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空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

日本の右翼は国家に巣食うモンスターペアレンツである

 世の親達の中には、モンスターペアレンツ、略してモンペと呼ばれる人達がいる。
 たいていの親達は、我が子が可愛い。
 だがこのモンスターペアレンツと呼ばれる親達の愛は行き過ぎていて、かつ盲目的で、周囲の人達に多大な迷惑を与えている。

 例えば我が子が万引きをしたとして。
 まともな親ならば子供を厳しく叱り、かつ被害を与えた店には誠心誠意謝る。
 しかし近年では、違う反応をする親達が出て来ている。
 とにかく“可愛い我が子”を護り、黒を白と言い立て逆ギレして責任転嫁し他を責めるのだ。
「うちの子が万引きなんかするわけがない、濡れ衣だ!」
「うちの子はそんな事する子じゃない、誰か他の悪い子に脅されたんだ!」
「万引きしたのは、店の構造や商品の置き方が悪いからだ!」
「カネは払ってやる、だからいいだろ!」
「こんな安物を取ったくらいで、うちの子の一生を台無しにする気か!」
「名誉毀損だ、訴えてやる!」
「こんな店、潰してやるぞ!」
 そしてこんな態度を取ることが“わが子への愛”と信じているのだから、質が悪い。

 この種の親は、我が子が学校でイジメや暴力などの悪いことをしても、絶対に非を認めない。
 そして責任を学校や教師や他の級友に押しつけ、大騒ぎして他を責める。
 こうしたモンスターペアレンツは、周囲の常識あるまともな親たち皆から白い目で見られ、軽蔑されている。
 そしてたいてい孤立しているのだが、この種のバカ親は周囲からどう見られても気にしないでやりたい放題なのだから、始末が悪い。
 この種の困った親は、警察のお世話になるか裁判沙汰になって皆から制裁されるまでノンストップで暴走する。

 このモンスターペアレンツと全く似た行動と思考をしているのが、日本の右翼の自称“愛国者”たちである。
 近年、書店でよく平積みにして売られている『歴史通』や『WiLL』や『月刊Hanada』などの右翼系の雑誌を見れば、彼らの思考はよくわかる。
「悪いのは中韓と連合国で、日本は全く悪くナイ!」
「第二次世界大戦も自衛の戦争だ、日本はあの戦争でアジアを白人支配から解放して皆から感謝されている!」
「南京大虐殺も沖縄で住民を酷い目に遭わせ集団自決を強いたのも、全部でっち上げ!」
 彼らは日本が過去に犯した悪い事は何もかもすべて「サヨクと中韓のでっち上げ!」と言い張り、日本に都合の悪い史実と正面から向き合う日本人を敵視し、「反日で自虐史観の持ち主の非国民」と貶める。
 そのあたりの日本の自称“愛国者”の反応と思考が、幼稚で愚かで傍迷惑なモンスターペアレンツと驚くほど似通っているから呆れる。

 考えてもらいたい。
 我が子が何か悪い事をしたら、きちんと叱って正しい道に導くのが本当の愛ではないか。
 例のモンスターペアレンツのように我が子の犯した罪は決して認めず、黒を白と言い張り都合の悪い事実から目を背けて無かったことにして、責任を他に押しつけて我が子を甘やかしたら、大事な我が子が“駄目な子”になるのは明白であろう。

 だから同じ第二次世界大戦の敗戦国でも、ドイツは二度と同じ過ちを犯さぬよう、自国が過去に犯した罪ときちんと向き合っている
 例えばベルリンのシェーネベルク地区のバイエルン広場近くの道には、ナチスの時代にドイツ人がユダヤ人にどれだけ酷い事をしたかを示す看板が、電灯に数多く掲げられている。
 そしてそこに住むベルリン市民はそれを「反ドイツでドイツを貶める自虐史観」だなどと、殆ど誰も思っていない

