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空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

夕暮れ時の道

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「ら抜き言葉」について、「間違っているか正しいかの問題ではなく、耳障りだから使わない」と言いましたが。
 私、実は聴覚過敏なんです。
 うるさい音、耳障りな音が大嫌いで、ものすごく神経に障ってしまうんです。

 だからバラエティー番組は、まず見られないんです。
 ギャハハハという馬鹿笑いや、テンションの高過ぎる大声を聞いていると、気が狂いそうになってしまうんですね。
 Eテレの『日本の話芸・落語』は録画して繰り返し見ているくらいですし、ユーモアのセンスが無いわけではないと思うのですがね。
 ただ私が見たいのは洗練された“芸”であって、品の無いバカ騒ぎではないんです。
 今のテレビのお笑いタレントは、芸人を名乗りながら“芸”と“テンション高いバカ騒ぎ”をはき違えているように思えます。
 ただテンション高く騒げば「盛り上がる」と思っているような勘違いが、今の“芸人”さんには多すぎますよ、本当に……。

 だから私、芸人さんがバラエティー番組だけでなく、情報番組や、果てには報道番組にまで出てきてテンション高く騒いだり、下手で無駄なボケで番組の進行を妨げてシラケさせたりするのが、腹立たしくてなりません。
 と言うか、テレビによく出てくる芸人さんはただテンションが高いだけでなく、不必要に声を張り上げて雑な聞き苦しい大声で喋くりますよね。
 聴覚過敏の私には、それだけで拷問を受けているように辛いんです。

 だから私は、声の良い人が好きです。
 と言っても、声も生まれつきのものがありますから、皆に「良い声で喋れ!」と求めるのは間違いだと思います。
 私自身、美声とはまるで言えませんしね。

 ただ、「気をつけ意識して柔らかく聞き苦しくなく喋る」ことは、何らかの障害のない限り、誰にも出来る筈です。
 歌手のMISIAさん。
 MISIAさんの歌声については、私は長いこと「嫌いではないが、あえてCDを買って聴くほどではない」という感じでいました。
 ところがある時、偶然にラジオでMISIAさんの番組を聞いて、彼女の語りに魅せられてしまいました。
 ああ、何て癒される柔らかな声だろう……と。
 それで思わず、CDも買ってしまいました。

 その他にもコトリンゴさんとか、惜しくも故人となってしまいましたが岡崎律子さんとか、柔らかな声を聴かせてくれる方々には、本当に心が癒されます。
 それに対していろんなテレビ番組を侵食している芸人さんたちの声を聞かされると、まるで心におろし金をかけられているようで辛いです。

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雲の白い筋

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 あと、私は「ら抜き言葉」も嫌いなんです。
 ら抜き言葉については、「間違っている!」などと目くじらを立てて怒るつもりはないですが。

 ただ、貴方も御自分で口に出して言って、そしてその音の響きを耳で聞き比べてみて下さい。
 例えば、「食べれる」と、「食べられる」と。
 その両者では、「食べられる」の方が断然“れ”の音の発音が柔らかくなっている筈です。
 その「食べれる」と「食べられる」だけでなく、ら抜き言葉を使って“ら”の字を省略すると、次の“れ”の字の発音がとても硬く聞き苦しくなります。
 これは間違いない事実です。
 御自分で口に出して言ってみれば、その違いが確かにわかる筈です。
 断言しますが“ら”は抜かない方が、絶対に柔らかな耳ざわりの良い言葉遣いになります。

 だから私、聞き苦しいから「ら抜き言葉」は使いません。
 いろいろな人と対話して感じますが、「ら抜き言葉」を抵抗無く使う方は、あまり教養の高くない、かつ周囲や他者にあまり気を使わないがさつな方が多いですね。

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雲の向こうの太陽

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 くだらないこだわりですが、私、「夜ご飯」という言葉も嫌いです。
 自分ではもちろん言いませんし、ただ他人が言うのを耳にするだけでも、ものすごく抵抗があります。

