空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

オリオン生といちばん桜

 ほぼ沖縄でしか売られていないオリオンビールだが、アサヒビールは毎年春になると、そのオリオンビール製で麦芽100%のいちばん桜という季節限定のビールを出してくれる。
 この沖縄のオリオンビールのいちばん桜だが、麦芽とホップだけのビールにありがちな重さが無く、スイスイ飲める上に香り高くコクもあってとても美味いのだ。
 だから筆者は、毎年春にこのいちばん桜を飲むのを楽しみにしている。

オリオンいちばん桜P1100143

 で、その春に数本まとめ買いしたうち、一本だけ飲まずに大切にとっておいたものを、賞味期限の9月になってしまう前に改めて飲んでみた。
 プルタブを開けグラスに注ぐと、フルーティーで華やかな香りが広がる。
 エビスのような重さが無く軽く飲めるが、同時に深い味わいもある。麦芽100%だけに麦の甘味もあり、そのせいかホップの苦みも程良いくらいに感じる。
 だから「ビールは苦いから好きじゃない」という人にも、自信を持って勧められる。

 重くなく、苦すぎず、香り高くてコクもあり味わい深い。
 味わって飲んで心から「美味しい!」と思う。
 ただ暑さをしのぎ喉の渇きを癒す為にゴクゴク一気飲みしてしまっては勿体ない、本当に良いビールだ。
 筆者は春が来てこのオリオンビールのいちばん桜を飲むのを、心から楽しみにしている。

 そんな筆者だが、最近ある店でオリオンビールを売っているのを見つけた。
 いちばん桜が好評なので、アサヒビールが「オリオンビールをもっと売ってやろう」と考えたのだろうか。
 ただこちらのオリオン生は、いちばん桜と違って麦芽100%ではなく、コーンやスターチといった糖質副原料も使用している。

オリオン沖縄P1100121

 そのオリオン生だが、プルタブを開けグラスに注いでも、いちばん桜のようなフルーティーな香りは殆ど立たない。
 軽くとても飲みやすい。
 コーンやスターチを使ったビールには、何となく金属的なイヤな味を感じる事があるが、このオリオン生にはそうしたイヤミが全く無く、スイスイ飲める。

 しかし同時に、いちばん桜にあった深みやコクが感じられない。
 いちばん桜に比べると明らかに痩せた味わいで、コクや甘味が無い分だけホップの苦みだけが際立つ印象だ。
 だから「ビールは苦いから好きじゃない」という人には勧められない。
 そして香りやコクや深みにも乏しいので、「香り高いビールを、味わってゆっくり飲みたい」という人にも勧められない。
 ただ軽やかで味にも嫌みが全く無いから、喉越しでゴクゴク飲みたい方や、和食と一緒に飲みたい方には最適のビールではないかと思う。
 良いビールなのは認めるが、個人的には筆者の好きな種類のビールではない。

 同じオリオンビールを飲んでみて、麦芽100%のいちばん桜は大好きで楽しみに飲んでいるが、副原料入りのオリオンビールは二度と飲みたいとは思わなかった。
 同じ会社のビールを飲んで、これほど印象が違うとは驚きだった。

 ところで暑い今、日本ではビールの消費が伸びていると思うが。
 ビールの飲み方は、暑い国とそうでない国とで違ってくる。
 例えばドイツでは、夏でも長袖の服を当たり前に着ている。そのように蒸し暑くない国では、ビールも喉越しでゴクゴク飲んだりせず、ゆっくり時間をかけて味わう人が多い。
 しかし日本を含めて蒸し暑い国では、ビールはキンキンに冷やし、暑さと喉の渇きを癒す為にゴクゴク、プハーッと飲むのを気持ち良いと感じる人が多い。
 だからビールの好みは、その国の気候によって異なってくる。

 で、日本を含めた暑い国では、本来は麦芽とホップだけで造るビールに、米やコーンやスターチなどの糖質副原料を混ぜる事が多い。
 そしてその副原料を混ぜると、香りやコクが薄く少なくなるのだが、それを「軽くスッキリしたものになる」と感じる人達もいる。

