空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

春の花

 今日は花の写真をお届けします。

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大失恋(13)・自分に誇れるモノが何も無い底辺層ほど愛国心に走る

 マンガにもそういう傾向があるけれど、ギャルゲー(特に18禁のエロゲ)の主人公って、何でこうエラソーにしたいのかな……って、黒沢はちょっと考えてみたんだ。
 で、ふと思ったのが「その種の“女に立てて欲しがる男”って、きっと自分にとことん自信が無いんだろうな」ってこと。

 だって考えてみて、たとえ容姿がダメだとしても。芸術的センスとか知性とか運動能力とか、自分に何かスゴいスペックがあれば、女のコとの関係でも自然に優位に立てるものでしょ。
 下世話な例えをすれば、「ただお医者サマっていうだけで、ブサイクだって彼女にも結婚相手にも不自由しない」みたいなね。
 つまり「男だから」と、ただ性別を理由に女の子に「立ててもらう」必要があるのは、ぶっちゃけ「その人自身がいろいろ低スペックだから」なワケで。
 本人がスゴい男なら、周囲の人達が自然に立ててくれマス、ってば。わざわざ「オンナは男を立てるべき!」とか、黴臭い時代錯誤の男女論を自分から言い立てなくても、ね。

 この「男を立てる」ってのと似たようなものに、愛国心ってやつがあってね。
 例えばアメリカで人種差別を一番するのって、いったいどんな人達だと思う? それはレッドネックとかホワイトトラッシュとか言う、低学歴で社会の底辺近くにいる白人なんだよね。
 ま、平たく言えばDQN層の白人、ってトコ。
 じゃあその白いDQN達がなぜ人種差別をしがちかと言うと、ズバリ「自分の人種以外に、誇れるモノが何も無いから」ってコト。

 ここを間違えちゃいけないのだけど、「ヒトはみな平等」ってのは、あくまでも法的な権利上の問題であってさ。才能や容姿や財産など、人間って現実にはいろんな“差”があるじゃん。ま、平等って言葉を信仰する一部の原理主義者たちは、意地になってこの現実を見ようとしないけど。
 さらにいくら生まれついての才能があっても、本人の血の滲むような努力無しには、イチローやダルビッシュにはなれないワケでさ。
 でも人種と国籍については、本人の才能やその後の努力に、まるで関係ないわけデスよ。ただその国や、その人種に生まれれば良いだけでさ。

 ただ白人に生まれた……ってだけで、「オレは白人サマだ!」ってイバれるし。
 同じようにちょっと昔の日本人達も、ただ日本で生まれた……ってだけで、「オレは世界で最も優れた大和民族の一員だ!」ってイバっていたのだ。
 どちらもその当人が低学歴で何の才能もない、取り柄まるでナシの底辺層の一人であってもね。

 人種についてはどうとも思わないけれど、愛国心ならこの黒沢にも間違いなくあるよ。
 例えばサッカー。
 サッカーは、今は日本でも野球以上に人気があるよね。
 ただ黒沢は“サッカーのまち”と言われる市で育ったせいで、サッカーばかり優遇され、サッカー関係者が我が物顔に振る舞うのを見てきたからさ。
 だからサッカーに対する黒沢の感情は、元はただ「興味ナシ」だったのが、どんどん「キライ」に近くなって行っちゃったんだよ。
 けどね、そのサッカーでも何か国際試合があれば自然に「日本、勝て!」って思っちゃうし、結果もかなり気になるよ。
 特にK国、幼い頃から反日教育で洗脳され、事あるごとに日本にカラんでくるあの国との対戦の時には、「頑張ってくれ、絶対負けないでくれ!」って心から願うし、不幸にして負けてしまった日には、一日ずっと暗い気分で過ごしたりしてね。

 でもあえて言うよ、「過度の愛国心は、人種の問題以上にヤバいものなんだ」って。キライな筈のサッカーの国際試合の時の黒沢の反応のように、本来、愛国心は個々人の心に自然に湧いてくる感情であって、国家や自治体(大阪&東京!)が法律や条例で強制するものではないと思うんだ。
 愛国心であれ何であれ、国家や社会が個人にある方向の同じ感情を持つよう強制するなんて、それこそ極左や極右の全体主義そのものでしょ。

 過去の歴史への反省はもちろん必要、けど反省を通り越した自虐はいけないし、自分の国に誇りを持つことも必要だと思う。ただ“誇り”ってのはさ、国に対する以上に自分自身に持つべきものなんだよ。
 だって人種や国家や民族の優越性みたいな話は、感情的にはどうあれ、論理的で客観的な根拠はまるでないものだからね。
 けどある一個人が頑張ってすごい業績を上げたとかいう話なら、傍から見てもちゃんとわかるし、根拠だってあるしね。
 日本でも、近年また「日本という国にもっと誇りを持て!」とか煩く喚く奴らが湧いて出てるけれど。そうではなく、何で「一人一人が、自分自身にもっと自信と誇りを持てるよう頑張れ!」と言わないかな?

 ま、わかるけどね。だって自信を持てるような自分になるには、いっぱい努力して死ぬほど頑張らなきゃならないじゃん。
 けど国に誇りを持つのには、努力も才能も何も要らないし。ただ「オレは日本人だ!」って胸を張るだけでOK、だものね。
 そして「日本はスゴい=その国民であるオレ様もビッグでスゲぇ」っていう、ワケのわからん結論になっちゃう
 だから「日本にも悪いところはあるし、過去に間違いを犯したこともある」って言うことは、その種の人達には「オマエに悪いところがある、間違っていた」って非難してるのと同じに聞こえちゃうワケさ。
「どーして“日本=オマエ”なんだよ?」ってツッコミたいとこだけれど、そこはまあ、相手は知的にアレな「リクツは言うな! 考えるな、感じるんだ!!」って人達デスからね。

 ざっくり言うとね、社会の底辺層の知的にアレな人達やDQNや犯罪者に、バカやDQNや犯罪者のまま根拠の無い自信を持たせちゃうのが、人種理論や過度の愛国心ってやつなのだよ。
 で、その自分と国家(民族)を同一視した誇大妄想的な自信から、さらに人種や民族の違う他人に対する差別に走っちゃう。国家はどうあれ「オマエ自身に何の取り柄や価値があるんだよ?」って疑問など、これっぽちも持たずにね。
 愛国心も含めて人種とか民族とかの話って、自身には誇れるものなど何も無い人達に根拠のない自信を持たせちゃう、目に見えない麻薬みたいなものでさ。努力も才能も何の業績も無いまま、「オレらはそのまんまでエラいんだ!」って
 だから特に福祉や社会保障費を削りたい“小さな政府サイコー!”の政治家たちは、ことさら愛国心を煽るワケ。

 だって愛国心で煽って国民(特に頭でモノを考えるのが苦手な底辺層)に変な自信を持たせておけば、大企業や外資(主にアメリカ系投資ファンド)を優遇したまま国民への福祉を切り詰めても、不満や怒りはその政府にでなく、仮想敵にされた外国に向くからね。コレ、歴史をちょっとでも学んだ人にとっては常識だから。
 でさ、その種の政治家たち(とその取り巻きの御用学者)にコロっと騙される、人種や民族にこだわる過度の愛国主義者って、かなりの確率でマッチョを気取りたがるんだよね。で、恋愛でも「オレは男だ! 女は男を立てるべき!」みたいに言いたがるんだよ。

 結局さ、まず自分に誇れるものが無いから、無条件で他人にイバれる国籍だの人種だの民族だの、さらには性別だのって話に飛びつくんだけど。
 例えばイチローだって、「な? オレってスゴいだろ!」なんて自慢したりしないじゃん。だって黙っていたって、周りの人は彼を自然に尊敬するからね。
 国もそれと同じでさ、国民一人一人が誇れる何かを持っていれば、当然スゴい国になるし、「万世一系の○○サマが統べる、唯一無二の神国だ!」とか力んで威張らなくても、自然に世界から尊敬される国になるんだよ。

 そうではなくて、とにかく「日本は立派な国なんだと信じて皆に愛国心を持たせる→どうだスゴい国だろうと皆でセカイに自慢する→すると他国からも尊敬される」みたいな思考は、どう考えても話が逆だし道理も通らないと思うがね。
 同じように男女の関係だって、「オレは男だと威張る→女の子に尊敬される」なんて事、現実にあり得るワケないじゃん。女の子に尊敬してほしければ、性別とは関係なく人として優れた何かを持たなきゃダメなんだってば。

 逆に言えば、人に誇れるものが何も無い男ほど、「女は男を立てて当然、だからオレ様を立てろ!」って言いたがる……ってコト。
 持って生まれた人種や民族(国籍)しか誇れるものが無い人ほど、ネトウヨになって愛国心や人種理論を振りかざしたがるのと、そこンところの思考方法が呆れるほど同じなんだよね。

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空。

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 この連休中、あなたはどんな空を見ていますか?
 

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大失恋(12)・女の子を「オマエ」と呼ぶのはNGデス

 とは言うものの、「相手との心の距離を詰める為」とか誤解して、女のコに「おい、オマエさあ」とかいきなり馴れ馴れしくするのは、ただの距離ナシの大バカ野郎だからね。
 ちなみに黒沢は、女のコをオマエ呼ばわりした事、神に誓って本当にただの一度もないよ。たとえ相手が年下の彼女でも、間違いなく「○○ちゃん」みたいに呼んでたし。
 「え~、オマエと呼んだり名前を呼び捨てにするのって、相手がオンナならフツーだろ」って?
 イイエ、ソレはフツーじゃありませんから。

 納得できないと言うなら、ちょいと辞書を引用してみようか。
 オマエという呼び方について、まずは広辞苑ではこう書いてあるね。
主に男性が同等あるいは目下を指す
 明鏡国語辞典の解説は、さらに解りやすいかな。
同等以下の相手を、親しみやぞんざいな気持ちで指し示す語
 類語新辞典の解説でも、まあ似たようなもので。
普通、男同士、男から女に言う。同等あるいは目下にいう。ぞんざいないい方
 どうかな、同等以下(目下)に対する、ぞんざいな言い方」ってコトで、どの辞書でもほぼ共通してるじゃん。
 ついでだから、「ぞんざい」って言葉の意味も書いておくよ。
言動が乱暴で、礼儀にかなっていないさま

 まあね、ただそれだけでなく「同等あるいは……」や「親しみや……」とも書いてあるよ。
 けど「同等あるいは目下」って言うのは、記号で言えば「自分≧相手」であって、どう考えても「自分=相手」ではないダロ?
 それに「親しみ」って言うのはさ、相手の気持ちもあっての事じゃん。まだそんなに親しくない段階なのに、一方的にキミの「親しみの感情」とやらを押しつけられても、相手にしてみれば「目下扱いの、ぞんざいな物言い」にしか感じられないから
 男同士だってさ、まだそう親しくなってもいないのに「オマエ」と呼ばれたり、いきなり呼び捨てにされたりしたら、失礼だと感じてカチンと来るのではないかな? あるいは、「礼儀のなってない、育ちの悪いヤツ」と心の中で軽蔑してしまうか。

 それでもまだ納得できないなら、女の人サイドの見方をひとつ紹介しようか。
 副題に「男と女の解体新書」と付いた、『現役受付嬢の人間観察』って本があってね。
 ま、現役受付嬢とタイトルにある通り、著者は女子としてハイスペックな部類のお方であろうし、男の立場から見ると「それは少し違うかも」と感じてしまう部分もないではないよ。けど「好奇心旺盛で、小学生の頃から人間観察をしていた」と後書きに書いてある通り、その男として頷けない部分を割り引いてもかなり面白かったし、女性の気持ちや実態についてとても参考にもなったよ。

現役受付嬢の人間観察 男と女の解体新書現役受付嬢の人間観察 男と女の解体新書
(2009/05/01)
ぴーちく

商品詳細を見る

 帯のアオリの文によれば、この本は「好かれる男、嫌われる男、女性の習性などがこの一冊で丸わかり!」の攻略本なのだとか。
 まだ諦めてはないけれど「女の気持ちって、わかんねー」ってお悩みの喪男に、黒沢も是非お勧めしたい一冊だよ。
 ちょっと目次のページを眺めただけでも、こんなタイトルが目に飛び込んで来るよ。

 好きな男とそうでない男の対応の違いとは?
 どうしてキープ男になってしまうのか?

