空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

ソウルマッコリ

 平たく言えば韓国の濁酒、マッコリが何年か前から日本国内でも当たり前に売られている。
 で、その代表的なJINROのマッコリを、以前飲んでみたのだが。
 飲みやすかった。
 甘酸っぱくて、酔える乳酸飲料という印象だった。
 しかも1リットルで600円程度と、値段も安かった。
 しかし糖類やら酸味料やら甘味料やらを加えているせいか、その酸味も甘味もどこか作り物っぽく思えた。
 そして更に、飲んだ後で悪酔いもした。

 が、その後に酒の専門店で、米と麦麹だけで造られた、添加物なしのマッコリを見かけた。
 300mlで500円弱と、大メーカーの添加物入りのマッコリよりかなり高かった。
 しかし物は試しにと買って飲んでみたところ、これが想像以上に美味かった。
 甘味も酸味も控えめなのだが、そのどちらの味わいも自然で、しかもコクと深い味わいがあり、ゆっくり味わって飲んで「美味い!」と心から思った。
 大メーカーの、添加物入りのマッコリも飲みやすいし、決して不味いとは言わないが。
 しかし大メーカーの大量生産品でない、添加物なしの米と麦麹だけの本物を飲んでしまうと、比べものにならない味の差を感じた。

サントリー・ソウルマッコリP1110567

 最近、チューハイやビール類の売場で、サントリー扱いソウルマッコリをよく見かけるようになった。
 製造は韓国マッコリのシェアNo.1メーカー、ソウル長寿社だという。
 その韓国で最も売れている、そして日本の代表的な酒類メーカーであるサントリーが扱うマッコリがどんなものか、試しに買って飲んでみる事にした。

 缶にも「乳酸由来の爽やかな味わい」と書かれているが、甘酸っぱくて飲みやすい。
 例えて言うならば、アルコール入りのヤクルトに、更に甘酒の風味とコクを加えた感じと言ったところか。
 以前に飲んだJINROのマッコリの方がより甘酸っぱく乳酸飲料に近い味で、このソウルマッコリの方がお酒らしい風味をやや強く感じる。
 しかしこのソウル長寿社製でサントリー販売のマッコリも、そこは糖類や酸味料や甘味料を加えたものだけあって、飲み進めて行くうちに、甘さにも酸っぱさにも自然でない合成された味を感じてしまう。
 米と麦麹だけの本物のマッコリと比べてしまうと、甘さも酸っぱさもしつこい上に、お酒としての深い味わいやコクも足りないように感じてしまう。

 結局のところ、「JINROのマッコリよりやや本物に近いが、米と麦麹だけで造った本来のマッコリの味わいには程遠いものがある」といったところか。
 個人的には、マッコリは米と米麹および麦麹のみで造るべきで、糖類や酸味料や甘味料を加えて造ったものはニセモノの味だと思う。
 が、酒としてのコクや味わいに欠ける部分があっても、添加物(糖類や酸味料や甘味料)を加えたマッコリが甘酸っぱくて飲みやすいのは事実だ。しかもその種の添加物入りマッコリの方が、値段もずっと安い。

 お酒を飲み慣れた、酒の味がわかる方には、米と麦麹のみで造ったマッコリを断然勧める。
 しかしお酒を飲み慣れていない若い人や、特に若い女性などにはこのソウルマッコリも含めた、糖類や酸味料や甘味料で味を作った大メーカーのマッコリの方が飲みやすいのではないだろうか。
 だから個人的には米と米麹と麦麹だけのマッコリの方が文句なしに良いと思うが、若い女性や、それほど味にこだわらずに質より量を飲みたい方には、大メーカーの添加物入りのマッコリでも充分ではないかと思われる。

 お酒というものは、ただ度数が強ければより酔うというものではない。
 例えば蒸留酒は酔うのも早いが醒めるのも早く、悪酔いもしにくい。
 ポリフェノールがたっぷり入っていることで知られる赤ワインが実は悪酔いしやすいように、いろいろな成分が含まれているお酒の方が、より悪酔いしやすいようだ。
 だから同じ日本酒でも、糖類や酸味料等を加えた安酒の方がより悪酔いをする。
 同様に、マッコリも米と麦麹だけで造ったものを飲んだ時には平気だったが、大メーカーの糖類や酸味料や甘味料入りのものを飲んだ時には頭痛がして悪酔いしてしまった。
 しかも大メーカーの添加物入りのマッコリは、甘酸っぱさが強くてお酒という感じが弱く飲みやすいだけに、若い女性などはつい飲み過ぎて悪酔いしてしまうおそれがあるから、要注意だ。

