空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

幼なじみ⑨・ギャルゲーのレビューがアテにならない理由

 黒沢の私見では、『インタールード』はかなりの良作だと思うんだけどな。実際、プレイしたゲームが三桁を軽く越えてしまったダメ人間黒沢が、すべてのエンディングを見るまで睡眠時間を削って毎晩やり続けたくらい、このゲームに没頭しちゃったし。
 でもこのゲーム、ゲームレビューではホントに叩かれまくりなんだよね。ただタマが不評ってだけでなく、「文章が下手、シナリオライターは文章を勉強し直して出直せ」という声まであるくらいでさ。
 違うって、小さい頃から本が友達だった黒沢に言わせれば、インタールード』のシナリオライターは決して文が下手ではないよ。ただ世界観が難解なのと、そのわかりにくい設定を全部説明し切れていないだけの話でさ。
 確かに完全クリア後にも、「え、アレって結局どーゆーコトだったの?」というスッキリしないものは残るよ。けど巷に溢れてるダメなラノベを読んだりクソゲーをやった後のような、「何だよこの文章、中学生の作文レベルじゃねーか」って感じのイライラ感は無かったな。

 平凡ながらそれなりに楽しい日常を過ごしているのだけれど、それは卵の殻みたいに脆く危ういもので、実はすぐ隣に、もう一つの別の世界(パラレルワールド)があるのではないか。
 または今のこの瞬間の日常も、もしかしたらキミの知らない別の誰かが見ている“夢”なんじゃないか。そんな深く考え過ぎるとちょっと怖くなるようなコトを題材にしたゲームなんだよね、この『インタールード』って。
 ただ夢と現実が混ざり合った混沌とした世界を描いているだけに、どれが現実で何が夢なのかわかりにくくて、プレイヤーも混乱させられがちなんだよね。しかもその世界を動かしている“パンドラ計画”とやらがどんなものかも、最後までキチッと説明されないままだし。
 繰り返し言うけれど、『インタールード』の文章は決して下手ではないし、むしろ他のゲームの方がずっとヒドい文をタレ流しているくらいだよ。ただテーマが難解で、謎を謎のまま残して説明し切れてない……ってだけのことでさ。

 例えば童話に、幼児にはとても理解できない難しい話を書いちゃったら、「誰が読むのかよく考えて、文章の書き方を勉強し直せ」って言われても仕方ないと思うけどさ。でも「中身が難解」ってのと「文章が下手」ってのは、まるで違うことだと思うけどなー。
 何かさ、ゲームに限らず小説やマンガなどの素人のレビューを見ていると、自分の頭で理解できないことを書かれると、「文章がヘタ!」って怒る人が少なくないような気がするよ。「自分の頭がワルいのかも」って疑うんじゃなくてさ。
 そーゆー連中の思考法で言うと、深遠な思想を説いた哲学書や相対性原理などの科学書とかが理解できないのも、「オレの頭がワルい」んじゃなくて「書いた学者の文章がヘタ!」なんだろうね、きっと。

『インタールード』に限らず、一般ユーザーが書き込んだネットのゲームレビューには「シナリオの文章が下手!」って叩かれてるものが幾つもあるけどさ。でもそのゲームを実際にプレイしてみると、「え? 文章は別に下手でもないし、間違ってもないけれど」って事が案外多いよ。
 そのくせ中学生の作文レベル(あるいは二流のラノベかケータイ小説レベル)の拙い文章で、クドい説明とわざとらしい台詞をたどたどしく書き連ねた、本当に下手な文章のゲームに限って、「文章が下手」って批判がナゼか寄せられて無いんだよね。
 黒沢は思うんだけど、文章を読み慣れている人とそうでない人とでは、「良い文章」って判断基準がまるで違うような気がするよ。
 例えばかなりの長文にもかかわらず、この黒沢の駄文に付き合って下さっているような人達の多くは、きっと「ケータイ小説なんか、読むに耐えない」って思っている層ではないかと推察シマス。
 でも「マンガの台詞以外、活字なんて読みたくでもナイ」って層には、ケータイ小説のような文章こそ良い文章で、キチンと書かれた長文は読むのも苦痛なんだろうと思う。

