空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

史実をねじ曲げ、持統天皇を美化しまくったNHKと『歴史秘話ヒストリア』の罪

 筆者は幼い頃から歴史が好きで、大学も史学科国史専攻コースに進んだ。
 その筆者から見て胸糞が悪くなるような“歴史”番組が、某国営放送で制作され全国に流された。
 それはこの6月10日放送の『歴史秘話ヒストリア』の、「古代日本・愛のチカラよみがえる持統天皇・幻の都」である。

 まず断っておくが、筆者の思想は基本的に保守である。正確には“保守左派”に属するらしいが、少なくとも小泉政権が誕生する以前はほぼ自民党に投票してきたし、憲法改正にも自衛隊を正式な軍隊(日本国防軍)にすることにも前向きである。
 また、同性愛者を差別するつもりはないが、同性婚には断固反対であるし、婚外子、いわゆる“妾の子”を嫡出子と同等に扱うことは、家族制度の崩壊を招くと思っている。
 さらに言えば、カネ目当ての移民を受け入れることには絶対に反対だし、最近の事で言えば「選挙権年齢を18歳に引き下げるなら、同時に18歳から成人にしなきゃおかしいダロ! 少年法で保護されている未成年者に選挙権を与えるなどフザケルナ!!」と怒っている。
 しかしそれでも、筆者はいわゆる“日本の保守”とは重大に違う転がある。
 そしてそれが、「皇室に対する崇敬の念」の有無である。

 筆者は“保守”を自認しているが、同時に無神論者である。
 と言うより、すぐ近所に住むS学会の会員らの傍若無人かつ唯我独尊な態度を見るにつけ、そして歴史を学び多くの戦争や争乱が宗教によって引き起こされ、神の名において幾多の人の命が奪われてきた事実を知るにつけ、「宗教は害悪だ」という思いが強くなってくる。
 だからこそ筆者は、天照大神を皇祖としている日本の皇室に対して、無条件の崇敬の念を抱けない。

 他国の王室と日本の皇室の間には、決定的な違いがある
 他国の国王や女王は、我らと同じ人間の中の王(女王)に過ぎない。
 しかし日本の皇室は違う。例の「万世一系の」というだけでなく、天孫降臨、天照大神の孫の瓊瓊杵尊に日本を支配させる為に高天原から高千穂に降臨させ、その曾孫の神武天皇が日本の初代の天皇になったという荒唐無稽な神話をもとに、日本の天皇は神の子孫の現人神を自称してきた

 それが文書に現れるのは、例の『歴史秘話ヒストリア』で取り上げられた持統天皇の夫の天武天皇からで、天武天皇は自らを明神(あらみかみ)と称し、そして廷臣らも「大君は神にしませば」とへつらって応じている
 そしてその思想は明治維新後の、文明開化された筈の日本でも国家神道の名のもとにより強制され、天皇を現人神(あらひとがみ)として正気で神として拝むよう、国民は幼い頃から教育勅語等の学校教育で叩き込まれてきたのだ

 敗戦後の1946年に、昭和天皇自ら人間宣言をして、天皇の神格を否定したのだが。それでも「あの宣言は強制されたもので、本意ではなかった」などと主張して、天皇を神のままにしておきたがる者たちが、この日本には少なからずいる。
 それどころか、近年の反知性主義による日本人の右傾化により、神話をありがたがり天皇を神と信じる者らが増えている有り様だ。
 この現状が、無神論者でかつ宗教ギライである筆者には耐え難く不愉快だ。

 皇室を尊ぶ気持ちを持つのはいけない事だ、などと言うつもりは全くないが。
 しかし天皇を我々人間とは違う、神あるいはその子孫と信じる事は、歴史を学ぶ者として絶対に受け入れられない
 何故ならば、歴代の天皇すべてを現人神として崇めることは宗教であって信心と異ならず、もはや事実を基に語る歴史学ではないからだ。

 各国の国王や皇帝の中には、名君もいれば暴君や暗君もいる。それは国王や皇帝とは言え人間なのだから、欠点のある駄目な者もいて当然だからだ。
 ゆえにその王室を尊ぶということと、「歴史上こんな暗君も存在した」という事実を認めることは決して矛盾しない
 しかし「天皇=現人神」となると、話はまた違ってくる。それは天皇を無謬である神とすれば、歴代天皇はすべて神の如く素晴らしい存在でなければならず、天皇に暴君や暗君の存在など決して認められないからだ。

