空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

筆者がツイッターを好まない理由

 唐突だが、筆者はツイッターというやつが、どうも性に合わない。
 だからツイッターは発信だけでなく、フォローも含めてしていない。
 あと、クイズというやつも、どうも好きになれない。だから見ていたテレビ番組でクイズを何度も出されると、ためらわずにテレビの電源を切る。
 その理由は何故か。
 筆者は短い答え(結論)より、それに至るまでの理由や思考の過程の方が、もっとずっと大事だと思っているからである。

 例えば筆者は、いわゆる“ら抜き言葉”が嫌いで、だから自分で使う事は全く無い。
 ただそれについても、筆者は「ら抜き言葉なんかキライだ!」と皆に発信するより、筆者が何故ら抜き言葉を使うのを避けているのか、その理由の方をじっくり聞いてほしいと思う。
 そしてその上で、ら抜き言葉の是非についてを、おのおの考えてほしいのだ。

 文化庁が発表した2015年度「国語に関する世論調査」で、ら抜き言葉を話す人がついに多数派になったという。
 それでも筆者が言葉に“ら”を入れて話し続けているのは、それは国語学的な正しさにこだわっているからではない。
 筆者が気にしているのは、言葉として発した音の響きについてだ。

 その文化庁が世論調査に利用した例文は、「今年は初日の出が見られた」だが。
 それを、試しに実際に声に出して言ってみてもらいたい。

 今年は初日の出が見られた。
 今年は初日の出が見れた。

 言葉の響きは、果たしてどちらも全く同じだっただろうか。
 少なくとも筆者には、後者の“ら抜き”の方がよく言えばくだけた、有り体に言えば雑な言い方に聞こえる。

 抜いた“ら”の後の、“れ”の音の響き方に注意して、もう一度口に出して言って比べてみてもらいたい。

 今年は初日の出が見らた。
 今年は初日の出が見た。

「見らた」と「見た」だけでなく、「食べらた」と「食べた」でも、「来らた」と「来た」でも同じだ。
 ら抜き言葉で話すと、抜いた“ら”の後の“れ”の音の響きが固くきつく強く、聞き苦しくなる。
 実際に言って聞き比べてみれば、“ら”を入れた方が言葉の響きが優しく耳障りが良くなるのは明らかだ。

 そもそも“ら”という言葉を発音するには、舌先を丸めて口蓋に近付け、そして歯茎を弾くようにして発音しなければならない。
 その舌を丸めて弾く動作が面倒だから、主に若者は“ら”を抜いて喋るのだろう。
 しかしその舌を丸める“ら”という言葉を挟むから、続く“れ”の音の発声が柔らかくなるのだ。
 嘘だと思うなら、「見れる」と「見られる」、「食べれる」と「食べられる」、「来れる」と「来られる」を、言葉の響きに注意して口に出してゆっくり言ってみてほしい。
“ら”は抜かない方が、間違いなく響きが柔らかな筈だ。
 だから“ら抜き言葉”は普段の会話では使われても、大勢の前での挨拶や面接などの公式な場面では使われない。

 個人的にだが、筆者は“ら抜き言葉”の固く雑な響きが大嫌いだ。
 だから公的な場面だけでなく、私的な場面でくだけたお喋りをする時にも絶対に“ら抜き言葉”は使わない。

 一方で、ただ“ら”と発音するのが面倒だというだけでなく、“ら”を抜けば「可能」と「尊敬」の区別が明確につき、言葉として便利だという説もある。
 それに言葉は時代と共に変化して行くものだから、“ら抜き言葉”が間違いだとは言えないという意見もわかる。

 だから筆者は個人的な好みで“ら抜き言葉”は絶対に使わない。
 だが“ら抜き言葉”を使う人を批判するつもりも全く無いし、「使いたければ、ご自由にどうぞ」といったところだ。

 この筆者の“ら抜き言葉”に対する考えを、140文字のツイッターで発信できるだろうか。
 ネットでも、長い文章を書くとよく「三行で」とコメントされるが。
 上の文を可能な限り要約すれば、「自分は“ら抜き言葉”は響きが嫌いで使わないが、使いたい人は好きにすればいい」というところになるだろうか。
 それで間違ってなくもないが、筆者の気持ちや考えは充分に伝わるだろうか。

 筆者として、自分の考えは丁寧に説明したいし、他者からの異論についても「なぜそう考えるか?」を詳しく聞きたい。
 当ブログにも、時々反論やお叱りのコメントが寄せられる。そしてそれに詳しい理由も書き添えられてあれば、「ああ、なるほどな」と思い、筆者も反省して考えを改めた事が何度かあった。
 物事は、「白か黒か」や「イエスかノーか」だけではないのだ。
 白や黒、イエスやノーにも理由や言い分はいろいろある。
 それを140字や三行で、誤解なく言い尽くせるだろうか。
 少なくとも、筆者には無理だ。
 だから結論だけを言い切るツイッターは、筆者には向かない。