 その自国の過去の過ちを記録する看板を掲げている事について、付近に住むある住民は日本のテレビの取材に対してこう言った。
「とても伝統を意識した地区に住んでいて、ナチズムが荒れ狂っていた時代を毎日思い出します。その時代を記憶に留めて忘れません」
 テレビが意図的に“サヨクで自虐史観のドイツ人”にインタビューしたわけではない。
 そのドイツの過去の過ちを示した看板のガイドツアーが多く行われていて、ガイドは地域の住民がつとめている。
 そして自国の負の歴史を未来に示し続ける看板は、これまで一度も壊されたことは無いという。

 また、ベルリンの中心部のブランデンブルク門近くの多くの市民が目にする場所に、ホロコースト記念碑が建てられている。
 その事について、市の学芸員アダム・フロニウス氏はこう語っている。
ドイツ人が責任を持って歴史と向き合う意識の現れです」
 そしてフロニウス氏は、こうも付け加えた。
当時起こった事に対し責任を負うということが、国民のアイデンティティーなのです」

 ちなみにそのホロコースト記念碑の建設は議会で決議され、ドイツの国費で建てられた。
 そのホロコースト記念碑について、フロニウス氏はこう語った。
ドイツ人の自己理解の象徴なのです」

 過去に犯した自国の過ちから目を背けず、きちんと向かい合う。
 これがドイツとドイツ人だ。
 過去に犯した自国の過ちは認めずに歴史を美化し、事実にきちんと向かい合おうとする人を「自虐史観で日本を貶める反日のサヨク」と叩いて罵る。
 これが日本と日本人だ。

 南京大虐殺や植民地支配など、過去に日本が犯した悪行を認めない“愛国者”たちは、よくこう言う。
日本がそんな酷い国だと認めたら、愛国心を持てなくなる
 正気でそう言い張る、日本の“愛国者”たちに問おう。
 ドイツではナチスの犯した罪が徹底的に教育されていて、ドイツが犯した悪行について誰もが知って認めている。
 ではその自国の負の歴史も教えられた今のドイツ人達は、愛国心は持てずにいるのだろうか?

「自国の過去の罪を教えられたから、今のドイツ人達は愛国心を持てずにいる」
 そんな阿呆なことをほざく輩は、どこにもいない。

 日本の右翼の重鎮で一水会顧問である鈴木邦夫氏が、毎日新聞の取材にこう語っている。

 日本は常に正しい道を歩いてきたのだろうか。過去を振り返ればアジアの国に弁解できないことをしたのではなかったか。そうした過ちも直視し、それでもこの国がいとおしいと思う気持ちが愛国心だと思う。威勢のいいことを言ってその声の大きさを競うことが愛国心ではないはずだ。


 これこそが、真の愛国心だ。
 筆者も全く同感する。
 かつての日本には、こんな知的で現実を直視できるまともな右翼がいた。
 しかし安倍政権下の今の日本にいる右翼は、「過去の過ちから目を背け、威勢のいいことを言い、ただその声の大きさを競うことだけが愛国心と信じる」愚か者ばかりになっている。

 実はドイツも、戦後すぐから過去と向き合うことが出来ていたわけではなかった。
 例のホロコースト記念碑が建てられたのも2005年で、戦後数十年は過去の負の歴史についてあまり語られなかった。
 ドイツ人にとっても、過去の歴史と正面から向き合うのは非常に困難だったのだ。
 だがドイツとドイツ人は、過去と向き合い自国の負の歴史を記憶に留めて忘れないことを選んだ
 そして日本会議や神社本庁とそのお仲間が権力を握り、ナショナリストと呼ばれる安倍氏が首相としてこの国を治めている日本は真逆の道を進み、過去の歴史をねじ曲げて美化し、過去の日本の過ちを直視しようとする者を「自虐史観で日本を貶める反日サヨク」と罵倒するのが当たり前になりつつある

