかったよ。高校を卒業した後で、イズミさんが親友に「ずっと内緒にしてたけど、実はね……」って打ち明けるまで、ヌードのモデルをやってたコトはホントに誰にも気付かれなくて、キレイに撮れた写真も見せて初めてビックリされて……って感じで。
 ネットの無い時代って、女の子が脱いでもホントそんなものだったんだよ。そりゃあアイドルとか有名人が脱げば騒がれるけどさ、フツーの女の子が脱いだところで殆ど話題にもなりもしないものなんだ。
 そしてシマノが撮ったイズミさんも黒沢が撮ったユキさんも、脱いだコトは誰にも知られないまま、撮られた裸の写真も青春の想い出として残ってるだけ……って感じでさ。

 けどデジタル時代の今は、写真屋とか関係なくどんな写真でも撮れて、プリントも好きにできちゃうからね。それどころかCDやDVDに焼くとかネットにアップするとかすれば、ホント無限に広がっていっちゃうよね。
 写真は写真屋に処理して貰うものだった昔には、全裸でヘアまで写った写真がプリントされるとか、まずあり得ないことでさ。黒沢が撮ったユキさんの全裸の写真が、ヘアがほんのちょっと写ったものでさえ返って来なかったのも、前にも話した通りだよ。
 だからシマノが撮って展覧会とかで皆に見せてたイズミさんの写真だって、全部は脱いでいたけれどヘアすら見えてなくて、ポーズもいかにもアートっぽい感じのものばっかりだったし。
 でも今だったら、もし知り合いの男子に「ヌードを撮らせて!」ってお願いされてもさ、まず「どんなエロい写真を撮られちゃうかわからない」って警戒されて当たり前だよね。
 そしてもし一度デジタルで裸を撮られたら、DVDに焼かれてそのカメラマンの友達から友達へと、その写真がどれだけの人に拡散しちゃうかわからないし。さらにネット上にUPされたら、流出の規模は全世界のレベルに広がっちゃうしね。
 そしてそうなったら身元がバレる可能性も高いし、「××町の△△高校にいた○山イズミって子は、ヌードを撮らせてた」みたいな事実が、画像付きで永遠に残るわけでさ。
 また今では専用のビデオカメラでなくても、普通のデジカメやスマホでボタン一つで、フルHD動画だって当たり前に撮れちゃうからね。ってコトは、無修正の裏AVみたいな動画さえ撮られかねないワケで。

 昭和の時代なら、撮られた裸の写真が悪用される心配と言ったって、「撮った男の子が、もし他の友達にも見せちゃったら」くらいのものでさ。そして仮にそうされてしまっても、写真の“流出”の範囲はそのカメラマンの友達止まりで、見られた写真に写ってるのも胸までだし。
 最悪、「あの子、ヌードになって撮らせたんだんだって」って、同じ高校の子たちに知られちゃったとしても。その学校を卒業して別の場所で進学なり就職してしまえば噂も断ち切れてしまうのも、前に言った通りだよ。 
 撮られた写真の流出とか悪用と言っても、昭和の頃はホントにそんなものだったんだ。だから「カメラ=フィルムで撮るもの=現像とプリントはカメラ屋が扱うものでヘアヌードもNG」だった時代には、ガールフレンドに「脱いでモデルになって!」って頼んでも、今よりずっと真面目に考えて貰えたんだ。
 それだけに「写真が好きな高校生の男の子が、同級生の女の子のヌードを(エロでなくアートとして)撮る」っての、昭和の時代にはホントにあり得たんだよね。ただ黒沢自身が女の子のヌードを初めて撮れたのは、残念ながら大学生になってからだったけど……。

 で、キミに聞いてみたい。
 まずカメラの操作そのものが難しくて、専門の知識を学び経験も積まなければキレイに撮れなくて。さらに「撮った写真は全部カメラ屋に出さなければならない」とか、「全裸の写真はヘアが写っただけで即アウト」とかの制約も、いろいろあって。けど「ヌードはキレイなもので芸術」と言って女の子にも通用して、本人の熱意と口説き次第でクラスの可愛いあの子のヌードも問題なく撮れちゃった時代と。
 知識も経験も無いド素人が、ただカメラのシャッターを押すだけでキレイに撮れるまでに技術が進化して。そしてプリントやデータのコピーも個人でたやすく出来るようになって、町の写真屋など無くても困らないものになって。けどどんなエロい写真も撮り放題&複製し放題になった上に、PCとネットの普及で“流出”と“身元バレ”の危険が恐ろしく高まったことも重なって、「ヌードを……」と言っただけで警戒され、エロカメラマン扱いされかねない今と。
 さて、キミはこのどちらの方を“良い時代”と思うかな?

 もし「自分が生きてみたい時代を、どちらか選べ」と言われたら、黒沢だったらいろいろ制約はあってもヌードに対する女の子の見方も大らかで理解があった昔の方を取るな。ま、コレも自分が過ごして来た時代に対する郷愁のせいかも知れないけどね。

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昭和の写真少年⑪・例え彼女でも、ヌードを撮らせて貰うのは大変

 もしキミが、誰か身近な女の子にヌードのモデルを頼んだとして。そしてその相手が、性別を越えた大親友と言えるレベルの女友達なり、現在進行形で付き合っているラブラブの彼女なりの、ちゃんと信頼関係も成立している人だったとしても。
「あのさ、オレの写真の為に脱いでくれない?」
「うんイイよ、スタイルにはちょっと自信あるし、一番キレイなカラダをしてる今のうちにヌードを撮っておきたいな……って、ちょうど思ってたの」
 みたいに、ヌードのモデルを頼んで二つ返事でOKして貰えるコトなんて、現実にはまず殆ど無いからね。

 黒沢はこれまでに、まあ両手の指で数える以上の女の子に脱いで貰って撮ってきたよ。けどその一人一人に少なくとも数ヶ月単位で時間をかけて、いろいろ説得して納得して貰った上でようやく撮影にこぎ着けたわけデス。
 口説き始めてから本当に脱いで貰えるまでに、中には二年もかかった子もいたよ。と言うよりむしろ、「どんなに口説いてもダメだった」って子の方が、脱いで貰えた子よりずっと多いのが現実でさ。
 例の篠山センセイなんか、ちょっとイイ子を見れば挨拶代わりのように「脱いでみない?」って口説いてるんだって。あれだけ多くの女性のヌードを撮れているのはその結果であって、センセイだってその何倍もの女優さんやアイドルに、脱ぐのを断られている筈なんだ。

 キミとしてはさ、「彼氏彼女の仲でもうエッチだってしてる仲なのに、何でダメなの?」みたいに、つい言ってしまいたくなると思う。あるいは相手が幼なじみで腹の底まで判り合えてる大親友の女の子なら、「ちっちゃい頃には一緒に風呂にも入ったし、裸ならもう全部見てるじゃん」とかね。
 けどそれでも「裸を見られる」のと「裸を写真に撮られる」のでは、意味合いがかなり違うんだよ。

 黒沢と仲良くしてくれたレアな女の子の中に、チホさんって高校2年の子がいて。で、その子がこんなコトを言ってたんだ。
写真に撮られるのでなければ、脱ぐのはじゅーぶんガマンできると思う。けど撮られると言われたら、恥ずかしさは倍くらいになるよ
 そしてまた別のシズカさんって子も、こう言ってたよ。
ヌードのモデルになるのは、別に悪いこととは思わないよ。けど写真は後に残るから、やるか断るかすごく迷う

 ズバリそこなんだよ。
 モデルを頼まれた女の子が脱ぐのを躊躇う大きな理由には、
「キミに裸を見られる恥ずかしい」
 ってのも、勿論あるのだけれど。
 でも断られる最大の理由って、まず間違いなくコレなんだ。
写真を他の人に見られて、ヌードになったことを知られたら困る

 キミに裸の写真を撮られる時と、その撮られたヌードの写真が雑誌に載るなり展覧会に出されるなりして皆に見られる時とで、「どっちが恥ずかしい?」って聞いたら、10人の女の子がいたら9人は「雑誌や展覧会で見られる方」って答えるよ。
 例えば同じ高校の子でヌードになるギリギリまで撮らせてくれたチハルさんも、その件について「撮られる時は相手がカメラマンだけだから諦めがつくよ。けど雑誌や展覧会で大勢に見られるとなると、気持ちはかなり違う」って言ってたけど、女の子の気持ちってそんなものだと思う。

 なら、「雑誌に載せるとか写真展に出したりしないし、他の人には絶対見せない」って約束すればいい、って?
 たとえ「他の誰にも見せないから」と固く誓って撮ったとしても、その約束が永遠に守られる保証はどこにもナイよね。親にも見せたことのないような姿の写真を預けて、ただその相手のことを信じるしかないワケで。
 そしてまた人間関係に永遠など無く、時によって移ろい行くものだからね。

 特に恋愛関係ってやつには別れがつきものだし、お互い納得した上でキレイに二人の交際にピリオドを打てるとは限らないよね? と言うよりむしろ、どちらかが心変わりして、フタマタだの浮気だのと泥沼の修羅場を見た揚げ句に、喧嘩別れすることの方が多いくらいなのが現実でさ。
 そうして別れた時、元彼の手元には「可愛さ余って憎さ百倍」の元カノの裸の写真が残される事になるワケで。
 ……これって、女の子の側にとってはかなり大きなリスクなのは間違いないコトでさ。だから冷静で先の事まで考える女の子ほど、本音では「脱いでも減るもんじゃないし、撮られてもいいかナ」と思ってはいても、実際に脱ぐことは躊躇っちゃうんだよね。

