空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

昭和の写真少年⑬・今の写真は感性のみ?

 でも、写真が「誰にでも撮れるもの」になった代わりに、撮ることに関する基礎的な知識や技術が、黒沢には以前よりかなり劣化しているように思えるよ。

 例えば今は、ホントに誰でも写真を撮る時代になってるよね。ちょっと珍しいモノや人を見たりすれば、皆がごく当たり前にケータイやスマホのカメラを向けるし、メカオンチの代名詞みたいなオバサンがデジイチで花だの風景だの撮っていたりするのも、そう珍しい事ではないし。
 結局それは、今は一眼レフでさえ昔のバカ○ョンカメラと同じように、ただシャッターを押すだけでキレイに撮れるようになったからなんだ。進化したのはカメラで、人間の方ではないんだよね。

 大型書店の写真関係のコーナーに行く度に、黒沢は「変わったなー」って思うことがあるんだ。
 撮影技術に関する本の数が、昔に比べてかなり減った。昔だったら本屋に当たり前に並んでいたような、露出やライティングや交換レンズの効果やなどについての専門書が、今は殆ど無いんだよねえ。あるとしても『デジタルカメラの基礎知識』とか『女の子の撮り方』とか、あるいは『キヤノンEOS kiss X5の撮り方』みたいな、写真が多くて分かり易いのばかり……って感じで。

 コンパクトカメラと一眼レフの間には、昔は今よりずっと写りの差があって。ちょっとプロっぽいキレイな写真が撮りたかったら、どうしたって一眼レフを使うしかなくてさ。そしてその一眼レフのカメラを渡されたら、それなりの知識なしには、まともな写真はまず撮れなかったんだよ。
 だって昔の一眼レフで撮るには、まず絞りとシャッタースピードを自分で組み合わせて露出を決めて、ピントも自分の目と指先でキメなきゃならなかったんだもの。
 だからそもそも、「絞りって何だ? シャッタースピードの違いによる効果って?」というトコロから学ぶ必要があったワケ。

 それに今のデジイチの「256分割測光で、逆光だけでなくシャドウとハイライトも自動で補正して」なんてすんごい露出計と違って、昔のカメラの露出計は「中央重点平均測光」なんていうアバウトで原始的なヤツだったんだ。だからちょっと逆光になったり、順光でも空が画面にある程度以上入ったりするだけで露出が狂っちゃうんだよね。
 それだけに、黒沢の時代の人達は一枚の写真の露出を合わせるのにさえ、すごく神経を使ったんだ。撮りたい絵柄のイメージから絞りとシャッタースピードの組み合わせを決めて、そしてその場の光も読んで露出のレベルも調整してさ。
 背景はボカしたいけど周辺まで均一な画質で撮りたいから開放から2段ほど絞り、逆光だからメインの被写体が暗くならないように露出を補正して、けどハイライトも飛ばさないように1と2/3EVほどオーバーに振って……とかね。

 コレを撮り直しのできないフィルムで、一発勝負でやるんだよ? だからキレイな写真を本気で撮りたいと思ってるなら、嫌でも字がいっぱい書かれた小難しい専門書を読んで、頑張って勉強しなきゃならなかったんだ。
 何しろフォーカスもマニュアルのみだから、被写界深度が超浅い望遠レンズだって、自分でピントを合わせなきゃならないし。
 フィルムは感度もカラーバランスも固定(色は太陽光で、感度はISO100がデフォ)だから、曇りの日や人工的な照明の下ではフィルターによる色の補正が必要だったし、ちょっと暗い所では手ブレにも要注意だったしね。ホント、今なら何も考えないでシャッターを押すだけでイケる写真一枚撮るのに、職人的な知識と技術が必要だったんだよ。
 けど、その昔の苦労が無駄だったとは、黒沢は全然思ってないんだ。と言うよりむしろ、「おかげで良い勉強させて貰った」くらいのものでね。

 今のカメラは超便利だし、露出やピントもかなり正確だよ。けどあくまでも“かなり”であって、間違いなく正確ってワケじゃあないんだよね。
 小難しいことは全部カメラに任せてフルオートで撮っても、今のデジイチならまあそれなりにキレイに撮れる。それでも時々、イメージとは違う色や露出で撮れてしまうことがあるよ。
 そんな時、フィルムで長く撮ってきた経験から失敗の原因もわかるし、どこをどう修正すればイメージ通りの写真が撮れるかも見当がつく。
 と言うより、撮る前の段階で「こーゆー場合はココをチョイ補正しておかなきゃ」ってすぐ気付いちゃうんだよね。

 露出とかカラーバランスとか、いろいろシビアなリバーサル(スライド)のフィルムで長く撮って来た経験って、デジタルで撮る時にもかなり生かせて、「おかげで、イメージ通りの写真を撮るのがラクだなぁ」ってすごく感じるよ。
 だから「どうしてこう撮れたか?」って原理の部分を知らずに、ただシャッターを押す以外何もせずに「とにかくキレイに撮れてりゃいーじゃん」というのは、ちょっと違うんじゃないかな、って思う
 だってイメージ通りに狙って撮ったのと、たまたまキレイに撮れたのでは、結果は同じでも意味は全然違うでしょ?

