空と虹と恋と

 大好きな写真のこと、そしてゲームやコミックスの話から歴史&時事問題まで、思いつくまま雑多に語ってみたいと思っております。さらに筆者の度重なるイタい失恋話についても、どうぞ憫笑しつつお読み下さいまし。

異性愛者を無視して、LGBTの生き辛さと権利ばかりを叫ぶな!

 今の安倍内閣の閣僚の中で、近ごろ最も知名度が高くなりつつあるのは、もしかしたら“パンツ大臣”の通称でおなじみの、あのお方ではあるまいか。
 で、安倍首相が『一億総活躍』のスローガンを現実のものとし、女性用の下着を盗んだ前歴のある者すら閣僚に登用した事に対して、ネット上に様々な声が寄せられているが、その中に「へえ、そうなのか」と失笑しつつ妙に感心させられたコメントがあった。

 そのコメントによると、本物の下着マニアは“中身”の女性には興味が無く、女性用の下着のみを愛するもので、新品を購入して収集するのだそうだ。だから某大臣のように、使用済みのモノを盗んで手に入れるなど、下着愛好者としては三流なのだという。

 なるほど、と思った。
 あの大臣は入手する際にパンツを盗んだからいけないのであって、新品を購入すれば良かったのだ。
 もしくは「三流と言われようと、使用済みのモノが欲しい!」というのであれば、持ち主の女性と交渉して適当な代価を支払い、商取引として手に入れれば良かったのだ。
 使用済みのパンツを“盗む”ことは違法であるが、合意の上で“購入する”のであれば何も法には触れないからね。

 近年、新聞やテレビなどでやけにLGBTという言葉を聞く。
 それもたいてい、「LGBTの人の辛さを理解し、彼ら彼女らの権利を認めろ!」という意味合いで使われる。
 欧米の一部の国々では同性婚も認められており、日本でも渋谷区で同性のカップルにパートナーシップ証明書が発行されるようになったニュースも、良い事のように報道されている。
 で、LGBTの人々に否定的な物言いをしようものなら、「無理解で人権無視の、頭の固い偏見の持ち主」として袋叩きにされかねない。
 それを覚悟の上で、筆者はあえて言う。
綺麗事ばかり言ってんじゃねーよ、異性愛者の迷惑も考えろ! LGBTばかり権利を主張してんじゃねーよ!!

 ここで改めて確認しておくが、LGBTとは、レズとゲイとバイセクシャル、それにトランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)の事である。
 で、彼ら彼女らを擁護し、その種の人々の権利を主張する人達はこう言う。
彼ら彼女らが同性を愛するのは生まれつきの変えられないものなのだから、決して責めてはいけない

 うん、確かにそれは一見もっとものように聞こえる。
 しかしよく考えてもらいたい。
「生まれつきの変えられない性的嗜好」というのは、レズとゲイとバイセクシャルとトランスジェンダーだけだろうか。
 よく言われる『性的マイノリティー』とは、レズとゲイとバイセクシャルとトランスジェンダーだけだろうか。

 世間的にはマイナーで公にされると差別されかねない性的マイノリティーは、それ以外にも多々あるではないか。

 例えばパンツを盗むほど愛したあの大臣は、酔うと脱ぎたくなるとも聞いた。
 また、ぶったりぶたれたり、縛ったり縛られたり、ローソクを垂らしたり垂らされたりなどして楽しむサドマゾも、一般には理解されがたい性的マイノリティーだろう。
 その他にも小さな子供が好きなペドフェリアや、その反対の高齢者が好きなフケ専や、体格の良過ぎる人が好きなデブ専も確かに存在する。
 また、本当に少数だが動物との性交に興奮を覚える獣姦者や、死体を愛するネクロフィリア、さらには人が死んで行く姿に性的興奮する者達まで現実にいるのだ。
 そしてそれらの社会的には恥ずべきとされている性的少数者も、自分の意志でそうなったのではない。レズやゲイやバイセクシャルやトランスジェンダーと同様に、生まれつきのものなのである。

 ならば何故レズやゲイやバイセクシャルやトランスジェンダーばかり「差別するな、理解して権利を認めろ!」と言われて擁護され、下着マニアや露出症やサドやマゾやロリやフケ専やデブ専や獣姦者やネクロフィリアらの性的マイノリティーは、相変わらずカミングアウトできないまま馬鹿にされ蔑みの目で見られ続けなければならないのだろうか。
 不公平でおかしい、と思うのは筆者一人だけだろうか。

