空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

年毎に小さくなります

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 プランターで育てたゴーヤーの実ですが、本当に全然大きくなってくれませんでした(泣)。
 そりゃあ、肥料もあまり与えず、さらに他の植物ともいろいろ一緒に植えた私が悪いんですけれどね。
 でも以前は、それでもそれなりに大きな実が実ったんですよ。
 なのに年毎に生る実が小さくなって行くのです。
 うーむ、これはやはり土壌の問題でしょうかね。

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安い国産ウイスキーを飲んでみた➂ブラックニッカ・クリア

 さて、今回は国産の安価なウイスキーのうち、ブラックニッカ・クリアについて話そう。

ブラックニッカ・クリアP1080994

 このブラックニッカ・クリアについて、筆者は以前「ウイスキー風味の麦焼酎のようなもの」と酷評した。
 そしてそのせいで、幾人かの方に不快な思いをさせてしまった。
 それで今回、ブラックニッカ・クリアを同価格帯のサントリーのレッドトリス・クラシックと比較しつつ、改めて念を入れて味を見てみることにした。

 封を切るとほのかな甘い香りが漂ってくるところは、レッドやトリス・クラシックと同じである。
 口に含むと甘みを感じるところも、レッドやトリス・クラシックと同じである。
 そして甘さは、レッドとトリス・クラシックとブラックニッカ・クリアの三本のうちで最も控えめか。

 甘さの質も、サントリーの二本とは微妙に違う。
 レッドとトリス・クラシックの甘さはカラメルっぽいが、ブラックニッカ・クリアの甘さは樽や穀物から来る、より穏やかで自然な甘さだ。そのせいか三本のうちで、ブラックニッカ・クリアが最も“クリア”な味に感じる。

 難点を言えば、封を切ってすぐに飲むと、少し意外なくらいアルコールの刺激を感じる。
 封を切ってすぐ水や炭酸で割ってガンガン飲むなら良いが、ストレートやトワイスアップ、あるいはロックなどでじっくり飲む場合には気になるかも知れない。

 封を切った直後の味わいとしては、ブラックニッカ・クリアとトリス・クラシックはかなり似ている気がする。
 どちらも度数37%で、香りも控えめであっさりした味わいで、水や炭酸で割って気軽に飲むのに適している。店頭での価格もほぼ同じだけに、「メーカーにこだわらない人は、どちらを選ぶべきか困るだろうな」と思った。
 味に少し癖のあるレッドは別として。
 実際、ブラックニッカ・クリアとトリス・クラシックの香りと味わいは殆ど変わらないのだ、少なくとも開封直後には。

 ただ開封して数日経つと、ブラックニッカ・クリアは味と香りが変わって来る。
 ウイスキーの中には、開封して数日経ち原酒が空気に触れるにつれて、本来の香りが広がってくるものがあるが、ブラックニッカ・クリアもの種類のウイスキーだった。
 開封してまず少し飲んで味を確かめ、そして数日放置してからまた改めて飲んでみると、穏やかながらウイスキーらしい香りがしっかりと立っていた。そして味にもコクが出て、開封直後には気になったアルコールの刺激もかなり薄らいでいた。
 ただそれでも、ストレートやトワイスアップなどの濃いめで飲むには、やや物足りないと思った。

 で、筆者は少し飲み方を変えてみた。
 濃いめで飲む時に、他のウイスキーを飲む場合より少し多めに口に含んでみた。
 すると案外、悪くないのである。
 ブラックニッカ・クリアは、何しろ基本の度数が37%である。だからトワイスアップにすると18.5%で、日本酒の原酒とほぼ同じくらいになる。
 で、ウイスキーと思ってチビチビ嘗めるのではなく、原酒の日本酒と思って少し多めに口に含んで飲むと、それなりにウイスキーらしい味わいを楽しめた。
 40%かそれ以上の普通のウイスキーと同じようにチビチビと飲むから薄く物足りなく感じてしまうのであって、より濃いめにするか、やや多めに口に含めばよいのだ。

 また、レッドやトリス・クラシックと違って、ブラックニッカ・クリアは強くはないがウイスキーらしいアフターテイストがしっかり残る。
 レッドやトリス・クラシックは飲んだ後にウイスキーの味と香りが殆ど残らないが、ブラックニッカ・クリアはちゃんと残るのだ。
 何しろ味も香りも軽いので、「何だ、これでもウイスキーかwww」などと思いながらグイグイ飲んでしまいがちなのだが、飲んだ後で深く呼吸をしてみると、ウイスキーの香りが口の中に残っているのがしっかりわかる。

 ついでに言うと、レッドとトリス・クラシックは開封して数日経っても、味と香りは全く変わらない。
 と言うよりむしろ、どちらも香りが弱まるように感じた。
 ブラックニッカ・クリアについては、封を切った当初は「アルコール臭のキツい安物ウイスキー」としか思わなかったが、原酒が空気に触れて行くにつれて「意外に悪くない」と思うようになった。
 しかしレッドとトリス・クラシックについては、時間をおいて改めて飲み直してみても「じっくり味わって飲むには値しない、安ウイスキー」というイメージしか持てないままだった。

 ただレッドやトリス・クラシックにも、取り柄はちゃんとある。
 何倍かに割ってもウイスキーらしさを意外に保っている、という点だ。
 サントリーはトリス・クラシックの飲み方について、1:3のハイボールを最も推奨しているようだが。実際、その割合でハイボールを作って飲んでみると、けっこうウイスキーらしい味わいを保っていて悪くない。
 そしてレッドもまた、水や炭酸で何倍かに割っても、香りはともかくウイスキーらしい味わいはちゃんと保っている。

 その点、ブラックニッカ・クリアは割る水や炭酸を多くし過ぎると、やや水っぽくなるような気がする。と言っても明らかに差があるわけではなく、本当に「やや」というレベルの話だが。
 筆者は以前、ブラックニッカ・クリアを1:2というかなり濃いめのハイボールにしてみたが、これが意外なくらいに悪くなかった。

 三週続けて、国産の千円未満のウイスキーを飲んでみたが。
 それで言える事は、レッドもトリス・クラシックもブラックニッカ・クリアも、どれも「濃いめでじっくり飲むより、水や炭酸で何倍かに割って気軽に飲むもの」という感じだった。
 特にレッドとトリス・クラシックは、完全に割って飲む為のものだ。
 ブラックニッカ・クリアはしばらく空気と触れればウイスキーらしさも出てくるし、ロックでもトワイスアップでも飲めるが、それでも本格的なウイスキー好きには物足りない部分があるだろう。
 やはりブラックニッカも水や炭酸などで割って気軽に飲むもので、「ウイスキーに親しむ為の、入門用のウイスキー」というのとは違う気がする。

 本格的にウイスキーを味わってみたい人の為の、入門用のウイスキーとしては。
 筆者ならばニッカだったら少なくともブラックニッカ・リッチブレンド以上の物を飲んで欲しいし(ブラックニッカ・スペシャルがお勧め)、サントリーなら白角スペシャル・リザーブを、スタンダード・スコッチならジョニ赤ベルホワイト&マッカイなどを勧めたいな。

