空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

撲滅! ニコチン・ハラスメント。煙草の副流煙から、非喫煙者を守れ!!

 例えば飲み会で、自分が飲む度に周囲の者にも同じように飲むことを強要する大酒飲みが居たとしたら、間違いなく「困ったアルハラ野郎」と認定されるだろう。
 あるいはのべつまく無しに何か食べている大食漢が居て、そして自分が食べる度に周囲の者にも同じように無理矢理に食わせる者が居たら、それも「非常識で大迷惑なバカ野郎」と言われるに違いない。

 しかしその種の非常識で大迷惑なバカ野郎は、現実にこの社会に呆れるほど実在するのだ。
 その名を、喫煙者という。

 黒沢には、どうにも理解出来ないのだが。喫煙者という輩は、どうして場所もわきまえずにいつでもどこでも、非喫煙者も多くいる公共の場所で、煙草を吸わずにいられないのだろうか。
 飲食店の席に着くなり煙草に火を付け、道を歩きながらもスパスパ、車を運転しながらもこの地球を灰皿にして、車外にモワワーンと煙を吐き出すのだ。

 今では煙草の伏流煙と受動喫煙の害についての知識も少しずつ知られるようになって、オフィスや公共の施設での分煙もそれなりに進んでいる。
 しかし殆ど野放しになっているのが、公共の道路での喫煙だ。規制されているごく一部の繁華街を除き、殆どの道路で歩きながら平然と煙草を吸う者が当たり前に見られる

 歩き煙草は、同じ道を歩く非喫煙者にとっては拷問のような苦痛だ。何しろその人が歩く後を、ニコチンなどの有毒物質を含む煙が帯のように長くついて回るのだから。
 煙草を吸わない黒沢は、煙草の煙も臭いも大嫌いだ。だから煙草を吸いながら同じ道を歩いている奴と出くわしたら、息を止め大急ぎでその野郎を追い越して行く
 さらに信号待ちの時に喫煙者と一緒になると、立ち去ることも出来ないから最悪だ。出来るだけその喫煙者から離れて風上を探して立ち、息も最小限に堪えて信号が変わるのを、文字通り死ぬ思いで待つしかない

 喫煙者は公道を歩きながら良い気分でプカーリ、プカリ。そして非喫煙者はその脇で、拷問も同然の苦痛を味わっているのだ。
「煙草を吸う奴の為に、非喫煙者は何で毎回こんなに我慢していなきゃならないのだろう」と、心の底から思うよ。
 にもかかわらず喫煙者たちは、「好きなように煙草も吸えない空気になって、俺たちは肩身の狭い思いをさせられている」と、まるで自分達が被害者であるように思っているのだ。数々の有毒物質を含む煙を周囲に撒き散らし、周囲の人々にそれを有無を言わせず吸わせている加害者でありがら、喫煙者とは面の皮がどこまで厚いのだろうと呆れるほか無い。

 はっきり言っておくが、黒沢は元喫煙者だった。喫煙率が今よりずっと高く、男は高校を卒業したら煙草を吸うのが当たり前だった昭和の時代に、黒沢も高校卒業とほぼ同時に煙草を吸い始めた。
 黒沢は元々凝り性で、趣味も始めるとその道にどっぷりハマってしまうタイプだったから。
 当然、煙草にもかなりこだわりマシタよ?

 煙草の味って、大きく分ければ甘い傾向のものと辛口のがあるのだけれど、黒沢は断然甘くて濃い味の煙草が好きだった。
 そんな黒沢が一番好きだった国産の煙草は、バージニア産の上等な葉を使っているとJTが自信を持って言うピースだった。
 ……ピースって、JTの製品の中で一番ニコチンが強いんだよね。

 って言うか、喫煙者だった頃の黒沢はセブンスターより軽い煙草は全然吸う気になれなかった。マイルドセブンとかのニコチンの少ない軽い煙草って、何だか燃やした紙を吸っているような気がしてね。
 だからセブンスターやピースのような、甘い系でニコチンもしっかりあるようなモノばかり吸ってた。
 当時から「オジサンっぽい煙草」と言われていたけれど、甘さと辛さの両方があるハイライトも、案外好きだったな。

 ゴールデンバットっていう、知る人ぞ知る煙草も合ってね。
 コレ、いろんな煙草の切り屑を集めて作った、激安煙草なんだけど、「いろんな煙草の切り屑を混ぜたもの」だけに、一本一本味が違うんだよ。
 何しろ切り屑の寄せ集めの煙草だから、基本はその時に一番売れている煙草の味に近くて、案外普通に吸えちゃうんだよね。
 無論、時々苦手な味になっちゃっているものもあるけれど、一箱二十本の中に一本くらい、絶妙のブレンドの激ウマのものに巡り合えたりしてね。それが楽しみで、なかなか売っている店は少ないそのゴールデンバット、楽しんで吸ってマシタ。

 外国の煙草にもあれこれ手を出しまして、ラークもマルボロも好きになれなかったし、ジタンのひどい辛さには呆れたけれど、モアはかなり好きだった。
 でも何と言っても、最高にウマかったのはダンヒル・インターナショナルだった。
 ただこの煙草、値段も国産煙草の倍くらいでさ。
 そして当時の黒沢は、貧乏学生だったから。
 それで「昼飯を抜いて、そのお金でダンヒル・インターナショナルを吸う」なんてバカなこともやってたよ。

 喫煙者だった頃の黒沢って、それくらい煙草にハマってたんだ。
 ライターも百円ライターなんか使わないで、ジッポーの良いのを幾つかコレクションしたりしてね。
 吸い方もこだわって、煙草は必ず人差し指と中指の間に深く挟み、手で口元を覆うようにして唇の左の端で吸うのが常だったり……。

 でもね。
 そこまで凝っていた煙草、大学三年の半ばにきっぱり止めたんだ。
 理由は本当にマジで、「猫の為」デス。

 黒沢は当時、個人経営のボロアパート(築三十年以上)に住んでいたのだけれど、その大家さんの猫になつかれちゃってさ。
 カリカリ……ってドアを軽く引っかいて合図して、黒沢の部屋に入り込むと、そのままずっとくつろいで過ごして、夜も黒沢の部屋で寝て行くことも多かったよ。
 だから大家さんも公認で、半ば黒沢の飼い猫みたいな感じで部屋に居着いていてさ。

 その猫がね、黒沢が煙草を吸うと厭な顔をするんだよ。
 部屋を出て行ってしまうわけではないんだけど、目を瞬かせて顔を逸らして、はっきり厭な顔をするんだ。
 で、黒沢は考えたんだよ。
 猫が煙草を嫌がってるのは明らか、そして黒沢が煙草を止めれば猫も喜ぶし、浮いた煙草代のお金で猫に何か美味しいものも買って食べさせてあげられる……って。
 それで黒沢は、二年半ずっと凝って吸っていた煙草を止めたんだよ。本当に、ただ猫の為にね。
 そしてそれからずっと、煙草はただの一度も吸ってないよ。公共の場所で平然と煙草を吸うニコチン中毒のアホに、受動喫煙させられる時以外にはね。

 だからハッキリ言おう。
 よく「煙草は、止めたくても止められない」と言う人がいるけれど、それは大嘘だ。
 煙草なんて、強い意志と愛さえあれば必ず止められる。「どうしても止められない」なんて、しっかりした意志と周囲の者に対する愛の無い弱虫の言い訳に過ぎない。
 その証拠に黒沢は、こだわって凝って吸っていた煙草を一発で止めた。ただ可愛がっていた大好きな猫の為に、ね。

 もし喫煙者で、家族に「煙草は止めて!」と懇願されても喫煙を止められない人がいるとしたら。
 その人にとって家族の存在など、猫以下なんだろうね。
 黒沢は猫が嫌がる顔だけで、煙草をスッパリと止めた。
 家族に「止めて」と頼まれても煙草を止めず、家族に受動喫煙させ続けている人って、ホント“屑”としか言いようがないよね。

 と言っても、黒沢は別に「煙草を吸うのは絶対ヤメロ!」と言いたいわけではないよ。煙草も法律で許された嗜好品だから、吸いたい人は吸えば良いと思ってる。
 お酒だって甘いものだって油分だって、過剰に摂取すればみな体に悪いわけで、何も煙草だけが有毒……ってわけじゃないからね。
 ただ「煙草を吸うなら、非喫煙者に副流煙を吸わせるな!」ってこと。

 お酒だって、酒飲みが周囲の人に同じように飲むことを強制したらアルハラになるでしょ?
 煙草もそれと同じ。
 喫煙者が道路も含む公共の場所で煙草を吸えば、当然周囲の人達にもその煙を吸わせることになる。そしてそれは、非喫煙者にとっては“ニコチン・ハラスメント”なんだよ。

 昔、ヘビーな喫煙者だった黒沢にはわかるんだよ、歩き煙草をする人に側を通られただけで、「ああ、ニコチンを吸わされたな」って。
 わかる? 非喫煙者にとっては「煙草を吸っている人がそこに居る」ってだけで脅威なんだよ。だって火のついた煙草は、それだけで有毒ガスの発生源なんだからね。
 煙草を吸っていると、ただ近付いただけで厭がられるわけ、これで理解出来るでしょう?

 よくさ、「家族に嫌がられるから」って、家の外やベランダで煙草を吸う人がいるけどさ。アレ、ものすごーく迷惑だから、即刻止めてほしい
 その人は、確かに自分の家族は思いやってるのだろうけど。そして家族も、家庭から煙草の煙が無くなってまあ満足なのかも知れないけど。
 でもね、その家庭内を禁煙にされて外で煙草を吸わされている旦那さんの煙草の煙は、いったいどこに流れて行ってると思う?
 ズバリ、隣の家や公道なんだよ。

 黒沢は道を歩いていて、そうしたオジサンに出くわす事がよくあるのだ。そして黒沢はそのオジサンの前を、例によって息を止めて急ぎ足で通り過ぎなければならないわけだ。
 その種のオジサンが玄関先で煙草を吸っているのに気付かずに、その煙を思い切り吸わされてしまうこともしばしばある。
 歩き煙草であれ、家族を思って外で吸っているのでであれ。公道で他人の煙草の煙を吸わされるのは、本当に不愉快だ。
 ただ不愉快なだけでなく、副流煙は喫煙者が吸う煙以上に健康に有害であることも、科学的に証明もされている

 煙草を吸う権利は、間違いなく誰にもある。
 しかし自分の煙草の副流煙を周囲の非喫煙者にも吸わせる権利は、どの喫煙者にも無い筈だ。
 である以上、「非喫煙者も居る公共の場所に、煙草を吸って良い場所など存在しない!」という現実を、喫煙者はよく肝に銘じるべきだ。

 例えばセックスだって、殆ど誰もがしているが、他人の目の無いプライベートな場所で楽しまれているだろう。
 喫煙もそれと同じで、楽しむべき時と場所というものがあるのだ。副流煙は明らかに有害であり、非喫煙者が日本でも八割以上を占めている以上、煙草はもはや公共の場所で吸うべきものではないのだ。

 心の病のうちには“セックス依存症”というものもあるが、時と場所も考えず、非喫煙者の存在も無視して煙草を吸わずにいられない人は、もはやそのセックス依存症と同様の、立派なニコチン依存症の中毒患者と言わねばなるまい。
 朝起きたらまず一服、通勤途上でも吸い、仕事中にも吸い、食後にも煙草を吸わずにいられないという方。貴方は間違いなくニコチン中毒という病気で依存症だから、ぜひ早めに病院へ行くべきだ。

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税金を払うのは“国”か“国民”か? 税に対する意識の低過ぎる日本人

 公共事業であれ、何かの手当や助成金や補償金であれ。
 何かに税金が支払われる時、私たちは何気なく「国(または都道府県や市町村)が払う」と思っていないだろうか
 違う
 その金を払っているのは、私たち国民なのだ
 国や地方自治体は、ただその代行をしているに過ぎない。

 その問題を、水に置き換えて考えてみよう。
 私たちが日々使っている水は、確かに水道の蛇口から出て来る。しかし蛇口はただの“出口”であって、本当の水のもとは遠く離れた山の水源地だ。
 そして国や地方自治体は、税金の問題で言えば「ただの蛇口」に過ぎないのにもかかわらず、いかにも自分たちがカネを施しているような顔をして、「国民どもよ、ありがたく頂戴しろ!」と言わんばかりに振る舞う

 水道の蛇口は、いかにも人々に水をもたらしているかのように見える。そして蛇口が日々の生活に必要不可欠なものであることも確かだが、最も大切にしなければならないのは、大元の水源地であることに間違いなかろう。
 同様に、税金の“水源地”は私たち国民であって、決して国や地方自治体ではないのだということを、私たちは常時念頭に置いて税金の使われ方について考えねばならないのだ。

 税金は私たち国民が払っているのだということは、私たち日本人も理解はしている。だがそれはあくまでも「一応、理屈として」であって、その事実を実感として肌で感じているようには、どうにも見えないのである。
 その証拠に、何かに税金が支出される時、私たち日本人は当たり前のように「国(都道府県や市町村)が払う」と口にしている
「私たちの税金で払う」
 あえてそう言うことは、滅多にない


 家族でアメリカに住むことになったある日本人が、知人のアメリカ人に何気なくこう尋ねた。
「日本では、義務教育の学校の教科書の代金は国が払ってくれるけれど、アメリカではどうなの?」
 そうしたら相手のアメリカ人は少し顔色を変えて、強い調子でこう答えたという。
国じゃない、私たちの税金で払われるの!