 これだけでも、「ちょっと読んでみようか」って気にさせちゃうよね。
 そうそう、『なぜ女の「すごくかわいい」はたいしてかわいくないのか?』って章もあって、コレがマジで「目から鱗!」ってくらい面白かったよ。

 で、この本の中に「お前」と呼びたがる男についての、女性の視点での考察があって、それを少し引用してみるね。

 彼女や女友達を呼ぶ時に、「お前」と言う男性がいるが、私はあれがとても苦手だ。名前でなく、「お前」と呼ばれると、「私は『お前』ではない。名前がある」と、かなりイラッとくる。
「お前」という呼び方は、男同士なら問題ないが、女性に使うには、かなり乱暴な言い方だと思う。
(中略)
 しかし、逆に、「お前」と呼ばれるのが好きな女性もいる。それは、上から目線で物を言われたいとか、独占されたいとか、荒っぽい野性的な男性が好きだという、一種マゾ的な女性の場合だ。
「お前」と呼ばれるのが好きだという友人がいるが、「今の私はあなたのもの」という快感に浸ることができると言っていた。


 オマエ呼ばわりって、実は女のコには男が思っているよりずっと不評なんだよ。
 キミとしては、まあ「軽い気持ちで、親しみを込めたつもり」なのだろうけど。相手の女のコはたいてい内心イラッと来ていて、キミへの好感度もダウンしていると心得ておくべきだね。
 もちろん中にはオマエと呼ばれて喜ぶ女のコもいる、けどそれは『現役受付嬢の人間観察』でも書かれている通り「男に支配されたいマゾ系の子」だけ、ってコト。

 ね、今のリアルな女の子達を見ていて、女はマゾ系ばっかりだと思う?
 キミの学校での、同級生の男子に対する女子の態度を見てごらんよ。むしろ男を男と思わない、それどころか男を支配したいくらいの、S系のワガママ娘の方が多いくらいじゃん。
 しかも今や少数派の「男に支配されたい系の子」だってさ、オマエ呼ばわりして自分のモノ扱いしてほしいのは「身も心も捧げたいほど好きな相手」であってさ、ただの友達(かそれ以下)のキミではないんだよ。
 好きでもない相手に「オマエ」とか呼ばれて自分のモノ扱いされるなど、支配されたいマゾ系の子だってゾッとしてると思った方がイイね。
 いくらマゾの人だってさ、誰にでも鞭で叩かれたりローソクの蝋を垂らされたいワケないじゃん。相手が好きな相手だからこそ、痛いことをされても快感なんだ……って、彼女なんてまだ出来たこともないドーテー君にはわかんないのかな。

 今までの話と矛盾するようだけど、少女マンガを読んでみるとさ、「性悪なオレ様男を好きになってしまって、逆らえなくて言いなりに……」みたいなストーリー、実は少なからずあるんだよね。特に小学館のフラワーズ系(←読者層はJKで、中身はちょっとH)とかwww。
 ただ、その主人公の女のコが惚れちゃう“キチクでオレ様な彼氏”って、現実にはあり得ないような超絶美男子ばかりデスから。さらに「そのオトコは、実はスゴい金持ちの御曹司で」ってのも、よくある話で。そこンとこをさ、まずよく理解しておこうよ。
 特に取り柄もない凡人のキミらがオレ様男みたいに振る舞ったりしたら、ほぼ間違いなく「シネ!」って肘鉄モノだから

 あと、この『現役受付嬢の人間観察』では、同じ章でこうも書いているよ。

 付き合うと呼び方が「○○ちゃん」から「○○」と、急に呼び捨てに変わる人がいるが、あれも独占欲の強さの表れだと言えるだろう。


 黒沢は「彼女が出来ても、結局はフラれてばかり」って繰り返しのまま、それなりの歳になってしまったからさ。おかげさまで、付き合った女のコの数だけは結果的に軽く片手の指を越えてるよ。
過去に付き合ってきた女性が数人以上いて、それでも結婚に至らない男は、当人の人柄に何らかの問題がある証拠」って、以前読んだ何かの本に書いてあったけれど。
 ……わかってるよ、自分でも潔く(?)認めるよ、黒沢も間違いなく人柄にかなり難アリだよ。
 ちゃんと正式に付き合った彼女だけでなく、血の繋がらない妹ちゃんみたいな友達以上恋人未満の相手とか、短期間で終わってしまった相手とかも含めれば、仲良くしてもらった女の子の数は「自分でもよくワカンネ」ってのが、正直なところだよ。

 その黒沢の経験から言っても、オマエと呼ばれたがるような子って、ハッキリ言ってただの一人も無かったゾ。
 さらに仲良くなった後で「これからは、ワタシのことは呼び捨てにして……」って言ってきた女のコも、マジで一人だけだったし。しかもその相手ってのは、同時に黒沢のことも呼び捨てにし始めたんだよね。
 その例外の一人を除いて、黒沢は女のコはみな付き合うことになった後も「○○ちゃん」って呼んできたよ。

 ギャルゲーや萌え系のマンガの世界とかではさ、特に取り柄もないフツーの男子の主人公が、ヒロインの女の子(ハイスペックで可愛くてモテモテ)をオマエと呼び、あるいは呼び捨てにするのが当たり前なんだよね。
 しかもその相手の女のコたちもだよ、オマエと呼ばれ、呼び捨てにされてもイヤな顔ひとつせず、さらに主人公の事は呼び捨てでなく「○○クン」と呼ぶのがデフォでさ。
 でも黒沢は、心からこう思うんだ。
 女を「オマエ」と呼ぶような男なんか、女子だって「アンタ」って呼んでやれば充分だし。
 女を呼び捨てにするような男は、女子だって呼び捨てにしてやればいーんだよ。

 うん、それが男女平等、ってモンだし。

 けどオトコが作者のギャルゲーやラブコメマンガでの男女のあたりのやりとりって、たいていこんな感じなんだよね。
「おい彩花、オマエさあ」
「なぁに、雅人クン(ハァト)」
 ……何様なんだよ、コイツ。
 しかもこんなのはまだ可愛い程度でね、「女の先輩も平気で呼び捨て」とか「ヒロインは同級生である主人公に常に敬語」なんてゲームも珍しくないし。
 その挙げ句に主人公がモノローグで、「女って、男に呼び捨てにされたがるよな」とかエラそうに呟いちゃうようなクソゲーもあったりするんだから、全く始末が悪いよ。
 彼女どころか、まともに喋れる女友達の一人もいないままこんなギャルゲーばかりやってちゃ、そりゃあ常識も女の子を見る目も恋愛観も三次の現実世界からズレまくる、って。
 そーゆーのを“ゲーム脳”って言うんだろうね、きっと。

 え? 「いーじゃん、男を立てて尽くす大和撫子な女のコって理想だろ」って?
 封建時代の昔じゃあるまいし、オレ様な主人公と「アナタに誠心誠意お仕えシマス」みたいなヒロインの組み合わせを見る度に、黒沢は胸糞が悪くなって仕方がないんだけどな。
 自分は低スペック(ネボスケでだらしなく、顔も頭も並かそれ以下)なくせに、モテて当然の可愛い子に惚れて、しかもその高スペックな彼女に「女は男を立てて尽くすべき」とか、本当にもう……ね、呆れ果てると言うか、言葉がねーよ
「ブスのくせに女王サマ気質のオンナが、ナゼかイケメン男子にモテて尽くされまくり」みたいなマンガや恋愛小説を読んだら、いくら女の子向けとわかっていてもムカつくだろ、男子たち! つまりはソレと同じだよ

 それだけにダメ男の主人公にのみ都合のイイ話が展開されるギャルゲーに出くわしてしまうとね、「よくこんな台本を書けたものだし、よくコレにGOサイン出せたものだよ。シナリオライターもプロデューサーも、まともな恋愛してきたコト無いダロ?」って、マジで腹が立ってしまうよ。
「お里が知れる」って言葉があるけどさ、その種のゲームの作り手って、普通に「おいオマエ」だの「何よアンタ」だのと呼び合うような、もしかしたらそんな家庭や友達や恋人の中で育って来たのでは……とも思ってしまうしね。

 あ、ちなみに黒沢が付き合ってきた女の子の中には、男を「アンタ」とか呼ぶ女の子、ただの一人もいなかった
 って言うか、平気で男をアンタと呼べちゃう女は、マジでただの友達にもしなかったよ。
 たとえ相手がどれだけ可愛い顔の女の子でも、
「ねー○○(←呼び捨て)、アンタさぁ」
 みたいに話しかけられたら、それだけで黒沢はドン引きして、ひきつった作り笑顔でFOまたはCOを図りマス
から。
 ガサツな上に言葉も汚いオンナ……って、もう好き嫌い以前に生理的にダメなんだよね。
「女はオマエと呼ぶのが当たり前なオレ様男もイヤだけど、同時に男を“アンタ”と普通に呼べちゃう、育ちの悪さ丸出しな女もお断り」ってのが、黒沢のスタンスなのだ。

 ついてだけれど、その種の時代錯誤な「主人公は何の取り柄もないのにオレ様男で、ヒロインはモテモテ美少女なのにメイド顔負けに尽くすタイプ」の組み合わせって、18禁のPCゲームから移植したものに、特に多いような気がするよ。初めからコンシューマー用として、あるいはPC用でも非エロの一般向けとして開発したものではなくね。
 っていうコトは、問題は制作者側の育ちや恋愛経験だけではなく、「いい大人のギャルゲーのユーザー自身が、こんな恋愛を望んでる」ってコトなのかな。
 ……はぁ。
 何かこう、「現実が見えてない喪男が、非モテの余り妄想の世界に逃げ込んで、思い切りドーテーをこじらせてる」って感じだよね。
「世間にはバカにされがちなギャルゲーにも、小説や映画に負けない良い作品もいっぱいあるんだよ」と認めてほしい……っていう、このブログの趣旨から大きく外れちゃうけどさ。その種の喪男の脳内にしか存在しないヒロインとの“恋愛”を見てると、「ギャルゲー好きのオタって、リアルな世界では女性にますます相手にされなくなって、さらに深い“モテずの泥沼”の底に沈み込む一方だわな」って、長い溜め息をつきたくなってしまったよ。

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大失恋(11)・まずは「話しかけてみること」から

 よくさ、「好きで好きでたまんないから」って、それまでロクに話したコトもないような相手(しかも高スペックのモテ子ちゃん)にいきなり告って、見事に撃沈の憂き目を見ちゃうヤツがいるけど。
 そーゆーの、黒沢はハッキリ言って全然同情出来ないっス。
 と言うより、「バーカ、バーカ!」って、マジで罵倒してやりたくなっちゃうくらい。

 え? 「それはヒドい、勇気を出して告った人の気持ちも考えろ」って?
 でも逆に言わせて貰えば、そーゆー人達だって「知らない相手に、いきなり告られる方の気持ち」とか、全然考えてないでしょ?

 は? 「誰だって告白されれば嬉しい筈、迷惑でなんかある筈ない」って?
 その思考はあまりにも喪男的すぎる、ってば。
 ちょっと逆の立場で考えてみようよ。もしキミが、それまで殆ど話したコトもない、名前も覚えてないような女の子(しかも地味で冴えなくて低スペック)にいきなり告られて「付き合って」とかセマられたら、嬉しいって言うより「困る」ってのが本音じゃないかな?
 よく知らない相手で、しかも好みのタイプでもなさそうでも、「こんな自分を好きになって告ってくれた……ってだけで、相手が誰だろうが喜んで付き合っちゃう」って? それは間違いなく女に飢え過ぎだってば。

 断言する。殆どいきなりに近い形で告ってOKを貰えるヤツなんて、現実にはまずいないから。
 ①周囲の女のコ達から、密かに「○○王子」と言われるくらいのイケメン。
 ②強豪サッカー部のエースとか大富豪のお坊ちゃまの、何かスゴい取り柄のある有名人。
 この二つのどちらかに当てはまらない限り、結果はまず間違いなく「当たって砕けた」って感じだね。

 もう「当たって砕けろ」どころの話じゃないの、ただもう「砕けるために当たりに行ってる」みたいな感じで、その当たられて断らされる羽目になる女のコとしては、どう考えてもただ迷惑でしかないじゃん。
 だからロクに喋った事もない、自分の名前さえよく知らないんじゃないか……って相手に、いきなり告白とかデートに誘うとか、もうホント「バカなの? 死ぬの?」って話だよ。

 黒沢は以前の章で、ギャルゲーには「喪男で恋愛経験も殆どないオタの制作者が、リアルな彼女などいたコトもないオタの為に作ったもの」と、「対象はオタでも、少なくとも脚本家やプロデューサーは人並み以上に人生経験と恋愛経験があるな、って感じるもの」があるような気がする、って話したけれど。
 TLSこと『トゥルーラブストーリー』について言えば、黒沢は間違いなく制作者たちが体験してきた、現実の恋愛にも基づいて作られていると思う。だってTLSの主人公が目当てのコに告白するまでの過程って、黒沢が目当てのコとの距離を詰めるやり方とほぼ同じだったし。
 もちろんゲームはゲームだし、「これは現実とは違うな」って部分や突っ込みどころも、あれこれあるにはあったけれどね。
 それでも好きなコと仲良くなって告白にまで持って行く流れは、おおよそアレで良いと思う。
 で、その女の子と仲良くなる為の第一歩は、ズバリ「まず話しかけてみること」だから。

