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空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

大きな白百合

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 私の名前は、○吉とか△助とか□平というような、古くさいシワシワ・ネームですが。
 名付けたのは、父です。
 この名前を聞いた時、母はまず絶句し、そして反対したそうです。
 けれど人の言う事を聞かない暴れ者の父が、押し切ってその名前にしたのだそうです。
 理由は、「その名前の芸能人が好きだから」だと。
 ……馬鹿ですよね、本当に。

 でも多いんですよ、自分の好きな人の名前を子供に付ける親が。
 そんな親に是非わかってほしいです、「好きな人の名前=良い名前ではない」ということを。
 例えば巨人の長島名誉監督が現役の人気選手だった頃、本当に多かったらしいですよ、子供に“茂雄”や“茂子”と名付けた馬鹿親が。

 実は私の姉夫婦も、そんな馬鹿親です。
 姉夫婦は、同じ大学で知り合って結婚したのですが。
 その大学の同級生にとても良い人がいて、そして若くして病死してしまったのです。
 それでその病死した友達の名前を、娘に付けたのですよ。
「あんな女性に育ってほしい」とかで。

 まあ、若死にした人の名前をあえて我が子に付けるでだけでも、「どうかな?」と思うのですが。
 その若くて亡くなった友人の名前というのが、ただシワシワ・ネームというだけでなく、大正時代に憲兵に殺された、アナキストで左翼のフェミニストの女性と同じなのですよ。

 その若くして亡くなった人柄の良い姉夫婦の友人は、社会的には全く無名ですから。
 だから姪の名前を言うと、ちょいと歴史の知識のある人はすぐ「ああ、大正の頃に殺された、左翼の女性運動家の……」と思うんです。
 そしてまた、姪の名を聞いて宴会やお祭り好きな人がすぐ連想するのが、農兵節です。
 YouTubeなどで検索してみて下さい、あの農兵節の囃子詞と同じなんですよ、姉夫婦の娘の名は。

 ……本当に、「好きな人の名前=良い名前」ではないですから。
 親が自分の好きな人の名をそのまま子供に付けると、子供は心から迷惑しますよ。


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花の色は青が一番好きです

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 今はキラキラ・ネームやDQNネームと言われる、まともに読めない変な名前が増えていますが。
 私はそのような妙な名前の人に出合う度、胸が痛くなります。
 と言うのは、私自身が変な名前だからです。

 いや、キラキラ・ネームやDQNネームではないです。
 その逆の、いわゆる「シワシワ・ネーム」です。
 特定を避ける為に本名は明かせませんが、○吉とか△助とか□平とか、まあそんな江戸時代の商家の手代とか貧乏なお百姓さんにありそうな名前です。
 あの今もよく再放送される長寿番組の『水戸黄門』にも時々出て来ましたよ、同じ名前の役柄の人が。
 悪代官に虐められる水飲み百姓とか、番頭さんを陥れようとする悪い手代とかで。

 私はそんな古くさくて格好悪い名前が嫌いで嫌いで、本当に今も苦しんでいます。
 大袈裟ではないです。
 この厭な名前を本名として名乗らなくてはいけない度に、恥ずかしさと苦痛を感じます。

 名前は自分で選んだのではないのに、死ぬまで一生変えられない軛ですからね。
 変な名前をつけられると、本当に苦痛です。
 名前は「親が子供に最初にあげる贈り物」とも言いますが、私にとって名前は「親にかけられた最初の呪い」ですよ、本当に。

 格好良い名前でなくていいんです。
 他人と被るような平凡な名前で良いんです、ただ変でなく、名乗るのが恥ずかしい名前でさえ無ければ。
 この子供の思いを、親はしっかり自覚して冷静に名前を付けてほしいですね。

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キリンの新ジャンル酒あれこれと一番搾り

 新ジャンル酒がよく売れている。
 大方の人は給料が頭打ちだし、今世紀に入ってこの国が派遣や非正規雇用の人ばかりの格差社会になってしまったから仕方がないのか、それとも新ジャンル酒が飲むに値する品質に達しているからなのか、そのあたりを知りたくて、麒麟麦酒の新ジャンル酒を各種飲み比べてみた。