 プロとアマチュアの上手い人の違いについて、ある人がこう喩えて。
「アマチュアの上手い人は代打で出てたまにホームランを打つ人で、プロはレギュラーで毎試合に出て三割打つ人」
 これ、物事の本質を的確に捉えていると思う。
 何かを撮りに出かけた時、確実に狙った通りに写真を撮れるのと。その場の条件や偶然やらで、たまたますごく良い写真が撮れたりするのと。「キレイな写真が撮れた」と言っても、この二つの意味は全然違うよね。
 まあね、「写真が好きならプロを目指すべき」って言いたいワケじゃあないけれど。ただ女の子であれ花であれ鉄道であれ、大好きで大切なものを撮るなら「確実にキレイに撮って残しておきたい」って思わないかな? カメラの性能や偶然の結果によって、その時次第で良く撮れたりダメだったりするんじゃなくってさ。

 黒沢は露出もピントもマニュアルのカメラ(OM-1とかOM-3とかペンタックスSPとかベッサRとかライカⅢc改とか)で、スライドのフィルムだけでも何百本と撮ってきたからさ。仕上がりを予測してその被写体をイメージ通りに撮ることが、まあそれなりに出来るよ。
 だって昔のカメラって、ただカメラの露出計に頼って撮ってたら、モデルの子の顔が暗かったり変な色になってしまったりと、思ったようには全然撮れないんだもの。だからイヤになるほど失敗して悔しい思いも散々して、光の読み方とか、色による反射率の違いとか、色温度とかストロボ使用時の影の消し方(バウンズやディフューズ)とか、レンズの焦点距離と被写界深度のこととか、それはもういろいろ必死に勉強したからね。
 カメラに付いてくる取説に目を通したレベルじゃ、まず絶対まともな写真は撮れないし、イメージするような写真が撮りたければ、専門書で勉強する必要が絶対あったんだよ、昔は。あるいは専門の学校に通うなり、写真家のセンセイに弟子入りして徒弟制度の世界でシゴかれるなりするか。

 けど今は、ただシャッターを押すだけでそれなりにキレイに撮れちゃうからね。昔はプロと一部のマニア様しか使わなかった(使えなかった)、ゴツくて重い一眼レフでさえ。
 実際、今は「良い写真を撮るのに必要なのは、ただ感性のみ」って感じだと思う。で、ただキレイなものやカワイーものが好きなだけの女の人の方が、ミラーレスやデジイチで写真を撮ってて、しかもなまじメカ好きで理屈にこだわる男より良い写真が撮れてたりするのが現実なんだよね。
 だからさ、昭和の頃に書店の写真のコーナーを占拠していた撮影技術に関する小難しい本などイラネ、ってことになっちゃったんだろうね。「感性のまま、とにかくシャッターを押しまくればOK!」みたいな感じでさ。
 実際、黒沢が今の写真関係の本を見ると、「ゆとり教育か?」って言いたくなるほど中身が薄くなってるように思えてしまうよ。

 昔はね、まず原理がわかってなきゃ、まともな写真が撮れなかったんだよ。だから昔は「写真に撮られるの、大好き!」って女の子は多くいても、撮ることを趣味にしてる女子はすごーく少なかった。
 今、「写真を撮るのも好き」って言うような、いわゆる“カメラ女子”がうようよしてるのは、原理や基礎的な知識などまるで関係なく、一眼レフでさえただシャッターを押すだけでキレイに撮れるようになったからなんだよね。
 ただその場合、良く撮れたとしてもそれは感性+カメラの性能の結果だから。なぜこう撮れたのか?」って部分がわかってないから、イメージと違ってガッカリな写りだった時には、その理由も対処の方法もわかんないんだよね。

 黒沢が写真を撮り始めた頃のフィルムのカメラは、「カメラの操作そのものが難しい+撮り直しが出来ない」だけでなく、一枚の写真を撮るにもお金がかかったからさ。だって撮るにはまずフィルムを買わなきゃならなかったし、撮った写真を現像やプリントするにもまたお金を取られたからね。
 だから目の前に撮りたいものがあっても、「先立つモノがない」って理由で撮ることさえ出来ずに泣きを見た事も数え切れないほどあるよ。
 そう、目の前に獲物がうようよいて、手元には銃もあるのに弾丸が無い……みたいな状態ね。

