空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

緊急事態条項は日本を戦前やナチスの時代に戻す危険なものである

 先週、安倍政権と自民党が押し進めたい憲法改正(改悪)の危険性について書いた。
 その自民党と改憲勢力は、東日本大震災や熊本震災も憲法改正の口実にしたいようである。

 安倍首相とその周辺の自民党の改憲に熱心な政治家らは、東日本大震災などの震災やパリなどでのテロを持ち出して、「憲法には緊急事態条項が必要だ」と盛んに主張しているが。
 そしてそれらの震災やテロ、さらに軍拡を続ける中国や北朝鮮の脅威を見て「確かにそうした条項も必要かも知れない」と思ってしまう人もいるであろう。
 しかし自民党が憲法に取り入れたい緊急事態条項というのは、実に危険な代物なのだ。
 断言するが、この自民党の案の通りの緊急事態条項が憲法に盛り込まれてしまったら、今の自由な日本は終わりである。そして日本は、かつての大日本帝国やナチスの支配するドイツさながらの社会になるだろう。

 かつて麻生副総理が、「ワイマール憲法がいつの間にかナチス憲法に変わっていた。日本もそれを見習ったらどうかね」と言ったが。
 この震災やテロや中国等の脅威などを口実にして憲法に盛り込みたい緊急事態条項こそ、麻生副総理の言う日本の現憲法と国民の主権を踏みにじり、大日本帝国の時代に引き戻す“凶器”である。

 なぜ「震災やテロや中国等の脅威に備える」緊急事態条項が、現憲法と国民主権の社会にとどめを刺す危険なものなのか。
 まず自民党「日本国憲法改正草案」第九十九条の、「緊急事態の宣言の効果」について見てみよう。

 第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときには、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
 2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
 3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。
 4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。


 おわかりだろうか。
 立法権は国会にある筈なのだが、この緊急事態を宣言すれば、内閣がそれに代わって政令を制定し、財政も好きに切り回せるのである。
 そしてまた国民は、誰であろうが国または公の機関の指示に従わなければならないのである。
 で、その内閣の行為が正しいかどうか国会で審議されるのは事後であり、緊急事態の宣言中に、それに対して異議を唱えることは出来ないのである。

 国民が政権にNOという意志を突きつける事が出来る唯一の行為は、国政選挙での投票だ。しかし自民党の考える緊急事態条項では、宣言を発している間は衆議院は解散されず、さらに両議院の議員の任期と選挙期日も内閣の好きなようにできるのである。
 だからその内閣が「緊急事態が終わったと認められるまでは議会は解散せず、議員の任期も延長して選挙はしない」と言う事も可能なのである。

 続いて、このナチスの政権奪取とワイマール憲法の停止を思わせる緊急事態が、どのような時に宣言されるのか、少し詳しく見てみよう。
 自民党「日本国憲法改正草案」第九十八条の「緊急事態の宣言」では、このように書かれている。

 第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認められるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
 2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
 3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を越えて緊急事態の宣言を継続しようとするときには、百日を越えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。


 この自民党の考える緊急事態条項を見て、「もっともなことだ」とか「充分に歯止めがかけられているではないか」などと納得してしまう人は、余程のお人好しか馬鹿のどちらかである。

 自民党案をよく見ていただきたい。
 内閣総理大臣が緊急事態を宣言する事態について、「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」と書かれているが、この「内乱等」とか「自然災害その他」などという曖昧さが怖いのだ。
「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱、地震等による大規模な自然災害」ならわかりやすいし問題はないのだが、そこに「等」とか「その他」などの語句が付くと、途端に権力を濫用できる危険なものになってしまうのである。

 自民党案では、緊急事態の宣言の条件の一つに「内乱等による社会秩序の混乱」と書かれているが。
 なぜわかりやすく素直に「内乱」とだけ書かずに、「内乱等による社会秩序の混乱」としたか
 つまり自民党は「等」の文字を付ける事で内乱の解釈を広くし、「社会秩序の混乱」も加える事で、大規模な反政府デモですら憲法違反として緊急事態を宣言できるようにしたのだ。
 安倍内閣と自民党が強行した安保法制の採決に対して反対する多くの国民が、国会前に集まりデモを行ったが。
 あれすら「社会秩序の混乱をもたらした内乱等」として、緊急事態を宣言されかねないのだ。

