空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

幼なじみ⑬・日本人ってマジで怖いデス

 えーと、今回は幼なじみについて話していた筈だよね。それが脱線を重ねまくってこんな長話になってしまって、自分でも呆れておりマス。
 この際、呆れついでに付け加えてしまうけれど、黒沢の幼なじみって、実はもう一人いたんだ。
 黒沢の保育所の頃の幼なじみがタカギさんとチカちゃんで、そしてマキちゃんと仲良くなったのは、正確には小学三年生の時のクラス替えで一緒になってからで。
 そのタカギさんとマキちゃんの間に、カナコちゃんって子がいたんだよ。幼なじみについて書き終わりかけた今頃になって、その子のことをようやく思い出してさ。
 と言うワケで、幼なじみについて語り始めたこの章、まだ終わらなくなってしまいまシタ。

 小学校に入って、保育所の頃に仲が良かったナカハシさんやチカちゃんとは、どちらとも違うクラスになってしまってさ。でも黒沢はすぐに、カナコちゃんって子と仲良くなって、遊ぶ時はいつも一緒だった気がする。
 それも学校の休み時間だけじゃなくて、一緒に下校してその後も一緒に遊んだりしたよ。

 そのカナコちゃんは身長は高い方なのだけれど大人しい子で、男子と一緒になって遊ぶというより、いつも黒沢や他の友達の後について来る……という感じでさ。
 あと、カナコちゃんは生まれつき色素の薄い子で、髪は天然の栗色だし、肌はもうすっごく白いんだよ。何しろ小学一年生だし、当時の黒沢は男だの女だのなんて殆ど何も意識して無かったけど、「可愛い子だな」ってのは、すごく感じていたよ。

 カナコちゃんみたいな天然の栗色の髪の子を、黒沢は身近で見てたから。そして一時期はプロの写真家を目指して、何人もの女の子を撮ったりもしていたからさ。だから染めた茶髪や金髪って、黒沢はどうしてもキレイと思えないし好きになれないんだ。
 髪を染める人達って、よく「白人の真似をしているんじゃない、これはファッションだ」って言うよね。だったらナゼ、その時にしたいファッションに応じて、ピンクとかブルーとかにも染めたりしないの……って思っちゃうよ。
 染めるのは茶系か金だけって、どう言い繕ったって白人の真似でしかないじゃん?
 それが多くの人達のフツーの感覚で常識なんだろうけどさ。でも「髪をピンクやブルーに染めるのはオタクのコスプレで恥ずかしくて、茶色や金に染めるのはファッションでカッコいい」っての、黒沢はどうにも納得が出来ないのだよ。
 それにさ、カナコちゃんがそうだったように、生まれついて茶髪の人って、肌の色もすごく白いんだよ。と言うか、「髪の色は肌の色より濃い」っての、人種を問わず人間のキホンなんだよね。肌の色より髪の色の方が明るいのは、まずお年を召した白髪の方だけだから。

 断っておくけれど、黒沢は「髪を染めちゃダメ」って言ってるワケじゃないよ。ただ黄色人種で特に色白でもない人が髪を茶や金に染めると、肌の色をくすませて、肌をより汚く見せる……って事は、頭に置いておいてほしいよ。
 黄色の肌に茶や金の髪って、どう見たってキレイと思えないデス、黒沢には。特に「肌も髪も茶色」ってヘンな感じだし、日焼けした肌に金髪とかホントに不自然だと思うよ。

 ま、今は黒髪も復活しつつあるようだけれど、少し前までは髪を染めずにいると「何で染めないんだよ、ダッセーな、黒い髪は重いダロ」みたいな空気があったじゃん? その時代のこと、黒沢は忘れてないからね。
 日本人ってさ、「多数派=正しい=イバる権利がある」みたいな感覚の人、すごく多いよね。髪だって、茶髪が流行るとすぐ「染めるのが常識で、黒髪のままなのはダサい」って空気になっちゃう
 そういう時、日本って国では決して「茶髪にするもしないも、個人の考え次第」って風にはならないんだよね。そして茶髪が多数派になると、茶髪の人達は染めない人を見下し始めて、世の中全体が「アナタは何で染めないの? オクレてるねー」って空気になってさ。
 で、それに対して染めない人が茶髪にする人に反論するのは許されなくて、「染めてるヒト=みんなに対するヒドい侮辱」ってコトになっちゃう
 日本のそういう個の無い(あるいは個の存在が許されない)全体主義的な部分、黒沢は大嫌いなんだよ。例の「空気を読め」とかいう風潮も、ハッキリ言って大嫌いだから。

