空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

『ワカコ酒』に見る、日本でのウイスキーの扱い

 アニメやテレビドラマにもなった、新久千映さんの『ワカコ酒』というコミックスを、皆さんはご存じだろうか。
 酒呑みの舌を持って生まれたがゆえに、今宵も居場所を求めて(もっぱらお酒を飲めるお店を)さすらい一人酒をする、村崎ワカコという26歳の女性の話なのだが。
 実は筆者はこの『ワカコ酒』を、コミックスの一巻が出た直後から買って読み続けている。

ワカコ酒P1090399

 主人公がフラリと立ち寄った店で、その晩の気分や店のお品書きから選んだ食べ物に合った酒を飲む……という、ストーリーらしいストーリーもない、他愛もないお話だけれど、なかなか悪くないデス。
美味しんぼ』などの、主に男性が描くグルメマンガのように、妙に凝ってこだわっていちいち講釈をたれるような事は全く無くて。
 イカリングや板わさやもずく酢やしらすおろしなどの普通の料理を、ビールや麦焼酎や日本酒などで普通に呑んで「おいしーっ」って満足してホッコリした気分になるという、毎回それだけの話なのだけれどね。
 でもその“こだわり”が無い分だけ、読み手も「勉強させられる」ような気分を強いられることなく、ただ「これ、おいしそうだなー」と思いながら気楽に読む事ができる。
 性格の悪い筆者のように「副原料入りのものはビールではない!」とか、「焼酎は常圧蒸留で甕貯蔵したものに限る」とか、あるいは「純米でなければ、日本酒とは認めない!」などといったような小うるさい事は、ワカコさんは決して言わないのでアリマス。

 このワカコさんは、お酒に本当にこだわらないのだ。料理に合わせて、日本酒も燗をつけたり冷やだったりするし、焼酎もロックだったり水割りだったりお湯割りだったり、麦だったり米だったり芋だったりするけれど、銘柄にも製法(アルコールを添加するかとか、蒸留や貯蔵の方法とか)にも全くこだわっていないんだよね。
 時にはあえて安い酒場に行って安酒も飲むし、発泡酒だって飲む。
 それも仕方なく我慢して飲んだり、「やっぱり安酒はコレだから……」と怒ったりするのではなく、その場の空気と一緒に楽しんでいる。
 日頃から何事にもこだわりが強くて、このブログでもウイスキーやビールや日本酒について「こうでなければいけない、こんな偽物が出回っているのは間違っている」と小うるさく講釈ばかりたれている筆者としては、『ワカコ酒』を読んで「このこだわり無く素直に何でも楽しむ姿勢も必要だな」と考えさせられたよ。

 とは言うものの、こだわりの強い筆者として、『ワカコ酒』に一つだけ注文をつけたい事がある。
 ワカコさんは日本酒は燗でも冷やでも飲むし、焼酎もロックでも水割りでもお湯割りでも飲む。
 しかしウイスキーについては、いつもハイボールでしか飲まないのだ。

 例えば『ワカコ酒』の5巻では、メンチカツと一緒に注文して、熱々のメンチカツをほおばる為の「すっきりアルコール」として、「つめたー」とか言いながら飲んでいるし。
 そして6巻でも、カニクリームコロッケを「炭酸でシュワッと食べたくて、ビールよりも洋食寄りでハイボール」と。そして「時間が経ってもいつまでも熱いクリーム、冷ますハイボール。キンとしたお酒で次の一口がもっととろける」と続くのだ。

 ……うーん。
 ウイスキーを「冷たいキンとした、すっきりアルコール」と言われてしまうと、ウイスキー好きとしてはすごく、すごーく不本意なのだけれど。
 酒齢の若い安いので作ったハイボールはともかくとして、良いウイスキーは香りは芳醇で味も深く豊かで、ストレートや濃いめで飲んでもその度数の高さを決して感じさせないよ。
 飲んでまずアルコールの刺激がキンと来るようなウイスキーはろくでもない安物だし、ましてや炭酸で何倍にも薄く割ってもまだアルコールの刺激を感じるようなシロモノなど、ウイスキーの名に値しないと筆者は考えている。

 それにハイボールを「ビールよりも洋食寄り」という『ワカコ酒』という解釈にも、どうにも納得が行かない。
 だってそもそも、アメリカはともかくヨーロッパには蒸留酒を割って飲むという習慣が無く、イギリスのパブでもハイボールは「客に頼まれたら作るけれど、積極的には出さない」というものだからね。
 だからビールを飲みながら食事をする事はよくあるけれど、ハイボールを飲みながら食事をするという光景は、まずヨーロッパでは考えられないのだ。
 ゆえにハイボールが「ビールよりも洋食寄り」というのは、ワカコさんの脳内と主観ではそうなのかも知れないけれど、現実にはあり得ない事なのだ。

