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空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

ヱビス吟醸

 筆者は国産大手メーカーのビールなら、ヱビスが好きである。
 それから経験的に、「限定醸造品にハズレ無しで、むしろ通年販売品より美味しいものが殆ど」と思っている。
 で、ヱビスの限定醸造品、ヱビス吟醸を買って、他のヱビスと飲み比べてみた。

サッポロ・エビスP1110412

 通年販売品のヱビスは甘く苦くコクがあり、力強く味わい深く後味も良く、しかも香り高い良いビールである。
 キリンの一番搾りも、ヱビスと同様に麦芽とホップだけで造っていて良い出来だが、比べてしまうと出来の違いは明らかで、ヱビスの方が間違いなく美味しい。
 ヱビスは麦芽の甘味と旨味、ホップの心地良い苦味と香味が利いていて、とても良いビールである。
 いつも売られている通年販売品も、とても魅力的だ。

サッポロ・エビス華みやびP1130734

 ヱビスの中で筆者が最も気に入っているのは、ヱビス華みやびだ。
 まず、味も香りも実にフルーティーである!
 飲むと甘くフルーティーで、ホップは苦味ではなく爽やかな香味として利いていて、「ビールは苦い」という偏見を持っている人、特に女性に是非飲んでほしく思う。
 軽やかでスッと飲めるのに、コクと味わいが充分にある。
 これは良い、大好きだ!

サッポロ・ヱビス吟醸①P1190485サッポロ・ヱビス吟醸②P1190486

 さて、いよいよヱビス吟醸だ。
 香りは控えめだが上品である。
 色も淡く明るい金色だ。
 そして味もとても上品である。
 軽やかで、甘くほのかに苦く、後味サッパリ!
 ただ、じっくりゆっくり味わって飲むと、少し物足りなさを感じる。
 喉越しで、ゴクゴク飲み干せてしまうくらい軽い味なのだ。
 このヱビス吟醸、良いビールだし、どんな料理にも合いそうだ。
 薄いのではなく軽やかで、味がありつつ癖が無く、良い意味でも悪い意味でも自己主張をしない。
 通年販売品のヱビスとは対極と言っても良い軽やかさが特徴だ。
 軽やかと言っても、ヱビス華みやびのようにフルーティーでもないし、コクや味わいもヱビス華みやびより明らかに弱い。
 それだけに、飲み方が意外に難しい。
 上品で良いビールなのに、上質なビールなのに、品が良くおとなし過ぎて、うっかりすると喉越しでゴクゴク飲み干して「何だ、大したこと無いじゃん」と思ってしまいそうだ。
 メーカーによると「日本の繊細さを体現したヱビス」だそうだが、この種のビールを好む人には、むしろ同じヱビスの華みやびの方が良い。
 端的に言えば、上品だがおとなし過ぎる。
 通年販売品のヱビスやヱビス華みやびの方が個性がはっきりしているし、「これは良い、大好きだ!」と惚れ込む人がいると思う。
 通年販売品のヱビスとヱビス華みやびという、個性と好き嫌いがハッキリした二種類のヱビスの間に埋没してしまいそうなおとなしさだ。
 そのせいで、喉の渇きを癒す為や、料理を流し込む為に軽くゴクゴク飲み干されてしまい、「悪くないけど、他のもっと安いもので充分だし、割高だよね」と思われてしまいそうである。
 そんな残念さがある、良いビールである。
 あえて言えば、夏の暑い時期にゴクゴク飲むべきビールか。

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中選挙区制の復活を!(目に余る小選挙区制の弊害)

 昭和の時代はもちろん、時代が平成に変わっても筆者は安心して自民党の候補者に己の票を投じることが出来ていた。
 少なくとも、二十世紀のうちは。
 だが今世紀に入ってからは違う。
 二十一世紀に入り小泉政権が誕生してから、筆者はただの一度も自民党の候補者に票を入れたことが無い。
 筆者が「支持持政党を自民党から変えた」のではない。
「政権に対する批判票として」野党の候補者に入れ続けているのである。

 小選挙区制の導入を、筆者は戦後日本の政治の最大に近い失敗と考えている。
 何故なら小選挙区になって、「当選させたい、票を積極的に入れたい候補者」が激減したからだ。

 選挙区に自民党(保守系)の議員が複数いた中選挙区制の時代には、迷わず積極的に投票できた。
 何故なら昔の自民党には、戦前の大日本帝国が好きでA級戦犯が神として祀られている靖国神社にも積極的に参拝したいガチな右翼から、保守ながらリベラルに近く穏健な議員まで、いろいろいた
 そしてその時の首相と考えの違う人も、“抵抗勢力”として排除されることなく派閥の力で自民党公認の候補者として立候補でき、地元民の支持さえあれば当選できた
 だから中選挙区制の時代には、派閥という党内の“党”があったので、野党など要らなかったのだ。
 まあ、ガチな左翼の人だけは別だろうが、右から中道までの人にとっては自民党だけで充分で、野党など要らなかったのだ。

 世間では、「派閥=悪」ととられている。
 事実、派閥を通じてカネも流れていたが、自民党の派閥はただカネだけで繋がっているのではない
 ガチな右派からリベラルに近い保守左派まで、政治思想や政治手法の違いがはっきりあった。
 派閥はカネで繋がるより先に、まず政治思想の差で繋がっていたのだ。
 世間に批判された派閥のカネは、選挙で勝って、自分たちと同じ政策グループのボスを首相に押し上げる為に必要だったに過ぎない。

 中選挙区制で自民党の派閥が強かった時代には、各選挙区で複数の自民党の候補者が当選でき、議員となれた。
 そして派閥同士で政策を話し合い協議して、多数派となった集団のリーダーが自民党の総裁となり、首相になる。
 だから時の首相と考えの違う議員も当選でき、存在できたのだ。
 そして時の首相が政策に行き詰まり支持を失えば、違う考えの派閥の長が代わって次の首相になる。
 要するに中選挙区制の時代は、自民党の中にも“与党”と“野党”があり、自民党内で“政権交代”していたのだ。

 ガチな右翼からリベラルに近い穏健派まで、いろいろな保守系の人が集まり、議論を戦わせつつ、最終的には妥協し合い意見をすり合わせて政権を運営していたのが、かつての自民党だった。
 で、有権者も今の筆者のように「保守だが今の首相は気に入らない」という人は、現首相とは違う考えの反主流の派閥の自民党の候補者に投票すれば良いだけの話だった。

 派閥があった時代の自民党は、権力闘争もしたがよく話し合った。
 党内の違う考えの人の意見も無視できない、あるいは無視しなかった。
 例えば自他共に認める“右”で熱心な改憲論者だった中曽根元首相は、政権運営の右腕となる官房長官に、反戦主義者で党内では“左”の切れ者の後藤田正晴氏を起用した
 その事について、中曽根元首相自身がこう語っている。
「自分が“右”だから、あえて“左”の後藤田君を起用してバランスを取ったのだ」

 己が正しいと思い込まず、自分の立ち位置は客観的によく理解していて。
 そして考えの違う他者を排除せずに、仲間に入れその意見を聞く。
 そんな度量が昔の自民党、それも“右”の派閥のボスにもあった。

