空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

【長文】スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』というどうしようもない駄作

 前にも何度か書いたことではあるが、筆者は幼い頃から社会科が好きで、特に歴史が好きで大学でも日本史を専攻した。
 その筆者が痛いほど思うのは、「子供の頃は伝記を読まない方が良い」ということである。

 筆者の大好きな作家の池波正太郎氏が、作品の中で「人は良いことをしようと思いながら悪事も働き、悪いことをしながら良いこともする」というような一文を書いていた。
 人とはまさにその通りで、完璧な善人も、その逆の全くの悪人も、殆どいない。
 その割合に差こそあれ、殆どの人は善と悪の両面を持っている。

 しかし伝記は、特に子供向けの伝記は教育的な配慮があってか、その人を聖人君子か希代の英雄のように称えるばかりで、悪い負の部分にはあえて触れずにいるものが殆どだ。
 だから本気で歴史が好きになり深く学ぶと、伝記には触れられていなかったその人の残虐行為や悪行や非常識な行為を次々に知ることになる。
 で、筆者は幾度となく伝記に書かれた“偉人”たちの実像に幻滅し、何度も「伝記に騙された!」と腹を立てたものである。

 例えば日本人が大好きな源義経も、実際には兄頼朝の言いつけを忘れて腹黒い政治家の後白河法皇に簡単に籠絡され、兄頼朝に刃向かった大馬鹿者だ。
 義経は確かに軍事の天才かも知れないが、政治的にはまるで無能で、自分の立場というものを全くわかっていない。
 そして軍事的な才能というのも、実は当時の正々堂々とした戦では想像もされなかった、汚い戦い方をしたから勝てただけのことだ。
 本筋から外れるから詳しくは書かないが、義経の大勝利は常に汚い戦法によるものである。

 また、日本人が大好きな太閤さまこと豊臣秀吉も、天下を取った後はかなり酷い。
 朝鮮侵略(文禄の役および慶長の役)という、理の無い戦をしたばかりでなく。
 邪魔になった甥の秀次当人ばかりでなく、その妻子や妾たちを皆殺しにしたり。
 些細な罪で人を鼻削ぎや耳削ぎの刑にしたり。
 秀吉自身が「自分は信長のように甘くない」と書状に書いている通り、天下を取った後の秀吉は信長よりも残酷だ。
 残酷な天下人と言うと信長というイメージが一般的だが、実は信長より秀吉の方が残酷だし、秀吉自身もその事を認めている。
 また、天下を取った後の秀吉は、かつての主人を“信長”と呼び捨てにしていて、人柄もかなり傲慢であることもよくわかる。

 天才とナントカは紙一重とも言うが、科学や文学などの“偉人”もいろいろだ。
 例えば野口英世も実績はともかく、人柄から見れば素直に尊敬できる人物ではない。

 そのように伝記は、特に子供向けの伝記は神のように美化した虚像を描き出し、後で真のその人の実像を知った人達を落胆させるものばかりだ。

 そのような虚像を史実としてデッチ上げているのは、何も伝記のような書物ばかりではない。
 巨匠と呼ばれる監督による有名な大作映画にも、美化した嘘の史実が描かれたものがある。
 その代表的なものが、スティーブン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』だ。

 この7月23日のテレビ朝日の『題名のない音楽会』で、『シンドラーのリスト』が実際にあったことを描いた映画として取り上げられていたが。
 筆者はトマス・キニーリー氏原作の『シンドラーズ・リスト』には心から感動したし、今も愛読書の一冊として手元に置いている。
 しかしスピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』は大嫌いだし、原作の良さを台無しにした駄作と思っている。

 もしも原作の『シンドラーズ・リスト』を読むことなく、映画の『シンドラーのリスト』のみを観たなら、筆者も「それなりに良い映画だった」と思っただろう。
 100点満点のうち、70点は付けられただろう。
 しかし映画化される以前に原作の書籍を愛読していた筆者には、本の『シンドラーズ・リスト』を120点とすると、映画の『シンドラーのリスト』は0点より下としか言いようが無かった。

 スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』が、何が悪いか。
 それはズバリ人を国籍(民族)で白と黒、善玉と悪玉に「馬鹿にもたやすくわかるように」はっきりと分けて描いていることだ。
 映画の中ではユダヤ人は可哀想な被害者で、シンドラーを除くドイツ人は皆冷酷な悪者に描かれ、そしてシンドラーは偉人として描かれている。
 実にハリウッド映画らしく、わかりやすい。

 しかし原作の『シンドラーズ・リスト』は、シンドラーや強制収容所にかかわる人々の描き方がまるで違う。
 確かに基本的にはドイツ人(親衛隊の髑髏部隊)が悪で、ユダヤ人が被害者だ。
 ただ書籍の『シンドラーズ・リスト』には、良いドイツ人も悪いユダヤ人も複数出て来るのだ。
 書籍の『シンドラーズ・リスト』の中に出て来る良いドイツ人はシンドラー以外にも何人もいて、また親衛隊に媚び同胞を虐めて搾取する悪いユダヤ人も何人も描かれている。

 例えばシンドラー以外にも、ナチのやり方に反感を持ち、ユダヤ人の子供を何人もゲットーから助け出したドイツ軍の下士官がいる。
 その下士官はただ子供を助けるだけでは飽きたらず、ドイツ軍を脱走してパルチザンに身を投じてナチスと戦った。そして最後にはドイツ軍に捕らえられて殺された。
 本には書かれていないが、味方を裏切ってパルチザンに身を投じた元ドイツ兵が、捕らえたドイツ人にどんな扱いを受けただろうか。
 おそらく楽な死に方はさせてもらえなかっただろう。

 また、ロシア軍が迫って来て、ポーランドのクラクフ近くにあった強制収容所の囚人達を移動させることになったのだが。
 それまではシンドラーの保護下にあったユダヤ人達も、ドイツの各地の強制収容所に移送されることになり、それは彼らにとって死を意味した。
 で、シンドラーはチェコのモラビアに自分で収容所を作ろうとした。
 そしてそこに送られれば、囚人らは命が助かる……というわけだ。
 そのシンドラーの収容所に行けるユダヤ人のリストが、著書や映画のタイトルの“リスト”になるわけだが。
 映画ではその収容所に送るユダヤ人をシンドラーが選んで名前を読み上げ、シンドラーの右腕として働いたユダヤ人のシュテルンがタイプで打って“リスト”が作られたように描かれている。

 大嘘である。
 著書の『シンドラーズ・リスト』を読むと自分の収容所の建設の為に多忙で、シンドラーはリストの制作にかかわる暇が殆ど無かった。
 シンドラー自身が直接に思い出してリストに書かせたのは、千百人のうちの約70人ほどだったという。
 で、ようやく作り上げたリストだが、それを任された人事係の囚人のゴルトベルク(ユダヤ人)というのが悪い男で、そのリストに名前を載せるのに賄賂を取ったのである。
 生き延びたければシンドラーの収容所に行かねばならず、だからユダヤ人の囚人は自分の名をリストに載せてくれるよう、ゴルトベルクに必死に頼み込んだ。
 しかしゴルトベルクは、その同胞達にダイヤモンドを要求したのである。
 そして何も出せない囚人は、そのリストに名を書き込んで貰えなかった。

 ユダヤ人でありながら同胞を売ったのは、ゴルトベルクだけではない。
 親衛隊に協力して自分の立場を有利にしようとしたユダヤ人が何人もいたことを、『シンドラーズ・リスト』にはしっかり書いてある。

 本の著者トマス・キニーリーが『シンドラーズ・リスト』を書くきっかけになったのは、シンドラーに命を助けられたユダヤ人の一人で、シンドラーとも親しかったボルテク・ペファーベルクと知り合ったことだが。
 実はこのペファーベルクは、強制収容所で看守の親衛隊の下士官と親しくなった。