 そして第九十八条の2項で、緊急事態の宣言は「法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない」とあるが、緊急事態を宣言せねばならぬような時に、国会を開いて事前に承認を得るなどという事はまず考えにくい。
 どうせ承認は事後に得るつもりなのであろうという魂胆は、条文からも見て取れる。

 さらに3項で、緊急事態の宣言は「事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない」とあるが、内閣がすべての上に立ち国民を支配できるこの使い勝手の良い緊急事態の宣言を、首相がそう簡単に手放すであろうか。
 当該宣言を解除するのは閣議による決定とあるが、「ならば総理と内閣は速やかになど解除せず、緊急事態をできるだけ長く宣言し続けようとするだろう」と思うのは、邪推に過ぎるだろうか。

 緊急事態の宣言の解除について、「不承認の議決があったとき」とも記されている。
 しかし与党が過半数を、それも自民党が単独でも過半数の議席を占めているような状況で、国会で総理や内閣の意志に反して緊急事態の宣言に不承認の決議がなされるような事など、まず考えられない

 同様に、「百日を越えて緊急事態の宣言を継続しようとするときには、百日を越えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない」という規定も、自民党が単独で過半数の議席を占めているような状況では、全く歯止めにならない。
 ただ百日ごとに、多数を占める与党の数の力で緊急事態の宣言の延長を承認すれば良いだけである。

 思い出していただきたい。
 自民党の日本国憲法改正草案では、緊急事態が宣言されたら衆議院は解散されず、両議院の議員の任期と選挙はいくらでも延長できるのである。
 テロや中国や北朝鮮の脅威を理由にもしこの緊急事態条項が憲法に盛り込まれ、自民党が国会の両院で過半数を占めている状況で緊急事態が宣言されたとしたら、麻生副総理の言うワイマール憲法からナチス支配への転換が、この日本でも実現するだろう。そして日本は、戦前の大日本帝国のような社会に戻るであろう。
 そしてそれこそが、安倍首相ら憲法改正を主張する者らの狙いなのだ。

 何しろ「内乱等による社会秩序の混乱」でも、緊急事態の宣言の要件になるのだから。
 アベ政治への反対デモが安保法制の時以上に盛り上がれば、首相と内閣は「社会秩序の混乱」を理由に緊急事態を宣言し、警察や自衛隊を動員して国の命令で反政府運動を禁止する事が可能なのである。
 筆者は安倍首相が敬愛する祖父岸信介元首相が、政権に対する大規模なデモに機動隊を動員しただけでなく、実際にはしなかったが自衛隊の動員も考えた事を知っている。

 小林節氏と樋口陽一氏の『「憲法改正」の真実』(集英社)によると、東日本大震災の直後に自民党のある議員が、「こういう緊急事態を経験した今なら、国家緊急権に国民の理解も野党の理解も得られる。やっと憲法改正の入り口が見えました」と、嬉しそうに小林節氏に語ったと書かれている。
 憲法を「改正」し、その中に緊急事態条項も取り入れたい自民党の議員にとっては、あの悲惨な大震災でさえ改憲に利用できるラッキーな出来事なのであろう。

 しかしその東日本大震災は、終息とは程遠い現状にある。震災から五年以上経ってもまだ仮設住宅で暮らさざるを得ないでいる方々も多くいるし、復興への道のりは長い。
「2020年の東京オリンピックなど止めて、その費用を東北の復興に使ったらどうだ」という声もあるが、筆者もそれに同意したい。
 震災の復興がなかなか進まないのにオリンピックに巨額の国費を使い、オリンピック気分で浮かれる気分になど、少なくとも筆者はとてもなれない。
 そして福島原発など、被災した市町村が復興するのに何十年かかるかわからない有り様である。

 そこでた、もし東日本大震災で緊急事態が宣言されたとしたら、内閣はそれをいつ解除しただろうか。
 筆者はもし震災時に自民党が単独過半数の与党で、安倍首相が政権を担当していて、緊急事態の宣言というカードを切ったら、今もなお緊急事態の宣言を解除せず、選挙も行わずに独裁政治を行っていただろうと思っている。

 緊急事態の宣言を、震災時に行うこと自体がそもそも間違っているのだ。
 なぜなら震災時に被災の実状と被災者のニーズを最もよくわかっているのは、国ではなく現地の地方自治体だからだ。