 筆者は歴史を学んできた者として、天皇も一人の人間としてその業績を判断している。
 筆者は思想的には間違いなく保守だが、他の日本の保守系の思想家と違って「皇室に対する無条件の崇拝の念」など欠片も持ち合わせていない。だからただその天皇の言動を冷静かつ客観的に眺めて、尊敬できる立派な指導者か、暗君や暴君の類であるかを、己の頭で判断するだけである。
 そして天皇を同じ人間の、一人の支配者として見てみると、いろいろな人物がいる事がわかってくる。

 例えば名君と言われがちな天智天皇だが、実は殺された蘇我入鹿の方が開明的な思想の知的な人物で、例の大化の改新とやらも、当時最も皇位に近かった古人大兄皇子を押しのけて自分が天皇になるために企てたものだ。
 蘇我入鹿を殺すにあたり、天智天皇(正確には当時はまだ中大兄皇子だが、混乱を防ぐ為呼び方は天智天皇に統一)はまず蘇我の一族で、入鹿が蘇我氏を継いだ事に不満を持つ蘇我倉山田石川麻呂の娘を娶って味方につけた。
 しかし入鹿を殺した後で、天智天皇は倉山田石川麻呂に謀反の濡れ衣を着せ、妻の父でもある倉山田石川麻呂を死に追いやった。
 気に入らぬ者や、政敵になりそうな者に謀反の汚名を着せて殺すのは天智天皇の常套手段で、ほぼ同じ方法で天智天皇は古人大兄皇子と有間皇子も殺している。
 そのあたりを見ても、天智天皇は野心家で権力欲が強く、陰険で冷酷な人間であるとわかってくる。

 さらに日本が百済に肩入れして、白村江で新羅と唐の連合軍に大敗したのも、天智天皇の周辺に百済系の人間が多かったからである。天智天皇に殺された蘇我入鹿はそのあたりの国際情勢に天智天皇より詳しく、百済一辺倒でなく新羅とも等距離外交を行おうとしていた。
 だから白村江での日本の大敗は、天智天皇の判断ミスとも言える。
 そしてその結果、唐の侵攻を防ぐ為に九州に防人を置き、九州から畿内に至る各地に築城をせざるを得なくなった。その防人や築城の負担を負ったのは天智天皇自身ではなく人民だ。
 防人として遠く九州まで送られた人民の苦しみは、今にも伝わっているが、そもそもの原因は天智天皇の国際情勢に関する無知により、唐という大国を相手に無謀な戦争をしかけたからである。

 この天智天皇だけではない。考謙(称徳)天皇の陰険さと愚かさには呆れるばかりだし、平安京を造った桓武天皇も、我が子を皇位に就ける為に、実の弟で皇太子の早良親王に無実の罪を着せて死に追いやっている。
 また、桓武天皇が度々蝦夷の地に大軍を送り征討を繰り返したのも、征服された蝦夷の人々や、兵として戦に駆り立てられた当時の人々にとっては「良いこと」とはとても言えまい。

 時代はずっと下るが、後醍醐天皇もまた酷かった。まだ幼い兄の弟の代わりに立てられた、言わばつなぎの代理の天皇でありながら、持明院統と大覚寺統の両統迭立の約束を反故にし、さらに己が属する大覚寺統の本家も無視して天皇の地位と財産を独占し我が子に譲ろうとして、あの南北朝の争乱を引き起こした。
 鎌倉幕府の悲惨な滅亡と、その後の長きに渡った南北朝の動乱は、後醍醐天皇一人の私欲によるものと言っても大袈裟ではないと筆者は考えている。
 後白河法皇や後鳥羽上皇など、野心家で権力欲の強い策謀家の天皇は他にもいるが、この後醍醐天皇ほど野心家で我欲の強い天皇は珍しい。

 また、名前はあえて出さぬが現在の観点では精神科および心療内科の治療が明らかに必要だった天皇も、平安時代だけで複数存在した。
 もっと昔の古代に遡れば、何の罪もない人を木の上に追い立てて弓で射殺したり、妊婦の腹を裂いて胎児を取り出したりなどして楽しんでいた残虐な天皇もいた。