 近年は「ビールは苦いから好きじゃない」という若者が増えているという。
 そういう人達に、このソウルマッコリを含めたマッコリは、甘酸っぱく酔える乳酸飲料のようで歓迎されるのではないだろうか。
 しかしそれでも、筆者としては糖類や酸味料や甘味料の入っていない、米と米麹や麦麹だけの本物のマッコリを飲んでみてほしいと思う。

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生きる意味に悩んでいる人達に

 よく、「自分は何の為に生きているのだろう?」とか、「自分がこの世に生まれてきた意味は、一体何なのだろう?」とか考えて悩む人がいるが。
 正直に言って、筆者はその種の事を考えて悩んだりした記憶がない。

 だいたい、70億人もいる全世界の人間一人一人が何か特別な存在で、「生まれた意味」だの「使命」だのが予め用意されているわけなど無いことくらい、少し考えればわかる筈ではないか。

 人は“愛”とも称する種族保存の本能と性欲で生殖行動をし、精子と卵子が結合した結果として一人の人間が生まれてくる。
 ただそれだけの事に過ぎない。
 地球全体から見れば、貴方も筆者も70億人のうちのたった1人に過ぎない。
 庭付きの一軒家に住んでいれば、庭によく蟻の巣がいつの間にか出来ていたりするが。
 その巣に群がる、見分けもつかない無数の働き蟻のうちの1563号(仮)と自分も同じようなちっぽけな存在だと、少なくとも筆者は思っている。

 筆者は幼い頃に地方の中規模の都市に引っ越しを経験し、その引っ越し先の学校では大勢の中のたった一人の異邦人だった。
 また、筆者は常に年子で優等生の姉と比べられ、学校でも親戚達の間でも「出来損ないの弟」という扱いを受け続けて育った。
 だから筆者は、幼い頃から常に一人だった。
 飛び抜けた才能や力のある特別な人間ではなく、大勢の中の無力で何も出来ないちっぽけなただの一人に過ぎなかった。
 そしてそのせいで、自分という存在を冷静かつ客観的に眺める事ができるようになった。
 で、自分自身を「庭の蟻の巣の見分けもつかない無数の働き蟻のうちの1563号(仮)と同じ」と突き放して見ることが出来るようになったわけだ。

 筆者は思うのだが。
 何の為に生きているのだとか、自分がこの世に生まれてきた意味などについて考えて悩む人達は、きっと周囲に良い人達がいて、親にも優しくされ良い友達にも恵まれ、大切にされて育ってきたのではないだろうか。
 イジメられたり、毎日の生活に窮して困っていたりして苦しい生活を送っていたら、それこそ今日を生き抜くのに必死で、生まれた意味などについて悠長に考えているゆとりも無いよ。

 冷徹に言い切ってしまえば。
 人など、ただ生まれただけでは70億人のうちのとるに足りない塵芥のような1人に過ぎない。
 そんなちっぽけで無力な存在と思いたくないから、人は「自分は何の為に生きているのだろう?」とか、「自分がこの世に生まれてきた意味は、一体何なのだろう?」とか、くだくだ考えて悩むのだ。
 70億も用意されてある筈も無い「自分が生きる意味」や「この世で果たすべき自分の使命」を、追い求めて悩むのだ。
 無い物ねだりとは、まさにこのことだろう。

 自分を「庭の蟻の巣の見分けもつかない無数の働き蟻のうちの1563号(仮)と同じ」と見なしている筆者は、こう考えている。
 生まれてきた意味や使命だのは、神が与えてくれるわけでも、最初から用意されているわけでもない。
 それらは自分で探して見つけ、努力して自分自身に何らかの付加価値を付けることで得られるのだ。

 そして初めて、無個性な無数の働き蟻のうちの1563号(仮)を脱して特別な存在になれる。
 イチローも横綱白鵬も五郎丸選手も、天賦の才能はあったにせよ、自ら並外れた努力をしたから、今のような特別な存在になれたのだ。
 生きる意味や使命とは最初から絶対者に与えられるものでなく、自ら探し自ら努力して得るものだと、筆者は確信している。

 ただ筆者は努力はしたが才能が足りず、若い頃には写真家を目指したものの挫折してしまった。
 だがその努力は、決して無駄になったとは思わない。
 写真を撮るのは、今でも楽しいし大好きだ。
 間違いなく、筆者の生きる楽しみの一つになっている。