 過去の過ちをしっかり記録と記憶に留め、ナチズムが荒れ狂った時代を忘れず毎日思い出しているドイツ人と。
「日本が酷い事をしたと認めたら、愛国心を持てなくなる」と言って過去の過ちを歴史から消し去ろうとする日本人と。
 
どちらがより立派な本物の愛国者か、筆者には議論の余地がないように思える。

 日本が原爆や東京大空襲の悲惨さを海外で訴えても今一つ共感を得られないのは、日本は自国の戦争被害を言い立てるだけで、先の大戦で日本がアジア諸国に与えた被害に対する反省の表明が足りないからではないか。
 議論の余地なく戦争を仕掛けた加害者である日本が、その事を忘れたような顔をして自国の戦争被害ばかり言い立てても、やはり国際的には共感を得られまい。

 例えば日本軍はあの戦争で中国軍を破り、中国の奥深くまで攻め込んだが。
 その勝ち戦で、どれだけの中国兵の捕虜を取ったか。
 何万どころか何十万もの捕虜がいてしかるべきなのに、現実には日本軍に捕らえられて戦後まで生き残った中国人の捕虜は殆どいない。
 中国に攻めて行った日本軍の多くは、捕虜は取らずにほぼ殺していた
 中国からガタルカナルやインパールに転戦した体験を『地獄の戦場に奇跡はなかった』という著書にまとめた高崎伝氏も、「自分の連隊ではただの一人も捕虜は取らず、敵や怪しいと思った者はみな殺してきた」と明言している

 また、中国の大陸内部まで攻め込んだ日本軍の補給は、きちんとなされていただろうか。
 もちろん否である。
 だから前線の部隊の兵士は、現地調達という略奪を日常的にしていた。
 そしてその際には、婦女暴行や殺人もしていた。
 中国では今もなお反日感情が強いが、恨まれても仕方のないことを、日本軍は中国でしている。
 中国だけでなく、フィリピンなどの東南アジアでも日本軍は酷い事をしている。

 そしてその事を学校で教えるどころか、事実として認めるだけでも「自虐史観で反日だ!」と、今の日本の右翼は騒ぐ。

 過ちを認めずに黒を白と言い張る人と。
 過ちは認めてきちんと謝罪できる人と。
 どちらが人として尊敬されるか、それが今の日本の右翼にはわからないのだから恥ずかしい。

 ドイツ人は過去の罪としっかり向き合った上で、ドイツという自分の国を愛している。
 そして日本の右翼の鈴木邦夫氏も、「日本がアジアの国々にした過ちも直視し、それでもこの国がいとおしいと思う気持ちが愛国心だ」と語っている
 今の日本の右翼はなぜそのような気持ちになれず、黒も白と言い立ててただひたすらに我が子を庇うモンスターペアレンツのような恥ずかしい言動を取り、心ある周囲の人達から顰蹙と軽蔑を買うような真似を続けているのか、それが不思議である。
 そして同じ日本人として、そのような自称“愛国者”が少なからず存在する現状を情けなく、恥ずかしく思う。

 よく考えてもらいたい。
 我が子を駄目にする早道は、子供が悪い事をした時に叱らず、庇って甘やかすことだ。
 国もそれと同じで、自国の過ちを認められずに黒も白と言い張る国家は駄目になる
 例えば正しい情報を認めず、自国を過大評価して、己に都合の良いようにだけ考えて突っ走った結果が、先の大戦の惨めな敗戦ではないか。
 人も国も、己の過ちをきちんと反省できないものは駄目だ。
 今の日本にはびこる右翼は、我が子可愛さに我が子の非は一切認めないで我が子を駄目な子にする、傍迷惑なモンスターペアレンツそっくりである。

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枯れ葉色の紅葉(*ノωノ)

