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空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

この空に“下心”など何もありません

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 恥ずかしながら、私、昔は空や花になど殆ど目を留めませんでした。
 写真も、ひたすら女の子を撮ってましたよ。
 バイトして、女の子が綺麗に撮れるレンズ(背景がボケ、肌が柔らかく滑らかに写る)も買って。

 そのレンズのおかげか、学生時代には女の子ばかり撮っていても、女の子たちにも嫌がられませんでしたよ。
 むしろ女の子の方から、「撮って!」と言われるくらいで。

 そんな私も、今は空や花や猫などばかり撮っています。

 実は空も、ある女の子から「空の写真が好き」と言われて、その女の子の気を引きたい一心で撮り始めたんです。
 下心アリアリで撮り始めた空ですが、今ではすっかりハマって純粋に自分の楽しみの為に撮ってマス。

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青空と雲、そして太陽

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 事情があって、食材を含めて日々の買い物は私が担当しています。
 前にも話したかも知れませんが、昨年の秋、私、行きつけのスーパーで、レジのお兄さんに「オバサン」と声をかけられてしまいました。

 言い間違いなんかじゃありません。
 何しろ二回も、「オバサン」と呼ばれたのですから。

 ショックですよー、これは。
「オジサン」とか「オジイサン」などと呼ばれて、腹を立てる男性がよくいますが。
 そんな貴方、一度「オバサン」と呼ばれてみなさいよ。
 膝から崩れ落ちるくらいショックですから。

 で、「二度とオバサンなどと呼ばせるものか!」と、私、そのスーパーに某国軍のジャケットと軍帽を着用して買い物に行きました。
 ええ、例のお兄さんは、もう決して私を「オバサン」と呼ばなくなりました。
 そしてそのレジのお兄さん、私に気を使って、私に何となく優しくしてくれるようになりました。

 ここは難しいところですが。
 少なくとも私にとっては、オバサンと間違われるより、軍服を着たヤバい人と思われる方がまだマシなんです。

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写真をまた撮りに行きたいのですけれど……

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 ブログにアップする写真を探して以前撮った写真を見直していると、「出不精を何とかして、また写真を撮りに行こう」という気持ちになりますが。
 ただ、現在私、膝を痛めておりまして。
 痛くて歩くのも辛いので、いろいろ怠ける良い口実になっています。

 治す気持ち、ちゃんとありますよ。
 定期的に病院に通い、注射とリハビリをし、朝晩薬も飲んでいますし。
 ただ痛いんですよー、注射が。
 痛みを抑える為の注射なんですが、元々痛い所に針を刺すので、「痛ってぇ!」と叫びたくなるほど痛いです。

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こんな空をまた撮りたいです

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 最近、空を見上げる余裕がなかなか無いです。
 猫の件が大変だったり、その上、膝を痛めてしまって……。

 写真を撮るペース、明らかに落ちています。
 そのくせ、カメラを買う意欲だけは満々なんですよねぇ……。
 とうとうライカ様が、8台に増えてしまいました。

 カメラを買う一方で、写真はなかなか撮らない。
 と言うより、買うことでストレスを解消している感じです。
 もう、「買い物依存症かよ!」って有り様です。

 だから私、クレカはあえて使いませんし、安倍政権のキャッシュレス化推進にも大反対なんです。
 財布の中にある現金しか使わない、借金は絶対しないし、ローンも使わない。
 それで何とか買い物依存症から逃れているのです。
 キャッシュレス化は、日本人を借金漬けにしますよ、きっと。

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ハイボールに最適なウイスキー、発見!(ブラックニッカ・リッチブレンド)

 千円ちょっとで買えるお手頃な価格帯のウイスキーとして、ブラックニッカ・リッチブレンドの評価がなかなか高いようだ。
 それで今回、本当に評判通りの良いウイスキーかどうか、再び飲んでみた。