 だから時の首相の考えが気に食わなくても、保守中道の有権者は安心して自民党に投票できた。
 今の首相が気に入らなくても、かつての自民党は少なくとも違う考えの人を排除しなかったし、いつか別の首相に変わった。
 ゆえに安心して自民党に政治を任せることができた。

 それをブチ壊したのが小選挙区制と、小選挙区制を徹底的に悪用した小泉元首相だ。
 小泉純一郎という男は、小選挙区の導入が論議された初期には大反対した。
 当選するのは小選挙区制では一人だから、当然、自民党も候補者を一人に絞らなければならなくなる。
 だから小泉純一郎はこう言った、「首相と違う考えの者は排除され、立候補もできなくなる。これは恐ろしい制度ですよ」と。
 ところが小泉純一郎という男、己が首相の座に就くと、自分と意見の違う者は“抵抗勢力”として自民党から追い出し、徹底的に排除した。
 こんな男を、日本人の八割を越える、ものをよく考える頭を持たぬ者どもが支持をした。

 で、その「自民党をブッ壊す!」と叫んで国民の喝采を浴びた小泉純一郎は、自民党の他の派閥をブッ壊して、少数派だった己の派閥である清和会を、党内で最強で最大の派閥に育て上げた
 まさに「小泉一強の、考えの違う者は排除して異論は聞かぬ小泉自民党」であった。
 そして今の自民党も、側近は“お仲間”で固めた安倍一強である。

 小泉政権以来、首相に賛同しない人は自民党から立候補すら出来なくなった。
 無所属で、誰の支援も受けずに一人で与党と戦わねばならない。
 今の安倍政権も同じだ。

 首相に異を唱える議員は、自民党からは立てない。
 だから有権者も、現首相のやり方が気に入らなければ、野党に勝たせるしかないではないか。
 小泉政権や安倍政権に力を持たせたのも、そして安倍首相やそのお仲間がしつこく「悪夢のような」と言い続ける民主党政権を誕生させたのも、この小選挙区制だ。
 日本が小選挙区制でなければ、小泉一強や安倍一強の政治だけでなく、ネトウヨが蛇蝎のように憎む民主党政権の誕生も無かった筈だ。

 最近あった、ある衆議院議員の補選について語ろう。
 初めは独自候補を立てていた共産党も妥協し、自民党対オール野党の与野党対立となった。
 野党の統一候補は、東京からやって来た都議であった。
 政治家としては東京を活躍の場としていたので、落下傘候補との印象を与えたが、ただ出身地は地元である。
 対する自民党の候補者は、地元で市議から県議となり、さらに国政選挙に乗り出した男である。
 顔は良いし、プロフィールにもわざわざ身長185cmと書くだけあって、長身のイケメンである。
 そしてプロフィールに「スポーツが好きで、利き手は右、利き足も右」とあえて書くだけあり、言うことは「スポーツ、スポーツ、スポーツ!」の、いわゆる“脳筋”である。
 このイケメンの与党候補者は、髪も今風に両脇を刈り上げて、いかにもチャラ男という印象である。

 で、「脳筋チャラ男vs東京帰りの地味男」の国政選挙だが、自民党の脳筋チャラ男候補が大差をつけて勝利した。
 それについて安倍官邸は「政権が評価された!」と自画自賛したが、地元の声は違う。
 地元の代表的な声は「安倍政権に不満はあるが、Fさん(チャラ男)は地元の人だから」である。

 おわかりだろうか。
 中選挙区制だった昔は、現首相に不満のある保守中道の人は、首相に批判的な自民党の候補者を選ぶことが出来た。
 だが自民党公認で立候補する権利を、首相とそのお仲間が一手に握っている今は違う。
 与党で立候補したければ首相に従うしかなく、有権者も首相と考えの違う保守系の候補者を選べない。
 だから「首相は気に入らないが、野党に票を入れるのも嫌だ」という人は、嫌々自民党の候補者に票を入れるしかない
 そして当選した自民党の議員は、抵抗勢力と睨まれ排除されることを恐れて、首相の言うがままに行動する

 昔の自民党は懐がもっと深かったし、排除の論理など無く、いろんな考えの候補者(議員)がいた。

 しかし今の自民党の候補者は「ハイル、アベ!」と叫ぶかのような、首相の意を忖度する奴らばかりだ。
 そんな候補者が嫌であれば、批判票として野党に票を投ずるしかない。
 自民党の候補者から多様性が無くなり、何と自民党の“器”が小さくなったことかと、つくづく思う。
 近頃、自民党で“魔の二回生議員”という言葉が聞かれるが。
 不倫などの下らない不祥事を起こすような、主に自民党の愚かな議員が増えたのも、「首相とそのお仲間から自民党公認のお墨付きさえいただければ勝てる」という小選挙区のせいではないか。

 かつての中選挙区制の時代には、自民党も野党も同じ選挙区に複数の候補者を立てた。
 だから自民党の支持者も野党の支持者も、どの人がより良いかをじっくり選ぶことが出来たし、支持や応援も積極的に出来た。
 だが小選挙区の今は、特に自民党の支持者は自分の意志で候補者を選べない
 首相が選んだその人に、ただ「自民党の人だから」と選択肢なしに自動的に票を入れるしかない。

 日本がまだ中選挙区だった頃に、選挙権を得た者としては。
 小選挙区になり、自民党の派閥が弱くなり首相が党内で異を唱える者を“抵抗勢力”として排除し、お仲間や追従する輩ばかり候補者に選ぶように変わり、「有権者の選択肢がひどく狭まっただけでなく、候補者の質が目に見えて落ちた」と、心から嘆かわしく思う。

 以前にも記事に書いたが、一票の格差を是正するにも、中選挙区制は便利だ。
 小選挙区制では、一票の格差の是正をするには選挙区の見直しが絶対に必要だ。
 選挙区を変えられ、縁のあったA議員と切り離され、見ず知らずのB議員を応援しなればならなくなる。
 端的に言えば「党>>>越えられない壁>>>候補者の人柄や能力や思想信条」というのが、小選挙区である。
 しかし中選挙区制なら、選挙区をいじらずとも、ただ定数を変えるだけで一票の格差を是正できる
 さらに自民党も野党も同じ選挙区に複数の候補者を立てられるのだから、有権者の選択肢も大きく広がる
「自民党だが現首相には批判的」という候補も、選択肢に加えられる。
 もちろん野党の支持者も、中道の候補者からガチの左翼の候補者まで、いろいろ選べる。
 今のところ悪いところばかり目立つ小選挙区制にこだわり、良いことばかりの中選挙区制に戻さないでいる理由が、筆者には全く理解できない

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白い雲、浮かぶ

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 でも恋人や夫婦でも難しいですよ、「価値観のすり合わせ」って。

 こんな話をネットで見ました。
 ある女の人が、まあ断捨離に近い人で、「要らない」と思ったらどんどん捨ててしまう。
 その人のお母さんというのが断捨離の人で、娘のモノもどんどん捨ててしまう。
 それでその人(娘)も幼い頃には泣いたりしたのだけれど、モノを捨てられた部屋が「綺麗に整頓されている」と父親にも褒められたものだから、モノに愛着を持たない、「使わなければ捨てる=善」という価値観に育ってしまったんですね。
 で、その女の人も成長し、一人暮らしを始め彼氏も出来ました。
 問題はそこからです。