 何か撮りたいものがあったら、まずバイトなり何なりしてカネを作ることから始める。これがフィルムのカメラの時代の現実で、黒沢も当時は「何週間も働く→一日の撮影でその資金を使い果たす→また働いて稼ぐ」の無限ループだったよ。
 だからさ、SDカードさえあればフィルム代も現像料も必要なく、殆どタダで好きなだけ撮りまくれるなんて、ホント夢みたいな話だよ。「あの時代にデジイチがあれば、どれだけ良かったか」って、正直言って思うよ。
 ただそれはあくまでも、「撮り直しの出来ないフィルムでキチンと撮れるだけの知識と腕があって」って前提の上でさ。「ムズカシーことはどーでもいーんだよ、シャッターを押せばカメラが何とかしてくれるから」って状態で良い写真がたくさん撮れるとは、どうしても思えないんだよね。

 これは黒沢の個人的な感覚だけど、「撮影技術に関する専門書が激減して、その中身も“ゆとり教育”レベルになった」って話したよね。ただ唯一例外として、逆にすごく増えて詳しくなったジャンルがあるんだ。
 ズバリ、写真のレタッチの本。
 昔で言えば、『現像と引き伸ばしのすべて』とか『暗室技術をマスターする』みたいな本ね。

 今はズーム付きのデジイチで撮れば、シャッターを押すだけでまあ大体キレイに撮れちゃうからさ。だから小難しい知識なんてイラネ、現場ではカメラ任せでフルオートでただ撮って、後はPCでレタッチすればOK……ってコトなんだろうね。
 それは確かにその通りだろうと思う。「肌をツルツルに!」とか「頬をほんのりと桜色にして」とか、レタッチすれば写真がかなり良くなることは、黒沢も認めるよ。露出アンダーで使えなかった昔の写真が、PCの画像処理でかなり見られるようになったのも、黒沢自身体験しているし。
 ただ、画像処理って何かをイジれば別の部分にも影響が出てくるのも事実だから。例えば明るさをイジると、今度は色のバランスも違ってきて、今度はそっちも直さなきゃならなくなってくる……みたいにね。
 露出も色調もシャープさもバックのボケ具合も、全部後で何とか出来るのは事実だよ。けど例えば「露出を修正した写真」と「元々露出露出の合ってる写真」は同じではないし、修正の必要のない写真の方が仕上がりもキレイなのは間違いないでしょ?
 シャープネスやバックのボケだって、画像処理で何とかするより元々キレイに写るレンズで撮った方が、後処理も含めていろいろラクだし良いに決まってる、ってば。

 写真と画像処理の関係は、女の人とお化粧の関係を考えてみればよくわかると思う。元からの美人は素顔のままでも十分OKだし、薄化粧させればさらに引き立つけれど、残念な容姿の人に厚化粧させてもただケバくなって見苦しいだけ……みたいなね。
 だから画像処理も、できるだけちょこっと、やったとわからない程度の少ない範囲でやる方がいい。ま、絵を描くような気分で、「コレが写真!?」って目を疑ってしまうような現代アートっぽい作品作るなら、話はまた別だけれどね。
 フィルムで写真を撮る時代に必要とされていたいろんな小難しい知識って、撮った後の画像処理を少なくするのに今もかなり生きていると思うんだ。

 画像処理のことは、まあ別問題としても。フィルムで撮り慣れてきた者がカメラをデジカメに替えると、「キレイな写真撮るのって、超ラク!」って思ってしまうのは事実だよ。
 ただ写真はフィルムで撮るものだった時代の知識があれば、デジカメで狙い通りの写真を撮るのもすごくラクになるのも事実なんだ。
 と言うワケで、「今はあまり省みられないでいる、けれど知っておいた方が何かと便利な知識」みたいなことを、いずれ写真はフィルムだった時代の黒沢の想い出と併せて話してゆきたいと思っておりマス。
 写真と言えば、今では空だの花だの猫だのばかり撮っている黒沢だけど。それでも写真を始めたきっかけって言うのが、何しろ「好きな女の子の写真を撮りたかったから」ってヤツだから。
 それでフィルムのカメラの全盛期だった昭和の終わり頃から平成の始め頃に、十人を越える女の子のヌード&セミヌードも撮ってきたし。
 こんなヤツなんで、そっち方面の思い出話も含めて写真に関する四方山話を、またいずれ語らせて下され。

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