 日本人って、ホントに“個”が存在しない民族だからね。大日本帝国の時代には「日本人サイコー、鬼畜米英!」なんて言ってたくせに、戦争に負けてアメリカさんが来てチョコレートを投げ与えられると、コロっとアメリカ大好きになっちゃう
 でさ、負けるまでは神がかりの超右翼だったくせに、一度負けたら皆で左翼になっちゃう
 黒沢が小さな頃にどんな教育を受けて来たか、ゆとり世代や今の“若いの”達には想像もできないだろうね。
 その一番笑える話、黒沢の小さい頃の『世界大百科辞典』には、当たり前のように「北朝鮮は社会主義体制のもとで工業化された進んだ国で、南の韓国は独裁体制の遅れた農業国です」って載ってたんだよ。いやギャグでも北朝鮮の辞典にそう書いてあったのでもなく、日本のエラい学者先生たちはマジでそう信じてたんだよ。

 今の若い衆には、とても信じられないだろうけど。ちょっと前の時代には、日本の学者や教師の九割までがサヨクだったんだよ。それに文化人(←特に良識派とかリベラルとか言われるヤツら)もほぼサヨクで、マスコミもそうした綺麗事と嘘で厚化粧した左翼思想をタレ流していたんだよ。

 センソーはアメリカと資本主義が起こすもので、共産主義の国は絶対にセンソーを仕掛けません。
 憲法九条があるからこそ、平和が守れるのです。どんな国の指導者にも理性は必ずあって、話せば必ずわかり合えますし戦争も避けられます。
 だからまず「戦争はイヤだ!」と叫ぶことが一番大事で、自衛隊は憲法違反だから廃止すべきです。
 汚職や不正が起きるのは資本主義体制だからで、社会主義や共産主義の国には腐敗はありません。
 資本主義体制はいずれ崩壊して社会主義が勝利し、全世界が共産主義になるのが歴史の必然でありマス。

 ……これが黒沢が子供の頃の日本の、少なくとも学者先生や文化人たちの“常識”だったんだよ。
 繰り返すけどギャグでも小説の中の話でもなくて、コレがちょっと前までの日本の姿だったのだよ。
 だから「アホか、戦争ハンタイって叫べば戦争が無くなるんだったら、病気になったら病気ハンタイって叫べば病気も治るわ。何のアヤしい宗教だよ? 悪いヤツは世の中に間違いなくいるし、国を守りたければ憲法九条も改正してちゃんと軍隊持つのが当然だろうが」なんて毒を吐いてた黒沢なんか、そりゃあもう大変だったデスよ。
「コチコチの右翼」って言われて、周囲の“頭が良くて良識的な人たち”からはもうヒトラー並みの扱いで叩かれまくってたからね。

 でも同じ「コチコチの右翼」でも、黒沢は何でヒトラー扱いで、日本の右翼と一緒にはされなかったか……って?
 それは黒沢が宗教も精神主義も大嫌いで、神の存在も奇跡も認めてないからだよ。天皇を現人神さまと本気で信じてる人の気持ちなどとても理解できないし、「根性と愛国心さえあれば、竹槍で戦車に勝てチャウし神風も吹くのだ!」とか信じてるヤツらは、反戦平和の妄想サヨク以上にキラいでさ。

 ヒトラーとナチは間違いなく“キチ”だったけど、それでも前線の兵士達には竹槍と精神論でなく、世界最強のティーガー重戦車とか世界初のジェット戦闘機とか、とてつもない新兵器を届けたからね。
 確かに前線に送ったその超強力な戦車の数は足りなかったけど、少なくともパンツァーファウストっていうスグレモノの対戦車ロケットも量産したしね。「爆弾抱えて敵戦車に体当たりせい!」とか、アルカイダやタリバンの自爆テロ顔負けの命令を平気で下す我が帝国の大本営とはワケが違うのだよ。

 特攻とかバンザイ突撃とかさ、「戦後の日本を支える筈だった貴重な若者たちを、ただ死に追いやるようなアホな作戦指揮をした」という一点だけでも、黒沢は旧日本軍の大本営の将軍どもはA級戦犯として死刑にして当然と思うゾ。
 こう言うと必ず、「命をかけてお国を守った英霊をブジョクするのか!」って怒り出す人達が居るんだよね。その種の理性よりも感情で動く人達の為に、面倒だけどあらかじめ言っておくね。
 黒沢が「アホだし死ぬべき」って言ってるのは、前線で死んだ兵士ではなく、ずっと後方の本土の安全な大本営で命令を出した将官どものことだから。そこを混同して、くれぐれも誤解しないで下サイませよ。

 話が何だか脱線しまくりだけれど、大切な事だと思うから、もう少し話させてほしい。
 かのゼロ戦だけでなく、彗星とか天山とか紫電改とか五式戦とか、旧日本軍の飛行機には名機がいろいろあるんだけれど、アメリカ兵にはその日本語の呼び名は解りにくいじゃん? だからアメリカ軍は日本軍の飛行機に、ジークだのフランクだのとアメリカ的な別名をつけて識別していたのだ。
 で、大戦末期に造られた日本軍の桜花って飛行機に、アメリカ軍はこんな別名をつけたワケよ。
 BAKA
 ビー・エー・ケー・エー、意味は文字通り“バカ”だよ。