 彼女はモノに愛着を持たない人ですから、彼氏が「記念にペアで」と買ったモノも、「使わないし、要らないから」と自分の分を捨ててしまう。
 彼氏からの誕生日やクリスマスのプレゼントすら、「要るものでない」と判断すれば捨てマス。
 彼氏のモノは捨てないのだけれど、彼氏から貰ったモノは平気で捨てるんですね。
 当然、彼氏との関係はギクシャクします。
 それでネットで「あたしの考えは、おかしいのでしょうか?」と相談……と。

 私が以前交際した彼女にも、それに近い女の人がいました。
 その彼女の部屋もいつも整然としていて、要らないモノは捨てる人でした。
 で、その彼女は芸術系の人で、写真も一眼レフのカメラで撮っていたんですね。
 だから私、その彼女にある時、メーカーの直営ショップでしか売っていない、特注のカメラケースを買ってプレゼントしたんです。

 で、しばらく時が経ち、彼女がカメラを買い換えることになりました。
 それでそのカメラを私に「譲ってあげる」と言い出しました。
 そこまではいいんです。
 その譲る為に持って来られた彼女のカメラを見て、私は言葉がありませんでした。
 彼女は私がプレゼントした特注のレアなケースもカメラに付けて、「要らないから、これもあげるわ」と。
 自分なりにあれこれ考えたプレゼントを突き返されて、正直、傷つきましたね。

 要らないと思ったモノはすぐ処分する人は、人間関係を良く保ちたければ、人の感情にも気を付けた方が良いですよ。
 自分が買ったモノを捨てるについては、遠慮は要りません。
 けれど人から貰ったモノの処分については、やはり気を使った方が良いです。

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雲、そして空

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 夫婦間や家族間でも揉めますよね、断捨離は。
 特に多いのが、「断捨離とは言わないけれど何でも整理整頓したい妻が、夫の趣味のモノに文句を言い、果ては勝手に捨ててしまう」というケースです。

 ルールを作れば良いんですよ、「趣味のモノを置くのは自分の部屋(テリトリー)だけにして、そこからはみ出して家族共有の空間に放置されたモノは処分されても文句を言わない」とか。
 要らないと自分が思うモノを捨てたい人は、自分のモノと共有の空間についてだけその主義を通し、例え家族であっても他の人の部屋とモノについては手も口も出さない。
 そんな簡単なことが、何故できないんでしょうかねぇ、断捨離教の信者たちには。
 でも多いですよ、夫や子供まで何でも自分の思う通りにさせたい妻って。

 自分が「要らない」と思った他の人のモノを勝手に捨てる妻、自分の主義を他の人にまで押し付ける妻は、私としては本当に「要らない」です。
 こんな私ですから、今もまだ独身ですが、「独身で上等!」ですよ。


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空を撮るとつい画面に太陽を入れたくなります

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 それにしても、何でしょうね他人にやたらと断捨離を強要する人達は。
 私の部屋は、確かにモノに溢れています。
 でもどれも大切なモノで、捨てる気は全く無いです。
 なのに煩いんですよ、断捨離が好きな人達は。

 いや、別に良いんですよ、断捨離が好きな人が居ても。
 構わないのですよ、自分のモノを自分で処分するのは。
 でも断捨離が好きな人は、まず周囲の人達にも断捨離を強要しますよね。
 私もそれで、とても迷惑しました。

 私の家が私の趣味のモノや本で溢れていると聞いた断捨離好きなある人は、ただ「終活も考えて、処分すべきモノは捨てた方が良いよ」と言ってくるだけでなく、「自分が行って、バンバン捨ててあげるよ」とまで言い出す始末で。
 それを断ったことから、「せっかくの親切を!」、「いや余計なお世話だ!」と喧嘩になり、その方とはお付き合いを絶つことになりました。

 断捨離を断っただけで、私、その人に“ゴミ屋敷の住人”扱いされて罵られましたよ。
 断捨離にハマった人って、そのくらい極端なんです。

 断捨離が好きな人は、本当に理解に苦しみます。
 ただ自分のテリトリーだけ好きなだけ綺麗サッパリ捨てていれば良いのに、何で「断捨離、モノを捨てるのは善!」と信じて、他人のモノまで捨てようとするんですかね?

 まあ、「断捨離をする人は全てそう」ではないのでしょうが。
 少なくとも私、他人に口を出さない、断捨離を他人にも強要して来ない“断捨離が好きな人”を知りません。
 断捨離はもはや宗教、断捨離にハマった人はその狂信者と同じですね。
 私の隣の家の人が某学会の熱心な信者で、おかげでいろいろ迷惑させられたから、「断捨離は宗教だ」とよくわかります。

 自分のモノをどんどん処分して、モノの少ない生活を送るのは、個人の自由です。
 けれど他人にまでそれを強要し、家族を含めた他の人のモノまで捨てるに至ったら、それはもう迷惑以外の何ものでもありません。

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青い紙に刷毛で白の絵の具を塗ったら、このように描けますでしょうか?

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 それにしても、今は便利な時代になりました。
 以前は、趣味のモノを手に入れるには、まず東京に行かなければなりませんでした。
 専門書にしても、クラシック・カメラにしても、ミリタリー関係の品にしても、お店はまず大都市にしかありませんから。

 例えば本にしても、我が県では専門書を手に入れようと思ってもまず本屋には置いてなく、たいてい取り寄せになってしまいます。
 そして古本屋も、ブックオフくらいですから、売れ筋のコミックスはともかく、珍しいものはまず見つかりません。

 けれど今は、ネットがありますから。
 まずはアマゾン、そして楽天、さらにヤフオクなどネットオークションも利用すれば、珍しいモノが幾らでも手に入ります。
 ライカの古いレンズなどのカメラ関係のものはもちろん、軍モノの珍品まで家に居ながら手に入れられます。

 何年も前に生産中止になったバイクの、メーカーにも既に在庫の無いパーツ。
 青森県直送の、ブナの苗木。
 第二次世界大戦のロシア軍の、サブマシンガンの弾倉ケースのデッドストック品。
 ロシアで発見された、銃弾の貫通した跡のあるナチスドイツ軍の水筒。
 こんなモノまで、ネットで手に入れてしまいました。
 以前は高速バスで東京に行き、一日がかりであちこちの専門店を巡ってようやく手に入れたモノが、今は家に居ながら手に入れられてしまうのだから凄いです。

 ですけれど。
 全国各地にある珍品が買えてしまうのだから、ネットでのショッピングは怖いです。
 以前は東京の専門店でも見つからなかったモノが、ネットでは見つかるんです。
 居間のパソコンで全国のショップやオークションと繋がっていて、何でも見つかるし、何でも買えてしまうんですよね、今は。
 ただ「お金さえあれば」ですが。

 おかげさまで私、貯金が激減りですヨ。
 実際、ネットで検索しオークションにまで手を出してモノを買うようになって、貯金が1/5ほど減りました。
 まあ「貯金が1/5に減った」のではなく、「減ったのが1/5」なので、今、歯止めをかければ、まだ救いはあるかも知れません。
 それでも老後を考えれば増やさなければならない貯金が、逆に減っているんですよ。
 ネットでのショッピング、ヤバいです、マジで。

