空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

マンガなどの創作物と後書き

 マンガや小説などを読むと、巻末に著者の後書きがついていて、自身の作品について解説していることがある。
 黒沢は以前、その後書きについて否定的な考えを持っていた。「著者は作品自体で読者に訴えかけたいことを語るべきで、それを後書きで直接的に書くのは反則」みたいに思っていたからだ。
 だが幾つかの作品とその後書き等に接して、考え方を大いに改めざるを得なくなった。

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吉岡秀隆、堤真一 他

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「創作物は作品のみで語るべきで、制作者自身がその意図などについてあれこれ解説するべきではない」
 黒沢のその考え方を改めさせるきっかけになったのは、『三丁目の夕日』の映画版だ。
『三丁目の夕日』は西岸良平氏の有名な長編連載マンガだが、黒沢はどうもあの独特な絵柄に馴染めず、殆ど興味を持つこともなく無視して過ごしてきた。
 だが定期的に通院していた病院の、通院患者の時間待ち用の書庫に、『三丁目の夕日』の単行本が何冊も並んでいて。それで「暇つぶしに」と手に取って読んでみると、これがなかなか面白いのだ。

 と言っても、すごく面白いシーンや、特に心に刺さる深い話があるわけではない。面白いと言っても「クスッと笑う程度」で、描かれているストーリーも「ちょっと良い話」くらいでしかない。
 しかしその一つ一つの短いストーリーを続けて読んでいるうちに、気が付くと描かれている昭和三十年代の世界に、タイムスリップでもするように心がドップリ浸かってしまっているのだ。そして初めは馴染めなかった絵柄の“クセ”も、いつの間にか“味”のように思えてきて。
 で、黒沢は『三丁目の夕日』の単行本を自分でも買い集め、映画化された時にも公開を待ってすぐに観に行ったよ。

 その『三丁目の夕日』の映画版も、期待以上に素晴らしかった。もう、映画が始まるとすぐに昭和三十年代の世界に引き込まれてしまってさ。
 映画が終わって外に出る時、近くにいた大学生らしい二人連れが「どこがCGか、全然わからなかったよなあ?」と、興奮醒めやらぬ様子で話し合っていたけれど、黒沢も全く同感だった。そのくらい見事に、リアルに昭和三十年代の世界を再現していたんだ。
 で、映画にも感動した黒沢は『三丁目の夕日』のDVDを、それを通常版でなく一万円近くする特装版を、ツタヤに予約してまで買ってしまったのだ。
 原作のコミックスだけでなく映画の『三丁目の夕日』にも、そこまでハマってしまったんだよね。

 と言っても、その映画化された『三丁目の夕日』に不満が全く無かったワケではなくて。
 主人公の一家の“お父さん”役の堤真一さんが、演技が下手だというわけではないけれど「原作の“お父さん”とはキャラが少し違うな」という感じで。
 ま、その意図もわからないでもない。原作の“お父さん”は本当に好人物の優しいお父さんなのだけれど、映画の方では「頑固でちょっと怖いお父さん」って感じに変えられていてさ。
 でもそれも、「いかにも昭和のその時代にいそうな、ガンコ親父ってイメージにした」と思えば納得もできる。
 ただその“お父さん”が激怒して大暴れするシーンだけは、作品の出来を台無しにしかねないほど酷かった

 問題の激怒して大暴れするお父さんのシーンって、ズバリ「特撮映画の怪獣」そのまんまだったんだよ。演出も演技もカメラワークもBGMも、本当に怪獣映画のノリでさ。
 見終わって出て来た若い観客が、開口一番に「どこがCGか、全然わからなかったよなあ?」と言ったように、映画の『三丁目の夕日』って、最初から最後までものすごくリアルに昭和三十年代の世界を再現していたんだ。その中で特撮映画の怪獣のように大暴れするお父さんのシーンだけが、変に現実離れして浮いていたんだよね。
 怒るお父さんを怪獣に見立てて、そこで観客の笑いを誘う意図だったのだろうけど。でもずっとリアルな描写を続けてきた中にそんなフザけたシーンを入れられても、笑えるどころかただシラけて興醒めさせられるばかりだった。

 実は映画版の『三丁目の夕日』の監督さんって、特撮映画を得意とする監督さんで。
 だから黒沢は、「そういう監督さんだから、どうしてもソレっぽいシーンを撮りたかったんだろうなあ」って思ったよ。
 で、他の出来が素晴らしいだけに、例の怪獣映画風の「お父さん大激怒で大暴れ」のシーンさえ無ければ完璧だったのに……と本当に残念に思っていた。

