空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

想像力が人を救う(オタクですが、何か?)

 もし何にでもなれるとしたら、貴方は人間以外の何かになりたいと思うだろうか。

 毎日新聞では、毎週精神科医の香山リカ先生のコラムを連載しているが。
 その6月30日のコラムによると、大学のゼミで香山先生が「何にでもなれるとしたら何かよいか」と問うと、必ず何人かは「猫」「鳥」「魚」と答えるそうである。
 それ以外の動物や植物の名も、よくあがるのだとか。
 で、その理由はいずれも「自由になりたいから」だという。

 ……驚いた。
 筆者の人生経験では、今まで生きてきたうちで最も自由で楽しかったのは、間違いなく大学生時代だったのだが。
 香山先生もまた、そのコラムで「私から見ると大学生活など自由そのもの」と書いていた。

 だが当の大学生たちによれば、そうではないのだと言う。
 授業に課題その他で目の回る忙しさで、サークルやバイトでは先輩に叱られて緊張の連続、そして友人との付き合いにも何かと気を使うのだとか。
 そして不況のせいか、最近では遠くからでも実家から通う学生が多く、通学にも長い時間がかかっているらしい。
 それで疲れ切って、「猫になってのんびり寝転んでいたい」とか「鳥や魚になって空や海でゆったりしたい」と思うのだそうだ。

 で、そうした学生たちに香山先生が「本を読んだり文章を書いたりできないよ」とか、「天敵に食われちゃうかも知れないよ」と聞いてみると、彼らは決まってこう答えるのだそうである。
「それでもいいです」
「仕方ないので気にしません」

 筆者は心底驚いたが、香山先生は自分の診察室で、こう話す高校生と出会ったという。
人生の楽しい事はだいたいすべて経験しちゃったと思います。あとはつまらない事だけ

 このように疲れ切っている現代の学生たちに、香山先生は「私も時々、中学生くらいに戻れたらいいな、などと空想する事もある」と同情しつつ、「自分の人生を自分で決めて切り開けるのが人間だよ。もっと人間であることを楽しもうよ」と励ます。
 しんどい毎日の中にも「自分がやりたかった仕事で成果を出せた」とか、「人生の岐路に立ち自分なりの答えを見つけた」とか、手応えを感じる瞬間もある……と。

 言いたい事はわかるが、筆者は香山先生の“励まし”には素直に賛同できない。
 現実を見てもらいたい。
「自分の人生を自分で決めて切り開ける」人間など、この世にどれだけいるだろうか
「自分がやりたかった仕事」に就けた人間が、この世にどれだけいるだろうか
 香山先生は自分のやりたかった仕事に就け、そして成果も出せた“人生の勝者”だからそのような事が言えるのだと、筆者は思う。
 自分のやりたい仕事に就いて成果もあげる事が出来ている、香山先生のような方もこの世に確かに居るだろうと思う。しかし現実には希望していたのとは違う仕事に就き、生きる為に夢を諦め苦労して働いている人が過半数を占めているのではないかと筆者は考えるが、どうであろうか。

 自分で決め、自分で切り開いた人生を生きていると確かに言える人が、実際にどれだけいるだろうか。
 筆者にも夢とやりたい仕事があり、それを現実のものとすべく死にものぐるいで頑張って生きてきた。しかし筆者の才能が足りないせいで、やりたい事とは無縁の事をしてようやく生きている。
 ただ良い縁に巡り合えなかっただけでなく、経済的にも結婚や子育てなどとても考えられず、今もまだ独身のままでいる。
 介護の関係もあって親が建てた家に住んでいる為、住居は一戸建てだが築三十数年のボロ家で、外壁はヒビだらけだし、床などあちこち軋むがリフォームの金も無い。
 乗っている車は、中古で買った軽自動車だ。
 海外旅行に行った事が無いどころか、生まれてこの方、飛行機に乗った事すら無い。
 こんな筆者は、香山先生の“人間である楽しみ”の定義を何一つ満たしていない。
 ただそれでも人間で良かったと思うし、人間以外の何かになりたいと思った事は無い。
 筆者は猫が好きで、「死んだら猫の国に行きたい」と思っているくらいだ。しかしそれでも、猫になりたいと思った事は無い。

 猫と一緒に暮らしているとよくわかるが、猫にもちゃんと感情がある。彼らにも喜びや悲しみの気持ちが間違いなくあって、人間と心を通わす事もできる。
 そしてそれは、犬や猿なども同じであろう。
 ただ人間にだけあって、猫や犬には無いものが一つある。
 それはズバリ、想像力だ。
 そしてそれが、人の生きる楽しみと力になっているのではないかと筆者は考えている。

