空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

眞澄の純米酒と、諏訪湖南岸の小さな酒屋の思い出

 もうかなり以前の、筆者がまだ体力も気力も充実していて、殆ど休まずに長距離をドライブしてもまるで平気だった頃の事だ。
 筆者はまだ夜も明けぬうちに家を出て、かなり遠くまで車を走らせて写真を撮りまくり、そしてまた夜遅くに家に帰り着くような事をよく繰り返していた。

 そんな調子で、一時期は長野県に繰り返し通った。
 乗鞍や安曇野や白馬や戸隠など、あちこちの景色を堪能し、そして各地の美術館も観て回った。
 ただ長野県を走って少し面倒だなと思うのが、諏訪湖の周辺を通過する事だった。
 諏訪湖の北岸の諏訪市から岡谷市までの間を通る国道20号線は、信号も多く踏み切りもあって、混雑しがちでスムーズに走れない事が少なくなかった。

 傍らには中央高速道路があるから、今なら躊躇わずにそちらを使う。
 だが当時は金が無く、しかし体力と気力はあったから、高速道路は極力使わずに、早起き(時には徹夜)をしてでも一般道を走り抜いて長距離ドライブをするのが常だった。
 しかしそれでも、混雑しがちで信号も多い国道20号線の諏訪湖のあたりを通るのは「面倒だな」と思っていた。

 そんな時に、諏訪地方出身の知人から「だったら諏訪湖の南側の県道を使うと良いよ」と教えていただいた。
 実際に走ってみると、その諏訪湖の南岸沿いを走る県道は、北岸を通る国道20号線よりずっと走りやすかった。
 諏訪湖の周辺は、人家は主に諏訪湖の北岸のさほど広くない平地に密集している。
 それに対し山が近くまで迫っていて、人家も比較的少ない県道沿いの南岸の方は、道も真っ直ぐで信号の数も交通量も少なく、国道20号線よりずっと走りやすかった。
 それで長野県に行き、諏訪市を通る時には、いつも諏訪湖の南側の県道を使うようにした。

 そのようにして間もない頃、日がすっかり落ちてから例の諏訪湖の南側の県道を通った時、道沿いにある一軒の酒屋の明かりがふと目に留まった。
 その頃の筆者は、地酒にかなり興味を持っていた。で、どこかに出かける度に、その土地の酒を買って帰っていた。
 だから明かりに引き寄せられる蛾か何かのように、車を止めてその酒屋に立ち寄ってみた。

 その酒屋は近代的な酒屋とはほど遠く、いかにも古めかしい木造の小さな店で、入り口の引き戸も桟も木で出来ていた。
 そして奥の畳の間からゆっくりと出て来た店の主もまた、どう見ても七十代、もしかしたら八十に手が届こうかというお爺さんだった。

 顔見知りの近所のお得意さんばかり相手にしているような、地域の小さなお店は、通りすがりの観光客には気詰まりで居心地も良くないことがよくある。
 しかしその酒屋の主のご老人は、通りすがりの一見の客である筆者を柔らかな笑顔で迎えてくれた。そして「何をお求めで?」と尋ねるでもなく、筆者が店内の商品を見て回るのを、笑顔のままゆっくり待っていてくれた。
 そして選んだ酒を買って店を出る時も、穏やかな笑顔で送ってくれた。

 筆者はその店を気に入って、長野県に行き例の諏訪湖の南岸の県道を通る度に、その小さな酒屋に立ち寄るようになった。
 そして何度か通ううちに、店の主人は筆者の顔を覚えてくれ、雑談もするようになった。

 マニュアル化されているチェーン店と違って、個人商店の空気や対応は、その店の主によって千差万別であるが。
「接客とは、なかなか難しいものである」と、つくづくと思わされる。
 店に入ると即座に「いらっしゃい!」と大声で迎えられ、じっくり品定めをする暇も与えずに寄って来られ、「何をお探しで? ご予算は?」などと尋ねられると、欲しいものが無くても何か買う事を強要されているような気がして居心地が悪くなってしまう。
 かと言って、殆ど空気扱いで笑顔ひとつ見せずに放っておかれるのもまた、あまり良い気分ではない。