 だがチビチビ味わって飲むのでなく、水や炭酸で割って食中酒として飲むウイスキーがあっても良いと思うし。
 そしてレッドやトリス・クラシックやブラックニッカ・クリアなどの手頃な価格の国産ウイスキーは、その為にちょうど良いのだろうと思った。

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チビ自身が語る「チビの男は性格が悪いわけ」

 チビの男は性格が悪い、という声を時々聞く。
 筆者自身も“チビ”の一人であるが、「確かにそうかも知れない」と思わないでもない。

 女性の場合は、小柄に生まれてもそれほどデメリットは無いだろう。
 むしろ小柄な方が「可愛らしい、守ってあげたい」と思われて、得をする場合もあるくらいだ。
 しかし男は違う。
 小柄に生まれると辛い事ばかりで、得になる事など何一つ無いぞ。

 男で小柄に生まれてごらん。
 まず物心つくかつかないかの頃からイジメられるね。
 幼稚園でも小学校でも、男子の世界でものを言うのはまず“力”だから。
 そして子供の力は、たいてい体格に比例するものだから。
 それで小さな男の子は、体が大きく粗暴な男の子に虐げられる事になる。

 実際、小柄だった筆者は、よくイジメの標的になった。
 小学生の頃、粗暴な男子たちに度々「プロレスごっこ」と称するイジメを受け、無理矢理いろんなプロレス技をかけられて痛めつけられた事を、今でもよく覚えている。
 いくら「いやだ!」と言っても、体の大きなイジメっ子たちは笑い飛ばして聞いてはくれなかった。

 その「力がものを言う」という現実は、男の世界では大人になっても大して変わらない。
 無論、大人になれば“力”は体力だけでは無くなるからね。金力とか、権力とか、知力とか、力の種類もいろいろになってくる。
 実際、「高学歴で役職についていてお金もあるチビ」と「高校中退でフリーターで貧乏な大男」では、もちろん前者の方が強いだろう。

 だがその二人が、夜の街などで出くわして揉め事になり、一対一の乱闘にでもなったらどうなるか。
 一旦肉弾戦になったら、学歴も役職もお金も役に立たない。そのチビが何か格闘技でも身につけていない限り、チビはたちまち無惨にのされてしまう事になるだろう。
 また、学歴なり役職なり財産なりで明らかな差があれば良いのだが、ほぼ同等の立場にあれば、チビはたいてい周囲の者から見下される。

 それは大人になれば、チビに対する差別や暴力は子供の頃のように表立ったものでは無くなるが。
 しかし男の心の中には、チビに対する“肉体的優越感”のようなものが間違いなく存在する
「いざ喧嘩となれば、こんなチビなど叩きのめしてやれる」
 自分より小柄な人間にそんな動物的な感情を抱く事など全くないと言い切れる人間が、大人の男性の中にどれだけいるだろうか。

何だ、このチビ!
 何か揉め事や口論になった度に。
 そんな捨て台詞や罵りの言葉を、筆者はこれまでに何度浴びてきたかわからない。
 それも小中学生時代の話ではなく、立派な大人になった後もだ。
 断言するが。
 少なくとも男の心の中には、チビを身長だけでなく人間的価値も自分より一段低い劣る存在と見なしている部分が間違いなくある

 そしてまた、強い男性を求める本能のせいか、チビは女性にもモテないからねえ。
 高身長ならフツメンでもそれなりにモテるが、イケメンでも低身長だと女性にやや引かれてしまうのが現実だ。
 だから低身長の男子は幼い頃から肉体的な暴力に遭いながら育った上に、思春期になると今度は「モテない」という辛い現実にもぶつかる事になるのだ。

 小さい頃から強い男子(複数)にイジメられ、そして思春期になれば女子たちにもモテないで育ってごらん。そりゃあ、性格だって曲がりますってば。
「人は善意に満ちた優しい存在で、人生は素晴らしいものだ」などという綺麗事なんか、とても信じられないもんね、チビは。
 男子は肉体的な優劣で弱者をイジメるドーブツで、女子もまた強いオスに尻尾を振るビッチ。そうした世界観を持ちかねないんだよ、チビは。

 筆者自身が実感している事だが、チビは幼い頃だけでなく大人になった後も他者から見下され、虐げられ続けている。
 筆者が成人して何年も経ってからの事だ。そこそこ混んだ雑踏の中で、筆者は向こう側から来た背の高い男に突き当たられた。
 筆者は体をかわそうとしたのだが、相手がそのまま避けること無く早足で直進して来たのだ。
 それで互いに、肩と肩がぶつかり合う形になった。
 互いに振り返り、筆者はぶつかって来た相手をキッと睨んだ。
 その時に見た相手の顔が、筆者は今でも忘れられない。
 相手は最初、驚いた目をした。しかし自分がぶつかってよろめかせた相手がチビ(しかも童顔)だと見てとると、フッと気の緩んだ安心した表情を見せ、くるりと振り向いてそのまま立ち去ったのである。

 その相手は頭も人柄も悪そうな、いかにもDQN系といった人間だったわけではない。髪型も服装もきちんとした、見るからに真面目で真っ当な社会人風の男だった。
 そんな充分に常識をわきまえているであろう中流以上の大人の男でさえ、心の中では「相手が自分より肉体的に劣るチビなら、ブチ当たってよろめかせても、済みませんと詫びの一言も言う必要はない」と思っている。
 それが現実なのだ。
 皆がそうだとは言わないが、男には大人になっても心はオスでドーブツのままの者が少なからず存在するのである。

 それが現実の世の中であるとすれば、チビの男はどう生きて行けば良いか。
 道は、たった二つである。
 それが世の中の現実なのだと諦めて(イジメや差別も含めて)すべてを受け入れ、目立たぬように、不平も言わずに静かに生きるか。
 それともちゃんと一人前の男として扱われるまで、殴られ蹴られても周囲と戦い続けるか。
 そして筆者は後者の、戦って周囲の者たちになめられぬよう強く生きる事を選んだ。

 何しろ体格差が歴然としてあるからね。
 その自分より大柄で体力もある、しかも最初からこちらをナメてかかってきている奴ら(複数形)に立ち向かうんだよ? それはただ怖いどころの話じゃなかったさ。
 でも筆者は戦った。
 殴られ蹴られても戦って自分のプライドを守るのと、イジメっ子たちのパシリにされ皆から見下されて小さくなりながら生きるのと、どちらがマシか?
 そして筆者は、戦ってでもプライドを守り通す方を選んだだけの話だよ。

 けどチビが大柄なイジメっ子たちと戦うなんて、本当に生やさしい話じゃないよ。
 そもそもまともに立ち向かったって、勝てるわけも無いんだ。
 だから文字通り、キレて狂ったように暴れまくるしかなかった。
 殴られても蹴られても立ち上がり、目をギラつかせて飛びかかって行くの。で、「参った、もう許して」とは絶対に言わないで、相手に食らいついて行って死んでも喧嘩を止めない。
 ホントにね、「コイツを止めるには、もう殺すしかないんじゃないか」って思わせるくらいにキレて見せるんだよ。

