空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

オリンピックを開催する意義とは

 最近、妙に2020年の東京オリンピックに関するテレビ番組や報道等が増えている。

 例えば10月10日の体育の日など、あのNHKが嵐などの芸能人やメダリストを呼んで『東京2020・12時間スペシャル』を放送し続けるはしゃぎぶりだった。
 その日は朝の8時15分から夜の8時45分まで、時々のニュース以外はすべてオリンピック関連の番組で埋め尽くされていた。
 ついでに言えば、夜8時45分の地域ニュースと『ニュース9』を挟んで夜10時からのNHKスペシャルもまた、『どうする東京2020』とオリンピック関連の番組であった。

 その日のNHKは朝からほぼオリンピックとスポーツのみで、オリンピックとスポーツに大して興味の無い者には、見るべき番組がまるで無かった。
 NHKは皆様の受信料で成り立っている筈なのに、まるで「東京オリンピックに興味を持ち応援できない者は日本人ではない、非国民である」と言わんばかりであった。
 いや、NHKだけでなく日本国民の多くも、そのように思っているのだろう。
 そのような空気を、少なくとも筆者は感じる。

 スポーツを愛し、オリンピックが再び東京で開催される事を喜んでいる人が多くいるのは当然であるし、それ自体は悪い事でないと思う。
 しかし「スポーツ以外にもっと好きな事があり、オリンピックにも大して興味の無い者も間違いなくいる筈だ」と思うのは、筆者だけだろうか。
 スポーツとオリンピックは、好きな人だけが熱狂すれば良いのだし、スポーツとオリンピックに興味を持たない自由もまたあると筆者は信じる。
 一億総ナントカでは無いが、筆者はその個人の自由を無視して「日本国民すべてがスポーツに熱狂し、東京オリンピックを応援しなければならない」と言わぬばかりの空気が嫌いだ。

 そもそもオリンピックとは「平和の祭典」であり、「参加する事に意義がある」筈だ。
 しかし今の日本では、NHKの解説委員ですらオリンピックを開催するメリットの最初に「国威発揚」と平気で断言している。
「どうだ、我が国はこんなに素晴らしいのだ!」と世界に誇示するのが、オリンピックの意義にすり替わっている。
 そしてメダルを取り、「日本が勝った!」と国民を喜ばせるのが最も大事なことになっている。

 オリンピックを国威発揚の場として露骨に利用したのは、あのヒトラーだ
「ナチス時代のドイツじゃあるまいし」と筆者は思うのだが、それは日本でも大して変わらない
 何しろ国民の税金から巨費を投じてでも立派な競技場を作り、たくさんメダルを取って「どうだ、日本はすごいだろう!」と世界に国威発揚するのが、オリンピックを開催するメリットと考えられているのだから。

 前回の東京オリンピックの翌年の、1965年に公開された市川崑監督の『東京オリンピック』というドキュメンタリー映画がある。
 この映画は世界中で上映され、他国では好評だったが、日本では賛否両論だった。そして「記録か、芸術か」という論争も盛んに行われた。
 その理由はズバリ、市川崑監督が日本人選手の活躍だけに焦点を当てなかったからである。

 市川崑監督の『東京オリンピック』では勝利した日本の選手だけでなく、敗れた無名の外国の選手が必死に頑張っている姿にまで目を向けた。
 そして世界の平和を願う意志を強く出し、閉会式で世界の選手らが国籍に関係なく手を取り合う姿を感動的に見せた。
 つまり市川崑監督は、平和の祭典であり参加することに意義があるというオリンピックの精神の原点に忠実に、東京オリンピックをドキュメンタリー映画にした。
 そしてそれが、お国の偉い人達と日本のスポーツ界の人達の気に入らなかったのである。

