空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

“少年”に選挙権を与える与野党6党の暴挙

 唐突だが、皆さんは何歳頃になって「自分が一人前の大人になった」と感じただろうか?

 今国会で、与野党6党が「選挙権年齢を、今の20歳から18歳以上に引き下げよう」という、公職選挙法改正案を提出している
 与野党6党での提案だから、おそらくほぼ間違いなく可決され、次の選挙から18歳の“少年”にも選挙権が与えられる事になるだろう。
 筆者はこの選挙権の年齢の引き下げに、「絶対に反対!」というわけではない。
 ただ、いわゆる“少年”に選挙権を与える事にだけは、断固反対したい

 今、なぜ与野党共に選挙権の年齢の引き下げに積極的に動いているのか、筆者にはよくわからない。
 投票率の低下と、特に若者の政治への無関心をその理由にあげる方もいるようだ。
 しかし「国民の間に広がる政治への関心の低下」という根本の問題に手をつけぬまま、ただ「選挙権の年齢を引き下げれば、若者の政治への関心が自然に高まって投票率も上がるだろう」などと考える方が頭がオカシイのだ。
 選挙権の年齢を引き下げ、選挙権を持つ者の数を増やせば、投票総数は確かに増えるだろう。
 だが政治への無関心と言うか、「どうせ自分が投票しても、世の中は少しも変わらないだろう」という有権者個々人の無力感そのものを何とかしなければ、投票率そのものは上がりなどしない事はバカでもわかる筈だ。
 選挙権の年齢を引き下げさえすれば、その対象になる少年達がみな政治に関心を持つようになり、若者達がこぞって投票に行き、それで投票率も上がるなどと考えているとしたら、法案を提出した与野党6党の方々の頭の中はかなりオメデタイと筆者は思う。

 筆者は大学では史学を専攻したが、例えば安倍首相の歴史認識がよく問題にされているように、歴史の解釈には常にその人の政治的な思想も色濃く映し出される。
 第二次世界大戦における日本の軍事行動を『侵略』と認めるか、「戦わざるを得ない状況に追い込まれた上でのこと」と正当化するか。
 東条英機ら東京裁判で処刑された者達を、日本を破滅の淵に追いやった“戦犯”と見るか、安倍首相とそのお仲間のように、今の日本の繁栄の礎になった“昭和殉難者”と美化するか。
 幕末に、倒幕運動に走り天誅などの過激な行動に走った者たちを国を思う勤皇の“志士”と見るか、今も世界各地で血なまぐさい騒動を引き起こしてる“テロリスト”も同様と見るか。
 明治維新と新政府は日本を欧米の列強と並ぶ文明国にしたのか、それとも富国強兵を国是として対外侵略を目指し、結果として日本を太平洋戦争の惨禍に引きずり込んだのか。
 鎌倉幕府を倒し、昔の天皇中心の政治に戻そうとした後醍醐天皇の行動を“建武の新政”と評価するか、現実を見ずに己の権力欲に任せて行動した末の反動政治と見るか。
 何しろ一部には『古事記』などの神話も史実と言い張り、天皇は天照大御神の子孫の現人神だなどと未だに言い張る者達もいるのだから、歴史認識の問題は厄介だ。

 歴史の理解は、その人の政治思想と切り離して考える事はまず不可能だ。
 だから筆者が通っていた大学の史学科の同級生達は、誰もが政治にもかなりの関心を持っていた。選挙権もない“少年”だった18歳や19歳の頃から、右翼と左翼に分かれて政治について激しく論争し合っていた。
 18歳や19歳の“少年”と20歳の“成人”で、政治に対する意識や理解に差があるとは、筆者にはまるで思えなかった。
 それだけに、「20歳なら良いが、18歳で選挙権を持つのはまだ早い」とは、どうしても思えないのだ。

 筆者が大学二年生の頃、同級生達とよくこんな冗談を言い合ったものだ。
「おい、悪い事をするなら今のうちだぜ。20歳になったら実名で報道されるし、少年法で守ってもらえねーからなあ」
 実際、20歳になり成人式を迎えても、19歳だった昨日までと「まるで違う大人になった」という実感はまるで無かった。
 少年でなく成人になった結果、選挙権も与えられ、堂々と酒を飲め煙草も吸えるようになり、しかし同時に犯罪を犯せば実名で報道され、少年院でなく刑務所に送られるようにはなった。
 しかし18歳や19歳の“少年”の頃と、人としての中身は殆ど違っていなかったと思う。