 無論、自分から手を出すのではなくて、そんな酷い喧嘩をする時にはいつも相手が仕掛けてきた時にしていたけれどね。
 そしてそうして暴れていれば、「ヤツは怒るとキレるヤバいヤツだから、手を出すのは止めておこう」って話になってくる。
 おかげさまで中学生時代の筆者は、同級生たちにある種の精神の病を思わせるあだ名を付けられていたよ。「キレると発作を起こしたように暴れ狂う」と言うワケで。

 そう言えば中高校生時代の筆者に付けられたあだ名の一つに、ヒトラーというのもあったな。
 まあ、当時の筆者は周囲から、それくらいヤバいヤツに見えていた……って事デス。

 けど何と言われようと、「相手が強かろうと大人数だろうと、やられたら必ず(ぶちキレて)やり返す」というのを実行していたら、少なくとも筆者をナメて下手に手を出して来るヤツは無くなったね。
 逆にそれどころか、DQNグループの奴らとも対等に話が出来るくらいになっていた。

 イジメや喧嘩に限らずさ、男はただ低身長っていうだけでランクの低い人間のように見られて「隅で目立たぬように小さくしていろ」みたいな扱いを受けるんだよ。
 だからチビの男は、とにかく自分から前に出て頑張ってデキるところを見せないと、一人前に扱って貰えないんだよね。
 もちろん頑張って前に出たら出たで、デキるところを見せても「チビのくせに、出しゃばりで生意気」って陰口を言われがちなのだけれど。

 でもどう言われようと、「チビだから」と皆から見下されたままでいるよりはマシだ。
 だって同じ「チビのくせに」と言われるなら、隅で小さくなっているより、自分のやりたいようにして生きた方がマシでしょ?
 少なくとも筆者はそう思い、売られた喧嘩は買い生意気と言われて憎まれようと、自分を通して生きてきたわけデス。

 で、青少年にとっては重大時でもあり、チビにとってはもう一つの課題の“モテ”についても、そこは気合いでカバーしたね。
 何しろ男にとって、低身長というのは“非モテ”の大きな要素だから。
 平均以上の身長のイケメンとか、運動部のスター選手や音楽ができる人ならともかく、低身長の男が「女子に想いを寄せられて、告白されて」なんて事は、まずあり得ないから。

 特に取り柄のない平凡な男子が、なぜか凄い美少女(場合によっては複数)に惚れられて……というのは、青少年のラブコメ・マンガの王道だけど。
 それ自体が現実にはまずあり得ない事だけれど、特に男がチビとなると、実際にモテる確率は限りなくゼロに近づくのでアリマスよ。
 だからチビは、ただ黙って女子からのアプローチを待っているだけでは、下手をしなくても「実年齢=彼女いない歴」のまま魔法使いになる可能性が高い
 で、筆者は自分から動いたわけデス。
 身近な女の子に積極的に話しかけて、コミュニケーションを取り仲良くなる努力を惜しまなかったのだ。そして頃合いを見ては、デートにも誘ってね。

 と言うと、「よく恥ずかしくもなくそんな事が出来るね、オレにはそんな度胸ないよ」とか呆れられるけれど。
 冗談じゃない、筆者だって女の子に声をかけるのは恥ずかしかったし、デートに誘うとかすごく勇気が必要だったさ!
 問題は「そんな事して恥ずかしくないの?」って話ではなく、「声をかける勇気を出すかどうか」って事なんだよ。

 元々非モテのチビなんだから、黙っていて何もせずにいたら「実年齢=彼女いない歴」のままが続くのは確定だ。
 もちろん声を掛けても冷たくされ、遊びに誘ってもフラれる事も少なくない。
 でもどうせ「実年齢=彼女いない歴」だったら、声を掛けてフラれたところで同じ事だし、別に損も無いでしょう?
 だったら万が一wwwの可能性に賭けて、「良いナ」と思った子にはアプローチしてみた方がマシだと筆者は思ったわけだ。

 ハイ、もちろん数え切れないほどフラれて、恥ずかしい思いや痛い思いも厭というほど味わってきマシタとも。
 でもおかげで少なくとも人並みの時期には魔法使いになる資格を失ってしまったし、今もまだ独身ではあるけれど、付き合って来た彼女の数は両手の指で数える以上くらいになってイマス。

 おわかりでしょうか。
 チビの男が人並みに生きるには、人一倍頑張らなきゃならないんだよ。
 イジメにも耐え勝てない喧嘩もして、低身長を補う為に何か自分を売り込める特技を磨いて、それを積極的にアピールもして。
 そして男女交際でも、自分から積極的にアプローチしていって。
 けれどそのすべてが、周囲の人達には「チビのくせに出しゃばりで生意気」と見えてしまうんだけれどね。

 で、「チビのくせに」と言われても負けずに頑張って前に出て行く男は「厭なヤツ」と言われて。
 そして争う事までして自己アピールしない、世の中の片隅で静かに暮らす道を穏やかで大人しい性格のチビは人の目に入らずに存在を無視されて。
 結果、前者の気が強く前に出るタイプの低身長の男ばかりが目立って、「男のチビは性格が悪い」と言われているのだと思う。

 よく見てみれば、静かで穏やかな人柄の良い低身長の男も、結構たくさん居るんだけれどね。
 けど筆者も含めて「チビのくせに」と見下されて黙っていない低身長の男には、強気で頑固で意固地な可愛くない性格の者が多いのは事実デス。

 同じ強気でも、元々体格に恵まれている男の強気と、チビの強気はタイプが違うから。
 端的に言えば、前者と違ってチビの強気には余裕が無いんだよ。
 体格や体力では相手に負けているし、日頃から「チビのくせに」と言われ続けてきて、さらに女の子にも非モテだし。
 コンプレックスは物心ついた頃からいろいろあるし、体力的にも精神的にもギリギリの所で頑張っているものだから、生まれつき高身長で体力に恵まれた男と違って余裕が無いんだよ。
 その「頑張ってるチビ」の抱えているコンプレックスと余裕の無さが、傍から見れば「性格が悪い」って風に映るのだと思うよ。

 うん、筆者自身もそうしたチビ男の一人として、自分の性格の悪さは認める。育った環境のせいで、強く生き抜く為に性格がかなり曲がったと自分でも思うもの。
 でも男でチビだとそれだけで周囲の人から見下されてイジメられ、女子にも非モテで、そんな中でも強く生きようとしてきた頑張りだけは認めてほしいと思うな。

 ホント、大人になってかなり経った今でも、「チビのくせに」という陰口は何度も何度も言われるよ。
 男でチビだとね、周囲と対等にハッキリものを言うだけで、「チビのくせに生意気」と見られがちなのだよ。
 世間の多くの人達ってのは、チビの男は周囲に遠慮して小さくなって生きているべきだと思っているんじゃないかと、小柄な男の一人である筆者は常日頃から感じている。
 これはチビのコンプレックスからくる、被害妄想なのだろうか。

 そんな世間の求める通り、いつも控え目にして大人しく生きている善良な小柄な男性も、ただ目立たないだけで実際には大勢いるのだ。
 そして筆者のように生意気に生きているチビの性格が曲がってしまったのにもわけがある事を理解して、ほんの少しだけ同情してくれる方が現れてくれたら幸いデス。

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ゴーヤーの花

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 かつて咲いていた、我が家のゴーヤーの花です。

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雑草?