 ワカコさんはウイスキーはいつもハイボールを注文し、そのハイボールには必ず氷が入っていてキンキンに冷たい状態のようだけれど。
 実はビールも、キンキンに冷やしてそれをゴクゴク飲むのは、日本だけなのだそうだ。気候が蒸し暑いせいで冷えたビールが好まれ、同じようにウイスキーもハイボールが好まれるのだろう。
 しかしビールの本場の欧州では、ビールはあまり冷やし込まず、そしてゆっくり、じっくり味わいながら飲むものなのだ。
 ビールでさえそうなのだから、それより遙かに度数の高いウイスキーは、もっとゆっくり、じっくり味わってほしいものだと思う。

 とは言うものの、欧米ではどうあれ日本では「ウイスキー=ハイボール」というイメージが強いのは事実だ。
 けれど主人公が料理に合わせて日本酒なら燗酒も冷酒も、そして焼酎は麦も芋も米もそして栗まで飲み、さらにロックでも水割りでもお湯割りでも飲んでいるというのに、ウイスキーに限ってはハイボールでしか飲んでくれないのが、筆者の『ワカコ酒』に対する唯一の、そしてとても大きな不満だ。

 ただ『ワカコ酒』は「酒呑みの舌を持って生まれた」村崎ワカコの話と言いつつ、メインは酒に合う食べ物の話で、酒はその食を進ませる為の添え物というような扱いだ。
 そういう意味で、食べながら飲むウイスキーというと、自然にハイボールや日本流の薄い水割りになってしまうのかも知れないが。
 それでも「ウイスキー=ハイボール」という日本のみの風潮を助長するのではなく、長期熟成されアルコールの刺激の弱まった芳醇で深い味と香りを持つ良いウイスキーをお飲みになって、そしてストレートやロックやトワイスアップなどの濃いめのウイスキーに合う食も紹介して貰いたいものだと、『ワカコ酒』の新久千映さんと出版社の編集部の皆さんに切にお願いしたい。

 それにしても『ワカコ酒』は、面白いけれど危険なコミックスだ。
 何しろ『美味しんぼ』などと違って、紹介されている食べ物はごく普通に手に入る、比較的よくある食べ物が多い。
 紅しょうが天とか、梅干しとか、味付きメンマとか、岩のりとか、磯辺揚げか、水餃子とか、そうした特に高価でも無いありふれた食べ物を、実に美味そうに描いているのだ。
 だから体重が気になっている方は、悪いことは言わない、読まない方がいい。まず間違いなく、描かれているあれもこれも食べたくなるから。
 タイトルは『ワカコ酒』で主人公は「酒呑みの舌を持って生まれた」女だけれど、勘違いしてはいけない。これは酒の話などではなく、酒のアテになる食べ物の話だ。

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感情と理性と、貴方は恋でどちらをより大切にしますか?

 小説やコミックスだけでなく、ドラマや映画でも恋愛をテーマにした作品は多い。
 テーマが恋愛でなくても、恋愛の要素が全く無い作品の方が少ないくらいだ。

 で、その作品を読んだり見たりする主な対象が男性なら、主人公は男で複数の魅力的な女性が絡む、そして対象が女性なら、女の主人公に複数のイケメンが絡む話が少なくない。
 ただ、そうした作品を見たり読んだりしていて、途中からそれ以上ストーリーを追って行く気力がフッと失せてしまう事がよくある。
 その理由はズバリ、「主人公は、何でこんな相手を選ぶかなー。他のキャラの方がずっと良いのに」という不満である。

 小説でもコミックスでもドラマでも映画でも、読者あるいは観客はただ制作者が作ったストーリーに沿って、背後霊のように主人公の言動をただ見守るだけしかできない。
 だから心の中で「こっちじゃない、あっちの相手を選べよ!」といくら思っても、ストーリーは(読者や観客である貴方にとって)不本意な相手とのハッピーエンドに向かい、一直線に進んで行ってしまう。

 そもそも小説もコミックスもドラマも映画も、ストーリーは制作者がしいた一本のレールの上をただ進んで行くだけなのだ。
 ラストに行き着くまでの過程がいくら波瀾万丈でも、ストーリーが既に作られた一本道である事に違いはない。
 だからその物語に魅力的な異性がどれだけ出て来ても、主人公が誰と恋に落ちるか貴方には決められないのだ。
 貴方に出来るのは、制作者が決めた相手と主人公が恋に落ちるのを、ただ眺めている事だけなのだ。

 もちろん小説やコミックスやドラマや映画の制作者も、お客の最大公約数的な好みを理解した上で「この組み合わせが最も人にウケる筈」と考えてストーリーを作り上げているに違いない。
 ドラマや映画と違って、小説やコミックスの作者は基本的に一人だ。しかし小説やマンガも商業作品である以上、作者の後ろには編集部の人たちが付いていて、充分に話し合った上でストーリーを決めている筈だ。

 しかしそれでも、現実には「この主人公、何であんな良い相手をフッて、こんな虫の好かない相手を選ぶかなー」と途中で腹が立って来るようなストーリーが少なくない。
 恋愛が絡むストーリーでは、「主人公(同性)が、嫌いなタイプの異性を選んだ」というのが、興醒めの最大の原因になりやすいが。
 そしてそれと似ているが、「好ましい異性の主人公が、同性として嫌いなタイプの相手とくっついた」というパターンもまた、ストーリーに興醒めする大きな原因になりやすい。

