空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

「政府は国民を騙すもの」と知るべきだ

 あの愚かで避けるべきであった先の大戦が終わった時、多くの大人たちは「騙された」と言った。
 それに対し、映画監督の伊丹十三氏は「騙されたと言って平気でいる人は、また騙されるだろう」と言った。
 また、終戦後に「国民を騙さない政府を作ろう」と口々に言った大人たちを、当時まだ少年であった数学者の森毅氏はシビアな目でこう眺めた。
「アホ言うな、と思いましたよ。政府は騙すもんよ。騙さへん政府なんか不可能よ。騙すもんやと思って、騙されへんように考える方が大事でしょ。国民はねえ、騙されへん用意をせなあかん

 政府は騙すもの。
 全くその通りである。
 例えばオリンピックを招致した際に、安倍首相が世界に公言したあの台詞、「福島原発は完全にアンダーコントロール云々」というアレが全く嘘であることは、殆どの日本人がわかっているだろう。
 あのように白々しい嘘を平気でつけるのが、政府と政治家というものである。
 明白な侵略戦争を「自衛の戦争」や「民族解放の為の戦い」と称したりするのもまた、政府の常套手段なのである。

 にもかかわらずその事を全く理解出来ずに、日本が起こした先の戦争を、当時の大日本帝国の軍事政権のプロパガンダそのままに、「自衛の戦争」だの、「アジアを白人支配から解放する為の戦い」だのと正気で公言している人達が、一部のネトウヨどころか、学者やジャーナリストの中にすら増えている。
 雑誌では右翼系のオピニオン誌ばかりが勢いを増し、新聞やテレビ局の中にすら報道の精神を自ら捨て去り、安倍政権の広報同然の存在に成り下がっているものが幾つもある始末だ。
 森毅氏の言う「政府に騙されない用意」をするどころか、自ら進んで政府に騙されたい人々が増えつつある今の日本の現実に、筆者は絶望に近い気持ちを抱いている。

 安倍首相と言えば、例の「福島原発は完全にアンダーコントロール云々」に匹敵する嘘をついて今も国民を騙している。
「アメリカ様について行き、その戦争に協力いたしましょう」というあの安全保障関連法を、「平和安全法制」と称しているアレである。

 政府は「平和の為にアメリカとより密接な関係を結ぶのだ」と言う。
 そしてそれを素直に信じて安全保障関連法に賛成している国民が、少なからず存在するのが現実だ。
 安全保障関連法に賛成する人達は、決まって中国の脅威を口にする。
 で、「中国から守って貰う為には、日本もアメリカの戦争にも協力しないと」と。

 そう考える人達は、日米安保条約というものをまるでわかっていないのだ。そして「日本はアメリカのお情けで、一方的に守っていただいている」と誤解している。
 そしてその挙げ句に、アメリカに見捨てられたくない恐怖感から、「もっと尽くしますから、どうか捨てないでクダサイ!」と袖に縋って哀訴している。
 その情けない姿こそが、政府の言う平和安全法制の実態なのだ。

 中国の脅威を口にして安保関連法に賛成する人達は、安倍首相が敬愛するお祖父サマの岸信介氏が首相在任時に改定した日米安保条約で、「日本施政権下の領域におけるいずれか一方への武力攻撃に対しては共通に対処・行動する」と定められている事実をご存知だろうか。
 もし日本が攻められたらアメリカも共通に対処・行動すると、ちゃんと決められているのだ。
 そしてアメリカの現政権は、尖閣諸島も日本の施政権日にあると明言している。
 だから何もわざわざ新たに安保関連法などを成立させ、自衛隊を差し出してアメリカの戦争に協力する約束などしなくても、もし中国が尖閣諸島などに武力で攻め込んだら、共に対処し行動する約束になっているのだ。

 日本やアメリカには“安保タダ乗り論”を口にする者たちがいる。彼らは日本が、まるでアメリカにタダで守ってもらっているように思っている。
 例の安保関連法も、そうした発想から出たものであろう。「日本がいざという時にアメリカ様に守っていただく為には、日本もアメリカ様の戦争に協力して戦っておかないと」とね。
 だがちょっと待ってほしい、日本は決してアメリカにタダで守っていただいているわけではなく、日米安保条約の為に日本が今現在もどれだけの対価を払っているか、皆さんはご存知だろうか。

 まず日本は、米軍基地の提供費(借地代)を出している。それだけでなく“思いやり予算”というやつで、今では光熱費や水道料や基地従業員の手当などの駐留経費まで、日本が国民の税金から支払っているのだ。
 その金額は、今年度で基地用地の借地料が1826億円、そして例の思いやり予算なるものが1899億円で、合わせて3725億円になる
 こうした駐留米軍の経費の負担割合は、他国と比べても日本は飛び抜けて高いのだ。
 ドイツは32.6%で韓国は40%であるのに対し、日本は74.5%にも達しているという。
 金額で言うと米軍一人につきドイツや韓国は約2万ドル負担しているのに対し、日本は何と10万ドルも出している
 駐留米軍の光熱費や水道料、さらには基地内の娯楽施設で働く従業員の給料まで国民の税金から支払っている国は、日本以外には殆ど無いという。
 そこまでして駐留経費の約四分の三も日本が負担しているのに、「タダで守っていただいている、だから日本もアメリカの為に戦わねば」と本気で思う日本人は、それこそ“自虐”が過ぎるというものだ。

