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空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

日本の右翼の発想と感覚は女の腐ったような輩のそれと同じである

 今日は日本があの無謀な戦争に負けた日だが。
 それについて語る前に、喩え話を二つしよう。

 J君が隣のC君を虐めて、暴力で従わせて子分にしようとしました。
 で、C君と親しいA君がそれを止め、J君に注意しました。
 しかしJ君はその注意を聞かないどころか、V君も暴力で従わせようとし、そしてさらに酷くC君を虐めました。
 だからA君がきつくJ君をを叱ると、J君は逆ギレしてA君にも不意打ちで殴りかかって喧嘩を仕掛けました。
 それで本気で怒ったA君に、J君はボコボコにやられて降参しました。
 喧嘩の後で、J君は「喧嘩をしてこんなに酷い目に遭いました」と記録に残そうとしました。
 するとJ君の家族の中で争いが起きました。
 J君は「まず自分がC君に暴力を振るった」という喧嘩の原因から記録に残そうとしたのですが、家族の一部が大反対したのです。
「それは余りにも偏った意見だ、自虐はよせ!」と。
 で、その一部の家族がとても頑固に反対するので、J君は喧嘩についての記録をとうとう残せませんでした。

 他人に暴力を振るい酷い怪我をさせ、警察に捕まった犯人がいました。
 その犯人は逮捕の際にも激しく抵抗し、警察官にも怪我をさせました。
 そして捕まった後、「悪いことをしたと、反省していますか?」と問う裁判官に、犯人はこう言いました。
「反省なんてするわけない、悪いことをしたと認めるのは自虐だし、自分に自信が持てなくなるだろ」


 東京大空襲で多くの日本人、それも民間人がアメリカの無差別爆撃により殺された。
 それでその記録を残そうと、都は焼夷弾の残骸や遺品、そして生存者の証言を集めた。
 ただその「日本の民間人が受けた被害」を伝え、見た人にただ「アメリカは酷い!」という印象を与える展示にしない為に、都は先に日中戦争で日本軍が中国の都市に無差別爆撃して民間人を殺傷した事実も展示しようとした
 すると“右翼”と言うより、都民から選ばれた一部の都議サマが大反対したのだ。
 彼らの言い分はこうだ。
「余りにも偏った歴史観だ!」
「自虐史観だ!」

 で、その都議らが激しく反発した為に、集めた遺品や証言を平和記念館を設立して展示する計画は頓挫した

 筆者は問いたい。
 東京大空襲であれだけの大被害を受けることになったそもそもの原因から語り起こすことが、何故「余りにも偏った歴史観」で「自虐」になるのか?
 そもそも、日本軍が中国を侵略しただけでなく、中国の重慶に無差別爆撃をして多数の民間人を殺したのは、動かしようのない、紛れもない事実だ。
 都市に対する無差別爆撃はドイツ軍のゲルニカに対するものが元祖だが、重慶に対する日本軍の無差別爆撃もそれ以上に規模が大きくて酷い。
 つまり先の大戦では、民間人に対する大規模な無差別爆撃はアメリカより先に日本が行っていたのだ。
 その事実から目をそらして「アメリカにやられた、アメリカ軍は酷い!」と騒ぐことこそ、「余りにも偏った歴史観」でなくて何であるか。

 あの戦争では、日本はそもそも“加害者”だ。
 その先に喧嘩を仕掛けた加害者が、やり返されて受けた怪我を「酷い、こんなにやられた!」と騒ぐのは、第三者から見れば笑止千万であろう。
 つまり東京大空襲の被害と重慶に対する無差別爆撃の加害を平行して説明することを「自虐!」と非難する右翼と一部都議こそ、冷静に見れば「余りにも偏った歴史観を持つ愚か者」ということだ。

 日本の右翼は、「日本は正しい、我が国は間違ったことは何もしていない!」と未来の日本人に教え込みたいらしい。
 だから「日本も間違ったことをした」と認める者を「自虐史観で反日の非国民だ!」と敵視する
 彼らによれば、「日本が間違った事や悪い事をしたと認めたら、日本人は自国に自信と誇りが持てなくなる」のだそうだ。

 例えば罪を犯した者、悪いことをした者の更生には、反省が一番大切だと言うではないか。
 しかし右翼の論理では違うのだ。
「自分が悪いことをしたと認めたら、自分に自信が持てなくなる、だから反省するのは自虐でいけない事なのだ」
 日本の右翼は、まさにこう言っているようなものだ。
 悪いことをしても、それを認めず反省など絶対にするな!
 これが我が国の右翼
なのである。
 だから「戦争は中国が仕掛け、アメリカの陰謀で引きずり込まれた」とか「日本は自衛の為、アジアを白人支配から解放する為に戦った」などと、真っ黒を白と言い立てるような「余りにも偏った歴史観」を言い立てている。

 先の戦争で、日本軍が先に重慶に大規模な無差別爆撃をして多数の民間人を殺傷したのは、紛れもない事実だ。
 東京大空襲の被害と悲劇を語るならば、まずその重慶の無差別爆撃から語り出すのがフェアというものと筆者は考えるが、違うか?
 しかし我が国の“右”の人達は「日本が犯した加害には目と口を閉ざし、被害だけを語れ!」と求め、日本の加害を語ると「余りにも偏った歴史観だ!」と騒ぐ
 余りにも偏った歴史観を持っているのは、誰か。
 まさにネットでよく言われる、「自己紹介、乙wwww」というやつである。