 その桜花ってのは、特攻専用に開発された飛行機でさ、ゼロ戦やその他の旧型機を「都合により特攻に転用する」のとはわけが違うんだ。だからアメリカ軍は、その桜花にあえて日本語でバカという名を付けたワケ。
 でさ、戦後それを知った旧日本軍の航空機の設計製造に関わった人が、そのネーミングに激怒したんだよ。「祖国の為に命を散らした特攻隊員をブジョクするとは何事ダ!」ってさ。
 ……ホント心底BAKAだよね、その日本軍の飛行機の元設計製造関係者。

 だってアメリカ軍がバカと名付けたのは「乗るパイロットを死なせることを前提として造られた飛行機」の事であって、どう解釈しても「それに乗せられた特攻隊員」のことじゃないじゃん? 日本語すらまともに解らないなんて、「何てBAKAなの?」って呆れちゃうよ。
 って言うかさ、パイロットに死を強要する飛行機をBAKAと名付けるなんて、黒沢は「そのものズバリで言い得て妙じゃん」と思わず頷いちゃったくらいだよ。むしろ「軍用機の設計に関係した技術者なら、特攻専用機など開発した当時の日本と自分らをこそ恥じろよ」って言いたいね、黒沢は。

 いいかい、国の為に命を賭けること」と「国の為に死ねと強要すること」は、似ているようで全然別なんだよ。たとえ僅かでも生還する可能性があるのと、絶対に生きて還って来られないとわかっているのでは、その意味が全く違うから。
 ナチスドイツ軍は確かに邪悪だった、けど決して弱くも臆病でも無かったよね。多くの戦争映画などでも見る通り、ドイツ軍と言えば悪役の定番で、お約束で最後は結局負けるのだけど、その負ける時まで憎たらしいほど強いよね。
 その鬼のようなナチスドイツ軍の将軍たちでさえ、戦争中に「カミカゼのように死を強要するような真似をしたら、兵らの志気が一気に落ちる」と言っていたんだよ。骨になるまで戦え!」がモットーの、命知らずな戦いぶりで味方にまで恐れられた武装親衛隊でさえ、特攻やバンザイ突撃のような真似は一切しなかったんだ。

 大戦末期の絶望的な状況の東部戦線で、自国の避難民を守るために、多くのドイツ兵が最前線に踏みとどまって戦ったよ。けど彼らはそこで死ぬつもりだったのではなく、同胞を守って逃がしつつ、自らも生きて還る僅かな可能性に賭けていたのだよ。
 一九四五年の四月末に、ベルリンを包囲したロシア軍は二百万で、包囲されたドイツ軍は僅か五万。それでもドイツ軍は戦って、ヒトラーが死んだ後も多くの兵たちが、避難民の先頭に立って包囲を突破しようとしたんだよ。
 ただ死ぬ為に戦うことはそんなに美しくて、自国民の為だけでなく自分も「生きる」為に命を賭けて戦うことは、それよりずっと劣ることなのかな? 黒沢には、どうしてもそうは思えないんだ。
 極限状態の中ではね、実は“死ぬこと”より“生き抜くこと”の方が難しいんだよ。
 だから「かの特攻専用機の名前はBAKAでOK」って、黒沢はやっぱりそう思うよ。

 最近、ゆとり世代が何だかやたらに叩かれてるような気がするよ。うん、ゆとり教育のあの中身の薄さは、黒沢も確かに問題だとは思う。
 けどさー、ゆとり世代なんて可愛いもんだよ? だってただ「モノを知らない」ってだけで、別に社会に害は与えてないじゃん。 全くとは言わないけれど、そんなには……ね。
 日本の学者がサヨクで、マスコミも文化人も殆どサヨクかその親派だった時代に、黒沢は子供時代を過ごしたからさ。だからサヨクに対する不信感みたいなモノが、黒沢の骨の髄まで染み込んでるんだよね。
 そんな黒沢が心から憎んで嫌ってるのが、全共闘世代ってヤツらデス。

 実は旧ソ連など共産圏の反米工作の一端だったのにさ、それにノセられて学生運動なんておバカで傍迷惑なコトをしでかしちゃってさ。主張は反戦平和、でもやる事はゲバ棒振り回して投石して暴れて……って、矛盾し過ぎてて笑っちゃうよ。
 国家や警察やキドータイはみんな悪で、でも自分たちの暴力は正義だとか、「オマイら、大学生にもなってまだ厨二病かよ?」って感じでさ。
 でも全共闘の時代には、その厨二病的な学生運動に加わらないまともな学生の方が、「意識の低いヤツ」とバカにされていたんだよね。

