FC2ブログ

空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

チューリップ

fx30-110413-LUMIX FX-30 273

 ゴールデンウイークですが、貴方はどこかに出掛けていますでしょうか。
 私は元々人混みは苦手なので、こうした混む時期は外出を控えるようにしています。

 何しろ独身ですから。
 連れ合いの実家に行く必要も、子供を遊びに連れて行く必要も無いです。
 気楽なものですよ。

 で、撮り溜めた、逝ってしまった愛猫の写真の整理などをしながら、思い出に浸りつつゆっくり過ごすつもりです。


スポンサーサイト



PageTop

ヴァルシュタイナー

 昨日の記事にも書いたように、つい先日、18年近く共に暮らしてきた猫を亡くしてしまった。
 それで生きるのに必要最低限の事しかする気になれずにいる。
 食欲も無いし、何を食べても美味しくない。
 酒でも飲めば気持ちが少しは紛れるかと思ったのだが、これがまた飲んでも酒が不味いのだ。
 ウイスキーのような強い酒は飲む気になれないし、純米吟醸酒を飲んでみてもただ苦いだけだ。

 筆者は元々下戸で、酒は適量を味わって飲む主義なのだが、それで良かったのかも知れない。
 もし酒に強く、そしてろくに味わうことなく酔う為に飲む種類の人間だったら、今頃毎晩酒を浴びるように飲んで泥酔していただろう。
 筆者が今、家の外では曲がりなりにも普段通りに過ごせているのは、元来酒に弱くて、酔う為に飲むやけ酒を「まずい」と感じられるおかげだ。

 物事に対する意欲というものを、ほぼ無くしてしまっている筆者だが。
 このブログは何とか続けたく思い、恒例のお酒の記事も頑張って書いてみようと思った。
 が、ウイスキーのような強い酒をじっくり味わって飲むのは、まだ無理だ。
 何しろ純米吟醸酒でさえ、まだまずいとしか思えないのだから。
 で、ビールなら度数も低いし、これなら何とか飲めるかと思い、軽めでスッと飲めるような、良さそうなものを選んでみた。
 ドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州のヴァルシュタインという町で、森の湧き水を使って造られたという、ヴァルシュタイナーというビールだ。

ヴァルシュタイナー①P1110454

ヴァルシュタイナー②P1110462

 グラスに注ぐと、真っ白な泡と澄んだ明るい金色の液体が美しい。
 ほのかにフルーティーな香りが漂うが、飲んでみると味も僅かにフルーティーだ。
 軽い味わいで口当たりもとても良く、喉越しも良い。
 ホップは良質なものを抑え気味に使っている感じで、飲んでいる時には麦の甘味を主体に感じて殆ど苦くない。そして飲んだ後に、ホップの苦味が後味を引き締めるように良い感じに残る。
 今は「ビールは苦いから嫌い」と言い、ハイボールや酎ハイを飲む若者が増えているが。
 そうした人達にも是非お勧めしたい逸品だ。
 愛猫を亡くして酒も苦く不味いものにしか感じられないでいた筆者ですら、「殆ど苦くなく、フルーティーで爽やか」と思って美味しく飲めた。

 ただ苦くないだけでなく、このビールは嫌味が全く無い。
 軽い味にする為とコスト軽減の為に、日本のビールには麦芽を減らし、糖質副原料(米・コーン・スターチなど)を使用しているビールが少なくないが。
 そうしたビール純粋令に反する“ビール”にありがちな金属的な嫌な味が、このヴァルシュタイナーには全く無い。
 とにかくただ、軽やかで爽やかだ。

 しかもただ軽いだけでなく、味わいはしっかりしていて「ビールを飲んだ!」という満足感がある。
 ビールに糖質副原料を加えるメーカーは、麦芽とホップだけのビールは重いと言い、「味を軽く飲みやすくする為に加えるのだ」と言うが。
 だがこのヴァルシュタイナーはドイツのビール純粋令に適合している、麦芽とホップだけで造られたビールだが、糖質副原料を加えたビールよりずっと美味しいし、それでいて味わいも軽やかで爽やかだ。
 一度、スーパードライとこのヴァルシュタイナーを飲み比べてみてほしい。
「麦芽とホップだけの、糖質副原料を入れないビールは重い」などと言えないことが、はっきりとわかる筈だ。
 このヴァルシュタイナー、喉越しの良さでもスーパードライに負けないし、そしてスーパードライより間違いなく味も香りも良い。
 スーパードライのような単純で金属的な味でなく、軽やかでありながら麦の美味さをたっぷり堪能させてくれる。

