空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

アマゾンがあれば町の本屋など要らない、って? バカ言っちゃイケナイよ!

 今、町の本屋が激減しているとか。
「アマゾンさえあれば、本屋なんて要らねーよ」って? とんでも無いよ、同じ本を買うのでも、町の本屋とアマゾンでは大違いだよ。

 まず第一に、リアルな本屋ではその欲しい本を直に手に取って、自分の目で確かめることができる。目次や章立てを見て、中身もパラパラと見てみて、本当に自分が期待していたもの通りかどうか、自分の目で確かめることができる。
 だがアマゾンは違う。アマゾンで買う場合は、タイトルと著者の名だけで選ぶことになる
 もちろんレビューもあるけれど、レビューはあくまでも他人の評価であって、自分自身の感覚や考えとは違う

 そもそも黒沢は、ネットのレビューというものをあまり信用していない。
 なぜなら、人の好みや考えは様々だからだ。ある同じ物を、「これは良い、最高だ!」と絶賛する人もいれば、「最低だよ、とんだ金の無駄だった」とけなす人もいる。そしてものの感じ方が人それぞれである以上、それは当然のことなのだ。
 さらにまた、物事についての理解の度合いも人様々だ。いくら良いものであっても、その値打ちを理解できるだけの知識や経験のない者は、平気で低い評価のレビューを書く。
 平たく言えば、レビューとは所詮“人の噂”に過ぎないのだ。
 だから黒沢は、ネットのレビューはある程度参考にはするがあまり信用せず、眉に唾をつけて読んでいる。

 レビューはあくまでも、「他人の目で見た他人の判断」である。自分の目で見て自分の感覚で判断するのとは、かなりの違いがある。
「自分の感覚は、他の大勢の人々の感覚とほぼ同じだ」という、多数派に属する平均的な感性の人なら、ネットのレビューやランキングを参考にしてアマゾンでものを買ってもあまり間違いは無いのだろうが。
 ただ黒沢のように、世間とちょっとズレた自分独自の感覚の持ち主は、レビューとランキングでものを選ぶのはかなり辛いのだ。
 黒沢は「売れているもの=良いもの」とは思わないし、ランキングで上位だからと言って、「皆が買うのだから、面白いに違いないだろう」と信じて買ったりしない。レビューでいくら好意的に書かれていても、自分の目で見て確かめてみるまでは納得しない。

 本を選ぶ際の参考にするものは、ネットのレビューやランキングの他に、新聞や雑誌の書評もあるだろう。そしてそれらの書評を書いているのは、ネットのレビューと違ってプロの物書きや専門家だ。
 しかしその書評ですら、そのまま信じて良いとは限らない。
 新聞の書評を読んで「良さそうだな」と思い、買っても良いつもりで書店に行って。そして買う前に実物を手に取って中を見てみて、イメージと違っていてガッカリして買わずに帰って来たことも何度もある。
 プロの書く書評ですらそうなのだから、素人が書くレビューのあてにならなさと言ったらかなりのものだ。

 だから黒沢は、レビューを参考にしてアマゾンで本を選んで買うことはまず無い。
 黒沢がアマゾンで買うのは、自分の経験と知識で「これは良いものだ!」と確信できているものだけだ。
 本はぜひ自分で手に取って中身も吟味してみたいし、だから黒沢には町の本屋は絶対に必要だ。

 それに本屋に行けば、自分が欲しかったもの以外の沢山の本と出合うチャンスがある。自分の欲しかった本を探しながら、それ以外にも「こんな面白い本も出ていたのか!」と気づいて、予定以外の本も買い込んでしまう事も黒沢はよくある。
 しかしアマゾンには、そうした嬉しい思わぬ出会いがどれだけあるだろうか。
 もちろんアマゾンも、選んだ以外のお勧めの本もいろいろ表示して来る。しかしそれはアマゾンのコンピューターがプログラムに従って勝手に選び出してくるものであって、黒沢自身が欲しいものとイコールではない。
 だから黒沢は、アマゾンが勧めてくるモノを買ったことは一度も無いと言ってもいい。
 黒沢は黒沢一樹という個性のある一個人であって、コンピューターが考える“一般的なユーザー”とは違う。意志ある人が自分の目で選ぶものは、アマゾンが独自のプログラムで選別して押しつけてくるお勧め品とはまるで違うのだ。

 もし町の本屋が無くなって、自分で手に取って本を選ぶことが出来なくなることを想像するだけで、黒沢は背筋がゾッとする。
 自分の目で実物も確かめることも出来ずに、他人のレビューと書評だけを頼りにネットで注文するしかないなど、便利かも知れないが黒沢は厭だ。
 書店で多くの本に触れ、そこで思ってもいなかった本との嬉しい出合いをすることも出来なくなるとしたら、それもものすごく寂しい。
 黒沢にとって書店は、数多くの大好きな本や未知の魅力ある本たちと出合える、ディズニーランドより楽しいレジャーランドなのだ。
 その町の書店がアマゾンなどに押されて年々減少していて、このままではリアルな書店が無くなる可能性すらあると聞いて、黒沢はアマゾンが憎くすら思えてきている。