キリンのどごし生P1110540

 まずは、キリンの新ジャンル酒では一番売れているという、のどごし〈生〉から。
 それもわざわざ、、旨さが最も生きる丁寧な三度注ぎで飲んでみた。
 ほのかだが、香りは悪くない。
 だが味は、ただ「不味い!」と言うしかない。
 そもそもビールの味がしないのだ。
 変な甘さと、品の無い弱い苦味のハーモニー(苦笑)がすべてだ。
 何しろ原材料が、多く使われているものから順に「ホップ、糖類、大豆たんぱく、酵母エキス」と、麦芽を一粒も使っていないのだ。
 ビールを日本語では“麦酒”と書くが、これは麦を使っていないのだから麦酒類とも呼べない。
 ノンアル飲料や、カロリーオフの新ジャンル酒に似た、「無理して作りました」というのが丸出しの酷い味だ。
 自然の穀物から造ったのではない、いかにも作りモノですという品の無い味。
 本物のビールとは全く別物の酷いシロモノだが、喉越しだけは悪くない。
 ズバリ、値段の安さだけが取り柄の、キンキンに冷やしてイッキ飲みする専用の酒である。
 味わって飲むと、いくら安くても飲んでいて情けなってくる。
 それくらい不味い。
 これを好んでお金を出して買って飲んでいる人が少なからずいるのだから、人の味覚というのは様々だと心から思った。
 本物のビールを好んで味わって飲んでいる筆者からすれば、ただ喉越しだけのこんなに不味いものがキリンの新ジャンル酒で一番売れているとは、ただ呆れるしかない。
 スーパードライの人気と言い、日本人にはビール類を味わうことなく喉越しだけで飲む“味覚音痴”が実に多いのだと、よくわかった。

 この驚異の激マズ新ジャンル酒、のどごし〈生〉も少しはマシな味に感じられるかと思い、まず運動をして体が火照り喉も渇いている状態で、よく冷えたのどごし〈生〉をスーパードライのように、缶から直にイッキ飲みしてみた。
 丁寧にグラスに三度注ぎにして味を引き出した時よりも、少しはマシになり飲みやすくなるが、やはり作りモノっぽい味を感じて美味しくない。
 金属的な厭な味も感じる。
 これは酷いし不味い!
 こんなものを「美味しい」と感じて、わざわざ選んで買って飲む人の気が知れない。
 のどごし〈生〉が、新ジャンル酒の中でも最も安いというならわかる。
 しかしのどごし〈生〉と同じ値段どころか、より安い新ジャンル酒に、もっとマシな味の製品が複数あるのだ。
 味覚は「人それぞれ」だが、のどごし〈生〉については「これは不味い!」と自信を持って言い切れるし、のどごし〈生〉を好んで飲む人の気が知れないと、心から思う。
 新社会人や大学生など、初めてビール類を飲む人にまずのどごし〈生〉を飲ませたら、「お酒って、呆れるほど不味いもの」と思うと断言する。

キリン・本麒麟P1130388

 さて、キリンの新ジャンル酒の本麒麟がリニューアルされたそうだが、まずはそれ以前の古い本麒麟から飲んでみる。
 香りは悪くないが弱い。
 特に美味しくは無いが、のどごし〈生〉のような不快な厭な味は全く無い。
 スッキリしていて、苦い。
 これはちゃんと麦芽とホップも使った味だ。
 喉越しも良く、日本に多い「ビールは喉越し!」と信じている人も、のどごし〈生〉でなくこちらを飲むべきだと思った。
 のどごし〈生〉の「ゴクゴク爽快!」という売り文句は、むしろ本麒麟にふさわしい。
 のどごし〈生〉は、ズバリ「ゴクゴク不快!」でしか無い。
 リニューアル前の本麒麟は、薄く軽いがとりあえずビールに似たキリンらしい味だ。
 本物のビールには遠く及ばないが、「美味しい」と言えなくもない味だ。
 のどごし〈生〉とは、間違いなく別物である。
 味覚と好みは人それぞれとは言え、同じ値段なのに本麒麟でなくあえてのどごし〈生〉を選んで買って飲む人の気持ちが、本当にわからない。

キリン・新本麒麟P1190146

 さて、続いて新しくなった本麒麟だ。
 これも弱いが香りは悪くない。
 テレビCMでは「旨い、美味しい!」と騒いでいるが、はっきり言って大袈裟である。
 あまり「美味しい!」と騒ぐと、実際に飲んだ人をガッカリさせる。
 それでもリニューアルされて確かに味は良くなっている。
 味に苦さと甘さが感じられる。
 と言うより苦味が強まり、同時に僅かながら甘味も出て来て、コクらしきものも少し感じられる。
 明らかに、味がビールに近付いた。
 喉越しだけで一気に飲むしかないのどごし〈生〉とは別物で、ゆっくり味わっても飲める。
 喉越しも良いが、ただ喉越しだけでなくビールに近い風味もある。
 本物のビールに比べたら物足りないが、個人的には価格の差を考慮に入れなくてもスーパードライより新しい本麒麟の方が好きだ。
 新旧の本麒麟を飲み比べると、「以前の本麒麟は喉越し重視だったな」と思う。
 リニューアルした結果、麒麟麦酒の新ジャンル酒として、喉越しのみで飲むしかなくしかも味に嫌味アリののどごし〈生〉、そして味わっても飲める本麒麟という差別化が、はっきり出来るようになった。