 あの震災で福島原発が事故を起こした時、当時の福島原発の所長だった故吉田氏は「現地から最も遠いのは首相官邸だった」という意のことを語った。
 そして自民党は当時の民主党の菅元首相の対応を繰り返し批判し、この5月12日にも東日本大震災発生時の民主党政権の初動対応を検証する報告書でも批判を繰り返した。
 確かに菅首相と民主党の政権には問題が多々あった。
 しかし「自民党政権だったら、もっと上手く対処できた」と言い切れる根拠があるのだろうか。
 東電と親しい仲にある自民党が政権の座にあったなら、震災は東電には責任の無い天災と片付けられ、国民の税金で福島原発の後始末がされたであろうと、筆者だけでなく多くの国民が思っている。

 そして先月の熊本震災でも、「政府は現地の実状をわかっていない」という声を聞いた。
 被災した現地と政府の距離が遠いのは、民主党政権でも自民党政権でも変わりないのだ。
 だからすべきなのは、現地の状況がわからない国や政府ではなく、現地の自治体の権限を強化する事なのである。
 なのに自民党が考える日本国憲法改正草案の緊急事態条項では、逆に内閣総理大臣が自治体の長に指示できるようになっている。

 自民党はこの5月12日に公表した東日本大震災発生時の民主党政権の初動対応を検証する報告書で、菅元首相と民主党政権を「行政の一挙手一投足を指示し円滑な運用を阻害」したと批判した。
 自民党は「菅元首相と民主党は駄目だが、我が党の内閣なら現地の自治体より実状がよくわかり、自治体をより良く指導できる」とでも言うのだろうか。それは夜郎自大と言うものであろう。

「憲法に緊急事態条項が無ければ、外部からの武力攻撃や内乱や大災害に対応できない」と思う人は、法律に無知だ。
 我が国には既に災害対策基本法や国民保護法があり、わざわざ憲法に緊急事態条項を盛り込む必要などないのだ。
 そもそも憲法とは権力の濫用を防ぐものであって、国民の自由や権利を制限するものではないのは法律の常識だ。なのに緊急時第条項では、国民に「国や公共の機関に従わなければならない」と義務を負わせている

 他の法律とは違い、憲法とは権力が守るべきものである。
 だが自民党の改憲したい政治家は、その事をまるで知らない。

 例えば日本国憲法の第九十九条にはこうある。

 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し養護する義務を負ふ。


 それが自民党「日本国憲法改正草案」では、第百二条でこう変えられている。

 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
 2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。


 おわかりか。
 自民党の改憲案では、憲法を守るべき義務を負うのはまず第一に国民なのである。
 そして国会議員や大臣や裁判官その他の公務員はその次で、天皇は憲法を守る義務も擁護する義務からも除外されているのである。
 これだけでも自民党の改憲したい政治家がいかに法律を知らず、そして国民を縛りたい反面、天皇を憲法の枠外の高い位置に置きたがっているのがよくわかる。
 だから筆者には、自民党の改憲に熱心な政治家が、日本を大日本帝国の時代の昔に戻したがっているように思えてならないのだ。

 もし次の選挙でも自民党が大勝して改憲が実現し、そして大規模な反政府デモか大震災が起きて内閣が緊急事態を宣言したらどうなるかを、ひとつ予想してみよう。
 どこかで大震災が発生し、首相と内閣が緊急事態を宣言する。そして東京の官邸から、政府と近い関係の“専門家”の助言と政治的な思惑で、現地の自治体に指示という名の“命令”を幾つも出す。
 政府と中央官庁の役人主導の対策で、現地の復興は思うように進まない。そしてそれを理由に、百日が限度の緊急事態の宣言を継続する。
 緊急事態の宣言の継続には国会の承認が必要だが、衆参両院とも自民党が過半数を占めているから、何度でも問題なく緊急事態の継続が“民意”の名を借りた国会で承認される。
 緊急事態中は衆院は解散は無く、両院の議員の任期も選挙の期日も特例で自由に決められるから、自民党が過半数を占めた両院の選挙はいつまでも行われず、同じ議員が死ぬまで議員でい続ける。
 それに不満を持った国民がデモを行うと、それも緊急事態条項にある社会秩序を乱す行為として警察、そして手に余れば自衛隊を出動させて取り締まる。
 政権に反対する意思表示をする行為そのものが、緊急事態条項による憲法に反する行為として、国や公共の機関(主に警察)に取り締まられる。
 政権に反対する者は、国の憲法を守らない者として逮捕され社会から姿を消し、そして多くの国民は不満があっても口にせずに政権に従うようになる。
 政府は新憲法による緊急事態の宣言を根拠に、警察力と自衛隊の力で国を支配する。もちろん選挙は行われず、議員は事実上死ぬまで議員のままで、緊急事態を宣言した首相の長期政権が続く。