 実は黒沢は、ツイッターってやってないんだ。だって自分の思いは、百四十字ではちゃんと伝え切れないと思うから。

 黒沢は何年か前に青森県を旅行した時、八戸の『三笠』って日本料理の店に立ち寄ってさ。そこの定食がメチャ豪華で旨くて、しかもお値段は手頃でと、それはもう感動ものの夕食を満喫したよ。
 御飯に味噌汁と香の物の他、刺身は新鮮な鮪と烏賊、天麩羅は海老にシシトウ、鯖と貝の酢の物に塩辛、茶碗蒸し、煮物、そして心太と、大きなお盆にいっぱい料理が並べられているワケ。
 何たって八戸だよ? 鮪も烏賊も採れたての直送品だから、ただ旨いなんて言葉じゃ表現できるようなものじゃなくて。そしてまた、店主の親父さんが目の前で揚げてくれた天麩羅が絶品なんだ。
 ネタが良いのはもちろんのこと、口の中が切れるんじゃないかと思うほど衣が軽くサクっとしてね。もう、東京の天麩羅の専門店でも味わえなかったほどの仕上がりだったよ。
 ここの料理が旨いのも当たり前でさ、三笠の親父さんって、青森県日本料理協会の副会長さんだったんだよね。その親父さんの調理で、刺身と天麩羅の他に酢の物煮物、茶碗蒸しと塩辛に心太までつく豪華版で、値段は千九百八十円(当時)だったよ。
 ……これをツイッターで言うとしたら、どうなると思う? 「八戸の三笠で夕食、メチャ豪華ですげー旨かった」ってトコだよね。

 例えば戦争に反対かどうかも、「原則反対だけれど、これこれこういう場合にはやむを得ないと思う」という意見を、百四十字や三行で書くなんてとても無理だと、黒沢は思うゾ。
 安倍政権や例の橋下サンと維新の会についても、支持するか反対かは言えるけど、「なぜそう思うか?」は百四十字や三行じゃ言えないじゃん? 言えてもせいぜい、「○○サンなら、きっと日本を変えて良くしてくれる!」か「ヤツは日本のヒトラーだ」みたいな、聞き飽きたスローガンのような、独りよがりな決めつけくらいでしょ?
 論拠を挙げて意見を正しく伝えるには、百四十字や三行では絶対ムリだよ。

 こんな話を聞いた事があって。
 ドイツ人は答えそのものより「その答えに至るまでの論理の過程」を大事にしていて、だから数学の問題でさえ、文章で答えさせるものが出てくるくらい、考える過程を大切にする。けれど日本人は一足飛びに答えだけ知りたがって、だから「何故なのか?」と問われるとシドロモドロになるのだとか。
 黒沢もドイツ人と全く同じで、結論より「なぜそう思うに至ったのか?」っていう過程の方が、ずっと大切だと思う。
 だからただ「八戸の『三笠』の定食、チョー旨かった!」ってツイートするより、どう旨かったのかを説明する方が大切だと思うし。
 安倍政権でも改憲問題でも原発の問題でも、黒沢は賛成か反対かより、まず「そう考える理由と根拠」が知りたいし、自分が意見を言う時にもそこを語りたいワケ。

 でも百四十字や三行で言える事って、結局自分の中の結論や感情だけじゃん。例の「お前ン中では、その通りなんだろうな」ってレベルのね。
 社会の難しい問題はもちろん、どこの店の料理が美味しいみたいな事でさえ、その店を既に知っている人か、キミ自身に共感している仲間にしか伝えられないのが現実でさ。
 まーね、見ず知らずの誰かから「旨かった」って聞いただけで、すぐ「そーなのか、よしオレも行ってみよう」って思っちゃうオッチョコチョイな人も、世の中には少なくないのも事実だけど。
 自分の感覚や感情が人類共通のモノ、って思えちゃうシアワセな人達はさ、「××屋のカツカレー、超ウマかった、超おススメ」とか「今の日本を救えるのは、○○サンしかイナイ!」程度の発信で、充分わかり合えてつながり合えるんだろうけど。
 で、その個人的な感情や、説明抜きの結論に共感する者だけ寄り集まって、共感しない人達とは不毛な罵倒のし合いになっちゃう。
 でも黒沢は、「考え方も感情も、人それぞれ違うモノ」って思ってるからさ。充分な説明のない一方的な主張は、「個人的な意見や感情の押しつけ」としか思えないのだよ。

