空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

視野の狭い子供に罪はない

 筆者は未婚で子供がいない上に、病弱だったせいもあって、自らの子供時代にも親も認めるおとなしい子供だった。
 外で駆け回る事などまずした事が無く、屋内で本を読んだり一人遊びをする事が多かった。

 それでか、元気すぎて騒々しい多動な子供は、今も苦手だ。
 だからスーパーなどの店で大声を出して騒ぐ子供が居ると、つい顔をしかめてしまう。

 幼い頃から本が好きな筆者にとって、各種の本を取り揃えている大型書店は天国のような場所だ。
 しかしその書店にも、元気で多動な子供はやって来る。
 ただ大声を出されるだけでなく、店内を走り回られたりすると溜め息をつきたくなってしまう。

 書店やスーパーなどの店で、親から離れて走り回る子供に突き当たられかけ、こちらが危うく避けた事は数限りなくある。
 そしてその度に、その子供に鋭い目を向け、舌打ちの一つも打ちたくなってしまう。

 子供は、なぜ店内で“暴走”して人に体当たりしそうになるのか。
 その事が、筆者は不思議でならなかった。
 そしてその謎が、つい先日やっと解けた。
 大人と比べ、子供は視野がかなり狭いのだという。

 スウェーデンの児童心理学者の研究によると、大人は水平方向に150度見えているのに対し、6歳児は90度しか見えていないという。
 同様に、垂直方向に大人は120度見えているのに対し、6歳児が見えているのは70度なのだそうだ。

 端的に言えば、子供にはただ前しか見えておらず、右も左も上も下も視野の外という事だ。
 だから元々衝動を抑えにくい子供が、興味をひかれたものに向かって走り出すと、他の人やモノにぶつかるのだ。
 まるで体当たりするように駆けて来る子供に、悪意は決してない。
 視野の関係で、ただ見えていないだけなのだ。

 交通事故の原因に、「子供の飛び出し」というものがある。
 そしてそれは、子供の視野の狭さによるものである事が少なくない。
 客観的に見れば、走る車の前に子供が飛び出したのでも。
 視野が狭い故に近付く車が目に入っていなかったその子供の立場で言うと、「車がいきなり出て来てはねられた」という事になる。
 だから小学校の交通安全教室では、「右と左を見て、また右を見てから渡りましょう」と念を押す。

 しかしスーパーや書店などのお店が危険な場所とは、誰も思いはしないから。
 だから子供は「人が大勢いて商品もたくさんあるお店の中では、右や左をよく見て前に進みましょう」などと誰にも教えられる事も無く、興味を惹かれたモノに向かって真っしぐらに突進して行く事になる。
 そしてその結果、子供の狭い視野の外にある他人や商品にぶつかったり、ぶつかりそうになったりするのだ。

 前にも触れたが、筆者は親も認めるほど、男の子にしては手の掛からない大人しい子供だった。
 多動性は全く無く、一つの事にずっと夢中になり続ける子供だった。
 だから興味のあるモノに目と心を奪われ、その前でじっと動かなくなったりはした。
 しかし外で大声を出したり、暴れたり、勝手に駆け出したりした事は全く無い。
 その筆者でも、住んでいた地方都市の、大人になった今になれば田舎のダサいデパートもどきに連れて行って貰う時には、とても嬉しくて興奮した。

 女の子のように大人しい子供だった筆者でさえ、そうだったのだから。
 元気の塊のような、男の子らしい活発な子供が楽しいもので一杯のお店に行ったら、興奮してはしゃぎ回りたくなっても仕方ないだろう。

 無論、お店は子供の遊び場ではないし、店内を子供が駆け回るのは良くない事だ。
 しかし店内で興奮して駆け回る子供に体当たりをかまされても、悪いのはその子供ではない。
 責任は、ちゃんと手を繋ぐなりして注意せずに、我が子を好きに“放牧”していた保護者にある。

 だから筆者は、店内で騒いで走り回る子供が居ても、嫌な顔をするのは止めようと思った。
 その子供にぶつかられそうになっても、今後はただ苦笑いして避けようと思う。
 店内を突進する子供に体当たりされても、咎めるような目は、その子供ではなく親の方に向けるべきなのだ。

 元々性格に問題のある筆者ゆえ、このブログでも毒ばかり吐き、少なからぬ人達を不快にさせてきたことと思う。
 だから2016年最後の日の今日くらい、少しは他者に優しい気持ちを持とうと思い、この駄文を書いた次第だ。

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