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雲、湧き上がる

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 どこにでもある一戸建ての家に、元は家族四人で住んでいましたが。
 まず父が亡くなり、姉が嫁ぎ、今は母と私が二人で暮らしています。
 4DKだから、二人で暮らすには広すぎるくらいなんですが、実感としては「狭い」んです。

 悪いのは、すべて私です。
 何しろ物を捨てられない性格に加えて、多趣味で、趣味のモノを買っては溜め込む悪癖がありまして。

 酷いですよ。
 まず自分の部屋は、ベッド以外の場所はほぼ本で埋まりきっています。
 そして嫁いだ姉の部屋は、私のカメラや撮影済みのフィルムやアルバム、それに収集したミリタリー関係のモノの収納部屋になってしまっています。
 その元は姉の部屋でも収まりきれず、私の趣味のモノが一階のDKまで浸食し始めている有り様で。

 私、「東京(と言うか首都圏)に住めたらな」と思うこともあるんです。
 趣味がいろいろある上、博物館や美術館巡りが大好きな私にとって、東京はとても魅力的なんですよ。
 私の住んでいる県は田舎なもので、文化レベルでは首都圏とは段違いなんですよ。

 ただ私が首都圏に住むのは、現実的に無理とよくわかっています。
 何しろ収集した本や趣味のモノが多過ぎますので。
 その貴重な本や趣味のモノたちを処分する気は全く無いし、それらの蔵書や趣味のモノを抱えて引っ越すには、広い家が必要なんです。
 それを考えると、首都圏に引っ越すなど、宝くじにでも当たらなければ無理デス。
 それで首都圏に憧れつつ、田舎の一軒家に趣味のモノや蔵書、それと猫と共に住んでいマス。

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遅れて飲んだ限定醸造ビール二種

 何でもコレクションしたがり、かつ下戸である。
 その筆者の悪い癖で、ついお酒を飲む量以上に買い過ぎてしまうのだ。
 飲めないくせに、「目が飲みたい」とも言える。

 ウイスキーなど、賞味期限のほぼ無いお酒はまだ良い。
 お酒のストックがただ増えて行くだけであるから。
 困るのが、ビールなどの賞味期限があるお酒だ。
 期限内でもなるべく早く飲んだ方が良いのはわかっている。
 だがそれでも、飲むのが買う量に追いつかないのである。
 それでビールなど、賞味期限ギリギリになって飲むことになってしまう。

 今回それで、ようやく飲んだ今年の6月が賞味期限のビールを2種、既にほぼ店頭には無いであろうものを紹介する。
 どちらも2019年に収穫されたホップをふんだんに使用したのがウリのビールである。

キリン・一番搾り取れたてホップ2019年(表)P1180669キリン・一番搾り取れたてホップ2019年(裏)P1180670

 まずはキリンの、とれたてホップ2019年収穫一番搾りだ。
 プルタブを開けてグラスに注ぐと、確かにホップの香味を感じるしっかりとした良い香りが広がる。
 ホップをウリにしているものの、苦味はあまり強くない。
 ほのかに甘く、絹のように滑らかで上品な味だ。
 これは美味しい!
 甘さの中にフルーティーさも感じる。
 そして良質なホップの爽やかなハーブ感も豊かだ。
 こんなに良いビールを喉の渇きを癒す為や、料理を流し込む為にがぶ飲みしてしまっては、あまりにももったいなさ過ぎる。
 これは是非、ゆっくり味わって飲まなければ。
 ホップの香味の為、後味もとてもサッパリして心地良い。
 甘くフルーティーでハーブ感があり爽やかで、コクもあり味わい深く後味も良く、文句ナシの良いビールである。
 満点だ!
 ビールの美味しさを、存分に教えてくれる逸品。
 惜しいのはこれが限定品で、通年販売していないことだ。
 製造は去年の10月で、賞味期限は今年の6月だ。
 もしもどこかにまだ売れ残っていたら、是非とも買って欲しい。
 そして既に無いならば、今年の秋にもホップの収穫後に同等品を必ず造って欲しい。

サントリー・プレモル香るエール2019初摘み(表)P1180667サントリー・プレモル香るエール2019初摘み(裏)P1180668

 次は、サントリーザ・プレミアムモルツ〈香る〉エール初摘み2019だ。
 チェコのザーツ産ホップを空輸で取り寄せて造ったという。
 そのせいか、グラスに注いでいる間にも、ホップのハーブ感溢れる爽やかな香りが辺りに広がる。
 色は明るい金色で泡も白い。
 甘く濃く深い味でほろ苦い。
 ハーブ感溢れる後味が、ものすごく良い!
 キリンのとれたてホップ2019年収穫一番搾りは100点満点と思ったが、こちらはさらに旨味が濃くて、飲んでいて満足感がより高い。
 これは120点だ!!
 エールビールの旨味たっぷりの濃く深い味に、良質なホップの香味が加わっているのだから、もう言うことナシの素晴らしさだ。
 筆者がこれまでに飲んできた中でも屈指の、忘れられない良いビールだ。
 ただでさえ大好きな、サントリーの通年販売品のビールの中で最も好きなプレモル〈香る〉エールを、さらに魅惑的にした逸品である。
 これが限定出荷なのが、心から惜しまれる。
 少し高くても良いから、初摘みで無くて良いから、プレモル〈香る〉エールにこのザーツ産ホップを使用したものもラインナップに加えて通年販売してくれたらと、心から願う。
 これもキリンのとれたてホップ2019年収穫一番搾りと同じで、製造は去年の10月で、賞味期限は今年の6月である。
 どこかに売れ残っていたら、是非買ってほしい。
 これは素晴らしすぎる、ビールの魅力を存分に知らしめた傑作だ。
 三百円以下で買えるビールにこれを越えるものは、本当に数少ないだろう。
 もう褒めるしかない、けなすところの全く無い良いビールだ。

 ビールの発祥の地は、古代メソポタミアとも言うが。
 その古代のメソポタミア人が、こう言い残した。

 嫌なこと、戦争。
 楽しいこと、ビールを飲むこと。


 ザ・プレミアムモルツ〈香る〉エール初摘み2019は、その古代メソポタミア人の言葉に深く頷けてしまう、飲む者を心の底から幸せにしてくれるビールだ。
 筆者はサントリーのウイスキー造りには批判的だが、ビール造りの巧さには敬服するし、賞賛の言葉しか無い。
 特にこのザ・プレミアムモルツ〈香る〉エール初摘み2019については、造り手に敬意を表し讃辞を送りたくなる。
 この秋には、是非ともこの2020年バージョンを造って貰いたい。
 その時には、店に置いてある分をすべて買いたい。

 それにしても、キリンのとれたてホップ2019年収穫一番搾りもサントリーのザ・プレミアムモルツ〈香る〉エール初摘み2019も、なぜ通年販売品と同じ価格でこんなに素晴らしいものを売れるのだろうか。
 もしかしたらメーカーは、利益を度外視して良いものを安く売っているのだろうか。
 だとしたら、個人の好みや例外もあるだろうが、基本的に「限定品のビールは買わなければ損」と言えるかも知れない。
 他の限定品のビールを飲んでも、しばしばそう思う。

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三権分立を無視し司法まで権力下に置こうとする独裁者安倍晋三を支持する愚民たち

 真っ黒も白と言い張る強情な安倍首相も世論と内閣支持率の低下に負け、検察庁法の“改悪”を見送った。
 だが間違えないでほしい。
 安倍首相とそのお仲間は、検察庁法の改悪を「今国会での成立を見送った」のであって、諦めて撤回したのではない。
 まさか「今国会での」という部分を見落とし、「秋の国会での成立を目指す」という点にも気付かず、「見送りか、やれやれ良かった」と安心している愚か者はいないだろうな?