 でもね。
 予約して買った特装版のDVDに付いていたウラ話の小冊子を読んでみると、実際にはまるで逆だったんだよね。
 その小冊子によると、作品全体のリアル感をブチ壊しにした例の「お父さん大激怒で大暴れ」のシーンを、監督さん自身はやりたくなくて大反対だったんだそうで。でもディレクターから「是非やれ」と命令されて仕方なくやり、その出来にディレクター氏は大笑いしてご満悦だったそうな。
 ……笑いのセンスって、本当に人それぞれ、だよねえ。黒沢にとってはシラケるのを通り越して腹が立つくらいだったあのシーンに、ディレクター氏は大喜びで大笑いだったというのだから。
 ちなみに黒沢もあの映画を満員に近い映画館でも観たけれど、例の「お父さん大激怒で大暴れ」のシーンで笑いの渦は劇場に巻き起こらなかったゾ。

 でも、黒沢が映画版の『三丁目の夕日』のDVDを特装版で買って、付録の小冊子を読むことがなかったら、黒沢はずっと監督を悪く言っていたと思う。「特撮の監督だからと、わざわざ怪獣映画風のシーンを入れて、映画を台無しにしかけて……」と。
 だからその経緯を知ることが出来て、本当に良かったと思う。

 似たようなことは、コミックスでもあって。
 井ノ本リカ子さんの『モモタノハナ』という作品があるのだけれど、ま、絵柄もストーリーもなかなか可愛いデス。
 内容をざっと言うと、主人公の桃太は都会から田舎の高校に転校して来た男の子で、クラス委員のさゆり、それに隣に住むウメちゃんの、二人の美少女と仲良くなって。
 さらに彼には、hanaというネトゲで知り合った友達(♀)もいて、そのhanaとはまだ実際に会ったことは無いのだけれど、どうやら桃太が転校した先の高校の生徒のようで……というような、いかにも青春モノっぽい三角関係というか四角関係のお話デス。

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井ノ本 リカ子

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 で、黒沢から見ると、「クラス委員のさゆりしかあり得ないでしょ」って断言できるくらい、さゆりが良い子なんだよね。
 ただ美少女ってだけじゃなくて、しっかり者で親切で優しくて、責任感も強くて……って感じで、「こんな完璧な良い子、現実にはいるわけねーよ」って言いたくなってしまうくらい。

 それに比べてウメちゃんの方は、もう「ウザい子」としか言いようがない感じで。
 例えばちょっと仲良くなった後に、学校の帰りがけに校門の所でバッタリ会うのだけれど。で、桃太が声をかけようとするとウメちゃん、シカトしていきなり逃げて行っちゃうんだよ。
 当然、桃太としては「何!? オレ嫌われてるの? オレ何かした?」みたいに悩むじゃん。
 でもウメちゃんが無視して逃げた理由は、「皆と一緒なら平気だけど、二人きりになると緊張しちゃうから」なんだよね。ホントにただそれだけで「シカトして逃走」だよ。

 あと、バレンタイン・デーにも、さゆりはしっかりチョコをくれるのだ。それも他の男子たちには普通のやつを配りつつ、桃太にはそっと、リボンの色の違う特別なものをくれるワケ。
 一方、ウメちゃんも桃太の為にチョコを用意するんだけど、結局ソレは恥ずかしくて渡せないでやんの。まっ、自分がちょうど食べかけていたポッキー一本だけは渡すんだけどね。

 ……ほんっとにいちいちメンドクサいんだよ、このウメちゃんって女は
 コミックスではウメちゃん側の心理もキチンと描かれているからさ、読者としては「ウブでシャイな、可愛い子じゃん」と思えるけれど。
 でも桃太の立場からすれば、「声をかければ無視して逃げられ」、そして「バレンタイン・デーにもポッキー一本」だよ。コレを実際にやられたら、可愛いとか絶対思えない、ってば。
 まっ、少女マンガのヒロインによくあるタイプだけれど、いつもイジイジ、ウジウジしてて、実際に相手をしてみる身になって見れば「いろいろ面倒な察してチャン」でしかないよ。

 けどこの『モモタノハナ』のラストは、ウメちゃん寄りっぽい感じなんだよね。決定的じゃないけれど、桃太とウメちゃんの心の距離が一番近くなって、そのうちゆっくり付き合うようになるのかなー、って暗示させるような終わり方で。
 だから「さゆりはサイコー、ウメちゃんウゼぇ」って思っていた黒沢としては、そのエンドにすごく不満だったんだ。
 桃太はさゆりとウメちゃんの他に、ネットの友達のhanaとも実際に会うことになるのだけれど。そのhanaでさえウメちゃんよりずっと可愛いし、ホント「ウメちゃんとくっつくEDだけはあり得ない」って思ってた。

 黒沢は三次元の世界でもいろんな女の子と付き合って、そして数々の破局wwwも味わってきたよ。
 その体験から断言するけれど、自分の気持ちをキチッと言えない子は駄目デス。そういう子との交際は、決して長続きしないね。