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 二階のベランダのプランターに、いつの間にかこんな赤い実を実らす、ナスに似た植物が生えてました。

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育て方が悪いゴーヤーの姿

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 今年実った、我が家のゴーヤーの実ですwww。
 手入れが悪いのか、こういう小さいのが多いです。
 いや、冗談でなくもうこれで収穫時期なんですよ。
 実が大きかろうが小さかろうが、イボが大きくなったら間もなく獲らねばなりません。
「もっと大きくなる筈」などと思って眺めていると、たちまち黄色くなって過熟してしまうのです。

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【グロ注意】パセリの天敵

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 庭にパセリを植えておくと、とても重宝します。
 いつもパセリの新芽を、食卓に供給してくれますので。
 パセリは二年草で、一年目の冬にも枯れることは無く、そして二年目には花を咲かせ種を落とし、何もしなくても自然に増えてくれるから助かります。
 園芸店の方には申し訳ないですが、一度種を買って撒きさえすれば、後は勝手に増えてくれます。

 ただこのパセリにも大敵がいて、小さなアゲハチョウの幼虫がいるのに気付かずにいると、幼虫はたちまち大きくなって、パセリが大規模に食害されてしまいます。
 しかもアゲハの幼虫は保護色っぽいので、かなりおおきくなるまでなかなか気が付かないんですよね……。
 ま、あらかじめ農薬を散布しておけば良いのでしょうが。
「無農薬のものを食べたい」と思う気持ちのせいで、いつもかなりこのアゲハに食害されて痛い目に遭っています。

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新顔さん

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 我が家の庭に現れた、新顔の野良猫さんです。
 別に、餌付けとかして猫を集めたりはしていないのですが。
 我が家には草木が多く、さらに軒下には荷物などが置いてあって隠れ場所が多い上に、住人が追い払ったりしないので、時々こうして野良猫が顔を見せます。
 でもこの野良猫さん、よく見るとお中が大きいですね。
 どこで産むつもりなのか、大丈夫なのかと気になってしまいます。
 我が家の近所には、猫に虐待に近いことをする者もいますので……。

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安い国産ウイスキーを飲んでみた②トリス・クラシック

 さて、今週も引き続き、国産のとても安いウイスキーについて書いてみる。
 で、先週はレッドについて書いたが、今回も同じサントリーの、発売されてまだ間もないトリス・クラシックについてレポートしてみよう。

サントリートリスC-P1080993

 開封すると、レッドと同じようにほぼ甘い香りだけ漂う。
 レッド自体も香りは弱めだったが、トリス・クラシックの香りはレッドのそれよりさらに弱い。
 ウイスキーには開封して空気に触れある程度の時間が経つと香りがより華やかに立ってくるものが少なくないが、レッドと同じでこのトリス・クラシックもその真逆だ。
 開封して時間をおくと、香りが飛ぶと言うか、元々弱めな香りがさらに微弱になる感じだ。

 口に含むと、甘みと同時にアルコールの刺激を強く感じる。
 トリス・クラシックもレッドと同様に、サントリーらしい甘いウイスキーであるが、アルコールの刺激は間違いなくレッドよりも強い。
 アルコール度数で言えば、レッドが39%であるのに対し、トリス・クラシックの方は37%だ。
 にもかかわらず、僅かながら度数の低いトリス・クラシックの方がアルコールのツンツンする刺激をより強く感じるから不思議だ。

 まあ、レッドはかなり甘みの強いウイスキーだから、その分アルコールの刺激を感じにくいのかも知れないが。
 だが味の違いというより、「レッドより値段が安い分だけ、新しいモルトやグレーンを使用している」と見る方がより正解に近いのではないだろうか。
 実際、レッドよりトリス・クラシックの方が味わいが薄くなっている。
 ただその分だけ、「トリス・クラシックの方がスッキリした味わい」と言えなくもない。
 何しろレッドは変に甘みが強いと言うか、味に癖があるから。
 そのバーボンに似たような甘さを好む人にはレッドは向いているだろうが、それが苦手な人も間違いなくいるだろうと思う。
 だからレッドよりトリス・クラシックの方を好む人も、きっといる筈だ。

 で、このトリス・クラシックだが。
 香りも味も薄い上に使っている原酒も若い為、ストレートではほぼ「アルコールの刺激だけ」という感じで、とても味わってなど飲む気にはなれない。
 ただレッドと同じで、トリス・クラシックも割って薄めれば飲みやすくなる。
 トリス・クラシックも普及価格のサントリー製品に多い、「濃いめでじっくり味わうと美味くないが、水や炭酸で薄く割っても不思議にウイスキーらしい味わいを保っている」という性格を受け継いでいる。

 メーカーではこのトリス・クラシックを、1:3で割ってハイボールにするのを最も推奨しているようだが。
 うん、その割合でのハイボールを作って飲んでみると、ウイスキーの味は保ちつつスイスイ飲める。
 水割りも1:2まで水を多くすると、香りは殆ど無くなってしまうが「ウイスキーだ」とわかるだけの味は残しつつ、アルコールの刺激はほぼ無くなって日本酒のように気軽に飲める。

 ただレッドの方が味に個性があるせいか、レッドの方が水割りにより強い印象がある。
 トリス・クラシックを水割りにする場合、割る水が多くなるとレッドより水っぽい味に感じる印象がある。
 炭酸がウイスキーの味わいを引き出すからなのか、ハイボールの場合には、トリス・クラシックでもレッドでも差は殆ど感じないのだが。
 このトリス・クラシックを水割りにする場合、あまり薄めすぎてはいけない。
 とすると、トリス・クラシックはハイボールにして飲むのが最も順当かも知れない。

 このトリス・クラシック、ストレートや濃いめでじっくり味わおうとしては駄目だ。
 だがハイボールにしてグイっと飲んだり、1:2から1:3程度の水割りにして食中酒にするには向いている。
 ワンショット30mlを30分くらいかけ、まずグラスに鼻を近づけトップノートを楽しみ、ほんの僅か口に含んでインパクトとパレードを味わい、飲み下した後に残るアフターテイストを堪能して、ゆっくりじっくり本気で飲むには、不満は山ほどあるし全く向かないが。
 薄く割って「ウイスキー風味の、すっきりアルコール」としてグイグイ飲むならば、このトリス・クラシックでも充分ではないかと思う。

サントリー・香り楽しむタンブラー

 この味も軽めで香りなど殆ど無いようなトリス・クラシックの販促品に、数量限定ながら「香りを楽しむタンブラー」という、香りを楽しむ為のチューリップ型のグラスが付けられていたのには失笑させられた。
 で、角瓶の方に付けられていた販促品のグラスは、ハイボールで飲む用のミニジョッキだよ?
 逆ではないか、と呆れた。
 角瓶は筆者は個人的に好きではないが、それでも華やかな香りはちゃんとある。販促品として「香りを楽しむタンブラー」を付けるべきなのは、むしろ角瓶の方なのに、殆ど香りも無いようなトリス・クラシックに付けるとは、ちょっと呆れてしまった。
 ハイボール用のミニジョッキを付けるなら、むしろトリス・クラシックの方がずっとふさわしいのに。

