
ワタクシ黒沢一樹が写真を始めた頃は、ピントもまだ自分の目と手で合わせてた時代でさ。それどころか、一部の猛者は露出もマニュアル(単体メーター+勘と経験)でキメてましたゾ。
え? 写真は当然フィルムで撮るもので、デジタルなど「何ソレ、美味しいの?」って状態だったよ。って言うか、パソコンすらまだ無かったような時代だったしね。
だから撮った結果も、フィルムを現像してみるまでまるでわからなかったよ。
それだけに、現像が上がるまでのドキドキ感と言ったら、デジタル世代の人達にはそりゃあもう想像すら出来ないんじゃないかな。
フィルムの写真ってのはホントに一発勝負で、モニターでの確認なんて出来ないからね。だから写真が現像が済むまでは、「どんな撮れてるか」どころか、「ちゃんと写っているか」すらわからない有り様だよ。
その“現像”ってのもさ、パソコンのみで出来るデジタルのLOW現像と違って、薬品を使って暗室でやるんだよ。そしてポジフィルム以外のネガカラーとモノクロは、さらにプリント作業もしなければならなくて。
ハイ、このプリント作業もプリンターのボタンを押すだけで出来るようなものではなく、暗室で大量の薬品を使い、焼き付け→現像→定着→水洗→乾燥という手間をかけなきゃならなかったんだ。
このプリント作業もねー、撮影と同じかそれ以上に勘と経験とテクニックが必要でね。覆い焼きだの焼き込みだの、今で言うフォトショップ名人くらいの技術が要求されるんだ。
だから一部のスゴいマニアかプロ以外の大部分の人達は、現像からプリント&引き伸ばしまでの過程は写真屋さんに任せてたなー。
実際のところ、フィルムの写真って「五十円玉や百円玉をバラ撒きながら撮るようなモノ」でね。
だって写真を撮るには、まずフィルムを買うトコロから始めなきゃならないし。そしてそのフィルムってのが、一本でたった24枚か36枚しか撮れないのに数百円から千円近くするんだよ。
しかもフィルムはSDカードと違って、一度きりしか撮れないからね。そしてその僅か24枚または36枚を撮り切る毎に、またカメラ屋に行って現像&プリントして貰うワケ。
フィルム代に現像料等は含まれてないんで、当然、そこでもさらにおカネがかかるわけデス。
だから昔の黒沢は、「どうしたらもっと上手く撮れるか?」ってコト以前に、まずフィルム代と現像料の工面に悩んでたよ。
例えば一度の撮影に、デジタル時代のキミは何枚くらい撮るかな? 鉄道なり風景なり女のコなり、相手がキミが惚れ込んでいた絶好の被写体だったら、メディアの記録枚数の限度まで、それこそ何百枚でも撮っちゃうよね。
昔、黒沢がアナログのカメラで女のコを撮っていた時、一度の撮影でたいていフィルム五本から十本くらい使ってたな。
36枚撮りのフィルム十本で三百六十枚って、可愛い女のコがキミの為にモデルになってくれるなら、決してスゴい枚数じゃないよね?
でもその十本のフィルムを買うのにまず一万円、さらに現像するのにまた一万円かかるんだ。その半分のフィルム五本、二百枚にも満たない写真を撮るのにさえ、まずフィルム代と現像料を併せた一万円が用意できなければ話にならないのデシタ。
だからホントに大袈裟でなく、アナログの時代に写真を撮るには「まずおカネ」だったんだよ。
アナログの写真のカメラとフィルムの関係は、ちょうど戦場でのライフルと弾丸の関係と同じでさ。どんなに良い銃を持っていても、弾の補給が無ければ何にもならないでしょ。
そう、アナログのカメラもフィルムが無きゃ、漬け物石か文鎮くらいの役にしか立たないんだよね。
ライフルと言えば、戦争だって戦術や精神力より結局は物量がモノを言ったでしょ。
第二次世界大戦のドイツ軍には、マンシュタインを始め、ロンメル、グデリアン、マントイフェル、ハインリーチ、ヴェンクといった天才的な戦術家がいたけれど、結局ロシア軍の人海戦術に圧倒されてしまったし。
旧日本帝国軍の大和魂だって、アメリカ軍の無限とも言える物量の前には通用しなかったし。
昔のアナログ写真もそれと同じでさ、「カネさえあれば才能は要らない」とは言わないけれど、いくら才能があってもフィルムや機材を買うカネが無ければ意味がなかったんだよね。
だから写真って、ある意味お金持ちの道楽みたいなものだったんだよ。
そこまで言ってしまってはアレだけれど、「写真は趣味にできる人を選ぶ」ってのは事実だったね。おカネが無いのに無理して良いカメラを買っても、結局磨いては眺めて撫でているしか無いワケで。
