空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

日本の新聞やテレビは政府の広報と化しつつある

 アメリカのトランプ政権の誕生で再び注目を浴びている小説『1984年』の著者であるイギリスの作家ジョージ・オーウェルが、こんな言葉を言っている。
ジャーナリズムとは、報じられたくない事を報じることだ。それ以外は広報にすぎない

 さて、このジョージ・オーウェルの言葉に当てはめると、日本の新聞に“ジャーナリズム”の名に値するものが、どれだけあるだろうか。

 ここのところ、安倍首相の周辺の人物にスキャンダルが相次いでいる。
 そしてそれらを暴いているのはほぼ週刊誌で、新聞やテレビはそれを引用して後追い報道しているだけである。

 そもそも報道とは権力を監視し、その行動を見張って不正があれば知らせるものである。
 それが出来ている新聞やテレビが、今の日本にどれだけあるだろうか。

 報道の王道とは、隠されていた真実を探り出し、裏付けを行って記事にする「調査報道」である。
 それこそがジョージ・オーウェルが“ジャーナリズム”と認める、「報じられたくない事を報じること」であろう。
 メディア論を教える羽衣国際大の浮田哲教授によれば、その調査報道の対極にあるのが、政府や官庁が発表する情報をそのまま流す「発表モノ」と呼ばれるものなのだという。
 そしてこの「発表モノ」が、欧米に比べ日本の新聞記事には多いとよく言われているそうである。

 政府や官公庁など権力の側が言うことを、疑いもせず裏も取らずにそのまま垂れ流す。
 これが報道の名に値するだろうか。
 ジョージ・オーウェルの言葉を、もう一度繰り返そう。
「ジャーナリズムとは、報じられたくない事を報じることだ。それ以外は広報にすぎない」
 そして日本の新聞やテレビは、政府や官庁の“広報”に成り下がりつつある

 日本の新聞には、かつて大本営発表を垂れ流し、それどころか軍部のお先棒を担いで戦意高揚の為に働いた過去がある。
 その反省を胸に刻んで権力と対峙して良い記事を書くどころか、一部の大新聞やテレビは進んで権力にすり寄り、記者のみならず社長まで首相と会食し、政権に都合の良い独占会見記事を紙面に載せたり、首相の談話を長々と放送したりしている
 まさに「歴史は繰り返す」で、無反省な一部のマスコミは平気で「いつか来た道」を再び辿ろうとしている。

 先日、国会で民進党の長妻議員が安倍首相に自民党の改憲草案についての考えを問うたところ、首相はこう答えた。
自民党総裁としての考え方は読売新聞に相当詳しく書いてあるから、ぜひ熟読していただきたい

 実はこの数日前、読売新聞グループの代表取締役社長で主筆の渡辺恒雄氏は安倍首相と会食し、そしてその後、問題の安倍首相が改憲について語った独占記事が読売新聞の紙面に大きく出されたという過程がある。
 渡辺恒雄氏は以前から政治に強い関心を持ち、政界フィクサーとも呼ばれながら主筆として紙面の編集にも深く関与している。そして政治的に、安倍首相ととても近い。
 それで読売新聞の論調も、常に安倍政権に寄り添い、安倍首相に好意的だ。

 実際、今村雅弘氏が「まだ東北だったからよかった」と発言して復興相を辞任に追い込まれた件についても、他の新聞は社説で「内閣の緩みはすさまじい」、「おごる政権、見過ごせぬ」、「待っているのは懲罰投票だ」、「寄り添う姿勢を損なった」などと、普段は政権寄りの日本経済新聞や産経新聞まで厳しく批判している。
 しかし読売新聞だけは、「『緩み』排して態勢を立て直せ」と、まるで安倍政権を応援しているようである。
 さらに「今回の発言を放置すれば、安倍内閣の復興に対する姿勢が問われかねなかった」と、まるで安倍首相の迅速な処置と指導力を誉めるかのごとくの論調に持って行き、首相の任命責任等については一切触れなかった。
 そして社長が安倍首相と会食し、改憲についての独占記事を「相当詳しく」紙面に載せ、首相も国会で議員の質問に答えず「読売新聞を熟読して」と言い放つ始末だ。
 つまり読売新聞とはジャーナリズムとしての“新聞”ではなく、安倍官邸の広報紙だということだ。
 あの戦争の時代の、大本営発表をそのまま伝えて民衆を政府の言いなりに洗脳しようとした“新聞”と何も変わらない。
 ついでに言えば、その読売系列の日本テレビもまた、安倍政権寄りの姿勢がひどく目立つ。マスコミのくせに政権に何を忖度しているのやら、例の森友学園の問題でも、報道や疑惑の追及に最も腰が引けていて消極的だから笑える。

 しかし残念ながら、その読売新聞が、この日本では最もよく売れているのだ。
 日本の民度はその程度、という事だろう。
 そしてこの先の日本に待ち構えているのは、あの戦争の時代のような、ジョージ・オーウェルが『1984年』に書いたような、思想信条や言論の自由の無い暗い時代ではあるまいか。
 オーウェルの言うように「ジャーナリズムとは報じられたくない事を報じることで、それ以外は広報にすぎない」のだとしたら、既に日本の新聞やテレビは報道から広報に大きく変わりつつある。

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