 で、日本がそれだけの経費を払ってまで駐留していただいている米軍だが、彼らは果たして日本を守る為だけに居て下さっているのだろうか。
 例えば沖縄の基地がかつてベトナム戦争の遂行に役立った事は、筆者より年輩の全共闘世代の方々ならよくご存知だろう。
 日本の米軍基地はただ日本を守る為だけでなく、アメリカの為にも役立って来たのだ。
 アメリカが太平洋で制海権と制空権を維持出来ているのも、横須賀基地などに原子力空母を持つ米第7艦隊が駐留出来ているからだ。

 ついでに現在沖縄に駐留しているアメリカの海兵隊について言えば、その大半が補給や医療などの後方支援部隊で、戦闘部隊は2千人程度に過ぎないのだ。
 その装備も装甲車が21両に大砲が6門で、戦車は1両も無いのだそうである。
 話題の普天間飛行場に配備されているのも、オスプレイ24機にヘリコプター10機で、戦争などとても出来る戦力ではなく、中国を抑止する力にもなっていないという。
 つまり沖縄の米軍基地は、日本を守る為でなく「北東アジアの有事に在留米国人を救出する為」にあるという事だ。
 そしてその米軍の駐留費の四分の三を、我が国は国民の税金から支払っているのである。

 以上の事柄でもわかる通り、日本はタダでアメリカ様に守っていただいているわけでは無いのだ。
 もし日本から米軍が撤収して米軍基地が無くなれば、確かに日本も不安だ。しかし同時にアメリカも少なくとも西太平洋の制海権と制空権を中国に奪われ、同時に北東アジアの有事に在留米国人を救出する基地も失う事になる。
 多額の駐留経費を負担して米軍の世界戦略を助けているにもかかわらず、「まだアメリカへの貢献が足りない、いざという時に見捨てられると恐いからアメリカの戦争に自衛隊も差し出そう」と安保関連法に賛成した人達の頭の中身が、筆者にはまるで理解できない。

 それに自衛隊を差し出しアメリカの戦争の為に自衛隊員の命も危険にさらせば「アメリカがもっと確実に日本を守ってくれる」という保証が、今回の安保関連法案のどこにあるのだろうか
 安保関連法案は、言ってみれば「もっとアメリカ様に尽くします」という日本の一方的な期待だけで、アメリカから「では我が国はもっと日本を積極的に守りますよ、もし日中間で武力紛争が起きたら必ず日本の味方をしますよ」という確約を取ったわけでは無いのだ。「中国の脅威から日本を守る為に、安保関連法が必要なのだ」と言い立てる人達には、そこを誤解してもらっては困る。
 何の見返りの確約も無いまま「自衛隊をアメリカの戦争に差し出します」というこの安保関連法案は、どこからどう見てもアメリカにだけ都合の良い法律に過ぎない。

 この安保関連法を、恋愛に例えてみれば。
「彼に捨てられるかも知れない」と不安な女子が、より強く彼氏に縋って「捨てられないように、もっと彼に尽くそう」と頑張ろうとしているのと同じだ。
 そして「これだけ尽くせば、まさか浮気して捨てたりしないよね」と、勝手に期待しているようなものでしか無い。
 筆者の見るところ、アメリカにとって日本政府と安倍政権の態度は恋愛における“都合の良い女”も同然だ。

 この自衛隊を海外にも出す安保関連法案で「日本がより平和になる」と主張するならば。
 アメリカから「我が国ももっと日本を積極的に守ります、もし日中間で武力紛争が起きたら必ず日本の味方をします」という約束をしっかり取ってから、そう言ってもらいたいものだ。
 その確約も無しに、「日本がもっと尽くせば、アメリカも気持ちに応えてくれる筈」というのは、日本の一方的で勝手な期待に過ぎないのだ。
 そしてそれに気付かずに、「これで中国の脅威に対抗できる」と思っている何割かの国民の人の良さと言うか愚かさには呆れかえる。
 国際政治は義理人情ではなく、国益で動くものなのだ。
「日本がアメリカに尽くせば、アメリカも日本に尽くしてくれる」などという、甘いものではないよ。

 現在、アメリカの国際を最も多く買っている国がどこか、ご存知だろうか。
 ズバリそれは中国だ。
 言ってみれば中国は、アメリカにとって最大の債権者なのだ。
 債務者が最大の債権者と、正面切って喧嘩をしたがると貴方は思っているだろうか。
 アメリカは本音では、中国と揉めたくないのだ。
 しかも中国は、アメリカの経済にも深く食い込んでいる。
「出来るだけ、中国とは戦争したくない」というのが、アメリカの本音なのだ。

 毎日新聞の記者に、あるアメリカの高官がオフレコで「今は米日関係より、米中関係の方が大事だ」と漏らしたという。
 国益の為にアメリカが日本を犠牲にしない、という保証はどこにも無い
 だからこそ片想いのように日米関係に縋って、日本ばかりアメリカに尽くすのは危険なのだ。
 もし中国なり北朝鮮なりが日本の施政権内に武力で侵略して来たら、当然自衛隊は迎え撃つし、以前からの日米安保条約によりアメリカ軍にも共同で対処・行動して貰う。
 有事の際にはそれで良いではないか。