 若気の至りだか昔の厨二病だか知らないけれど、世の中を動かすなんて妄想抱いてゲバ棒振り回して暴れて、でもその結果ロクな就職も出来ずに、社会から半ばドロップアウトしてるなら、まだ許せるんだよ。
 いくらサヨクと学生に甘い時代でもさ、学生運動の幹部とかになって逮捕とかもされちゃうと、やはり就職にはかなり支障が出てきちゃうワケ。で、仕方なく映画の世界に入ったり物書きになったり、サヨクと反戦平和の看板を、自然保護に書き換えて市民運動家になったりしてる人、けっこう多いよ。
 さる有名なアニメの監督なんかも、実はその学生運動でまともな就職が出来ずに……という一人らしいよ。その某監督のアニメって、意識して見れば学生運動していた全共闘世代っぽい臭いが何となくわかると思う。北海道在住の、某有名脚本家などもそのクチだしね。
 でもいいんだよ、そういう人達は曲がりなりにも、「自分の生き方を貫いた」とも言えるから。黒沢が許せないと思うのは、運動に加わりながら筋を曲げた、その他大勢の学生だよ。

 全共闘の全盛時代にサヨクにかぶれて暴れた大学生たちの殆どは、その後どうしたと思う?
 自分の卒業が目の前にチラつくと、ヒッピー風のロン毛を切ってヒゲも剃り、リクルート・スーツに着替えて就職したんだよ。少し前まで自分たちがあれだけ罵倒してた、「資本主義のテサキで、労働者を搾取している」大企業にね?
 かつての学生運動の闘士たちは、卒業後はそのまま「二十四時間、戦えますか?」のモーレツ企業戦士になりましたとさ、というコトだよ。
 わかるかい? どんな立派な主義主張やスローガンも、現実に“生きる”ってことの前ではゴミクズ同然なんだよ。
サバイバルは常にイデオロギーに優先する」ってのは、元英国特殊部隊の隊員で作家のアンディ・マグナブ氏の言葉だけれど、現実ってホントそういうモノだから。
 だったらさあ、ヘンな思想にかぶれてエラそうな事なんか言わなきゃいいのに。
 サヨクの学生運動の闘士が、「オレももう若くないからナ」とか言って、昨日の敵(国家や企業)に土下座してその家来になるなんてカッコ悪すぎだろ。って言うか、まず人として醜すぎだって。

 黒沢自身は、全共闘よりずっと後の世代だよ。けど進学した先が史学科だったこともあって、大学の学科の中にはサヨク的な空気もまだかなり残っててさ、情緒的な反戦平和を叫ぶような連中がハバを利かせてたよ。
 歴史は戦争で動いてきた一面もあるし、歴史を語るには、当然戦争についても触れねばならなくなるワケ。だから科の学生たちの演習でも、日本の軍部とか太平洋戦争とか天皇の戦争責任とか、政治的にヒジョーにデリケートな面についても突っ込んで討論し合うことになるし、右と左の思想のぶつかり合いがどうしても避けられないんだよね。
 だから憲法九条改正派で、「道理の通じない狂犬みたいなヤツは間違いなく居るし、噛みつく狂犬にはまず棍棒が要るだろーが」って考える黒沢は、学内でもやっぱりコチコチの右翼扱いでさ。

 うん、大学には黒沢以外にも右翼の学生はいたよ。でも大学の右翼の学生って、黒沢のキライな精神主義むき出しで脳筋そのものの体育会系のヤツら(←テニサーとかのチャラいのじゃなくて、主に武道系の……)ばっかりでさ。
 だから黒沢は、大学ではいつも一人で周りのサヨクのヤツらと激論を交わしてたよ。
 陰で「オレも黒沢の言う通りだと思う」って言ってくれる人は、実は何人か居たよ。けど声の大きいサヨクたちの前では、みな黙っちゃうんだよね。

 黒沢といつも激論になったサヨクの学生の一人に、あの龍馬の県から来たサカモト君(仮名)ってヤツがいて。そのサカモト君は親が高校教師で、しかもバリバリの共産党員でしかも組合の活動家なんだよ。で、サカモト君は共産主義の思想に、幼い頃から洗脳されていた……ってワケ。
 サカモト君との論争では、いつも黒沢が現実の例を挙げて、サカモト君の共産党のスローガンの受け売りを論破していたけれど。でもサカモト君は、自分が間違っていたとは絶対に言わなかったよ。
 反論できなくなる度に、サカモト君はいつもこう言うんだよね。「黒沢はクチが巧いから言い負かされただけで、本当はオレの方が正しいんだ」って。

 やがて黒沢たちも大学四年生になって、就職先が決まらずに焦るヤツは当時も少なくなかったけれど、そのサカモト君は最初から余裕シャクシャクだったんだよね。
オヤジが組合の上の方に居るからさぁ、オレは県の教員にコネでもう内定してんだよ
 今の社会の悪と矛盾はすべて資本主義のせいで、共産主義になれば汚職も不正も無くなる。大学の四年間、ずっとそう言い続けてたサカモト君の“現実”がコレだよ。