 ……どうだろうか。
 ワイマール憲法下の社会からナチスの支配への転換が、日本でも見事に実現できそうではないか。
 少なくとも筆者は、そんな日本には絶対になって欲しくない。
 だから筆者は、次の国政選挙でも絶対に反自民の方向で投票する。


 繰り返しこのブログでも言ってきたが、筆者は基本的に保守思想の持ち主で、20世紀の間はどの選挙でも自民党に票を入れて来た
 しかし21世紀に小泉政権が誕生して以来、筆者は一度も自民党の候補者に投票した事は無い
 筆者は戦後の豊かになった平和な日本で生まれ育った。だからこそ安倍首相が敵視する「戦後レジーム」を大切に思っている
 その戦後生まれの保守主義者である筆者にとって、平和で皆が中流の暮らしができた戦後の社会を壊し、日本を戦前の大日本帝国に戻したいかのように見える安倍首相とその取り巻きの人々は、危険な革新軍国主義者にしか見えないのだ。
 そしてそれらの人々が憲法に取り入れたい緊急時第条項の危うさを、一人でも多くの人に知って欲しいと切に願う。

 緊急時第条項が憲法に無ければ、外国軍の侵略や内乱や大災害から国民を守れない
 そのような言説は、何とか日本を戦前の体制に戻したい“革新軍国主義者”たちによる大嘘である。

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猫が嫌いでも、虐待してはいけません

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 こうして見ると、精悍で良い顔をしていると思います。
 目もなかなか綺麗ですしね。

 でも、この写真を撮ってから、この黒猫さん、我が家に姿を見せなくなってしまいました。

 放し飼いにされているどこかの飼い猫か、それとも人懐こい野良猫なのかわかりませんが、元気でいてくれる事を祈っています。
 実際、我が家の近所にもいるんですよ、猫を虐待する人や、首輪のある飼い猫でも構わず捕らえて保健所に連れて行ってしまう人達が。

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黒猫は見かけで損をしています

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 くどいようですが、甘えて懐いているんです。
 光る目、そして赤い口と白い牙が目立ってしまいますが、猫好きで長くいろんな猫たちとかかわってきた私の経験でも、黒猫には人懐っこい性格の良い子が多いです。

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甘えているんです

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 うーん、この顔を見ると、不気味で怖いと思う人もいるかも知れませんね。
 でもこの子自身は、甘えて盛んに鳴いている最中なんですよ。

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黒猫さん

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 体のすべてが黒い、混じりけの無い黒猫さんです。

 今の日本でも「目の前を黒猫に横切られると縁起が悪い」などと思っている人もいるし、中世のヨーロッパでは魔女の使いとされ虐殺されたりもしました。
 でもこの子は、どこの飼い猫なのか野良猫なのかわからないけれど、とても人懐こい、性格の良い子でした。
 と言うより、黒猫には穏やかで人懐こい性格の子が多いんですよ、実際には。
 だから見かけだけで、黒猫を嫌わないで下さいね。

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枇杷の実

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 枇杷は甘くて美味しいですが、大きな種があります。
 そしてこの種を撒いてみると、発芽率がなかなか高いんですよね。

 で、我が家の庭にも、買った枇杷の種から発芽した枇杷の木が複数あったりします。
 と言っても、手入れが悪いので実ってくれる数は少ないのですが……。

 そしてこれが、実ってくれた僅かな実のうちの一つです。

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これぞギネスと言いたい、ギネスEXTRA STOUT

 ビール類と言えば、日本ではキンキンに冷やして喉越し勝負で飲むのが常識のようにされているが。
 しかしそれは蒸し暑く、かつ家庭に冷蔵庫が普及している国に限っての“常識”である。

 そもそも日本で主流の軽くスッキリしたピルスナータイプの下面発酵のビールが誕生したのは、大型の冷蔵設備が作られるようになってからで、本来はビールと言えば常温で上面発酵させるエールやスタウトなどの味や香りの濃いものであった。
 つまり現在主流になっている「下面発酵タイプのビールをキンキンに冷やし込んで喉越しで飲む」という習慣は、醸造所に冷蔵設備が備えられ、そして販売店だけでなく各家庭にも冷蔵庫が当たり前に置かれるようになってからである。