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 以前飲んだ際には、「悪くはないが、やや物足りない」という印象だったので、一本飲み切ってから再び買うことはなかったのだが。
 久しぶりのBNリッチブレンド、キャップを開けるとシェリー樽由来の華やかな香りが漂ってきて、印象はかなり良かった。
 しかし!
 いざ飲んでみると、原酒が余りにも若すぎて固いのに驚かされた。
「前に飲んだ時も、こんなにキツかったのか?」と不審に思うほど、若いアルコールの刺激がキツい。
 舐めるように飲んでも、口の中が痛くなるレベルだ。
 ウイスキーはストレートで飲み慣れている筆者だが、これはストレートではとても飲めない。
 BNリッチブレンドの使用原酒の若さと固さとアルコールの刺激のキツさは、ニッカのウイスキーで最も安いブラックニッカ・クリアと同レベルだ。

 ただ、スコッチのホワイトホースも、開封直後は口が痛いくらいアルコールの刺激がキツかった。
 しかしホワイトホースは、空気と触れさせながら一週間待つだけで激変し、驚くほどまろやかで味わい深いウイスキーになった。
 今は終売になってしまったブラックニッカ8年も、最初はアルコールの刺激がキツくて酷い味だったが、何日か待って空気に触れさせると別物のように美味しいウイスキーに変身した。
 だからそれを期待して、BNリッチブレンドも空気に触れさせながら何日も待ったのだが。
 しかしこのBNリッチブレンド、一週間どころかそれ以上待っても、いくら空気に触れさせても変わらないのだ。
 何日経とうが、痛いほど若いアルコールの刺激がキツいままだった。
「近年のウイスキーブームによる原酒不足で、以前より若い原酒を使ったのか?」と疑いたくなるほど、若いアルコールの刺激がキツい。
 これはとても、ストレートで飲めるウイスキーではない。

 ところが、だ。
 それでストレートで飲むのは諦め、ハイボールにしてみたところ、印象が激変した。
 これは、美味しい!

 ちなみに筆者は、ハイボールは好きではない。
 と言うより、今の日本の「ウイスキーと言えばハイボール」、ウイスキーはハイボールで飲むものという風潮を「憎んでいる」と言ってもよいくらいだ。
 お得意の宣伝力で「ウイスキー=ハイボール」と日本人を洗脳したサントリーを、筆者は深く恨んでいる。
 例えばスコッチの産地であるスコットランドのバーでは、ハイボールは「お客に頼まれれば作るが、頼まれることはまず無い」という。
 昔は水割り、今はハイボールと、日本人はウイスキーを当たり前に割って飲むが。
 ウイスキーはそのままストレートで飲むのが、世界的には当たり前なのだ。
 ストレートでは飲めない安物を割ってハイボールにするならともかく、ストレートで美味しく飲める良いウイスキーまで疑問すら持たずにいきなりハイボールにしてしまう今の日本の“ウイスキーブーム”を、筆者は苦々しい思いで眺めている。

 何しろ日本では、ウイスキーは水なり炭酸水なりで「割って飲むのが当たり前」だから。
 その為、特に国産の安いウイスキーは「割らねばとても飲めないもの」が殆どだ。
 それゆえ、筆者にとってハイボールは、「原酒が若すぎて、ストレートではとても飲めないウイスキーを何とか飲む手段」である。
 タリスカー10年など、良いウイスキーはハイボールにしても美味しい。
 しかしストレートでも美味しいが、ハイボールにした方がより美味しくなる“良いウイスキー”を、少なくとも筆者は知らない。
 筆者にとってハイボールは「飲めなくはない」というレベルの飲み物であって、「ストレートの方が絶対に美味しい」と思っている。

 そんな筆者だから、BNリッチブレンドのハイボールも、殆ど期待せずに飲んだ。
 原酒が若すぎてストレートでは飲むに耐えなかったから、「捨ててしまうのは惜しいから、何とか飲むために」という感じで、実に軽い気持ちでハイボールにしてみたのだ。
 BNリッチブレンドは、ハイボールにすると印象が激変する。
 まず香り高い。炭酸の力で、シェリー樽由来の甘い香りが華やかに広がる。
 そして若いアルコールの不快な刺激が全く無くなりただ飲みやすくなるだけでなく、炭酸が原酒の味を引き出し、甘さもビターさもしっかり感じるし、ウイスキーのコクも充分わかる。
 好き嫌いの分かれるピート香は、余韻に、ほんの僅かにだが感じる。
 ストレートでは原酒の若さによるアルコールの刺激がキツすぎて、とても飲めたものではないが。
 ハイボールにすると、驚くほど美味しく飲みやすくなる。