 夕食(夕ご飯)を、いつから「夜ご飯」と皆が言うようになったでしょうか。
 本当につい最近のことと思いますが、「夜ご飯」という言葉はまるで伝染病のような速さで日本全国に広がっています。
 数年前まではそんな言葉を言う人さえいなかったのに、今では一部のテレビのアナウンサーまで平気でそう言っています。

 夕食をとる時間が遅くなり、夕方でなく夜に夕食を食べる人が増えたから、「夜ご飯」が自然に思えるのかも知れませんが。
 夜に食べるのだから、夕ご飯より夜ご飯の方が正しいのだと?
「じゃあ夜食のことは何と言うんだよ? 深夜食かよ!?」と因縁を付けたくなってしまう、深くものを考えないで簡単に時流や流行に乗る人達が大嫌いな私です。

 とにかく昭和に生まれた私にとっては「夕ご飯」はあくまでも「夕ご飯」であり、「夜ご飯」などとは口が裂けても言いたくないです。

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高い空に昇る雲

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 一昨日、「感動(勇気や元気など)を与える」という言い方は失礼だと書きましたが。

 近年、気になるのは企業の宣伝で、商品に付けてくる景品について「○○、貰える!」という表現が多いことです。
 そんなテレビCMを目にする度に、「誰がそんなモノを下さい、ってお願いしたんだよ! 上から目線で偉そうに言うな!!」と毒づいてしまう私です。

 そもそも、景品でなくその商品に魅力があるから、「欲しい!」と思って買うわけで。
 欲しいのは本体の商品であって、景品はあくまでも「企業が勝手に付けてきたオマケ」なわけです。
 なのにこちらが「下さい!」と頼んだわけでもないのに「貰える!」だなどと、どれだけ恩着せがましいんだかと腹が立ってきます。

 数年前までは、景品については「○○、差し上げます」と言うのが当たり前でした。
 当然ですよ、こちらが「ぜひ欲しいデス!」とねだったわけでもないのに、業者が勝手に付けてくるわけだから。
 それがいつの間にか「差し上げます」と言う表現はすっかり消え、「貰える!」が当たり前になっています。
 しかも驚くのは、消費者がそれを「無礼だ!」と怒らないことです。
「差し上げます」と丁寧に礼儀正しく言われるより、「貰える!」と上から目線に近いタメ口で言われた方が「フレンドリーで親しみが持てる」のでしょうか、近頃の日本人は。

 ちなみに時流に全く乗る気が無い私は「○○、貰える!」と宣伝されると、そんな広告をさせた企業を軽蔑します。
 そしてその企業の商品を買うのを止めますね。
 いくらその本体の商品が欲しくても、その表現だけで業者に対する軽蔑が強くこみ上げて来てしまうのです。
 それくらい私は、景品について「○○、貰える!」と言われるのが嫌いです。

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ジョニーウォーカーの赤と黒(価格の差ほど、味に差があるか?)

 ジョニー・ウォーカーの赤と黒は、筆者のお気に入りのスコッチである。
 平日はジョニ赤を気楽に、休日はジョニ黒をゆっくり味わって……と、いつもは飲み分けている。
 この両者を飲みながら、時々疑問に思うことがある。
 ジョニ黒は12年モノのスコッチの中でも良く出来たウイスキーだが、「果たしてジョニ赤との価格差だけ、味と香りにも差があるのだろうか?」と。
 ちなみにジョニ黒は本体のみで二千円前後だが、ジョニ赤なら高い店でも1480円、安い店なら980円で買える。

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 まず、ジョニ赤から飲んでみる。
 もちろん、ストレートでだ。
 ジョニ赤は、このクラスのウイスキーでは抜群の味と香りだ。
「これを越えるスタンダード・スコッチは無い」
 個人的には、そう言い切ってしまっても良いように思う。
 コクがあり味わい深く、甘さとビターさとスモーキーさがハッキリしていて力強く、余韻も長い。
 ちなみにレーズンをつまみにすると、ジョニ赤がよりフルーティーに、そしてレーズンがより甘くなる。
 日々気軽に飲むなら、本当にこれで充分だと思う。

