空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

「鯨は食べるな、牛を食べなさい」と言う人達の愚かさ

 このブログの写真を見ればわかる通り、筆者は大の猫好きである。
 それで誰か女性と交際すると、必ずと言ってよいほどその相手の女性に、「あたしと猫と、どっちが大事なの!?」とキレられることになる。
 ある女性などには、別れ際に「アンタは猫と結婚しな!」と捨て台詞を吐かれた事まである。

 そんな猫好きだから、猫に関する本や漫画もよく読む。
 猫の習性や飼い方についての本だけでなく、「猫と会話ができる」と称する人の、やや怪しげなスピリチュアル系の本まで読んだりしている。
 で、最近もまた生物学者の黒瀬奈緒子氏が書いた、『ネコがこんなにかわいくなった理由』という本を読んだ。

 その『ネコがこんなにかわいくなった理由』なる本は、タイトルの印象とは違い、意外に学術的な本だった。
 恐竜が絶滅してから、哺乳類がどう猫にまで進化したかを、詳細に説明していた。
 哺乳類はまず単孔類と有袋類と真獣類に分かれ、哺乳類で最も原始的な生物はカモノハシとハリモグラで……といった具合だ。

 で、真獣類の中に、まず鯨偶蹄目というグループがあらわれる。
 従来はクジラやイルカなどは鯨目として、牛や鹿やカバなどの偶蹄目とは別のグループに分類されていた。
 しかし東京工業大学が行った分子系統解析の結果、鯨やイルカは牛などと同じ偶蹄目の中に含まれるという事がわかった
 それは衝撃的な発見で、新聞でもその事が報道されたという。
 だから今では、鯨目と偶蹄目は合わせて鯨偶蹄目と呼ばれるようになったのだ。

 その『ネコがこんなにかわいくなった理由』によると、馬やサイなどの奇蹄目は、偶蹄目よりも食肉目や有鱗目に近いのだと言う。
 よく牛馬などと言って、牛と馬は近い仲間のように思われているが。
 しかし実は牛は馬よりも鯨に近く、馬は牛よりも食肉目に近いらしい。
 そのように従来の哺乳動物の系統分類は、最新の分子系統解析によって大きく見直されているとのことだ。

 肝心の『ネコがこんなにかわいくなった理由』という本は、その前提を説いてから猫の誕生と進化について詳細に述べているが。
 しかし私は、それよりも「鯨やイルカは牛の仲間である」という事実に大きな衝撃を受けた。

 このブログを書いている私は、おそらく鯨を普通に食べた事のある、最も若い世代だろう。
 小学校の低学年の頃には、給食にも鯨が出されていた。
 しかし同じ小学校の高学年の頃には、鯨が給食に出されることは、もはや無くなっていた。
 だから鯨を「食べるもの」と受け止めているか、「見るもの」と受け止めているか、実に微妙な世代である。
 私と同世代の者も、「幼い頃に食べた記憶はあるものの、鯨肉が入手困難になった後はずっと食べなくなったまま、肉と言えば牛や豚や鶏を当たり前に食べている」という者が大半ではないだろうか。

 しかし実は私は、今も時々鯨を食べている。
 小学校の高学年になり給食で出されなくなり、殆どの店でも置かれなくなってから、かなり長い期間食べずにいた。
 が、私の住んでいる町にこだわり商品ばかり取り揃えている酒屋があり、そこに宮城県の木の屋石巻水産が、国際捕鯨取締条約に基づいて捕獲した鯨の副産物を利用して製造した、鯨の大和煮の缶詰も置いてあった。
 で、小学校の低学年の頃の事を思い出しながら、まずは一缶買って食べてみた。
 美味かった。
 幼い頃に食べた時の記憶よりも、ずっと美味かった。
 だから私は、以後もその酒屋に行く度に、木の屋石巻水産の鯨の大和煮の缶詰を買っている。

鯨大和煮P1100896

 何しろ今は、鯨は捕る事自体が難しくなっているから。
 はっきり言って、その鯨の大和煮の缶詰は、牛肉の大和煮よりもずっと高い。
 それでも何故、私があえて鯨の缶詰を買って食べ続けているのか。
 それは「クジラは食べてはイケマセーン、クジラを食べるのは野蛮デース、牛を食べナサーイ」とほざく、欧米の傲慢かつ過激な動物保護活動への反発からだ。