 麦芽とホップだけで造るビールは、前記の糖質副原料を入れたビールより間違いなく味も濃く香りも高い。
 だから日本を含めた蒸し暑い国で、暑さと喉の渇きを癒す為に喉越しでゴクゴク飲んだ場合、「重い」と感じる人達もいる。
 そしてそうした人達は、香り高くコクもある麦芽とホップだけで造られた本来のビールより、副原料入りの軽いビールの方を好ましく思う。
 さらに食事との相性でも、あっさりした和食には香りも控えめでスッキリ薄味の副原料入りビールの方が合うらしい。
 それで日本では、ビールと言えば糖質副原料入りのものが多く売られていて、そして多くのビール好きにも受け入れられている。

 ただ筆者は、どんな酒もゆっくり味わって飲みたいのだ。
 だから香りも立たずコクが無くただホップの苦みが際立つ糖質副原料入りのビールは、どうしても好きになれない。
 それでオリオンビールについても、麦芽100%のいちばん桜と副原料入りのオリオン生とで、印象がとても違ってしまったのだろう。

 蒸し暑い夏には、ビールをキンキンに冷やして喉越しでゴクゴク飲みたいのも認める。
 しかし最初の一杯はともかく、それ以後も喉越しで一気に飲みたいだろうか。
 涼しいか寒いくらいの秋から春までの約半年間も、ビールはキンキンに冷やして喉越しで飲まなければ美味しくないだろうか。
 二杯め以降や涼しい(寒い)季節には、香り高い濃いめのビールをゆっくり味わいながら飲んでみたいとは思わないだろうか。

 日本の大メーカーのビールの多くが、副原料入りの喉越し重視の軽い香りの弱いビールを主に造っていて、日本の消費者もその種のビールを好む人が多いのが寂しい。
 ゆっくり味わって飲めるビールの存在を、日本の人にももっと知って欲しいし、メーカーにも力を入れて造ってほしいと願う。

 ビールは、決して暑い時にだけ飲む酒では無いのだ。
 日本人はビールと言うと「キンキンに冷やしてゴクゴク飲むもの」と信じている人が多いが、それでは暑い時期にしか美味しく飲めない。
 あまり冷やし込まずに10~13℃程度で、冷蔵庫から出して10~15分くらい経ったくらいでちょうど飲み頃になる香り高く味わい深いビールの存在を、もっと多くの人に知って貰いたいと願う。

 その種の味が濃く香りが高くて美味しいビールは、日本では主に地ビールのメーカーが出しているが。
 その点、大メーカーであるサントリーザ・プレミアム・モルツ・香るエールを出した事は、とても良い事だと思う。
 他の大メーカーも負けずに、キンキンに冷やして喉越しで飲むタイプ以外の、ゆっくり味わって美味しく飲めるものも出してほしいと願う。

 キンキンに冷やし込むのではなく、喉越しでグイグイ飲むのでもなく。
 ゆっくり味わって飲める香り高くコクのあるビールがもっと増えれば、日本人も寒い時期にだって喜んでビールを飲むだろうし、そうすれば日本のビールの消費ももっと増えるのではないだろうか。

 真夏は副原料入りの軽いビールを、キンキンに冷やして喉越しで飲むのも良いだろう。
 しかし季節に応じてビールの飲み方を変えれば、ビールをもっと楽しむ事ができる筈だ。

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戦争は“絶対悪”か?

 筆者は時々思うのだが。
 世間の人の殆どは、大局的な見地よりも己自身の経験から物事を判断している。
 例えば戦争についての見方も、その人の体験に大きく左右されている。

 先の大戦を経験したあるお年寄りが、テレビのインタビューに応じてこう言った。
「戦争は絶対悪だ」
 そのお年寄りだけでなく、戦争を体験した日本人の大多数は「戦争は絶対に良くない」と言う。

 戦争は良くないという考えについては、筆者も異論が無い。
 戦争は悲惨だし、極力避けるべきものである事は間違いない。
 しかし筆者は「戦争は絶対悪だ」とは思わないし、避けられない戦争も現実に存在すると思っている。

