空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

何でもいい、熱中できるものを持とう!

 趣味でも職業でも良いが、あなたは何か熱中できるものをお持ちだろうか?

 実は筆者は、物心がついて以来「熱中できるもの」が無かった時がないのだ。
 まず小学校に入る以前から自動車が好きで、ただミニカーを集めるだけでなく、実際に道路を走っている車の名前や性能も片っ端から覚えた。
 それから小学校に入るか入らないかのうちに本を読む事を覚え、いろんな図鑑から小説まで、学校の図書室にあるような本は片っ端から読んだ。

 で、本を読むうちに特に歴史に強く興味を持つようになって、そのせいか小学生のくせに「古銭収集」などという妙に老成した趣味も持つようになった。
 ただ古銭を収集するには、まずお金が要るからね。それなりに収入のある大人ならともかく、小学生に買えるものなどごく限られている。
 それで古銭収集熱は程なく醒めたけれど、その時に小学生の乏しい小遣いで買った寛永通寶やら明治時代の五十銭銀貨やら江戸時代の一朱銀やらは、今でもまだ持っている。

 古銭収集の次にはプラモデル作り(戦車など)を始めたのだが、そのせいで主に第二次世界大戦時のドイツ軍にハマってしまった。そして元々が読書好きだから戦記モノの本も読み漁るようになり、おかげでいつの間にかしっかりミリオタになってしまった。
 だから戦争モノの映画やドラマを見れば、登場人物の階級やら、使われている武器の事やらもすぐにわかるし、見ながら「これは違うね、いくら予算に限りがあるからって、いい加減な時代考証してんじゃねーよwww」とかのイヤなツッコミもしている。

 中学生になってからは、オーディオ好きの同級生の影響で、オーディオ系の電化製品にも凝るようになった。
 けれどオーディオも、古銭収集と同じで良いモノを手に入れるには結局はお金が必要だから。
 中学生がいくら小遣いやお年玉を必死で貯めたところでたかが知れたものだし、中学生ではアルバイトも出来ないからね。

 そうしてオーディオの道に限界を感じかけた頃に、筆者にも思春期が来て、本気で好きな女の子もできるようになって。
 そうなればもう、心の中は完全に「女の子>オーディオ」ってワケで。
 けど筆者はイケメンではないし、モテるタイプでは決して無い。
 それで「せめて好きな女の子の写真でも持っていよう」と思って、家にあるカメラで頑張って撮ってみたのだ。
 でもまるで駄目だった。
 家のコンパクト・カメラでは、雑誌のグラビアのような綺麗な写真は全然撮れなかった。
 そして「どうしたらプロの写真家のように、女の子を綺麗に撮れるのだろう?」という思いから、今度は写真への道にハマり込んでしまったのだ。

 幸い、写真に本気で心を引かれるようになって間もなく、筆者は高校に進学したから。
 高校生になれば、一応アルバイトができるようになるし。それでせっせとアルバイトをして、一眼レフのカメラと交換レンズを買っては、いろいろ写真を撮りまくったよ。
 で、不遜にも正気で「プロの写真家になりたい!」などと思うようになり、高校の進学先の希望調査票にも「日大芸術学部写真学科」なんて書いてね。
 実際、当時の筆者の模試での日大芸術学部の合格確率は、いつも75%以上のA判定だったのだ。

 ただ、写真もやはりお金がかかるから。
 残念ながら筆者の家はあまり裕福では無く、だから日大芸術学部への進学は、家計の関係で諦めざるを得なかった。
 それで進学先には、写真の次に好きだった歴史を学べる大学を選んだのだけれど。それでも写真家への道は諦めたわけではなくて、大学生になった後も独学で写真の勉強を続け、撮り溜めた写真を出版社の編集部に持ち込んでみたりもしたよ。
 そして写真を見ていただいたプロの方には、「キミは女の子を撮るのではなく、むしろカレンダー用などの風景写真を撮ったらどうか」などとアドバイスされたりしてね。

 それで自分なりにいろいろ頑張ったのだけれど、結局お金も体力も尽きてしまって。
 それにまた、「自分の好きな写真を撮る」という事と、「プロとして売れる写真を撮る」という事はまた別だから。その事にも気付いて、いろいろ考えた挙げ句に写真家になるのは諦めたのだけれどね。