 特に筆者は変わり者で、好みが皆と少し違っているらしく、その「主人公が好みの異性をフッて嫌いな異性を選んだ」あるいは「好きな異性の主人公がイヤな同性とくっついた」というパターンで、その作品に大いに興醒めする場合が少なくなかった。
 そんな筆者のニーズにぴったり合ったのが、ずばりゲームだった。
 小説やコミックスやドラマや映画では、読者や観客はあくまでもストーリーの傍観者だが、ゲームではプレーヤー自身が主人公だ。どう行動して何を言い誰を選ぶか、プレーヤーが主人公として決めて行動しなければ、ストーリーは進んで行かない。
 そして結末も主人公であるプレーヤーの選択にかかっていて、よく考えて頑張れば好みの相手とハッピーエンドを迎えられる反面、下手をすれば悲しい別れに終わるバッド・エンドもあり得るから、プレーヤーは主人公としてよりその世界に入り込んでストーリーに熱中する事になる。

 相手役のヒロインに自分の好みの相手を選べるし、ストーリーの主人公になり切ってプレイする自分が下手な行動を取れば、バッド・エンドに一直線だ。
 実に楽しいし、面白い。
 筆者はそう思うのだが、世の中の人々の反応は違う。
 恋愛小説や恋愛マンガを読んだり、恋愛ドラマや恋愛映画を見たりしても、人から馬鹿にされ世の中から冷たい目で見られる事は無い。
 しかし恋愛ゲームをするとなると、オタクと馬鹿にされ二次元萌えの変態扱いされかねない。
 何でだ! と筆者は声を大にして怒りたい。恋愛ゲームだって、恋愛小説や恋愛コミックスや恋愛ドラマや恋愛映画と同じ、立派な“作品”だ
 小説やコミックスやドラマや映画なら良くて、ゲームだと恥ずかしいオタクのものと決めつけるのは、間違いなく差別で偏見だろう。

 それにゲームには、他の小説やコミックスやドラマや映画には無い良さがあるのだ。
 前にも言ったように、小説やコミックスやドラマや映画では読者や観客は主人公の傍観者で、制作者が決めた一本道のストーリーをただ追うしかできない。
 しかしゲームではプレーヤーが主人公としてそのストーリーの世界の中で行動し、物語のエンディングを決めるのもプレーヤーである貴方自身だ。
 物語の中で“行動”し、ストーリーを動かして行くことが出来る。それが他の小説やコミックスやドラマや映画と違う、ゲームの大きな魅力だ。

 そしていろいろゲームをプレイして、いろいろ行動しているうちに、自分というものが次第に見えてくるようになる。
 ただ「自分はどんなタイプの相手が好きか?」という事だけでなく。
「人の気持ちと自分の感情と、どちらを大切にするか?」とか。
「誤解から相手と険悪な仲になってしまった時、どうするか?」とか。
「皆に良い顔をしようと思うか、それとも誰かを傷つけても、選んだ一人だけを大切にするか?」とか。
 ゲームの世界の中でいろいろ行動して行くうちに、自分の性格や行動パターンまで自然に見えてくるものだ。

ふぁいなる・あぷろーちP1090402

 例えばプリンセスソフトというメーカーの、『ふぁいなる・あぷろーち』というゲームがあって。
 これには5人のヒロインが出てくるのだが、筆者はそのうちたった一人しか選べなかった。
 と言うのは、このゲームは絵こそ西又葵さんの可愛らしいキャラを採用しているものの、誰と恋するかにプレーヤーの倫理観がそれとなく、しかし厳しく問われているからだ。

 5人のヒロインのうち、まず益田西守歌(しずか)は「純情可憐で清楚なお嬢様……を演じている、凶悪な女傑」で、妹と二人暮らしをしている主人公の家に、いきなり“婚約者”として強引に入り込むのでありマス。
 続いて水原明鐘(あかね)は主人公の妹で、大人しくて引っ込み思案デス。
 陸奥笑穂(えみほ)は主人公の同級生で、本物のお嬢様なのだが、それらしいのは外見だけで、サッパリした男のような性格で、主人公とも友達付き合いをしている。けれど同じ名家の、昔からの許婚がいる。
 守屋美紀は主人公と幼なじみで、小学校の頃までは仲良くしていたのだが中学は別になり、高校でまた再会したのだ。
 最後の芽生百合佳は、両親がいない主人公と妹の親代わりになってくれている従兄の恋人で、主人公の先輩でもある。

 ……どうでしょうか。
 原画が人気絵師の西又葵さんによるだけに、どのキャラも外見的にはとても可愛いのだけれど、実際には選びにくい相手ばかりでしょうが。
 許婚がいたり、恩人の恋人だったり。明鐘に至っては、何と自分の妹だよ?
 いくら相手が好きで恋する気持ちは抑えられないにしても、許婚がいる相手や恩人の彼女や、ましてや妹に手を出す……ってのは、人として倫理的にどうかと思うのだ。倫理観は人それぞれと言え、少なくとも筆者はね。