 黒沢の学科には、原爆を落とされた県から来たヤマシタ君(仮名)って人もいてね。彼は親戚に被爆者の方がいて、そのせいか彼もまたサヨクで熱心な反戦平和思想の持ち主だったよ。
 サカモト君と違って、ヤマシタ君は黒沢と論争しようとはまるでしなかった。けど黒沢が「侵略戦争はいけないが、国を守る為の軍事力は絶対に必要だ」みたいな意見を言う度に、周囲にもハッキリ聞こえる大きな溜息をついて、さも「呆れたヤツだ」と言いたげに首を振りながら、あからさまな軽蔑の眼差しを黒沢に向けてきたよ。
 まともな論争は一度もしない、でも軽蔑の気持ちを態度で見せる……って、このヤマシタ君、どれだけ論破されても決して負けを認めないサカモト君よりむしろタチが悪いかも。
 そのサヨクで反戦平和のヤマシタ君がさ、どこに就職したと思う?
 サラ金だよ、サラ金。それも誰でも名前を知ってるような大手の、後に創業者の会長がタイーホされちゃうようなタチの悪いトコ。
 だから黒沢は「サヨクのリベラル系の人たち」は全く信じないし、耳障りの良いキレイ事ばかり言って世間から「いい人」と思われてる人には、何かこう腹の底から沸き上がって来るような生理的な嫌悪感があるんだ。

 全共闘世代のオヤジたちってさ、結局はサカモト君やヤマシタ君と同類なんだよね。親の仕送りに頼れる学生時代には、夢みたいな理想論を振りかざして「世の中を変える!」みたいなコトを抜かして暴れて、でも目の前に餌をぶら下げられるとコロっと変わる
 それでもさ、生きる為にそれまで悪口言いまくってた資本主義のテサキの企業に就職したとしても、「いやー、あの頃のオレはガキでバカだったよ。現実が全然わかってないくせにエラソーなことばかり言って、今となっては恥ずかしい」って反省していれば、まだ許せるんだけれど。
 でも全共闘世代のオヤジって、若い頃の自分のバカさをまず反省してないから。学生運動で暴れた過去を、「熱く燃えて頑張ってた俺カッケー!」って自慢話にするんだよね。そしてトドメに、お決まりのあの台詞を付け加えるワケ、「オレらの若い頃に比べて、今の若いヤツらは……」って。
 ほら、元ヤンキーのオヤジとかに、よく居るじゃん? 昔の悪行の数々を「世の中や周りの皆さんに迷惑かけてスミマセンでした」って恥じるんじゃなく武勇伝みたいに語っちゃう上に、「今の若いヤツらは」とか説教までしたがるクズが。
 学生運動で暴れた全共闘世代のオヤジどもって、ホントそのレベルの恥ずかしい人間が多いんだよ。
 いや、反戦平和だの何だのとご立派な理想を掲げて正義の味方ぶってただけ、元DQNのオヤジどもより元全共闘のオヤジの方が余計にタチ悪いかも。

 でも人間って、醜いくらいに平気で変われるんだよね。現実に仕事とカネを目の前にぶら下げられれば、「だって仕方ねーじゃん」ってコロっと変わる
 原発だってそう、仕事とカネを差し出されれば、ナゼか“安全”って意見に賛成しちゃう。で、一旦事故が起きると、「知らなかった、ダマされた」と怒り出す。
 映画でもドラマでも小説でも、「人は変われるんだ、生き方は変えられるんだ」みたいなことを訴えてる作品、けっこうあるよね。その「変われるんだ、変わらなきゃ」がテーマの物語って、ギャルゲーにさえ幾つもあるくらいだよ。
 いや、黒沢も「変わる」こと自体は悪いとは言わないよ。でも「変わる」前に、それまでの自分に対する総括と言うか、後悔と反省がまず必要でしょ?

 だってさー、例えばそれまで散々悪い事をしてきたDQNに、「好きなオンナもできたしオレももう若くねーから、そろそろ結婚してマジメになるワ」とか言って、謝罪も反省も無いままフツーの人に戻って幸せになられたら、どう思うよ? それまでいろいろ迷惑かけられてた被害者達としては、ただムカつくだけだよね。

 でも世間の人達って、元ヤンとかがホントに大好きなんだよね。テレビのドラマもそのテの話ばかりだし、何たって元ヤンが学校の先生になった……ってだけで、マジで国会議員のセンセイに選ばれチャウくらいだし。
 最初から真面目に頑張ってる人達より、元ワル(ヤンチャだった若い頃の武勇伝アリ)の方がエラくてカッケー。それがこの国の国民性なんだよ、情けないことだけれど。
 だからこそ黒沢は、反省なく変われちゃう日本人が怖いんだよ。

