空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

「良い人」は被害者より加害者に同情を寄せ、結果的に世の中を悪くする

 厚生省が募集した“脱法ドラッグ”の新名称として、“危険ドラッグ”という呼び方が採用された。だからマスコミも、その種のドラッグを「右にならえ」で危険ドラッグと呼んでいる。
 しかし実際には、その危険ドラッグという名称より、“廃人ドラッグ”という案の方が多くの票を集めたという。

 ではなぜその廃人ドラッグではなく、それより票の少なかった危険ドラッグという名称の方が採用されるに至ったのか。
 端的に言うと、それは「廃人ドラッグでは、薬物依存者への偏見を助長するから」だそうだ。

 収入の多くを薬物に使い、妄想や幻覚などでまともな生活が送れなくなり、やがて職も失う。
 そしてそれでも薬物を購入する為に、家族や知人などに金をせびり、挙げ句の果てには犯罪に手を染めたりもする。
 また、度々報道もされる通り薬物を使用して車を運転し、暴走して何の罪もない人を巻き添えにした事故を起こして社会に害を与えている現実は、誰も否定できないだろう。

 ところが、だ。世の中には、それもリベラルで「弱者に理解ある」知識人の中には、その彼らを「社会や家庭の問題が生み出した犠牲者」として擁護しようという人々が少なからずいるのだ。
 今年の8月19日の、毎日新聞の『発信箱』というコラムで、小国綾子記者はこう書いていた。

 ドラッグに依存する人の多くは、いじめや虐待を受けた過去があったり、人付き合いが苦手で自分に自信がなかったり、さまざまな困難を抱えていた。

 だからその生きづらさからドラッグに頼るのだと、小国記者は言う。

 果たしてそれは、事実だろうか。
 小国記者の説に従えば「ドラッグに頼る人は生きづらさを抱えた気の毒な人達で、ドラッグに頼らずまともに暮らしている普通の人々は幸せで恵まれている」ということになる
 この「ドラッグに頼る人=問題を抱え生きづらさに苦しんでいて、手を差し伸べて助けてやらねばならぬ社会や家庭の犠牲者」という判断に、貴方は賛同して共感できるだろうか。
 少なくとも黒沢の考えはまるで違う。
「ドラッグに手を出して依存する者は、元々意志が弱くて駄目な人間だ」
 スパリとそう切り捨てて構わない
と、黒沢は偽らざる本音で思っている。

 黒沢自身のことについて言おう。
 このブログで以前にも何度か触れているように、黒沢は小柄だった。小柄でも活発で元気一杯な者もいるが、黒沢は病弱で体力にも欠けていた。
 そんな者が東京から地方に引っ越して行ったら、現地の学校でどんな扱いを受けるか、容易に想像がつくだろう。
 当然、いじめられたよ。小学生の低学年のうちから悪ガキ連中に無理矢理“プロレス技”をかけられるなど日常茶飯事で、暴力を含むいじめを散々に受け続けたさ。

 また、黒沢には年子の姉がいるのだが、この姉が外では良い子の優等生を演じ、そのストレスを家でワガママとヒステリーの爆発で晴らす、ひどい内弁慶タイプの人間だった。外で他人に対する時の姉と、家で地のままでいる時の姉って、もうマジで二重人格レベルで態度が違うんだよ。
 黒沢にとってその姉は、本当に迷惑な“ヒス姉”でしかなかった。
 だが大人も含めて人なんてものは、自分の目に映る上っ面しか見ないものだからね。
 おかげで黒沢は、親戚の大人達にも学校の教師らにも“出来損ないの弟”扱いされ、ずっとこう言い続けられて育ったよ。
「お前は、もっとお姉さんを見習え」
 中学の時の担任の教師には、「お姉さんの爪の垢を煎じて飲め」とまで言われたぞ、本当に。
 ……笑っちまうよな、本性は手の付けられない酷いヒス姉なのに、それを「見習え」とはね。
 周囲の大人たち皆に、その二重人格のヒス姉と比べられては人格も才能も否定され続けて育って来たんだよ、黒沢は。