 レズやゲイやバイセクシャルやトランスジェンダーを擁護する人達が言うように、「変える事の出来ない生まれつきの性的嗜好を責めてはならない」のであれば。
 パンツを盗むのは良くないが、異性の下着を愛でてそれに性的興奮を覚える事自体は全く悪くないし、そういう人達を「キモい」と蔑むのは差別でイケナイ事になる筈だ。
 手を出したりつきまとったりしたら犯罪だが、幼女や幼児をただ眺めて性的興奮を覚えるのであれば「決して悪いことではない」という理屈になる。
 合意の無いまま相手を縛ったり叩いたりするのは犯罪だが、合意の上のSMプレイであればもちろん何も問題なく、「恥ずかしい」などと思う事もない筈だし、理解してあげなければならないのだろう。
 デブ専もフケ専も当然問題ないし、当人が傷つくから笑いのネタにしてはいけない。
 ただ露出症は公然猥褻罪で獣姦は動物虐待に、ネクロフィリアは死体損壊に当たるから実行すればアウトだが、ペドフィリアと同様にただ眺めて頭の中でエロい妄想に浸る分には「問題ない」という事になるだろう。

 本当に性的マイノリティーの人権を考えるのであれば、冗談でも極論でもなくそこまで考えねばなるまい。しかし今の世の中では、何故LGBTの人達だけが性的マイノリティーとして「権利を保護し、彼ら彼女らが生きやすい社会にしなければならない」とマスコミで叫ばれているのであろうか。
 実はそれには、欧米の宗教と文化の問題が大きく影響している。

 かつて欧米では、宗教的な問題もあって同性愛者は日本では想像できないくらい差別されていた。
 もしある男性が同性愛者だと世間に知れたら、その人はまず社会から抹殺された。殺されはしないものの、地位と名誉を失い、国によっては裁判にかけられるところもあった。

 例えばドイツでナチスが政権を取った後も、軍に多い貴族将校たちの中にはナチスに批判的な者も少なくなかった。
 それでナチスは、その指導的な立場にあった陸軍大将を失脚させる為に、あの閣下は同性愛者だという濡れ衣を着せた。
 で、同性愛の疑惑だけで裁判になり、結局その陸軍大将の無実は証明されたのだが、当の大将は面子も心も大いに傷つけられて退役してしまった。
 そして第二次世界大戦が始まると、その陸軍大将は現役復帰し、出身連隊の名誉連隊長として最前線に出て、ドイツ軍が電撃戦で大勝利をおさめる中、殆ど自殺も同然な戦い方をして戦死を遂げてしまった。
 その頃の欧米では、ただ「同性愛者の疑いをかけられた」というだけで、自ら命を絶ちたくなるくらい酷い恥辱だったのである。

 ちなみに、当時のナチスはユダヤ人だけでなく、同性愛者も強制収容所に放り込んで抹殺していた
 そこまでしたのはナチスドイツだけだが、当時のヨーロッパには「同性愛=犯罪」という国が幾つもあった。

 そして第二次世界大戦後はソビエトと西側の冷戦の時代に突入するのだが、イギリスなど西側の政府や秘密情報部には、祖国を裏切りソビエトに情報を漏らした者が少なからず存在した。
 その裏切り者のスパイの中には、実は同性愛者が数多くいたのだ。
 同性愛者であるという証拠をソビエトの秘密工作員に握られ、「言う通りに情報を漏らさないとお前はゲイだと暴露するぞ」と脅されて、少なからぬ者がやむなくソビエトのスパイになったのである。

 国を裏切る売国奴に堕ちるか。
 それとも「自分は同性愛者です」とカミングアウトするか。
 今の日本では信じられない事だが、当時の欧米人にとっては、祖国を裏切る事より「こいつはゲイだ!」と暴露される事の方が恐ろしかったのである。
 少し以前の欧米では、同性愛者はそれほど酷く差別されていたのだ。
 何しろキリスト教では、同性愛は教義で禁じられているからね。
 その酷い差別の反動のように、1960年代頃から公民権運動やウーマン・リブ運動などを背景に同性愛差別に反対する動きが巻き起こり、ストーンウォール暴動まで起きた。そしてそれが各国に波及し、同性愛者の人権が強く叫ばれるようになったのだ。