 実は最初は、筆者は笑穂さんが良いかな……と思っていたのだ。外見というより、お嬢様ぶらないサッパリした性格が好きだったんだよね。
 ただ笑穂さんには、昔からの許婚がいて。
 それでももし笑穂さんがその事に疑問や不満を持っていたのなら、「昔からの家と家の関係に縛られるなんておかしい!」と頑張るけれど。
 でも当の笑穂さんはその許婚と仲も良いし、許婚という関係にも疑問を持っていないし。
 なのに自分の恋愛感情だけで、「許婚だなんておかしい!」と割って入って仲を裂くのは、筆者は間違っていると思うのだ。

 続いて百合佳さんも、「恋人である主人公の従兄が、仕事が忙しいとかで最近冷たくて、寂しい思いをしている」という前提がある。
 だとしても、相手が恩人の恋人ならば、世話になっている従兄と百合佳さんがうまく行くよう仲を取り持つのが“人の道”ってものでしょ?
 従兄と百合佳さんの仲が最近微妙だからって、その百合佳さんの心の隙に付け入るような真似をするのは、泥棒猫以下の卑しい行為だと筆者は考える。

 増してや、自分の妹に恋愛感情を抱くとは、それこそ犬畜生にも劣る行為でしょうが。
 ま、こうした物語の常として、ストーリーを進めて行くうちに「兄妹として育てられたものの、実は血は繋がっていなかった」とわかるのだろうけれどね。
 でも事前にそうした予備知識なく、ただ「兄妹だ」という前提しかない状態で明鐘さんに接近しようとするのには、筆者はものすごく抵抗がある。

 で、残るは押し掛け婚約者の西守歌さんと、幼なじみの美紀さんだけれど。
 西守歌さんは「純情可憐で清楚なお嬢様……を演じている、凶悪な女傑」とは言うものの、実際に家に居座られてみると意外に良い子なんデスよ。
 そして美紀さんを選ぶには、西守歌さんを家から追い出さなければならないのだけれど、肝心の美紀さんは別に主人公に気があるような素振りも見せず、態度もアッサリしたもので……。
 なのにわざわざ西守歌さんを追い出してまで、美紀さんにセマる必要も感じなくて……。

 それで筆者は、『ふぁいなる・あぷろーち』は西守歌さんのルートしかやらなかったのだ。
 許婚のいる相手や、恩人の彼女や、ましてや妹にセマるとか、筆者の倫理観がどうしても許さなかったのだ。
 ま、美紀さんのルートはやっても良かったのだけれどね、ただ、そうするとかなり好きな西守歌さんをフッて、家から追い出さなければならなくなる。それが嫌で、美紀さんのルートも出来なかったよ。
 この『ふぁいなる・あぷろーち』でも改めて自覚させられたけれど、筆者は好きなんデスよ、清楚なお嬢様に見えて実は芯の強い女傑タイプの女性が。

 あと、筆者は間違いなく自分の恋愛感情より、人としての倫理観の方を大事にする人間なのだ。
 と言うと、「それはオマエが本当の恋をした事が無いからで、誰かを心から愛すれば許婚がいるとか恩人の彼女だとか兄妹だとか、倫理や善悪など頭で考える理屈など関係なくなる」と非難されそうだけれど。
 現実の自分の恋愛でも、筆者は彼氏がいるとわかっている女の子に横恋慕して手を出した事は全く無いデス。他にも交際相手がいるのを内緒にされて、相手にフタマタをかけられた事はあるけれどね。

 出逢った相手が、たとえどんなに魅力的でも。
 その人に彼氏がいるとわかった瞬間に、「手を出そう」という気持ちが全く無くなってしまうのだ。
 相手に対する好感は変わらないのだけれど、「付き合いたい」という気持ちがスーッと失せてしまうんだよね。
 だから他に好きな人がいる女の子に対して「何とかして振り向かせて、その彼氏から奪ってやろう」なんて、思った事はまるで無いよ。

 だって他人のものを横取りするのは泥棒じゃん。
 恋愛だって、それと同じ。
 筆者は自分の彼女にフタマタをかけられて、知らぬ間に他の男に寝取られていた痛い経験が何度かあって。
 それだけにフタマタも他人の恋人に手を出して寝取るのも、どちらも道に外れた汚らしい行為だと思ってしまうんだよね。