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 姪が来月社会人になり、赴任地の大阪に旅立ちます。
 大阪には「面白そう、食べ物も美味しそう」というイメージと、「いろいろツッコまれてイジられそう」というイメージの両面があります。
 私なんかは、打たれ強いから大阪でもやっていけると思いますが。
 おっとりしてやや反応の遅い姪が、大阪の人達に可愛がってもらえるか、ちょっと気がかりです。

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空に想う

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 我が家の病気の猫さんは、まだ頑張ってくれています。
 それでも日々、僅かずつですが体重が減りつつあって、4キロあった体重が今では2.3キロを切ってしまっているのが悲しいです。
 猫を抱いた時に腕に伝わる軽さが、胸を締め付けます。

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青空と雲と太陽

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 中学を卒業した後の春休みに、ちょっと悩んだのですよ。
「自分はまだ中学生なのか、もう高校生なのか?」と。
 私の通っていた中学では、繁華街に中学生だけで行くのは禁止で、高校では良かったんですね。
 そして中学の遊び友達と、卒業後の春休みに繁華街に遊びに行くことになりまして。
 もしかしたら校則違反かもと、少し後ろめたい気持ちで遊びに出掛けました。

 正解はですね、「卒業式後でも3月31日までは中学生で、入学式前でも4月1日からは高校生」だそうです。
 高校と大学の場合でも、大学と社会人の場合でも同じで、3月31日と4月1日で分かれるらしいです。

 私が中学の友達と繁華街に遊びに行った時は、まだ3月のうちだったような……。

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ホームセンターと青空

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 私は一応、県庁所在地の市に住んでいますが。
 けれど田舎です。
 住んでいる家の周辺はそれでも住宅街ですが、車で五分も走れば山に着いてしまいます。
 田んぼや畑も、すぐ近所にありますしね。

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また紅葉です

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 長年、写真を撮ってきましたが。
 デジタルの時代になっても、やはり「写真はレンズが大事」と思うのです。
 こうした紅葉の写真なども、木の葉の一枚一枚に至るまで鋭く描写してくれるレンズが、風景写真には欲しいです。
 うまく説明できませんが、違うんですよ、後で画像処理でシャープネスを上げるのと、元々解像力の高いシャープなレンズの写りは。
 また、女性の写真を画像処理でソフトにするのと、元から柔らかでありつつ繊細なピントもしっかり結んでくれるレンズで撮るのも違います。

 で、こうしたレンズの写りの微妙な違いに気付いて、いろんなメーカーの良いレンズを集めるようになってしまうともう泥沼で、あっと言う間にビンボーになってしまいます。
 ハイ、私もそのレンズの写りの微妙な違いの魅力にハマってしまったせいで、今もまだ独身で、ビンボーしてます。

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沢の鶴純米酒米だけの酒

 先週、福島県の白河銘醸の谷の越純米吟醸を飲んだ。
 それで今回は、沢の鶴純米酒米だけの酒を飲んでみた。
 灘の大手メーカーの、しかも紙パック入りで精米歩合も掛米で75パーセントという比較的安価な酒だけに、正直に言って味に期待は殆どしていなかった。
「やはり大メーカーの“名ばかり純米酒”だった」と、最初から書くくらいのつもりでいた。

沢の鶴純米酒米だけの酒P1120860

 実際、ワイングラスに注いでみても香りは弱く、吟醸香のようなフルーティーな香りは全くと言ってよいほど無く、代わりにアルコールの匂いを感じる。
 そして谷の越純米吟醸と、酒の色が明らかに違う。
 谷の越純米吟醸は明らかに黄色味を帯びているが、この沢の鶴純米酒は殆ど無色透明に近い。
 精米歩合60パーセントの谷の越純米吟醸に比べ、麹米が65%で掛米が75%の沢の鶴純米は、精米歩合の低さによる雑味を活性炭を多く使用した濾過で補っているのだと思われる。
 で、この沢の鶴純米酒米だけの酒に対する筆者のイメージは、ますます悪くなった。
 ああ、やはり大メーカーの安酒だなあ……と。