 それに対し日本では、昔から欧米よりずっと同性愛に寛容だった
 まず女犯を禁じられた僧院で稚児を愛する事から始まり、戦国時代には主君と小姓らの間にそのような関係が見られるようになった。
 そして江戸時代になっても若衆歌舞伎の役者が愛され、男色専門の陰間茶屋が江戸だけでなく京や大阪にも少なからず存在した。
 そのように日本では、同性愛者は欧米レベルの酷い差別を受けたりしていなかった。

 もちろん性的嗜好の上では明らかに少数派だし、からかいの対象になる事はある。しかし欧米のように、同性愛者だと知られるだけで社会的に抹殺され、罪にまで問われるような事は無かった。
 現に日本のある高名な映画評論家は、知る人ぞ知る同性愛者であったが、誰もその事には深く触れず、社会的な地位も失わずに幸せな一生を終えた。
 日本のLGBTの人達は「自分たちは差別されている、理解されずに苦しんでいるのだ! 日本の社会は生きにくい!!」と不満を言うが。
 少なくとも日本はかつての欧米のように「同性愛=犯罪」と見なされ、LGBTと知られただけで社会的に抹殺され死を選ばざるを得ないような国ではない筈だ。


 昔も今も、日本は同性愛を誉めも歓迎もしないし、時にはからかいの対象にする事もある。しかし大多数の者たちは、だからと言って酷く責めたり社会的制裁を加えたりもしていない。
 親に「孫の顔も見られないのか、家はどうする」と嘆かれたり、当人が「苦しい」と感じる事はあるだろう。しかし少なくとも自分が同性愛者であると世間に知られる事の方が、売国奴に堕ちるより恐ろしいような社会ではない事だけは確かだろう。

 繰り返すが、生まれつきのもので変えられない性的マイノリティーなんて、LGBT以外にも大勢いるんだよ。
 下着フェチとかの人とか。
 サドやマゾの人とか。
 ちっちゃい女の子や男の子が好きな人とか。
 自分の裸を異性に見せると興奮する人とか。
 あと、逆にお年寄りや体格の良過ぎる異性や死体や死にかけの異性や獣に性的興奮をしてしまう人たちとかね。
 彼ら彼女らだって、その自分の生まれつきの直せない性癖に苦しみ、「社会に生き辛さ」とやらを感じている筈だ。

 芸能人の中には、自分がゲイやオネエである事をウリにして活躍している人達がいるが。
 しかし少なくとも、下着マニアやSMやロリコンなどであることをウリにして活躍している有名人など、見たこともない。
 例のパンツ大臣さんも、それをウリにして出世したわけでは決してなく、今では大変に恥じて困っている筈だ。
 だから「生き辛い、苦しい」と言われるが、LGBTの人達が他の性的マイノリティーの人達より苦しく生き辛い思いをしているとは、筆者にはどうしても思えないのだ。

 他の性的マイノリティーの人達の大部分はその自分の性癖に悩んで他人から隠しつつ、社会の片隅でひっそりと生きているではないか。
 同じ性癖を持つ人達と、そっとコミュニティーを築いて。
 なのにLGBTの人達だけは何故声を大にして「自分たちは差別されている、この社会は生き辛い、だから変えてくれ!」と叫んでいるのだろうか。
 完全な異性愛者で、性的マイノリティーの要素は全く無く「能年玲奈さんや有村架純さんのような可愛らしい女性が好き」という、全くのストレートな性癖の持ち主の男性である筆者としては、それがどうにも不思議でならない。

 今年の4月2日の毎日新聞の記事によると、同性愛や性同一性障害などの性的マイノリティーらが、学校の学習指導要領を「誤った知識で不正確だから修正すべき」と求めているらしい。
 その中心になっているのは、室井舞花さんという東京都の28歳の女性だ。
 彼女が中学時代に好きだったのは同性の女の子で、保健体育の教科書の「思春期になると異性への関心が高まる」と異性愛を前提とした内容に、ショックを受けたのだという。
 で、室井さんは「自分は間違っている」と思い込み、19歳になって同じ同性愛者の友人と出会うまで誰にも話せず、「自分には未来がない」と感じていたという。
 だから「学校の学習指導要領を修正しろ」というのだが、では室井さんらはどう変えれば良いと言うのだろうか。