新バーリアル&本麒麟P1180677

 今度はトップバリュのブランドで売られているが製造は麒麟麦酒の、バーリアル・リッチテイストを飲んでみる。
 このバーリアル、本体のみで78円、税込みでも85円という激安価格である。
 僅かだが、香りにフルーティーさを感じる。
 リッチと言うには、まだ味が軽い。
 しかしホップの苦さと麦の甘さの味のバランスが良い。
 リニューアル以前の本麒麟との比較だったら「バーリアルで充分」と言えるが、新しい本麒麟の味はバーリアルを上回っている。
 価格の差が、味にも出た感じだ。
 だが約50円という価格差を考えると、値段ほどの差は無いと思う。
 新しい本麒麟の方がビールに近い味だが、気楽にガブ飲みするならバーリアルで充分だ。
 とりあえず味もあるし、のどごし〈生〉のような厭な味も全く無い。

ゴールドマスターP1180662

 ローソンのPBとして出されている、麒麟麦酒製造のゴールドマスターを飲んでみる。
 香りは同じように弱いが悪くない。
「麦のうまみと豊かな味わい」と謳うが、麦の甘さとホップの苦さがある。
 このクラスとしては、充分に味がある。
 アルコール度数は、本麒麟やバーリアル・リッチテイストと同じ6%だ。
 価格と同じで、新しい本麒麟とバーリアル・リッチテイストを足して割ったような味だ。
 澄んだ味で嫌味なく、喉越しも良いが、味わっても飲める。

 同じゴールドマスターの、糖質70%オフ
 香りは悪くない。
「シャープで爽快な味わい」と謳うが、とにかく薄味だ!
 喉越しは良いものの、味は殆ど無いと言っても良いレベル。
 ただ、のどごし〈生〉のような嫌な味も無い。
 これは喉越しだけの酒で、味わって飲むものではない。
 それでものどごし〈生〉より、はるかにマシだ。
 カロリーオフの新ジャンル酒は、物足りない上に変な味のまずいものが多いが、その中ではこれはまだマシな方。
 後味に少し酸っぱさが残る。

キリン・新一番搾りP1120380

 製造は麒麟麦酒の新ジャンル酒をいろいろ飲んでみた後で、麦芽とホップだけで造った麒麟麦酒の本物のビールである一番搾りを飲んでみた。
 まるで別物である。
 安さにつられて新ジャンル酒を飲んでいると、舌がその味に慣れてしまうし、「このジャンルの中ではマシ」というものも見つかる。
 新ジャンル酒も、不味いものばかりでなく、価格を考えれば良く出来たものもあるとわかる。
 ただ飲み比べてしまうと、出来の良い新ジャンル酒と本物のビールの差は歴然だ。
 米やコーンやスターチなどの糖質副原料を加えた“似非ビール”との比較だったら、良く出来た新ジャンル酒との差は少ない。
 しかし麦芽とホップだけで造った本物のビールは、香りも味もコクも圧倒的だ。
 その種の本物のビールと新ジャンル酒を比べると、「まるで別物」と心から思ってしまう。

 気楽にガブ飲みするなら、出来の良い新ジャンル酒で充分なのだが。
 いざしっかり味わうと、味と香りと深みの差に衝撃を受けてしまう。
 糖質副原料を使用しない良いビールに限っては、「高い金を出しても飲む価値がある」と断言できる。
 それにしても、日本はビールに対する酒税が高すぎる。
 だから外国、特にビールの産地として名高い国々に比べて日本はビールが高いのだ。
 これではビールが売れにくいし、良いビールも生まれにくい。