 そのジョニ赤を飲んだ直後に、続けてジョニ黒を飲んでみた。
 味も香りも明らかにジョニ黒の方がまろやかで、かつ芳醇で熟成感がある。
 両者を別々に違う日に飲むと、「ジョニ黒も良いが、ジョニ赤と価格ほどの差は無いかな?」とも思うし、ジョニ赤のハッキリした主張の強いピート香に魅力すら感じてしまう。
 だが続けて飲んでみると、その差、味と香りの豊かさとまろやかさの違いを歴然と感じてしまう。
 ジョニ赤の方がよりスモーキーに感じてしまうが、それはジョニ黒の方がずっと複雑で深い味だからで、実は両者のスモーキーさに差は殆ど無く、違いは芳醇さと熟成感にある。
 ジョニ黒は飲んでいる時にはまろやかで複雑で豊かで奥深い味を感じ、スモーキーさは余韻で強く感じる。

 逆にまずジョニ黒を飲み、その直後にジョニ赤を飲んでみると、両者が基本的に味も香りも似ていることと、しかしジョニ赤の方がシンプルで固い味だと感じてしまう。
 だがスタンダード・スコッチの中ではジョニ赤の出来の良さは飛び抜けているし、甘さとビターさとスモーキーさがジョニ黒のように充分に混じり合わずにそれぞれ別に自己主張しているのも、「それはそれで魅力だし良い」と思ってしまう。
 ジョニ黒を飲んだ直後に、より安いノンエイジのジョニ赤を飲んでも、「まずい」とか「やはり黒でなければ駄目だ」などとは、決して思わない。
 ジョニ赤を飲んだ直後にジョニ黒を飲むとその差を明らかに感じて「黒は凄い!」と思うのに、逆にジョニ黒の直後にジョニ赤を飲んでも「赤もなかなか良い!」と思わせるのが流石だ。
 また、ジョニ黒はつまみ無しでも充分に美味しく飲めるが、ジョニ赤はレーズンと合わせると、ジョニーウォーカー・ワインカスクブレンドにスモーキーさをプラスしたような魅力的な味になる。

 スコットランドで一番人気のスコッチ、ザ・フェイマス・グラウスとも飲み比べてみた。
 ちなみに価格は、ザ・フェイマス・グラウスの方がジョニ赤より少し高い。
 そのジョニ赤と飲み比べると、まろやかさは両者ほぼ同じだが、ジョニ赤の方がドライでスパイシーでスモーキーだ。
 ジョニ赤は「いかにもジョニーウォーカー!」という個性に富み、ザ・フェイマス・グラウスはよくバランスが取れていて万人向けで、「スコッチの愛飲家でこれを嫌いと言う人はまずいないだろう」という印象だ。
 両者に目指す味と香りの方向性に違いはあっても、出来に甲乙は付け難い。
 ついでに、ジョニ黒とザ・フェイマス・グラウスも飲み比べてみた。
 もちろん、ジョニ黒の方が間違いなくまろやかで味わい豊かで出来が良い。
 しかしジョニ黒vsジョニ赤と同様に、ザ・フェイマス・グラウスも意外にジョニ黒に迫る味と香りで、現地のスコットランドで人気なのがよく理解できた。

 それにしてもジョニ赤とジョニ黒、どちらも筆者の日々に欠かせない素晴らしいウイスキーだと、改めて感心させられた。
 価格の差に比例する出来の差(芳醇さや熟成感やまろやかさ)は、両者の間に確かにある。
 だがジョニ赤もそのクラスでは突出した出来の、間違いなく“お値段以上”のウイスキーである。