 でも「恋する気持ちは、理性や理屈では抑えられない」って?
 では少し、筆者自身の体験を語ろう。

 筆者には小学6年生の頃に、好きだった女の子がいて。
 相手は近くの席で同じ班だった、おとなしくて可愛い子でね。筆者が主に話しかけたりちょっかいを出したりするうちに、自然に仲良くなってさ。
 ただその頃の筆者は、すごくガキだったから。幼稚な男子にありがちな、「好きな子に逆に意地悪する」みたいな馬鹿な真似、よくやったなぁ……。
 で、その子の親友の女子から「あの子、黒沢が好きなんだって」と聞いても、ただ「ふーん」という程度で。
 好かれていると聞いても、何をしたら良いのかまるでわからなかったんだよ、あまりにガキ過ぎて。
 それでまあ仲の良い友達のような関係のまま、何の進展も無いまま中学生になってクラスも別になって、さらに高校は違う所に進学したから、顔を合わせる事も全く無くなってさ。

 ところが二十代の半ば頃に、その子と再会してしまったのだ、よく浮気や不倫のモトになるという、あの同窓会というやつで。
 問題の小学6年生の時のクラスの同窓会の幹事役が、たまたま筆者に回って来ていてさ。で、女子の方の幹事が、例の子の親友だった女の子で。
 そしてその女の子が、「二人で準備するのは大変だから、他の子にも手伝って貰おうよ」と言って引っ張り出したのが、問題の小6の時に仲の良かった例の子だったのだ。

 昔は可愛いけどおとなしくてあまり目立たなかったその子は、再会してみるとフワッとした感じの、女らしい素敵な女性になっていてさ。
 すごくイケてるし良いなって、心から思ったね。
 ただその時、子供こそまだだったけれど、その子は既に他の男性と結婚していたのだ。
「あの子、黒沢が好きなんだって」と聞いていながら、ただ「ふーん」で済ませてしまった小6の頃の自分を、本当にタコ殴りにしてやりたい気分だったね。

 同窓会の準備の打ち合わせ……って事で、その子と合って話す事が何度もあってさ。
 そして会って話す毎に、「いいなあ、好きだなあ」って思う気持ちは強くなっていったよ。
 で、その子の筆者に対する感情も、けっこう悪くない感じでさ。そしてその子は嫁姑問題ってやつを抱えて悩んでいた事もあって、「押せば落ちるかな」って感じもあったのだ。

 でも筆者は、結局その子に手は出さなかった。
 いくら好きでも、他人の妻に手を出す……って気には、本当にどうしてもなれなかったんだよ。
 だから浮気どころか、キスの一つもしていない。
 ただ同窓会の二次会で一度だけ一緒に踊って、「もっと早く出逢っていれば良かったね」と囁き合って、それだけで本当に終わりだよ。
 その子が住んでいる場所も知っているけれど、例の同窓会の後は二度と会ってないよ。

 好きになった人に、他に交際相手や結婚相手がいたら、筆者はチャンスがあっても本当に手を出さないでいる。
 それは勇気が無いからではなく、自制心と理性の問題だと自負してる。
 好きな気持ちはどうにもならなくても、その感情を行動に移すのを抑える理性と自制心の無い人間を、筆者は軽蔑する。

「理性で情を抑える」と言うと、とかく心で感じるものよりも頭で考えたことに従って動く、冷たい人のように思われがちだが。
 ただ感情のまま突っ走り、恋人のいる人や既婚者にも手を出してしまう人と。
 好きだと思う情を、人の道を考え心の中で必死に抑えて自分一人で辛い思いに耐える人と。
 さて、貴方はどちらの人の方を、より“人間らしい”と思うだろうか。

 でも、恋愛ゲームは良いよ。
 たとえ許婚のいる相手や恩人の彼女や妹に手を出しても、現実に痛い目に遭うわけではないからね。
 で、プレイしているうちに「どんなタイプの子が好きなのか」だけでなく、「理性より感情優先で、ヤバい恋にも突っ込んで行ってしまう傾向があるか?」とか、自分の恋愛の傾向もいろいろわかってくるし。

 筆者自身も、ゲームをして自分のいろいろな面がわかったよ。
「いかにも女らしい守ってあげたくなる女の子より、芯の強いキリッとした子を好きになる」とか。
「結論は急がず、すぐには動かずよく見てよく考えてから答えを出す性格だ」とか。
 あと、「変に意地っ張りで、喧嘩をすると仲直りがとても下手」という欠点も、ゲームを通して初めて自覚させられたよ。

 ゲームのプレイの仕方には、その人の性格や人間性が自然に出て来るものだから。
 別に恋愛ゲームでなくても、例えば『ゴーストリコン』や『メダル・オブ・オナー』のような、一兵士として戦場で戦うアクション系のシューティング・ゲームでは、筆者は最前線に出て敵と派手に撃ち合うより、物陰に隠れ狙撃銃で遠くから敵を一人ずつ倒して行くのを選ぶことが多いデス。
 ……ほら、にじみ出て来るでしょう、筆者のイヤーな性格がwww。

 小説やコミックスやドラマや映画と違って、ゲームでは自分が主人公になり切って、恋愛や戦場を疑似体験できるから。
 小説やコミックスやドラマや映画とは違った良さが間違いなくあるし、プレイを通して“自分”というものが見えてきたりもするのだ。
 だからただ「ゲームだから」というだけで、「オタクのもの」と馬鹿にして小説やコミックスやドラマや映画などより下の存在として見るのは、ぜひやめて貰いたいものだと思うのでありマス。

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太宰治の『失敗園』はお勧めです

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 木瓜の花です。
 手入れが悪く、植え替えもせず小さな鉢に放置しているのですが、健気に毎年咲いてくれます。

 植物にも感情はある、という説もありますが。
 もしこの木瓜に口があってものが言えたなら、まず間違いなく私に文句を言いまくることでしょう。

 そう言えば、植物がものを言う太宰治の小説がありまして、『失敗園』というのですが、これがまたメチャ面白いのです。
 青空文庫から出ていて、短編だし無料なので気軽に読んでいただけると思います。
 よろしかったら、ぜひダウンロードして読んでみて下さいね!