 これを戦争と一緒にする事については異論もあるだろうが、子供の世界にはイジメというものがある。
 筆者は小柄で病弱だった。さらに生まれた東京から地方に引っ越して行った“よそ者”だった。
 小柄だと、男の子たちの間ではイジメの標的になりやすい。
 しかもそのチビが病気がちでよそ者だったりしたらどうなるか、男性なら容易に予想がつくだろう。
 当然、筆者も小学校の低学年の頃からイジメられ続けた。体の大きなイジメっ子たちに「プロレスごっこ」と称する暴力を頻繁に受け、止めてくれとどんなに懇願しても許して貰えずに痛い目に遭わされ続けた。

 残念ながら、筆者の周囲には“正義の味方”などいなかった。
「そんな事やめろよ、良くないぞ!」と止めてくれる人など誰一人おらず、筆者に対するイジメは見て見ぬフリをされ続けた。
 だから筆者は、究極の選択を迫られた。
 このまま逆らわずに、イジメっ子の奴隷としていたぶられ続けるか。
 それとも怖くても辛くても苦しくても、自分一人だけで戦うか。
 そして筆者は、戦う事を選んだ。

 殴られたら殴り返す。
 蹴られたら蹴り返す。
 痛くても怖くても、イジメっ子の奴隷でい続けるのが嫌ならそうするしかなかったのだ。

 何しろ病弱なチビがたった一人で、体の大きなイジメっ子たちに立ち向かうのだから、それは壮絶な喧嘩になる。
 まともにやり合って勝てるわけが無い。
 だからもう本当に「生きるか、死ぬか?」という覚悟で、文字通りに狂ったように暴れるわけだ。
 殴られても蹴られてもやり返して、「コイツを止めるにはもう殺すしかない」と思わせるくらいに暴れ狂うわけだ。
 そうやって自らの拳で、暴力には暴力で応じて筆者は自分に対するイジメを止めさせた。

 イジメと戦争を同列には語れないだろうが。
 正義の味方も現れず孤立無援で、たった一人でイジメっ子たちの暴力に暴力で立ち向かうのは、本当に大袈裟でなく生きるか死ぬかの命がけの戦いだった。

 それらの体験で、筆者は建前や綺麗事抜きのこの世の現実を学んだ。
 困った時に都合良く助けに来てくれる正義の味方など、この世に存在しない。
 そして理由なく楽しんで他者をイジメる悪い奴は間違いなく存在する。
 だから無法な暴力を受けたら、こちらも思い切りやり返すしか無い。
 そんな体験をしてきた筆者にとって、日本国憲法の前文と第九条は「笑止千万」と言うしかないくらい違和感に満ちていた。

 例えばまず前文だが。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
 いや現実に悪い人だけで無く悪い国も存在するし、北朝鮮や中国やロシアなどの“公正と信義”を信頼して我が国の安全と生存を保持しようと思うなど、筆者には気違い沙汰としか思えない。

 そして問題の第九条だ。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
 つまり日本は、キリスト様のように「右の頬を打たれたら、やり返さずに左の頬もさし出そう」というわけだ。
 さらに第九条の第二項はもっと酷い。
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
 平たく言えば「侵略されたら、そのまま無抵抗で侵略者の奴隷になりましょう」という事だろう。

 全員死ぬまで戦う玉砕やバンザイ突撃、さらには十死零生の自爆攻撃や特攻などの、日本軍の狂信的で神懸かり的な戦い方を見て、日本を徹底的に非武装化したアメリカだが。
 戦後に共産主義勢力の脅威を見て、日本に自衛隊を持たせるに至った。
 そしてそこから、日本国憲法と現実の齟齬が始まる。

 現実に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」でいた結果、何が起きたか。
 竹島は間違いなく日本の領土だが。
 その日本に自衛隊が無くまだ丸腰でいたうちに、韓国の当時の大統領李承晩が勝手に“李承晩ライン”なる国境線を引き、武力で韓国のものにしてしまった。
 そして竹島は今もって韓国に実行支配され、日本はただ口で文句を言い立てるだけである。

 これで見る通り、非武装でいればそれを好機と見て侵略して来る悪い国はいくらでもあるのだ。
「他国を平和を愛する公正な国と信頼して、戦力は保持せず、攻められても戦いません」と宣言するなど、悪い奴らに無抵抗を宣言するのと同じ暴挙(愚行)だと筆者は考えるが、違うか。