 筆者がいつもお酒を買っている店では、ジョニ赤より角瓶の方が間違いなく高いが。
 それでもあえて角瓶を選んで買う人が少なからずいる現状が、筆者には不思議でならない。
 角瓶は炭酸で何倍にも割ってハイボールにしてやっと飲めるシロモノで、ストレートでは不味くてとても飲めない。
 現にサントリーのブレンダーの輿水氏も、著書で「角瓶はハイボールで飲む」と言い切っている。
 だがジョニ赤はハイボールでも美味しく飲めるが、ストレートで飲めばもっとずっと味わい深く美味しい。
 それがジョニ赤と角瓶の違いの全てだ。
 それでも「角瓶が日本で一番売れているウイスキーである」という現実は、今の日本は原酒不足になるほどの空前のウイスキー・ブームだと言うものの、正確には「ウイスキー・ブームでなくハイボール・ブームでしかない」ということだろう。
 異論はあるだろうが。
「ストレートでもハイボールでも飲む」というのなら良いが、「ウイスキーを飲むならハイボールで」という、年代物の良いウイスキーでも構わずハイボールにしてしまう人を“ウイスキー好き”とは、筆者は全く思えない。
「ウイスキー好きとハイボール好きは違う」と、筆者はつくづく思う。
 そしてジョニ赤もジョニ黒も、ウイスキー好き、特にスコッチ好きにはたまらない銘酒である。

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感動(勇気や元気など)を「与える」と言う無知と無礼

 感動とか勇気とか元気とかいった、皆が誰に強制されるわけでなく、個々人の心の中から自然に湧き出て来る感情を。
 日本人はいつから、「与えた」り「貰った」りするようになったのだろう?

 
少し古い話になるが、かつて横綱だった貴乃花が怪我をしながら優勝した時、当時の首相だった小泉純一郎氏が「感動した!」と言った。
 一国の首相たるもの、もっと知的で蘊蓄のある深いことを言えよ、何と単細胞的な……と、筆者は大いに呆れた。
 だが日本人は、某有名水泳選手の「チョー気持ちイイ!」という、知性や品性もまるでない小学校レベルの子供のようなコメントに感動と共感をしてしまう、非常に単純な民族だ。
 だから小泉首相の「感動した!」という発言も、国民に好感を、それもかなりの好感を持って受け止められた。
 一流水泳選手の「チョー気持ちイイ!」や、さらに首相の「感動した!」というような、知的とは対極にある単細胞的……いやとてもシンプルな発言が、国民には非常な好感を持って受け止められる。
 おそらく日本人(少なくとも今の)そのものが、知性や品性や奥ゆかしさを尊ばない民族なのだろう。

 その、怪我をおしての闘志溢れる取り組みとその結果の優勝に対する、「感動した!」という発言が、我が国のトップに立つ首相にふさわしいものだったかどうかは、さておいて。
 少なくとも当時の小泉首相は「感動した!」とは言ったが、間違っても「感動を貰った!」とは言わなかった。
 小泉政権の頃には、世間的にもそうだった。

 しかし今では、日本人は当たり前に感動や勇気や元気などを「貰った」と言う。
 感動や勇気や元気などが貰えるものかどうかは議論が分かれるところであるが、今のところ世間を眺めれば、感動や勇気や元気などを「貰った」と言うことに違和感を持たない日本人が大多数のようである。
 そして日本人が気安く感動や勇気や元気などを「貰った」と口にするようになった今、主にスポーツ選手らが「感動(勇気や元気)を与える」と、公式の場で何の疑問も持たずに平然と発言するようになっている。
 筆者はこの、感動や勇気や元気などを「与える」という発言に、非常な違和感と不快感を抱いていて、この言い方に慣れるということが全く無い。
 少し前まで、少なくとも貴乃花の時代のスポーツ選手は、「感動を与える」とは言わなかった筈だ。

 この感動や勇気や元気などを「与える」という言い方についての是非を論じる前に、広辞苑で「」の意味を調べてみよう。
 ①自分の物を目下の相手にやる。授ける。「知識を与える」
 ②影響・効果などを相手にこうむらせる。「感銘を与える」「不安を与える」
 ③特別の配慮を相手にほどこす。「便宜を与える」「猶予を与える」
 ④仕事・課題などを課する。あてがう。「役を与える」