 例えばお酒の適量は、「ウイスキーなら60ml、日本酒なら一合、ビールなら500ml」という。
 強いお酒は少量で酔え、同じだけ酔うには軽い酒ならたくさん飲まなければならないということだ。
 だから筆者は、ウイスキー党ではあるが「酒税は、アルコール度数に正比例させてかけるのが筋」と思っている。
 つまり日本酒なら税額は度数5%のビールの3倍、度数40%のウイスキーなら8倍で当然……と。
 しかし日本では、ビールや日本酒などの軽いお酒の方が酒税が高いのである。
 それは日本人は元々強いお酒が苦手な民族で、国というか国税局は「税は公平にでなく、取れるところから取る」という主義だからだ。
 だからこの国の酒税はアルコール度数に比例させずに、ビールに異様に高い税を課し、それから逃れる為にビールメーカーは、発泡酒だの新ジャンル酒だのといった偽ビールを開発した。
 すると国は発泡酒や新ジャンル酒の税を上げようとして……と、いたちごっこである。
 そしてその結果、この国のビールは不当に高いものになり、売り上げを落としてしまった。
 食も文化で酒もまた文化の一つと言うのなら。
 この国の酒税を「ただ取れるところから取る」ではない、「アルコール度数に比例させる」というような筋の通ったまともなものにすべきであると考えるが、どうだろうか。

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衆議院議員候補者「ふかざわよう一」氏と日本人の民度

 大臣も経験したベテランの自民党の衆議院議員が、任期途中で病死した。
 それで程なく、補欠選挙が行われることになったのだが。
 その与党側の候補者は、議員秘書から市議、そして県議になった若手の政治家だ。
 街角に貼られているポスターや各戸配布されるチラシに書かれているその若手政治家の名は、「ふかざわよう一」である。
 しかも彼の名は、目立つように太字のゴシック体で書いてある。
 果たして貴方は、彼の名を迷わず読めるだろうか?

 名字が「ふかざわ」だということは、まあ誰にでもわかる。
 問題は名前だ。
 筆者は初め、「ようー」かと思った。
 何しろ初めて彼の名を見た、ポストに配られたチラシには、そのまま横書きにしてあったから、「ふかざわ、ようー」としか読めなかった。
 知り合いがどこかで出合って、「フカザワ君じゃないか、ようー!」という感じで。
 そしてしばらく経って、名前は「よういち」なのかも知れないと気付いた。
 チラシの下の方に小さな文字で書かれている経歴を見ると、確かに「よういち」が正しいようだ。
 ちなみに選挙区では、いつも、どこでも、「ふかざわよう一」と書かれている彼の戸籍上の本当の名前は、「深澤陽一」だそうだ。

 正しい名字が旧字の『深澤』だから、選挙の際に正しく書いてもらえるように、名字を「ふかざわ」と平仮名表記にするのは、まあ理解できる。
 理解に苦しむのは、名前の『陽』まで平仮名で「よう」と書き、『一』だけそのまま漢字で「一」と書いてあることだ。
 事実、彼の後援会の正式名称も、『ふかざわよう一後援会』だ。
 縦書きならともかく、横書きだと「よういち」でなく本当に「ようー」としか読めない。
 まさに「おいフカザワ、ようー!」だ。

 さすがに彼も「ふかざわよう一」では、「ようー」と読めてしまうと、ようやく気付いたらしい。
 だから市議や県議時代には有権者に「ふかざわよう一」で通していた名前を、衆院の補欠選挙に立候補した最近になり、ようやく例の“一”の部分に“いち”とルビをふるようになった。
 政治家とは大変な職業だ。
 深澤陽一という名前すらちゃんと読めず、漢字の「一」にすら「いち」とルビが必要なレベルの知的水準の“有権者さま”を相手にしなければならないのだから。
 それにしても、ならば最初から「ふかざわよういち」と全て平仮名で書いておけば良かったのに、何故「一」だけ漢字にこだわるのかと、実に不思議に思った。

 元首相の宮澤喜一氏は、地元ではポスター等に「みやざわき一」と書いていただろうか?
 同じく元首相の小泉純一郎氏も、地元では「こいずみじゅん一ろう」だったのだろうか?
 安倍首相も、地元では「あべしん三」なのだろうか?

 この「ふかざわよう一」氏は、地元の進学校を卒業して信州大学工学部に進んでいるから、勉強が出来ない人ではない。
 だが彼が初めて市議に立候補した時の政策や理念を読んで、筆者は呆れた。
「この人、いわゆる“脳筋”だね」と。