 二十代の終わり頃に、筆者は生死に関わる大病をした。
 病名を言ってしまえば、関係者には「ああ、あいつか!」と特定されてしまうので、詳細については語らないが。
 日本では筆者が二十人目の患者という珍しい病気で、執刀した主治医が「学会に論文を発表できる」と大変に喜んでいた。

 七時間以上かかったものの、手術そのものは成功し、筆者は命が助かった。
 しかし予後が悪く、今も左足に後遺症を残していて、その後遺症の治る見込みは無い。
 だが筆者は、日本で二十人目という奇病にかかったことも、後遺症が残ってしまったことも、別に何も苦にしてはいない。

 病気になると、よく「何も悪い事はしてないのに、何で自分がこんな病気に……」と悩み、神や天を恨んだりする人がいるが。
 正直に言って、そういう人達の気持ちが筆者にはわからない。
 病気は運だ。
 不摂生による自己責任の病気もあるが、筆者の場合は生まれつきの体の欠陥による、本当に不運としか言いようの無い大病だった。
 そして不運は、誰のせいでもない。
 神のせいでも、何かの因果によるものでもない。
 たまたま生まれつき体に欠陥があったという不運で大病をしたが、誰を恨んでも意味もないし、何にもならないではないか。
 だから大病をして後遺症を抱えたまま生きている事について、筆者は「何で自分がこんな体に……」などとくよくよしたりしないし、「仕方のない不運だった」と割り切っている。
 その後遺症の他にも、アレルギー持ちだったり、メニエール病の後遺症で左耳の聴力に問題があったりもするが、「そういう体なんだ」と割り切って生きている。

 何しろ自分の存在を「庭の蟻の巣の見分けもつかない無数の働き蟻のうちの1563号(仮)と同じ」と思って生きているような人間だから。
「何の為に生まれて来て、何の為に生きているのだ?」などと考える事は全く無い。
 それでも筆者は、生きていて「楽しい」と言い切れる。

 ちなみに筆者は金持ちでも何でもない。
 収入で言えば、間違いなく低収入の部類だろう。
 家族(要介護の親)はいるが、未婚だし。
 乗っている車は、中古で買った軽自動車だし。
 着ている服はユニクロが多いし、ワークマンに寄って買う事も少なくない。
 親が建てた一軒家に住んでいるものの、築四十年で地震によりちゃんと開かない戸もあるくらいだ。
 それでも生きていて楽しい、と思う。

 趣味にしている写真だが、わかる人にはわかると思うが写真を続けるにはお金がかかる。
 しかし銀塩写真がデジタルに変わったおかげで、フィルム代や現像料が不要になり、経済的な負担はかなり減った。
 ただデジタルカメラの技術の進歩は早く、最新の技術を取り入れた良いカメラで撮ろうと思えば、それはかなりお金がかかるが。
 しかし新製品が早く出るということは、性能にそれほど問題のない旧製品が中古市場に出て来るのも早いということである。
 で、割り切ってカメラも中古を買えば、写真を安く楽しめる。
 格安のジャンク製品の中から使えそうなものを探すのも、また楽しい。

 筆者は本やコミックスを読むのも好きだ。
 これも新刊で買えればそれに越したことはないのだが、無理なら古本屋を探せば面白いものが財布に優しい値段で手に入る。

 お金は、あるに越したことは無い。
 しかし無いなら無いで、それなりの楽しみ方もある。
「お金が無ければ何も楽しめない」などということは無いと、少なくとも筆者は思う。

 何しろ自分自身の存在を「庭の蟻の巣の見分けもつかない無数の働き蟻のうちの1563号(仮)と同じ」と見なしているような人間だから。
 筆者は生殖の結果としてただ生まれ、そして死ぬまで生きるまでのことだと、自分の人生を割り切っている。
 挫折も失敗も数々したけれど、辛い経験もいろいろしたけれど、それでも「生きていて楽しい」と思う。
 楽しいことは、探せば身近に幾つでもある
 大切なのは、その楽しいことを見つけ出す感性があるかどうかだ

 筆者は今、古い家で年老いた親と年老いた猫の世話をしている。
 自分がいる事で、この親と猫の為になっている。
 それだけで、「生きる意味」など充分だと筆者は思っている。
 自分がいなければ生きて行けない人と猫がいる。
 だから生きる。
 それで充分ではないか。