 だから当然、子供の頃から「人は皆バカばかりだ」と思うようになるし、人間不信にもなるし。
 ハイ、もちろん人付き合いも苦手だし、友達も多くない。と言うか、「友達なんて、心からわかり合える真の友が少しだけいれば充分」って思ってるしね。
 そうそう、ついでに言えば育った家庭環境にも問題があって、黒沢の父は常に酒が欠かせなく、しかも酔えば絡んで暴れるタイプの酒乱デシタ。

 例のコラムを書いた小国記者によれば、ドラッグに依存する人は「いじめや虐待を受けた過去があったり、人付き合いが苦手で自分に自信がなかったり、さまざまな困難を抱えていた」だそうだが。
 その小国記者のご高説に従えば、黒沢など薬物依存者になる条件にピッタリではないか。
 まずいじめも受けたし、常に姉と比べられては貶められてきて、おかげで人間不信で人付き合いも苦手になり、しかも育った家庭環境にも問題があった
 しかし黒沢は、それでもドラッグに手を出した事など一切無いぞ。

 ついでに言えば、スコッチなどの酒は愛してはいるが常に嗜む程度にとどめていて、乱れるまで飲むことは決して無い。煙草は大学時代には吸ったが、それ以降はキッパリ禁煙を続けている。しかもパチンコはもちろん、競輪競馬競艇など賭事の類にも一切手を出していない。
 ちなみに黒沢は、風俗関係のお店にも本当に一度も行ったことがない。女性とは損得感情抜きの恋愛感情のみで付き合うものと信じていて、お金で親しくなろうとか全く思えないからだ。

 黒沢は薬物だけでなく、アルコールにニコチン、そしてギャンブルからセックスに至るまで、本当にあらゆる種類の“依存”と無縁に生きている
 あえて依存症と言うとすれば“猫中毒”とでも言うか、猫が身近に居ない生活など考えられないくらいである。

 小国記者によると、薬物依存者には「クスリが唯一の友だちだった」という者も少なくないそうだが。
 黒沢がこれまで何にも依存せずに真っ当に生きてきたのは、すべて自分の意志の力によるものである。
 黒沢がいじめに遭ったり、姉と比べられ出来損ない扱いされるなどして人間不信に陥って、辛い思いをして苦しんでいた時。その黒沢を気持ちを理解して支えて助けてくれたヒーローのような人間など、本当に誰もいなかった
 小国記者の言ういろいろな“生きづらさ”を、少なくとも黒沢は一人で耐えて自力のみで生き抜いてきたのだ。周囲に理解者など誰も無いまま、ドラッグを含む如何なるものにも依存せずに、である。

 だから薬物依存者は「いじめや虐待を受けた過去があったり、人付き合いが苦手で自分に自信がなかったり、さまざまな困難を抱えて」いて、「生きづらさを抱え」て苦しんでいる、何か社会や家庭の被害者であるかのように言われると、胸がムカついてきてならない
甘えたこと言ってんじゃねーぞ、このボケが!」って、本気で怒鳴りつけてやりたくなる。

 確かに薬物依存者の多くが、「いじめや虐待を受けた過去があったり、人付き合いが苦手で自分に自信がなかったり、さまざまな困難を抱えて」いるのかも知れない。
 しかし「いじめや虐待を受けた過去があったり、人付き合いが苦手で自分に自信がなかったり、さまざまな困難を抱えて」きた者など、この世には幾らでもいるではないか。

 小国記者に訊きたい。いじめや虐待を受けた過去がある者たちは、その多くがドラッグに依存するようになっているのだろうか?
 人付き合いが苦手で自分に自信がなかったりする者たちは、大半がドラッグに依存するようになっているのだろうか?
 いじめや虐待を受けたり、人付き合いが苦手で自信のなかったりすれば、皆がドラッグに頼るようになるわけではない。多くの人はそうしたさまざまな困難を抱えながら、それでも薬物などに依存せずまともに生きているのが現実だ。
 いじめや虐待だの、人付き合いが苦手で自分に自信が持てないだの、そんなものは「誰しも抱えている生きづらさ」だ。だからドラッグに頼ったなどと言うのは、誘惑に弱く自制心に欠ける者の言い訳に過ぎない