 正直に言うと、筆者は日本で主流のピルスナータイプのビールはあまり好きではない。
 エールビールを11~13℃くらいに程々に冷やして、ゆっくり、じっくり味わって飲むのが好きだ。
 キンキンに冷やして喉越しで、あるいは食べ物を流し込むようにビールを飲むのも好きではない。
 飲み物は冷やし込み過ぎると香りが弱まり、味(特に甘味)も感じにくくなる。
 だからブランデーに氷を入れる人は「味のわからない人」と言われるし、筆者個人はウイスキーをロックで飲むのも嫌いだ。
 ブランデーやウイスキーだけでなく、ビールも冷やし込み過ぎるのはあまり良くない。

 だがこのヴァルシュタイナーはピルスナータイプのビールで、ラベルには「3~5℃に冷やしてお飲みください」と書いてある。
 それで筆者も、このビールはよく冷やして飲んでみた。
 それがなかなか美味いのだ!
 飲み物は冷やし込み過ぎると味と香りが薄れるが、このヴァルシュタイナーはそうはならず、良い意味で軽やかで爽やかな味と香りになった。
 ビールは「何でもかんでもキンキンに冷やして!」というのは、あまり良くないと思うが。
 特にエールビールをキンキンに冷やして喉越しで一気に飲んでいる人を見ると、つい「もったいないな」と思ってしまう。
 しかしこのヴァルシュタイナーは、間違いなく良く冷やして飲んで美味しい種類のビールだ。

 ペットロスでやる気も食欲も無く、お酒を飲んでも不味いと思ってしまう状態で飲んで「これは美味しい!」と唸ったこのヴァルシュタイナー、間違いなくかなり良いビールだ。
 輸入代理店は小西酒造株式会社で、店頭で見かけることはあまり無いかも知れないが、もし見かけたら是非一本買って、味見をしてみて下さい。
 喉越し良く、爽やかで軽やかで味わいも繊細、抑え気味に使っている上質なホップが「飲んでいる間は苦くなく、後味を引き締める」という感じで、とても美味しい。
 ピルスナータイプのビールが好きな日本人にお勧めの逸品だ。
 個人的には、「スーパードライなどより、何百倍も美味い」と思う。

PageTop

我が家の猫が、猫伝染性腹膜炎と闘った末に虹の橋を渡る。

 このブログで、我が家の17歳の猫が、猫伝染性腹膜炎という不治の病にかかっている事ついて何度か書きましたが。
 その猫伝染性腹膜炎は症状を緩和する薬はあるものの、根本的に治す方法はまだ無く、致死率99%で数日から数ヶ月のうちに死んでしまうという恐ろしい病気です。
 ただ、稀に一年から二年生きる猫もいるということで、それに一縷の望みを託していました。

プロフ用190

 最初は毎日、胸に溜まる水を抜き(これをしないと肺が圧迫され呼吸が出来なくなって死んでしまう)、そして薬を点滴で入れる為に、動物病院に通いました。
 治療の甲斐あってか、しばらく通院するうち、少し元気が戻ってきたように見えました。
 胸と腹に水が溜まるのは相変わらずで、治療の内容は変わらないものの、通院の間隔も毎日から二日おき、そして週に二回に減りました。
 元々高齢の猫でもあり、寝ている時間は長いものの、生活も殆ど前と変わらないように見えました。
 歩く足取りもしっかりしていて、椅子に座る人の膝の上にも問題なく飛び乗れました。

 ただこの病気にかかると食欲が落ち、熱も出て痩せてしまうのです。
 我が家の猫も、四キロあった体重が二キロとちょっとまで減って、ガリガリに痩せてしまいました。
 それまで食べていたものも、なかなか食べてくれないので、食事には本当に苦心しました。
 それでも大好きなササミは一度に一本近く食べるだけの元気もあったので、私は希望を捨てませんでした。
 そして猫も、普段と殆ど変わらぬ生活を続けました。

 ところが四月の半ば頃から急激に容態が悪くなり、とうとう虹の橋を渡って旅立ってしまいました。
 我が家の猫は、五月一日が誕生日でして。
 それだけに、「何とか誕生日を迎えてほしい」と願っていたのですが、駄目でした。

 思えば17年11ヶ月と18日。
 長い、本当に長い付き合いでした。
 人間で言えば、生まれて高校三年生になって……という感じです。

 この猫とは、実は生まれる前からの付き合いでした。
 1999年の夏が過ぎる頃、我が家の庭に黒白の雌の野良猫が現れまして。
 我が家は野良猫の餌付けはしませんが、来て庭でくつろぐ分にはウエルカムなのです。
 そして我が家の庭には隠れ場所になるような木や草の茂みも、軒下には雨を防いだり寝たりできる場所もあるので、野良猫にとって居心地が良いようです。
 庭に糞とかもされますけれど、やがて土に還りますし、されても「仕方ないなあ」くらいのもので。

