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空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

暑過ぎる太陽

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 それにしても、近年は夏が暑すぎます。
 それは単に地球の温暖化の問題だけでなく、偏西風の蛇行で、太平洋高気圧の上に大陸のチベット高気圧が重なり“二階建て”の高気圧になっているからだとか。
 この二階建ての高気圧の夏が何年も続いていて、いつ見ても気温が平年より高いのだから、うんざりします。

 私が若かった頃には、夏には車で旅行に行き、そのまま車中泊とかしましたが、全く平気でしたよ。
 今、夏に車中泊などしたら、熱帯夜で熱中症になってしまいますよ。

 夜もですね、以前は窓を開けておけば、扇風機を回さなくても寝られました。
 いや、扇風機を一晩中回していたらむしろ風邪をひくので、タイマーをセットして扇風機をかけたものです。
 けれど今は、扇風機は朝まで回し続けなければとても耐えられません。
 と言うか、今や夏にエアコンは必需品ですよね。

 今でもエアコンが嫌いな人もいらっしゃるようですが。
 そんな方は、近頃の夏は地獄でしょうね。
 実際、あえてエアコンを使わない方が、この夏に何人も熱中症で救急搬送されています。
 私の住む県でも熱中症で救急搬送される人が、コロナの患者よりはるかに多くいて、救急車のサイレンを聞くと「熱中症かな」と思ってしまいます。
 こんな状態ですから今は、「夜には布団をしっかりかけてでも、朝までエアコンをかけて寝る」のが正解です。

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金麦 香り爽やかエールタイプ

 まずは、通常の金麦から飲んでみる。
 季節ごとに味を変えていると言うが、今回飲んでみたのは夏バージョン。
 新ジャンル酒にしては意外にビールらしい香りが立っている。
 飲むと麦の自然な甘味を感じ、苦味は僅かだ。
 夏バージョンということで「薄味ではないか?」と危惧していたが、やはり味は薄めで、じっくりゆっくり味わって飲むには向かず、よく冷やしてゴクゴク飲むべき酒だ。
 だが、ただ喉越しだけの酒ではなく、薄味と言うより軽やかで、このクラスとしては意外に美味しい。
 個人的には“自称ビール”のスーパードライよりずっと好きだ。
 価格差が無くとも、同じ値段でも筆者なら間違いなくスーパードライより金麦を買う。
 単に季節ごとに味を変えているだけでなく、以前の金麦より確実に味も良くなっている。「爽やかに仕立てた夏の金麦」と缶に書いてある通りだ。

サントリー・金麦香り爽やかエールタイプP1190919

 さて、本題の金麦香り爽やかエールタイプだ。
 濃くしっかりした味のエールビールと、夏向きの軽めのビール類は相性が悪いのではと、飲む前に思った。
 香りは悪くないが、良いと言ってもいいが、本物のエールビールには遠く及ばない。
 しかし飲んでみると、新ジャンル酒としては驚くほど甘くフルーティーだ。
 穀物の甘さではなく、フルーツの甘さなのだ。
 そして嫌味は全く無く、新ジャンル酒としては驚くほどコクと味わいがあり、それでいて重くなく喉越しでもゴクゴク飲める。
 しかもゆっくり味わって飲んでも美味しいのだから、驚嘆に値する。
「エールビールは重い」と思っている人にもエールビールの良さを感じてもらえる逸品だ。
 これまでに飲んだ新ジャンル酒の中で、個人的に最高と言える。
 いや、糖質副原料をたっぷり使った下手なビールより美味しいくらいだ。
 実名を上げれば、スーパードライなどより千倍も良い。

 飲んでいる間はフルーティーな甘さとビールらしいコクを感じ「苦くない」と思ったが、飲んだ後にほのかな苦味、それもハーブ感のある爽やかな苦さを僅かに感じ、それが口の中をサッパリさせる。
 後味まで良く、新ジャンル酒の傑作と言える。
 この夏の限定品だが、売れ残っていたら是非とも買い占めたく思った。
 通常の金麦も悪くないが、それより遙かに良い出来だ。
「新ジャンル酒など飲まない」と、新ジャンル酒を馬鹿にしている人にこそ是非飲んでみて欲しい製品だ。
 キンキンに冷やして喉越しでガブ飲みするのに向いた、ドライで軽いビール類を造って売りたくなる時期に、よくぞ味わいとコクのあるフルーティーな逸品を造ったと、サントリービールに敬意を表したく思った。

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醜い国、日本(我が国の民間人に対する戦争被害の補償に思う)

 唐突だが、貴方に問う。
 もしこの国で戦争が始まり、国に「若い男はもちろん、女子供も老人も、国民は全て戦争の遂行に協力せよ!」と要求されたら、貴方はどうする?
 筆者ならば、召集令状が来たら仕方なく戦争に行く。
 しかし徴兵の対象とされない女子供と老人に対しては、「国家と戦争に対する一切の協力を拒み、山にでも逃げて小屋を建て自給自足の生活をしろ」と言いたい。
 理由はズバリ、この国には一つしかない貴方の大切な命を捧げる価値が無いからだ。
 お国に命を捧げて戦争の犠牲になっても、この国は貴方を裏切り見捨てる。
 日本とは、そういう国だ。

