空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

幼なじみ⑩・女の子に呼び捨てはダメ!

 幾人もの女性とお付き合いはしたものの、黒沢は結局イイ年になった今も独身でいて、現実の女性には少なからぬ失望と幻滅を抱いていてさ。その点では黒沢も、二次のセカイを愛するオタク達と同じようなものだと思う。
 ただそれに至るまでの過程が、「彼女いない歴=実年齢」の魔法使いwや魔法使い予備軍のヒト達とはかなり違うんだよ。
 例えば「戦争はイヤだ!」って言うにしても、本で知識をかじっただけの若造がそう言うのと、過酷な戦場で実際に戦ってきた元兵士が言うのでは、その意味がまるで違うでしょ?

 ざっくり言えばさ、ギャルゲーマーの多くは、実際の戦場に出たこともなく、戦記モノの本を読んだり戦争映画を見ただけで、戦争をわかったつもりになっちゃってるマニアみたいなもので。
 そして黒沢は、実際に恋愛の戦場に志願兵として自ら出て、時には良い目も見たけれど、結果としてはボッコボコにされて戻って来た敗軍の老兵なんだよ。
 で、その敗残の老兵からすればさ、「それは実際とは全然違うゾ!」とか「美化し過ぎで笑っちまうね」とかツッコミたい部分がテンコ盛りなんだよね、多くのギャルゲーって。

 いや、まだ恋愛や女の子に夢を抱いてる、人として男として発展途上の若い層を狙って、意図的に甘口なテイストに作るのは理解できるんだよ。現実に恋愛経験もあって女性という生き物についてもそれなりにわかってて、その上で対象を考えてあえて“若向き”にライトに作る……ってのはね。
 でもさ、「制作者ドモ、オマエら恋愛経験マジで無いし、オンナも知らないダロ?」って思えちゃうようなシナリオやキャラ設定には、何かすごくハラが立っちゃうんだよねー。
 詳しくはまた別の機会に話すけど、例えば「女の子って、男に呼び捨てにされたがるものだ」みたいな主人公の台詞が、ごく当たり前のコトとしてスラッと出て来るようなクソゲーとか。
 学校でもモテモテの美少女が、特に取り柄もない平凡な(と言うより、ネボスケでヘタレでだらしないダメ人間の)主人公にメイドさんのように尽くしまくって、挙げ句に「呼び捨てにされたい」とか、リアル感がなさ過ぎて「アホとちゃうかー!」と叫びたくなっちゃうよ。

 男女同権の名を借りた昨今の“女尊男卑”には、実はかなりアタマに来てる黒沢だけどさ。
 それでも「女は男に尽くしたい生き物で、呼び捨てにされると嬉しい」とか、どう考えても人として対等に見て無いじゃん。
 ソレがギャルゲーマーの、理想の恋愛&女性像なのかも知れないけど。でも本当にそうなのだとしたら、「夢は寝ている時にだけ見ろ!」って言いたいね。
 アキバのメイドさんだって、お店という場で少なからぬおカネを払ってるからこそ、愛想良くお仕えしてくれるんであってさ。

 ギャルゲーの中にも下手な小説以上に感動できる良い作品があることも知っているし、ただ「ギャルゲーだから」って馬鹿にして欲しくないと思ってる黒沢だけど。
 実際、「恋愛経験のある大人でも充分に楽しめる、良いギャルゲーだっていっぱいあるコトを知ってほしい」って思ったのも、このブログを書き始めた大きな理由の一つだし。
 けどね。「こんなのやって喜んでるなんて、ギャルゲーする奴ってホント馬鹿じゃね?」と笑われても仕方のないような、クソみたいなギャルゲーが数多くあることも、確かに事実なんだよね。

 両手の指の数以上の女の子と付き合ってきた者としてハッキリ言うけれど、「あたしを呼び捨てにして」って望んだコ、マジでたった一人しかいなかったゾ。しかもその子は、同時に黒沢のことも呼び捨てにし始めたし。
 ちなみにその子は、黒沢より幾つも年下だったんだけどな。うん、それでも黒沢を「いつきぃ~」って呼び捨てにしてたよ。

 相手を呼び捨てにするのは、親しみの証拠。そう思う人達が一定数存在するのは事実だよ。
 けどもし本当にそう思うなら、相手にも自分を呼び捨てにさせなきゃおかしいよね? 黒沢に呼び捨てにされたがった例の年下の子には、黒沢も呼び捨てにされても許したように。
 けどおかしなコトに、多くのギャルゲーではそうではないんだな。
 主人公は彼女を当たり前のように呼び捨てにして、彼女の方もそれを喜んでる。けど彼女は相変わらず、主人公を「××クン」とか「○○さん」って呼び続けてる……ってのが、ギャルゲーの世界では何か当たり前になっちゃってるんだよ。
 これって、絶対おかしいよね?
 呼び捨ては親しさの現れで、女の子は男に呼び捨てにされたい。でも女が男を呼び捨てにするのは、女のくせに失礼でナマイキ……みたいなの。
「俺はオマエを呼び捨てにするけど、女のオマエは○○さんと呼べ」とか、いったい何様だっての
 ……まあ、一部のオトコにとってはそれが、「男を立てる」ってコトらしいけどさ。そう考えてみるとホント下らないよね、「男を立てる」って。