 だって、他人の気持ちなんてホントに判らないものでしょう? 同性同士だって、ちゃんと言って貰わなきゃ相手が何を考えているかわからない事がよくあるし。
 だから異性ともなると、相手の気持ちなんてホントにわからないものなんだよ。
 で、ウメちゃんみたいに自分の気持ちをちゃんと相手に告げられないタイプだと、二人の間に誤解と気持ちの齟齬がいろいろ生まれやすいんだよね。
「恥ずかしいから」とイジイジ、ウジウジしてさ、ウメちゃんは自分の気持ちをきちんと桃太に伝えないからさ、桃太も誤解するし、余計なことで悩んだりして二人の間の空気もギクシャクするし。
 そしてウメちゃん自身も、自分の気持ちを伝えられない分だけ、さらに悩んだりストレスを溜めたりしちゃうんだよね。

 いろんな女の子と付き合って、そしてフラれてきた経験から言わせてもらうと、ウメちゃんみたいに「自分の気持ちをちゃんと言えない子」ってかなり要注意で、ある意味、地雷か時限爆弾みたいなものだよ。
 自分の気持ちをうまく相手に言えないからって、何も思っていないワケじゃないからね。むしろ気持ちをちゃんと言えない分だけ、不満やストレスみたいなものが心の中に重く積もって行くんだよ。
 で、ある日その不満が大爆発して、いきなり人が変わったように怒り出して別れ話を突きつけてきたりしてね。
 だから一見大人しそうで、自分を出さずに何でも言うことを聞いてくれるような子は、実はかなり要注意なのだ。少しずつ膨れてゆく風船のように、心の中で不満を徐々に溜め込んでいて、ある時突然に爆発して「もう別れるッ!」って話になるから。
 黒沢の経験的に言うと、長くつき合えるタイプの女の子って、男の親友同士のように何でも言い合える子だな。女度の点では少し物足りないかも知れないけれど、明るくてフレンドリーでサバサバした子が結果的に一番良いって。

 そうそう、「自分の気持ちをきちんと言える子じゃないとダメ」と言っても、もちろん自分の言い分を何が何でも押し通すような、ワガママな子もNGだからね。相手ばかり言いたい事を言って、貴方がそれに従っているばかりだと、今度は貴方のストレスと鬱屈が溜まってしまうから。
 どちらか一方が自分を抑えて我慢するのではなく、お互いに言いたい事を言い合って、そして譲れる部分は譲り合える関係でいるのが、より長くつき合える秘訣かな。

 自分の経験的にもそう考えている黒沢だから、優しくしっかりたクラス委員のさゆりではなく、ハッキリ気持ちを言えない“察してチャン”っぽいウメちゃん寄りの終わり方だったのが、どうも不満でさ。
 で、黒沢としては「作者は女の人だから、ウメちゃんみたいなタイプが好きなんだろうなー」みたいに、勝手に想像してたんだよ。ほら、少女マンガの主人公って、たいていウメちゃんみたいな、イジイジして素直になれないタイプの子が多いからね。
 ところが後書きをよく読んでみると、「最初の予定では結局誰ともくっつかない予定だったのですが、担当さんがうめちゃんを気に入ってくれて押して下さったので、ややうめちゃんよりっぽいEDになりました」とのことで。

 あと、クラス委員のさゆりもいかにも理想のヒロインっぽい感じで、黒沢は「こんな完璧な子、現実にはいるワケねーよなー」って思っていたけれど。
 でも後書きを読むと、さゆりは井ノ本リカ子さんの昔のクラスメイトがモデルなのだそうで。「勉強もスポーツもできて美人、だけど特定の仲良しとかはあんまいなくて、体育とかでペアを作る時なんかに、いいよいいよーって言ってるうちに1人になっちゃうような……」って。そして井ノ本リカ子さんは、そのクラスメイトが大好きだったそうデス。

 ウメちゃん寄りの終わり方になった理由についても、さゆりのキャラについても。もし井ノ本リカ子さんの後書きが無かったら、黒沢は作品について二つも大きな誤解をするところだったよ。
 映画版の『三丁目の夕日』のお父さん大激怒のシーンも、特装版のDVDに付いてきた小冊子を読むまで誤解し続けていたし。

 映画やコミックスに限らず、アニメでもドラマでも小説でも、商業作品には“大人の事情”ってやつがつきまとうからね。作者より編集者やディレクターなど方が強くて、その意向で作品の内容が変えられてしまう事も珍しくないのが現実だと思う。
 作者は創作物の中身だけで語るべき……というのは理想論で、それが本当に出来るのは同人誌や自主制作の映画やアニメくらいだろうね。
 だから作者は後書きや、それが不可能なら自分のブログなどでも良いから作品づくりの裏話的なことも書いた方が良いのかも知れないと、『モモタノハナ』と映画版の『三丁目の夕日』を見ていろいろ考えさせられたこの頃デス。

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