 その事実を、これから証明しよう。

 先の大戦、誇大妄想狂で精神主義者の軍人が始めた無謀な侵略戦争で、日本は三百万人を越す犠牲者を出した。
 そしてそのうち約八十万人が、女子供や年寄りといった民間人だ。
 それだけではない。
 国策で満州などの外地に住んでいた約三百二十万人の民間人も、敗戦で引き揚げを余儀なくされ、酷い苦難を体験しただけでなく、財産全てを失った。

 で、当時の大蔵省の財務局長は、そうした被害についてこう言った。
「戦争というものは、よきにつけ、あしきにつけ、国の公の行為であり、地震とか津波と言った天災とは全く異なる」
 その通りである。
 戦争は人が起こした人災に異ならない。
 しかも先の大戦は、日本は自衛の為に侵略者とやむを得ず戦ったのではなく、我が国の政府が国策で侵略戦争を起こしたのだ。
 先の大戦については、非は全て我が国とその指導者にある。
 だからその“お国”が引き起こした戦争の犠牲者には国に責任があり、その損害に対しては国に補償する義務がある筈ではないか。
 しかし「戦争は国の公の行為で、地震とか津波と言った天災とは全く異なる」と言った大蔵省財務局長は、同じ口でこうも言った。
「全体としての国の財政能力には、そう大きな余力は無い」
「現実には(戦争被害は)国民一人一人が負担するもの」


 だからこの国は、自国が勝手に引き起こした戦争による民間人の犠牲者に、一切の補償をしようとしなかった
 それどころか、民間人に対する戦争被害の補償を堅く拒んだ。
 外地で全財産を失い、命からがら日本に逃げてきた避難民の同胞が、憲法の財産権を根拠に、国に対して補償を求めた。
 それに対し、当時の大蔵省の事務次官はこう言った。
「これは敗戦という異常事態で起こった事であり、憲法や平和条約の個々の規定でもって法律問題にしようとすること自体、無理がある」

 馬鹿か。
 戦争とは、勝つこともあれば、負けることもあるのが常識だ。
「我が国は戦争に決して負けない」
 そう信じている者がいるとすれば、間違いなく誇大妄想狂であるから、精神科の医師の診断と治療を受けることを勧める。
 敗戦は、決して“異常事態”などではない。
 勝つこともあれば、負けることもあるのが戦争で、敗戦を想定もせず勝つもの信じ込み、敗戦を異常事態と言う者がいれば、それは単に馬鹿である上に誇大妄想狂である。
 しかしそんな敗戦を想定すら出来ない者が先の大戦を始めただけでなく、戦後も大蔵省の事務方のトップに居続けたのだ。
 この国の指導者がどんなレベルの人間か、それだけでも想像がつくだろう。
 で、これは敗戦という異常事態で起こった事で、国の財政能力に余力は無いから、戦争被害については国知らない、国民一人一人が負担しろ……と。
 何と「優しく、国民思い」の国であろう。

 日本が連合軍の占領下を離れて再び独立国となる際に、日本は諸外国と平和条約を結んだのだが。
 その中で、日本は外地の日本と日本人の財産を放棄した。
 だから全財産を失って引き上げてきた同胞は、国に対してその補償を求めたのだが、それに対して政府はこう回答した
平和条約そのものが強制的に飲まされた条約なのであるから、このような事態による損害の補償を国に対して要求することはできない」
 平和条約が不満ならば、飲まなければ良いのだ。
 一日も早く独立する為に、デメリットも知りつつ国が自主的に飲んだのだ。
 だから平和条約を結んだことによる損害に対する補償については、国が責任が持つべきである。
 にもかかわらず「強制的に飲まされた平和条約だから国に補償の義務は無い」と言い逃れるのは、卑怯で姑息としか言いようが無い。
 だから国が勝手に始めた戦争による民間人の被害については、避難民に対する補償だけでなく、空襲など戦争で死んだり傷ついた民間人に対する補償も一切拒んでいる
 日本とは、このような国である。

 その一方で、この国は元軍人と軍属にはとても優しい
 軍国主義に繋がるとして、占領下の時代にはGHQは軍人恩給を廃止した。
 ところが我が国では戦後すぐに各地で軍人の遺族会が結成され、そして市町村などの自治体も協力して金も出した
 そして戦場から帰って来た陸海軍の士官たちが官僚になり、軍人に対する同情を煽る世論操作をし、軍人恩給の復活も準備した
 だから日本が独立を果たした1952年4月28日の僅か二日後の4月30日に戦傷病者戦没者遺族等援護法が成立し、翌1953年から再び軍人恩給が支給された

 驚くなかれ、この無謀な侵略戦争を始めて民間人も含む三百万を越す同胞を死なせたA級戦犯にも、この恩給が国民の税金から支払われた
 繰り返す、戦争を正当化し戦前を美化する右翼などの有志による寄付からではない、全ての国民の税金から、東条サン達の遺族にも恩給が支払われたのだ。
 恩給と言うが、戦争指導者であるA級戦犯のどこに国民が税金から年金を支払わねばならない“恩”があるのか、ご存知の方は誰か教えていただきたい
 ちなみにこの軍人恩給は、階級が上がるごとに金額も上がり、陸軍大臣など役職に就くとまた金額が加算される
 で、戦争を始めたまず第一の責任者であるあの東条サンの遺族は、今の金額に換算すると約一千万円のカネを、毎年国民の税金から受け取っていたのである。