 事実、彼の市議時代の広報を見ると、まず地元の港の整備促進についてちょろりと触れ、中山間地域のWiFi環境の整備と、災害に強いまちを目指すと具体案なしに短く書いた他は、とにかく「スポーツ! スポーツ! スポーツ!」である。
 何しろプロフィールに「身長:185cm 体重:81kg 右投げ・右打ち・利き足(右)」と、利き手や利き足まで書いた上に、趣味も「スポーツ、観るのもするのも大好きです」とある。
 さらに付け加えて、「子供の頃からスポーツが好きで、ソフトボール、卓球、バレーボール、硬式野球、ボブスレー、スケルトン、サッカーと様々なスポーツを経験」とも書いている。
 だから彼の政策もスポーツだらけだ。
「日本のトップ選手が集うビーチバレーボール大会の開催を皮切りに、マリンスポーツ等、海を活用したさまざまな可能性を検討していきます」
「スポーツ振興については、施設の充実を求め、プロの試合においては規格を満たすもの、アマチュアに関しては需要を満たすだけの施設の確保に取り組みます。国の進めるスタジアム・アリーナ改革の観点から、できる限り税金に頼る体質からの改善を追求していくつもりです」
 という調子で、スポーツについて語らせたら止まらない。

 だから筆者はこのふかざわよう一氏について、「高身長とルックスの良さと若さだけが売りの脳筋だな」と思い、「人間はスポーツだけじゃ生きられないし、社会もスポーツがすべてじゃねーんだよ」と呆れてもいた。
 ところがこの身長185cmでスポーツしか具体的な提言が出来ないイケメンが、何と2位の得票で市議に当選してしまったのだ。
 そして市議は二期勤めただけで県議に転じ、これにも楽々と当選し、今度は国政に打って出ようというのだ。
 どうやら有権者は具体的な政策提言など必要とせず(書かれても読みもしない)、政治家はただ爽やかイケメンのスポーツマンであれば「任せてもいい」と思うらしい。
 さすがは「深澤陽一」すら正しく読めず、「ふかざわよう一」でないと票を入れない(漢字は“一”しか読み書きできない)人達だと、呆れるを通り越して失笑してしまった。

 しかしこの「ようー」氏は、地元では強い。
 近々行われる衆議院議員補欠選挙では、この身長185cmのイケメンで右投げ右打ちで利き足も右でスポーツ大好きな「ふかざわよう一」氏を、自民と公明が推している。
 それに対し、野党は立憲民主党が国民民主党の候補者を推すことに同意し、共産党も独自候補者の立候補を取り下げ、事実上の与野党対決となった。
 しかしそれでも、与党の「ふかざわよう一」候補の優勢は揺るがないらしい。
 事前調査では、野党統一候補の当選の見込みは「非常に厳しい」と。

 与党の安倍政権は、桜を見る会の問題に続き、検事の定年延長問題が起き、さらに森友学園で財務省から自殺者を出した問題でも命をかけて不正を告発する遺書が公表された。
 それでも安倍政権の支持率は下がらず、近々行われる衆院の補欠選挙でも、政権側の「脳筋でスポーツ以外は政策ナシのイケメン候補者」が、野党統一候補を破りそうな情勢だ。
 さすがは「深澤陽一」では読み書きできず、「ふかざわよう一」に一票入れる有権者たちだと、日本の民度の低さに呆れ、かつ民主主義という制度に悲観的になりつつある今日この頃である。

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花とそのお友達

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 大学時代の“仲間たち”を見てみると、田舎の人達は、個人的に見ると良い人なんですがね。
 ただ田舎の人達は、皆が集団主義なんですよ。
 個よりも集団を重んじて、自分の意志を殺してでも皆に合わせることに疑問を持たない。
 そして“皆と違う人”、個という存在を許さずに潰そうとする。
 それは北国出身だろうが、九州の人だろうが、日本全国みな同じです。

 それに比べて、首都圏の都会で生まれ育った人達はとてもスマートでした。
 自分と趣味や考えの違う人でも、顔見知りに会えば笑顔で挨拶をする。
 そして一緒に遊びに行ったりしてベタベタするのではなく、ちょっと立ち話したら去って行く。
 良くも悪くもドライなんですよ、都会の人達は。

 田舎の人には優しい良い人が少なくないけれど、その代わりウェットな濃い付き合いが求められ、個よりも全体が上で、常に一緒にいて皆と合わせることを求められる。
 都会の人は愛想は良いが付き合いは「広く浅く」ドライで、腹を割って話せ心から頼れる相手を見つけるのがちょっと難しい。
 東京の大学時代で、その事を学びました。

 で、その東京で過ごした四年間で、生まれも育ちも都会の人と、田舎で生まれ育った人の、両方の良い点と悪い点を見比べて気付いたのが、「私が育った県の人達って、意外に良いじゃん」ということでした。
 中高校生時代に「嫌だな」と思った、住んでいた県の人達のマイナス点は、田舎の県の人達ならどこも同じでした。
 それどころか、より田舎の県の人はもっと全体主義的で、「個を殺して全体に合わせろ!」という価値観でしたね。
 子供の頃に私が嫌だった「他の皆に合わせろ」みたいな色彩は、実際に接してみると他の県の人達の方がもっと強かったです。

