空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

君が代は死んでも歌いません⑦

 渡部昇一氏や中條高徳氏などは、今の歴史教育を自虐史観だと盛んに言う
 しかし黒沢は、逆に「今の日本の歴史教育は、見直しが足りない」と思っている

 例えば先にも触れた「建武の中興」であるが、それはあくまでも天皇(それも南朝の後醍醐)の視点からの皇国史観的な見方である。実態から見れば、正しくは「建武の反動復古」または「建武の混乱」と言うべきであろう。
 幕末の「安政の大獄」についても同じ事が言え、それを“大獄”と思うのは勤王方の反幕府勢力の見方であり、幕府からすればただ「テロリストを取り締まっただけのこと」であろう。
 ちなみに例の「安政の大獄」とやらで取り締まられた勤王方の志士wwwたちが明治維新後に作り上げた政府は、その安政の大獄より遙かに厳しい弾圧をして自由民権論者などを逮捕し、遙かに大勢の政治犯を北海道などの監獄で虐待している
 もし井伊大老の反幕府勢力の取り締まりを「安政の大獄」と言うのであれば、明治の薩長政府の弾圧についても「明治の超大獄」として触れ、歴史の教科書にも載せねばねばフェアでないと思う。
 日本の学校で今も教えられている歴史の教科書には、この種の戦前の天皇中心の(中臣鎌足や楠木正成や幕末の勤王勢力らや明治新政府は善で、蘇我入鹿や北条高時や足利尊氏や井伊直弼らは悪という)見方が、未だに少なからず残っているのだ。

 日本の戦後の教科書と言えば、まず「墨塗り」が有名だが。GHQの指示により、教科書で軍国主義的な部分を黒く塗り潰したというアレだ。
 日本の戦後の歴史教育ってのは、まさにそれなのだ。戦前のテキストのうち、明らかに天皇を神格化している部分や軍国主義的な文言だけ塗り潰して、本質的な見直しはせずにそのまま使っているように見える。
 だからこそ蘇我入鹿は悪人のままだし、「建武の中興」やら「安政の大獄」やらの勤王および薩長方の見地に立つ言葉もそのまま残り、明治維新と薩長主導の明治政府の政治についてもひどく甘く好意的に記述されたままである。
 露骨に軍国主義的な、GHQに怒られた所だけチョチョイと変えて、根本的な見直しはせずに大半は戦前のままで残す。これが日本のやり方なんだよね。
 だから天皇家の系譜も、未だに初代は神話で架空の神武天皇のままなのだ。
 さらに“万世一系”の筈の皇統も、「後醍醐天皇が正義で、足利尊氏は悪である」という大義名分論こだわるあまりに、妙な事になっているのだ。

 後醍醐天皇は例の建武の中興wwwで身勝手で恣意的な政治をとった挙げ句に足利尊氏に背かれて敗れ、逃げた先の吉野で勝手に朝廷をたてた。一方勝った足利尊氏もまた、京で持明院統の血をひく親王を天皇にたてる。
 そこで皇室が京の北朝と吉野の南朝に分裂するという事態が起きるが、その南北朝の争いは北朝の優勢が明らかで、室町幕府の三代将軍義満の時、南朝の後亀山天皇が、北朝の後小松天皇に神器を返却することで、南北朝の合体が成し遂げられる。
 つまり南北朝の争いは北朝が勝ち、今上天皇も含めてその後の天皇は全て北朝の子孫である。

 しかし天皇が絶対の戦前の皇国史観では、「皇室はあくまでも南朝が正当!」ということになっていたのだ。北朝は朝敵で悪者の足利尊氏がたてた傀儡政権だから、天皇としての即位は認められない……ということで。
 それで北朝の歴代の天皇の即位は「なかったもの」とされ、天皇の代は南朝を基準に数えているのだ。南北朝が合体して以来の天皇はすべて北朝の子孫で、南朝の系統の者は只の一人もいなかったのにもかかわらず、である。
 無論今上天皇も皇太子殿下も、今の皇室の方々はみな北朝の血筋をひいておられる。
 にもかかわらず、皇室は今もなお南朝を正当とし、その代も南朝に従って数え続けているのだ。そして歴史の教科書でもそれに従って、天皇の代は南朝を正当として数えている

 建前にこだわらずに事実のみを見れば、北朝が正当なのは明らかだ。なのに皇室も日本の歴史教科書もなぜ未だに南朝を正当とし続けるのか、黒沢にはとても理解できない。
 戦前の天皇を神格化した皇国史観的な見地から見れば、逆らった臣下がたてた北朝など、とても正当と認められないのだろう。しかしならば例の南北朝合体後の、北朝の血のみひき続ける後小松天皇以降の皇室すべてもまた、正当でないニセモノということになるではないか。

 このように日本の歴史にまだ根を張る戦前の皇国史観的な見方(天皇は絶対で、勤王方と薩長が善)は、今も歴史の教科書のみならず、皇室の歴史にも矛盾を残し続けている
 未だに後醍醐の「建武の中興」や、井伊直弼の「安政の大獄」などの言葉は残り、皇室は神武天皇が初代で南朝が正当で、明治維新で文明が開花し、江戸幕府を倒した薩長の政府のおかげで日本が列強に肩を並べる立派な国になったと教科書で教え続けているのである。
 どう見ても戦前の教科書の不都合な上っ面に墨を塗っただけで済ませ、根本はまるで見直されずに残っているとしか言えない。
 そう、君が代の問題もそれと同じなのだ。
 歌詞の意味をきちんと検証し、それが日本の国歌としてふさわしいかどうか本質的な議論されることも無いまま、なし崩し的に国歌として唱うことを強制されているのが現状である。

 終戦後、日本は国民主権の、民主主義の自由な国になった。そして明治憲法下で「天皇の治世を祝う歌」とされてきた“君が代”は、新しい日本国憲法の精神にも反しているとされ、国歌として扱うことは出来なくなった。
 ところが戦前の天皇ファッショの時代の日本が恋しい保守反動勢力が根深くいて、まず1950年に君が代斉唱を進める大臣通達が出され、1977年には学習指導要領で一方的に君が代が国歌と規定され、そして1999年にとうとうあの国旗国歌法が成立するわけだが、その間に“君が代”の歌詞の意味と、それが今の日本の国歌としてふさわしいかの議論が、国会や国民の間で充分かつ真剣になされたとは、黒沢にはとても思えないのだ。
 その間の経緯は、ただ「戦前回帰を目論む右翼勢力によるなし崩し」としか言いようがないように見える。
 そして義務規程もなければ罰則もなく、「強制は伴わない」と繰り返し約束された上で成立した筈の国旗国歌法だが、いつの間にか君が代を唱うことが義務として強制され、従わぬ者は処罰されている現実は、これまでにも繰り返し述べてきた通りである。


スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する