 まあね、「東日本大震災の時に、ツイッターが大いに役立った」とか、プラスの情報もいろいろ聞いてはいるよ。
 けど黒沢がツイッターを始めたとしても、「たった百四十字だけでは、気持ちや理由をちゃんと説明できずに無用な誤解を招くだけ」ってわかってるから。だからツイッターには、当面手を出すつもりになれないんだ。

 たださー、日本人には「説明なんて要らない、結論だけ言え」って人、案外多いからね。込み入った事情を説明しようとしても、すぐ「三行で」って遮っちゃう人も少なくないし。
 って言うか、文章って書くだけでなくただ読むにも、それ相応の“慣れ”が必要なんだよね。
 だから活字はマンガのセリフかケータイ小説くらいしか読んでない人には、情感も込め細かくいろいろ描写した文章は「ヘタな、ウザい文章」に思えちゃうし。逆に文章を読み慣れた人には、ケータイ小説やラノベを読むのは苦痛だし。
 で、その人の文章を書いたり読んだするスキルによって、「文章がヘタ」って意味がものすごく違ってくるんだなぁ……って、ネットのゲームレビューを見てつくづく思わされたよ。
 ゲームレビューだけでなく小説のレビューを覗いてみても、同じ小説について「息もつかせぬ展開で、とても面白かった」と書かれていたり、「時代がかった文体で、読むのに疲れた」と書かれていたりもするしね。
 有料の媒体に書いているプロのライター達は、ある程度の知識も文章力もあるけれど。でもネットにレビューを書くのに資格は要らないし、編集者のチェックもないから、当然書き手のレベルもいろいろになっちゃうワケで。
 だから同じゲームについて「コレはもはや神ゲーの域に達しています」と書かれていたり、「とんでもないクソゲーです、タダでもプレイするだけ時間のムダ」と書かれていたりしても何の不思議もないし、そしてそのどちらも信用できないんだよね。

 ネットにちょっと詳しい人には、「そんなの当たり前だろアホが」って怒られちゃいそうだけど。
 でもゲームに限らず、家電製品でも何でも詳しくない(知らない)からこそ、ネットのレビューを見て頼っちゃうワケでさ。そういう“元々詳しくない人”にレビュアーの知識のレベルを見抜けなんて、ちょっと無理な注文のような気もするけれどな。
 それにそもそも、書いたレビュアーの知識が深いか浅いかを見抜けるくらいの人なら、ネット上の素人のレビューなんて、わざわざ見て参考にしようとは思わないだろうし。

 黒沢もいろんなゲームをやって、そしてゲームレビューのサイトや個人のブログをいろいろ覗いてみて、「他人のレビューって、アテになんねーなー」と思う事が多いよ。
 って言うか、むしろその方が多すぎるくらい。
 黒沢は写真を撮るのが好きで、だからカメラ関係のレビューやブログもよく覗いてるんだけど。でもこちらのレビューは案外納得できると言うか、参考になったと思えた事も少なくないよ。
 けどゲームのレビューに関しては、「それは違うダロ」って思う事が多すぎるんだよね。
 それは多分、レビューを寄せたりブログを書いたりしちゃう熱心なゲーマーの多くが、主に二次のセカイでのみ恋愛していて、リアルな恋愛の経験も少なく現実の女性もよく知ってないからじゃないかな。
 カメラやレンズについてのレビューはね、撮っている量や経験の差はどうあれ、少なくとも自分で撮ってみた上でモノを言っているワケだけど。
 でも恋愛ゲームのレビューでは、生身の女性にまるで縁の無かった人が、恋愛論や女性論を語っちゃってるワケでさ。
 何て言うんだろう、「彼女いない歴=実年齢」のヒトの恋愛観や女性観って、黒沢のようにリアルの世界での女の子との付き合いも普通よりちょっと多いくらあった者から見ると、「ちょっと違うなー」って部分が多くあり過ぎちゃうんだよね。
 で、ギャルゲーのハードなユーザーって、その恋愛経験ナシに恋愛や理想の女性像を語っちゃうヒトが多いから、ネットに寄せられるゲームレビューも妙なモノばかりになっちゃうんだろうね。

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