 え? 「その女のコへの話しかけ方が、まずワカラネーんだよ」って?
 別に難しく考える事じゃないんだよ、ただフツーに話せばいいだけだって。だって同じ学校の生徒(同じ職場の同僚)なんだから普通に話して当たり前だし、特にクラスや部活が同じなら「全然喋んない」って方がおかしいくらいだし。
 朝、もし見かけたら「あ、オハヨー!」、同じように帰り際なら「さよならー」、ただそれだけでOKだから。

 気を付けて欲しいのは、「そこで変に力むな」ってコト。
「好きだぁ」って意識し過ぎると、妙にキョドった態度になりがちじゃん。で、ただの「おはよう」の筈が、目を相手とその脇にキョトキョトさせて、「あ……あの、○○サンっ、お……おは……よぅ」とか、それってキモ過ぎるダロ。

 あと、相手が気持ち良く挨拶を返してくれたら嬉しくて舞い上がっちゃって、「早く仲良くなりてぇ」と焦る気持ちもあって、調子こいてダラダラ話しかけ続けるのもダメ
 だって最初のうちはあくまでも“ただのクラスメイト”で、好感度もまだ低い状態なんだから。
 その(顔と名前は知ってるけれど)友達でもない男の全身から滲み出す「好き好きオーラ」って、相手の女のコにしてみれば鬱陶しいんだよ。
 だから初めはただ「お早う」の一言だけで、そのまま行き過ぎちゃうの。

 顔見知りなら挨拶くらいしてもおかしくはない、でもそれまでロクに話もしてなかった相手に挨拶されたら、ちょっと意外に思っちゃうよね。けどただ「お早う」の一言だけで歩き去れば、相手も不審には思わないし、普通に挨拶し返してくれるようになるよ。
 その目当ての子といろいろお喋りを始めるのは、ま、それからだよ。
 それも最初は半ば用事を兼ねる感じで、
「そーだ、数学の宿題、何か出てたっけ?」
 とか、学校(職場)の軽めの話を、さり気なく短めに喋って。
 そして相手が笑顔で答えてくれるようだったら、話しかける回数も増やし、話す時間も少しずつ長くして、さらにプライベートなこと(趣味とか好きなものの話とか)も話題に出してみて。
 まーこんな感じで、少しずつ相手との距離を詰めて行けば良いと思うよ。

「その軽く喋りながら距離を詰めてくコツってのが、まずわかんねーんだってば」って?
 ズバリ言えば、「気合いを入れ過ぎんな、意識しないで自然体で行け」ってコト。
 もう少し具体的に言うと、男の同級生(同僚)に対するように、肩の力を抜いてただフツーに喋ればイイだけなんだ。
 女の子と喋り慣れてないヤツって、相手が女と思って変に意識しちゃうからダメなんだよ。しかも相手が可愛い好きなコとなると、特に気負って妙なオーラを出しまくりになっちゃうんだよね。
 でさ、その口下手なのに妙に気負いまくったオーラが、女子から見ると「キモい」って話になっちゃうんだよ。

 それとさ、そーゆー女の子と喋るのが得意でないヤツに限って、好きなあのコとブス子ちゃんとで、あからさまに態度を変えたりしがちなんだよね。よく覚えておいてほしいけれど、女の子からすればそれもかなり“×”で好感度ダウンだから。
 キミらだってさ、モテるギャル系の子ならともかく並品かそれ以下の女が、イケメンとキミらにあからさまに態度を変えて差別してるのを見たら、「身の程知らずに生意気なんだよ、コラ」ってハラ立つだろ?
 女子だってそれと同じで、男が美人とブスとであからさまに態度を変えてるのを見たらムカつくもんなんだよ。


「女子とうまく話せない」って人はさ、相手を女の子と思う前に、まず“同じ人間”とか“クラスメート”として見てみれば良いと思うよ。
 憧れのクラスのマドンナ(古っ!)も、何の因果か隣の席になっちまったブス子ちゃんも、日頃つるんで遊んでるヤローどもも、みんな同じ人間で同じクラスメート。まずそう頭に叩き込んでから、ごくフツーに話しかけてみよう
 話しかける前に、肩の力と変な気合いを抜く。ただそれだけで、相手の女子に「キモい」と思われる率はかなり減るからね。

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大失恋(10)・告白はデートの後で

 で、黒沢が選んだ肝心の告白の方法、っスか?
 らぶれた、だよ。
 え、「ナニそれ、超古典的www」って?
 笑わんといてやってや、だって当時はケータイもメールも無かったし。

 だから告るとしたら、

 ①直接言う。
 ②電話で話す。
 ③ラブレターを書く。 

 まあこのくらいしか選択肢が無かったんだよ。

 で、まず①だけれど、「どこで?」ってのがナカナカ難しいんだよね。だって学校で二人きりになれる場所って、意外に無いじゃん?
 ま、「ちょっと体育館裏に来てよ」みたいに誘えば良いのだろうけど、それだけで周りのヤツらに「何だぁ~、アヤしいなぁ~」ってニラニラされちゃうじゃん。
 それ以前にさ、女の子を人目につかない場所に連れ出そうとしたら、相手にも「何で? 何する気?」とか警戒されちゃう、って。

 まっ、女子の場合には①のバリエーションで、友達数人と一緒に狙う相手を呼び出して、皆で取り囲んで「この子がアンタのこと好きなんだって、付き合ってあげなよ!」とセマってもらう……って手もあるけれど。
 ただ黒沢は男だし、そーゆー「公開告白」みたいな羞恥プレイは趣味ではないんで、選択肢の①は却下という結論に。

 登下校する方向が同じだったらさ、一緒に帰ろうと誘って、夕暮れの道を並んで歩きながら「好きだ、付き合ってほしい!」と告白……ってことも出来ただろうね。
 ただ黒沢とアズサは帰り道が正反対で、文字通り校門を出たら黒沢は東に、アズサは西へと別れるしか無かったんだよ。

 黒沢の家はU中の学区の東の端の、市の中心にも近い住宅街の一角で。そしてアズサの家は西の端の、市の外れに近い田畑もまだかなり残る辺りで。
 二人の家はまさに学区の端と端……って感じで、直線距離でも四キロは離れていたよ。
 だから好きなあのコと帰り道をご一緒しようにも、「ちょっと遠回りして」とか、そーゆーレベルの話では無かったんだよ。中坊だから登下校はもちろん徒歩だったし、「一緒に帰ろう?」とか誘ったりしたら、マジで遠足レベルの話になっちゃうよ。

 でも、好きな女の子と一緒に帰るのって、やはり中坊としては憧れちゃうし、もしそういうコトがあれば青春時代の甘ずっぱな想い出の一つにも残るよね。その恋が、後に悲しい失恋に終わったとしても。
 好きな女の子に一緒に帰ってもらえるかどうか……っての、確かに相手のコの好感度のバロメーターになっていると思う。

 恋愛ゲームの古典的名作『ときめきメモリアル』でも、今は高嶺の花になってしまった元幼なじみの藤崎詩織と、放課後に校門近くで出合っても、最初はただ「さよなら」と挨拶し合う程度で。
 その状況で思い切って「一緒に帰らない?」と誘ってみても、「噂されると恥ずかしいから」と、つれない態度で即お断り。
 でも頑張って好感度を上げて行けば、「うん、一緒に帰ろう」とOKしてくれて。そして更に仲良くなれば、詩織嬢の方から「○○くん、今帰り? 一緒に帰ろう?」と誘ってくれるようになるんだよね。
 他の十二人のヒロイン達と一緒に帰る場合も、パターンはまあ似たような感じで。
 この微妙な距離感の表現が、当時のゲームとしてはナカナカ面白かったのだ。
 と言うより実際の恋愛でも、まあこんなものじゃないかな?

 ただ『ときメモ』の場合、めでたく一緒に帰れることになった後の表現がナイんだよね。
「藤崎さん、一緒に帰らない?」
「うん、いいよ」
 その後については、ただこの一言だけでさ。
「詩織と楽しく帰った」

 ま、そこは「どう楽しかったは、各自適当にご想像下さい」ってコトなんだろうけど。
 と、言われましてもね。「同級生の可愛いあのコとの楽しい下校」の具体的な中身とか、恋愛経験皆無の喪男クンたちには想像するコトすら無理、なのではないかな?
 でも現実の恋愛では、ただ「憧れのコと一緒に帰れるコトになった、ウレシー!」って話では済まないんだよね。と言うよりむしろ、その「誘ってOKをもらえた後の方が、本番の真剣勝負!」ってくらいで。

 だって、好きなコとせっかく一緒に帰れても、話が盛り上がらなかったらダメダメでしょ?
 振った話がハズレだったというならまだしも、二人きりになって緊張してアガって、何を話せば良いのかまるでわからなくて、無言のままただ歩いて……なんてのは、論外もいいトコだよ。
 その相手の女のコとしたら、「だったら誘うなよ」って言いたくなっちゃうよね。

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 で、『ときメモ』全盛期に、対抗するように出された『トゥルー・ラブストーリー』は、その『ときメモ』に欠けた部分を見事に埋めていたよ。
 って言うより、「一緒に帰ってもらう事より、その後のトークが勝負!」みたいな感じで。
 誘ってOKを貰うには、まずその前に普段から仲良くして友好度を上げておかなきゃダメ……ってのは、『ときメモ』と同じなんだけど。
 ただ違うのは、「一緒に帰ろう」って話が決まれば「好感度アップ、良かったね!」でなく、その後すぐに相手のコとの会話に入るのだ。
 その会話パートが始まると、相手の女のコは並んで歩きながら黙ってじーっとこちらの顔を見ていて、プレイヤーの方から話題を振って行かなければなんないんだよね。

 その一緒に帰る女のコに振れる話題は、ご親切にもあらかじめ幾つも用意されているよ。学校の話、趣味の話、進路の話、好きなものの話、休日の話、友達の話など、それこそデート慣れしたリア充並みに。
 けどその選び方によっては、反応が悪かったり、あからさまにイヤな顔をされたりするのだ。
 さらに時々、女のコからも質問を投げかけてくるのだけれど、その答え方によっても、喜ばれたり機嫌を損ねたりしてね。

 黒沢がこの『トゥルー・ラブストーリー』、通称TLSを初めてプレイしたのは、とうに成人してデートも飽きるほどした後でさ。けど、このTLSの会話パートにはちょっと緊張させられたし、そして意外なくらい楽しめたなー。
 プレイヤーの手元にある話題には、「当たり障りのない軽いもの」から「個人的なやや突っ込んだ話題」、さらに「見つめるとか手を握るとかデートに誘うとかの、口説くレベルのもの」までいろいろあるワケ。
 で、最初から個人的な話題に踏み込むと、当然イヤがられるし、手を握るだのデートに誘うだのなどしようものなら、見事に一発で撃沈しちゃう。
 と言って、それにビビって好感度が上がっているのに軽い話題ばかり続けていると、今度は飽きられて逃げられちゃう。
 さらに同じ一つの話題についても、反応は相手によって違うし、距離を詰めて行く速度も、これもまた相手によって違う。

 TLSのヒロイン達の反応って、リアルな女の子達よりシビアだよ。話題の振り方にしくじるとあからさまに不機嫌な顔をするし、別れ際に「今日はつまんなかった」ってハッキリ言うし。それどころか、「これから用があるから」と、途中でブッチして逃げられてしまうことも。
 リアルの女のコだったらね、たとえ退屈しててもその日は作り笑顔で最後まで付き合って、でも心の中で「次に誘われたら、全力で逃げてやろ」とか考えていて……みたいな感じで来るよ。
 相手がギャル系で、しかもこちらを明らかに格下と見ているような場合は別だろうけど。ただ普通の女のコは、ここまでハッキリ気持ちを顔に出したり口に出して言ったりしないかな。

 うん、それだけに「わかりやすい」とも言えるし、相手のコの表情や反応を見ながら話題を選んで好感度を上げて行くの、黒沢も柄にもなくドキドキしながらプレイしちゃったよ。
 無論これはあくまでもゲームだし、現実の会話とは違う部分も多々あるよ。でも女のコとの喋り方がわからない、あるいは距離を縮めて行く方法がわからない男子にとっては、女のコと喋りつつ親密度を上げて行く、ちょっとした訓練にもなると思うな。

 んー、「TLSを完全クリアすれば、たちまち女のコを口説き落とせる会話術が身につく」なんて、もちろん言えないからね。
 ただ、同じ学校の目当ての女のコと少しずつ仲良くなって行く流れみたいなものは、とりあえず掴めるようになると思う。
 その流れを簡単に言うと、まあこんな感じかな。