 日本では、義務教育は確かに“無償”ということになっている。だから私たちは教科書も含めた義務教育の学費は、つい「国が払ってくれるもの」と思いがちだ。
 違う!
 国が払うのではなく、あくまでも私たちの税金で支払われているのだ。
 義務教育だけでなく、公立学校や病院や福祉施設や公営住宅や公園や道路や鉄道や上下水道や港湾や空港やダムなどのインフラ設備も。
 それらの恩恵を私たちは決して無償で享受しているわけではなく、税金として私たち自身がちゃんと代価を支払っているのだ


 欧米人、特にティーパーティーなどの運動のあるアメリカでは、税金について「私たちが支払ったもの」という意識が強く根付いている。
 それに比べて、我が日本ではどうか。
 国や地方自治体から支出される税金について、「国(都道府県や市町村)が“払ってくれる”もの」という意識でいる人が大半ではないか。
 だから税金の無駄遣いについて、日本人はあまり怒らない。

 尾崎豊のあの歌の影響かどうか知らないが、学校の窓ガラスを割って回るクソガキが時々出る。
 学校はそのクソガキと保護者に、その壊されたガラスの修理代をきちんと請求しているのだろうか。「仕方がない」と、税金で支払われていたりはしないだろうか。
 その種の事件が報道される度に、黒沢はその事がとても気になる。
「クソガキが壊した校舎の修理を、私たちの税金でされるのは許せない!」と、心から思う。

 割られた校舎の窓だけではない。議員の歳費の使われ方にしろ、始終どこかで行われている公共事業にしろ。
「それらに使われているお金は、私たちが支払った税金なのだ」という意識がちゃんとあれば、私たちは“緩んでバカになった税金の蛇口”である国や地方自治体に対して、もっと怒っている筈
なのだ。
 だが私たち日本人は、税金の無駄遣いをいくら目の当たりにしても「仕方ない」と諦めて、本気では怒らない。

 今、日本中の殆どの都道府県に空港があり、その大半が赤字を抱えている。
 その最も酷い例が、富士山の世界遺産登録で沸く静岡県の静岡空港だ。

 静岡と言えば東京や名古屋にも近く、羽田空港や中部国際空港にも楽に行ける地理的環境にもあり、常識がある人は皆「僅かな周辺住民しか使わないに決まっている」と理解していた
 で、最初から大赤字が予想されていたのに、大規模な公共事業をしたい一心で、デッチ上げに近い過大な利用者数の予想を出してまで、県は静岡空港の建設を強行した
 そして案の定と言うか、事前に言われていた以上に利用者が集まらず、県は毎年巨額の赤字を抱え、それを県民の税金で補填し続けているのである。

 しかも驚くべきことに、建設に反対の県民が過半数であったにもかかわらず、空港建設に対する反対運動はあまり盛り上がらなかった。
 そして開港してみれば思った以上に不採算路線ばかりで、毎年生まれる巨額の赤字を県が税金で補っている現状を知りつつも、県に対する怒りの声は殆ど上がっていないのが現状である。
「ま、作っちゃったものは仕方ないよ」と。

 空港建設にかかわる何百億という費用、そして毎年生まれ続けている何十億という赤字は、すべて県民の税金から支払われているのである。
 しかし県民は、それに対して殆ど怒っていない。
 これが日本人というやつなのである。


 国や地方自治体が出す金を「私たちが払った、私たちの金」と思わず、いまだに「国や地方自治体が払っている」という意識でいるのだろう。
 それとも税金は御領主さまにお納めする年貢のようなもので、「その遣い道に“領民ども”は口を出すべきではない」とでも思っているのか。
 だから税金の無駄遣いをどれだけ目にしても、日本人は本当に怒らない

 そのため国の赤字が毎年膨れ上がり、国家財政が破綻の危機に瀕していることを、国民はちゃんとわかっているのだろうか。
 欧米人のように「税金は、私たちが払った私たちのお金」という意識を持てず、税金の無駄遣いに怒らないままでいたら、日本も程なくギリシャのように財政破綻に陥り、私たち自身が泣くことになるだろう。

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空とオブジェ

080401-408.jpg 

 何か変なオブジェが空と重なっていたので、撮ってみました。
 ただ空と雲だけだったら、もしかしたらシャッターを押さなかったかも知れません。

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ギャルゲー脳の“萌え豚”はやはりキモくて死ぬべき? サイテー過ぎるぞ『よつのは』

 ギャルゲーが好きな男子が世間から白い目で見られがちなのは、黒沢もよくわかってるよ。
 だからこそ、「ギャルゲーも他の恋愛小説やマンガや映画やアニメと同じで、良いものだって間違いなくある!」って事をわかってほしくて、このブログを書き始めたのだけれど。
 でもね。
「何だよ、このクソみてーなゲーム!」
 ってムカついちゃうような、世間の悪いイメージそのままのギャルゲーも確かに存在する
んだよね。
 ただ「つまらない」ってだけなら、まだ許せるんだけれど。一部のゲームはプレイしてて、「ギャルゲー好きはやっぱり変態で頭がオカシイ、キモいから側に寄るな!」って言いたくなっちゃうくらい不快になっちゃうんだよ。

 例えば『よつのは』ってやつ。
 プレーヤーが自分の分身としてゲームの中でなりきらなければならない主人公は、ズバリ痴漢で変態デス。
 何しろまず幼なじみの女の子に「お尻に触っていい?」とかのセクハラ発言連発で、さらにスカートめくりも実行した揚げ句に「下着ぐらい見てもいいじゃねえか」と居直る始末だよ。さらに「俺のも見せてやるよ、ほれ。ほれ」とズボンを脱ぎ出すとか、今度は露出狂デスか、っての。
 現実にこんなコトやってみな? 間違いなく女の子たち皆に嫌われて爪弾きに遭うに違いないよ。

 でもこの『よつのは』ってギャルゲーの中では、女の子たちはこの主人公(誠)を怒るどころか、優しーく甘い声で窘めるだけなんだよね。
まぁくん、めー!
 ……怒る時に「めー!」って、主人公の“まぁくん”はいったい何歳だっての。
 うん、設定では間違いなく高校生の筈だけど。
 それで「めー!」って甘く優しく怒られたいって、3~4歳の幼児もしくは精神年齢がそのくらいの低脳か、でなければ幼児プレイが好きな変態サンだけだってば。
 少なくとも高校生にもなる男子が「めー!」とか怒られるって、普通の感性なら気持ちワルい筈だと思うけど。
 けどこの『よつのは』のセカイでは、主人公は「めー!」と幼稚園児みたいに叱られても平気で、それどころか更に調子に乗って、ヒロインにセクハラ発言やスカートめくりを繰り返す始末だよ。

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 よくさ、「但しイケメンに限る」って言うじゃん。
 うん、確かにそういう現実も間違いなくある。
 でもね、その言い方の中にはブサメンのヒガミもかなり込められていると思うよ。
 だってセクハラ発言とか変態行為とか、実際には「イケメンがやれば許されてる」ってワケじゃないし。

 考えてみて。キミの周りにも居るイケメン君がさ、女子に「尻にさわらせろ!」とか言い出したり、いきなりスカートめくったり、自分のズボン下ろして「ほれ、ほれ」とか見せたりしてるかい?
 確かにイケメン君たちは、女の子たちにいろいろエッチなコトをして、ブサメンたちには想像もできないくらいイイ思いもしてるけどさ。ただ彼らのエッチに至るまでの誘い方は、キミらより間違いなくもっとずっとスマートだから。

 例の「但しイケメンに限る」ってのを、キミらはすぐ言い訳にするけどさ。でも実際には、ただ顔の良し悪しだけじゃないんだってば。そもそも誘い方やムードの作り方から、イケメン君たちは違うんだよ。
 ってゆーか、少なくともリア充のイケメン君達は、いきなり「触らせろ!」と迫ったりとかスカートをめくったりとか、さらには自分から露出行為に及ぶみたいなみっともない真似、まずしていないから。

 イケメン君って、確かに何人もの女の子達とHなコトして楽しくやってるよ。でもそれって、エロトークやオサワリみたいな直接的で品のない事などせず、上手に口説いてムードを盛り上げ“恋愛”としてエッチに持ち込んでるんだよね。
 女の子とHなコトをするにしても、イケメン君とブサメンはまずそれに至るまでのムード作りから全然違うんだよ。違うのはもって生まれた顔の造作の差だけじゃないんだよ、マジで。

 でもブサメンの男子って、その恋愛→エッチに至る雰囲気作りの問題をまるで無視して、ギャグのつもりでエロトークをかまして一人悦に入ってたり、積極的なアプローチのつもりでセクハラまがいの行為に出たりしちゃうから始末が悪いよ。
 ハッキリ言うよ。空気も読まずに女子に下ネタのギャグをかましたり、いきなり触ったり脱いで見せたりする男って、まず間違いなくブサメンだね。そしてその揚げ句にドン引きされて、「フン、どーせ“イケメンに限る”なんだろ」とか逆ギレしてさ。
 そーゆーのを、傍迷惑でとんだ勘違い野郎の“勘助”とも言いマス。

 黒沢が見るに、ブサメンの女の子に対する態度って両極端なんだよね。
 まず大半のブサメンはシャイで遠慮がちで、女の子にろくに声もかけられずにほぼ「実年齢=彼女いない歴」のままでいて。そして一部の恥知らずで鈍感なブサメン(勘助)が、スマートさの欠片もないまま下ネタ全開で破廉恥な行為に及んで、女の子に毛嫌いされてさ。
 で、例の『よつのは』の主人公の“まぁくん”の言動って、その恥知らずで鈍感なブサメンそのまんまなんだよね。

 ゲームの制作者としては、「主人公はイケメンで、だから何をしても女子に許される」って設定のつもりなのだろうけど。現実にはいくらイケメンでも、例の“まぁくん”みたいに「触らせろ」と迫り、スカートめくりも実行して、さらにはそのお返しにwwwと自分もズボンを脱いで「ほれ、ほれ」とか見せるような恥ずかしい真似をしでかしたら、まず間違いなく白い目で見られるよ。
 あの「但しイケメンに限る」ってのも、間違いなく時と場合によるんだよ。ただイケメンでさえあれば『よつのは』の主人公“まぁくん”みたいにセクハラ&痴漢&変態行為に及んでも嫌われないで、女の子に「めー!」と優しく叱られるだけとか、「制作者は頭がおかしいんじゃねーの?」って感じだね。

 だからこの『よつのは』、黒沢はゲームを始めて二十分も耐えられなかったよ。このセクハラ全開の上に痴漢で露出狂の主人公としてプレイするのが、余りにも気持ち悪すぎてね。
 でもネットで調べてみると、このズボンを下ろして「ほれ、ほれ」の“まぁくん”は「仲間思いで、いざとなれば体も張る」のだそうで。
 序盤のセクハラ発言や痴漢&変態行為に目を瞑ってプレイし続ければ、主人公の良いところもわかってくるのかも知れないけど。でも黒沢は序盤の非常識ぶり(←コレを破天荒とはとても言いたくナイ)に、もう怒りすら覚えて、やり続けるコトに耐えられずに放り出してしまったのだ。
 例のセクハラ発言や痴漢&変態行為の他にも、「学校の備品を壊す」とか、「皆が揃ったら開ける約束のタイムカプセルを、ヒロインの制止を押し切って勝手に開けちゃう」とか、ホント身勝手で非常識極まりないんだよ、この『よつのは』の主人公って。

 と言っても、黒沢だってエッチなゲームやマンガを全否定してるワケじゃないんだよ。
 例えばぢたま某氏の、『キスシス』ってマンガがあってね。コレは「ちょっとH」どころか、ハッキリ言って「かなりH」で18禁スレスレみたいな際どいシーンもあったりするよ。
「どっちがHか?」と言えば、間違いなくこの『キスシス』の方が、問題の『よつのは』よりずっとエロいデス。
 でもこの『キスシス』、読んでみた印象は意外なくらい悪くなかったよ。