 実際、18歳になれば車の免許を取れるし、男は結婚もできる。だから18歳で選挙権を与えられても、別に問題は無かろうと思われる。
 ただ、犯罪を犯しても少年法で保護される“少年”に選挙権、つまり政治に口を出す権利を与えようという事が、筆者にはどうにも納得できないのだ。
 加害者が19歳の“少年”であろうが、20歳の“成人”であろうが、被害者が受ける痛みや苦しみは全く変わらない。
「少年に暴行されるのは痛くない」などという事は、全くあり得ないのである。
 にもかかわらず18歳や19歳の者らが犯罪を犯しても少年法で守られるのは、彼らがまだ一人前の人間とは認められていないからである。

 そのまだ一人前ではない“少年”に、政治を左右する権利を与えようという今回の、与野党6党で提案されている公職選挙法改正案が、筆者にはどうにも納得できないのである。
 政治には、国民の命が懸かっている
 安倍首相はアベノミクスとやらを続ける為に、国民の年金まで株相場につぎ込もうとしている。
 特定秘密保護法は成立したし、安倍首相は自衛隊を海外派兵できるようにしようと必死だし、戦前復古を思わせる憲法改正(改悪)を露骨に目指している。

 何しろ安倍首相は、今の憲法について「自分たちで作ったというのは幻想だ。連合国軍総司令部(GHQ)の素人の人たちが、たった8日間で作り上げた代物だ」と公言するような総理大臣なのだ。次の参院選で勝てば、安倍首相は「国民のお墨付きを得た」と自信を持ち、間違いなく憲法改悪に突っ走るだろう。
 この安倍政治の是非について、少年法に守られた“子ども”にも審判させようというのだから恐ろしい。
 筆者は「18歳も20歳も、中身は殆ど変わらない」と思うし、選挙権年齢を18歳以上に引き下げる事についても、あながち反対ではない。
 ただそれならば、同時に成人の年齢も18歳に引き下げるのが当然と筆者は考える。

 実際、18歳になれば車の免許も取れるし結婚もできる。
 酒や煙草が許されるのは正式には20歳からだが、現実には高校を卒業すれば、18歳や19歳でも普通に酒を飲んでいる者たちが少なくないだろう。
 例えば大学生など若者の飲み会を警察が本気で取り締まれば、かなり多くの未成年者が“補導”されるに違いあるまい。
 建前は酒も煙草もは20歳からだが、高校を卒業した18歳や19歳の“少年”の飲酒も、見て見ぬふりをされ黙認されているのが現実ではないだろうか。
 だからいっそ18歳から成人にして、選挙権も与え、酒や煙草も公認する代わり、悪い事をすれば子供として“保護”するのではなく、一人前の大人としてきちんと処罰してしかるべきではないかと筆者は思う。

まだ一人前ではないからと保護されている少年に、選挙権は与えるべきではない
 筆者はこう確信しているが、皆さんはどうだろうか。
 選挙権を手にして政治にも一人前に口を出す、けれど「少年法に保護され続けたい」など、身勝手にも程があると筆者は考える。

 選挙権年齢を18歳以上に引き下げる法案について、自民党の憲法審議会会長代理の船田元氏は「世界の標準に合わせる」とテレビで記者達に説明した。
 確かに欧米諸国では、選挙権年齢が18歳以上の国が多いのであろう。
 しかし、だ。
 選挙権年齢が18歳以上である国の殆どは、同時に18歳から成人と見なされている
 世界の標準なのは「選挙権年齢は18以上から」ではなく、「18歳から成人」なのだ
 18歳で成人と見なされるからこそ、選挙権年齢も18歳以上なのである
 未成年の“少年”に選挙権を与えている国など、国際的に見ても殆ど無い。その現実を、選挙権年齢の引き下げに安易に賛成している方々に理解していただきたい。
 選挙権は、一人前の大人として責任を取ること無しに与えられないものだと筆者は考える。