 小国記者が取材した薬物依存者に、こんな母と娘がいたという。
 母は「ほめて育てろ」と聞き、生まれた娘を懸命に褒めて育てたそうだ。ところがその娘が薬物依存者になり、薬物に走った理由を娘は「良い子でないとほめてもらえない」からと言ったという。
 そして母親は「それが娘をクスリに追いやったなんて」と、小国記者の前で泣いたというが。
 バカ言ってんじゃねーよ!
 良い子でないと褒められないって、当たり前のことだろーが。
 じゃあ何か、「良い事をしなくても、悪い事をしても褒めろ」って言うのかい?

 良い事をすれば褒め、悪い事をすれば叱る。これ、当たり前の事だと黒沢は思うが。と言うより、娘の良いところを懸命に褒めて育てたという母親は、良いお母さんだったと思う。
 なのに「良い子でないとほめてもらえないからクスリに走った」って、駄目な娘の単なる甘えの言い訳に過ぎないとしか、黒沢には思えない。
 この母娘の場合は母親が育て方を誤ったのではなく、娘が元々意志の弱く誘惑に負けやすい駄目な子だったのだと黒沢は考える。

 ドラッグに頼る薬物依存者を、小国記者は「いじめや虐待を受けた過去があったり、人付き合いが苦手で自分に自信がなかったり、さまざまな困難と生きづらさを抱えている人々」と理解し、黒沢は「意志が弱く誘惑に負けやすいだけの、自制心に乏しいダメ人間」と見ている。
 同じ薬物依存者を見て、どうしてこうも判断が違うのだろうか。
 ズバリそれは、「人間の本性を、善であると思うか否か」だと思う。

 黒沢の好きな漫画家に、新井理恵さんという方がいる。この新井理恵さんの描く漫画は「ブラックだ」と言われるが、笑いの中に人間の本音や世間の実態を鋭く抉って描く新井理恵さんのその“ブラック”さが、黒沢は大好きだ。
 その新井理恵さんが描いた『うまんが』という作品の中に、黒沢の心にズシリと深く刺さった台詞がある。
 その台詞から登場人物のキャラ名などを抜いて要約すると、まあこんな感じかな。
世の中の汚れた部分を見て育ちながら結果的に良い人になった者は、世の中の綺麗な部分を見て育ち純粋に良い人に育ったタイプの人間を、生理的に虫が好かない
 ……ハイ、身に覚えがありマス。
 正直に言って黒沢は、「本当に悪い人なんか、この世に誰も居ないんだよ」などと正気で言えてしまうような“純粋な良い人”って、本当に心の底から嫌いなんだ。
 リベラルな言論人や市民運動家などによくいる、この世に“悪”の存在を認めない性善説の根っからの良い人って、むしろ悪人よりタチが悪いくらいだと黒沢は思ってる。

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 いろいろありつつも、黒沢は(交通違反を除いて)何とか警察のお世話になる事なく生きて来たよ。イジメにも遭ったし、家庭環境にも問題はあったし、無理解な大人達に差別されながら育ったけれど、それでも校舎のガラスも割ったりしなかったし、盗んだバイクで走り出したりもしなかった。
 グレたり薬物などに依存したりする口実なら、それこそ幾らでもあったけどね。
 要するに黒沢は、新井理恵さんの言うところの「世の中の汚れた部分を見て育ちながら結果的に良い人になった者」なんデス。

 だから黒沢は、「誰かをイジメたり貶めたりすることに喜びを感じる悪人」や「人や物事の上っ面しか見られないバカな人間」がこの世に間違いなく存在する現実を、我が身の痛みをもって知っている
 それだけにさ、差別やひどいイジメに遭ったこともなく、良い両親に愛情いっぱいに育てられ、良い友達にも恵まれて真っ直ぐ育ち、「本当に悪い人なんか、この世に誰も居ないんだよ」とか本気で言えてしまう“純粋な良い人”を見ると、気分が悪くなって胸がムカムカして来るよ。