 安保タダ乗り論などとんでもない、日本は米軍に多額の駐留費を提供しているし、米軍は日本の基地をアメリカの世界戦略に利用している。わざわざ安保関連法案など成立させずとも、いざという時に一緒に戦ってもらうのに、何の遠慮も要らない筈だ。
 もし日本が中国などに攻められてもアメリカが戦ってくれないと言うのであれば、そんな居るだけ無駄で金食い虫の駐留アメリカ軍には、日本の基地を返してさっさとアメリカに帰っていただくべきだ。

 基地と金だけでなく、さらに自衛隊員の命まで差し出して海外で戦えるようにしようというこの法律を平和安全法制と呼ぶなど、それこそ売国の嘘つき政府だと筆者は思う。
 そしてそれに気付かずに、「中国の脅威がある以上、アメリカに守って貰うには仕方ない」と思い、安保関連法に賛成して「これで少し平和になった」と安心している国民たちには、伊丹十三氏や森毅氏の言葉をもう一度思い出していただきたい。

「政府は騙すもんよ。騙さへん政府なんか不可能よ。騙すもんやと思って、騙されへんように考える方が大事でしょ。国民はねえ、騙されへん用意をせなあかん」
「騙されたと言って平気でいる人は、また騙されるだろう」


 自衛隊を海外で戦えるようにしたあの法律が“平和安全法制”だって?
 それを信じて賛成した貴方は、間違いなく安倍首相と政府に騙されてるよ。

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赤い薔薇

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 これ、ミニバラなんです。
 けど接写して撮ると、普通の薔薇と殆ど区別がつきませんね。

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ヒメヒオウギ

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 ヒメヒオウギの花と言うと赤が多いですが、個人的にはこの白の方が絶対に綺麗だと思っています。
 けど我が家の庭に咲くヒメヒオウギは殆ど赤で、白はいつも一割以下しか咲いてくれません。

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青い服は着られるけれど…

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 青空も好きですが、花も青が好きです。
「オマエはいつも、ピンクの花が好きと言ってたじゃねえか」と突っ込まれるでしょうが、青もピンクもどちらも同じくらい好きなのです。
 だから着る服も、ブルー系を選ぶ子とが多いです。
 ピンクの服は……それは流石に、着る勇気がなかなか持てませんね。

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かなり小さな花です

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 ピンク系の色が好きなので、ついこうした色の花に目が行ってしまいます。

 関係ないですが、今宵は満月らしいです。
 先月のスーパームーンほどは大きくないものの、それでも普段より大きな月が見られるそうなので、先月のスーパームーンを見逃した方は、ぜひ夜空を見上げてみて下さい。
 さて、貴方のお住まいの所から、今夜月が見られるでしょうか?

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これがコンデジの限界

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 面倒でデジイチを使わずに、手近にあったコンデジで撮りました。
 コンデジでの接写って、主要な被写体はとりあえず普通に写りますが、背景のボケ方がやはりかなり汚いですね。
 横着はせずに、マクロレンズを付けたデジイチを使うべきだと思いました。
 そうそう、デジイチを使っても、マクロレンズでなくキットのズームレンズなどで近寄って撮ると、やはり背景のボケが綺麗じゃないです。

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ウイスキーを使わないハイボールを飲んでみた(タカラ焼酎ハイボール・ドライ)

 筆者は「ウイスキーは大好きだが、ハイボールは好まない」という、ハイボールが人気で「ウイスキーと言えばハイボールにするのが当然」というムードさえある現在の日本では、かなり少数派の人間だが。
 しかしここのところ、筆者は当ブログでハイボールとハイボール缶の事ばかり書いている。
 そしてそれには、ちょっとしたわけがある。

 誰の言葉かは失念したが、こんな名言がある。
ある意見を抱いたら、同時に正反対の考えも思いつかない者は知的とは言えない
 例の安保関連法案についても、貴方自身が反対でも賛成でも良い。
 しかしただ賛成あるいは反対と叫んで、「反対するのは中韓に媚びる売国のサヨクだ!」とか、「賛成するのは戦前に戻したい右翼の軍国主義者だ!」とか一方的に決めつけるのではなく、「なぜ反対(賛成)するのだろうか」という事もきちんと考えてみない者は知的とは言えないという事だ。

 白状するが、筆者は以前はかなりのミリオタだった。
 と言っても銃剣突撃がお得意で、バンザイ突撃やら自爆攻撃やら神風特別攻撃やらを兵士らに強要した大日本帝国軍には、同じ日本人として申し訳ないが、何のシンパシーも感じない。
 で、少年の頃の筆者が夢中になったのは、事もあろうにあのナチスドイツ軍だったのである。

 ドイツ軍は凄いぞ、ティーガー重戦車だの、ジェット戦闘機だの、無敵の新兵器を開発して。迷彩服やアサルトライフルや対戦車ロケット砲などの、現代では当たり前になっている装備を開発して最初に採用したのも、あのナチスドイツ軍だ。
 そして指揮する将軍たちにも名将が多く、巧みな戦術で、少数の部隊で数に勝る敵を撃ち破った事も少なくない。

 で、最初はそのドイツ軍をただ「すごいなー!」と憧れの目で見るだけだった。
 だがそのうち、ただ「ドイツ軍、かっこいい!」だけでなく、「ナチスとは何で、ヒトラーとは何者なのか?」という事もじっくり考えるようになり、さらに「ナチスとヒトラーが目の敵にしたユダヤ人とロシア人とは、どんな人達なのだろう?」という事も、深く考えるようになった。