 実際、観光地でない地方の個人商店ではよくあるのだ。チラリと一瞥して「顔見知りのお得意さまじゃねえな」と見切った後は「いらっしゃい」の一言もなく、店主は仏頂面のままただレジの向こうに突っ立っているような店が。
 そんな時には商品を急いで見て、欲しい物が無ければすぐさま退散し、あったら買いはするものの、「この店では二度と買うまい」と心の中で決意する。

 その点、例の諏訪湖の南岸の小さな酒屋のお爺さんは理想的だった。
 一見の客である筆者を「いらっしゃい」と笑顔で迎えた後は、余計なことは言わず、しかし笑顔のままゆっくり品物を見定めさせてくれた上で、気持ち良く送り出してくれた。
 それで諏訪を通る時にはその店に立ち寄るようになり、顔を覚えてもらった後は言葉を交わすようにもなったが、その店主との会話は売り手とお客と言うより、お酒に詳しい近所のお爺さんと酒談義をするような、ごく自然な感じだった。

 そこはただ店の主が好感の持てる方だというだけでなく、小さいながら地元の日本酒は意外に数多く揃えていた。
 ウイスキーやワインなどは見当たらず、ビールすらさてあったかどうかというくらいで、殆ど日本酒専門店という感じだった。
 しかもその日本酒も、CMをバンバン流しているような大手のものは置いてなく、地元の諏訪周辺のものばかりを多彩に取り揃えていた。
 諏訪の銘酒と言えばまず真澄だが、麗人舞姫その他の酒もいろいろそこで買う事ができた。確か隣の茅野市のダイヤ菊も置いてあったと思う。

 とは言え、その店に立ち寄るのは長野県まで写真撮影や美術館巡りに出かけた時のみだから、そう頻繁に行ったわけではない。
 しかも残念ながら筆者は少しの酒ですぐ酔ってしまう下戸のうちだから、立ち寄っても四合瓶の酒を一本か二本買う程度で、決して上得意と言えるような客では無かったが。
 それでも店主のお爺さんは筆者をちゃんと覚えていて、いつも温かい笑顔で迎えてくれた。

 そしてその店主のお爺さんは、筆者に決して自分から勧めて酒を売りつけようとはしなかった。
 いつもの穏やかな笑顔のまま筆者が酒を選ぶのをゆっくりと待ち、「これはどんな酒?」とか「これとあれはどう違うの?」とか尋ねると詳しく教えてくれるのが常だった。

 筆者は以前は、日本酒は大嫌いだった。
 反知性主義に染まった右翼たちが恥知らずにも「自衛の戦い」や「アジアを白人支配から解放する戦い」などと美化する、あの無謀で阿呆な太平洋戦争のおかげで米不足になり、以来、日本では酒にアルコールを混ぜ大量の水を加えて嵩増しし、そして薄まった味を糖類や酸味料などを添加して誤魔化す悪習が広まった。
 その酒を“三増酒”とも呼ぶが、アルコールと水などで本来の酒を三倍にも嵩増し出来るのだから、メーカーとしては美味い話だよね。
 だから戦後に日本が復興してむしろ「米余り」になった後も、アルコールと水による酒の嵩増しと糖類や酸味料などの添加は続けられた。

 旨いわけ無いだろ、アルコールと水で嵩増しした上に、その薄まった味を糖類や酸味料などで誤魔化したまがい物の酒が。
 以前の大手メーカーの日本酒は殆ど“それ”で、だから昔の日本酒は本当に酷い味だった。ただ酔っぱらう為に飲むものであって、その味や香りを楽しめるようなものでは無かったのだ。
 だから戦中戦後の物の無い時代に酒を飲み始めてその酷い味に慣れた者は別として、戦前のちゃんとした酒の味を知っている者や、世の中が豊かになってから酒を飲み始めた者たちの多くが日本酒にそっぽを向くようになった。