 その種の“純粋に良い人”の何が悪いか……ってね、「この世に悪の存在を認めないこと」だよ。
 前にも触れたように、いろいろあったけど前科ナシで真っ当に生きている黒沢から見れば、グレて犯罪を犯す人間は「元々悪いヤツ」、薬物やアルコールやギャンブルなどに依存する者は「意志が弱くて自制心に乏しい人間」で片付くことなんだ。
 けど例の“純粋な良い人”達は、何しろ「本当に悪い人なんか、この世に誰も居ない」と心から信じているからね。
 だから何か犯罪を犯したり、何かの依存症になった人間がいると、例の“純粋な良い人”達は、彼らが「グレたり依存症になったりした原因」を、それこそ必死で探そうとする
 で、誰かが盗んだバイクで走り出せば、それを学校や社会や家庭などのせいにして、犯罪者がまるで被害者であるかのように仕立て上げる。そして大事なバイクを盗まれた、本当の被害者の痛みなどまるでお構い無しなのだ。
 同じように薬物依存の問題でも、イジメだの虐待だの、人付き合いが苦手で自分に自信が持てないだの、「生きづらさ」とやらを散々言い立てて、問題を本人でなく社会や家庭に求めようとする。

 黒沢は「悪いヤツ」は間違いなくこの世にいると思うし、だからグレて犯罪を犯すのは「それは当人が悪いヤツだから」だと考える。
 同様に薬物などの依存に走るのも、「当人の意志が弱いから」で片付けて構わないと思う。
 だって、そうでなければ「イジメられたり虐待を受けた過去があったり、人付き合いが苦手で自分に自信がなかったり、いろいろな生きづらさを抱えつつ、グレて犯罪にも走らず何かの依存症にもならずに頑張って生きている大勢の人達」に失礼だと思うから。
 だが主にリベラル思想の“純粋な良い人”達は「本当に悪い人なんて、この世に誰もいない」と信じ、だから人がグレて犯罪を犯したり、何かの依存症になるとその原因を重箱の隅をつつくようにして探し出し、結局は「社会や家庭や学校のせい」ということにしたがるのだ。

 さて、貴方はどう思いマスか。
 犯罪や薬物依存などを「本人の問題」と考える黒沢と、「社会や家庭や学校など周囲がワルい」と考える人達と。
 貴方はどちらが正しいと思いマスか?

 例の“純粋な良い人”達って、犯罪者や何かの依存症の人間を何とかして「社会や家庭の被害者」に仕立て上げたくてさ。
 それも悪気があって悪人の味方をしているのではなく、心からの善意でそうしているのだから始末が悪いよ。
 苦しくても必死に頑張って、自力で真っ当に生きている人達は「自分で頑張れる強い人間だから」どうでもよく、「悪いことをしてしまう人や何かに依存してしまう人は、助けてあげなければならない可哀想な存在」って、テメーは親鸞上人の生まれ変わりで、例の悪人正機説、「善人より悪人こそ救われるべき」とか本気で主張するつもりなのかよ……っての。

 また黒沢がタチが悪いと思うのは、薬物やアルコールやニコチンやギャンブルなどの依存症を「病気であって、本人にはどうにも出来ないものなのだ」と主張する人々の存在だ。
 黒沢はかつては、「昼食を抜いて浮かせたお金で好きな煙草を買う」ほどのヘヴィな喫煙者だったが、猫の為にその煙草をキッパリ止めた。
 当時可愛がっていた猫が、黒沢が煙草を吸うと本当に“イヤな顔”をするのでね。
 で、黒沢は医師の力も借りず、己の意志だけで煙草を止めたよ。
 だから断言するが、煙草は己の意志だけで止められるもので、「止められない」とか絶対に嘘だ
 お酒もスコッチだけでなく黒糖焼酎や純米酒やジンなども好きで、日本や世界各地の酒を楽しんで飲んでいるけれど、限度(スコッチなら2ショット、日本酒なら一合)はキチッと守って、酔っ払うまで飲むことは絶対にしてないよ。
 さらに週に最低一度は休肝日を入れているし、依存症には全くなっていまセン。
 そしてお金はほしいし欲はあるけれど、ギャンブルにはまるで興味なく、女性は大好きでもフーゾク関係のお店に行った事は一度も無いのも、前に話した通りデス。
 だから「依存症になるかどうかは、本人の意志次第」って本当に断言できる。

