
安倍政権下で改憲が盛んに語られるようになり、改憲が現実のものとなろうとしている。
実は筆者も、「知識人≒左翼」だった幼い頃から、現憲法に違和感を抱いていた。
例えば前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。
そしてそれが戦争と武力の放棄および(自衛の戦争を含む)交戦権の否定をうたった第九条に繋がって行くのだが。
しかし北朝鮮や旧ソ連や中国などの国々を見てみれば、平和を愛さず不公正で信義も無い国家が世界に幾つもある現実がわかる。
自由と民主主義の理想を高く掲げるアメリカですら、今は「アメリカ・ファースト」と叫んでいる。
世界のどの国も、自国の国益が最優先なのだ。
そして国益の為には不公正なことや信義に反することもするし、時には戦争もする。
そんな中で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」て武力を放棄し自衛の戦争も認めないなど、危険極まりないし、正気の沙汰とは思えない。
だが筆者は、安倍首相を中心とする「とにかく“押し付け憲法”だから改憲すべき!」という情念と怨念に凝り固まった一派にも与しないし、戦前の旧帝国憲法に回帰したいかのような安倍自民党の改憲案には大反対である。
「現憲法にも問題があるが、安倍首相の望む改憲はもっと危険で悪質だ」というのが、筆者のこの国の憲法に対する姿勢だ。
安倍首相ら改憲をしたい人々は、よくこう言う。
「欧米などの自由で民主的な国々ですら、何度も改憲している。日本のようにたった一度も改憲していない国の方が珍しい」
それは数字の上では事実だ。
しかしその主張には、日本の現憲法と他国の憲法の違いを無視した悪質な欺瞞がある。
安倍自民党が国会で絶対多数を占め、与党だけで憲法改正を国会に提案して可決することができるようになった。
そんな情勢の中、去年、小学館の漫画雑誌であるビッグコミック・スピリッツが付録に日本国憲法の小冊子を付けて、話題となった。
そしてその号のビッグコミック・スピリッツは完売となった。
実は筆者も、そのビッグコミック・スピリッツを買い、日本国憲法の小冊子を手に入れた一人である。
漫画雑誌が付録として付けられるくらいだから、日本国憲法は意外なほどに短い。
その付録の日本国憲法はイラスト込みで43ページ、文章だけでは前文も含めて僅か14ページしかない。
文章を読むのを苦にしない人なら、短時間であっという間に読み切れてしまう。
つまり日本の現憲法とは、細かい規定は書かずに原則だけをまとめたものなのだ。
他国の憲法と比べて、量も内容もかなり少ない。
細かいことは書いてないから、解釈の変更だけで足り、改憲を必要としてこなかったというのが現実なのだ。
にもかかわらずその日本国憲法の特徴を無視し、細かい規定も盛り込んだもっと長い他国の憲法と改憲の回数だけを比較して「我が国が改憲しないのは、世界的に見ても異常だ」と言うのは、アンフェアである上に欺瞞であり、実に狡猾だ。
安倍首相ら改憲したい人達の、このような狡い主張に騙されてはいけない。
その短い戦後の平和で民主的な日本の骨組みとなる精神の部分だけを規定した日本国憲法を改めて読んでみて、気付いたことがある。
厳密に言えば、改憲を声高に主張する安倍首相は、現憲法から見れば違憲とも言えるのだ。
日本国憲法第十章最高法規の、第九十九条にはこう書かれている。
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
その規定から考えれば、国務大臣の長である首相が自ら現憲法を押し付け憲法と非難し、改憲の先頭に立つのは明らかに違憲であろう。
首相は広義には国務大臣であるが、狭義には国務大臣ではないという。
だが現憲法により、首相は国会議員でなければならないことになっている。
そして国会議員にも、前出の憲法第九十九条により現憲法を尊重し擁護する義務がある。
だから国務大臣の定義を狭義で解釈しようと、安倍首相も憲法第九十九条を守らねばならない。
そして今の安倍首相のどこに、現憲法を「尊重し擁護する」姿勢があるか。
現憲法を非難し、改憲に躍起になっている首相の姿勢は、現憲法を読む限り違憲としか思えない。
確かに現憲法の第九十六条により、憲法改正は「各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」とある。
だから国会議員には、憲法改正を主張する権利もあると見なければならない。
しかし先に紹介した憲法第九十九条には、国会議員も現憲法を尊重するだけでなく擁護する(かばって守る)義務を負うとある。
さて、国会議員は憲法を変えようと発議できるという第九十六条の規定と、憲法を尊重し擁護する義務があるという第九十九条の、どちらを優先して考えるべきであろうか。
国会議員が憲法改正を発議できると記した第九十六条は、憲法第九章の改正に書かれている。
それに対し、前にも述べたように憲法を尊重し擁護する義務を負うと記した憲法第九十九条は、憲法第十章の最高法規の中に書かれている。
常識で考えたら、最高法規を憲法の中でも最優先して考えるべきではないだろうか。
だから憲法改正を発議はできるものの、国会議員は憲法を尊重し擁護する義務の方を、より優先すべきではないだろうか。
国会議員が自国の現憲法を敵視して非難し、自ら先頭に立って憲法改正の旗を振るのではなく。
国民(選挙民)の間から「今の憲法のままではいけない、ここをこう変えてくれ!」という声が高まって初めて、国会議員は憲法改正に動くべきではないだろうか。
支持者の大半が改憲を強く望んでいるならともかく、そうではないのに自分の信念や歴史観から現憲法を敵視し、国会議員自身が改憲の先頭に立つのは違憲だと筆者は考える。
ましてや一国会議員どころではない首相が、自ら現憲法を否定し、何年にはと時期まで明言して憲法改正を主張するのは、現憲法を読む限り間違いなく憲法違反ではないだろうか。
憲法改正は政治家が、特に首相が旗を振り先頭に立って押し進めるものではなく、国民の中からそうした機運が高まってからすべきものと、筆者は考える。
それにしても、改憲にかける安倍自民党のやり口は汚い。
選挙ではあえて改憲を争点にせず、経済を前面に出して。
そして選挙に勝てば「改憲は自民党の党是だから」と、改憲も民意を得たと言い張り、改憲をゴリ押ししようとする。
そんなに改憲がしたければ、きちんと選挙の大きな争点にしろと、筆者は強く言いたい。
とにかく改憲に執着する安倍首相は、どんな手を使っても改憲しようと策動している。
筆者は現憲法に疑問も感じているが、こんな姑息で汚い首相のもとでの改憲は真っ平ごめんだ。
戦後、日本は改憲をせずに条文の解釈の変更で乗り切ってきた。
武力は持たないが自衛隊があり、戦争は放棄したが自衛権はあるなど、憲法の条文から見れば変な解釈は幾つもあるが。
本質は「いざ事があれば皇室と御国の為に戦え」という教育勅語を肯定的に解釈するような安倍自民党のもくろむ改憲を進めるより、今の妙な解釈もある現憲法のままでいる方がよほどもマシだと、筆者は信じる。