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 と言うのはね、主人公の圭太が同性から見ても好感の持てる良い奴だったから。ただイケメンって言うだけじゃなくてスポーツも出来て、勉強もそこそこで決してできないワケではなく、人柄も誰からも好かれそうな好青年……って感じでね。
 その圭太は、親同士の再婚で一つ上の双子の姉と同居するコトになるのだけれど、イケメンでしかも好青年(好少年?)だから、当然のようにその姉たちから溺愛されてさ。
 姉と弟とは言え、血の繋がりは無いから恋愛関係になっても問題は全くナイわけで。しかも姉は一人ではなく双子でしょ? だから互いに相手に負けまい、取られまいと、主人公に対するアプローチが自然にエスカレートするワケで。
 しかも主人公は好青年だから、同級生の女の子やら下級生のコやらにも好かれて、それで双子の姉たちはさらに主人公を取られまいと張り合って……と。

 それに対して主人公は、「姉弟だから」ってかなり自制してるんだよね。「チャ~ンス!」とばかりにエロいコトをするんじゃなくて、むしろ暴走しがちな姉たちにストップをかける感じで。
 自分から「触らせろ!」なんてセマったりしないし、スカートめくりもしないし(相手から強要された場合は除いて)、ましてや露出狂じみた真似をして「ほれ、ほれ」なんて見せたりもしない。

 ま、ソコは高校生の健全な男子だから、女の子達にセマられた揚げ句に、ムードに流されそうになっちゃうコトもあるんだけどね。
 でもいろいろエロい場面はあるけれど、それは女の子達が自分の意志でセマって来た結果や、偶然のアクシデント(いわゆるラッキースケベ)のせいであって、主人公自身が手を出してセクハラ行為をしてるワケじゃないんだよ。
 って言うか、主人公も心の中ではその年代の男子にふさわしい煩悩を抱えているのだけれど、周囲の女の子達に対してはあくまでも“良い奴”なんだよね。
 だから「こんな奴なら、モテて当然」って納得も行くし、客観的に見ればかなり際どくてエロいシーンがあっても、セクハラ行為が無いから不快感なく見られちゃうんだ。

 でもギャルゲーには、主人公がセクハラしまくりと言うか、言動がエロ親父そのものの作品が少なくないんだよね。
 主人公はたいてい無気力でネボスケでだらしないダメ男のくせに、ただ「自分は男だから」って女の子に対しては偉そうに振る舞う俺様男でさ。そしてエロトークは連発するわ、セクハラ行為も平気でして、にもかかわらずヒロイン達女の子はナゼかそれを受け入れて、恥ずかしげに窘めるだけで。

 そうそう、オタクのブサメンの間には、ナゼか「エロトークは女子にウケる」みたいな勘違いがあるけれど。でもソレ、絶対に勘違いだから。
 いや、いくら黒沢だって「女の子は真面目で、エロ話なんかしません」なんて言うつもりはないよ? 女の子にだって性欲はあるし、女の子同士ではエッチな話だってしているさ。
 ただエロトークの質と中身が、男と女ではかなり違うんだよ。それを女子の実態を知らない男は、すんごく勘違いしてるんだよね。

 エロいようでも、男は自分自身に関するエロ話をするのに何となく照れがあってさ。だからエロ話をする時、ついギャグにして語っちゃうよね。
 で、笑いを取るギャグのつもりで、下ネタ満載のエロトークを大声でかまして、女子達から「下品なセクハラ野郎」と白い目で見られたりして。
 それに対して女の子同士のナイショのエロ話って、男がするそれよりずっと濃くてリアルなんだよ。自分と彼氏がHした時に、彼氏がどうしたかを、微に入り細に入り事細かに語るんだよ。それはもう、男がまともに聞いたら赤面するくらいリアルにね。
 男同士ではさ、自分のモノの大きさや形とか、勃起時の持続時間とか、あるいは自分のプレイの仕方やら相手の反応やら、そーゆーコトをギャグ抜きで真剣に語り合ったりしないじゃん。
 でも女子達は、そうしたリアルなエロ話を濃密に語り合うんだよ。

 かつて黒沢が、ある処女の子とホテルにお泊まりした時のこと。相手の子は何しろ処女だし、男とどこかにお泊まりするのも初めてだから、もう緊張しまくりでさ。
 だから愛撫も済ませて「いざ!」となっても、相手の子はガッチガチになってて。やられる覚悟は出来てるんだけど、雰囲気としては昔の武士が一騎打ちをして組み伏せられて、「目を閉じて止めを刺されるのを待つ」みたいな感じで……。
 それで黒沢としても、何か自分がか弱い子を傷つける加害者みたいな気持ちになっちゃって、急に萎えてしまったのデスよ。
 で、その晩は最後までせずに、ただ一緒に寝るだけで終わったのだけど。自分としても残念ではあったけど、無理にしようとは思ってなかったし、「最後までやるのはまあ次の機会でいいや」と。

 ところがデスね、最後まで行かなかったコトに、その緊張して固くなりまくりだった相手の子の方が、逆に不安になってしまったようで。
 それでその子は、自分の親友にその晩のコトを事細かに“報告”した上に、いろいろ“相談”なさってくれたんだよね。「彼氏にセマられてホテルに行ったんだけど、彼氏がデキなくなっちゃって、それってワタシに魅力が無かったのかなー、それとも彼氏の機能に何か問題があるんだと思う?」みたいに。
 で、次の機会にホテルに行ってようやく最後までするまで、黒沢は彼女の友達にイ○ポ疑惑を持たれていましたとさ。

 うん、女の子の友達同士って、互いのカラダやエッチの体験のこととか、マジでそこまでリアルかつ具体的に語り合うものなんだよ。そーゆー女同士のエロトークって、男同士の話よりずっとあけすけで露骨だから。
 で、幸運にも(?)魔法使いになる権利を失ってしまった、三次の彼女がいるキミにハッキリ言っておくよ。キミがどんなプレイが好きで、エッチが巧いか下手かとか、どんな頻度でヤリたがるとか、彼女の友達も皆知っていると思ってまず間違いナイね。
 だから特に別れた元カノなんかには、「あの短小速撃ちオトコがさー」とか陰で言い触らされていても、何も不思議ではないのだ。

 そんな感じで、女の子にとってエロ話ってのは、気心の知れたごく仲の良い同性の友達と、小声でヒソヒソ語り合うものなんだよ。男がよくしているように、ジョークとして大声で語って、笑いのネタにするようなものでは決してないワケ。
 でもそこのトコをわかってないバカ男がさ、「下ネタはウケる」と勘違いしてるんだよね。特に実年齢=彼女いない歴の喪男に、「男がエロ話をすると相手の女の子はポッと頬を赤らめ、でも内心喜んでる」みたいに思い込んでいるヤツが多いけど。
 その種の男にハッキリ言うよ、アンタ馬鹿だね
 下ネタをジョークのつもりで女子にしつこく振る男って、女子からは間違いなく「下品なセクハラ男」と認定されてるから。

 ギャルゲーのシナリオライターに、田中ロミオって人がいてさ。このヒトの書くシナリオが、ギャルゲーマーには「面白い」って評判で、もう一部には信者って言って良いくらいの熱心なファンもいるくらいでね。
 けど黒沢はこの田中ロミオ氏のシナリオって、大っ嫌いなんだよ。もうね、「生理的に受け付けない」って言うくらいダメなんだ。
 田中ロミオ氏の代表作と言えば、まずは『CROSS CHANNEL』だけど。黒沢はコレ、プレイしていて苦痛で苦痛で、一人もクリアせずに途中で放り出してしまったよ。

 何が苦痛だったかって、とにかく主人公のキャラというか言動がヒド過ぎて。だって高校生男子の筈なのに、中年セクハラ親父そのものの下ネタ、エロトークを連発するんだもの。そしてヒロイン達には、まるでガキみたいな悪ふざけもするしね。
 さらにその後ろに、ソレ(エロ親父ギャグ)をユーモアのつもりで「どうだ面白かろ、笑えや」って悦に入っているシナリオライター氏の姿が垣間見えてすごく不快だった。

 でもただ一つの作品だけで、このシナリオライターは駄目って決めつけてしまうのも良くないと思ってさ。それで「豪華スタッフ陣・メインシナリオ田中ロミオ」を売りにしてた、『Chanter』ってゲームもやってみたよ。
 ……うん、コレもやはり生理的にダメで、一人もクリアせず序盤で放棄してしまいマシタ。
 何かイヤかって、主人公のキャラがとにかく不快なんだよ。『CROSS CHANNEL』と同じで、下ネタギャグ連発の、絵に描いたような中年エロ親父みたいなヤツでさ。

 でもこの田中ロミオ氏に限らず、ギャルゲーにはそのテの、社内の若手女子社員たちに「セクハラ親父」と認定されて嫌われてそうなオッサンみたいな言動をとる主人公が少なくないんだよねぇ……。
 って言うか、女の子にエッチなことを言って、相手が可愛く恥じらうところを見てみたい」みたいな願望が、ゲーム内の台詞のやりとりに満ち溢れてるんだよね。
 だいたいその「エッチなことを言って、女の子を恥ずかしがらせてみたい」って発想そのものが、女子社員に厭がられる中年エロ親父のソレでしょ?
 なのにその主人公がモテモテ……って、リアルなセカイでは絶対あり得ないから。って言うかモテるイケメンほど女子にはスマートに振る舞って、セクハラまがいのエロトークなんか間違ってもかましたりしまセンから。

 ネットの某巨大掲示板に、要約するとこんな感じの相談事がアップされていてね。
 相談者は女の人で、まあオタで男の人とはあまり縁が無かったのだけれど、同じオタの男のヒトと知り合って、結局結婚することになったワケ。そしたらそのヒトが、相談者である奥さんが厭がるのにもかかわらず、主に奥さんをネタにしたエロトークをしたがって困ってる……っての。
「喪男だけど真面目な良い人だと思っていたのに、厭がってもエッチなギャグを止めてくれないのは、どうしてだろう」って。
 でさ、いろいろ意見が寄せられた末におおよそまとまった結論ってのが、「それまでモテなくて彼女もいなかったものだから、エッチな話が出来る女の人が初めて出来て嬉しくて仕方ないんだろう」っての。

 うん、その奥さん相手にエロいギャグを言いたがる男(オタで喪男)の心理って、黒沢もそんなところだろうと思う。だとしても、「相手が厭がってるのにエロトークを続けて悦に入ってる喪男」って、傍から見ていてかなりイタいものがあるけどね。
 それと、黒沢が思うにそのオタで喪男の旦那、独身の頃にまず間違いなくギャルゲー、それもエロゲと言われる18禁のをかなりやり込んでるよ。

 で、ゲーム脳って言うのかな、リアルなセカイで生身の女子とお付き合いした経験の無いまま、田中ロミオ氏のゲームや『よつのは』の主人公みたいな感覚で、女の子にエロいギャグを言えば「○○くんのエッチ!」と可愛く恥じらいつつ、厭がらずに受け入れてくれると思いこんじゃってるんだよね。
 実際、その「主人公はエロいギャグを言ったりエッチな悪ふざけをして、そしてヒロインたちも恥じらったり可愛く怒ったりしつつ、本心では喜んで受け入れてる」ってパターンが、エロゲ系のギャルゲーにはかなり多いからね。
 だからこの「エロトークを連発する男はキモいし女の子に嫌われる」って現実が、三次の女子とは無縁で付き合えた“彼女”はギャルゲー(エロゲ)のヒロインのみ……ってオタにわかんないんだろうな……って、ギャルゲーをいろいろプレイしていてつくづく思うよ。

 けど黒沢がどう思おうが、主人公は痴漢で変態なエロ男の『よつのは』が、ただゲームとして商品化されているだけでなく、コミックス化もされていてさ。
 そしてまた田中ロミオ氏などによる、中年エロ親父そのものの下ネタギャグが、かなりのギャルゲーマーに「面白い」とウケてるのも確かな事実なんだ。

 というコトは、痴漢&変態的な行為やエロ親父的な言動が、ギャルゲーや萌え系マンガ好きの間では「良し」として支持されてる……ってコトだよね?
 そーゆー現実を見てしまうと、やはり「ギャルゲーマーって、モテないだろうな」と心から思ってしまうよ。少なくとも主人公が痴漢&変態的な行動を取ったり、女の子にエッチなことを言ってその反応を楽しんでるようなゲームを「楽しい」と思えるようなキミはまず彼女など作れないし、「一生素人童貞で魔法使いケテーイ!」だね。

 初めにも書いた通り、黒沢は「ギャルゲーにも小説やマンガや映画やアニメと同じように、良い作品が間違いなくある!」という事をわかってほしい……って、ずっと思っていたのだけれど。
 でも例の『よつのは』のようなギャルゲーや田中ロミオ氏のシナリオを心から楽しめてしまうオタはホントにキモいし、世間から白い目で見られても当たり前だって、心から思うよ。