 躊躇う女の子に例の「雑誌にも載せないし、他の人には絶対見せないから」って約束するの、実は黒沢も何度かやっているんだ。
 そしたらその中のレイさんって子に、こう切り返されたよ。
一樹くんのコトは信用してるよ、けどもし一樹くんが死んじゃった後、その写真はどうなるの?
 もしもの話にしても、黒沢の死後みたいな遠い先のコトまでよく考えるもんだ……って、その時はかなり呆れてしまったよ。けど撮られた写真がその後どう使われるかを、女の子ってそれくらい心配するものなんだ。

 そのレイさんって子は美術学生で、彼女自身も何度か裸婦を描いてもいてさ。だから女の子の裸体をモデルとして扱うことにも、けっこう理解があったんだよね。
 ただレイさんがずっと気にしていたのが、「写真は絵と違ってそのまま写るし、モデルがワタシだってわかっちゃうから」ってコト。

 ま、そのレイさんにも一年以上説得を続けて、何とかモデルになって貰えたよ。レイさんは学校で裸婦も描いていただけあって、一度モデルをOKしてくれた後は話のわかりが早くて撮りやすくてさ。
 例えば撮る前に、「モデルになる時は、下まで全部脱いでくれられる? それとも、脱ぐのは上半身までにした方がいい?」って聞いてみたんだ。モデルを頼まれてもなかなかOKを出せなかったレイさんのことを考えて、黒沢なりに気を使ったつもりだったんだよね。
 そしたらレイさんは、「何をバカなこと言ってるの?」みたいな顔で、即座にこう答えたよ。
もちろん全部脱ぎますよ。だって脱いでもパンツとかつけてたらヌードにならないし、逆にイヤらしい感じになっちゃうでしょ?
 そしてレイさんは、こうも言ってたな。
もし一樹くんが絵を描く人で、絵のモデルに……って頼まれてたら、脱ぐのもすぐOKしたんだけど」 
 女の子の気持ちって、そのくらい複雑で微妙なものなんだよね。

 レイさんの場合と違って、時間をかけて口説いたものの結局断られちゃった女の子に、顔は可愛いしプロポーションも良いアサミちゃんって子がいてさ。そのアサミちゃんが迷った揚げ句に出した結論がコレなんだ。
本音を言っちゃえば、自分の裸の写真を見てみたいって気持ちは、確かにあります。でもそれを他の男の人に撮ってもらうというまでは気持ちが動かないよ。ただ秘かに撮って、秘かに見たい……というだけ
 このアサミちゃんって、当時は銀行勤務のOLさんでさ。
 自分は可愛いってよくわかってて、自信はあるのだけれど冷静で慎重な女の子って、まあこう考えるものだろうね。「一番キレイな時の自分の姿を写真に残しておきたい気持ちもある、けどそれより撮られた写真が“流出”とかして、職場にバレる事のほうが怖い」って感じで。

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昭和の写真少年⑩・昔の全裸写真って

 その昭和の終わり頃、黒沢はユキちゃんって子のヌードを撮ってさ。高校時代はとうに思い出になり、黒沢は既に学生でもなくなっていたけどね。
 モデルになるのをOKしてくれた時、彼女は18歳の誕生日を過ぎてたから、ヌードを撮っても別に法的な問題は無かったのだけれど。ただユキちゃんは当時まだ高校3年生で、だから撮影は卒業式が過ぎてからにしたんだよね。
 まっ、「卒業してから働き始めるまでの間の、学生時代最後の春休みに撮った」ってことデス。
 ハイ、例の篠山センセイに倣って、「高校時代の記念に」ってやつでw。当時の黒沢って、篠山センセイが『GORO』で連載していた激写シリーズの影響をモロに受けてたんだよね。

 激写シリーズって、「もしキミが、キミのガールフレンドの裸を撮ったら」みたいなコンセプトで、主に素人の女の子を撮ったものなんだけど。
 何しろモデルは同級生にもいそうなフツーの可愛い子だし、篠山センセイもそれに合わせてわざと下手っぽく撮ってさ。
「下手っぽく」って、露出やピントはちゃんと合ってるのはもちろん、よくよく見ればポーズのとらせ方も巧いしモデルもすごく良い表情しているしで、「さすがプロ!」って感じなんだけどね。でもカメラを半端にかじったレベルで見ると「オレでも撮れるかも」みたいに誤解しちゃうような感じで、プロの技を隠して驚くほど自然に撮ってたよ。
 素人の可愛い子が脱いで、自然な笑顔を見せて自然に動き回ってる姿を抜群のシャッターチャンスで撮っていて、だから脱ぎ慣れたプロのモデルがエロいポーズをとってる普通のヌードとまるで違ってメチャ新鮮で、一大ブームを起こしたよ。もう、まるで「ずっと好きだった、同じクラスのあの子が脱いでくれた」みたいな感じでさ。
 ホント、昭和の終わり頃に青春時代を過ごした男性で、篠山紀信の激写シリーズを知らない人はまずいないと思うよ?

 で、高校を卒業する記念に最後の春休みに撮らせて貰った、ユキちゃんのヌードだけど。以前チハルさんを撮った時と同じように、上の服の胸のボタンを外すところから始めて少しずつ脱がせて行って、フィルム十本使ってパンツまで脱がせてしまったよ。
 その撮った十本のうち、最初の二本は着衣のままでカメラに慣れて貰って、続く二本半でだんだん脱いで貰って下着姿で撮って。そして三本でブラも外して胸を見せるとこから最後の一枚を脱ぐとこまで撮って、残りの二本半で全裸を撮ってさ。
 高校を卒業してまだ間もない子の、何も着てない自然な姿を撮れたんだよ? その日のうちに写真屋に駆けて行ったし、写真が仕上がるのも待ち切れないくらいだったよ。

 けど仕上がった写真を受け取ってみると、撮った写真に比べてプリントの枚数が何か少ないんだよね。
 どの写真の枚数が足りなかったって、ズバリ全裸の写真でさ。全裸でもポーズや構図の関係で写ってないのは大丈夫だったけれど、ヘアがちょっとでも写ってるカットは、ホントにただの一枚もプリントされてなかったよ。
 ちょっと考えてみてほしいのだけれど、ヘアって女の子が全部脱いだら見えるのが普通だよね。写らないように撮るにはいろいろ工夫が必要で、むしろその方が難しいくらいで。
 で、撮ったユキちゃんの全裸の写真のうち、ちゃんとプリントして貰えたのは三枚か四枚に一枚くらいだったな。もちろんエロい撮り方なんかしてないし、ちゃんとキレイに撮ったにもかかわらず、だよ?
 ヘアが写ってる写真は、現像はするけれどプリントは絶対しない……ってのが、当時の写真屋のスタンスだったんだ。で、性器も写ってて「コレは犯罪だろ」って場合には、そのまま警察に通報→逮捕って場合もあったみたい。

 何しろ写真を現像やプリントに出す時には、写真屋に名前も連絡先も教えなきゃならないからね。それに前にも話した通り、昭和の頃には写真屋と言うと町の小さな個人経営のところばかりだから、店のお客も常連ばかりで、オヤジさんとの人間関係も濃くてさ。
 だから今と違って、昔は写真は「自分で密かに撮って一人で密かに見る」ようなものではなかったんだ。たとえヌードであれ、他の誰かに見られて恥ずかしいようなものは撮れなかったんだよ。
 それでもどうしても人に見せられないような写真を撮りたければ、モノクロで撮って自分で現像と引き伸ばしをするか、ポラロイドみたいなインスタント写真で撮るしか無かったね。

 ただモノクロ写真を仕上げるには、現像や引き伸ばしに暗室と大量の機材が必要で、自宅に暗室まである人はカメラ好きの中でもかなり少なかったよ。SDカードを差し込んでボタンを押すだけの、デジタル時代のプリンターと比べると、銀塩写真のプリントの手間と暇の掛かり具合は、それはもう想像を絶するレベルでして……。
 それに黒沢は、女の子を撮るなら肌の色を生かしたかったし、「どうせ撮るならカラーで」って思ってたから。
 そしてインスタント写真は画質的に問題があり過ぎて、「とにかく写ってればOK」って人以外は、ちょっと使う気になれないようなシロモノだし。しかも引き伸ばすことも焼き増しも、どちらもほぼ不可だしね。

 で、黒沢は町の馴染みの写真屋に現像等を依頼する前提で、ちゃんとキレイなヌードを撮ってたのだけれどね。それでもただ「ヘアが写ってた」ってだけで、プリントはして貰えなかったのが、昭和の現実だったんだ。
 何しろ美術書として輸入された欧米の有名カメラマンの写真集でさえ、ヘアの部分を警察が容赦なく“修正”してしまって裁判になってしまうような、そんな時代だったから。問題は「エロか芸術か」じゃなくって、あくまでも「陰毛が見えているかどうか」が基準だったんだよね。
 ガールフレンドの女の子(←18歳未満も含む)をヌードモデルにして全裸まで撮っても問題ナシで、その写真を雑誌に載せたり展覧会に出したりしても、相手の合意があればOK。
 けどその公開した写真の中にヘアが写ってるものが一枚でもあったら、モデルの子が成人だろうが合意があろうが即アウトで、カメラマンは逮捕。
 公開せずにただ撮っただけでは、さすがにそこまではされないけれど。でもヘアの写ったヌードは、馴染みの写真屋でも絶対プリントしてくれないし。