 で、その雌の黒白の猫ですが、なつきはしないし触らせてもくれないのだけれど、よく玄関先まで来て、ドアを開けると家の中を覗き込んだりするようになりました。
 と言ってもただドアの向こうから覗くだけで、中には決して入っては来ないのですがね。

 そして翌2000年の春、その黒白の野良のお腹が大きくなりまして。
 それでも毎日我が家の庭に居て、大丈夫かと心配していました。
 しかし四月三十日には姿を見せず、翌日も来なくて、五月二日になってペタンコになったお腹でやって来ました。
 で、私は五月一日に子供を産んだものと推測しました。
 来なくなった四月三十日に産んだのかも知れませんが、五月一日の方がキリが良く覚えやすいですし。

 子猫は我が家ではなく、近所の空き地に積まれていた廃材の陰で産みました。
 そして約一ヶ月後、母猫は我が家に四匹の子猫を連れて来ました。
 野良ですから人には相変わらずなつかないままですが、我が家の庭は「危害を加えられない安全地帯」と心得たらしく、毎日のように我が家の庭で子猫たちを遊ばせたり、授乳をしたりしていました。

 手の上に乗るくらいの、フワフワの毛玉のような子猫たちを見れば、やはり「可愛い、撫でたい!」と思うじゃないですか。
 ですがそこは、野良の親から生まれた生粋の野良の子ですから。
 残念ながら、近付くと逃げてしまいまして。

 私が住む町内には、猫が大嫌いな人がいまして。
 その人はわざわざホームセンターから動物の捕獲器を買ってきて自宅の庭に設置し、野良でもどこかの飼い猫でも関係なく、外を自由に出歩く猫たちを餌でおびき寄せては、片端から捕まえて保健所に送って殺処分させていました。
「首輪をつけた猫だって、構わず保健所送りにしてやる」
 近所のその人は、何の罪の意識も無くそう豪語していました。

 その人に捕まってしまったのか、その年の夏頃、例の黒白の母猫は乳離れして間もない四匹の子らを残して、突然姿を消してしまいました。
 その後も四匹の子猫たちは、我が家の庭と軒先で、体を寄せ合って生きていました。
 でも相変わらず、我が家の人間にもなつかないままでしたが。
 私は何とか仲良くなろうとして、近くに寄ることはできるようになったのですが、それでも撫でようとすると逃げてしまうんですね。

 それがです、その夏の八月に私が旅行で数日間家を空け、そして帰ってみると、触らせてもくれなかった子猫たちのうちの二匹が、妙にすり寄って来るようになりまして。
 中でもそのうちの一匹は「足にすり寄る」のではなく、二本足で立ち上がるようにして両手を私の膝にかけるのです。
 以来、その子は私によくなついて甘えるようになりました。
 と言っても、ドアを開ければ家の中にまで入って来るようにはなったものの、そこは外で育った野良の子だけに、数分ですぐ兄弟たちのいる外に出たがりましたけれどね。
 だから私も「野良の子は野良か」と思っていて、うちの子にするつもりはあまり無かったのです。

 ところがその年の十月下旬のある寒い日にドアを開けると中に飛び込んで来て、人の膝に入ってそのまま居座ってしまったのです。
 中に入るとすぐ私の膝に乗って。
 そして夜も、最初の晩から何の躊躇いもなく私のベッドで一緒に寝て。
 それからそのまま、十七年以上ずっと一緒に過ごしてきました。
 本当に人懐っこい子で、毎日よく私の膝に乗り、寝る時もいつも一緒でした。
 その子が、もうこの世にはいなくなってしまいました。

 この病気だとわかった今年の一月の半ばに、動物病院の院長先生から「覚悟はしておいて下さい」と言われていたし、自分でもいろいろ調べて治ることのない、長くて数ヶ月の命だと理解もしていました。
 そして看病する間に、迫る死を充分過ぎるほど悲しみました。
 だから今は悲しいのはもちろんですが、それ以上に「大切な、自分の体の一部を無くしてしまったようなどうしようもない空虚感」がキツいです。

 猫が死んだのは自宅の、私の腕の中でした。
 猫が苦しげに息を吐き痙攣し、やがて力が抜けてぐんにゃりとするのを肌で感じました。
 そして猫を小動物用の棺に入れた後で、長くお世話になった動物病院に報告と挨拶に行った時、院長先生に「よく頑張りました」と言われました。