 鯨を保護しつつ、同時に大量の牛を殺してその肉を輸出しているオーストラリア人にとって、鯨を殺すのは「人間の赤ちゃんを殺すのと同じ」なのだそうだ。
 スウェーデン人で日本で漫画を買いているオーサ・イェークストロムさんによれば、鯨を食べるのはスウェーデンでは「パンダを食べるのと同じと思われるかも」だそうだ。

 しかしそこであえて問いたい。
 食べるべき動物と、食べてはいけない動物を決めるのは、いったい誰なのか?
 最近の分子系統解析で、クジラやイルカと牛が、同じ鯨偶蹄目に属する近い種類の動物だとわかっている。
 なのに何故、「鯨は可愛いから食べるな、牛を食べなさい!」と言えるのだろうか。

 鯨やイルカは、可愛くて頭も良いから?
 馬鹿を言ってはいけない、牛も飼えば可愛いし、鯨に劣らず頭も良いのだ。
 例えば戦前の日本の農家では、食べる為にではなく農作業で働かせる為に牛を飼っていた。飼えば牛も賢くよくなつき、とても可愛いのだそうだ。
 しかし太平洋戦争が始まると、農家で飼い主と共に働いていた牛たちは、「お国の為に」と大日本帝国の軍に徴発された。
 軍に連れて行かれれば、殺され二度と帰って来られないとわかっていた。
 牛もその事を本能的に察知し、連れて行かれるのを嫌がり、中には目に涙を浮かべた牛もいたと言う。
 鯨は可愛くて頭も良いから食べる野庭野蛮で、しかし牛はそうではなく食べられる為に存在するなどと、誰が言えるというのだろうか

 牛だけではなく、豚も賢く飼えば可愛いものだという。
 実は私も小学生の頃に、縁日で買ったヒヨコを育てた事があったが、無事大きくなったその鶏は、私や飼い主をしっかり覚えてよくなついてくれて、とても可愛かった。

 私たちは牛や豚や鶏を当たり前に食べているが、彼らが「賢くも可愛くもなく、ただ食べられる為に存在している」などと、誰が言えようか。
 動物としては、牛はクジラやイルカと同じ鯨偶蹄目に属するのに。
 鯨やイルカを食べるのは野蛮で、牛は当然食べるものと疑いもなく平然と言い切れる、欧米人の知性の乏しさと傲慢さが腹立たしい。
 だから私はオーストラリア産の牛肉(オージービーフ)は一切食べず、代わりに国際捕鯨条約に基づいて捕獲された鯨を食べる。

 欧米の独善的な動物愛護運動に洗脳されてか、最近は日本人にも「鯨やイルカは食べるものではありません、見るものです」とほざく馬鹿が増えつつある。
 実際に食べてみて不味かったからというのではなく、ただそれが鯨だからという事で食べる事を拒否する若い日本人がいる。
 だが日本では、昔から近海の鯨を捕って食べてきた。
 欧米の過激な動物保護団体がどう言おうと、鯨は日本の食文化の一つなのだ。
 それを野蛮だと決め付け、「鯨は食べずに牛を食べなさい」と強要する権利など、どこの国の誰にも無い筈だ。


 思うのだが、「鯨やイルカを食べるな」と言えるのは、他の牛も豚も羊も鶏も食べないベジタリアンだけなのではないか。
 おのれは牛を何も疑問もなくもりもり食いながら、鯨を食べるのは野蛮だと非難するなど、図々しい上に無知にも程がある

 捕鯨に反対する人たちは、よく「他に食べる物はあるのだし、わざわざ鯨を食べることはないでしょう」と言う。
 そう、その「鯨は食べなくても、牛肉を食べれば良いでしょう」という精神が気に入らないのだ。
 鯨も牛も、同じ鯨偶蹄目の動物だというのに。

 実は私は、女性にはフラれてばかりなのに、動物にはよく好かれる。
 青森県の尻屋岬には野生の馬が多数いるが、そこに行った時には馬になつかれ鼻面をすりつけて甘えられてしまった。

 さる動物園に、「危険だから手を出さないで下さい」と看板に書かれた大きな馬がいて。
 実際その馬は、客が看板を無視して触れようとすると、唇をめくり上げ歯をむき出して威嚇した。
 しかし私は触れた。
 噛まれても自己責任を覚悟の上で私が手を差し出すと、その馬はおとなしくなり、私に鼻面を撫でさせてくれた。
 で、それを見た他の客が同じように撫でようとすると、その馬はやはりまた歯をむき出し威嚇して、触れられるのを拒んだ。