 と言うと、「オマエは薬物をやった事がないから、そんな事が言えるんだ。薬物の依存させる力は酒や煙草とは比べものにならないほど凄いぞ」と言われるかも知れないな。
 白状しよう。薬物の魅力と恐ろしさなら、その断片程度のものなら、黒沢も身をもって知っている

 前にも話した通り黒沢は病弱で、手術も何度か経験している。
 で、ある手術を受ける前に鎮静剤のような注射をされたのだが、すると間もなく、変に気分が良くなってきてさ。
 もうすぐ手術だというのに、不安感などどこかに消えてしまって、何となく浮かれたような良い気分でストレッチャーに乗せられ、手術室に運ばれて行ったよ。
 手術はその一度だけでなく、その後また受けることになって。それも腹の奥に出来た大きな腫瘍を摘出する、かなりの大手術だった。
 その時もまた手術の少し前に鎮静剤の注射を打たれたのだが、やはり気分が変にハイになった。手術は半日以上かかると聞かされていたし、大量の輸血も予想されて体は既に何本かの管に繋がれていたにもかかわらず、何の不安感もなく浮かれた気分でいたのだ。
 そして手術室に向かう時には鼻歌を歌い続け、手術室の前ではストレッチャーを押して送ってくれたナースに手を差し出し、「お迎え、ヨロシクね!」と笑顔で握手を交わす始末だよ。

 これはオカシイ。
 自分でもそう思ったね。手術の前に打つ鎮静剤とやらの注射には“何か”がある、って。
 で、その手術を何とか終えて退院したものの、後遺症とかいろいろあって、生体検査を受けることになってさ。
 体内の組織を取り出すのだから、その時には当然麻酔も使うワケで。
 だから黒沢は“期待”したんだよ、「また手術の前の時のように“ハイ”になれるんじゃないか」ってね。
 うん、全く予想通りだった。
 と言うより、予想以上の効き目だったと思う。
 検査を終えて治療室から出た後も、かなり長いことハイな気分だった。

 医療で普通に使う薬だから、効き目はかなり弱めてあるにしろ、麻薬って本当にスゴいよ。
 例えばお酒でも酔えばハッピーになれるけどさ、頭が重くなったり思考が鈍ったりするよね。でも医療用の麻薬や鎮静剤はまるで違うんだ、頭はスッキリしたまま、気分はお酒の何倍も高揚して爽快になれるんだよ。
 気分の良くなる度合いで言えば、麻薬はお酒なんて比べものにならないほどスゴいね。
 その事を、黒沢は身をもって体験している。
 そしてまた黒沢は「いじめを受けた過去があり、人付き合いが苦手で」、例の小国記者の言う「生きづらさ」もしっかり抱えている。
 でも黒沢は、その種の違法で危険な薬物に手を出した事は一度も無い。と言うか、「手を出してみよう」と思った事すら無いね。
 何故ならそれは「違法だし、身を滅ぼす元だ」とわかっているから。
 黒沢は一時の快感と引き替えに、自らを廃人にする違法なドラッグに手を出すほどバカじゃない。ただそれだけの事だよ。
 だからハッキリ断言するが、薬物の依存者はただ意志と頭の弱いダメ人間に過ぎない

 小国記者は、例の危険ドラッグについてのコラムをこうまとめた。

 生きづらさを抱え、ドラッグに頼り、しかしそこから抜け出そうとしている彼らを、どうか「廃人」と切り捨てないでほしい。彼らの回復を、その家族の闘いを支えよう、という社会でありたい。