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世界遺産の山です

080401-397.jpg 

 言わずと知れた富士山です。
 静岡県の芝川という所で撮りました。
 何の変哲もない、芸のない写真でスミマセン。

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隠れた名作ゲーム『おかえりっ!』

 黒沢は自他ともに認めるゲーム好きだけど。
 ギャルゲー以外にも、普段はできないことを疑似体験できるシミュレーター系のゲームも、好きでかなりやってるよ。
 有名どころでは『電車でGO!』とか『エースコンバット』とか、一時期はかなりハマってやりこんじゃったなー。
 あと、黒沢はミリオタの傾向もありマスから。FPSの名作『ゴーストリコン』のシリーズはすべて揃えたし、知る人ぞ知る『パンツァー・フロント』にも深くハマって、第二次世界大戦中の有名な戦車に乗って、戦史に残る戦場に“出て”みたりしてね。

PANZER FRONT bis.PANZER FRONT bis.
(2001/02/08)
PlayStation

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 でもね。そんな黒沢でも自動車系のゲームにだけは、どうしてもハマれなかったな。ほら、実在する車に乗って、首都高とか有名な峠道やサーキットでタイムアタックする……みたいな。
 例えば『グランツーリスモ』のシリーズなんか、ゲームとしては確かにすごく良く出来てるとは思ったよ。
 けど実際に免許を持っていて、首都高もいろんな峠道も走ったコトのある黒沢としては、どうしても「違うな」って感じてしまう面があってさ。

 白状シマス、黒沢はただ免許があるだけでなく車を運転するのも大好きでさ。で、飛ばせる道があるとつい血が騒いでしまって、特に峠道では「いかに減速せずにキレイにカーブを曲がるか」ってコトに熱中してしまうのデス。
 ハイ、おかげさまでスピード違反で切符を切られたコト、一発免停も含めて複数回あったりシマス。
 こんなバカ野郎だけに、車関係のゲームはどれだけ上手に作ってあっても、車の動きやら操作やらいろいろな点で、「実際と違う」って違和感を拭えなくて楽しめないんだよね。
 だから黒沢は、「車関係のゲームは、まだ免許のない運転未経験者が楽しむもの」って思ってる。
 同じようにプロの電車運転士は『電車でGO!』の電車の動きに違和感を抱くだろうし、実戦経験のある兵士でFPSゲームを楽しめる人はまず居ないだろうと思う。

 黒沢が『パンツァー・フロント』で憧れのドイツ軍の戦車に乗って、仇敵ロシア軍と戦うのにハマれたのも、実際に戦車に乗ったことも本当の戦場に出たことも無いからだと思う。
 戦闘機での空戦や、特殊部隊の兵士として最前線で戦うゲームをリアルに感じて楽しめたのも、それは黒沢がそのセカイを現実には未体験だったからでさ。
 ……うん、だからね、知らないからこそ楽しめて、詳しく知っているほど醒めてしまう」ってコト、残念ながらけっこうあるんだよね。

 それはゲームだけじゃなくて、小説やドラマなどでも同じだよ。
 例えば「日本中を旅しながら事件を解決して回る刑事」のミステリーとか、実際の警察官から見たら噴飯モノだろうしね。
 って言うか、刑事モノのドラマって、ホント現実とは違うものばかりだし。
 あと、教師を描いたモノもヒドいのが多いね。あの『金八先生』でさえ、現場の教師達は「あれだけ特定の問題児にだけ関わり合っていて、いつフツーの仕事をしているんだろう?」と呆れていたし。ぶっちゃけ「教師の仕事はこんなヒマじゃねーよ」と
 時代劇も似たようなもので、歴史に詳しくなればなるほど、ツッコミたい部分が増えてしまうのが現実でさ。「こんなのあり得ない、コレは絶対違うから!」って。

 結局さ、ゲームも小説もドラマもマンガも、創作モノってのは想像による産物なワケじゃん。で、現実を知らないからこそ、その想像力が自由に働くんだよね。
「現実をよく知ってる」って、創作者にはある意味すごく辛いことでね。刑事や教師の仕事の中身や、史実を詳しく正確に知れば知るほど、創作する上で「そんなコトあり得ない」って事実が頭の中に増えて行っちゃうんだよね。
 知らないからこそ好きに書けて、逆に詳しいから自由に書けなくなっちゃう……ってのが、ゲームや小説やドラマやマンガも含めたお話作りの現実なんだ。

 だからさ、ギャルゲーでも同級生たちはともかくとして、教師には特にリアル感の無いキャラが多いように思う。何かいかにもステレオタイプな、パターン化された漫画的なキャラが多くてさ。
 それでもゲームに出てくる教師が、脇役レベルならまだ良いんだけどさ。攻略対象のヒロインの一人だったりすると、頼りなさ過ぎる上に女度が妙に高い、教師として絶対あり得ないヒトばっかりで。
 またさー、「主人公(♂)が教師」ってギャルゲーもあるけれど、まー制作者が教師の仕事や実態を知らな過ぎと言うか、明らかに「あり得ねー!」ってわかるメチャクチャな“先生”ばかりなんだよね。
 って言うか、ギャルゲーで主人公が教師の場合、攻略対象は当然教え子の女生徒、ってコトになっちゃうからね。そもそも設定自体がモラルに反しているわけ(犯罪?)だから、破天荒で無茶な教師でなきゃゲームにならないんだろうけどさ。

 実は黒沢の親戚には教師が複数おりまして、まず母方の祖父が教師で、伯父伯母や従姉妹にも教師がいてさ。
 って言うかそもそも黒沢の家系には、教師や公務員がかなり多くてさ。それだけに写真家志望で堅気の仕事に背を向けてきた黒沢は、一族の中では昔から鬼っ子みたいな存在だったよ。
 でもだからこそ、教師の仕事や実態については、黒沢は一般のヒトよりかなり詳しいと思う。
 それだけにねー、ドラマでも小説でもゲームでも、その中に描かれる教師について「ありえねー!」って呆れたりシラケてしまう場合が少なくないんだ。例の「自分が車の運転が好きで、実際に峠道を攻めて走ったコトがあるだけに、アラが目について車(レース)関係のゲームが楽しめない」ってのと、全く同じ理屈でね。

 そんな黒沢を夢中にさせてしまった、とっても素晴らしい出来の「主人公が教師」ってゲームが二つほどありまして。
 ズバリ『おかえりっ!』と『はるのあしおと』デス。
 このうち『はるのあしおと』については、新海誠氏が手掛けた素晴らしいオープニングのアニメについても含めて、章を改めて詳しく語りたいと思ってマス。で、今回はまず『おかえりっ! ~夕凪色の恋物語~』について紹介するね。

SIMPLE1500シリーズ Vol.81 THE 恋愛アドベンチャー~おかえりっ!~SIMPLE1500シリーズ Vol.81 THE 恋愛アドベンチャー~おかえりっ!~
(2001/12/20)
PlayStation

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 この『おかえりっ!』は、もういろんな意味で不遇なゲームでね。
 まずゲーム機は既にプレステ2の時代になっていた2001年に、旧規格のプレステのゲームとして出された事。
 それも“SIMPLE1500シリーズ”っていう、とにかく低価格がウリみたいなお手軽企画のゲームでね。
 どれだけ安かったかって、ハイ、シリーズのどの商品もズバリ1500円だよ。
 で、ジャケ絵もショボくて安っぽい上に、タイトルもすごく投げやりだったんだよね。シリーズを通して、『THE シミュレーション』とか『THE シューティング』みたいな感じでさ。
 だからこの『おかえりっ!』も実は下に小さくわかりにくく書いてある副題で、ホントのタイトルは『THE 恋愛アドベンチャー』なんだ。

 ……購入意欲がそそられると思いマスか? こんなんで。
 例のニトリのキャッチフレーズは「お値段以上!」だけどさ、この“SIMPLE1500シリーズ”はどう見ても「お値段通りかそれ以下」という印象しか持てなかったよ。
 だからこの『おかえりっ!』も話題にされることすら無く、存在すら殆ど知られてなかったのではないかな。
 実際、黒沢もこのゲームはかなり長いことスルーし続けていてさ。で、発売されてから数年が経ち、未開封の新品が在庫処分のような形で、僅か五百円で叩き売られてるのを見て、「コミックスを一冊買うのと同じと思えば安いものだ」と思って、つい衝動買いしてしまったのでアリマス。

 とぉころが!
 冷やかし半分の試しのつもりでプレイしてみたら、ホント止められないの。話の続きが気になって、面白すぎて。
 何しろまず、ヒロインの“中の人達”がスゴくてさ。主な人たちだけでも、坂本真綾さんに川澄綾子さん、そして池澤春菜さんといった具合でさ。
 さらにキャラデザと原画は只野和子さんだし。
 でさ、プレステ2に慣れた者からすると、旧プレステの画質って明らかに荒かったりするじゃん。けどこの『おかえりっ!』は、絵もかなりキレイだよ。

 まっ、ウルサイ事を言えば多少紙芝居っぽい部分もあると言うか、本物のプレステ2のゲームに較べれば僅かに劣る部分もあるんだけどさ、他の旧プレステ規格のギャルゲーより段違いに良いよ。
 ジャケットの裏面に「高画質モードでの表示を実現!」と書いてあるけれど、確かにその看板に偽りナシだったね。
「プレステ2と全く同じ!」とは言わないけれど、殆ど同じような感覚でプレイできると思う。
 そうそう、旧プレステのギャルゲーには操作性に難があるモノも少なくないけれど、コレはものすごく快適だよ。オートプレイはもちろんあるし、早送りやバックログ等も使い易くて、その点でも「プレステ2レベル」って言えるかな。

 モチロンね、いくら中のヒトが良くて絵がキレイで操作性も快適でも、肝心のストーリーがつまらなかったら“クソゲー”と言わざるを得ないよ。
 でもこの『おかえりっ!』は、そのストーリーもかなりよく練り込まれていて面白いし、各ヒロインも魅力的でさ。
 もうね、こんな良いゲームが安売り用のショボいシリーズにあったなんて、大勢に見向きもされずに踏みつけられている道端の砂利の中に宝石を見つけたような感じだったよ。

 で、ストーリーの概要をざっくり言えば、「主人公は教員志望の大学生で、教育実習の為に故郷に帰り、いろんな女のコたちと出逢って……」って感じなんだけど。
 と言うと、きっと「母校の高校に帰って、教え子の可愛いJK達や、憧れていた美人女教師とイチャイチャ、ウハウハ」みたいな感じを想像しちゃうんじゃないかな。
 でも違うんだ、主人公が教育実習に行くのは、小さな離島の小さな小学校でさ。
「えっ、じゃあヒロインはJSかよ!」って?
 いや、イヤイヤイヤ、そんなロリペド方面の犯罪な展開はもっとナイから! 主人公はその小さな島の小さな小学校で、ホントに真面目に教育実習を頑張るんだってば。

 まず主人公は、教育実習の為に故郷の島へ帰る船のデッキで、ナゼか不機嫌&ワケあり風のJKと出逢って。コレがヒロイン①の藤崎晶サン。
 で、島に着いた主人公を出迎えて、赴任先の小学校に連れて行ってくれるのが、ヒロイン②で養護の先生の高倉波美サン。
 主人公の生まれ故郷はその島なんだけれど、実は中学に上がる前に引っ越してしまっているんだ。それで実習の間は、かつて家族同然に親しくしていた近所の一家(民宿経営)にお世話になることに決めていて。で、そこの娘さんで主人公とも幼なじみなのが、ヒロイン③の篠原渚さん。

 ところでその島は本土と離れた小島だけに、昔ながらの風習や因習もかなり残っていて。そしてその島をずっと支配している一族の一人娘なのが、ヒロイン④の姫神澪サン。
 ちなみに島には姫神家の支配に不満を持って、「古い因習はヨクナイ! 島を改革すべきだ!!」と叫んでる“抵抗勢力”がいて、そのリーダーが主人公の幼なじみの篠原渚嬢のお父上だったりシマス。
 当然、その篠原家に世話になっている主人公は、本人の意思に全く関係なく改革派の仲間のように思われて、姫神家とその配下からは「シノハラの手先」と敵視されるコトに……。

 で、島は姫神家と改革派(抵抗勢力?)の間でモメているのだけれど、そんな情勢に全く関係なく遺跡の発掘に熱中している浮き世離れした変人の考古学者がいて、その娘さんがヒロイン⑤の板東光サンでアリマス。
 ……というコトで、主人公はホントに生徒には手を出したりしてナイから。まっ、結果的にJKとも恋愛したりするけれど、教え子ってワケじゃないから(未成年者に対する淫行に当たるかどうかは知らないけれど)道義的には一応セーフだよね?