 女性にはモテないのに、何故か動物たちには好かれる。
 私は幼い頃から、シェパードや秋田犬などの、初対面の大型犬にも妙に好かれた。

 だから私は、馬も犬も可愛いと思う。
 が、地方によっては馬肉を食べるところもあるし、犬ですら食ってしまう国もある。
 しかしそれはその国や地方の食文化だと思うし、野蛮だと決め付けて軽蔑したり、増してや止めさせようと現地に暴れ込んだりしようとは思わない。

 ある動物は賢く可愛いから保護すべきで、しかし別の動物は食べる為に存在すると思うなど、傲慢に過ぎるし本当に愚かだ。
 保護すべきかどうかは、可愛いかどうかではなく数の問題だ。
 漫画家のオーサ・イェークストロムさんは、鯨を食べるのはスウェーデンでは「パンダを食べるのと同じと思われるかも」と言う。
 しかし私に言わせれば、パンダを食べてはいけないのは「数が少ない絶滅危惧種だから」であって、決して「可愛いから」ではない

 軍事政権だった頃のミャンマーで、政権に抑圧されていた少数民族の為に傭兵として戦った事もある日本人の本を、かつて読んだことがある。
 彼らは食料の不足に本当に困り、食べられるものは何でも食べたという。
 そしてその日本人の傭兵は、現地の野ネコも捕まえて食べたと書いていた。

 冒頭に書いた通り、私は度外れた猫好きだが。
 飢えて困って野ネコまで捕られて食った、日本人の傭兵とその仲間のミャンマーの少数民族の人達を、野蛮だと非難するつもりはない。
 ただ猫を食う食文化の無い日本で、我が家の猫や顔見知りの地域猫たちを捕らえて食おうとしたら絶対許さない、というだけの話だ。

 私自身は、馬や犬も可愛いと思うし、食おうなどとは思わない。
 ただ昔から馬や犬を食べてきた人達が、自分達の土地で馬や犬を食うことにまで干渉して、「こんなに可愛い動物を食うなんて今すぐ止めろ、この野蛮人どもめ!」などと言うつもりもない。
 それが食文化というものだ。


 まあ、鯨を愛して保護してきたオーストラリア人の気持ちを考えれば、領海外とは言え自国の近海で鯨を捕られたら面白くないのはわかる。
 だから国際法はどうあれ、オーストラリアの近くでの捕鯨は控えた方が良いであろうと私は思う。
 ただその代わり、我が国が昔からしてきた日本近海での捕鯨は遠慮なくさせてもらう。
 それが捕鯨についての法を越えた道理と筋ではないかと、私は思う。

 近年、ヘルシーだという事で魚を食べる人達が、海外でとても増えている。
 だから日本でも、鮭や秋刀魚や鰺や鰯などの値段がかなり上がっている。
 秋刀魚は中国や台湾の漁船が大量に穫っているし、他の鯖や鰺や鰯なども、鮭の養殖の為の餌として大量に穫られている。

 鯨と言えば、鯨を愛する人達には「鯨はプランクトンなどを食べる、おとなしい生き物」と信じている者が少なくない。
 しかし実際には、鯨は鰯や鯖やニシンやホッケなどの魚やイカなどを、かなり大量に食べている。
 そうした人間も食べる魚を、鯨が人間が思っている以上にたくさん食べている現実が、反捕鯨国や反捕鯨団体から非難されている日本の調査捕鯨の結果わかっている。

 鯨は、海で生態系の頂点に立つ生き物だ。
 その鯨を、反捕鯨国や反捕鯨団体が望むように全面禁漁にして、その数を大幅に増やさせたら。
 そうなれば人間が食べていた魚も減少し、鮭や鰯や鯖やニシンなどの日本人にとってなじみ深い魚の値段が、ますます高騰するのはあきらかだ。
 それでも「鯨は見るものです、食べるものではありません」と言う輩は、「魚が食べられないなら、オージービーフを食べれば良いじゃありませんか」とでも平然と言うのだろうか。

 誤解して欲しくないのだが、別に私は、「鯨やイルカは可愛いと思うし、食べるなど生理的に無理」という人達を非難したり否定したりするつもりはない。
 ただそれを他人にまで押し付け、「鯨を殺して食べるなんて野蛮!」と自分の価値観で鯨の食文化を見下したり、鯨やイルカを捕る人の所まで暴れ込んだりするのは愚かだと言いたいのだ。それこそ、野蛮人の所行である。