 だから自民党では『成年年齢に関する特命委員会』が、少年法の適用年齢の引き下げなどについて検討をしている。
 しかしこの少年法改正の動きには、自民党内にすら根強い反対があるという。
 例えば谷垣禎一幹事長も「人格の形成途上であり、少年法の特例は意味がある」と述べ、少年法の適用年齢(現行20歳未満)の引き下げには慎重な姿勢を強調しているという。
 つまり谷垣氏によれば、18歳や19歳の“少年”はまだ「人格の形成途上」なのだそうだ。
 その法的にも“保護”しなければならない「人格の形成途上」にある“少年”にも選挙権を与えようと言う自民党の偉い議員さんの考えが、筆者にはどうしても理解できないのだ。

 谷垣氏を初めとする、少年法の適用年齢の引き下げには反対する自民党の国会議員さん達は、「18歳や19歳のうちはまだ保護が必要な人格形成途上の“少年”だが、20歳になれば人格の形成は完了する」とでも考えているのだろうか。
 断言するが、18歳や19歳の“少年”でも、人としての中身は20歳の“成人”と殆ど変わらない
「19歳の頃は本当にまだ子供だったが、20歳になり成人式を迎えたら一人前の大人になったと実感した」という者など、まず殆どいないだろうと筆者は思うが、間違っているだろうか。

 筆者自身について言えば、20歳の頃の自分はまだ本当に子供だったと思う。NHKの連続テレビ小説のヒロインによくあるような、周囲がまるで見えていないまま自分の感情だけで突っ走る、どうしようもなくバカなガキだった。
 だからその頃の自分の事を思い出すと、「よくもまあ、あんな恥ずかしい真似ばかり正気でしでかしてきたものだ」と赤面してしまう。

 それでも少しは周囲が見えるようになり、曲がりなりに成人と言っても良いような自分になれたのは、二十代も後半になってからだ。
 しかしその二十代後半の自分も、今の筆者から見ればまだまだ青臭い小僧っ子だった。自分の思慮不足と幼さゆえの、思い出すだけで恥ずかしくなるような失敗も、幾つも重ね続けていた。

 少し古い話になるが、例の小泉元首相の郵政解散で当選した杉村太蔵元衆議院議員が、若さゆえの軽率な言動でいろいろ批判を受けていた。
 正直に言って、筆者も杉村氏をかなり批判的に見て「奴は馬鹿だ」と思っていた。
 だがもし自分も同じ二十代後半で国会議員などになりでもしたら、杉村氏以上に舞い上がり、あげくに失言や妄言や暴言を重ね、杉村氏以上に問題にされ世論の袋叩きに遭っていただろうと思う。

 こんな筆者でも少しは周囲の事も見えるようになり、感情の暴走を抑え理性的な言動を取れるようになれたのは、三十を過ぎてからだと自覚している。
 しかしそれでも自分の言動を後から悔やみ、「まだまだ未熟だ」と感じる事も少なくない。

 選挙権の年齢は18歳以上に引き下げる一方、少年法の適用年齢も引き下げる事には反対する理由として、自民党の谷垣幹事長は「人格の形成途上であり、少年法の特例は意味がある」と述べている。
 その谷垣幹事長に問いたいが、人格の形成とは19歳までで終わり、20歳で完成するものなのだろうか?
 筆者は20歳を過ぎても自分はまだまだ子供で、三十を過ぎても人としてまだ未熟なままだと思っている。
 三十を過ぎた今もまだ、筆者は自身を「人格の形成途上である」と断言する。

 それはただ、筆者が大人になるのか遅いからではなかろう。あの偉大な孔子さまですら、有名な『論語』の冒頭でこう言っているのだ。

 吾、十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順(みみしたが)う。七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。


 平たく言えば、「自分は15歳で学問の道に進もうと思い、30歳で自立し、40歳で迷う事が無くなり、50歳で自分の運命を理解し、60歳でどんな意見にも耳を傾ける事が出来るようになり、70歳で心の赴くままに行動しても道を踏み外さないようになった」という事だが。
 それに従えば、孔子さまのような偉い人ですら、人格の形成は七十になってようやく達成したという事になる。