 小国記者には申し訳ないが、いろいろな生きづらさを抱え、しかしドラッグにも何にも頼らず生きてきている黒沢としては、ただ「甘えてんじゃねーよ」としか言えない
 薬物依存者とその家族に多大な“理解”を寄せる小国記者は、心優しくて同情心に溢れる、本当に良い人なのだと思う。
 だが漫画家の新井理恵さんの言う「世の中の汚れた部分を見て育ちながら結果的に良い人になった」黒沢としては、小国記者の思考に「生理的に虫が好かない」ものを感じるのだ。

 薬物がどんなに恐ろしいものかは、報道などで誰もがよく知っている筈ではないか。にもかかわらず薬物に手を出し、挙げ句の果てに事故や事件を起こして何の罪もない人の命を奪う愚か者など、とっとと死んでくれた方が世の為だと思う。
 それが言い過ぎだとしても、そうした社会や他人に害をなす危険のある薬物依存者は、少なくとも閉鎖病棟なり刑務所なりで、薬物と完全に縁が切れるまで厳重に隔離しておくべきだと黒沢は考える。

 薬物依存者が起こす酷い事故や事件が度々報道されているにもかかわらず、その被害に遭った何の罪もない市民より、薬物依存者の方に同情を寄せる小国記者の思考が、黒沢にはどうにも理解できない。
 黒沢なら薬物依存者の苦しみや人権より、一般市民の命と安全の方が大切思うが。
 薬物依存者自身が心の中ではどれだけ苦しんでいたとしても、そんなものは“自業自得”と黒沢は考える。

 脱法ドラッグは危険ドラッグでなく“廃人ドラッグ”で構わないし、薬物依存者は「意志の弱いダメ人間」と切り捨てて構わない。そう思う黒沢は、やはり心の冷たい人間なのだろうか。

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人は人、あなたはあなた。

 私は幼い頃からヒステリーで学歴至上主義の母親に身体的虐待、精神的虐待を受けて育ちました。中学生になると、母親の遺伝とストレスにより小学生の頃から発症していたトゥーレット症候群が原因でいじめに遭いました。小説家になろうというサイトで小説を書き始め、なんとか立ち直ろうしたときまでもネットいじめがありました。結局は高校一年(県立の中高一貫進学校)の夏までいじめが続いたのですが、自分は常に加害者に対抗して、最終的には三者面談の時に名指しで先生に報告して収まりました。自信のトゥーレット症候群もこのころはほとんどでなくなり、惰性でいじめられていたようです。
自分はいじめに対抗できたことに対して、それは自分が強かったからだと思います。あなたももちろん、強かったから耐えれたのだと思います。しかし、世の中には弱い人もいます。どんな苦痛を受けているかなど、第三者にはわかりません。いじめの種類や家庭環境もわかりません。いじめられっ子が危険ドラッグに手を出すまでに追いやった奴らこそが悪の根源であり、許されざる犯罪者なのです。あなたの気持ちはよくわかります。自分もいじめられている最中は、どうやってこいつらを社会的、もしくは物理的に殺してやろうかとばかり考えていました。ですが、落ち着いて考えてみると、自分はまだまだ軽い方だったんだなと思えてきたのです。最近は鬱病やトゥーレット症候群に対する偏見も多いですが、本人にはどうしようもないことをわからないと、なんの解決にもならないでしょう。犯罪者を罰することは対症療法として、必用なことですが、加害者の経緯も考えずに社会的に私刑(リンチ)することは絶対にあってはならないことです。それこそ新たな恨みを呼び、犯罪を増やします。対症療法はもちろん、加害者と被害者の両方の心のケアを行う原因療法を行い、そのような犯罪者に育ってしまった親の育て方を世間に公表し、糾弾すべきです。たいていの場合基本的には親が悪いのです。
ちなみに私は現在高校三年生ですが、まわりには私ほど心優しい人は滅多にいません。自慢に聞こえたら申し訳ないです。弱い人はいて強い人もいる、ということはわかっておいて欲しいです。
そして、自分が危険ドラッグに手を出さなかったことを誇りに思えばいいのです。少なくとも、手を出してしまった人よりは幸せになれるはずですので。