 きっかけは実に意外なことで、ペファーベルクがその看守の下士官にキレたことである。
 その下士官は決して良いドイツ人ではなく、囚人達から憎まれていた。
 で、その意地悪な看守の下士官が、収容所の窓拭き責任者のペファーベルクに「ガラスが汚い!」と難癖をつけ、怒鳴りつけてきた。
 窓ガラスに汚れなど無いことは、どちらもわかっていた。
 看守の下士官はただ因縁をつけて虐めていただけだった。
 で、元は高校の体育教師でポーランド軍の将校でもあったペファーベルクはキレた。
「撃ち殺す口実が欲しかったなら、さっさと殺せ!」と。
 それが何故か、その下士官を面白がらせた。

 それからその下士官はペファーベルクを気に入り、度々顔を見に来て様子を尋ねてくれ、リンゴをくれたりした。
 そしてペファーベルクの妻のミーラが死の強制収容所に移送されると決まった時には、下士官はペファーベルクの頼みを聞き、移送されかけていたミーラを助けてくれた。

 実はペファーベルク夫妻は、例のシンドラーの“リスト”に名前が載せられていなかった。
 で、例のゴルトベルクに掛け合ったものの、差し出せるお宝が無いということで冷たく断られた。
 その時に助けてくれたのも、その親衛隊の看守の下士官だった。
 その下士官が圧力をかけてくれたおかげで、ペファーベルク夫妻の名はリストに載り、生き延びることができた。

 同様に強制収容所とナチスの問題を扱った映画に、ロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』がある。
 実在の人物でもあるピアニストの主人公は、ドイツとナチスによって迫害されて死の淵に立ち、しかしその彼の命を助けたのはドイツ人、しかもドイツ軍の将校だった。
 それゆえその主人公のピアニストは、国籍ではなく相手の人を見ろと、息子に言い聞かせたという。

 原作の『シンドラーズ・リスト』は、ナチスの悪と非道さを描きつつ、良いドイツ人達がいたことも、ただ可哀想なだけではない悪いユダヤ人がいたことも、冷静な筆致で克明に描き出している。
 しかし映画の『シンドラーのリスト』はそうした個人を描くことを放棄し、「ドイツ人はシンドラー夫妻以外はみな極悪非道な悪人で、ユダヤ人は可哀想な被害者」と単純化し、民族で見事に区別している。


 シンドラー自身も、決して英雄でも偉人でもない。明るく社交的だが、酒好きで贅沢も好きで、女好きで愛人も幾人も抱えていて。
 シンドラーはユダヤ人を出来る限り助けたが、彼自身は実業家でもあった。
 彼の会社が上手く行っていて利潤を上げていたのは、親衛隊ともうまく付き合える彼の社交的な性格だけでなく、右腕として働いたユダヤ人のシュテルンの経営能力も大きかった。
 シンドラーはコルベ神父のような聖人では決してなく、欠点もいろいろある非常に人間くさい人物だった。

 映画では、シンドラーは最後に「もっと救えば良かった!」と涙を浮かべて感動的な演説をしているが、実際には違う。
 ユダヤ人の囚人達には、ドイツ人に個人的な復讐はせず司法に訴えて任せるように言い、自分と強制収容所の所長達を一緒に考えないよう言いたげだったという。
 そして囚人の服装をして、ユダヤ人の囚人達から贈られたダイヤモンドを持って西のアメリカ軍の占領地に逃げた。
 そもそもシンドラーは、金儲けの為にポーランドにやって来たのだ。
 そしてユダヤ人を救う傍らビジネスも続け贅沢もして、親衛隊やドイツ軍のお偉方ともうまく付き合っていた。
 彼こそ池波正太郎の言う「良いことをしながら悪事も働き、悪いことをしながら良いこともする」、複雑で多面的な人間なのだ。
 だからこそシンドラーという人間は面白いし、興味深い。
 しかし映画では、シンドラーはユダヤ人を救う使命感を持った善人として描かれている。
 善玉と悪玉がはっきりしていて実にわかりやすい、しかし実に底が浅くてつまらない。