それを考えると、「いやはや、便利な良い時代になったもんだ」とは思うよ。だって今はカメラさえ手に入れてしまえば、フィルム代や現像料の心配は一切必要なく、後は好きなだけ撮りまくりだからね。
ちょうど戦場で弾丸の補給切れの心配の無い、ただ充電さえすればOKのビームライフルを手に入れたようなものでさ。
でも、それでどうして良い時代になった「と思う」ではなく「とは思う」なのか……って言うとね、写真が誰でもラクに(しかも殆どタダで)撮れるようになったのに反比例するように、写真を巡る環境がすごく不自由になってるからなんだ。
例えば昔はスナップ写真がすごく人気で、その辺の街角に出て目に留まった建物や人を、ごく当たり前にパチパチ撮ってたんだよ。それも無断に、デス。
肖像権だのプライバシーだの、黒沢が写真を始めた頃は今と違って全然うるさくなかったんだよね。
駅前でも商店街でもどこでもいいや、賑やかな場所で見かけた見知らぬ誰かをパシャリと撮る。コレをやったら、今では完全にトーサツ扱いで警察に通報されかねないよね。
でも昔は、こうした“路上スナップ”が当たり前のように行われていたんだ。
白状する、黒沢もやったコトあるよ。
街で見かけた可愛いJKとかにカメラ向けてパシャッと撮て、そして「可愛いね、N高でしょ? 何年生?」なんて話しかけて、「今の写真送るから、連絡先を教えてよ」なんつって、名前と住所まで聞き出しちゃったりしてね。
もっとスゴいことを言おうか。して高校野球と言えば夏の風物詩の一つだけれど、そのチアガールの写真をローアングルで激写するオッサンたちがけっこういた上に、野放しにされてたんだ。
今そんなコトしたら、「このド変態め!」ってフルボッコされた上に、迷惑禁止(防止?)条例とかでケーサツに突き出されちゃうよね。けど当時は、「公共の場所で写真を撮っててナニが悪い、撮られて困るなら、そんな格好で外に出て来るな」ってリクツが通っちゃってたんだ。
昔ってさ、それくらい「撮っちゃった者勝ち」みたいな、撮る者にとってフリーダムな環境だったんだよね。
繰り返して言うけれど、アナログカメラの時代には写真を一枚撮るにも、それなりのおカネがかかってたんだ。
さらに言うと、カメラそのものも高いモノだったしね。今のコンデジよりずっと不便な、ホントに記念写真しか撮れないようなショボいコンパクト・カメラだって、まあ2~3万はしたし。カリッとピントが合って背景は綺麗にボケる一眼レフなんか、レンズ込みで十万はしたよ。
スマホやケータイにも当たり前にカメラが付いてる今と違って、昔は写真を撮られる機会自体がかなり少なかったんだ。遠足とか修学旅行とか、何か特別な行事の時にだけ撮るもの……って感じでね。
だから写真を撮られたがる女のコって、今より間違いなく多かったね。
特にプロっぽい大きなカメラでパシャパシャ撮って「キミ、可愛いね」とか褒めたりすれば、喜んでその気になってくれちゃう女のコ、けっこう居たんだ。
まだカメラはフィルムで撮るもので、女子の体操着はブルマが当たり前だった頃のコト。学校の体育祭にも、黒沢は一眼レフを持って行ってさ。
で、普段からちょっと気になってた、違うクラスだけれど顔見知りの可愛いコを見かけてさ。
「チサトさん!」
そう声をかけてカメラを向けると、チサトさんは躊躇わずにニコッとしてピースサインで撮られてくれてさ。お御足をスラリと伸ばしたブルマ姿で、デス。
するとそれを見てた他の女子が、「あ、いーなー」って。
その女子も撮って差し上げマシタよ、モチロン。
カメラを持ってると「撮ってー!」って声をかけて来る女の子、その子以外にもけっこういてさ。写真に撮られるって、当時はそれくらい特別なコトだったんだよね。
ブルマの体操服姿の時でさえそうなんだもの、それ以上のカッコの写真だって、撮る方の腕と交渉次第では撮れないコトもなかったよ。
さらに言うと、昔は若い女のコのヌード写真にもすっごく甘かったんだ。何たってあの篠山紀信センセイでさえ、11歳や12歳の女の子のヌードを撮って、雑誌に発表してたくらいだし。
とは言うものの、まだ義務教育のうちの子のヌードと言うと、そう多くは無かったかな。けど16歳や17歳とかの、体つきは大人と殆ど変わらない少女のヌード&セミヌード写真となると、ごく普通に撮られて何も問題なく雑誌に載せられたり、写真展に出されたりしてたんだ。
今の若い人たちには信じられないだろうけど、「少女のヌードはエロでなく芸術」って論理が、当時は当たり前に通用してたんだよね。