 確かに②の「影響・効果などを相手にこうむらせる」の意味で使っていると考えれば、感動や勇気や元気などを「与える」と言うのも間違ってはいないのかも知れない。
 だが「与える」は、基本的に目下の相手に対して使う言葉だ。
 例えば「飼い犬に餌を与える」とは言うが、「お世話になっている上司に、土産の品を与えた」とは絶対に言わない
 ③や④の用法として、「特別の配慮を相手にほどこす」や「仕事・課題などを課する。あてがう」ともあるが。
 その「ほどこす」とは、同じ広辞苑によれば「恵みを広く与える」、さらに「あてがう」は「見計らって与える、また単に与える」という意味である。
 どちらにしろ、目上から目下に対して使う言葉であり、上の立場の者に対してはもちろん、対等な立場の者に言っても失礼なのだ。
 だから「与える」という言葉を人に対して使う場合は、慎重でなければならない。
「常識と知性の無い人」と、軽蔑されかねない。

 例えば筆者は、太宰治の諸作品の、昔からの愛読者であるが。
 筆者ら本や文学が好きな者が「太宰は作品で世間に感動を与えた」と言うのは、間違っていない。
 しかし太宰自身が、もし生前に「自分は作品で世の中の皆に感動を与えている」と発言したとしたら、傲岸不遜な上に言葉の使い方を知らぬ無知な作家だと非難されただろう。
 もちろん太宰は自身の作品について謙遜こそすれ、「感動(勇気や元気)を与える」などとは全く言っていない。
 それが常識なのである。
 自分の行為や作品などについて、自身で「感動(勇気や元気)を与える」などと言う著名人は、本当に誰もいなかった。
 少なくとも、少し前までは。

 それが今では、主にスポーツ選手だが、多くの者が報道陣の前で当たり前に自分が「感動(勇気や元気)を与える」と平気で言い放っている
 それが筆者は、不快でならない。

 スポーツ選手を悪く言う言葉に、脳筋というものがある。
 スポーツは体を使う競技だから、言葉のニュアンスに疎くても、それを責めてあげつらうのは酷だと言う方もおられるかも知れない。
 だが野球でもサッカーでもそしてラグビーでも、スポーツの一流選手はとても頭を使っている。
 あるJリーグのサッカー選手は、試合中に状況を見て瞬時に判断を下す為に「頭が痛くなるほど考えている」とも言っている。
 少なくともスポーツ選手も、賢くなければ一流にはなれない筈だ。
 筆者の知る限りでも、スポ根のみで戦っているいわゆる“脳筋”の選手は二流以下でプロとしては通用せず、せいぜい学校の体育教師どまりだ。
 それを知っているからこそ、筆者はスポーツ選手にも、言葉のニュアンスにも少しは気を使い、公式の場では「感動(勇気や元気)を与える」というような発言は慎んで欲しいと思うし、少なくとも「チョー気持ちイイ!」より知性や品性を感じさせるコメントをして世の人の心を動かしてほしいと願う。

 繰り返すが、「与える」とはあくまでも目上が目下に使う、対等の者にすら使わない言葉なのだ。
 不用意に使うと、悪気はなくとも「失礼だ」と相手に気分を害されてしまう。
 例えばあるスポーツのA選手の見事なプレーを見た観客が「A選手は皆に感動を与えた」と言うのは構わないのだが、A選手自身が「自分のプレーで皆に感動を与える」と言うのは失礼でアウトなのだ。
 それを理解していない人、特にスポーツ選手が多すぎることに、筆者は閉口させられている。

