空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

鶴保大臣の『土人』に対する見解について考える

 唐突だが、東京都区内に三代以上前から住み暮らしている住民に対し、「この土人が!」などと言う者がいるだろうか
 東京都区内だけではない、名古屋や大阪市や京都市、さらにはその他の政令指定都市に住む人達に対し、誰が「土人」と言うだろうか。

 沖縄高江で米軍のヘリパッド建設に反対する地元住民に、大阪府から派遣された機動隊員が「土人が!」と罵声を浴びせて問題になった。
 それに対し、その機動隊員を派遣した元の大阪府の松井一郎知事は、「一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と労いの言葉をかけた。
 さらに沖縄を担当する鶴保庸介沖縄・北方担当相は、機動隊員がヘリパッド建設に反対する沖縄の人を土人と呼んだことに関し、参院内閣委員会で「差別以外の何物でもないと言うが、過去に土人という言葉が出てきた歴史的経緯やさまざまな考え方がある。『土人である』と言うことが差別であると断じることは到底できない」と、機動隊員の暴言をを擁護する答弁をした。

 さて、話を進める前にまず『土人』という言葉の意味を、広辞苑で確認してみよう。

 ①その土地に生まれ住む人。土着の人。土民。
 ②未開の土着人。軽侮の意を含んで使われた。
 ③土でつくった人形。土人形。泥人形。


 問題の機動隊員の「土人」発言が、③でないことは間違いない。
 では①の「その土地に生まれ住む人」と解すれば、鶴保大臣の言うように差別だと断定できないと思う方もいるかも知れない。
 もしかしたら鶴保大臣も、そのことが頭にあるのかも知れない。

 だからこそ筆者は鶴保大臣や、鶴保大臣の発言を問題なしとする与党の要職に就いている方々に問いたい。
「東京都区内や京都市や大阪市などに生まれ住む人を、誰が『土人』と呼ぶか?」と。

 都会に生まれ住む人が『土人』と呼ばれる事は、まず無いと断言しても良いと思うが、違うか?
『土人』と呼ばれるのは、辺地に住む者ばかりである。
 そして鶴保大臣は「過去に土人という言葉が出てきた歴史的経緯やさまざまな考え方がある」から、『土人』と呼ぶことが「差別であると断じることは到底できない」と言う。
 しかし「豊かな自然の中で、環境を大切にしながらエコロジカルかつシンプルな生活をしている人達」というような、プラスのイメージで『土人』という言葉が使われた事が、鶴保大臣の言う「歴史的経緯やさまざまな考え方」の中で実際にあるだろうか。
 少なくとも筆者は、広辞苑の②の「未開の土着人。軽侮の意を含んで使われた」以外に『土人』という言葉が使われた事例を知らない。

 確かに戦前・戦中の日本では、差別的な言葉という意識が薄いまま『土人』という言葉が当たり前に使われていた。
 鶴保大臣の歴史的経緯云々という発言は、その事を念頭に置いてのことであろうが。
 しかしその戦前や戦中にも、『土人』という言葉は決して良いニュアンスでは使われなかった。
 未開の遅れた人という、軽侮の意は今だけでなく昔も込めて使われていた。
「かつては『自然環境を大切にして辺境で生きる人』という、良い意味も含めて使われてもいた」などということは、断じて無い。

 昔は、言葉について非常に無神経だった。
 今ならば当然使われない、めくら、つんぼ、びっこ、かたわ、穢多(えた)などのような差別用語が、差別とも思われずに平気で使われていた。
 しかし「昔は当たり前に使われていたから」と言って、それらの言葉が「差別であると断じることは到底できない」という事には断じてならない
 そして『土人』という言葉もそれと同じで、今も昔も軽侮の意を込めた差別的な使われ方しかして来なかった事実に間違いはない。

 もしも鶴保大臣が、あくまでも「差別以外の何物でもないと言うが、過去に土人という言葉が出てきた歴史的経緯やさまざまな考え方がある。『土人である』と言うことが差別であると断じることは到底できない」と主張するならば。
 差別や軽侮の意を込めずに、善意で『土人』という言葉が使われた例を、鶴保大臣に是非ご教示願いたいものだ。

 ここで鶴保大臣に、あえて百歩譲ろう。
 確かに昔の日本では、土人という言葉が当たり前に使われてきて、ただ『土人』と言っただけで非難されるような事はなかった。
 しかしそれは、あくまでも昔の話である。

 例えば昔、目にハンディキャップのある人のことを『めくら』と呼んだ。
 昔はそれで非難される事は無かった。
 しかし今は違う。もし目にハンディキャップのある人を「めくら」と呼んだら、皆から非難されて当然である。
 例の沖縄高江での、大阪府の機動隊員による『土人』呼ばわりも、それと全く同様である。

 いくら昔はそう呼んで問題なくても、今そう呼べば差別として大問題になる言葉は、例の『土人』も含めていくらでもあるのだ。
 その昔と今の問題をごちゃ混ぜにして、歴史的経緯だの何だのと屁理屈をこき混ぜ、「『土人である』と言うことが差別であると断じることは到底できない」と言い張るなど、鶴保大臣は頭に何らかのハンディキャップがあるのではないかと心配になってくる。

 昔はめくらだの、つんぼだの、ちんばだの、穢多だのと平気で言えた。
 しかしもし今そのような言葉を口にしたら非難されて当然で、公人であれば何らかの制裁を受けてしかるべきであろう。
 にもかかわらず鶴保庸介氏は、沖縄・北方担当相という地位にありながら、大阪府の機動隊員が沖縄の人に浴びせた「この土人が!」という暴言を、昔は土人と普通に言ってたのだから「差別であると断じることは到底できない」と繰り返し擁護している。
 こんなお方が、沖縄・北方担当の大臣をしているのである。

 驚くのは、与党の幹部らはこの発言を咎めるどころか、たしなめる事さえせず、逆に「問題ない」と庇っているのである。
 そしてその安倍政権の支持率は、最近の世論調査では五割を越えている。

 鶴保大臣と言えば、脱税事件で有罪判決が確定した社長に、他人名義で法令の上限を越えるパーティー券を購入してもらった事が問題になっているが。
 それだけでなく、鶴保庸介氏は大臣になる前の今年七月に、自身の運転する車で高速道路を、制限速度を40キロ以上オーバーしたとして警察に摘発もされている
 和歌山県の人はこんな人を国会議員に選び、安倍首相もまた大臣に登用しているのである。

 筆者は「土人が!」と罵声を浴びせた大阪府の機動隊員を「一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と労った松井府知事以上に、この鶴保沖縄・北方担当相を軽蔑する。
 しかし悪いのは、鶴保大臣よりも、こんな人間を沖縄・北方担当相に登用した安倍首相と、鶴保大臣の妄言を責めずに庇う与党の要人たちだ。
 そして筆者は、松井府知事や鶴保大臣や安倍政権に一票を投じた選挙民こそ最も猛省し、次の選挙の際の反省材料にすべきだと考える。
 政治や政治家を変えるのはカリスマ指導者という名の独裁者ではなく、国民の投票行動である。

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