「彼女いない歴=実年齢」のギャルゲーマーのロマンwは脇に置いておいて、現実の話をしようか。
 例の主人公がしたり顔で「女の子って、男に呼び捨てにされたがるよね」とほざいたクソゲーの話と違って、彼氏に呼び捨てにされたい女の人、実際にはかなり少ないから。
 彼氏に呼び捨てにされて喜ぶのは、「ワタシは貴男のモノよ」って感覚に浸りたい、マゾ的な傾向のある女の子だけなんだ。
 自分ってものがちゃんとあって、彼氏ができても自分らしく生きたい女の人は、呼び捨てにされるのを嫌うよ。
 って言うか、基本的に女の人には、呼び捨てって不評だよ。特にプライドの高い女の人は、気安く「オイ、○○!」とか呼び捨てにされると、気を悪くすると言うか傷ついちゃうよ。
「アナタ何様? ワタシを所有物(モノ)扱いするつもり?」って。

 そりゃあ昔の女の人は、「ワタシは貴男のモノ」で呼び捨てにされて当たり前と思ってただろうけど。
 でも今は、家夫長制度の大日本帝国憲法の時代じゃないんだよ? 男女同権の民主主義の世の中で、モノ扱いされたくない自分のある女の人も大勢いるんだから。
 彼氏にも呼び捨てにされるのに抵抗がある女子が意外に多いのは、実際に黒沢が体験してきた事実だから。男を立ててくれる無料奉仕のメイドさんみたいな女の子を求める、ギャルゲーマー達の願望はどうあれ……ね。

 だって今は、親でさえ子供を呼び捨てにしてない家が少なくないでしょ? 自分の子供も「○○ちゃん」みたいに呼んでさ。
 だからそんな家で育った子からしたら、男に彼氏面されていきなり呼び捨てにされたら、「親にも呼び捨てにされたコト無いのに!」って傷ついちゃうワケで。
 実は黒沢も子供を呼び捨てにしない家で育って、だから人を呼び捨てにかることにも、「呼び捨ては親しさの証拠」って感覚にも、今もかなり抵抗あるんだ。何しろ「呼び捨てと親しさに、関係はまるでない」って、育つ過程で実際に体験してるんでね。
 だから彼女を呼び捨てにして良いかどうかは、実は意外にデリケートな問題を抱えてるんだ。
 ちゃんと自分があってプライドも高そうな子もそうだけど、その子の親が呼び捨てにして育ててない場合も、「オレの彼女なんだから」と気安く呼び捨てにしない方が利口だね。

 でも多くのギャルゲーでは、主人公に当たり前のようにヒロイン達を呼び捨てにさせてるんだよね。まるで「女は呼び捨てで当然」と、頭から信じ込んでるみたいに。
 で、ヒロイン達は相変わらず、男である主人公を呼び捨てにはせず「○○クン」か「××さん」と呼んでさ。
 そうしたゲームに出くわす度に、黒沢はシナリオライターに「オメーは恋愛を脳内でしかしたコトのないキモオタだろ、恋愛モノを書くなら、まずは生身の女とリアルな恋愛の二度や三度はしてみろや」って毒づいちゃうよ。
 まあね、それがギャルゲー好きのオタ君たちの願望なのかも知れないけれど。でもキミら、好きな可愛い彼女を何でそんなに呼び捨てにしたいかね?
 少なくとも黒沢は、大切な相手だからこそ呼び捨てでなく愛称等で呼びたいと思うよ。たとえ相手の女の子が年下でもね。
 そんな黒沢としては、「自分は呼び捨てだけど、相手の女の子に呼び捨てにされるのはイヤだとか、マジでバカなの? その程度の器で“男を立てろ”とかカッコ悪いよ」って感じだよ。