 と思っていたら、今月の台風19号の後、被災地に救援に赴くある自治体の職員が、「行って支援して勇気を与えたい」と発言していた。
 それもテレビのインタビューに応えて、公式に。
 自分の支援で被災者に勇気を「与える」とか、どれだけ上から目線で被災者を下に見ているんだよと、呆れかえってしまった。
 スポーツ選手のみならず市役所の職員まで無造作かつ無神経に、感動や勇気や元気を「与える」と平気で口にする。
 言葉は「生き物」で変化するものだから、言葉の用法に間違いは無いのだと、一部の言語学者は言う。
 しかし筆者は、感動や勇気や元気を「与える」と対等な相手や目上の人に平気で言う今の日本の現状は、明らかに間違い、それもとても失礼な間違いだと断言する。

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心に沁みる雲の白

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 私だって、女性の好みはいろいろあります。
 派手目な濃い系の女性は苦手で、地味子と呼ばれるくらいのアッサリ薄味系の女性が好きだとか。
 スレンダーな女性が好きで、巨乳に興味はあまり無いとか。

 でも結局は、性格と言うか、「気が合うかどうか」を最優先して交際相手を選んでいますから。
 だから付き合った相手が巨乳でも、それは「たまたま」であって、それを魅力の一つにカウントして付き合おうと思ったわけでは断じて無いです。
 何しろ私の女性の好み(外見)は、黒木華さんや蒼井優さんや広末涼子さんなどですから!
 私にとって付き合う相手が巨乳であろうがなかろうが、どーでも良いのですよ。

 けれど胸の大きな女性は、間違いなくそこに自信を持ってますから。
 付き合った何人もの女性に、「あたし、胸、大きいから」と自慢されました。
 と言うか、胸の大きい女性は仲が良くなって気兼ねなく話せるようになると、まず間違いなくそこを自慢しますね。
 口には出しませんが「それはどーでもいいんだけれど」と思ってしまう私は、贅沢過ぎるのでしょうか。

 私は外見だけで言えばスレンダーが好みで、女性はツルペタでもOKなのです。
 けれど胸の大きな女性は、間違いなくそこに自信を持っている。
 それをわかっているだけに、対応に困ってしまう私です。

 ツルペタの女性を「胸ないよねー」とかイジるのは、よくあることじゃないですか。
 そして相手の女性も怒りはするけれど、それは当人も言われ慣れているという部分もありますよね。
 例えば私、背が低いです。
 で、「やぁい、チビ!」とからかわれれば、ムッとするけれど、またかと諦めて本気では怒らない部分もあります。
 胸の控え目な女性が、胸の大きさのことでからかわれるのも、多分同じような感じではないかと推察しています。

 でも胸の大きさを自分の魅力と思って自慢にしている女性に、「それはどーでもいいんだけれど」と私の本音を言ったら、それこそ恨まれて呪い殺されてしまいそうな気がします。
 で、付き合った女性に「あたし、胸、大きいから」と自慢される度に、愛想笑いを浮かべて「うん、そうだね」と頷いている私です。
 本当は、「そんなキミと付き合えて嬉しいよ!」と喜んで見せるべきなのでしょうけれど、そこまでの演技はまだ出来ずにいます。


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青い空と白い雲

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 あまり品の無い話ですが、女性の体の好みについて「男は胸派と尻派に分かれる」と言いますよね。
 私、その分類で言えば間違いなく“胸派”です。
 女性の尻には、はっきり言ってあまり興味ないです。

 けれど「女優で言えば、黒木華さんとか蒼井優さんとか広末涼子さんとかが好み」と繰り返し言っているように、巨乳好きでは全くないデス。
 胸は手のひらサイズで充分、そう本気で思っています。
 ちなみに私、小柄ゆえ手も小さいデス。

 ただコレを言うと「嘘つき!」と殴られてしまいそうですが、私と付き合った女性は、胸の大きい女性が多かったですね。
 でもソレ、断じて胸の大きさで相手を選んだわけではないですから!
 気が合って、結果的にお付き合いすることになった女性が、たまたま平均以上に胸の大きなじょせいだった……というだけの話なんです。
 交際しようと思う理由は、結局は性格ですよ、性格!

