空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

君が代は死んでも歌いません⑥

 宗教は怖い
 何しろ“神”は、親兄弟より自分自身より大切なものだから。そしてその教えを信じない者は「殺しても良い悪魔」で、死後は「地獄に堕ちる」と。
 だから宗教の狂信者達は異教徒を憎み、差別し、場合によってはテロや戦争も辞さない。

 そして明治維新から敗戦までの大日本帝国も、国民に国家神道による祭政一致で“天皇教”を信じさせ、天皇を現人神または現御神として拝むことを強制してきた
 繰り返し言うが、他国の王や皇帝と違い、天皇は神なのである。1946年に人間宣言が出されるが、それまでは全国民が天皇陛下を神として拝んできたのである。
 これを「天皇を信仰する一神教」と言わずして、何と言おう
 人間宣言をしてもまだ天照大御神以来の神話はまだ生き続けているし、天皇を崇拝する人々には「どんな批判も絶対に許さぬ宗教の狂信者」に似た危険な臭いが漂い続けている

 今、靖国神社参拝を押し進める者たちは、「国の為に命を捧げた者を慰霊するのは当然」と言うが、それは言葉のすり替えだ
 旧帝国陸海軍はあくまでも“皇軍”であり、日本国防軍ではなかった。天皇陛下の為の軍であって、国民の為の軍ではなかったのだ。
 その証拠に、戦場で日本兵は何と叫んで死んで行ったか
天皇陛下、バンザイ!
 彼らは決して、「日本、バンザイ!」と言って散っていったわけではないのである。
 だから靖国神社は、「天皇の為に命を捧げた者が祀られているところ」と言うのが正しい。もっとも今はその中に、天皇の名を借り多くの兵士を戦わせて死なせた側の戦犯も合祀されているが。

 あのナチス武装親衛隊の兵士らも、誰も「ヒトラー総統、バンザイ!」などと叫んで死にはしなかった。スターリンのソ連や毛沢東の中共などの独裁国家でも、それは同じ事だ。
 しかしかつての日本兵らは日本を神国と信じ、神である天皇の名を叫んで死んでいった
 だから黒沢は、「日本の天皇制は宗教だ」と言うのである

 かつての日本軍はあの戦いを“聖戦”と呼んだが、アラーの名を叫び自爆テロをし、それを“聖戦”と呼んでいるイスラム原理主義の過激派と何がどう違うと言うのか
 あの9.11テロで、ニューヨーク世界貿易センターのツインタワーに突入し自爆した飛行機のことを、欧米では“カミカゼ”と呼んでいる
 同じ日本国民としては、祖国の為に命を犠牲にした日本の特攻とイスラムのテロを一緒にされては不愉快だろう。
 しかし第三国の者が客観的に見れば、どちらも同じ“カミカゼ”の自爆攻撃なのだ。

 あの渡部昇一氏や中條高徳氏も同類だが、『だから、日本人は「戦争」を選んだ』を書いた岩田温氏など、日本の侵略戦争を擁護し肯定する者たちは同音異句でこう言う
あの戦いには大義があった。だから日本はワルクナイ
 冗談じゃない! ナチスだってソ連だって中共だってポル・ポトだって北朝鮮だって、どの独裁国家も皆それぞれ“大義”は持っているのだよ。
 掲げる大義もなく「俺たちゃ世界征服を企む悪党だぜ、殺人、強盗、悪い事は何でもやり放題よ!」などと本音を吐いてる悪の組織や国なんて、世界中ドコにもありません、ってば。
 例えばヤクザにだって、仁義だの何だのと掲げる綺麗事はある。そしてワ○ミなどの有名ブラック企業だって、社訓だけは立派だ。
 無論イスラム過激派の“聖戦士”たちにも、大義は彼らなりにちゃんとあるのだ
 だから「あの戦争が侵略であったかどうか」は、戦争に至る経緯と軍事的な事実のみで見るべきで、大義などという子供騙しレベルの幼稚な言い逃れに惑わされてはいけない

 その建前の大義に騙され、その時々の為政者の良いように踊らされる馬鹿になってはいけない
 例の「危難にさらされている日本人の母と幼い子を守るため」など、安倍首相が滑らかに語る耳障りの良い建前に踊らされて騙される馬鹿は、それと気づかぬまま、第二次大戦で日本が犯した過ちをまた繰り返すだろう
 少なくとも思慮のある人には、大衆を操る為に政治家が声高に言う大義になど惑わされず、事実のみで物事を判断してほしいと願う。