 ……と言うとさ、「じゃあ全裸と上半身裸の写真の違いって、いったい何なワケ?」って首をひねりたくなっちゃうよね。
 それはもう、マジで「撮るカメラマンに見られたかどうか?」くらいの話でさ、作品になった写真で見えている範囲は上半身裸でも全裸でも殆ど変わらないようなものだったんだ。
 だからモデルにされる女の子から言えば、その頃に全裸を撮られるって言うのは、今のヘアヌードとは気持ちがかなり違ったと思う。だってカメラの前では下まで全部脱いでても、写真に撮れる部分は胸までだったからね。

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昭和の写真少年⑨・昭和のヌードって

 昭和の頃って、女の子のヌードを撮る事に何でそんなに大らかで寛容だったか。
 まあ例の宮崎某の事件が起きる前だったから、少女のヌードに対する世間のイメージが今とは全然違ってた(今は少女のヌード=ロリで犯罪、昔は少女のヌード=キレイでアート)ってのが、まず第一に挙げられるだろうけど。
 けどそれと同じくらいに、「写真がデジタルでなくフィルムだったから」ってコトが大きかったと思う。あと、「当時はまだパソコンも無ければ、ネットも存在してなかった」というのも大きいね。

 例えばデジカメもパソコンもネットも無い時代に、誰か女の子が写真家志望の彼氏に拝み倒されて、脱いでヌードを撮られたとするよね? で、その写真が悪用されちゃう危険について言うと、「無い」わけではないけれど、今とは比べものにならないくらい小さかったんだ。
 だって当時は、撮った写真はまずフィルムを写真屋に出して現像して貰わなきゃならなかったから。

 当然、その段階で写真は全部、店のオヤジさんのチェックが入ってしまうワケさ。
 さらに写真を引き取りに行く時にも、必ずその写真の確認も求められるし。カウンター越しに仕上がった写真をずらりと並べられて、「これで間違いないですね?」って。そしてその写真は、周囲の他のお客たちにもチラ見されるのは避けられないよ。
 だから「写真屋主催のヌード撮影会」みたいな企画もあった反面、露骨にエロい写真を撮ったりすると、写真屋で赤っ恥をかくことになるんだよね。言ってみれば、「近所の顔見知りのオヤジさん(お姉さん)がカウンターの向こうにいるレンタルビデオ店で、どエロなAVを借りるようなもの」って感じかな。

 昭和の頃は人間関係が今よりずっと濃密で、人の行動範囲も狭かったからさ。大型量販店や郊外型のショッピングモールなど殆ど無かったし、Amazonなんて存在すらしてなかった。
 あの時代には、モノは何でも近くの馴染みの店で、オヤジさんや奥さんと雑談の一つも交わしながら買うのが当たり前だったんだよね。カメラを買うのもDPEもキタムラとかじゃなくって、個人経営の小さな写真屋に頼ってて。
 DPEって、デジタルの写真しか知らない人には意味もわかんないかもね。現像(development)、プリント(print)、引き伸ばし(enlargement)の頭文字だよ。

 あの時代に写真に熱中していた人には、まず間違いなく行きつけの写真屋があって、暇があればそこに顔を出しては、顔なじみのオヤジさんとカメラ談義とかしてたよ。
 だから店のオヤジさんとお客の人間関係もかなり濃くて、店そのものも“マニアの巣窟”って感じだったからさ。だからカメラ好きには居心地の良い空間だったけど、フツーの女の子とか写真に興味のない人達には、ちょっと足を踏み入れにくい感じだったみたい。
 で、写真を現像に出す時には「○○に行って□□を撮って来てさー」みたいに話すし、オヤジさんも仕上がった写真を引き渡す時には、それを見て「よく撮れてますねぇ」とか言うし。

 うん、誰がどんな写真を撮ってるか、当時の写真屋のオヤジさんは間違いなくしっかり見てた
 今だったらさ、「プライバシーの侵害だ!」って文句をつけられちゃいそうだよね。
 けどフィルムの現像やプリントは、プロの業者にしか出来なかったからさ。だから「撮った写真は、出した写真屋や現像する人達に見られるのは仕方ない」って、みんな当然の事として受け入れてたんだ。

 つまり昔は、他の人の目に全く触れさせずにヒミツの写真を撮る」のは、まず不可能だった……ってコト。「絶対、他の誰にも見せたりしないから!」と固く誓ってガールフレンドのヌードを撮ったとしても、少なくとも現像した人と写真屋の人達はその写真を見ることになるのは、撮ったカメラマンも脱いでモデルになった子もわかってた。
 だから昔は、ヌードだって「他の誰かが見るに違いないもの」って前提で撮ってたんだよね。
 ヌードもあからさまにエロく撮ってるのは、Hな雑誌のカメラマンくらいでさ。他の大部分のカメラマンは、他人に見られても恥ずかしくないように、いかにもアートっぽく撮ってたんだ。心の奥底と言うか、本音の部分はどうあれ……ね。

 だから昔は、ヌードを撮ることについての理解はかなりあったんだよね。モデルを頼まれた女の子だって「ヌードはキレイなもので芸術なんだ」ってわかってくれてたし、だから18歳未満の子を脱がせてモデルにしても、「エロ目的でなく真面目に撮るならOK」って雰囲気だったんだ。
 けどその反面、撮った裸の写真を公開することに関しては、規制が今よりずっと厳しくてね。
 前にも紹介した昭和52年発行の『ぼくたちは気持ちのいい写真を撮りたい』のヌードの撮り方のページの⑥に、「被写体に一カ所だけ、写して公表すると罰せられるところがある。そこを上手にかくすことも表現技法として考えていこう」って書いてあるのだけれど。
 この「写して公表すると罰せられる一カ所」って、いったいドコだと思う?
「簡単過ぎるわ、マ○○しかありえねーだろ」って思ったキミは、残念だがハズレだよ。
 まあ女性器も写して公表したらモチロン罰せられるけど、正解は「アンダーヘアー」なのだ。

 例えば今、ヘアヌードって言葉があるよね? でもそんな言葉、元の英語にはどこにもねーよ。
 英語での定義を正確に言うと、nudeとは全裸のことで、当然上も下も全部見せているものなんだ。だから「ヌード=ヘアも見せているもの」であって、わざわざ“ヘア”とか付け加える必要などないワケ。
 じゃ、何でヘアヌード(陰毛ヌード?)なんて和製英語が作られたかと言うと、ヘアが写ってるヌード写真を撮って公開することは、昭和の時代には犯罪だったからなんだ。

 今だったら、ヌードと言えばヘアも写ってるのが普通だし、そもそも第二次性徴期以後の人なら生えてるものだよね。無毛症、大人になっても陰毛の生えない人もいるけれど、割合としては千人に一人ほどらしいから、まあ「殆どの人にあるもの」って言っちゃっても間違いではないと思う。
 けど昭和の時代のケーサツは、「ヘアは人に劣情と羞恥心を起こさせるもの」と決めつけていたんだ。だからヘアが写った写真を公開すると、すぐに逮捕状を持った刑事サンがやって来て、猥褻物陳列罪だの猥褻図画所持販売罪だので検挙されちゃうのだ。
 ハイ、雑誌や写真集に載せるだけでなく、ただ写真展に出すだけでもアウトだったのでアリマス。それであのアラーキー先生なんかも、ケーサツと何度かモメてたなー。

 もちろん先進国でこんなだったのは日本だけで、欧米ではヌードにヘアが写ってるのが当たり前だったよ。国によっては、ズバリ性器まで写っててもOK、ってトコまであるくらいでさ。
 だから欧米のヌード写真集が輸入する時には、ヘアの部分をいちいち全部黒く塗り潰してたんだよね。たとえ撮ったのがどれだけ有名な写真家で、アートとしてどれほど高く認められているものでも。

 ほら、若い人向けのマンガや小説によく出てくるよね。性的なことに異常に過敏で、ちょっとでもエッチっぽいものを見つけると「イヤラシイ! 許しませーん!!」とか目を吊り上げて怒りまくる、時代錯誤でカタブツな女子の風紀委員(←優等生だけどヒス気味でキレやすい)。
 その挙げ句に、たまりかねた健全な男子wに「いつもイヤラシイ、イヤラシイってさあ、何でもそーゆー目で見るオマエの頭ン中の方がずっとイヤラシイんじゃねーのかよ!」って言い返されて、言葉に詰まって真っ赤になる……みたいな。
 当時の日本のケーサツって、まあそんな感じだったと思って下サイ。
 で、写真家やら文化人やらと長い長い論争や、猥褻の基準を巡る幾多の裁判を経て、渋々ながら「性器はNGだけど、ヘアはまあ見逃してやるか」ということになったのが、何と平成の世になって更に四年も過ぎてからのことなのでアリマス。

 ちなみにそのヘアが解禁される切っ掛けになった、日本初のヘアヌードwwwは樋口可南子さんの写真集で、撮ったカメラマンはかの篠山センセイなのだ。
 で、全裸であってもヘアを見せるのは許されてなかったそれ以前のヌードと区別する為に、あえて“ヘアヌード”って言い方が生まれたんだよね。
 だから昭和の日本のヌード写真って、どんなエロ雑誌のグラビアだってヘアすら写ってなかったんだ。そしてその露出が少ない分を、ポーズや表情やシチュエーションなどのエロさでカバーする……みたいな感じでね。