 関東軍を指揮し、政府の意向を無視して中国侵略を進め、戦後にA級戦犯として絞首刑になった板垣征四郎という陸軍大将もいるが。
 この家族も勿論、高額な恩給を受け取っている。
 それだけではない。
 長男の板垣正氏は約百二十万人もの遺族会の事務局長になり、その集票力で参議院議員にもなった。
 もちろん自民党である。
 そしてその政治力で、軍人恩給に様々な給付金を加算させた
 で、今までに国民の税金から支払われた軍人恩給は、既に60兆円に達している
 一方で戦争で死んだり傷ついたりした民間人に支払われた補償は、未だに0円である。

 ちなみに朝鮮や台湾など旧植民地の人については、戦前戦中は「同じ日本人だから」と徴兵して日本軍兵士として戦わせ、戦後は一転して「日本人ではない」として恩給を払っていない。
 日本とは、そうした国である。

 この国は、軍人軍属に限って補償をする。
 ただ戦没した者だけでなく、戦争で傷ついたり病気で後遺症が残った者にも補償している。
 しかし空襲で死んだり傷ついたりした民間人については放置である。
 これが日本という国である。

 名古屋の空襲の被害に対して、民間人が訴訟を起こした。
 それに対する判決が、1983年に名古屋高裁で下った。
 この国の司法はこう言う。
「戦争は国の存否にかかわる非常事態であり、その犠牲は国民が等しく受忍しなければならない」
 最高裁もこう言う。
「戦争被害の補償は、憲法が全く予想しない」

 おわかりだろうか。
 先に引用した大蔵省財務局長の言葉のように、「戦争というものは、よきにつけ、あしきにつけ、国の公の行為であり、地震とか津波と言った天災とは全く異なる」ものなのである。
 避けられず予想も出来ない天災ではなく、戦争とは人が、政府が、国が勝手に引き起こした人災なのである。
 なのに国民はその被害を“受忍”せねばならず、憲法も予想しないとは。
 そして司法はその見解を、今も一貫して押し通している。

 そうした戦争被害者を担当する役所は、厚生省援護課だが。
 かつてその課長補佐で、今は早稲田大学の教授である植村尚史氏はこう言う。
「被害を一つ一つ救済してゆくよりも、国全体が豊かになり人々の生活が良くなってゆくことでカバーされる」
 では何故その同じ台詞を、元軍人とその遺族にも言わないか
 何故元軍人だけは一つ一つ救済し、民間の戦争被害者は放置するのか。

 生き残った民間の戦争被害者も悲惨だ。
 親兄弟を亡くして孤児となったり。
 手や足を失い、体に障害を負ったり。
 そんな状況で、どうして「国全体が豊かになれば、彼らの生活もカバーされる」と言えるのか。
 彼ら民間の戦争被害者は、今も苦しい老後を過ごすことを余儀なくされている。
 この国に問いたい。
「国が勝手に始め、さらには総力戦と称して全国民に協力を強いておいて、その民間の犠牲には“受忍”を強いるとは、身勝手過ぎないか?」


 元総理府次長は、民間の戦争被害者についてこう言う。
「やっぱり我慢して堪え忍んで、再建を復興を個人個人で、それを基本に頑張ってもらいたい。気の毒だけれど、自力で頑張って下さいと言うしかない」
 その言葉を、政府のお役人は何故元軍人とその遺族にも言わないのか?
 結局、元陸海軍の士官たちがそのまま官僚になっているから軍人のみ贔屓して手厚く遇し、民間人には平気で「国にはカネがないのだから自力で頑張れ」で済ませられるのだろう。
 これが元帝国軍人あがりの、我が国の官僚というやつだ。

 こんな国の政治家の中にもまともな人たちが居て、民間人の戦争被害者にも補償しようという戦時災害援護法案が、これまでに14回、国会に提案されている
 そして全て廃案にされている。
 議席数を考えれば、民間人に対する補償に頑として反対し続けているのがどの党か、容易に想像がつくだろう。

 で、同じ民間人は、補償を求める民間人の戦争被害者に対してどう思っているか
 これが実に冷たい。
 補償を求める人たちが、街頭で主張を述べてビラを配っているのだが、足を止める人は皆無だし、ビラを受け取る人すら殆どいない有り様だ。
 それどころか、補償を求める空襲被害者には、国民の間から多くの罵声が浴びせられている。
「生きているだけで有り難いと思え!」
「国家の責任にしてカネをせびろうとする、浅ましい乞食根性だ!」
「欲張り婆さんが今更何を言っている、そんなにカネが欲しいのか!」

 ……いや、「国の責任にしてカネをせびる」って、開戦とそれによる戦争被害は、まさに国の責任なのだが。
 避けられない天災とは違う、政府と国による人災の責任を求めるという当然のことが“乞食根性”に見えるとは、日本人の民度の低さがよくわかるというものだ。