 では「思春期になると異性あるいは同性への関心が高まる」にすればOKか?
 いや、そうではなかろう。
「思春期になると異性への関心が高まる」
 この従来の保健体育の教科書の表現を、室井さんらは同性愛者への差別と受け取っているようだが。
 性的マイノリティーとは、何もLGBTに限らないのだ。真に性的マイノリティーの為を考えるなら、下着フェチやペドフェリアや露出症や獣姦者やネクロフィリアらのことまで考えねば、それこそ「不正確でLGBT以外の性的マイノリティーへの差別」になるのではないか。

 で、すべての性的マイノリティーに配慮するとなると、保健体育の問題の箇所はこうなる。
思春期になると、異性や同性や下着や緊縛や鞭打ちや幼児や老人やポッチャリさんや自分の裸体や動物や死体などへの関心が高まる
 ……少数者への配慮も、ここまで来るともはやギャグですな。
 しかしそうせねば、不正確で不公平で差別的という事になる。

 だってそうしないと、下着フェチやサドやマゾやペドフェリアやフケ専やデブ専や露出症や獣姦愛好者やネクロフィリア達は「自分は間違っている」と思い込み、同じ性的嗜好を持つ友人と出会うまで誰にも話せず、「自分には未来がない」と感じていなければならないのだものね?
 え、LGBTは差別されてはいけないけれど、それ以外の性的マイノリティーはキモいド変態だから差別されても仕方ない……って?
 それこそ身勝手な“差別”ってやつでしょうが。

 筆者は常々不思議に思っているのだが、日本では歴史的にも同性愛者は(からかわれこそすれ)かつての欧米のような酷い扱いをされているわけでもなく。
 そして下着フェチやサドやマゾなど他の性的マイノリティー達は「差別だ! 社会が生き辛い!!」などと叫ぶ事もなく、世の中の片隅でひっそりと己の性癖を楽しんでいるではないか
 なのにLGBTだけなぜこうも声が大きく、そしてマスコミも積極的かつ同情的に大きく扱うのか。

 ズバリそれは、明治維新以来の日本人の「欧米のものは何でも素晴らしい!」という精神から来ているのではないかと、筆者は見ている。
 欧米では同性愛者を犯罪者扱いにして手酷い差別をしてきた過去があるから、その反動で今は同性愛者に対する差別に非常に敏感なのだ。そして日本人たちは何も考えずにその“世界の流れ”に乗っかって、性的マイノリティーの中でもLGBTの声をのみ聞こうというふりだけしているのだろう。

 だが日本人(特にマスコミ関係者や知識人)が手本とするその欧米人たちとは、日本人と同じ人間でありながら非常に極端から極端にブレやすいのだ。
 例えば捕鯨の問題を見てみよう。
 捕鯨の問題では、今では日本ばかりが世界(主に欧米とオセアニア)から叩かれていて、「可愛い鯨を殺す野蛮な国」と罵られている。
 しかし捕鯨は昔から世界各地で行われており、そもそも鯨の乱獲を始めたのは欧州各国であった。
 それで近海では穫れなくなり、米国が遠洋まで出られ穫った鯨の処理や加工もできる大型船を開発したのだ。
 さらに20世紀にはノルウェーが捕鯨砲を開発し、大型の鯨も穫れるようになった。
 それで鯨資源の減少が深刻になり、反捕鯨国が増加して1982年に国際捕鯨委員会(IWC)が商業捕鯨を全面禁止するに至ったのである。

 それを見ればわかる通り、そもそも今の鯨資源の減少を招いたのは、主に欧米なのである。
 にもかかわらす欧米は、一旦鯨が危機的状況に陥ったとなると、「鯨は食べるな!」と我が国に迫り、「鯨やイルカを殺すなど野蛮だ!」などと一方的に責め立てるのである。

 同性愛の問題もそれと同じで、欧米では1960年代頃まで酷い差別をして来たものだから、その反動で「差別は絶対にいけません、同性婚ももちろんOKです!」と、例にって極端から極端に突っ走っちゃってるんだよね。
 そして日本では同性愛者に酷い差別をしてきた過去など無かったのに、知識人を気取る“進歩的な人”やマスコミ関係者が欧米の流れに乗っかって……というわけ。
 だから他の性的マイノリティーは「キモいド変態」のままで放置して、LGBTに対してだけ「差別を無くして彼ら彼女らが住みやすい社会にしよう」というのだから、日本人は浅はか過ぎるよ。