 無論、親も猫もいずれあの世に行き、筆者は一人になるだろう。
 その時には、筆者の「生きる意味」は無くなってしまうのかも知れない。
 だがそれでも、筆者は生きる事を止めないだろう。
 少なくとも筆者は、楽しい事は世の中にいろいろあることを知っているから。

 自分が生きる意味や、何の為に生まれて来たのか悩んでいる人達に言いたい。
 そんな事を小難しく考えるのは、もう止めようよ。
 世界的な視野で見れば貴方は70億分の1の存在でしか無いし、貴方など居なくても世の中は何も困らないだろう。
 しかし貴方の周囲には、貴方を必要としている人がいるのではないか。
 家族でも職場でも友人でも、「貴方が居ないと困る」と言ってくれる人が一人でも居れば、貴方が生きている意味は充分ある筈だ。
 そしてこの世には、楽しい事がたくさんある。
 それを見つけて、死ぬまで楽しく生きようよ。

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そろそろ梅雨明けでしょうか

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 最近では、エアコンが教室にある学校が増えつつあるようで。
 私の時代には、エアコンどころか扇風機すら無く、下敷きで扇いでようやく暑さを凌いだものでした。
 良いですね、エアコン。
 子供だって暑いのだし、「子供にエアコンなど要らない、気合いだ!」などと言う大人にはなりたくないです。

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見て楽しんでいます

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 カッコいい車を見かけました。

 私、実は子供の頃から車が好きでした。
 好きな玩具と言えば、まずトミカのミニカーでしたしね。

 ただ、ミニカーと違って本物の車はかなり高価ですから。
 そして大人になるにつれ、車以外に好きなものもいろいろ増えてしまいまして。
 で、今では良い車は「見て楽しむだけ」になってしまっています。

 それでも見ているだけでも楽しいです、カッコいい車は。

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少しうらやましい

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 このようにお気に入りのキャラを、自分の車に貼ってみたい気持ちもあるのですが。
 ただ我が家の駐車スペースには屋根が無く、強い直射日光が当たりっぱなしなのですよ。
 だからステッカーもクッションも、たちまち日に焼けて色褪せてしまうのです。
 ステッカーなど、ただ色褪せるどころかひび割れたりしてしまいます。
 だから私の車には、装飾の類は一切ないのです。
 カーポートを設置するお金が無い、自分の甲斐性の無さが情けないです。

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この雲も悪くはないけれど

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 近年は、猛暑の夏が続いていますが。
 その割に、立派な入道雲にお目にかかる事は少ないです。
 写真の雲も、悪くはないですが。
 でも夏らしい大きな入道雲も見てみたいです。
 

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海の日の今日、ちゃんと晴れていますでしょうか?

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 今日は“海の日”ということですが。
 せっかくの休日を生かして海に遊びに行けるような、良い天気なのでしょうか。
 まだ梅雨も明けきらないうちに「海の日」と言われても、何かしっくりきませんね。

 とは言え、休みの日が増えることは、雨だろうが晴れていようが有難いことではあります。

 ただ、現実には仕事を休める日がカレンダー通りではなく、週休二日とかで土日も祝祭日も関係なく出勤せねばならない方も、少なからずおられると思います。
 そういう方にとっては、祝祭日が増えても何も変わりはないわけで……。
 そのあたりの事に、少し矛盾を感じます。

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グランツ・ザ・ファミリー・リザーブ

グランツP1110573

 このグランツ・ザ・ファミリー・リザーブで目立つのは、まず特徴ある三角形の瓶だろう。
 ウイスキーがお好きな方は、すぐに気付かれるだろう。
 あの有名なシングルモルト、グレンフィディックと同じ形をしている。
 そう、これはグレンフィディックを造っている会社が出している、ブレンデッドのスタンダード・スコッチである。

 キャップを開けると、まずバニラの甘い香りを感じる。
 グラスに注げば樽のウッディな香りもあるし、よく嗅げば僅かながらスモーキー香も感じる。

 飲んでまず感じるのは心地よい甘さだが、それはすぐにスパイシーさに変わる。
 また、若いアルコールの刺激もかなり強い。
 香りは豊かだし、心して少しずつ嘗めるように飲めば滑らかだしコクも深い。
 しかし少しでも多く口に含んでしまうと、アルコールのキツい刺激で口の中がヒリつくようだ。

 注意して少しずつ味わえば、甘くスパイシーで滑らかで、コクもありスモーキーな余韻も比較的長く続く、なかなか良いスコッチなのだが。
 若い原酒のアルコールの強い刺激が気になる方は、水なり炭酸なりで割って飲んでも良いと思う。