 それでも日本がかなり豊かになった1980年代に、民間人の戦争被害も何とかしなければという声も出てきた。
 それで1982~83年に、戦後処理問題懇談会でその件について話し合われた。
 しかしそこでも、問題になったのは「補償する範囲が広がっては困る」ということであった。
 当時の大蔵省の事務次官はこう語った。
「パンドラの箱を開けるような事になっちゃ困る。交付金をやるようなことになりますと、やっぱり民間で、広島の原爆で死んだのが何万人とおるわけですね。そういう人は何も受けてないんですね。やっぱりよこせというような議論が出てくる」
 で、救済措置は出来る限り範囲を絞ってやり、国家保障はしないということになった。

 だから我が国では、国家として補償しているのは今もA級戦犯も含む軍人軍属だけである。
 で、海外からの引き揚げ者と被爆者とシベリア抑留者には国による補償でなく救済措置、お恵みとしてのカネが支給され、空襲被害者など他の民間の犠牲者は放置である。
 今もなお。

 カネが無いから仕方ないと、政府の官僚は言う。
 だが繰り返すが、軍人軍属には度々増額して60兆円も支払って来たではないか!
 しかし民間の被害者には「払えない、受忍せよ」と、国も司法も言い続けている。
 皆さん、こんな国の為に、貴方は戦争に協力する気になれるか?

 ついでに、同じ敗戦国のドイツとイタリアの、民間人に対する戦後補償について述べよう。
 まずドイツは、あの大戦で約百二十万人の民間人が死んだ
 そして千二百万人もの国民が土地を追われ、財産を失って避難民となった
 その数、我が日本より遙かに多い。
 しかしドイツは、民間人の戦争被害者の救済に真っ向から取り組んだ。
 まず戦後五年目の1950年に連邦援護法を成立させ、そこで「国は全ての戦争被害に責任がある」と定めた
 そして軍人であるか民間人であるかに関係なく、国が被害に応じた補償をしてきた
 ドイツ人の歴史学者は言う。
「軍人と民間人の間に、被害に差があるとは考えられなかった」
「国家が引き起こした戦争で被害を受けた個人に補償をすることは、国家と市民の約束である」
「個人の被害に向き合うことは、民主主義の基礎をなすものである」

 ドイツ人から見れば、日本は国家が引き起こした戦争で被害を受けた個人に向き合わず、補償もしようとすらしない、非民主主義国家である。
 ある日本人が日本の民間の戦争被害者に対する国の態度をドイツ人に語ったところ、とても呆れて「酷い国だ」と言ったそうだ。

 イタリアは決して裕福な国家でなく、政府は度々財政危機に瀕してきた。
 それでもイタリアも軍人か民間人かに関係なく、戦争年金を皆に支払い続けてきた。

 何故か。
 イタリア人は語る。
「国が当然持つべき感謝の念と、連帯の意を表すための補償だからだ」

 日独伊の三国同盟の枢軸国で、最も経済的に発展し、最も豊かだったのは日本だ。
 しかし『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などいう本がベストセラーになった時代にも、日本は軍人恩給だけ支払い、国が勝手に始めた戦争における民間人の被害の補償すら避けて通った
 軍人と民間人を差別して、「カネがない、戦争は非常時だから被害は受忍せよ」と民間人の戦争被害者を見捨て続けているのは、我が国だけである。
 こんな国に、どうして愛国心と誇りを持てるというのだろうか。

 皆さんは、封建時代の「御恩と奉公」という言葉を歴史で習ったと思う。
 あれは正しくは、「土地をくれるという恩があるから、主君に仕える」という意味だ。
 つまり裏を返せば、「土地(恩賞)をくれない主君に仕える必要は無い」ということだ。
 だから戦国時代までは、武士は頼りない主君はさっさと見限って他の武将に仕えた。
 忠義とか、武士は二君に仕えずとか、「君、君たらずとも、臣、臣たれ」とか言われるようになるのは、家来はバカ殿にも忠義を尽くせと言われるようになるのは、太平の世になってから、江戸幕府が家臣に寝返られないように儒学(朱子学)を利用してそう洗脳したからだ。
 今ではバカ殿にも忠義を尽くすのが武士道のように思われているが、実はバカ殿は見限るのが武士の常識だったのだ。
 それを国家と個人の関係でも考えてみてほしい。
 何かあったら国がちゃんと補償してくれると信じられるから、国民も国の為に尽くせるのだ。
 勝手に戦争を始め、そのせいで被害を受けたら「国は知らぬ、個人で何とかして受忍せよ」と見捨てるような非情な国を、誰が信じて尽くすものか。

 皆さんは、倹約とケチの違いをご存知だろうか。
 無駄な出費を抑えるのが褒められる倹約家であり、必要な出費を惜しむのがケチである。
 倹約とは無駄遣いや贅沢をしないことであり、見舞いや冠婚葬祭や付き合い等で必要な出費を惜しむのがケチである。
 カネは無くとも、出すべきカネを出さぬ者はケチと非難される。
 だからドイツは戦後復興すらしていない頃から、イタリアは経済危機に遭いながらも、軍人も民間人も区別せずに戦争被害を補償してきた。
 それに対して日本はどうか。
 経済大国となり『ジャパン・アズ・ナンバーワン』というベストセラー本が出された時代になっても軍人恩給にだけ60兆円も出す一方で、民間人の補償に回すカネは惜しんだ。
 ズバリこの日本という国は、ケチである。
 いや、ドケチと言うべきだ。