 しかしだ、飲んでみるとこの沢の鶴純米酒米だけの酒、そう悪くないのだ。
 飲み比べてみれば沢の鶴純米酒米だけの酒には吟醸香は無いし、味もキリキリ辛くて、谷の越純米吟醸の方が香りが良くてマイルドだ。
 しかしその差は「飲み比べればわかる」というレベルのものであって、歴然とした差は感じない。

 大量の活性炭で濾過をしているのは、色を見ればわかる。
 しかしそれでも辛味や甘味、それに渋味や苦味や酸味などの味わいをしっかり感じる。
 メーカーは、『おいしい理由』の一つとして「伝統的な製法、生酛造りで仕込んだお酒をブレンドしました」とパックに書いてある。
 生酛造りはコクがあるが、癖も強いし好き嫌いも分かれる。
 だから生酛造りそのものでなく、ブレンドしたことによって、適度なコクと味わいが生まれたのだろう。
 この酒、さして美味い酒とは言えないし、精米歩合の高い良い酒とは比べようもない雑味と濁りを味に感じるが、価格を考えれば良く出来ている。
 より美味い酒を飲みたい人には勧めないが、安くて飲みやすい酒を求める人には向いている。

 おいしさの理由と言えば、メーカーはもう一つ「米と磨きのこだわり 日本産米100%・麹米65%」と書いてあったが。
 その日本産米も大した米を使っていないように思えるし、掛米65%で磨きにこだわったと言われても失笑するしかない。
 純米酒を名乗るが、上手に造った本醸造酒の方が美味しいくらいだ。

 だがそれでも、価格を考えればこの酒、悪くないと思う。
 特に誉めるような酒ではないし、雑味は感じるものの、嫌味もないし決して不味くはないのだ。
 そして活性炭を多く使っているだろうに不思議に味は薄くなく、ちゃんと酒らしい味を感じる。
 安い酒をたくさん飲みたいが、不味い酒も嫌で、ちゃんと酒らしい旨味もある酒を飲みたい。
 この沢の鶴純米酒米だけの酒は、そんな人に向いた酒だ。

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成田緑夢選手の名前に思う

 先日終わった平昌パラリンピックで、成田緑夢選手がスノーボードで金メダルと銅メダルを取った。
 筆者は「良かったね」という気持ちと、「気の毒に」という気持ちを、同時に抱いた。
「差別だ、障がいを持つ者への蔑視なんてサイテーだ!」って?
 違う。
 筆者が上記のような感情を抱いたのは、成田選手の名前に対してだ。

緑夢”で「グリム」だなど、フリガナや解説なしに誰が正しく読めようか。
“緑夢”という名前を初めて見て「ぐりむ」と読めた人は、親以外には誰一人いないだろうと思われる。
 人の名前は、頓知のクイズではないのだ。
 名付けた親は「緑=グリーンで、それに夢の“む”を足して縮めてグリムだ!」と、気が利いた良い名前を付けたつもりでいるのかも知れないが。
 しかし『緑』という漢字にグリーンなどという読みは絶対に無いし、それに“夢”を合わせて縮めて、半端な英語と漢字の音読を組み合わせて「グリム」だなど、絶対にあり得ない間違った読ませ方である。

 断言するが。
 我が子に“緑夢”で「グリム」と名付けるなど、自分の娘に“青馬”という漢字を当てて「ブルマ」と名付けるレベルのセンスである。

 誤解しないで貰いたいが、筆者は成田選手自身を揶揄中傷するつもりは全くない。
 冒頭で述べたように、「気の毒に」と同情している。
 そして我が子に“緑夢”で「グリム」などという、フリガナや説明なしには誰にも絶対に読めない変テコな、と言うよりどう考えてもあり得ない読み方の名前を付けた成田選手の親に怒りを感じている。
 筆者の感覚では成田選手が被害者で、親は彼に一生の“重荷”を負わせた加害者である。