 我が家の猫は、本当によく頑張ってくれました。
 本当は病院が大嫌いなのに度重なる通院を我慢してくれて、虹の橋を渡るほんの数日前まで、ガリガリに痩せながらも普段と殆ど変わらぬ暮らしをしてくれました。
 死ぬ二日か三日前にはフラついて殆ど歩けなくなってしまいましたが、それでも頑張って自力でトイレに行こうとしました。
 死ぬ前日は全く歩けない状態でしたが、要求がある時には鳴いて人に教え、手で体を支えていればトイレも食事も水を飲むのも自力でやり抜きました。
 人にはとてもなつっこくておとなしかったけれど、本当に芯が強くて頑張り屋でした。

 だから私も、「この悲しみや空虚感に負けてはいけない」とは思うのですが。
 何を食べても美味しくないし、やる気が殆ど無くなって、何をしても楽しくないし、何もしなくないです。今は本当に、しなければならない最低限のことしかやれずにいます。
 ただ、猫の病気を宣告された後も、容態が悪くなっていつ命が尽きるかわからなくなった時も猫を膝に乗せて撫でつつ書き続けてきたこのブログだけは、何とか続けたいと思っております。
 今は気持ちが弱っていて、旅立った猫のことばかり思って溜息ばかりついているような状態なので、元々駄文だらけのブログがさらにつたないものになってしまうとは思いますが、どうかご容赦下さい。

 皆様が家族として迎えて慈しんでいる猫や犬などの健康と長寿を、心からお祈りいたします。

PageTop

蓮華の花⑤

fx30-110413-LUMIX FX-30 271

 蓮華の花は、逆光や半逆光の状態で、透過光で見たり撮ったりするのが綺麗だと思います。


PageTop

蓮華の花④

fx30-110413-LUMIX FX-30 259

 幼い頃蓮華の花畑に入って、ミツバチに刺された私ですが。
 蜂蜜と言えば、やはり蓮華かアカシアがスタンダードですよね。
 小学校一年生の頃にそれを知っていれば、ミツバチにもっと気を付けたのですが……。

 蓮華の蜂蜜、好きです!



PageTop

蓮華の花③

fx30-110413-LUMIX FX-30 257

 そうそう、ちょうどこんな感じの蓮華の花たちを両手で抱え込んで、そこに居たミツバチに手をブスリと刺されてしまったのですよ。
 小学一年生の頃の事ですが、その時の痛みと驚きは今も忘れていません。
 でも泣きませんでしたよ、本当に。

PageTop

蓮華の花②

fx30-110413-LUMIX FX-30 256

 私が蓮華の花を好きなのは、この花の紫の色が好きだからだと思います。
 紫、けっこう好きです。

 若い頃、と言うか特に大学生の頃には、本当に派手な格好をしていました。
 東京で暮らし、原宿にもよく行っていたせいでしょうか。
 似合うかどうかとか、他人からどう見られるかなど全く気にせずに、本当に自分が気に入った服ばかり着ていました。
 大きな猫の顔が描かれたトレーナーとか、白いTシャツに何色もの色を筆で叩きつけるように塗ったサイケな服、とか。
 そうそう、ロイヤルパープルのスタンドカラーのシャツとかも、平気で着ていました。
 ……怖いですね、若さって。

 それが今では、黒とかグレーとかブルーとか、地味な服ばかり着ています。
 とは言うものの、米軍でも自衛隊でもない某国軍の迷彩ジャケットを今でも着て街を歩いたりもしていますから、「人目を気にしないで好きなものを着る」という性格は、今でも変わっていないのでしょうね。


PageTop

蓮華の花①

fx30-110413-LUMIX FX-30 255

 蓮華の花、子供の頃から何故か好きです。

 で、小学一年生の頃、蓮華の花が一杯に植えられていた田んぼに入り、そこの蓮華を両手で抱え込んだのです。
 すると右手の指に、激痛が!
 そこにミツバチがいるのに気付かずに抱え込んでしまった為、刺されてしまったんですね。

 それは自分の不注意だから、蜂を恨みはしませんでしたが。
 けど、痛かったです!
 それでも今も、蓮華の花は好きです。

PageTop

ハイランド・リザーブ(とりあえずスコッチ、なのだが…)

 日本の中部地方に、バローというチェーン店のスーパーがあるが。
 そこでハイランド・リザーブというスコッチを売っている。
 スーパーで売っているお酒は、チェーン店でも酒の量販店に比べれば割高なものだが。
 それでもこのハイランド・リザーブ、正真正銘のスコッチでありながら本体価格九百円ちょっとで、税込みでも千円しない。
 で、試しにそのハイランド・リザーブ、買って飲んでみた。