 付き合った相手の胸が大きかったなんて事は、まあ「欲しかったものを買ったら、たまたま付いてきたオマケ」程度の事に過ぎませんね。
 少なくとも、私にとっては。

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懲りずに空と雲と太陽を撮る

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 よく、女の人は「男は胸の大きな女の子が好き」と思い込んでいますが。
 実際、確かにグラビアアイドルとかでも、FカップとかGカップとかを売りにしている人達も少なからずいます。

 でも私、昨日書きましたよね。
「好きな女優さんは、黒木華さんとか、蒼井優さんとか、広末涼子さんとか」って。
 この中にいわゆる“巨乳”の人って、一人でもいますか?
 と言うよりむしろ、三人ともスレンダーと言うか、ぶっちゃけ胸は“ない”方ですよね。
 けれど私だけでなく、黒木華さんや蒼井優さんや広末涼子さんって、男性に人気があってモテていますよね。

 私、綾瀬はるかさんや新垣結衣さんも「綺麗だなー」と思いますし、お二人とも男性に人気ありますけれど、どちらも巨乳ではないですよね?
 そう言えば私、宮崎あおいさんも「可愛いなー」と思っていましたし、人気もありますけれど、ぶっちゃけツルペタのナイチチですよね。
 だから「男はみなオッパイ星人で巨乳が好き」というのは、誤解で思い込みに過ぎないと思うのですよ。

 でも綾瀬はるかさんや新垣結衣さんの名を挙げると、女性たちには「結局、顔かよ!」と怒られてしまいそうですが。
 ただ私、書きましたよね? 「地味子が好き」って。
 実際、人気あるけれど黒木華さんって、地味顔だし胸も控え目じゃないですか。
 そう、雰囲気や性格が良ければ、地味で胸も控え目な女性でも、充分モテるんですよ。
 少なくとも濃い系の派手な美人が苦手な私は、スッキリ顔でスレンダーな地味子と呼ばれる女性、大好きです!

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こんな可愛い車が好きです

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 気のおけない仲間同士で好みの異性の話になって、私が好みの女性の話をすると。
 まず「Aさんとか」と言うと「うん、わかる」と言われるものの、続けて「Bさんとか」と言うと、まず間違いなく「えー、何でよ?」と驚かれてしまう私ですが。
 その「えー、何でよ?」と驚かれてしまう理由は、「趣味が悪い」とかではなく、決まって「何でそんな地味な普通の子がいいの?」なんです。

 私はですね、外見だけで言えば「似顔絵を描くとすれば、一本の細い線でスッと描ききれてしまうような」女性が好みなんです。
 わかりやすく芸能人で言えば、黒木華さんとか、蒼井優さんとか。
 以前は広末涼子さんも好きでしたね。
 つまり好みが、「可愛い」と「地味」の紙一重のあたりにあるんです。

 正直、モデルさんによくいる、厚化粧でいろいろ盛った“濃い系”の派手目な美人は、はっきり言って苦手です。
 だから私は女性のメイクも薄化粧かナチュラルメイクが好みで、清潔感があればノーメイクでも全然OK、なのです。

 よく、男性にもバッチリメイクの女性が好きで、「女性はしっかり化粧するべき、それが社会人の女性の礼儀だ」と言う人がいますが、私には理解できませんね。
 私など、「化粧している」と一目でわかる濃い化粧の女性を見ると、「オマエは昔の花魁か!」とツッコミたくなってしまうくらいですよ。

 とにかく私は美人でもゴテゴテ着飾った厚化粧の派手系は苦手で、同性には“地味子”と言われるような「薄味であっさり系」の女性が好みなんです。
 だから少女マンガによくある、「地味で目立たない女の子が、何故か学校のモテ男に好かれて……」というストーリー、夢物語でなく「実際にあり得るかも」と思ってしまうのです。

 と言うわけで、あまり目立たずムネとかも控え目で“地味子”と呼ばれている女性の皆さん、貴女のような女性を好きな男も間違いなく居ますので、希望を持って生きて下さいね!
 実際、地味子って男性には意外にモテるんですよ。

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