 話は戻る。
 戦争をどう考えるか、日本人は主に二通りに分かれるように思われる。
 まずは先の大戦を深く反省し、「戦争は絶対悪だ、もう二度としてはならない」と考える人達と。
 そして日本が過去に悪い事をしたと認めたくなく、「ABCD包囲陣で日本を追い詰めた連合国が悪い、日本は侵略などしておらずアジアを白人支配から解放したのだ」と黒も白と言い張る、自称“愛国者”の安倍政権下で勢いを伸ばしている歴史修正主義者たちに。
 そのどちらの考えも己の主観に基づいていて、大局的かつ冷静な見方を欠いているように思える。

 もう一度問う。
 戦争は、本当に“絶対悪”だろうか
 だとすればナチス・ドイツに攻められたイギリスやロシア(ソ連)などにとっても、ナチスと戦う事もまた“悪”という事になる。
 中国やアメリカが日本に攻められて応戦した事もまた“悪”という事になる。


 想像して貰いたい。
 もし連合国がナチスや日本に応戦せず、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」ただ話し合いによる講和のみ求めていたら、世界はどうなっていただろうか。
 世界はたやすくナチスと大日本帝国のものとなっていただろう。
 現に今でも、話し合いがまるで通じない、武力にものを言わせる事を第一に考えている国が幾つもあるではないか。
 イスラム国を名乗るISも軍事力とテロで勢力を伸ばしている。
 中国もまた南沙諸島や西沙諸島を武力で実行支配していて、日本の尖閣諸島がまだ中国に奪われずに済んでいるのは、自衛隊の存在と日米安保のおかげだ。
 話し合いで、北朝鮮は核開発やミサイル発射を止めただろうか。
 韓国もまた、日本が自衛隊を持てずにいた頃に奪った竹島を、未だに武力で占領して返さずにいる。
 無論、話し合いは大切だ。しかしその話し合いが通じず武力で押し切ろうとする国が現に存在する現実もしっかり見てほしい。

 なぜ日本の戦争体験者とその話を聞いて心を動かされた人達が、戦争を“絶対悪”と思うのか
 それは日本が先の大戦では侵略戦争を仕掛けた側で、侵略された側では無いからだ。
 日本が攻めさえしなければ、あの戦争は起きなかった。
 だからこそ「日本が仕掛けさえしなければ、戦争は起きない」というような誤解が生まれるのだ。
 そう感じている人達には「こちらが悪くなくても、他国から一方的に侵略される事もある」という発想が無い。

 パールハーバーの奇襲を受けたアメリカ人や日本に侵略された中国人、それにナチスに侵略された国々の人々に「侵略者と戦うことも悪だ、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して話し合いで解決しなさい」と言ってみるが良い。
 笑い飛ばされるだけなら良いが、場合によっては相手を激怒させかねないだろう。

 ナチスや大日本帝国などの、独裁的な軍国主義国から侵略を受けた国の人々にしてみれば、侵略者と戦うのは正義の戦いだろう。
 それを悪だと言う発想が、少なくとも筆者には理解できない。

 北朝鮮は核兵器を保有し、ここのところ日本に向けミサイルを撃っているが。
 その北朝鮮が本当に日本にミサイルを撃ち込んだとしても「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」話し合いでのみ交渉するべきで、応戦するのは“悪”だろうか。

 筆者はかつての大戦は間違いなく日本の侵略戦争だと断言するし、惨禍の責めを負うべきは日本だと考えている。
 だからこそ、戦争についても「侵略は絶対悪だが、侵略者から祖国を守る戦いは悪と言うべきではない」と思っている。
 ゆえに憲法の前文と第九条には違和感を抱いているし、自衛隊は正式に軍隊と認めた方が実状に合っていると考えている。

 と言うと、「何だ、オマエがいつも悪く言っている安倍首相とそのお仲間と同じ考えじゃないか」と叱られてしまいそうだが。
 筆者は「侵略戦争には絶対反対だが、侵略者と戦うのは当然の事」と考えている。
 しかしこの「侵略者と戦う」という定義が、なかなか難しいのだ。