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昭和の写真少年⑧・撮ってる方もドキドキでした

 カメラの前で初めは緊張していたチハルさんも、何枚も撮られてるうちに次第に慣れてリラックスしてきて。そしてその頃合いを見計らって、黒沢はこう声をかけてみたんだ。
ブラウスのボタン、一つ外してみて

 普段の時ならこんなコト言えないし、相手の女の子だって「何ヘンなコト言ってんの!」って反応になるよね。けど撮影の途中で、いろいろポーズをとって良い流れで撮られてる時なら、女の子だって「まあボタン一つぐらいなら」って感じになる。
 それに黒沢は、ヌードを撮ってみたい気持ちがあるコトも、それ以前にチハルさんに話してあったから。だからチハルさん自身、「もしかしたら、脱がされるかも」みたいな事も、まず間違いなく頭の片隅にあった筈なんだよね。

 だからか一つ目のボタンは、殆ど躊躇わずに外してくれて
 そしてまた暫く撮り続けた後で「もう一つ外してみて」と言ったら、今度は僅かに躊躇った後で、けど黙って言う通りにしてくれて。
 もう胸元はかなり見えちゃってるけれど、下のブラだけはギリギリ見えてない……って状態で撮影を続けてさ。

「ボタン、もう一つ外して」
 そう言うと、今度はチハルさんも流石に直ぐには手が動かなかった。
えー、下着、見えちゃうよぉ
いーから、大丈夫大丈夫
 ……いったい何が大丈夫なんだか。

 けどチハルさんは、ううー」とか言って上目遣いに軽く睨みながら、胸のボタン、外してくれてさ。
 もちろん全然大丈夫じゃなんかなくて、その途端に下のブラが見えちゃって。そしてその日は風も時々吹いていて、その風にあおられてブラはもう丸見えに近い状態だったよ。
 けどチハルさんは隠すとかしないで、そのまま言われたポーズを撮り続けてくれたよ。
 その三つ目のボタンを外した時、きっとブラまで見せる覚悟が出来てたんだろうと思う。

いっそさ、ブラウス全部脱いじゃおうよ
 そう言ってみると、チハルさんは黙って頷いて脱いでくれたよ。
 上半身はブラだけのチハルさんを暫く撮って、そして「肩を出してみようよ」って言って、ブラのツリのの部分を両方外して貰ってさ。
 うん、だから当然、半分外れかけたブラを手で抑えてような感じだよ。

 ココまでは、まあ順調だったと思う。
 ただ「ブラもとっちゃおう」って言ったら、チハルさんはイヤだとは言わなかったけど、動かなくなっちゃったんだ。表情も、それまでよりハッキリ硬くなってたし。
胸は手で隠してていいからさ、とにかく外すだけ外してみて?
えー、でもぉ……
脱ぐ時、ちゃんと後ろ向いてるから
 そう言って黒沢が背を向けると、
わかった、絶対こっち見ないでよ?
 やっとそう言ってくれてさ。

「もういいよ」
 そう言われて振り向くと、上半身裸のチハルさんが両手で胸を隠した姿で立っててさ。
 ま、今で言う“手ブラ”って状態だよね。
 セミヌードって言うのかな、そんな感じでまた暫く撮ったよ。

 けどそこまで脱がせたら、ここで終わりになんてしたくないじゃん? ブラまでとってもらえたなら、下はともかく少なくとも胸は見せてほしい、って思っちゃうよ。
ちょっとだけでいいから、手もはずしてくれられる?
 チハルさんもさ、ブラを外したところで殆ど諦めがついていたと言うか、覚悟も出来ていたんだろうね。
う……うん
 躊躇いつつそう頷いてくれたところで、間の悪いことに人が来ちゃったんだよね。この人気の無い静かな海岸でイチャイチャ、ラブラブしに来たらしいアベックが。

 遠くに人の姿を見た途端、チハルさんは「キャッ!」って小さな悲鳴を上げて、両手で胸を隠したままその場にしゃがみ込んじゃうし。
 黒沢だって裸のチハルさんを見せ物にするつもりは無いし、脱いであったブラウスを即座に渡すなり「撤収!」って感じで、逃げるようにその場を後にしたのでありマシタ。

 と言うワケで、黒沢がヌードを撮れたかも知れなかった初めてのチャンスは、その寸前で未遂に終わってしまったんだ。
 ただ同じ高校の子を上半身裸にさせて手ブラ姿まで撮ってたのは事実だし、もしその時に例のアベックが来なかったら、まず間違いなく“現役JKのヌード”を撮っちゃってたと思う。
 今だったら、「おめー、もしそのまま撮ってたら犯罪だゾ。そのアベックに感謝しろや」って言われるところだよね。

 ただその頃って、あの篠山紀信センセイや荒木経惟センセイなどの大物の写真家でさえ、女子高生どころか女子中学生のヌードもバンバン撮ってたんだよ。そしてその裸が載った雑誌や写真集が、何の問題もなく本屋にフツーに並んでたような時代だったんだ。
 それも「18歳未満お断り」のアダルト本コーナーでなく、誰でも見られる一般書籍のコーナーにね。
 沢渡朔さんの『少女アリス』って写真集なんか、モデルは8歳のガチな幼女だったし。18歳の間違いではなくホントに8歳で、しかもそのヌード写真集がアダルト本のコーナーではなく、アートとして美術本のコーナーで売られてたんだよ。
 だから当時の黒沢は「ヌード=キレイなもの」って信じてたし、同じ高校生の女の子を脱がせて撮ることについて、「悪いことをしてる」なんて意識は全然無かったんだ。
 そしてチハルさんたち当時の女子高生も、脱いでモデルになるのを「いけないこと」とは決して思ってなかったんだ。もちろん「恥ずかしいし、勇気もすごくいること」に違いないけれど、「ホントに信用できる人に、真剣に頼まれたら脱いでもいい」って感じでね。

 実際、篠山紀信センセイなど大物写真家の事務所などには、「高校を卒業する記念に、私のヌードを撮って貰えませんか?」って、フツーの女の子(←現役JK)がやって来ちゃうくらいでさ。
 それも別に「それで名前を売って、芸能界デビューしちゃおう!」とかの下心があったわけじゃなくて。純粋に青春の記念に一度だけ脱いだ後、彼女たちはホントにそのまま就職なり進学なりして、フツーの女の子として過ごしてるんだ。
 だから中高校生向けの『ぼくたちは気持ちのいい写真が撮りたい』って本に「芸術のためだ、キミのガールフレンドに脱いでもらおう」と書いてあって、そしてその本に全国高校長協会長サンが推薦文を寄せていても、別に不思議なことでは無かったんだ。
 ちなみにこの『ぼくたちは──』は、日本図書館協会の選定図書でもありマス。

 そんな時代だったから、もし流れのまま黒沢がチハルさんの裸を撮っちゃったとしても、あの頃だったら何も問題にならなかったと思う。かの青少年保護育成条例もナイから、女子高生のヌードも「これは芸術だ!」で押し通せたし、警察や学校も関係ナイ……って感じでね。
 さすがにヌードは見たことはなかったけれど、市内の別の高校の写真部の写真展では、ガーフルレンドらしい子の下着姿を撮った作品が堂々と飾られてたりもいたよ。
 高校の写真展だよ? そーゆー写真も作品として出すことを、もちろん先生や学校側も認めてたってコトだよ。

 実は黒沢は、その後も同じ高校の後輩の子のセミヌード(タオルで胸だけかくして……みたいな感じ)まで撮って、「さあ次の撮影ではヌードを撮ろう!」って話が決まったトコで、その後輩のお母さんからストップがかけられたことがあってさ。
 けどそのお母さんにも、頭ごなしに叱られはしなかったよ。まず「キミが本当に写真を頑張ってるのもわかるし、うちの知り合いにも写真をやってる人がいるから、ヌードを撮りたい気持ちもよくわかります」って、こちらの立場や気持ちにも一定の理解を示してくれて、その上で穏やかに「ただ娘には、ヌードはまだ早いから」って感じでね。
 その後輩の子は1年生でしかも誕生日前だったから、当時まだ15歳だったワケで。
 今だったら、まず間違いなく「ウチの娘に何するの!」って怒鳴り込まれて、「学校にも連絡して処分して貰いますからね!!」って話になっちゃうよね。下手をすれば、「警察にも通報!」とか。
 けどその頃はむしろ相手の子の親の方が、断り方に気を使うくらいだったんだ。

 知ってるかな、江戸時代の湯屋(今で言う銭湯ね)って、マジで混浴が当たり前だったんだ。
 江戸は埋め立て地がかなりを占めているから、井戸を掘っても海水しか出ないような所が多くてね。だから家に風呂なんて無いのが普通で、内風呂があるのは身分のある武家の屋敷くらいだったんだ。
 だから長屋のおかみさん連中はもちろん、それなりの商家の娘や御家人クラスの武家の娘も、ごくフツーに湯屋に行って混浴してたワケ。