 仕事で何か成果をあげるどころか、筆者はやりたい仕事にすら就けずにいる。
 同年代の友人たちの殆どは結婚して子供もいるというのに、筆者はまだ独り者でカネも無く、ボロ家に住み古い軽自動車に乗っている。
 将来の事を考えると、本当に不安でいっぱいだ。
 それでも自分を不幸だとは思っていないし、他の何かに生まれたいとも思っていない。
 筆者が自分を人間で良かったと思えるのは、自分に想像力があるからだ。
 本を読む。マンガを読む。映画を見る。ゲームをやる。それだけでも現実の人生にあるいろいろな厭な事を(仮に一時的にでも)忘れられるし、生きていて充分に楽しいと思える。
 筆者は頭の中の空想の世界でいくらでも遊べてしまうこの自分の想像力に、これまでどれだけ助けられて来たかわからない。

 香山先生のように、自分のやりたい仕事に就け、そしてその世界で成果もあげている“成功者”は限られている。
 しかし想像力は現実世界の勝ち負けに関係なく、人間にのみ、誰にでも公平に与えられている。この無料で頭の中に無限に広がる想像の世界を活用しないなど、勿体ない話ではないか。

 確かに本やマンガを読んだり、映画を見たりゲームをプレイするにはお金が必要だ。
 しかし新刊にこだわりさえしなければ、本やマンガは古本屋でかなり安く買える。ブックオフでは一冊108円の本がたくさんあるし、筆者の近所の古本屋では時々セールで5冊百円で売っている。
 映画もTUTAYA等で旧作を借りてくれば、劇場で見るのとは比較にならないほど安く見られる。
 ゲームも課金が必要なネトゲはせず、何万円もする新しいハードや何千円もする新作も買わずに、プレステ2などで中古のソフトをやり続けていれば、安い値段でかなり長時間楽しめる。
 新しいものにこだわらない。
 そして安い物の中から掘り出し物を探し出す、手間と暇を惜しまない。
 それさえ心掛ければ、持ち金がかなり少なくてもかなり楽しめるものだ。

 そして小説もマンガも映画もゲームも、ただ読み切ったり、見終わったりクリアしただけでは終わりにしない。
 そこからいろいろ想像してみるのだ、「もし自分が主人公だったら、どうしただろう?」とか、「あの場面で違う行動を取っていたら、こんな未来が開けたのではないか?」とかね。
 そうして読み終えた(見終えた、あるいはプレイし終えた)ストーリーを頭の中で反芻しながら、自分なりにいろいろ想像してみれば、その後もかなり長く楽しめる。

 香山先生の言うように、自分の人生を自分で決めて切り開き、仕事で成果を出す事に人として生きている喜びを見出すのではなく、自分の想像の世界に生きている楽しみを求めるのは、はっきり言って“敗者の逃避”かも知れない。
 だが頑張りさえすれば誰もが香山先生のように、人生の勝者になり、現実の世界で目に見える成果をあげてそれに喜びを感じられるわけではないのだ。
 と言うより、むしろ頑張っても報われずに足掻いて苦しんでいる人の方が多いのが現実ではないだろうか。
 そしてそうした頑張りが成果に結びついていない者たちには、自分の想像の世界で遊ぶ事がかなりの救いになるのだ。
 少なくとも筆者は、多くの小説やマンガや映画やゲームと、それらが与えてくれた架空の世界に大いに救われてきた。そしてその世界を脳内に取り込み、反芻して遊ぶことの出来る自分の想像力(妄想力?)にも。
 だから筆者は大の猫好きだが、本もマンガも読めず、映画も見られずゲームも出来ない猫になりたいとは思わない。

 猫だけでなく、鳥や魚などになりたいと思うには、筆者は少しばかり想像力と余計な知識があり過ぎるようだ。
 例えば猫など、幸せな生涯を過ごせるかどうかは、本当に飼い主次第だからねえ。
 身勝手な飼い方をした挙げ句に、飽きたら邪魔にして、保健所送りにしたり捨てたりしてしまうような人間もいるし。
 そして猫を虐待して殺す人も後を絶たないし、現実には愛され安心してのんびり寝て暮らせる猫ばかりじゃないんだよね。

 と言うと、「人間だって親を選べないし、虐待もイジメもあるし、殺人事件の被害者になる事だってあるじゃないか」と反論されそうだけどね。
 ただ人間の場合、いわゆる“毒親”に育てられようが、学校でイジメに遭おうが、大人になれば社会に出て自力で生きて行く事が出来る。
 けどそれに比べて猫は、良い飼い主に巡り会えなければ野良か虐待か保健所で殺処分だからね。

 今の猫は、大切に飼われている家猫なら平均15年くらい生きるのだそうだ。
 けど野良猫の平均寿命は、だいたい4年くらいなんだって。
 4年と15年だよ!
 その差を考えれば、野良で生きることが猫にとっていかに過酷か、想像がつくのではないかな。とても「自由で良い」などと言えるものではないよ。