 同じナチのユダヤ人虐殺と強制収容所の問題を取り上げた映画としては、筆者は『シンドラーのリスト』より『戦場のピアニスト』の方が遙かに素晴らしい出来だと考える。
 映画の解説者も含め、『戦場のピアニスト』については主人公の無力さに苛立ちを覚える人もいた。
 しかしナチスという全体主義体制の中では一個人など全く無力でただ逃げることしか出来ないというのも、筆者には非常にリアリティーを感じられた。
 そして主人公を追い詰めたのはナチスだが、救ったのもまたドイツ将校だという事実も、物事の多面性をよくとらえているように思った。
 しかし善悪がわかりやすくて主人公の頑張りで多くの人が救われる『シンドラーのリスト』の方が、一般の人には受け入れられやすいのだろう。

 映画の『シンドラーのリスト』が公開された頃、新聞の映画評に「ドイツ軍の冷酷非道さが克明に描かれていた」と書かれていた。
 ミリオタでもある筆者は、「あれは“ドイツ軍”ではなく、ヒトラーの私兵である親衛隊で、さらにそのの中で汚れ仕事を受け持つ髑髏部隊の仕業なのだが」とすかさず突っ込みを入れたものだ。
 しかし大多数の人はドイツ軍と親衛隊の区別も付かず、さらに髑髏部隊など存在すら知らないだろう。
 そして新聞で映画評を書いた記者のように、「あれはドイツ軍の仕業で、シンドラー夫妻以外のドイツ人はすべて悪」と思っただろう。

 良いドイツ兵も悪いユダヤ人も出て来る原作の『シンドラーズ・リスト』は、確かに普通の人にはわかりにくいだろう。
 それに比べ、「ドイツ軍はすべて悪でユダヤ人は可哀想、そしてシンドラーはすごく良い人!」と描いた“わかりやすい”映画の『シンドラーのリスト』は、非常にスッキリするだろう。
 しかし個々人を見ずに民族で善悪を色分けし、シンドラーを偉人に仕立て上げた“わかりやすい”『シンドラーのリスト』は、筆者から見れば0点より下の駄作だ。
 駄作というより、この種の民族や国籍で善悪を区別した映画はむしろ危険である。

 例えば今の北朝鮮は度々ミサイルを撃ち、そして国民も金正恩を口々に褒め称えている。
 その報道を見ていると、北朝鮮の指導者だけでなく、国民もみな頭がおかしいように思えてくる。
 それで筆者もつい、「北朝鮮にミサイルを何百発も一斉に撃ち込んで、北朝鮮など国民ごと無くしてしまえば良いのに」と思いかけてしまう。

 だが歴史を学んだ筆者は、「待てよ」と思う。
 筆者の目には、今の北朝鮮の姿が戦前戦中の日本の姿と重なって見えてならないのだ。
 天皇を神格化して絶対の忠誠を誓い、悪いのはすべて他国のせいにして、国民みなが鬼畜米英と叫んで勝と信じて戦争に突き進んで行ったかつての日本は。
 金“王朝”を神格化して絶対の忠誠を誓い、悪いのはすべて他国のせいにして、国民みなが打倒米日韓と叫んで勝と信じて戦争に突き進んで行こうとする今の北朝鮮と、傍から見れば何も変わらない。


 おそらく戦争中のアメリカ人には、当時の日本人は今の北朝鮮人のように「頭のおかしい、話の通じないキ印」に見えていたのだろう。
 それで日本人は軍人も民間人も関係なく皆殺しにして構わないと思い、民間人の多く住む都市に無差別爆撃をし、そして原爆も落としたのだろう。