 確かに暑い時期、仕事帰りや風呂上がりによく冷えた軽めのビールをグイグイ飲めば「美味い!」と思う。
 しかしキンキンに冷やしたビールを喉越しで飲んで美味いと思えるのは、最初の一杯か二杯くらいまでではあるまいか。
 さらに上着やコートが必要な時期にも、キンキンに冷やしたビールを一気に飲み干したいと思えるだろうか。
 ビールをキンキンに冷やして喉越しで飲んで本当に美味いと思えるのは、少なくとも筆者は「暑い時期に、最初の一杯か二杯限定ではないか」と思っている。
 だから筆者は、日本の冷やし込んで喉越しで飲む用に造られたビールは、どうしても好きになれずにいた。

 そんな筆者が心から「美味い!」と感じたのが、欧州の昔ながらの上面発酵タイプのビールである。
 日本の一般的なビールよりずっと味も香りも濃いビールを、あまり冷やし込まずに、ゆっくり時間をかけて飲むと、ものすごく美味いのである。
 日本の喉越し重視のビールと違って、あまり冷やし込まない上面発酵タイプのビールは暑気払いの役に立たないのは認める。しかしこちらのタイプのビールは、続けて何杯飲んでも美味いし、寒い時期にも抵抗無く飲める。
 だから筆者は、ビールと言えば味わい深くコクのある上面発酵タイプのものを、あまり冷やし込まずにゆっくり味わって飲むのを愛する。

 キンキンに冷やした下面発酵タイプのビールなど、醸造所に大型の冷蔵設備と、店や家庭に冷蔵庫が普及するまで存在しなかったのだ。
 そもそもビールとは、常温で上面発酵で造られ、そしてそのまま冷やさずに飲むのが普通だったのだ。そしてそれを、人々は美味しく飲んでいたのだ。
 だから筆者は、「ビールはキンキンに冷やしてなければ駄目だ」と言う人の方がおかしいと思う。

 無論、そうした好みの人の存在を否定するつもりは無い。ビールをキンキンに冷やして飲もうが常温のまま飲もうが、それは個人の好みの問題だ。
 だからこそ筆者は、日本のビール好きの大半が「キンキンに冷やして飲む喉越し派」である現状に不満だし、「冷やし込まずに、じっくり時間をかけて味わって飲むべきビールもある!」という事も知ってほしいのだ。

 その「ビールは冷やし込まずに、ゆっくり味わう派」の筆者が、最も好きなビールはギネスだった。
 で、近所のスーパーにもギネスの缶ビールが並ぶようになった事を喜ばしく思っていたのだが。
 そしてそのギネスの缶ビール(ギネスDRAUGHT)を飲んでみたら案外物足りない味で、日本のエールビールの方が美味いくらいに感じた事を、少し以前このブログに書いた。
 缶のギネスのDRAUGHTは、筆者が以前飲んだギネスとはどうも違うように思えてならなかった。
 その事がずっと胸に引っかかっていた時、酒の専門店で瓶入りのギネスEXTRA STOUTを見つけてしまった。
 スーパーなどでも普通に売られている、缶入りのギネスDRAUGHTと。
 酒の専門店で売られていた、瓶入りのギネスEXTRA STOUTと。
 同じギネスでもどう違うのかと、瓶入りのEXTRA STOUTも買って比べてみようと思った。

ギネスextra stout P1090749

 王冠を開けてグラスに注ぐと、これもブラック・コーヒーのような濃い色で、泡も茶色である。そこまでは同じだったが、EXTRA STOUTを一口飲んだ瞬間に「そうだ、これこそギネスだ!」と思った。
 口の中に心地良い苦味が広がり、そして程良い酸味がキレの良さを感じさせてくれる。
 美味い、実に美味い!

 ただ日本の普通のビールを飲むように、喉越しでゴクゴクやったら駄目だ。そうしたら、ただ「苦ッ」と感じるだけである。
 こいつを一気に飲むと、強い苦味が口の中に広がって、「これが“EXTRA STOUT”ってやつか」と思ってしまう。
 しかしワインや日本酒などを飲むように、ゆっくり、じっくり少しずつ味わうと、苦味が心地良いほろ苦さに変わり、酸味などの色々な味や深いコクもわかるようになってくる。