 それでも写真を撮るのは、今でも変わらず好きなままでいる。
 ただ、年のせいか重い一眼レフと幾つもの交換レンズを持って遠出するのが、どうも面倒になって。ここのところはコンデジで、近場で花や空などばかり撮っている事が多いけれどね。

 あと、本を読むのが好きなのも変わらないままだし、車が好きも相変わらずで、ミニカーでなく本物の車を運転できるようになった今では、「車は誰かに乗せて貰うより、絶対自分で運転したい」って思う。
 本だけでなくコミックスも読むし、ゲームも好きだし。
 面白いものや熱中できるものはいくらでもあるし、この世は楽しいもので満ちあふれていると思う。
 だから本気で「熱中できるものが無い」と言う人が少なからず存在する事が、筆者には不思議でならないのだ。

 結局、「熱中できるものが無い」と言う人達は、生きる楽しみや目標を自分で見つけ出すのではなく、学校や社会など他に求めているのではないだろうか。
周囲の人達に褒められる為に頑張るのが良い事で生き甲斐」みたいな感覚でね。

 世の中の子供達の殆どは学校に行く。
 そしてそれなりに成績が良ければ、自然に受験の為の競争に巻き込まれる事になる。
 学校って、無趣味で好きなものなど何も無くても、ただテストで良い点さえ取れれば褒められて評価されるからね。で、受験を目標にして勉強を頑張っていれば、先生にも褒められるし同級生達にも“できる奴”と認められるから、無趣味で特技も何も無くとも自信を持って生きられるわけだ。
 そして高校受験に大学受験と頑張って、さらに入社試験でも頑張って良い所に就職できれば、周囲の皆からも評価されるし。そして職場でも上司の言う通りにして業績を上げ、昇進できれば社会的にも認められる

 けれどいくら頑張っても、職場には定年というものがあるわけで。
 で、退職して肩書きも無くなってしまったら、その人は「無趣味で取り柄もやりたい事も何もない、ただの高齢者」になるしかないのだ。
 別に退職まで待たなくても、ある程度の年齢になれば「自分がどれだけ出世できるか?」とか、見当がつくようになるよね。
 で、出世コースに乗り続けられていれば良いけれど、自分がそれから外れたなとわかったら、社会的な評価を得る為に生きて来た人達は、その瞬間に生きる目的や楽しみを失ってしまう事になる。

 何しろ今は、政府自ら「雇用の流動化」を旗印に掲げ、正社員を減らし派遣社員を増やそうとしている時代だから。
 実際、安倍政権は経済界のお先棒を担ぎ、派遣社員の固定化をもくろむ法案を、今国会で成立させようとしている。
 それゆえ正社員として就職出来さえすれば「これで一生安泰だ」などと思うのは大間違いで、定年になるずっと前にリストラの憂き目に遭う可能性も無視できない。

 だから受験勉強や仕事とは関係のない、自分自身で見つけた熱中できるものを何か持っていないと、受験が終わったり、あるいは職場を離れたりした後に生きる楽しみを失って、抜け殻のような人間になってしまうのだ。
 実際、大学に合格したり仕事をリタイアした後に、自分が何をしたら良いのかわからなくなって途方に暮れてしまう人が少なくないと聞くが、それはただ与えられた目の前の勉強や仕事を頑張る事しか知らずに生きてきたからだろう。

 筆者の場合、車の運転もミリタリー関係の研究も読書もゲームも写真も、ただ自分が好きだから没頭してやっているだけなのだ。
 人から褒められたいとか、仕事でメリットがあるからとか、そんな事はまるで関係ないね。
 ただ心が動き、好きで楽しいから続けてやっている。それだけの話さ。
 だから入試を経て進学して就職して職場も変わって、自分を取り巻く環境がどう変わろうが、好きなものは相変わらず好きなままで、おかげさまで生きる楽しみは常に持ち続けている。

 まあ、人生はいろいろだから。
 何しろ筆者は両手の指でも数え切れないくらいの女性と付き合い、それでも今もまだ独身だ。
 つまりそれだけ女性にフラれ続けてる、って事だよ!
 太宰治は「サヨナラだけが人生だ」と言ったけれど、筆者も辛く悲しい思いはいやというほどしている。