 成田選手の名前について、筆者が何故そんなことを思うのか。
 それは筆者自身が、親に付けられた自分の本名が大嫌いだからである。
 このブログで名乗っている黒沢一樹という名はネット上での名前であって、実は本名はもっと違う、俗に言う“シワシワネーム”だ。
 時代劇に出てくるレベルの名前で、ただダサいだけでなく本当に古くさい。

 大学時代の友人にも、時代劇に出て来そうな古風な自分の名前を嫌っている者がいた。
 ただその友人の名は、「輝宗」とか「正盛」といった種類の、大名や武将のような立派な名前だった。
 少し仰々しくはあるが、少なくとも恥ずかしい名前ではないから、彼はまだ良い。
 しかし筆者の本名は、商家の手代や貧乏なお百姓などにありがちな、下っ端の小者のイメージしか湧かない類の名前である。
 事実『水戸黄門』にも、何度か筆者と同じ名のキャストが出て来た。
 悪代官に虐められる哀れな水呑み百姓や、主人を陥れようとする小ずるい手代などの、本当にろくでもない役柄ばかりだった。

 筆者にその貧乏くさくて古くさい嫌な名前を付けたのは、筆者の父である。
 父が「この名前にしよう」と言い出した時、母はぎょっとして反対したそうである。
 だが父は、「絶対、この名前が良い!」と言い張った。
 そして筆者の父はただ亭主関白で人の意見に耳を傾けないだけでなく、酒乱に加え、飲むとDVも働く種類の人間だった。
 だから母も反対できずに、筆者は父の意のまま、時代劇ですぐやっつけられてしまう貧乏百姓や狡い手代のようなシワシワネームになってしまった。

 筆者は父に付けられた本名を、今もまだ嫌いでたまらないでいる。
 だからこそ多感な思春期には、ダサ過ぎる自分の名前が本当に苦痛で苦痛でならなかった。
 ただ名前を変えたいが為に、「本名を捨てて芸名を名乗れる職業につきたい!」と、本気で思っていた時期もある。
 残念ながら筆者は顔も良くない上に小柄なので、俳優やタレントなどになれる筈もなく、実生活では今も仕方なく大嫌いな本名を名乗り続けて生きている。
 このことが、今もまだ苦しい。

 徳川家康は、「人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し」という言葉を残したが、名前とはまさにその「一生背負って行かねばならぬ重き荷」だ。
 生まれてからずっと、色気づいた思春期にも、社会に出ても、そしてジジババになっても、死んで戒名に代わるまでそう名乗り、周囲からもそう呼ばれ続けなければならないのだ。
 その親から付けられた名前がごく普通で嫌いでないなら、その人は幸せだ。
 そして付けられた名前が変で嫌いだと、その人の人生はずっと苦痛だ。
 同僚にも、友達にも、親戚にも、病院の診察の順番待ちでも、死ぬまでその大嫌いな名前で呼ばれ続ける。
 本当に辛い。
 だから「子供の名前はよく考えずに気分で無責任に付けるな!」と、世の親たちに声を大にして言いたい。

 だいたい多くの親たちは、「もし自分が老いて死ぬまで一生、その名前を名乗り続けなければならないとしたらどんな気持ちになるか?」という想像力が欠けている。
 自分でない違う人間が名乗るものと思って、無責任に変テコな名を付けるバカ親が、近年急増中である。

 そのバカ親たちの決まり文句を、一つ紹介しよう。
「他の子とかぶらない、世界で一つだけの名前を付けてあげたい」
 そしてその揚げ句に、フリガナ無しでは誰にも読めない、妙ちきりんな名前を付けて、我が子に名前で一生苦労させるのだ。