 おそらくその事は、当のサントリーも重々承知はしているのだろう。
 サントリーの700mlのウイスキーで最も安価なトリス・クラシックの販促品に、ミニジョッキはさすがにコストの面で付けにくかったのだろう。
 で、単価のより高そうなミニジョッキは角瓶の方に付け、トリス・クラシックの方には小さな「香りを楽しむタンブラー」の方を……と。
 でも「香りを楽しむタンブラー」は、少なくとも香りをじっくり楽しめるレベルのウイスキーに付けて欲しかったな……というのが、ウイスキー好きの本音だ。
 水や炭酸で薄めに割って飲むべきトリス・クラシックを、濃いめにして「香りを楽しむタンブラー」で飲んでもただガッカリするだけだろうに……と、残念に思った筆者であった。

 ま、トリス・クラシックの販促用の「香りを楽しむタンブラー」は別に保存しておいて、もっと良いウイスキーを飲む時に使い、トリス・クラシック本体は自前の大きなグラスで飲めば良いだけの話なのだけれどね。
 でもウイスキーに付いている販促用のグラスというと、たいていロックかハイボール用のグラスばかりで、本当に香りを楽しめるチューリップ型のグラスがサントリーで最も安いウイスキー(ペットボトル売りのトリス・ブラックを除く)に付けられていたという現実に、何とも言えない皮肉を感じてしまった。
 実は筆者が愛用していて日々ウイスキーを飲んでいるグラスは、まさにそのトリス・クラシックに販促用に付けられていた「香りを楽しむタンブラー」によく似た、チューリップ型のグラスなのだ。

 筆者の自宅に近いある大手スーパーの洋酒コーナーでは、このトリス・クラシック(例の「香りを楽しむタンブラー」付き)とブラックニッカ・クリアが、同じ748円(税抜き)で売られていたが。
 容量も同じ700mlでアルコール度数も37%と、サントリーはブラックニッカ・クリアのシェアを奪おうと戦いを挑んできたようにも見える。
 実際、飲んでみてもこのトリス・クラシックとブラックニッカ・クリアは、香りや味わいの傾向もかなり似ているのだ。目隠ししてこの両方を飲んで、どちらがどちらか迷わず判断できる人は、そう多くないのではないかと思った。

 現在ブラックニッカ・クリアをよく飲んでいる方は、ニッカというメーカーが好きで選んでいるのだろうか。
 それとも「この値段で、この味なら充分だ」と、コストパフォーマンスで選んでいるのだろうか。
 はっきり言うが、サントリーがブラックニッカ・クリアにぶつけてきたトリス・クラシックは、味や品質に殆ど差はない。
 だからこれまでメーカーにこだわらずブラックニッカ・クリアを飲んでいた人達のある程度は、トリス・クラシックに流れるのではないかと、筆者は思っている。

 だがじっくり比べてみれば、やはりサントリーはサントリーで、ニッカはニッカだ。
 トリス・クラシックとブラックニッカ・クリアはいろいろな点でかなり似ているが、味わいや香りが微妙に違う。
 で、両者が具体的にどう違うかは、また来週、ブラックニッカ・クリアについてレポートしながら述べてみたいと思う。

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異性愛者を無視して、LGBTの生き辛さと権利ばかりを叫ぶな!

 今の安倍内閣の閣僚の中で、近ごろ最も知名度が高くなりつつあるのは、もしかしたら“パンツ大臣”の通称でおなじみの、あのお方ではあるまいか。
 で、安倍首相が『一億総活躍』のスローガンを現実のものとし、女性用の下着を盗んだ前歴のある者すら閣僚に登用した事に対して、ネット上に様々な声が寄せられているが、その中に「へえ、そうなのか」と失笑しつつ妙に感心させられたコメントがあった。

 そのコメントによると、本物の下着マニアは“中身”の女性には興味が無く、女性用の下着のみを愛するもので、新品を購入して収集するのだそうだ。だから某大臣のように、使用済みのモノを盗んで手に入れるなど、下着愛好者としては三流なのだという。

 なるほど、と思った。
 あの大臣は入手する際にパンツを盗んだからいけないのであって、新品を購入すれば良かったのだ。
 もしくは「三流と言われようと、使用済みのモノが欲しい!」というのであれば、持ち主の女性と交渉して適当な代価を支払い、商取引として手に入れれば良かったのだ。
 使用済みのパンツを“盗む”ことは違法であるが、合意の上で“購入する”のであれば何も法には触れないからね。

 近年、新聞やテレビなどでやけにLGBTという言葉を聞く。
 それもたいてい、「LGBTの人の辛さを理解し、彼ら彼女らの権利を認めろ!」という意味合いで使われる。
 欧米の一部の国々では同性婚も認められており、日本でも渋谷区で同性のカップルにパートナーシップ証明書が発行されるようになったニュースも、良い事のように報道されている。
 で、LGBTの人々に否定的な物言いをしようものなら、「無理解で人権無視の、頭の固い偏見の持ち主」として袋叩きにされかねない。
 それを覚悟の上で、筆者はあえて言う。
綺麗事ばかり言ってんじゃねーよ、異性愛者の迷惑も考えろ! LGBTばかり権利を主張してんじゃねーよ!!

 ここで改めて確認しておくが、LGBTとは、レズとゲイとバイセクシャル、それにトランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)の事である。
 で、彼ら彼女らを擁護し、その種の人々の権利を主張する人達はこう言う。
彼ら彼女らが同性を愛するのは生まれつきの変えられないものなのだから、決して責めてはいけない

 うん、確かにそれは一見もっとものように聞こえる。
 しかしよく考えてもらいたい。
「生まれつきの変えられない性的嗜好」というのは、レズとゲイとバイセクシャルとトランスジェンダーだけだろうか。
 よく言われる『性的マイノリティー』とは、レズとゲイとバイセクシャルとトランスジェンダーだけだろうか。

 世間的にはマイナーで公にされると差別されかねない性的マイノリティーは、それ以外にも多々あるではないか。

 例えばパンツを盗むほど愛したあの大臣は、酔うと脱ぎたくなるとも聞いた。
 また、ぶったりぶたれたり、縛ったり縛られたり、ローソクを垂らしたり垂らされたりなどして楽しむサドマゾも、一般には理解されがたい性的マイノリティーだろう。
 その他にも小さな子供が好きなペドフェリアや、その反対の高齢者が好きなフケ専や、体格の良過ぎる人が好きなデブ専も確かに存在する。
 また、本当に少数だが動物との性交に興奮を覚える獣姦者や、死体を愛するネクロフィリア、さらには人が死んで行く姿に性的興奮する者達まで現実にいるのだ。
 そしてそれらの社会的には恥ずべきとされている性的少数者も、自分の意志でそうなったのではない。レズやゲイやバイセクシャルやトランスジェンダーと同様に、生まれつきのものなのである。

 ならば何故レズやゲイやバイセクシャルやトランスジェンダーばかり「差別するな、理解して権利を認めろ!」と言われて擁護され、下着マニアや露出症やサドやマゾやロリやフケ専やデブ専や獣姦者やネクロフィリアらの性的マイノリティーは、相変わらずカミングアウトできないまま馬鹿にされ蔑みの目で見られ続けなければならないのだろうか。
 不公平でおかしい、と思うのは筆者一人だけだろうか。