 ストレートではとても飲めない安物ウイスキーのハイボールは、「美味くはないが、とりあえず飲める」というレベルでしかない。
 例の日本で大人気のサントリー角瓶のハイボールも、筆者の印象ではこの枠に入る。
 そしてストレートで美味しく飲める良いウイスキーのハイボールは、「美味しいのだが、ストレートで飲んだ方がもっと味が濃く豊かで余韻も長くてずっと美味しい」と思う。
 いずれにしてもハイボールは、筆者にとって楽しんで美味しく飲めるものではなかった。
 しかしBNリッチブレンドは違った。
 ストレートでは、何日空気に触れさせようが、原酒の若さがどうにもならずにとても飲めない。
 だがハイボールにすると、ただ香りが豊かに広がるだけでなく、アルコールのキツい刺激の下に隠れていたウイスキーの甘さやビターさやコクが炭酸の力で引き出されて、「ああ、ウイスキーを飲んでいる!」という満足感をもたらしてくれた。
 ハイボールにすると余韻が何も無くなってしまうウイスキーが少なくないが、このBNリッチブレンドのハイボールは、僅かなピート香を伴う余韻もある。
「これぞ、ハイボールの為のウイスキー!」である。
 あの角瓶のハイボールなどより、ずっとずっと美味しい。

 安いウイスキーのハイボールは「まあ飲める」程度でしかなく、良いウイスキーのハイボールは「ストレートの方がもっと美味しいのに、もったいない」としか思えなかった筆者だが。
 このBNリッチブレンドを飲んで、初めてハイボールを心から「美味しい!」と思えた。
 これが千円ちょっとで買えるのに、より高い角瓶をあえて買い続ける人達の気が知れない。
「ウイスキーならハイボール、ハイボールならサントリーの角瓶」と思い込む前に、ハイボールが好きならまず一度、BNリッチブレンドのハイボールを試してみてほしい。
 これぞ、ハイボール用ウイスキーの傑作だ。
 そして角瓶よりも安い。

 付け加えるが、BNリッチブレンドの水割りは美味しくない。
 水で割るとストレートで感じたアルコールのキツい刺激こそ無くなるが、同時に味も香りも薄まり水っぽくなる。
 トワイスアップにしただけでも、水っぽく締まりのない味になり、香りも頼りなくなってしまった。
 水で割ると、炭酸で割った場合と大違いで味も香りも台無しになってしまうから要注意だ。

 ハイボールが好きで深く考えることなく角瓶を選んでそれで満足している方々、是非一度、ブラックニッカ・リッチブレンドのハイボールも試してみて下さい。
 ただ「ビールのように苦くも、酎ハイのように甘ったるくもない」というのでなく、ウイスキーの香りや味わいも充分堪能できる。
 ストレートで飲むにはただ原酒が若すぎるというだけで、原酒そのものはニッカの技術者により丁寧に造られていると筆者は確信する。
 ストレートにも水割りにも向かないが、これはこれで良いウイスキーだ。
 ハイボールにして飲むととても美味しいが、この華やかな香りと深い味わい、カクテルに使うにも良いかも知れない。

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歴史教科書で教えられない後醍醐天皇の真実

 鎌倉時代の末期に、後醍醐という天皇がいた。
 この天皇が兵を起こして鎌倉幕府を倒し、武士の世から醍醐・村上の頃の世を模範とした天皇親政の時代に戻そうとしていわゆる“建武の中興”を成し遂げ、そしてその後南北朝の動乱となったことは、今の歴史教科書にも“史実”として記されている。
 しかしこれは、史実とは言い切れない。
 かなり皇国史観によるバイアスのかかった、史実を無視してでも「天皇は万世一系の神で無謬」という思想を民に植え付けようとした明治政府による偏った見方である。

