
近年、アルコール業界では『淡麗辛口』を名乗る酒が妙に増えている。
淡麗辛口とは、そもそも日本酒の味の傾向の一つだと思っていたが、さにあらず。最近ではビールや発泡酒や第三のビール、それにウイスキーにまで『淡麗辛口』を名乗るモノが出ている始末である。
ただ『淡麗』や『ドライ』を名乗るアルコール飲料も含めれば、その類の種類は数え切れないほどあるのではないだろうか。
だが黒沢は、この『淡麗辛口』ブーム、どうも感心出来ないのだ。
第二次世界大戦のおかげで、日本酒は恐ろしくマズくなった。
元々資源の乏しい国であるのに、無謀な侵略戦争など企てるから、我が大日本帝国はたちまち各種の物資が不足するようになった。石油などの燃料や鉄鉱石などの工業資源はもちろん、国民の基本的な生活に欠かせない衣類や食料まで不足するようになった。
米も不足した物資の一つだが、日本酒もまた米から作られている。それで「貴重な食料である米を酒などに使うのはモッタイナイ、何とか節約できないか」と軍の要請で考え出されたのが、いわゆる『三増酒』である。
戦時中、酒に使う米を節約する為に、研究者たちはまず出来た日本酒に、大量の工業アルコールと水を混ぜてみた。すると出来た酒はただ水っぽくて旨みが無い上に、工業アルコールの刺激で妙に辛い、甲種焼酎のようなマズいものになってしまった。
それでその味を補う為に、ブドウ糖や乳酸やコハク酸などを混ぜて、何とかそれらしい味にしたのである。
問題の米不足は戦後も続き、それで政府も国の政策として、例の工業アルコールと水で薄めて日本酒の生産量を三倍に増やす、『三増酒』の生産を押し進めたのである。
だがこの本来の酒を工業アルコールと水で三倍にしたシロモノが、ウマいわけがない。
先にも触れた通り、ただ水っぽくてアルコールの辛い刺激があるだけの、今で言えば4リットルのペットボトルで大安売りされている甲種焼酎のようなモノになってしまう。
それで業界はまず醸造用アルコールwwwという名の工業アルコールの辛さと刺激を消す為に、醸造用糖類wwwという名の水アメを大量に混ぜた。だから当然、ベチャベチャした後味の悪いモノになる。
それで今度は少しでもサッパリさせキレを良く感じさせる為に、更に酸味料まで混ぜ込んだのである。
これが戦後長く流通していた日本酒wwwの正体である。
戦争が終わって何年も経ち、食糧事情が改善され、むしろ米が余るくらいになっても、日本酒業界はこの『三増酒』を造るのを止めなかった。
何故なら、ズバリ儲かるからである。
安価な工業アルコールと水で嵩増しし、それに糖類と酸味料を加えれば、以前と同じ量の原料米で三倍の酒が出来るのである。
こんな粗悪酒でも飲兵衛たちには売れたのだから、メーカーとしては笑いが止まらないだろう。
だがそんなアルコールと水で大量に薄め、さらに水アメと酸味料をブチ込んだ“偽酒”が、本来の日本酒と同じ味であるわけがない。
「酒など、ただ酔えればよいのだ」と言うアル中の飲兵衛は別として、この三増酒のおかげで真っ当な味覚を持つ多くの者が「日本酒は変に甘くてベチャベチャしてマズい」と思うようになり、主に若い世代を中心として日本酒離れが起きるようになった。
戦後に食糧事情が好転しても、ただ儲けの為に続けていた三増酒の生産が、日本酒業界そのものの首を絞め始めたのである。
そこで大量生産でなく手作りで酒を造っている、地方の真面目な酒蔵を中心に、「これではいけない、本物の酒を造ろう」という気運が起きてきた。
で、特に注目されたのが、新潟の酒である。米どころでもある新潟には酒蔵も多く優秀な杜氏も居て、糖類や酸味料は入れずアルコール添加も少ない、良い酒を造る酒蔵が幾つも出てきた。