 レズやゲイやバイセクシャルやトランスジェンダーを擁護する人達が言うように、「変える事の出来ない生まれつきの性的嗜好を責めてはならない」のであれば。
 パンツを盗むのは良くないが、異性の下着を愛でてそれに性的興奮を覚える事自体は全く悪くないし、そういう人達を「キモい」と蔑むのは差別でイケナイ事になる筈だ。
 手を出したりつきまとったりしたら犯罪だが、幼女や幼児をただ眺めて性的興奮を覚えるのであれば「決して悪いことではない」という理屈になる。
 合意の無いまま相手を縛ったり叩いたりするのは犯罪だが、合意の上のSMプレイであればもちろん何も問題なく、「恥ずかしい」などと思う事もない筈だし、理解してあげなければならないのだろう。
 デブ専もフケ専も当然問題ないし、当人が傷つくから笑いのネタにしてはいけない。
 ただ露出症は公然猥褻罪で獣姦は動物虐待に、ネクロフィリアは死体損壊に当たるから実行すればアウトだが、ペドフィリアと同様にただ眺めて頭の中でエロい妄想に浸る分には「問題ない」という事になるだろう。

 本当に性的マイノリティーの人権を考えるのであれば、冗談でも極論でもなくそこまで考えねばなるまい。しかし今の世の中では、何故LGBTの人達だけが性的マイノリティーとして「権利を保護し、彼ら彼女らが生きやすい社会にしなければならない」とマスコミで叫ばれているのであろうか。
 実はそれには、欧米の宗教と文化の問題が大きく影響している。

 かつて欧米では、宗教的な問題もあって同性愛者は日本では想像できないくらい差別されていた。
 もしある男性が同性愛者だと世間に知れたら、その人はまず社会から抹殺された。殺されはしないものの、地位と名誉を失い、国によっては裁判にかけられるところもあった。

 例えばドイツでナチスが政権を取った後も、軍に多い貴族将校たちの中にはナチスに批判的な者も少なくなかった。
 それでナチスは、その指導的な立場にあった陸軍大将を失脚させる為に、あの閣下は同性愛者だという濡れ衣を着せた。
 で、同性愛の疑惑だけで裁判になり、結局その陸軍大将の無実は証明されたのだが、当の大将は面子も心も大いに傷つけられて退役してしまった。
 そして第二次世界大戦が始まると、その陸軍大将は現役復帰し、出身連隊の名誉連隊長として最前線に出て、ドイツ軍が電撃戦で大勝利をおさめる中、殆ど自殺も同然な戦い方をして戦死を遂げてしまった。
 その頃の欧米では、ただ「同性愛者の疑いをかけられた」というだけで、自ら命を絶ちたくなるくらい酷い恥辱だったのである。

 ちなみに、当時のナチスはユダヤ人だけでなく、同性愛者も強制収容所に放り込んで抹殺していた
 そこまでしたのはナチスドイツだけだが、当時のヨーロッパには「同性愛=犯罪」という国が幾つもあった。

 そして第二次世界大戦後はソビエトと西側の冷戦の時代に突入するのだが、イギリスなど西側の政府や秘密情報部には、祖国を裏切りソビエトに情報を漏らした者が少なからず存在した。
 その裏切り者のスパイの中には、実は同性愛者が数多くいたのだ。
 同性愛者であるという証拠をソビエトの秘密工作員に握られ、「言う通りに情報を漏らさないとお前はゲイだと暴露するぞ」と脅されて、少なからぬ者がやむなくソビエトのスパイになったのである。

 国を裏切る売国奴に堕ちるか。
 それとも「自分は同性愛者です」とカミングアウトするか。
 今の日本では信じられない事だが、当時の欧米人にとっては、祖国を裏切る事より「こいつはゲイだ!」と暴露される事の方が恐ろしかったのである。
 少し以前の欧米では、同性愛者はそれほど酷く差別されていたのだ。
 何しろキリスト教では、同性愛は教義で禁じられているからね。
 その酷い差別の反動のように、1960年代頃から公民権運動やウーマン・リブ運動などを背景に同性愛差別に反対する動きが巻き起こり、ストーンウォール暴動まで起きた。そしてそれが各国に波及し、同性愛者の人権が強く叫ばれるようになったのだ。

 それに対し日本では、昔から欧米よりずっと同性愛に寛容だった
 まず女犯を禁じられた僧院で稚児を愛する事から始まり、戦国時代には主君と小姓らの間にそのような関係が見られるようになった。
 そして江戸時代になっても若衆歌舞伎の役者が愛され、男色専門の陰間茶屋が江戸だけでなく京や大阪にも少なからず存在した。
 そのように日本では、同性愛者は欧米レベルの酷い差別を受けたりしていなかった。

 もちろん性的嗜好の上では明らかに少数派だし、からかいの対象になる事はある。しかし欧米のように、同性愛者だと知られるだけで社会的に抹殺され、罪にまで問われるような事は無かった。
 現に日本のある高名な映画評論家は、知る人ぞ知る同性愛者であったが、誰もその事には深く触れず、社会的な地位も失わずに幸せな一生を終えた。
 日本のLGBTの人達は「自分たちは差別されている、理解されずに苦しんでいるのだ! 日本の社会は生きにくい!!」と不満を言うが。
 少なくとも日本はかつての欧米のように「同性愛=犯罪」と見なされ、LGBTと知られただけで社会的に抹殺され死を選ばざるを得ないような国ではない筈だ。


 昔も今も、日本は同性愛を誉めも歓迎もしないし、時にはからかいの対象にする事もある。しかし大多数の者たちは、だからと言って酷く責めたり社会的制裁を加えたりもしていない。
 親に「孫の顔も見られないのか、家はどうする」と嘆かれたり、当人が「苦しい」と感じる事はあるだろう。しかし少なくとも自分が同性愛者であると世間に知られる事の方が、売国奴に堕ちるより恐ろしいような社会ではない事だけは確かだろう。

 繰り返すが、生まれつきのもので変えられない性的マイノリティーなんて、LGBT以外にも大勢いるんだよ。
 下着フェチとかの人とか。
 サドやマゾの人とか。
 ちっちゃい女の子や男の子が好きな人とか。
 自分の裸を異性に見せると興奮する人とか。
 あと、逆にお年寄りや体格の良過ぎる異性や死体や死にかけの異性や獣に性的興奮をしてしまう人たちとかね。
 彼ら彼女らだって、その自分の生まれつきの直せない性癖に苦しみ、「社会に生き辛さ」とやらを感じている筈だ。

 芸能人の中には、自分がゲイやオネエである事をウリにして活躍している人達がいるが。
 しかし少なくとも、下着マニアやSMやロリコンなどであることをウリにして活躍している有名人など、見たこともない。
 例のパンツ大臣さんも、それをウリにして出世したわけでは決してなく、今では大変に恥じて困っている筈だ。
 だから「生き辛い、苦しい」と言われるが、LGBTの人達が他の性的マイノリティーの人達より苦しく生き辛い思いをしているとは、筆者にはどうしても思えないのだ。