 筆者はトワイスアップにして飲んでもみたが、そうするとコクが薄れるもののアルコールの刺激が激減し、甘さが引き立ってかなり飲みやすくなった。
 しかしウイスキーのコクと深みと長く続く余韻を楽しみたい方は、ストレートで心して少しずつ飲んだ方が良いだろう。

 筆者はこれを白角と飲み比べてみたが、白角のようなフルーティーさこそ無いものの、白角より滑らかで深い味わいとコクがあり、甘さも同等にあった。
 さらにジョニーウォーカーの赤とも飲み比べてみたが、ジョニ赤の方がより甘く滑らかで、スモーキーさも強かった。

 このグランツ・ザ・ファミリー・リザーブ、個人的にはジョニ赤には及ばないように思った。
 しかしアルコールの刺激の強さこそ気になるものの、甘くコクがあり余韻も長く続き香りも豊かで、この価格帯のスタンダード・スコッチとしてはかなり良い方であると思う。
 さすがはあのグレンフィディックを造っている会社の、最もリーズナブルなウイスキーと思わせるだけの品質であった。

「ぜひ買って飲んでみてほしい」とまでは、お勧めしないが。
 グレンフィディックがお好きな方は、グレンフィディックを造っている会社の廉価なブレンデット・スコッチがどんなものか、一度試しに飲んでみてほしいと思う。
 若いアルコールの刺激こそ、少し気になるものの。
 ストレートでも充分に美味しく飲めるし、割って飲めばウイスキーの良さを気楽に味わえて、スタンダード・スコッチとしてはかなり良い物だという印象を受けた。

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少年法などクソくらえ!

 こんな殺人事件があった。
 加害者はオートバイに乗り、被害者を自転車に乗せて押しながら併走し、被害者を電車の迫る踏切に突っ込ませた。
 被害者は「怖い、怖い!」と叫びながら50km近い速度で踏切に突っ込まされ、そこで電車と衝突して命を落とした。

 そして被害者とその遺族に対して、加害者からの謝罪は今も無い。

 さて、皆さんはこの事件の加害者が、どれだけの刑罰を受けたと思うだろうか?
 事件の悪質性、それに被害者の恐怖を考えれば、筆者など死刑にしてやりたいくらいに思う。
 まあ、現実の判例を考えれば死刑は無理だろうが、少なくとも懲役十数年、場合によっては無期懲役の判決が出てもおかしくないだろう。

 では、正解を言おう。
 懲役4~6年の不定期刑だ。
 何故か。
 それはただ、加害者が少年で未成年だったからだ。
 そしてこの加害者は実名を報道される事も無く、程なくひょっこり社会へと、皆さんの側へと現れることになるのだ。

 残酷な殺し方で人を殺して。
 しかも謝罪も無く。
 それでたった懲役4~6年の不定期刑である。
 こんな少年法に「納得できる」という人がいるとしたら、是非顔を見てみたいものである。

 元々日本の少年法というものは、戦後の混乱期に、切羽詰まって生きる為に盗みなどをする戦災孤児などを想定して作られたものだ。
 悪いのは少年本人でなく、社会と家庭などの環境という考えに立っている。
 だから少年法は「立ち直り」を最優先していて、加害者にひどく甘い。
 今は、戦災孤児が多くいた戦後の焼け跡闇市の時代ではないのだ。
 加害者の少年の「立ち直り」だけ考え、被害者の痛みや気持ちなど省みない今の少年法など要らない、と筆者は思う。
 加害者にのみ手厚い配慮をして優しい現状の少年法は、むしろ被害者の敵だ。

 と言うと、非行少年に“理解”ある学者や弁護士などは、決まってこう言う。
「非行に走る少年は家庭に恵まれず、とても可哀想なんだ。オマエは良い家庭に育ったから、それがわからないんだ」

 自分の身内の事を悪く言うのは辛いが、ここで筆者自身の育って来た環境についても語っておこう。
 筆者の父は大酒飲みのギャンブラーだった。
 それもただだらしなく酔っぱらうのではなく、酔うと怒鳴り散らし、暴力も振るう種類の酒乱だった。
 事実、筆者も保育所に通っていた幼児の頃に、酔って虫の居所が悪かった父にブン殴られ、数メートルも吹っ飛んだ事がある。
 家計は主に公務員だった母の収入で成り立っていたが、父はその給料さえ取り上げては、競輪等に通ったりもしていた。
 どこからどう見ても、父はDV親父だった。