 で、その“寛容”な日本人たちに尋ねたいのだけれど、貴方がたは自分が現実に同性に恋愛感情を持たれ、体を性的な目で見られても平気で受け入れられるのだろうか?
 はっきり言う。
 筆者は受け入れられない。
 完全な異性愛者でゲイの気などカケラも無い筆者としては、同性に恋愛感情を持たれる事にも、体を同性に性的な目で見られる事にも耐えられない。余りにも気色が悪過ぎて。
 LGBTが発言力を持ちつつある今、同性にそのような感情を持たれたり、そのような目で見られたりする事を「気持ち悪い」と思う事自体が、既に差別なのだろうか。
 しかし現実に「同性愛を認める」という事は、「貴方自身も同性に恋愛感情を持たれ、性的な目で見られても構わない」という事なのだ。

 だってゲイもレズもバイセクシャルも、「恋愛はプラトニック」というわけではないからね。
 ごく一部の者は別として、同性愛者の殆どは貴方に対しても「抱きたい、ヤリたい」と思いを抱きかねないのだ。

 テレビで同性愛についての街角インタビューなどを見てみると、特に若い人達の多くが「自分は偏見ないし、別にいいのでは?」などと笑顔で答えていたりするけれど。
 それに対し筆者は、「綺麗事を言ってんじゃねーよ、お前らだって自分がその種の人達に本気で性的対象として見られたら、正直キモいと思うだろうが!」などと、テレビ画面に向かって呟いたりするのでアリマス。

 同性愛に寛容な人達は、自分が同性から“告白”されたり、同性に性交されたりする場面を、本気で想像した事があるのだろうか
「同性愛の人が居ても良い」と言うなら、そういう事まで考えてからにするべきだ。
 そこまでの覚悟がないのに「自分は同性愛に偏見ないし、別にいいのでは?」などと笑って他人事のように言ってほしくない

 同性愛の性交と言えば、女性同士の場合はまだ良い。だってレズがする事は、男性との性交と殆ど同じだからね。
 挿入だって、タチ役と言うか男の立場になる人が張形の付いた下着を付けてヤれば出来るわけだし。
 だが男同士の場合は、まるで違う。
 男同士の性交の場合、何しろ(大多数の人は)排泄にしか使わない肛門に挿入するわけだから、女性との通常の性交とはまるで違う

 どうか「下品な事を書くな!」などと怒らないでほしい。だって「同性愛を認める」というのは、そういう事なのだから。
 貴方がクラスメイトあるいは職場の同僚としか思っていなかった同性に、「お前の可愛い尻に、俺のチンコを入れたい!」とか、「ボクのお尻に、キミのオチンチンを入れてほしい!」などと思われているかも知れないのだぞ。
 同性同士だからと気を許して、相手の家に泊まりに行ったり、自分の家に泊めたりする事もよくあるだろうけれど。
 しかしもしゲイの人が本当に身近にいるとしたら、貴方は安心してそのような事が出来るだろうか。

 一部の腐女子たちは、男の肛門の事を“ケツマンコ”と呼んでいるが。
 ふざけちゃいけない、アレが尻の“マンコ”なものか、どう見てもどう考えても肛門だ。中にチンコを突っ込めば、大事なムスコに茶色いUNKOが付いて出てくるよ。
 その男同士がヤり合っている姿を想像して、「それもアリだな、別にいーんじゃね?」と言える男性が、果たしてどれだけいるだろうか。

 これまでにも書いてきた事だが、筆者は小柄でしかも童顔である。しかも病気もあれこれしてきた身だけにインドア派で、マッチョでは全然ない。
 幸いにして筆者が通った学校はすべて共学で、職場にも女性がいた。そして少年院や刑務所などの矯正施設に入れられた事も、一度も無い。
 しかしもし男だけの世界に放り込まれて、その中にゲイがいたら、筆者は間違いなく尻を狙われる立場になるだろう。
 そうわかっているから、筆者はゲイが恐ろしいのだ。他人事ではなく「ゲイが、それも男役で入れたい方のゲイが居たらイヤだ」と真剣に思っている。

 だいたい、今の日本は同性愛者の権利を言うばかりで、同性愛者から異性愛者を守るようには全くなっていないではないか。
 トイレも更衣室も風呂も殆どみな男女別で、社会そのものが「同性の体を性的な目で眺める者は居ない」という前提になっているんだよね。
 だからそこに同性愛者が存在すると、異性愛者としては、とても困ってしまうわけだ。
 だって同性愛者としては、トイレも更衣室も風呂も“好きな同性”と一緒で、好きな相手の体を見放題なんだよ?
 それって、「同性だから平気」と心を許している異性愛者としてはたまらなく嫌だよ。