 で、主に若い世代の間で日本酒離れが進み、「これはいけない」と危機感を抱くようになったのが、地方の意欲ある酒蔵だった。
 実際、吟醸酒や純米酒を積極的に造って売り出したのは地方の意欲ある酒蔵で、大手のメーカーはコスト軽減と利益率の方を優先し、オートメーション化した大工場で少なからぬ量のアルコールなどを加えた安い酒を作り続けた。
 その現状は今でも大して変わらず、国内や世界で高い評価を受ける日本酒は、みな地方のあまり大きくない酒蔵で造られている。大メーカーは吟醸酒や純米酒も出してはいるものの、その評価はさして高くなく、主力商品は現在も大量に安く売られている紙パック入りの“アル添酒”だ。

 筆者は青森県を旅行した時に、箱絵に目をひかれて衝動買いした、青森県上北郡の桃川株式会社の『ねぶた純米酒』で、日本酒の旨さに目覚めた。地方の酒蔵が伝統を守って真面目に造った日本酒は、テレビCMで誰もがその名を知っているような大メーカーがアルコールなどあれこれ混ぜて作る怪しげな酒とは、味も香りもまるで別物だった。
 無論、地方の小さな酒蔵が造っている地酒すべてが旨いわけではない。しかし手を抜かずに真面目に高品質酒造りに取り組んでいる酒蔵の酒は、本当に旨いのだ。
 越乃寒梅や久保田や八海山などの、今では有名になり過ぎたような地酒でなくとも、地元の人々にしか名の知られていない酒の中にも旨い酒は本当にいろいろある。

 筆者は地酒に目覚めて日本酒を飲み始めた頃には、香りが良くスッキリとした味の淡麗辛口系の酒を好んだ。しかしいろいろ飲むうちに淡麗辛口ではやや物足りなくなり、スッキリした中にも味に深みと力強さのあるものが好きになってきた。
 で、例の諏訪湖の南岸の小さな酒屋で、店主のお爺さんといろいろ話しながら、山廃や生酛から濁り酒まで、いろいろな種類の日本酒を飲んでみた。
 そしてその酒屋にあった諏訪近辺の酒をあれこれ試した後で「真澄の純米酒が一番好きだ」と言ったら、店主のお爺さんはにっこりして、「離れて住んでいる息子が帰って来た時には、真澄の純米を一緒に飲むのだけれど、つい飲み過ぎて足腰が立たなくなってしまう」と、とても嬉しそうに話してくれた。

 その小さな酒屋に行くと、出て来るのはいつも同じお爺さんで、「息子さんも店の跡は継がないのだな」と、少し寂しく思った。
 そしてそれから暫く後にまたその店に寄ったところ、出て来たのは奥さんらしいお婆さんで、いつものお爺さんの姿は無かった。
 そしてお婆さんは殆ど無言で、と言うより不機嫌に近い空気をずっと放っていて、「ご主人はどうされました、お元気ですか?」と尋ねることすらはばかられる感じだった。
 で、例の真澄の純米酒を一本買って、そそくさと家路を急いでしまった。
 次にその店に立ち寄った時にも同じ事が繰り返されて、お爺さんの様子を聞くことも出来ないまま、その店に立ち寄る事すら止めてしまった。

 また、筆者は元々身体があまり強くないのだが、今では通院と薬の服用が欠かせない状態になってしまっている。
 それで車で遠出をする事もめっきり減り、長距離をドライブする時には財布をはたいてでも高速道路を使うようにしている。
 だから長野県に行く事があっても、いつも目的地の近くまで高速道路で行っていて、例の諏訪湖の南岸の県道すら、もう長いこと通っていない。
 そのため、あの古びた小さな酒屋が今もまだあるかどうかすらわからないでいる。

 その後、幸いな事に真澄は筆者の住む市の銘酒ばかり扱っている、こだわりの強い頑固一徹な店主(アル添の日本酒や、副原料入りのビール類は大嫌い)が経営する酒屋でも売っている事を知った。
 筆者は普段その店でスコッチを買っているが、年に一度か二度くらい、真澄の純米酒も買って飲んでいる。
 そして飲む度に改めて「旨い」と思い、同時にあの諏訪湖の南岸の小さな酒屋のお爺さんの、柔らかで穏やかな笑顔を思い出す。

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