 さて、ここまでに「日本の万世一系の皇統とは、神話に基づく架空のものである」ことと、「日本の皇室が宗教(国家神道)と不可分のものである」ことを、繰り返し述べてきた。
 だから皇室を神の如く崇拝する者たちは、天皇を絶対不可侵の存在として他の皆にも同じように“信仰”することを強要する
 そして皇統の永続を願い祝う君が代の斉唱は、個々人がその天皇崇拝を受け入れているか確認する為の、わかりやすい“踏み絵”なのだ
 あの橋下氏が支配する大阪の学校のように、ちゃんと唱っているか口元まで確かめれば、その天皇崇拝を受け入れているかどうかが一目でわかる。
 そして黒沢は天皇家の数々の神話を含め、すべての宗教を否定している徹底した無神論者であるから、君が代は絶対に唱えないのだ。

 繰り返し言うが、黒沢個人としては、昭和天皇と今上天皇は心から尊敬しているしかしそれと「皇室そのものを崇拝するか?」と言うのは、またまるで別問題なのである。
 と言うと、おそらく「わかりにくい」と思う人たちが少なからず出て来るだろう。「今の天皇を尊敬しているなら、皇室にだって敬意を持って当然だろう?」と。

 さっくり説明しよう。例えば近頃は“歴女”とやらもいるし、歴史に関する本も多々出版されているが、数々いる戦国武将のうち徳川家康を好きで尊敬している人も少なからずいるだろう。
 しかし家康が好きだからと言って、その後の徳川十五代の将軍たち全員を好きで尊敬しているわけではなかろう
 実際、黒沢は家康をかなり高く評価していて、日本の覇者として信長や秀吉よりふさわしいと思っている。だが家光や家斉は尊敬などとても出来ないし、綱吉と慶喜に至っては大嫌いだ。吉宗は一般的に名君と思われているが、黒沢はそれより尾張の徳川宗春の方がずっと好きだ。

 天皇家もそれと同じで、黒沢は昭和天皇や今上天皇、それに花園天皇光厳天皇も大変立派な方と尊敬している。さらに元明天皇元正天皇の時代も穏やかな良い治世であったし、嵯峨天皇も立派な治世を行ったと思う。
 しかしそれと同時に権勢欲に満ち、己の欲の為に身内も含めて多くの者を殺したり、戦乱を招いたりした天皇や、国を治める能力そのものが足りなかった天皇の存在も、幾らも知っている
 だから今上天皇も含め、尊敬している天皇は幾人もいるが、皇室そのものを尊いものとして崇拝する気には、とてもなれないのだ。

 そもそも天皇家の人々も決して神でなく、我らと同じ人間である以上、尊敬できる人ばかりではなく望ましからざる良くないお方もいるのは必然なのだ。だから黒沢は皇室の方々すべてを、無条件で丸ごと尊敬するわけにはいかない。
「皇室を無条件に尊べ」と言うのは、まさに「我が神を、オマエもそのまま受け入れて信じろ」と言うのと同じである。

 黒沢は思うのだが。
「日本人なら、皇室に尊敬の念を抱いて当然」と考える“保守”の方々は、未だに「天皇は一般の人とは違う現人神さまである」と考えているに違いないと思う。そしてだからこそ「皇統が永遠に栄えることを願い祝う」君が代も、「国民(臣民?)皆が唱うべき」と、何の疑問も抱かずに信じているのであろう。

 だから君が代の問題は、「そもそも今の日本の国体を、その人がどう考えているか?」という点に戻るのである。
 例の“三行以内”で言えば、こういう事だ。
日本を天皇が治める君主国だと思う者にとっては、君が代斉唱はごく当たり前の事で、自由な民主主義国になった筈だと思う者は、それに違和感と強い抵抗を感じる
 そして黒沢は「君主国である」という事よりも、自由と民主主義の方に重きを置く故に、天皇の治世が永く続くことを祝い願う君が代は、国歌としてふさわしくないと思うのだ。

 神話で虚構の神武天皇即位の日である戦前の『紀元節』が、そのまま『建国記念の日』として蘇り、明治天皇の誕生日『明治節』が名を変えて『文化の日』として残って。
 そして疑う余地もなく天皇賛歌の君が代の斉唱が、実質的に強制されている現状を見るにつけ、「今の日本は、かつての大日本帝国とどれだけ変わったのだろう?」と思わされる。

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