 また、筆者の一つ年上の姉は我が儘でヒステリー性格なのだが、とにかく外面の良い、学校の勉強がよく出来る優等生だった。
 家ではヒスを起こして我が儘も言っても、外では徹底的に良い子に振る舞っていた。
 だが筆者は違った。筆者は家でも外でも裏表無く行動し、勉強も授業やテストや受験に関係なく、図鑑や専門書を読みふけって自分の知りたい事を深く勉強していた。
 例えば、姉は明治維新と言えば人名と年号を暗記するが、筆者は「なぜ明治維新が起きたのか?」を歴史書を読んで考えた。
 筆者はテストで良い点を取る為の暗記ではない、物事を理解する為の勉強がしたかったのだ。
 そんな姉と筆者を比べて、学校の教師達も親戚の伯父伯母や祖父母達も皆「お姉ちゃんは本当に良い子だが、弟は出来損ないだ」と言った。
 年子だけに、小学校でも中学でも常に比べられ、「あのお姉ちゃんに比べて、弟は……」と馬鹿にされ続けた。
 中学の時の担任の教師になど、クラスの皆の前で「オマエはお姉ちゃんの爪の垢でも煎じて飲め」とまで言われた。
 出来損ない扱いは親戚も同じで、実の祖母にさえ「お姉ちゃんは良いけれど、この子は嫌いだ」と、面と向かって言われた。

 さらに筆者は生まれは東京だが、父が仕事で失敗をして東京に居られなくなり、幼い頃に他県に引っ越す事になった。
 そして筆者は、小柄でしかも病気がちで体も弱かった。
 男の子のセカイで、小柄で体の弱い異邦人がどういう扱いを受けるか、容易に想像がつくだろう。
 ハイ、もちろんイジメの対象になりましたとも。

 父親が酒乱のDV家庭に育ち、しかも年子の姉と比べられて常に貶められ、小柄で病弱なせいでいじめられもして。
 生育環境を振り返れば、グレて非行に走る理由は充分過ぎるほどあった。
 だが筆者は、性格はかなり曲がりはしたけれど非行には走らなかった。
 ネズミ捕りなどの軽微な交通違反以外で警察のお世話になった事は、本当に一度も無い。
 誰か良い理解者が居て支えてくれたのではないか、って?
 残念ながら、そんな恩人は筆者には誰一人いない。
 酒乱でDVの父親にも、姉と比べられて貶められ続ける事にも、子供時代の理不尽なイジメにも筆者は一人で耐えて生きてきたのだ。
 非行に走ったりグレたりしなかったのは、あくまでも筆者本人の判断と辛抱の結果であって、社会や環境や誰か恩人のおかげでは無い。
 だから断言するが、家庭環境は少年の凶悪犯罪の言い訳にはならない

 ネグレクトされ食事もろくに与えられない子供が、空腹に耐えかねて食べ物を万引きする。
 このような非行なら「悪いのは家庭や環境」と言えるし、同情できるしその罪を責めたくもない。
 しかし強盗や強姦や暴行や殺人などの凶悪犯罪には同情の余地は無いし、家庭や環境のせいには出来ないと筆者は考える。
 筆者の父は酔うと暴れたし、学校の同級生にも暴力を振るう悪ガキのイジメっ子は当たり前にいた。
 しかし筆者は、「喧嘩上等、気に入らなければ暴力を振るっても良い」とは全く思わないで育った。

 静岡県は、伊豆と駿河と遠江の三つの国から成り立っているが。
 それだけに、それぞれの地方で県民性もかなり違い、県内ではこうも言われている。
「もし本当にお金に困った時、どうするか。遠江の人は追い剥ぎ、伊豆の人は詐欺、そして駿河の人は乞食をする」
 今も強盗や詐欺をして逮捕された人が、よく「お金に困ったから」と言い訳をするが。
 例えばその場合、強盗犯はお金を奪うだけでなく相手に危害も加えるが、詐欺師はお金は騙し取っても少なくとも危害は加えない。
 そしてホームレスになる人は、自分の身を落としても誰の金も奪わず、誰にも危害を加えない。
 だから筆者は、「追い詰められた時に犯罪に走るかどうかは、環境ではなく本人の性格や人間性による」と考える。