その新潟の酒は、それまでのベチャッとした変に甘くて臭い大メーカー製の三増酒とは違い、旨みもありつつ水のようにサラリとしていて評判になった。
それでその新潟の「水のようにサラリとしてキレの良い」淡麗辛口な酒が、良い酒のお手本のように言われるようになった。
で、日本酒だけでなくビール類やウイスキーなど多くの酒が、『淡麗辛口』を名乗るようになったわけだが。
だがちょっと待ってほしい。淡麗辛口というのは酒質の方向のうちの一つに過ぎないのであって、腰の強いしっかりした濃い味の酒や、甘口や旨口の酒も同様にあって当然なのである。
確かに一時期の殆どの日本酒は、ベチャベチャと変に甘ったるくて胸が悪くなるようなシロモノだった。そして紙パック入りで安く売られているような日本酒は、今でもそうだ。
だがだからと言って、「淡麗辛口=良い酒」と思い込んでしまうのは早計に過ぎる。酒の味とはもっと多様で、良い酒の中には濃醇で飲みごたえのある酒も、辛さと甘さがうまく絡み合った旨口と言われる酒もあるのだ。
そうした腰のあり複雑で深い味わいの旨い酒を知ると、水のようにサラサラとした『淡麗辛口』な酒ばかりでは物足りなくなってくる。
しかし戦中から長らく造られてきた例のクソ不味い三増酒(アルコール・糖類・酸味料添加)のせいで、「濃醇で旨口や甘口の酒はダメで、水のようにサラリとした薄味でやや辛口の酒こそ、サッパリしてキレのいい良い酒なのだ」という印象が広がってしまったのである。
だから日本酒に限らずビールでもウイスキーでも、『淡麗辛口』を謳うものが異様に増えてしまった。
しかしこの『淡麗辛口』というのが、なかなかクセモノなのである。
「本来の酒に工業アルコールを混ぜて水増しすれば、水っぽくかつ辛口の酒になる」というのは、前に語った通りだ。
例の『三増酒』は、欲をかいてアルコールと水で嵩増しし過ぎたのだ。だから味もなくただ辛いだけの甲種焼酎もどきになってしまい、日本酒らしさを装う為に糖類と酸味料も大量に入れねばならなかった。
そしてその結果、若い世代にそっぽを向かれて日本酒離れを起こす原因になった、ベッチャリとして変に甘く厭な味のする不味い酒になってしまったのだ。
では、あまり欲をかかずに“醸造アルコール”という名の工業アルコールを程々に入れて、程々の水で程々に嵩増ししたらどうなるか。アラ不思議、コレが例の『淡麗辛口』っぽい、水のようにサラリとしているが旨みは無いわけでもない辛口の酒になったのである。
そう、コレがいわゆる『本醸造酒』というヤツなのである。本醸造でない『普通酒』で、糖類や酸味料を添加していないものもこれと同類だ。
だが三増酒ほどではないにしろ工業アルコールと水で嵩増ししているわけだから、米と米麹だけで造られている純米酒に比べて、本醸造酒は旨みの薄い辛口の酒になる。
工業アルコールを添加すれば、そのアルコールの刺激で味は辛口に傾くし、アルコールを足した分だけ加水しているから、本来の味も薄めになるのだ。
そしてそれを、メーカーは「淡麗辛口」と自称しているわけだ。
工業アルコールを添加した酒と純米酒では、そもそも同じ量の酒に使われている原料米の量が違うわけだから。
本醸造酒だけでなく吟醸酒や大吟醸酒も含め、アルコールと水で嵩増しされた酒(通称アル添酒)に比べて純米酒は濃醇で、辛さの他に甘みや酸味など微妙な味が絡み合った複雑な味になる。
これを旨口と言う。
この旨口の純米酒を飲むと、アルコールと水で嵩増しされ味の薄められた酒を『淡麗辛口』とありがたがって飲むのが馬鹿らしくなってくる。