 例えば外国兵が我が国土に武力をもって攻めてきた場合は、何の疑問もなく戦える。
 で、その外国兵を国土から撃退した場合、退却する敵をどこまで追撃できるのだろうか。
 領海までだろうか、それとも公海上や敵国の拠点まで追いかけて行って攻撃しても良いのだろうか。
 その侵略した国と一旦戦争が始まったら、反撃して相手の国まで攻めて行っても良いのだろうか。
「日本を狙っている」という情報があれば、その他国のミサイル基地に先制攻撃をかけるのも“自衛の戦い”のうちなのだろうか。

 現に敵兵が日本に上陸した、あるいは敵のミサイルが日本に着弾した場合はわかりやすいが、侵略も定義を拡大解釈されかねないのだ。
「A国が日本に向け、ミサイル攻撃の準備をしています」
「日本を攻める為の軍が、続々と港に集結しています」
「だから自衛の為、先制攻撃をします」
 そう言われた場合、国民は政府の発表を信じるしかないのだ。

 我が国は前に書いたように、世界的に見れば一種非常識なくらい理想主義的な平和憲法をもっている。
 しかしその解釈を度々変更し、今では間違いなく強力な軍隊である自衛隊をもっているし、安倍政権は安保関連法案を成立させ、その自衛隊を海外で戦えるようにしてしまった。
 建て前と本音の使い分けが、実に巧妙な国なのだ。
 だからいくら「祖国を侵略から守る為に自衛の戦いをする」と言われても、筆者にはその政府を信頼できないのだ。
 自衛の為の戦いの意味も、政府の都合の良いようにどんどん拡大解釈されかねない

 自民党の改憲草案を見ればわかる通り、今の自民党は国民の自由や権利を制限してその上に公益と公の秩序を置こうとしている。
 それ以外にも個人を人と置き換えたり、家族で助け合うのを義務にしたり、全体主義であった大日本帝国の時代に戻そうというような時代錯誤の文言が草案の各所に見られる。
 さらに安倍政権と自民党はマスコミに対して幾度も圧力をかけ、NHKなど強制的に視聴料を徴収していながら「皆様のNHK」ではなくなって、既に安倍政権の広報のような報道しかしなくなっている。

 自民党の改憲草案では、「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない」とある。
 まるで国民にも国に協力して戦わなければならない義務があると示唆されているように見える。
 こんな情勢の中で「A国が日本を侵略しようとしているから、お国の為に皆で戦え!」と今の政府に言われても、どうにも信頼できないのだ。

 筆者は改憲について議論の余地はあると思っているし、憲法第九条にも疑問を持っている。自衛隊も、正式な軍にしても良いのではないかとも思っている。
 しかしA級戦犯や戦前の日本を美化する歴史修正主義者の多い現内閣と今の自民党で改憲される事には、非常な危機感を抱いている。
今の憲法には現実にそぐわない問題点もあるが、現政権で改憲するくらいなら、そのまま手をつけずにおいた方がずっとマシ」と思っているこの頃だ。

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ある日の夕暮れ

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 空気中の細かい塵が光を反射するせいで、朝の空より夕空の方が色が華やかになります。
 でも、夕空にどこか哀愁のようなものを感じてしまうのは、写真の撮り手の感傷のせいでしょうか。

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赤とピンク

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 赤だけ、あるいはピンクだけだったら少し単調で物足りない絵柄になったと思います。
 赤とピンクの花が、良い具合に混ざって咲いていました。

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紫の花

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 昔は、紫は高貴な色だったと言いますが。
 それが今では、一般庶民と言うかDQNと呼ばれる人達にも愛されるようになっています。
 でも確かに、紫は綺麗だと思います。



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威嚇する猫さん

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 我が家の庭に来て、私を威嚇する猫さんです。

 私は猫好きなので、猫に関する本やコミックスもよく読むのですが。
 映画化もされ多くの人を感動させたという杉作氏の『猫なんかよんでもこない』に殆ど共感できませんでした。
 私は猫エイズや猫白血病の恐ろしさを身に染みて知っています。
 だから飼い猫は、完全室内飼いにしています。
 それだけに、「ボス猫にしたい」と飼い猫を外に出し他の猫と戦わせる、元ボクサーの主人公に全く共感できなかったのです。