 缶入りのギネスDRAUGHTの方は、冷たいうちの方が飲みやすく、ぬるくなればなるほど苦味と酸味を強く感じた。
 しかし瓶入りのEXTRA STOUTは逆で、ぬるくなるにつれて苦味が和らぎ、僅かにだが麦の甘さすら感じられるようになってくる。
 もちろん味の主体は苦味だ。しかしワインを思わせるような爽やかな酸味と僅かな甘味が深い味わいを生む。

 同じスタウトを名乗るビールでも、キリン一番搾りスタウトはローストされた麦芽の香ばしさをはっきり感じた。しかしギネスEXTRA STOUTの方にはそうした焦げくささは無く、ワインのようなフルーティーさを感じる。
 筆者に言わせれば「これぞギネス!」という感じで、あまり冷やし込まずに、良質なワインや日本酒のようにゆっくり、じっくりと味わいたい。

 とは言うものの、日本には「ビールは冷やしてゴクゴク飲む」という人が多いのが現実だし、そうして飲むには缶入りのギネスDRAUGHTの方が間違いなく向いている。
 EXTRA STOUTは美味いが癖が強いし、冷やしてゴクゴク飲んだら猛烈に苦いだけだ。それに対して缶入りのDRAUGHTの方は癖が少ないし、冷たくしてゴクゴク飲んでも飲みやすい。
 それは重々わかってはいるのだが、ギネス好きとしては是非EXTRA STOUTの方も味わって欲しいと思う。

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安倍政権は“保守”でなく“革新国家主義”である

 このブログでも繰り返し書いて来た事であるが、筆者は生まれてからずっと保守思想の持ち主であり続けてきた。
 左翼とか革新勢力とかいった類には、ただ反感しか抱いた事が無い。
 だから歴史を学んでいた大学生時代には、筆者は同級生たちの多くからコチコチの右翼と見なされていた。

 しかしその紛れもなき保守思想の持ち主の筆者は安倍政権が大嫌いで、アベ政治が一日も早く終わる事を願ってやまないでいる。
 と言うより、あの小泉政権も大嫌いで、なぜ日本国民の八割があのような人物を熱狂的に支持したのか、今もまるで理解できないでいる。
 筆者は選挙の際には欠かさず投票しているが、20世紀には筆者はほぼ自民党とその候補者に票を入れていた。
 だが小泉純一郎氏が政権の座についた2001年から、筆者は自民党とその候補者には一切票を入れていない。
 今の筆者の政治的な立ち位置は、間違いなく反自民である。

 と言っても、筆者が左翼に“転向”したわけではない。
 筆者の思想は今も昔と変わらず保守のままで、変わったのは自民党の方だと断言する。

 安倍首相は何かと言えば「戦後レジームからの脱却」と言い、歴代の自民党の首相の中でも最も改憲に熱意を燃やしている。
 そして憲法第九条についての自民党歴代の内閣の解釈を、安倍内閣の閣議で変えてのけた。そして安保法制を数の力で可決して、自衛隊をアメリカ軍と一緒に海外で戦える部隊にしてしまった。
 さらに次の国政選挙で三分の二の議席を占め、悲願の憲法“改正”をしようとしている。

 その安倍首相と自民党は、憲法をどう変え、日本をどう作り替えたいと思っているのか。
 それは自民党が発表した「日本国憲法改正草案」を見ればよくわかる。
 その「Q&A増補版」で、人権についてこう書かれている事に注目していただきたい。

 権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。


 おわかりだろうか。
 今の憲法を変えたいという自民党の方々は、「人権は、人が誰もが生まれながらにして持っているものではない」とお考えなのだ
 まるで「日本の歴史や文化や伝統には、人権などというものは無かった」と言っているように聞こえるのは、筆者だけであろうか。

 だから自民党の憲法改正草案では、「何とか国民の権利を削り、代わりに義務を課してやろう」という姿勢があちこちに見える。

 例えば日本国憲法の第十二条では、こう書かれている。

 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


 これを安倍首相と自民党は、こう変えたいと公表している。

 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民はこれを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。


 この現憲法と自民党の改憲草案がどう違うのか、理解できない人は馬鹿とまでは言わないまでも鈍感である。
 自民党の案では、自由や権利は公益及び公の秩序に反さない範囲でのみ認めるという事になっている。
 現憲法で言う「公共の福祉」と自民党が変えたい「公益及び公の秩序」とは、似ているようで中身は大違いである。