 歴史教科書などでは、今も後醍醐を「無能でわがまま勝手な幕府を倒した正義の天皇」のように記しているが、実は違う。
「天皇は神で素晴らしい」という戦前教育の先入観を捨て、史実を調べれば調べるほど、後醍醐が私利私欲に満ちた人間で、己の野心と欲を満たす為には戦乱を起こすことも辞さず、多くの者を死なせ民を泣かせても何とも思わない暗君かつ暴君であったことが、痛いほどわかってくる

 実は後醍醐は、本来ならば天皇になれる人間ではなかった
 その後醍醐がなぜ天皇の座につけ、そして戦乱を引き起こすことまでできたのか。
 それは鎌倉時代中期の後嵯峨天皇のエゴと、後醍醐自身の幸運によるものである。

 今の人達は「天皇家では、天皇が一番エラい」と思っているが、平安末期から後醍醐の時代まではそうではなかった。
 歴史教科書で“院政”という言葉も教えられた筈と思うが、その時代には天皇は比較的早く皇太子に譲位し、上皇という自由な地位から、『天皇家の長』として権力も権威も持ち続けていた。
 で、後嵯峨天皇もまた息子の後深草に譲位して、上皇として実権を握っていた。
 その後嵯峨は、天皇となった後深草に、弟の亀山を皇太子にするよう命じた。
 つまり後嵯峨は、息子たちを兄弟共に天皇にしたのである。

 親として、息子たちがどちらも可愛いのは、よくわかる。
 今でも「子供たちはみな公平に」と考えて子育てしている親は少なくなかろう。
 だが困るのは、「その後」である。
 親ならば「兄弟より、我が子の方が可愛い」のが、当然だからである。

 後深草天皇は、父である後嵯峨に言われた通り、皇太子の座に弟をつけ、そしてその弟である亀山は天皇となった後、位を我が子に譲ろうとした。
 上皇となった後深草にも、もちろん息子がいた。
 亀山天皇の行為に、後深草はひどく悲しんだ。
 弟に位を譲ったら、弟は兄とその子を無視して皇位を我が子に譲り、天皇の地位(と天皇家の所領や財産や宝物)を自分の子孫で独占しようとした。
 それで後深草は気持ちを鎌倉の幕府に伝え、出家する決意をした。

 事情を知った当時の執権、北条時宗は後深草にひどく同情した。
 元寇を撃退した、あの時宗である。
 時宗は既に天皇になってしまった亀山の子の後宇多天皇に、皇太子の座に後深草の子の伏見をつけるよう求めたのである。
 それで以来、後深草の子孫である持明院統と、亀山の子孫である大覚寺統で、交互に天皇の座に就く約束になった。

 しかしその約束も、きちんと果たされたわけではなかった。
 何しろ人の寿命は、それぞれである。
 長く生きる者もいれば、若くして亡くなってしまう者もいて、皇室の者も天照大神の子孫の神などではなく我らと同じ人間なのだから、それは天皇家の者もまた同じである。
 片方の系統の天皇が早世して跡継ぎがまだ若ければ、もう片方の系統の天皇が二代続いたりする。
 すると前者の系統の親王とその取り巻きは、今の天皇が位を継いでまだ間もなく若く元気でも、「早く譲位せよ!」とせっつく。
 また、皇位を継ぐのを待つ間に、皇太子が幼い子供を残して早世してしまった場合には、亡き皇太子の弟が“中継ぎの天皇”として位を継ぐこともある。

 実は問題の後醍醐は、その“中継ぎの天皇”なのだ。
 持明院統の後伏見天皇の跡を大覚寺統の後二条天皇が継いだのだが、その時、後二条天皇はまだ17歳で、その子(邦良親王)は生まれたばかりだった。
 で、持明院統と大覚寺統とで交互に天皇を出す約束から、持明院統の後伏見天皇の弟の、僅か5歳の花園が皇太子となる。
 その後伏見天皇も早世してしまい、花園は僅か12歳で天皇となった。
 さて、その持明院統の花園の皇太子に、誰を立てるかという問題になったのだが、大覚寺統で正当な跡継ぎと定められていた亡き後伏見天皇の嫡子の邦良親王は、まだ若い。
 それで後伏見天皇の弟の尊治親王、後の後醍醐が邦良親王が成長するまでの中継ぎとして、皇太子の座に就けられた
 この、「後醍醐は同じ大覚寺統からも、初めから“中継ぎの天皇”と定められていた」ということを、皆さんには決して忘れないでいてほしい。