 無論、歴代の天皇がその種の野心的で我欲に満ちた暴君や暗君ばかりだったと言うつもりはない。筆者は昭和天皇や今上天皇は人格高潔な名君と尊敬しているし、過去の天皇で言えば嵯峨天皇、それに花園天皇光厳天皇なども立派な方であったと敬意の念を抱いている。
 しかし天皇はあくまでも人間であり、良い面だけでなく弱い部分や暗い部分もまた持っていて当たり前なのだ。特に国の主権者として強い権限を持っていた時代の天皇は、政治的な争いに巻き込まれたり、あるいは自らその争いを引き起こしたりしがちであった。

 天皇を普通の人間とは違う神聖犯すべからざる高貴な存在と見なし、「歴代の天皇すべてが立派な方であった」と考えるのは、事実を基にした史学という学問ではなく、天皇教とでも言うべき宗教と断じざるを得ない。
 そして日本の保守層に圧倒的に多いその天皇教の信者たちの圧力によって、歴代の天皇に関する史実すべてが美化され、神話によって歴史が書き換えられようとしかけている現状を、歴史を学んできた者の一人として筆者は深く憂う。

 昭和天皇は人間宣言をしたが、天照大神は今も皇祖神とされ、それが祀られているのが伊勢神宮である。人間宣言をしつつ、しかし神を今もなお皇室の祖先としているところに、皇室だけでなく殆どの国民も矛盾を感じていない現状が筆者には不思議でならない。
 そして安倍首相は、サミットの開催地にその伊勢神宮がある伊勢志摩を選んだ。
 安倍首相はサミットに来た諸外国の要人にも、伊勢神宮を参拝してほしいと望んでいたが。それは取りも直さず「天皇の祖先を神として拝んでほしい」という事だ。諸外国の要人たちには、安倍首相に誘われるままうかつに参拝する前に、天皇家の氏神を祀っている伊勢神宮の本質に気付いてほしいと思う。
 しかし当の日本人の殆ども、何の疑問も持たずに嬉々としてその伊勢神宮に参拝している。
 天皇を天照大神の子孫の現人神と信じる“天皇教”は、我が日本人の心の中に今もなお根深く生き続けているのだ。

 その意味でも、6月10日に放送された『歴史秘話ヒストリア』の「古代日本・愛のチカラよみがえる持統天皇・幻の都」は本当に酷かった。
 これでも少しは歴史を学んできた筆者の知識の範囲内では、天武天皇は兄の天智天皇がその子の大友皇子(弘文天皇)に譲った天皇の位を、兵を起こし甥の大友皇子を自死に追いやり、武力で己がものにした野心家だ。
 そして自らを「明神・あらみかみ」と称した、史上初の天皇でもある。

 件の『歴史秘話ヒストリア』では、天武天皇が「正しい歴史を編纂させた」と放送していたが。
 事実天武天皇は、『旧辞』や『帝記』などの古い資料を調べ「偽りを削り実を定め」て『古事記』や『日本書紀』を編纂するよう命じたと記録されている。
 しかし「歴史は勝者によって書かれる」と言われる通り、『古事記』や『日本書紀』は実際には「偽りを加え実を削って」天武天皇の都合の良いように、天武王朝を正当化するように書かれている事は、当時の歴史を学んだ者の間では通説となっている。
 それを無視して、強制的に徴収している受信料で成り立っている「みなさまのNHK」は、天武天皇が正しい歴史を編纂させたと放送した。

 その天武天皇が甥の大友皇子から帝位を奪った壬申の乱で勝てたのは、天武天皇側が大友皇子の近江朝廷側より早く動き、より多くの兵を動員できたからだ。
 その頃は天智天皇の大化の改新により中央集権化が進み、一方で利権を奪われた地方豪族らは朝廷に対し不満を高めていた。そして天武天皇は、その地方豪族らの支持を得たのだ。
 にもかかわらずその事実を無視して、『歴史秘話ヒストリア』では「伊勢神宮に参拝したところ、妻の持統天皇に天照大神が乗り移りwww、天武天皇側について勝たせると言ったから、皆が味方して勝ったのだwww」などという文字通り神懸かりの戯言を、正気で“歴史”として放送するなどの、公共放送として全く呆れ果てた行為をしてのけた

 その持統天皇とは、いったいどんな人物であったのか。
 まず、持統天皇の夫の天武天皇が、皇位を兄(天智天皇)の息子の大友皇子から武力で奪った事実を覚えておいていただきたい。
 この時代には跡継ぎにはそれなりの能力と経験が求められ、天皇家も含めて直系の子や孫にではなく、弟や甥にその地位が譲られる事が多かった。
 だから壬申の乱の時も、跡継ぎに指名された息子でまだ若い大友皇子以上に、弟で能力も確かな天武天皇に支持が集まったのだ。
 その理屈で言えば、天武天皇の後を継ぐのも別に実子でなくとも良い筈なのだ。