 検察庁法の改悪を、安倍首相はあくまでも「今国会での成立は見送った」のだ。
 森友・加計問題も桜を見る会の問題も「昔のことを、野党はいつまでグダグダ言って政治利用しているの」と平然と言ってはばからない、認知症患者レベルに忘れっぽい日本人が例によって「そんなの昔のことじゃん」と思う頃を待ち、秋の国会での成立を目指すのだそうである。
 だから日本人だが忘れっぽくない筆者は、安倍首相が「今国会での成立を見送る」のではなく「成立自体を断念する」まで、検察庁法改悪の問題を忘れずに怒り続けるつもりでいる
 だから今日も「今国会での成立見送り」で安心せずに、安倍首相が企む検察庁法改悪の問題点についてあえて書く。

 火事場泥棒という言葉がある。
 今、このコロナ禍という国家の火事の最中に、司法を権力者のものに盗もうとしている大悪党がいる。
 その名を、安倍晋三という。
 この国の約四割の人が支持している、憲政史上最長の首相だ。

 三権分立の原則は、中学を卒業した日本人なら誰もが義務教育で習って知っている筈だ。
 だが例の国民の四割に支持され憲政史上最長の総理大臣となった安倍晋三は、何とそれをご存知ないのである。
 まず行政府の長である己を、「立法府の長」と国会で何度も繰り返し明言して。
 さらに今度は長年自民党の政府が言い続けてきた法解釈をねじ曲げてまで、己に近い黒川検事長の定年を延長させただけでなく、それを正当化する為に検察庁法を改悪し、政府(行政)の恣意でお気に入りの検事だけ定年を延長できるようにさせ、司法を己と政治権力に屈服させようとしているのである。
 それもコロナ禍で国民が困窮している、まさにこの時に。

 Eテレの『バリバラ』という番組が、僅か30分の番組内の一部で首相と桜を見る会の疑惑について風刺しただけで、与党である自民党の小野田紀美という参議院議員が、ツイッターでそれをどう罵倒したか。

 電波という国民共有の財産を使用し、税金を投入して運営している放送局が、この非常時にこんなもの作る時間があったら、今困っている国民が利用できる制度や申請の方法を1秒でも多く流すべきでは?
 どの放送局も政権批判したいなら好きなだけすればいい。でも、緊急小口資金とか、雇用調整助成金とか、納税猶予とか、学生が受けられる支援とか、使える制度があってもなかなか難しくて届いてない人達に「政府の説明が悪い! 俺たちが使える制度届けてやる!」とか思わんのか。格安で電波使ってるのに。

 そう、その自民党の小野田議員も言う「今困っている国民の為に」、国会は国民を助ける方策を「1秒でも多く」議論すべきその時に、支持率四割を誇る我らが首相安倍晋三は「この非常時にこんなもの」、急ぐ必要など全く無い今、政府と権力者に都合の良い検察庁法の改悪案を、ゴリ押しに通そうとしているのである。
 しかもコロナ禍で自粛が要請されている今、国民はデモすら出来ず、反対の意志はツイッター等のネットでしか表せない
 この安倍晋三のやり方を、「火事場泥棒」と言わずに、何と言う。

 安倍晋三とそのお仲間が押し通したい検察庁法の改悪、その骨子である検察官の定年延長が何故極悪であるか。
 例の自民党の小野田議員に、税金でなく視聴者のお金で運営されているNHKまで「今困っている国民の為の番組を1秒でも多く流すべき」と叩かれている、小野田議員の言う「非常時」であるこのコロナ禍の最中に、国会で時間を割いて議論されている検察庁法の“改正”案では、検察官の定年をとりあえず一律に63歳から65歳に引き上げることになっているが。
 但しそれには例外がある。
 検事総長の定年は65歳だが、最高検次長検事と高検検事長と検事正らは63歳で役職を退き、一般の検事に戻すというのだ。
 しかもそれは「すべての最高検次長検事と高検検事長と検事正ら」でなく、「内閣が定める事由があると認める時は役職定年を延長し、最長3年間引き続きポストにとどまることができる」のである。
 さらに検事総長についても、「内閣が定める事由があると認める時は、68歳まで最長3年間定年を延長できるできる」のだ。
 おわかりだろうか。
「検事総長だけでなく、最高検次長検事や高検検事長や検事正らも含めた検察の幹部は、内閣のお気に入りの人だけ3年長くポストにとどまれる」のである。

 酷いのは、この定年や役職定年の延長について「内閣が定める事由があると認める時」がどんな場合であるか、具体例が全く示されていない点である。
 政府によれば、検察幹部の定年を延ばされる「内閣が定める事由」については、これから決めるのだそうである。
 定年や役職定年の延長を内閣に任せる法改正案が、与党が圧倒的多数を占める国会で可決された後に。
 つまり「検事総長や最高検次長検事や高検検事長や検事正ら、どの検察幹部の定年を延ばすかは、政府に白紙委任しろ」ということである。

 だから長く務めたい検察の幹部は、当然首相の顔色を見て、これまで必要の無かった忖度をするようになる
 で、内閣と首相に気に入られた検察幹部が長く役職に残り、検察幹部は首相の意を忖度する者ばかりになる
 こんな事は、馬鹿にでもわかる。
 平たく言えば安倍晋三と自民党がコロナ禍のどさくさに押し通そうとしているこの検察官定年延長は、検察幹部を内閣と首相のお気に入りで固めようという法案である。
 これを三権分立を破壊する、司法を首相とそのお仲間の下に置く改悪と言わず、何と言う。

 この問題について安倍晋三は、国会で「検察官も行政官だから、定年延長は三権分立の侵害に全く当たらない」と答弁したが。
 いいか。
 検察官というのは、ただ泥棒や痴漢や人殺しなどを起訴しているだけではないのだ。
 時の首相すら逮捕して起訴することも出来る重責を担っている。
 検察は行政に属する組織ではあるが、たとえ相手が政治権力者(首相やそのお仲間)であっても法と証拠に基づいて正義を実現するのが職責である。
 権力は、その不正を摘発する組織が無ければ必ず腐敗する。
 その「権力の不正を摘発する組織」が検察であり、だから検察の人事は“首相や内閣のヒモつき”であってはならないのだ。
 だから首相に近い者を検事総長に据えるなどもっての他であるが、その布石である黒川検事長の定年延長は実に悪質であり、安倍内閣の「三権すべてを首相のモノに」という独裁体質を見せつけている

 我が国には、過去に逮捕され起訴された元首相がいる。
 そしてそれは、その時の日本で三権分立がちゃんと機能していた証拠だ。
 このまま安倍晋三の企む検察官の定年延長が実現し、検察幹部が「内閣の意を忖度する、首相のお気に入り」で固められたその時、検察は与党政治家を正しく告訴できるだろうか
 検察官もまた行政官であるが、悪事を働けば首相すら逮捕し起訴する検察官の人事を、首相とそのお仲間の思いのままにさせることは、「司法を首相の下に置く、首相独裁への一本道」に他ならない。