 黒川伊保子さんの『女の機嫌の直し方』という本がある。
 黒川さんは人工知能の研究者で、男性と女性の脳と思考の違いを熟知している。
 それによると女性は「ただ話を聞いてもらいたい」のであって「問題の解決は求めておらず」、そして「何があっても自分の味方でいて、自分を依怙贔屓してもらいたい」のだそうだ。
 だから女性に何か“相談”された時、「こうすれば良かったんだよ」とアドバイスするのは厳禁で、特に「君のここも悪かったんだよ」などと注意すると「貴方は私の味方じゃないの!?」とキレられるのだそうである。

 女性の脳は、客観的で公平なジャッジなど求めない。
 女性が求めるのは、「うんうん、わかるよ」と話を聞き、とにかく依怙贔屓して何があっても自分の味方をしてくれることだそうだ。
 笑い話に、女性が「あたしは悪くない!、電柱があたしの車にぶつかってきたの!! あたしを信じないの!?」と逆ギレするものがあるが。
 そこで「常識で考えて見ろよ、電柱がぶつかってくるわけがないじゃないか」と正論で冷静に諭すのは駄目で、「うんうん、わかる、君は悪くない、電柱がぶつかってきたんだよね?」と同情しつつ頷くのが正解
なのである。

 この悪い意味での“女性脳”、我が国の右翼の思考と発想にとてもよく似ていないだろうか。
 戦争を仕掛けたのはどちらか、どんな加害をしたかなど、史実に基づいての公平で客観的なジャッジなどしない。
 とにかく「日本は悪くないし正しい!」という前提で、あくまでも日本を依怙贔屓して歴史や戦争を語る。
 これが我が国の右翼である。

 日本の加害の事実を少しでも語ると、この国の右翼は「自虐史観だ、非国民め、それでも日本人か!」と騒ぐが。
 そんな右翼は「理屈なんていいからあたしの味方をして依怙贔屓してよ!」とヒステリーを起こす“女の腐ったの”と全く同じ
である。

 我が国では思想信条の自由が保証されている。
 だが例えば「1+1=3だ!」と主張するのも、思想信条の自由だろうか
 誰がどう言おうが「1+1=2」だし、思想信条の自由はあるが、個人の感情では動かせない厳然たる事実というものもあるのだ。
 日本が侵略戦争をしたこと、中国の都市に無差別爆撃をしたこと。
 これらは「歴史観の違いの問題」の範疇には入らぬ、議論の余地の無い紛れもない事実
である。

「東京大空襲の被害については大いに騒ぐが、日本がそれより先に中国の都市に対してした無差別爆撃については黙っているべき」
 果たしてこれが、正しい歴史観だろうか?

 東京大空襲の被害と悲惨さについては後世まで永く語り継ぐべきだが、同時に「日本も中国に無差別爆撃をした」という事実も語るのが公平で公正な男性脳であろう。
 それを理解できない、「日本人なら日本を依怙贔屓して、日本の被害だけ大騒ぎして、日本に都合の悪いことは無かったことにしろ!」という悪い意味で女性脳全開なのが、この国の右翼である。

 右翼というと、マッチョで男っぽい人を想像しがちだが。
 しかし「右翼の発想と感覚は女の腐ったようなのと同じ」というのが紛れもない事実なのである。
 東京大空襲の被害を平和記念館を設立して伝える都の計画が、都民の投票で選ばれた右翼系の都議たちの反対で実現しなかった経緯を見ると、その事実がとてもよくわかる。

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青に白を重ねる

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 私は四人家族の家庭で育ちましたが、ある意味で孤独でした。
 と言うのは、私と他の三人が、気性が全く違ったからです。

 私は基本的に、「まず事実を確認し、その根拠を元によく考えて初めて答えが出る」と考えます。
 だから私にとり、自分で調べてよく考えてみる前の物事は全て「わからない」なのです。
 そんな私にとって、世の中はわからない事だらけなのです。
 だから(家族や親しい友人を含め)誰かに何かを聞かれた時、私は「わからない」と答えることが少なくありません。

 けれど家族の他の三人は違いました。
 確かめず、よく考えもせずに答えがポンと出てしまうのですよ。
 根拠なく、直感で何でもわかってしまう。
 そしてその自分の感覚で適当に出した答えを、自信を持って言い切る。

 それで「調べて、考えてからでないと答えを出さない」私は、他の家族みなに「ノロい、なぜわからない、なぜさっさと答えを出さない」と叱られ、ウザがられました。
 そしてよく考えて答えを出しても、その答えに至った理由と考えを説明しようとすると、面倒くさそうに遮られ、「くどい」と一蹴されました。
 だから殆ど考えずにポンと直感で答えを出す他の家族たちの中で、熟考してから正しい答えを出そうとする私は常に孤独でした。

 でも世の中に出てよくわかりました。
 学校でも職場でも私のように「よく見て根拠をもとに熟慮して答えを出す」人間はごく少数で、人間の大半は、高学歴の頭が良いとされている人も含めて「よく見ず、考えるよりも直感でポンと答えを出す」人なのだと。

 人間の脳は、二階建てなのだそうです。
 一階が、感覚やら感情やらの動物的な脳。
 二階が、論理や理屈や思考などの知性的な脳。
 だとすれば、世の中の大半の人は脳の一階部分しか使いたがらないようですね。

 まず見て、考える、そして答えを出す。
 それが基本となっている私にとって、直感でポンと答えを出したがり、よく考えることを嫌う(理屈や証拠を元にいろいろ考えているとイライラする)人はとても苦手です。
 そして私には、何かを「信じる」のは「よく見てよく考えることの放棄と同じ」と思えます。