 それで今では、「前線で戦ったドイツ軍は兵士としては勇敢で有能だが、ヒトラーは悪だしナチズムは絶対に否定すべき」と思うに到った。
 そしてユダヤ人とロシア人についても、「良い人や素晴らしい人が大勢いる」とわかるようになった。

 誤解しないで貰いたいが、筆者は強権的なソビエト政府やロシアの現政権や、パレスチナ人を酷い目に遭わせているイスラエル政府は嫌いである。
 しかしロシア人とユダヤ人の多くには好感を持っていて、「良い人が大勢いる」と思っている。

 戦車のプラモデルや戦争映画などの影響で、少年の頃にドイツ軍マニアのミリオタになってしまった筆者であるが。
 しかしその課程でいろいろ調べて深く考えてゆくうちに、やがてヒトラーとナチスは大嫌いになり、ユダヤ人やロシア人に親近感を抱くようになってしまった。

「なぜドイツとナチスはユダヤ人とロシア(ソ連)を敵視したのだろう? ユダヤ人やロシア人とは、どんな人なんだろう? そしてナチズムとは何なんだろう?」
 ただ「ドイツ軍、カッコいい!」で終わらせるのではなくて。
 このように「なぜ?」と「どうして?」という疑問を突っ込んで考えて行くと、子供の戦車のプラモ作りからナチズムやユダヤ人問題やロシア人についての考察にまで、思考が広がる事もあるのだ。

 だから筆者は、近年の日本でのハイボールの流行についても、ただ「俺はハイボールは嫌いだ!」で終わらせたくはなかった。
 筆者がハイボールを嫌いなのは間違いのない事実だが、多くの日本人がハイボールを好んでいるのもまた事実である。
 それを「好き嫌いは個人の問題で、他人がとやかく言うものではない」と切り捨ててしまったら、知識や体験が広がらないし、ハイボールを好きな人と嫌いな人の間で相互の理解が広がらないではないか。

 筆者はハイボールは好まない。
 しかし「好きだ」という人達の意見や味覚も知りたいと思う。
 だから「ああ、やっぱり好きになれないや」とか文句を言いながら、またハイボールを飲んでみるのである。
 で、今回はタカラ焼酎ハイボール・ドライを飲んでみた。

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 ウイスキーはいつもトワイスアップやストレートなどで、その濃い味と香りを楽しみながらチビチビ飲んでいる筆者にとって、何倍にも薄めハイボールにしてゴクゴク飲んでいる人達は、「本当はウイスキーをあまり好きではないのでは?」というように思えてならなかった。
 実際、ハイボールにしてみると、例え1:3程度のやや濃いめで割っても、香りは殆ど飛んで無くなってしまうし、味もかなり薄まってしまって、あの豊かで濃く複雑な香りと味が台無しになってしまっているように思えるのだ。
 ただ、アルコール度数だけでなく味や香りのキツさも薄まって、かなり飲みやすくなっているのも事実ではある。

 それでウイスキーは濃いのが好きな筆者は考えたわけだ、「ウイスキーと言うとハイボールしか飲まない人達は、本当はウイスキーをあまり好きではないのでは?」と。
 筆者にとっては、アルコール度数9%のサントリーの角ハイボール缶〈濃いめ〉でも、かなり「薄め」に感じたが。
 しかし同じサントリーの、度数6%でしかもスピリッツも加えられているジムビームシトラスハイボール缶でも、ウイスキーの味は確かに感じられた。
 それで筆者は考えたのだ、「炭酸で何倍にも薄めなきゃウイスキーを美味しく飲めないのなら、いっそウイスキーなど使わず焼酎でハイボールにした方が、より“すっきりアルコール”として楽しめるのではないか?」と。
 で、あえて一滴のウイスキーも入っておらず、果汁の味も付いていないタカラ焼酎ハイボール・ドライを飲んでみた。

 感想デスか。
 まさに「ウイスキー入りのハイボールから、ウイスキーだけを抜いた感じ」デシタ。
 下手に薄~くウイスキー味の付いているハイボールより、間違いなくスッキリしていて飲みやすいように感じた。
 だから「ウイスキーはロックやストレートでも、ハイボールでも飲む」というのではなく、「ウイスキーはハイボールか薄めの水割りでしか飲まない」という方は、いっそウイスキーの入らない焼酎ハイボールの方がスッキリ美味しく飲めるのではないかと思う。

 しかしこのタカラ焼酎ハイボール・ドライは、ドライとは言うものの、焼酎をただ炭酸で割っただけでなく、糖類と酸味料もしっかり加えられているからね。飲み口こそウイスキー入りのハイボールよりスッキリしているものの、口の中に甘さが何となく残り、後口はビールよりサッパリしない感じだ。
 甘いものはおかずにしたくないし、甘いものを飲みながら食事もしなくない筆者としては、「食中酒には、タカラのこの焼酎ハイボール・ドライよりビールの方が良いのでは?」と言いたくなる。
 けど「甘いのも厭だけれど、ビールの苦さも厭だ」となると、やはり酎ハイでなくウイスキーを使ったハイボールが良い……という事になるのかなぁ。