だってホラ、JKとかJCって身体は育ってても、脱いでも「色っぽい」というのとは違うじゃん。ただ素材のまま……って感じでさ。
だから「体は綺麗だけど色っぽくない→少女のヌードはエロでなく芸術」ってコト。そして「色っぽく見せてる大人の女のヌードの方が、むしろエロで猥褻」って思われていたのだよ。
実際、その頃に黒沢と仲の良かった複数の女の子だって、「大人の女の人のヌードはイヤラシイけど、中学生くらいの女の子のヌードはキレイでいいと思う」ってマジで言ってたし。
ところが、だ。Mというペドの変質者が、何人もの幼女を性的目的で誘拐しては惨殺するという許しがたい凶悪事件が起きて、少女のヌードに対する社会全体の目が一変してしまったワケ。
で、ペドもロリも一緒くたにして、18歳未満のヌードは全面禁止……ってコトになっちゃった。
逆に言えば、そのMの事件で社会問題化されて全面禁止になる以前は、プロのモデルでもタレントの卵でもないフツーのJKやJCが、海辺や高原で全裸でニッコリ笑ってるような写真が、何の問題も無く撮られてたんだ。
その「大人のヌードはエロだけど少女のヌードは芸術」って理屈は、撮られる女の子達にも通用してたんだよね。
黒沢がそうした少女のヌードを、例のMの事件で規制される以前に撮ったことがあるかどうかについての言及は、ここではちょっと避けておきマス。ただカメラがアナログでフルマニュアルだった頃は、今では信じられないくらい、写真を撮る者にとって自由度の高い時代だったんだ。
そしてそれは、写真が当時は限られた一部の人だけのものだったからなんだ。
事実、その頃の黒沢が使ってた一眼レフのカメラなんて、写真に詳しくないフツーの人が使ったら、まずまともな写真一枚撮れないと思う。「盛大なピンぼけ&露出もめちゃくちゃ」って感じでね。
光の読み方や露出について勉強して、手と目でピントを合わせる練習もして。そしておカネもかけて失敗もいっぱいして初めて、ちゃんとした写真が撮れるようになるものだったんだ。
うん、その時代にも素人さんがシャッターを押すだけで撮れるような、いわゆる「バカ○ョンカメラ」ってのも確かにあったよ。
でも当時は逆光補正も暗部補正も顔認識もAWBもまるで無かったからさ、慣れた人が一眼レフで撮ったのとは歴然と差のある、いかにも素人くさいヤツしか撮れなかったんだ。
それだけに「写真=芸術」みたいなとらえ方をされていたんだと思う。
実は黒沢は、過去の遺産とも言うべきフィルム・カメラを山ほど持っていてさ。
何しろバルナック型のライカやフォクトレンダーのビテッサみたいな、舶来の古いカメラを宝物にしているような、タチの悪いクラシック・カメラのマニアだったから。それだけにフィルムのカメラに対する愛着も強くて、カメラをデジタルに切り替えるのがすごく遅かったんだ。
デジカメが普及しだしたのって、まあ今世紀に入って間もなくの頃だよね。けどその頃のデジカメって、何しろ低スペックだったからさ。
二百万画素で露出もAEBも不正確、撮影感度も低い上に手ブレ補正も無くて、今のケータイについてるカメラより間違いなくショボかった。それでいて五万円近くしたんだから、それこそ「話にナラネーよ」って感じで。
それが2005年になって、某ハー○オフでキヤノンの中古のパワーショットを試しに買って使ってみて、それこそもう「ナンじゃこりゃ~!」って感じだったよ。
それまで愛用してきたスライド・フィルムに負けない澄んだピュアな色合いに、小難しい露出補正もまず要らないような正確な自動露出、それでいてかかるコストはほぼゼロ……ってワケで。
ほんの十数枚撮ってみただけで、黒沢は「デジカメって、フィルムのカメラ以上に使える!」って確信したね。で、すぐに新品のデジカメ(レンズがイイと評判のあったPowerShot A620)に買い換えたのだ。以来黒沢はフィルムのクラカメの呪縛から醒めて、完全にデジカメ人間になったのだけど。
デジカメはその後も進化を続けてさ、黒沢みたいな前世紀のカメラ人間が長年の経験で培ってきた勘やテクなんか、もう殆ど要らない有り様だよ。
技術の進化のおかげで、何の知識も訓練もナシにただシャッターを押すだけでピント&露出バッチリの写真が誰でも撮れちゃう。
それ自体は良いコトなんだけど、写真はあくまでもフィルムと紙だった昔と違って、今は形のないデータだからね。そしてネット環境のおかげで、撮った写真は電脳空間で無限に広がって行くワケで。