 混浴なんて、今じゃ「信じらんない、あり得ないでしょ!」って話だよね。けど江戸時代の娘さん達は、触られるのはNGだけれど、裸を見られるのは大して気にしてなかったーです。
 年頃の娘さん達と混浴していればね、男の中にはやはり良からぬ気持ちを起こすヤツもいて、娘さんをそーっと触っちゃう不心得者もいたそうで。でもそんな時には男が青くなるくらい凄い剣幕で叱り飛ばして、痴漢を退散させちゃうんだって。
「触んじゃねーよッ、テメーでマスかいてろ!」ぐらいのコトを、年頃の可愛い娘さんが伏せ字ナシで平気で怒鳴ったりするのだとか。
 ちなみに封建社会でも江戸の町だけはかなり女性上位で、女の人がとても強かったのだ。
 そんな感じで「何が良い事で何が悪い事なのか」って基準は、時代によってかなり変わるんだよね。


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昭和の写真少年⑦・85mmは“神レンズ”デシタ

 ところでこう話してきた黒沢自身は、女の子にちゃんと脱いで撮らせて貰えたのか……って?
 高校時代についてだけ言えば、残念ながらNOなんだ。黒沢が仲の良かった子にヌードを撮らせて貰えるようになったのは、大学に進学して東京に出てからだったよ。

 結局それは黒沢自身の人格の問題と言うか、相手の女の子に「脱いで撮らせてあげてもいいナ」と思って貰えるだけの器になれてなかったせいだと思う。
 写真に一生懸命だったのは誰から見ても間違いなかったのだけど、とにかく「キレイな写真が撮りたいんだ!」って自分の気持ちだけで、もういっぱいいっぱいでさ。相手の気持ちまで考えて「急がば回れ」とか「押しても駄目なら引いてみろ」とかいう気持ちのゆとりみたいなものが、まるで無かったんだ。
 あの「鳴かぬなら……」のホトトギスで例えれば、「脱がぬなら、脱ぐまで待とう、女のコ」ではなく、ひたすら「脱がしてみしょう」と押しまくるばかりでね。
 ただ焦る余りに「脱がぬなら、ひん剥いちまえ」とかの犯罪行為にまでは至らなかったのは、まあ不幸中の幸いと言うか。

 で、「撮りたい!」って自分の気持ちよりまずその子と仲良くなることを優先させて、半年とか一年とか時をかけて長期戦で信頼度を高めるようにしてみたら、結果として脱いで貰えるようになったんだ。
 そう、だから身近な女の子の誰かに「モデルになってほしい!」って思ったら、その子を口説くのは暫く我慢して、まず友好度を上げるのに専念した方が良いかも。そうすれば、焦らなくとも結果は必ずついてくるからね。

 でもね。ヌードではないけれどヌードっぽい写真なら、実を言うと高校時代に撮ったことがあるんだ。
 相手は例のチハルさん。
 それとなく入れた探りに、「そのカメラマンが私の彼でなくても、信念を持って撮ってる人なら上半身ぐらいなら脱げるかも」って返事をされたら、カメラを持つ者としてはやはり期待しちゃうじゃん。
 で、さらに「じゃ、黒沢のモデルになって脱いでくれられる?」って聞いてみたんだよね。
 そしたらチハルさんは、かなり考え込んだその後で「全部は脱げないけど、ブラぐらいだったらとれるかも」って。
 メチャ嬉しかったの、今でもよく覚えてるっス。

 それはもちろん、できるものなら全部脱いでほしかったさ。けどヌードを撮った経験どころか、女の子の裸の胸さえナマではまだ拝んだことも無かった当時の黒沢としては、上だけでも脱いでくれるってだけでもう感動ものだったよ。
 ただ少し冷静になってみると、チハルさんのその「ブラぐらいだったらとれそう」って遠回しな言い方が、何か気になってさ。
 で、「それって、胸までなら見せてくれられる、ってことだよね?」って、改めて確かめてみたんだよ。
 対するチハルさんの答えは、やはり何か煮え切らなくてね。「うーん、胸を見せても……っていうより、ブラをとってもいいかな、って」とのコトで。

 胸を見せるの、絶対イヤってわけじゃないけれど、やっぱり恥ずかしい。チハルさんの気持ちは、要約するとまあそんな感じなのだろうね。
 男からするとさ、「見せてくれるのかどうか、ハッキリしてくれよ!」って言いたくなっちゃうところだけど。
 ただ女の子って、こーゆー「自分でもよくわからなくて迷ってて、結局その時の気分次第」ってコトがよくあるんだ。そしてそーゆー時に答えを迫って無理押しすると、まず間違いなく「やっぱりやめる」って話になっちゃう
 たとえ期待してたほど脱いで貰えなかったとしてもさ、焦って話をブチ壊しにしてまるで撮らせて貰えなくなっちゃうよりずっといいよね?
 で、「どこまで見せて貰えるかは、チハルさんの気分と黒沢の口説き次第」みたいな感じで、一対一で撮るところまで持って行ったんだ。

 その頃黒沢が住んでいた町には、そこそこ名の知られた海岸があってね。
 ただ「知られてる」とは言っても、全国レベルの知名度ではなかったから。観光客も土日にはそれなりに来ていたけれど、平日はもう殆ど人影もナシ……って感じ。
 しかも海岸と近くの人家の間には長い松林が続いているものだから、人の目にも触れにくいし、静かで寂しいくらいの場所なんだよ。だからアベックが来てエッチなことをする所としても、地元の一部の人達には知られていたりして。

 で、黒沢はチハルさんを、その海岸で撮ったのだけど。
 そこは学生だし、平日の授業の後に黒沢の自転車で二人乗りして海に向かってね。
 黒沢としてはもちろん、脱がしちゃう下心は満々だったさ。けどさすがに、撮影場所に着くなり「さ、脱いで!」とか言うほどアホじゃ無かったよ。
 最初はやはりね、服はそのまま、ポーズも殆どつけずにごく自然な表情とか撮ってさ。カメラは当時の黒沢が女の子を撮る時必ず使ってた、ワインダー付きのOM-1と85mmF2のセットだよ。

 写真がデジタル化された今でも、85mmって“ポートレート・レンズ”として知られてるよね。
 一眼レフで写真を撮り始めてまだ間もない頃、黒沢は「何で85mmなんてレンズが要るんだろ?」って不思議に思ってたよ。だって“望遠”なんだから、もっとバーンと大きく写るレンズじゃなきゃ意味ねーだろ、みたいな感じで。
 特にフィルムの一眼レフの標準レンズは50mmだったから、85mmなんてそれと殆ど変わらないように思えてさ。「こんな望遠の名にも値しないような半端なレンズ、必要ないじゃん」って、マジで思ってたよ。
 実際、標準レンズと付け替えてみても「写る範囲がちょっと狭くなったなー」って程度でさ。「遠くのモノが大きく見えるようになった!」みたいな実感、殆ど無いからね。
 しかもこの85mmって、ほんの少ししか大きく写らないくせに、値段はかなり張るんだよ(メーカーや明るさにもよるけれど、まあ4~10万くらい)。

 いろいろ勉強して経験も踏むうちにわかってきたけれど、このレンズ、望遠レンズと思っちゃダメなんだよね。そうじゃなくて、ズバリ“女の子撮り専用レンズ”なのだ。バックはボケやすいし、程良い距離でアップを撮りやすいしでね。
 実際、標準レンズで女のコを撮ると、アップの時に距離がやや近くなり過ぎちゃうんだよ。

 人間にはパーソナル・スペースってものがあって、平たく言えばまあ動物のテリトリーみたいなものかな。そしてその範囲内に近づかれると、不安になったりイヤな気持ちになったりするらしいよ。
 そしてそのパーソナル・スペースってのが、だいたい1.2mくらいなんだって。
 で、50mm相当のレンズで撮ると、バストショットでその1.2mくらい、そしてアップでは1mを切ることになっちゃうんだ。
 だから標準レンズで女のコを撮ると、ごく当たり前なバストショットですら、問題のパーソナル・スペース内に踏み込むことになりマス。

 キミもちょっと想像してみてごらん。スマホやコンデジならともかくさ、大きな一眼レフで顔の間近にまで迫られたらかなり圧迫感を受ける筈。
 ましてや相手は異性で、プロのモデルでもないフツーの女のコなんだ。それで距離1mくらいで、大きなカメラで激写……って、これ女のコは絶対ドン引きだよね?
 ただそのパーソナル・スペースってのは一般論だから、恋人とか家族とかなら、もっと近づいたって平気になるよ。だからそのモデルの子との“心の距離”がもっと近くなれば、いずれ50mmの出番も回って来るというものさ。
 でも恋人か家族か、でなければ親友と言えるくらい親しくなるまでは、ある程度長めのレンズでやや距離をとった上で撮る方が良いよ。

 とは言うものの、女のコを撮るにはレンズがあまり長過ぎるのも不向きなんだ。
 今はコンデジでもズームは最低5倍、そしてちょっとイイやつになると10倍や20倍が当たり前で、望遠側は300mm相当だの500mm相当だのだったりするよね。デジイチのエントリー機のダブルズームキットの望遠レンズだって、換算すれば400mmを越えてたりするし。
 けどね、そんな長すぎるレンズはスポーツの競技中か隠し撮り以外、女のコを撮るにはまず使えないよ。
 だってモデルとの距離が遠くなり過ぎて、怒鳴るような大声でなきゃポーズの指示も出来ないようじゃ、撮影のムードぶち壊しだもんね。