 とは言うものの、ウイスキーを使ったハイボール缶にも、糖類や酸味料を使ったものが多いからね。そうしたハイボール缶は、飲むと何とも言えない甘さが口の中に残るよ。
 となると、「ゴクゴク飲める炭酸系のすっきりアルコールが欲しいけれど、甘いのも苦いのも厭だ」という人達は、手頃な値段のウイスキーと炭酸水を買って来て自分で作るか、角ハイボール缶〈濃いめ〉を飲むしか無いかな。
 同じサントリーの角ハイボール缶でも、普通のはレモンスピリッツだの酸味料だの食物繊維だのいろいろ入っているし、トリスのハイボール缶は通常のものだけでなく〈濃いめ〉の方でも、糖類と酸味料に加えて香料まで入っているのでご注意を。
 角ハイボール缶〈濃いめ〉は、ウイスキーと炭酸水だけで作られている、数少ないハイボール缶デス。

 そうそう、筆者はウイスキーなどいろいろなお酒のことを、独断であれこれエラソーに書き連ねているせいで、このブログを目にした一部の方から、アル中の廃人のように思われているようだが。
 以前にもこのブログで書いたが、実は筆者はアルコールにかなり弱い体質なのだ。
 実際、日本酒を飲めばただ盃に一杯飲んだだけでも、顔がしっかり赤くなってしまうくらいだ。そして少しでも飲み過ぎると、すぐに頭が痛くなってしまう。
 だから「酔う為に飲む」など、筆者にはとても考えられない事である。
 筆者にはマゾの性癖は全く無いから、酷い頭痛と吐き気に苦しんでもなお過度の飲酒が止められない人の気持ちが、本当に全くわからない。
 良い酒を、ほんのちょっとだけ、ゆっくり味わって飲むのが、筆者の流儀である。

 だから酒のことをあれこれエラソーに語っている割に量は飲んでいないし、酒にお金もかけていない。
 何しろ筆者の場合、700mlの普通のウイスキーを一瓶飲み切るのに半月近くかけているのだ。そこそこ良いウイスキーを飲んでも、財布はさほど痛まない。
 さらに筆者は外で飲み歩くことが少なく、増してや女性がサービスしてくれるようなお店には、無理に誘われでもしなければ絶対に行かない。
 筆者にとって酒は手酌で充分で、「美人にお酌されたお酒は美味しい」という感覚が全くわからないのだ。

 いや、筆者はゲイでは無いし、綺麗な女性は大好きなのだが。
 この際だから言うが、筆者はまだ未婚だが複数の女性とお付き合いをしてきていて、魔法使いになる資格はとうの昔に無くなっている。
 ただ“玄人童貞”なのである。
 風俗関係のお店には本当に全く行った事も無いし、利用したいと思った事も無い。女性とはただ「好きだ!」という気持ちでしか交際した事が無いし、女性をお金で買う男の気が知れないと、心から思っている。
 だからキャバクラとかに行って、札ビラを切ってモテているつもりになっている男の気持ちが、同性ながらまるでわからない。

 風俗店や女性がサービスする飲食店で、「自分がモテているのではなく、お金がモテているのだ」となぜわからないのか、それが不思議だ。
 そして自分自身でなくお金でモテていて何故それが気持ちイイのかも、筆者には理解できない。
 ホリエモン氏を見ればわかるように、お金があれば女性にもモテるだろうが、群がって来るのはどうせカネ目当てのビッチに決まっているではないか。だから筆者は、お金が無くても相手をしてくれるまともな女性こそ選びたい。

 というワケで、元々量も飲めず、綺麗な女性のいるお店にも自分からは決して飲みに行かない筆者は、酒は家で好きなものを自分のペースで少しずつ飲む事が殆どだ。
 お金もあまりかからないし、飲んでもほろ酔い程度になれば充分に楽める。
 と言うか、二日酔いに苦しみ、それだけでなく酒の上での失敗を重ね周囲の人々にも迷惑をかけても大量飲酒が止められない人の気持ちが、筆者には全くわからない。
 だから飲んでは周囲の人にからみ、イッキ飲みなどを強いるアルハラ人間には、ただ「死んでしまえ!」としか言えない。

 しかし今の日本には、まだ皆で酒を飲む事で仲間意識を持ち、飲めない者は仲間外れにする空気が確実にある。
 少しの酒で酔ってしまう筆者などは、大学のコンパや職場での飲み会で、本当に厭な思いをしてきたよ。「先輩の酒は飲むものだ!」とか、「潰れるまで飲まなきゃ駄目だ」とか、あるいは「酒に弱い者などいない、吐いてまた飲んで強くなるものだ!」と固く信じているバカが、特に強い立場の年長者の中に確実に居るからね。
 だから酒に弱い体質の者は、日本では間違いなく損だと、筆者自身そうした酒に弱い者の一人として痛感しながら生きてきた。

 だが酒に酔いやすい事にも、メリットが無いわけでもない。
 まず、ちょっとの酒で心地良く酔える為、酒代が安くつく事である。
 そしてその分、良いお酒を買う事ができる。
 ペットボトルや紙パック入りの安酒を浴びるほど飲んで酔い潰れた挙げ句に、二日酔いに苦しむのではなく。
 良いウイスキーや純米酒や本格焼酎や副原料ナシの本物のビールなどをちょっとだけ飲み、ほろ酔い程度の良い気分になって家族との会話や、読書やテレビを楽しんで床に就くのは、とても快適で楽しい。
 酔って醜態を曝すのも、二日酔いで頭痛と吐き気に苦しむのも本当に厭だ。