だから肖像権だのプライバシーだのとうるさく言われるようになるのも、必然と言うか仕方のないことなんだよね。
撮られた写真が広く世間に流出しちゃうとか、そんな心配、昔はまず無かったんだよ。
例えばその辺のフツーのJKのA子サンが、写真にすっごく熱中してる仲の良い人にモデルを頼まれて、「青春の記念にもなるかも」みたいに思ってヌードを撮られてみたとするじゃん。
その場合だって、「撮られた写真を、他の誰かに見られちゃうかも」って心配は確かにあるよ。けどフィルムの写真だと、「他の人に見せる」にも限界があるワケで。せいぜい、その撮った人の友達くらいと言うか。
フィルムの写真の場合、まずその写真をプリントするにもおカネがかかるからね。だから最悪、撮られた写真がもし焼き増しされて、他の人の手に渡ってしまったとしても、それもホントに撮った人の友達の範囲までだよ。
だからフツーの高校生の女のコが、同級生の写真好きの男の子の為にヌードになって撮られたとしても、昔はその写真は殆ど「二人だけの想い出」って感じで終わってたんだ。
本人が仕事と割り切ってプロの写真家のヌードモデルをやって、その写真が雑誌のグラビアに載せられるなり、写真集として出されるなりしない限り、「撮られた裸の写真が公開されちゃう」みたいな心配は、まずあり得なかったんだよね。
写真って、フィルムの時代には撮られても「撮った人の手元に残るだけ」だったから。
だってネットの無い時代には、撮った写真を広く世間に公開するとしたら、雑誌か写真集に印刷するしか無いワケで。だから相手が商業目的のプロの写真家でもない限り、ヌードを撮られてもあくまでもプライベートなもので留まってたの。
でも今は、写真は誰にでも(ほぼタダで)撮れちゃうし、しかもネット環境があるから焼き増しだの印刷だのって面倒で高コストなプロセス無しに、ド素人がそのまま全世界に公開出来ちゃうからね。
だからプライバシーだの肖像権だのがうるさく言われるのも、今は仕方の無い話だと思う。ヌードに限らず、フツーの街角スナップだってさ、ネットで勝手に公開されるとなると「ジョーダンじゃないっ!」って思って当然だと思う。
今はただ人だけじゃなく、建物や車やその他諸々のモノが、いつ誰の手で勝手にネット上に公開されてしまうかも知れない状況なんだよね。
グーグルのストリートビューはすごく便利だし、自宅のパソコンの前にいるだけでその場にいるみたいで楽しいよ。
ただその結果として、「洗濯物ひとつ干せなくなった! プライバシーの侵害だ、どーしてくれる!!」って怒る人が出てくるのも、よくわかるよ。
黒沢が写真を始めた頃には、ちゃんと撮るには知識も経験もある程度のおカネも必要だったけどさ。
それが今ではただシャッターを押すだけで、誰でも綺麗な写真が撮れるようになって。
撮った作品を発表しようにもさ、昔はすっごく大変だったんだ。写真集を自費で出すなんて夢に近いし、写真展を開くのだって莫大なおカネがかかるし。
でも今は、ただ自分のブログにアップするだけでOK、だもんね。
それはそれで良いコトだと思うよ? ホントにね。
ただその代償に失ったモノも少なくない、って肌でわかるんだ。
昔に比べて、「写真を撮る」ってコトにものすごく息苦しさを感じるようになった。
街角スナップはもちろん、ちょっと目に付いた建物を撮っただけでプライバシーの侵害云々言われかねないんだから。
撮っちゃいけなくなったモノって、何も18歳未満の少女ヌードだけじゃないよね。
だからもうね、昔を知る写真好きの間では「自由に撮れるのは、今や空だけだ」なんて言われてるくらいだよ。いや、黒沢自身も単なるジョークでなく実感としてそう感じるよ。
昔はさ、街角でカメラを出して何か撮ってる人が居ても、ただ「あ、カメラが趣味なんだ」って思われるだけだった。
けど今は、「何かアヤしい人がいる→盗撮犯かも→通報しとく?」って感じになりかねないよね。
いや、状況を考えればそれも仕方ないと思う。人を見たら泥棒、不審な勧誘電話と訪問販売は悪徳業者と思っておく方が利口なように、「カメラを持ってウロついてる者を見たら、盗撮魔と思え」ってのは、今の時代を生き抜くのに必要な知恵だと思う。
ただね、誰でもラクに綺麗な写真が撮れるようになったのと引き替えに、写真を自由に撮れる空気が明らかに少なくなってしまっている現状が、何とも皮肉に思えてならないんだ。
まあね、だからって「写真を撮るの、もうやめちゃおうか」とは思わないけれど。
うん、ただ空を撮るのだって、やってみればかなり楽しいよ?