 いや、日々のニュースを見てみれば、七十を過ぎても犯罪を犯す者が少なからずいるではないか。高齢者による万引きは非常に増えていると言うし、中には金銭欲や色恋に惑わされたあげくに人を殺す後期高齢者すらいる。
 そうした犯罪にまでは及ばぬまでも、些細な事でキレて周囲の人達に迷惑をかける老人の話は、筆者もよく耳にしている。
 その現実を見れば、「人は死ぬまで人格の形成途上にある」と言えまいか。

 まず我が国の首相を見てみるがいい。
 孔子は「六十にして耳順(みみしたが)う」と言ったが、現在60歳になった安倍総理が、どんな意見にも耳を傾けながらこの国の政治を動かしているように見えるか?
 沖縄の基地問題にしても、特定秘密保護法にしても、憲法改正についても、安全保障の問題にしても、アベノミクスがもたらしている各種の値上げや格差の拡大の問題にしても、残業代ゼロ法案にしても、安倍首相はきちんと異論に耳を傾けているように見えるか?
 国会での答弁でも、痛い所を突かれたり都合の悪い事を言われたりするとすぐカッとして、むきになって言い返す安倍総理の言動を見て「一国の総理たる者が、何と大人げない」と情けなく思うのは、果たして筆者だけだろうか。

 18歳や19歳の“少年”達について、自民党の谷垣幹事長は「人格の形成途上であるから」という理由で、少年法で保護する意味があると言う。
 しかし孔子の『論語』に従えば、我が国の総理大臣ですら人格の形成の上では「まだまだ」なのだ。
 20歳になり成人式を迎えればそれで立派な大人になるわけではなく、人格の形成は死ぬまで続くものと思ってまず間違いあるまい。
 だからこそ、18歳や19歳の少年だけ「人格の形成途上だから」と“保護”する行為は馬鹿げた無意味な事なのだ。
 人格の形成途上だから保護しなければならないとしたら、安倍総理を含めた殆ど全ての国民を“少年法”で保護しなければ筋が通らない。

 孔子の『論語』の冒頭の言葉にある通り、聖人やそれに近い人を除く殆どの人は、死ぬまで人格の形成の為の修養を続けねばならない。
 だからこそ、どこかで線引きして“成人”と見なさねば、殆どの人間が「人格の形成途上にある少年」という事になってしまう。
 で、目に見えにくい精神的な成熟度ではなく、主に肉体的な成熟で成人の年齢を決めているわけだが。

 我が国では現在、20歳で成人という事に法律で決まっている。
 しかし他国では、18歳から成人としている国も少なくない。
 繰り返し言っているように、筆者は18歳と20歳で精神年齢にそれほどの差があるようには思えないし、18歳から成人と見なしても問題は殆ど無いと思っている。
 だから選挙権年齢を18歳以上に引き下げる事にも、決して反対ではない。

 ただそこでどうしても忘れて欲しくないのは、「権利には義務が伴う」という大事な原則である。
 投票という政治を左右する貴重な権利を得つつ、しかし「まだ未成年として少年法で保護してほしい」と言うのは、どこからどう見ても虫がよすぎると思うのは、筆者だけだろうか。

 自民党の船田元氏は、18歳から選挙権を与えられるのが「世界の標準」と発言しているが。
 繰り返すが、選挙権年齢が18歳以上の国の殆どが、同時に18歳から成人としているのだ。
 つまり「選挙権を得る=成人と見なされ、大人としての義務と責任を負う」というのが、船田氏の言うところの「世界の標準」なのである。
 だからもし日本でも選挙権年齢を18歳以上に引き下げるのならば、同時に成人の年齢も引き下げ、「18歳から大人と見なして義務と責任も問う」という事にしなければ絶対におかしいし、筋が通らない

 その選挙権と成人の年齢の問題も考えずに、与野党が揃って何故こんなに選挙権年齢の引き下げを急ぐのか、筆者にはまるで理解出来ない。
 そして今国会に提出されている、「少年法で保護されている未成年者(子ども)にも選挙権を与えよう」という公職選挙法改正案には、筆者は断固反対である。

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