 綺麗事を言っているのではない。筆者は少しでも飲み過ぎるとまずひどい頭痛がして、それでも更に飲むとどうしようもなく眠くなってしまって、本当に大量飲酒が出来ないのだ。
 そして同じアルコール度数の酒を同じ量を飲んでも、粗悪な安酒だと間違いなく悪酔いする。

 で、話はタカラ焼酎ハイボール・ドライに戻るが、こいつを飲み終わろうという頃にはもう頭痛がし始めた。
 吐き気や眠気にまでは到らなかったが。
 アルコール分7%の缶酎ハイをたった350ml飲んだだけで、軽い頭痛がし始めたのである。
 度数9パーセントの角ハイボール缶〈濃いめ〉を飲もうが、ウイスキーを自分好みの濃さで2杯飲もうが頭痛など全くした事が無かったのに、このタカラ焼酎ハイボールではたった1缶で悪酔いしてしまった。
 ついでに言うが、その晩は別に体調が悪かったわけでもない。
 とすると、悪酔いした原因として考えられるのはアルコールの質、という事になるのではないだろうか。
 それを考えると、「ハイボールを甲類の焼酎でなく、ちゃんと樽熟成したウイスキーで作るのは、勿体ないようでもそれなりに意味のある事かも知れない」と思わされた。

 お酒に強い人だったら、甲類の焼酎で作った酎ハイだろうが、ウイスキーで作ったハイボールだろうが、酔い心地に違いはないだろうけれど。
 アルコールに弱い者の一人として、「ちゃんとウイスキーを使ったハイボールより、酎ハイの方が早く悪酔いする」と断言する。
 特に女の人の場合、果物味の酎ハイをその飲みやすさに騙されてジュースのようにゴクゴク飲むと潰れてしまう可能性があるので、くれぐれもご注意を。

 と言うわけで、筆者はハイボールは好きではないけれど、酎ハイも個人的にはあまりお勧めしたくないかな。
 喉の渇きを潤すのや、食中酒に「苦くないすっきりアルコール」が飲みたい方には、やはりお気に入りのお手頃価格のウイスキーを、好みの濃さで自分で炭酸水で割って飲むことを勧めたいな。
 喉が渇いている時には氷を入れてやや薄めに、食中酒としては氷なしでやや濃いめに……という感じでね。
 けど筆者は、やはりウイスキーは食後に、トワイスアップかストレートで飲みたいデス。

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誤った国策の犠牲になった戦没兵士には“感謝”でなく“反省”の念を捧げるべき

 今月18日の靖国神社の秋季例大祭に、安倍内閣の中から高市早苗総務相岩城光英法相が参拝し、記者団に次のような事を話した。

 まず高市総務相は「一人の日本人として、国策に殉じたみ霊に感謝の気持ちをささげた」と説明し、岩城法相は「国のために戦い、尊い命をささげた英霊に感謝の誠を表した」と言った。

 さらに20日には加藤勝信1億総活躍担当相(1億相)も靖国神社の秋季例大祭に参拝し、「国のために殉じた方に対する感謝の意味も込めて参拝した」と述べ、「自分の国のため尊い命を失った国民に手を合わせることは、どこの国でも全く同じだ」とも言った。

 実は筆者は、先の大戦での日本の戦死者を「国策に殉じた御霊」とか「国の為に戦い尊い命を捧げた英霊」などと美化する事に対して、何とも言いようのない違和感を抱き続けている。
 私は高市総務相や岩城法相や加藤1億相だけでなく、この無限に広がる電脳世界の片隅の埃にも等しい当ブログを閲覧して下さった方すべてにお伺いしたい。

 国策に従いそれに殉じる事は、美しく正しい事なのだろうか?
 国の為と言われれば、戦って尊い命を捧げる事は善なのだろうか?


 先の大戦で日本は数多くの中国人(一千万人を超すと言われる)をはじめとする諸外国の人を殺し、そして日本自身も、民間人も含めて三百万人もの人が命を落とした。
 その戦争を、「自衛の戦争」とか「アジアを白人支配から解放する為の戦い」などと言って正当化する自称“愛国者たち”もいるが、史実をまともな目と頭で見れば、あれが侵略戦争で非は日本にあったのは疑う余地のない事実である。

 実際、誰がどう見ても自民党のタカ派で、自ら「軍国主義者と呼びたければ呼べ」とおっしゃっているあの安倍首相ご自身が、戦後70年談話で「日本が進むべき進路を誤り侵略行為をし、アジア諸国にも苦難の道を歩ませた」と明言している

 また、同じ自民党のタカ派で知られる元首相で、戦時中には海軍主計将校として東南アジアの占領地にも行き、首相在任時には靖国神社を参拝して、東京裁判史観は今でも支持できないと言っている中曽根康弘氏も、毎日新聞の8月10日版に寄稿して先の戦争についてこう書いている。

 1915年の「対華21カ条要求」以降は、中国に対する侵略的要素が非常に強くなり、日本軍による中国国内での事変の拡大は、中国民族の感情を大いに傷つけたと言わざるを得ない。また、大東亜共栄圏の名の下に進出した東南アジアも、住民からすれば土足で上がり込まれたというものに他ならず、まぎれもない侵略行為であった。
(中略)
 先の戦争はやるべからざる戦争であり、避けるべき戦争であったと思う。