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萼、なのだそうです

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 角度を変えて撮ったアネモネですが、中心の黒い部分があまり綺麗に見えなくて……。
 そうそう、アネモネの花弁に見える部分は花びらではなく、ガクなのだそうですね。
 私も調べてみてようやく知りました。

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年相応に上手に枯れて行きたいのだけれど…

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 昔は主に女の子の写真とか撮っていた私ですが、近年は花や空や猫ばかり撮っています。

 それで時々連絡をくれていた女友達に、「ある程度の歳になった男が女の子にがっつくのは傍から見ていても見苦しいし、だから適当に話し相手になりつつ、自分からは積極的にアプローチとかかけないんだ」と何気なく言ったところ、それ以後突然その子からの連絡が途絶えてしまいました。
 ……もしかして、がっつくくらいに積極的に攻めて来るのを期待してたワケ?
 女性の気持ちって、なかなか難しいですね。

 

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赤いアネモネ

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 アネモネは多年草で毎年咲いてくれるのは嬉しいですが、なかなか上手く撮れません。
 真正面から撮ると、どうもあまり綺麗ではないような気がしてしまうのです。
 それでこんな撮り方をしたのですが、これではチューリップみたいですね。

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赤い花

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 雨上がりに花弁に水滴が残っている光景って、何か好きです。
 でもだからって、その写真を撮るためにわざわざジョウロやシャワーで水をかけたりなんかしませんよ?

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黒ビールの入門に最適なキリン一番搾りスタウト

 イギリスやアイルランド、それにドイツなどの比較的気候が冷涼な地方のビールはコクがある濃いめのものが多く、それに対してハワイなどの暑い地方のビールは軽めだと聞く。
 確かに日本でも暑い時期には軽めのビールをよく冷やしてゴクゴク飲みたいものだし、逆に寒い時期にはコクのあるビールをじっくり、ゆっくり飲みたいと思う。

 それでか、近所のスーパーのビール売場で、キリン一番搾りスタウトが並んでいた。ギネスを意識してかどうかはわからないが、黒い缶がズラリと並んでいるとよく目立つ。
 実は筆者は、ビールはギネスが大好きだ。それでキリンが副原料ナシで造った黒ビールがどれだけギネスに迫っているか気になって、思わず一本買ってみてしまった。

キリン一番搾りスタウトP1090357

 で、家に帰り少し冷蔵庫に入れてからプルトップを開けてみると、ほのかにカラメルに似た甘い香りが漂う。
 グラスに注ぐとコーヒーのような濃い色で、泡も茶色だ。
 飲むとまず苦みを感じるが、それもホップの苦みというより、ローストされた麦の香ばしい苦みだ。
 そしてボディは意外に重くなく、他の一番搾りに似てスッキリ飲みやすい。ギネスより間違いなく軽いビールだ。
 それだけに、ギネスよりも飲みやすく一般ウケしそうな感じだ。

 だからそれゆえ、飲みごたえのある重めのしっかりした味わいを求める人には物足りないだろうと思う。
 実は筆者も、「ギネスに比べてかなり物足りない」と感じた。

 とは言うもののイヤ味は全くないし飲みやすいし、本場の本格的な黒ビールと比べさえしなければ味も香りもとても良くて、かなり美味しいビールだと思う。
 と言うより、本場の本格的な黒ビールは好き嫌いがハッキリ分かれるだろうが、この一番搾りスタウトを飲んで「マズい、苦手だ」と言う人はかなり少ないだろうと思う。

 という意味で、一番搾りスタウトは一部の黒ビール好きを対象にしたのではなく、一般のビール好きを対象にした良く出来た商品だと思う。
 普通のビール好きが、寒い時期にじっくり飲むのに向いたビールだ。

 また、これは黒ビールのお試し用と思っても良いと思う。
 これを飲んでみて「美味い!」と思ったら、ギネスとかにも挑戦してみてほしいし。
 そしてこの香ばしい苦みが苦手なら、黒ビールは今後避けておけば良いし。

 繰り返すが、個人的にはギネスの方が好きだ。
 しかし本場のギネスより五十円以上安く、それでいて副原料ナシでイヤ味もなく、日本人の好みにも合わせたこの一番搾りスタウトは、間違いなく良く出来たビールだと思う。