 と言うと、ゲイの人から必ずこんな怒りの反論が返って来るよね。
「ゲイだって好みの男が居るんだから。お前の体になんて興味ねーよっ」
 うん、それは確かにそうだろうとは思う。

 ただね、異性愛者の筆者だって、女の子の裸なら誰のでも見たいわけじゃないんだよ。好ましい女子の体にしか興味は無いし、興味の無い女子の裸なんて見たくもないさ。
 でもそれは、男が女性に言ってはいけない事だよね?
 相手の裸に興味があろうが無かろうが、男が女性用のトイレや更衣室や風呂に入った時点でアウト
 同性愛者の場合もそれと同じで、同性に性的な欲望のある人は、それだけで同性と同じトイレや更衣室や風呂を使ってはマズいんだよ。
 だから「LGBTを差別するな!」と言うなら、まずトイレや更衣室や風呂などを、異性愛者と完全に別にすべきだと筆者は考える。
 そしてLGBTの人は自分がそういう人なのだと、異性愛者にもはっきりわかるようにしていただきたい

 最近の男性向けのマンガでは、“男の娘”というのがかなりの人気なのだそうだけれど。
 知る人ぞ知る、「こんな可愛い子が、女の子の筈がない」ってやつね。
 でも筆者は、見かけがどれだけ可愛くても「チンコが付いている」ってだけで、もう駄目で受け入れられないのだ。「自分と同じモノが付いてる」という時点で、もうストップで拒絶反応だよ。
 だから腐女子が愛するBL本など、「表紙をチラ見しただけで目が腐る」という感じで……。

 そのくらいの“完全異性愛者”で、他人のゲイのカップルについては「勝手にしてくれ、但しオレの視界に入らない場所で」としか思わないけれど、自分自身が同性愛を受け入れる余地は全く無い筆者としては、LGBTの生き辛さや権利の向上ばかり叫ばれている現状が、歯痒くてならないのだ。
 異性愛者としては「同性に恋愛感情を持たれて性的な目で見られるとか、絶対嫌だし気持ち悪いとしか思えない」という本音を、大声で言いたくてたまらなくなってしまう。
 LGBTの人達は異性愛者たちの中で苦しんでいるのだろうが、異性愛者も同性愛者の存在に困惑している現実もわかっていただきたい。
 少なくとも筆者の周辺では、「同性愛者が差別されている」と言うより、「異性愛者の方がLGBTの人に気を使っている」という感じなのだ。

 とは言え、実際にはそのLGBTの人が人間的にとても良い人だと、「絶対嫌だし、気持ち悪い!」とか思えなくなってしまうのだけれどね。
 実は筆者の若い頃からの友人の一人に、バイセクシャルの男がいたのだ。
 ただバイセクシャルと言っても、そのS君は「中学生の男女が好き」と言っていて、知り合った時には筆者は既にその彼の“対象”の年齢を超えていたので、「まあ良いか」と友達付き合いをしたのだが。
 しかしS君のどことなくねっとりした視線やものの言い方が、何となく心に引っかかって、微かに「嫌だな」と感じた事があるのも事実だ。繰り返すが、筆者は小柄で、かつ童顔だったから余計に……ね。
 ともあれ、そのS君は今もまだ筆者の友人の一人である。

 LGBTには生き辛さがあるだろうが、それは性的マイノリティーならみな同じだ。
 LGBTの者だけが世の中で苦しんでいるわけではなく、異性愛者だって同性愛者との対応に悩んでいるのだ。
 あと、別に「生き辛い」だの「差別だ、傷ついた」だのと大声を上げなくとも、人柄さえ良ければ友人は出来る
 S君はそれほど社交的でもなかったせいもあって、人数はそれほど多くは無かったが、親しい友人は筆者以外にも何人もいた。
 もちろんその友人たちは皆、筆者同様にS君がバイセクシャルである事を知っていた。
 それだけに筆者は、現在マスコミがLGBTの人達を盛んに取り上げて、彼ら彼女らに対する理解と権利ばかりを社会に求める事に、強い違和感を覚えるのだ。

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