 しかし持統天皇は甥たちなど他の皇族ではなく、何としてでも我が子の草壁皇子を天皇にしたかった
 その最大の障害になったのが、同じ天武天皇の息子の大津皇子であった。
 天武天皇の后の持統天皇は天智天皇の娘で、叔父と姪の関係にあった。今では許されない事だが、当時は叔父と姪との結婚はタブーではなく、そう珍しい事ではなかった。
 実は大津皇子の母も天智天皇の娘の太田皇女で、持統天皇と太田皇女は同じ母(蘇我倉山田石川麻呂の娘の遠智娘)から生まれた姉妹でもあった。
 だから大津皇子と持統天皇の息子の草壁皇子はほぼ同格で、天皇の地位に就く資格は十分にあった。

 その大津皇子は『懐風藻』にも「姿は男らしく、大人物の器で、学問がよく出来る上に武術にも秀でている」と書かれている。さらに『日本書紀』にも「幼い頃から立派で言葉もはっきりしていて祖父の天智天皇に愛され、大人になっても雄弁で才学があり、特に文学がよく出来た」と書かれている。
 また、前出の『懐風藻』にはさらに「規則にこだわらず、気さくに人と付き合い人気があった」とも書かれている。
 それに対し、草壁皇子についての記録は殆ど残っていない。と言う事は、悪い評判は無いものの、特に取り立てて良いところもない凡庸な人物だったと思われる。
 それで持統天皇は大津皇子を常に警戒し、密偵を放って「大津皇子が誰と寝た」というようなプライベートな事まで事細かに調べ上げていた。

 ただそれだけでなく、同時に何かあればすぐに大津皇子を陥れられるよう、大津皇子の身辺に罠を張り巡らせていたのだろう。
 その証拠に、天武天皇が亡くなって一月も経たぬうちに大津皇子は謀反の疑いで捕らえられ、翌日には殺されている
 不思議なことに、謀反の一味として大津皇子の他に三十余人が捕らえられているのだが。彼らの殆どがすぐに赦免され、早いうちに政界に復帰し持統天皇の朝廷で働いている。
 これをどう見るべきであろうか。
「持統天皇って寛大なんだな」と素直に感心する人がいるとしたら、余りに単純すぎるだろう。

 大津皇子はろくに取り調べもせずに翌日に殺し、他の者はみな許す。
 これは「陰謀の一味」とされた者たちは殆どみな持統天皇の手先で、この謀反の件も持統天皇による濡れ衣と解釈するのが自然であろうと筆者は思う。

 古代の日本は一夫多妻制だったから、兄弟姉妹とは言え異母兄弟(姉妹)も少なくない。そして同じ母から生まれ同じ家で育った同母の兄弟姉妹には親しみは持つものの、異母兄弟(姉妹)とは他人と言うよりライバルに近い関係にあるものだ。
 しかし大津皇子の母の太田皇女と持統天皇は、前にも書いた通り同じ母から生まれた姉妹なのである。
 そして大津皇子は、その姉妹が産んだ持統天皇の実の甥なのである。
 だが持統天皇は我が子を確実に天皇にする為に、同腹の姉妹の息子である大津皇子を罠にかけ、謀反の汚名を着せて殺した
 持統天皇とは、そういう人なのである。

 しかし持統天皇がそこまでして天皇にさせようとした草壁皇子だが、彼は天皇の地位に就くこと無く28歳で急死してしまった。
 ただ凡庸で記録に残るような才が無かっただけでなく、体もあまり強くなかったのではあるまいか。
 それで持統天皇は自ら天皇に即位して、草壁皇子の遺児で孫にあたる幼い軽皇子が成長して天皇の地位に就けるようになるまで、老いてもなお天皇の地位にしがみつき続けるのである。