 安倍首相はかつて『美しい国へ』という本を書いたが。
 筆者に言わせれば、こんなにセコくてさもしい国は無い。
 まさに『醜い国』である。
 だから断言する、こんな国の言うことを聞き、国の為に命をかけるのは馬鹿らしすぎる
 この国の戦争に巻き込まれて死にでもしたら、それこそ無駄死に、犬死にである。

 で、冒頭に戻るが、もしこの国で戦争になり、政府と国に「国家総動員で協力しろ!」と求められたとしたら
 国がどれだけ豊かになっても、国が勝手に始めた戦争による民間人の被害は「個人で頑張れ、受忍せよ」と放置されて。
 その一方、敗戦後すぐに各自治体の支援で軍人の遺族会が各地に結成され、日本が独立を果たした僅か二日後に戦傷病者戦没者遺族等援護法が成立し、翌年から軍人恩給が支給された事実を考えると。
 召集令状が来たら仕方なく軍人になり、しかし徴兵の対象とされない女子供と老人は国家と戦争に対する一切の協力を拒み、山にでも逃げ自給自足の生活をして生き延びるのが賢いだろう。

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雲が描く模様

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 私が免許を取った頃には、90ccや110ccのカブに乗るには実地試験アリの小型バイクの免許を取らなければなりませんでしたが。
 でも今は、50cc以上で125cc未満のカブやスクーターの為に、小型AT免許という簡単に取れる免許ができたのだそうですね。

 その事を知って、一瞬「その免許を取って、110ccのスーパーカブに乗り換えようか」とも思いましたが(リトルカブには50ccのモデルしかアリマセン)。
 ただ私には、タイヤの径が17インチのスーパーカブは、少し大きすぎる(座面が高すぎる)のですよ。
 若い頃にも、タイヤの径が17インチのスポーツタイプの原付に乗っていましたが、「停車する時は、足のつま先で地面を付く」という感じでした。
「足の裏全体を地面にペタリと付ける」とか「両足を付く」とかは、とても無理でした。
 でもタイヤの径が14インチのリトルカブでは、それが楽に出来てしまうのです。
 チビな私にとっては、リトルカブの足付きの良さは手放しがたい魅力なんです。

 と言うと、バイクに詳しい方には「エンジンをボアアップして、90ccとかにすれば?」と言われそうですが。
 私、タフさと耐久性に惹かれてカブが好きになったんですよ。
 ですからエンジンに手を入れて耐久性を損なってしまう可能性は避けたいんですね。
 私、リトルカブを手に入れて、ウインドシールドと前カゴとシートカバーを付けましたが、それらは全てホンダ純正のオプションパーツです。
 メーカー純正でない改造はしたくないので、どうやらこのまま時速30kmの法定速度と、急坂での失速を我慢しつつ、リトルカブに乗り続けるしかないようです。
 と言うか、理不尽な法定速度の縛りと坂でのパワー不足という欠点を補って余りあるほどの愛着を、リトルカブに感じてしまっているのです。

 ええ、確かに少し急な坂になると失速しますが。
 でもたいていの坂は苦にせず登れますし、普段はパワー不足を感じることはまず無いです。
 ただ「これが90ccや110ccの原付二種のカブだったら、坂道でもっと楽だったろうな」と、チラッと思うというだけで……。

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うろこ雲

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 でもリトルカブ、とても乗りやすいです。
 若い頃に乗っていたスポーツタイプの原付は、「思い切って高回転まで回さないとパワーが出ないタイプのエンジン」だったのですよ。
 だからスロットルをガンガン回して、ギアも上げて行き、スピードを出して走っていました。
 反対に、出足は良いけれど、回しても速度が伸びて行かないタイプのエンジンもあるのです。
 でもカブのエンジンは、トルクバンドが広いというか、低回転でも粘り強いし、そしてスロットルを回せば高回転まで伸びて行くので、ひとつのギアでゆっくりから速めまで走れてしまうのです。

 そしてカブは、乗ってみると姿勢が楽なんですね。
 スポーツ系のバイクだと、どうしても前傾姿勢になりますが、カブは普通に椅子に座っているような感じで、とてもリラックスした姿勢で乗れます。
 だから先日も10時間かけてリトルカブで伊豆半島まで出掛け、合計230kmほど走って来ましたが、思ったほど疲れなかったです。
 家に帰った時には、「まだ走り続けられるぞ」くらいの感じで、まだ余力がありました。

 カブのツーリング、本当に楽で楽しいです。
 もしこれで50ccの原付でなく、90ccとか110ccの原付二種のカブだったら時速30kmという法定速度の縛りもなく、そして馬力に余裕があり坂も登りやすくてもっと楽だったろうと思いました。


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空と太陽

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 その「一発免停→簡易裁判所でお叱りと罰金」という痛い目に複数回遭っているので、再び原付に乗り始めた今は、意識しておとなしく走っています。
 遅すぎると他の車の邪魔にされるので、さすがに法定速度の30kmでは走りませんが。
 意識して40km~50kmの間で走り、50kmは極力越えないように心がけて走っています。