 まず校内での挨拶や雑談から始めて、少しずつ仲良くなっておく。
    ↓
 別に一緒に帰らなくても良いから、とにかく一対一で話せる機会を作る。
    ↓
 でも焦らずに、会話はまず(世間話的な)当たり障りのない、軽めで楽しいものから始める。
    ↓
 相手の反応を見ながらいろんな話題を投げかけてみて、相手がノってくるものを探る。
    ↓
 自分のことを語るより相手のことを聞き、相手の趣味や好きなものをチェックしておく(そしてコレはプレゼントや後のデートのプランに活用)。
    ↓
 そして「充分に仲良くなれた」と確信が持てたら、さりげなくデートに誘ってみる。例えば相手が興味ありそうな映画を見つけたら、「今度の休みに観に行かね?」みたいに。


 そうそう、ここでポイントなんだけど、「好きだ、だから付き合ってデートして!」って持ってくんじゃなくて、男の友達と遊びに行く時みたいに軽めに誘った方が無難だと思う。
 だってさ、はっきり「好きだ!」って告った上で誘ったら、断られた後が気まずいじゃん。
 そういう時、女のコはたいてい「ゴメンナサイ、でもこれまでみたいに友達でいてね」みたいに言うけれど。
 ハッキリ言うよ。告って断られて、でも前と同じように友達でいられるなんてコト、まずナイから。

 友達関係って言うのはさ、互いの立場が対等だから成り立つものであって。AクンはBサンが好き、でもBサンはそうじゃない……ってコトが明らかになった時点で、二人の力関係のバランスが崩れると言うか、もうその対等な関係ってのが成り立たなくなっちゃうんだよね。
 で、それまで通りの友達関係どころか、何か気まずくてよそよそしい友達以下のなっちゃうのが現実、ってトコ。

 ある程度仲良くなった後でも、告白ってのは博打みたいなもので、ハズすとそれまで築き上げてきた親しい関係までブチ壊しかねないんだよね。
 だから黒沢は、告白は「二人きりで遊びに行く」みたいな実質上のデートをした上で、夕暮れ時とか遊園地の観覧車の中とか、充分雰囲気が良くなった時にしてマス。
 その「告白はデートの前ではなく、後の方が良い」って黒沢が思う理由は、いずれまた後の機会にもう少し詳しく話すね。

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大失恋(9)・女の子の武器は乳や尻だけじゃアリマセン

 修学旅行の班は男女別でアズサとも基本は別行動だったけれど、普段の教室に戻れば同じ班で、しかも席も隣同士だったからね。
 何かさ、それまでレベル2の「好き好き」だったのが、その修学旅行で一気に最高レベルの「好き好き好きー」にランクアップしちまって。
 幸いと言うべきなのか、教室での席も「窓際の一番後ろ」という好位置で、だから授業なんかそっちのけで小声でずっと喋ったり、それが無理な時はノートを破ったメモを交換したりしていたよ。

 どんなことを書き合ってたか、って? まあ今時の中高校生がメールし合ってるような他愛ないコトかな。例えば「好きなモノは何?」とか、「××って、どう思う?」とか、「日曜は何してた?」とかね。
 だから授業中も教科書なんか、殆ど見てなかったね。黒沢が眺めていたのは、もうアズサの横顔ばっかりで。

 で、アズサは黒沢が渡したメモの中身によって、頬を染めて微笑んだり、桜色の唇をキュッと結んだりしながら、すぐに答えを書いて戻してくれてさ。
 アズサは色白で頬は薔薇色で、黒沢が回したメモに少し俯いて答えを書き込んでいる時、僅かに茶色がかった細く柔らかな髪が二筋か三筋、その頬にはら……っと落ちかかるんだよね。

 ……魂、その横顔に丸ごと持って行かれちゃってたよ。
 頬に落ちかかるその髪に、触れてみたい……って心から思ったし。
 いや、実はその誘惑に抗い切れなくて、ホントに触れてしまったコトもあったよ。

 黒沢の中学の席って、どのクラスも男女が隣同士に並んでいてさ。
 けどその隣り合わせになった机の距離が、並んだ男子と女子の仲や相性によってかなり違うワケ。ぴったりくっつけ合っていたり、微妙に離れていたり、或いはあからさまに離していたりとかね。
 例えばリホさんとかナカノさんは、黒沢と隣同士になった時、席をぴったりつけてくれていたな。そしてアズサと並んだ時も、席をくっつけ合っていたよ。
 だから手を伸ばせば届くどころか、殆ど肘が触れ合うくらいの距離にアズサが居たんだ。

 で、方程式の解き方を話す教師の声など軽く聞き流して、アズサの髪に指先を伸ばしてさ。
 U中の校則で決められているより少し長めの、柔らかな髪の端をそっと撫でると、アズサは薔薇色の頬をさらに染めて、口元に僅かに戸惑ったような笑みを浮かべて、そのまま好きにさせてくれていたよ。
 だからその後も黒沢は授業中にメモを交換し合いながら、時々アズサの髪を撫でたりもしてたよ。

 ただ残念ながら、これ以上のエロ展開とかは全然ナイから。
 今時の中学生とかなら、好きな女の子がいてしかも反応が悪そうじゃなかったら、ガンガン押してすぐエッチとかに持ち込んじゃうのかも知れないけど。
 でもその頃の黒沢(彼女いない歴=実年齢の田舎の中坊)としては、それで幸せいっぱい、胸いっぱいだったんだよ。
 はぁぁ……天国っ!
 本っっっっ当にもう、どーしよーもないアフォですな、この頃の黒沢は。

 しかーし! その黒沢の束の間の幸せ気分に水を差してくれる、思いがけない邪魔者が現れまして。
 マツオでアリマシタ、あの腐れ縁の悪友の。
 授業中にメモを交換し合ったり、時には髪を撫でたりみたいの、席が教室の最後列でさらに隅の窓際だったから、教師だけでなく他の同級生らにも気づかれて無かったのだけど。
 ただアズサのさらに隣の席のマツオにだけは、その様子がすぐ気付かれちゃったんだよね。

 わかりやすく言うと、アズサを真ん中に挟んで、左が黒沢で右がマツオという感じで並んでいてさ。
 で、気付いたマツオはどうしたかと言うと、冷やかすでも止めるでもなく、黒沢を真似るようにアズサの髪を撫で始めたのだ。
 黒沢のように「いろいろ話しかけて、二ヶ月以上かけて仲良くなる→今時のメル友みたいに、メモを交換し合う仲になる」というステップを踏むのではなく、マジでいきなり髪をナデナデだよ。
 それで「マツオも髪を撫でてるけど、どう思ってるの?」ってメモを回したら、アズサは「マツオって、何かホント女に飢えてる……って感じ」って。
 事実マツオに髪を撫でられている時のアズサって、黒沢の時とは微妙に違う困り顔だったんだよね。

 黒沢としては、「アズサに触んじゃねーよ!」って怒りたい気分だったよ。
 けど黒沢だってアズサの髪に「触ってる」わけだし、「何の権利があって、オレはマツオに文句をつけられるんだ?」って、ふと考えちゃってさ。
 ただ自分の感情のままに突っ走っちゃうんじゃなくて、どんな修羅場の中でもまず理屈でモノを考えちゃうのが、黒沢の生まれついての性分なんだよね。

 で、その時の黒沢の思考の流れを簡単にまとめると、おおよそこうなるかな。

 マツオがアズサに触るのは気分ワルい。
    ↓
 けどアズサに対する黒沢とマツオの立場や行動は、客観的には同じ。
    ↓
 だから「アズサに触るな!」とマツオに言える権利や道理は、残念ながら黒沢には無い。
    ↓
 ではアズサをマツオに触らせないには、どうすれば良い?
    ↓
 ちゃんと告って、黒沢がアズサの彼氏になるしかない。

 ……ホントもう黒沢の思考や行動原理って、恋愛の場面でさえ笑っちゃうくらい「感情より理屈」なんだよね。

 ただマツオだけでなく、気をつけて見ているとアズサの周りをウロついては、ニヤケた薄笑いを浮かべながらチョッカイを出して来るヤツらが複数いたんだよね。それもどちらかと言うとDQN系の、素行も人柄もあまり芳しくない連中でさ。
 そいつらについて「仲いいの?」ってアズサに尋ねてみると、まず軽い非難めいた口調で「みんなそういうコト言うんだね」って。そして微笑んで「気にしないで、ただ一年の時同じクラスだったせいで、何か絡んで来られてるだけだから」って言うんだ。

 けどそう言われても、自分の好きな子が他のヤローどもに目をつけられてたら、気にならない方がおかしいし、ただ気になる以上に心配になるじゃん。
 で、アズサの周りをウロつく、サカリのついたオスどもに尻に火をつけられるようにして、黒沢は生まれて初めて「告白というモノをしてみよう!」と決意したのでアリマス。

 好きになった子なら、それまでにも何人もいたよ。保育所の頃はナカハシさんに小学校の頃にはカナコちゃん、そして小学校の終わりから中一の頃にはセイコさんって子が好きだったし。
 前にもチョロっと触れたけれど、中二の頃にはリホさんと仲が良かった他に、一時期はナカノさんのことも「かなり好きかも」って思っていたしね。
 でもそれはみなただの「好き」か、せいぜい「好き好き」ってレベルの話で、MAXレベルの「好き好き好きー」って感情とは違っていたんだよね。
 好きだったのは事実、けどその子たちの顔が見られて仲良く喋ったりできるだけで、もう十分に幸せな気分になれてさ。だから「つき合いたい、彼氏になりたい!」とか、思ったことも無かったよ。

 いや、それは嘘デス。もし相手の女のコの方から告られたとしたら、もう舞い上がって即OKしてつき合ったと思う。
 ただその子の姿を眺めたり喋ったりして幸せ気分に浸ったり、「こんな彼女が居たら良いナ」とか夢想してニヤケたりしているだけで、自分の方から何か行動を起こそうとは、マジで思ってなかった。
 黒沢にその殻を破らせて、「好き好き好きー」のパワーで初めて告白までさせてしまったのが、このアズサだったんだよね。

 何でそこまでアズサを「好き好き好きー」になっちゃったのか……って、実は自分でも「わかんね」ってのが正直なところだよ。
 美人度ならリホさんの方が間違いなく上だったし、可愛さでは生徒会の書記で元幼なじみのカナコちゃんの方が勝ってたし、スタイルだってナカノさんやユカさんの方がスゴかったし。
 アズサと言えば、よく見れば整っているのだけれど地味顔のうちで、勉強もスポーツもかなりダメだし、さらに大人しくて声も小さくて、ホント「居ても居なくてもわからない子」って感じでさ。
 だから「二年生の時ずっと同じクラスだったのに、進級して同じ班になるまで下の名前すら知らないでいた」ってのも、前に話した通りだよ。

 性格? うーん……。
 アズサの性格なんて、実は好きになった後でさえ殆どわかって無かったくらいだよ。ただもう「大人しくて、女らしい子」ってだけでさ。
 だから「告白せざるを得ない気持ちにまで黒沢を追い込んだ“アズサの魅力”って何なの?」とか聞かれても、具体的には何も思い浮かばないんだ。
 ただ敢えて言うなら、圧倒的なまでの女度の高さ、ってトコかな。
 他のアイテム類は並かせいぜい中の上……ってトコだけれど、「防御不可の色気と艶」ってスキルをフル装備していたんだよね。

 例えば今時のJCが大人っぽいと言っても、それはただ「体が育ってる」というだけの話だよね。まあネットや雑誌とか、場合によってはAVで、エッチ関係の知識もオトナ並みに頭に詰め込んではいるよ。けど女度という意味では、はっきり言って殆どガキのままじゃん。
 色気っていうのはさ、「ただ胸とかがバーンと出てウエストがくびれてオマケに足も綺麗ならOK」ってワケじゃないんだよね。いくらカラダは大人でも、バカで下品でギャーギャー騒々しくて傍迷惑に振る舞ってるのを普段から見ていれば、同級生の男子のテンションは急降下でドン引きだってば。
 つーかさ、JCだけでなくもっと年上の成人女性も含めて、「男みたいに下品でガサツに振る舞う=媚びてなくて自分に正直でカッコイイ」みたいな今時の女の人の誤解、マジで何とかして欲しいと思うよ。

 例えばどこかレストランに、ステーキを食べに行くとしてさ。

 a)質より量で勝負のチェーン店の、サンダルくらいのデッカい肉を焼いてドーンと出した、お手頃価格のいかにもアメリカンなステーキ。
 b)やや小さめだけど見るからに柔らかそうな子牛の肉に凝った上品なソースをかけ、サイドにもポテトだの野菜の煮物だのいろいろ添えた、少々お値段は張るもののお洒落で雰囲気も良いお店のフレンチ風のステーキ。

 もしキミなら、さて、どちらの方を食べたいと思うかな?

