
でも写真と本の他に私の人生を豊かにしてくれたものが、もう一つあります。
それは猫です。
私は何故か猫が幼い頃から好きでした。
小学校低学年の頃から、猫と暮らしたくて暮らしたくてなりませんでした。
ただ残念ながら父が猫好きではないので、その希望は叶いませんでした。
ですからね、大学四年の春に父が急死した後、夏にはもう野良の子猫を躊躇無く引き入れ、家の子にしてしまいました。
以来、四匹の猫を家族にしてきました。
猫は本当に良いです。
本質的に個人主義で、甘えたい時以外は「放っておいて!」という感じて好きにしているし。
それでいて甘える時は、愛情表現がとても激しいし。
いつもベタベタするのではなく、でも気が付くと傍に居てくれて。
そして夜は、寄り添って寝てくれて。
猫が家族になってくれた幸せを、本当に感じて生きています。
ちなみに私、最も好きな猫の種類はズバリ“雑種”ですね。
あの「いろんな猫の遺伝子がブレンドされた、世界でオンリー・ワンの存在」という感じがたまらなく良いのです。
純血種には全く興味ないですし、人間が造り出した遺伝病や障害も持つ新しい種の猫を見ると、むしろ痛々しさと人間のエゴの醜さを心から強く感じます。
特に「耳が折れ、手足も短い人気のあの種の猫」を選んでお金で買って飼う人は嫌いです。
ご存知ですか。
無知な人が「可愛い!」と喜ぶあの折れ耳は、軟骨形成不全という遺伝的な障害を、人間がエゴで意図的に固定したものなんですよ。
だからそもそも軟骨に問題があるので、耳の他に手足の関節に異常を持つ場合もあります。
それでいわゆる“香箱座り”が苦手で、人間のオッサンのように座っているのも、あの猫が好きな人は「可愛い!」と喜ぶ。
当の猫は人間により作り出された障害のせいで苦しんでいるというのに、どれだけ無知の上に残酷なのだろうかと呆れます。
それにそもそも猫にとって聴力は、とても大事なものなんです。
なのに耳が折れていたら不自由ではないかと、どうして想像も出来ないのでしょうか。
もし人間より知能と文明が優れた地球外生物がUFOで地球にやって来て、貴方を含む人間を捕らえてペットにしたとしましょう。
そして「可愛いから」と、貴方を耳が折れて関節にも障害のある人種に作り変え、貴方の苦痛も無視して飼って楽しんでいるとしたら、貴方はどんな気持ちになるでしょうか。
どうせそんな想像力も無いんでしょうね、人間がエゴで突然変異の奇形を固定化させて作り出した猫を、高いお金を出して買うような自称“猫好き”は。
と言うか私は、外見や種で共に暮らす猫を選ぶ人を好きになれません。
それは自分の家族となる結婚相手を、容姿と血筋(家柄)で選んでお金で買ってくるようなものですから。
「猫本来の姿と性質を愛せないなら、猫が好きだなどと言うな!、お前らに猫を家族に迎える資格など無い!!」と、心から思います。
ちなみに私の場合、家族に迎えた猫はみな、私が選んだのではなく、猫の方が私を選んでくれたのです。
「私が猫を選ぶ」のではなく、「猫に私を選んでもらう」のが、私の主義です。
ですから私の大切な家族になってくれた猫は、どの子も「猫の方が家に入って来たがった」とか「病気でひどい状態だったのを助けた」という野良の子や保護猫ばかりです。
それだけに。
私と猫の心の絆は、ものすごく強いです。
ペットでなく家族だから、「飼う」とか言いたくないです。
迎えたんですよ、家族に。
こんな私ですから、彼女ができると必ずモメます。
その理由はいつも、「あたしと猫と、どっちが大事なの!?」です。
そして私は「もちろん君さ」と言えず、「君は君だし、猫は猫だし、どちらとか言われても……」とモゴモゴ言ってはキレられるという繰り返しです。
そうした彼女の一人には、「もう、あんたは猫と結婚しな!」とまで言われましたね。
でもね。
家族になってくれた猫たちは、死ぬまで寄り添って変わらぬ愛を私に返してくれたけれど。
猫にまで嫉妬して「あたしと猫と、どっちが大事!?」と迫った彼女たちは、皆フタマタをかけて他の男に乗り換えて去って行きましたよ。
猫の方が女性よりずっと誠実で愛情深いです、本当に。
悲しいことですが、これが私にとっての「猫と女性の真実」なのです。