 人が何かを信じたがるのは、「いちいちよく見て考えるのが面倒だからではないか?」と私は考えています。
 だって、信じてしまえば何も見ず(確かめず)、何も考えなくて済みますからね。
 だから「神様はこうおっしゃった」とか「○△先生はこうおっしゃっている」と、誰かが始めた宗教や主義や思想を信じてそれを頼りたいのですよ。
 でもそれは、「観察や思考を放棄して、自分を他人に委ねること」なんですけれどね。

 ものを自分の目でよく見て、自分の頭でよく考えるのを億劫がり、神なり教祖さまなりカリスマ指導者なりセンセイなり、他の誰かの言うことを鵜呑みにして信じようとする。
 やはり私、宗教の信者やナントカ主義の信者は苦手です。


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雲の海

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 イスラム教過激派とか、キリスト教福音派とか、ユダヤ教超正統派とか、そして日蓮宗系の新興宗教とか、熱心すぎる宗教の信者も困りものですが。
 私には特定の主義を熱心に信じる人も、宗教の狂信者と同じに見えます。

 私が大学生の頃は、学内ではまだ左翼が強くて。
 そして特に閉口させられたのが、熱心な共産主義の人達でした。
 彼らはもはや“マルクス・レーニン教の信者”と呼ぶべきでしたね。
 マルクスの書いた本に書いてあることやマルクスの論理を固く信じて、いくら事実をもって語っても、全く耳を傾けないんですよ。
「世の中が悪いのは全て資本主義のせい」
 そう言い切って、「共産主義の社会も腐敗してるでしょ」と私がいくら実例を挙げて話しても、自分に都合の悪い話になると「あーあー、聞こえない!」なんですよ。
 で、あげくに私は「コチコチの右翼」と呼ばれる有り様で。

 その“コチコチの右翼”の筈の私は、今も当時と全く同じことを言っているんですが。
 それが安倍政権の今では、「左翼だ!」と罵られます。
 左翼の人達だけでなく、「日本はアジアを白人支配から解放する為に戦争をした」とか「悪いのはABCD包囲陣を作った奴ら」とか「天皇の祖先は天照大神である」とか正気で言い張って譲らない右翼の連中もまた「言葉の通じない、意志疎通が不可能な連中だなー」と心から思います。

 宗教だけでなく特定の主義や思想を強く信じる人達も。
 私はとても苦手です。

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雲の海と太陽

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 でも、怖い信者は創価学会員だけではないです。

 私、大学では史学科で歴史を学びました。
 専攻は日本史です。
 けれど日本史の勉強に専念できたのは、三年と四年の二年間だけでした。
 一年と二年の間は、東洋史専攻の人も西洋史専攻の人もそして日本史専攻の人も、東洋史も西洋史も日本史もとりあえず一通り勉強させられるのです。

 で、西洋史概論の講義で、「人類の誕生と文明の発生」について論文を書くよう、教授から課題を出されまして。
 何を書くか、同じ学科の仲間と話し合っていたんです。
 その際、美人で男子生徒に人気のNさんが、ギャグとかジョークとかでなく真顔で、きっぱりこうおっしゃいまして。
「神です。人類と文明をお作りになったのは、神なのです!」

 ……いや、そのNさんがカトリックの信者だということは、一応知っていましたが。
 神学校でも宗教学の授業でもなく、普通の大学の歴史学の講義で、ですよ?
 Nさんは学内でも、一、二を争う美女でしたが。
 そして私も、Nさんと仲良くなろうとチャンスを狙っていた野郎どもの一人でしたが。
 まさかこれほどまでの“信者”とは思わず、Nさんから少し距離を置きたくなってしまいました。
 ええ、彼女に「人類と文明をお作りになったのは、神なのです!」とあまりに大真面目にキッパリ言い切られて、もう誰も何も言えず、話はそれで終わってしまいました。

 証拠から論理的に歴史を学ぶ史学科で、正気で「人類と文明をお作りになったのは、神なのです!」ですよ?
 ……宗教、本当にコワいです。



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雲の向こうの太陽

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 私、ネットオークションをよくやっています。
 売る方ではなく、買う方で。
 基本的に通常より安く手に入れられますが、たまにですが、ろくでもない物を掴まされます。

 先日も、あるカメラを落札しまして。
「バッテリーも充電器も無いので、状態はよくわかりません」とありましたが、「防湿庫で大切に保管していたものです」とも書いてあるので落札しました。
 動かないジャンク品とも書いてありませんでしたしね。

 ええ、見事にやられました。
 アマゾンからバッテリーと充電器を購入して、電源をON。
 すると何度電源のオンとオフやバッテリーの抜き差しを繰り返しても、err99の表示が液晶画面に出て全く使えないのです。
 ネットで調べたところ、err99はそのメーカーのカメラのユーザーに恐れられている、原因不明の故障のサインなのだとか。
 一杯食わされてババを掴まされた、ということですね。
 してやられました。

 でも私、今回は「運が悪かった、野良犬にでも噛まれたと思おう」と諦めて、泣き寝入りすることにしました。
 何しろその不良品のカメラを包んでいた緩衝材がわりの新聞紙が、あの『聖教新聞』でしたから。
 まあ家の境界のような問題では、弁護士を立ててでも争いますが。
 数千円の中古カメラの件で、創価学会の信者と争って神経をすり減らすのは損だと思いまして……。
 数千円は痛いですが、過去の経験で創価学会員とのトラブルは面倒だとよくわかっていますし、野良犬に噛まれて病院に行っても同じくらいの治療費はかかるだろうしと、諦めることにしました。