 その点、85mmって撮るキミとモデルの女のコの距離が絶妙なんだよ。
 ポートレートで最も多い、縦位置で上半身と言うかバストショットをこの85mmで撮る場合、相手の子との距離は2mくらい、そしてアップでも1.5mってとこかな。
 この距離感って、実際に撮ってみると何ともイイ感じでさ。相手に圧迫感や警戒心を抱かせるほど近くなく、けど声を張り上げることもなく、ごく自然に会話が出来て……って感じでね。

 85mmの利点ってのは、無論それだけじゃなくて。レンズのボケって50mmを越えると急激に大きく柔らかくなって、85mmのボケ味も50mmとは段違いだよ。
 確かに50mmだってそこそこキレイにボケる、けど85mmと較べてしまうと違いは明らかなんだよね。例えて言うなら、回転寿司の美味しいのと、回ってない高級な寿司くらいに違うから。

 85mmのボケ味を知らなければ、50mmのボケでもキレイと思って満足しちゃうけど。ただ85mmの味を一度知っちゃうと、「50mmがあれば充分」なんて、とても思えなくなっちゃうんだ。
 だから女の子のグラビア写真を撮るプロ達は、まず間違いなく85mmのレンズを持ってたよ。一眼レフも大半がAPS-Cサイズで、レンズもズームが当たり前な今はちょっと違うようだけれど、少なくとも「写真はフィルムで、レンズは単焦点」って時代にはそうだったんだ。
 で、黒沢も高校の休みに必死にバイトしてその85mmを買って、もう「気分はプロ!」って感じでチハルさんの撮影に臨んだわけデス。

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昭和の写真少年⑥・モデルを本気で頼むなら

 じゃあ「ヌードのモデルを頼むなら、どんな子がイイのか」って?
 黒沢の経験から言うと、口説いて脱いで貰えた確率が高いのは「学校では真面目で勉強もデキる方で、芯が強くて責任感もあって、人に頼るよりまず自分でよく考えてみる」って感じの子だね。
 ズバリ言えば、まあ“委員長タイプ”の子が狙い目なんだ。

 と聞いて、思わず「ありえねー!」とか呟いてしまったキミは、女の子をまだよくわかってないね。
 確かにそーゆータイプの子に下心アリの浮ついた気持ちで「ヌードを撮らせて」なんて言おうものなら、氷より冷たい軽蔑の眼差し&平手打ちくらい覚悟しなきゃならないよ。それどころか、問答無用で職員室に引っ張って行かれるとか、ケーサツに通報とかもされかねないかも。

 けどこちらが本気で口説いた時に一番真面目に考えてくれるのも、このタイプの真面目な子なんだ。
 つまり「真剣さや真面目な気持ちが一番通じるのは、やはり真面目な子」ってこと。
「エロじゃないキレイなヌードを撮りたいんだ」とか、遊び慣れてるギャル系の子にはどけだけ本気で言っても通じない……というのは、前にも話した通りだけれど。
 で、その真逆の「気持ちがスレてない真面目な子」ほど、本気で撮りたい気持ちを一番本気で受け止めてくれるものなんだ。

 あとね、撮る方から見て委員長タイプの子には、もう一つメリットがあって。
 ついその場の空気で脱ぐのをOKしちゃうような子ほど、いざとなると「脱ぐとかやっぱムリ、ゴメンナサイ」と言い出す確率も高いものだけど。そしてその断る時にも、お友達まで動員したりしてね。
 まあね、プロのモデルならともかく普通の女の子なんだから。脱いで撮られるのをOKした後で、いろいろ不安になったり、気持ちが揺れたりして当然なんだけど。
「裸を撮らせる約束なんかしちゃて、ホントに良かったのかなあ?」とか、「やっぱムリ……って断っちゃおうか」とか。
 しっかりしていて気も強いようでも、年頃の女の子なんだから。悩んで気持ちが揺れるのは、委員長タイプの子も同じだよ。
 ただ気が弱くて流されやすい子と違って、委員長タイプの子は“相談”と称して友達に泣きついたりしないで、悩んでも自分の心の中で解決しちゃおうとするんだよね。
 そして任感も強いだけに「一旦約束しちゃったんだから、今さらイヤだなんて言ったら相手に悪い」って考えて、揺れる気持ちを抑えて頑張って脱いでくれちゃうんだよ。
 黒沢の経験的に言って、この委員長タイプの真面目な子が一度「わかった、脱いでもいいよ」って約束してくれた場合、その言葉通りに脱いでくれた確率は十割だったよ。

 そうそう、委員長タイプの真面目な子の他に、美術部とかで自分でも絵を描いてる子も狙い目だよ。
 だって絵の世界には裸婦とか当たり前にあるし、だから「女の子の裸体はアートで、ヌードにもエロじゃないキレイなものがある」って、美術系の女の子はごく自然にわかってくれてるんだ。
 そう言えば黒沢のモデルになって脱いでくれた女の子のうち、約半数は美術部だったり漫画家志望だったりとか、とにかく絵を描くのが好きな子だったな。

 ってコトで、もしキミの「キレイなヌードを撮りたい!」って気持ちが本物なら。委員長タイプの子や美術部の子とかで真面目な女の子を、思い切って口説いてみるといいよ。
 キミが撮りたい相手の子が、もし青少年保護育成条例に触れる年齢だったら。今はとにかく「18歳になったら……」って約束だけしておいて。
 そしてそれまでは、水着なりランジェリーなり、或いは裸なんだけど肝心な部分だけは手や花やヴェールなどで隠すとか、法に触れない範囲で撮られるのに慣れておいて貰うテもあると思うよ。

 で、黒沢はある時、ちょっと仲の良かったチハルさんに、ヌードに対する偏見の有無や脱ぐことへの抵抗感について探りを入れるつもりで、こう尋ねてみたんだ。「あのさ、もし誰かカメラマンに、ヌードを撮らせて……って真剣に頼まれたら、どーする?」って。そしてその返事次第で、脱ぐモデルも頼んじゃおう……みたいなつもりでね。
 で、当時同じ高校2年生だったチハルさんの答えは、まあこんな感じデシタ。

 そのカメラマンが私の彼だったら、最初はためらってしまうけれど、きっと全部脱げると思う。
 けど相手が知らないカメラマンだったら、「脱いで」って言われてもムリだよ。
 ただそのカメラマンが私の彼でなくても、信念を持って撮ってる人なら上半身ぐらいなら脱げるかも


 そのチハルさんの他に、カホさんって子にも似たような事を尋ねてみたのだけれど。
 そしたらカホさんも、同じようなことを違う表現でこう答えたよ。

 知らない人なら、即答で断る。
 でも知ってる仲の良い人にきちんと頼まれたら、「絶対イヤ!」とは言いにくいよ。
 だからそのヒトの口説き落とし方次第じゃないかな。


 結局さ、モデルを頼んで脱いでもらえるかどうかは「キミがその相手の子と、信頼関係がどれだけ築けてるかが勝負!」、ってコト。
 逆に言えば、キミの身近にもいる可愛い女友達に「脱いでモデルになって貰おう!」って場合には、実はキミはプロの有名カメラマンより有利なんだよ。
 まあね、「コレで名前が売れたら、芸能界デビューしちゃおう!」とかいうよーな子の場合は、「どうせ脱ぐなら、有名プロに撮られなきゃ損」って思うかも知れないけど。
 でもそんな下心とか無い普通の女の子だったら、もし脱いで撮られるとしても、初対面のプロカメラマンより、普段から仲の良くて気心も知れているキミの方を選ぶ筈。

 え、「もし断られてその後その子と気まずくなって、それまでの人間関係がおかしくなってしまったらイヤだし、仲の良い子だからこそヌードとか頼みにくい」って?
 ……それはあるかも、確かに。その相手の子といくら仲が良いからって、本気で頼めば脱いでもらえるなんて限らないからね。
 ただ相手の子とホントに仲が良くて、信頼関係も出来ていれば、「エロ目的でなく、真面目に頼んでるんだ」ってちゃんとわかってくれるし、たとえ断るにしてもキミのことも悪いようには思わないと思うよ。
 大丈夫、その子と普段から何でも話せてて、そしてキミが本気で写真に打ち込んでる姿も見せていれば、そのくらいで人間関係が壊れたりはしないから

 時々いるんだよね、身近な子にはモデルとか頼みにくいからって、友達に「写真を撮られるの好きな女の子、誰か紹介して」みたいに頼んじゃうヤツ。実はコレ、後々トラブルになりやすいから、出来れば避けた方が良いと思う。
 うん、キミと友達は仲良しだし、その友達と相手の女の子も仲良しだろうさ。けどだからって、「キミとその女の子も仲良し」ってわけじゃ、全然ないんだからね。

 つまりその子とキミは、ズバリ「友達でも何でもなくて、信頼関係も殆どゼロ」ってこと。
 そしてそーゆーキミのことをまだろくに知らない子ほど、後でキミのことをいろいろ言い触らすものなんだ。「聞いてよ、あたしヘンなヤツに裸を撮らせろとか言われたんだよ、もうサイテー!」みたいにね。
 だから「モデルに出来そうな子を友達に紹介して貰う」ってのは、実は効率は良くないし、黒沢としてはお勧めしたくないよ。