そんなワケで黒沢の写真人生を振り返りつつ、デジカメで撮った空の写真を中心に、昔撮ったフィルムの写真も紹介して行きたいと思いマス。
黒沢が空にレンズを向けるようになったのは、実は「他に撮るモノが無くなったから」ってワケじゃないんだ。
黒沢のちょっと昔の知り合いに、葉月サンってコがいまして。
彼女は当時、東京の某区在住のJKで。それだけに黒沢にも、葉月サンに気に入られたい下心がイッパイありまして。
下心って、まあ「こんなキレイな写真を撮れる人になら、モデルになって撮られてあげてもいいかナ」という気にさせちゃおう、みたいな……。
コータローの「東京には空がない」じゃないけれど、都区内の葉月サンの家の辺りでは、空もろくに見られないんだろうな……とも思ってさ。その彼女に「視界を遮るものの無い広い空を見せてあげようじゃないか」という意気で、機会のある毎に空の写真を撮りマシタよ。
でもね、そうして空を撮るうちに、空を撮るのがとても楽しくなっちゃってさ。
まあ黒沢も若くて健全(?)な男だったからね、それまでは道を歩いていても目は殆ど女の子にしか向いてなかったけど。それがいつの間にか上を向き、広い空に目を向けて歩くようになってたよ。
そんなある年、黒沢は津軽を旅しまして。
津軽ってホント凄いトコでね、もう手つかずの自然が当たり前にどこにでも転がってるんだ。
何しろまず空が広い。青森市や弘前市の中心部はともかく、それ以外の所ではもう三百六十度視界を遮るものなく一面の空、って感じでね。
津軽平野の真ん中に立てば、周囲は見渡す限りどこまでも田圃で、竜飛崎や鰺ヶ沢の海岸に出れば吹きすさぶ風と荒波の打ち寄せる日本海、そして岩木山麓や白神山地に足を向ければ山また山のマタギの世界と、とにかく「圧倒的な大自然」って感じだよ。
そこで黒沢は津軽の風景を広い空と一緒に撮って、写真を葉月サンにもあげたのだけど。
写真はね、彼女にもとても気に入って貰えたよ。
ただ一番気に入って貰えたのは、岩木山や奥入瀬などの有名どころの写真ではなくて。竜飛岬のさらに奥の、袰内って本当に何も無い所で撮った写真でさ。
真っ青な空と、所々に野の花が咲く緑の草原。写っているのは、ホントにただそれだけだったんだ。
で、葉月サンは「一樹さんの写真を見て、あたしはホントは空より緑の方が好きなんだ……って気がついちゃった」って。
黒沢としては「キミが好きだって言うから、元々興味もなかった空なんか撮り始めたのに」って、何だか取り残されて置いてけぼりにされちゃった気分だったけれど。
ただその頃には、黒沢は空を撮るのが心から好きになってたんだ。葉月サンに気に入られたいとかのシタゴコロは抜きにして、空を撮るのが好きで楽しくなってたんだ。
結局ね、葉月サンにはモデルになって貰えるコトは無かったけれど。ただ空を撮る楽しさに目覚めさせてくれたコトには、今でもすごく感謝してる。そして空の写真を撮るようになってから、黒沢は自然に顔を上げて歩くようになってたよ。
肖像権やらプライバシーの問題で、「自由に撮れるのは、今や空だけだよ」ってのは、あながち冗談とも言えない昨今の写真を巡る状況だけど。それでも葉月サンのおかげで、黒沢はその空を撮れるだけでも充分楽しくなっちゃった。
皆さんもたまにで良いから空を見上げて、スマホ付属ので良いから空にカメラを向けてみてごらん。
空って、世界中どこにでもあるものだけれど。空を見上げて空の写真を撮るのって、ホントに楽しいよ。
そのきっかけを作ってくれた葉月サンへの感謝の気持ちを噛みしめつつ、空の写真を中心に日々撮り溜めた写真を、今後とも少しずつアップして行くつもりデス。