 飢えてハラが減っててたまんない時なら、そりゃあaの方だろうさ。
 けど気合いを入れてオシャレもして料理の味を堪能しに行こうと思うなら、「bの方を」って思うんじゃないかな。
 色気もそれと同じでさ、男はただデカい乳や尻を目の前にドーンと出されれば満足……ってものじゃないんだよ。ココのあたり、特に今の女性はすごく誤解してると思う。

 そりゃ、女に飢えてて「穴があれば入れたい」みたいなオトコを捕食するんだったら、まず乳や尻だろうけど。
 そうではなくて、オトしたい男のチ○コでなくココロを掴もうと思ったら、ただ「肉をドーン!」ではダメなんだよ。素材の肉の量って言うより、料理の仕方とか見せ方とか、店の雰囲気とかの方が大切だったりするんだよ。
 で、アズサってのはまだJCの小娘にして、その自分って素材の料理の仕方と演出が、抜群に巧かったんだよね。それこそもう、その辺りの並の大人の女性以上に。

 物静かな、女らしい子……ってのが、アズサのまず最初の印象でさ。
 リアルなJCとかJKって、賑やかと言うより騒々しくて、平気で男言葉を喋るし、相手が男でも乱暴な口をきいたりするじゃん。
 でもアズサに関しては、他の女子たちのように大声で騒いだりギャハハって笑ったりするのを見たこと、ホントにただの一度も無かったよ。
 と言っても、近寄りにくいような無口な陰キャラというのではなくて、むしろいつも口角を上げ気味にして微笑んでいる感じで。そして話しかけると微笑んだまま真っ直ぐ見つめ返して、頷きながらちゃんと話に乗ってくれるんだよね。

 そしてまた、アズサは喋り方が可愛いんだ。
 と言っても、いかにも……って感じの声優さんみたいな高い声というのではなくて。
 その年頃の女の子としてはむしろ低めなくらいの、けれど本当にもう柔らかな声で、一言ずつゆっくり、囁くように喋るんだ。

 喋る言葉もいつも優しい女言葉で、他の女子たちみたいに乱暴な男言葉を喋るのを聞いた記憶って、ホントに全く無くてさ。そして普段は「ワタシ」の一人称が、フラグが立って親密度が上がってくると「ボク」に変わって……。
 このアズサの桜色の小さな唇からこぼれる、優しく柔らかな“ボク”を初めて聞いた時には、もう「萌え死に寸前!」って感じだったよ。
 そして前にも触れた例の女子同士のふざけっこ(軽いイジメ?)で脱がされかけて、セーラー服の胸当てを取られても。アズサは一言も声を上げずに唇をキュッと締めて俯きながら、頬を赤く染めて胸元を強く握り締めて耐えていて。

 ……当時のことをあれこれ思い出しながらこう話してみると、アズサのキャラって、ギャルゲーや男の子向けのマンガのヒロインそのものだよね。
 で、肌は卵のように滑らかな白で、頬はほんのり薔薇色に染まって。さらに少し茶色がかったフワフワの柔らかな髪に、やや地味ながらよく見ると整った顔立ち……と。
 こんなキャラの女の子って、リアルの世界で養殖でなく天然に存在していると思う?
 けどあの頃の黒沢はそんな疑念などカケラも持たずに、底無しの泥沼の下へ下へと、文字通りズブズブはまり込んでしまったのでアリマス。

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大失恋(8)・恋をするのは正気を失うのと…

 それはともかくとして。
 ①班行動が原則の中で、何とかアズサと一緒になる機会を作る。
 ②そしてあわよくば、アズサの姿を持参のカメラにおさめる。
 この二つの事で頭が一杯だったからさ、ずっと天気が良くなかろうが、黒沢は全然気にならなかったし残念でも無かったよ。そしてそのアサッテの方向の頑張りが実も結んで、アズサともあちこちでいっぱい喋れちゃいまして、「え、修学旅行? いろいろ楽しかったし」くらいな感じでね。
 でさ、その後の修学旅行最後の晩に、ちょっとした出逢いも待っていたんだ。もうホント、「神様が黒沢に微笑んでくれたのかも」って感じの……ね。
 いや、結果から見ればそれは神様の微笑などではなくて、「地獄に突き落とす前の、悪魔の悪戯」ってトコだったんだけど。

 京都方面に修学旅行に行くとさ、最後の晩にたいてい、土産物を買いに新京極に行くよね。
 黒沢の中学でも二日目の晩に、新京極に行くことになっていてさ。
 何たって、夜の京都の町を歩くんだよ?
 そしてこちとら、頭ン中はあらぬ妄想で一杯になってる中坊の男子(チェリー)だよ?
 だからもう修学旅行の日程表を見た時から、旅先の夜の街での好きなあのコとのアレコレを、「ちょっとHな少年マンガ風」から「こっ恥ずかしくなるくらい甘々な少女マンガ風」まで、それこそいろんなバージョンで夢見てるワケでさ。

 ただマンガのキャラ達とは違って、現実の当人は丸刈りの頭に学帽を被った『昭和の中坊』なんだけど、そのあたりの不都合な真実wは、とりあえず脇に置いておいて。
 けど、まあ安全な場所とは言え、田舎から出て来た中学生を、都会の夜の街に放流しちゃうワケじゃん。だから先生らは「いいか、個人行動は厳禁だからな。絶対に班ごとに見て回るんだぞ!」って、皆に繰り返し言い聞かせてたよ。
 でもこちとら一番ヒドい時期の厨二病の妄想少年だしさ、鼻で嘲って「そんなん、知ったこっちゃね~よwww」って感じでさ。

 で、新京極に足を踏み入れて間もなく、黒沢は並んで歩いていた、同じ班で腐れ縁の悪友のマツオに囁いたよ。
「ハグレるぞ?」
「おう」
 交わした言葉は、ホントにただこれだけだった。
 これぞ以心伝心、ってやつだね。横目で一瞬視線を交わして頷き合うなり、観光客や他校の修学旅行の生徒らで賑わう新京極の雑踏の中、黒沢とマツオはスッと右と左に別れたよ。

 マツオもどうして瞬時に“ハグレる”気になったかは、黒沢には今もわからないけどさ。
 一方黒沢の方は頭の中はもう、アズサ、アズサ、アズサ……って、そのコトだけで頭が一杯だったよ。うん、脱法ドラッグか何かに酔ってイカれちゃってるような、マジでヤバい感じだったよ。
 黒沢の班はもちろんマツオと二人だけじゃないし、一緒に行動しなきゃならない仲間は他にも何人もいたよ。でもそこはもう、「シラネ、みんな好きにしてくれや」って感じでね。

 考えてみればただ無責任ってだけじゃなく、後先ナシにホントに無茶なことをしたと思う。だって新京極は広いし、観光客はイヤになるほど大勢いるし。時間ギリギリまで捜したって、アズサと出合えない可能性も充分あったよね。
 事実、黒沢が新京極を歩いていた間に顔を合わせた同じクラスの奴らも十人もいるかいないかで、一度も合わなかった奴の方がずっと多かったんだ。例の“ハグレた”班の仲間と合流できたのだって、「制限時間の後に、指定された集合地点で」だったし。
 あの時黒沢がしようとしていたのは、無理があるのを承知であえて例えれば、「上野のアメ横の雑踏の中で、目当ての人を捜し出そうとするようなもの」って言うか。

 と・こ・ろ・が! そんな状況の中でも、黒沢の例の妖……じゃなくて美少女アンテナは、しっかりと働いてくれちゃったのだ。
 夜の新京極を一人で歩き出してものの数分も経たないうちに、黒沢は一軒の小さなお店の奥で、商品を手に取っていたアズサの姿を見つけたよ。
 声をかけると、アズサは大きな黒い瞳で黒沢を見つめて、花が咲くように微笑んでくれて。
「この後さ、一緒に見て回ろう?」
 お土産にはどれが良さそうだとか、他愛もないことをしばらく喋った後でそう誘うと、アズサもすぐに頷いてくれてさ。
 修学旅行の日程表を見た時から脳内で思い描いていた「夜の京都の街を、大好きなコと二人で肩を並べて歩く」って妄想が、何とホントに実現してしまったのだよ。

 神様ってマジで居て、黒沢に微笑んでくれているのかも。
 根っからの宗教ギライで無神論者の黒沢が一瞬そう思いかけてしまったのは、その時でありマシタよ。
 いや、もしその時黒沢に微笑んでくれていたのは実は神様ではなく、メフィストと言うか悪魔だったんだけどね。

 夜の京都の街を、大好きなアズサと二人で肩を並べて歩いて……と言いはしたけれど、実はそれは正確な話ではなくて。
 実は黒沢と出合った時、アズサも一緒に行動する筈の女子の班からナゼかハグレていてさ。ただ黒沢のように一人ではぐれたのではなくて、学校では「いつ見ても二人一緒」って感じの親友のミカワさんと、そこでもまた二人一緒だったんだよね。
 アズサが黒沢の誘いに頷いた後、黒沢は当然アズサのすぐ横に並んでさ。
 で、残るミカワさんはと言うと、アズサを挟んで反対側の、少し後ろを遅れ気味について来ていたよ。

 まーね、黒沢の普段の態度を見ていればさ、「アズサに気がある」って丸わかりだったと思う。しかもいつもアズサとセットみたいな親友のミカワさんが、それに気づかない筈が無いよね。
 実際、一緒に歩きながら喋るのも殆ど黒沢とアズサで、ミカワさんは二人に話を振られた時だけそれに答えて……って感じで。だからもうね、実質二人だけで歩いてるようなものだったよ。
 今になって考えてみればさ、「ミカワさんには悪い事をしたナ」ってすごく思うよ。だって黒沢はあからさまにアズサ狙いだし、アズサも満更ではない様子だったし。

 その場の空気としてどう見たってミカワさんはお邪魔虫で、もう「ワタシ、何でここに居るんだろ」って感じだったと思うよ。
 まあね、「そーゆー時は気を利かせてそっとその場を離れて、二人だけにしてあげれば良いんだよ」って思う人もいるかも知れないけど。
 でもそうしたらミカワさんは、新京極でマジで一人だけになっちゃうし。そもそも黒沢が出合った時、アズサはミカワさんと二人だけだったからね。
 それでミカワさんなりにすごく気を使って、出来るだけ黒沢とアズサの邪魔をしないようにして、そっと後をついて来てくれたんだと思う。

 ホント超迷惑な話だよね、コレ。ミカワさんだって親友と新京極のお店を見て歩くのを楽しみにしていただろうに、フラっと現れた黒沢が、全部ぶち壊しにしてしまったワケでさ。
 なのに当時の黒沢はただ自分と好きなコの事しか考えられなくて、少し後ろを遠慮がちについて来ているミカワさんの気持ちとか、気付きもしなかったし、考えようともしなかったんだ。
 まあそのミカワさんの尊いギセイのもとに、アズサとずっと一緒に歩いたあの夜の事は、修学旅行の最高の想い出として記憶に残ったのだけどね。

 と言っても、別にそのムードの中で告ったわけでもないし、手を握りさえしなかったよ。
 だって第一、盛り場の雑踏の中だよ。告白だの手を握るだの、そんなコトできるワケないじゃん。同じ学校の誰に見られてるかわからないし、現にすぐ後ろにはミカワさんも居たしさ。

 NHKの朝の連ドラ『梅ちゃん先生』などを見ているとね、何か「プライバシーは水臭い事で、親しい仲では立ち聞きや盗み聞きも悪くナイ」って言いたいのかと思いたくなっちゃうよ。告白とかプロポーズとか別れ話とかの大事なことも、みな友達や家族の前で公開でするのがデフォ……って感じでさ。
 でも現実には、人って皆そんな“距離ナシさん”ばかりじゃないんだからさ。少なくとも黒沢は「親しい仲にもプライバシーは必要」って思ってるし、告白とかの大事なコトは、他人を交えずにまず二人だけの場でしたいと思うよ。
 だから新京極でのアズサとのことも、実際にはただ肩を並べて歩いただけなんだ。けどそこはまだ「彼女いない歴=実年齢」の中坊だったし、好きでたまらないあのコと旅先で夜の街を歩けただけで、もう胸がいっぱい……って感じでさ。