 他の性的マイノリティーの人達の大部分はその自分の性癖に悩んで他人から隠しつつ、社会の片隅でひっそりと生きているではないか。
 同じ性癖を持つ人達と、そっとコミュニティーを築いて。
 なのにLGBTの人達だけは何故声を大にして「自分たちは差別されている、この社会は生き辛い、だから変えてくれ!」と叫んでいるのだろうか。
 完全な異性愛者で、性的マイノリティーの要素は全く無く「能年玲奈さんや有村架純さんのような可愛らしい女性が好き」という、全くのストレートな性癖の持ち主の男性である筆者としては、それがどうにも不思議でならない。

 今年の4月2日の毎日新聞の記事によると、同性愛や性同一性障害などの性的マイノリティーらが、学校の学習指導要領を「誤った知識で不正確だから修正すべき」と求めているらしい。
 その中心になっているのは、室井舞花さんという東京都の28歳の女性だ。
 彼女が中学時代に好きだったのは同性の女の子で、保健体育の教科書の「思春期になると異性への関心が高まる」と異性愛を前提とした内容に、ショックを受けたのだという。
 で、室井さんは「自分は間違っている」と思い込み、19歳になって同じ同性愛者の友人と出会うまで誰にも話せず、「自分には未来がない」と感じていたという。
 だから「学校の学習指導要領を修正しろ」というのだが、では室井さんらはどう変えれば良いと言うのだろうか。

 では「思春期になると異性あるいは同性への関心が高まる」にすればOKか?
 いや、そうではなかろう。
「思春期になると異性への関心が高まる」
 この従来の保健体育の教科書の表現を、室井さんらは同性愛者への差別と受け取っているようだが。
 性的マイノリティーとは、何もLGBTに限らないのだ。真に性的マイノリティーの為を考えるなら、下着フェチやペドフェリアや露出症や獣姦者やネクロフィリアらのことまで考えねば、それこそ「不正確でLGBT以外の性的マイノリティーへの差別」になるのではないか。

 で、すべての性的マイノリティーに配慮するとなると、保健体育の問題の箇所はこうなる。
思春期になると、異性や同性や下着や緊縛や鞭打ちや幼児や老人やポッチャリさんや自分の裸体や動物や死体などへの関心が高まる
 ……少数者への配慮も、ここまで来るともはやギャグですな。
 しかしそうせねば、不正確で不公平で差別的という事になる。

 だってそうしないと、下着フェチやサドやマゾやペドフェリアやフケ専やデブ専や露出症や獣姦愛好者やネクロフィリア達は「自分は間違っている」と思い込み、同じ性的嗜好を持つ友人と出会うまで誰にも話せず、「自分には未来がない」と感じていなければならないのだものね?
 え、LGBTは差別されてはいけないけれど、それ以外の性的マイノリティーはキモいド変態だから差別されても仕方ない……って?
 それこそ身勝手な“差別”ってやつでしょうが。

 筆者は常々不思議に思っているのだが、日本では歴史的にも同性愛者は(からかわれこそすれ)かつての欧米のような酷い扱いをされているわけでもなく。
 そして下着フェチやサドやマゾなど他の性的マイノリティー達は「差別だ! 社会が生き辛い!!」などと叫ぶ事もなく、世の中の片隅でひっそりと己の性癖を楽しんでいるではないか
 なのにLGBTだけなぜこうも声が大きく、そしてマスコミも積極的かつ同情的に大きく扱うのか。

 ズバリそれは、明治維新以来の日本人の「欧米のものは何でも素晴らしい!」という精神から来ているのではないかと、筆者は見ている。
 欧米では同性愛者を犯罪者扱いにして手酷い差別をしてきた過去があるから、その反動で今は同性愛者に対する差別に非常に敏感なのだ。そして日本人たちは何も考えずにその“世界の流れ”に乗っかって、性的マイノリティーの中でもLGBTの声をのみ聞こうというふりだけしているのだろう。

 だが日本人(特にマスコミ関係者や知識人)が手本とするその欧米人たちとは、日本人と同じ人間でありながら非常に極端から極端にブレやすいのだ。
 例えば捕鯨の問題を見てみよう。
 捕鯨の問題では、今では日本ばかりが世界(主に欧米とオセアニア)から叩かれていて、「可愛い鯨を殺す野蛮な国」と罵られている。
 しかし捕鯨は昔から世界各地で行われており、そもそも鯨の乱獲を始めたのは欧州各国であった。
 それで近海では穫れなくなり、米国が遠洋まで出られ穫った鯨の処理や加工もできる大型船を開発したのだ。
 さらに20世紀にはノルウェーが捕鯨砲を開発し、大型の鯨も穫れるようになった。
 それで鯨資源の減少が深刻になり、反捕鯨国が増加して1982年に国際捕鯨委員会(IWC)が商業捕鯨を全面禁止するに至ったのである。

 それを見ればわかる通り、そもそも今の鯨資源の減少を招いたのは、主に欧米なのである。
 にもかかわらす欧米は、一旦鯨が危機的状況に陥ったとなると、「鯨は食べるな!」と我が国に迫り、「鯨やイルカを殺すなど野蛮だ!」などと一方的に責め立てるのである。

 同性愛の問題もそれと同じで、欧米では1960年代頃まで酷い差別をして来たものだから、その反動で「差別は絶対にいけません、同性婚ももちろんOKです!」と、例にって極端から極端に突っ走っちゃってるんだよね。
 そして日本では同性愛者に酷い差別をしてきた過去など無かったのに、知識人を気取る“進歩的な人”やマスコミ関係者が欧米の流れに乗っかって……というわけ。
 だから他の性的マイノリティーは「キモいド変態」のままで放置して、LGBTに対してだけ「差別を無くして彼ら彼女らが住みやすい社会にしよう」というのだから、日本人は浅はか過ぎるよ。

 で、その“寛容”な日本人たちに尋ねたいのだけれど、貴方がたは自分が現実に同性に恋愛感情を持たれ、体を性的な目で見られても平気で受け入れられるのだろうか?
 はっきり言う。
 筆者は受け入れられない。
 完全な異性愛者でゲイの気などカケラも無い筆者としては、同性に恋愛感情を持たれる事にも、体を同性に性的な目で見られる事にも耐えられない。余りにも気色が悪過ぎて。
 LGBTが発言力を持ちつつある今、同性にそのような感情を持たれたり、そのような目で見られたりする事を「気持ち悪い」と思う事自体が、既に差別なのだろうか。
 しかし現実に「同性愛を認める」という事は、「貴方自身も同性に恋愛感情を持たれ、性的な目で見られても構わない」という事なのだ。

 だってゲイもレズもバイセクシャルも、「恋愛はプラトニック」というわけではないからね。
 ごく一部の者は別として、同性愛者の殆どは貴方に対しても「抱きたい、ヤリたい」と思いを抱きかねないのだ。

 テレビで同性愛についての街角インタビューなどを見てみると、特に若い人達の多くが「自分は偏見ないし、別にいいのでは?」などと笑顔で答えていたりするけれど。
 それに対し筆者は、「綺麗事を言ってんじゃねーよ、お前らだって自分がその種の人達に本気で性的対象として見られたら、正直キモいと思うだろうが!」などと、テレビ画面に向かって呟いたりするのでアリマス。