 一九四五年の八月十五日までは、天皇は神で日本は世界一の神の国、そして米英は鬼畜だった。けど戦争に負ければその鬼畜を卑屈な笑顔で迎えて平気でギブ・ミー・チョコレートだよ。
「ススメ、ススメ、ヘイタイ、ススメ」の空気は一転して反戦平和に変わり、自衛隊は税金ドロボウ呼ばわりされてさ。「天皇陛下バンザイ!」にとって変わった民主主義は、たちまち行き過ぎてサヨク大好きにまで突っ走っちゃう。
 今は北朝鮮が最悪な国なのは常識だけどさ、黒沢は「共産主義だから北朝鮮や中国は良い国で、韓国は独裁者が支配する悪い国」って言われてた時代を知ってるから。

 共産主義や北朝鮮の現実はどうなのかは、今はもう誰もが知っているけれど。でも少し前までサヨクを誉め讃えていた日本のおエラい知識人達って、殆ど「誰も」と言っていいほど謝ってねーんだな
 その元サヨクで当時の政府を叩きまくっていた過去については口を拭って忘れた顔をして、追求されると「仕方なかったんだ、知らなかったんだ」、あるいは「あの時代は、みんなそうだったんだ」と逃げる
 結局さ、学者センセイもマスコミ文化人も全共闘世代のオヤジも元ヤンキーも、日本人はみな同じなんだよね。昔の過ちは脳内のメモリーから全消去して、自分の都合で意見も態度もコロコロ変える
 その現実をイヤと言うほど見せられているから、ゲームでもドラマでも小説でも「変わらなきゃダメだ、変われるんだ!」って繰り返し訴えるようなものに当たってしまうと、黒沢は胸の中が何かモヤモヤして気持ちが醒めてくるよ。

 あの東日本大震災でさ、自衛隊がすごく頑張って世間の評価もウナギ登りだよね。あの活躍ぶりを全国の人が知った今、自衛隊を叩こうなんて人は殆どいないよね。
 って言うか、今「憲法違反の自衛隊なんてイラネ」とか言い出したらさ、まず周りの皆からフルボッコされそうだよ。
 黒沢自身は自衛隊が税金ドロボウって叩かれてた時代から、「憲法第九条はさっさと変えて、自衛隊はキチンと日本国防軍にしろや」って言い続けて来た人間だから。
 黒沢としては当たり前の事を言っただけのつもりだったけど、おかげで当時は、危険思想に近いコチコチの右翼扱いでありマシタ。
 でもそれだけに、他の人達が今さら「居てくれて良かった、自衛隊さんアリガトウ」みたいに言い出してるのが、何か胸クソ悪いし怖いんだよ。「ホントお前ら、無反省によく“変われる”よな?」って
「だけど黒沢よ、オマエ元々自衛隊が好きだったんだから、むしろ時代がオマエに追いついて来て嬉しい筈だろ?」って言われそうだよね。
 違う。今、皆が自衛隊に感謝して好意的になっているのを見ると、当然の事だと思うのと同時に、黒沢はやっぱり「怖い」んだよ。

 こんな言葉を知っているかな。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
 例えばもし黒沢が自分の経験だけでものを考えていたら、皆が自衛隊に好意的になってる今を素直に喜んで、「ザマーミロ、自衛隊を憲法違反だの税金の無駄遣いだのとけなしてたサヨクどもめ、何とか言ってみやがれ!」とか思って図に乗ってただろうね。
 でも戦前から戦後にかけての自分が生まれる前の日本のことも、黒沢はいろんな歴史の本を読んで勉強していたから。
 黒沢が子供の頃は、知識人は殆どサヨクで警察と自衛隊はテキで、「反権力=カッコいい」ってのが当たり前だった。
 でもそのちょっと前までは天皇陛下は神で、臣民たる国民は陛下と御国の為に死ぬのが当たり前、そして男子の夢はヘイタイさんになる事だった
んだよね。

 日本人って、ホントに平気でよく変わる。少しでも戦争に疑問を持つ人を「非国民!」と罵った同じ口で「反戦平和、自衛隊は要ラナイ!」とか言うのも平気だし、学生時代はゲバ棒振り回して反権力で暴れても、卒業すれば敵だった権力側の企業に就職するのも当たり前、昔は北朝鮮や共産主義の国を褒め讃えていたのも、今はナゼか都合良く忘れチャウ
 就職が目の前に迫った時、同級生のサカモト君やヤマシタ君が、それまでの主義主張をサラリと捨てて態度をガラリと変えたけど。でもそれはサカモト君やヤマシタ君個人が腐ってたのではなくて、その節操の無いまでの変わり身の早さが、我が日本民族そのものの特性だったんだよね。
 だから黒沢は、言うことや考えを百八十度変えて恥じない日本人が怖いんだよ。
 神憑りの軍国主義からサヨクの反戦平和主義者にも平気で変われるし、だからまた平気で神憑りの軍国日本にだって戻れるに違いないんだよ。