 その時、黒沢自身は幸せ気分にドップリ浸かりきってたけど、引率の先生に見つかりでもしたら間違いなく大目玉だったろうね。同じ中学の生徒で班行動を無視して女のコと歩いてたヤツなんて、他にもいたかも知れないけど黒沢自身はまるで見て無いし。
 ま、当時の黒沢にしてみれば「アズサと一緒に歩けるなら、担任に怒られるくらい何でもない」って感じでもあったんだけどね。
 でも「運良く」と言うべきか、新京極ではウチの中学の先生を不思議なくらい見かけなくてさ。もうね、「見回りするのは早々に止めて、どっかで休んでお茶でも飲んでたんじゃねーの?」ってくらいに。

 ただ、その班から離れてアズサと歩いていた間に、ある意味、担任の教師よりマズい相手に見つかっちゃってさ。
 ……リホさん。
 いろいろ見て回った中のあるお店を出た時、もう手を伸ばせば届くくらいの距離で、リホさんとその女子グループと出くわしちゃってさ。
「あっ、何やってんの!」
 黒沢とアズサの顔を交互に見て、リホさんはマジで怒ってたよ。

 考えてみればさ、リホさんってこんなひねくれた困り者の黒沢に、前からずっと良くしてくれていたんだよね。いつも話し相手になってくれて、まるで親友みたいに一緒に遊んでもくれて。
 いや、リホさんも女のコなんだって、頭ではちゃんとわかっていたさ。ワザとじゃないけれど着替えも見ちゃったし、ブラとか脚とか触らせてもらったコトもあったし。それだけでなく、顔立ちだって整っていてキレイな方だったしね。

 後になって振り返ってみると、リホさんとの想い出って案外あるんだ。
 黒沢が住んでいた地区の、ある年の夏祭りの夜に、黒沢はリホさんとバッタリ出合ってさ。
 その時黒沢は男の友達と一緒で、リホさんも女子のグループと一緒だったよ。けどごく自然に、黒沢はリホさんと並んで歩いていろいろ喋ったよ。
 ちょうど修学旅行の夜に、アズサとそうしたようにね。
 その夏祭りの夜の、別れ際のこと。
「これ、あげる!」
 言いながらスッと手を差し伸べて、リホさんは金魚すくいでゲットしたミドリガメを、黒沢に譲ってくれてさ。

 そう言えばこの修学旅行の前の晩だって、「部屋に遊びにおいでよ」ってリホさんは、わざわざ黒沢に声をかけてくれていたんだよね。
 ハッキリ言って、黒沢はリホさんのことが大好きだったよ。
 けどその好きって気持ちは、アズサに対する感情とは別の種類のものだったんだ。
 例えて言うならリホさんへの気持ちは、ずっと前から仲の良かった従姉妹や異性の幼なじみに対するみたいな、性別を越えた“好き”って感じかな。
 もう、普段から平気でどつき合いをしてたし、マジで箒を振り上げたリホさんに追いかけ回されたコトまであって。
 それだけにアズサに抱いたような恋愛感情を持つには、何と言うか距離が近過ぎたんだろうね。

 修学旅行の晩にアズサと歩いているのを、リホさんに見つかってしまってさ。
 その後の黒沢の選択肢としては、「リホさんにおとなしく叱られて謝って、アズサとはそこで別れる」ってのもあったと思う。
 なのに黒沢が選んだ行動は、「笑ってゴマ化しながら、アズサを連れて逃げてしまう」だったのだ。
 もうね、『To Heart 2』の姫百合珊瑚ちゃんの表現を借りるなら、当時の黒沢はそれくらいアズサのことが「好き好き好きー」やったんや。
 うん、レベル1のただの「好き」でもその上の「好き好き」でもなく、最高レベルの「好き好き好きー」ってヤツさ。

ToHeart2 DX PLUS(通常版)ToHeart2 DX PLUS(通常版)
(2011/09/22)
PlayStation 3

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 ギャルゲーのヒロイン達って、舞台が「とある地方の小都市」や離れ島であっても、ナゼか殆どみな標準語を喋るんだよね。
 けど『To Heart 2』を作ったアクアプラスは、会社の所在地が大阪のせいか、作品に大阪弁を喋るヒロインが出てきたりするのだ。
 で、『To Heart 2』での大阪弁担当のヒロインが、姫百合珊瑚と瑠璃の双子の姉妹なのだけれど、「大阪弁を喋る女のコの可愛さ」を、黒沢はこの珊瑚ちゃんに初めて教えられたよ。
 大阪弁の女の子と言うとさ、何か吉本の芸人さんみたいにポンポンまくし立てるのを、つい想像しちゃうじゃん? だから「大阪弁の女のドコが可愛いんだよ、ボケ」って思う人もいるかも知れないけど。
 でも実際は、女の子が大阪弁を優しく柔らかに喋った時の可愛さと破壊力ときたら、標準語の何倍、いやもう何十倍ってくらいスゴいよ。

 ギャルゲーに出てくる関西弁のヒロインって、日本の人口比から考えればかなり少ないけれど、それなりにいるよね。例えばセガサターンの名作『サクラ大戦』の李紅蘭や、少し遅れてプレステで出た一番初めの『To Heart』の保科智子とか。
 でも黒沢としてはただ騒々しいだけだったり、「こんなんがリアルに居たら、ただ近寄らずにスルーでいいんじゃね?」って感じの愛想の無さだったりで、どちらも攻略する気にさえなれなかったんだよね。
 その黒沢が、『To Heart 2』の大阪弁のヒロイン姫百合珊瑚には、ハッキリ言って萌えてしまいマシタ。そしてプレイしていて「うわぁ、珊瑚ちゃんマジ可愛いゾ!」って気持ちが行き過ぎて、誰にも渡すまいと独り占めしようとした挙げ句に、見事にバッドエンドを引き当ててしまったのデシタ。

 まあその「黒沢が姫百合珊瑚で初めて知った、大阪弁の女の子の可愛らしさ」や、その珊瑚ちゃんの言うレベル3の「好き好き好きー」の意味合いは、皆さん自身に『To Heart 2』の姫百合姉妹ルートをプレイして確かめて貰うとして。
 あの頃の黒沢は、とにかくアズサが「好き好き好きー」で、リホさんの気持ちだの、ましてや班長の責任だの団体行動だの、他のことには殆ど気が回らなかったんだよね。
 だから修学旅行から帰ると、頭の中はもうアズサでいっぱいで、目にもアズサの姿しか入らないみたいな、殆どビョーキみたいな有り様で……。

一瞬の光のなかで〈上〉 (扶桑社ミステリー)一瞬の光のなかで〈上〉 (扶桑社ミステリー)
(2002/03)
ロバート ゴダード

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一瞬の光のなかで〈下〉 (扶桑社ミステリー)一瞬の光のなかで〈下〉 (扶桑社ミステリー)
(2002/03)
ロバート ゴダード

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 イギリスのミステリー小説の名手、ロバート・ゴダードは、『一瞬の光のなかで』って作品の中で、恋についてこう書いているけれど。

 恋をするのは正気を失うのとたいして変わらんよ。まあ、それよりちょっと楽しいだけだ。

 ……後から冷静に振り返ってみると、確かにその通りだと思う。アズサに恋していた時の黒沢は間違いなく正気を失っていて、しかも楽しいどころか、想像もしないような苦しみがその後に待ち構えていたんだよね。

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大失恋(7)・昭和の頃は、好きなコの写真一枚撮るのも大変デシタ

 修学旅行の二日目はまず平等院に行き、その後はずっと奈良を回ったのだけれど。ただビヨドウインのオバハンの祟りか、平等院を出た後は一日中ずっと小雨まじりでさ。
 だから今アルバムの写真を見直してみても、奈良公園もあちこちのお寺もみな雨模様だったよ。写っている人もみな傘をさしているか、閉じた傘を持って歩いているか……って感じでね。
 でも「その日ずっと雨でガッカリだった」って印象は、実はあんまり無いんだよね。
 だって黒沢の目は、常にアズサにロックオンされていたから。

 移動中のバスの席は、黒沢が前から四番目の通路側で、アズサは通路を挟んで斜め二つ前でさ。だから喋ったりは出来ないけれど、後ろ姿はいつも視界に入っていたよ。 
 バスガイド? どんな人だったか、殆ど記憶にナイです。若い女の人だったことだけは、それでも微かに覚えているよ。けど美人だったかガッカリだったかと聞かれても、ホント「記憶にアリマセン」としか答えようがなくてさ。
 ちなみに二泊三日の旅の間、移動中にずっと隣の席だったヤツ(もちろん♂)が誰だったかも、記憶の片隅にすら残ってないんだな。

 その修学旅行では、バスや新幹線の席は通路を挟んで左側が男子、そして右側が女子と分けられてたんだよね。だから黒沢の通路を挟んだ隣にも、同じ女子がずっと居た筈なのだけれど、それが誰だったかもサッパリ覚えてないや。
 目も意識もそれくらいアズサに釘付けだったと言うか、当時の黒沢って「好きな女の子以外は、ホントにどーでも良い」ってヤツだったんだよね。
 だからバスを降りてお寺を見て回る時にも、いつもさりげなくアズサのグループの近くにいて、機会を見つけては話しかけていたし。そして「出来れば写真も撮っちゃおうか」なーんて、密かに狙っていたりしてね。
 ハイ、今の時代ならストーカー認定されかねない、端から見れば殆ど不審者みたいな黒沢デシタ。

 でも好きな女のコのことで頭の中はもうお花畑だったから、天気が悪かろうが雨が降ろうが、ちーっとも苦にならなかったよ。悩みの種と言えば、「雨がやんでくれなきゃ、カメラが出せねぇよ」ってことぐらいでさ。
 班の他のヤツらと言えば、「奈良公園の鹿煎餅を、試しに自分で食ってみる」とか「鹿に学帽を被せてみる」とかの、田舎の中坊の男子定番のアホなことばかりして、雨まじりの中でもそれなりに楽しんでいたけれどね。

 写真と言えば、当時と今では状況が全然違っていてね。
 今ではカメラくらいスマホやケータイにも付いてるし、撮ったデータもメディアに入れておけば良いだけだから、写真を撮るのは基本タダなんだよね。
 そーゆーのじゃなく専用のデジカメだって、二万円も出せばかなりイイの(10~20倍ズームで、手ブレ補正や暗部補正その他の機能が盛り沢山で付いてるやつ)が買えるしね。
 黒沢は先日、アマで某有名メーカーのコンデジをポチったけれど、コレが1400万画素でズームは12倍、それに強力な手ブレ補正やアートフィルターその他の便利な機能も付いたスグレモノでさ、それで値段は一万円を切って9980円だったゾ。
 学校の行事などで皆の写真を撮って、何が面倒かと言うと後で撮った写真を焼き増しして配ることだよね。けど今なら写真屋に焼き増しを頼むこともなく、ただ自分のパソでCDに焼いて渡せば良いだけだし、かかる費用だって一人頭50円もかからないし。

 けどね、写真はフィルムで撮るしか無かった黒沢の時代には、話が全然違ったんだよ。
 そもそも黒沢の学生時代には、カメラそのものが貴重品だったんだよ。一眼レフならまず十万円はしたし、シャッターを押すだけのコンパクト・カメラだって三~五万円くらいしたしね。
 そうそう、当時のカメラはデジタルじゃないから、何か撮るにはまずフィルムが必要だったんだよ。
 そしてそのフィルムも高くてさ、一本五百円かそれ以上するのが当たり前だったんだよ。
 その一本のフィルムで何枚撮れるかと言うと、24枚かせいぜい36枚ってとこ。
 そしてまた、撮った写真を見るにはまたおカネがかかるのでアリマス。現像するだけでまた数百円、さらにプリントするにも、一枚あたり三十円くらいかかるんだよね。

「だったら、良く撮れたヤツだけプリントすりゃあいーじゃん」って? いやそれは甘いんだよ、デジカメ世代のキミ。
 中高年世代の人達がさ、フィルムのことを“ネガ”って呼ぶの、聞いたコトないかな。
 フィルムには、大きく分けてネガとポジとモノクロの三種類があって、その中でカラープリントに一番向いているのが“ネガ”ことネガティブ・フィルムってやつなんだけれどね。
 でもこのネガフィルムってやつがなかなかのクセモノで、明暗も色も、まるで逆に写るんだ。

 デジカメしか知らないキミら、試しにオトーサンから古い写真のネガを見せてもらってごらん、きっと驚くよ。明るいところは黒く、暗いところは明るく写ってるし、さらに補色って言って色も実際とは逆に写ってたりするから。 そしてフィルム自体も、オレンジ色に着色されてるし。
 だから写真は撮ったら普通“同時プリント”って言って、現像と併せてとりあえず全部プリントしてみるのがデフォだったんだ。だってそうしてみないことには、何がどう写ってるかわかんないんだから。
 で、そのプリントしてみた写真(←くどいようだけど、一枚三十円ね)が、ブレていたりピンぼけだったり、明る過ぎたり暗過ぎだったりなんて話も、当たり前にある話でね。
 何しろフィルムの時代のカメラには、手ブレ補正もオートホワイトバランスも暗部補正も無かったからね。それにモニターで写り具合を確認することも出来なかったから、どう撮れたかもフィルムを現像に出してみるわからないんだ。
 だから前世紀の「写真=銀塩フィルム」って時代には、正しい露出とピントでブレてない写真を撮るのも一つの技術で、「ただキレイに撮れている」ってだけで褒められたりしちゃってたんだよね。