 例えばインドのヒンドゥー教徒は、牛を神聖な動物として大切にしているが。
 しかしその牛を食う人達を「野蛮だ!」と非難したり、牛を殺して食肉にする事を生業にしている人たちの所に暴れ込んだりしていないではないか。
 互いの食文化の尊重とは、そういうものなのだ。
 もしヒンドゥー教徒の過激派が大挙してオーストラリアに押し掛け、牛肉を食うなと非難し、牧場に押し掛けて牛を逃がそうと暴れたりしたら、オーストラリア人はどんな気持ちになるだろうか。
 オーストラリア人に限らず、同じ鯨偶蹄目の生き物なのに「鯨やイルカを食べるのは野蛮だからすぐやめろ、牛を食べなさい!」と言う白人どもには、その事に思いをめぐらす想像力が無い。
 食も含めて自分達の文化が優れていて正しく、それとは違う文化は野蛮で遅れていて、だから自分達に合わせるべきという傲慢さと愚かさを、「鯨やイルカを捕るな!」と騒ぐ白人たちに強く感じる。

 とにかく私は鯨やイルカにかかわらず、自分にとって可愛いかどうかで食べて良いかどうかを決め付け、他国の食文化を野蛮だと蔑む人達は嫌いだ。
 そしてそうした反捕鯨の外国人より、それに洗脳され同調して自国の鯨の食文化も無視し、「鯨は見るもので、食べるものじゃありません」などとぬかす日本人を、もっと軽蔑する。
 そういう人達への抗議の意味を込めて、私はオージービーフは絶対買わないし食べないし、代わりに売られている限り鯨を食べ続けるつもりだ。

 ちなみに私が普段利用しているスーパーは、置いてある商品の殆どが国産品で、肉は牛だけでなく豚も鶏もすべて国産品だ。
 また私は、ファミレスやハンバーガー・チェーン店だけでなく、吉○家やM屋なども含めたファースト・フード店も滅多に利用しないし、オージービーフをはじめとする反捕鯨国が輸出する肉は、もう長いこと本当に食べていない。

 本当に微力で、私のそんな抵抗など、肉を輸出する反捕鯨国にとって痛くも痒くもない事は、自分でもよくわかってはいるが。
 しかし私はそこまで徹底して、「鯨は食べてはいけません、代わりに我が国の牛や豚や鶏を食べましょう」という勢力に抵抗している。

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コメント


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食生活の禁忌。

私個人は、このクジラを食うのを
やめろ問題は単に「宗教の禁忌」と
同じ内容だと思っています。
(カルト宗教とほぼ同じ。)

仏教の精進料理とか、イスラム教の
チキンカレーとか。

各々の国々には、各々のタブーが
存在していて食生活にも、当然に
それは在るわけです。

ですから鯨を食べるのが、タブーの
人達の前で食べることはやめた方が
賢明だと思います。

鯨が「食生活の禁忌」である
人達も世の中には、いる。

イスラム教徒の前でトンカツを
食べることは控えますよね。

それと同じです。

論理的には問題なくとも
倫理的には問題である。

それを弁えるのは大人の条件の
欠かせない一つと認識してます。

私ですか?

普通に鯨は食べますよ。

ただし「食べても良い」かどうか
シチュエーションを見極めてから。

そういうことです。

ogotch | URL | 2016-12-04(Sun)05:29 [編集]


Re: 食生活の禁忌。


> 鯨を食べるのが、タブーの
> 人達の前で食べることはやめた方が
> 賢明だと思います。
>
> 論理的には問題なくとも
> 倫理的には問題である。
>
> それを弁えるのは大人の条件の
> 欠かせない一つと認識してます。

 確かにその通りです。
 捕鯨反対派の独善的な言動には腹が立ちます。
 しかしだからと言って、鯨を愛する人の前であえて鯨を食べて見せるような行為は、子供じみていると言うより人間的に問題あり過ぎですよね。
 猫の皮を三味線に利用してきた歴史は日本にもありますが、だからと言って命を奪われた猫が三味線にされる光景など、私も絶対に見たくないですし。
 それにしても、ogotch様は本当に大人ですね。
 私など、すぐ熱くなって極論に走りがちで、反省する事が多いです。

黒沢一樹 | URL | 2016-12-08(Thu)01:22 [編集]