 実際、東京も大阪も間違いなく天皇賛歌の君が代が大好きな政治家を当選させてきたし、旧帝国軍人の思考と精神をそっくりそのままお持ちのような自衛隊の元幹部T氏が、まだ一部でだけれど神のようにもてはやされてもいるよね?
 元々迷走気味だった民主党が、震災のせいでますます頼りなく見えている。だからって、原発の利権ベッタリで東電とも仲良しで、
福島原発の賠償は国民の税金負担にさせたそうな自民党にも期待できない。
 国の経済が苦境に陥っていて、既成の政党には期待できない一方、逆に自衛隊の好感度と信頼度は上がってる。この状況ってさ、二・二六事件の少し前の日本の空気とすごく似てるんだよ。
 バカバカしい……って、本当にそう思うかい? ならばこんな事態を、ちょっと想像してみてごらん。
①まず東京と大阪のカリスマ政治家が手を組んで、「この非常時に国を救うには、日本を一つにするしかない!」とか言い立てる。
②思想的にT氏に近い自衛隊員を決起させ、民主党も自民党も実力(武力)でブッ壊す。
③非常事態宣言をして、選挙によらずに「石原総理・橋下副総理兼官房長官・田母神防衛兼震災担当大臣の救国内閣」を立ち上げる。
 もしも黒沢の書いたこの最悪のシナリオ通りに未来が動いたとしたら、バンザイと叫んで「石原総理の救国内閣」を熱烈に歓迎する国民、少なからずいるのではないかな。

 今も昔も、黒沢は思想的には殆ど変わってないつもりだよ。憲法九条は改正して自衛隊は正式に軍にすべきだと思うし、警察も増強して治安も改善させるべきだと思う。「死刑もあって良し」と思うし、日本の法律と裁判は犯罪者に甘過ぎるとも思う。
 ただ精神論や宗教は真っ平御免で、理念や大義などよりまず事実を見て、問題は現実論で解決に導きたいと思ってる。
 だからまず精神論の旧日本帝国軍も、現人神サマを頂点としたある種の宗教国家じみた大日本帝国も、どちらもどうにも肌に合わないのだよ。
 宗教心が無いからか、誰かを神サマみたいに信じてついて行きたいとは思わないし、カリスマ指導者など「百害あって一利なし」と思う。って言うか、生きている同じ人間の誰かを神サマと崇めて盲信しチャウ人って、黒沢には理解不能だし、何かキモチ悪いって思うよ。

 国旗はもっと尊重されて良いと思うし、アメリカのように教室に飾っても良いと思う。けれど黒沢は字が読めるし、言葉の意味だって解るから、君が代は絶対に歌う気になれないんだ。
 と言うより、元々意味も成り立ちもまるで違う日の丸と君が代を、なぜ皆が一緒に考えてセットで扱うのかも理解できないし。
 日の丸の旗は大いに振るけど、君が代は絶対に歌わない
 こんな黒沢は、昔はコチコチの右翼と言われ、今はサヨクと見なされてマス
 ブレてるのは黒沢じゃなく、日本の社会の方なんだよね。日本人が右から左へ、そしてまた右へと大きく振り子のようにブレているのが、ずっと変わらないでいる黒沢にはとてもよく見えるんだよ。
 ……世の中の動きを、これからもよく見ていてごらん。人々が民主党にも自民党にも絶望したら、橋下徹や石原慎太郎に近いカリスマ指導者が「救国内閣」を組織して、日本を戦前に近い独裁政治に戻すから。

 話は戻って、大人しくて可愛かった幼なじみのカナコちゃんだけど、残念ながら小学校の二年に進級する時に転校して居なくなっちゃったんだよね。
 学校帰りにそのまま遊びに行った時、カナコちゃんの家は小さめの借家だったし、後から考えるとマイホームを建てて引っ越したんだろうと思う。「成長する子供の為に頑張って家を建てる」みたいな親、今もけっこう多いよね。
 小学三年生になる時のクラス替えで一緒になって仲良くなったマキちゃんも、それで中学に上がる時に引っ越しちゃうんだけど。
 ただマキちゃんが引っ越した時は、お互いもう小さな子供じゃ無かったからね。相手の住所もちゃんとわかっていたし、その後も手紙で絶えず連絡を取り合ったよ。
 でもカナコちゃんが引っ越したのは、小学二年生になる直前だったもの、手紙なんか書けないし、そもそも住所も電話番号も知らなったし。