 猫自身にとっては、外に自由に出て他の猫たちと戦い短命で生涯を終えるのと、完全室内外で長生きするのと、どちらが幸せなのでしょうかね。

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朝焼けも撮りたいのですが、夕空ばかり撮ってます。

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 朝焼けも綺麗なのでしょうが、朝に弱い私は夕空を撮る事が多いです。
 早起きしなければという気持ちはあるのですが、朝はつい時間ぎりぎりまで寝てしまいます。
 だらしないです。

 今日は日本では「終戦記念日」という事になっていますが。
 私はきちんと敗戦の日と認めるべきだと思います。
 敗戦を終戦と言い換える。
 そんな日本人だから、あの戦争を引き起こした責任の総括も日本人自身で出来ないのだと思います。

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本当に美味しかった宝酒造の「おいしいチューハイ・マスカット」

 缶酎ハイを作って売り出しているメーカーは、いろいろあるが。
 実は筆者は、宝酒造というメーカーには偏見を持っていた。
 日本酒その他の酒類を造っている事も、とりあえず知ってはいる。
 しかし宝酒造と言うと、筆者の頭の中では「甲類焼酎のメーカー」というイメージが強いのだ。
 だから宝酒造の缶酎ハイについても、「どうせ自社の工場で大量生産した安い“非本格焼酎”を売りさばく為に作っているのだろう」と思っていた。

 で、店頭でたまたま見つけたのが、その宝酒造のおいしいチューハイ・マスカットだ。
 期間限定商品で、しかも果汁は何と50%だ。
 5%の見間違いでなく、本当に果汁50%と書いてある。
 ただキリンの本搾りと違って原材料はお酒と果物だけではなく、糖類こそ入っていないものの、甘味料と酸味料と香料がしっかり入っている。
 それに何より、甲類焼酎メーカーの宝酒造の製品である。
 だから少し迷いはしたが、果汁50%と期間限定の文字につられて買ってみた。

おいしいチューハイP1100194

 それで飲む時も、味にはあまり期待していなかった。
 暑かった日に、「ジュース代わりに飲んでやろう」とごく軽い気持ちで飲んでみた。

 香料入りの酎ハイには、プルタブを開けるとすぐ果物の香りが広がるものがある。
 しかしこのおいしいチューハイ・マスカットは、プルタブを開けグラスに注いでも、香りはやや控えめなくらいである。
 そして一口飲んだ瞬間、「これは美味い!」と驚いた。
 さすがは果汁50%を謳うだけあって、マスカットの豊かな味が口の中いっぱいに広がる。
 香料等で作った味ではなく、果物そのものにかなり近い味なのだ。

 以前にこのブログで紹介したサントリーこくしぼり芳醇ぶどう豊潤ももは、どちらも果汁28%だが、香料等の作りモノっぽい味がどこかに残った。しかし宝酒造のこのおいしいチューハイ・マスカットにはその作りモノっぽさが感じられないのだ。
 それが果汁28%と50%の差ということか。

 話は少し逸れるが、かなり以前に読んだ料理対決の漫画にこんなものがあった。
 主人公はチャーハンで他の料理人と味比べをして、見事に勝利する。
 喜ぶ主人公に、審査員の一人がこう言うのだ。
「お前が作ったものを、一皿全部食べてみろ」
 不審に思いつつそれに従った主人公の顔色が、食べ進むにうちに変わって来る。
「……しょっぱい」
 そう呟いて愕然とする主人公を、例の審査員はこう諭す。
「大勢の料理人が作ったものを食べなければならないこうした審査では、審査員は少しずつしか食べぬ。だからお前は勝てたのだ」
 もし店で料理を出してお客に一皿全部食べさせたとしたら、お前の負けだった。
 例の審査員はそう言った後で、さらにこう付け加えた。
「味見をした時、少し物足りないかなと思う程度がちょうど良いのだ。一口食べてちょうど良いと思った味付けだと、一皿全部食べると濃すぎる」