 と言うより、一番搾り横浜づくりにしても、一番搾りとれたてホップ岩手県遠野産にしても、キリンはここのところ良いビールを出していると思う。
 スタンダードの一番搾りも、筆者の好みにはやや軽すぎだが飲みやすく悪くない、良いビールだと思う。そしてそれに胡座をかかず、いろいろな味わいの一番搾りを出してくるところに、キリンの本気を感じる。

 ただ出来れば、その本気さと熱意をウイスキーの方にも向けていただければもっと嬉しい。
 富士山麓は好評だが、所詮は千円を切る価格帯の普及品だ。その上にはロバート・ブラウンもあるものの、発売されてからかなりの年月が経つし、そろそろその価格帯で新商品を出しても良い頃ではないか。
 出来れば二千から三千円くらいの価格帯で、「さすがはキリンだ」と通を唸らせるような新製品のウイスキーも出して貰いたいと切に願う。

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女子の可愛さはまず“偽装”である

 ここのところ、政治や時事に関する固い(かつ偏った見解の)話を多く書いている筆者だが。
 しかしこのブログは、元は筆者自身のおバカでイタい失恋話などを多く話していた。
 というわけで原点(?)に戻り、今回は柔らかで下らない雑談をしよう。

コミックス・猫戸さんは…P1090386

 筆者は本もよく読むだけでなく、コミックスも同じくらいよく読んでいる。
 で、先月に読んだ真昼てくさんの『猫戸さんは猫をかぶっている』の一巻に、こんなシーンがあった。
 主人公は高校生の男子ながら、女子が猫をかぶっているのがありありと見えてしまって、そのせいでなかなか恋ができない。
 その主人公は、クラスの女子二人がこんな話しているのを、たまたま耳にしてしまう。

「でねっ、休日は何してる? って聞かれてぇ。お菓子作りしてるよぉ(ハァト)、って答えたらマジ喜んでてぇ」
「ぎゃはは、どんだけ猫かぶってんだっつの!」

 目一杯ブリブリして彼氏を騙している実態をあからさまに喋っている女子トークに、主人公は思わず苦笑いしてしまう。
 で、それに目ざとく気付いた例の女子二人に、主人公は凄まれてしまうわけだ。
「ちょっと! あんた何笑ってんの?」
「なんか文句あんの? ぶりっ子ウゼーとか思ってんじゃねぇの?」

 そう詰め寄られた主人公は、人間(特に女性)不信気味ながら世渡り上手なので、咄嗟に上手くかわしマス。
「ちょっと猫かぶってるくらいが可愛いじゃん。今の感じもギャップあって可愛いけど」

 笑顔でそう言われて例の女子二人組は気を良くして、「ぎゃーっ、なにあいつ、うちらに気ィあんの!?」とか騒ぎつつ、こう言うのでアリマス。
でもさっ、女子は大体偽装だし

 また、筆者が何度も思い切り笑わせていただいた大島永遠さんの『女子高生 Grls High』の七巻でも、男にモテるギャルグループの女子が、男の心理を逆手にとってモテる方法を主人公にいろいろ伝授した上でこう言いマス。
カワイイフリならまかせろ! つーか、まかせとけ☆

 ……おわかりでしょうか、世の中の男性諸氏。
 男から見て「可愛い!」と思いドキリとしてしまう女子の言動は、ほぼ99パーセント偽装で「可愛いフリ」なのデスよ。

「いや、あの子は違う! あの子だけは天然で本当に可愛いんだ!!」
 そうおっしゃりたい男性も、きっと多くいらっしゃる事でしょうな。
 でも貴方、甘いよ。
 それは天然なのではなく、天然を装っているだけのブリに違いないのだ。99%、ほぼ間違いなくね。
 可愛さと女らしさを偽装するのが巧みな女子ほど、天然のフリをするのも上手いのだ。

 筆者は断言する。
 可愛い女子の“可愛さ”はまず偽装で、猫をかぶり可愛いフリをしているだけなのだ。

 とは言え、筆者は女子が可愛さを偽装して猫をかぶるのを「悪いことだ」とは、決して思っていない。
 何故なら、女子が「可愛く見せよう」という努力をしないという事は、女を捨てるという事に他ならないからだ。
 想像してみてほしい、もし女子が「可愛く見せよう」という努力を放棄したら、どんな姿になるかを。
 筆者は考えるのすら恐ろしいね。
 食欲のままガツガツ食べてブクブクに太り、肌は脂じみて吹き出物も多く、着るものはヨレヨレのジャージかスウェットで、太い声でギャーギャー喋り、ジコチューで我が儘放題に振る舞う、かわいげの欠片も無い醜い生き物になるだろう。
 そんな生き物を、貴方は女と見て愛する事ができるだろうか。

 それに偽装や“フリ”という点では、男だって同じではないだろうか。
 福山雅治やジャニーズなどのモテ男は、何の努力せず素のままでイケメンなのだろうか。
 いや、それは無いだろう。イケメンはフツメン以上に髪型やファッションやスタイルにこだわり、態度も気を付けコミュ力も磨いているからモテるのだ。
 最初からモテることを諦めて、見かけに全く気を配らず体型はピザで、見かけだけでなく言動もスマートでなく、コミュ障も治さず女子とまともに喋れないようなブサメンとは、そもそもモテに対する努力が違うのだ。