 ものを送る際の緩衝材に聖教新聞を使うと良いですよ~。
 何しろ相手がビビりますから。


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輝く太陽と正反対の暗い記事(創価はコワイ)

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 一昨日も書き、先週も大阪府政についての記事でそれらしきことを触れましたが、私、宗教は本当に苦手で嫌いなんですよ。
 特に我が家の隣に創価学会の熱心な信者が住んでいて、本当に酷い目に遭いましたから、創価学会とその信者には恨み骨髄です。

 その隣家と我が家は、かつて境界にある側溝を共用していたんですよ。
 隣家は旧家で、我が家はその土地の一部を買って家を建てたんです。
 で、その際に隣家の親戚が間に入り、隣家と我が家の父との話し合いで、「側溝は両家で共用できる」ということになったんですよ。
 ですが年月が経つうちに隣家の当主が亡くなり、我が家の父も亡くなり、話し合いの際に間に入った隣家の親戚も亡くなって。
 そしてその間に、隣家の奥さんは熱心な学会の信者になったんですね。
 もう、自宅の玄関脇に学会の旗を高く掲げるレベルの信者さんです。

 で、隣家は庭が広く木とかたくさん茂っていて、その落ち葉が毎年大量に我が家に落ちてくるわけですが、木の剪定もしないし、挨拶ひとつありません。
 町内会の決まりで、年に数度は例の側溝の掃除もすることになっていたのですが、隣家はその掃除に出てきたことは一度も無く、側溝はいつも我が家が掃除していました。
 まあ「信心ひとすじ」ってことでしょうねwwww。

 ところがです、広い敷地を持つ隣家が、我が家の隣に当たる土地を切り売りすると決めて間もなく、突然知らない大柄で威圧的な男性が家に来て、いきなり我が家の母を呼びだして文句を付けてきたのですよ。
「うちの側溝を長年勝手に使い続けて、非常識だ!」と。
 その人、隣家の身内や親戚でもなければ、弁護士でも司法書士でも何でもなく、隣の奥さんの信仰仲間のただの創価学会員でした。

 隣家の奥さんや家族や法律関係者ならともかく、何の関係もない“信者仲間”のオッサンが押し掛けてきて、いきなり非常識だの何だのと因縁を付けてくるわけです。
 で、こちらも黙っておらず、弁護士を立てて交渉しました。
 すると隣家の奥さんは「いや、共用という話は、うちの親戚とお宅のご主人が勝手に決めたことで、うちとしては本当は前から不本意で……」とか、ごにょごにょ言い出しまして。

 ま、費用を両家で折半して、隣家が土地を売りやすいように新しい側溝を作り直すということで、話が付きましたが。
 でもそれは、こちらが学会員の威圧に負けずに弁護士を立てて交渉したからです。

 もし近所に創価学会の人が住んでいたら。
 その家とは、なるべく揉めないことです。
 揉めると、見ず知らずの“仲間の創価学会員”が、貴方のお宅に押し掛けて来ますから。
 でももし不幸にしてそんな事態になったら、弱気にならずに弁護士なり警察なりを頼みましょう。

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正雪上撰(神沢川酒造)・富士武者(富士正酒造)・本醸造富士山(牧野酒造)

 ふと思い立って、県内の地酒のカップ酒を飲んでみた。
 県内の地酒で、他県の地酒ファンに知名度が高いのは、まず磯自慢だが。
 これは人気で、かつよく売れているので、県内でもなかなか手に入らない。
 そこで由比正雪の名にちなんだ知る人ぞ知る銘酒、正雪上撰を買って飲んでみた。
 値段で言えば、この蔵元で下から二番目の、少しマシな普通酒であるが、アル添ではあるものの、糖類や酸味料などの妙なものは加えられていない。

正雪上撰①P1190390正雪上撰②P1190392

 キャップを開けると、穏やかな酒らしい良い香りが漂う。
 基本はやや辛口だが甘さもあり、苦さや渋さは控え目で飲みやすい。
 スッキリしているのに、コクと味わいがある。
 とてもバランスが取れていて、辛さも甘さもあり旨口に近く、サラリとしていつつも飲み応えもあり、嫌みが全く無くてどんどんたくさん飲めてしまう。
 純米とか吟醸とかいった上等なお酒とは比べられないが、本醸造ですらない普通酒としてはとても良い出来だ。
 晩酌に飲むなら、これで充分だ。

 安いのに、何とバランスの取れた良い酒だろう。
 筆者は「酒は純米が基本だろ」と思いがちだが、これはアル添でしかも普通酒なのに「美味しい」と思ってたくさん飲んでしまう。
 香りも穏やかで、味わいはあるのにスッキリ飲みやすいので、料理にもとても合う。
 これはコスパに優れた、とても良い酒だ。
 正雪は一番安い普通酒でも充分に美味しく飲めるが、少しだけ高い上撰の方が、値段の差よりも明らかに美味しくてお買い得だ。

 静岡県に来たら、名の知られた磯自慢だけでなく、ぜひ正雪も飲んでみてほしい。
 純米や純米大吟醸などの高価な酒も造っていて、これがまたものすごく美味しい!
 それだけでなく、普通の人が気軽に飲む安価な普通酒でも充分に旨いのが正雪の良いところだ。
 純米大吟醸から最も安い普通酒まで、正雪は全てお値段以上に美味しい。