 親の都合で東京を離れて某県に住むことになり、それがずっと不満でした。
 だから東京の大学に進学した時には、寂しくなど少しもなかったですね。
「上京した」というのではなく、「里帰りした」という感覚でいましたし。
 けれど東京で都会で生まれ育った人達と、田舎で生まれ育った人達をいろいろ見比べて、自分が育った県が好きになれました。
 だから大学を卒業した後、経済的な事情もありましたが、そう悩まずに育った県に戻れました。

 私は生まれは都区内ですが、幼いうちに東京を離れたので都会育ちではありません。
 そして引っ越した先の県にも馴染めず、「故郷と思える土地が無い」という状態でいますが。
 けれど四年間ですが大学生活を都区内で送れて良かったです。
 田舎と都会の両方の良さと悪さを、しっかり見られるようになりましたから。
 というわけで、大学を卒業してからずっと、東京の隣の隣の、新幹線や高速道路を使えば東京に行くこともさほど困難ではない県に、大した不満も無く住み続けています。


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花壇の花

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 私の大学時代の遊び仲間のグループが割れた直接の原因は、麻雀でした。
 私の大学時代の遊び仲間のリーダー格は、二浪していた遊び人の高知県人でしたが。
 彼が麻雀をやりたがって、皆を誘ったんです。
 で、それに乗った人達と、乗らなかった人達とで仲間が自然に割れたんです。
 正確に言えば、麻雀をしなかった人達が仲間から「外された」んです。
 ええ、私もその外された一人です。

 麻雀は、やれば面白いだろうとわかっていました。
 ただ嫌なのは、「麻雀の人間関係」でした。
 何しろ麻雀は、四人いなければ出来ませんから。
 もし麻雀の仲間に入ってしまえば、「お前が来ないと困る」と、いつも誘われることになりますよね。
 で、最初は「親が一回りするまでで良いから」とか言うのですが、実際に行ってしまえば、途中で抜けることなど出来ずにズルズルと……。

 私には、学業の他にもやりたい事がありましたからね。
 何しろ私は写真に熱を上げていて、バイトして写真を撮る為の資金を稼いでは、写真を撮りに行き、撮り溜めたら雑誌社に持ち込みしたりと、忙しかったんですよ。
 ダラダラ麻雀などして時間を潰している暇など無かったのです。
 それで麻雀には加わらずにいたら、気が付いたら仲間から外されていましたとさwwww。

 写真を頑張っていたからと言って、仲間に対する付き合いをおろそかにしていたつもりは無いです。
 仲間が何かで悩んでいたら、親身に相談に乗っていたし、自分なりに友達は大切にしていました。
 ただ、ズルズル、だらだら群れている時間を「無駄だ」と思い、さっさとバイトに行き、写真を撮っていただけの話です。
 けれど他の人達にとっては、そのズルズル、だらだら一緒にいて無駄話をしながら麻雀を打っている時間が大切だったんです。

 で、その「ズルズル、だらだら一緒にいて無駄話をしながら麻雀を打」つことで仲間でい続けた人達は、揃って田舎から出て来た“良い人”ばかりでした。
 気が付くと私のように仲間から外されていた、麻雀に加わらなかった人達は、皆が首都圏から自宅通学していた都会育ちの人達でした。



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太陽ひとつ

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 上京した私が、大人しくて優しい田舎から来た人達に、なぜ違和感を抱いたのか。
 学生の仲間で、例えば皆で食事に行くとしますよね。
 するとリーダー格の者が言うんです、「みんな、定食で良いよな?」とか。
 そして田舎から人達は、躊躇い無く頷くんです。
 そこで私は思ったんです、「あれ?」と。

 別にリーダーの奢りという訳ではないんです。
 割り勘で、食べた分の料金はそれぞれが出すのに、なぜ食べるものまでリーダーに合わせなきゃならないんでしょうかね?
 相手の奢りだったら、何を注文されても、アレルギーでもない限り文句など言いませんよ。
 でも料金は自分で出すのに、なぜ食べるものまでリーダーの言われた通りにしなければならないんでしょうか?
 もちろん私も、皆が定食を食べている時に、自腹で払うのだからとステーキとか注文するほど空気が読めないわけではないです。
 ただ自分で払うなら、同価格帯で好きなものを食べたい、それだけの話です。
 間違っていますでしょうか?

