空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

自国の負の歴史は「自虐史観」と切り捨て、目をそむける愚かな日本人

 10月15日の、毎日新聞の論説副委員長中村秀明氏のコラム『水説』に、ドイツと我が国の戦争責任に対する姿勢の違いを考えさせられる、大変興味深い出来事が書かれていた。
 そのコラムを要約すると、こうである。

 今月の9日に、中村氏は『シャトーブリアンからの手紙』という映画の試写を見た。そのタイトルのイメージと違い、ロマンス溢れるお洒落なフランス映画などではなく、ドイツ軍によるフランス人の虐殺の史実を描いた戦争映画である。
 フランスで1人のドイツ軍将校が暗殺された報復に、ヒトラーは150人のフランス人、それも事件に無関係でまるで罪のない者たちを殺すよう命じ、現地のドイツ軍はその命令を実行した。
 映画のタイトルは、その犠牲者達が家族に残した手紙からつけられたものだ。
 しかし映画は過度に感情に走らず、あえて事実のみを描いて行く。殺す側のドイツ軍とその協力者のフランス人たちも憎むべき悪人ではなく、ごく普通の人間として描かれている。
 また殺される側も悲劇のヒーローとして描かれてはおらず、神格化もされていない。
 そのようにあえてストーリーの抑揚を押し殺したような展開にすることで、「凡人や善人が淡々と非道な行いに走るのが戦争なのだ」ということを、作品はより強く語りかける。
 そしてラストまでこの作品を見た観客は、この事件の目撃者になったような気になる。

 実はこの『シャトーブリアンからの手紙』という作品は、『ブリキの太鼓』で知られるドイツ人のフォルカー・シューレンドルフ監督によって作られたそうだ。
 そして2012年の2月に、この映画がベルリン映画祭で上映された時、映画が終わるとドイツの観衆はみな立ち上がり、拍手を送り続けたという。

 過去にドイツが犯した残虐行為を、ドイツ人の監督が映画に描き、そしてその作品に観衆のドイツ人たちが拍手を送る。
 これがドイツの、自国が犯した戦争責任に対する姿勢だ。

 この映画について中村氏は言う、「過去から目をそらさず、脚色もしない。耳をすまし目を見開き、事実にきちんと向き合う。その姿勢が最後まで貫かれている」と。

 では、我が祖国日本の、自国が犯した戦争責任に対する姿勢はどうであろうか。
 この『シャトーブリアンからの手紙』のような、中国で日本軍が中国人を虐殺する映画を、もし日本人の監督が制作したとして。そして日本で公開する事になったらどうなるか、黒沢には手に取るように予想できる。
 その作品は“右”の勢力から「自虐史観のデッチ上げだ!」と叩かれ、監督は「売国奴で日本を貶める“媚中”の非国民!」と罵られ、映画館には上映中止を強要する右翼の街宣車とデモが押し掛けるに違いない

過去から目をそらし、美しい歴史に脚色する。批判には耳を塞ぎ事実から目を閉ざすどころか“日本を貶める亡国発言”と逆ギレし、自国に不都合な史実は決して認めない。それを“愛国”と呼ぶ姿勢が貫こうという勢力が、安倍政権下で力を増している
 残念ながら、これが『美しい国』をスローガンにする安倍晋三が支配する、我が祖国の現実である。
 自国の美しい良い所しか認めず、負の部分も直視する者は「自虐史観の非国民め!」と罵る。こんな国民性だから、軍国主義者を自称する安倍晋三を、五割を越える国民が今もなお支持し続けているのだ
 過去の負の歴史を直視したくないこの日本国民には、先の大戦を反省する日本の姿勢を変えたい歴史修正主義者の首相は“ふさわしいリーダー”なのかも知れない

 自国の暗部から目をそらさず事実通りに描いた映画が、ドイツではきちんと評価される。
 しかし近年の日本でウケる戦争映画と言えば、日本軍や特攻を美化して英雄的に描いた感傷的なものばかりで、百田尚樹氏の作品は大人気だ。
 過去の自国に負の歴史に対する姿勢が、ドイツと日本ではなぜここまで真逆なのか。
 自国の負の歴史を直視できず、あえてそれに触れる者がいると「日本を貶める自虐史観の非国民!」と罵る我が日本人の国民性が、黒沢は情けなくてならない

 過去の負の歴史から目をそらさず、脚色もせず、耳をすまし目を見開き、事実にきちんと向き合う姿勢を最後まで貫く。ドイツ人に出来ているその事が、我が日本人にも出来るようになるのは、いったいいつの事だろうか
 と言うより、そんな日は我が国には永遠に来ないのではないか。
 安倍晋三と多くの歴史修正主義者の閣僚たちの言動を身るにつけ、そう思わざるを得なくなってしまう黒沢だ。

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