 で、数年後に大覚寺統の激しい運動と幕府の後押しの結果、後醍醐は天皇となる。
 この時、後醍醐の皇太子に本来天皇になるべき同じ大覚寺統のが邦良親王が立ち、その次には持明院統の光厳が継ぐという約束が、幕府の仲立ちで両統の間で交わされた。
 その際、大覚寺統のトップである後宇多上皇は、大覚寺統の所領等も後醍醐に譲ったのだが、後宇多は次のことを、息子である後醍醐に固く約束させた
 譲った所領は、さらに後醍醐からすべて邦良親王に譲ること。
 後醍醐の子孫は(天皇でなく)親王として天皇を助けよ。

 後二条天皇の子を、我が子と思うこと。

 繰り返すが、後醍醐は中継ぎの天皇である。
 大覚寺統の正統は後醍醐の兄(後二条天皇)とその子(邦良親王)であって、後醍醐は傍系である。
 後醍醐は、兄の後二条が若くして亡くなったから、たまたま天皇になれたに過ぎない。
 だから二十代も半ばになった邦良親王らの側から、後醍醐に譲位を促す運動が起き、邦良親王はその為の使者も幕府に送った。
 それに対し後醍醐は腹を立て、謀叛を企てた。
 土岐頼有や多治見国長らの武士を抱き込んで挙兵させ、六派羅探題を襲わせようとした。
 しかしそれは事前に露見して、関係者は捕縛された。
 ただ後醍醐自身は「部下のやったこと」として逃げ切り、日野資朝ら貴族と武士だけが処分された
 これを正中の変という。

 こんな天皇だから、後醍醐は持明院統だけでなく同じ大覚寺統の者らにも反感を持たれていた
 しかし後醍醐にとってさらに運の良いことに、正中の変の二年後、邦良親王は皇位を継ぐことなく27歳で急死してしまう。
 それで以前の約束通りに、持明院統の光厳が皇太子として立った。
 だがそれは、後醍醐にとって実に面白くないことだった。

 後醍醐は、父の後宇多上皇から「大覚寺統の正統はお前の兄とその子孫で、お前は中継ぎの天皇なのだ」と厳重に言われて天皇になった筈なのだが。
 後醍醐自身は自分を中継ぎの天皇だなどと思っておらず、皇位も皇室の財産も、みな自分とその子孫で独占する意欲満々だった。
 そして後醍醐は大変な野心家で欲も深いが、決して馬鹿ではない。
 だから学問もよくして、宋から日本にやって来た禅僧から学んだ朱子学の大義名分論を、己の権力欲の武器にした。

 当時の日本は既に武士の世になっていて、天皇や公家など飾り物でしかなくなっていたのだが。
 その現実を無視したい後醍醐は、秩序や君臣の関係を重んじて建前をふりかざす朱子学に飛びついた。
 そして天皇は本来、主上、至尊、聖上と呼ばれる我が国最高の存在であって、その自分を中継ぎ扱いするなど無礼だし、両統迭立などと言って皇位継承に口を出す幕府は許せぬ、滅ぼすべし……と強く考えるようになった。
 で、正中の変の失敗にも懲りずに元弘元年(1331)年、またしても兵を起こし、これもまた事前に六波羅探題と幕府に察知されて笠置の山に籠もるものの大敗し、隠岐に流されるのである。
 これを元弘の変という。