 けれど私の大学の仲間達は違っていました。
 払うのは割り勘で、でも食べるのはリーダーが選んだものを皆で一緒に……なんです。
 田舎出身の人達は、それに何も疑問を持っていませんでした。
 と言うよりむしろ、「皆で同じものを食べることで仲間意識を高める」のであって、違うものを注文して食べるのは「和を乱す、いけない事」という感覚なんです。

 払いは割り勘で、でも食べるものはリーダーが決めた同じものを皆で一緒に。
 貴方はこれを、「あり」と思いますか、「なし」だと思いますか?



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見上げた空

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 進学した先の大学のキャンパスは都区内の山手線内にありましたが、生徒の大半は私と同じように地方から上京してきた人達で、都内や千葉とか埼玉とかの首都圏から自宅通学している人達は、学生の二割くらいでしたかね。
 意外に多かったんですよ、地方の県の、それも郡部の町や村から上京している人達が。
 で、地方から出てきている人でも、より田舎から来ている人の方が優しい。

「田舎の人はみな良い人」というのは、愚かな思い込みだとわかっています。
 けれど私と同じ学科に、田舎の人で個人的に悪い嫌な人、まず居ませんでしたね。
 田舎の町や村から出て来た人達は、みなおっとりしていて優しかったです。

 けれど長く一緒にいるうちに、「あれ?」と違和感を抱くようになりました。
 田舎の人達は、個人的には大人しくて優しいんです。
 けれど集団になると、人が変わるんですね。
 ズバリ言うと、田舎の人は“個”が無くて全体主義なんですよ。
「個人を捨てて全体に従え、自己主張は悪で皆に合わせろ」という傾向、田舎の人にはとても強いです。
 それは「私の知る限り」であって、田舎の人がみな全体主義だと言うつもりはありませんけれどね。


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青空に雲と太陽

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 私の生まれは東京都区内ですが、「生粋の江戸っ子」というわけではありません。
 何しろ両親ともが、さる県の○○郡といった田舎から上京した者だから、元を辿れば田舎者ですヨ。

 父は田舎の商家の次男で、若い頃から商売をしたい人でした。
 そしてギャンブラーでもありました。
 ただ次男だから家業を継ぐことは出来ず、それで上京して企業を試みました。
 で、同じように田舎から上京して教師をしていた母と出会って結婚し、私を含む子供も産まれたわけですが、いろいろ試みた企業が失敗し、借金も抱えて逃げるように今の私が住んでいる県に都落ちしてきたのでアリマス。

 私はその今いる県に、なかなか馴染めませんでした。
 体が小さい上に病弱で体力も無く、さらに土地の方言を使わないからとイジメられた事もあって、私は今いる県がとても嫌いでした。
 だから中二病の傾向が特に強かった中高校生の頃の私は、「オレは東京生まれだ、△△県民じゃねえ!」という意識を強く持ち、「進学して早くこの県を出たい」と常に思い続けていましたね。
 まさに吉幾三の、「オラこんな村いやだー、オラこんな村いやだー、東京に出るだ~」という心境ですね。

 で、進学を機に東京に出てみましたが、大学の同級生の大半は他県の田舎から出てきた人ばかりで、結局は東京でも田舎の人達とばかり付き合う羽目になりましたとさwwww。

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スーパードライをどう飲むか?

 筆者はウイスキーや日本酒だけでなくビールも好きだから、ビールの飲み方と注ぎ方にも少しだけこだわる。
 ビールは缶から直に飲むのではなく、必ずグラスに注いで飲みたいし、そのグラスも直線的なジョッキやコップではなく、香りを感じやすい曲線的なチューリップ型のものを使用している。
 また、注ぎ方も普通にグラスを傾けてそのまま一度に注ぐのではなく、時間を少しかけ三度に分けて注ぐ“三度注ぎ”にこだわっている。
 その三度注ぎも、爽快感を重視する「最初は高い位置から注ぎ、後は低い位置から流し込むように注ぐ」というやり方と、味を重視する「三度とも高い位置から泡を立てて注ぐ」というやり方があるが、筆者は後者の三度注ぎを好んでいる。

スーパードライP1100332

 だが日本人には、グラスを使わず、ビールを缶から直に飲む人が少なくない。
 特にスーパードライを好む人にその種の人が多いように思うが、プレモルも缶から直に飲む人がいる。
 聞くところによれば、スーパードライは缶から飲むように、味だけでなく缶の注ぎ口も設計しているという。
 実際、テレビのCMでも、スーパードライは缶から直に飲んでいる記憶がある。
 だからスーパードライは、缶から直に飲むものなのだろう。
 しかしプレモルは少なくともテレビCMではグラスで飲んでいたし、グラスに注いで飲まなければ香りが生きないから勿体ないと思う。