 武田良太行政改革担当相は、「複雑困難な事件を明らかにするには時間を要する。担当検察官が途中で定年退職しては業務遂行に重大な障害が生じる」と説明した。
 だが当の法務省は、「検察官が途中退職しても、公務の運営に著しい問題は生じない」と結論づけている。

 また、武田行革担当相は検察幹部の定年延長の目的について、「豊富な知識、技術を持つ職員に最大限活躍してもらい、高度化する課題に対応していく」為と衆院内閣委員会で答弁したが。
 ではその定年や役職定年が延長される「豊富な知識、技術を持つ職員」と、そうでない職員を、誰が判断するのか
 それは「内閣」だから、首相とお仲間に他あるまい。
 そして法律の専門知識も無い“素人”の首相とそのお仲間に、検察官の法律家としての能力の有無を判断できるのか?
 それは政治が専門の首相に、「サッカーのワールドカップで勝てる日本チームの選手を選んでくれ」と求めるようなものだ。
 法律には素人の首相に、どの検事の定年を延長するかを決めさせれば、結局は首相個人の好み、首相の意を忖度する者にしかならないことは明らかである。

 さらに武田行革担当相は、コロナ禍の最中の検事の定年延長の審議について、「非常事態だが、国家は機能していかなければならない」と答弁している
 え? 検察官の定年が延長されないせいで、今、国家は機能していないのか?
 筆者には検察官の定年を延長せずとも、国家も検察も機能しているように見えるが。
 この今、どうしても検事の定年を延長しなければならない、さもないと「国家が機能しない」という意味が、まるでわからない。

 充分に機能していないのは、政府のコロナ対策に他ならない。
 自民党の国会議員は、Eテレの僅かな時間の安倍首相に対する風刺については「この非常時にそんな放送をして! 今は困っている国民が利用できる制度や申請の方法を1秒でも多く流すべきではないか!!」と激怒し、NHKを罵倒する。
 その一方で安倍自民党は、その貴重な時間を長々と使って国会で、不要不急かつ三権分立の侵害でしかない検察官の定年延長について審議を続けている
 これは自民党の政治の怠慢ではなく、安倍晋三の「司法をも支配下に置きたい」という権力欲に満ちた悪質な火事場泥棒である。

 この検察官の定年延長について、松尾邦弘元検事総長ら、少なからぬ元検察幹部が反対を表明している。

 その中には東京高検や大阪高検の元検事長、元法務省官房長も含まれている。
 この検察官のあり方を根底から崩す定年延長に、現場の検察官たちの間では拒否反応が圧倒的に強いという。
 何故なら時の政権に気に入られれば、本来は就けない検察首脳ポストに、例の「内閣が定める事由があると認める時」という特例による定年延長で就ける可能性が出てくるからだ。
 この法“改悪”が国会で通れば、時の内閣が検察幹部の首脳ポストへの道を開いたり閉ざしたり出来るようになるのだ。
 それでどうして、検察官が政権の顔色を伺うことなく、政権の疑惑を捜査できるだろうか。
 この安倍晋三がコロナ禍の最中に押し進める検察の定年延長法案が通れば、検察官は政権の疑惑を一切捜査できなくなる。
 何故なら政権に睨まれれば検察の首脳ポストに就けなくなり、政権に気に入られる者ばかりが定年延長されるのだから。
 司法が“首相の子分”にされようとしている今、国民は「難しいことはわからない」などと言っている場合ではない。

 この問題について、安倍首相とそのお仲間、そしてそれを何としても擁護したい勢力は、「検事総長その他の検察幹部の任命権は内閣と法務大臣にあるのだから、今度の法改正に何ら問題は無い」と言い張る
 違う。
 松尾邦弘元検事総長ら元検察幹部が「検察の人事に政治権力が介入することを正当化する」と批判して、検事総長や検事長らの定年延長を可能にする検察庁法改正案に反対する意見書を、この15日に法務省に提出したが。
 何故元検察トップが、政府提出法案への反対を公言するような極めて異例なことをあえてしたか。
 安倍首相を擁護する人達が言う、法務大臣や内閣に任命権がある検察の人事については「検察の意向を尊重し、政治はそれに介入しない」という慣例があり、そして安倍晋三以外の戦後日本の首相はすべてそれを守ってきたからだ。
 それを踏みにじろうとしている首相は、安倍晋三が最初でただ一人である。
 だから松尾氏は意見書を提出し、東京都内で記者会見もして、「検察庁のあるべき姿に重大な影響を与える懸念がある」と述べたのだ。
「法改正は政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力をそぐことを意図している」という松尾氏の指摘は、心から理解できる事実である。

 検察の人事が政権に握られ、起訴や不起訴の判断に干渉されるようになれば、検察は国民の信託に全く応えられなくなる。
 そもそも今回の法改正の発端である、黒川弘務東京高検検事長の定年延長についての、「検察官にも国家公務員法の定年延長規定が適用される」とした解釈変更も、既にちゃんと検察庁法があるのに、「検察官も国家公務員だから国公法を適用する」というのは無茶苦茶である。
 だからその無理な法解釈の変更を正当化する為に、検察庁法まで変えてしまえという暴挙に出たのである。
 そしてその結果が、「内閣は好きなように検察の人事に介入できる」という三権分立の否定だ。
 そんな無茶を、コロナ禍で国民が生きるか死ぬかという大変なこの時に国会で審議させ、押し通そうとしているのだ。
 断言する。
 こんな時に三権分立を破壊する悪法を押し通そうとする安倍晋三とそのお仲間、そしてそれを「安倍さんのする事なら黒も白」と言い張り擁護する者達は人非人、人でなしである。

 この検察庁法の“改正”の是非は別問題として。
 あの政権を風刺したEテレの『バリバラ』を罵倒した自民党の小野田議員の言葉を、自民党と安倍晋三にそっくりお返ししたい。
「この非常時にこんなもの作る時間があったら、今困っている国民の為について1秒でも多く審議すべきでは?」

 コロナ禍で国民生活が大打撃を受けている最中、国会と世論がこれだけ紛糾することになった検察官の定年延長のそもそもの発端は、今年1月31日の閣議決定だ。
 政府はその日に東京高検黒川弘務検事長の定年延長を、国家公務員法の解釈変更というかたちで閣議決定した。
 そしてさらに、検察庁法を大きく変える改正法案が提出されたわけだが、何故このような時期に、今まで準備されてきた法案と全く異なる法改正が唐突になされようとしているのかについて説明しよう。

 安倍晋三とそのお仲間が変えたい、今の検察の人事システムは、大変にシンプルだ。
 検察庁法22条には、こう規定されている。
「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する」
 検察官とは犯罪を起訴する権限を独占し(国家訴追主義)、さらに起訴・不起訴の広範な裁量権(起訴便宜主義)を持っている。
 だから人の裁量が一切入らない年齢という客観的基準で定年を決め、検察権に対する政治的な影響を制度的に排除しようというのだ。