 ですからねー、同じ原付で走っていた昔に比べて、今は「同じ場所に着くまでに時間がかかる」のですよ。
 何しろ昔は80~90kmで飛ばしていたところを、50km以下で走っているのですからね。
 でも免停になると後が厄介なのは、実体験でよくわかっているので、「飛ばさぬよう、けれど他の車の邪魔にされないよう」気を付けて走るつもりです。


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青と白だけの美しさ

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 私、バイクに乗るのは今回が初めてではないです。
 実は校則を無視して、高校生の頃から原付の免許を取って乗っていましたから。
「16歳になったら取って良いと国の法律で認められているのに、禁止する校則の方が間違っている」と居直って。
 私がその若い頃に乗っていた原付、凄かったですよ。
 何しろエンジンが一万回転超まで回り、原付なのに軽く90km以上出して走れましたから。
 ええ、ですから白バイやパトカーやネズミ捕りに遭えば、間違いなく一発免停ですよ。

 けれど自動車専用道こそ走れないものの、一般道なら車の流れにしっかり乗れて走れましたので、そのスポーツタイプの原付であちこちに行きました。
 高校三年の夏休みに、湘南の海までバイクを飛ばして行って、横浜から来たというJK達と仲良くなったりとかwwww。

 一般道では車と同等に走れましたので、走っていて本当に疲れなかったです。
 若さもあって、本当にあちこちに出かけましたよ。
 ただ複数回の一発免停、これには参りましたね。

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太陽さん

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 この春から、カブに乗って遊んでいます。
 私はチビなので、最初から乗るならスーパーカブでなくその弟分のリトルカブと決めていました。
 そのリトルカブは2017年に生産中止になってしまったので、私が買ったのは中古です。
 それも2000年製造のかなり古いやつで、だから39,500円で買えました。
 それでも、そこはさすがホンダの、しかも国内工場で造ったカブです。
 小さな不具合はあった(チョークレバーが折れているとか、無くなっているネジがあるとか)ものの、買ったその日からちゃんと走れました。

 でも長く乗るつもりだったので、市内にあるホンダの専門店で整備してもらったところ、新車に近い状態に戻りました。
 キャブレターのOHやら、痛んだあちこちの部品の交換やらで、結構お金もかかりましたが……。
 けれど整備してくれたお店の方によれば、「丈夫だし、整備していれば(良い意味で)この先どれだけ乗れるかわからない」そうです。

 カブって、スーパーカブもリトルカブも意外に高いんですよ。
 今、スーパーカブを新車で買えば、二十数万円しますから。
 同じ原付のスクーターの倍か、それに近い値段が付けられています。
 だから中古のカブも安くないです。
 でも長持ちしますので、「お値段以上の価値はある!」と言えますね。

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キリン ブラウマイスター芳醇プレミアム

 筆者はビールは好きだが、「じっくり、ゆっくり、味わって飲む派」である。
 日本に多い「ビールは喉越し!」という人達とは違う。
 だから麦芽にホップ、それとあえて加えるならばコリアンダーシードやオレンジピールなど少量の副原料で造るビールが好きで、日本に多い糖質副原料(米・コーン・スターチ)をあれこれ加えたものは、どうも好きになれない。
 特にスーパードライのように麦芽を限界まで減らして糖質副原料をたっぷり使った、ビール純粋令のあるドイツでは通用しない自称“ビール”については、ハッキリ「嫌い」と断言できる。

 さて、そこで飲んでみたのが、キリンブラウマイスター芳醇プレミアムである。
 芳醇プレミアムを名乗る限定品ではあるが、原材料として、麦芽とホップの他に糖質副原料の米も使われている。
 プレミアムなのに麦芽とホップだけで造らず、その米もあえて加えた結果が、どう出るか。

キリン・プラウマイスター芳醇プレミアム①P1180889

 まずグラスに注ぐと、香りは軽めだが爽やかで良好だ。
 泡もきめ細かく良く立つ。
 最初の一口の印象は「軽めの味かな?」だ。
 悪い味ではないのだが、米という糖質副原料の影響で、麦芽とホップだけで造ったビール、例えばヱビスやプレミアム・モルツより確かに味が軽くなっている。
 で、最初は「味わい深さより喉越し優先で造ったか?」と疑ったのだが、グイグイ飲んでゆくとコクと味わいが意外にしっかりしていて、飲み応えがガツンと来る。
 これは喉越しと飲み応えを両立させた、なかなか良いビールだ。
 後味もホップの苦さでなくハーブ感が効いていて、とても良い。

 ただ、エールビールや麦芽とホップだけで造ったビールと同じように、ゆっくりじっくり味わって飲むと、少し薄味に感じてしまう。
 ゆっくりじっくり味わって飲んでも悪くはないが、本質的には喉越しでゴクゴク飲むべき、日本で多数派を占めるビール好き(キンキンに冷やして喉越しでゴクゴク飲みたい人)の嗜好に合わせた製品だ。
 とは言え、コクや味わいや飲み応えもちゃんとあり、スーパードライのように糖質副原料をたっぷり使って麦芽を極限まで減らした、ただ喉越しだけの薄くて不味い自称ビールとは大違いだ。