 鳥や魚もさ、自由だなんてとても言えるものじゃないよ。
 空も海も天敵だらけで、鳥も魚も食われぬよういつも緊張して生きているのが現実なんだよね。天敵の食う方だって、獲物をとれなければ自分が飢えて死んでしまうわけでさ。
 で、鳥も魚も厳しい食物連鎖の中で、食って食われて生きていて、とても「空や海でゆったりしている」わけじゃないんだよね。

 だから猫や鳥や魚などではなく、人間でいるのが一番マシなのではないかと筆者は思う。
 まあ、ISの支配地などの内戦が続いている国や、南アジアやアフリカなどの極貧国や北朝鮮などに生まれてしまえば、そうとも言い切れないかも知れないけどね。
 ただ少なくとも日本や欧米などの先進国では、猫や鳥や魚などより人間でいるのが良いと思う。

 それにしても、香山先生に「天敵に食われちゃうかも知れないよ」と問われても「それでもいいです、仕方ないので気にしません」って、その大学生たちは生きる希望が無さ過ぎと言うだけでなく、想像力も無さ過ぎだよ。
 だって、本当に食われちゃうんだよ?
 それもキチンとトドメを刺してから食ってくれるならともかく、生きたままバリバリ食っちゃう場合も少なくないしね。あと、魚など丸飲みにして胃液で溶かしちゃうのも少なくないし。
 そういう食われ方をリアルに想像したら、「天敵に食われても仕方ない」なんて、とても言えないと思うけどな。

 でも、今の大学生ってそんなに忙しいのかな?
 だって、講義や課題だけで目が回るくらい忙しいなら、サークルやバイトは辞めちゃえばいいだけじゃん。
 ま、学費や生活費の為にバイトは辞められない場合もあるだろうけど、それならサークルだけでも辞めるべきでしょ。バイトも、長い夏休みや春休みに集中してやるようにする、とかね。
 サークルやバイトでは先輩に叱られて緊張の連続、そして友人との付き合いにも何かと気を使う……って、そんなこと言ってるようじゃ「就職して上司や同僚たちとどう付き合って行くんだよ?」って心配になって来るね。

 大学時代、筆者にはつきたい職業があって、その為にすごく頑張ってた。バイトもいっぱいしたし、充実していたけれど暇なんて本当に無かったね。
 だから夢を実現する為の時間とお金を作る為に、不必要と思えるものは切り捨ててもきたよ。
 友達付き合いはちゃんとしたし、友達が悩んでいる時にはできるだけの手助けもした。
 ただ仲間内での飲み会とか麻雀とかについては、筆者には時間とお金の無駄としか思えなかった。そんなカネと暇があるなら、自分の夢の実現の為に使いたかったんだ。
 で、飲み会と麻雀の誘いを断っているうち、筆者の仲間内での評判はかなーり悪くなってマシタ。ただ自分勝手というだけでなく、「皆の価値観を否定して、皆をバカにしてる」ってさ。
 真面目な相談事にはきちんと付き合っても、飲み会と麻雀に付き合わないとコレだよ。だから筆者は、時々心の中で「人間ってバカばかりだな」って思ってしまうのだ。

 それでも自分の大学時代は充実していたと、今でも言える。夢を実現する為に本当に頑張ったし、その為に多くの“友人”を失ったのは仕方のない事と割り切ってる。
 と言うか、自分のやりたい事の為に頑張っていてもまだ友達でいてくれた一握りの友人たちこそ真の友で、酒や麻雀とかでいつも群れてないと友情を保てないような“友達”など、居なくても良い不要な存在だと今ならわかるし。

 だから今の大学生たちが、講義と課題をこなし、サークルもバイトもして、先輩にも友達にも気を使って「目が回るほど忙しくて疲れ切ってる」って、「当たり前だよ、バカ野郎」って感じだよ。
 自分にとって最も大切なものは何かをしっかり見定め、優先順位をつけて下位のものは切り捨てなきゃダメなんだよ。
 自分にとって一番大切なのは、大学での勉強なのか、サークル活動なのか、それとも友人関係なのか。そのあたりを自分なりに見極めて、優先順位をつけ大切とは思えないものは手を抜く(ダメでも気にしない)だけで、時間にも気持ちにもゆとりが出来てかなり楽になるんだけどね。

 社会に出てからもそれは同じで、全部を上手くこなそうとするのではなく、優先順位をつけて大事なものにまず取り組み、その為には他の何かを捨てて諦める覚悟も必要だと思う。
 一日は24時間で一年は365日、そして個人の力は限られているのだから、「仕事も趣味も家事も、何もかも完璧に」ってのは最初から無理なんだよね。超優秀な、数少ないエリート様でもない限りは。
 だから大切なものだけ出来れば良しとして、それ以外のモノは捨てる覚悟が必要だし、それができると生きるのがかなり楽になるよ。