 ただ、鎌倉幕府も運が悪かった。
 まず、元寇である。
 当時の武士は、戦には自腹を切って行っていた。
 今ならば、志願した職業軍人であれ、自らの意志によらず徴兵されて従軍したのであれ、軍人になれば国が給与をくれ、兵器も装備も食料も国と軍が支給してくれる。
 しかし昔の武士は、武器も装備も何から何まで自分持ちで戦に行ったのだ。
 で、勝てば敵から分捕った品が己の物になり、そして敵の領土が恩賞として与えられるというわけだ。
 だが元寇では、元軍を追い払いはしたものの、元に攻め込んで元の領土を奪ったわけではない。
 だから幕府には、自腹で戦った武士たちに分け与えるべき恩賞が何も無かった。
 ゆえに武士は窮乏し、武士の間で幕府に対する不満が高まった。
 さらに鎌倉後期から江戸時代まで日本は小氷河期に入り、気候が寒冷化して全国的に不作になった。
 当然、武士だけでなく民も苦しむ。
 それで悪い事をしたわけでもない鎌倉幕府に対する不満が、さらに高まった。

 だが戦をするには、どうしても大義名分がいる
 戦とは、大規模な人殺しである。
 だから「正義は我にあり!」という旗印が無いと、人はなかなか戦えない。
 そしてその最も良い旗印が、日本では天皇および皇族である。
 ゆえに平家に対して立ち上がった各地の源氏も、後白河法皇の子である以仁王の令旨を利用したのだ。
 幕末の薩摩と長州も旗印に天皇を使い、幕府を倒した後は天皇を神格化することで自分らの権威と権力を高めた。
 この国では兵を起こせばただの謀叛だが、天皇さえ担げば官軍になり、敵が賊軍になるのだ。
 だから幕府に不満はあるが“賊軍”になりたくない者には、天皇の旗印が是非とも必要だった。
 で、たまたま中継ぎの天皇になれた幸運や父との固い約束をすっかり忘れ、この国の権力を自分の手に握る野望を捨てずにしつこく兵を起こした後醍醐は、隠岐から脱出した三度目にようやく望みを叶える。

 と言っても、これも後醍醐自身の力によるものではない。
 三度目の決起でも、幕府の軍の方が圧倒的に多かった。
 ただ、幕府方の二人の総大将のうち、一人がたまたま矢に当たって戦死し、さらにもう一人の有力御家人であった足利高氏が寝返るに至って、形勢は一気に逆転する。
 高氏は後醍醐の思いとは違い、武士の世を天皇中心の治世に戻したかったわけではない。
 そうではなく、ただ北条氏に替わって自分が権力の座につきたかっただけだ。
 高氏にとって、後醍醐はただの旗印でしかなかった。
 そして事実、すっかり武士の世になってしまっていた当時の情勢の中、後醍醐には日本を治める力も能力も無かった
 だから後醍醐の“治世”は、例の有名な二条河原の落首で知られたような酷い有り様になり、僅か二年で終わる
 そして高氏の軍に追われて京から吉野の山奥に逃げた後も後醍醐は戦いを止めず、日本は高氏派と弟の直義派、そして後醍醐につき従った南朝派の三つに分かれて、長く争い合うことになる。

 先週、筆者は孝謙・称徳という色ボケで残忍な天皇を、「日本史上で最も嫌いな人物」として紹介したが。
 後醍醐は孝謙・称徳のように色ボケでもないし、孝謙・称徳ほど残虐でもない。
 しかし後醍醐が起こした戦乱のせいで命を落としたり苦しんだりした人の数は、孝謙・称徳のそれを遙かに上回る
 幕府を倒し、民を幸せにしたのなら良いが。
 事実は殆ど手柄も無い側近の貴族らを贔屓したデタラメな政治で、政権は僅か二年で瓦解した。
 それで諦めればまだ良いものの、後醍醐は権力欲を捨てず、都の奪回を目指して吉野の山に籠もり続け、その時の権力者と戦いたい者の“旗印”であり続け、戦乱を徒に長引かせた
 この我欲に満ちた野心家の天皇の所行は、天皇を神格化し絶対化する戦前の教育で美化されまくり、建武の中興を成したと称えられている。
 そして後醍醐天皇と建武の中興の名は、今もなお歴史教科書に肯定的に書かれているのだから呆れる。