 県内では富士山とその周辺が世界遺産になっているが、富士山の麓にある白糸の滝も世界遺産に認定された。
 筆者はかなり以前から、時折その白糸の滝に行っていたが。
 以前は「ただの滝」だったのに、世界遺産の一部となった今は、滝に行く道や階段も整備され、土産物屋や小洒落たカフェなど出来て、すっかり“観光地”に様変わりして、外国人など大勢の客が来ている。
 このコロナ禍の今も、日本人や外国人の観光客が少なからず来ている。
 そこで筆者は、土産にカップ酒の地酒を買って帰った。

富士正・富士武者

 その「富士山に最も近い蔵元」という、富士宮市の富士正酒合資会社の、富士の地酒富士武者を飲んでみる。
 普通酒でアル添だが、正雪と同じで糖類や酸味料は加えていない。
 酒は見てすぐにわかる黄色みを帯びており、活性炭による濾過を極力控え、米の旨味を生かしていることが飲む前からわかる。

 話は少しそれるが、ここで多くの日本酒にされている活性炭による濾過について書いておこう。
 日本酒を造る際に使う米は、削らないと雑味が残る。
 だから高価な良い酒ほど、研く(米の外側を削る)のに適した大粒の酒造好適米を使い、かなりの部分を削る。
 しかし精米歩合を高めれば高めるほど米は削られ、酒造りに使える米は少なくなる。
 つまり精米歩合を高めて雑味を取れば取るほど、お金がかかるということだ。
 しかも酒造好適米は作るのが難しく、粒が大きく重いので台風や強風などに弱く、普通の食用米より値段も高い。
 それで高く売れる純米吟醸酒などは別として、リーズナブルな価格のお酒は食用米を使うことになる。
 そして酒造好適米より粒の小さな食用米は研きにくいし、そして研けば使用しなければならない米の量も増える。
 だから安価なお酒は、食用米を、周辺をちょっとだけ研いて造ることになる。
 当然、雑味が出る。
 それでその雑味を取り除く為に、活性炭で濾過をする。
 お手頃価格の日本酒など、酒が真っ黒のドロドロの液になるまで大量に活性炭を投入し、それを濾過して“清酒”として売り出しているそうだ。
 だが活性炭は雑味だけを取り除いてくれるような便利で都合の良いものではなく、同時に酒の旨味も取り去ってしまうのだ。
 ゆえにコスト最優先で食用米を殆ど研かずに造り、大量の活性炭による濾過で雑味を(旨味と一緒に)取り去った酒は、見ただけですぐにわかる。
 水のように無色なのだ。
 そして飲むと、雑味が無い代わりに旨味もコクも無い。
 誰もが知るワンカップ大関など、まさにそれだ。

 日本酒は、冷蔵せずに暑い場所で夏を越させると、茶色く変色する。
 それを赤酒とも言うのだが、日本酒は本来無色ではなく、薄く黄色い色が付いているものだ。
 その本来の薄い黄色と、暑さで変質した赤酒の色を混同して、日本酒本来の色の付いたお酒を避けたりしないよう、くれぐれもお願いしたい。
 もしミネラルウォーターや水道水のように無色の日本酒があるとしたら、それは安い米を殆ど研かずに造り、それを大量の活性炭で濾過し、雑味と一緒に旨味まで取り去ったコスト最優先の駄目な酒だ。

 話は戻る。
 白糸の滝で土産物として売られていた富士正酒のこの富士武者は、一目で黄色いとわかる。
 筆者は「ああ、これは活性炭による濾過を極力抑えたな」と思ったが、飲んでみてまさにその通りだとわかった。
 キャップを開けると、香りは弱い。
 しかし飲むとしっかりした味わいで、飲み応えがある。
 味は濃いのに、嫌味なし!
 辛さと甘さのバランスもとても良い。
 やや辛口だが米の甘さも充分にあり、旨口に近い。
 アル添だが、醸造用アルコールを大量に使った安酒によくあるアルコールの刺々しい辛さを感じない。
 これは美味しい!
 真面目に造った良い酒である。
 米の旨味を存分に感じられる。
 純米とか吟醸といった高級な酒ではないが、毎日、晩酌に楽しんで飲める。
「酒は純米でないと」と思いがちな筆者の固定観念を改めさせた、本当に美味しい、真面目に造られた銘酒だ。
 これは世界遺産の白糸の滝で土産物用として売られているが、是非白糸の滝を訪れた全国の人に飲んでみてほしい酒だ。
 これは良い! 正雪上撰よりも間違いなく良い!!
 これを造った富士正酒合資会社(静岡県富士宮市根原)の他の酒も、是非飲んでみたいと思った。

富士山本醸造P1190393

 さて、「富士宮市の地酒、意外に良いではないか!」と思った筆者は、同じ富士宮市の地酒をもう一本買って飲んでみた。
 富士宮市の牧野酒造合資会社の、本醸造富士山である。
 アル添だが、正雪上撰や富士武者より格上の本醸造である!
 だから「正雪上撰や富士武者より旨い筈」と、期待して飲んだ。
 富士武者ほどではないが、酒に色もそこそこ付いている。
 香りは「ほんのり」だ。
 飲むとまず辛さを感じ、そして僅かな渋味も感じる。
 富士武者とは違って甘さが殆ど無く、かなりの辛口だ。
 あと、富士武者より薄味でコクも弱いのに、味にスッキリしない印象をどこか感じる。
 不味いとは言わないが、美味しくない。
 かなりの辛口と書いたが、その辛さに丸みが無く、醸造用アルコールによる辛さに似たピリピリした刺激を感じる。
 辛さが刺激的で不快な上に、コクもなく旨味が少ないのにスッキリしないと、富士武者や正雪上撰と比べ全ての面で劣る印象だ。
 普通酒より美味しくない本醸造酒があるのだから、日本酒は本当に飲んでみないとわからない。
 実際、純米酒でも美味しくないもの、吟醸を名乗っても香りがほのかでしかないのもある。
 だから純米とか吟醸とか本醸造とかいった日本酒の分類は、本当に「目安の一つ」に過ぎない。