 現実にこの日本でも、全国の約5分の1に当たる332の市町村では、新刊書を扱う書店が無いのだという。
 つまりそうした少なからぬ市町村に住む人々は、実際に手で触れて本を選ぶことすら出来なくなっているのだ。コンビニ等に置いてある雑誌やマンガ以外のものを手に入れるには、アマゾンに頼るしか無いというわけだ。
 そしてこのまま町の書店の減少が続けば、「日本中の市町村から本屋が無くなり、本が欲しければアマゾンに注文するしか無い」という状況が現実になるかも知れない
 そんな状況を想像するだけで、黒沢は寒気がしてくる。

「え、今だって本はアマゾンで買ってるし、リアルな本屋なんて別に要らねーよ」って?
 考えてもみてほしい、なぜアマゾンは送料を取らないのだろうか? 送料は商品の代金の他に必要なのが当然であって、「送料無料でお届けシマス」という方がオカシイのだ。
 これは黒沢の邪推かも知れないが、本だけでなく様々な商品の送料を取らず、パソコンのクリック一つで自宅まで届けているのは、既存の商店を潰す為の戦略ではないだろうか。
 そして既存の商店が無くなり、人々が欲しい商品を手に入れるにはアマゾンに頼るしか無くなったら、商品の値段はアマゾンの言うなり……という状況になるのだ。

 本は定価で売られていて、全国どこでも均一の値段だ。しかし日本中で町の書店が無くなり、大多数の人々がアマゾンに頼るしか無くなった時点で、「今後は我々の言い値の送料を戴きマス」と言われるかも知れないのだ。
 そうなったら、私たちにはアマゾンの付けた値段や送料を拒否をする事は出来ないのだ。
 だからこそ私たちは、本屋を始めとした既存の商店を、アマゾンの戦略から守らねばならないと黒沢は思うのだ。
 現に日本の約5分の1の市町村では、本はアマゾンで取り寄せるしか無くなっている。
 この「本はアマゾンで買うか、それが厭なら買わないか」という状況に全国が陥る事を、黒沢は非常に恐れている。いろんな本に触れ自分の目で選ぶ事が出来なくなるなど、黒沢は絶対に厭だ。

 国土が広大で、商店に足を運ぶこと自体が大変なアメリカならともかくとして。この狭い日本で、既存の商店を潰してまでアマゾンを選ぶ理由がどれだけあるのだろうか。
 既存の商店が潰れてアマゾンしか残らない状態になったら、困るのは私たち自身なのだ。
 現に全国の書店は今世紀初頭の約2万2千店から約1万3千店にまで減り、日本の5分の1の市町村には本屋すら無い状況に陥っている。
 そうした市町村に住む人々は、日々どのようにして本に触れているのだろうか。どうしても欲しい本はネットでアマゾンに注文すれば良いにしろ、新しい本に触れ、未知の本の存在を知る機会が人々から減っているのは明らかな事実だ。
 そしてネットで本を購入できない高齢者や子供は、本を買うということさえ出来なくなっている。

 町の本屋に行くと、親に連れられた子供が、親と一緒に本を手に取って読んでいる光景をよく目にする。そのようにして子供は、本屋だけでなくいろいろな本に親しんで行くのだ。
「本屋など要らぬ、アマゾンさえあれば良い」という人達には、そうした子供たちがどう本に親しみ、パソコンやネットに弱いお年寄りがどう本を手に入れたら良いか教えていただきたいものだ。
 断言するが、既存の町の本屋の急速な減少は、日本人の知的水準の低下すら招いている

 黒沢の従兄の住むある地方の市(人口3万人強)ですら、最近本屋が次々に閉店し、とうとう市内に書店が一軒も存在しない状況になったという。
 自分の手で様々な本に触れ、自分の目で本を見て選ぶことが出来なくなった状況を、その従兄は「とても不便だ」と嘆いている。
 黒沢の住む市では、幸いまだリアルな本屋が幾つも存在しているが。それでもやはり、気付くとあった筈の書店が次々と閉店している。
 例の従兄の住む市のように、我が街も「本屋の無い市町村の一つ」になってしまう事を、黒沢は非常に恐れている。

 日本人の書籍離れと知的水準の低下を防ぐ為にも、どうか皆さん、身近に存在する本屋に足を運び、様々な本に触れ、自分の目で良い本を選んでほしい
「忙しいし、便利だから」と本はネット(送料無料www)で注文するうちに、気がついたら自分の市町村に無くなっていて。いざリアルな本屋に行ってみようと思ったら、遠くの大都市にしか無い状況になってからでは遅いのだ。

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