 ちょっと昔のフィルムの時代に写真を撮るのがどれだけムズカシかったか、今あるキミのデジカメでちょいと試してごらん。

 まず手ブレ補正と暗部補正をオフに。
 ISO感度もオートを解除して、100または400に固定。
 オートホワイトバランスを解除して、太陽光にセット。
 AFも顔優先や追っかけフォーカス等の便利機能をオフにして、中央一点のみに固定。
 露出も評価測光を解除して、中央重点平均測光にセット。
 撮影後のレビューもオフにして、どう撮れたかモニターで確認しない。
 

 以上の条件で、室内外や朝昼晩、いろんな環境で24枚か36枚撮ってみてごらん。さあ、コレでどれだけまともに撮れるかな?
「フィルムのカメラで写真を撮る」って、つまりそういうコトなんだよね。

 さらにその僅か24枚または36枚の写真を撮るのに、フィルムのカメラの時代にはベラボウなおカネがかかったんだ。フィルム代から現像&プリント料までトータルで考えると、まあ24枚撮り一本で二千円弱、36枚撮り一本で二千五百円くらい……ってとこかな。
 だからその時代に「写真を撮る」って、マジで百円玉や五十円玉をバラ撒きながらシャッターを切ってるようなものだったんだよ。
 くどいようだけれど、そこまでして撮った写真の中には、手ブレや露出のミスやピンぼけなど、数々の失敗写真も含まれているのでアリマス。

 そういう時代に写真を撮り続けてきただけにさ、フィルム代や現像料の心配ナシに何百枚でも好きなだけ撮れて、撮った写真もその場で見て撮り直しもできる今のキミらが羨ましくてならないよ。
 ただ「酸っぱいブドウ」の負け惜しみを承知の上で言えば、フィルムは一度に撮れる枚数も少ないし、撮り直しも効かないからこそ、黒沢の世代の写真少年は一枚一枚に精魂を込めて、真剣勝負で撮っていたのだよ。
 写真なんて、今ではスマホでも一部の携帯ゲーム機でも撮れる、ただの画像データに過ぎないけれど。フィルムの時代の“写真”は、おカネとか撮影技術とか現像してプリントする手間とか、いろんなモノを必要とする特別なモノだったんだ。

 今では考えられないだろうけど、黒沢の時代の修学旅行では、「生徒が持って来て良いカメラは、班で一台」って中学が多かったんだよ。
 何しろ当時は、カメラそのものが“貴重品”だったからね。だから盗難だの紛失だの壊されただのってトラブルを防ぐためにも、「貴重品はなるべく持って来させない」って方針でさ。
 何たって、その頃は腕時計でさえ貴重品扱いで、高校生になるまでは学校に付けて行っちゃダメだったのだ。今なら腕時計なんて千円か二千円で充分使えるのが買えるし、極論すれば百円ショップでも買えたりするけど、昔は安いのでも二万円くらいしたからね。
 当然、カメラを学校に持って行くのも普段はアウトで、修学旅行の時のみ「班に一台だけ、特別に許してやろう」ってワケ。

 だからその班の写真係ってのも、学校側のスタンスとしてはあくまでも正式な係ではなくて、「いないなら、いないでも構わない」って感じでさ。だからフィルムもその後の現像料等も、学校で負担してくれるワケではなくて。
 平たく言えば修学旅行の班の写真係って、黒沢の中学ではズバリ「フィルム代も現像料もすべて個人負担の、完全ボランティア」だったんだ。
 でも黒沢はそれを承知の上で、ためらわずに班の写真係を買って出マシタさ。だって写真係になれば、あのアズサの写真を撮れるかも知れないからね。
 もうね、それが「アズサの写真を撮れる唯一のチャンス」と言っても、マジで少しも大袈裟でない……って感じでさ。

 ただ下心イッパイで張り切って班の写真係になったものの、まず頭を抱えたのがフィルムの問題でさ。
 今の中学生って、修学旅行に行ったら写真をどれくらい撮るんだろう。今はスマホやケータイでそのまま撮れば良いだけだし、メモリーカードの限度まで、百枚単位で好きなだけ撮れるよね。
 でも黒沢の時代には、写真を撮るにはまずフィルムを買わなけりゃならなかったからね。そして撮ったら撮ったで、カメラ屋に持って行って現像&プリント(DPEってヤツね)しなきゃいけないし。
 だからフィルムカメラの時代には、写真を撮るにはマジで「まず財布と相談」って感じだったよ。
 で、悩んだあげくに黒沢が選んだのが、36枚撮りのフィルム一本だった。DPE料まで含めた費用を、中坊の乏しい小遣いの中から捻り出すとなると、それが精一杯だったんだよ。

 せっかくの修学旅行で撮るのは36枚だけ……って、今の感覚では少な過ぎるだろうね。でも例の「写真は百円玉や五十円玉をバラ撒きながら撮るようなもの」って感じだった当時には、それくらいが普通だったんだよ。
 実際、他の班のカメラ係の人も、だいたいそんなものだったし。多くても、せいぜい「24枚撮りを二本」とかね。
 今と違って、その頃は写真ってちょっと特別なものだったから、旅行にカメラを持って行っても、名所ごとに勢揃いしてパチリと一枚……って感じでね。だから「一本のフィルムに、春の卒業式や入学式と夏の家族旅行が写ってる」なんてのも、そんなに珍しい話ではなくてさ。
 だからフィルムも普通は24枚撮りで、36枚撮りは特にたくさん撮りたい人(プロとか)が使うもの、って感じだったんだ。

 とは言うものの、「修学旅行にフィルム一本だけ」というのは、その時代でも流石にキビシかったよ。
 いくら36枚撮りでもさ、二泊三日だと一日あたり12枚しか撮れないワケじゃん。しかもカメラを持ち歩ける建前はあくまでも「班の写真係」だから、その少ない枚数から、まず同じ班のヤローどもを撮らなきゃならないワケで。

 ヤローどもってさ、ナゼかやたらに写真に写りたがるんだよね。
 ほら、テレビの生中継なんかで、わざとカメラの前にキタネー面を突き出して飛び跳ねたりするクソガキが居るじゃん。殆どそのノリで「俺を撮れ!」ってウルセーんだよ。
 それだけでなく、行った先で金閣だの清水寺だの奈良公園の鹿だのを撮ったりもするし。だからフィルム代その他の出費は自腹を承知の上で、わざわざ写真係を買って出たものの、本当の目的のアズサを撮るのに使えるのはホントに数枚だけ……ってトコでさ。
 それだけに「何とかして、アズサをバッチリ撮らなきゃ!」って、それはもう必死だったよ。
 この「たった一枚の写真を撮るのにかける気合いと熱意」って、デジカメ世代の今の中高校生たちには、きっとわかんないだろうね。

 繰り返しになるけれど、黒沢の中学の修学旅行の班は、ホテルの部屋割りに合わせた男女別でさ。だから普段は同じ班のアズサとも、修学旅行では違う班で別行動だったんだ。
 でもそこは愛のなせるワザwwwで、黒沢は鬼太郎の妖怪アンテナ並の精度で、アズサのいる場所だけは常にキャッチしていたよ。
 いやマジな話、修学旅行中の行く先々でそれとなくアズサの近くに姿を現す黒沢の行動って、ホント傍から見れば妖怪みたいなモンだったよね。

 実は黒沢は、その修学旅行では一緒に行動するグループの班長だったんだ。
 その班長がアズサのことしか頭になくて、時々“はぐれて”居なくなるものだから、終いには班の皆に責められちまったよ、「班長がナニやってんだよ、オイ!!」って。
 でもそこは蛙の面に何とやら、ってやつデスよ。「だってオレ、班長なんて立候補した覚えないしぃ~、オマエらに押しつけられただけだしぃ~」みたいな感じで、その後も班の皆を放置してはアズサを追いかけ続けてマシタ。
 ハイ、やってるコトを傍から見れば、今ならストーカー&盗撮の犯罪行為だよね。頭は切れるけれど小生意気なムスカ大佐みたいなヤツだった黒沢を、そこまで正気でなくさせてアホにさせちゃうんだから、恋ってホントにコワいよ。

 で、ソコまでして肝心のアズサはちゃんと撮れたか、って?
 黒沢としては不満足だけれど、とりあえずまあ四枚ほど。
 小雨の奈良を傘を手に歩く姿とか、その雨のやみ間に遠くを眺めている所とか。実はその中に一枚、ちゃんと撮らせて貰ったアップの笑顔の写真もあったりするのだ。
「じゃあその写真をup!」って?
 ヤだよ、昔の話とは言え相手のプライバシーにも関わることだし、どの中学の誰だとか、いろいろ特定されても困るし。

 何しろ当時は、ちゃんとした一眼レフなんて持っている人の方が少なくなかったからね。だから他の班の写真係のカメラだって、たいていコンパクト・カメラだったし。
 黒沢が持って行った家のカメラも、コニカのコンパクト・カメラで、頑張っても写りは今のコンデジよりずっとダメでさ。当時はまあ、カラーフィルムの色そのものも悪かったしね。
 ただカメラを片手にいつもアズサを探していたこの三日間で、黒沢は「美少女を撮る」って快感に目覚めてしまったようで。
 それで何を血迷ったか、「そーだ、オレは女のコを撮るプロの写真家になるんだ!」などと本気で決意しちまってさ。そして高校に入ると同時に一眼レフをゲットして、写真に没頭し始めることになるのは、また別のお話でありマス。

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大失恋(6)・京都は好きでも、京都人は…

 某鉄道会社のCM「そうだ、京都に行こう!」じゃないけれど、京都に憧れる人って多いよね。ただそこに住んでいる人たちの印象は、さほど良くないような気がするのは黒沢だけではないよね?
 青色イリコさんの『ジャポニズム47』という、日本の各都道府県を擬人化したマンガがあって、黒沢も楽しく読ませていただいたけど。この中に出て来る“京都”って人(←着物を着ていて何となく女っぽいけれど実はオトコ)、まさに他県の人がイメージする京都人そのものじゃないかな。
 一見愛想が良くてニコニコしていて、でも心の中では他県の人を見下していて、時折さりげなーく毒のあるイヤミを吐いて……みたいな。

ジャポニズム47 でがらし日本茶編ジャポニズム47 でがらし日本茶編
(2011/06/10)
青色 イリコ

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 さて、修学旅行の二日目はバスで奈良を回って、その途中で宇治の平等院にも寄ったのだけど。
 まー、ボランティアか職員かわからないけれど、その平等院の案内のオバハンが「地方の観光客をバカにして見下している、イヤ~な京都人の代表」って感じでさ。心の中で見下してチクリと嫌味を言うどころの話じゃなくて、ホントに声を荒らげて怒るんだよ、黒沢たち修学旅行の生徒を。

 いや、黒沢たちのマナーが悪くて叱られるなら仕方ないと思うし、それならむしろ「よその子を叱れる、立派な大人」って感じだよ。
 けど件の平等院のオバハンはそうではなくて、「このワタクシのありがた~いお話を、直立不動で拝聴なさい!」って感じでさ。小声で隣の人と喋ったりよそ見をしたりするだけでヒステリックに怒るんだから、たまんねーよ。
 うん、もう「先生だってこんなに怒らねーよ」って感じでさ。よく「怒ると叱るは違う」と言うけれど、例の平等院のオバハンは、まさにその悪い方の「感情に任せて怒る」って方でね。

 で、そのオバハンは皆に静聴を強いた上で、クソ面白くもない「平等院がいかに素晴らしいか」の自慢話を、上から目線で延々と続けるワケ。
 黒沢のU中は(ツッパリも居ないワケでは無かったけれど)別に荒れた学校ではなかったし、旅先でのマナーも決して悪くなかったと思う。でもその平等院のオバハンは、何故かやたら怒りまくってたよ。
 その後に行った奈良の薬師寺ではさ、もう皆は案内のお坊さんの説明と法話を、誰に言われるまでもなく皆ですぐ側で取り巻いて、一言も聞き逃すまいと熱心に聞いたよ。それもただ静かに聞くだけでなく、何度も笑い声も上げながら。
 だってその薬師寺のお坊さんは、話がとても巧くて面白かったから
 平等院のオバハンも含めて、「今時の若いのはヒトの話が聞けない」って怒る人の中には、勘違いしてる人がかなり少なくないんだよね。薬師寺のお坊さんではないけれど、話に中身があって面白ければ、別に声を荒らげたり叱ったりしなくても人は耳を傾けるものだし、聴衆だって自然に集まって来るんだよ。