 筆者はそれと同じ事を、果物系の缶酎ハイでよく実感する。
 お酒と果物だけで作ったのがウリのキリン本搾りは、実は最初の一口では薄く物足りなく感じる。そして飲み進めてゆくうちに、次第にちょうど良く感じるようになってくる。
 だが香料や糖類や酸味料で味を作った缶酎ハイの多くは、最初の一口はそれらしい味を感じるものの、飲み進めるうちに甘ったるさが重たく感じられるようになり、また香料等による作りモノっぽさもわかるようになってくる。

 しかし宝酒造のおいしいチューハイ・マスカットは、そのどちらでもないのだ。
 最初の一口からマスカットらしい美味しさがよくわかり、しかも飲み進めても甘ったるさや作りモノっぽさを感じないのだ。
 それは50パーセントと果汁の配合率が格段に高い上に、香料等を巧みに使っているからだと思う。

 よくある果汁数パーセントの缶チューハイは、最初から香料等で味を作っているが。
 このおいしいチューハイ・マスカットは、香料等で味を作るのではなく、お酒と果汁だけで作る缶酎ハイの飲み始めに感じる味の物足りなさを補う程度に、控えめに香料等を使っているのだろう。

 また、おいしいチューハイ・マスカットは、他の缶酎ハイで多く使われている糖類ではなく、甘味料を使っている。
 そのせいか甘さがしつこくなく、カロリーも100mlにつき42kcalと比較的低めだ。
 ちなみに新ジャンル酒のサッポロ麦とホップは同じ100mlあたり46kcalで、筆者が「これは良いビールだ!」と自信を持って勧めたいビールのザ・プレミアム・モルツ・香るエールもまた46kcalだ。

 香料等による派手な香りや作りモノっぽい味もなく、果物本来の味を充分に楽しめる。
 そして最初の一口から美味く、飲み進めても甘ったるくならない。
 これはキリンの本搾り以上に、本当に良く出来た缶酎ハイだと思う。この出来の良い、文字通り“おいしい”缶酎ハイが期間限定とは、とても残念に思う。

 ただアルコール度数が3パーセントと低めだから、お酒に強い人は不満に思うかも知れない。
 だがそれだけに、飲んでいてアルコールのツンツンするイヤな感じを受けることは殆ど無いと言っても良いだろう。お酒に強くない人には、とても良い飲み物だと思う。
 というわけで、酒豪ではなく美味しいお酒を適度に飲んでほろ酔い気分を味わいたい方に、この期間限定の宝酒造の“おいしいチューハイ・マスカット”をぜひお勧めしたい。

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感動を「与える」と言う傲慢

 オリンピックと高校野球が重なったせいで、日本中がスポーツ一色になっている。
 テレビもラジオも新聞も、何もかもすべてスポーツ、スポーツ、スポーツだ。

 それはまあいい。
 だが筆者が気になってならないのは、少なからぬスポーツ選手の、感動(あるいは勇気や夢や元気など)を「与えたい」という発言だ。

「感動を与える」
 こうした言い方がされるようになったのは近年の事で、以前はこんな発言はされなかった筈だ。
 筆者の記憶では、感動(勇気や夢や元気)を「与える」と言われるようになる前に、まず感動等を「貰った」という人達がいた。
 それで「感動等が貰えるものなら、与える事も出来るのでは」という“誤解”から、「感動を与える」などと言うスポーツ選手が現れたように思う。

 だが断言するが、感動(勇気・夢・元気など)を「与える」と言うのは、ただ間違っているだけでなく大変に失礼極まりない言い方なのだ。
 例えば広辞苑にも、与えるの意味としてまず真っ先にこう書かれている。
自分の物を目下の相手にやる
 そしてその用例として、「知識を与える」などがあげられている。
 あと、「影響・効果などを相手にこうむらせる」、「特別の配慮を相手にほどこす」などという意味もあるが、どちらにしろ「与える」は主に目上の者が使う言葉である事は間違いない。
 ちなみに「こうむる」は「目上や強力なものなどの動作を受ける」という意で、「ほどこす」は「恵みを広く与える」という意である。

 例えば「親にプレゼントを与える」と言うだろうか。
 友達や恋人にも、何かを「与える」という言い方をするだろうか。
「与える」という言い方は、目上はもちろん対等の相手にすらしない
「与える」という言葉を使えるのは、目下に対してのみである。