 今回、県内の地酒のカップ酒を三つ飲んでみたが。
 ①富士武者
 ②正雪上撰
 ③本醸造富士山
 個人的な主観による判断だが、この順に美味しかった。
 純米を名乗る酒でも美味しくないものもある現実は、以前から知っていたが。
 今回、普通酒や普通酒上撰より劣る味の本醸造酒があるとわかったのは、一つの収穫だった。

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天皇を天照大御神信仰や日本神道と切り離せ!

 筆者は宗教も「信じること」も大嫌いだ。
 何故なら宗教は教祖を神と崇め、その教えを理屈抜きで受け入れて信じることを強要するからだ。

 筆者はまず物事すべてを「信じる」のではなく、資料をもとに検証して考えた上で正しいと思えたもののみを受け入れている。
 だからとにかく信じて受け入れることを求める宗教とは、根本から肌が合わない

 そもそも完全無欠な聖人など存在せず、どんな立派な人にも欠点はあるものだ。
 反対に、歴史的に有名なレベルの大悪人にも、少しは良いところもある。
 例えば魔王と呼ばれた織田信長や、あのヒトラーにすら優しい面があった。
 しかし宗教は教祖を立派な神と祭り上げ、どんな批判も許さない
 で、信者は名誉欲も金銭欲も強い野心家の脂ぎったオッサンすら、完全無欠な偉人にしてしまう
 そして「王様は裸だ!」とその正体を見抜いて批判する者を、集団で、徹底的に叩く。
 だから筆者は宗教と、それを熱心に信じる人を嫌っている。

 そんな筆者ゆえ、今はこの国の“象徴”とされている天皇に対する思いも複雑である。
 何故なら天皇は、人間宣言をした今もまだ「祖先は天照大神」という説を否定していないからだ。
 そして伊勢神宮は「天皇の祖先とされている天照大神を祀る」とされている
 つまり天皇は、生きている人間でありながら、我ら国民と同じ人間でありながら、今もなお皇祖神である天照大神から神武天皇までを祀る日本神道という宗教と不可分なのだ。
 それゆえこの国では、天皇に対する批判はタブーに近い状態のままである。

 天皇のことを、英語では“Japanese emperor”と言う。
 文字通り訳せば、日本国皇帝だ。
 そして他国の皇帝や国王は、その者個人の業績により賞賛されたり批判されたり、いろいろ評価されている
 政治家は歴史に裁かれると言われる通り、国政に関与する者は強大な権力を得る代償に、厳しい批判も受けるわけだ。
 だから他国の皇帝や国王は、悪政を行えば容赦なく後の世の歴史家に叩かれる
 それは皇帝や国王であっても神ではなく、「我ら国民と同じただの人」だからだ。
 しかし日本は違う。
 歴史家は非道を働いたり権力欲から戦乱を起こしたりした悪い天皇を批判するのに非常に神経を使い、過去の天皇の悪事についてはとても遠慮がちに書く。
 それは天皇が、日本国民の多くが信じている宗教である神道で祀られている神の子孫だからだ。

 英語ではJapanese emperorなのに、何故日本語では皇帝ではなく、あえて“天皇”と今も表記し続けるのか。

 それはズバリ、「天皇は神でもある」からだ。
 中国語で、天にある最高神を天帝、地上の絶対的な権力者を皇帝という。
 そしてその天帝と皇帝を合わせ、「天の最高神で、かつ地上の支配者」という意味で自称したのが“天皇”なのである。
 つまり日本の天皇は「皇帝より格上」というだけでなく、「我は神でもある」と自称しているのである。
 だから日本の“天皇”からの書状を届けた遣唐使に、当時の中国の皇帝は「無礼な!」と怒った。
 そして伊勢神宮の内宮に祀られているのが、日本神話で最高神とされ、かつ今も「天皇の祖先」とされている天照大神である。
 つまり我が国の“天皇”とは、伊勢神宮と神社本庁を頂点とする、日本神道という天照大神を信仰する宗教と不可分の存在なのである。
 それだけに「今も神を自称する」日本の皇室は、他国の皇室や王室とは全く違う存在なのだ。

 ゆえに天皇を批判するのも難しいし、歴代天皇は正しい歴史的な評価もされていない。
 歴史を詳しく調べてみると、酷い天皇はいくらでもいる。
 我が子に皇位を継がせる為に、邪魔になる弟を殺した天皇など何人もいる。
 だから甥など、平気で殺す。
 そんな天皇は当たり前にいる。
 天智天皇は実の妹と近親相姦を続け、自分が皇位に就く為に政敵は平気で殺し、汚い裏切りも繰り返した。
 孝謙(称徳)天皇は怪僧道鏡を寵愛し、それを批判する人達を文字通りなぶり殺しにして、死ぬまで恐怖政治を続けた。
 後醍醐天皇は野心家で、傍系の出で本家の幼い皇太子が成人するまでの“中継ぎの天皇”なのに、天皇家の財産を独り占めにして、皇位も財産もみな我が子に継がせようと戦乱を起こしたにもかかわらず、「建武の中興を成し遂げた」と今も歴史教科書に書かれている始末だ。
 歴史を詳しく調べれば、歴代天皇の悪事や醜聞などいくらでも出てくる。
 しかし日本の歴史は、それを公然と語るのに非常に腰が引けている。