 筆者は昨今の歴史修正主義者ら、育鵬社の教科書を推奨する輩とは真逆の理由で、「戦後の歴史教科書は見直しが足りない」と考えている。
 戦前の政治の明らかに軍国主義的な部分だけ、チャチャッと墨塗りで誤魔化しただけで、天皇を賛美し天皇の旗印を掲げた勢力のする事を善しとする傾向の残滓が、今の歴史教科書にもはっきりと見てとれるからだ。
 今回紹介した後醍醐の我欲と野心の結果の悪政が、建武の荒廃あるいは建武の動乱でなく、今もなお“建武の中興”などと肯定的に教えられている件だけではない。
 江戸末期から明治にかけての歴史についても、江戸幕府については「無能で、遅れていて」と教えられ、井伊直弼も国を想う正義の志士を弾圧した悪党の印象で描かれ、今もなお安政の大獄という語句を生徒らは覚えさせられている。
 そのくせ明治維新とその後の薩長の政治については、「文明開化を成し遂げ日本を近代国家にした」と褒め称える色彩が強く、その軍国主義的な政策や侵略主義的な姿勢や、安政の大獄など比較にならないほど酷く民衆を弾圧した強権的な政治については殆ど教えられていない。
 吉田松陰が殺されたことや安政の大獄など、江戸幕府の悪さについては今も誇大に教えるくせに、琉球処分や台湾出兵やシベリア出兵や自由民権運動の弾圧や秩父事件や大逆事件など、明治政府の暗部についてはろくに教えようとしない。
 これが今の、歴史教科書の実態だ。
 今の安倍政権の支持者たちは、歴史教科書が自虐的だと言い、正しい歴史をねじ曲げて、育鵬社が出しているようなトンデモ本の教科書を採用させようとしている。
 しかし現実は逆だ。
 歴史教科書には既に今もなお、戦前の「天皇中心で、その旗を担ぐ勢力に反対する者は悪く描く」という傾向が残っている。
 だから歴史教科書では、後醍醐が我欲と野心から起こした戦乱は今もなお“建武の中興”のままだし、井伊直弼は悪で江戸幕府は旧弊で、それを倒した薩長と明治政府は善玉だ。
 政治的な野心を持った中大兄皇子(天智天皇)に暗殺された蘇我入鹿も悪玉で、中大兄皇子のクーデターは大化の改新と良いことのように教えられている。そして天智天皇の冷酷さと彼に殺された人々のことについては、片鱗も教えられない。
 
同じように、孝謙・称徳女帝の残酷さと、その女帝が怪僧道鏡を天皇にしかけた事も教えられずにいる。

 実権がある時代と無い時代があったものの、天皇がずっと日本で最高の地位であり続け、最高の権威を持ち続けたことは疑いのない事実だ。
 そしてその天皇も我らと同じ人間であり、だから我らと同様に、良い天皇も悪い天皇もいたこともまた、疑う余地のない真実だ。
 しかし今の歴史教科書でも、悪い天皇の存在や、天皇がした悪いことを教えられることは、まずない

 安倍首相ら多くの与党の政治家が、戦前の大日本帝国の精神の根幹であった教育勅語について、「大変素晴らしい理念が書いてある」とか、「今日でも通用する普遍的なものがあり、学校で教材として使うことは差し支えない」とか、果ては「教育勅語の精神は今も取り戻すべきだと考えている」などと褒め称えているが。
 例の「朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ」、高橋源一郎さんによれば「もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでした」と書かれているその通りに、今の歴史教科書にも歴代天皇は悪いことなどまるでしない素晴らしい方々ばかりのように描かれている。

 何しろ、安倍政権下の今の小学校の社会科の指導要領には、こう書かれているのだ。
天皇についての理解と敬愛の念を深める
 後醍醐天皇や孝謙・称徳天皇などの所行も“理解”した上で、天皇はみな“敬愛”しろと言うのだ、この政権は。
 何しろ天照大神から天皇に繋がる系図を載せ、嘘っぱちの神話から教え始めるような育鵬社の歴史教科書を認める文部省と、それを採用させようと圧力をかけるような勢力と仲良しなのが現政権である。