 いくら地の顔が良く生まれついても、ピザになればその顔すら台無しだし、「顔さえ良ければ、ジャージ姿で髪ボサボサのコミュ障でもモテる」とは、少なくとも筆者には思えない。
 さらに逆に、自意識過剰になり過ぎてもイタい人になってしまってアウトだ。
 廣瀬ゆいさんの『ワンダーラビットガール』というコミックスの二巻にも、顔は良いのにカッコつけ過ぎで、「中身がイタい」と陰で言われて女子たちのイジられキャラになってしまっている残念なイケメン君が登場する。

 いろいろ努力は怠らず、けれどその部分は悟られぬよう自然にカッコ良く爽やかに振る舞って。
 ……モテるイケメンでいるのって、なかなか難しいもののようである。
 ちょうど女子が、天然の可愛い子を演じるのにかなりの努力を必要とするように。

 だから筆者は、女子が男の前では猫をかぶって可愛いフリを偽装するのを、決して悪い事だとは思わない。
 むしろ可愛く振る舞う事を諦めた女子は、女を捨てたも同然の醜い女子だと思う。

 アヒル口で上目遣いと萌え袖とフワフワ髪と高めの甘い声を装備した、作っているけれど見た目や仕草は間違いなく可愛い子と。
 そしていつもふくれっ面で、スウェットの上下でボサボサ髪で下品でガサツに振る舞う、飾らず素のままの天然モノのブスな子と。
 そのどちらかを選べと言われたら、筆者は間違いなく、そして迷わず前者の偽装でフリをしている可愛い子を選びマス。

 ある年齢以上のお方は、よく覚えておられるだろう。大手のハムのメーカーが、こんなCMをかつて盛んに放送していた。
「ワンパクでも良い、逞しく育ってほしい」
 それは男児に対する父親の目線だったが、筆者なら世の女性たちに声を大にしてこう言いたい。
ブリでも良い、可愛く振る舞ってほしい

 何しろ筆者には、一つ年上の姉がいたからね。
 だから女の実態とか、かなり知り尽くしているのだ。
 家では普段は見苦しい格好でだらしなくしているくせに、外出時には半ばヒスりながら必死こいて身支度を整えて可愛く化けて出掛けたりとか。
 いつもは太く低い声でぶっきらぼうに喋るくせに、男から電話があると一オクターブは高く可愛い声になったりとか。
 ある人と会っている時には笑顔で優しく愛想良く応対しつつ、その人が帰った途端に般若の顔になって悪口がマシンガンのように繰り出されたりとか。
 だからわかってる。
 女の子の可愛いのは“フリ”で“偽装”なんだと、痛いほどよくわかってるさ。
 それでも地のブスで性格悪くてだらしないのを素で丸出しにされるよりは、偽装でも可愛いフリをしていてくれた方が何倍も嬉しい。
 って言うか、女の子が可愛く振る舞ってくれなきゃ、男は女子に夢とか持てないし、愛する気持ちも持てないでしょ。

 だから筆者はあえて、偽装でも可愛いフリをする女の子の肩を持ちマス。
 で、年頃なのに可愛く振る舞おうとしない女子は、自分から女を捨てた存在として相手にシマセン。

 けど筆者のような「ブリや偽装を見抜いた上で、あえて許容している男」って、当の偽装の女子たちにはウケが悪いデスね。
 女子たちから見れば、自分たちのブリや偽装に相手が気付かずコロリと騙されるところが騙されるのであって、それと見抜いた上で「あー、よしよし、可愛い、可愛い」みたいのって、一番ムカつくかも。

 そしてまた、筆者も相手の可愛さを偽装と見抜いているから、相手に今一つ夢中になれないんだよね。
「俺には君しかいない、君をどうしても失いたくないんだ!」
 本当に正気でそう言い切れてしまうほど相手の女の子に惚れ込むには、相手が演じている可愛さを天然のものと信じて疑わないだけの純朴さが必要なようデス。
「あ、この子も可愛いフリをしてるな」
 そう見抜けてしまうと、いざ別れ話になった時にあまり未練が持てなくて。この子がダメでも、また次の子に行けば良いか……みたいな、妙にアッサリした感じになってしまって。

 だからか、筆者は恋愛は何度も(両手の指でも足りないほど)しているのだけれど、不思議なくらいどの恋も結婚には至らなくて、今もまだ独身なのでアリマス。
 バツの方もまだゼロで、本当に結婚すらまだした事が無いのでアリマスよ。

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菜の花と太陽

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 好きなんですよねえ、画面に太陽を入れるのが。
 受光素子には良くないのだろうけれど、ついやってしまいます。
 銀塩写真の頃にはなかなか出来ない事でしたが、今のデジカメは逆光にかなり強いように思います。

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