 このゲーム、最初はド田舎の離島で教育実習に奮闘するみたいな、のどかな雰囲気で始まるのだけれど。ストーリーが進むに従って姫神家と改革派の対立が深まって、けっこうドロドロした部分が出て来てさ。
 姫神家ってのも「江戸時代か!」って感じの因習に満ちた古くさい面もあるんだけど、一方“改革派”の篠原家のお父さんも、本土の黒い勢力と結んで島の利権を狙っていたりして一筋縄では行かないんだよ。
 また、あるヒロインを好きになると、実は異父兄妹だった」なんて衝撃の事実が発覚する……みたいなドロ沼展開も待っていたりするし。
 だからこの『おかえりっ!』って、ある意味キレイ事やハートウォーミング系の話では済まさない、「修羅場もアリの、大人のプレイにも十分耐えるゲーム」と言えると思う。

 ただね、他のヒロイン達はみなフツーの女の子だけれど、姫神澪サンだけはちょっと違っていて。
 孤島を支配する家の一人娘として深窓で大事に育てられたせいで、浮き世離れしていて世事に疎いというだけでなくて。手で触れて念を送るだけで病や怪我を治せるとか、未来に起きる事が読めるとかの、不思議な力の持ち主でもあるのデス。
 まっ、巫女的な存在とでも言いましょーか。
 だからこの澪サンのルートには、他のヒロイン達のルートと違ってファンタジー色がけっこう混ざってマス。それも子供騙しのような甘いファンタジーではなく、けっこう泣ける系の悲しいお話だったりするんだ。

 澪サンは島の奥で純粋培養で育てられた子だけに、ホントに素直な良い子でさ。ただこの澪サンの“不思議な力”ってのは、澪サンの体にすごく負担をかけるんだよね。そして澪サンは元々体が弱いだけに、その力を連続して使うとそれこそ命にかかわる……みたいな。
 けど主人公にかかわったせいで、澪サンはその力を度々使わざるを得なくなって……。
 実際、黒沢もこの澪サンルートを初めてやって、いろいろ頑張ったにもかかわらずバッド・エンドを出してしまった時には、流石に泣きはしなかったけれど、ただ呆然とエンドロールを虚ろな目で眺め続けて、ホントに暫くその場を動けないほどだったよ。
 実際にプレイしてみればわかりマス。澪サンのルートのバッド・エンドは、マジで心にズシッと来るから。

 この澪サンのエンディングは、何と四通りもあるのだ。ハッピー・エンドと、かすかな希望を残したバッド・エンド(ノーマル・エンド?)、そして悲しくて救いのないバッド・エンドが二通り……と。
 でもね、不思議なことに黒沢の心に最も強く残って感動させられたのは、その悲しすぎる最悪のバッド・エンドだったよ。ゲームが終わっても暫く椅子から立ち上がれなかったくらいショックだったんだけど、ホントに心を揺さぶられてさ。
 澪サン自身は戻って来ないのだけど未来に希望も残したバッド・エンドもまた、悲しいけれどキレイなエンディングで心に残ったよ。
 そのバッド・エンドの衝撃を心に受けた後では、本来のハッピー・エンドは何か物足りなく思えてさ。

 実はメインヒロイン篠原渚サンのエンディングも、グッド・エンドよりバッド・エンドの方が「深い!」と思ったし心に強く残ったよ。
 ……なんて言うと、「オマエは修羅場ゲームが好きだから、元々バッド・エンドが好きなんだろ」と思われてしまいそうだけど。
 でもきっとそうではないと思う。だって藤崎晶サンのルートでは、真っ直ぐグッド・エンドに行けて大満足だったから。で、その後に確かめてみるつもりであえてバッド・エンドを出してみたのだけれど、胸が悪くなったと言うか、ホント心を揺さぶられるコト無くただ痛かったよ。

 これは黒沢が感じたことだけれど、シナリオライターの志茂文彦氏は、姫神澪ルートと篠原渚に関しては間違いなくバッド・エンドの方に力を入れて書いたと思う。だって実際、グッド・エンドの方は「あー、メデタシメデタシで良かったね」という程度で、特にどうと言うコトもない平凡なハッピー・エンドだったもの。
「ありがちなエンディング」なんて言ったら、シナリオライターに失礼かも知れないけれど。ただ少なくともバッド・エンドの時のように心にズシッと来る、魂を揺さぶられるようなものは、グッド・エンドでは何も感じなかったね。
 藤崎晶ルートのグッド・エンドは、「いかにも彼女らしいなぁ」って微笑ましい終わり方だったし。板東光ルートのグッド・エンドだって、日頃ワイルドな彼女の変身ぶりが見られて良かったよ。
 それに較べて姫神澪と篠原渚のグッド・エンドは、ホント平凡だったなー。
 と言うワケで姫神澪ルートと篠原渚ルートに関しては、是非バッド・エンドにご期待下されwww。

 でも大丈夫、姫神澪ルートと篠原渚ルートの攻略は案外厄介と言うか、普通にやったらまずバッド・エンドで終わると思うから。
 特に姫神澪ルートに関しては、ギャルゲーに慣れた黒沢でも攻略にかなり苦労したよ。澪サンに関する選択肢をどう変えても、希望は残るけれど澪サン自身は帰って来ないノーマル・エンドが精一杯でさ。
 ネタバレっぽくなっちゃうから、自力でグッド・エンドを見たいキミは次の一文は読まずに飛ばして欲しいけど。因習に満ちた家から澪サンを助け出してグッド・エンドに辿り着くには、見落としがちなある誰かの力を借りなきゃダメなんだ。

 それに較べれば、篠原渚ルートのクリアはずっと楽だけれど。ただある選択肢で「そんな状況だったら、普通こうするだろ」って方を取ると、バッド・エンド一直線なんだ。
「あり得ねーよ、理不尽だ!」って思ったけど。
 でも黒沢は篠原渚ルートでもバッド・エンドの方がずっと好きだったから、「最初にコッチのエンディングを見られて、より感動出来て良かった」なんて思っちゃったよ。

 上記の二人に較べて、藤崎晶ルートはかなり楽勝と言うか、素直に行動していれば普通にグッド・エンドになるハズだから。ただ晶サン(気の強い小生意気なコギャル)とある誰かをケンカさせないコトには、最初の大事なイベントが始まらないんで、最初の一週間に晶サンばかり追いかけ続けずに、他の誰かとも知り合いになっておくことも必要だけどね。

 この『おかえりっ!』は、ヒロインは一応五人というコトになってるけど。でも実際には、ホントのヒロインは篠原渚と姫神澪と藤崎晶の三人のJKで、中でもメインヒロインは渚サンだけど、テキストの量とかエンディングの数の多さから見ても、真のヒロインは澪サン……って気がしたな。
 で、板東光サン(19歳)と高倉波美サン(27歳)のルートについては、どちらかと言うと付け足しと言うか、島の謎と秘密を解明する為に作ったストーリーって感じがしたよ。

 けど元気な野生児(?)の板東光サン、黒沢はけっこう好きだったし、ストーリーも爽やかで好感が持てて充分に楽しめマシタ。
 ただ高倉波美サンに関しては、黒沢に年上趣味が皆無と言うか、お姉さんレーダーの感度が悪すぎるんで、完全クリアの為にただ耐えながらプレイした……って感じデシタ。
 だって五歳も年上の女性との恋愛なんて、黒沢的にはとても考えられないんだもの。世の年上好きの男性の方々、マジでゴメンナサイ。

 でもね、その黒沢には苦痛だった高倉波美ルートでさえ、プレイする意味はちゃんとあったんだ。って言うのは、「波美ルートをクリアすることで初めて明かされる、島の重要な秘密」みたいなものがあったんで。
 この『おかえりっ!』って、そういう意味でも巧いと言うか、全体のストーリー構成が良く練り込まれているんだよね。ヒロイン達のうちの気に入った誰かとグッド・エンドを迎えても、必ず何かしらの謎が残されたままでさ。
 で、別のヒロインをクリアする毎に、ジグソー・パズルのピースが一つずつはまって行くように、島の謎と秘密が明らかになっていって、五人全部クリアして初めてすべてがわかるんだ。だからルートが好みでないヒロインでも、謎の解明に引っ張られて、ついつい最後までやり通しちゃうんだよね。

 この『おかえりっ!』を含む“SIMPLE1500シリーズ”を出したディースリー・パブッシャー社は、プレステ2用に“SIMPLE2000シリーズ”を出していてさ。ハイ、ご想像通りこちらはどれも希望小売り価格2000円、ってやつデス。
 で、その中に『THE 恋と涙と、追憶と…』というギャルゲーがありまして。副題というか、本来のタイトルは『スレッドカラーズ』なんだけどね。
 この『スレッドカラーズ』、ネットでの評判は案外良いようだけれど、黒沢はどうも好きになれなかったなー。ま、大人でリアル指向の強い黒沢(修羅場ゲーもドンと来い!)には、ストーリーや世界観にファンタジー色が強すぎた……ってのもあるけれど。

SIMPLE2000シリーズ Vol.45 THE 恋と涙と、追憶と・・・。 ~スレッドカラーズさよならの向こう側~SIMPLE2000シリーズ Vol.45 THE 恋と涙と、追憶と・・・。 ~スレッドカラーズさよならの向こう側~
(2004/03/18)
PlayStation2

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 でもそれ以上に気になったのは、この『スレッドカラーズ』、ストーリーが各ヒロインに分岐すると、それぞれ全然別の話になっちゃう……ってとこ。事故に遭って入院中の主人公を、各ヒロイン達が見舞いにやって来る所から話が始まるんだけれど、それぞれのヒロインのルートで、その前提の事故の意味や内容まで全然違って来ちゃうんだよ。
 まず最初に気に入ったコをクリアした時に、「なるほど、そうだったのか」と納得した事が、また別のヒロインのルートに入るとあっさりひっくり返されて、「え? え? 話が違うじゃん」って感じになっちゃうワケ。
 だからヒロインを何人もクリアすればするほど、よくわからない、全体像がボヤけて割り切れない思いになっちゃう。

 この『スレッドカラーズ』ほど極端ではないにしても、ヒロイン毎にどんどん違う話になっていって、クリアした人数が増えると逆に全体として統一した印象を持てなくなってしまうゲーム、案外少なくないんだよね。
 けど『おかえりっ!』は違う! 選ぶヒロインによって、姫神家と改革派の争いの結末も微妙に変わって来るんだけれど、「教育実習生の主人公が、謎と因習の残る離島で、姫神家と改革派の勢力&利権争いに巻き込まれる」という前提や基本的な世界観には揺るぎがないからね。だから別の誰かをクリアしても、「あれ? 前と話が違うんじゃ……」と戸惑ってしまうコトも無いよ。
 この『おかえりっ!』のシナリオを一人で書き上げた志茂文彦氏は、かなり力のある書き手だと黒沢は推察しまシタ。

 ただね、その『おかえりっ!』のストーリーにも、一つだけ難点があって。それも大事なクライマックスのシーンに「これはアリエナイ」って断言できる箇所があるんだ。
 姫神島の隣には神来島という小島があって、そこに保護すべき新種の珍しい花の群生地があるんだよね。で、そんなモノがあっては開発の邪魔と、改革派の黒幕がその群生地にガソリンを撒いて焼き払っちゃうんだよね。
 ところがその神来島に、たまたま主人公とあるヒロインが来ていて、その火に巻かれて命を落としかけるのだけど……。
 コレ、不可能と言うか絶対無理だから。

 1945年4月30日の、ロシア軍に包囲されて陥落寸前のベルリンの、総統防空壕で。
 この日ヒトラーは愛人エヴァ・ブラウンと結婚した後に自決するのだけれど、その際「ロシア軍の手に落ちないよう、死体は完全に焼け」と側近たちに命じるんだ。で、公式には「護衛のギュンシェSS少佐や運転手のケムカSS中佐が、180リットルのガソリンを用意して、中庭の砲弾の穴に遺体を入れて焼いた」というコトになっているのだけれど。
 実はこれは建前で、実際にはヒトラーとエヴァの遺体はロシア軍の手に渡ってるんだよね。ほんのちょっとだけ焦げた程度で、ヒトラーとはっきり解る写真も残ってマス。

 と言うのは、まず側近達はヒトラーの遺体を砲弾の穴に横たえたんだよね。棺にでも入れてガソリンの中に浸したのではなく、土の上に直に置いたわけ。だからかけたガソリンは、殆ど流れて地面に吸い込まれてしまっていたのだ。
 あと、ガソリンって非常に気化しやすくて、危険極まりないものなんだよね。大量のガソリンを撒いたら、空気中に蒸発したガソリンの成分が充満して、マッチ一本擦るどころか、ちょっとした火花だけでも爆発しちゃうんだよ。
 で、ドイツ側の記録では「ギュンシェSS少佐が火をつけた紙を、ヒトラーの遺体を横たえた砲弾の穴に放った」ってコトになっていてさ。けどもし180リットルものガソリンを撒いたとしたら、火を付けた紙を放るどころか、まず「紙に火を付けた」段階でそのSS少佐ごと爆発しちゃいかねないワケ。