 今の日本人に、北朝鮮人にも良い人が何人もいることを頭だけでなく心でも理解している人が、どれだけいるだろうか。
「あんな国、国民ごと無くしてしまえば良いのに」と思っている日本人は、決して少なくないだろうと筆者は思う。
 そして戦時中のアメリカ人も、日本に対しそのように思っていたのだろう。

 原作の本の『シンドラーズ・リスト』を読めば、ドイツ兵にも良い人間が、ユダヤ人にも悪い人間がいた現実が理解できる筈だ。
 そして『戦場のピアニスト』のモデルになったピアニストが言うように、国籍でなく相手の人を見る大切さがわかる筈だ。
 天皇を神と信じさせられ鬼畜米英を叫んだ戦時中の日本人も、今の金王朝に従う北朝鮮人も、決して死んでも構わない神懸かりのキ印ばかりでなく、良い人間だって必ずいる筈なのだ。
 スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』のような善玉と悪玉を民族ではっきり分ける映画を見ると、その事がわからなくなるから怖い。

 戦争中や戦争が終わってまだ間もない捕虜収容所では、捕虜の虐待が必ず起きる。
 捕虜の虐待と言えばロシアとドイツとそして日本が有名だが、捕虜の虐待はアメリカやフランスやイギリスやオーストラリアなどの戦勝国でも例外なく起きている。
 で、捕虜を虐待する看守とは、どのような人間か。
 その事についてアメリカが調査したところ、意外なことに虐待するのは前線で殺し合ってきた古参兵ではなく、一度も戦場に出たことの無い兵士(特に新兵)に多いのだそうだ。

 例えば最前線では、酷いことが頻繁に起きている。
 ドイツ軍とロシア軍は凄惨な殺し合いをしたし、アメリカ軍やイギリス軍だって、ノルマンディーの戦いでは捕虜を取らずに降伏したドイツ兵を撃ち殺したりもした。
 だから前線に立つ兵士らは、「殺し合うのは、酷いことをするのはお互い様」と実感でわかっている。
 で、逆説的な話になるのだが、前線で殺し合った経験のある兵士は、一旦捕虜にした敵兵にそう酷いことをしない者が多い。
 それに比べ戦場で自ら敵兵を殺した経験も無く、敵国の奴らがいかに悪い奴で、いかに同胞に酷いことをしたかについてのプロパガンダをさんざん頭に叩き込まれてきた兵は敵に対する憎しみでいっぱいで、捕虜の虐待をしがちなのだそうだ。

 例えば韓国の従軍慰安婦の問題でも。
 日本の大使館などの前に少女像を建て、最も怒って騒いでいるのは当の慰安婦たちではなく、その時代を直接には知らない若い世代の韓国人ばかりだ。
 従軍慰安婦の中には、日本兵と恋愛関係にあったことをテレビの取材の際に告白した元慰安婦もいた。
 酷い日本兵もいたろうが、良い日本兵もいて、それを当の従軍慰安婦は肌で知っているのだ。

 従軍慰安婦問題についての日韓合意を、多くの韓国人が「見直すべきだ」と言っているが。
 しかし当の元慰安婦の三分の二が、日韓合意を受け入れている。
 この事でも、「最も怒っているのは当の元慰安婦ではなく、話のみで聞いていて直に知っているわけではない人達」である現実がよくわかる。
 だから歴史教育で若い世代に「あの国は酷いことをした」と感情的に繰り返し教え込むと、その国との間に後々まで深い遺恨を残すことになる

 問題の『シンドラーのリスト』を作ったスピルバーグ監督も、『戦場のピアニスト』を作ったポランスキー監督も、どちらもユダヤ人だ。
 ただこの二人には、大きな違いがある。

 実はポランスキー監督は1933年にパリで生まれ、そして3歳の時にポーランドに一家で移住し、第二次世界大戦が始まるとナチスのユダヤ人狩りに遭い命を落としかけた。
 そしてその彼を救ったのは、映画と同じでドイツ兵だった。
 ユダヤ人狩りから逃げようとした彼を見て見ぬふりをしただけでなく、そのドイツ兵は「走らないことだ」と忠告したという。
 で、ポランスキーは走るのをやめ目立たぬようにその場を離れ、生き延びることができた。
 そうした過去があるから、ポランスキー監督は「ナチスは悪だが、良いドイツ兵もいる」という現実を体で知っている。