 筆者は「神話は歴史と峻別するのが常識」と思うし、「神話はフィクションであって史実とは違い、天孫降臨など噴飯ものの大嘘で、天皇家は天照大神とは全く無関係の大陸から来て日本を統一した王(勿論ただの人間)の子孫」と理解している。
 その筆者が思う「天皇も同じ人間で、平成天皇のような希にみる良い方もおられる反面、後醍醐や孝謙・称徳のような悪い天皇もいる」という至極当たり前な事実を認めるどころか、「天皇は神で無謬」という戦前の教育に戻りかねない崖っぷちにいるというのが、日本の今の歴史教育の現状である。
 そしてそれを許すかどうかは、我ら有権者一人一人にかかっている

 あのヒトラーとナチスは、民主的な選挙から生まれた。
 ヒトラーとナチスも有権者が選びさえしなければ、いくら彼らが声を限りにわめこうと権力の座には就けなかったのだ。
 その事実を、我々はよく肝に銘じておくべきだ。
 戦後になってもあの太平洋戦争を「自衛の戦争だった、日本は悪くない」と言い続けたA級戦犯の岸信介首相を敬愛し、その政治思想を継承する安倍首相は、戦争法案や特定秘密保護法案やカジノ法案などを数の力で押し通し、水道を国外の水メジャーに売り渡し、辺野古の海を埋め立て、さらに憲法を変え、教育勅語をも復権させようしているが。
 その安倍政権を長期政権にし、アベ政治を続けさせているのも、我ら有権者である。


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これも夕空

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 実は先月、片方の膝を痛めてしまいまして。
 レントゲンだけでなく、MRIでも検査をしました。
 軟骨、半月板、関節近くの近くの大腿骨、全て痛めていたそうです。

 今、ただ痛いだけでなく歩くのも不自由で、片足を引きずっている有り様です。 
 飲み薬ときつめのサポーターで何とかやり過ごしていますが、治るまでに時間もかかるとのことで、これから当分、2週間に一度通院して注射とリハビリをしなければならなくなってしまいました。

 実は膝を痛めた原因は、多分猫なんです。
 私の愛する猫たちは、私の膝の上が大好きでした。
 毎日何時間も、私の膝でくつろいでいました。
 そんな生活が二十年以上続いた挙げ句、猫が主に体重をかけて乗っている方の膝に激痛が走るようになってしまいました。

 あまりに痛いので、もう一方の膝に猫を乗せ換えようとしたんですが。
 でも猫さまは、「こっちの膝でないとイヤだ!」と、いつも左の膝の上にしか乗ってくれませんでした。
 おかげさまで、要通院の膝痛ですよ……。

 実は猫が乗る方の膝、数年前からもう痛んでいたんです。
 でも猫のこと、全く恨んでないんです。
 可愛くって、寄って来られるとつい痛くても乗せてしまっていました。
 だからねだられたら、また膝に乗せてしまうと思います。
 ハイ、もう本当にどうしようもない猫好きです。



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これも私のオーラカラー?

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 オーラって、信じていますでしょうか?

 私は半信半疑ですが、オーラの見える人によると、私のオーラは青なのだとか。
 実際、ネットなどで書かれている「青のオーラの人の性格」って、私の性格に近いように思います。
 そして何より、私、色では青が大好きなんです。
 だから空も、つい撮りたくなってしまうんです。

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空を照らす光

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 私は、まだ小学生の頃から写真を撮るのが好きでした。
 本格的に撮るようになったのは、高校生になり一眼レフを手に入れてからです。
 そのフィルム式の機械シャッターの金属製カメラ、まだ持っていますし、問題なく動いてくれて写真も撮れます。
 でも今では、撮るのはデジカメが99%と言っても過言ではないくらいになってしまっていますが……。

 そのくせ欲しくなってしまうんですよ、金属製の、フィルムで撮る昔のカメラが。
 ライカだけで5台も持ってマス。
 だからいつも金欠で、軽自動車に乗っている有り様ですよ。
 ……馬鹿デス。

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雲間の光

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 写真には、撮れないものが数多くあります。
 風、音、味、気温、匂い、などなど……。

 実は光も、なかなか撮れないんですよ。
 今回、ようやくその“光”が撮れました!

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