 そうそう、例の平等院のオバハンは、ビョウドウインをナゼか「ビヨドウイン」って呼んでいて。
 だから平等院を出た途端に、皆の話題はその「ビヨドウインのオバハン」のネタで持ちきりになってさ。もう「ビヨドウインのババア、ふざけんな!」みたいな感じで。あと、「威張ってんじゃねーよ、たかが十円玉のくせに」とかね。
 この平等院のオバハンは当時の修学旅行生にはかなりユーメーらしくて、U中の先輩や市内の他の中学の生徒らに修学旅行の話を聞いてみても、「ビヨドウインのオバハン」と言えばみな知ってたよ。
 この強烈すぎるオバハンのおかげで、今も黒沢は平等院をビヨドウインとしか読めないのだ。
 黒沢は歴史が好きだし、数年後に進学した大学で選んだ学科も史学科(日本史専攻コース)で、卒論のテーマも『平安貴族の相続について』でさ。当然京都は好きだし、その後も何度か訪れたけど、平等院だけは二度と行く気になれないでいるよ。
 もうマジで「十円玉でも眺めてりゃ充分だ」って感じでね。

京都人は、他県から来た観光客を見下している」という話は、黒沢も何となく感じたことがあるよ。
 お菓子とか副菜とかのキャッチコピーに、よく「日本人好みの、甘じょっぱい味」とか書いてあるの、あるじゃん。実は黒沢は、その濃い目の甘じょっぱい味って苦手なんだ。
 黒沢は東京と静岡を行き来して生きてるようなヤツだし、先祖を考えても関西人の血は混ざってない筈なんだ。でも味覚に関しては、完全に関西系が好きなんデス。
 醤油と砂糖で濃く味付けしたようなの、ホント生理的にダメなんだよ。例えば地元のスーパーなんかで売ってる総菜も、モノによっては一度水で洗い流してから食べていたりするしね。
 だから自分で料理を作る時も、醤油と砂糖は必ずレシビより少な目にして、出汁や香辛料でその分を補ってるし。
 ただこれは黒沢個人の好みであって、甘じょっぱい濃い味付けそのものを否定するつもりも、そうした味が好きな人達をバカにするつもりもないことだけは、あらかじめ言っておくね。
 でもその甘じょっぱい味が「日本人好み」なんて言い切られちゃうとさ、「そーかよー、オレは日本人じゃねーのかよー」なんて、ちょっとやさぐれたい気分になっちゃったりして
 マジな話、「日本人好みだなんて全国レベルで断言すんなよ、それって東京とか東日本限定の話なんじゃね?」って言いたくなっちゃうけどね。

 この修学旅行から何年も経った後、嵯峨野が撮りたくてまた京都を訪れた時のこと。カメラ片手に散策の途中で、フラリと立ち寄ったあるお店で饂飩を食べてさ。
 そこは嵯峨野のメインの散策路から少し奥で、バイトの店員すらおらず老夫婦だけでやっているような小さなお店でさ。お爺さんが奥で調理して、お婆さんが注文を取り料理を運んで来て……って感じでね。
 けど地元の常連さんだけの為の、例の『一見さんお断り』の雰囲気をプンプンさせた店でもなく、黒沢のようにルートをちょっと外れた観光客がフラリと入って来ていて、その入りも「混んでもないけれど、ガラガラでもない」という程度で。
 店の老夫婦は殆ど喋らず、店にはテレビもラジオも無くBGMすら流れていない中で、黒沢を含めた客らは静かに語り合いながら食事を楽しむ……って感じでね。
 そこで出された饂飩を一口食べた瞬間、黒沢は思わず唸ったよ。
「こんなに美味い饂飩を食べたの、生まれて初めてだ!」って心から思ったよ。
 饂飩は滑らかで適度なコシがあり、そして何より汁の味が抜群でさ。

 東京とかで饂飩を食べたことのある関西の人ならわかると思うけれど、東日本の饂飩や蕎麦の汁ってさ、まず醤油の味がするんだよ。そしてそのしょっぱい味の後に、砂糖の濃い甘みが追いかけてくる感じで……。
 こう言ってはアレだけれど、東日本の饂飩や蕎麦って、まず汁の色から醤油の色っぽいんだよね。
 けど嵯峨野のその老夫婦のお店の汁は違うんだよ。変な例えだけれどまるでウィスキーのような澄んだ薄茶色で、関東のメンツユに慣れた目には「薄すぎだろ」としか思えないんだよね。
 けど実際に食べてみると、「薄いわけでは全然ない」ってすぐわかるんだ。
 確かに醤油と砂糖は薄いんだよ、けどその代わり、出汁に上等な昆布が惜しみなく使ってあってさ。
 その味は、まさに「次元の違う美味さ」ってやつ?
 何でも砂糖と醤油で甘辛く味付けるのではなく、出汁を効かせて旨味を出していて、だから饂飩の小麦本来の味までわかる……という感じでね。
 別にテレビや雑誌に紹介されるような敷居の高い有名店ではなく、老夫婦だけでやっているごく普通の小さな店の、たかが数百円の饂飩だよ。それが感動的なくらいに美味くて、「味はやはり関西だな」って思わされてしまってさ。

 あと、そのお店では饂飩とは別に、箸休めに漬け物も出してくれてさ。
 その小皿には、短冊型に切った大根の漬け物が二切れ乗っていて。
 実は黒沢は、漬け物とかあまり好きじゃなかったんだ。特に化学調味料(原材料名ではアミノ酸、って書かれてるヤツね)で味をゴマカした上に、着色剤でまっ黄色に染めた市販の沢庵とか、見るのもイヤ……って感じでさ。
 ただそこの漬け物は黄色ではなく半透明に近い白で、旅先でもあったし「まあものの試しに」と、端の方を少しだけ囓ってみたんだよ。
ウマー!!!!
 ほっぺたが落ち、目からも鱗が落ちる……って感じでね。ホントに大袈裟でなく、それまで知っていた漬け物とはまるで別物の上品な美味しさだったよ。
 それは千枚漬けだろう、って? うん、黒沢も多分そう思う。ただね、京都土産の漬け物はその前にも後にも何度か食べたけれど、その老夫婦の饂飩屋さんで出してくれた漬け物とは、何か違う感じがするんだよね。
 土産物屋にあるような千枚漬けって、いくら製造元も京都でも、マズいとは思わないけれど心までは動かされないんだよ。何かそれなりと言うか、「コレが京都土産? へー」って程度でさ。
 けどその饂飩屋さんの箸休めの漬け物は、土産物屋の漬け物の味とはまるで違うんだよ。その澄んでいて奥深い味に、マジで感動させられてしまってさ。
 安く買える量産品をあえて使わずに、店の老夫婦が自ら精魂込めて漬けたのだろうな……というのが、ひしひしと伝わって来るような逸品だったよ。
 その饂飩屋の老夫婦はどちらも無口で、決して愛想が良いとは言えなかったな。ただ余計なことは何一つ言わないのだけれど、「客に対する敬意」みたいなものは態度にもにじみ出ていたよ。

 黒沢は京都では嵯峨野が一番好きでさ、特に渡月橋から北に化野念仏寺あたりまでをゆっくり歩くのがお気に入りのコースなのだ。
 で、次に京都に行った時にも、そのルートで嵯峨野を歩いたのだけれど。その時には新しい味と出会いたい気持ちもあって、例の老夫婦の饂飩屋とは違うお店に寄ってみたんだよ。
 そこはメインの散策路に面した、入るのに少し気後れするような料亭風のお店でね。
 まず広い敷地は板塀で囲われていて、門を潜り和風の庭園を通ったその向こうに、お屋敷風の立派な建物がある……みたいな感じでさ。
 けど、その店の中に一歩足を踏み入れた瞬間に「マズった!」って思ったよ。
 その□□庵は入り口に下足箱があり、そこに靴を預けて中に上がると、お客は全員、襖をすべて外して大広間にした畳の間に押し込められるんだよね。
 それはまあ良いとして、ただその畳には縁すらなく、すっかり茶色に焼けている上に、あちこち擦り切れてもいるワケ。
 さらに客に会釈すら出来ない、ふくれっ面の若い店員(見るからに学生のバイト)に案内された壁際の席に行ってみると、その畳を支える床板自体が少し沈みかけているし。
 そして座卓も祖末もいいところで、ニトリやホームセンターで1980円で売っているような、折り畳み式の脚がついたアレだったよ。
 言ってみればまあ、「外だけお屋敷で、中に入ってみれば裏長屋」って感じかな。

 ……いいんだよ、料理屋でまず第一に大切なのは料理の味そのものであって、畳や座卓やバイト店員を食うワケじゃないんだからね。店の中や店員の態度が多少アレでも、出されたものが美味ければ文句は言わねぇよ。
 実は黒沢はその□□庵でも、饂飩を頼んでみたんだよね。例の老夫婦のお店で初めて食べた京都(と言うか関西風)の饂飩の、感動的なまでの美味さが忘れられなかったもので。
 ところが例の無愛想なバイト店員が運んで来た料理を見て、黒沢はガックリ肩を落としてしまったよ。
 まず汁が関東のソレに近い濃いめの茶色だし、おまけに何か濁ってるんですが?
 それでも一縷の望みを託して食べてみると……見かけ通り関東でおなじみの、出汁ではなく醤油と砂糖の甘辛い味でありましたよ。
 何か「関東風の汁と関西風の汁を足して割ったような」と言うか、もっと正確に言えば「関東風の汁の醤油を少し薄め、砂糖と味醂を足して甘めにした味」って感じだったよ。
 しかも汁がマズいだけでなく、肝心の饂飩そのものが激マズだったんですが。
 イオンとかで一袋29円で売っている、激安の茹で饂飩を想像してみて下サイ。素材の小麦の味も麺のコシも、ズバリそーゆー感じでさ。
 この□□庵の饂飩の「汁が濁ってた」最大の原因は、元々コシが無くて柔らか~い饂飩が煮くずれていたからなんだよね。

 確かに本場の讃岐ではさ、茹で上がったばかりの饂飩に、醤油をかけ回しただけで食べたりするよ。けどそれは饂飩そのものが美味しいから良いのであって、コシが皆無&煮くずれかけの饂飩にソレはナイでしょ。
 断言するけれど、その味はマジで「どの駅の立ち食いスタンドでも、こんなマズいの喰ったことがナイ」ってレベルだったよ。しかもナゼか、運ばれて来た時からもう少し冷めかけていてぬるかったし。
 お値段デスか? 例の老夫婦のお店の倍近くだったよ。箸休めのお漬け物もナシの、ただ饂飩のみでね。

 この□□庵って、お客を完全にナメてるよね? 「イナカモンの観光客には、この程度のエサで充分だろ」みたいな感じでさ。
 こんな店、今ならネットで思い切り叩かれるだろうけど。ただその頃はまだ「パソコンもとりあるものの、Windows以前のDOS/V」って時代だったからね。
 当然、食べログとかグルメナビとかも無く、だからこんな“一見さん”の観光客をダマして稼いでいるようなお店でも、堂々と商売を続けていられたんだろうけれど。

 こーゆーお店って、もちろん京都に限らないと思うよ。黒沢は写真を撮るのが好きで、カメラを片手に日本のあちこちに行ったし、その旅の途中でガッカリな食堂とかには幾度も遭遇したしね。
 観光客を食い物にしている食べ物屋や土産物屋なんて、もちろん日本中ドコにでもあるさ。ただ自分らの飯の種であるお客を“上から目線”で見て蔑むような雰囲気って、京都以外の土地ではほぼ感じたことが無いのだけれど、皆はどうかな。
 例の老夫婦のお店で、味にも客にも誠実に取り組む気持ちが込められた一杯の饂飩に出会っただけにさ、同じ嵯峨野の□□庵の、お客をナメたヤクザな姿勢がものすごーく残念だったよ。
 前の旅行で「やはり京都はスゴい、ただの饂飩一杯でも感動的なほど美味い」って舞い上がっちゃってただけに、天国から一気に地獄に落とされた気分とでも言うか。

 話は戻るけれど、黒沢が中学の修学旅行の時に遭遇した例のビヨドウインこと平等院のオバハンの頭ン中も、「歴史ある古都京都の文化は日本一で、そこに住む自分も日本一エラい」って感じになっちゃってるんだろうね。で、「そのエラいウチらが、田舎モンで野蛮人のオマハンらの相手をしてやるんやから、ありがたく思いなはれ」ってね。

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