 それに対し、スピルバーグ監督は戦後にアメリカで生まれ育った、「ホロコーストの話を聞いて怒っているユダヤ人」だ。
 その差が、良いドイツ将校も悪いポーランド人もいる『戦場のピアニスト』と、ユダヤ人はみな可哀想でシンドラー夫妻以外のドイツ人はみな悪党の『シンドラーのリスト』の違いであるように思える。
 そして筆者は、『戦場のピアニスト』の方が『シンドラーのリスト』より遙かに出来が良いし、「人とは何か?」を考えさせる名画だと思う。
 それに比べ『シンドラーのリスト』を観た後には、「ドイツ人って信じられないほど酷いね、なのにシンドラーは偉いね」という単純な感情しか残らない。

 しかし一般の人々には、「悪いのはナチスドイツだが、助けたのもドイツ将校で、しかも主人公はただ逃げ回るだけ」という『戦場のピアニスト』よりも、善玉と悪玉がはっきりしていて、シンドラーというヒーローもいる『シンドラーのリスト』の方が、間違いなくウケる。
 さらに登場人物がただ多いだけでなく、良いドイツ人も悪いユダヤ人も出て来て善悪を決め付けにくく、六百ページ以上ある分厚い本の『シンドラーズ・リスト』より、ただ3時間ばかり座っていれば映像と台詞ですべてわからせてくれる、善悪のはっきりした映画の『シンドラーのリスト』の方が、間違いなくウケる。
 そして人間の本質について深く考えさせる『戦場のピアニスト』や、書籍の『シンドラーズ・リスト』はいつしか忘れ去られるのだろう。
 その一方、民族で善悪を決め付け中身もわかりやすく、シンドラーも理想化して描いた映画の『シンドラーのリスト』は、「現実にあった事を描いた名画」として長く残るのだろう。

 人間も、人が作る社会も複雑だ。
 しかしその複雑な存在や現実を深く考えることをせず、人々がただ「わかりやすさ」を求めることを、筆者は憂う。
 人々を敵と味方に単純に二分し、わかりやすさを求め、それで政治や世の中が良くなったためしが、果たしてあっただろうか?
 争いをより深刻化させ、社会を分断して混乱を招いただけではなかったか。

 戦時中、アメリカ人は良い日本人がいるなどと思わず、だから平気で無差別爆撃をし、原爆も落としたのだろう。
 そして今、少なからぬ日本人も良い北朝鮮人がいるなどと思っていないだろう。
 だから筆者は、『シンドラーのリスト』のような映画が、史実を描いた名画として残ることを恐れる。
 映画の『シンドラーのリスト』を観た人達は、「ユダヤ人はみな可哀想で、ドイツ人はみな残忍で善人はシンドラー夫妻しかいない」と思うだろうから。

 映画だけではない。
 今、書店では民族や国籍で善悪を決め付ける、「頭の構造が単純な人にはわかりやすい」右翼思想の雑誌や書籍が溢れている。
 そしてそれは、実に危険な風潮なのだ。
 民族や国籍で善悪を決め付ける人達は、相手を一人一人違う個人として見ることをせず、他国や民族の違う人に極めて冷酷になる

 機会があれば、スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』を、ぜひ書籍の『シンドラーズ・リスト』やポランスキー監督の『戦場のピアニスト』と比較して見てみてほしい。
 悪い意味でアメリカ人的な、善悪を簡単に決め付けてヒーローを求める性質が、少なくとも知的で冷静な方には実によくわかる筈だから。
 繰り返すが、その種の善悪の単純化(特に民族による色分け)とヒーローの待望は、皆にとってとても危険な事なのだ。

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