 それにその時はロシア軍の砲撃が激しくて、とても外で作業などしていられる状況じゃなかったんだ。だから実際には、「土の上に大急ぎで遺体を横たえて適当にガソリンを撒き、怖々火をつけすぐ逃げた」ってとこだと思う。
 けど側近達は、ヒトラーには遺体の処置を厳命されているワケだからね。自分たちの立場もあるし、生き残ってる他のナチたちへの言い訳も立たないから「命令通り、ちゃんと焼きました」みたいな風に言ってるんだと思う。
 でも実際には、殆ど焼け残ってるヒトラーの遺体の写真が、ロシア軍のもとに残ってるワケで……。

 おわかりでしょーか。「ガソリンで焼き払う」って、それくらい大変なコトなんだ。
 だってヒトラーとエヴァの遺体どころか、『おかえりっ!』では植物の群生地全部を焼き払うんだよ? そして主人公とヒロインは、その「野を焼き尽くす火」に追われて危うく死にかけるんだよ? それだけの火事を起こすには、いったいどれだけ大量のガソリンが要るか、ちょっと想像もつかないよ。

 撒いたガソリンの大部分は、そのまま地面の中に染み込んでしまうだけでなく。
 当然、辺りの空気中にも気化したガソリンが満ちているだろうし、火を付けた瞬間、大爆発が起きて放火の犯人ごと吹っ飛んでいるハズ
 あと、ガソリンにしても灯油にしても、どちらにしろかなり臭いよ? その野を焼き尽くすだけの大量のガソリンを撒かれた所に居て、火の手が上がるまでその異臭に全く気付かない主人公とヒロイン(痴話喧嘩の最中)も異様過ぎるし。

 それにそもそも、黒幕たちの目的は「開発に邪魔な貴重な植物の群生地を無くすこと」でしょ? 「ガソリンで焼き払う」なんて危険で手の掛かる上に目立つようなバカな事をしなくても、コメリにでも行ってラウンド○ップを買って来て、ただ撒けばいいだけじゃん。
 で、結局その放火犯人たちは、その火を見て駆けつけてきた島の人達に捕まっちゃうし。全く、どんだけお間抜けなんだよwww。

 シナリオライターの頭の中にはさ、野焼きのイメージがあったのかも知れないね。でも、アレは空気の乾いた冬に、枯れ草を焼くものでさ。
 まだ夏に近い9月に、まだ枯れてない元気な野草の群落を焼き払うなんてまず無理デス。

 まっ、「火に巻かれて逃げ惑う主人公とヒロインって、絵になるしドラマチック!」と思って、想像だけでつい書いちゃったんだろうけどね。
 わかるけど、現実には絶対ムリな「ガソリンで野を焼き払う」ってシーンを、それもクライマックスのシーンに持ってきてしまったコトが、この『おかえりっ!』の唯一にして最大のミスだと思いマス。

 そうそう、この『おかえりっ!』で黒沢が感心させられたのが、「教育実習や学校の仕事をよくわかってる」ってこと。
 主人公でもヒロイン役でも、創作モノの作品に出てくる“先生”って、殆ど型破りで破天荒なタイプばっかりだよね。「校則無視でやりたい放題」とか、「だらしなくて頼りないけど色っぽい」とか。
 脇役や敵役として出てくる先生だってみなマンガ的で、ゲームやコミックスどころか、ドラマや映画に描かれる先生たちだって「実際にいるワケねーだろ、こんな教師」って感じでさ。
 けどこの『おかえりっ!』は、学校がいかにも本物の学校らしいの。そして主人公も、一生懸命に教育実習をしようと頑張ってるし。
 黒沢の印象では、シナリオライターは実際に教育実習の経験があるか、あるいはその経験者や教師にちゃんと話を聞いた上で書いてるな……って感じだよ。
 ただシナリオライターが教育実習の事をわかっていて、主人公に教師らしくさせようとしているだけに、「主人公が真面目すぎて物足りない」と感じるヒトもいるかも知れないけどね。
 でも黒沢としては、主人公が「いかにも」なマンガ的なセンセイでなく、教育実習がリアルに描かれている点もすごく評価したいデス。
 身内にも親戚にも本物の教師が居る黒沢はむしろ、現実には絶対いるワケない破天荒なセンセイや、いかにもマンガ的なセンセイが出て来ると、途端に醒めてドン引きしちゃうんだ。

 そうそう、「教師がリアルに描かれている」という点では、私屋カヲルさんの『こどものじかん』もナカナカGOODだよ。
 この“こじか”こと『こどものじかん』は『コミックハイ!』に連載されていたコミックスで、過激な描写で良い意味でも悪い意味でも話題を呼んだ作品デス。

 何しろテーマは「小学生女子と担任教師の恋愛」だからね。それも「ヨコシマな気持ちを抱く教師×純真無垢な幼女」ではなく、「いろいろ不器用な新任教師(童貞)が、コワいくらいマセた女子にセマりまくられる」って話だから、そりゃあロリ好きのお兄さんたちは大歓喜っスよ。
 で、ヒロイン(?)の九重りんがあまりに過激にセマるんで、一部のうるさ型たちに敵視されて「こんな小学生の女の子を描くなんてケシカラン!」って問題にもされて。
 例の東京都の青少年健全育成条例の改悪で、一時はかの非実在青少年関連の不健全図書に指定されるのではと危惧されたりもしてね。

こどものじかん 1 (アクションコミックス)こどものじかん 1 (アクションコミックス)
(2005/12/12)
私屋 カヲル

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 けどそうした「サービス、サービスぅ~」のエロい部分をスルーして読むと、この『こじか』って意外なくらい真面目でまともなんだよ。
 まず取材がしっかりしていると言うか、教師の仕事の描写がとてもリアルなんだ。そして現場の実態やら教師の悩みや本音やらも、すごく「わかってる!」って感じ
 マンガに教師はよく出て来るし、教師が主人公のマンガも幾つもあるけれど、教師の仕事や実態についてここまでリアルに描いてるマンガは少ないっスよ。
 そしてまた主人公の青木先生も、新任で不器用だし悩みは多いながらも真面目でさ。ヒロインの九重りんにいろいろエロ攻撃されながら、流されてデレデレしたりするわけでなく、「教師らしくしよう、九重りんを少しでも良い方向に導こう!」と一生懸命で。
 また、職員室での先輩教師の小矢島先生や白井先生などとのやりとりも、教師を知る者としていろいろ頷いてしまう所もあったし。
 さらにやたらにベタベタしてくる九重りんの心の闇や、青木先生にいつも突っかかって来る鏡黒(かがみ・くろ)の寂しさなどについても丁寧に描いていて、ちゃんと読めば「単なるエロじゃない!」ってすぐわかるよ。

 ただ「小学生女子と担任教師の恋愛」という設定が設定だし、九重りんのセマり方が過激なだけに、アブないエッチなマンガみたいに思われているけれど。問題にされているその過激な描写の部分をスルーして読むと、意外にシリアスで深い良作とわかる筈だよ。
 だから黒沢はこの『こどものじかん』、全巻新刊で買い揃えて持ってマス。
 実は黒沢は、私屋カヲルさんには少女マンガ誌で『少年三白眼』を描いていた頃から注目していてさ。その少女マンガらしからぬギャグを描いていた私屋カヲルさんが、こんな女子小学生と教師のラブを描くようになるとは思ってなかったなー。
 でも黒沢はずっと変わらず私屋カヲルさんのファンで、少女誌に連載されていた『少年三白眼』から青年誌に転じた後の『青春ビンタ!』、さらに猫マンガの『ちびとぼく』など、私屋カヲルさんの作品はほぼ読み続けてマス。

 さて、話は戻って『おかえりっ!』だけど、ディースリー・パブリッシャー社の“SIMPLE1500シリーズ”のオリジナルではなく、元は『夕凪色の恋物語』っていうPCゲームだったんだ。
 と言っても、18禁のエロゲからHシーンを削ってコンシューマー用に仕立て直したのではなく、数少ない非エロのPC恋愛アドベンチャー・ゲームだったんだ。だから設定にも無理がなく、安易なエロ路線のとはまるで違う良質な仕上がりだったんだよね。

 もしこれが旧規格のプレステでなく、プレステ2の恋愛ADVとして出されていたら。
 それもまず安さがウリの“SIMPLEシリーズ”などではなく、それなりの価格でジャケ絵も綺麗なのを使って、元の『夕凪色の恋物語』のタイトルで出していたら。
 そしたらもっと話題になって多くのファンを掴んだだろうと思うと、黒沢は残念でならないよ。

 それでもわかる人は少数ながら確かにいるようで、ネットを検索してみると『おかえりっ!』の“聖地”を訪れた人の記録があったりシマス。
 参考までに、ゲームの舞台の姫神島のモデルは、瀬戸内海の真鍋島なのだとか。ゲームの中では、藤崎晶ルートのエンディングで、姫神小学校は都の教育委員会の管轄内みたいな会話が出て来るけどね。
 でも実際には伊豆諸島のどれかではなく、真鍋島の地図を逆にしてみると、姫神島にピタリと一致するそーです。

 あともう一つ、この『おかえりっ!』のヒロインは建前は五人だけれど、実は攻略可なキャラは八人なのだ。と言っても隠しキャラの三人は、殆どおまけのサービスと言うか、お遊びみたいなルートなんだけどね。
 だからメインの五人と違って、攻略してもしなくても大筋には全然関係ないし、「正規のヒロインが攻略できて、島の秘密が全部わかればOK」って人は、残りの三人の隠しヒロインについては無視しても構わないんだけどね。
 でも「えっ、このキャラが攻略できちゃうんだ!」って驚きは、黒沢的にはかなりあったなー。
 それと、この隠し要素のヒロインまで含めて八人全員クリアして初めて、CGが全部埋まりマス。

 そうそう、主要なヒロインでも姫神澪ルートにはエンディングが四通りもありマスんで、この点にも要注意デス。
 エンディングにグッド・エンドと僅かに希望が残るバッド・エンド(ノーマル・エンド?)、それに悲しみしか残らないバッド・エンドの三通りがあることはすぐわかると思う。けど実は悲しいバッド・エンドには二つのパターンあることには、案外気付きにくいと思う。
 で、そこに気付いて澪サンのエンディングを四通り出さないと、CGは全部埋まってくれないんで、完全クリアを目指す方は覚えていて下され。

 殆ど知られていないけれど、やってみた人の大半がハマってしまうこのゲームの存在を、一人でも知って興味を持ってくれたら嬉しいデス。
 この“SIMPLE1500シリーズ”『おかえりっ!』、運が良ければ中古ゲーム店で三百円くらいで手に入ると思う。オリジナルのPC版の方になると、ちょい高くて千数百円程度で、さらに修正パッチもダウンロードする必要があるみたい。
 初代のプレステのゲームは、プレステ2だけでなくプレステ3でもプレイできるんで、「古いハードはみんな処分しちまって、プレステ3しか持ってねーよ」って方も、宜しければ是非お試し下サイ。

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季節感を無視して…

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 季節感が全く無くてスミマセン……。PCのHDDの中に眠っていた写真も見ていただこうと思って、真夏なのに桜の写真など引っ張り出してしまいました。

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日本を「貶める」って?

 前提としてまず言っておこう。
 黒沢自身は憲法第九条には否定的な改憲論者で、「自衛隊も正式に日本国防軍にするべき」と思っている。
 さらに根っからの反共主義者で、学生運動も全共闘も大嫌いで、思想的には間違いなく保守だし、学生時代には級友からずっと「コチコチの右翼」と言われてきた。
 だが黒沢は「例え自分に都合の悪いことでも事実は事実としてきちんと認め、黒を白と言い張るようなことはすべきでない」と強く思っている。
 だから黒沢は、「日中戦争も太平洋戦争も間違いなく日本の侵略戦争で、非は日本にあり、アジアの国々に多大な被害と迷惑をかけた」と認識している。

 例えば殺人なり強盗なり強姦なり、何か悪い事をした人がいるとする。
 その人にまず必要なのは「自分のした事はちゃんと認め、そして反省すること」であろう。
 にもかかわらず「俺はやってない、俺は絶対悪くない!」とあくまでも言い張って。そして明白な証拠を突き付けられると「オマエは俺を貶める気か!」と逆ギレしたとしたら、「何と図々しい、大バカ野郎だ」と呆れられ、皆から憎まれても仕方あるまい

 ところがそうした被害者の感情を逆撫でする「心底図々しく、大バカ」な発言を声高にして恥じない者たちが、この日本には大勢いるのだ。

 第二次世界大戦で、我が日本がアジアの国々に侵略し、各国に多大な被害を与えてきたことは、紛れもない事実だ。
 ところがこの日本には、その事実を頑として認めない“保守”で右翼の人々がいる。その種の人々は、かつて日本がした負のことを言うと「オマエは日本を貶める非国民だ!」と怒り出すのである。

 その種の、日本軍の残虐行為について話すのは「日本を貶める行為だ」と主張する人達に言いたい。
 その理屈で言えば、人殺しに「人殺し」、強盗に「強盗」と言う事は、その犯罪者を「貶める」ことになる筈だ。
 犯した悪い事をありのままに述べるのが、何故「貶めること」になるのだろうか。そこのところが、黒沢にはまるで理解できない。
 例の「犯した悪い事を言うのは、貶める行為だ」という理屈で言えば、裁判は公正な裁きではなく「被告人を貶める、不当な糾弾大会」という事になるではないか。