ハイランド・リザーブP1130082

 開封しても、グラスに注いでもウイスキーらしい香りは殆ど立たない。
 代わりに、アルコールの匂いを一番に感じる。
 飲んでも、ストレートではとにかく若いアルコールの刺激がピリピリして、甘さもビターさもスモーキーさも殆ど感じない。
 ウイスキーと言うより、キツい焼酎のような印象。

 トワイスアップにすれば少しは飲みやすくなり、「ライトでドライなウイスキー」という印象になる。
 しかしそれでも舌が痺れるようなアルコールの刺激がある。

 ウイスキーというものは、開封して空気に触れさせある程度時間をおくことで、香りがより立ちアルコールのきつさもやわらぐものだが。
 このハイランド・リザーブ、開封して一週間置いておいても味と香りの印象は殆ど変わらない。
 香りは弱いままだし、一番に感じるのはアルコールの匂いで、味もアルコールのヒリつくような刺激が最も強い。
 無理に誉めればスパイシーと言えるのかも知れないが、スパイシーというより「痛い」という感じだ。
 ストレートで飲むと、それくらい舌や口蓋など口の中にキツいアルコールの刺激を感じる。
 筆者はそれなりの数のウイスキーをストレートで飲んできたが、これほど若いアルコールの刺激が荒々しいものは少ない。

 それでも開封して一週間置いておいたものをトワイスアップにすると、「ドライでほのかに甘い」という印象になり、それなりに飲みやすい。味わいはライト系だが、ウイスキーらしいコクと味は感じる。
 しかしそのトワイスアップにしても、他のスタンダード・スコッチのトワイスアップより若いアルコールの刺激がキツい。

 1:2の水割りにすると、薄味になり過ぎるがアルコールの刺激は消え、良く言えばスッキリして飲みやすい。
 ただ薄味になり過ぎるせいか、トワイスアップの時に感じたほのかな甘味も消えて、ただドライでライトなウイスキーになってしまう。

 安価なスタンダード・スコッチの中でもあまりにアルコールの刺激がキツいので、試しにニッカで最も安いブラックニッカ・クリアと飲み比べてみた。
 もちろん、ストレートで。
 驚くなかれ。
 酒の量販店では本体のみなら698円、スーパーでも798円で売られているブラックニッカ・クリアの方が、このハイランド・リザーブより甘くまろやかだった。
 このハイランド・リザーブ、曲がりなりにもスタンダード・スコッチの端くれの筈だ。
 だが現実には、それより二百円から三百円も安いブラックニッカ・クリアの方が若いアルコールの刺激がキツくなくて飲みやすかったのだ。

 それは確かにブラックニッカクリアは37度で、ハイランド・リザーブは40度だ。
 しかしそのアルコール度数の違い以上に、アルコールのキツさをハイランド・リザーブに感じる。
 断言するが、値段の差を考えても「ハイランド・リザーブを買うくらいなら、ブラックニッカ・クリアを飲んだ方がマシ」だ。

 そのハイランド・リザーブの瓶の裏面のラベルには、こう書いてある。

 ハイランドモルトを主体に、モルト、グレーンとも3年以上熟成したウイスキーを使用。なめらかな口当たりに深みのある味わい。ロック、水割り、ハイボールどんな飲み方でもおいしくいただけます。


 はっきり言うが、「なめらかな口当たり」というのは大嘘だ。
「どんな飲み方でもおいしくいただけます」と言いつつ、「ロック、水割り、ハイボール」と、あえてストレートと書いていないところでわかるように、これはとてもストレートで「おいしく」飲めるものではない。
 ストレートでも飲めなくはないが、これをストレートで飲むのは苦行に近い。

 筆者はこれまでサントリーの安いウイスキー(トリスやレッドや黄角)について、「最初から割って飲むことを前提に作られた、ストレートではとても飲めないウイスキー」と散々に悪口を言ってきたが。
 このハイランド・リザーブも、割って飲むのが前提のウイスキーなのだろう。

 日本のウイスキーには、「最低何年、樽熟成しなさいよ」という規定がない。
 だからモルト原酒に、全く樽熟成していないグレーンアルコール(グレーンウイスキーに非ず)やスピリッツを加えたものも、ウイスキーとして堂々と売って構わないわけだ。
 しかしスコットランドでもアイルランドでもアメリカでもカナダでも、「ウイスキーの世界五大産地」を名乗る日本以外の地域はすべて、「最低何年、樽熟成しなさい」という規定がある。
 そしてスコッチの場合は、最低3年だ。