いじめと戦って勝った人 | URL | 2017-07-16(Sun)23:28 [編集]


「良い人」というよりも

お邪魔します。
 「良い人」というよりも、「誰かを何か"殉教者"のように仕立て上げ、"殉教者"を"人間の盾"にする事で己への批判等を封じ込めようとする人」のように思えます。

 それと世間が薬物依存に対してあまりにも優しいと、これから薬物に手を出そうとする人達を思い止まらせられなくなるのではとも危惧します。薬物に手を出す前は「するもしないのも自分次第」とでも思っているのでしょうが、一度手を出してしまえば「(まともな思考力が残っていれば)自分は薬物の"奴隷"になってしまった」事を嫌という程思い知ります、尤もそれは”奴隷”になって初めて実感できる事ですが。

ブロガー(志望) | URL | 2017-07-17(Mon)20:49 [編集]


Re: 人は人、あなたはあなた。

> あなたももちろん、強かったから耐えれたのだと思います。しかし、世の中には弱い人もいます。

「いじめと戦って勝った人」さま、貴方のコメントを拝読して、私も子供の頃ストレスで吃音になり、それでさらにからかわれたり馬鹿にされたりしたことを思い出しました。
 苦労しましたね、お互い。

 ただそのせいで私は性格が曲がってしまい、弱い人に対する配慮が欠けるようになってしまっていたようです。
 凶悪犯罪には相応の罰が必要と思いますが、確かに処罰がリンチになってはいけませんし、加害者の事情と言うか生育環境も考慮する必要もあるでしょうね。

 私は周囲の人にも「気が強い」とか「頑固だ」などと言われますし、確かに強いのでしょうね。
 何しろ相手が大勢だろうが年上だろうが、納得できない事を強制されるとより強く反発してしまう性格です。
 相手が上司だろうが誰だろうが、「黒は黒で、白は白!」と言い張る融通の利かなさと空気の読めなさを今もなお持ち続けています。
 その分、風当たりも強く「出る杭は何とやら」で散々な目に遭ってきました。
 それでも曲げられないんですよ、自分を。

 私は強いのだと思います。
 それでもただ強いからグレたり犯罪者になったりしなかったのではなく、痛い思いや辛い思いは充分すぎるほど味わってきました。
 周囲と戦いつつ、でも苦しかったんです、とても。
 それだけに、辛さや苦しさに負けてしまう人に腹が立ってしまうんです。
「オレだって苦しかった、でもグレなかったんだぞ!」と。

 けれど貴方のコメントを拝見して、私は気の強さと頑固さを生まれつき持っていたんだという事に気付きました。
 確かに人が皆、私ほど頑固で気が強い筈がありません。
 その人の生育環境や心の弱さにも、もう少し配慮できるようになりたいと思います。

黒沢一樹 | URL | 2017-07-20(Thu)01:29 [編集]


Re: 「良い人」というよりも

>  世間が薬物依存に対してあまりにも優しいと、これから薬物に手を出そうとする人達を思い止まらせられなくなるのではとも危惧します。

 薬物依存だけでなく、日本は依存症の人に甘いですよね。
 アルコール依存症やら、ギャンブル依存症やら。
 それで周囲の人達に少なからぬ迷惑をかけていても、いわゆる専門家という人は、「病気なのだから、その人が悪いのではない」と言います。
 それどころか、「だから周りのお前達が支えてやれ」と言わんばかりです。

 煙草は二年でキッパリやめ、酒は常に適量を守り、ギャンブルは嫌いだし薬物などやろうとも思わない私にとっては、専門家の「理解ある態度」がどうにも釈然としません。

黒沢一樹 | URL | 2017-07-20(Thu)02:36 [編集]