 その「日本軍の残虐行為を認めるのは、日本を貶めることだ!」と力説する人々は、決まってこうも言う。
「日本が過去に悪い事をしたと聞かされたら、若い世代が国に誇りを持てなくなる」

 だからその種の人達は、大日本帝国の侵略行為とアジア諸国に与えた被害について、教科書から削除させようと必死だ。

 例の、過去の日本軍の残虐行為に触れると「日本を貶めるな!」と怒り出す人達に言わせれば、「自国が過去に悪い事をしたと認めたら、国に誇りを持てなくなる」そうなのである
 あんたバカぁ!?
『エヴァンゲリオン』のアスカではないが、その種の論理を聞くと、大声でそう叫びたくなってしまう黒沢だ。

 繰り返すが、過去に悪い事をした人が立ち直るには、まず自分のやった事はきちんと認め、そして心から反省する以外に道はなかろう。
 もし過去の己の悪行を一切否定して、「俺が悪かったなどと認めたら、俺は自分に誇りを持てなくなるから反省しない」などと言ったら、「どんな太々しい外道だよ!」とフルボッコされて当然であろう。

 だが過去の日本軍が犯した残虐行為を認める人を「日本を貶める非国民め!」と非難して恥じない人達は、今もこう主張し続けているのだ、「日本が過去に悪い事をしたと聞かされると、国に誇りを持てなくなる」と。
 ……その種の人達は、どうやら人としてちゃんと立ち直る道を知らず、日本という国もきちっと見直して立て直す気がないらしい

 と言うより、彼らは現人神である天皇陛下を頂点とする、かつての大日本帝国の復活を願っているのだろう。

 そしてその種の「戦争を起こした日本はワルクナイ」と言い張る人達は、「あの戦争は、大義ある戦いだったのだ」とも言い張る。「八紘一宇の理想のもとに、日本はアジアを植民地状態から解放する為に戦ったのだ」と
 とんでもない欺瞞だ。
 日本は欧米に取って代わって植民地化する為に出兵したのであって、決してアジア諸国を対等な国として独立させるつもりなど無かった。その証拠に、進出した各地で日本は現地の人々を軍事力で支配し、日本語教育と天皇崇拝を強制し、日本の戦争遂行に必要な物資を大量に収奪したではないか。
 あの日本軍に支配されていた時代を「良かった」と言っているアジアの国があるとしたら、ぜひ黒沢に教えてほしいものだ。黒沢の知る限り、日本軍に占領されたアジアの国々はどこも、日本軍に弾圧され物資を収奪されて苦しんでいた筈だ。

 確かに「日本の一部」として併合した韓国(朝鮮)に対しては、日本はかなりの額を投じてインフラ整備をした。そのことにより、ソウルやピョンヤンなどが近代都市に様変わりしたことも事実であろう。
 ただそうした投資が果たして現地の韓国(朝鮮)の人々に対する“善意”か、それとも日本の利益の為であるかはまた議論の余地があると思うが。

 太平洋戦争後、確かにインドネシアやインドなどの国々が独立し、ベトナムなどの独立運動も盛り上がった。
 しかしアジア諸国が植民地状態から解放されたのは、ただ第二次世界大戦の結果、宗主国の力が落ちたからに過ぎない
 建前でなく実態で見る限り、日本は決してアジア諸国の民族自立や自主独立など許さなかった。太平洋戦争を美化する右翼の論者らが「日本のおかげで独立できた」と称する東南アジアを含む、すべての占領地域で皇民化政策をとり、皇国の臣民であることを誓わせ、日本語の使用や神社の参拝などを強制したのが良い証拠である。

 そもそもアジアを占領した名目の八紘一宇という言葉の意味は「天下を一軒の家のように統一すること」だが、その統一した天下を治めるのは天皇と日本ということになっていた。
 だから日本軍は占領した各地で皇民化政策をとり、天皇を崇拝させ日本語を強制し、さらに戦争遂行の為の物資を収奪して現地の経済を破綻させたのだ。この実態からあえて目をそむけて「日本は欧米の植民地状態から解放する為に戦ったのだ」と胸を張れるとしたら、厚顔無恥の極みとしか言えない

 あの太平洋戦争は、現実には「欧米に取って代わって、日本がアジアを植民地化する為の戦い」だったのだ。
 だがその欧米との戦いの結果、ただ日本が敗れただけでなく宗主国も疲弊して、その結果として民族自立の運動が盛り上がり、アジア諸国が独立に至ったに過ぎない。
 日本の軍事侵攻の建前と実態、日本軍のアジア占領の動機とその結果を混同してはならない

 アジア諸国は第二次世界大戦の「結果として」、各国が自力で独立を果たしたのであって、日本が太平洋戦争を仕掛けたおかげで独立させて貰ったのではない
 しかし頭のおかしな右翼の中には、「日本はアジア諸国の独立の為に大義ある戦いをして、おかげでアジア各国は欧米から独立できたのだ」と強弁し続けている者が、今も少なからず存在するのだ。

 驚くべきことだが。
 その「アジアを欧米から解放する」という建前のみを言い立てて、「あの戦争には大義があった、だから日本はワルクナイ」と主張するのは、実際の戦場にはただの一度も出たことのない士官候補生くずれの中條高徳氏などの、かつての大日本帝国に郷愁を持つ爺さんだけではないのだ。
 例えば『だから、日本人は「戦争」を選んだ』を書いた、1983年生まれで秀明大学講師の岩田温氏のような若手の“学者”ですら、「あの戦争には大義があった、だから日本はワルクナイ」と大真面目に主張している。

 大義、大義と言うが、物事には綺麗事の建前と、表に出せないドロドロした本音や現実の両面があることくらい、大人なら誰しもわかっている筈だ。
 そして大義というのは、明らかに前者の「綺麗事の建前」に属する。
 その証拠に、戦争をする国はどちら側もそれぞれの“大義”を振りかざしているもので、大義を持たない国などどこにも無いのが現実なのだ。

 大義は、何も日本にだけあったわけではない。アメリカや英国にも当然あったし、あのナチスドイツにすら大義はあったのだ(世界共産主義革命と戦う、という)。
 大義など北朝鮮やイランやシリアにもあるし、スターリンや毛沢東やポル・ポトなどの独裁者にもあったし、イスラム原理主義のテロ組織にすらあるのだ。
 さらに言えばワ○ミなどのブラック企業も社訓だけは立派で、何の大義もなく「俺たちゃ殺人、略奪、何でもし放題の悪の組織だぜ」と威張っているのは、山賊や海賊くらいのものである。

 だから物事を判断する時、その綺麗事の建前でしかない大義など見ていては、真実など何もわからないのだ。
 例の「太平洋戦争は、アジア諸国を欧米から解放する為の戦いであったかどうか」という問題も、建前の大義ではなく、「日本軍が現実にどう行動したか」という事実のみで判断しなければ、本当の事は何もわからないのだ。
 あの戦争で日本軍が掲げた大義だけ見て、「だから日本はワルクナイ」と主張している岩田氏らなどの類は、ワ○ミの社訓だけ読んで「うん、ワ○ミはすごく良い会社だね!」と感動しているのと同レベルの幼稚さである。

 いや、『だから、日本人は「戦争」を選んだ』で展開されている論理を読むと、岩田氏は幼稚というより狡猾と言えるかも知れない。
 と言うのは、岩田氏はナチスドイツにも彼らなりに“大義”があった事実はあえて無視し、ナチスが犯した残虐行為だけを見て「日本はナチスとはまるで違う」と言うのである。そして「ナチスの非は言い訳できないが、大義があるから日本はワルクナイ」と主張するのである。
 そして日本軍が残虐行為を犯した事も認めつつも、岩田氏によればそれは出先の一部の軍人による行き過ぎで、掲げた大義に比べれば些細なことであるらしい。

 岩田氏はナチスドイツに対しては彼らの“大義”を無視して負の実態のみ見て、我が日本に対しては負の実態からあえて目をそむけ、掲げた建前の美しい大義だけでその善悪を論じているのである
『だから、日本人は「戦争」を選んだ』における岩田氏の主張は明らかにフェアではないし、論理も我田引水に過ぎて破綻していると言わざるを得ない。

 ナチスドイツに触れたついでに、ぜひ言いたいことがある。
 例の過去の日本軍の残虐行為に触れると「日本を貶めるな!」と怒り出す人達は、異口同音に「自国が過去に悪い事をしたと認めたら、国に誇りを持てなくなる」と言うが。
 その種の人達に聞くが、ではナチス時代の自国の非を認め、ちゃんと反省して繰り返し謝罪しているドイツ人は自国に誇りを持てず、ドイツは駄目な国になっているだろうか
 否、自国の過去の非を認めて反省し、謝罪を繰り返しても、ドイツは間違いなく立派な国ではないか。そしてドイツ人はその事で誇りを持てなくなったわけでもないし、愛国心を無くしてしまっているわけでもない

 日本の過去の非について語ると「日本を貶めるな!」と怒る人達は、その「ドイツとドイツ人に出来た事が、日本と日本人には出来ない」と主張しているも同然である。
「日本人は過去の非を認めて反省すると、国に誇りを持てなくなって愛国心をなくす」と、彼らは大真面目に言うのである。

 では過去に罪を犯した者は、己の非を認めて反省すると、自分に誇りを持てない駄目な人間になるのだろうか?
 否、立ち直りに最も必要なことは、まず己の非を認め、真摯に反省することであろう。
 国家の場合もそれと同じで、過去に過ちを犯した国にまず必要なのは、率直にその非を認めて反省することではないのか。

 ところが一部の保守系の論者たちは、それをすると「誇りを失って立ち直れなくなるから、非は決して認めないし、反省などしてはいけない」と言うのである。
 つまり彼らにとっては、「非を認めず反省しないのが愛国心で、日本人としての誇りを保つ道」なのである。
 そうした己の非を決して認めない頑なな態度は、決して誇り高き振る舞いなどではない。周囲の者たちにはただ「面の皮の厚い恥知らず」にしか見られないと思うが、どうだろうか。

 歴史作家の司馬遼太郎氏が、生前にこう語っていた。「日本は太平洋戦争で、周辺の国々に大変な迷惑をかけた。だから少しでもものを考える人は、アジア諸国に後ろめたい気持ちを持たざるを得ない」と。
 例の、かつて日本軍が犯した過ちを言うと「オマエは日本を貶める非国民だ!」と怒り出し、「あの戦争は大義ある戦いだから日本はワルクナイ」と強弁する人達は、その司馬遼太郎氏の言う「後ろめたい気持ち」を持ちたくなくて必死なのだろう。
 そしてその結果「日本が過去に悪い事をしたと認めたら、国に誇りを持てなくなる」と心を閉ざし現実から目をそらして、「ものを考えない人」になり下がっているのだ。

 最後に、民族派団体一水会顧問である鈴木邦夫氏の言葉を紹介しよう。
歴史をゆがめ自国は悪くないと言い張るのは愛国者でなく、単なる拝外主義者だ
 鈴木邦夫氏は政治的に言えば間違いなく右翼であるが、あの戦争について「日本はワルクナイ!」と言い張り、日本の過去の過ちを語ると「サヨクの自虐史観の非国民め!」と怒る“右翼で保守”の人達は、この鈴木氏の言葉をどう聞くであろうか

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「自衛の為の戦争」って、何だ?