 高市総務相が言う「国策」は安倍首相の談話にもあるように間違いなく誤っていて、岩城法相や加藤1億相が「国の為」というあの戦いは、疑う余地もなく日本が始めた侵略戦争だったのだ。
 そしてその為に何千万という外国人と、三百万を越す日本人が犠牲になる事になったのだ。
 その犠牲になった日本人、それも民間人を除いた上にA級戦犯を含めた軍人のみに「感謝の気持ちを捧げる」という、高市総務相や岩城法相や加藤1億相の気持ちや感覚が、少なくとも筆者にはまるで理解出来ないのである。

 この拙文を読んで下さっている貴方にお訊ねしたい。
 国策とあらば、貴方はその是非を問わずに銃を取り命を賭けて戦うべきと思うだろうか?
 たとえ間違った侵略戦争であろうとも、一度戦が始まれば「国の為に」異国に戦いに行き、敵兵を倒して自らもまた命を落とす事は、称えられるべき美しい事と思うだろうか?


 例えば貴方の親なり子供なりが、よその家の誰かと喧嘩をしたとしよう。
 そのような場合、貴方ならどうするだろうか。
 理由も聞かずに、相手の家に殴り込みに行くのが“家族愛”であろうか?
 悪いのは自分の親なり子だとわかっていても、黒を白と言い張ってでも身内の味方をして相手を責めるのが情というものだろうか?

 いや、筆者にはどうしてもそう思えないのだ。
 筆者であれば、熱くならず頭を冷やしてまず家族の言い分を聞き、そして相手の言い分も聞いた上でどちらが悪いかをジャッジする。
 そして家族の言い分に理があると思えば家族に味方をするし、家族に非があると思えば一緒に相手に謝るようにする。
 冷たい、と思う方が少なからずいるだろう事もよくわかっている。
 だが筆者は、たとえ身内の事でも黒を白と強弁して無理押しに正当化するような真似はしたくないのだ。家族が余所の人に何か悪い事をしたら、庇うのではなく諭して一緒に謝らせる。それが筆者の“正義”と“通すべき筋”なのだ。
 だから筆者は、同胞である日本人のした事とは言え、あの戦争を正当化し、戦死者を過度に美化する気にはなれないのだ。

 無論、悪いのは当時の日本の指導者であって、赤紙一枚で嫌も応も無く戦場に駆り出された兵士達には何の非も無い。
 しかし外国人、中国や東南アジアなどの人達から見れば、彼らは間違いなく侵略者であったのだ。
 非は国策を誤った当時の日本の指導者達にあるのだが、日本兵が「国を守る為に戦った」と言い切るのには、少なくとも筆者には違和感がある。
 そして今の靖国神社には、「国策を誤ったA級戦犯達」と「その彼らに地獄のような戦場に駆り出されて命を落とす事になった兵士達」が、同じ“英霊”として祀られている
 この現実に何の疑問も矛盾も感じる事なく靖国神社に参拝できる人がいるとすれば、それは日本を戦前のような国にしたい極右政治家か、日本の非は絶対に認めない、日本の非を認める者は反日の売国奴である!」と決め付ける、残念な知的水準しか持ち得ない自称“愛国者”のネトウヨのみであろう。
 あの戦争を「自衛の戦争」だの「アジアを白人支配から解放する戦争」だのと言い張って美化したがる輩の言い分は、周囲の皆が認めるイジメっ子で問題児の我が子を庇って、「ウチの子は絶対悪くない、悪いのは相手と学校だ!」と逆ギレするモンスター・ペアレントのとる言動と全く同じである。

 再び問う。
 国策とあらば、その是非を問わずに従って戦いに行き、そして命を落とす事は美しく正しい事なのか?
 その国策が誤っていた場合でも、国民は「国の為」と信じて従うべきなのか?
 その誤った国策に従い(主に)異国の戦場で倒れた者は“英霊”として祀られるが、誤った国策に反対して特高警察や憲兵に捕らえられて拷問死させられた者は“非国民”のままだが、これで正しいのか?
 同じ誤った国策のせいで命を落としても、軍人は“英霊”として祀られて遺族には年金も出されているが、民間人の死者は国に顧みられず放置されたままだが、これに問題はないのか?


 高市総務相や岩城法相や加藤1億相は、誤った国策による、やるべからざる避けるべき戦争で命を落とした兵士らと、それを引き起こしたA級戦犯に「感謝の気持ちを捧げた」と言うが。
 戦場で命を落とした兵士らには、少なくとも国の閣僚としては「感謝」するのでなく、「国策を誤った為に死なせて申し訳なかった、過ちは二度と繰り返しませんから」と謝罪すべきではないのか。
 そしてA級戦犯は一刻も早く靖国神社から分祀し、国家の誤った政策の犠牲になった兵士らの霊を、天皇陛下が正常に参拝して慰められるようにすべきであると筆者は考える。

 しかし高市総務相を留任させて重く用いる安倍総理は、刑死したA級戦犯を“昭和殉難者”と呼んで美化し、「今の日本の繁栄は、彼らの礎の上に築かれた」とまで称えている
 何しろ敬愛するお祖父さまがA級戦犯の容疑者の一人であった為に、安倍総理はA級戦犯の非は認めずに、どこまでも美化したいらしい。