 だから感動等を「与えたい」と何のためらいも無く口にできるスポーツ選手は、自分を上位に置き、観客や国民を目下扱いしているのだ。
 少なくとも筆者はスポーツ選手が「感動(元気や夢や勇気)を与えたい」と発言するのを聞く度に、「上から目線で失礼な奴だ、何様だよ!」と腹が立ってならない。

 例えば作家や画家などが「自分の作品で感動を与えたい」と言うのを聞いた事があるだろうか。
 寡聞にして筆者は、文筆を生業とする人がマスメディアで「感動(勇気・夢・元気など)を与えたい」と言うのを聞いた事が無い。
 なのに少なからぬスポーツ選手は何故、観客に対し無礼とも思わずに上から目線で感動等を「与えたい」などと発言できるのだろうか。
 その神経が、筆者には理解できない。

 無論、スポーツ選手の中にも知的で謙虚な方が居て、そういう選手は「感動をお届けしたい」などと言っている。
 しかしそういう言葉に配慮のあるスポーツ選手は明らかに少数で、多くの選手がごく当たり前のように感動等を「与えたい」と平気で言っている。
 その無神経と傲慢さが、筆者の癇にひどく障る。

 宮野ともちか氏の『リカ』というコミックスがある。
 ヒロインのリカは中学一年生の美少女で、同じ学級委員の島村くんとは、彼を“島むー”などと呼ぶくらい気安い関係にある。
 しかしブラコン気味のリカの関心は実の兄の方に向いていて、島村くんに対して恋愛感情は全く無い。
 で、同級生の清水さんという女子は、その島村くんに恋してる。
 そのリカのクラスで調理実習があってマドレーヌを作るのだが、変なオリジナリティーを加えようとした他の女子が失敗する中、リカはキッチリ作って成功させる。
 その自作のマドレーヌを試食して、リカは大いに満足する。
「うん、おいしい、おいしい。これは良い出来だわ。日頃お世話になっている人にお裾分けせねば」
 そしてまずこう言う。
「お父さんはいつもお仕事頑張ってるから、出来の良いのから選んで5コ」
 続いてこう言う。
「お兄ちゃんは部活で頑張ってるから、まあまあの出来のを4コ」
 さらに最後にこう言うのだ。
「残りの出来損ないの形の悪いやつは、しょーがないから学級委員でいつも一緒の島むーにでも、与えてみよう」
 それを傍で聞いていた、島むーこと島村くんを好きな清水さんがプチッとキレてしまうのだ。
「はあ!? バッカじゃねーの!? テメーで食ってろ、そんなもん! 調子に乗んな、このバカ」

 この『リカ』のマドレーヌの件で清水さんがキレて怒ってしまうくらい、「与える」というのは目下相手にしか使えない失礼な言葉なのだ。
 だからスポーツ選手が応援してくれる人達に対し、何故「感動を与える」などと平気で言えるのか、その神経が少なくとも筆者には理解できない。

 感動や勇気や夢や元気などを「与える」と平気で言うスポーツ選手達に対し、「スポーツを専門に生きている人たちだから、言葉の使い方を知らないんだよ、細かいことを言ってあんまり責めちゃ可哀想だ」と片づけるのは簡単だ。
 しかし少なくとも数年以上前までは、どのスポーツ選手も「感動(勇気・夢・元気など)を与える」とは言わなかった筈だ。
 それが何故最近、感動や勇気や夢や元気などを「与える」と言うスポーツ選手が増えてしまったのか。
 その事が不思議で、かつ腹立たしくてならない。

 日本のスポーツ選手の世界は、礼儀や上下関係に厳しい筈なのだが。
 なのにいつ、「選手が目上で観客より偉い存在」になってしまったのだろうか。
 そして平気で感動等を「与える」と言うスポーツ選手の存在も問題だが、それに対し「はあ!? バッカじゃねーの!? 調子に乗んな」と怒らない国民も知的レベルが低下し、感性が鈍麻しているのではないかと危惧する。

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夕空

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 夕暮れ時に外を歩くのは好きです。
 時折、こんな空を見る事が出来ますから。

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