 よく非行少年と接する警察官や少年院の教官や弁護士などは、「彼らは家庭などの環境が悪くて可哀想なんだ」と言う。
 確かに非行少年の家庭環境は劣悪な場合が多いのだろう。
 しかし少年犯罪の専門家達は、罪を犯した少年とばかり接しているが為に、「家庭環境が悪くても、自分の意志で頑張って非行に走らず真っ直ぐ生きている数多くの善良な人達が見えていない」ように、筆者には思える。

 本当に金に困って追い詰められても、強盗や詐欺などの犯罪に走る人ばかりではないのだ。他人を害するより、ホームレスになる事を選ぶ人だって間違いなくいるのだ。
 同様に、いくら家庭環境で追い詰められても、凶悪犯罪に走る人ばかりでは無いのだ。
 他人に暴力を振るったり、ましてや殺したりして良い筈が無い事くらい、子供でも充分にわかっている筈だ。
 今の「立ち直り」を最優先する少年法は、立ち直りに役立っているどころか、むしろ非行少年を調子に乗らせているのではないか。
「俺たちは“少年”だから罪が軽いし、実名もバレないしすぐ出て来れるもんね!」と。

 今年、東京の練馬区でこんな事件があった。
 高校一年生の少年が同級生に暴行し、バッタやミミズやヤモリ、さらには飼い犬の糞まで繰り返し食わせていた
 で、強要容疑で警視庁少年事件課に逮捕されたのだが。
 実はこのクソ少年は、これまでにも暴行と強要の容疑で二回も逮捕されているのだという。
 想像して貰いたい、暴行され、さらに虫や犬の糞まで食わされるのだぞ。
 それで二度も“逮捕”されても、すぐにまた世の中に出て来て高校生に戻り、またも同級生に暴行等を繰り返しているのだ。
 今の少年法がいかにザルで、立ち直りwwwにも役に立っていないか、この例だけでもよくわかろうというものだ。

 その練馬の事件で、同級生たちは「仕返しが怖かった」と話しているそうだが、気持ちは本当によくわかる。
 何しろ暴行と強要で逮捕されてもまたすぐに釈放され、学校や地元に戻って来て同じ暴力を繰り返すのだから。
警察は役に立たないし、少年法はクソだ」と、少年の周囲の被害者らは皆そう思ったのではないだろうか。
 何しろもしその加害者の少年がキレて、警察に被害を届け出た少年を殺したとしても、懲役4~6年程度で済んでしまうのだから。
 そして加害者の少年は匿名のままで、出所後は何食わぬ顔で再出発できるのだ。

 こんな実例もある。
 高校生の少年が、同級生を殺した。
 そして被害者の少年は母一人子一人の家庭で、事件後その母親は一人になった。
 一方、加害者の少年は少年院で通信制の高校を卒業し、大学(法学部)にも受かり、さらに司法官試験にも合格して弁護士になり、家庭も持ち豊かで幸せな暮らしを送っている。
 この加害者の少年は、少年法の理想のように見事に「立ち直った」。
 だがその少年は人を殺したという過去を無かったもののように振る舞い、被害者の母親に対する謝罪や補償もろくに無いままだ。
 と言うより、法律の知識を駆使し、謝罪と補償を求める被害者の母親に圧力をかける有り様なのだ。
 被害者は殺され遺族は不幸の底に沈んだままの一方で、加害者のみ「立ち直って」幸せになっている。
 こんな少年法に、筆者はどうしても良い感情を持てない。

 今年放送されたNHKスペシャルで、少年は何故キレやすいかを取り上げていた。
 それによると、若いうちは脳の衝動を抑える部分が未発達で、アクセルはあってもブレーキが効きにくい状態なのでキレやすいのだそうだ。
 それを考えると、少年の「カッとして暴力を振るってしまった」とか、「盗みたい衝動を抑えきれなくて、つい」というような犯罪には、成人より多少の情状酌量の余地はあるかも知れないが。
 しかし少年の大多数は「つい」万引きなどの盗みもしていないし、「カッとした」からといって傷害罪になるような暴力も振るったりしないし、ましてや人を殺したりしない

 少年の脳が衝動を抑えにくいように出来ていようが、家庭環境に問題があろうが、「凶悪犯罪を犯して許されて良い理由は何もない」と、少なくとも筆者は考える。
 大切なのは「加害者の立ち直り」ではなく、まず「被害者や遺族の支援」ではないか。
 少年法では、加害少年の立ち直りばかりが大事にされて。
 非行少年の「立ち直り」に手を貸す、善意の人達も組織もあって。
 その一方で、被害者とその遺族については「どうぞ自力で何とかして下さい」と放置されているのが現状だ。
 こんな少年法と「非行少年の立ち直り」など、クソクラエと言いたい。