 同性愛に寛容な人達は、自分が同性から“告白”されたり、同性に性交されたりする場面を、本気で想像した事があるのだろうか
「同性愛の人が居ても良い」と言うなら、そういう事まで考えてからにするべきだ。
 そこまでの覚悟がないのに「自分は同性愛に偏見ないし、別にいいのでは?」などと笑って他人事のように言ってほしくない

 同性愛の性交と言えば、女性同士の場合はまだ良い。だってレズがする事は、男性との性交と殆ど同じだからね。
 挿入だって、タチ役と言うか男の立場になる人が張形の付いた下着を付けてヤれば出来るわけだし。
 だが男同士の場合は、まるで違う。
 男同士の性交の場合、何しろ(大多数の人は)排泄にしか使わない肛門に挿入するわけだから、女性との通常の性交とはまるで違う

 どうか「下品な事を書くな!」などと怒らないでほしい。だって「同性愛を認める」というのは、そういう事なのだから。
 貴方がクラスメイトあるいは職場の同僚としか思っていなかった同性に、「お前の可愛い尻に、俺のチンコを入れたい!」とか、「ボクのお尻に、キミのオチンチンを入れてほしい!」などと思われているかも知れないのだぞ。
 同性同士だからと気を許して、相手の家に泊まりに行ったり、自分の家に泊めたりする事もよくあるだろうけれど。
 しかしもしゲイの人が本当に身近にいるとしたら、貴方は安心してそのような事が出来るだろうか。

 一部の腐女子たちは、男の肛門の事を“ケツマンコ”と呼んでいるが。
 ふざけちゃいけない、アレが尻の“マンコ”なものか、どう見てもどう考えても肛門だ。中にチンコを突っ込めば、大事なムスコに茶色いUNKOが付いて出てくるよ。
 その男同士がヤり合っている姿を想像して、「それもアリだな、別にいーんじゃね?」と言える男性が、果たしてどれだけいるだろうか。

 これまでにも書いてきた事だが、筆者は小柄でしかも童顔である。しかも病気もあれこれしてきた身だけにインドア派で、マッチョでは全然ない。
 幸いにして筆者が通った学校はすべて共学で、職場にも女性がいた。そして少年院や刑務所などの矯正施設に入れられた事も、一度も無い。
 しかしもし男だけの世界に放り込まれて、その中にゲイがいたら、筆者は間違いなく尻を狙われる立場になるだろう。
 そうわかっているから、筆者はゲイが恐ろしいのだ。他人事ではなく「ゲイが、それも男役で入れたい方のゲイが居たらイヤだ」と真剣に思っている。

 だいたい、今の日本は同性愛者の権利を言うばかりで、同性愛者から異性愛者を守るようには全くなっていないではないか。
 トイレも更衣室も風呂も殆どみな男女別で、社会そのものが「同性の体を性的な目で眺める者は居ない」という前提になっているんだよね。
 だからそこに同性愛者が存在すると、異性愛者としては、とても困ってしまうわけだ。
 だって同性愛者としては、トイレも更衣室も風呂も“好きな同性”と一緒で、好きな相手の体を見放題なんだよ?
 それって、「同性だから平気」と心を許している異性愛者としてはたまらなく嫌だよ。

 と言うと、ゲイの人から必ずこんな怒りの反論が返って来るよね。
「ゲイだって好みの男が居るんだから。お前の体になんて興味ねーよっ」
 うん、それは確かにそうだろうとは思う。

 ただね、異性愛者の筆者だって、女の子の裸なら誰のでも見たいわけじゃないんだよ。好ましい女子の体にしか興味は無いし、興味の無い女子の裸なんて見たくもないさ。
 でもそれは、男が女性に言ってはいけない事だよね?
 相手の裸に興味があろうが無かろうが、男が女性用のトイレや更衣室や風呂に入った時点でアウト
 同性愛者の場合もそれと同じで、同性に性的な欲望のある人は、それだけで同性と同じトイレや更衣室や風呂を使ってはマズいんだよ。
 だから「LGBTを差別するな!」と言うなら、まずトイレや更衣室や風呂などを、異性愛者と完全に別にすべきだと筆者は考える。
 そしてLGBTの人は自分がそういう人なのだと、異性愛者にもはっきりわかるようにしていただきたい

 最近の男性向けのマンガでは、“男の娘”というのがかなりの人気なのだそうだけれど。
 知る人ぞ知る、「こんな可愛い子が、女の子の筈がない」ってやつね。
 でも筆者は、見かけがどれだけ可愛くても「チンコが付いている」ってだけで、もう駄目で受け入れられないのだ。「自分と同じモノが付いてる」という時点で、もうストップで拒絶反応だよ。
 だから腐女子が愛するBL本など、「表紙をチラ見しただけで目が腐る」という感じで……。

 そのくらいの“完全異性愛者”で、他人のゲイのカップルについては「勝手にしてくれ、但しオレの視界に入らない場所で」としか思わないけれど、自分自身が同性愛を受け入れる余地は全く無い筆者としては、LGBTの生き辛さや権利の向上ばかり叫ばれている現状が、歯痒くてならないのだ。
 異性愛者としては「同性に恋愛感情を持たれて性的な目で見られるとか、絶対嫌だし気持ち悪いとしか思えない」という本音を、大声で言いたくてたまらなくなってしまう。
 LGBTの人達は異性愛者たちの中で苦しんでいるのだろうが、異性愛者も同性愛者の存在に困惑している現実もわかっていただきたい。
 少なくとも筆者の周辺では、「同性愛者が差別されている」と言うより、「異性愛者の方がLGBTの人に気を使っている」という感じなのだ。

 とは言え、実際にはそのLGBTの人が人間的にとても良い人だと、「絶対嫌だし、気持ち悪い!」とか思えなくなってしまうのだけれどね。
 実は筆者の若い頃からの友人の一人に、バイセクシャルの男がいたのだ。
 ただバイセクシャルと言っても、そのS君は「中学生の男女が好き」と言っていて、知り合った時には筆者は既にその彼の“対象”の年齢を超えていたので、「まあ良いか」と友達付き合いをしたのだが。
 しかしS君のどことなくねっとりした視線やものの言い方が、何となく心に引っかかって、微かに「嫌だな」と感じた事があるのも事実だ。繰り返すが、筆者は小柄で、かつ童顔だったから余計に……ね。
 ともあれ、そのS君は今もまだ筆者の友人の一人である。

 LGBTには生き辛さがあるだろうが、それは性的マイノリティーならみな同じだ。
 LGBTの者だけが世の中で苦しんでいるわけではなく、異性愛者だって同性愛者との対応に悩んでいるのだ。
 あと、別に「生き辛い」だの「差別だ、傷ついた」だのと大声を上げなくとも、人柄さえ良ければ友人は出来る
 S君はそれほど社交的でもなかったせいもあって、人数はそれほど多くは無かったが、親しい友人は筆者以外にも何人もいた。
 もちろんその友人たちは皆、筆者同様にS君がバイセクシャルである事を知っていた。
 それだけに筆者は、現在マスコミがLGBTの人達を盛んに取り上げて、彼ら彼女らに対する理解と権利ばかりを社会に求める事に、強い違和感を覚えるのだ。

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