 第二次世界大戦で日本が戦争を仕掛けた事について、「あれは自衛の為の戦いで、仕方なかったのだ」と力説する人達がいる。
 それも巷のネトウヨばかりでなく、各界に影響力のある著名な人々が「アメリカと英国と中国とオランダが、ABCD包囲陣で日本を経済封鎖したから、自衛の為に戦争をしたのだ」と主張している
 例えば元アサヒビール副社長で保守系政治団体日本会議代表委員の中條高徳氏や、あの渡部昇一氏などもその代表的な論者だし、かの靖国神社も同様の見地で刑死したA級戦犯を戦死者と一緒に祀っている。

 黒沢には、どうにも理解できないのだが。
 経済封鎖をされたら自ら戦争に打って出るのが、どうして「止むを得ざる、自衛の為の戦い」になるのだろうか
 黒沢の常識では、「自衛の為の戦い」とは自国が武力で攻撃を受けた場合に、武力をもって反撃する戦いのみだと思うが。
 仮に他国から敵対的な行動を受けたとしても、経済的な行為には経済的な行為で、軍事的な行為には同じく軍事的な行為で反撃する。これが当たり前ではないか。経済制裁に武力侵攻をもって反撃するのは、どう考えても「自衛の為の戦い」の範囲を逸脱していると黒沢は考える。

 ところが元陸軍士官学校の生徒であった中條高徳氏らの見地よれば、日本が経済封鎖に武力で応じたのも「止むを得ざる、自衛の為の戦い」であると言うのである。
 つまり「戦争を仕掛けた国より、経済制裁をした国の方が悪い」という理屈である。

 よく口論から殴り合いの喧嘩になる事があるが、その場合も「何を言われたにしろ、先に手を出した方が悪い」というのが原則であろう。
 戦争もそれと同じだ。経済封鎖をされたにしろ何にしろ、先に武力を行使して攻め込んだ方が悪く、その軍事行動は侵略行為と見なされるのが世界の常識ではないか。
 ところが士官学校で学ばれた中條高徳氏には、その簡単な理屈もおわかりにならないようである。

 経済封鎖は“平和的な”とまでは言わないが、武力によらない有効で正当な外交的圧力の一つである。だから現に、今も北朝鮮とイランは経済封鎖をされ、預金凍結などの経済制裁も受けている
 そしてウクライナで多数のオランダ人などを乗せたマレーシアの民間機が、親ロシアの過激派に撃墜されたと見られる事件でも、欧州などはロシアに経済制裁を行っている

 日本が太平洋戦争に打って出た時、実際に日本と戦争状態にあった中国は別として、アメリカもイギリスもオランダも、我が国に対して一発の銃弾も撃ってなかったのである。
 にもかかわらず日本は宣戦布告もなしにアメリカの真珠湾を奇襲し、さらにイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウエールズとレパルスを撃沈してマレーに進撃し、オランダ領であったインドネシアにも軍を進めた。
 これを「自衛の戦い」となぜ強弁できるのか、黒沢にはまるで理解できない

 中條高徳氏や渡部昇一氏や靖国神社が主張するように、あの太平洋戦争が「経済封鎖をされたから止むを得ずした、自衛の戦い」なのだとすれば、「戦争を仕掛けるより、経済封鎖や経済制裁をする方が悪い」という理屈になる
 そして経済封鎖や経済制裁を受けた国は、それに武力で応じ相手国に軍事侵攻しても、「止むを得ざる自衛の戦いである」と正当化できることになってしまうのだ

 現実問題で考えてみよう。今、現実にこの世界でも北朝鮮やイランが経済封鎖や経済制裁をされ、苦しい状況に陥っている。
 そして北朝鮮への経済封鎖には、この日本も加わっている。
 で、中條高徳氏や渡部昇一氏や靖国神社などの論理や史観に従えば、仮に北朝鮮が日本を含む経済封鎖をしている国に戦争を仕掛けたとしても、それは「けしからぬ侵略戦争」ではなく「やむを得ぬ自衛の戦い」で、「戦争になったのは、経済封鎖をした日本などの国々のせい」という事になる筈だ。

 と言うとすぐに、「サヨクの自虐史観の非国民が!」というレッテルを貼られるだろうが。
 しかし客観的に見れば、かつての大日本帝国も今の北朝鮮のように、「世界の常識の通らぬ、無法な国」として孤立していたのだ。
 偏狭な愛国心やナショナリズムによる感情論でなく、冷静な頭で理屈で公平に考えてみよう。「日本が経済封鎖で追い詰められて戦争に打って出たのは、やむを得ない自衛の戦いで悪くなく」、だが「北朝鮮は経済封鎖でどれだけ困っても、戦争に打って出たりしたら許せない暴挙」と思う事がいかに筋の通らない馬鹿げた理屈か、すぐわかる筈だ。

 かの中條高徳氏や渡部昇一氏ら、それに靖国神社の太平洋戦争観によれば、あの戦争は「ABCD包囲陣の経済封鎖を受けた事による、止むを得ざる自衛の為の戦い」ということになるようだが。
 ではなぜ当時の日本が、各国から経済封鎖を受けるに至ったか。それは日本が、明らかに中国を武力で侵略していたからだ

 韓国併合が“侵略”であるか、それとも条約による合法的なものであるかの議論は別として、満州国は明らかに日本の傀儡国家であるし、日華事変以降の日本軍の武力侵攻についても言い訳のできない侵略行為であることは、疑う余地のない事実だ。
 だから国際連盟などでも非難され、諸外国から経済制裁を受けたわけだ。

 確かに当時の中国は各地に軍閥が跋扈して、国内は大いに乱れていた。だからと言って「日本が攻めて行って、植民地にしてもOK」という理屈は、絶対に成り立たない筈だ。
 その理屈が成り立つのであれば、幕府方と勤王勢力に分かれて内戦状態にあった幕末の日本も、「列強諸国が武力で攻め込み、斬り取り次第に植民地にしても良い筈」ではないか。
 幸い欧米列強の植民地となることなく近代化を果たした日本は、今度は自ら植民地を持つ強国となることを目指し、中国の国内の乱れに応じて軍を送り込み、満州国という傀儡政権を打ち立てた。

 その日本に対して、諸外国は初めから非寛容で強圧的な態度をとったわけではない。例えば国際連盟が満州に送り込んだリットン調査団だが、英国のリットン伯爵を長とする一行は、満州国を傀儡国家とする一方で、満州における日本の特殊権益も認めていた。
 形としては満州についての日本の主張は認められなかったわけだが、日本が手に入れた満州から「タダで出て行け!」と言っているわけではないのだ。中国の主張を受け入れる一方、国際連盟は日本の利益もちゃんと考慮していたのだ。
 だから交渉と和解の道も、その時点では確かにあったのだ。
 しかし「我が国の主張が百パーセント認められなかったから」と、日本は国際連盟の脱退でそれに応じ、さらに日華事変を起こし中国への本格的な侵略を始めたのだ。

 世界が日本を追いつめたのではない、自国の主張のみ押し通そうとして非妥協的で頑なな態度を取り、国際社会に背を向けて平和的な解決を拒んだのは、我が大日本帝国なのだ
 だからその日本の武力による侵略行為に対して、アメリカやイギリス、それにオランダなどが脅威を感じ経済制裁を取ったのは、それらの国としては当然の行為であったろう。
 繰り返し言うが、アメリカやイギリスなどは中国に味方し日本に経済制裁を行ったが、日本に対して一発の弾丸も撃ってきたわけではない

 日本が国際連盟を脱退して中国への侵略を拡大し続けた後も、交渉の余地はまだあった。アメリカもいきなり日本に強硬な態度で向かったきたわけではなく、日本の行動に応じて屑鉄の輸出禁止、そして石油の輸出禁止と、態度を段階的に強めてきた。
 だから交渉の余地は、開戦のぎりぎりまであったのだ

 中條高徳氏や渡部昇一氏らの「太平洋戦争は経済封鎖に対する、止むを得ざる自衛の戦い」という理論を展開する人々は、「石油が輸入できなくさせて日本を追い詰めたアメリカが悪い」と言う
 だがアメリカは問答無用で、いきなり石油の禁輸まで切り出したのではない。その時点で日本が中国から兵を引き、しかし満州における既得権益は確保する方向で交渉を進めれば、問題は解決した筈なのだ。
 だが占領地からは一兵も引かずに、「石油が手に入らなくなったら終わりだから」と、日本は仏印進駐という逆手に出て、交渉の道を自ら閉ざして戦争へと突っ走ったのだ。
 これをどうしたら「止むを得ざる、自衛の為の戦争」と強弁できるのか、黒沢にはまるで理解できない。

 現在の北朝鮮は諸国から経済封鎖をされて当然の、狂犬のようなならず者国家だ。日本人拉致のような許されざる秘密工作は言うに及ばず、麻薬を国家ぐるみで密売し、核兵器で周辺国を恫喝もしている。
 非常に不愉快で迷惑な国であるのは間違いないが、少なくとも他国を侵略はしていない
 しかし1930年代の日本は、明らかに中国を侵略していた。その一点だけでも「かつての大日本帝国は、今の北朝鮮より悪い」と言えるし、諸外国から責められ、経済制裁を受けても仕方がない立場にあったのである。

 1990年の湾岸戦争で、イラクは突如隣国のクウェートを侵略した。そして当時イラクを支配していたサダム・フセイン大統領は、国際社会の非難にもかかわらず軍を引くことに応じなかった。
 それで国連の安全保障理事会は武力行使容認決議をし、アメリカやイギリスなどを中心とする多国籍軍がクウェートに駆けつけ、イラク軍を打ち破った。

 中国を侵略した我が大日本帝国は諸外国の非難を無視し、国際連盟を脱退すらした。湾岸戦争の経緯を考えれば、同じように国際連盟で日本に対する武力行使容認決議がされ、多国籍軍が中国を支援に駆けつけてもおかしくなかった筈だ。
 しかしアメリカも英国も、そこまで強硬な態度は取らなかった。

 確かにアメリカや英国は日本を責めはした。しかしあくまでも経済制裁をしただけで、中国軍を助けて参戦したわけではない。それどころか日本が中国から兵を引きさえすれば、満州に対する日本の権益を認めようとまで譲っていたのだ。
 にもかかわらず日本は「経済封鎖をされたから」と、アメリカと英国に奇襲攻撃をかけている

 これでどうして「止むを得ざる、自衛の為の戦い」と言えるのか、黒沢には全く理解できない。

 太平洋戦争を「止むを得ざる、自衛の為の戦い」だの、「アジアを植民地から解放する為の、大義ある戦い」だのと言う人々は、同時に中国における日本軍の残虐行為も否定している
 では「日本軍の残虐行為は無かった」という人達に聞こう。
 日本軍は中国軍に各地で勝ち、大陸の奥深くまで侵攻したが、その間に日本軍は中国兵の捕虜をどれだけとった?
 中国戦線であれだけ勝ち、あれだけ奥地まで攻め込んだのだ。当然、敗れた中国軍の捕虜も何万、何十万と居て当然だろう。
 ところがだ、「中国兵をどれだけ捕虜にし、どこでどう処遇したか?」という記録が殆ど残っていないのである。そして伝えられているのは、捕らえた中国兵を虐殺した話ばかりだ。

 一例を挙げよう。中国戦線で長く戦い、さらにガタルカナル島やインパールでも戦った歴戦の古兵、高崎伝氏の『最悪の戦場に奇跡はなかった』という本があるが、その高崎氏の連隊では捕虜はただの一人も取らず、敵兵はもちろん、「怪しい」と思えば民間人でも関係なくすべて殺したということである。
 これが我が皇軍、大日本帝国陸軍の実態なのだ。
 にもかかわらず「中国で虐殺は無かった、すべて自虐史観のサヨクによるデマである」と主張する保守系の論客の頭がいかにオカシイか、その一事だけでもよくわかるというものだ。

最悪の戦場に奇蹟はなかった―ガダルカナル、インパール戦記 (光人社NF文庫)最悪の戦場に奇蹟はなかった―ガダルカナル、インパール戦記 (光人社NF文庫)
(2007/02)
高崎 伝

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 話を現代に戻そう。
 憲法第九条のある日本でも、自衛権はあるものとされている。個別的であろうが集団的であろうが、自衛権は今のこの日本にもあるのだ。
 と、すればだ。
 中條高徳氏や渡部昇一氏や靖国神社などが声高に主張するように、あの太平洋戦争が「経済封鎖をされたことによる、止むを得ざる、自衛の為の戦い」なのであれば
 もし今の日本が武力攻撃でなく、ある国から経済封鎖なり、経済制裁なりを受けた場合にも、「止むを得ざる、自衛の為の戦い」として日本の自衛隊がその国に攻め込んで行ける理屈になるではないか。
 だから中條高徳氏や渡部昇一氏や靖国神社などが主張する「日本は経済封鎖をされたから、やむを得ず自衛の戦いをしたのだ=戦争を仕掛けた日本は悪くない」という論理は、ただ「頭がオカシイ」と言うにとどまらず、また次の戦争にも繋がりかねない危険な思想だと黒沢は考える。

 最後に繰り返し問おう。
 もし経済封鎖を受けた末の、我が日本軍の米英に対する奇襲攻撃が“自衛の為の戦い”ならば。
 同じように経済封鎖を受けて困窮している北朝鮮が、日本を含めた経済封鎖をしている国々に奇襲攻撃で戦争を仕掛けてきたとしても、これも“自衛の為の戦い”と正当化できる筈
ではないか。
 同じ事をしても、日本がすれば“自衛の為の戦い”で悪くなく、北朝鮮がすれば“許すべからざる暴挙”だと言い張るとすれば、それは明らかに身びいきの矛盾した論理以前の戯言以外の何物でもない

「日本のした事はすべて正しく、日本の過去の過ちを認めるのは、日本を貶める許し難い行為だ」
 そう信じて疑わない保守の“愛国者”たちの非論理性と頭の悪さに、ほとほと閉口している今日この頃だ


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凝視と威嚇

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 少しは穏やかになったかと思ったのですが、やはり警戒心むき出しで人を威嚇します。
「だったら、なぜ来るのだ?」と言いたくなりますが、玄関のドアを開けるとそこに居て寄って来るのです。

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