 でも、香山先生が診た高校生に、本気で「人生の楽しい事はだいたいすべて経験しちゃったと思います。あとはつまらない事だけ」と言い切れる子がいるとはね。
 そして香山先生もまた、「時々、中学生くらいに戻れたらいいな、などと空想する事もある」とそのコラムに書いていたけれど。
 そーかなー、中高校生の頃って、そんなに楽しかったかなー、むしろ厭な事の方が多かったのでは……と筆者などは思ってしまった。
 筆者は数学と英語は大嫌いだったし、不器用だったから音楽や技術家庭も苦手だったし、生まれつき病弱だった身には体育の授業も辛かった。
 逆に得意な社会科と国語は自分の勉強の方が進んでしまっていたので、授業が暇で仕方なかった。
 それに授業がどうこう言う前に、生まれつき猫的な性質で集団行動が苦手な筆者には、学校生活そのものが苦痛だった。
 一斉に同じ授業を受け、同じ行事をこなす学校生活よりも、むしろ任された仕事に一人で取り組む社会人になってからの生活の方が楽だったくらいだよ。

 だからもし魔法使いか何かに、「もう一度、中学生か高校生に戻してやろうか?」と言われたとしたら、筆者なら断固断るね。
 今の大人としての知識と経験をそのままに、中学生(または高校生)からやり直させてくれる……というのなら、少しは心を動かされないでもないけれど。
 ただ中高校生の頃の筆者自身の事を考えると、人格見識共に未熟で本当に恥ずかしい事ばかりして来たので、「あの時代の自分になど戻りたくなんかない」と胸を張って(?)言えるね。

 学生時代には、よく「社会人になったら働きづめで辛いだけ」みたいに思いがちだけど。
 でも社会人が辛いかどうかなんて、実際になってみないとわからないって。
 そりゃあブラック企業に勤めてしまえば辛くてたまらないけれど、職場の空気が良くて上司や同僚に善い人が多いと、学生時代よりずっと楽しいし。

 筆者の経験で言えば、職場は仕事の内容より“人”だね。
 仕事が望んでいた職種と違っていても、職場の人が良ければ楽しく働ける。
 でもいくら望んでいた職種でも、上司や同僚に厭な人が多いと本当に苦痛だし、場合によっては心を病んでしまう場合もある。
 そしてその職場の人達が良いかどうかなんて、本当に運でしかないからねえ。「自分の人生を自分で決めて切り開け」なんて言われても、職場に厭な人間が、それも上司に複数いたりすると、本当に人生が詰まったような感じになっちゃう。

 でも、ま、たいていの職場には異動や転勤があるから、それをじっと待つしかないのだけれどね。
 厭な奴は学校生活でも悩みの種だけれど、それでもクラス替えもあるし、卒業してしまえば完全に縁を切る事も出来る。
 人は、自分の人生を自分で決めて切り開いて、やりたかった仕事で成果を出せるような有能で強い人ばかりじゃないからね。
 むしろ辛い仕事(授業)や、厭な上司や同僚(教師や同級生)に耐えながら日々を過ごしている人の方が多いのではないかと思う。
 そしてそうした日々に耐える力を与えてくれるのが、一時の逃避に過ぎないのかも知れないけれど想像力ではないかと思う。

 小説やマンガや映画やゲームは、多量の飲酒や賭事や風俗などと違って、誰にも迷惑をかけることなく、脳内に無限に広がる空想の世界で遊び、日々の辛さを忘れることができる。
 猫や鳥や魚などに生まれ変わるより、飲む・打つ・買うに溺れるより、人間にしかない想像力を生かして日々を楽しむ方がより楽しいのではないかと思うが、どうだろうか。

 無論、脳内の想像の世界で遊ぶより、現実世界の仕事や勉強で成果をあげる事を考える方が前向きで立派なのだろうけど。
 でもそうして自分のやりたい仕事に就いて成果もあげられ、自分の人生を自分で決めて切り開いて行ける人なんて、実際にはごく一部の人でしかないよね。
 で、現実世界で勝者になれない大半の人の心を救えるのが、想像力なのではないかと筆者は考えるわけデス。

 小説や映画はともかく、マンガやゲームと言うとオタクとバカにされがちだよね。
 けど筆者はマンガやゲームも立派な文化で良い作品は沢山あると思うし、少なくともお酒や賭事や風俗に溺れて憂さを晴らすよりずっと良いと思う。
 本だけでなくマンガも読むしゲームも好きだし、ミリタリー系の知識もかなりあったりして、筆者も「オタク」と呼ばれる一人デス。
 でも他人にどう見られようと、「オタクですが、それが何か?」と完全に居直って、脳内に広がる想像の世界で遊ぶ事を楽しんで生きているのでありマス。

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