 国策は誤る事もあり、そしてそれが国家を滅亡の淵にまで追いやるような取り返しのつかぬ大きな誤りである事もある
 そして「国を守る為」として駆り出された戦いが、実は侵略戦争で、国際的には自分も侵略者の一員と見なされていたりする事もあるのもまた、歴史が証明するところである。

 で、そのような誤った国策による侵略戦争に加わる事を強制され命を落とした者たちに対する気持ちは、果たして「感謝の意」で良いのだろうか?
 少なくとも筆者はそうは思わない。
「もう二度とこんな戦争は起こしませんから」という反省であるべきだと、少なくとも筆者は思う。
 国策を左右する政治家たる者は特に深く自省すべきであると思うのだが、高市総務相と岩城法相と加藤1億相は、まるで「誤った国策と侵略戦争に従って死んでくれてアリガトウ」と言わんばかりだ
 政治家は、特に与党の閣僚は先の大戦による日本人の戦死者たちに「感謝ではない、反省の念を捧げろ!」と筆者は声を大にして言いたい。

 そして国策も誤る事があり、戦争を始める時には指導者たちは誰もが「国を守る為の、正義の戦いだ!」と言うものだという史実を、国民たちも知っておくべきだ。
 侵略戦争を始める時に「あの国を攻め取って、資源や財宝を奪い、国民は奴隷にしちまおうぜ!」などと正直に本音を言う指導者は、少なくとも近代では誰もいないのだよ。
 あのヒトラーでさえ、戦争を始める時には「ポーランドが攻めて来た!」と自作自演のでっち上げをして、自衛の戦いを装ったのだ。

 国の指導者たちは、しばしば嘘をついて国民を騙す
 もちろん騙す指導者の方がより悪いのだが、国民の方も国家や政治家に騙されぬよう気をつける必要があると筆者は考える。
 あの戦争に負けた時、多くの日本国民は「騙された」と言ったそうだが。
 映画監督の伊丹万作氏(伊丹十三氏の父)は、その際に「騙されたと言って平然としている者は、また次も騙されるに違いない」と書き残した。
 全くその通りである。
 この二十一世紀になっても、日本国民たちは小泉政権にも民主党政権にも「騙された!」と言い続けてる。
 日本の指導者たちはしばしば国民に嘘をつき、国策を誤ってきた。日本の国民はその現実をよく見て、誤った国策はしっかり見抜いて断固反対すべきだと、筆者は思う。

 少なくとも筆者は誤った国策になど従いたくないし、自衛隊が国外で戦う「自衛の戦争」などあり得ない、と思っている。
 自衛の戦争と言えるのは、日本の国土に侵略してきた敵を迎撃して追い払う戦いのみだ。
 しかし安倍総理は、今回強行可決させた安保関連法案で“自衛”の枠を広げ、また国民を騙して自衛隊を海外に派兵できるようにしてしまった。
 ちなみに安倍総理は、自衛隊を「我が軍」と呼んだ過去がある。

 国民は、国策とあらばそれに従うべきなのだろうか?
 誤った国策に殉じ、侵略戦争と知らずに出征して異国で戦って死ぬのは美しく立派な事なのだろうか?

 誤った国策と侵略戦争で死んだ兵士と、国策を誤り多くの国民を死なせたA級戦犯たちに「感謝の気持ちを捧げた」高市総務相と岩城法相と加藤1億相に怒りと、彼らを登用している安倍総理の今後の政治に対して、筆者は非常に不安を感じた。
 問題のこの靖国神社の秋季例大祭に、安倍首相は参拝こそ見送ったものの、内閣総理大臣の肩書きで真榊を奉納していることも、付け加えて言っておかねばなるまい。

 政治家や国の指導者たちは、国民が政府を疑う事なく素直に国策に従い、「お国の為だ」と言えば命まで投げ出してくれるような者たちばかりであれば、さぞ気持ちが良いだろう
 だから高市総務相や岩城法相や加藤1億相のように、戦没者に対して「感謝」という言葉が自然に口から出てくるのだろう。
 国策の誤りで多くの国民を死に追いやってしまった事に対する反省の念など、頭の片隅にも思い浮かばずに

 だが筆者だけかも知れないが、それでもあえて、「騙されないぞ!」と声を大にして言いたい。
 日本は同調圧力の強い国で、皆が「白だ!」と言えば、自分には黒に見えていても「ハイ、白デス」と頷いてしまうのが民族性である。
 しかし幸いな(?)ことにアスペルガーの傾向があるらしい筆者は、空気を「読めない」と言うより「平然と無視する」性格で、周囲にどう思われようと気にしないで生きてきた。
 だから自分が間違っていると思う国策に従うつもりは全く無いし、安倍内閣の言う「我が国の存立危機」についても、政府を信用するつもりは全く無い

 それにしても、国策の誤りによる侵略戦争で死なせた二百万を越す自国の兵士に対して、現政権の複数の大臣が反省でなく感謝の言葉を口にするとは、全く恐ろしい事だと、心の底から感じた次第である。

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空に浮かぶ白い雲

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 青空にぽっかりと浮かんでいる空を見ていると、心が癒されます。

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オダマキ

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 青が好きなので、オダマキも好きです!

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