 同じ名前の他人がいて、何が悪い?
 日本の人口は約一億二千万だが、その誰ともかぶらないたった一人だけの名前など、相当に妙で変わった名前に決まっている。

 なのにそれに気付かず、誰にも読めない、日本語としても間違っていて漢字の読み方としてもあり得ないDQNネームやキラキラネームの類を我が子に付けるバカ親が多すぎる。
 こうした「世界に一つしかない」DQNネームやキラキラネームを子供に付けることもまた虐待の一種ではないかと、時代劇に出てくる小者のような自分の名前を苦にし続けて生きている筆者は、大袈裟でなく思っている。

 筆者は『ちびまる子ちゃん』のお父さん役の“父ヒロシ”を、とても羨ましく思っている。
 ヒロシという名はとても平凡ではあるが、自分で名乗って、人に呼ばれて恥ずかしい事は全くない。
 そして「他の子とかぶらない、世界で一つだけの名前を付けよう」と張り切る親は、ヒロシに限らず平凡な名前の人に少なくない。
 普通の名前を付けられた人は知らないのだ、「変な名前を名乗り、そして人から呼ばれ続けなければならない苦痛」を。
 普通でいられる当たり前の幸せに気付かず、奇怪であり得ない珍名を得意げに付けて我が子を一生苦しめるのだから、迷惑な話である。

 繰り返すが、名前とは「生まれてから死ぬまで、自らそう名乗り、周囲の人からもそう呼ばれ続けるもの」なのだ。
 もし自分自身が、一生その名で呼ばれ続けたら。
 そう想像してみることすら無く、フリガナ無しにはまともに読めない名を子に付ける親の存在は、本当に迷惑
だ。
 たとえ読めたとしても、名乗るのが恥ずかしいようなDQNネームやキラキラネームやシワシワネームを子に付ける親も同類だ。

 DQNネームやキラキラネームとは、少し違うのかも知れないが。
 雛子や蕾や若葉など、若いうち限定でしか似合わないような名を子に付ける親もバカだし迷惑だ。
 確かに生まれて間もない頃の我が子は、雛や若葉のように可愛いだろう。
 しかしその幼い我が子も、いずれはオバサンになり、オバアサンになるのだ。
 平均寿命が当たり前に八十歳を越えている、この世の中である。
 例えば病院の受付で、「森野若葉さまー」と大きな声で呼ばれて。
 八十を過ぎた枯れ木のような老女が、それに応えて立って出て行かねばならないのは、当人としても辛いことではないか。

 筆者は、アマゾンなどの通販を時々利用しているが。
 そして配送業者さんは、その荷物を手渡す時に「○○△△さんですね?」とフルネームで確認する事が多い。
 筆者の本名は、シワシワネームだがまず間違いなく読める字だから、まだいい。
 しかし成田緑夢さんのような名前の場合は、「あの、なりた……えーと……」と業者さんが言葉に詰まる場合が多々あったろう。

 荷物の受け渡しだけではない。
 フリガナ無しには読めないDQNネームを親から付けられた子は、死ぬまで一生、何千何万回と、自分の名前の呼び方を接する人達に説明し続けなければならないのだ。
「他の子とかぶらない、世界で一つだけの名前を付けよう!」と張り切るバカ親は、我が子に一生負わせたその名前という“重荷”に気付かないのだから呆れるし、本当に困る。

 フリガナなしには読めない珍名が激増している昨今だ。
 ただ配送の荷物だけでなくありとあらゆるものに、名前だけでなくフリガナの記入も必ず求められる時代が数年のうちに来るのではないかと、筆者は予想している。
 人に普通に読めてこそ名前で、フリガナ無しではまともに読めぬ名など、名前の意味をなさないと筆者は考える。