 考えてみると、低学年の小学生のセカイってすごく狭いよね。友達と言えば、同じクラスの家も近くて通学路が一緒……ってヤツらばかりでさ。学校の後で遊ぶ時も、いつもの広場に行くか、相手の家まで直に誘いに行くかで。
 だから小学校低学年のガキんちょにとっては、転校なんかされちゃったら、「外国に行っちゃいました」ってのと同じようなものだったんだよね。
 カナコちゃんが居なくなって、もちろん悲しかったし寂しかったけど。ただコドモの自分にはどうしようもない事だし、ただその現実を受け入れるしか無かったよ。
 それに次の年には、黒沢はマキちゃんと仲良くなっちゃったしね。時が経ち新しい友達が出来れば、寂しさも次第に薄れるものだし、カナコちゃんの記憶もいつしか殆ど消えていたよ。
 その新しい幼なじみのマキちゃんも、やがて違う町に引っ越して行っちゃうんだけど。日本がどんどん豊かになって、町も広がり、郊外の空き地や田圃に次々にマイホームを建てて……って、そういう時代だったんだよ。

 ところがそのカナコちゃんと、何と中学で一緒になってさ。
 と言っても別に、私立の中学とかをお受験したワケじゃないよ。
 東京や大阪などと違って、黒沢が居たような中途半端な田舎では、中学は地元の公立に行くのが当たり前だったから。中学受験なんてするのは、本当にごく一部のお坊っちゃまとお嬢さまくらいでさ。
 黒沢が上がった市立U中には、黒沢が通っていたA小と隣のE小の、二つの小学校の生徒が行くことになっていて。
 小二になる時に居なくなってしまったカナコちゃんの転校先って、実は隣のそのE小だったんだよね。
 だから中学でまた一緒になるのは、必然と言えば必然だったんだけど。ただその時になるまで、カナコちゃんがどこに引っ越したのかさえ知らなくて。
 転校って言うと、ついすごく遠くに言っちゃうようにイメージしちゃうじゃん。それが同じ市内の、それもそう遠くない町に居たなんて、まるで思ってなかったよ。

 何しろ天然の茶髪だし、カナコちゃんのことは遠くからもすぐにわかったよ。
 でも黒沢は、そのカナコちゃんに気付かないフリをして、声すらかけなかった。
 と言うより、正確には「声もかけられなかった」んだよ。
 相変わらずと言うより、カナコちゃんは以前の記憶よりずっと可愛くなってたよ。肌は抜けるように白いし、例の栗色の髪は、陽に照らされると実った麦の穂のように金色に輝いて……って感じでさ。
 そしてそれだけじゃなくて、雰囲気も別人みたいに変わってた。

White princess ‐the second‐ (2800コレクション)White princess ‐the second‐ (2800コレクション)
(2006/11/16)
PlayStation2

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 プレステ2のギャルゲーに『ホワイト・プリンセス・ザ・セカンド』ってのがあって、コレにはヒロインに幼なじみが二人も出てくるんだよ。それにさらに、かつて一緒に遊んで仲良くしていた従妹まで加わるのだから、ある意味「幼なじみ祭りかよ?」って感じもあったりして。
 で、その幼なじみのうち、新川透子は「背は高いけれど内気で、知らない男の子に話しかけられる涙目になるほど」って感じで、もう一方の望月真心は正反対で「人なつっこくて天真爛漫で、クラスのムードメーカー」ってタイプなんだ。

 でさ、黒沢のイメージに残っていた転校する前のカナコちゃんを新川透子とすれば、中学で再会したカナコちゃんは望月真心そのもの……って感じだったよ。別人と言ったら大袈裟だけれど、ホントにそのくらい雰囲気が変わってた。
 中学生になったカナコちゃんはメチャ可愛くて、そしていつも皆に囲まれて笑っていてさ。その新しいクラスの中でも、まるで太陽みたいに輝いていたよ。
 それに対して黒沢は、人間不信になるような事がいろいろあってヒネくれて、周囲の評判も落ちて行く一方でさ。
 何しろその頃の黒沢と言えば、『天空の城ラピュタ』のムスカ大佐を、そのままガキにしたようなヤツだったから。
 だから人の輪の中で太陽みたいに輝いてるカナコちゃんが、とても眩し過ぎてさ。ムスカ大佐みたいにねじけきった黒沢なんかが、闇のセカイの中からのこのこ這い出して近寄る気になど、とてもなれなかったんだよ。
 庭の大きな石をひっくり返すと、暗がりに棲んでいた虫が日の光から一散に逃げて行くような……まあ、ちょうどそんな感じデス。

 それに黒沢たちが通ったU中学って、いわゆるマンモス校だったから。
 まず黒沢が居たA小が一学年六学級で、そこにカナコちゃんの転校先のE小の生徒らが加わって、一学年に九クラスもあったんだよ。
 そしてカナコちゃんは三組で黒沢は八組で、教室のある校舎の階だって違ったからね。わざと避けようとなんかしなくても、顔を合わせる機会なんて殆ど無くてさ。
 その後の二年生になる時のクラス替えでも、カナコちゃんは一組で黒沢は九組と、更に遠くに離れちゃったよ。そしてそれを残念に思う気持ちすら無かったくらい、その頃にはまるで“他人”になってたよ。

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