「北条高時は犬が好きで舞に夢中で、政務をおろそかにして鎌倉幕府を滅ぼした愚か者」
「足利義政は応仁の乱を起こしたくせに茶の湯や絵画に熱中し、銀閣寺を造って政務を放置して戦国乱世を招いた」
「徳川綱吉は人より犬を大事にしたおバカで、犬公方と呼ばれた」
 その種の武士の権力者(執権や将軍)の悪評は、多くの国民が知っている
 むしろ彼らは実際以上に悪く言われ、あざ笑われている。
 しかし酷い天皇の悪行については、歴史を詳しく批判的に見る人だけが知っていて、ほぼ99%の日本人は知らずにいる
 それが歴史を知る者として、腹立たしくてならない。

 足利義政はともかく、北条高時も実際には言われるほど(特に『太平記』で)悪い人ではないし、徳川綱吉が犬を大切にしたのも、彼には彼なりの理屈があった。
 だが武家で失政をした者は実際以上に悪く言われて愚か者とあざ笑われる一方で、天皇の悪行については多くの人が口をつぐんで触れずにいる
 諸外国の皇帝や王は、悪い政治を行った者や人倫にもとる行為をした者は容赦なく叩かれている。
 しかし日本の天皇は、悪政を行おうが人倫にもとる行為をしようが、自国の歴史家にすら叩かれない。

 何故だ?
 それは天皇(とその祖先)が神だから、そして批判すると日本神道と右翼勢力を敵に回すからだ。
 だから怖いし畏れ多いしで、事実すら大っぴらには言えずにいる。

 宗教の信者は怖い。
 何しろ何かを強く信じる“信者”には、「理屈や道理が通じない」のだから。
 事実を示して論理的に説得しようとしたところで、ただ感情的に「侮辱された、許さない!」と激昂し、下手をすれば集団で押し掛けられて騒がれたり、暴力を加えられたりする。
 だから日本神道の信者と右翼勢力が怖い日本人は、武家の失政については遠慮なく叩く一方、天皇の悪事や醜聞についてはほぼ黙るか、目立たぬようにひっそりと書くに留めている

 それにしても、おかしな話である。
「政治家は歴史に裁かれる」という言葉通り、国政に関与した以上、歴代天皇も歴史に裁かれなければならない筈だ。
 今の象徴天皇はともかく、主権者であった昭和二十年までの天皇は業績や行為を歴史家に厳しくチェックされ、落ち度があれば批判されて当然なのだ。
 なのに貴族や武士で権力の座に就いた者は容赦なく批判される一方、歴代天皇はその歴史の裁きをほぼ免れている。

 例えばこの7月に出版された、朝日新聞出版の『歴史道vol.10江戸三百藩の暮らしと仕事』というムック本がある。
 そこには「徳川十五代将軍全採点!」という記事があり、知力・施策・人事外交力・経営力・人気の五項目について各二十点、合計百点満点で評価が下されている。
 88点という高い評価を得た将軍がいる一方、30点という低評価で散々に叩かれた将軍もいる。
 さらに「名君・バカ殿ベスト&ワースト10」という記事もあり、それぞれ名君の業績や、バカ殿の悪行もしっかり書いてある。
 このような書籍は紹介した『歴史道vol.10江戸三百藩の暮らしと仕事』だけでなく、戦国大名や将軍などについて点数やグラフで評価して順位をつけたり、名君の業績や暗君の悪行を書いた本はいくらでも出されている
 しかし天皇については、点数で評価して順位をつけたり、“名天皇”と“バカ天皇”についてベストとワーストの10を書いた本は出されない。
 何故だ?
 やはり「天皇は神だから」で、日本神道という宗教の信者と右翼が怖いからだろう。
 当たり前の他国の王室とは違う、神を自称する宗教と不可分の日本の天皇は本当に恐ろしい。

「天皇は日本国の象徴だから、天皇を悪く言うのは日本を侮辱するのと同じことなのだ」
 そう説明する人もいるかも知れない。
 しかし天皇が我が国の象徴になったのは、第二次世界大戦に日本が負けてからだ。
 それ以前は、天皇はこの国の主権者として政治にも関与していた。
 だから歴代の天皇は、その言動を歴史家に詳しく検証され、正当な評価もされるべきであると同時に、批判されるべき点は批判されるべきなのだ。
 しかし不敬罪が無くなった今も、過去の歴代天皇に対する正しい批判すらはばかられているのが、この国の歴史学と空気なのである。

 皇室は昭和天皇が人間宣言をした今も、天照大神を「天皇家の祖先」として伊勢神宮に参詣している。
 それでは人間宣言を否定し、伊勢神宮と神社本庁を支えているのも同じではないか。
 国民にも「日本国の象徴なのだから、皇室に敬意を持たなければならない」と言う人が少なからずいるが。
 しかし皇室が天照大神信仰や伊勢神宮との関係を続けている以上、「天皇が日本国の象徴」だとすれば、「天照大神崇拝と日本神道は、日本の国教」ということになりはすまいか。