 さらに筆者は幼い頃から病弱で、今でも体調を崩して寝込む事が少なくない。おまけに喘息持ちで、メニエール症候群で片耳の聞こえが悪くなり、さらに二十代の後半に生きるか死ぬかの大病をした。
 特定を避けるために、あえて病名は言わないが。
 筆者が罹かったのは日本で20例目の珍しい病気で、担当の先生は「学会に発表できる」と喜んでいた。
 その病気の治療はかなりな大手術になったものの、とりあえず成功した。しかし後遺症が残ってしまって、おかげで今も体に不自由がある。
 その手術の結果、筆者はさらに体が弱くなってしまって、それまでの仕事も失ってしまった。

「年齢=彼女いない歴」でもなく“魔法使い”にもならずに済んだ代わりに、女性不信になるくらい酷い失恋を何度も経験して。
 滅多にないような重い病気と大手術をして、その後遺症も残って失職もして。
 傍から見れば、人生の落伍者のようなものかも知れないけれど。
 だが筆者自身は、「生きていて楽しい」と思ってる。
 それは金も地位も健康も妻子も無くとも、筆者には少なくとも「熱中できる好きなもの」があるからだ。

 筆者は「子供の頃から車が好きだった」と書いたが、今現在乗っている車は、実は中古で買った軽自動車である。
 それは、本音で言えばポルシェだのユーノス・ロードスターだのといった、良い車に乗りたいよ。だが金が無くて、中古の軽自動車しか乗れなかったのだ。
 けどそれでも、我慢して嫌々乗っているというのとは違う。旧型の軽自動車なのに、酷使にも耐えて必死に走ってくれる姿を見ていると、何だか可愛くなってくる。
 ポルシェに乗れれば、それはとても楽しいだろうが。
 しかし古い軽自動車の性能を限界まで引き出して、むしろ他のもっと大きな馬力のある車より元気に走らせてみるのも、それはそれで楽しいのだ。
 それに無理に飛ばさずとも、ただ車を走らせているだけでも楽しい。

 カメラも今よく使っているデジイチは18,980円で買った中古のペンタックスK-xで、コンデジなどカメラのキタムラのジャンク・コーナーで見つけた、700円也の中古以下のジャンク品を平気で使っている。
 本も新刊にこだわらすにブックオフ等に行って丹念に探せば、安くて掘り出し物の本があれこれ見つかる。
 こだわりを捨て、他人の目を気にせず今の自分にできる範囲で探せば、熱中できる楽しい事などいくらでも見つかるよ。
 生涯未婚のままで終わりそうで持病もあって、仕事の上でもいろいろあった筆者がそう断言する。
 その熱中できる楽しい事が見つからないとすれば、それは正確には「見つからない」のではなく、その本人が「探していない」のだ。

 しかし「仕事が忙し過ぎて、好きな事を楽しめる余裕などとても無い」という方も、今の日本には少なからずいると思う。
 実際、日本どころか世界的に名の知れたキヤノン電子の社長酒巻久氏のように、新入社員達への訓辞で「生きる為に働くというのは甘えで、あなた達はキヤノンで働く為に生きているのです。倒れるまで働き、起き上がれるだけの睡眠をとったらまた倒れるまで働いて下さい」などと正気でのたまう経営者も存在する。
 断言するが、キヤノン電子は間違いなくブラック企業だ。
 キヤノン電子に限らず、仕事以外に趣味を持ちそれを楽しむ暇すら無い職場は、経営者がどんな美麗字句で飾った経営理念を語ろうと、紛れもなくブラック企業である。だからそのような職場にお勤めの方は、たとえ収入が下がっても転職を真剣に考えた方が、間違いなくあなたの心身の健康の為になる。

 無論、中には「仕事が熱中できる楽しい事で生き甲斐だ」とおっしゃる方もいるだろう。
 そしてそれが自営の経営者や芸術家や音楽家や作家や漫画家や農家や漁師などなら、「仕事=生き甲斐」として、死ぬまで好きで楽しんで働き続ける事も可能だろう。
 だが会社であれ官公庁であれ、組織に勤めている者には定年というものがある。
 いくらその仕事が好きで生き甲斐にしていても、定年が来れば会社(官公庁)は容赦なくあなたを放り出す
 定年が来なくとも、経営上の都合でリストラをされる場合もある。
 そして筆者がそうだったように、予期せぬ病気や事故でそれまでの仕事を続けられなくなる場合だって現実にあるのだ。
 そうなった時、仕事を生き甲斐にしてきた方は耐えられるだろうか。