 だからこのハイランド・リザーブの瓶の裏面のラベルにも、「モルト、グレーンとも3年以上熟成したウイスキーを使用」とある。
 そしておそらく、ハイランド・リザーブに使われている原酒の樽貯蔵期間は、そのスコッチの基準を満たす最低ラインの3年ギリギリだろう。
 そして樽貯蔵が3年ではろくなウイスキーが出来ないことが、ハイランド・リザーブをストレートで飲んでみてよくわかった。

 ただこのハイランド・リザーブ、黄角やトリスやレッドなどサントリーの安いウイスキーと同じで、ハイボールにして割って飲むには悪くないのだ。
 筆者は元々ハイボールが好きではない、と言うより今の日本の「ウイスキー=ハイボール」という風潮を苦々しく思っているので、このハイランド・リザーブのハイボールについても「悪くない」という言い方しか出来ないが。
 それでもこのハイランド・リザーブのハイボール、クセがなくスッキリしていて、とても飲みやすい。
 味わいは軽いが、ウイスキーらしい味もちゃんと感じる。
 特に暑く喉が渇いている時にゴクゴク飲むには、悪くないと思う。

 ウイスキーをストレートや濃いめでゆっくり味わって飲むのでなく、初めからハイボールの割り材として考えてゴクゴク飲むのなら、このハイランド・リザーブ、悪くはないと思う。
 少なくともサントリーの黄角よりはお買い得だ。

PageTop

日本を侵食するLINE中毒の害悪

 これはあくまでも、筆者の個人的な好みの問題なのだが。
 筆者は多くの日本人が夢中になっているLINEというやつが、心底嫌いだ。
 誰に勧められても、断固としてやっていない。

 世の皆がやっているLINEを、筆者はなぜ嫌いなのか。
 それはズバリ、筆者は「一人でいる事に耐えられない、常に誰かと繋がっていたい寂しん坊」ではないからだ。
 というより逆に、仕事でも趣味でも物事は何でも集中して没頭したい人間で、むしろ「一人の時間を充分に持てないと耐えられない」のだ。

 いや、別に「家族も友人も要らない」というわけではない。
 家族との団欒や友人との交流は、それはそれでちゃんと楽しんでいる。
 ただ読書や映画鑑賞や音楽鑑賞など、趣味に一人で取り組める時間がどうしても欲しいのだ。
 そうした大切な自分の時間を、LINEの頻繁な着信に妨げられるのは大迷惑だ。

 それはもちろん、「家族に起きた困り事や友人の悩み事より、自分の時間の方が大事」とは言わない。
 家族や友人の重大事には、趣味はもちろん、場合によっては仕事も放り出して対応する。
 ただLINEで伝えられる事の大半は、「どうでもいい、下らない事」だ。
「今、何してるー?」とか。
「夕食は××でステーキ食った、めちゃウマ!」のような。
 そんなどうでもイイ事で、着信音を鳴らして貴重な一人の時間を邪魔して欲しくないのだ。
 増してや仕事中の大して意味のないLINEは、心の底から鬱陶しい。

 と言うと、「設定を変えて着信音を鳴らないようにすればいい」と説明されるが。
 しかし着信音を消して趣味や仕事に没頭していると、溜まった大量の着信の処理に後で悩まされる事になる。
 大して意味の無いメッセージへの返事に少なからぬ手間と時間を取らされてしまう現実については、いずれにしろ同じなのだ。

 また、LINEは既読のサインがつくから厄介だ。
 趣味や仕事に没頭している時の、無駄話レベルの意味の無い内容の着信への返信を後回しにしていると、「既読スルー」と非難される。
 その既読スルーが嫌だからと、読まずに放っておいてもまた、LINE中毒患者には責められるのだから手の打ちようがない。

 そして近頃では多くの企業や商店がLINEを利用し始めていて、広告メッセージをやたらに送りつけてくる。
 それで仕事や趣味の時間を妨げる、LINEの無意味なメッセージの着信は増えて行く一方だ。

 人には、大きく分けて二通りがあって。
 意味の無い無駄話の類のお喋りが好きで、一人で静かにしている事が耐えられない寂しがりと。
 人と喋る時は何か意味や中身のある事が多く、仕事も皆とワイワイやるより一人で集中してやる方が得意で、オフでも一人で過ごす時間を大切にしている人と。
 前者の「一人で過ごすのが苦手で、常に誰かと繋がっていたい人」には、LINEはこの上なくステキなアプリなのだが。
 後者の、筆者のような何かを集中してやる一人の時間を大切にしている者にとっては、LINEは「この上なくウザくて鬱陶しいもの」でしかない。