 筆者にも少年であった時代もあるし、少年の知人もいるが。
 暴力や殺人が悪い事だと知らない少年など、筆者の知る限りでは全くいない
 非行を犯す少年達は、ほぼ皆、悪い事だとわかってやっているのだ。
 そして少年達は、自分らが少年法で守られ、大人より罪が軽く、罪を犯しても実名を知られる事も無いと知っている
 筆者の見る限り、今の少年法は非行を抑制するどころか、むしろ甘やかして犯罪を助長している

 少年の非行問題の“専門家”は、口を揃えて「厳罰化は、問題の解決にはならない」と言うが。
 専門家でない筆者は、決してそうは思わない。
 何故なら非行少年達は、少年法が自分達に甘い事を皆よく知っているからだ。

 例の練馬の、同級生に暴力を振るい虫や犬のクソを食わせていた少年だが。
 その少年が過去の二回の逮捕ですぐ自由にされることなく、初回で厳罰に処されていたら、同じ犯罪を同級生に繰り返すような事は無かったのではないか。
 暴力を振るわれ、虫や犬の糞を食わされ、耐えかねて警察に訴えても。
 少年法とやらでまたすぐ舞い戻って来て、同じ暴力と強要が繰り返される。
 その時の被害者らの無力感、「警察も法律もアテにならないし、自分達の味方ではない」と知った時の絶望感は想像するに余りある。

 冒頭で取り上げた、自転車の被害者をバイクで押して踏切に突っ込ませて死なせた加害少年にしても。
 こうして死なせれば大人と同じ刑が科され、間違いなく懲役十数年で下手をすれば無期懲役とわかっていれば、少なくとも犯行を躊躇ったのではないか。

 良い人や性善説の人は、絶対に認めたがらないが。
 世の中にはサイコパス、「他人の痛みを感じない、犯罪傾向の高い人」が科学的に間違いなく数%存在しているのだ。
 たやすく暴力的になり、衝動性が強くて罪悪感を持てない反社会性人格障害の人は、大人でも確実に、間違いなくいる。

 確かに少年の脳はキレやすいように、衝動を抑えにくいように出来ているのだろう。
 そして家庭環境の劣悪な、可哀想な少年も確かに存在する。
 しかし大多数の少年はキレやすい衝動に耐え、家庭に問題があっても凶悪犯罪は起こさずに真っ当に生きている
 少年で凶悪な犯罪を犯す者は、筆者は他人の痛みを感じず罪を犯しても良心が痛まない、生まれながらのサイコパスなのだろうと思う。
 そしてその反社会的なサイコパスに「少年だから」と甘い処分を下すのは、絶対に間違いだと考える。

 被害も少ない軽微な犯罪まで含めて、「少年法など無くしてしまい、大人と同じように罰しろ!」と言うつもりはないが。
 少なくとも被害者の痛みが大きい凶悪犯罪については、少年法を適用して刑を軽くするのはやめていただきたいと思う。

 例えば少年に暴行されて、人が殺されたとする。
 その恐怖と痛みは、加害者が少年か大人かで違うだろうか?

 凶悪犯罪の被害者の立場から言えば、加害者が少年だろうが大人だろうが、殴られ、いたぶられる痛みと恐怖と屈辱に何も関係ないのだ。
 そして加害者の立ち直りより、被害者の心身のケアがまず優先と考えるのは、常識ではないだろうか。
 しかし日本では、少年犯罪は「まず加害少年の立ち直りを」と言われる。
 それがどうにも、筆者には納得が行かない。
 示談で済まされるような犯罪はともかく、凶悪犯罪に関しては少年も大人と同じように裁くべきだと筆者は考えている。

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飽きずに空を撮っています

fx30-100209-327.jpg

 私はよく空を撮りますが。
 正直に言って、メーカーにより空の青が綺麗に出るものと、グレーっぽい冴えない色に撮れてしまうものがあります。
 私の実感では、フィルムの時代からカメラを造っていたメーカーのカメラの発色はやや地味で、家電メーカーだった会社のデジカメの方が華やかな色の空が撮れたりします。

 だからと言って「家電メーカーのデジカメの方が色が綺麗」と言えるわけではなく、やや作りモノっぽい絵になってしまうこともあります。

 作りモノっぽくても華やかな発色のデジカメが良いか。
 忠実な色再現だけれど地味な発色のデジカメが良いか。
 なかなか難しいところです。
 

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