 チハルさんやカホさんの話でもわかるように、フツーの女の子にモデルになって脱いでもらえる確率は、あくまでも「普段から仲の良いキミ>有名プロカメラマン>>>>越えられない壁>>>>よく知らないカメコ」なんだ。
 と言うワケで、もしキミが興味本位や遊び半分でなく本気でヌードを撮ってみたければ、是非キミと仲の良い誰かを口説いてみることをお勧めするよ。別に彼女でなくても、幼友達なり、気の合う同級生や同じ部の仲間とか、「気心の知れた女友達」って身近に案外いるものだよね?
 例の『ぼくたちは気持ちのいい写真が撮りたい』じゃないけれど、「芸術のためだ、キミのガールフレンドに脱いでもらおう。大フンパツしてモデルさんを頼むより、ガールフレンドに頼む道もあるんだ」っての、黒沢は絶対イイと思う。

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昭和の写真少年⑤・モデルを頼むのはNGな子は

 黒沢の場合、将来の夢は写真家で「写真を撮ることしか頭にない奴」って、周りの皆が知ってたから。若さゆえの過ちwってやつで、相手の迷惑も考えずに写真に賭ける情熱wwwを熱く語ったりもしていたしね。
 そして黒沢のコトを大嫌いだった女子でさえ、黒沢の写真の腕だけは認めてくれていたから。
 今思い出してみても、高校時代に同じ学校の女子たちにカメラを向けて、イヤな顔をされたり逃げられたりしたことは殆ど無かったな。普段はあまり仲の良くない女子でも、カメラを向けるとその瞬間だけは、パッと花が咲くような笑顔を見せてくれてさ。
 ま、撮り終わったらもう赤の他人……って感じで、関係は一ミリも変わらないままなんだけどねw。

 つまりさ、
 ①もう「人生賭けてる」って言うくらい、写真に打ち込んでる。
 ②ただ情熱だけでなく、キレイに撮る腕もそれなりにある。
 この二つの条件をクリアしてて、相手の子もそれをわかっていれば、「ヌードを撮りたいんだけど」って頼んでも大丈夫だよ、きっと。それだけで誤解されてヘンタイ呼ばわりされちゃうみたいなコトは、まずないと思う。
 だって人間同士だし、エロ目的でなく本気でキレイに撮りたい……って気持ちが伝われば、相手の女の子だってモデルのことを少なくとも真面目に考えてくれるものだよ。
 ま、だからと言って「わかった、脱いであげてもいいよ!」って言ってくれるかどうかは別問題、だけどね。

 ただ人間はいろいろだし、話や道理の通じない“規格外のヒト”も、少数ながら間違いなく存在するのも事実だよ。
 中にはいるんだよね、「ヌード=エロ」と決めつけて、固くそう信じ込んでいる子が。このタイプは、相手がどんなに頑張って写真を撮ってるかとか、これまでどんなにキレイな写真を撮ってきたかとか、そーゆーコトを見ることも考えることもしないで「エロい写真を撮ろうとされた!」ってヒスっちゃう。
 だから普段から固定観念が強くて、人の話を聞かずに決めつける思い込みの激しいタイプの女の子は、初めから避けておいた方が無難だと思う。

 って言うかさ、いきなり「ヌードのモデルになって!」みたいに口説いちゃう前に、相手の子のヌードに対する意識を、普段の雑談からそれとなく探っておいた方が利口だよ。
 例えば時々、有名な女優とかアイドルが脱いで話題になったりするじゃん。そしたら世間話的にさり気なく、そうした話を振ってみればいいんだよ。
「○○さんもさ、若くてキレイなうちにヌードを撮っておきたいとか思ったりする?」とか、「エロじゃなくホントにキレイに撮られるなら、ヌードになるのもアリだと思う?」みたいに。
 で、「まだキレイなうちにヌードか……うーん、気持ちはわからなくもないけど、ワタシはスタイルとか全然自信ないし」みたいな答えだったら、脈アリと見て口説いちゃえば良いし。

 ちなみに、女の子で「ヌード? あたし体に自信あるし、良い機会だから撮ってもらおうかな」とか言う子なんて、まずいないからね。ホントは自信があって撮られてみたい気持ちがあっても、「あたし全然キレイじゃないし自信ないよ」とか言う生き物なんだ。
 だからそのあたりは理解して、可能性がゼロでも無いような煮え切らない返事だったら、「いや○○さんはマジ綺麗だって!」と褒めまくり、拝み倒してモデルになって貰っちゃおう
 逆に「ムリムリムリ! エロじゃないヌードなんてあるわけナイじゃん!!」みたいな拒絶反応が即座に返って来たとしたら。その時は頑張って説得を続けるより、諦めて別の子を探した方が時間の無駄も少なくて賢明だね。

 あと、気が弱くて自分が無いタイプの子ってのも、実はかなり要注意なんだ。
 その種の押しに弱そうな子って、つい「気持ちを熱く語って、ちょっと強引なくらいに口説けば脱いでくれるだろう」みたいに思っちゃうよね?
 うん、それは確かにそうなんだ。
 このテの女の子は、まず自分がない分だけその場の空気に流されやすくて、熱く口説かれるとつい「そーなのか」って思ってしまいがちでさ。そしてまた気が弱い分だけNOと言いにくくて、「断ったら相手に悪い」って気持ちから、本当はその気じゃなくてもOKの返事をしてしまいがちなんだ。
 で、口説いた方からすると意外なくらい簡単に、「わかった、脱いでモデルになってもいいよ」なんて言ってくれちゃう。

 けどこのモデルOKの返事って、心から納得しての答えじゃナイから。気の弱さと自分の無さから、ついその場の空気に流されて口にした答えなワケで。
 だからこのテの子は、家に帰って一人になると必ずまた迷って悩んじゃうんだよね、「さっきは脱ぐって言っちゃったけど、やっぱムリ、どーしよー」みたいに。
 そして自分で決めることも、自分で断ることも出来ないから、こーゆー子はまず間違いなく“相談”って形で友達を巻き込みマス。仲の良いA子さんやB美ちゃんとかに、「あのね、□□君があたしに、ヌードのモデルになれって言うんだけど、どうしよぉ……」みたいに。

 その子が相談した相手(A子さんやB美ちゃん)ってのが、幸いにもキミとも知り合いで仲も良好だったら、「あー、アイツなら悪いヤツじゃないし、ホントに写真ガンバってるみたいだよ」みたいに言ってくれるだろうけど。
 それでも撮る写真がヌードともなれば、流石に「イイ機会だし、撮ってもらっちゃえば?」なんて勧めてはくれないのが現実で。少なくとも「○○子がその気なら、まあいいんじゃない。でも迷ってるんだったら、やめておいた方が…」って感じになるかな。

 でもその友人のA子さんやB美ちゃんとかが、キミのことを知らない(または特に親しくも無い)場合には、まず99%以上の確率で「は? ヌードぉ!? よしなよ、絶対ヤバいって!!」って止めにかかる
 そして「気が弱くて、流されやすい」女の子は、友達にそう言われるとすっかり気が変わって、「うん、やっぱりそんなモデルなんて止めた方がイイよね」ってなっちゃう。しかも気が弱いwwwゆえに、かなりの確率で「どうしよー、あたし一人じゃ断れないよぅ」って話にもなってくる
 で、キミは突然“お友達の女子たち”に囲まれて、集団で吊し上げられる羽目になるのでありマス。「ちょっとお、ヌードを撮らせろだなんて何フザケたコト言ってんの!? この子、マジで困って悩んじゃってるんだからね!!」みたいにね。

 さらにその相談した“お友達”ってのが男(幼なじみとか、部活の先輩とか)だったりすると、話はもっとややこしいコトになるね。「ややこしい」っていうより、「物騒な」っていう方がより正確かな。
 男ってホント馬鹿で単純だから、女の子に“悩み事のそーだん”とかされて頼られると、すぐ頭に血が上って、騎士気取りwwwで「この子は俺が護る!」なんて思っちゃうからね。で、血相変えて「テメー、何ふざけた事ぬかしてんだよ!」って、胸倉を掴まんばかりの勢いでキミに詰め寄って来たりしてね。

 だから「気が弱い上に、自分が無くて流されやすい女の子」って、ヌードのモデルを一番頼んじゃいけないタイプなんだ。その場の雰囲気で「わかった、脱いでもいいよ」って言っては、後ですぐ「ヌードなんてやっぱムリ」って断ってくる常習犯だから。
 しかもその過程で、友達にも頼って相談しまくるのは確実だしね。
 この「相談しまくる」ってのは「言いふらす」ってのとほぼ同義語だという事も、よく覚えておいて下サイ。

 と言うと、「遊んでて男慣れしてるギャル系の子なら、度胸良く脱いでくれるんじゃないかな?」みたいに思いがちだよね。
 残念ながらそれもNOで、モデルを頼む相手として遊び慣れてる子ってのは、例の気が弱くて流されやすい子よりデンジャラスな存在なんだ。
 実は遊んでて男との付き合いにも慣れている子ほど、「ヌードはエロに決まってんじゃん」って考えがちなんだよね。いろいろ遊ぶうちに気持ちもどんどんスレてって、「男はエロい生き物」しか思えなくなっちゃってるし。
 そしてまた、そーゆーギャル系の子には、高確率でヤバげなDQN系の男友達がいらっしゃることも頭に置いておきませう。