 いや、筆者は個人的にLINEは大嫌いだが、「LINE大好き、これが無いと寂しくて生きて行けない!」という人が少なからずいる現実も、ちゃんと理解している。
 だからLINEは、「好きな人がやり、LINEに向かない性格の人達は放っておいてほしい」と思っている。
 LINEをやるかどうかは、あくまでもその人の自由だ。
「皆がやっているのだから、オマエもやれ!」と押しつけて良いものではないと、筆者は考える。
 だがLINE好きのLINE信者達は、その「LINEをやらない自由」を決して認めてくれない。
「皆がやっているのだから、オマエもやれ! でないと連絡に不便だ!!」と言い立てて責める。
 それでもLINEをやる事を拒むと、友達の輪から外され、疎遠にされてしまったりする。

 LINEをやる事を拒んだくらいで疎遠になってしまうような人など、そもそも親しくなる価値も無い下らない輩なのだが。
 それでも「LINEをやる、やらない」で人間関係まで損なわれてしまう現実が、筆者には非常に残念でかつ嘆かわしく思える。

 LINE信者達は、「LINEは日本の会社だ!」とあくまでも言い張る。
 しかし親会社は韓国の企業で、LINEのサーバーも韓国に存在する現実は、誰にも否定できない。
 韓国政府や情報機関がその気になれば、データをチェックすることもできるのではないか。
 仮に国家の機密を知り得る立場にある官僚や、先端企業の情報を知り得る立場にある者が、もしLINEでプライベートなやり取りをしていたら。
 そしてそれが不倫などの、人に知られては困る内容だったとしたら。
「その事をバラされたくなかったら、言うことを聞け」
 そう脅迫する者が、絶対に現れないとは言い切れない。
 そこまで言わないまでも、LINEをする者は自らの通信内容の管理を外国企業にそっくり委ねているわけだ。

 だから情報をきちんと管理している人は、LINEでのやり取りは飲み会の打ち合わせとか、「今、何してるー?」などの下らなく大して意味の無いものに限っている。
 国家や会社の機密であれ、私的な秘密であれ、「他人に知られたら困ることは、LINEではやり取りしない」というのは半ば常識だ。
 少なくとも筆者は、そう思っていた。
 しかしそんなLINEを、ビジネスに利用している企業が増えている。
 筆者が利用しているショップの少なからずが、顧客とのやり取りにLINEを利用し始めている。

 筆者は長年、フレンドリーというガソリンスタンドのカード会員になり、ガソリンの給油をするだけでなく、冬場には灯油もそこで買っていた。
 しかしそのフレンドリーはただLINEを利用するようになっただけでなく、カード会員との連絡はLINEのみにして、LINEをやらない顧客はカード会員から排除した。
 LINEをする者のみ会員として認めるが、LINEをやらない客は高い値段でガソリンや灯油を買って貰いますよ、ということだ。
 筆者は長年、そのガソリンスタンドを使い続けてきたのだが。
 しかしそのフレンドリーというガソリンスタンドは、LINEをやらない筆者をお得意様から外してカード会員の資格を一方的に剥奪した。
 だから筆者は今後一切、そのフレンドリーを利用するまいと固く決意した。

 繰り返すが、LINEについて筆者は「やりたい人はやり、やりたくない人はしなければ良い」と思っている。
 しかし現実には、一人ではいられない寂しい人が多く、しかも同調圧力が強くて「数の多い方が正義」というこの国では、LINEをしない者は変人として排除されつつある

 現在の日本で、LINEをやらない自由は「ない」とまでは言わないが。
 あえてLINEをやらないで通している筆者には「LINEをやれ!」という圧力があちこちからかかり、それを拒んでいる為に仲間外れにされたり、「連絡が取りにくくて不便だ」と嫌味を言われたりしているのが現実だ。
 まあ、メールや電話での連絡すら「不便だ」と言うような人間とのお付き合いは、「こちらからお断りだ!」と言いたいところだが。
 それが上司や取引先などの上の立場の人だと、あからさまにそうも言えないのが辛い。

 筆者が大学生の頃、筆者には同じ学科に十人くらいの遊び仲間がいた。
 しかしその遊び仲間は、大学二年の終わり頃に分裂した。
 その原因は、仲間達のリーダー格の、二浪していた為に年長で、しかもいろいろ遊び慣れてもいたイトーという男が、仲間達に麻雀をさせようとした事だった。