 ちなみに福祉という意味を広辞苑で調べてみると、「幸福。公的扶助やサービスによる生活の安定、充足」とある。
 そして公益は「国家または社会公共の利益」で、秩序は「物事の条理。物事の正しい順序・筋道。特に、社会などの規則立った関係」である。
 つまり現憲法では、「国民は皆の幸福や生活の安定の為に自由や権利を使いなさいよ」と言っている。
 それを自民党は、「国民の自由や権利の代償に責任と義務が伴い、国家や社会の利益や秩序に反しない範囲内でのみ許される」と変えたい
のだ。

 例えば貴方の家や土地に、新たに道路や鉄道などを作る計画が持ち上がったとしよう。
 現憲法では個人の権利が尊重されるから、貴方の意志を無視して立ち退かせて道路や鉄道を作る事はかなり難しい。出来ないわけではないが、話し合いや裁判などにかなりの時間がかかり、立ち退く際には補償金も少なからず支払われる事になる。
 しかしもし、自民党の草案通りの憲法に変えられたらどうなるか。
 国民の自由や権利は「常に公益及び公の秩序に反してはならない」のだから、公益の名のもとに貴方の家や土地は容赦なく、公の言い値で取り上げられる事になるだろう。
 それ以外にも公立の保育所だろうが学校だろうが官庁だろうが自衛隊や米軍の基地だろうが、公の施設の建設に対する反対は、公益の名のもとに一切出来なくなるだろう。

 例の安保法制の時、反対するデモが国会前で盛んに行われたが。
 あの種の国策に反対するデモも、公の秩序を乱すという理由で排除されかねない
 そもそも「公の秩序」と言うが、それを乱していると誰が決めるのか。おそらくそれは、時の政府に違いあるまい。
 自由や権利が、公益及び公の秩序の下に置かれるとするならば。
 時の政府に反するような国民の活動はすべて、憲法違反として取り締まる事が可能
である。

 この「国民の自由や権利には責任や義務が伴い、常に公益及び公の秩序に反してはならない」という自民党の憲法改正案を恐ろしいと感じない貴方は、ひどく鈍感か、または戦時体制下の大日本帝国に郷愁の念を抱く全体主義者のどちらかだ。

 それにしても安倍首相ら自民党の改憲したい人達は、「公益及び公の秩序」という言葉が大好きだ。
 先ほど紹介した憲法第十二条に続く第十三条にも、その「公益及び公の秩序」という語句が出て来る。

 まず現憲法の第十三条を読んでいただきたい。

 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


 そしてこの第十三条を、安倍首相と自民党はこう変えたいというのだ。

 全て国民は、として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。


 この違いがわからない貴方は、もはや鈍感を通り越して馬鹿である。
 現憲法では、公共の福祉、つまり皆の幸福や生活の安定に反しない限り尊重されている「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が、安倍首相と自民党の改憲草案では、例の公益と公の秩序という名のもとに制限されてしまうのだ。

 さらにまた、現憲法で尊重されなければならないとされていた“個人”が、安倍首相と自民党が進める改憲草案では“人”に置き換えられている事にも注目していただきたい。
 安倍首相と自民党は、国民をそれぞれ個性のありかけがえのない個別の人間としてではなく、十把一絡げの同じ人としか見ていないのである。

 先日、筆者の家にもマイナンバーの通知が届いたが。
 そこに記されている十二桁の数字を見て、筆者はナチスが強制収容所に送ったユダヤ人の囚人の名前を奪い、数字の入れ墨を腕に入れて管理した事を連想してゾッとしたものである。
 しかし国にとっては、筆者など一億二千万分の一の、無味乾燥な十二桁の数字に置き換えて管理すべき存在でしか無いのだろう。
 だが筆者は黒沢一樹という個性ある個人であって、あのような無味乾燥な十二桁の数字で片付けられてはたまらないと心から思った。

 一億二千万の国民を、個性ある一人一人の人間と見るか。
 それとも、全てまとめて同じ“人”と見るか。

 個人と人とは、意味合いがそれくらい違うのである。
 現憲法と違い、自民党が憲法草案で“個人”の個を削って“人”に置き換えた事に、個を認めず自由や権利を制限したい意図が明らかに見える。

 安倍首相の祖父である岸信介元首相は、先の大戦で東条英機内閣の閣僚を務めたA級戦犯容疑者である。そして安倍首相自身もその祖父を敬愛している事を公言しており、だからか刑死したA級戦犯を昭和殉難者として称えている
 その首相が意欲を度々示している改憲だけに、自民党の憲法草案には日本をかつての全体主義の国に戻したい思惑が込められているように思えてならない。