 筆者はビールに糖質副原料を使うことについては否定的だが、米など何か一種類を程々に巧く使うと、喉越しと味わいが両立した良いビールになると、このブラウマイスター芳醇プレミアムでよくわかった。
 ブラウマイスターの名に恥じない、なかなか良いビールである。

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非現実的過ぎる原付の制限速度(悪法は速やかに変えるべき)

 筆者は使い捨てが嫌いで、良い物を長く使い続ける主義である。
 だからまだ昭和の時代だった高校時代にバイトして買ったカメラすら、まだ現役で使えている。
 それどころか、筆者が生まれるより遙か前の、ナチスの時代に造られたドイツ製のカメラであるライカⅢbですら、まだちゃんと動いていて撮影可能だ。

 で、その「丈夫で長持ち」が大好きな性格ゆえ、青年期には「オッサンのダサいバイク」としか思えなかったスーパーカブに、突如惚れてしまった。
 エンジンオイルでなくサラダオイルでも走り、ビルの五階から落としてもまだ走る。
 そのタフさに感動してしまったのだ。
 そして外出先でカブを見かけると、つい写真に撮ってしまう有り様だ。
 さらにただ写真を眺めるのでは気持ちが抑えられなくなり、今年の春の終わりに、ついに中古のカブを衝動買いしてしまった。
 筆者は小柄であるからスーパーカブの弟分のリトルカブを買ったのだが、これが大正解で!
「筆者の為に作ってくれたのか!」と言いたくなるほど、小柄な筆者の体格にフィットして乗りやすい。

 だからリトルカブに不満はない。
 ただ久し振りに原付に乗ってみて、道路がものすごく走りにくく感じた。
 はっきり言って、制限速度が一般道では車と同じ二種ではない、50ccの原付(一種)は、道路では邪魔者扱いである。
 何しろ法定の制限速度が時速30kmだから。
 その制限速度を厳守したら、当然のことだが車の流れについて行けず、全ての車に追い越されて行くことになる
 追い越す車も神経を使うし面倒なのだろう、ヒヤリとする追い越し方をされることも少なくない。
 明らかにイラついているとわかる追い越し方をされることもある。

 一般道を、たいていの車は時速50~60km程度で走行しているのではないだろうか。
 だからそこを法定の30kmで走ったら、速度差があり過ぎて本当に危ない。
 で、筆者はリトルカブに乗り始めた当初、40kmくらいで走ろうと考えた。
 法定の30kmで走るのは追突や煽りを招き、危険で現実的ではない。
 けれど調子に乗って速度を出し過ぎれば、警察に捕まり免停を喰らう。
 そこで40kmくらいで走ればそれほど遅すぎず、また制限速度を10kmオーバーするくらいなら警察もいちいち目くじら立てず、見逃してくれるのではないか……と。

 そう考えて時速40km前後で走ってみたのだが、それでもやはり危ないのだ。
 30kmで走るのと殆ど変わらないくらい、ほぼ全ての車にどんどん抜かれる。
 追い越す邪魔にならぬよう、意識して道路の脇を走るようにしているのだが、それでも「邪魔だ!」と言わんばかりに、苛ついた様子で抜いて行く車が少なくない。

 それで恐る恐る走る速度を50kmに上げてみたのだが、途端に走るのが快適になった。
 邪魔にされることが、明らかに激減したのだ。
 もちろんそれでも追い抜いて行く車は少なからずある。
 だが40kmで走るのと50kmで走るのでは、抜かれ方がはっきり違う。
 40kmで走っていると「モタモタすんな、邪魔だ、どけ!」という感じで抜かれるのだが、50kmで走る筆者を抜く車は自分のペースが速いということを自覚しているようで、「お先に!」という感じでスッと抜いて行くのだ。
 だから筆者は道交法違反を知りつつ、ネズミ捕りや白バイに遭えば反則点かもと覚悟しつつ、原付であえて50kmで走っている。

 原付の制限時速30kmは、本当に怖い。
 筆者の住む市には国道一号線が通っていて、隣のF市に行くにはその国道一号線バイパスを通る以外に道は無いのだが、そのバイパスを原付で通るのが恐怖でしかない。
 その国一バイパスの制限速度は60kmなのだが、通る車は当たり前に80kmかそれ以上で走っている。
 その皆が80kmで走っている中に法定の30kmで突っ込むのは、もはや自殺行為と言っても過言ではない。
 50kmで走っても、かなり怖いし神経を使う。

 一度、そのバイパスをリトルカブで50kmで走っている時に、バックミラーにパトカーの姿を見た。
 それで「こんな皆が飛ばしている道路では、何kmオーバーなら摘発されるのだろう?」と試してみる気になり、少しだけ速度を落とし45kmで走ってみた。
 法定速度より15kmオーバーである。
 それでも他の車は皆60km以上出していて、バンバン抜いて行く。
 そしてパトカーもサイレン一つ鳴らさず、マイクで注意すらしないで筆者の原付を追い越していった。

 これが現実なのだ。
 法定速度より15kmオーバーして走っていても、パトカーですら注意もしない。
 原付の30kmという制限速度は非現実的だと、取り締まる警官ですらわかっている。