 例えばあるレストランに夕食を食べに行ったら、期待していた以上に美味かった。
 ただその事を伝えるにしても、筆者は何がどう美味しかったかを、詳しく伝えねば気が済まない性格だ。
 だから140字や三行では、とても足りない。

 いや、一般人のツイッターなら、「○○亭で夜ごはんを食べた。チョー美味かった! お勧めだよ!」でも、何の問題もない。
 ただ政治家が政治的な発言を、論拠も示さず丁寧な説明も無しにツイッターで一方的に発信するのは、全く感心しない。
 そしてその一方的な発言を鵜呑みにして信じる、その政治家の支持者も愚かだ。

 世界最大の英語辞典オックスフォード・ディクショナリーを発行する、オックスフォード大学出版局が昨年の11月に、2016年を象徴する言葉として「ポスト・トゥルース(真実)」を選んだ。
 世論形成にあたり感情や個人的な信念が優先され、事実が二の次になっている状況を指す言葉だ。
 論拠を示して冷静かつ丁寧に事実を説明するのではなく、何でも敵と味方に二分して、感情を煽る刺激的な言葉を短文で投げつける煽動政治家とツイッターは極めて相性が良く、そして大衆にも広く支持されつつある。
 それはアメリカだけでなく、日本でも状況は似たようなものだ。

 記者の厳しい質問にも応じて辛抱強く説明するのでなく、ツイッターの短文で一方的に煽る事を好む政治家は、断言するがヒトラーの同類だ。
 ヒトラーの時代にツイッターは無かったが、ヒトラーは短い感情的な同じフレーズを繰り返すことで大衆を煽り、あの世界大戦を起こした。
 そしてヒトラーは、民主主義の中で普通選挙で大衆によって選ばれた。
 その過ちを二度と繰り返さない為にも、丁寧な説明をせず記者の厳しい質問を嫌い、何でも敵と味方に二分する手法を好み、わかりやすい決めつける言葉で仮想敵を叩く事で大衆の感情を煽る“ツイッター政治家”に、国民は注意すべきである。

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

お邪魔します。

iwatamの個人サイト/ 何でもコラム/ 細切れにされた文章
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/column/112/index.html

「それ全体で意味を成す一塊の文章を、ネットの雑多な情報を拾い読みするようにしか読めない」人間が増えている事が、ツイッター及びツイッター政治家の台頭をもたらしているのではないかと思われます。

ブロガー(志望) | URL | 2017-01-21(Sat)18:04 [編集]


つぶやき。

ツイッターはツウィート。

ツウィート(つぶやき)であって
ブツブツ言ってるだけなんですよ。

もちろん利点は有りますよ。

気軽にその日の気分を言うには
最適だと思います。

しかし、本気で話すなら1コメント
140文字では限界が有ります。

言葉足らずの誤解も産みます。

だったら こうやってコメント欄に対し
意見を書いて、記事を書いたご本人と
やり取りをした方が絶対プラスです。

キチンと脳ミソを通して作られた
互いの論理を検討しあう。

理性的な討論の方が ずっと
生産的ですよね。

ツウィート(一言)より
ディベート(討論)。

私も黒沢氏と同様にツウィートに
あまり価値を感じない一人です。

「ブツブツ言ってンじゃなくて
面と向かってハッキリ言え!」と
やっちゃうタイプなので……。(笑)

ogotch | URL | 2017-01-21(Sat)23:45 [編集]


Re: タイトルなし


> 「それ全体で意味を成す一塊の文章を、ネットの雑多な情報を拾い読みするようにしか読めない」人間が増えている事が、ツイッター及びツイッター政治家の台頭をもたらしているのではないかと思われます。

 その通りだと思います。
 長い文章を読み切れず、気になった言葉の断片だけ(言葉尻)を捕らえて問題にして噛みつく人が増えてますよね。

 ただ、私が短い文章で物事や感情を的確に言い表すのが下手なのも、残念ながら事実です。
 ツイッターのような短文で人の心を動かせるような文章を書けるのも、また一つの才能かも知れませんね。

黒沢一樹 | URL | 2017-01-25(Wed)14:44 [編集]


Re: つぶやき。


> ツウィート(つぶやき)であって
> ブツブツ言ってるだけなんですよ。
>
> もちろん利点は有りますよ。
>
> 気軽にその日の気分を言うには
> 最適だと思います。
>
> ツウィート(一言)より
> ディベート(討論)。

 別にツイッターを全否定するわけじゃないんです。
 ただツイッターは気分をつぶやくもので、少なくとも政治家が政策や意見を述べるツールではないですよね。
 根拠をもった理論でなく、決めつけた感情的な言葉で政治が動くような現状は、やはり良くないですよね。

 ところで、ogotchさんのブログに時々お邪魔しているのですが、何故かコメントが上手く残せません。
 パソコンにあまり強くないゆえ、コメントをこちらばかり戴く事になってしまって心苦しいです。

黒沢一樹 | URL | 2017-01-25(Wed)15:00 [編集]