 それ以外にも、ギャルゲーやっててキャラ設定やシナリオに「……バカ?」って思ってしまうこと、イロイロあってね。
 商業的にウケを狙って「美人でボイン(←死語www)で優しくて家事も万能」みたいな理想のキャラを作っチャウのはね、好感は持てないけど理解もできるしまだ許せるんだ。
 でも『この青空に約束を』の羽山海巳とかの、「こんな女がもし現実にいたら、間違いなく地雷女だな」ってキャラを見ちゃうとね、たまらなく腹立たしくやり切れない気持ちになっちゃうよ。
 例えて言うならば、お花畑系の大河ドラマ(←某公共放送の『A姫』とか『G』とか)を見せられた歴史ファンみたいな……。
 しかもね、そのテの「リアルでの恋愛経験はゼロに近いだろ?」って感じのスタッフが作ったようなギャルゲーが、ネットのレビューではかなり評判良くて殆ど批判されていなかったりするものだから、黒沢の気分は暗く落ち込んで行く一方なのでありマスよ。
 もちろんギャルゲーの殆どがそーゆーダメダメなヤツばかり……ってわけじゃなくて、「小説や映画以上に感動できる、良いゲームもいっぱいある」ってわかってるさ。
 けど、いかにも「現実の恋愛は一度も経験してないオタが、願望と思い込みのみで作りました」って感じ丸出しの、リアルな恋を一度でもした人には鼻で笑われちゃうようなクソゲーのせいで、他に幾つもある良作ゲームまで一般の人達に偏見の目で見られてしまうのが、ものすごーく悔しいんだよ。

 例えばキミら、「時代劇や戦争映画にリアリティなど必要ない」って思うかい? ウソ臭い甘々の戦争の時代を描いてくれたあの連続テレビ小説『おひさま』でさえ、擁護する人達は「そもそもドラマはフィクションなんだから、時代考証なんか必要ナイ」って主張してたけど。
 そーゆー人達には、作家の浅田次郎さんが作品を書くにあたっての信念を語った、この言葉を聞いてほしいよ。

もちろん小説だから嘘なんだが、その嘘に最大限の責任を持たなければならない

 ギャルゲーの制作者ってさ、自分らが作った“ウソの恋愛”についての責任って、ゲームの売り上げ以外に何か感じてるのかなー、って時々思うよ。そのゲームが業界に与えたイメージ、とかさ。

 ゲーム、中でもギャルゲーっていうと、世間的には低く見られて馬鹿にされがちだよね。お店のレジに持って行くのに、ギャルゲーとAVとで「どっちが恥ずかしいかわからない」みたいな面もあるし。
 だってホラ、決して誉められはしないけど、AVは正常な成人男子なら買っても仕方ないこと……って面があるじゃん。けどギャルゲーは「こんなの買うなんてキモいんだよ、萌えブタめが!」みたいな見方をされたりするし。
 だから同好の士が集うゲーム専門店ならともかく、一般人も多くいるショップでは買うのもちょっと恥ずかしいくらいでさ。

 でもただ「萌えキャラを並べて、オタをカモにしよう!」ってのが見え見えの駄作だけじゃなく、ユーザーの心に訴えかける何かのある良作ゲームだって、ギャルゲーの中にも間違いなくあるんだよ。
 例えば『夢見師』とか『水月』とか『メモリーズ・オフ』シリーズとか、名作と言われるギャルゲーは凡百な小説や映画よりずっと感動できるし、作品としても上等だと思う。
 なのに世間的には、ギャルゲーって言うだけで「そんなのキモオタのもんだろーが」みたいに思われてるよね。そしてただ小説だからって、『失楽園』や『愛の流刑地』どころか、『恋空』や『DEEP LOVE』や『KAGEROU』とかの方が上等なもののように扱われてさ。そのあたりが、黒沢としてはとても悔しいんだよ。

 小説にも映画にもドラマにもアニメにもマンガにもそしてゲームにも、傑作もあれば駄作もある。それは当たり前の事で、「映画>テレビドラマ」とか「字で書いてある小説は、絵で描いてるマンガより知的で上等」とか、ジャンルに優劣の差はないと思う。
 文字を使うか絵を使うか音声付きの動画を使うか、ただ表現する手法が違うだけの話でさ。
 断っておくけれど黒沢は小学校低学年の頃から“本の虫”かつ活字中毒で、読書量はフツーの人より遙かに多いと思う。けど小説と同じくらい、マンガもゲームも大好きだよ。
 黒沢はギャルゲーも恋愛小説や恋愛映画などと同じ立派な作品と認めているからこそ、ギャルゲー全体の評価を下げるようなゲームを見ると、すごく腹が立ってしまうんだ。「こんなクソみたいなゲームがあるから、ギャルゲーが世間さまに認められねーんだよ」みたいな感じで。

 でもただ気に入らないモノを叩くだけでは、結果的にゲームそのもののイメージをより悪くしちゃうだけだよね。
 で、いわゆるオタクのギャルゲーマーだけでなく、恋愛の経験も実際にある普通の人にもきっと感動できる良作ゲームの紹介にも力を入れたいとも考えておりマス。
 繰り返すけれどギャルゲーも中身は恋愛小説や恋愛映画と全然変わらなくて、良い作品は「ただ萌えブタの願望を満たすためのもの」なんかでは決してナイからね!
 特に非オタの一般人にそのコトを是非わかってほしくて、黒沢は世の中の片隅でこんな駄文を書き続けているのでアリマス。

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