 ただ成田選手の“緑夢”で「グリム」という名は、どう考えても読めないし、漢字の使い方として間違っているが、少なくとも人の失笑を買うような恥ずかしい名前ではない。
 だが世の中には“騎士”で「ナイト」どころか、“愛保”で「ラブホ」や“泡姫”で「アリエル」のような、当人の尊厳にかかわるような酷い名前を正気で子供に付けるクズ親もいる。
“七音”で「ドレミ」だの、“黄熊”で「ぷう」だのという名前も、人から失笑を買う類の虐待に近い名付けだろう。

 バカな親に付けられた名前で苦労する、気の毒な子供が一人でも減るように。
 我が子に名前を付けるなら、まず「名前は年老いて死ぬまで使う一生もの」ということを念頭に置き、そして「フリガナや説明が不要で、オッサンやオバサンになった自分がそう名乗り、人からもそう呼ばれて恥ずかしくない名前を付けるべき」ということを、是非とも肝に銘じていただきたい。

 パラリンピックで金メダルと銅メダルを取って、成田選手の“緑夢”で「グリム」という名前の読み方が日本中に知られるようになった。
 そのことについて筆者は心から「良かったね」と思うと同時に、これまでまともに名前を呼んでもらえずに苦労しただろうことに「気の毒に」と、つくづくと思った次第である。
 バカな親に変な読めない名前を付けられると、子供は本当に、一生苦労し続ける。
 その子供の苦労を、名付ける親は少しは考えていただきたい。

 ちなみに筆者に『水戸黄門』のやられ役の下っ端にしか出て来ないようなシワシワネームを付けた父は、父の世代にしては現代的で普通な良い名前を付けられていた。
 父の父の名は善治(ぜんじ)で、父の兄も忠治(ちゅうじ)と、読み方から下手をすれば時代劇のやくざのような名前だが、父だけは政明だ。
 そしてその父が、我が子には自分の父親や兄よりもっと古くさい、時代劇のお百姓や商人でしか見ない種類のシワシワネームを付けたというわけだ。
 筆者の父だけでなく、親にまともな名前を付けてもらい、名前にコンプレックスが無く、自分の名前で苦労した事の無い者ほど、己の子に変な名前を付けたがる傾向があるように思える。
 本当に、困ったものである。

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紅葉を楽して撮りたくて…

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 私は出不精で、写真を撮るのが好きなのに、いざとなると出掛けるのが億劫になってしまうことが多いです。
 それで近年では、庭に花を植えてそれを撮る事が多いです。
 庭の花ならば、出掛けずに、それどころか普段着のままカメラを持ってただ外に出るだけで撮れるから楽なことこの上ないです。
 で、庭で花を育てるようになって気付いたのですが、苗を買ってきて植えるより、種を買ってきて蒔いた方がずっと安上がりです。
 苗に比べて、種は安いですから。
 ただ「下手をすると芽が出ない」というリスクはありますが……。

 実は私、花だけでなくモミジまで庭で育てようと企てました。
 どこかに出掛けずに、庭で紅葉を撮ってしまおうと考えて。
 ハイ、見事に失敗しました。
 種を蒔くところからやってみたのですが、発芽してくれなくて。
 でもまたいつか、モミジとブナの木を庭で育ててみたいと思っています。

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今週末は…

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 今週末、かかりつけの動物病院主催の、亡くなったペットを偲ぶ慰霊祭があります。
 院長先生は儲け主義でない、動物を心から愛している良い先生で、私は慰霊祭には毎年出席しています。
 特に今年は共に暮らしている不治の病に罹っているので、その子が一日でも長生きしてくれるよう、過去に亡くなった猫達にもお祈りして来ようと思っています。

 人間の病院でも動物病院でも、先生によって当たり外れがありますよね。
 母も私も“外れ”の先生のところにまず行ってしまい、良い先生に出会うまでに少し苦労しました。
 けれど動物病院は、たまたま行った近所の病院の先生が“当たり”のとても良い先生で、我が家の三代の猫と仲良しの野良たちは皆お世話になり、とても助かりました。
 犬や猫は口がきけないだけに、良い先生に出会えて良かったです。

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