日本酒とは本来、米と米麹だけで造るものである。だから黒沢は日本酒は純米酒しか認めないし、わざわざ工業アルコールを添加して嵩増しされた酒は、日本酒と呼ぶに値しない“偽酒”と言い切りたい。
だが純米酒より原料米を減らして安く造られたこのアル添酒を、「さすが淡麗辛口、サッパリして飲みやすくて美味しい!」と喜ぶ人達が居るのだから呆れたものである。
ビールで『ドライ』や『淡麗』を名乗る商品が増えているのも、同様に嘆かわしい風潮だ。
今でこそ発泡酒や第三のビールに押され気味だが、一時期はアサヒの“スーパードライ”の人気がビール業界を席巻していた。
だが黒沢は、「スーバードライほど不味い、粗悪なビールはない!」と思っている。と言うより、黒沢はスーパードライを“ビール”と呼ぶのさえ厭なくらいだ。
そもそもビールとは、麦芽とホップで造るものなのだ。米だのコーンだのスターチだのといった“副原料”など必要ある筈もないのだ。
副原料を使う理由に、メーカーは「軽快でサッパリした味に仕上げる為」と言うが、それは嘘っぱちだ。麦芽を減らし副原料を使えば、ビール本来の味がただ薄まるだけだ。
では何故メーカーは、副原料を使うのか。
コーンや屑米の粉といった副原料の方が、麦芽よりも明らかに安いからだ。だから副原料を使ったビールは、麦芽とホップのみのビールより安いのだ。
で、主原料であるべき麦芽の使用率をギリギリまで減らし、さらに発酵速度の速い酵母菌を使って意図的に炭酸の含有率を高め、その炭酸の刺激をウリにした薄味の粗悪ビールがある。
それがアサヒの、例のスーバードライだ。
ところがこのビールの名にも値しない粗悪酒が、日本では大いにウケた。
何故なら日本はビールの本場である欧州より、遙かに蒸し暑いからだ。
今、日本ではハイボールが大人気だ。しかし欧米ではハイボールなどまず飲まれないし、黒沢もせっかくのウイスキーを氷で冷やし込んだ上に更に炭酸で割って飲むなど、邪道もいいところだと思っている。
こんな話がある。あるバーでお客が、バーテンにこう頼んだ。
「美味いハイボールを飲みたいのだが」
するとバーテンは、こう答えたという。
「思い切りジョギングして、汗をかいて喉をカラカラにしてもう一度来て下さい」
おわかりになるだろうか。ハイボールとはそのウイスキー本来の味と香りをじっくり楽しむものではなく、喉ごしでガブガブ、ゴクゴク飲む炭酸飲料なのだ。
日本での主なビールの飲まれ方も、ほぼそれと同じだろう。暑い夏や汗をかいて働いた仕事帰り、それに風呂上がりなどに、喉を潤す為にガブガブ、ゴクゴク飲まれている。
その為にまず大切なのは“喉ごし”で、味などどうでも良いと言うより、むしろ濃いしっかりした味は邪魔になるのだ。
だから麦芽をケチって副原料ばかりにした、薄味で炭酸の刺激だけのスーパードライが、日本では大いにウケた。その味の薄さと“ドライ”と称する炭酸の刺激が「サッパリしてキレが良く、美味しい」と。
……ビールは、これで良いのだろうか。
最も大切な主原料の麦芽をギリギリまで減らして薄味にしたものを、ただ喉の渇きを癒す為に、炭酸の刺激で喉ごしだけでガブガブ飲む。
日本のビールは、本当にこれで良いのだろうか。
わかる人は、ちゃんとわかっている。
ビールに詳しい飲食業界の人によれば、「スーパードライは二杯めまでは旨いが、三杯めから不味くなる。ヱビスは落ち着いてから飲むビール」ということである。
……つまり喉の渇きが癒えて汗も引いてしまえば、スーパードライはただ不味い酒でしかない、ということだ。
世の中が不景気になりより安いものが求められるようになって、ビール業界でも“発泡酒”なるまがい物が造られるようになった。