 繰り返すが、オーナー社長だけでなく芸術家や作家や農家まで含めて、自営の経営者でもない者は今の仕事を生涯続けることは出来ない。
 だから定年が来たり、何かの事情でその前に職場を去る事を余儀なくされたりしても。
 あるいは自分の昇進できる限度が見えて、仕事で頑張る目標を失ってしまっても。
 受験勉強だって、頑張っても不合格になってしまい、望まぬ進学先に入学せざるを得ない事もある。
 それでも「生きるのは楽しい」という気持ちを持ち続ける為にも、仕事や受験勉強以外にも熱中できる好きな楽しい事を見つけるのは絶対に必要だと、筆者は心から思う。

 と言うと、「その熱中できる好きで楽しい事が見つからねーんだよ!」と叱られてしまいそうだが。
 しかし筆者に言わせれば、受験勉強や仕事以外に熱中できる事が見つからない方が不思議なのだ。
学校や職場など他から与えられた勉強や仕事をただ頑張り、教師や同級生や上司や同僚など周囲の評価に一喜一憂しながら生きて何が楽しいのだ?」と、筆者は声を大にして言いたいよ。

 前にも話した通り、筆者には物心つき始めた頃から「熱中できる好きで楽しい事」は常にあった。
 それは何故か。
 親や教師に強いられた勉強や、上司に命じられた仕事をただやるのではなく、何にでも自分から興味を持ちいろんな事を進んでやってみたからだ。

 例えば筆者は、小学生の頃にプラモデル作りに興味を持った。
 車や船などの模型も作ったが、小学生の筆者が一番「カッコイイ!」と思ったのは、第二次世界大戦のドイツ軍の戦車や軍用車だった。
 しかしドイツ軍と言えば、戦争映画ではいつも最後には負ける悪役である。
 で、「何故だろう?」と思い、ただミリオタになるだけでなく、ナチスやユダヤ人虐殺の問題もいろいろ興味を持って勉強した。
 さらに興味はドイツ軍の最大の敵であったソ連(ロシア)にも及び、おかげでユダヤ人には立派な人が大勢いた事も知ったし、そしてロシア人もけっこう好きになってしまった。

 今も好きで撮っている写真だって、元々はカメラに興味は何もなくて、ただ好きな女の子を雑誌のグラビアのように綺麗に撮ってみたかっただけなのだ。
 だが家のコンパクト・カメラではグラビアとは程遠いものしか撮れず、そして「どうしたら女の子を綺麗に撮れるのだろう?」という疑問を追求して行くうちに興味が次々に広がり知識も増え、今では花や風景なども含めて幅広く撮っている。

 一度何かに興味を持つと、筆者の関心は果てしなく広がって行き、そして今まで知らなかった事を新たに知るのは心から「楽しい」と思う。
 だから逆に、「物事に興味も関心も持てない」という人が存在する事の方が不思議なのだ。

 白状する。
 小中学生時代の筆者は、学校の授業でも「何故だろう?」と疑問に持つ事があると、教科書に無い事でも授業の範囲を超える事でも「それはどうしてですか?」と教師に質問しては、教師に迷惑がられる種類の子供だった。
 だがだからこそ他から与えられずとも、「好きな事」や「やりたい事」は山ほど見つけられた。

 世の中には、「熱中できるものが無い」と言う人が少なからずいるが。
 その人達に問うが、あなたはその熱中できるものを、学校の教師なり職場の上司なりの他が与えてくれるを待っていたりしていないだろうか。
 熱中できる楽しいものの方から、あなたのもとにやって来るのを待つのではなく。
 あなた自身が進んで何事にも興味と関心を持ち、あなた自身が試してやってみない事には、学校の勉強と職場の仕事以外の「熱中できるもの」は見つかる筈も無い
のだ。

 もしあなたに、熱中できる楽しいものが無いのであれば。
 まず周囲に興味と関心を持ち、ちょっとでも「面白そうだな」と思ったら自ら進んで調べてみるなり、やってみるなりしようよ。
 そうすれば「熱中できること」は、何か必ず見つかる筈だ。
 そしてずっと続けられる趣味が出来れば、それはあなたの生活をただ楽しくするだけでなく、生きる支えにもなってくれるだろうと筆者は信じる。

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