 はっきり言うが、筆者は麻雀は嫌いだ。
 理由は簡単だ。
 何故なら「四人揃わないと出来ない」からだ。

 麻雀は、ゲームとしては面白いと思う。
 しかし例の「四人揃わないと……」という宿命ゆえ、一旦その仲間に加わるとメンバーが固定しがちになり、「やろうぜ!」と声をかけられた時に断りにくくなる。
 四人揃わないと出来ないから、メンバーに加わってしまうと抜けにくくなるし、誘う方の誘い方もしつこくなりがちだ。
 その麻雀のベタベタ、ズルズルの人間関係が、筆者はとても嫌なのだ。

 筆者は大学では歴史を学んだが、歴史は実は筆者が二番目に学びたかった事だ。
 実は筆者は、写真の道を究めたかった。
 だから本当は、大学もその方面に進みたかった。
 しかしその芸術学部写真学科は、学費がとても高かった。
 そして我が家には、その学費を出せるような金はとても無かった。
 で、筆者はまず学費で大学を選び、そして大学では写真の次に好きだった歴史を学んだ。
 その傍ら、いろいろなアルバイトをしてお金を稼ぎ、そして写真を撮った。
 大学の講義が済んだらダラダラ麻雀を打っている暇など、とても無かったのだ。
 筆者には、やりたい事があったから。
 講義の後で麻雀をして飲み会をして……という時間とお金の使い方など、本当に無駄としか思えなかった。
 だから筆者は、その遊び仲間から外された。
 同時に、麻雀と酒で繋がるような腐れ縁的なベタベタした付き合いをしたがらなかった他の二人も、遊び仲間から外された。
 そして残った“麻雀組”の結束はより固くなり、学内でも外でも常に一緒に過ごしていた。

 筆者はただリーダーに勧められた麻雀をしなかっただけで、仲間が悩んでいた時には相談にも乗ったし、決して仲間から距離を置いたつもりはなかった。
 自分のやりたい事(バイトをして写真を撮る)をしつつ、大学で会えば話もしてコミュニケーションもとったし、仲間に助けが必要な時にはちゃんと手も貸した。
 それでも「皆が始めた麻雀をやらなかった」というだけで、仲間から外されてしまった。

 今の日本の、LINEをしない者は排除される風潮を肌で感じつつ。
 筆者は大学時代に、麻雀をやるのを断ったが為に仲間外れにされた時のことを、鮮やかに思い出した。

 この国では、数こそ正義なのだ。
 良い悪いでなく、個人の都合や事情も関係なく、とにかく皆がやるものをやらない者は排除され、仲間外れにされる
「オマエもLINEをヤレ!」
 筆者も幾度となくそう求められ、拒むと距離を置かれた。
 今やガソリンスタンドのような店でさえ長年の顧客にもLINEをやる事を求め、それを拒んだ筆者はカード会員から除名される始末だ。
 そのガソリンスタンドの名前が“フレンドリー”だというのが、実に皮肉だ。
 LINEをやる人とやらない人が共存するのではなく、LINEをやらない人が排除され、商品もより高い値段で買わされる時代に、本当になっている。

 今は、一日ずっと暇さえあればスマホをいじっている人が少なくない。
 ゲームをしている人もいるが、そのスマホ中毒のような人達の大半がやっているのはLINEだ。
 自分の時間の大半をLINEでの「今、何してるー?」程度の、無駄話レベルのやりとりに費やして何が楽しいのだろうと、時間を忘れて没頭したい趣味を複数持つ筆者は思ってしまう。

 LINEをグループでやり、一日中ずっと誰かとやりとりしていれば、一人で居ても「誰かと繋がっているんだ!」という感覚を持てて寂しくならずに済むのだろうが。
 だが人は、皆がいつも誰かと繋がっていたいわけではない。
 熱中できる仕事や趣味を持っている者は一人でも決して寂しくなく、そんな者にとってはLINEに費やされる時間は無駄としか思えないのだということを、日本に多くいるライン中毒の方々に、どうかご理解いただきたいものだ。

 熱中できるものが無くて寂しい人には、LINEは有り難いものだろうが。
 若い人にはいつもスマホを片手に持ち、それこそ朝から寝る前まで、食事中も、人と会っている時にも誰かとLINEを続けている失礼で非常識な人がいる。
 本当に世の中の皆が一日中LINEばかりするようになったら、日本人はバカになるのではないかと、筆者は危惧している。

 人とコミュニケーションを取るのに、何で直に会うのでも、電話で話すのでも、メールでさえもなく、LINEでないと駄目なのか。
 それが筆者にはさっぱりわからないし、大して意味の無い無駄に近いやり取りを暇さえあれば続けていることを「時間の無駄」と感じない理由が、正直に言って筆者には理解できないでいる。

PageTop