そしてこの発泡酒、かなり売れた。
暑い時や風呂上がりにキンキンに冷やして、味など関係なく喉ごしでガブガブ飲むならば、何もビールでなくとも安い発泡酒で充分、ということだ。
ところがビール業界の各社で競って発泡酒を出した時、アサヒだけはそれに出遅れた。
理由は簡単である。
「スーパードライと、味がカブるから」
つまりビールと名乗ってはいたものの、スーパードライの中身は発泡酒も同然だったのだ。
発泡酒どころか、今や新ジャンルだか第三のビールだというものまで出ているが、それらも含めたビール類には『淡麗』や『ドライ』や『クリア』を謳ったものが少なくない。
麦芽を減らして副原料と炭酸で仕上げた、喉ごしだけの『淡麗』や『ドライ』や『クリア』ばかりが売れているのを見ると、黒沢は情けなくなる。
情けないと言えば、『淡麗辛口』は日本のウイスキー業界をも侵食している。
ウイスキーとは本来、その芳醇な香りを楽しみながら、ちびちび飲むものである。ウイスキーのアルコール度の高さ、それに強い芳香と味は、ビールやワイン、それに日本酒などと違って、食中酒として適するとは言い難い。
例えば映画でも、ウイスキーというとバーのカウンターなどで、小さなショットグラスを静かに傾けているシーンがよく見られるのではないか。ステーキなどをガツガツ食らいながら大きなグラスでウイスキーをグビグビ飲んでいるシーンなど、絵としてもまずあり得ない。
だからこそのハイボールなのだ。
ウイスキーを少しでも多く売りたい国産大手メーカーが、ウイスキーもまた食中酒としてビールのようにガブガブ、ゴクゴク飲んで貰う為にCMで強く押し進めたのが、欧米ではあり得ない薄い水割りとハイボールなのだ。
だからサントリーは、せっかくのウイスキーを水や炭酸で薄く割って、食事をしながらガブガブ飲むことを勧める。
二本箸作戦、と言ったかな。サントリーの和食を食べながらその薄く割ったウイスキーを飲ませようという宣伝(洗脳?)工作は。
だがウイスキーを食中酒として飲むには、ただ薄く割るだけでは駄目だ。良いウイスキーの強い芳香と個性ある味は、食事の味とぶつかり合ってしまう。
それで「ウイスキーも香りと味を抑えて“淡麗辛口”に」というわけだ。
ウイスキーを淡麗辛口wwwに仕立てるのは、実はものすごく簡単だ。
まずまだろくに香りのない若い原酒を使い、そして工場で出来たばかりのグレンアルコールをブレンドする。そうすればウイスキー風味の甲種焼酎のような、食事の味の邪魔をしない薄味で辛口の、「淡麗辛口のウイスキー」が出来上がるというわけだ。
工業アルコールや若いアルコールを使えば、その刺激で辛口に仕上がるのは、日本酒についてのところで話した通りである。
そしてサントリーは、若いグレンアルコールに原酒でちょびっとウイスキーらしい風味を付けただけの、薄く割りでもしなければとても飲めない不味い“ウイスキーもどき”を、巧みな宣伝で大量に売り捌いている。
アルコール添加と嵩増しで仕立てた、自称「淡麗辛口」の日本酒にしろ。
主原料であるべき麦芽をケチって安い副原料ばかりで造った、炭酸の喉ごしだけの「ドライ」だの「クリア」だの「淡麗」だのと名乗るビール類にしろ。
本来の芳醇な香りも味わいも無い、若い原酒とグレンアルコールで即製した「淡麗辛口」系のウイスキーもどきにしろ。
最も悪いのは、もちろんそのような粗悪酒を売るメーカーだと思うが。
しかしマズいまがい物をそれと気付かず、宣伝やブームに乗せられてありがたがって飲んでいる消費者もまた、その無知を自戒せねばならないと黒沢は考える。