 以前にも触れたが、この時代は跡目は兄弟や叔父甥の間で相続されるのが普通で、子から孫へと直系で相続される事の方が少なくなかった。
 まだその能力の無い幼い子や孫ではなく、きちんと政務を取れる能力のある弟なり甥なりの大人が継ぐのが、当時の相続の常識だったのだ。
 そして天武天皇や草壁皇子の死後にも、高市皇子や川島皇子や忍壁皇子や穂積皇子や長皇子や弓削皇子などの適任者は皇族に何人もいた。
 しかし持統天皇は、あえて我が孫の軽皇子(文武天皇)にその位を譲ったのである。
 このあたりの持統天皇の権力に対する執着には、凄いものを感じる。まあ、「我が子や孫可愛さの一念」なのだろうが、だからと言ってその為に我が子より能力があり人望もある、同じ腹から生まれた実の姉妹の息子を陥れて殺す行為を正当化する事は出来ないと筆者は考える。

 しかし例の『歴史秘話ヒストリア』では、持統天皇のそうした暗い面には全く触れず、「彼女に天照大神が乗り移ったおかげで壬申の乱の戦に勝てました」とか、「正しい歴史を編纂させました」とか、「日本の基礎を作りました」とか、おべんちゃらもいい加減にしろと言いたくなるほど持ち上げていた。
 これでも少しは歴史を学んできた筆者の印象では、持統天皇は中国の漢の呂后に似ていて、野心家で権力欲が強く、我が子の為にはとことん冷酷になれる悪女である。
 ただ同じ女帝でも、考謙(称徳)天皇と違って為政者としての能力もあった事は認めねばならない。しかし大津皇子への仕打ちや、何としても我が子や孫を皇位に就けようと権力へ執着する姿を見れば、人として尊敬することは、筆者には到底出来ない。

 その持統天皇を、『天上の虹』のようなフィクションのマンガを基にして徹底的に美化した番組を“歴史”として恥ずかしげも無く放送したNHKに、筆者は大きな失望と怒りを感じた。
 天皇ならば、放送するにふさわしい立派な天皇がもっと他にいるだろうに。
 日本の呂后にも例えられる野心家で非情な持統天皇を取り上げ、しかも都合の悪い部分は覆い隠して徹底的に美化し、神懸かりの神話的な要素まで持ち込んで放送するとは、心の底から呆れ果ててしまった。

 それにしても、天皇の地位に就くというのは大変な事だと改めて思わされた。
 何しろ権力者の周囲には、主君の意を汲みおべっかを使って取り入ろうとする佞臣の類がうじゃうじゃいるのだから。
「あの者は気に入らぬ、どうにかならぬものかの」
 何気なくただそう呟いただけで、その相手をそっと暗殺したり、謀反の罪をデッチ上げたりしてくれる“気の利いた家来たち”がいるからね。
 そして日本の天皇は「天照大神の子孫」と教え込まれて、自分を「現人神」と信じているわけで。
 それで「人の命でも何でも朕の思いのままじゃ」と思い込まない方がおかしいかも知れない。

 想像してごらん。贅沢はし放題だし、好みの女性だって人の命だって思いのままに出来るんだよ。
 だから天皇になれば我が儘勝手に振る舞い、何でも思い通りにしようとするのがむしろ普通で、そうした我欲は自制して下の者には威張らず佞臣は近付けず、国と民を思って働く天皇は、本当に尊敬に値する出来た人物なのだろうと、持統天皇のした事などを考えてつくづく思う。

 今の日本では、昭和天皇に今上天皇と、二代続いて尊敬に値する立派な名君が出ているけれど。
 だがそれが天皇の当たり前の姿なのではなくて、昭和天皇や今上天皇は特別によくできたお方なのだ。
 歴史を学び、過去の歴代の天皇の行状を調べてみると、その事がよくわかってくる。そして今の天皇のお姿を過去の天皇にも重ねて、「天皇とは皆あのような立派な方々だったのだ」と誤解するのは、実に危険な事だと筆者は言いたい。

 歴史は都合の悪い暗部まで含めた事実から判断するもので、天皇を神の如く崇める宗教とは違うのだ。
 にもかかわらずNHKは、持統天皇の暗い部分にあえて目を閉ざし神の如く持ち上げまくって、『歴史秘話ヒストリア』を天皇教の『神話秘話フィクション』にしてしまった
 強制徴収している受信料から成り立っている公共放送で、歴史をねじ曲げ神話もどきの与太話とこき混ぜた番組を制作した皆さまのNHKの、その罪は重いと筆者は思う。

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繝懊?繧、繧サ繝励ユ繝ウ繝舌? | URL | 2016-06-20(Mon)12:32 [編集]