 ビールを缶から直に飲むということは、「香りを楽しまずに無視している」という事だ。
 あと、「苦味を抑える泡の効果も無視している」という事でもある。
 同じビールでも、缶から直に飲むのと、グラスに注いで飲むのでは、間違いなく味が違う。
 またグラスに注いで飲むにしても、グラスの形や注ぎ方によっても、味がまた変わる。
 だからその飲み方の違いを無視してビールの味を論じても意味は無い。

 で、筆者はチューリップ型の香りを感じやすいグラスに、三度注ぎで飲むのを常としているが。
 それで今回、ビールを名乗る国産のものの中で筆者が最も「美味しくナイ」と思っているスーパードライを、キンキンに冷やして缶から直に飲むのと、グラスに三度注ぎして飲むのでは、どれだけ味が変わるかをあえて試してみた。
 ちなみにビールの本場の一つであるドイツの規定では、米やコーンやスターチといった糖質副原料をあれこれ使った「味より喉越し!」のスーパードライは、ビールとは認められない。

 まずはスーパードライを冷蔵庫の冷気の吹き出し口の直前に置いて、キンキンに冷やしておく。
 そして体を動かして軽く汗ばんだ状態で帰宅した直後の、喉が渇き体も熱い時に、缶のまま一気に飲んでみた。
 シャープな印象で、確かに爽快である。
 爽快ではあるが、味覚的に「美味しい」とは思えず、喉の渇きが癒えるとすぐに飲み飽きる。
 喉の渇きが癒えても更に飲みたい味ではない。
 存在するのはただシャープな爽快感だけで、じっくり味わいたい旨味がまるで無い。

 翌日、食後の喉も渇いていないゆったりとした時間に、例の三度注ぎでグラスで飲んでみた。
 ドライさが売りのスーパードライであるが、そうすると缶から直にイッキ飲みした時には感じられなかった、ビミョーな麦の甘味が僅かに出て来る。
 しかしコクや旨味は無いので、「不味くはないが、美味しくない」という評価に困る味になった。

 やはりスーパードライは、喉が渇いている時限定で、キンキンに冷やしたものを缶から直に一気飲に飲み干すべきものだ。
 135mlなり250mlなり350mlなり500mlなり、その時の自分が一気に飲み干せる量の缶を買い、よく冷やして缶から直に飲むのが、スーパードライを“美味しく”飲む方法だ。
 このスーパードライというビール、一気に飲み干さずに味わって飲むと、本当に美味しくない
 喉の渇きが癒えた後も、何倍もこのビールを飲み続けている人を、ある意味で“尊敬”する。
 筆者にとってスーパードライを喉の乾きが癒えた後も飲み続けるのは、我慢会のようなものだ。

 日本で大人気のスーパードライを再び検証してみたが、喉が渇いている時限定で、キンキンに冷えたものを缶から直に飲む場合に限って爽快感があり、味覚ではなく喉越しで「美味しい」と感じる。
 喉が渇いた時に限った、味ではなく喉越しの良さのみの“ビール”だ。
 このビールは、体を動かし喉が渇いて体も熱い時や、出来たての熱い唐揚げなどを流し込む時のみにガブ飲みして初めて「美味しい」と思える。
 それ以外の時には、全く駄目で不味い。
 これに新ジャンル酒ではなく“ビール”と同じお金を出すのは、実にモッタイナイ。
 筆者など、「喉の渇きを癒したり、料理を流し込んだりするなら、新ジャンル酒で充分じゃないか」と思ってしまう。
 実際、新ジャンル酒の中にはスーパードライより「美味しい」と感じるものもあるくらいだ。

 繰り返す。
 喉の渇きを癒したり、料理を流し込んだりする用途になら「飲める」が、スーパードライにあるのはただ喉越しの爽快感だけだ。
 決して味覚的に美味しいわけではなく、上記の用途で喉越しで飲むなら新ジャンル酒で充分だ。
 これに麦芽とホップだけで造った本物のビールであるキリン一番搾りと同じお金を出すのは、あまりにも勿体ない。

 悪いことは言わない。
 スーパードライを「美味しい」と思って飲んでいる貴方は、新ジャンル酒でもっとマシな製品を探してみた方が良い。
 今の新ジャンル酒には良く出来たものもあるし、その方が貴方のお財布に優しい。
 筆者の感覚ではスーパードライは本物のビールではなく、良く出来た新ジャンル酒か、せいぜい発泡酒レベルの製品だ。
 それがこの国ではよく売れ、ビールと同じお金が取れるのだから、アサヒビールは笑いが止まらないだろう。

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