 日本の与党の政治家やスポーツ界の人間は、日本選手の勝利をもっと多く取り上げなかったのが不満だったのだ。
 それで市川崑監督の『東京オリンピック』を、「道楽だ!」とまで酷評し、政府の大臣が圧力をかけ、東京オリンピックの記録映画を撮り直させた。
 他の監督の手で撮り直された東京オリンピックの“記録映画”では、復興し発展した東京の街並みが映され、日本人選手の活躍シーンが大幅に増やされ、閉会式で世界の選手が手を取り合うシーンはカットされた。
「やりました、日本の選手が勝ちました、日本は本当に凄いです!」
 これが政治家とスポーツ界の人達が言う“記録映画”なのである。

 馬鹿か、と筆者は言いたい。
 政治家とスポーツ界の人達が作り直させた東京オリンピックの“記録映画”は、正しくは日本の国威発揚の為のプロパガンダ映画と言うべきである。
 日本人選手だけでなく外国人選手にも、勝者だけでなく敗者にも目を向け、オリンピックの精神の原点を問うた市川崑監督の『東京オリンピック』こそ、正しく東京オリンピックを記録した真のドキュメンタリー映画だと、知性と理性のある者にはわかる筈だ。

 しかし「日本の発展を世界に誇示し、日本人が勝利して多くメダルを取ることにこそ、日本でオリンピックを開催する意義がある」と考える、国威発揚しか頭にない日本人が多すぎる現実に、筆者はいささかうんざりしている。
「やりましたっ、日本が勝ちました! 日本人選手がまたメダルを取りました!!」とはしゃぎまくるオリンピックは、少なくとも筆者はもう見たくない。

 繰り返すがオリンピックは平和の祭典であり、参加することに意義があるのである。
 ただ国威発揚の為に立派な施設を血税で作り、日本が取ったメダルの数だけを競うような東京オリンピックなどクソクラエだ。
 2020年の東京オリンピックが、国威にも国籍にも関係なくただ純粋にスポーツを楽しみ、敗者の頑張りにも充分に目を向けられるようなものである事を筆者は望みたい。
 1964年の東京オリンピックの頃と相も変わらず、ヒトラー同様にオリンピックを自国の国威発揚の場と信じて疑わない人達が今もこの国を支配している現状を考えれば、まず無理であろうけれど。

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オリンピックのスタート。

オリンピックのスタート。

元は普仏戦争に負けたフランスが
自国宣伝のために始めたものです。
(フランスは凄いんだアピール)

オリンピックの初回をパリではなく
ギリシャのアテネで開催したのは
1、宣伝目的イベントの隠蔽策。
2、ギリシャを利用した権威付。

この2つが目的です。

つまりオリンピックというものは
フランス人がフランスを美化して
正当化して賛美する目的のイベント。

「その程度」が始まりですので
私はほとんど興味ありません。

外国人の運動会を開催するより
福島県の避難民を救済するのが
先だと常々思っているので。

それに。

長野オリンピックが2兆円の赤字で
長野県が財政破綻を起こしたことを。

もう皆さん忘れているのでしょうか?

ogotch | URL | 2016-10-15(Sat)07:06 [編集]


Re: オリンピックのスタート。

> オリンピックというものは
> フランス人がフランスを美化して
> 正当化して賛美する目的のイベント。
>
> 「その程度」が始まりですので
> 私はほとんど興味ありません。

 それは知りませんでした。
 ogotch様にはいつも教わる事ばかりです。
 今後とも、ご教示よろしくお願いします。

 オリンピックの時期になるとマスコミと世の中はオリンピック一色になり、そのムードが好きでなくオリンピックに興味の無い自分は“非国民”なのではないかという不安に駆られてしまう事もあるだけに、ogotch様のコメントには勇気づけられました。
 良いんですよね、オリンピックに熱狂できなくても。


> 外国人の運動会を開催するより
> 福島県の避難民を救済するのが
> 先だと常々思っているので。

 震災復興の為だと言いながら、東京のオリンピックの為の施設建設に巨費を投じ、肝心の被災地の復興は置き去りにしているように見える現状は、絶対に間違っていると思います。
 東京オリンピックにかける費用をそのまま震災復興に使った方が、ずっと被災地の為になるでしょうにね。

黒沢一樹 | URL | 2016-10-19(Wed)14:34 [編集]