 筆者は高度経済成長を遂げている日本に生まれ育った。
 その日本は真面目に働けば贅沢は出来ずとも普通に暮らせる、国民が“総中流”の国家だった。
 そして自衛隊という戦力と日米安保という同盟関係があって他国から攻められる事も無く、同時に憲法第九条のおかげで海外に自衛隊を派兵して死者を出す事も無かった。
 ベトナム戦争の時、韓国はアメリカの為にベトナムで戦わされた。しかし日本は、憲法第九条があるおかげでアメリカに付き合わされてベトナムで戦わされる事を免れた。
 同じ理由で、中東での戦争にも参加せずに済んできた。
 あの太平洋戦争の後、他国から攻められた事も、他国を攻めた事も無い。そして自衛力はあるが一人も殺さず、そして殺された事も無い。
 筆者はそんな日本を愛し、そして自民党政権を支持してきた。

 だが2001年に国民の熱狂の中で小泉政権が誕生してから、その全てが変わってきた
 職場には派遣さんが溢れ、将来の見通しを立てて生きて行ける正社員が少なくなった。
 またその正社員になれても、ブラック企業で使い潰される人々も少なくない。
 総中流など昔の話で、一部の人だけが儲かり多くの人の暮らしが苦しくなり貧困層が増えた。
 それもこれも、小泉政権から安倍政権までの自民党政権がグローバル経済の名のもとに押し進めている、新自由主義による経済政策のせいだ。
 そして小泉政権はイラクに自衛隊を派兵し、安倍政権は解釈改憲をし安保法制も成立させて、自衛隊がアメリカの為に海外で戦えるようにした。
 さらにまた、公益と公共の秩序の名のもとに国民の自由と権利を制限しようという意図が見え見えの憲法を国民に押しつけようとしている。
 こんな自民党と現政権を、どうして支持できようか。

 話は冒頭に戻る。
 筆者は根っからの保守主義者なのに、なぜアベ政治は大嫌いで、小泉政権以来の自民党は支持できずにいるのか。
 それは筆者が保守で、小泉政権以来の自民党は革新勢力だからである。
 社会主義に変えようというのが、かつての革新勢力であった。それとは真逆の方向で、総中流だった社会を新自由主義経済の導入で格差を広げ、自衛隊という戦力を保持しながら専守防衛だったのを解釈改憲と安保法制で海外で戦えるようにし、新しい憲法で国民の自由と権利を制限して戦前のような全体主義に近い社会に戻そうという安倍首相と今の自民党は、明らかに“保守”では無く“革新国家主義者”だ

 マスコミも含めて日本の人々は、安倍政権を保守だと思っている。
 しかし欧米のメディアは、初めから安倍政権を革新ナショナリストと見ていた
 事実、安倍首相は繰り返し「戦後レジームからの脱却」と口にしている。
 戦後の自民党の歴代内閣が築いてきた日本の社会を、安倍首相は変えたいのだ。
 左でなく右の国家主義者とは言え、安倍首相とその取り巻き達が、日本の社会を変えようとしている“革新勢力”であることは事実だ。
 そして保守派である筆者は、安倍首相が敵視する戦後レジームの時代の、国民の自由と権利が最大限に保障され、格差が少なく普通に働けば普通に報われ、自衛隊がありつつ平和であった社会が続いて欲しいと願っている
 だから新自由主義経済で格差を押し広げ、自衛隊を海外で戦えるようにし、「今の国民の自由と権利は個人主義の行き過ぎで、公益と秩序を重んじた戦前のような社会にしたい」と考える安倍政権と自民党は、断じて支持できない。

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たった一つの梅の実

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 庭の小さな梅の木についてくれた、たった一つの梅の実です。
 これがどこまで大きくなってくれるのか、楽しみにしています。

 ところで、連休明けのこの一週間は、とても長く感じたのではないでしょうか。
 でも、やっと明日からまた土日になります。
 ゆっくり休んでくださいね。

 ……って、でも今の日本では、土日も関係なく働いている方も少なくないですよね。
 そんな方々には、「お疲れ様です」と心から言うしかありません。

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鳥の落としもの

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 植えたわけでは無い小さな白い花が、二階のベランダのプランターにいつの間にか咲いていました。
 ベランダの柵に小さな鳥が時々飛んで来るのですが、その鳥が落とした糞の中に種でも入っていたのでしょうか。

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