 はっきり言って、遊び慣れたギャルに「エロじゃないアートとしてのヌードがある」と理解できる子なんて、まず99%いないね。
 そうしたギャルがもし脱ぐとしたら、
 ①エロ系の写真と承知の上で、お金と為と完全に割り切ってモデルになる。
 ②エッチなプレイの一つとして、彼氏に撮らせてあげる。
 この二つのパターンしか、まずあり得ないから。
 だからギャル系の子に「エロ目的じゃなく、ホントにキレイな写真を撮りたいんだ!」とか口説くのは、悪者に良心の大切さを説くくらい無意味なことだと理解しておこう。
 脱いでモデルになってくれそうな女の子って言うと、つい「頭もお尻も軽い子では?」みたいに思ってしまうのは、ホント絶対誤解だからね。

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昭和の写真少年④・キラわれても…

 黒沢の場合、高校時代は殆ど写真のコトしか考えてなくてさ。部活も迷わず写真部入って、学校にも殆ど毎日カメラを持って行っていたよ。
 カメラって、もちろん通学用の鞄の片隅に入るようなコンパクト・カメラなんかじゃなく、大きく重くてかさばる一眼レフさ。

 と言ってもキヤノンやニコンはあえて選ばす、愛用してたのはオリンパス……ってのが、ヒネクレ者の黒沢らしいところなんだけどね。
 こんな奴だから、後にカメラの電子化が進むと時代に逆行するように、クラシック・カメラの世界の泥沼に深~くハマってさ。しかも「一番好きなのはライカでもコンタックスでもなく、フォクトレンダー」という、廃人レベルの偏屈者になってしまうのでアリマス。

 で、夏休みや冬休みなどにはいつもバイトに励んでは、新しい機材を買い込んでさ。そして高校生の間に一眼レフ2台(OM-1OM-2)と交換レンズを4本(35mm・50mm・85mm・200mm)揃えちまったよ。
 学校の写真好きの先生でもここまで持ってた人は少なくて、随分羨ましがられたりもしたけれど。
 何しろ当時の黒沢は、「日大芸術学部写真学科に進んで、必ずプロの写真家になってやる!」って、本気で思ってたからね。だからこれくらい持っていて当然と言うか、「まだアレもコレも欲しい!」って感じだったよ。

 黒沢が車の免許を取ったのは大学生になってからだけど、その教習所でたまたま、同じ高校だったハナイくんと合って。
 学年は同じだけれど、同じクラスになった事は一度もナイ。
 仲が悪かったわけではないけれど、口をきいたことも殆どない。
 顔は覚えてるし名字もわかるけれど、下の名前は知らない(←忘れたのではなくて、そもそも聞いたことさえ無かった)。
 ハナイくんと黒沢ってのは、まあそんな関係で。
 けどそーゆーお互い他に知り合いの居ない場所で出合えば、「よお!」とか声をかけ合って喋ったりするよね。
 そのハナイくんに、黒沢はこう言われたんだ。「黒沢くんって言うと、いつもカメラを持ってた印象があるなあ」って。
 高校時代の黒沢って、そのくらい写真に熱中してたんだよね。
 だから校内では皆の写真係って感じで、卒業アルバムに使う写真も、先生から頼まれて撮っていたくらいだよ。

 高校1年生だった時、同じクラスだったトモミさんって美少女に、黒沢はナゼか嫌われて敵視されていてさ。
 ずっと気づかぬフリして知らん顔して過ごしたけれど、美少女、それも強気系でクラスの女子のリーダー格の子に、あからさまに無視されたり避けられたり陰口言われたり……ってのは、まー、かなりツラかったね。

 いや、「ツンデレ?」とかじゃねーよ。中二病をかなり長く引きずったイタい少年の黒沢も誤解しようもないくらい、ガチで嫌われてたんだって。
 ただ夏休み中の補習授業で、クラスは違うけれど同じ学年のマイコさんって子と知り合ってさ。そのマイコさんが仲良くしてくれていたものだから、それを心の支えに何とか耐えて生き抜いたwwwと言うか。
 それに2年生になる時のクラス替えで、例の天敵のトモミさんとも別のクラスになれたんで、すっきりサッパリ生き返って。ただ残念ながら、マイコさんとも同じクラスにはなれなかったんだけどね。

 まー、進級した黒沢の入れられたクラスってのが、素行か学力のどちらかに問題アリの生徒ばかり集めた、問題児の吹き溜まりみたいなクラスだったから、それも当然と言うか。何たって他のクラスには“極道クラス”と呼ばれて、他のクラスの皆さんからも怖がられて避けられてたし。
 一応殆どの生徒が四年制の大学に行く進学校だったんだけど、黒沢のクラスにだけはリーゼントのツッパリ(死語w)の生徒がフツーにいたりしてね。
 まっ、もし今だったら“DQNクラス”ってとこだろうね。

 そんなクラスにナゼ黒沢が放り込まてしまったのかは、今もって納得いかないトコロだけど。
 でもその極道クラス、中に入って馴染んでみると案外居心地が良くてさ。だって他のクラスの皆が受験に目の色変えて、「合格判定ランクを上げなきゃ!!」って焦ってる最中にも、「どーせ俺たちゃバカだし、見捨てられてる落ちこぼれだし」って居直って、皆で好きに遊びまくってたからね。
 そして先生たちも、ウチのクラスには何も期待して無かったし。「他の真面目な生徒たちに悪影響を与えないよう、ただ隔離しとけばイイ」みたいな扱いでさ。
 その「勉強まるでやる気ナシ」の落ちこぼれクラスで、黒沢は心行くまで写真を撮りまくって過ごしたわけデス。
 遠足とか体育祭とか何か学校行事があると、もうごく自然に皆の写真係みたいになっていて。で、仕上がった写真を皆に見せては、欲しい人には実費で焼き増ししてあげていたよ。

 黒沢の高校って、ナゼか文化祭より体育祭の方が派手でさ。それでクラスごとにユニフォームを作ったり、入場行進もかなり気合いの入れた仮装行列で練り歩いたりしてたんだ。
 その仮装行列に賭ける皆の情熱ってのが、もうハンパじゃなくてね。

 例えば男子も含めて、クラス全員がセーラー服で行進するとか(←ちなみに黒沢の高校の制服は、男女ともブレザー)。
 帽子から足元まで幼稚園児の制服(←高校生に着られるサイズなどあるワケもなく、モチロン体格に合わせて自作)で、「横断中」の黄色い旗を振りながら行進するとか。
 ……中には大きな黒枠の額に入れた担任の体育教師の似顔絵を先頭に、クラス全員で喪服姿で頭を垂れて行進したクラスもあったな(←自作の位牌や棺桶もアリ)。
 当時は秋葉原もただの電気街で、まだ“オタク”だの“コスプレ”だのって言葉すら無かったけれど。黒沢の高校の体育祭の仮装行列は、それはもうコミケのコスプレにも負けないくらいの凝りようだったよ。
 
 けどその派手な仮装を見慣れた皆も、黒沢が3年の時のあるクラスの女子たちの衣装には目を剥いちゃったよ。
 妖精さん
 いやマジだって。フワフワでヒラヒラの白い衣装に、髪に大きな花を飾って、手には魔法少女みたいなバトン(スティック?)を持って……って感じで。

 いや、その衣装そのものは、とても可愛かったんだけどね。
 ただ何しろ“妖精さん”でしょ? 例の白の衣装は薄いし下が微妙に透けてるっぽいし、裾も「股下5cm?」って際どさで、事実歩いて裾がヒラヒラした拍子にパンツがチラッと見えちゃう子もいたよ。
 だから彼女たちが入場して来た時、みんな息をのんで会場は沈黙に包まれてさ。で、暫く経った後で「おぉ……」って呻くようなどよめきが上がったよ。
 まっ、黒沢は当然、喜んでガン見したりする代わりに、愛機のシャッターを押し続けたけどね。

PM-A890 029-3

 で、その体育祭の後で撮った写真を皆に見せて、いつものように焼き増しの希望も集めたのだけど。例のクラスの、妖精さんの仮装のやつも含めてね。
 そしたら妖精さんたちwの半分くらいが、自分が写ってる写真の焼き増しを希望してきてさ。クラスも違うし、一度も喋ったことも無いような女の子たちが。
 そしてその女子の中には、あのトモミさんまでいたんだ。ほら、「一緒のクラスだった時には黒沢のことを嫌ってて、あからさまに避けたり嫌がらせとかもしていた」っていう……。
 うん、その時のトモミさんは確かに妖精さんの仮装行列をしたクラスにいて、写真を見直してみたら彼女もちゃんと写っていたよ。
 正直言って、コレはかなり嬉しかったね。

 プロのモデルとかアイドルとかならともかくさ、普通の女の子だったら、よく知らない男子や仲良くない男子に写真なんか撮られたくないのが普通、だよね。
 それどころかトモミさんは、黒沢のことをあからさまにキラってたんだよ。
 そして撮られた姿も、透け具合とか裾の長さとか、いろいろ際どい部分もある衣装でさ。
 普通だったら「キモっ!!」って思うだろうし、「勝手に撮ってんじゃないわよ、ネガをよこしなさいよ!」とかキレられかねない状況だよね。
 けどトモミさんはそうじゃなくて、黒沢が撮った写真を「欲しい」って思ってくれた。
 これって、黒沢の写真に賭けるキモチだけは本物……って認められてた証拠だよね?


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