 それが安倍政権に近い黒川検事長の定年を延長する為に、1月31日の閣議決定を経てどのように変えられたか。
 まず安倍政権は、2月7日に63歳の誕生日を迎えて定年となる黒川検事長が現政権と懇意な関係にあるので、何とか職を延ばして彼を次期検事総長に出来ないかと考えた
 そこで持ち出されたのが、国家公務員法(国公法)だ。
 以前にもブログで書いたが、検察庁法と国公法は特別法と一般法の関係にあり、特別法である検察庁法が優先される為、「検察官の定年は国家公務員法とは無関係である」との解釈を、政府は何十年も固持してきた
 その解釈が安倍晋三とそのお仲間により、閣議決定でいとも簡単にひっくり返されてしまったわけだ。

 少し詳しく説明すると、現行の国公法81条の3第1項にこうある。
「定年に達した職員が(中略)退職すべきこととなる場合において、その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは、(中略)その職員に係る定年退職日の翌日から起算して1年を超えない範囲内で期限を定め、その職員を当該職務に従事させるため引き続いて勤務させることができる
 で、安倍晋三とお仲間はこの規定の“定年に達した職員”に「検察官が含まれる」と解釈を強引に変更したのだ。
 だから黒川検事長の定年延長も、「解釈上可能になった」と。

 だが黒川検事長に国公法81条の3による定年延長をゴリ押しで認めさせた結果、その延長には国公法81条の3第2項により、人事院の承認を得る必要が出てしまった。
 問題の国公法81条の3第2項とは、以下の通りである。
任命権者(内閣)は、前項の期限又はこの項の規定により延長された期限が到来する場合において、前項の事由が引き続き存すると認められる十分な理由があるときは、人事院の承認を得て、一年を超えない範囲内で期限を延長することができる。ただし、その期限は、その職員に係る定年退職日の翌日から起算して三年を超えることができない
 ちなみに国家公務員の人事を掌握する人事院もまた行政機関であり内閣の下に置かれているが、人事官の身分は保障され、国会に対して報告や勧告を直接提出できるなど、国家公務員の人事をその時の政治勢力から独立して公正に判断する機関として設けられていて、内閣に対して強い性格をもっている
 そして人事院は、何十年に渡り「準司法官である検察官の人事には介入しない」との解釈を固持してきた
 今回の黒川検事長の定年延長については何とか通せたものの、このままでは検察官の延長について、いちいち人事院の承認が必要になってしまう。
 そこでその「人事院の承認」を省く為の現政権の悪だくみが、今回の検察庁法改正法案だ。
 だから政府は「今回の検察庁法改正案は黒川検事長の人事とは無関係だ」と言い訳しているが、それは嘘だと言い切れる

 安倍政権がこのコロナ禍の最中に押し通したい問題の検察庁法の改正案では、人事システムは次のようになっている。
 改正法案では、すべての検察官の定年は、現行よりも2歳引き上げられて一律65歳になる
 但し検事総長については、任命権者である内閣は国公法81条の7の規定、国家公務員の65歳定年の延長を規定した条文の読み替えにより、その職のまま1年(66歳)まで勤務させることができる
 そしてそれは改正国公法81条の7第2項の読み替えにより、最大3年まで延長可能になる
 つまり検事総長は、最長で68歳まで勤務が可能だということだ。
 さらに法務大臣は、次長検事と検事長が63歳になった際は、翌日にその者を次長検事あるいは検事長から解き一般の検事に任命する。
 これが役職定年だ。
 但し内閣は、63歳になった次長検事と検事長を、職務の遂行上の特別の事情を勘案して、公務の運営上著しい支障が生じると認めるときは、その職のま1年延長させることができる
 そしてこの期限が来た時は、延長した次長検事と検事長はその職を解かれるわけだが、22条の2項、つまり改正国公法81条の7の規定の読み替えによって定年延長された場合はこの限りではなく、国公法によってさらに1年の役職の延長が認められることになっている。
 検事および副検事についても、任命権者である法務大臣は改正国公法81条の7の規定の読み替えによって、法務大臣が定める準則で定める場合はさらに1年(66歳)まで勤務させることができる
 そしてこれもまた最大3年まで延長可能で、つまり最長68歳まで勤務が可能だということになる。

 説明が難解かつ煩雑になったが、おわかりだろうか。
 ざっくり端的に言えば、安倍政権の改正法案では人事院の関与がすっかり消され、すべての検察官に内閣あるいは法務大臣の人事裁量が及ぶ仕組みになっているのだ。

 そもそも検察官の任免権は法務大臣が持っていて、検察権の行使については内閣が国会に対して責任を負うことになっている。
 しかし検察権は法の公平公正な執行という意味で司法権と密接な関係にあり、検察権の行使が時の政党の恣意的な判断によって左右されるようなことがあれば、法に対する国民の信頼が地に落ち、国家の土台が崩れることになる。
 だから検察庁は、法務大臣からは一定程度独立した組織として位置づけられているのだ。
 法務省内に設置された特別な機関としての検察庁、そして検察権の独立という2つの課題に配慮して、検察庁法は指揮権を以下のように規定している。
法務大臣は検察官を一般的に指揮監督するが、個々の事件については検事総長のみを指揮する
 つまり法務大臣の権力が直接に及ぶのは検事総長に対してだけで、法務大臣の権力が直に個々の検察官に及ぶのを防いでいるのだ。
 だが今回の改正案では、内閣あるいは法務大臣の強い影響力が全ての検察官に対して直接及ぶ内容になっている。
 現行法では、検察官は検察官適格審査会の職務不適格議決か、職務上の義務違反などによる懲戒免職以外では、定年までは検察官を辞めさせることができない。
 だが安倍政権は検察官の定年を延長するかどうか、つまり退官させるかどうかという重大な問題を内閣で牛耳り、政治的判断で決めようというのだ。

 もしも検察官の定年を延長したいのならば。
「一律に、すべての検察官の定年を68歳とする」
 これならば政権の思惑や恣意は、検察官の人事に一切絡まない。

 何故これでは駄目なのか、安倍晋三とそのお仲間、そして安倍晋三のする事ならすべて擁護するネトウヨ達に問いたい。
 駄目なのは、「検察官を政権の意を忖度する者ばかりにしたいから」でしかないゆえだろう。

 安倍晋三は、繰り返し「悪夢のような民主党政権」と国会で言った。
 筆者は断言する。
 民主党政権は“悪夢のような”かも知れないが、安倍政権は「悪夢そのもの」である。

 少なくとも民主党政権時代には、国際的な報道の自由度も高かった。
 報道の自由もあり、政府批判も好きに行われていたし、特定秘密保護法案も、戦争法案も、辺野古の海の埋め立ても無かった。
 森友・加計のような疑惑も。

 確かに民主党政権は無能で、管元首相は「カンカラカン」と馬鹿にされ、鳩山元首相も実現不可能な絵空事ばかり繰り返し、あまりの言葉の通じなさに「宇宙人」と言われた。
 だが少なくとも自由と人権は守られ、もちろん三権分立も厳守されていた
 安倍政権下の選挙で見られるように、野党の候補者に対する右翼の拡声器での妨害は「言論の自由」として警官は黙って見守り、与党の候補者や安倍首相に対する肉声での抗議は警官が有無を言わせず皆で制圧して排除するような、そんな馬鹿なことは無かった。
 安倍政権下で日本の警察は、いつの間にか安倍晋三が大好きな戦前戦中の、治安維持法下で思想を取り締まる特高警察に近くなっている。