 天皇は他国の皇帝や国王と違い、天の最高神と地上の支配者を合わせた“天皇”という名称からして、宗教的な色彩を強く帯びている
 その天照大神信仰や伊勢神宮との関係を今も続け、昔からの神事を延々と続けている天皇を「我が国の象徴」として拝むことに、宗教ギライで無神論者の筆者は非常に強い抵抗を感じる
 運と才能に恵まれて権力は握ったが元は皆と同じ人間とわかっている他国の皇帝や国王と、神の子孫を自称する我が国の天皇は、性質が全く違うのだ。
 だから筆者は、他国の皇帝や国王と同じ気持ちで天皇を尊ぶことが出来ずにいる。
 何しろ昭和二十年まで、天皇は現人神を自称し、国民を臣下として皆に拝ませていたのだ。
 筆者の父も母も伯父伯母も、みな天皇を神と拝まされた世代だ。
 で、国民は今も「神を悪く言うのは畏れ多いし、何より右翼も怖いから」と、悪い天皇を「悪い」と大っぴらに言うことすら出来ずにいる

 昭和、そして平成と、二代続けて人としてとても立派な天皇が続いた。
 だから国民も「天皇家の人はみな立派なのだ」と思い込んでいる
が。
 歴史を知る筆者は「違う!」と断言する。
 天皇もまた人間であり、俗人と同じように権力欲や野心や「可愛い我が子の為なら何でもしよう」という思いが強い者もいる。
 だから尊敬できる立派な天皇と同じかそれ以上に、悪い天皇も何人も存在するのだ。
 その事実を知らずにいる国民が非常に多い事を残念に思うと同時に、知らぬままでいさせて天皇を神格化したい勢力に怒りと憎しみを覚える。

 どうか皆さん、気付いてほしい。
 天皇は神でも、神の子孫でもない。
 天照大神が天皇の祖先の偉い神だなどと、とんでもない嘘っぱち
だ。
 天照大神? そんなものは存在しないし、伊勢神宮など何も尊くない。
 筆者はまだものを知らない小学生の頃に、元帝国軍人だった父に伊勢神宮に参拝に連れて行かれたことを今も悔やんでいる。
 歴史を学んだ今なら、筆者は伊勢神宮になど決して足を踏み入れない。

 公正であるべきテレビのニュースでも、例えば伊勢神宮は今もまだ「天皇の祖先とされる天照大神を祀る」と説明されている。
“される”の一言を挟んでぼかして誤魔化しつつ、今もなおこの国では、報道機関すら国民に「天皇は天照大神という神の子孫」と印象付けているのだ。
 どうか騙されないでほしい、天皇もその祖先も間違いなく神ではなく、我らと同じただの人だ。

 無神論者で宗教が苦手な筆者にとっては、「祖先は天照大神」と今も信じているらしい、日本神道の崇拝者でもある天皇を「日本国の象徴」と仰ぐのは、非常に辛いことである。
 そして国民の多くが「天皇はみな良い方ばかり」と思い込み、歴代天皇の中に実在する暗君やバカ天皇を批判することすら許されないような空気を、とても息苦しく感じる

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雲の海

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 韓国を褒めるとすれば、韓国の戦争映画は凄いです。
 ミリオタの私が観ても「迫力があるなあ」と感心します。
 それはやはり、国土の大半が戦場になった朝鮮戦争の記憶がまだしっかり残っていて、さらに北朝鮮とは今も国境線で睨み合っていて、国民には徴兵制度もあるからでしょうか。
 男子は皆、成人したら軍隊に行くわけですから。
 そこで戦闘訓練も受け、実弾も撃ち、実戦の演習もするわけですから、ただ派手なだけのいい加減な戦闘シーンは通用しませんよね。

 何しろ韓国は、日本と違って国が映画やドラマの輸出に力を入れていますから。
 そしてその韓国が、徴兵制度で軍隊にも行った俳優を使い、実戦体験に基づいた戦争映画を作るわけですから、迫力が違うわけですよ。

 韓国という国は、「歴史はファンタジー」とも言われる通り、歴史については自国に都合の良い誇大妄想狂的な解釈が多いです。
 だから歴史ドラマは避けた方が良いですが、ラブロマンスやアクションもの、特に戦争映画はお勧めです。

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雲の下の可愛い太陽

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 私、別にドルオタ(アイドルのオタク)ではないですけれど。
 それでもアイドルグループの女の子たちがテレビで歌い踊っていれば、つい画面を見て「可愛いな」と思ってしまいます。
 けれど申し訳ないけれど、それは日本人の女の子のグループ限定です。

 今はK-POPが人気ですが、私、韓国のアイドルたち、少しも良いと思えないんです。
 いや、別に「反韓主義者だから」というわけではないですよ。
『ブラザー・フッド』とか『チング』とか『我らの歪んだ英雄』とか『おばあちゃんの家』など、韓国映画も感心して観ていますし。
 チヂミなどを焼いて売っている韓国屋台の、韓国人のお兄さんとは顔なじみですし。

 ただねえ、韓国の女性アイドルって、何か色気を売り物にしているようで可愛く思えないんですよ。
 一時期、日本でも話題になった韓国の女性アイドルグループも、私には妙に腰をくねらせて踊る「下品なケツ振りダンサーズ」としか思えませんでした。
 韓国のアイドルより日本のアイドルグループの女の子の方が、絶対、可愛いっス!

 そう思うだけに、日本の女性が、オバサマたちだけでなく若い子まで何故韓国のアイドルに夢中になるのか、不思議でならないのです。
 日本の男性で韓国の女性アイドルや女優に夢中になる人は、ほぼ稀に近いですよね?
 なのに日本の女性は、何故韓国のアイドルや俳優を好きになり、さらには日本に敵対的な韓国まで好きになるのでしょうか。
「日本を敵視して罵る韓国が大好き」とかwwww。
 本当に、心から不思議でなりません。


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