 なのに何故その法律を改めようとしないのか、本当に不思議である。

 原付は“原動機付き自転車”という名の通り、生まれた当初は本当に「小さなエンジンとガソリンタンクを付けた自転車そのもの」だった。
 当時のその原動機付き自転車の写真を見れば、「法定速度30kmでも仕方ない」と思う。
 今の電動アシスト付き自転車を、ガソリンエンジンで動かすようにしたようなものである。

 だがその後、原動機付き自転車は立派な小型バイクになった。
 だから「原付の法定速度30kmは非合理!」と、間違いなく言える。
 法定速度やそれに近い速度で走ると、他の車にあからさまに苛つかれて邪魔にされ、危ない追い越しをかけられる。
 意識して道路の左端を走り、追い越しやすいようにしているにもかかわらず。

 バイパスで法定速度を15kmオーバーして走り続けてパトカーに見て見ぬ振りをされた話は、先ほども書いた。
 原付の制限時速が30kmというのは不合理で非現実的だという話は、現場の警察官もよくわかっているのだ。
 ネットで調べてみたところ、交通関係のジャーナリストさんによると、現場の警官が「自動車の免許を持っている人に限り、原付の制限速度を50kmに引き上げてはどうか?」と何度も提案していて、その度に警察上層部に却下されているのだという。

 確かに原付の免許はペーパーテストだけで取得でき、実技の教習や試験なしにそのまま道路を走ることが出来る。
 だから速度を出させては危険だと言うのは、わかる。
 だが車の免許を持ち、実際に運転もしている者が原付を50kmで走らせることのどこに危険があろうか。
 筆者は一部の警察官が何度も提案しているという、「車の免許も持つ者に限り、原付の制限速度を50kmにする」という案に心から賛成するし、大いに応援したい

 自動車と原付と、筆者は今では両方に乗る身となったが。
 自動車だけに乗る皆さんは、どう思われるだろうか。
 原付が法定の30kmで、車としては速度差のある追い越しが必須の状態でノロノロ走っているのと。
 車と大差ない50kmで、ほぼ流れに乗って走っているのと。
 どちらが危険で邪魔だと、思われるだろうか


 話は飛ぶが、ネットを中心に“托卵”という言葉がある。
 浮気した妻が、間男の子を夫の子と偽って育てさせることだ。
 これが冗談でなく多い。
 ある調査によると、今の我が国の子供の6~7%は「本当の父親は、実は夫以外」なのだという。
 夫婦が共稼ぎになって、妻の浮気が急速に増えだしたそうだ。
 何しろ夫より職場の男性の方が、会話も多く、一緒にいる時間も長いのである。
 しかも職場の同僚や上司はキリッと働いている姿を見せ、夫は疲れてぐったりし気の抜けた姿を見せている。
 で、「うちのダンナに比べて、職場の○○さんはなんて素敵なの!」という話になる。
 そしてただ浮気するだけでなく、子供も間男の子が欲しくなるというわけだ。
 そこで、現実には「夫婦の子供の約7%が実は間男の子」になっている。

 しかし法律は、それに対する対応を頑として拒んでいる。
 明治期の民法をそのまま押し通し、親子関係のDNA鑑定に否定的なのだ。
 喜多嶋舞と大沢樹生の問題が話題になったように、これだけ浮気や“托卵”が増えている今もなお、日本の法律は「婚姻中の間に産まれた子は夫婦の子とみなす」という見解を修正していない。
 別居していようが、間男がいようが、離婚しない限りは「妻が産んだ子は、自動的に夫の実子とされる」のである。
 そしてそれに対する異議申し立ては「子供が産まれてから一年以内」であって、それ以後に不倫と托卵が発覚したら、その血縁の無い“浮気妻と間男の子”を自分の戸籍から抜くのは、大変に困難なのである。
 そして夫は、その浮気妻と間男の間に出来た子(赤の他人)を養育し、さらに遺産も分けねばならないのだ。
 ほんの数万円でDNA鑑定が出来、親子関係の検査ができる今になっても、法律と裁判所は昔のまま変わらないし、変わろうともしない

 この浮気された夫に浮気妻と間男の子供を育てさせる法律が簡単にDNA鑑定できる今も変わらないでいるのも、他の車が50~60kmで飛ばす中で原付の法定速度は30kmのまま変わらないでいるのも、根っこは同じだと筆者は考える。
 日本の法律は、いくら時代遅れになり非合理になっても自ら変わりたくないのだ。
 法律とは、「時代と現実に合っていてこそ守る価値があり、国民も守る気持ちになれる」のではないだろうか。

「悪法もまた法なり」という言葉があり、「非合理でも、それが決まりなんだから守らなきゃ」と言う人も少なからずいるが。
 ただ法を守ることだけが目的化し、非合理な悪法をいつまでも変えず、時代や現実に合わない法をそのままにしていたのでは、本来の法の精神が形骸化するだけでなく、国民の法に対する信頼も損なわれる結果になるのではないか。
 筆者はただ「それが法律なのだから守れ」と言う人を、自らの意志と自ら考える頭を持たぬ己の無い人と軽蔑する。
 原付の30kmという法定速度にしろ、「浮気妻と間男の子でも、婚姻中に産まれたら夫の実子とする」という民法にしろ、「非合理で現実に合わない悪法などクソ食らえ」と筆者は言いたい。

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