 筆者の大学時代の友人が警察官になったこともあり、筆者は常に警察に好意と信頼を抱いてきた。
 テレビで『警察24時』を見ては、「いつもご苦労様です」と思ってきた。
 しかし筆者は今は警察は嫌いだし、警察官をも軽蔑している。
 見る警察関係のテレビも、冤罪を取り上げたものばかりだ。

 安倍政権がもくろむ、お気に入りの検事を恣意的に定年延長をさせる為の検察庁法改悪案の、ろくな話し合いも無いコロナ禍の最中のゴリ押しを見て。
「民主党政権と安倍政権と、悪夢はどちらか?」
 筆者はそう皆さんに問いたい。

 だが安倍晋三を擁護する、安倍晋三のする事は真っ黒でも白と言い張る右翼の言論人やマスコミは、それでもこの首相の法改悪を正当化する
 例えば産経新聞によれば、これだけ広がっている検察官定年延長の改正案反対は「誤解や曲解」によるものであって、それに当事者である検察は「困惑」しているという。
 そして定年延長に対する批判について、検察幹部は「検察は行政機関の一つであり、三権分立の問題にはならない」と呆れているのだそうだ。
 産経新聞は、さらにこうも書く。
「検察組織は強い捜査権と起訴の権限を持つ。だからこそ、検察の独立性を保つと同時に、政権が人事権を持つことで独善も防ぐという絶妙なバランスを保つ仕組みだ」
 では産経新聞に聞きたいが、「政権が検察官の人事権を持つ」ならば、誰が政権の悪を摘発するのだろうか
 政権に近い黒川検事長の定年延長の根拠付けだという批判についても、「1月に閣議決定済みで、直接関係ない」と、政権の言い分をオウムや伝書鳩のように無批判に“広報”するのが、産経新聞だ。
 その反面、社会に広がっている抗議のツイッターの数については、「組織的な大量投稿の可能性も指摘されている」と疑念を差し挟んでいる
 安倍政権の黒は白と言い、政権に批判的な声に対しては白を黒と言う。
 これが産経新聞とそのグループ
だ。

 筆者は芸人が馬鹿騒ぎをするバラエティー番組が大嫌いで、テレビでは報道番組をよく見る。
 で、夜9時にはNHKニュース9、9時54分からはテレ朝の報道ステーション、11時からはNEWS23か日テレのニュースZERO、そして11時40分からはライブニュースαと、火事なり読書なりをしながら報道番組を付けっ放しにして、ニュースの“はしご”をしている。
 だから各局の“色”と、政権との距離の近さはよくわかる。
 読売新聞や日テレでは、政権に都合の悪いニュースは小さくしか扱われないか、無視される場合がよくある。
 この検察官の定年延長問題では、フジテレビの“報道”が最も酷かった。
 他局では特集を組み、政権には忖度しがちなNHKでも終わりの方でチラリと触れたその日に。
 だがフジテレビのニュースでは、この問題は「無かったこと」になっていた。

 コロナの問題を報じ、そしてスポーツ、お天気となって終わるのが通常モードだ。
 改悪された検察庁法の成立が、今国会では見送りになったその晩も、フジテレビのライブニュースαでは検察庁法の問題は「無かったこと」として完全にスルーされていた。
 例によってコロナの問題を報じ、それからスポーツニュースで、検察庁法の「け」の字すら言わない。
 フジサンケイグループで報道に関わる人間は、「それでよく報道関係者と名乗れるものだ」と心から呆れる。
 フジサンケイグループで新聞やテレビのニュースの政策にかかわっている者には、「自分たちは報道の仕事に携わっている」という誇りや矜持など欠片も無いと見える。
 断言するが、フジサンケイグループで新聞やテレビのニュースを制作している者は、一人残らず恥知らずの「安倍政権の宣伝屋」だ。
 今は報道機関が複数あるから良いが、「産経新聞だけ読み、テレビのニュースはフジを選んでいると馬鹿なネトウヨになる」と断言できる。

 筆者は学生だった時代、ラジオで『オールナイトニッポン』をよく聴いて育った。
 だからフジサンケイグループには、ずっと親近感を抱いていた。
 それが安倍政権下で信頼していた日本の警察を大嫌いになったのと同じく、筆者は好きだったフジサンケイグループにも嫌悪しか抱けなくなった

 国の経済と国民の暮らしが大打撃を受け、自粛でデモも出来ないコロナ禍の最中に、安倍政権は三権分立を壊す悪法を押し通そうとしている。
 その“数の力”を安倍政権に与えたのは国民で、安倍晋三を憲政史上最長の総理にし、今もまだ安倍政権を約四割の国民が支持し続けている

 かつて首相だった田中角栄氏が、人の多様性、平たく言えば「いろんな人がいるものだ」という意味でこう言った。
「人が十人いれば、一人は共産党員がいる」
 蘊蓄のある言葉である。
 だがこの「三権分立もブチ壊して、やりたい放題」の安倍政権とアベ政治を、十人のうち一人程度ならまだ理解できるが、何とまだ十人のうち四人も支持しているのだ!
 実に呆れた話である。

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太陽は雲の向こうでも輝く

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 一昨日も書きましたが、私は風俗店に本当に興味が無いです。
 さらに言えば、スナックだろうがキャバクラだろうが、女性が接客してくれる飲み屋さんにも全く行かないです。
 だってそうしたお店で女性が愛想良く相手してくれるのは、「金払いの良い客だから」ですから。
 彼女らには、お客はお金に見えているわけですよ。
 なのに「お金の力でモテたつもりになっても意味が無い」と、心の底から思います。
 だから私は、女性は好きですが風俗店や女性の接客がウリのお店には行きません。

 あ、プロではない素人の女性が相手でも、女性とお付き合いするのにはお金がかかりますけれどね。
 何しろ女性には、「いつも奢ってもらい、プレゼントも時々貰って当たり前」と考えている方が少なからずいますから。
 女性との交際には、本当に経費がかかります。
 だからフタマタとかミマタとか、複数の女性と交際している男性については、正直「大変だろうなあ」と思います。
 カネも暇も無い私など、一人の女性と交際するので精一杯ですよ。
 経費的にも、時間的にも。

 何しろ私、カネも無いのに多趣味だし一人になる時間も欲しい人間なので、たった一人の彼女でも持て余してしまう事があります。
 だから彼女ナシの今は、カネも時間もすべて自由に使えて、ある意味では楽しいです。
 それに私には、可愛いお猫さまが居ますしね!

 それにしても。
 プロの女性はもちろん、普通の女性も交際するのにはお金がかかります。
 それだけに。
 お金にシビアで「お金は男が出すもの」と思っている、基本的にお金持ちが好きな女性という生き物からお金を吐き出させるのを仕事にしている、ホストという男性たちは「すごいなあ」と、心から思います。

 こんな風俗店や女の人がいる飲み屋さんには一切行く気の無い私が、唯一行きたいのは猫喫茶だけです。
 私にとっては、「接客は猫のお店>>>越えられない壁>>>女性の接客のお店」なんですよ、本当に。
 特に保護猫のいる猫喫茶、コロナの自粛が終わったらすぐに行きます!

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